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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.73

適応障害と診断されて503日目(2022年3月2日)の朝、会社に行く前にこの記事を書き始めています。が、本当にこの文章を書くだけで、もう出なければならなくなりそうです。

なんだかんだと前回の記事を書いてから1か月経ってしまいました。

 

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1.復調の兆し

昨年末からつい2週間ほど前まで、私は強い頭痛や吐気に苦しめられていたわけですが、そんな自分を思いやりながら規則正しい生活を続けてきました。症状が好転する見込みはなかったものの、ほぼ残業せず何よりも体調を優先することによって、何とか「悪くなりもしない」という状態をキープすることには成功していました。

そして、およそ2週間ほど前から、ふと霧が晴れるように頭痛が無くなり、気がつけばここ1年で1番と言えるくらい調子が良くなっていました。と、この記事を書いている現在は昨日の残業と若干の寝不足が祟って、やや頭痛が出ているのですが…

どうしてこのように急に自体が好転したのか、その理由は定かではありません。1番有力と思えるのは、単に「波の良い時期に差し掛かったから」というものです。

 

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体調の推移

汚い手書きの画像で申し訳ございませんが、ざっとこの9か月の体調を振り返ると上の通りになります。7月に復職したときは、6月いっぱいをずっとお休みできていたので(市役所の試験を受けたりはしていましたが)、それなりに体調が良かったわけです。しかし、復職したタイミングでは新しい職場ということもあり、結構気苦労も多く、また体力もなかったため結構厳しい日々が続いていました。

そこから数か月は体調が上向かないまま、何となく下がり調子である実感はあったものの、数日単位の小さな浮き沈みを繰り返しながらどうにかこうにかやっておりました。10月末ごろには嫌な出来事によって一気に調子を崩し、しかし11月には楽しいライブによって気分が高揚し、これは結構激しい浮き沈みでしたね。ただし全体的に見ればやはり調子は下がる一方だったようで、12月末には本格的に体調を崩し、そのまま年末年始のお休みに入ります。年始からも体調が復調せず、日々頭痛などに悩まされていたのは上述の通りですが、ようやく数週間前から復調してきたわけです。

こうしてグラフにしてみると、何となく9か月間をかけて物理の波動の単元で習うところの1周期が経過したという感じですね。12月にあまり無理せず仕事をほどほどに体調優先していれば、たぶん1月中旬くらいからもう復調の兆しは見えていたのではないかと思っています。そうすればもう少し綺麗な波形になったことでしょう。

なので、特別何があったというわけではなく、単に1周期回ったというのが理由で今のこの好調があるのだと思っています。

とは言え、鶏と卵のような感じで、良い出来事があったから好調なのか、好調だから良い出来事だと思えているのかわかりませんが、色々と気分が良くなる出来事があったことも事実です。

例えば、締切に追われていた仕事があらかた片付いたということがあります。仕事を進める過程で、最初は先輩に手取り足取り教えてもらっていたことが、ある程度自分でも見通しが立てられるようになり、それで少しだけ自信もつきました。自信がつく、即ち仕事に対する理解が増し、不安が減ったということです。

ほかにもプライベートでは、年末にできた恋人との関係性であまり悩まなくなったということも挙げられます。別に何か関係性に進展があったわけではありません。ただ、前までは「相手がつまんないと感じていたらどうしよう?」とか「自分は恋人としてふさわしい行動を取っているのだろうか?」とか、そういうことで私は思い悩んでいたわけです。それで苦しくなることもありました。しかし、よくよく考えてみれば、私が相手の事を好きな理由は「比較的に楽な気持ちで、リラックスして過ごせる」というものなのです。そんな相手の前でリラックスできていないなら、もはやお付き合いする理由など無いのだと気づいてからは、相手優先で考えて、何やら自分に無用な義務感のものを発生させるのではなく、まずは自分優先で自分がリラックスできることが最も重要であるというふうに考えるようになりました。なので、実際に相手が私に対してどういうイメージを持っているのかは全く以って検討もつきませんが、少なくとも私はとてもリラックスできており、ますます相手への愛情が募るばかりです。そして、その自分の幸福感の延長線上に相手を思いやる気持ちも自然と生まれて来ることに気がつきました。

何をだらだらと当たり前のことを書いているのだと思われるかもしれませんが、つまるところ私は常に「相手がどう思うか」「自分がどう振舞うべきか」と考え続けてきたのです。それで生きるのが苦しくなって、死にたくなり、適応障害になりました。なので、この心境の変化というのは私にとってまさに目から鱗という感じで、非常に重要な「ユリイカ」だったのです。

そして、先輩との温泉プチ旅行や、ずっと好きだったバンドのライブ(Lillies and Remains)、そういった楽しい時間を過ごせていたことも結構大きいですね。単純にここ1週間くらいでとても暖かくなったということも、好転の要因として挙げられるでしょう。が、やはりどうしても私には「体調が良くなったから、そういった幸せを享受できる」という感覚の方が強いのです。もう少し正確に言うのであれば、相乗効果と言う方が良いかもしれません。

復調の兆しは自ら追い求めて作るものではないのかもしれません。私たちにできることは、不調時に自分を思いやる術と決意を身に着け、いずれ事態が好転するまでの苦しい時間を耐え抜くことだけなのでしょう。それが功を奏したのが年始からの2か月ちょっとの私だったと思います。成果を焦るのではなく、ただただ規則正しい生活で自分を労わり続け、「いずれ、いずれ…」と溜息交じりではあるものの取り乱すことなく耐え抜けたのが良かった。なので、ここ最近あった諸々の良いことはそのご褒美なんだと思うことにしています。

 

2.今後の展望

仕事で疲れたり、寝不足になったり、そういったことですぐに頭痛が出たり、体調を崩したりするのが私の現在地であることは変わりません。というわけで、この体調の良いうちにその点を克服したいと考えています。何が正解かわかりませんが、とりあえず休職してからだだ下がりだった体力を何とか戻していきたいと思っています。体重もぼんっと増えてしまったので、痩せたいという思いもあります(無論、恋人のためにも)。

なので、ここ2週間くらい、微妙に筋トレをまたやり直しています。去年の10月に休職してから色々と健康系の知識を詰め込み、オートファジー(16時間断食)やウォーキング(散歩)、筋トレなどをやりはしたのですが、結局続いているのは元から大好きだった散歩くらいです。その散歩も週末にやるくらいです。まぁ、年明けからは昼食後の頭痛を緩和させるために、会社の昼休み中の散歩もしていましたが。

が、せっかく最近は調子が良いので、また体力づくりとダイエットを始めてみました。大食いは避けるようにしているものの、どうも私にとって「食べること」は結構幸福感を感じる上で重要なことのようなので、できるだけ食べる量を減らさずにダイエットしたいと考えています。何より体力の向上も目標にしているので、まずは「運動」を頑張りたいと思っています。

まずは朝起きてのラジオ体操の習慣を戻しました。やはりラジオ体操すると寝覚めも良くなるので、これは単純に自律神経のためにも続けたいところです。いつの間にか日々に疲れてしまい、朝はできるだけ寝ていたいという思いからやめてしまっていましたが、今は自分を労わっているので、朝にも多少余裕があります。このラジオ体操で体が引き締まるとか体力が向上するとは思っていませんが、まぁやらないよりはやった方が…ということで続けています。繰り返しますが、自律神経に良いのは間違いないですからね(実感もあります)。

次に、室内で「ビーバー」をするようにしました。中高の部活でよくやらされた思い出がありますが、これが今やってみると本当にキツイ。霜降り明星せいやさんがお勧めしていたダイエット方法で、これをやることで所謂「燃やす体」が作れるらしいです。もともとは腕立てや腹筋をやっていたのですが、何か地味で時間がかかるので割とすぐに飽きてしまいました。なので、効果は半信半疑でしたが、腕立てよりは楽しくやれそうだという理由で始めてみた次第です。が、その後、元Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんのオススメするダイエット方法で「HIIT」というものを知りました。High Intensity Interval Trainingの略ということです。これが実はせいやさんがいうところの「燃やす体づくり」にあたるらしいのです。要は、高い負荷を連続してかけることで、代謝をよくするという理論らしいです。これもまだどれくらい効くかわかりませんが、少なくともやっていて「キツイ」と感じるので、この高負荷に慣れていくことができれば少なくとも体力の向上には繋がりそうです。

ちなみに私は走るのが大嫌いです。私は高校2年の夏というとても中途半端な時期にサッカー部を辞めたのですが、その理由は「もう走りたくない」からでした。シャトルランも30回でやめる人間です(もちろんもっと走れますが、全力を出したところで恥ずかしい結果になるので、いっその事不良ぶってしまえ!という逃げです)。なので、テレワークのときに、集中力が切れたらできる手ごろなトレーニングを探してこのようなものに辿り着きました。ただの腕立てや腹筋にはすぐに飽きてしまったことは前述の通りです。

そんなわけでどれくらい続くかもわかりませんが、また少しずつトレーニングをやっていこうと思っています。食事制限も、楽しみが損なわれない程度に、まずは寮の食堂で「ご飯少なめで」という炭水化物量の低減から始めていきたいです。

 

最後に…

最近、テレワークでの集中力が徐々に向上してきたように思います。前までは本当にだらけていたので、罪悪感が生まれるくらいだったのですが、この1週間くらいは割とうまく集中できています。やはり体調って大事だと思います。

そして、上司の奥様から頂いたバレンタインデーのお返しに紅茶を買ったのですが、自分用も買ったところこれがとても良い香りで高まります。あとは、学生時代に行きつけのラーメン屋の二号店が本店よりも行きやすいところにできてとても嬉しいです。ほかにも好きなバンド(Lillies and Remains)の新曲が昨年5月に出ていたことを知り、めちゃくちゃテンション上がりました。約6年半ぶりの新曲ですよ?嬉しいですね。

そんな感じで、割と幸せに暮らしております。次の記事もこれくらい幸せだといいなぁ。

 

次回

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Juice=Juice グループの歴史 vol.2 ~マインドとスキルが充実したグループに~

ご無沙汰しております。Juice=Juiceというグループについて書く時間がやってきました。前回から数えておよそ3年ぶりになりました。前回記事を書いたタイミングでは続編を書くという簡単な未来さえ予見できていなかったので、記事タイトルは無印になりましたが、今回は「vol.2」ということでやらせていただきたいと思います。

 

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Juice=Juiceというグループの結成から、2019年1月段階…すなわち初代リーダーの宮崎由加ちゃんと、梁川奈々美ちゃんの卒業発表があり、まだ実際に卒業はしていないという微妙な時期までを記事にまとめました。

ハロプロ研修生発のエリート集団として個性やグループとしての軸を模索していくデビューから「LIVE MISSION 220」までを初期、「~220」を経て「実力派」としての軸が固まり拡大していく5人体制の時期を中期、そしてやなるる・まなかんが加入した辺りを当時の「現在」としてご紹介致しました。記事を書いた時期はJuice=Juiceから初の卒業者が出るという繊細な時期で、私自身結構微妙な心境だったようです。何と言っても、これまでグループをまとめて来た「お母さん」ポジションのゆかにゃ(宮崎由加ちゃん)と、グループの「末っ子」でお母さんに溺愛されているやなみん(梁川奈々美ちゃん)が卒業しようという頃ですからね。不安と悲しさでいっぱいでした。

が、見事そんな苦難も乗り越え、今や世代交代に成功しつつあるこれまた「どうなるかわからない」面白い時期に差し掛かってきました。どうも私はこういう微妙なタイミングでグループについて考えたくなる性分のようです。というわけで、行ってみましょう!

 

 

【ひとそれ期(新生)】 ~卒業と新人と良曲による変革~

勝手に「ひとそれ期」という名前をつけましたが、この命名にはいくらか私自身納得いっていない部分があります。が、あくまで前回記事のように「初期」とかそういう言葉がもう使えなくなってしまったから苦肉の策で命名しているとお考えください。と、いきなり言い訳から入りましたが、やなみん卒業あたり~佳林ちゃん卒業発表あたりの時期と思っていただければと思います。楽曲で言えば、ちょうど「微炭酸」、「ひとそれ(「『ひとりで生きられそう』って それってねえ、褒めているの?」の略)、「好きって言ってよ」の山崎あおいさん関係の質の高い楽曲が続いた時期でもありますね。というわけで、その中でも最も世間に大きなインパクトを与えた「ひとそれ」の名前を取らせていただきました。

この時期は何と言っても、上述の通り、やなみんとゆかにゃの卒業が控えており、「微炭酸」と同時にやなみんの卒業曲である「Good bye & Good luck!」が発売され、「ひとそれ」と同時にゆかにゃの卒業曲である「25歳永遠説」が発売されました。というわけでかなりメモリアルな楽曲たちがあり、またお2人の卒業もかなり感動的なものではあったわけですが、それと同等にJuice=Juiceの楽曲テイストが変化した時期でもありました。

やなみんとゆかにゃの卒業については、個別に記事にしているので、こちらをご参照いただければと思います。

 

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やなみんはその独特な魅力でJ=Jに陰影を齎し、またゆかにゃからの可愛がられポジションで卒業加入のあるグループとしての旨味をいち早くJ=Jに齎してくれました。ゆかにゃは言うまでもなくJ=Jのリーダーとして数々の素晴らしい功績を残してくれました。「ファンを大切にすること」、「いつの時代のJ=Jも最高だと思うこと」はゆかにゃがいたからこそ、ここまで説得力を持っていると私は思っています。今でのそれらの考え方は後輩たちに受け継がれ、私がJ=Jを変わらずに好きでいられる理由にもなっています。

J=Jにとってはこの2人が初めての卒業者であり、卒業発表時点よりそこには「いなくなった後どうなってしまうのだろう」という一種の緊張感がありました。

しかしながら、不思議と振り返ってみるとこの時期はただ悲しみ一辺倒ではなく、どこか期待感も感じさせてくれていたように思うのです。そして、その立役者となったのはまなかんこと稲場愛香ちゃんと山崎あおいさんだと私は感じています。

卒業による変化と重なるようにして、まなかんが齎した(と思われる)「微炭酸」というキャッチーで激しめの楽曲がしんみりとした雰囲気を吹き飛ばしました。私が思うにこの「微炭酸」という楽曲は、まなかんの強みである激しいダンスを活かすために投入された楽曲ではなかったでしょうか。ここまでビートに迫力やスピード感のあるJ-POPに振り切ったのは「微炭酸」が初でした。エレクトロな要素をふんだんに詰め込み、4つ打ちと8ビートを駆使している本楽曲は、それまでのJ=Jを追って来た人からするとちょっとびっくりしたと思います。

それまでのJ=Jは「Next is you!」を除けば、こういったシンプルなJ-POP的楽曲は少なく、色んな音楽ジャンルに挑戦していくという面白味がありました。それはやなるる(梁川奈々美ちゃんと段原瑠々ちゃん)が加入した後も、「Fiesta! Fiesta!」や「SEXY SXY」などで体現されていたように思います。なので、正直私はこの「微炭酸」が発表されたとき、「んー、J=J、どうしちゃったの?」と思ってしまいました。「普通のJ-POPやっちゃったら、そこら辺のアイドルと変わんないじゃん」というのが本音でしたね。「きっと、まなかんのダンスを活かしつつ、舞台「タイムリピート」から引っ張って、佳林ちゃん(宮本佳林)とまなかんのタッグを見せたかったんだろうな」なんて邪推もしたりしました。

しかし、それは私の評価が甘かったのです。実はこの時、J=Jはとんでもない金脈を発掘していたのです。そして、それを思い知らされることになったのが「ひとそれ」です。正直に言って私は「ひとそれ」の時すら、そこまでこのJ=Jの方針に全面肯定できてはいませんでした。やっぱりどうしても初期の頃から紡いできた「様々なジャンルの楽曲に対応する」という音楽エリートとしてのJ=J像が抜けず、「微炭酸」も「ひとそれ」も良曲であることは理解しながらも、「もっとね、色々できる娘たちなのよ」と思わずにはいられなかったわけです。

が、世間はこの「ひとそれ」を放っておいてはくれなかったようです。

有名どころで言うと、テレビ朝日の弘中アナウンサーが「ひとそれ」新規ですが、メンバー自身も「ひとそれ新規の方が多い」と言うくらい、この楽曲は多くの人に突き刺さりました。それまでどちらかと言えば、「年配の方が多い」という印象を持たれていたJ=Jに女性ファンが増えだしたタイミングだとも記憶しています。シンプルでわかりやすいJ-POP的な楽曲、そして現代の女性心理を描いた山崎あおいさんの歌詞、これらが特に女性にウケて、ハロプロ界隈では一種のムーブメントのようなものが起こっていたように思います。

それを如実に表しているのが、ハロプロ楽曲大賞での1位獲得です。この年はBEYOOOOONDSのデビューもあり、正直なところ良曲の多かったBEYOOOOONDSは票が割れたとの意見もありますが、「ひとそれ」も全然負けず劣らずのクオリティだったとは思います。世に与えたインパクトも大きかったです。ちなみにJ=Jが楽曲大賞で1位を獲得したのは、デビュー当初の「ロマンスの途中」と「イジワルしないで抱きしめてよ」以来でした。

やなみんやゆかにゃの卒業というちょっと寂しいイベントがありながらも、この時期のJ=Jは全く別のベクトルにおいて新たな可能性を感じさせてくれました。グループとして初の卒業というタイミングで、こういう前向きな風が吹いてくれたのは非常に運が良かったと思いますし、ようやくJ=Jの素晴らしさが色んなところに届いてくれてヲタクの私も嬉しかったです。

ちなみに「微炭酸」と「ひとそれ」については楽曲レビューも行っていますので、よろしければ。

 

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そして長くなりますが、この「ひとそれ」祭りの後、ゆかにゃの卒業と入れ代わるような感じで工藤由愛ちゃんと松永里愛ちゃんがハロプロ研修からJ=Jへの加入が決まりました。この2人、2019年5月の研修生公開実力診断テストで「ダンス賞」と「ベストパフォーマンス賞」を受賞しており、それから1か月後にはJ=Jへの加入が発表されているんです。私はあまりハロプロ研修生を追っていないので、「へぇ、そんな子がいたんだ」というくらいだったのですが、加入を本人たちに知らせる動画では早くも個性的な反応を見せる2人が見られてわくわくしたのを覚えています。

 

www.youtube.com

 

鳴り物入りでの加入という噂は聞いていたので、さっそくステージが楽しみだったのですが、ひとまずは「ひとそれ New Vocal Ver.」で披露された歌声を聴いて、「加入約半年でこれなら相当いいぞ!」と思わせてくれました。そして、何と言っても国立代々木競技場第一体育館で開催された「octpic!」というコンサート。私これが大好きでして。ちなみにJ=Jのコンサートでは5人時代に達成された初武道館の「LIVE MISSION FINAL」も感動的でしたし、個人的には2018年の「TRAIANGROOOVE」も大好きです。

そして、この「octopic!」で松永里愛ちゃんを推すことに決めました。新人なのに物怖じせず、ステージを目一杯楽しむ大物感にまずは魅せられました。かれこれ2年以上経ちますが、里愛ちゃんを追い続けて2年間全く退屈しませんでしたし、この2年での変貌っぷりには驚かされるものがあります。と、ちょっと個人的な話が続きましたね。戻します。

が、とりあえずこの「octopic!」は結構評判も良いようで、ここで披露された「プラトニック・プラネット」や「Va-Va-Voom」といった新曲はなかなかシングルカットされなかったものの良曲で、今やJ=Jのライブでは欠かせない楽曲となっています。ともかくこの大きな会場でのライブは新人・新曲・新体制(金澤朋子リーダー)という新しい事づくめだったわけですが、成功どころか新境地をヲタクたちに予感させた非常に重要なライブになったと思います。まさに変革が始まったという印象がありました。

ここまでが「ひとそれ期」としてまとめさせていただきたい内容になります。本当は「好きって言ってよ」までまとめると「山崎あおい3部作」として収まりが良いのでしょうが、どうしても活動の内容を振り返るとここで一旦区切った方が良さそうです。というわけで、「ひとそれ期」はグループとして初の卒業から始まったものの、新風「まなかん」をきっかけとしたJ-POP的な素晴らしい楽曲たちに引っ張られ、大型新人の加入、大きな会場でのライブ成功などポイントポイントで強い印象を残した期間でありました。まさに新時代の到来を思わせつつ、エリート集団のJ=Jにさらなる箔がついたワクワクの止まらない時期でしたね!

 

【シャボンディ期(修行)】 ~苦難と希望~

国立代々木競技場第一体育館でのコンサート「octopic!」を成功させ、これからの未来に大きな期待を抱かせてくれたJ=Jでしたが、ここから苦難が待ち受けております。世界的に新型コロナウイルスが大流行し、コンサートが相次いで中止。また、中心メンバーの卒業が重なり、グループとしては大きな危機が訪れることとなりました。この時期について何か良い言葉はないかと数時間悩み続けた結果、漫画ワンピースより「2年後に!シャボンディ諸島で!」という言葉がふと浮かび、そのまま使わせていただくことにしました(あんまりワンピースは詳しくないんですが笑)。

だいぶ血迷っている感がありますが、コロナに卒業とちょっと悲しい感じの名前にしたくなくて、前向きな意味での修業期間としてふさわしい名前を探した結果、これにしてみました。別に「精神と時の部屋」期でも「自来也と行脚」期でも何でもよかったんですが、それでも一番語呂が良さそうだったので…

まず苦難の一つ目としては、これまでグループの中心(と言っても過言でない)で活躍し続けてきた宮本佳林ちゃんの卒業発表です。「octpic!」の数か月前にはグループで活動しながらも東名阪のソロツアーを行っていた佳林ちゃん。そこでの輝きには素晴らしいものがありましたが、ある意味ではこのソロツアーがグループの卒業とソロアイドルとしての活動開始の試金石のようなものになっていたのでしょうね。

 

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ライブレポートも書かせていただきました。もしよろしければ参考にしていただければと思います。

正直佳林ちゃんの卒業は、個人的にはJ=Jの核がいなくなってしまうというイメージが強かったです。というのも、グループ結成当初から佳林ちゃんは他のメンバーに比べて既にネームバリューがあったのは事実でしょうし、ハロプロ研修生歴も長く、「アイドルとはこういうもの」を周囲のメンバーに浸透させる役割を担っていたようにも思います。この時のJ=Jは既に歌割も結構流動的にしていましたし、「誰がどのパートを歌っても素晴らしいよね」というのは1つのグループの売りにもなっていました。が、そうは言っても、最もアイドルらしく、高い質でパフォーマンスをしていたのは宮本佳林ちゃんだったように私は思っています。高橋愛さん、田中れいなさん、鈴木愛理ちゃん、鞘師里保ちゃん…そういったいわゆるセンター的な扱いを受けて来た人たちに近いものを佳林ちゃんは確立していたように思います(まぁ、私は佳林ちゃん推しなので、幾分かそういうバイアスも働いているとお考え下さい…)。

そんなわけで「佳林ちゃんがいなくなったらどうなるんだろう…?」という不安がありつつも、「でも『octopic!』は素晴らしかったし、J=Jならきっと大丈夫だろう!むしろ佳林ちゃんがという大きな存在がいなくなった後にグループがどうなっていくのか楽しみにしよう!」という前向きな気持ちもありました。当時の気持ちは佳林ちゃん卒業発表の記事に書いているので、よろしければ読んでください。

 

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そして、少しずつコロナの影が色を濃くしだし、世界全体が不安を抱える中で山崎あおいさん3部作の3作目「好きって言ってよ」が発表されます。この「好きって言ってよ」はハロプロ楽曲の中でもトップレベルで好きな曲になりました。

そして、この山崎あおいさん3部作の意味について、ようやく私は理解できたのです。楽曲のレビューでも書かせていただきましたが、この王道J-POP的な楽曲たちは、実はスキルを磨きまくったJ=Jにとってはその良さを存分に発揮するのに最も適していたわけです。誰が歌っても「上手い!」と思わせてくれて、誰が画面に抜かれても「可愛い!美しい!」と思わせてくれるJ=Jのような高品質グループにとっては、もはや初期の頃のような特別な楽曲コンセプトは必要なかったのですね。むしろ王道の楽曲であることが、J=Jにとっては他のアイドルやアーティストとの差別化をするには最も効果的だったのです。

 

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楽曲としてのクオリティもさることながら、やはりこの楽曲を完璧に表現しきるJ=Jメンバーに私は改めて惚れ直しました。

ところで、とっても正直なことを言うと、私はそれなりに音楽が好きなのですが、基本的にはアイドル楽曲とそれ以外の楽曲を結構区別して聴いています。そして、そのアイドル楽曲の中でもハロプロ楽曲はまた少し区別した位置に置いています。なぜならハロプロ楽曲は独特の音楽性を持っているため、例えばtoeの「Commit Ballad」を聴いた後に、℃-uteの「まっさらブルージーンズ」が流れてきたら困ってしまうわけです。そんなわけで、ハロプロ楽曲は私が普段聴いているプレイリストの中に組み込まれることはほぼありません。

が、そんなハロプロ楽曲にあってこの「好きって言ってよ」は普段聴きしている個人的に重要視しているプレイリストにも入り込んでくるほど好きなんですよね。特に「アイドル楽曲選抜」の中にも、最後の曲として入れさせていただいているほどです。

 

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と、そんな感じでJ=Jは楽曲・パフォーマンスともに質を高めていきます。しかしながら、その一方で新型コロナウイルスの猛威はハンパじゃなく、ハロプロ関連のコンサートもついに中止せざるを得ない事態にまで追い込まれてしましました。新メンバーとして即戦力として元こぶしファクトリー井上玲音ちゃんも入って来たのに、J=Jとして活動ができないまま月日が過ぎ去っていきます。そんな中で「好きって言ってよ」と同CDに収録された「ポップミュージック」は、BEYOOOOONDSの「ビタミンME」と並んで、コロナ禍に元気を与えた楽曲として、救われた人も多いのではないのでしょうか。

 

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2020年度は何も見通しが立たず、6月に予定されていた佳林ちゃんの卒業コンサートも延期となってしまいます。が、ここでハロプロは何とか活路を見出すべく、往年の名曲をカバーするコンサートを始動させます。感染防止を図るために、声援が起きないようにどちらかと言えばしっとりと聴かせるバラードを中心に、ハロプロ楽曲ではなく、誰もが知っている名曲をメンバーにカバーさせます。しかも、1人歌唱です。グループも一旦その垣根を取り払い、それぞれのグループのファンが参加しやすいように、ハロプロメンバー全体を3つほどのチームに分けて公演を組みました。当然、感染対策も万全です。その感染対策の万全さと工夫されたコンサートの内容はニュースにも取り上げられたほどで、ハロプロが基本的にメンバーの真摯なパフォーマンスやその成長を楽しむコンテンツであることが功を奏しました。

 

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ほぼ同時期にはスカパーで「ソロフェス!」という企画も行われ、こちらも感染対策として1人ずつのパフォーマンスだったのですが、観客なしで1人ひとりがセルフプロデュースでハロプロ楽曲を披露するというかなり攻めた内容でした。が、メンバー個人の発想力や、ある意味ではかくし芸大会的なノリもあり、閉塞感漂うコロナ禍にあってとても刺激や元気を貰った企画でしたね。

これらの個々人のパフォーマンス力が求められる企画はその後も一定期間続けられ、まさにこのことがワンピースの「シャボンディ諸島に2年後集結するまでの修業期間」という感じがしたわけです。

そんな活動の中でJ=Jは目立たなくとも、バラバラになった中で1つの個性を見せつけることになりました。それはシンプルなパフォーマンス力の高さです。企画力の高さや自己プロデュース力という面では、他のグループのメンバーが目を惹くところもあったと思います。特にソロフェスでは娘。の石田亜佑美ちゃんや、アンジュルム川村文乃ちゃんがみんなの印象には残っているんじゃないでしょうか。一方でJ=Jのメンバーはあまり凝った演出を入れることなく、シンプルに歌って踊るようなステージが多かったと思います(工藤由愛ちゃんはタコをステージに散りばめていたりしましたが笑)。特にソロフェスでもカバーコンサートでも、金澤朋子ちゃんの歌唱力は異次元で、度肝を抜かれましたね。段原瑠々ちゃんや井上玲音ちゃんもその歌唱力で注目されたように思います。

そういったソロでステージに立つ機会の中で、メンバーは着実に力をつけていました。そして、それを思い知らせることになったのが、2020年12月にようやく開催された宮本佳林ちゃんの卒業コンサートでした。

 

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ソロステージ系の企画ではもともと歌唱力に定評のあった金朋、さゆきちゃん、るるちゃん、れいれいに注目していましたが、このコンサートでは主にまなかんや里愛ちゃんの成長に目を惹かれましたね。1年近くグループでパフォーマンスする姿をちゃんと見られていなかったので、久しぶりに見られたということも含め、「やっぱりJ=Jって素晴らしいグループだ!」と思わせてくれました。中でも卒業する佳林ちゃんとメンバー1人ひとりがデュエットしていくという演出はーまろ卒コンの時から好きですがーソロ企画で鍛えてきたものを1人ひとりから感じられてとても感動しましたね。中でも里愛ちゃんの「背伸び」は度肝を抜かれました。

佳林ちゃんも無事有終の美を飾り、そこからの活動ではまなかんが佳林ちゃんパートを引き継ぐことが多くなりつつ、パート割も変化していく中で、J=Jはまた少しずつ新しく進化していくんだなという予感を感じさせてくれていました。が、そんなときにさゆきちゃんが熱愛とコロナ禍の外出という報道をされて、ほぼ即日活動終了という事態になってしまいました。

 

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このことについてはあまり小難しいことは言いたくないので当時私が書いた記事を参照していただければと思います。

アイドルとして核を担っていた佳林ちゃんと、歌唱面で絶大な信頼が置かれていたさゆきちゃん。この2人の卒業はそれまでのJ=Jを大きく変えることになりました。ゆかにゃが卒業してからも、どこかオリジナルメンバーがあってのJ=Jという印象があったものの、この盟友2人の連続卒業によってもはやJ=JはそれまでのJ=Jではなくなりました。パフォーマンスレベルという面でも危機感があったのは事実でしょう。

しかしながら、ここで素晴らしいことが起こります。佳林ちゃんパートを多く引き継いだことによるまなかんと、ようやくJ=Jでのパフォーマンスに慣れ出したれいれいの覚醒です。この他グループからの移籍組の2人のパフォーマンスレベルが如実に向上したことでJ=Jは全く以って新しい構造を持つグループに生まれ変わりました。

 

ここまでを「シャボンディ期」としてみます。コロナと主要メンバーの卒業によって一時は危機にさらされたJ=Jでしたが、追加メンバーの活躍によってこの危機を難なく脱します。そのためにはソロステージ系企画を乗り越える中で得られたメンバーの成長が不可欠でした。図らずも新陳代謝によって、全く新しいグループへと変化していく、できればこのまま成長を見守っていきたいと思わせてくれる時期でした。

そして、更なる新メンバーの追加により、グループの構造自体が変化していく…その前夜的なところで一旦の区切りとしたいと思います。

 

【シティポップ期(転生)】 ~個性の尊重こそがコンセプト~

さて、ここからがまた面白くなってきたJ=Jです。オリジナルメンバーの残りが金朋とあーりーの2人だけになりました。そして、それとともに新メンバー3人が加入することになります。有澤一華ちゃん、入江里咲ちゃん、江端姫咲ちゃんです。3人のキャラクターはまだ私自身見極めかねている部分がありますが、ざっくり一面で語ると天然・素人・美形という感じになりましょうか。我ながらかなり乱暴な紹介ですね(笑)

しかし、ここで私が興味を惹かれているのがメンバーの層構造なのです。

 

1.オリメン(金朋、あーりー)

2.お姉さんチーム(まなかん、るるちゃん、れいれい)

3.ゆめりあい(ゆめちゃん、里愛ちゃん)

4.3flower(一華ちゃん、里咲ちゃん、姫咲ちゃん)

 

これ、結構究極のバランスな気がしています。今まではどうしてもJ=Jというとメインはオリジナルメンバーで、追加メンバーは腕や脚や羽といったイメージがあったように思います。しかしながら、今は良い塩梅でオリメンの担う部分が小さくなり、その分グループの親和度が増して、混ざりが良くなった印象があります。素晴らしいミルフィーユ構造です。

この記事を書いている2022年2月現在では金朋は卒業しているものの、3flower(新人3人)がよりグループに馴染み出して、より良い調和が生まれています。パフォーマンスの面で言えば、少しだけ3flowerの3人には失礼になりますが、金朋卒コンのオリメン・お姉さんチーム・ゆめりあいの完成度がかなり高く、私的にはどストライクでした。これから3flowerも実力をつけてくれるでしょうから、そうなると未来が楽しみでなりません。現にちょっと前まで新人だったゆめりあいも今では完全にグループの重要な位置を占めているわけですしね。

このゆめりあいの成長がJ=Jというグループを底上げしていることは間違いないですが、それ以上に私は「2.お姉さんチーム」にとてつもない美しさを感じております。

まずパフォーマンスの面で言えば、前章でもお話した通り、まなかんが元々の武器だったダンスに加えて、歌唱力がとんでもなく上昇したことが1つ挙げられます。重要なパートを諸先輩方から引き継ぎ、フェイクなども素晴らしい完成度で披露しています。ただでさえ、踊って良し、喋って良し、ビジュアル良しで最強だったまなかんが、歌っても最高!ということになり、ちょっとした無双モードに入った感があります。

そして、パフォーマンスと言えば、れいれいのJ=J的歌唱の習得なども挙げられるかもしれません。正直なところ、佳林ちゃん卒コン頃のれいれいは歌が上手いものの、何となくJ=Jの楽曲を歌いにくそうにしている感が見受けられたようにも思います。こぶしファクトリーとは真逆と言っても良いようなグループの雰囲気があるJ=Jなので「そりゃそうだ」と思うわけですが、それがここ最近はかなりJ=Jの楽曲でも伸び伸び歌えているような印象です。

るるちゃんは相変わらず凄い!そしてまなかんもかなり良くなってる!…って、れいれいもなんかすごい良いじゃん!なお姉さんチームが素敵過ぎるんですよね。そして、そんなお姉さんチーム3人はまた経歴が3人とも異なっているのがまたとても素敵なんです。

るるちゃんはハロプロ研修生からのデビューで苦戦した過去を持ち、れいれいはこぶしファクトリーの解散に伴い、唯一ハロプロに残ってくれた子です。そして、まなかんは中でも随一の複雑な過去を持ち、その複雑さから決して良いとは言えない噂も流れたりしていました。しかしながら、みんなそういった過去を何とか克服して、今こうしてJ=Jというグループで素晴らしい活躍を見せています。そんな本人たちの頑張りと、実力でねじ伏せて来た感じが堪らなくカッコいいんです。特徴的な経験をしてきた3人だからこそわかり合えているような雰囲気もあって、それが尊いですよね。

しかし、実はこれって初代リーダーの宮崎由加ちゃんの頃からのマインドセットの成果だと思うんです。ずっと5人グループでいくと思っていたJ=Jに追加メンバーが加入すると決まったとき、「いつの時代のJ=Jも最高と思ってもらえるように」と気持ちを広く、暖かく持とうと努力した過去がこのグループにはあります。当時J=Jはオリメン5人の完成度の高さを評価されており、そこに新人としてるるちゃん、そして兼任メンバーとしてやなみんが追加加入すると決まったときは、きっとオリメン5人だけでなく、追加メンバーの2人も相当なプレッシャーがあったと思います。しかしながら、オリメン5人はゆかにゃを筆頭に、そういった不安を抱かせないようにしようと努めて温かい対応をしていました。これって、新メンバーにとってはとてもありがいことだったんじゃないかと思います。

そして、そういう経験をしてきたグループだからこそ、まなかんが復活する時にJ=Jというグループが選ばれたのだと思います。加えて、そのようにして別グループとして復帰したまなかんが上手くやっているまなかんがいたからこそ、れいれいもJ=Jに加入することになったのでしょう。これって組織としてとても素晴らしい循環だと思うんです。どんな経歴だろうと、どんな人物だろうと、真摯にアイドルやパフォーマンスに向き合おうという気持ちさえあれば、J=Jというグループは温かく迎え入れる。その哲学はきっとお姉さんチームには強く引き継がれたことでしょうし、だからこそJ=Jはハロプロの中でも随一の大人で温かい雰囲気に包まれたグループになったのだと思います。

こんな素敵な人間性や組織哲学を持ったグループなら私だって入りたいくらいです(笑)

J=Jは比較的個性が爆発している…という風には見られないグループだと私は認識しています。個性が爆発していると言えば真っ先にアンジュルム、娘。などもそういう感じがしますね。しかしながら、個性や人格を尊重し、温かい気持ちで互いを認め合えるという部分ではJ=Jは随一のグループなんじゃないでしょうか。それがグループの雰囲気の良さにも繋がっていると思います。そして、基本的にはメンバー全員がパフォーマンスに対して真摯に向き合っており、ある意味ではそれがグループの強いコンセプトとして浸透している気がします。オリメンから続く、このパフォーマンスに対しての向き合い方があるからこそ、そこさえ押さえていれば誰でもJ=Jのメンバーとして認められる。そんな信頼関係がとても素敵ですよね!

そして、遅ればせながら今現在を含むこの時代を「シティポップ期」とした理由は、わかりやすく「DOWN TOWN」や「プラスティック・ラブ」といったシティポップの名曲をカバーしているからですね。確かにシティポップがまた流行り出しているという時代的な背景がありますが、それをきちんと歌いこなせるJ=Jがいるからこそ、こういった企画も通せるのでしょう。シティポップのちょっと気怠く大人っぽくて、どこか心がじんわりと温まるような雰囲気は、ここまで話して来たJ=Jのグループ像と親和性が高いように思います。

 

【まとめ】

・ひとそれ期:王道J-POPで新規ファンを獲得しながら、メンバーの卒業を乗り切る。

・シャボンディ期:新型コロナや中心メンバーの卒業を耐え忍び、スキルを磨く。

・シティポップ期:役割が横並びになり、個性の混ざりが良くなる。

 

特に今回の記事を書くにあたっては、最後のシティポップ期(2022年2月現在)のJ=Jが本当に好きだということが挙げられます。というのも、少し私の個人的なことが絡むのですが、私は前の職場で体調を崩してしまって、直属の上司ともどうしても上手く付き合うことができず、別の部署に異動させてもらったんですよね。なので、どうしても違うグループから移籍してきたまなかんやれいれいには思い入れが生まれてしまうんです。そして、そんな2人が今のJ=Jで後輩たちを引っ張っていくような立場になり、実力もどんどん磨いてファンからも認められているという現状がまるで自分のことのように嬉しいのです。

しかし、そういう風になれたのは、もちろん本人たちの頑張りも多分にあったと思うのですが、それと同じくらい大事なのがグループの雰囲気だと思うんです。特定のメンバーを持ち上げて他を下げるという意味には取らないでいただきたいのですが、この点で言えば私の中では宮崎由加ちゃんと宮本佳林ちゃんの功績がとても大きいように思っています。

ゆかにゃは初めて新メンバーが加入するとなったとき、誰よりも先に強い気持ちで新メンバー加入を歓迎しました。そこには自分自身がJ=J結成当初に色々と引け目のようなものを感じていた過去があったからかもしれません。研修生にして「ハロプロの最終兵器」と呼ばれていた佳林ちゃんと同じグループ、しかもほかにも有望な研修生がいる中で、まだまだパフォーマンスに自信がない自分が選ばれたということ。そして、実際に歌唱パートが増えるまでにはそれなりの年月がかかりました。最初のうちは自分の居場所を見つけるのに苦労したのではないかと思います。そして、そんな自分がグループのリーダーをしている、という事実も結構大変だったんではないでしょうか。そういう過去があるからこそ、追加メンバーなんて考えられなかった当時の5人体制に入って来る新メンバーに対してとても優しい気持ちになれたのだと思います。そして、そのようなメンバーを包み込むような深い愛情はJ=Jメンバー全員から感じるものになっています。

佳林ちゃんは5人時代から、とにかくパフォーマンスに大きな価値を置いて活動していました。パフォーマンスを通じてファンと信頼関係を築きたいという考え方は今でもJ=Jのコンセプトになっているように思います。このような明確なコンセプトがあるからこそ、経歴などに関係なく、とにかくパフォーマンスに対して真摯であればOK!という雰囲気が醸成できていったように思います。ハロヲタは基本的に優しいですが、中でもJ=Jヲタは特に平和な雰囲気があるように思っています。まなかんが加入する時も割と純粋に「ダンスの上手なまなかんが入って来たら、より最高じゃん!」となったように思いますし、れいれいが加入する時も「よっしゃ!れいれい取ったぞ!」という感じが強かったですよね。これにはるるちゃん加入の経験が大きく影響しているように思います。「Fiesta!Fiesta!」でるるちゃんが情熱を解き放った瞬間に「加入してくれてよかった!」と強く実感した過去があるからこそ、純粋に戦力の増強がJ=Jファミリーにとっては嬉しいことになりました。なので、ちょっと現金だなぁという感じもあるかもしれませんが、実力診断テストで結果を残したゆめりあいが加入した時もとても喜んでいた気がします。

直近で加入した3flowerは、バイオリンや英語や天然キャラといった飛び道具を持つ一華ちゃん、一般から加入して来て結成当時のゆかあーりーのような感じを彷彿とさせる里咲ちゃん、そしてとびっきり可愛い顔面と天真爛漫な感じのある姫咲ちゃん、という単純なパフォーマンススキルだけでは選ばれていないであろう人選でした。しかし、このような人選ができるほど、オリメン・お姉さんチーム・ゆめりあいのスキルが完成されているという現状があるのです。そしてそんな高品質な先輩たちに囲まれて、個性溢れた3人がどのように成長していくのか、それが楽しみで仕方ありません。

誰でも受け入れるという温かい雰囲気、そして確かなパフォーマンス力があるからこそ、J=Jは安心して応援できるグループですし、とても癒されるのです。

繰り返しますが、こんな組織ってほんと素敵だと思います。マインドとスキルの充実。これが充実しているって素晴らしいです。

これからのJ=Jにも期待ですね!

適応障害と診断されまして… vol.72

適応障害と診断されて473日目(2022年1月30日)にこの記事を書き始めています。前回記事からは割と短いスパンで書くことになっていますね。最近は調子が悪いせいなのか、作品を色々と楽しんでいるせいなのか、ついついブログを書きたくなってしまいます。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は「治った!」宣言の後、徐々に調子を崩していき、年末年始頃に一つの山場が訪れたのでそのことについて書きました。それから1週間経って、今の状態について今回は書いていきたいと思います。

 

 

1.規則正しい生活

会社のスケジューラーには、19時から「ちゃんと休む!」という予定を非公開で入れて、きちんと早めに帰ることを徹底しました。周りがまだ仕事をしている中で先に帰るのは本当に心苦しいのですが、たぶん私はこれ以上疲れてしまうと仕事も何でも放り出して、実家に帰り、そこで生きていく術を見つけられなければあっさりと死んでしまうでしょうから、「そうなるよりは今日ちゃんと早く帰る」と思って帰るようにしました。

幸いにも今の職場はフレックス導入なので、もし仕事をしたいのであれば早めに出勤するようにし、退社時間は18時台というルールにしました。ただし、結局朝は朝でとても辛いので、いつもより早く出勤できて15分程度という感じなので、ただの怠け野郎になってしまいました(笑)。まぁ、でもそれで仕事がなんとか回っているのだから良いですよね。無理することはないんです。

朝はやっぱりしんどくて、疲れが残っているという感覚があり、ついつい部屋を出る時間を先延ばしにしてしまいます。意味もなくニュース番組を観たり、録画したテレビ番組を観たり、Twitterで見つけたたいして興味の無い記事を観たりして。それでもまあ何とか周りの人たちと同じくらいの時間には出勤して、そして周りの人よりも早くに帰る日々を続けた1月という感じでした。

会社にいるときはやっぱり焦ってしまうことが多いです。それでもできるだけ1~2時間に1回はトイレ休憩と称して、10分程度ゆっくりと息を整える時間を取るようにしました。私の職場は会社ビルの5階にあり、地下1階にコンビニがあるのですが、1日に1~2回ほど、そこまで歩いて降りて、物を買い、また歩いて戻って来るというリフレッシュも行っていました。仕事って本当に楽しくないんですよねー。何かに追われているような感覚、そして自分が何か間違ったことをやっているんじゃないかという感覚、ほかの人よりも全然仕事がうまくできていないという感覚、そういうのが無意識のうちに積み上がって少しずつ息苦しくなってくるんです。そして、気づいたときにはくらくらして、とても疲れていて、気分が沈んで泣き出したくなるんです。

こういう感覚というのは、私の脳内に出来上がった「他者との比較」から来る「自己否定」の回路が無意識のうちに作り出しているもので、「そんなことを考えても意味ないよ。大丈夫、僕はちゃんとやれてる!」と無理やり自分に言い聞かせたところでどうしようもないものなんです。この辺りは、いくら自分の両親などに説明しても、「考え過ぎ」だとか「もっと気楽に」とか言われるだけで、なかなか理解されないところです。それができたら苦労しないんだよ、と苛々してしまうのですが、「痩せたい」と言いながら間食が止められない母親の苦しみを私がわかってあげられないように、致し方ないことなのかなとも思います。

同期で休職を経験している友人にはこの辺りの感覚がよくわかってもらえるので、そういう人と話していると落ち着きますね。これからも大切にしていきたいと思っています。

と、そんな感じで「どういう仕組みで自分が苦しんでいるのか」ということも何となくわかっては来たので、まずは対処療法的にその「自己否定オートメーション」が行われている前提で、数時間に1回休憩を挟んで会社のことを頭から吹っ飛ばすように心がけていた次第です。トイレでは好きなアイドルのブログを読んだり、まとめ記事を読んだり、そういうもので頭を空っぽにしてあげます。コンビニまでの超軽散歩ではマインドフルネスを意識して、階段の1段1段に意識を込めることで頭を空っぽにしてあげます。どちらもまだあまりうまくできず、仕事のことがちらついたりするのですが、まあそれも仕方ないものとして受け止めています。できるだけそういう雑念に気づいたときは、それをやり過ごし、また集中し直す訓練を積んでいる最中ですね。

あとは昼休憩時に、人目を気にせず散歩に出ることにしました。今までは何となく食堂での昼食が終わればすぐに自席に戻って来るべきだという感じがあったので、食後は何となく軽い事務作業をしたり、軽く昼寝をしたりしていたのですが、最近は散歩に出るようにしています。だいたい20~30分近く音楽を聴きながら散歩をしているのですが、駅の反対側に広がる静かな昼間の住宅街を歩いたりするのは心が落ち着いて良いですね。私はやっぱり都会生活にあまり向いていないのかもしれません。静かなところ、ひと気がないところが好きです。この季節、外は寒いので、会社に戻って来ると寒暖差から頭痛がするのが難点ですが(笑)。でも、散歩は良いです。気分が穏やかになりますし、頭の中が空っぽになりますし、何となく食後で急上昇した血糖値の降下を緩やかにできている感じもします。ストレス発散になりますね。

私の不調の体感としては、1番が頭痛、2番が抑うつ感、3番が吐気という感じなんですが、特に年明けからはこれらの症状が酷いです。だいたい会社に到着した朝が1番頭痛が酷く、昼にかけて徐々にそれが和らいでいく感じです。そして、昼食のあとはまた血糖値の下降によって眠気と頭痛が強くなり、それが15時くらいには一度ぱっと消えて仕事に集中できる感じになってきます。ただしそこからだいたい17時近くになってくると疲労などからまた頭痛が強くなり出し、何となく血の気が失せていくような感じがあります。なので、ここで一旦コンビニまでの散歩をして、甘いものを買って戻り、それを食べながら何とか血糖値を保ちつつ、18時過ぎまで働くというリズムでやってきました。

帰りの電車に乗ると、ようやくキリキリとした頭痛から解き放たれ、取って代わるようにぼやぼやとした淡い頭痛と麻痺するような疲労感がやって来ます。でも、気分はどちらかと言えば晴れており、この帰りの電車で何らかのコンテンツを楽しむのは、それなりに良い時間であります。ただやはり1日中ストレスを抱えているので、ちょっとしたこと(イヤホンのBluetoothが不調、電車内は空いているのになぜか目の前に人が来る、とか)に苛々してしまいます。そして、そういう苛々は一層の事、私を疲れさせます。

19時ちょっと過ぎに会社の寮に戻り、食堂で夕食を食べ、部屋に戻ると19時半くらい。そこから20時15分~30分を目処にだらだらさせてもらいます。そして、できるだけ20時半までには寮の共同のお風呂に行きます。体を深部から温めることに重点を置き、お湯の温度が結構熱いので、たいがい1度浴槽から上がり、1~2分程度休憩を挟んだ後で、もう一度1~2分温まるというルーティンを行います。これによって、体の表面だけでなく深部から温め、ストレスをケアするとともに、良い入眠に繋げられるのです。

21時前には部屋に戻り、疲れているときはすぐに部屋を間接照明に切り替え、皮膚科で貰った薬を全身にぬりぬりしたりしながら湯冷ましし、あとはゆったりとした音楽をかけながら本を読んで22時に就寝できるよう気持ちを落ち着かせていきます。なんだかんだと23時近い就寝になることも多々ありましたが、それで7~8時間ほど寝られればまあ満足という感じですね。

ストレスから頭の中が苛々して…いや言葉で表現するのが難しいのですが、何と言うか神経が高ぶってギザギザしているような感じの時は、無理せずお酒を飲みます。冷凍庫で作った氷を3つほど。そこにウイスキーを注ぎます。氷3つが溶け切るくらいのウイスキーを飲めば、まあ神経も穏やかになり、自然な眠りへと導かれます。完全に寝酒ではあるので極力そうならないようお風呂やストレッチ、読書などでスムーズに寝入れるように努力をしているわけですが、そうもいかないときだってあります。そんなときは無理せず、お酒の力を借ります。カウンセリングでも「たまにはお酒を飲んでリラックスするのもいいんじゃないですか?〇〇さんは基本的に良く言えばストイック、悪く言えば頑固で特定の考えに固執し過ぎなのかもしれません」と言われた経験があるので、無理せず臨機応変にやることを心がけています。

こういう生活を1月いっぱい続け、相変わらず頭痛は酷いですが、何とか1か月を乗り切ることができました。いつまでこんなことを続けなくてはならないんだろうという思いも当然ありますが、現状続けられてはいるので、もう少し様子を見たいと思います。

 

2.嫌いな先輩

会社の同じグループに嫌いな先輩がいます。その人は決して悪人ではありませんし、まあ仕事も頑張っています。よっぽど私よりも優良社員ではあると思います。でも、私の配属初日から私はこの人のことがあまり得意じゃありませんでした。どこに何があるのかわからない私は事務用品の場所を尋ねたのですが、そのときの対応にどこか冷たさ、そして「何もわかってない手のかかる無能が俺の貴重な時間を削るんじゃねぇ」というような煩わしさと人見下すような雰囲気を感じました…と言うと、被害妄想もたいがいだなと私自身思うのですが、何と言うか私はその人と関わるとよくそういう気持ちにさせられるのです。

前職場から仲良くさせてもらっている先輩にも「何となくあの人苦手なんですよね~」みたいに割と早い段階で愚痴ったりしていたのですが、その先輩はまだ数回しか絡んだこともなく「別に悪い人ではなくね?あの人は表情で損してるタイプだよ」みたいなことを言っていました。私も別にその嫌いな先輩のことを悪人だとは思っていませんし、もっと酷い人がいることは客観的に理解できてはいるので、「何となく苦手で、自分とは合わない人」という認識で留めるよう努力をしました。

そう簡単に人の事を嫌いになったりしない、というのは私の中の1つのテーマでもあるので、最初の印象だけで決めつけるような真似はしたくありません。私が憎むべきは、人と人との関わり合いの中で生まれる「人間」というものであり、同時にそれは「社会」であり、生身の個人に対して人身攻撃をしたいわけではないのです。

そんな思いで今まで生きてきたわけですが、色々とHSPのことなどを勉強していく過程で「苦手と感じたらちゃんと距離を置く」という考え方も身に着けるようになってきました。なので、私はその嫌いな先輩を暫定的に「積極的に関わらないようにする人」として、私の中で何かのタイミングで苦手意識が薄れていくのを待ちました。

が、そんな中、この1月のタイミングで、仲の良い先輩に対してその嫌いな先輩が酷い対応を取る瞬間が訪れました。まさに私が感じていた「見下して」「煙たがる」感じがとても強く出た瞬間でした。それを見て、後々その仲の良い先輩のところへ行くと、「あの対応はなくね?前にお前が言ってたことわかったわ」と言ってくれました。もうこれは私にとっては歓喜の瞬間でした。

そうなんですよ。割と私に対しては、あの感じを出すときが多くあって、その度に嫌な気分にさせられるんですよ!私はもう最初からあの感じを敏感に感じ取っていたんですよ!

そう叫びたいくらいでしたが、まあ会社の中だったので、「ですよね~」くらいに留めておきました。

人の悪口を言って喜ぶのはちょっと情けないものではあるのですが、やっぱり苦手なものは苦手なわけで。仲が良い先輩とは比較的感じ方や価値観が合うので、そんな先輩が私と同じ人を苦手という認識を持ってくれたのは、私にとっては味方ができたようで嬉しかったのです。だって、人のことばかり気にしがちな私にとっては、「あの人も別に悪い人じゃないし、顔で損してるタイプなんじゃない?」と言われたら、私もそういう見解にせざるを得ないのです。何だったら、私の感性が間違っているのかなと自己否定をしてしまいます。でも、こうして味方ができると自分の感性に自信が持て、自己否定から解放されたような気分になります。

好き嫌いの激しさはある意味では自分を苦しめることにはなるでしょう。でも、苦手なものは苦手なものとして捉え、極力それを遠ざけるような振る舞いというのも必要なんだと思います。社会の中では、そうやって苦手なものを遠ざけることが難しいこともたくさんあるでしょう。だからこそ苦しむわけですが、私の場合は「好き嫌いをなくそう」という努力が、「自分の感性がおかしいのでは?」というような自己否定にも繋がりかねませんし、無理やり嫌いなもののご機嫌を取りに行って傷ついたりということもやってしまいがちなので、そういう無理な努力はしないようにしなければならないと改めて思った次第です。

改めて言います。

私は時折こちらを酷く「見下し」「煙たがる」ような態度を取るあの先輩が苦手で嫌いです。彼に対して怒りを感じることも多々あります。そして、そうなってしまうのは仕方がないのだから、極力彼とは距離を置くようにしようと思います。それが自分の身を守ることに繋がります。私はもう誰にも(自分にさえも)自分を貶めるようなことはさせません。醜くてくだらない世の中ですが、その中で小さく非力でそれでいて尊い自分の世界をちゃんと守っていこうと思います。

 

3.色々と触れた作品たち

前回ブログからまた色々な作品に触れたのでここに書き留めておこうと思います。

書籍

国境の南、太陽の西村上春樹

こちらは文学部卒の友達に勧められた1冊です。私は村上春樹が大好きで、ほとんど村上春樹以外の作品を読んでいないと言えるほどですが、この作品は見落としていました。そういう意味で、私はそこまで読書家ではないのです。

そして、この「国境の南、太陽の西」という作品はとある行列のできるラーメン屋に並んでいるときから読み始め、なんだかんだと1~2週間で読み切ってしまった作品です。私は本を読むのが遅い方なのですが、やっぱり村上春樹はすらすらと読めてしまいますね~

本作は主人公が幼少期(小学生)の頃に、同じ一人っ子(周りはほとんどが兄弟がいて、一人っ子の家庭はほぼ自分しかいなかった)の女の子が転校してきたという出来事がスタートになっています。そして、主人公の男の子はその女の子と非常に親密で特別な関係を結びますが、それが恋愛というものに成熟するよりも先に、別々の中学への進学という出来事が起こってしまいます。そこから何となくの気まずさによって2人は離ればなれになってしまいます。

それ以降は主人公の男の子が中学、高校と進学し、その中での恋愛や欲情に対する戸惑いを経験し、とにかく孤独な二十代を通り過ぎ、ようやく素敵な伴侶と巡り合うという話が緻密に、繊細に、興味深い言葉たちで紡がれます。まさに村上春樹という感じの、微妙な精神の揺らぎが楽しめますね。ロジカルでありながら、ところどころ運命論的で、そして幻想的な内省が本作でも素晴らしいです。

当然ながら主人公の男のもとに、あの小学生の時の女がまた姿を現し、そこから物語はまた大きく展開していくのですが、そこで男が感じる感情の揺さぶりなんかはとても説得力があり、そして非現実さがあります。

そういった非現実的な力が現実を凌駕していく描写、そしてその非現実的なものが実らずまた現実へと戻って来て、そこで何とか残り物からやり直していくという最後の展開がとても村上春樹らしく、好きでした。有名どころで言うと「ノルウェイの森」と「ねじまき鳥クロニクル」の間頃の長編小説で、まだ「ノルウェイの森」に近い、現実的な世界観の小説であります。ただ「ノルウェイの森」や「ねじまき鳥クロニクル」と違って、1冊で完結する分量なので非常に読みやすかったです。

考えさせられることはたくさんありますが、まだうまく考察できないので、ただただ良い作品、私好みの作品だったという感想だけ書いておきます。初期の作品のように悲しく、虚無感だけ残して終わるのも好きですが、弱っている今の私にとっては、現実の中でやり直していこうとするラストが心温まり、良かったですね。

 

お笑い世代論(ラリー遠田

こちらも文学部卒の友達から勧められた1冊。友人とはお笑い好きという共通点もあり、M-1やK.O.Cの話で盛り上がり、有吉のサンドリなどでもゲラゲラ笑い合えるような感じなのです。ただそんな友人に勧めてもらった本作は、ほんのちょっとだけ私には退屈だったように思います。確かに、一般的な日本の世代論と、お笑い界における世代論を比較しながら進めていくのは興味深い点もありましたが、個人的にはもっとお笑いの細かいディティールなどの考察が欲しかったですかね。私がリアルタイムで楽しんで来られなかった、お笑い第1~3世代の辺りは知識として為にはなりました。ただ、第4世代以降の話について言えば、私はリアルタイムで楽しんできたので、ちょっと物足りなく感じました。「論」としてまとめる上では仕方のないことなので文句を言っているわけでは決してありませんが、第6世代としてオリラジとキングコングをメインで論じるのみというのは、ちょっとだけ興味が惹かれなかったポイントです。

やはりバナナマンとかから第6世代に引き継がれたものを、第7世代がさらに広げたり、突き詰めていったりしていくという部分が私的にはとても興味があるので、私が読みたい内容とは違ったなぁという感じになってしまいました。そういう意味では最近YouTubeにアップされたコントのフェスを妄想する動画が個人的にはとてもぶっ刺さりました。

 

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他にも、テレビという媒体で考えるのであれば、チームプレーを極めた加地さん、予測不能な化学反応を生み出す佐久間さん、緻密に仕掛けを施して切れ味鋭い悪意を笑いに変える藤井さんなど、その辺りの話をもっと聞いてみたいですね。

本書を「論」として否定するところは全くありませんが、そういう好みの問題はありましたかね。でも、それぞれの時代でどうしてそういう芸人が出てきたのかという部分はかなり腑に落ちたので、読んで良かったとは思います。

 

映画

空白

古田新太さん主演の本作ですが、Netflixで観させていただきました。私が贔屓にしているYouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」で映画「さがす」の紹介がなされており、そこで伊東蒼さんが出演している作品ということで本作「空白」が紹介されていました。

若いスーパーの店長青柳(松坂桃李)が、店内で万引きをした少女(伊東蒼)を捕まえるために追いかけている途中、少女は車に轢かれて死んでしまいます。そして、その少女の父親である添田充(古田新太)は激昂し、悲しみに暮れます。日頃から怒ってばかりいて、娘にも漁師の弟子にも厳しく高圧的な添田は、店長の青柳にもマスコミにも学校にも噛み付いて、様々なところで問題を大きくしていきます。対してスーパーの店長でもある青柳は極端に人付き合いが苦手で暗く、そのせいで前から女児に痴漢をしていたなどの噂を流され、こちらもこちらで追い詰められていきます。インタビューの中で炎上するような一部分を使って囃し立てるマスコミ、イジメは無いことにしたい学校のずる賢い対応、そして情報に踊らされる一般人。少女を車で轢いてしまった女性の苦悩や、ボランティアに勤しむスーパーのパートをしている女性の独り善がりな正義感、添田充の元妻(少女の母)とその新しい家庭など、様々な要素が本映画ではスポットを当てられています。

本作においてストーリーを進めていくのは添田充の「娘が万引きなんてするばずない」という主張です。なので、「本当に万引きしたのか?」ということが気になるような展開ではあるのですが、あくまで主題は失ったものの「空白」とどのように向き合うのかというところにあるのだと思います。単に娘を失った添田充の「空白」だけでなく、スーパーの店長である青柳も多くのものを失っていきますし、様々な人がこの映画の中では苦しみ、悲しみ、色々とうまくいきません。そうやって色々な物事がダメになっていく過程で、それでも残ったものが何となく光り出して、その後の人生を繋げていく…そんな感じのストーリーでした。

ミステリーではないので事故の真相(少女は本当に万引きしたのか、少女はなぜ万引きをしたのか、少女はなぜ車道に飛び出してまで逃げようと必死だったのか、など)は明らかにされません。本作で描かれるのは、丁寧な個々人の思惑や意見であって、そしてだいたいにおいてそれらはうまく噛み合いません。善意が薄ら寒く映ったり、愛情を口にする一方で実のところ何も娘のことを理解できていない父親(添田充)など、とにかく人間が理解し合う事って難しいなと感じさせられます。ただそういった描写を丹念にやっていくからこそ、最後のところでようやく本音が少しだけ噛み合ったりする場面がとても印象的に映ります。

悲しく不快になる部分も多々ありますが、苦しみに耐えて生きていく、人生の苦さと僅かな甘さが素晴らしい映画でした。

 

岬の兄妹

こちらはAmazonでレンタルして視聴しました。映画「さがす」の片山慎三監督の作品です。上記の通り、「おませちゃんブラザーズ」で紹介されていて気になって観てみました。

簡単に言うと、自閉症の妹に売春させて何とか生きていく足の悪い兄のお話です。兄と妹は2人で暮らしているため、兄は造船所で働く間、妹に鎖を繋げて、家の窓は段ボールで覆い、ドアには外から鍵をかけて妹が勝手にどこかに行かないようにしています。それでも自閉症の妹はこれまでも何度か家を抜け出し、警察と一緒に捜索する羽目になっていました。上手く言うことを聞かせられない兄は、妹に対してかなり辛辣で暴力的な扱いをしますが、むしろ四六時中そういった状態の妹と暮らす人間としてはある意味当然の苛立ちをきっちり描いているのは素晴らしかったと思います。兄自身もあまり才覚に恵まれた人間ではないので、そういう卑しさもよく表現されていました。

そんな妹がまた脱走し、兄は町中を探すのですがなかなか見つからず、ようやく夜になって、携帯電話に電話がかかってきました。兄が待ち合わせ場所に行くと、ある男が妹を保護してくれていて海鮮丼までご馳走したという話を聞かされます。兄は礼に海鮮丼代を払おうとするのですが、男はそれを遠慮し、とても感じ良さげに去っていきました。兄としてはほっとして妹を家へ連れ帰るのですが、妹を風呂に入れている間、妹の下着に男の精液がついているのを発見します。そして、服のポケットには1万円札が捻じ込まれていました。

兄はそれを問い詰めますが、妹は「海鮮丼!」や「冒険した!」とはしゃいでおり、自分がしたことをうまく理解できていません。そんな出来事があった後に、兄は造船所の人員削減に巻き込まれて職を失ってしまいます。もう食べるものがない…というとき、過去に妹が男に抱かれて1万円を貰っていたことを思い出します。そこから妹に売春させることを思い付き、兄は「1時間、1万円、最後まで」という条件でお金稼ぎを始めました。

その売春の中で色々と印象的なエピソードはあるのですが、重要なのは妹が売春を全く嫌がっていないということです。かつての「冒険」は「仕事」という単語に置き換えられたものの、妹としてはようやく閉じ込められていた家から出ることができ、しかもそこでは性的な欲も満たされます。周りの人間は妹を売り物にする兄を非難したり嘲笑したりするのですが、実際に妹が意に反して「仕事」をしているかというとそうではなく、妹はむしろ乗り気なのです。「仕事」が純粋に楽しいのです。だから、「仕事する?」と無邪気に聞いたりもしてしまうのです。

そんな妹をよく買ってくれる小人症の男がいました。妹はおそらくはその男に恋心のようなものを抱き始めるのですが、それは恋心と呼べるほどのものではなく、どちらかと言えば、愛着という言葉の方が近いようなものでした。しかしながら、明らかに妹はその小人症の男に愛情を感じ、会いに行きたがったりします。しかし、間の悪いことに妹は妊娠してしまい、当然ながら誰の子供かもわかりません。中絶させようと兄は妹を産婦人科に連れていきますが、値段が7~8万円と高額なため、手術は諦めます。そこで、兄は小人症の男に妹と結婚してくれないかと頼みにいくのですが、断られてしまいます。視聴者目線で見てもこの小人症の男は、その妹に対して愛情があるように見えたのですが、男は「勘弁してくれ。好きなわけがないだろう」と兄妹を救ってやることはできませんでした。

そんな感じで、障がい者の生活、そして性というところに踏み込みつつ、生活苦などを泥臭く描いたのが本作の概要となっています。障害を抱えながらもたくましく生きていく姿や、要領が悪く情けない兄の駄目さ加減がちょっと面白く見える場面もありつつ、微妙な笑いの中に、途方もない苦しみのようなものが見えて、独特の空気感がありました。実際問題としてこういう人たちはどのようにして生きているのだろう、と興味を持たされますし、普段は「自分のような人間がこの世界で生きていくのは辛過ぎる」と自虐に浸っている私にとって、もっと過酷な状況の人たちもいると改めて思わされました。

感想をまとめるのが難しいのですが、上でも書いた通り、思わず笑ってしまうような場面がありつつ、「んー…きついな…」とも感じさせてくれる不思議な作品でした。感情が揺さぶられたという意味で、とても面白かったです。

 

ドライブ・マイ・カー

こちらは映画館で観てきました。3時間という大作で、しかも村上春樹原作ですから、結構なスローテンポと予想され、途中で寝てしまわないか不安でしたが、結果的に一睡もせず視線を釘付けにさせられたまま観切ってしまいました。

もともと観たい映画ではあったのですが、村上春樹が好きだからこそ、がっかりしたくなかったですし、何となく週末には予定がコンスタントにあってという状況が続いていたので観ることができずにいました。が、文学部卒の友達が絶賛しており、この度ようやく時間を確保して観に行くことができました。チケットの予約を取ってから情報を集め出すと、海外で評価が高く、ゴールデングローブ賞を受賞していたり、また「おませちゃんブラザーズ」でも取り上げられていたり、と観るにあたってワクワクする情報がたくさん飛び込んできました。

とにかく映画の雰囲気がよかったです。村上春樹のお洒落で非現実的な雰囲気がきちんと醸し出されていました。

 

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いずれきちんと感想や考察をまとめたい作品なので、とりあえず見どころ・解説的なことはこちらの動画に譲ります。色々な情報が紹介されていて、個人的にはこれを見てから映画を観に行って良かったです。

映画の舞台である広島についてはあまり思い当たることがなかったのですが、途中で北海道の上十二滝村という地名は、「羊をめぐる冒険」にも出て来る地名だったりと、村上春樹ファンなら楽しめるちっちゃなサービスもありましたね。

3時間と長いという問題がありますが、また観たいと思わせる映画でしたね。とても、とても素晴らしかったです。こういう映画を観たかったですし、前回ブログで紹介した濱口竜介監督の「寝ても覚めても」の見方もちょっと変わりました。前回ブログでも言った通り、雰囲気が良くて、何となくもう一回見たいと思わせてくれる作品であることに違いは無いのですが、「どうして雰囲気がよく感じられるのか」ということをもっと分析したくなりました。そこには「ドライブ・マイ・カー」にも通じる何かしらの共通した要素があるように思います。今後も濱口竜介監督の作品には注目していきたいと思います。

 

音楽

風呂上がり後のリラックスタイムに聴きたいなぁ、と思って、最近ハマっている曲をプレイリストにまとめました。何となく、今の気分を晒しておきたくなったので、ブログにのっけておきます。

 

1.Numb / Men I Trust

2.Pierre / Men I Trust

3.矜羯羅がる / yonawo

4.ijo / yonawo

5.夜間航路 / fox capture plan

6.輪舞曲(松任谷由実カバー) / Bohemianvoodoo

7.liontype / siraph

8.黒い砂 / Cö shu Nie

9.勘ぐれい / ずっと真夜中でいいのに

10.Final Cut #2 / Lillies and Remains

11.Bend / D.A.N.

12.rio / Spangle Call Lilli Line

13.Boyo / toe

14.Because I Hear You / toe

15.After Image / toe

16.グッドバイ(Album ver) / toe

17.untie / sora tob sakana

18.ロックフェラーの天使の羽 / 辻井伸行

 

だいたい1時間20分のプレイリストですね。最近、リラックスタイムに聴いて、とても好きになったMen I Trustの「Numb」から始まり、ライブにも行ったyonawoやfox capture planへと繋げてきます。そこから、昔から好きなBohemianvoodooの最新アルバムより「輪舞曲」、またここ1年で何度も繰り返し聴いたsiraphの「liontype」、コシュニエ、ずとまよを織り交ぜました。そこから先はまずここ数年間ずっと私のお気に入りトップ4を独占し続ける「Final Cut」「Bend」「rio」「Boyo」の神セトリを続け、何と言ってもabura derabu 2021で愛が一層深くなったtoeを連続で繋げます。sora tob sakanaの「untie」で一気に神秘的かつ無垢な気持ちにしてもらい、最後は「ロックフェラーの天使の羽」で切なく、静かに終わる…かと思えば、また甘くとろけるような1曲目の「Numb」に戻って来るという構成です。

本当に心地良く、今の私をとてもとてもよく慰めてくれる素敵な楽曲たち。カフェインで動悸がしなければ、ぜひとも美味しいコーヒーを飲みつつ、素敵な小説を読みながら聴きたい楽曲たちです。途中のコシュニエとずとまよは変更の余地ありですが、終始繊細過ぎる楽曲たちが続くので、途中で軽くポップな人たちを入れてみるのも良かろうといことで、暫定的に入れております。

Men I Trustやyonawoの気怠さから始まり、siraphやSpangle Call Lilli Lineといった繊細な楽曲へと繋がり、最近愛が止まらないtoeの楽曲で徐々に盛り上げていき、最後はsora tob sakana辻井伸行で神秘的な無垢の世界で締める。最高の流れですね!

 

最後に…

元気はなく、体調は思わしくなく、2週連続の夜勤に苦しめられ、心身のバランスを崩しかけています。が、本当に様々な作品に救われています。決して前向きになれるわけではありませんし、以前ほど強い希死念慮はないものの、「無理と思ったら死ねばいいしなー」と考えることで何とか平常心を保っているような状況ではございます。本や映画や音楽に触れることは楽しみですし、好きな人と会ったり連絡を取ったりするのもなかなか悪くありません。でも、別にやり残したことは無いですし、明日死ぬとなっても特に取り乱したりしないと思います。Apple WatchのCMで、転倒した人を検知したApple Watchが自動で救急へ連絡して命を救った、というエピソードが紹介されていますが、「うわぁ、余計なお世話ぁ」と思ってしまうくらいには、まだ前向きに生きていこうということができていません。

ともあれ、まだ生きているわけですし、もし今の会社にいれないと思っても、まだまだ生き長らえながら逃げていく道はたくさんあります。カウンセリングの先生にも「まあ、急に辞めてしまうんじゃなく、また休職でもなんでもして、その間に転職活動したり、あるいは実家に帰ってからどうやって生きていくかの算段を立てたりすればいいじゃない」と言われたので、そう深刻にならずにのらりくらりと生きていこうと思います。

もう生きていく目的のようなものもないのですから、適当に死なないためにできることを、多少ずる賢くなりながらやっていこうではないですか。「良い人と思われたい」ということももはやないんですから。うん、ただただ、死ぬ瞬間を1日でも先延ばしにしてみましょうよ。苦しみは環境に圧力をかけられ、最終的には自分が生み出しているものなんですから、逃げれば良いんです。

逃げるぞー、どこまでも。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.71

適応障害と診断されて461日目(2022年1月18日)にこの記事を書き始めています。

前回の適応障害記事を書いたのが2021年8月17日で、復職から1か月程度経ったころでしたね。「治った!」宣言もしてしまったので、もう書くこともないかなぁと思っていたのですが、何となく日記的なものが書きたくなってしまいました。普通の日記として書くのもありかと思ったのですが、実のところまだ通院したり、この間はまた具合が悪くなったりしたので「適応障害シリーズ」で書くことにしました。

気がつけば適応障害と診断されて1年が経っていました。長いようで短い1年でしたが、1年前の状態と比べればだいぶマシになったような気がします。公園の鳩並みの低空飛行でありながら、何とか会社にも通えているのでとりあえずはよくやっていると自分を褒めてあげましょう。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

1.2021年8月~10月

あまりきちんとは思い出せないのですが、8月はお盆があったおかげで体力を保ちつつ何とか切り抜けられたように思います。もちろん休み明けは気分が落ち込んだように思いますが(笑)。9月、10月は多少浮き沈みしながらも、週末には人と会ったりして刺激とリフレッシュを享受することができていたと思います。ただ、仲のとても良い会社の先輩に合コン的なものに連れて行ってもらい、そこでかなり気持ちが落ち込み、久しぶりにロープを手に取ってしまいました。酔っ払った勢いで首を通してみたりもしましたが、「やっぱ死ねないよな~」とちゃんと恐怖を感じられるくらいにはパニックではなかったようです。本当に自殺未遂した時は、恐怖をねじ伏せるほどの強い希死念慮があったわけですが、今回はそこまで真剣には死にたいと思えませんでした。

しかし、その合コン(や日頃の仕事や何やら)でかなり痛手を負ったのは事実です。誰かに何かを言われたわけではないのですが、そこに集まった人たちのこと(特に先輩を除く男の人たち)が全く好きになれず、終始この世界の醜さを見せられているような気分でした。彼らの考えていること、彼らの当たり前、それらが全て自分には仕様も無いものに思え、「やはりこの世界はクソの掃き溜めだ」と落ち込んでしまったわけです。ただでさえ日々生きていくのに苦労しているのに、そんな風にして生きている世界の正体はコレか。もうこんな世の中からはおさらばしたい。と、お酒の効果も相まってややドラマチックなモードに入ってしまったわけです。

冷静になれば、彼らの世界と私の世界は全くの別物であるわけですし、彼らは彼ら、私は私、という具合に割り切って考えれば良いのであって、なんら私が落ち込む必要はないのです。もっと思慮深くなれば、彼らも彼らなりの苦しみの中で生きているのだから、それに愛を持って接するべきだと思えるはずです。それが正当であって、彼らに向けた憎しみを「人を呪わば穴二つ」的に自分に跳ね返してみるなんて馬鹿のすることです。でも、そんな風に感情を統制してばかりもいられないのが人間であり、受けた刺激の度合いと自分の敏感さ、疲労度によって統制できる限界も決まってきます。

だから単にその出来事はその時の私にとっては限界を超えた刺激であったのでしょう。そこから学んだことは、嫌なものには極力関わらない、関わってしまったときはきちんとケアをする、そして深刻にならないということです。病気になるまでの私はどちらかと言えば、死ぬための理由を増やすために、そういう嫌な機会には積極的に参加して「やっぱりこの世界はクソだ」と思うようにしていた気がします。でも、今の私はもうそういうことをやめようと思っているので、ちゃんと「逃げる」「ケアする」「暢気に」という方向に持っていこうと思っています。まだまだうまくできませんが、そんなことを改めて心に誓った出来事でもありました。

 

2.2021年11月~12月上旬

この期間は私にとって試練であるとともに、記念碑的に楽しい時間でもありました。

10月頃までは上述の通り、嫌なことなどあったにせよ、それなりに人と関わり合いながら会社にも馴染みつつ、心身の調子もほんの少しずつ上向いている時期でした。しかし、その一方で体調の良さにかまけて、残業を増やし、睡眠時間を減らし、受ける刺激を増やしながらケアを蔑ろにしていった時期でもありました。そして、少しずつ自分の中に疲れが溜まっていっていることを自覚し始めたのがちょうどこの11月頃です。

しかし、疲れが溜まっているとは言え、無意識下で「少しずつ良くなりたい」という考えがあるのか「生活リズムを戻して、体調を整えよう」という風には考えられませんでした。何となく会社からも「よし段々慣れて来たな。仕事ももっと頑張ってもらおう」みたいに思われているんじゃないかという気がしてもいました。そういうわけで、何となく何もない日を作ってみても「こんなんじゃダメなんじゃないか…?」というような得も言えぬ漠然とした焦燥感みたいなのがあったりして、結果的に私は予定を入れまくりました。この現象は同じように休職していた同期もあったようです。

というわけで、11月から12月上旬にかけて3つのライブに行ってきました。

・11月13日 yonawo @仙台Rensa(宮城県

11月21日 abura-derabu-2021 @USEN STUDIO COAST(新木場)

・12月05日 WWW & WWW X Anniversaries - No Buses × TENDOUJI(渋谷)

仙台のyonawoのライブは、ついでに牛タン食べたり、立石寺まで観光に行ったり、なかなかハードな旅行という感じでした。yonawoのライブは初参戦。椅子に座りながら楽しめる素敵な雰囲気のライブでした。メンバーみんなも緩く、温かい感じで、旅行の疲れも相まってほわ~と包み込まれるような感じです。終盤には、大好きな「矜羯羅がる」と「ijo」が立て続けに演奏され感動しました。

そして何と言っても、楽しかったのは「abura-derabu-2021」

人生で1番楽しかったライブと言っても過言ではありません。トリを飾ったToeは大学の頃から大好きなバンドだったのですが、なかなかライブに行けないままライブ映像を何回も繰り返し観るだけの10年近くを過ごしてきました。なので、やっと念願のToeのライブを生で体感することができ、本当に最高でした。いま思い出しても楽しかったですね~しみじみ。このToeのライブはそれだけでライブレポートを書きたい気持ちでいっぱいですが、ライブレポートが書けないほどに楽しむのを優先できた演奏でした…という言葉だけ残しておきたいと思います。

STUDIO COASTも初めて行きましたが素晴らしいライブハウスでしたし、その他の出演者も素晴らしかったです。個人的にはGEZANが良く、このライブを機にアルバムも買ってしまいました。フェスに参加しているお客さんもみんな音楽が好きそうで、音楽を純粋に楽しんでおり、合コンの時とは真逆の素敵な連帯感・親密感を感じることができました。もしかしたらちゃんと話せばあの合コンの場にも、このフェスを楽しめる人がいたかもしれないな~と思うと、何とも言えない気分になります。

TENDOUJIとNo Busesの対バンもなかなか良かったです。TENDOUJIは初めましてで、No Buses目当てで参加させていただきました。ライブの盛り上げ方などはTENDOUJIの方が熟練している感じがありましたが、やはりNo Busesの楽曲センスには脱帽ですね。どの曲も素晴らしかったですが、「Imagine Siblings」はどの曲とも雰囲気が異なっており、怪しく内省的で本当に素敵でした。生でこの曲を聴けただけで行った甲斐がありましたね。

と、そんな楽しいライブ以外にも休日には人と会う予定を入れたり、かなり活動的な11月でした。が、実はここで結構な疲れを溜め込んでいたんですね。。。

abura-derabu-2021のおかげで気分的にはかなり高揚しており、幸福感はあったわけですが、心身共にへとへとな状態だったとは思います。

 

3.2021年12月~2022年1月

そしていよいよ問題の時期に入ります。

疲れを溜めながらも年末に入り、ここで私は会社でとある仕事を1つ頼まれます。その仕事は別段難しい仕事ではないのですが、会社間の契約に関わるかなり煩雑かつ締切が細かく決められている仕事でした。やり方を知っていれば手順通りやるだけなのですが、会社内での制度や書類の作り方などが細かく決められており、人に1から全て教えてもらわなければできない類の仕事でした。これが非常に私の心を消耗させたように思います。本当にたいした仕事ではないのですが、とにかく締切にハラハラしたり、先輩に何度もお伺いを立てたり、と疲れてしまう部分がありました。

それに合わせて、年末ならではの「今日まで!」みたいな仕事が急に降って来たりと仕事場もどこかせかせかしたような雰囲気があり、それにもつられてしまったように思います。

さらに同期との飲み会、先輩との飲み会、偉い人との飲み会などに参加し、それぞれから意識の高い話や、「自分はこれだけ苦労している」みたいな話を聞かされ、「あぁ、自分はぜんぜんできていないなぁ。体調を保つのすらうまくできていないよ…」という気持ちになっていきました。

そしてそして、これは嬉しいことなのだとは思いますが、恋人ができまして、その相手に対して「あぁ、つまんなそうな顔してる」とか「嫌われないようにするにはどうしたら」というような悩みも増えていきました。

というわけで、12月22日。前日から頭痛はあったものの、急に熱が出始めて会社を1日休んでしまいました(コロナではありませんでした)。以前にも疲れが溜まったときに熱が出たときがあったので、今回もそれだったのでしょう。翌日の23日は何とかテレワークをだらだらやって凌いだものの、24日は午前中から涙が止まらず、フレックスを使って午後2時には年内の仕事を切り上げて年末年始休みに突入しました。

この24日は本当に久しぶりにヤバく、お酒を飲んでもいないのに希死念慮が強く湧いてきました。ただ何とかロープに手を伸ばすことを頭から払い除け、とにかく眠りに眠りました。年末年始は実家に帰省して、実家でも眠りに眠り、とにかく溜め込んだ疲労が回復するのを待ちました。

しかしながら12月25日~1月4日というかなり長いお休みの間にも体調は戻り切らず、年始から頭痛と吐気、疲労感を抱えながらほぼほぼ定時退社を繰り返し、現在に至ります。あまりにもしんどかったので、上司には体調が優れない旨を伝えており、それを免罪符にして今はゆったりとした生活を送っています。睡眠時間をきちんと取り、散歩を増やし、規則正しい生活を意識しております。まだ頭痛や吐気は取れませんが、気持ち的には少しずつ落ち着いてきたように思います。

薬も11月頃にはほぼほぼ飲まなくなっていた(お医者には内緒で勝手に計画的な減薬をしていました…笑)のですが、またちゃんと飲み始め、カウンセリングにも行きました。土日のどちらかは予定を入れない休養日として確保しています。一度大きく崩れてしまったので、今は体調を戻すことが最優先と割り切ることができ、11月頃のような焦燥感も今はあまりありません。

12月、1月と文学部卒の友達と会って、読みたい本や観たい映画が増えたのも、今のゆるりとした生活が充実していると感じられる理由の1つかもしれません。

そんなわけで酷かった時期は通り越して、今は安定していますが、低空飛行な日々を続けております。

 

4.年末年始にかけて触れた作品

というわけで、体調の事をつらつらと書いてきましたが、ここからが本当に私が書きたかったことになります。つまり、年末年始から最近までにかけて色々読んだり、観たりしたのでそれをここに記録として残しておきたいと思います。あぁ、これがやりたかった!

とにかく疲れていて、1日に10時間くらい暗い部屋で眠ったり、横になったりを繰り返すだけの年末年始でしたが、さすがに起きている時間にはどうにかして時間を潰す必要があります。そしてちょうどよく、年末には文学好きの友達とも会って色々と情報交換をしたり、刺激を受けたりしました。そういうわけで今回の年末年始はいつも以上に文化的なものになりました。

書籍

車輪の下ヘルマン・ヘッセ

 こちらは村上春樹の「ノルウェイの森」で町の小さな書店の娘である小林緑の家で主人公のワタナベが読んだ本ということで昔から気になっていました。年末に友人と会ったときにも当然お互いが好きな村上春樹の話になり、一緒に行った書店でついつい衝動買いしてしまいました。

 主人公のハンスは、年齢が10歳かそこらという感じでしょうか。田舎町で生まれ育ち、そこでは町一番の優秀、有望な子供ということで大人たちから過度に期待され、徹底的な教育を受けて州立の神学校へ入学しました。当時の田舎の一般的な家庭から一段階上流の階級に行くためには、そうやって学費の安い神学校に己の学力で入学するよりほかなかったようです。このハンスという主人公は作者のヘルマン・ヘッセ自身が投影されているそうで、本来は自然が大好きなただの純朴な子供でした。しかしながら、大人たちから課されたもののせいで、次第に勉強中に頭痛がするようになったり、明らかに病弱と見えるような身体つきになっていったり、子供が本来享受すべき自由で無垢な楽しみから隔絶されていきます。ハンス自身、それに対して反発も覚えますが、それとは対照的に功名心や虚栄心というものに絡め捕られ、結局のところ大人の言いなりになって見事神学校への入学を果たします。

 全寮制の神学校に入学してからもハンスは堅実で模範的な生徒として、教師や同級生からもそれなりに認められていました。しかしながら、そこで出会った詩の才能があり、自由奔放なハイルナーとなぜか最も深い友情関係を結ぶことになります。ハイルナーは、作者ヘルマン・ヘッセのもう一つの側面であり、ハンスとハイルナーを足したものがヘルマン・ヘッセの人間像であるという見方が一般的なようですね。ハイルナーは気分の波が激しく、子供らしからぬセンチメンタリズムを持ち、それ故に美しい言葉や物事に敏感でもありました。ハンスは自然を愛する傾向がある一方で、文学的なものやロマンチックなものにはまだ疎く、そういった部分をハイルナーによって徐々に引き出されていきました。

 そこから紆余曲折はあるのですが、結果的に自由奔放で癇癪持ちであるハイルナーは教師に睨まれ、それ故に同級生からも煙たがられ、孤立していき、ハンスだけが心を赦せる相手となっていきます。そんなハンスにもハイルナーは一度見捨てられるわけですが、真面目なハンスは「やっぱりハイルナーを大切にしよう」と再びハイルナーとの関係性を構築します。そうやって結び直された友情関係はより深いものになり、終いにはハイルナーの感性に引きずられて、それまで真面目だったハンスも次第に勉強に身が入らなくなっていきます。校長先生からもハイルナーと関わるなと言われたり、明らかに教師も冷たくなっていったり、そのことでハンスは少しずつノイローゼになっていきます。つまり、ハンスはそれまで真面目であることによって周囲から認められていたから、頭痛や鬱屈とした気持ちにも負けずに何とかやって来れていたわけです。しかし、学校の成績が落ちてしまえば、もう彼の拠り所はありません。ハイルナーと一緒に落ちていくしかないわけです。

 そんなこんなでハンスは体調をとことん崩していく一方で、ハイルナーは学校への恨みから(ハンスと一緒にいることを厳しく禁止されたため)、学校を2,3日抜け出してしまいます。ハイルナーはそのささやかな冒険の後、また学校へ戻って来るのですが、当然学校側はハイルナーを退学に処すしかありません。

 残されたハンスはハイルナーという最後の拠り所すら失って、体調はもう戻らず、結局地元に返されてしまいます。「ゆっくり休んでまた復学しなさい」という名目でしたが、もう戻れないことは体調的にも学力的にも明白でした。ハンスは半年ほど何もせず療養を始めます。その期間には、幼い頃に奪い取られた自由を取り戻すように、大好きな釣りや森の散策に明け暮れました。しかしながら、そこで純粋な楽しみを味わう反面、「自分はそれらを享受すべき時期に剥奪されてきたのだ」という感覚が強く身に沁みます。ハンスはもう心身ともに成長してしまって、それらの遊びをどこか懐かしい、郷愁的なものとしか捉えられなくなっていたわけです。そんなハンスは何度も自殺を考えたわけですが、ずるずるとそれを行動に移せず時だけが過ぎました。その療養機関の中で、初恋のようなものもするのですが、それは結局成就せず、ただ引き出された性的な好奇心や欲望だけが宙をふわふわと舞い、うまくそれを制御することができませんでした。

 半年ほど経って、このままぶらぶらしているわけにもいかないだろうと、町の機械工に弟子入りすることに決めます。そこにはかつての同級生が既に弟子として働いていて、ハンスが弟子入りする数日後にはとりあえず一人前の職人として初任給を貰うことになっていました。かつて見下していた彼に後れを取っているという現状は、ハンスにとって少し堪えることでしたが、それよりもどちらかと言えば不安な社会進出において色々聞ける相手がいる安心感の方が大きいようです。

 実際に働き始めて初日からハンスは社会の生産活動に参加するやりがいのようなものを感じます。しかしながらその一方で彼は初日から疲弊しきってしまい、こんなのが週のうち6日も続くのに酷く恐怖します。もとからあまり丈夫ではないうえに、まだ心身ともに弱っており、周囲の人と同じように働くのは厳しかったわけです。なので、休日くらいゆっくり休んで英気を養いたかったのですが、上述の元同級生の初任給祝いがあるため仕事場の人間と昼から酒を飲みに出掛けることになってしまいました。そこでハンスは初めて酒を飲み、気分を高揚させましたが、しかし夕方頃になって酔い潰れてしまいます。ハンスは先に帰ることになりましたが、その帰り道に彼は川で溺れて死んでしまいます。

 自殺だったのか、自己だったのか、それは小説内で明らかにはされません。しかしながら物語は、その小さな町の信心深い靴屋のフランクおじさんが、ハンスの父に語り掛ける場面で終わります。フランクおじさんは、ハンスに対して色々期待し、そして強いてきたことで彼の心身を損なってしまった責任は私たち町の者、それから父親であるあなたにもあるのだと言います。決して神学校の人たちのせいだけではない、と。

 私個人の感想ですが、この終わりからは、作者のヘルマン・ヘッセが自分自身を救済するために「車輪の下」を描いたのだと想像させられます。太宰治の「人間失格」では、最後にスナックのママが、

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

と語って終わりますが、これもある意味では太宰治が自分自身を救済するために用意した言葉のように私には思えます。苦しい記憶というのはたとえそれを現実世界で乗り越えたように思えても、実際には心の中に深く打ち込まれ、その傷はなかなか癒えることはありません。そこから救われるには誰かの助けが必要な場合がほとんどではありますが、なかなか人に助けを求められない人間にとっては、自分で自分を救済するよりほかありません。なので、そういう自分に対する救済を目的として文章を書いたりなんだりする場合もあると思っています。私自身ブログや創作物を書く大半の理由がそれですので、何となくそういう風に考えてしまいがちです。

 そういう意味で、私はこの本をとても好きになりましたし、またもともと読むきっかけになった「ノルウェイの森」で主人公のワタナベによって「いささか古臭いところはあるにせよ、悪くない小説だった」と評されている通り、素敵な小説でした。ヘルマン・ヘッセが生きた時代は私にはちょっとリアリティが無さ過ぎますが、ちょうど川の向こう岸を見る感覚では感じ取れるものがありました。少なくともそういった時代の先に現代があるのだなぁという感じです。そして、そんな頃から人間を抑圧しているのは、直接的には政治や制度ではなくて、周囲の人間によって無言のうちに為される「期待」と自らの歪んだ「虚栄心」なのだと思わされました。

 私が適応障害なんてものになってしまったのにも通ずるところがあるように思いました。私はハンスほどに優秀ではなかったにせよ、幼い頃から親や色々な人間に期待され、それに応えることで自らの虚栄心を満たし生きてきました。その過程では当然のように、ハンスと同じように周囲を見下してきました。そしてそれをただ心の内に思うだけでなく、態度や行動で示してしまうこともありました。それ故に年齢が嵩むにつれて次第に凡庸になっていった私は周囲からの反撃を怖れて、斜に構えた態度を取るようになり、何とか少しでも自分を非凡な人間であるように見せかけ、それによって自己防衛を続けてきました。上手く振舞えなくなってからも周囲の期待に応えようと必死で、おかげで「世の中は、社会は『期待』という視線で私をがんじがらめにしている」と考えるようにまでなってしまいました。こんなに息苦しい世の中じゃ生きていけない、と。そして早く死んでしまいたいと思うようになり、長い年月が経ち、結果的に私は会社の人事異動を機に「頑張って期待に応えなければ…!」が行き過ぎて、適応障害になってしまいました。

 そんな私をもこの「車輪の下」は救済してくれたように思います。もちろん手放しでそれに縋ってはいけないと思っていますが、靴屋のフランクおじさんが「私たち大人の勝手な想いがハンスという素敵な少年を損なってしまったんだ」と言ってくれただけで、とても救われたような気持ちになりました。私もたくさん悪いところ、醜いところもあるけれど、そうしてしまった周囲にも問題はたくさんある。だから、そんなに自分ばかり責めるなと言ってもらえたようで嬉しかったです。

 という感じで、長くなりましたが「車輪の下」を読んでの感想になります。ここからは少しずつテンポを上げていきたいと思います。

コインロッカー・ベイビーズ村上龍

 村上龍さんの作品を読んだのはこれが初めてになります。文学部卒の友人が好きな小説ということで、かねてより何度か話に聞いていましたが、今回は「ようやく」という感じで購入に踏み切ってみました。
 話を要約すると、生まれて間もなくコインロッカーに捨てられた赤ん坊の2人(キクとハシ)がそれぞれに人格上の不具合を背負いながら、グロテスクな現実世界でどうやって生きていくかというものです。ここで描かれる世界は一応日本ということにはなっているものの、退廃的でかなりカオスな、ある意味ではディストピアとも言えるような世界観となっております。新宿には化学物質で汚染された廃棄区画(ここでは狂人や浮浪者が暮らします)があり、売春(異性だけでなく同性も)や違法薬物に溢れています。描写もかなり生々しく、性的なものや人体に関するもの(肉や血)、そして悪意や軽薄さや暴力など、ちょっと気持ち悪くなるくらいでした。
 文体も独特で、人間の取り留めのない思考をそのまま文章化したような、句読点による整理があえて貧弱な癖のあるものでした。上記の生々しい描写と相まって、読んでいて気分が悪くなるので(個人的には)、最初の100ページくらいは結構読むのがしんどかったです。しかし、それにも慣れたころ、話もどんどんと展開していくので続きが気になってあっという間にページが進んでいった感がありますね。
以降、ネタバレを含みます。
 キクとハシは養護施設の時には重度な自閉症に苦しんでいたため、不可思議な音(赤ちゃんが母の胎内で聞く母の心音に近い音)を聞く治療を受けました。そして治療の甲斐もあって徐々に2人は安定していき、今は閉山した炭鉱の島に住む桑山夫妻のもとへと拾われるところから大きく物語が展開していきます。そこでキクは運動(棒高跳び)の才能を見出し、一方でハシはとあることがきっかけで「音」に囚われていきます。ハシはあらゆる「音」を聞き、その中から幼い頃に治療で聞かされた「音」を探すことが目的でしたが、それは後々にハシの歌手としての才能へとなっていきます。

 内気だったハシはその「音」を求め、先に桑山家から家出をして新宿の廃棄区画へとなだれ込みました。キクもその後、ハシを探すために新宿を訪れますが、ついにはハシとの再会も果たすのですが、その頃にはハシはすっかりと変貌していました。ハシは同性愛者になって、男相手に売春をしながら歌手としてデビューすることを夢見ていたのです。そして、2人は再会したもののまたすぐに離ればなれになってしまいます。ハシはその才能ですぐに華やかなデビューを飾りますが、異常な芸能界、そして大変なプレッシャーのかかるコンサートツアーの中でボロボロになっていきます。対して、キクの方はハシを追い続ける一方で幼い頃から感じていた破壊衝動の中に、とある希望を見出します。それは「ダチュラ」という精神錯乱を引き起こし、人間をとんでもなく凶暴化させる危険薬物へと結びついていき、それで新宿という町、いや日本という国を滅ぼしたらどんなにスッキリするだろうかという夢へと変わっていきます。

 そんなようなことがざっくりとした物語の展開になっており、かなりスリリングな内容なので文体に慣れれば結構楽しめると思います。「コインロッカーに捨てられたこと」は様々な場面で色々なメタファーとして登場します。明確に「これだ!」と言えるメッセージのようなものは私には整理できなかったのですが、人間はみな真っ暗なコインロッカーの中に孤独に閉じ込められているというのが共通したテーマになっているかもしれません。ハシはブーゲンビリアの花と一緒に捨てられ、その狭く暗く暑い箱の中で自らの嘔吐物に塗れて酷い匂いがしているところ、巡回していた警察犬に見つけられて生き残りました。そしてまさにハシは汚らしい廃棄区画や芸能界での生活の中で、華々しさと醜さに塗れて生きていきました。対してキクはコインロッカーを破壊せんばかりの大声で泣き、それによって駅員に見つけてもらい生き残りました。そんなキクは「ダチュラ」という薬で世界を破滅させることを目的として生きていきます。

 この2人が織り成す、華美であり同時にグロテスクで醜く、非常に暴力的なストーリーがスリリングで面白かったですね。

 個人的に印象に残っているのは、ハシがコンサートツアーの打ち上げで、若い女の子相手に性的に不能となってしまっているのをバンドメンバーに見られて、揉めたときに言われたセリフです。

なあ、どんなにいいものを食ってみんあからチヤホヤされても、お前は孤児でオカマだったことに変わりはないんだよー(中略)ーハシ、孤児でオカマだったことを忘れちゃだめだ。

というセリフなんですが、これは何と言うかとても大事なことだと思いましたね。私自身、色々と嫌な経験をしてそこから逃れたいと思い、大学の時は芸術や思想に傾倒し、適応障害になってからは「いかにマトモになるか」を考えてやってきましたが、根本的なところで自分は変わることができません。自殺未遂を犯すくらい痛い目を見たわけですが、私は結局、人の期待にがんじがらめにされて自分の虚栄心を満たす、汚らしい自分から変わることができないのでしょう。そして、そのことを忘れてはいけないわけです。そこから脱しようともがくのも大切なのかもしませんが、そんな自分といかに共存していくか。そして、それを自らの個性だと捉えていく。そういうことが大事なのではないかと、このセリフを通して思わされました。

 と、そんなところがこの小説を読んでの感想になります。短くするつもりがちょっと長くなりましたね…

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(若林正恭

 オードリーの若林さんが書いた名著です。アメリカとの国交回復間近のキューバへ、不意に一人旅に行った時のことが書かれています。本書の冒頭では、若林さんが勉学に対するちょっとしたコンプレックスのようなものから、色々と世の中のことを勉強しだすところから始まります。そこで新自由主義、すなわち現在の日本などが置かれている実に資本主義的な競争社会に対する懐疑心が、社会主義国であるキューバへの一人旅の理由であるように書かれています。「スペックが高い」という言葉に代表されるように、世の中の多くの人間がほかの人よりも良い生活を手に入れようとして、必死になって自分の価値を高めようと奮闘している。しかし、どうも自分はそういう気持ちや感覚にはなれない…そんな20代の頃に抱えていた様々な悩みは、宇宙や生命の原理ではなく、人間が作り出した資本主義というシステムのせいだという知見を得て歓喜するのが本書の冒頭でした。

 そして、そんな現代の日本にそぐわない自分が訪れるべき場所として、キューバという国がフォーカスされたわけです。そして、実際にキューバへ向けて一人で旅立ちます。その後の内容は基本的にキューバのガイド的な内容にはなりますが、ところどころで入り込む日本やキューバという国に対する皮肉的な目線、それから自分自身に向けられるちょっと自虐的な目線には思わずくすっとしてしまいます。社会主義の国ではどのように人々が考えて暮らしているのかというのも結構しっかりと書かれていて、とても興味深く、同時に勉強になりました。衣類店も国営なので、キューバの若者はアメリカなどのアーティストの着ているお洒落な洋服を見て、「なんでああいう服が配給されないんだ!」と文句を言っているらしいです。そういう価値観、というか生活感の違いがとても面白かったです。

 若林さんの感じる資本主義と社会主義の違いについて、どのように上流階級に食い込むかの方法に関しての考察が個人的には「なるほど」と思わされました。社会主義ではコネクションや情報網などが何より重要で、中央権力に近い人間ほど優遇されるらしいです。対して、資本主義では学歴やお金を稼ぐ能力など、基本的には本人の努力や資質に依存するので、若林さん的にはやはり日本のような資本主義の方がフェアな戦いなのかもと感じたそうです。その一方で、キューバの人はスマホもまだ持っていなく、のんびりと陽気な性格で、夕方には海近くの街の通りに人々が集まり、楽しそうに話している風景に胸を打たれたりします。人々が互いに空気を読んだりせずに、生身の人間として心から話しているような雰囲気がとても美しく映ります。

 キューバの良さ、日本の良さ、それぞれを噛み締める旅だったようですが、一方で最後の最後にもう1つのテーマが明らかにされます。これは本書のネタバレになってしまうのでここに書くのはやめておきますが、久しぶりに本を読んで泣きそうになりました。うん、やっぱり魂が乗っている文章って素晴らしいです。

 そして、私はとにかくこの競争社会のようなものが大嫌いなので、キューバのような国に行けばもっと生きやすいのかとも考えましたが、おそらく私はキューバでもうまくやっていけないだろうなと思いました。人間関係の苦手な私にとっては、ペーパーテストの点数や、その他色んな客観的な点数で評価してくれる日本の方が、まだ生きていく余地があるように思えました。

 

アニメ

かくしごと

 下品な下ネタ満載の漫画を描いている後藤可久士(カクシ)と、その娘の姫(ヒメ)のお話です。小学生のヒメの純粋さにほっこりし、何とか自分の職業がバレないようにと駆け回るカクシに笑い、重要な場面ではちょっと泣ける、そんな素敵なアニメでした。ほぼ1日で全話観てしまいました。絵もところどころの気合の入った場面では背景の色彩感が美しく、非常に素敵でしたね。

 特に教訓めいたものを考えたりすることも無く、純粋に楽しめたのが良かったです。ほか、色々とシリーズの続きを観たり、観返したりというのもありましたが、ちゃんと全話観たのが「かくしごと」だけだったのでこれくらいにしておきます。あ、でも一言だけ。「Sonny Boy」最高!

 

映画

寝ても覚めても

 文学部の友人から「ドライブ・マイ・カー」の映画が素晴らしかったという情報を貰ったものの、まだ観に行けていないので、代わりに同じ監督作品である「寝ても覚めても」を観ました。濱口竜介さんという方が監督をされているようで、ストーリーはちょっと突拍子もない部分もありましたが、あまり派手にし過ぎず、落ち着いていてどこか物悲しさを含んだ映像は確かに素敵でした。

 俳優の東出さんの不倫のきっかけになったとされる映画ということでしたが、そういう芸能ゴシップにはちょっと疎いのと、あまり興味がないのとで、その辺は特に気にせず観ることができましたね。

 教訓めいたものはなく、派手じゃなくて、感動もしなくて、ユーモアもなくて、ただちょっとした物悲しさだけがほのかに香る、何と言うか「しっくり来る」恋愛映画でした。展開が若干安い少女漫画っぽさを感じてしまうものの、基本的には退屈せずに見続けられたので良い映画なのだと思います。申し訳ないですが、こういうタイプの映画をまっとうに評価する言葉を私は持たないので、ただ「悪くない映画」という感想に留めたいと思います。観て得をするタイプの映画ではないのかもしれませんが、不思議と損をしたという気持ちにはなりませんでした。きっとふとしたタイミングでまた観たくなる時が来るんだろうなぁ、という感じです。恐らくは、疲れていて「今日は害の無い映画をだらっと観たいなぁ」というようなときに。

 

ジョゼと虎と魚たち

 こちらもたしか文学部卒の友人からのかねてよりのオススメで。妻夫木聡池脇千鶴が主演で、上野樹里なんかも出ていましたね。どちらかと言えば軽いノリで生きている青年が、不意に出会った足の悪い女性(自称ジョゼ)に出会って恋に落ちる話です。2003年の映画なのでちょっと古い感じもしますが、タイトルにも入っている「魚たち」がモチーフのラブホテルのシーンなんかは結構お洒落で素敵でした。

 ストーリー的には、まあまあ面白く、シンプルな恋愛ものという風に私には見えました。個人的に盛り上がったところは、物語の終盤で青年がある選択をした場面です。人の善意と、生活力、器の大きさ、そういうものが入り混じった結果、青年にとってはキツイ選択がなされました。十代かそれでなくても、二十代前半に見ていたら、もっと楽しめた気もします。それは精神的な年齢のこともありますが、どちらかと言えば、映画を古く感じてしまったという点で…

 というわけで、非常に申し訳ないですが、損をしたとまでは思わないものの、おそらくもう一度観ることはないかなあという感じでした。でも、観てないないよりは観た方が良い部類に入る映画だと思います!観なくて良いとは思いません。そういう意味では年末の時間のあるときに観れて良かったです。

 

ドント・ルック・アップ

 地球に彗星が衝突すると判明してからのあれこれを描いた作品です。「えぇ、もうそういうの見飽きたよ~」という方も楽しめる作品ではないでしょうか。現代社会を軽く皮肉りつつ、登場人物が戸惑ったり、困ったり、真剣になったり、あれやこれやと右往左往している様はどちらかと言えばコメディですね。そして、私の贔屓にしている「おませちゃんブラザーズ」でも紹介され、「ディカプリオが叫んでるのってなんか面白いよね」という感想にとても強い共感を覚えました。ただ、本作では叫ぶシーンはそう多くないので、レオ様の酒びっぷりを楽しむならやっぱり「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が最高です。

 個人的にはこの映画にもあまりハマらず、コメディタッチなのはわかっているのですが、あまりにも登場人物たちに真剣味がないので、今観たい映画ではなかったかなあという感じです(今は「新聞記者」のNetflixオリジナルドラマをとても面白いと感じるモードなので)。ただ、ラストは素晴らしいと思いました。彗星の衝突ものなわけですから、自ずとラストは彗星が衝突するか・しないかということになると思うのですが、そういう意味でのあのラストは満足感高かったです。もし逆の結末だったらシラケちゃいますね…

 やっぱり人の善意が感じられる作品が好きなので、個人的にはビビッと来ることができなかったのが残念です。ちなみに母親は結構楽しんで観ていたようです。私はまだまだ若いということかもしれませんね。

 

罪の声

 刑事や記者ものに最近ハマっており(ちょっと前はヤクザものでした)、そういう意味で普通に楽しむことができた本作。とんとん拍子であまり「どうなってるんだろう」と悩む暇もなく事実が明らかになっていくので、感情移入はしにくい面があるものの、普通に面白かったです。小栗旬ってやっぱカッコイイよなぁ、と惚れ惚れしながら、スピーディな展開に退屈せず最後まで観切ることができました。

 様々な人物が絡み、時系列も複雑な点があり、かなりボリューミーなため、映画というよりはドラマで見てみたかった感も否めませんが、私のブームにマッチしているのでかなり楽しめました。観終わって、「あー面白かった!」と素直に思えたので、良い時間だったと思います。マイリストにも登録しちゃいました。

 

tick, tick…BOOM!: チック、チック…ブーン!

 元テレビ東京社員の佐久間プロデューサー(ゴッドタンなどを手掛ける方)がTwitterで絶賛していたので観てみました。ミュージカルなどが好きだったらもっと楽しめたかなぁという感じです。個人的には「ラ・ラ・ランド」よりは楽しめたものの、やっぱりちょっと苦手な分野だったかもしれません。

 面白いことは間違いないので、こういう分野が好きな人にはぜひオススメしたい作品ではありました。完成度も高いし、人間的な泥臭さ、そして素敵な音楽とハッピーエンド。好みはあるかもしれませんが、良い作品であることには間違いありません!

 

祈りの幕が下りる時

 東野圭吾作品なので間違いなく面白いやつです。お付き合いを始めた子から教えてもらいました。松嶋菜々子さんが美しい! そして、小日向文世は最高! というのだけでも、とりあえず覚えて帰っていただきたい。加賀恭一郎シリーズで、前に会社の先輩からオススメされて私も何作か読みました。「悪意」が面白かったですね。

 とにかくシリアスな場面が泣けます。小日向文世の演技に涙が止まりません。「泣きたい!」という方にはぜひともおススメしたい映画となっております。東野圭吾の作品って本当に愛が深くて重たくて、ミステリーなんですけど、それ以上に心にグッと来る作品が多いです。一般的に言えば「容疑者Xの献身」はかなり評価が高いと思いますが、それに匹敵する作品だと思いました。個人的には「白夜行」が映画もドラマもどちらも好きですね。特にドラマの方は何回も繰り返し観ました。これからも折に触れてみることになるでしょう。

と、そんな感じで様々なコンテンツを味わった年末年始でした。

 

最後に…

進撃の巨人」アニメのファイナルシーズンが始まったり、Netflixオリジナルドラマの「新聞記者」がかなり踏み込んだ内容になっていたり(監督が藤井道人さんで嬉しい!)、色々と今も現在進行形で面白いものに沢山触れている気がしますが、一向に体調が良くなる気配がありません。薬はまた再開しましたし、頭痛は日に日に酷くなっています。

それでもやっと皮膚科に行けたおかげで、顎や指の間のボロボロの皮膚は治ってきましたし、「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクルFFCC)」をスマホにダウンロードしてみたら、中学生の時には理解しきれていなかった世界観の素晴らしさ、音楽の素晴らしさに感動したりと悪いことばかりではありません。

一進一退、いや三歩進んで二歩下がる、いや二歩進んで三歩下がるか。正確な加減算はわかりませんが、とりあえずそんな感じで何とかやっております。この記事を書き始めてから1週間経ってしまいましたが、何とか書き上げられて良かったです。まずは体調優先ですが、気が向いたらまた書こうっと。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」感想、整理

Netflixで「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という作品を見たので、ここに感想を残しておこうと思います。久しぶりに興味を惹かれる作品に出会いました。文字に起こすことで頭の整理をするのが今回の大きな目的の1つです。

 

 

1.自己紹介

本作を理解する上ではそれなりの予備知識あるいはバックボーンが必要となるはずですが、生憎私は三十路の理系サラリーマンなのでおそらくかなり見当違いな解釈になってしまっているでしょう。三島由紀夫に関しても「いずれ読まなきゃ」と思いながらも、金閣寺を数ページ読んで断念しているような体たらくな人間です。哲学や思想などに興味がある方だとは自覚していますが、かといってこれといってしっかりとした哲学書を読んだ経験もありません。YouTubeの動画でちらっと触れることがあったりするくらいで、高校の現代社会の授業でもほとんど寝ていた記憶しかなく、歴史は大の苦手科目。日本の元号すらまともに並べあげる自信がありません。

と、こんな感じで色々と予備知識の足りない私ですが、そんな私が辛うじて理解できたニュアンス、構造などを整理していこうと思います。

 

2.映画の概要

舞台は1968年の日本です。当時名を馳せていた作家である三島由紀夫と、当時学生デモの最前線にいた東大全共闘の学生たちが、東大駒場キャンパスの900番教室で討論を行い、その模様をドキュメンタリー形式で遡って映像化したのが本作になります。

私は知識がないので、一応基本的な事項をまとめておこうと思います。

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ざっくり構造

示した図の通りですが、三島由紀夫は「右翼:国家権力」側の代表として描かれており、東大全共闘は「左翼:反国家権力」側となっています。なので、本当にざっくりとしたことを言うと、東大の学生たちは「国の言いなりになんてなってたまるか!」と当時、デモを起こしたり、東大の安田講堂を占拠して立てこもったり、というかなり攻撃的な活動をしていました。その活動の一貫で「国家側」の肩を持っている著名人である三島由紀夫を東大に招待して、討論会を開いたわけですね。討論会では三島由紀夫に対して、「お前が国家側の人間なら、国家の正しさや価値を説明してみろ。同時に俺たち反国家の人間たちの主張のどこが間違っているのか指摘してみろ」ということが基本的なテーマとなっています。東大全共闘としては「国家なんてクソだ。より正しい世界を俺たちが作っていくんだ」という主張なわけですね。

ちなみに、東大全共闘については私はあまりよく知りません。たまにテレビ番組で東大安田講堂の占拠の映像などを観ますがその程度で、国のやり方が気に食わなくて、まずは「国」としての立場を持つ「大学」という1番身近なところと闘っていたという印象です。もちろん、授業がつまらないだとか、学食が不味いだとか、そういうことで文句を言っているのではなく、国家≒大学の在り方やその構造の正当性について疑念があるのでそういった行動を起こしていたのだということはわかります。しかしながら、おそらくは私たちの世代のほとんどの人間は、国の在り方やその構造についてデモやら占拠やらの行動によって改めさせようという発想を持っていないんじゃないでしょうか。なので、その当時の温度感などをイメージするのは結構難しいです。

しかしながら、そんな私でも本作を楽しむことができました。私が興味を惹かれたのはそういった時代や社会を取り巻いた温度感などではありませんでした。単に個々人が抱える思想をぶつけ合うということが観ていて面白かったのです。

登場人物(団体)は大まかに4つに分けられると思います。右翼側では、1つが「国家」、もう1つが「三島由紀夫」。左翼側では1つが「芥青年」、もう1つが「東大全共闘」とざっくり配置されています。

「国家」の目的は、現在の国の在り方や構造をそのまま保ち(保守)、秩序を維持することです。デモや暴動などは機動隊を用いて鎮圧しようとしています。

対して、「三島由紀夫」の目的は国家という存在を尊重しながらも、天皇を中心に据えたより良い日本という国家へと変革していくことにあります。なので、三島由紀夫としては国家側の立場にありながらも、現状の国家を最上とはせず、より自分が思い描く理想に近い国家にしようと考えています。少なくとも、現状の「天皇」を祀り上げている国家の構造自体には賛同を示しているようです。

「東大全共闘」の目的は、現在の国の在り方や構造を否定し、新しい、先進的で正当だと考えられる国家構造を作り上げることにあります。それがいったいどういうものなのか、私にはよくわかりませんし、本作の中でもあまり取り上げられていないのですが、それでも「正しい方向へ」進んでいこうという熱情は強く感じます。そして、それを実現するためには、暴力的な行動も厭わない。秩序の破壊こそが新しい世界を作り上げる第一歩と考えている節がありそうです。

これに対し、全共闘の中でも屈指の論客と言われる「芥」という青年が本作では大きく取り扱われています。彼の目的は、現在の日本国家の在り方というよりも、国家という概念・構造自体を否定し、真に人間的な存在の在り方を追求している感があります。構造やシステム、ルールに縛られない、自由な人間性(≒人間社会)を打ち立てるために、国家を否定する左翼側についているようです。

 

お察しの通り、私が興味を惹かれたのは「国家」vs「東大全共闘」ではなく、とりあえずそれぞれ右翼や左翼の看板を背負いながらも、己の哲学をぶつけ合う「三島由紀夫」vs「芥青年」の討論でした。本作の半分近くはどうしても社会現象としての左翼vs右翼の闘争に主眼が当てられているのですが、ありがたいことに「芥青年」という素晴らしい触媒をもとに「三島由紀夫」の思想を掘り下げることにも注力されています。なので、歴史物が苦手な私のような人間でもしっかりと楽しむことができました。

 

3.三島由紀夫の表明

国家は暴動をしかけてくる全共闘など左翼側の人々を、やはりこちらも武力で鎮圧しようとしていました。その際の国家側の言い分としては、例えば「キチガイが騒いで困る」というものだったそうです。しかしながら、三島はそんな国家の対応を皮肉り、「キチガイならば病院に入れて手厚く治療してやるべきだ。キチガイを殺しすなんてみっともない」というようなことを最初に言って聞かせます。そして、東大全共闘の人々に向かって、「私はあなたたちをキチガイだとは思っていない。だから、言葉を用いて議論することを試してみようと思っている」と自分のスタンスを明らかにしました。

さらに、国家側の人々の姿を見て、「彼らの目の奥に不安がないのが気になった。私は不安を抱いている方が健全で好きだ」というようなことを言いました。「私は暴力にも反対していない。国家が当面の秩序を維持することに終始して、もたもたと反暴力的な中間択ばかり取っているのには苛々する。私は法律に則って暴力を振るえる立場にはないから、やるなら非合法に、個人同士の『決闘』という思想に則って相手を殺すつもりだ。そして警察に捕まってしまうなら、その時は自決しよう」と、体制側(右翼)の人間ではありますが、かなり過激な発言をしています。三島としては、やるならとことん戦って、「決闘」の思想に則って確固たる自分の理想を、暴力を用いてでも主張し、実現していかなければならないと考えているわけですね。そういう意味では、全共闘はただの知識のひけらかしや机上の空論のようなことではなく、きちんと行動に打って出ている点で評価できると三島は「反知性主義」という言葉を用いて説明しました。三島もまた自ら肉体を鍛え、自衛隊体験入隊で戦闘能力を磨くなど、「反知性主義」を掲げる人間でした。

 

ここで話は一気に別の方向に向かいます。脈絡がよくわかりませんが、東大全共闘の一人から三島に対して、「『他者』についてどのような考えを持っているか?」と質問が投げかけられます。おそらくは、三島が「決闘」という言葉を用いたからこそ、そのような質問がなされたのでしょう。そこには「やるかやられるか」という他者に対する不安や恐怖が内在しているため、決闘の「相手」に対してどのような恐怖を感じるか…つまるところ、「三島は東大全共闘のことをどう思っているか?」ということが聞きたかったのかもしれません。

それに対して、三島はサルトルの引用などをして色々なことを言いますが、結論から言えば、三島曰く「他者との関係を構築するうえで、私は共産主義を敵とみなすことにした」ということになるようです。共産主義とは、左翼の考え方の代表的なものだと思っていただければここでは良いような気がします。別段、共産主義の中身に触れているわけではないので。この辺りで重要なのは、三島が自らの文学において、当初は他者のない一人きりの(サルトルが定義するところによると)エロティックな世界を追い求めていた。しかし、そのうちに他者との関係性を求めるようになった。「決闘」という、主体的な相手を想定したうえでの世界に興味が惹かれたのだ、ということです。そして、その「決闘の相手」として相応しいと思ったのが、東大全共闘のような左翼的、つまり共産主義の思想だったというわけです。どうして共産主義が決闘の相手として相応しいと思ったのかは、ここではまだ語られていません。

 

ここまでの話をまとめると、三島は「東大全共闘のように『行動』を起こしている人間たちは好きだけれど、私は共産主義を『決闘』の敵としてみなしているから、君たちは敵に違いない」ということになります。そして、そんな「敵」との「決闘」が存在する世界を求めているからこそ、三島は東大900番教室にまでやってきて、こんな風に討論をしているというわけですね。暴力行為は認めているけれど、あえてここでは「言葉」を用いて。

 

4.芥青年の登場

そして次の議題がまた全共闘の学生から持ち出されます。「自然対人間の関係」という話題です。学生の主張としては、「三島の考える自然というものは浅い。僕は、いかにして人間と隔てられたところにある自然(周囲の事物)を活用していくかが重要だと思う」というようなことを言います。どうして急にこんな話になったのかはわかりませんが、これに対して三島が「機動隊のこん棒に殴られるという自然の活用の仕方もあるよね」というような軽く皮肉めいた言葉を返します。

そして、この三島の皮肉に対し、今度は1人の青年が割り込んできます。この青年が芥青年でした。

芥青年の軽い割り込みを経てからの話の筋は私にはよく理解できない部分もあるのですが、私のしがない予備知識をもとに推測すると、全共闘のような左翼が掲げる共産主義というのは言わば「いかに自然的な生き方をするか」ということと通じる部分があるようです。現在(当時)の右翼側が体制を守ろうとしているのは、すなわち強い権力や財力を持っている人たちが自分たちの優位性を保ちたいからです。お金を持っている人がそのお金を使ってよりお金を稼ぐというのが資本主義なわけです。このルールがある限り、貧乏人はずっと資本主義下の権力者、金持ちの言いなりになってしまいます。そしてこのような力関係というのは非自然的である、というのが共産主義の1つの論調です。私たちをがんじがらめにしている資本主義という強者にとって都合の良い非自然的な体制というものをぶっ壊して、より自然的な、本来の人間があるべき社会を作って行こうではないか。そして、そのときに重要なのはいかに人間の関係性をルールで縛るかということではなく、あくまで私たちの周りに広がっている自然(動植物、大地、水、その他人間が作り出したもの)をどうやって効果的に活用するかということである。これがおそらく最初の学生の言いたかったことでしょう。左翼としては立派な論説ですね。

対する三島は「君たち学生は自然から何かを生産するという行為から切り離されている(まだ学生だし、現代の若者だから)。例えば、ここにある机は、勉学のために自然から生産されたものである。しかし、その生産工程に君たちは関わっていない。そして君たちはその机を勉学の目的ではなく、武器やバリケードを作るために使って、『これこそが自然を活用するということである』と言っている。君たちは元来の生産活動に携われていないから自然との関りが希薄だと感じているんだ。それ故に暴力という行為を通して自然というものに目覚めただけに過ぎない」と学生たちが掲げる思想を陳腐なものだと否定します。

これに対する芥青年の主張は、「大学という枠組みにあるからこそ机は勉学のために使用されている。大学が無くなって、私たちが机を武器として使う。こういった事物の使用目的(=人間との関係性)の逆転こそが革命である」となります。

なんだかんだと小難しい議論になっていますが、結局のところ全共闘のような左翼がやろうとしていることは既得権益をぶっ壊すことです。現在の勝ち組が作ったルールを壊して、新しい世界を作ることです。三島はそういった部分に対して、「自然的な人間の在り方」のような格好つけたことをいっているけれど、所詮ルールを壊すことに楽しさを見出しただけだろうと言っています。芥青年は、それを受けて「ぶっ壊すことが革命だから」と平然と答えています。そして言葉の最後に「所詮、三島さんはぶっ壊すことを幼稚だと言っているだけで何もしていない。文章を書いているだけで、机を武器に置き換えるような行動の重みが無い。だから、三島さんは敗退している」と付け足して、挑発しています。小説家の平田啓一郎さんが後で解説をしている通りですが、三島自身がそのような「物書き」としての後ろめたさを持っているようなので、この芥青年の言葉が突き刺さるわけですね。

芥青年は「自分たちの行動は歴史を変え得る可能性を秘めている。しかし、三島さんの書く文章は実世界に対して何ら差し迫った力を持っていない」とさらに説明を重ねます。さらにそんな三島の書く文章で述べられていることは、あまりに日本という国に対して執着し過ぎている。もし日本という国が無くなってしまったら、三島由紀夫という人間の価値も、その何ら具体的な力を持たない文章とともに消えてしまうだろう。それに対して、僕という人間は全く以って日本に縛られていない。自分が異邦人かと思うほどに。でも、僕はただ僕らしく自然にあろうとしているだけだ。僕が異邦人なのではなく、僕の周りの人間たちが何らかの国を背負った異邦人だったというだけなのだ。と、そんなことを語ります。続く現在の芥氏のVTRでは、「天皇の文化的な側面をちゃんと説明できないのに大衆を扇動するな」とさらに釘を刺していました。

 

と、ややこんがらがった内容になってしまいましたが、ここまでは言ってみればありがちな共産主義の主張という感じになるでしょうか。現在の資本主義的なルールは良くないから、暴力などの具体的な行動を以って古いルールを壊し、新しい世界を作る。ということです。そして、ここから芥青年と三島由紀夫の価値観へと話は移り変わっていきます。

 

5.芥青年と三島由紀夫の立場と目標

結論から言えば、芥青年はこの全共闘の活動を一種の芸術作品のように捉えているようです。色々と議論はジグザグと脇道に逸れようとしながらも、三島由紀夫によるしつこい追及によって、「持続性」が話題の中心に据えられます。

三島由紀夫からしたら、全共闘が生み出した安田講堂のような「解放区(政府などの統制を受けない自立した空間)」が長続きしないことに、活動の限界があると感じているわけです。そして、活動をやるからには「解放区」を永続させることが活動の1つの目標であり、そこからさらに広げ、日本全体を新しい解放区へと逆転させることが革命の最終目標であるはずと考えているわけです。しかしながら、芥青年は一向に「持続性は問題ではない」と言っています。なぜなら解放区を作ることそれ自体が革命という詩(芸術作品)であり、それがたとえ現実的に一瞬のものだとしても価値があるとしています。芥青年自身が演劇をやるからこそよりそういう考えになっているのかもしれません。例えば、演劇というのは映像作品化しない限り、その場一度きりの芸術であるわけですが、かと言って別に価値がないわけではないです。例え短くても演劇が演じられることこそが大事なわけですね。

だからこそ、芥青年は三島のやっていることが気に食わないのです。三島は文学という分野で確固たる芸術作品を残しているにもかかわらず、国を変えようとしています。しかも、文章で国を変えようと働きかけているわけですが、既に言っている通り、具体的な行動の伴わない文章では何か現実を変えることなんてできるはずありません。芥青年からしたら、「芸術という領域で満足していればそれでいいじゃないか」というわけですね。しかしながら、三島はあくまで「一人きりのエロティックな世界ではなく、現実的な敵を想定した決闘の思想に準ずる世界を作りたい」と自分の文学の可能性を試すことに意欲的です。

この芥青年と三島のねじれが面白いと私は思うわけです。

芥青年は現実的な行動によって、現実世界の中に「解放区」という芸術作品をたとえ一瞬でも良いから生み出したい、と考えています。対する三島は自らの芸術作品を用いて、現実に対して何らかの具体的で持続的な作用を生み出したい、と考えています。二人は相対する場所から出発して、相対する場所へと向かおうとしているわけですね。まるで、二人で席を交換するかのように。

 

6.芥青年の世界観

芥青年が共産主義やら左翼やらに賛同しているのは、その根っこにおいてだけのように思えます。つまり、先ほどまで話して来た「関係性の逆転こそが革命だろう」というのは、ある部分までは芥青年も賛同しているところですが、ある部分からは反対しているように思われるような主張が続きます。

これは私の喩えですが、大富豪というトランプゲームを持ち出すと説明が容易かもしれません。大富豪はゲームを行うたびに、富豪が貧民から強い札を取り上げるというルールがあります。そして、このルールがある限り、基本的には富豪側が有利にゲームを進めることができます。まさに資本主義のようなものですね。しかしながら、同じ数字の札を4枚揃えると革命を起こすことができ、そこからは逆にそれまで弱かった札が強くなり、立場が逆転します。それまで貧民だった方が、今度は勝つようになるわけですね。

芥青年はこの逆転の瞬間にこそ意味があると述べていました。しかしながら、その逆転状態が「持続」すること自体には懐疑的です。すなわち、富豪に有利だったルールが貧民に有利なルールに変わって、それが持続するということは、結局「ルールに縛られている」、「大富豪というゲームが続いている」という意味で全く意味を為しません。むしろ芥青年が望むところは、ルールをなくし、大富豪というゲームをやめるというところにあります。富豪側は基本的に勝ち続けられるわけですから、大富豪というゲームをやめたがりません。だから富豪側が負けるまで大富豪というゲームは続きます。そして、貧民が革命を起こし、勝ち側に回るタイミングが訪れます。このときまた貧民だったものがまた大富豪というゲームを続けようものなら、結局立場が入れ替わっただけで何も意味がありません。それまで負けていた貧民が革命を起こし、ゲームに勝った時にこそ、「これで終わりにしよう」と大富豪というゲームに終止符を打つべきなのです。

芥青年は、社会というルールなどが及ばない、事物や人間同士の関係性といったものを排除した世界を作りたいと考えています。演劇のようにそれがたとえ一時的なものであっても、価値はあると考えています。したがって、自分が新しい王様になって、自分に都合の良いこれまでと似たようなルールを作りたいわけではないのです。目指すところはある種、原始の孤独な人間のようなただただ自由な世界と言ったところでしょうか。政治哲学用語としての「自然状態」というものが芥青年の目指すところであると私は理解しています。

なので、共産主義やら左翼やらの行動の方向性である「現在の体制に対してNOを突きつけよう」ということには一部賛同していながらも、「自分が新しい権力構造の上位者になりたい!」と考えている人間のことは嫌いなわけです。そういう意味では純粋な思想としての共産主義やら左翼やらにはかなりの共感があると言えるでしょう。しかし、せっかく作り上げた「解放区」の中で、人間たちがまた権力闘争をして、自らの権力を持続させようと、時間について考えるようになったりすることには大反対です。そういう意味では、三島由紀夫のような芸術家がその作品の中で孤立した、ルールに支配されない真に自由な空間を作ることそれ自体にはむしろ賛成なのです。ただ、三島はそのせっかく作った文学作品を以って、社会を扇動し、新たな権力構造を作り上げようとしているので、その部分が嫌なわけですね。

実際には事物との関係性や、そもそも人間が社会を形成する理由や根源的な傾向など、小難しいことも話されています。が、私はそれらのことを体系的に学んできたわけではないので、うまく説明することができません。よって、芥青年は無政府な状態をより人間的に自然な状態として、現状の凝り固まって上位者に都合の良いルールを破壊しようと考えている…くらいの説明しかできません。ヒトにもモノにも名前がなく、「役割」みたいなものもない、そんな真に自由な世界を目指しているわけです。対して、三島由紀夫はヒトやモノと関わっていくことで、社会の仕組みを変革していくことに革命の本願を置いているので、それぞれ目指すところのスケール感が違うわけです。しかも、芥青年は行動によって瞬間的であっても真に自由な空間を生み出すことを目指しながら、三島の芸術活動を認めており、対する三島は文章や言葉によって社会に持続する新しい構造を作り出すことを目指しながら、芥青年たち全共闘の行動に重きを置く方針を認めているので、これはもうかなりぐちゃぐちゃな感じです。

 

7.その他の全共闘/メディア

と、そんな感じでかなり観念的なそれぞれの方向性が面白く議論されていたわけですが、残念なことに(個人的に…)全共闘の人たちはそういう話がしたかったわけではないようです。「三島を殴る会があるから来たんだ」という野次が飛んだり、とにかく今ある構造をぶち壊して、新しい政治を作るんだ!みたいな結構即物的な意見が声高に叫ばれます。終いには芥青年に対し、「観念的なこじつけじゃないか。そんなんじゃ、全共闘の名が廃るぜ」と身内同士で揉めてしまいます。

それを受けて、まるで「私たちで作り上げた面白い議論は終わって、つまらない話が始まったな」とでも言いたそうな感じで、芥青年は三島に煙草を渡して2人で笑いながら吸っていました。このシーン、私はなぜか好きなんですよねぇ。

それから小休止がてら、映画はインタビューやナレーションベースでのメディアがこれらの運動にどれだけ大きな影響をもたらしたかという話が持ち出されます。テレビや雑誌によって運動やそれに関わる人がまるでお祭りやらアイドルかのように取りざたされることが、これだけ大きなうねりを齎したということには私も賛成です。逆に今ほどメディアが細分化された世の中にあっては、こういった熱狂は生まれ得なかったでしょう。50年前の東京オリンピックと比べて2021年に開催された東京オリンピックがイマイチ盛り上がらなかったのは、決してコロナだけの影響ではないでしょう。各々が各々の裁量で、自分好みのコンテンツを選べる現代においては、世間を一色に染めるようなムーブメントは起こすのが難しいように思います。これが私たち現代人の抱える自己完結的で孤独な人生観に大きな影響を及ぼしている…と、話しが逸れましたね。

 

8.三島由紀夫の世界観

かなり分量が嵩んできたにも関わらず、まだ本作の半分ほどまでしか経過していません。が、私が1番興味を惹かれた部分は過ぎ去ったので、ここではざっくりと内容をまとめさせていただきたいと思います。

色々な登場人物が口々に言っていますが、三島は「天皇」という1つの崇高な概念のもとに、「国」という枠組みを作り、そこで強い共同体意識を持って1つになることが自らの目標であると考えているようです。その一致団結の陶酔感を得たいために、現在のふわふわとした国家ではなくて、より国民1人ひとりが「自らが日本国民であり、故に天皇のもとに思想や気持ちを同じにして集う」ことができる国家を生み出そうと必死なわけです。また「天皇」がただの独裁者でただのブルジョワであったら革命は簡単に起こせるだろうが、「天皇」はより崇高で、日本の歴史や文化を取りまとめる存在であるからこそ、「天皇」を破壊して国家転覆をすることは難しいとも言っています。つまり、日本人が少なからず抱いているであろう「自らが誇り高い日本国民である」という根底にある意識を結び付けている1つの偉大な装置が「天皇」であるので、それを「破壊してやろう」とはなかなか思えないのではないか。だからこそ、この日本という国の構造を変えたいのであれば、ただただ構造を破壊していくのではなく、日本人が共通して抱える「天皇」に対する意識を利用して、国民全体を動かしていく必要があるのではないか。これが三島のやろうとしていることになります。

なので、三島の演説では「全共闘のやろうとしていることには賛成する。しかし、本当に国家構造を変革したいのであれば、天皇という存在の影響力を用いなければならない。なのに、それをしようとしていないから、君たちには賛成できない」と言っています。三島から見たら全共闘がやろうとしていることは、国民を分断することであるように思えたのかもしれません。なぜなら、繰り返しになりますが、国民を一致団結させてより良い構造に変革させるためには、共同体式が必要であり、今のところそれを成し得るのは「天皇」という日本の根底にある土壌を用いるしかないからです。

そういった説明を経て、最後に芥青年がもう一度「あなたの言っていることは、日本人という枠組みに留まり、結局何らかのルールに縛られることに喜びを見出すくだらない性癖や趣向じゃないか。それでは真に自由にはなれない」というような批判を浴びせます。しかしながら、三島は「その通り。私は日本人でありたい。そこから抜け出したく思っても、抜け出すことは現実的に不可能だし、そもそも私は天皇を主題においた日本という国の民であることに強い快感を得る。よりその快感を強くするために、日本を変革したいんだ」というようなことを返します。これを受けて芥青年は、三島はそもそも自分とは全く違うところを目指している人なんだと理解し、そして三島なりの世界観を受け入れ、これ以上は何も議論することは無いと壇上から去っていきます。

 

ここまで三島が「天皇」という存在・観念を崇拝する理由には、青年期の戦争の記憶、それにまつわる国民の強い共同体意識、それから個人的な天皇との接見の経験など色々あるそうです。が、この辺りは事実を羅列するだけになるので、省略させていただきます。

映画はその後も、楯の会の方々やそのほかの関係者の三島由紀夫との思い出が語られ、最終的には三島自身が自殺するところまで時間軸が進んでいきます。が、この討論会それ自体のの結論としては三島は「天皇」という考え方の視点・発想を全共闘側に見せ、同時に全共闘の「熱意」を認め、それでも立場は違うから手を繋ぐことはないだろうというところに終着します。この終わり方が何とも素敵で、カッコイイですね。「討論」というものの理想形とも言えるかもしれませんね。現在の芥さんも言っていましたが、「敬意を表し合うということも会話のひとつ」ということになるのでしょう。

 

9.まとめ

三島の切腹に関しては、人それぞれに受け止め方が異なっているわけですが、この討論会で示された三島の考え方を踏まえればまぁ納得のいく部分だったと思います。三島は日本国への帰属意識、一体感を求めていましたし、その目的を成就する過程で決闘があればそこで死ぬ覚悟もありました。実際に死のうとする人間がどれほどの覚悟を持っていたのか、それをリアルに表現したり感じ取ったりすることはできませんが、大筋として理解することは可能です。

この国全体に広がった「運動」について言えば、皆が国の在り方や自分の立場といったものをかなり明確に持っていたと思いますし、そこにあった「熱」というものは現代を生きる私たちにはあまり馴染みのないものだと思います。今の私たちはもっとカジュアルに生きているでしょうし、ラフでポップで無責任とも言えます。刺激はそこら中に沢山あって、1つの話題にはすぐに飽きてしまう。そんな時代では、こういった「運動」なんてものはほぼ起こり得ないでしょう。

三島についても「運動」についても、それらはもはや現実味の無いフィクションのように私たちの目には映ります。しかしながら、私はこれでも割と真剣に「どうあるべきか」ということを考えてきたつもりですし、その思考の重たさというものに苦しみ、それを共有できる誰かを探して来たように思います。「生きる」だとか「死ぬ」だとか、そういうことをもっとちゃんと誰かと話したいなぁ…そんなことを考えている私にとっては、こういった深く鋭利な討論ができる事態というのは非常に楽しそうだと思えました。もちろん、とても息苦しい時代のようにも思いますけれど。

私はちょうど1年前に適応障害という病気になって、自殺未遂をやらかしたりしたわけですが、そうやって病名がつく前から本当に辛く、苦しかったです。というのも、「自分は何のために生きているのか」ということを10年近くぐるぐると考え過ぎた結果、「生きる意味はない」と結論付け、「死にたい気持ちが臨界点を越えて行動に移すまでが自分の人生の在り方だ」と思いながら生きていました。そんなときにちょうど良く病気になって、自殺を図ったわけですが、死ぬことができずこうしてのうのうと生きています。そして、病気から回復するにあたって、今の私の生きる指針は「考え過ぎない」、「適当に生きる」ということです。生きる目的が見つからなくても、どんなに怠惰で情けない自分であっても、とにかく今の生きている自分という存在が最高!と思うようにして生きています。おかげで病気になる前と同じような苦しみはありませんが、反面何か人生に対する熱量のようなものは失われてしまったようにも思えます。果たしてあれを「熱量」と呼んでよかったのか、それはわかりませんが。ともかく、私もまた真剣さや熱を過去に残して、死ぬべき時に死ねなかった者として、今を生きています。それは全共闘の運動が消えていった後に残された彼らと同じような感覚なのかもしれません。だからこそ、本作の真剣な討論には面白さを感じますし、そういう時代に生きれていた彼らを羨ましく思い、こんな感じのまとまりのないブログを書くに至っています。

時間や持続を求めた三島が、社会的な時間と切り離されて独立した時空間を生み出す文学を得意技としており、しかも呆気なく自殺で生涯に幕を降ろしています。対して、社会とは切り離された刹那的な自由を求めた芥青年は、今になっても芸術活動をしながら生命を持続させ、自らの存在を1つのかつての運動の成果として誇っています。そんな皮肉な矛盾に面白味を見出したりしつつ、私もまたあれだけ「死にたい、死にたい」言っていたのにもかかわらず、こうしてぼんやりと生きる道に誘われておるわけです。

本作を通じて、久しぶりに私も「自分の思想や立場をはっきりと持って、生きねばな」と思わされました。その自らの指針がどんな皮肉な形を取るか、それすらも楽しんで生きていきたいと思うわけです。

 

最後に…

言い訳です。何日かに分けてこの記事を書いており、しかも気が向いたときにしか書き進めないので、書き上げるのに1か月以上かかっています。おかげで、言いたいことは二転三転しているでしょうし、文の繋がりもきっとおかしなことになっています。自分でも納得のいく出来ではありませんが、ほかに書きたい記事があるのでもう精査するのがめんどくさくなり、もうアップしてしまいます。

もっと文章を上手く書けるようになりたいですね…反省です。

「宮本佳林 LIVE 2021~ダリア~ 2021.9.4 NHK大阪ホール」ライブレポート

ハロプロ卒業生で現ソロアイドルの宮本佳林ちゃんのライブに参戦してきたので、ライブレポートを残しておきたいと思います。

コロナ禍の中でライブに参戦するというのはなかなか勇気がいることですし、人によっては批判をしたくなる方もいるでしょう。それはそれで仕方のないことではありますが、1つ断っておきたいのは、ハロプロ関連のライブは、消毒・検温はもちろん、入場者数制限(前後左右の席が空席)、規制入退場、追跡登録等をしっかりしているのでかなり徹底して感染症対策を行っているということです。加えて、観覧中の歓声は禁止で観客もそれをかなり真面目に守っているので、安心感は高いですね。そんなわけでこんなご時世にライブ参加した後ろめたさを小さくしつつ、ハロプロの力になれればと思いながら、この冒頭を書かせていただいております。

そして、これは完全に個人的なことですが、実はこの記事は1回書き上げていたのですが、何故か投稿するタイミングで白紙で投稿されてしまい、完全に1から書き直しております。履歴等も全部真っ白になってしまい、バックアップも無く、かなりテンションが下がっています…故にちょっぴり気合いが入っていない文章になってしまうかもしれませんが、その点ご留意いただければと思います。

 

 

1.セトリ

1.優柔不断だね、Guilty

2.タメライ

3.少女K

ーMC1

4.イイ女ごっこ(新曲)

5.Happy Days(新曲)

ーMC2

6.赤いスイートピー(カバー:松田聖子

7.やっちまいな(カバー:森高千里

8.ミステイク(ハロプロ研修生ユニット)※佳林ちゃん抜き

ーMC3(ハロプロ研修生ユニット自己紹介)※佳林ちゃん抜き

9.Go Your Way(ハロプロ研修生ユニット)※佳林ちゃん抜き

10.彼女になりたいっ!!!

ーMC4

11.若者ブランド

12.愛してるの言葉だけで

ーダンスパフォーマンス

13.どうして僕らにはやる気がないのか

14.Va-Va-Voom

15.落ちこぼれのガラクタだって

16.この世界は捨てたもんじゃない

MC5

17.氷点下

<アンコール>

18.未来のフィラメント

ーMC6

19.天まで登れ!

 

2.ざっくり感想

ライブに参戦して、「どんな感じのライブだった?」と聞かれたとき、私は「ソロアイドルとしての宮本佳林が堪能できたよ!」と答えると思います。まずはソロ曲が多いセトリなので、ハロプロ及びJuice=Juice卒業後もある程度佳林ちゃんを追っている方じゃないとハロヲタでも「知っている楽曲が少ない!」となるかもしれません。しかしながら、Juice=Juiceの楽曲も2曲やってくれましたし、何と言っても佳林ちゃんがリアルタイムで関わっていたハロプロ研修生の楽曲も2曲やってくれたので、私のようにずうっと佳林ちゃんを追っているヲタにとってはかなり満足のいくライブだったのではないでしょうか。唯一、コピンクス*の楽曲がなかったので、それはちょっと寂しかったですが。松田聖子さんのカバーなどもあり、佳林ちゃんの趣味を堪能できる一面もありましたね。

と、こんな風に佳林ちゃんの色々な面が観られるセトリだったわけですが、特にソロ曲では佳林ちゃんのソロアイドルとしての自由な表現力が堪能できたように思います。グループでやっているときはやっぱりある程度表現に制約がかかるものなんだなぁ、と逆説的に実感しましたね。1曲の中でも緩急をつけたり、声音の使い分けであったり、細かいところでは髪を振り乱してパフォーマンスする姿だったり、「やりたいことを詰め込んでいるなぁ」という印象でした。

そして、ここまでちゃんと触れてきませんでしたが、一緒にパフォーマンスしてくれていたハロプロ研修生ユニットの4人も素晴らしかったです。恥ずかしながら、私は研修生には疎くて、ちゃんとパフォーマンスしているのを観るのは初めてだったのですが、みんなレベルが高くて良かったです。個性も感じられましたし、遠目ながらみんな可愛かったです。

これはちょっと失礼なことかもしれませんが、ハロプロ研修生ユニットの4人と佳林ちゃんのパフォーマンスを比較することでも、「やっぱ宮本佳林はすげぇな!」と思うことができます。さすがにダンスのパワフル度合はダンスに集中している研修生ユニットの子たちの方が上回っている場面も多いですが、佳林ちゃんは歌いながらでも見せ方がずば抜けていて、しなやかな体使いや要所要所でのキレはまさに玄人という感じでした。ライブで表現することが好きなんだな、と伝わって来るのも佳林ちゃんの良いところです。

最後に言っておきたいのは、ライブを終えて会場を後にするとき「元気もらえたな!」と胸が暖かくなったということです。佳林ちゃんが「元気を与えたい!」と強く思っているからこそ、こういう気持ちになれたのだと思っています。その健気で熱い気持ちが伝わってきたことが何よりも嬉しかったです。

 

3.ダリア(ツアータイトル)について

「ダリア」についてネットで調べると、開花時期が夏から秋にかけてということでまさに今の時期になりますね。前回ツアーの「アマリリス」は春から夏にかけてのお花なので、時期に合った花の名前をツアータイトルにしているのだということがわかりますね。ちなみに「ダリア」の花言葉は、その見た目の通り「華麗」や「優雅」、「気品」などがあるそうです。

 

種類別】ダリアの育て方|冬/苗/プランター/鉢植え - ガーデニングについての情報なら家事っこ

 

ライブ開幕時、緞帳がゆっくりと上がる中、佳林ちゃんは1輪のダリアを手に持ちながら座った格好でポーズを決めていました。そして、ショパンの「英雄ポロネーズ」の流麗なフレーズが流れる中、ステージ中央の花瓶にその1輪のダリアを活けるシーンからライブがスタートしました。黒くスタイリッシュなテーブルの上、ガラスの花瓶に活けられた美しいダリアは最初のブロック(1曲目~3曲目)までステージ上で佳林ちゃんのパフォーマンスを見守っていました。特に最初のブロックの楽曲は、「ダリア」の雰囲気にマッチするような大人っぽく、艶やかさのある楽曲だったと思います。最初にツアータイトルの「ダリア」を回収するようなパフォーマンスだったので、観ていて心地よかったですね。ツアーに向けての確固たる意志が感じられるのは素敵なことです。

MCを挟んで4曲目からは、一旦「ダリア」はステージの後ろに片付けられ、ライブは新たな展開を見せることになります。4,5曲目が新曲だったので、MCで軽く触れる必要があったのかもしれませんが、特に4曲目の「イイ女ごっこ」は「ダリア」の雰囲気にもよくマッチする、マイナー調の大人っぽくてお洒落な楽曲だったので、4曲目までを1ブロックとしても良かったのかとも思いますね。ただ、最初のMCで挨拶をすることを踏まえると、新曲の話題を入れるのは内容がごちゃっとするから仕方なかったのかなとも思います。こうして落ち着いて記事を書いていると腑に落ちますね。

それからしばらくは「ダリア」というタイトルからは離れて様々な楽曲が続きます。5曲目の新曲「Happy Days」は元気で軽やかな感じの楽曲だったので、ここからはライブの雰囲気は一変しました。カバー曲のブロック、ハロプロ研修生ユニットのパフォーマンスと続き、最後は佳林ちゃんも合流して「彼女になりたいっ!!!」。

そして、また佳林ちゃんのソロ曲をやった後に、ダンスパートが始まるのですが、ここで再び「ダリア」が登場します。この花瓶に活けられた「ダリア」の傍から始まるダンスパートが雰囲気Maxで素敵でした。ダンスもかなりカッコ良かったです。そして何と言っても、それに続く初のソロ曲「どうして僕らにはやる気がないのか」はシングルCD収録予定と思われる新しいアレンジで、佳林ちゃん渾身のパフォーマンスも相まって、最高の時間でした。個人的に「ダリア」という花からは生々しい生命力を感じるのですが、その生命力というものを強く感じる1曲でしたね。

ここで「ダリア」もしっかりと退場。「ダリア」の登場タイミングをよく考えることで、ステージセットを楽曲雰囲気に合わせて変えているような効果があり、きちんとステージ構成を意識しているんだなと思わされ、そのこだわりが素敵でした。

でも、いつか「イジワルしないで抱きしめてよ」、「裸の裸の裸のKISS」、「SEXY SEXY」などの楽曲も使いながら、全曲「ダリア」っぽい楽曲で固めたライブも見てみたいですね(笑)。こういう路線の楽曲は単純に私の好みでもあるので。

 

4.ハロプロ研修生ユニット

米村姫良々ちゃん、石栗奏美ちゃん、窪田七海ちゃん、斉藤円香ちゃんの4人が参加してくれましたが、申し訳ないことに私はまだ彼女たちのことをよく知らなかったので、今回はとても良い勉強になりました。というわけで、初心者の私なりに4人の印象をまとめたいと思います。

米村姫良々ちゃん:注目の研修生ということで前々から話題になっていましたが、やっぱりそのはっきりしたお顔立ちが強いですね。歌声は若干ピッチが不安定なところがあったかもしれませんが、ちょっと硬質でパキっとしたお声なのでとても印象に残りました。ダンスに関しては本当にシルエットが素晴らしく、同じ振りをしていてもアイドルらしい魅せ方がとにかく上手でした。どこか浅倉樹々ちゃんを彷彿とさせますね。とにかく目を惹く子でした。

石栗奏美ちゃん:アイドル三十六房でぱいぱいでか美さんが「ライブジャンキー」と評しているだけあって、パワーを感じさせるパフォーマンスが良かったです。背が高く、手足も長い印象ですが、それがバシバシ動いているのは見ていて気持ちが良いです。歌声もダンスも迫力があるので、岸本夢乃ちゃんっぽさがありますかね。ギャクを披露するタイプには見えませんでしたが、実際のところどうなんでしょう?

窪田七海ちゃん:ツインテールが可愛らしく、1番ぶりっ子的な感じが似合う子でした。ぴょこぴょこ感と言ったら良いのでしょうか。サイドステップも誰よりも膝を内側に曲げていて、全力でアイドルをやっているのが素敵でしたね。歌もダンスも安定して上手だったように思います。現役ハロプロアイドルだと岡村美波ちゃんらしさを感じました。絶対一定数のファンを獲得するタイプですね。

斉藤円香ちゃん:4人の中では1番素人っぽさが残っている子です。薄めのお顔ですが、品があってとても可愛いです。個人的には1番タイプでした。歌声もMCの声もほんわかしていて、そんなところも可愛らしく、踊りもまだまだ試行錯誤という感じですが、だからこそ成長が楽しみですね。そういう意味で、初期の植村あかりちゃんっぽさがあると言えるでしょうか。

4人とも既に個性があって、BEYOOOOONSからの世代は本当に自己プロデュースが上手だなぁと思いますね。MCでは「好きな先輩は〇〇さん。っと、宮本佳林さんです!」とみんなで笑いを取っていて、おそらくは佳林ちゃんの指導もあったのですが、初々しい感じも残していて素敵でした。自分たちの楽曲だけでなく、佳林ちゃんとのパフォーマンスにも一生懸命取り組んでくれていて、佳林ちゃんヲタの私は嬉しくなってしまいました。きっと今後贔屓目に応援していくでしょう。刺激をありがとうございました。

 

5.見どころ

とりあえず新曲の「イイ女ごっこ」はだいぶ好みでした。重ためでテクニカルなビートに切ない感じの短調っぽいメロディが重なっており、「ダリア」というツアータイトルに相応しい雰囲気がありました。Bメロのサビ前に一瞬だけ明るく長調っぽいセクションがあるのですが、その明るさもどこか切なさを帯びていて、そこに続くサビが引き立たされていました。間奏のダンスもカッコ良かったですね。佳林ちゃんも気持ちを乗せやすいみたいで、ピッチが怪しくなるほど声を張り上げる部分もあったのですが、メロディラインには流麗なところもあって、そこでは艶やかな声音を活かしており、1曲で色々な表現が観られる素敵な曲でしたね。同じく新曲の「Happy Days」は対極的に明るく軽やかな楽曲で、可愛く元気な佳林ちゃんを堪能できました。

赤いスイートピー」や「やっちまいな」といった佳林ちゃんが好きそうな80年代アイドルのカバー曲を見られるのも、佳林ちゃんのソロコンサートならではですよね。こうやって往年のアイドル楽曲をガチのクオリティで歌い継いでいる子がここにいるんだよ、ということを世間にも知って欲しいと思ってしまいますね。ソロになって好きなことが思うようにできるようになって良かったね、と心から思います。Juice=Juiceの佳林ちゃんももっと見ていたかったですが(笑)。ないものねだりとはこういうことでしょうか。

そして、佳林ちゃんのソロライブと言えば、この2曲。「どうして僕らにはやる気がないのか」と「氷点下」ですね。

「どうして~」の方はもう言わずもがな、佳林ちゃんのソロ初曲で配信音源にもなっていますね。2021年12月1日の佳林ちゃん23歳の誕生日には、初シングルCDの1曲として、新しいアレンジになって発売される予定です。ステージを広く使い、縦横無尽に動き回り、ピッチなんてものはそこそこにとんでもない熱量を込めたパフォーマンスが胸を打ちます。グループアイドルではここまでやったら破綻してしまうと思いますが、ソロだからこそリミッターを外してどこまでも貪欲に表現に魂を込められるのでしょう。アップフロントの中の人、橋本さんも「宮本佳林はなんかエモい」と言っていましたが、確かにその通りだとこの曲を聴くたびに思います。圧倒的なスキルを持つ佳林ちゃんがそれを投げうってまで、熱量に振り切ったパフォーマンスにこちらも息が苦しくなるほどです。思い出しても鳥肌が立ちますね。

対して「氷点下」は、繊細な表現が胸を締め付けてくれる良曲です。顔をドアップで観て、その些細な目線の変化まで追いたくなるような。佳林ちゃんが極めたアイドルとしての表現を極限まで駆使しているわけですが、今回はそこに深い情念のようなものまで乗っかって神憑り的なパフォーマンスでした。いつも最後の「でも…」のところでどんなニュアンスの表現を見せてくれるのか楽しみにしています。本公演では落ちサビのところからほとんど泣き声のようで、音程は最低限守っているという感じで、聴いている側が苦しくなるほどでした。遠い席だったのであまりよく見えなかったのですが、涙こそ流れていないものの目は潤んで表面張力ぎりぎり、声も震えていてその没入具合が最高でしたね。

アンコール明けの「未来のフィラメント」の2番は音源と同じように、声音をイケボイスとロリボイスを使い分けていて、器用なパフォーマンスが見られました。この声音の使い分けは佳林ちゃん自らレコーディング時に進言したらしく、そうやって佳林ちゃんの趣味や発想をフルに活かせているのも素敵ですよね。卒業コンサートで歌った記念碑的なこの曲をまた聴くことができて嬉しかったです。

あとは、やはり「彼女になりたいっ!!!」と「天まで登れ!」ですね。「彼女になりたいっ!!!」はMCでも話していましたが、佳林ちゃんの声が初めてCDになったつんく♂さんの楽曲です。それをハロプロを卒業した今、研修生ユニットと一緒に歌ってくれているのがとても感慨深いです。つんく♂さんが言うところの「歯を食い縛りながらも元気っ子」だった時代を彷彿とさせる若々しさで、きゅるんきゅるんな歌声が最高でした。MCでは、「歌詞がなかなか覚えられなくて、リハーサルでもずっと成功しなくて」という話から、「当時は田辺奈々美ちゃんに頼ってばかりだったから」とあの田辺奈々美ちゃんの名前も出て来て、懐かしい気持ちにさせられました。ライブ最後の「天まで登れ!」は、佳林ちゃんがJuice=Juiceに選ばれてから研修生と一緒に歌った楽曲で、これも研修生ユニットと歌っているのが非常にエモかったです。会場全体でやったウェーブも何だか心が温まりました。

 

6.コロナ禍で

最後のMCでも丁寧に喋ってくれていましたが、楽しい時間を作れるように心を込めていることが伝わって来て、素敵なライブでした。最初の方のMCでも、声援ができない分、クラップで盛り上がってくれてもいいし、じっと見てくれてもいいから、とにかく楽しんで欲しい旨を喋ってくれていて、とにかく佳林ちゃんのそのライブに対する健気な想いに胸が熱くなりました。色々と厳しい状況ですが、こんなご時世だからこそ、佳林ちゃんなりに楽しい何かを伝え、元気を与えたいと思ってくれているのがビシビシ伝わってきましたよ。いつもパフォーマンスで信頼関係を作り上げたいと言ってくれていて、今回もその通りのライブでした。

最後の「天まで登れ!」の前には、「この曲でみんなで1つになりましょう!」と煽って、パフォーマンスの後にはマイク無しで「ありがとうございました!」と元気に叫び、そして長時間にわたって客席に向かって手を振ってくれました。きっとライブを主宰する側にもどこか後ろめたさのものはあるのでしょうし、だからこそせっかく来てくれた人たちには元気を与えたいと思ってくれているのでしょう。そういった誠意の込められた公演に参加できるというのは、本当に胸が暖かくなりますし、明日への活力を貰うことができます。

改めて、ここで私からも感謝を述べたいと思います。

元気と感動をありがとうございました!

 

最後に…

私個人のことですが、昨年の10月に適応障害という病名がついて、今が9月ですからようやく1年が経ちました。この1年、とても長かったです。今は仕事にも無事復職して、こうして心身の調子を気にすることなくライブを楽しめるまでに回復したのは本当に喜ばしいことです。

本当に調子が悪いときは、ほとんど何も感じることができず、ただ苦しみの沼に溺れているだけでした。アイドルからも元気を貰うことができず、しんどかったです。こうしてアイドルのライブに行って、元気を貰って、また明日からもしっかりと生活を営んでいこうと思える…それが尊いことだったのだなと今になって実感できます。

またライブに行きたいと感じさせてくれるライブに今出会えたのは本当にラッキーだと思いました。こんなご時世ですが、次のライブに参戦することを楽しみに日々をちゃんと生き続けたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

適応障害と診断されまして… vol.70

適応障害と診断されて307日目(8月17日目)にこの記事を書き始めています。先ほど、1か月ほど放置していた書きかけの記事を投稿したばかりです。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事の最後に、記事を放置していた理由を今回書くと宣言しましたので、これからそれを始めていきたいと思います。

 

 

1.カレンダーはもうつけていない。

7月27日を最後にもうカレンダーはつけていません。カレンダーと私が呼んでいるのは、いわゆる日記のことで、どうして「日記」ではなくて「カレンダー」と呼ぶことにしたのかはもう覚えていません。

最初は何となく書き忘れていたくらいだったのですが、そのまま書かない日が何日か続き、気がつけばもうカレンダーを書かなくなってしまいました。部屋の壁にかけているカレンダーにも、×印をつけたり、「適応障害と診断されてからの日にち」、「復職してからの日にち」などをつけていたのですが、それも合わせて放置してしまっています。

そうなった理由の1番大きなところは、私の中から何か切迫したものが無くなったからのような気がします。そもそもこうしてブログなどに、日記をつけ始めたのは、適応障害からの治療の過程を書き留めておこうと思ったからでした。なので、割とこまめに感じたことや考えたことなどを書き留めていて、そんな日々が286日間も続きました。もちろん、書き忘れた日もたくさんありましたし、後からまとめて書くこともざらにありました。それでも、それなりの頻度でブログを更新して、ここまで適応障害の治療の経過を書き連ねてきました。それができたのは、私には「書くべきこと」があったからです。

何につけて文章にしないことには、頭の整理ができない非生産的な人間である私にとって、この「適応障害と診断されまして…」というブログ記事たちは、「精神病」とされる適応障害とどのように向き合いどのように治療していくかということについて思考錯誤してきた私の足跡であります。このブログを書いていたからこそ、私は自分の考え方の傾向など、「精神病」になってしまった原因を掘り下げ、それに何らかの対処を講じることができたように思います。

つまり、このブログは私にとって「治療」の一部であったと思うわけです。

だからこそ、先に述べたように私はこのブログを書くにあたって、何とも言えない切迫感を抱いており、こんがらがった思考を整理するために「書かねば!」となっていました。

そんな気持ちが7月末あたりから薄れていき、結果的に私はブログを書くことをしばらく放棄してしまっていました。では、なぜそんな治療に向けた切迫感が私の中から消えていったのでしょうか。それは、とりもなおさず、私が………

治ったから

です。

正確には私はまだ薬を飲んでいますし、日中に眠気を感じることがあったり、体力がまだ落ちたままであったり、と色々と万全とは言えない状況ではあるのですが、それでも私は半分の懐疑心と半分の確信、それからちょっとした躊躇いを以ってここに宣言します。私は無事、適応障害の治療を進め、ほぼ回復したと言えるところまで来ました!

いえーい。

と、少し恥ずかしさに頬を赤らめながら、拳を天に向けて突き上げてみます。

私にとっては治療の一部であった、このブログとカレンダーという名で呼んでいた日記。それは回復した私にはもうあまり必要のないものになっていたのでした。

 

2.長い治療生活

適応障害と診断されてから、307日が経過しようとしている今日。今日を以って、回復したというわけではなく、きっと数週間前から私はほぼ回復していると言って良い状態でしたが、明らかに体調の変化を感じたのは7月に入ってからでした。兆候は1か月の再休職をしていた6月の中旬(約250日目)くらいからあったように思います。薬に頼りながらですが、私は長い時間をかけて、自分の力で療養を続けてきました。職場にもたくさん配慮してもらいましたし、両親にもだいぶ頼りましたが、「適応障害」という病気に向き合い、「何をどうすれば良いか」ということはほとんど自分1人で勉強してきたように思います。

最初はほとんどパニック状態でした。息苦しさが抜けず、そわそわ感が治まらず、とてつもない疲労感に襲われて私は何もすることができませんでした。体を起こすのも辛いし、外に出るのも苦しいような体調が続きました。そんな病気の初期段階の私が学んだことは、「自律神経」でした。

うつ病を始めとする精神病から来る、明らかな身体症状というのはつまるところ「自律神経の極端な乱れ」であるという風に考えていました。それはそれで間違っていなかったと思います。不調はあくまで身体症状であると認識していた私はまず生活習慣から見直し、色々なルーティンを作り上げることに力を入れていました。中でも入眠ルーティンを作り上げたのは、大きな成果であったように思います。それまで私は「健康」というものを軽視してきたので、改めて「健康な状態とはどういう状態か」ということを睡眠や食事といった切り口、それから自律神経の成り立ちという視点を介して勉強しているのは楽しかったですね。そこで学んだことは今の生活にも色々と生きています。

しかし、そのように「身体面の体調を整えれば良いのだ」という考えは、つまるところ私がまだ「心の在り方」を軽視していたことにほかなりません。私は適応障害になるより以前から、ずっと「死にたい」という気持ちを抱えながら生きて来ていました。事実、私は長い間、自分のための創作物の中で、何度も主人公を自殺させたりして何とか心の平衡を保っているような有様でした。今回の適応障害という病気は、転勤に伴う事故のようなものであるという考え方があったわけですが、その背後要因にはそのような長い期間にわたる私の心の状態があったことに私も薄々勘付いていました。

それをはっきりと認識するきっかけになったのは自殺未遂です。

良くも悪くも私のそれまでの人生の目的は「死ぬこと」でした。部屋の壁の強度の問題で偶然死ななかった私は、臨死体験のようなものをすることができました。それによって、それまでの私の人生の目的は仮達成されたわけです。それにより、10年近く私を苛んできた希死念慮は1つの到達点を見て、私の中で明らかに価値観が変容しました。もちろん、自殺未遂をする前後は酷い精神状態・体調でしたが、自殺未遂をして数週間すると「もう死にたいと思わなくていいんじゃないか」と思えるようになりました。

これは私の中では結構自然な感情の流れであり、というのも、繰り返すように私はかなり本気で「死にたい」と長年考え続けてきたので、その欲求が仮達成されてしまうと私には次の目的地を探そうという気持ちが芽生えたのです。これによって、私は身体面だけのケアだけでなく、新しい目的地を探しがてら、心のケアも始めていくようになったのです。「嫌われる勇気」のようなより精神面に近いような書物も色々と読むようになり、人生においてどのような考えを持てば、より辛くない人生を送れるかということを考えるようになっていったわけです。それまでの私はいかに苦しみを享受し、それを自分なりの文章に置き換えたり、自分の苦しみを様々な芸術作品と共鳴させるようなことで鋭い幸福感を得ようと躍起になっていました。そのような人生のベクトルから離れることがやっとできるようになったのです。

「もう死にたいと思わなくていいんだ」という1つの転換点は私にとってはとても大きなもので、そこから色々なものがようやく変わっていったように思います。自殺未遂から数か月かけて私は会社を休職しながら、かなり前向きな考え方を持てるようになってきました。

その中で1つ私が意識して頑張ったことは、両親との関係の修復です。別に私は両親と何か確執のようなものがあったわけではないのですが、ずっと「この人たちとは一生わかり合えないだろう」と考えてきました。というのも、私はずっと「死にたい」と考えていたわけで、そのことが根幹にあったために、両親には正直な気持ちを打ち明けられずにいました。自分のこの希死念慮をこの社会の人たちは誰も認めようとはしないだろう。ならば、誰ともわかり合えるはずはない。と、両親どころか全ての人間を忌み嫌っていたわけです。それ故に、私は誰にも心を開くことができない人間になっていました。しかし、病気を患う中で、私は致し方なく両親の前で号泣する羽目になったりと、酷い状態が続いており、次第にプライドのようなものもなくなっていきました。そして、最終的には「もう死ななくていいんだ」と思えるようになってから、ようやく私は両親に対して、ちゃんと自分の気持ちを説明することができました。今まで「死にたい」と本気で思っていたこと、そして今回の病気の原因の根幹にはそんな自分の価値観があるということ、そんなことをようやく話すことができたのです。

私には帰れる場所が必要でした。高校卒業と同時に1人で暮らすようになり、その中で随分と孤独と戯れて時を過ごしてきましたが、ここまで心身共に弱っている状態では、もはやどこか温かい場所で療養するか、また孤独のもとで首を括るしかないという状況でした。そして、私は死ぬことをやめたわけですから、恥も外聞も投げ捨てて、温かい場所で療養するしか選択肢はありませんでした。それが私にとっては両親のもとだったわけです。

結果的に、この両親との関係性の修復は私が社会生活を取り戻すうえでは大切な一歩になりました。それまで私は他人に対して心を打ち明けたりできず、気を使ってばかりで疲れるので人間関係というものが億劫で仕方ありませんでした。だから、私は誰かを遊びに誘う事なんてできませんでしたし、まったりとした感情で他人と話すことも難しく感じるような人間だったのです。お酒を飲んで何もかもどうでも良いというときしか、落ち着いて他人と過ごせないという感じですね。しかし、この両親との関係という1歩から始め、そんな自分を少しずつ変えることができるようになってきたと思います。ようやく私は他人との関わり方を学んだわけです。それが私と社会と向き合うためにとても重要であったことは言うまでもありません。

一度復職してからも私は体調不良が続き、これは薬が合っていなかった疑惑もあるのですが、結局無理が祟り、また自殺未遂をすることになったりもしました。しかし、私の中では色々なことが少しずつ変わっていっていたのです。

1つ目には両親との関係性が良好になってきたことによって、「もう無理だと思ったら、実家でフリーター生活をする」というかなり横暴な選択肢を両親にも受容してもらえました。これが私の1つのセーフティネットになったわけです。そして、それまで何かと「耐える」ということばかりだった私と社会との関わり方も少しずつ変わっていき、「もうこの職場では無理そう」ということを産業医を含めた上司との面談で訴えることができました。これを経て、私はようやく配置転換の切符を手にすることができました。これが2つ目の私にとっての大きな変化です。両親の次は、会社に甘えることができました。

そして、その産業医との面談でカウンセリングを無料で受けられる会社の制度を紹介してもらったり、同じく適応障害に罹っていた同期と連絡を取ることもできたり、私の周りで具体的なサポート環境が整っていきました。カウンセリングや同期との会話や、同期から紹介してもらった本を通して、私の中で少しずつ「回復のために目指すべきところ」が明確に見えてきました。

身体面の調子の整え方を最初に勉強しました。そして、次に私を苦しめる元凶であった私の「死にたい」と思い続けるという価値観を改めることにもなりました。しかし、それでも、私は相も変わらず心身ともに不調があり、そのことが社会生活を営むうえで大きなハードルになっていました。身体面、精神面ともに私は改めたのになぜまだ万全な状態でないのか。それが私にはわからなかったのです。

職場が変わり、そこで少しずつ慣れていけば、自然と治るものなのか。では、そこではいったい何を以って治ったとすれば良いのか。不調に慣れるのと、治るのは何が違うのか。そもそも私のこの心身に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体は何なのか。それが私にはまだわかっていませんでした。しかし、その答えがカウンセラーと会社の同期のおかげでようやく見えてきたのです。

 

3.うつ病適応障害)って何だったの?

上述の私に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体、それがすなわちうつ病適応障害の根幹だったのです。もちろん、自律神経の乱れに見られるあからさまな身体面の不調、それから希死念慮に強く執着する誤った価値観というのも、精神疾患と密接に関係しているものでしょう。でも、よくよく考えて見れば、私は適応障害になる以前にも夜勤続きのせいで自律神経失調症になったことがありますし、希死念慮への執着なんて10年近くも続いていたものでした。しかし、適応障害と診断されてからは明らかに何かが違うのです。「明らかに」という言葉を使いましたが、それが何なのかを説明することはそれまでの私にはできませんでした。それが何なのかを教えてくれたのは、同期が勧めてくれた本でした。

そこでは「うつ病とは反芻思考である」と書いていました。その頃には私は反芻思考というものがうつ病の症状であると知っていましたし、反芻思考を止めるテクニックを色々と知ってもいました。その1つは、前に書いた記事でも紹介した「逆回転、逆視点」などを用いたものですし、広く知られているのはマインドフルネスなどがありますね。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

しかし、今になって思うのは、反芻思考自体がうつ病であったのかな、ということです。一度、うつ病になると心身の調子が狂うことに恐怖するようになります。さらには自分のこれまでの経験や歴史、持病や持って生まれた考え方などにも恐怖するようになってしまいます。簡単に言えば、「こんな自分がまた社会生活に戻れるのだろうか」や「社会に戻ってまたストレスを抱えたら今度こそ壊れてしまうのではないか」といった恐怖心を常に抱いている状態が、私の考える反芻思考です。

言ってみれば、全てのことに自信が持てなくなるのです。

そして、その自信の無い自分に捉われてしまう。それがすなわちうつ病だと思うのです。この恐怖心は、過去の失敗(うつ病になってしまったこと)から来るものでもありますし、未来の失敗(うつ病が酷くなってしまうこと)から来るものでもあります。ですから、マインドフルネスなどでは過去や未来から離れて現在に集中することで、この絶え間なくもたらされる恐怖を知覚し、そこから逃れる方法を勉強するわけです。

ですから、私が言いたいこともまさにそれになります。うつ病によってもたらされる絶え間なく続く恐怖心は、それを恐怖と認識できないことに1つの難しさがあります。それは、スマホやパソコンなどで行われているバックグラウンドプロセスのようなもので、気づかないうちに私たちの脳の処理能力を割いてしまっているのです。

・外に買い物に出掛けよう(できるだけ外界からの刺激を減らすためにイヤホンをしていこう)

・夕食を食べに行こう(生活リズムが崩れると嫌だから、できるだけ早めに帰って来よう)
のように、自分ではあまり気にしていないつもりでも、病気のことを考えて少し及び腰になっているような状況が私は続いていました。最初は、ただ外に出るだけでも相当キツかったので、こんな風に考えられるようになっただけでも私はだいぶ回復していたとは思うのですが、最後はこの思考のバックグラウンドプロセスに調子を狂わされ続けていました。

これを断ち切るのは難しいものでした。認知行動療法やマインドフルネスなどを通して、気づきを得ることもできましたが、1番大切だったのは「今はこれでいい」という言葉だったように思います。細川貂々さんの著書である「それでいい。」の中で使われていた言葉ですが、私は医者に病気と診断されるくらい痛めつけられていたわけですから、不安になるのは当たり前のことですし、心身の調子が崩れるのは当たり前のことでした。しかし、本当なら耐えられるほどの不調にも怯え、そのことによって余計に調子を崩しているのがその頃の私の現状でした。そんな私にとって、多少の不調は織り込み済み。だから、ちょっと調子が悪くても「今はこれでいい」と思えるようになることが、最後のその「なんか嫌な感じ」を受け入れるためにとても重要だったのです。

「あぁ、なんか今、嫌な感じが来ているなぁ」とまずは気づいてあげる。それは、これまでの勉強を通してできるようになったことです。そして、そこでその「嫌な感じ」に何らかの対処をしようとしたり、不安になったりするのではなく、ただそこに「嫌な感じ」があることを認め、「いやいや、これくらいの嫌な感じはあって当然でしょ。だって、まだ治ってないんだし。申し訳ないけど、もう君に恐れおののいて、あれこれ慌てふためくほど、私も病気歴が短くないんだよ」とどっしり構えるのです。これが続けてできるようになり、そして実際にそれ以上に調子が崩れないという自信を得たことにより、私はこうしてこのブログで「治りました」宣言をすることができるようになったわけです。

どうやって治していくのか。

うつ病はよく心のサインを無視し続け、理性や何やかやで縛り付け、結果的に自己虐待を続けたことにより発症するものとされています。私もその通りだと思いますし、事実私の発症経緯もそのような感じでした。そして、一度発病すると社会生活を営むことが難しくなるので、そうなったら大人しく休養するしかできなくなるのが普通です。幸い私は休むことができたので、それなりにゆっくり休みました。同じ病気に罹った同期に私の話をすると、「全然休めてない!」と怒られますが、それでも私はまだ休めていた方だったようにも思います。幸いなのか、守らなければならない家庭もありませんでしたし。

身体症状は生活習慣を整えることで大きく回復すると思います。がちがちにルールを決めると、逆にそこから逸れたときに不安が増すので難しい部分もありますが、それでも少しはルールを決めて、生活から体調を整えていくことは大事だと思います。というのも、うつ病などで苦しいときは、そもそも朝起きることができなくなったりするので、できる日だけでも健康的な生活を意識することは、負のループに入らないためにも大事だと思います。ご飯が食べられたとか、シャワーを浴びれたとか、そういう小さなことの積み重ねが自信に繋がりますし、回復の一段階だと思います。

もちろん身体症状と心は密接に関係しているので、心のケアも大切です。フロイト的な過去のトラウマを遡ったりすることは、むしろ心を痛めつけることになるからやめた方が良いと色々な本で書かれています。しかし半分はその通りだと思いますが、半分は私は反対意見ですね。過去に捉われても何も良いことはありませんが、自分の考え方の傾向を知って、現状を知ることは必ずしも無益とは言い難いです。特に、私のように、確固たる考えを以って自己虐待を続けてきたような人間にとっては、結局のところそこに折り合いをつけないことには、どこにも進むことができません。そのためには自己分析は必要なことに違いないでしょう。ただ、私とは違い、「本当は幸せになりたいのに!」と考えている方にとっては、やはりそういった過剰な自己分析は必要ないのかもしれませんね。

結局のところ、有用なのは広い意味での「認知行動療法」と「マインドフルネス」であることは、私の発病当初の見立てと変わりありません。それと、既に社会生活に復帰しつつある方は「ストレスコーピング」ですね。

うつ病は脳の病気だから、心なんて関係ないということもあるのかもしれませんが、心に原因があると少しでも思っているのであれば、やはり「認知行動療法」は欠かせないと思います。よくある「上司が挨拶を返してくれなかった」⇒「何か悪いことをしたのか」⇒「不安、焦り」⇒「いつも失敗ばかりの自己嫌悪」⇒「消えてしまいたい」のようなわかりやすい認知の歪みでなくても、「眠い」⇒「疲れやストレスが溜まっているのかもしれない」のようなレベルの認知の歪みだってあります。「眠い」⇒「今日は仕事を軽めにして早く寝よう」と思えるだけで、だいぶ心の負荷は軽くなりますからね。ちゃんと自分の心に負荷がかかっていることを「認知」し、負荷方向に向いているベクトルを変えるような「行動(自動思考を意図的に制御)」することを細かく積み重ねていくことが大事だと思います。発病して間もない頃は、「仕事は休んだっていいんだ」と思えるようになることなどを、認知行動療法を通して身に着けたいところでしょうし、だいぶ回復して来てからは、多少の不調も「まだ完快していないんだから、こんなもん。今はこれでいい」と思えるようになることを身に着けたいですね。

「マインドフルネス」は何も瞑想の達人になれというのではなく、頭のスイッチの切り替え方を身に着けられればそれで良いと思います。マインドフルネスが1番意識して勉強しやすいと思いますが。とにかく、うつ病と言えば、自動思考や反芻思考で、ぐるぐると嫌な感じが頭を巡っている状態なので、それを断ち切る方法がどうしても必要なのです。最初は「筋トレしてる時だけは、頭からっぽにできる!でも、筋トレをやめて少しするとまた嫌な感じがぐるぐるする…」という感じだったりするかもしれません。大切なのは、「頭のスイッチを今切り替えているんだ」と自覚することです。そして、最終的には「いつでも自由に頭のスイッチを切り替えられるようになる」ということです。今の私はだいぶ早い段階で「嫌な感じ来てるな」と知覚し、「さぁ、これ以上、嫌な感じには捉われないぞ!」とすることができます。もはや何か具体的な行動を起こさなくても、「嫌な感じに捉われないぞ!」と意識するだけで、自分の気持ちを変化させる言葉や思考が頭に浮かびあがり、うまく自分をコントロールできるようになってきました。大切なのは、自動思考や反芻思考にのさばらせないことなわけです。

そして、当然ながら社会生活を営んでいれば、色々なストレスに見舞われるため、それをコーピングするのも大切です。私は両親との関係性を改善できたことから、少しだけ人間関係全般に自信が持てるようになり、友人と積極的にコミュニケーションができるようになりました。今では、そうやって他人と話すことがコーピングの1つになっています。1年前の私からでは考えられなかったことです。特に私は生活を蔑ろにしがちな傾向があるので、植物の世話をしたり、洗濯物をしたり、そういった生活に根差したことにも気を配るようになりました。強く控えていたお酒もたまには飲むようになりましたし、色々と変かはあったように思いますが、それは意識的に私がコーピングを行っている結果と言えなくもありませんね。ギターを歌いながら、わぁわぁ歌うのは前から変化ないことですが。そして、こうやって文章を書くことも。

そのようにして、私はようやく自分で「治った」と言えるところまで来ました。もちろん、自分だけではどうにもならなかったこともあります。特に1番大きかったことは、会社で配置換えをしてもらったことでしょう。関わる人が変わり、業務体系が変わり、私にとってだいぶやりやすい環境になりました。大きな不安や、躊躇いがあったことは言うまでもありませんが、結果的に会社に配置換えの希望を出したことは正解だったように思います。そういう希望が通る会社であったことは幸運だったと思います。しかし、何よりも私は私自身が変わったのだという気持ちの方が強いです。今の私なら前の職場でもきっとやれると思えますし(かと言って、戻りたくはないですけど笑)。

ともかく、先の事はまだ何もわかりませんが、現時点では私は「治った」と考えています。このブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、本当にこれまでありがとうございました。

具にもつかないことをだらだらと喋り倒す、酷いブログであったことを心からお詫び申し上げるとともに、改めて感謝の気持ちを捧げます。

 

最後に…

まだ不安はあります。でも、それと同じくらいの自信は得られました。せめて薬を完全にやめられるまでは、しっかり気をつけて、自分を大切に生きていこうと思います。

何か新しい、主人公が死ななくて済む、自分のための創作物を書きたいです。

 

次回

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