霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.66

適応障害と診断されて242日目(6月13日)にこの記事を書き始めています。久方ぶりの更新となってしまいました。

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はまた体調が悪くなり、会社を休職することになったところまでを書きました。1回目の休職のときほど途方に暮れているわけではありませんし、体調もそこまで酷いわけではありません。しかしながら、弱っていることには間違いなく、そんな状態ではもはや会社にいけるわけもなく、半分は致し方なく、半分は勇気を持って休職の決断をしたわけであります。

 

 

今回は休職してからの2週間についてまとめようと思います。

 

1.カレンダー

休職して…

 

228日目

日曜日。昨晩は遅くまでブログを書いていたのでゆっくり目に起きて二度寝。まともに体を起こしたのは11時頃になってから。昨晩の夜更かしは完全に自分のせいだけれど、このところ本当に体が疲れている感じがする。やはりそれだけ精神的に無理を強いてきたのだなぁと感じる。午後には何とか起きて、買ったばかりのJuice=Juiceの宮本佳林ちゃん卒業コンサートBlu-rayを観たりして過ごす。しかし、それも最後まで観切る体力は無く、途中で疲れて昼寝。昼寝から起きてまたダラダラした後、夕食ついでに外出。軽く走ったりして体を動かした。夕食は新しく見つけたラーメン屋に飛び込む。漫画のエア・ギアが置いてあって何だか懐かしくなる。帰宅後、今週の適応障害ブログを更新し、その後はまた動画を観たりしてダラダラ。そんな感じであっという間に風呂に入る時間になり、入眠ルーティンへ。明日はもう会社に行かなくていいけど、一応会社に電話は入れておこう。そして、明日はきちんと部屋の掃除をしよう。今の自分にはそこからの再スタートが妥当だろう。

 

229日目

月曜日。休職することになったので少しゆっくり目に起床。朝食を食べるもやはり体調は少し優れないので大人しく部屋を暗くして横になっている。直属の上司(苦手な上司)にだけ直接休職のことを伝えられていなかったので、電話をする。少し肩の荷が降りた。「映像研に手を出すな」を観始め、面白い。昼前にようやくベッドから起き出して、創作物を書き進める。昼食を挟み、また動画を観て少しダラダラとした後で、創作物をまた書く。今日は筆が進む。このまま書き終えてやろうという気になる。動画を観たりして休憩を挟みながらだが、夕方頃に創作物を書き終える。「道徳の姿態」というタイトルはもう8年、9年温めて来たもので、いつかこのタイトルで作品を書きたいと何度もトライしていたが、ようやくタイトルに相応しい内容を見据えられ、そして今日書ききることができた。「アリバイ崩し承ります」と「きのう何食べた?」の1話目だけ観て、今はあまりそそられず観るのをやめる。「映像研に手を出すな」はジブリ好きには面白かった。何もしていない1日だったけれど、創作物を書き終えられたのはかなり嬉しいことだった。勢いでブログにも乗せてしまったが、何度か読み返し、修正していきたいと思う。

 

230日目

火曜日。夜中の2時半に起きてしまった。アニメ「GANTZ」を観ながらの入眠をしてしまい、派手な銃撃戦の音で目が覚めてしまった次第。そのまま4時半くらいまで眠れず、結局ちゃんと目を覚ましたのは10時過ぎ。良くないな、と思いながらも、のんびりと時間を過ごせていて心地よい。すべらない話を昼までベッドの中でぐずぐずと見続け、昼食後からようやく活動開始。部屋の掃除を割としっかり目に。2時間弱かけて、水回りから何から色々やったけれど、部屋自体が狭いのであっという間。そこから小休止した後、4時前に散歩&ランニングをしに外出。久しぶりに走ったが、体力が無さ過ぎてまともに走れなかった。3分走っては5分歩いてを繰り返し、帰りにセブンでいつもの冷凍パスタのラインナップを買って帰宅。「宇宙を駆けるよだか」を観ながら夕食までの時間を過ごす。夕食後も引き続き「宇宙を駆けるよだか」を鑑賞し、あっという間に観終わる。人間関係で勇気を持って心を開けない主人公に今の自分の気持ちが重なり、割と楽しめた。ほぼ定刻通りに風呂に入り、こうして日記を書いている。今日はしっかりと眠り、明日はちゃんと朝から活動的な1日にしたい。

 

231日目

水曜日。朝は8時に起床。昨日走ったせいで体は筋肉痛になっており、そのせいで疲れる夢を見た。疲れたときに見がちなのだが、暴風が吹いているせいで全然歩みを進めない夢だ。息もしにくいし、体は疲弊しているし、どれだけ足を踏み出しても前に進めない。友人ばかり先を歩いて行く。場所は異なれ、私はそういう夢をよく見た。朝の1時間はそんな疲労感に包まれながらベッドの上で「大豆田とわ子と三人の元夫」を観ながら過ごした。起床後、朝食を取り、実家近くの市役所から届いたメールのチェックをした。復職が上手くいかなかった場合の保険として市役所を受けてみるつもりなのだ。一通りの内容を確認してから、試験勉強に取り掛かる。政治経済が難し過ぎる。昼前に家を出て、受験用の証明写真を撮りに行った。昼食を食べてから帰ってくる。午後は少し昼寝をしてから、また勉強をした。理系科目の数学・物理・化学はほぼ満点だ。やはりネックは文系科目か。自分の常識の無さを恨む。生物は考えるタイプの問題はOKだが、知識問題は少し厳しい。夕食を食べて、生物の続きをやり、入眠ルーティンへ。先日書き上げた創作物「道徳の姿態」を読み返しながら寝る準備をしようと思う。

 

232日目

木曜日。一昨日のランニングと昨日の勉強のせいか朝から倦怠感が強く、また若干のソワソワ感もある。しかし、何かしら行動しようと決めていたので、昼から2回目の「シン・エヴァ」を観に街へ。昼ご飯を食べると眠くなることがわかっていたので食べずに行ったが、結局途中でまた同じような箇所で少し寝てしまった。最近は映画1本を休憩なしで観切る体力がない。しかしながら、前回観たときよりは内容を理解できたと思う。「心を開けない」、「他人と関わるのが怖い」という自分の弱さを自覚した最近の私にとっては、やはり刺さる内容だった。「式日」を観たことも理解を深める一因になったと思う。映画の後は時計の電池交換をしてから、昼食兼夕食のラーメンを食べに行った。1番好きなラーメン屋の元祖的な店だが、ようやくこっちの店の味の良さもわかるようになってきたと思う。帰宅後、外出の疲れからまたダラダラ。地方勤務時代の先輩から連絡があり、1時間近く電話をした。7月からの私の異動先と同じフロアに先輩も異動してくることになりそう。これは単純に朗報だった。一緒に海外旅行まで行った仲の良い先輩だったので嬉しい。先輩がこれからお酒を飲むとのことで、私もそれにつられて久しぶりに酒を飲んでしまった。久しぶりにテンションが上がった気がする。やや深酒をしてしまった。

 

233日目

金曜日。昨日の深酒のせいで今日もまた午前中を寝て過ごしてしまう。そのまま「ボーン」シリーズをベッドの中で見続けるというダラダラとした1日を過ごし、勉強もできなかったの少し罪悪感がある。疲れが溜まりやすい体になっているのかとも思うが、反面自分の意志の弱さが問題なんじゃないかとも思う。自分で自分の状態がわからなくなるけれど、よくよく考えてみれば、適応障害になる前と比べて圧倒的に疲れやすくなってはいると思うので、やはり病気のせいなのだろう。しかし、単純に体力が落ちているという面もあると思うので、これはしっかりと訓練をして克服していかなければならないだろう。ダラダラとした1日だった。

 

234日目

土曜日。この日は昼から会社の同期と会う約束。一緒に昼食を食べ、渋谷にエジプト展を観に行った。最近、エジプト神話の動画を観たりしていたので、少し理解できる部分もあって楽しめたと思う。が、久しぶりに人混みに出たり、人と会ったりして疲れる部分もあった。何千年も前の人たちが普通に文明を築いていたことに驚き、ミイラ文化のようにまったく理解できないこともあり、そしてそれらの情報が長い時を経て今にまで残っていることに何よりも感銘を受けた。とても気遣いができて何にでも感動できる友人は改めて素敵な人だと感じる。その後、六本木にまた別の美術展を観に移動したが、小休憩のつもりで入ったスタバでだらだらと雑談をしてしまい、美術展は結局お預け。何のために六本木まで移動したのか、とも思ったが、色々と話せて有意義な時間だった。帰りがけ、友人が花を買って帰りたいと言うので、私も一緒に花を買ってみることに。何か植物でも育てようかと思っていたところだったので、ちょうど良かった。ブルースター芍薬という花を買った。帰宅後部屋に飾り、少しだけ気分が和んだ。夜はサッカーの日本代表戦を観ながらまったりと過ごす。戦術の理解力はまだまだ低いけれど、うまくいっているのは相手の戦術がアバウト過ぎるからだよなーと感じる。

 

235日目

日曜日。午前中はまたダラダラと過ごしてしまった。昨日の外出の疲れを感じる。「ライ麦畑の反逆児」という映画を観ながら過ごす。大好きなサリンジャーの半生を著した映画で、見つけたときはかなり興奮した。サリンジャーらしい皮肉の効いたやり取りはとても好みだったし、知らなかったことなども知れて良かった。「ライ麦畑でつかまえて」とサリンジャーの戦争体験が時系列的にかなり近接していたことは初めて知ったが、ノルマンディ上陸作戦などの戦争中にサリンジャーがずっと「ライ麦畑」のストーリーを考えていたという構成については、少しだけ違和感を覚えた。しかし、よくよく考えて見れば、後に戦争を振り返るような内容の作品が多いからそう思うだけで、実際の戦争中には戦争から離れるための妄想が必要だったのかもしれない。どうしても「ライ麦畑」を主軸に扱わざるを得ないけれど、「ナイン・ストーリーズ」やグラース家シリーズについてもきちんと描いてくれていたので嬉しかった。また、サリンジャー自身がどういう心境で隠遁生活に入っていったのか、仏教との出会いを踏まえて構成されており、1つの解釈として非常に有用だった。午後は少しダラダラとした後、髪を切りに行ったり、買い物に行ったりした。帰宅後早めの夕食を摂り、疲れてしまってがっつり昼寝をする。9時前に目が覚め、そこから1時過ぎまで少し勉強したり、ダラダラと動画を観て過ごした。最近はもう観たい動画もなくなってきてしまっている。もっと活動的な1日を過ごせるようになりたい。

 

236日目

月曜日。朝9時から部屋の壁修繕。2度目の自殺未遂で首を吊ったときに剥がれ落ちた壁と物干竿を修繕してもらった。作業は2時間ほどで終わったが、新しい壁紙もぱっと見て周囲の壁紙との境目がわからないほど綺麗な仕上がり。職人技に感嘆。公務員試験の勉強が割と捗った。午後は会社の上司から電話があり、異動先が正式に決まったことを教えてもらった。午後5時過ぎにわざわざ寮にまで来てもらい、異動や諸々の手続きについて話をすることができた。その後、実家に帰省する。やはり実家は落ち着く。猫が可愛い。

 

237日目

火曜日。朝はゆっくり。10時近くからようやく勉強を始める。途中途中で休憩を挟みながらもそれなりにしっかりと公務員試験対策の勉強を進めることができた。一般教養はもはや文系科目はほぼ捨てて、理系科目と言語系で得点を稼ぐしかないと判断。数的処理などは割と得意のようで、数問解けなかったが、解法が何となく掴めたのでおそらく大丈夫であろう。専門科目は大学時代に勉強したことを思い出しながらだったが、ほとんど忘れていたので、一から思い出しつつの勉強。一発で解けることがほとんどなかったので、ちゃんと勉強しておかなければマズいと感じる。また、勉強の合間に「敏感すぎるあなたへ」というドイツの精神科医が書いた書籍を読む。色々と新しい発見があって、非常に面白かった。

 

238日目

水曜日。この日も朝から勉強。でも、そもそも朝起きるのが遅い。10時過ぎから勉強。もっと早い時間から活動できるようにならなければ。この日は父もたまたま仕事が休みだったので、昼食は父と母と自分の3人で近くのラーメン屋に行く。勉強はそれなりに捗ったが、やはり難しく本番が不安だ。まぁ、ダメならダメで全然構わないが。しかし、復職後の選択肢を増やすという意味ではやれるだけ頑張っておきたい。

 

239日目

木曜日。この日も朝から勉強。大学で勉強したはずの事をほとんど忘れていて、難しい。午後は母の畑へ野菜を収穫しに行った。キャベツやレタス、きゅうり、ルッコラ、春菊を収穫した。何かを育てたり、収穫したりということは楽しいものだと思う。

 

240日目

金曜日。翌日の診察に備えて一時寮に帰宅。電車の中で前職場の先輩からWEB飲みをしようとお誘いを受ける。3人でのWEB飲みだったが、久しぶりにだらだらと4時間くらいお酒を飲みながら喋り倒す。先輩の1人は7月から自分と同じフロアに異動してくるので、そのことについて話すことが多かった。酒を飲むのも久しぶりだったので疲れた。が、楽しかった。

 

241日目

土曜日。午前中は診察。今度カウンセリングを受けることにしたので、紹介状を書いてもらう。電車で移動して少し街を散歩した。時折この街を散歩するが綺麗なところが多く、毎度「この街に住みたい」と感じる。そして陽射しが暑い。昼食は行きたい店が2件あったがどちらもかなり混んでいたので断念。すき家でビビンバ丼を食す。寮の部屋修繕のお金を振り込み、カウンセリングの事前問診票を書いてから、また実家へと帰る。夕食は母親と2人で食べ、この日も少し酒を飲んだ。

 

242日目

日曜日。午前中はこれまでよりも少し早い時間に起きて、10時前に勉強を開始できた。が、あまり集中はできず、少し疲れを感じる。昼前に自分よりも長く休職していた会社の同期から久しぶりに連絡が帰って来る。元気になったみたいで良かった。彼女も大学時代から不安定だった部分があったようで、薬物治療ではなく、認知行動療法などでじっくりと改善していったようだった。時間をかけてしっかりやったのは凄いと思う。Twitterやブログをずっとサボっていたせいで、心配のDMをくれた方がいた。嬉しいと同時に、申し訳ないとも思う。急いでこの日記を遡りながら書いて、ブログを更新するつもりである。

 

2.カレンダーのまとめ

休職することになり、しばらくは療養に努めました。まず最初にやれたことは「道徳の姿態」という創作物を書き上げたことです。「道徳の姿態」という言葉はもう10年近くも「いつかこのタイトルで書きたいなぁ」と思い続けていたもので、適応障害になってからそのタイトルに見合うテーマを見つけることができ、この度ようやく書き上げることができた次第でございます。長いこと抱えていた希死念慮の根幹が、まるで道徳の授業のように、気づかぬうちに自分の中に飼い続けていた「こうあるべき」という自制心からくる不自由さにあったのだと実感できたことが、この創作物を書き上げることができたきっかけです。ここ数年間は自分を貶める創作物しか書いてこなかったので、少し前向きになれるものが書けたことはよかったことかと思います。

その後は、走って運動したり、地方公務員試験の勉強をしたり、療養しながらもリハビリと考えてやれることやっていきました。しかし、やはり疲れが溜まっていたこともあり、最初のうちは眠いし、そわそわ感があるし…という感じでなかなか大変でした。走ったり勉強したりした翌日は疲れも強く出て、やはり弱っていたのだなぁと実感しました。

そんな風に1週間療養したところで、会社から正式に7月1日付けの異動が命じられました。GW明けから打診していたことですが、これだけ早く実現してくれて非常に助かります。現職場には迷惑をかけることになりますが、まぁ、「私の方がよっぽど迷惑を被っているしね」ということで許してください。と、そんな図太いことも言っていいのかなと今は思うよう心掛けています。

異動の命令を受けた後からは、特に寮で一人で生活していてもすることがなく、煮詰まるだけだったので、実家に帰ってゆっくりすることにしました。家族と会話できるというのは非常に大きいですね。おかげでTwitterやブログを更新したい!という欲求が薄れてしまい、ほとんど放置してしまった次第です。実家に帰ってからは基本的に日中を公務員試験の勉強に捧げています。捗ったり捗らなかったりですが、久しぶりに勉強らしい勉強をしているのが、ちょっとだけ楽しくもあります。もちろん、なかなかうまく問題が解けずに苦労もしているのですが。

そして、母から勧められて読んだ「敏感すぎるあなたへ」という本が非常に面白かったです。詳しくは次の章で書きます。

そんな感じで最初は疲労感が強く、少ししんどい日々が続いていましたが、徐々に体調も回復して来て、実家への帰省を機に割とゆったりかつ有意義に時間を過ごせるようになった二週間でした。

 

3.「敏感すぎるあなたへ」~導入~

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敏感すぎるあなたへ~緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる~

ドイツの精神科医であるクラウス・ベルンハルトさんが書いた書籍を母に勧められて読みました。どういう考え方にしていくべきか、ということは「嫌われる勇気」などを読んでその大枠を漠然と見定められていたように思うのですが、具体的にどうすれば良いかということを悩んでいる私にとってはなかなか面白味のある本でした。

書籍の前半は「嫌われる勇気」などに見る、目的論的な考え方…つまり、「精神的な原因から来る病状のほとんどは自分にとってそれが必要だから」という考え方が基盤となっていることを示しています。例えば、私は「もう会社に行くの無理!」となって涙が止まらなくなったり、頭痛や眩暈が酷くなったりしたのですが、これらは私の無意識が私を会社に行かせないようにするための「道具」として「涙」や「頭痛」や「眩暈」を使っているという考え方ですね。

「嫌われる勇気」では赤面症を例に、「赤面症のせいで好きなあの人に告白できない。赤面症さえなければ告白して、あの人と付き合えるかもしれないのに」と悩む少女を持ち出しています。この場合は、「告白してうまくいかず傷つくのが怖いから、赤面症という身体症状を少女自身が作り出している」という考え方をします。この例えはまさに「嫌われる勇気」というタイトルそのままですね。つまり、好きな人に嫌われる勇気が持てれば、赤面症を克服できるということになります。

「敏感すぎるあなたへ」では車の運転でトンネルを通るときにパニックになってしまう女性を例に持ち出しています。実はこの女性はずっと旦那の母に対して強い苦手意識を持っていました。旦那の実家(旦那の母が住んでいる)に行く道には長いトンネルがあるのですが、その旦那の実家に行かない理由を女性自身の無意識が「パニック」という形で作っていたわけです。

このように、「涙」や「頭痛」や「赤面症」や「パニック」という一見「結果」に見えるような症状は、あくまで個人の無意識が何かを避けるために持ち出した「理由」に過ぎない、というのがこの目的論の基本的な考え方になります。つまり、症状は結果ではなく目的なのです。すると、結果的に症状の治療は、目的の破壊になるわけですね。

今回「敏感すぎるあなたへ」を読んだわけですが、このような考え方は既に触れていたので割とすんなりと理解することができました。「嫌われる勇気」よりも興味深かったのは、あくまでパニック障害などの精神疾患に対してのアプローチとしてまとめられているので、私の欲しい形の情報だったことですね。人は無意識下で「あれがしたい」とか「これは嫌だ」とかを感じているわけですが、人は理性を持ち出して、「でも、○○だから」とその無意識を無視しがちです。でも、そのように無意識を無視し続けると、徐々にその無意識はやり方を凶暴化させていき、その果てに明確な身体症状が出て来ると説明されていました。「嫌われる勇気」ではそのような書き方をされていないものの、最終目標は同じで、「無意識の声に従い、変化を怖れず、勇気を持って行動を起こす」というところにあります。

しかし、私のように明確な症状に苦しんでいる人たちには、「勇気を持って行動を起こす」ということが難しい部分もあるでしょう。そして、私が最近悩んでいることもまさにこのことでした。それぞれの書籍が語っている「目的論」的な考え方は納得もできますし、それを踏まえた上で「勇気を持って行動(変化)」という最終目標もよくわかります。しかしながら、そうしたくても元気がないんですよ。今の私には。もちろん、その「元気がない」も、内心では変化を怖れている私の心が作り出している言い訳にしか過ぎない…ということになるのもわかっています。まったく、目的論ってやつは万能ですよね。あらゆる言い訳が目的論のせいで成り立たなくなってしまいます。でも、実際に私はまだ発病以前よりも調子が悪く、まずはこの「調子が悪い」を何とかしたいのです。

大まかな方向はわかります。「変化を怖れず、勇気を持って行動」し、自分の本心(無意識)が求める方向へ進んでいくことです。そこには我慢も理屈も必要ありません。仮に我慢や理屈があったとしても、それはただの苦役ではなく、目的達成のために必要なプロセスでしかない。そう考えられるくらいではないとダメということです。だから、何よりも自分の心を優先し、その実現のために努力することが必要なわけです。私も日々そういう気持ちで生きるよう心がけているつもりです。しかし、今の私の体調から言うと、「仕事を辞めて、自由に生きる!」というのが一番最初に思い描く私の心の現在地です。でも、果たしてそれで良いのか。ストレスがかかることから逃げるのは確かに私の心の目的ですが、それが長期的な視野に立った目的なのかと言われるとちょっとわかりません。弱っているから、弱気になって、そう考えているだけなのかもしれません。本当なら楽しく働いて、楽しく芸術に触れ、公私ともに充実した生活を求めたいと考えていそうな気もしているのです。それを選び取れるだけの自信が今の私にはないだけで…

だから、当面の私の目標はこの「調子の悪さ」を打開することなのだと思います。そして、それは長期的な視野に立った人生観の形成も大事であると理解しながらも、やはりもっと短期的かつ具体的な方法を今の私は欲しています。そういう意味で「敏感すぎるあなたへ」という書籍は、とても興味深く、かつ有益であったように思います。

本書で説明されているのは「脳のシナプスを組み替える」という部分にあるようです。不安症やパニック障害のようなものに苦しんでいる人は、ネガティブな思考癖がついていたり、自分でストレスを増幅させがちになっていたり、という脳の構造になっていると考えられます。私は別にネガティブな思考癖や自責的な傾向というのは悪いものとは思っていませんが、今の私はそれを抱えてやっていけるほど強くありません。なので、一時的にでもそのネガティブ思考や自責傾向から抜け出して、辛くないように気持ちや心を移行させていきたいのです。そして、それができないことには最終目標である「変化を怖れず、勇気を持って行動」も達成されません。

というわけで、本書で紹介されていた具体的な手法について次の章でご紹介したいと思います。

 

4.「敏感すぎるあなたへ」~不安を減らす具体的手法~

ある種突拍子もない手法が本書では紹介されていました。なので、それを受け入れてもらうために本書ではかなり長いこと前置きがなされています。1つ前の章で書いていた目的論に関することも、その前置きの一部です。要はこれから紹介する手法の信憑性を上げるために用いられている理論の大枠みたいなものです。

が、ここでは面倒なので端折りますね。とりあえず紹介されている手法を私の体験と一緒にご紹介したいと思います。

まず精神疾患に共通するような不安障害や反芻思考といったものについて、その軽減・解消法が紹介されていました。漠然と不安に苛まれたり、頭や体が重くて疲労感が強かったり、希死念慮に纏わりつかれたり、という感覚を単純に不安障害とします。私の場合は、何となくソワソワ感があったり、息苦しかったり、とにかく気分が沈んだりということがあります。そして、それはずっと頭や体の中に渦巻いていて、地平線まで広がる分厚い灰色の雲のように感じられます。こういう状態のとき、じっと心に目を凝らし耳を澄ませると、竜巻のように何かが渦巻いているような感じがあります。仮に無くても、そのときの心の状態を渦巻でイメージしてみます。すると、徐々にその渦巻は明確に形を取るようになります。

さて、ここでその渦巻は右回りでしょうか、左回りでしょうか。

これは人によって変わるようですが、まずはどっち回りか特定できるくらい頑張って明確に渦巻をイメージしてみてください。その渦巻を感じていると、気分が悪くなるのです。渦が大きくなり、回転が速くなるほど気分が悪くなります。そんな渦を心の内にイメージしてみてください。

 

※そして、それがイメージできてからここから先を読んでください。

 

その心の中の渦巻を、頑張って逆向きに回そうとしてください。最初は回転を弱めるように頑張ります。いきなり逆向きにするのではなく、凄い強さで回転していて止めようがないように思えるけれど、徐々に力を込めて逆向きに回すような感じです。頭の中のイメージだけで難しければ、指を立てて逆向きに回してみても効果的かもしれません。渦巻いているコップの中の水に指を入れて回す感覚ですね。

すると、自然とゆっくり気分の悪さが軽減された感じがしないでしょうか。私は何となく気分が良くなりました。プラシーボ効果でも何でもよくて、要は気分が悪いときに気分を良くする方法を手に持つことが目標です。そして、本書によれば、大抵気分がどんどん悪くなっていくときには、シナプスの中を同じ経路で信号が巡り巡っているような状況ということになるそうです。その同じ経路の堂々巡りに意図的に意識を介入させ、違う思考へと持っていくことがこの方法の肝になると私は考えています。

 

次に紹介されている方法は、視覚や聴覚に訴えかける方法です。

特定の状況下でパニックになってしまうパニック障害の方をメインの対象とした手法のため、やや私には取っつきにくい感じもありましたが、これもそれなりに効果がありました。まずは、パニックに陥る特定の場面を思い出してください。視覚的な映像でも良いですし、傷ついた言葉(音声)を思い出したりしても良いです。そして、それをじっくり頭の中で再生してみると、その映像や音声は右目・右耳か、左目・左耳のどちらかに寄っていることに気がつくはずです。右目・左耳のように感じる人もいるそうなので、とりあえず視覚か聴覚かに分けて、試してみると良いです。私は「おめぇは何もできねぇんだからよ」と言われた記憶を再生してみました。このとき、私は右耳にその音声が寄っているような感覚があります。他にも会社の嫌な雰囲気を視覚的に思い出すと、右目の方にその映像の焦点が合っているような感覚があります。私の場合は、偶然右目・右耳でした。

そして、次にその左右どちらかに寄っている映像や音声を徐々に逆側に移動させていきます。最初は難しいですが、慣れなければ元々の映像や音声が寄っている目や耳を手で塞いだりしてみると、多少やりやすいかもしれません。私の場合は右目・右耳で感じていたので、右目を手で塞いだり、右耳を指で塞いだりしてみました。

 

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上の図のようなイメージですね。

※映像や音声の左右の移行が出来たらここから先を読んでみてください。

 

嫌な記憶やイメージがハッピーなものに変わるまでも行かないかもしれませんが、何となく「嫌な感じ」が減ぜられて、よくわからないような感覚になりませんでしょうか。なんか違う感じになったけど、少なくともそんなに嫌でもない…くらいの感じに私はなりました。

私の場合は右目・右耳で嫌な気分を感じがちだということがわかりました。確かに、ストレスから耳鳴りが出たときなど、適応障害になるより以前を思い出しても右耳で耳鳴りが出たように記憶しています。対して、素敵な記憶や妄想を思い描くときは、左目・左耳が活性化しているような感じがあります。

これも渦巻と同じく、不安症状に捉われているときには、脳の神経伝達を司るシナプスが特定の経路を構成し、信号がそこを巡り巡っていることに起因するそうです。したがって、その固定されたシナプスに干渉し、別のルートを構成してあげることでそこから抜け出せるようになるわけです。この背景には、特定の思考パターンを促すようにシナプスが強く構成されていることがあるそうです。不安障害に悩む人は、要は不快な思考パターンになりやすいシナプスの構成が組み上がっていることになります。なので、それを意識したうえで、あえてそれとは逆向きのシナプスを組み上げることで、不快なパターンから抜け出せることになるようです。

とにかく嫌な気分に支配されそうになったら、この渦巻の逆回転や視覚・聴覚のずらしを細かく用いることで、負のループに入るのを防ぐことが、不安障害を軽減させる手っ取り早い手法として紹介されていました。

 

それと同時に紹介されていたのが、「10(テン)・センテンス法」というものです。これは詳しくは色々と条件があるのですが、要は妄想術です。先の例で挙げた「トンネルがパニックのトリガーとなる女性」であれば、「ウキウキとした気分で愛する家族とドライブしている。音楽をかけて、美味しいチョコを食べながら、旅行先の楽しい計画について話している。車の椅子は柔らかくて心地よく、タイヤも滑らかにアスファルトの上を回転している」みたいな楽しい妄想をノートに10個ほど書いてみます。必ずしも、苦手なことに対応した妄想でなくても良いそうです。このように10個のセンテンス(文章)を書くわけですが、注意点としてはその妄想が個人の努力で達成できるものを書くそうです。「宝くじが当たって嬉しい」とか「あの上司から賞賛された」とか「好きな人から告白された」とか、自分の力だけでは達成が難しい(運や相手の都合による)ものは避けた方が良いそうです。本書では「愛する彼女と充実した映画デートをする」という場面が妄想されていました。

テン・センテンス書き出せたら、毎日1つずつ20分くらいの時間をかけてじっくり妄想し、心地良い気分を味わい尽くすようにしてみるそうです。どうやら寝る前が良いみたいですね。そして、現実世界の中でその妄想を達成できたら、10個のリストから消して、新しい妄想(目標)を書くようにするそうです。これを日々のルーティンにすることで、脳の快感を得る機能や、前向きに努力する機能が向上するそうです。この効果の分かりやすい例として、体操選手のイメージトレーニングがあるそうです。体操選手は新しい技の練習に取り掛かる前に、何度も成功の映像を見て、イメージの中でまずはできるようにします。すると、そういった過程を踏まえない選手よりも何割増しで成功する確率が上がったり、成功に辿り着く時間が短縮されたりするそうです。したがって、このテン・センテンス法は、幸福になるためのイメージトレーニングのようなもので、これをすることで実際に幸福感を得られやすくなるそうです。

私はまだこの効果を実感するには至っていませんが(というよりも、まだ本格的に始められていませんが)、何となく前述の細かい手法と合わせることで1日の中で不快感に浸っている時間は減って来たように思います。つまるところ、たとえそれがプラシーボ効果であろうがなんであろうが、1日の中で心地良い時間が増えることが何よりも重要なんだとようやくわかってきました。

 

これらの手法は人それぞれ効果も違うかもしれませんが、既にある程度実証されているカウンセリング手法でもあるそうなので、試してみる価値はあるかと思います。もし興味を持ったら、本書を読んでみて欲しいと思います。

 

5.最後に…

こんな感じで、ちょっとずつ色々なことを試しながら、今のところは落ち着いた日々を過ごしています。とりあえずは来週の公務員試験の勉強を頑張りつつ、7月からの異動&復職に備えたいと思います。

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