霏々

音楽や小説など

梁川奈々美 卒業によせて

3月11日、月曜日。

梁川奈々美さんがハロープロジェクトから卒業し、アイドルから普通の女の子へと戻りました。

 

私は現場に行くことも、その他の手段でも卒業ライブを見ることができませんでした。仕事が忙しく、また夜勤などもあって生活が非常に不規則ということもあって、自分がいま寝ているのか起きているのかもわからないような状況ですが、心の中には漠然とした寂しさが漂っていて、頭上には厚い灰色の雲が広がっている感じです。

 

とは言え、まずは…

やなみん、卒業おめでとう!

です。

 

本来ならばそれ以外に言うべきことはないと思います。

が、寸暇を惜しんで様々なメンバーのブログを読んでいたら、どうしても頭の中がごちゃごちゃしてきたので、「寝ている場合じゃない。何かを書かなければ」と自分を奮い立たせて、今この文章を書いています。本当なら今すぐ仮眠を取って、今夜の夜勤に備えなければなりません。しかし、急に明日は夜勤明けで1つ業務が入ってしまい、いま書かなければ、比較的まともな状態で何かを書くということができなくなってしまいそうです。私がいま抱いているこの感情がぼやけてしまう前に、私は書かなければ…

 

と、そんな前置きをしている時間もないので、とりあえずやなみんの卒業に合わせて、メンバーの皆が書いたブログを読んだ感想から、私のやなみんへの想いまでをまとめたいと思います。

 

まず、全員のブログに共通していたことについて。

カントリー、J=Jのメンバーともに、やなみんに対しては、

 

1.おしゃべり

2.よく気づく子

3.繊細が故に苦しいこともあっただろうけれど、頑張って強く見せようとしていた

 

という印象があるようです。すごいざっくりとした人物評になってしまいましたね。

1番と2番に関しては、カントリー時代から発揮されていたやなみんの特徴だと思いますが、3番に関しては兼任が始まってから見え隠れしてきた部分だと思います。いや、もしかしたら、嗣永桃子さんが卒業したのが一番最初のきっかけかもしれません(まぁ、時期的には完全に一致している訳ですから、兼任かももち卒業かを切り分けることはできませんけどね)。

全て私の勝手な推測になりますが、嗣永さんがカントリーでPMを務めていた時代は、ある意味では全ての場面が嗣永さんによって制御されており、言わば「守られた場所」でのびのびと暮らすことができていたと思います。そこでは、自分の個性は嗣永さんによってデフォルメされ、ファンの皆さんにはとてもわかりやすい形で認識されていました。

嗣永さんが卒業してからも、カントリーのメンバーであればまだ、やなみんの個性を微妙なニュアンスの部分まで含めて理解しており、そこで自分の長所を押し出していくことができたと思います。しかし、兼任先のJ=Jではそう上手くはいきません。それはJ=Jのメンバーがやなみんを活かしきれないとかそういう話ではなく、そもそもグループ自体の構想が異なり、メンバーへのスポットライトの当て方が違うのが根本的な問題なのです。先ほど私は「デフォルメ」という言葉を使いましたが、「デフォルメ」というのは対象をある一定の方向から伝えやすくするための手法であるため、あらゆる方向に精通するという意味ではありません。「自撮り詐欺」という言葉が一時流行りましたが、嗣永さんの力によって、ある一定の方向からの「映り」を磨いたからと言って、あらゆる方向からの視線に耐えうる人間になれるというものでもないのです。そういう意味では、嗣永さんのアイドル・タレントとしてのプロデュース力はまさに怪物級と言えました。

それが嗣永さんが卒業してからは、自ら自分の見せ方を模索しなければなりません。それはカントリー全員に言えることでしたが、ハロプロ新体制が始まり、ちぃちゃんとふなっきもやなみん同様、他グループとの兼任を始めます。

圧倒的な可愛さと不屈の精神を持つちぃちゃん。

器用に何でもこなし、あらゆる方面に芸能の才能を秘めているふなっき。

2人ともその自分の強みを発揮し、グループに溶け込んでいき、グループの中でも重要な位置を獲得します。

そんな風に活躍する2人がいるからこそ、「そんな2人と比べて、私にはいったい何があるんだろう」と思ってしまっても無理はないと思います。というか、私だったらそんな状況は絶対にキツいです。もちろん、自分と同じ立場の仲間が頑張っているというのは励みにもなるでしょうが、それと同じかそれ以上に、焦りや自分に対する失望という負の感情も生まれてくるものでしょう。私自身、そういう経験は何度もあります。

そして、こんな言い方は酷いし、失礼だと重々承知していますが、「学業優先」という免罪符のようなものがある、りさちゃんとおぜことは、やなみんの置かれた立場は全く異なるものだと思います。もちろん、りさちゃんとおぜこの2人には、2人にしかわからない苦しみ、そして何よりも「私たちはいったいどうなるのだろう」という不安があります。が、「他人と比べられる」という立場にあるやなみんが感じるプレッシャーはハンパなかったと思います。

ましてや、やなみんが加入したグループはJ=Jです。ハロプロ屈指のステージスキルを誇り、デフォルメ云々ではなく、圧倒的な地の強さが求められるグループに加入するにあたっては、迷いのない自分の武器が必要となります。やなみんの同期のるーちゃんは情熱的な歌(そして、実はダンスも)。後に加入することになるまなかんはバキバキのダンス。やなみんはやなみんで、おしゃべりをして周りの空気を和ませる力や、愛され力みたいなものが強みではありますが、J=Jというグループが求めるものの多くは、わかりやすくパフォーマンス力なわけです。そういうグループに加入したのだから、当然そういう側面から周りには見られ、そして期待されます。

そういう訳で、カントリーで兼任を始めたちぃちゃんとふなっきの2人だけでなく、J=Jのメンバーとも比べられます。ましてや、やなみんはカントリーというグループを背負ってもいるわけですから、それはそれはもう考えられないほどのプレッシャーだったと思います。

 

やなみんはとっても頑張っていたと思います。やなみんのスキルアップの速さは目を見張るものがあり、「アイドルの成長する過程を応援したい」派の多くのファン(私を含めて)が、やなみんに注目していたように思います。

でも、比較対象は常に「現在位置」です。そして、あろうことかJ=Jというグループはどれだけスキルを磨いても、それに満足せずさらに高みを目指すような人間の集まりです。せめて周りが怠けていたら、「今のうちに追い越してやる」と自分を発奮させることもできますが、「自分より優れている人が自分より努力している」という現状が、劣等感のようなものを与えないわけがありません。もちろんJ=Jのお姉さん方だって、そのことに気がつかないわけはないですし、だからこそ、やなみんを精一杯甘やかしてやろうと思っていたはずです。J=Jのお姉さん方のブログには必ず、「もっと頼ってもらえるようにできれば良かった」「もっと甘えてもらえるようにしたかった」という言葉がありました。でも、きっとそんな優しささえ、やなみんには辛かった部分もあるでしょう。J=Jのメンバーだって必死な訳ですから、立ち止まってやなみんを待ってあげることなんてできません。でもだからと言って、置いていく訳にはいかない。そんな「ねじれ」みたいなものがJ=Jというグループにはあったように思うのです。

そして、その「ねじれ」に苦しまないやなみんではありません。そんな現状に気付かないほど、間の抜けた子ではないですし、かと言って、あっさりと開き直ってしまえるほど不誠実な子でもないです。賢く、真面目で、誠実なやなみんだからこそ、悩んだと思います。

 

もし、そもそもカントリーに在籍していなかったら…

 

最初からJ=Jというグループに完全な新人として加入していたら、スキルの面で周りよりも多少劣っているという立場も受け入れられたかもしれません。

 

しかし、やなみんはカントリーに加入してすぐに嗣永さんの力によって自分の個性・そして立ち位置が確立され、アイドルとして自信を持つことになりました。しかし、その自信はどちらかと言うと、嗣永さんによってデフォルメしてもらった主にキャラクターの面での自信であり、J=Jが歩いてきた道のりとはベクトルが全く異なるものです。兼任が始まり、カントリーを背負いながらも他のグループで活躍するちぃちゃんとふなっきの2人を見上げ、そして、完全な新人にも関わらず新人離れした歌唱力を持っていてJ=Jというグループのコンセプトにも合致したるーちゃんを横目に、やなみんが感じたプレッシャー・恐怖心というのは計り知れないものがあります。

そして、その苦しみに拍車をかけたのが、カントリーという過去があることで、「逃げる」という選択肢が奪われてしまったことです。「私はまだ新人だから」という逃げが許されず、完全な板挟み状態です。

やなみんの苦しみについて語られるとき、ネットを見る限り、「J=Jに加入したから(させたから)だ」という意見がほとんどです。でも、私は思うのですが、「J=J加入のせい」にするのと同じ分だけ「カントリーに加入していたからだ」とも思うのです。カントリーに加入していたから、やなみんはJ=Jで「一歩遅れてついていく」というスタンスが許されず、苦しむことになったのではないか。私はそう思えてなりません。

「てことは、いずれにせよ、兼任なんてシステムが悪いんじゃん」と安易に言うこともできますが、ちぃちゃんとふなっきは兼任を成功させていますし、私個人的にはやなみんだって成功していたと思うのです。もちろん、苦しいところはあったに違いありませんが、やなみんの努力を見たJ=Jメンバーが何も感じなかったわけはありませんし、少なくとも、どんどん成長していくやなみんのパフォーマンスを見るのは、成熟したJ=Jを応援する上でとても刺激的なコンテンツだったと思います。

そして、SEXY=SEXYという楽曲に代表される、やなみんの陰影に富んだ表現はこれまでのJ=Jにないものでしたし、作り物ではない儚さが彼女にはあったように思います(佳林ちゃんのパフォーマンスも儚さということではかなりレベルが高いですが、佳林ちゃんの場合、地の人間が強すぎなんですよね笑 儚さを表現はできるけれど、佳林ちゃん自身が全く以て儚くない。ストイックなエネルギーが溢れ出ています笑)。

そして、実際にやなみんは決して長くはないアイドル人生を全うし、儚く普通の女の子へと戻っていきました。

例えば、ゆうかりんやうたちゃんもまた、儚いアイドル人生を過ごした女の子たちです。私自身その2人を思うと、未だに「あぁ、なんてもったいないことを」とか「あぁ、めちゃくちゃ可愛かったなぁ」と悲しくなりますが、何というか、やなみんの場合ちょっと質感が違うんですよね。

やなみんの持っている「賢さ」や「誠実さ」というものが、色んな人の心に「後悔」を残していったように思います。「引き留める」とかそういうレベルの話ではなく、何というか「救えなかった」という無力感がハンパないのです。もちろん、ただのファンである私に何かができるわけではないのですが…そして、何もできないというだけでなく、苦しみながらもやなみんらしく、「誠実であろう」と努力し続けていたその姿にこそ魅力を感じていた私は、とても罪深い人間だと思わされます。

 

「カントリーのメンバーに恥ずかしい姿は見せられない」

「お世話になっているJ=Jのメンバーに迷惑はかけられない」

 

そんな板挟みの中で、真摯に努力を続ける彼女の中に生まれた不安や葛藤、焦りが滲み出て、やなみんのパフォーマンスは狂おしいほどの儚さを纏っていました。そして、その儚さを携えたまま、やなみんは卒業していきました。

 

ある意味では完璧なんですよね。

もしも、賢い女の子の儚さを描くとしたら、このタイミングで卒業するしかなかったとさえ思います。

言い方は悪いですけど、不治の病系の映画ではヒロインが死ぬべきですし、そういう意味でやなみんの残した軌跡は、実に芸術的かつエンターテイメントであったと思うのです。

 

でも、こうして実際に卒業されてしまうと、「いや、芸術性とかどうでもいいじゃん。これは現実世界の話でしょ?」と思わずにはいられないのです。単純にもっと応援していたかったです。苦しみを耐え抜いた先に見える、一見凡庸にすら見える成熟した姿でのアイドル卒業まで。こんなに聡明で、愛嬌があり、努力家である彼女がそこまで辿り着けなかったなんて、何というか世の中理不尽過ぎですよね??

いや、たしかにこのタイミングでの卒業は、色んな人の心に色んな感情を残したと思いますよ? でも、肝心のやなみんの想いってどうなのよ? 仮にもう「自分のアイドル人生はここまで」と本人が割り切れていたとしても、本当にそれはそんな風に割り切れて良い想いなんでしょうか。そこまで大人にならなくても良いんじゃないでしょうか。「将来のことを考えれば、ここでアイドル人生に区切りをつけた方が良いんじゃないか」なんて打算は建前に過ぎないと思いませんか? 「卒業すべき理由」をやなみんに羅列させていたのだとしたら、それは私たち世の中すべての人間が反省すべき、恥ずべきことだと思います。大袈裟に言いすぎたかもしれませんが…

芸能の世界で大きな成果を残すには、才能と運が必要でしょう。でも、私が言っているのはそういうことじゃないんです。せめて、カントリーガールズ・J=Jというアイドルグループで、やなみんという素敵な女の子を最後までアイドルでいさせてあげることくらいは、それくらいはできてよかったんじゃないか、と。

 

少なくともJ=Jのメンバーのブログからは、そんな口惜しさのようなものを私は感じました。ほぼ全員が、やなみんのことを「弱いけど強い」、「器用そうに見えて実は不器用」みたいな感じで評し、その上で「もっと手を差し伸べてやれていたら」というようなことを書いていました。

対して、カントリーのブログからは(と言っても、現時点ではりさちゃんとおぜこしか、ちゃんとしたブログを書いていませんが)、どちらかと言えば前向きにやなみんを送り出す言葉が書かれている印象でしたが、その点はある意味では嗣永さんの残したアイドルとしてのプロフェッショナルさがきっちりと刻み込まれていることを私は感じました。実際、カントリーのメンバーにはJ=Jのメンバー以上にどうしようもないことだったと思います。だからこそ、前向きに送り出してやることしかできなかったのかな、と。

 

まぁ、真相なんてわかりっこありませんし、仮に本人に本心を尋ねられたとして、はっきりと「こういう想いでした」と言い切ることなんてできないことだとは思います。

ただ、やなみんにはやなみんの良さがあって、それは決して額面通りの「儚さ」と置き換えてしまえるほど単純なものではなかったと思います。結果的に、やなみんはこれだけ早いタイミングで卒業を迎え、儚く美しく有終の美を飾ってしまいました。それは一つの金字塔のようなものでありながら、他の可能性を打ち捨てるという結果にもなってしまったと思うのです。何度も言うようですが、私はやなみんのように聡明で、誠実な女の子には、もっと穏やかで指先で触れて確かめられるような、そんなアイドル人生を歩んで欲しかったです。やなみんにはきっともっと色々なものが残せたでしょうし、もっと色んなことを為し遂げられたと思います。間違いなく、やなふながカントリーとハロプロに伝説を残したでしょうし、やなるるが作り上げるJ=Jという未来が楽しみじゃない人なんていなかったと思います。やなみんは確実にカントリー、J=J、ハロプロに必要な人間で、それはやなみんが明るくて、賢く、誠実な女の子だったからこそそう思えるのです。

 

さて、自分でも何を書いているのかわからなくなってしまいました。書いているうちにどんどん悲しく、寂しい気持ちになってきましたが、私の中でのもやもやは少し晴れたように思います。

やなみんが必要だった。

その言葉に辿り着けただけで、いま、私は私を褒めてやりたい気分です。

 

結局、一睡もせず夜勤に向かうことになりそうです。寝不足は辛いですが、気分はいくらかすっきりとしたように思います。むしろ、朦朧とした意識の中で、やなみん卒業のブログを書くことになっているという状況が悔しいです。もっと、ちゃんと意識のはっきりしているときに、しっかり時間を取って書きたかった…

 

では、行ってきます。

やなみんも、行ってらっしゃい。