霏々

音楽や小説など

道徳の姿態

                            道徳の姿態

 

 遺書を書こうと思った。しかし、生憎ノートもちり紙もない。半分ほどまで×印をつけたカレンダーを引き千切って机の上に伏せる。カレンダーは会社の取引先から貰ったものだった。

 白くてかてかと光る紙。三色ボールペンの一色を突き出す。

 しばらくの間、書き出しの言葉を求めてじっと固まっていた。ペンの先からはインクが垂れてきそうだったけれど、そんなことが起こるはずもない。インクは垂れることはなく乾いていくばかりだ。

 理想の遺書というものをこれまでの人生で幾度か考えてきたように思う。

 死んだ後にどう思われたいか。無意識のうちにそんなことを考えていたからだろう。かつての僕はあれやこれやと遺書の中身を夢想することができた。年頃の女の子のように。それは愛の詩であり、おとぎ話のオマージュであり、無限に咲く夢幻であった。「王子様」と書いてみて、次の言葉を考えているうちにインクが垂れ、「玉子様」になるようなそんな仕様も無い、薄ら寒い言葉たちの羅列だった。

 育ててくれた両親への謝罪と礼。弟へのせめてもの心遣い。愛すべき雑多な交友関係。僕はおよそ「人」というものを恨んだ記憶はない。僕が嫌いなものは「人間」であり、すなわち「社会」であるのだ。僕は自ら死を選ぶが、それは「社会」によって半分強制されたものであり、もう半分は間違いなく僕自身の願いなのだ。そんなようなことでも書こうと考えていた。しかしながら、フェルマーさながらに余白の狭さを嘆き、僕は最後に「もっと伝えたいことはあるけれど」と蛇足を生やして、残された者たちに何らかの印象的な「謎」を残してやろうなどとも考えたことがあったか。退屈な飛行機の旅。その暇を少しくらい埋めてやるためのクロスワードパズル。そんな程度の洒落た「謎」だ。フィッツジェラルドも似たようなものを残していたではないか、と格好つけた僕は言ってみる。

 しかしながら、これだけ広大な白の砂漠の上に何を書けばいいのか、今の僕には全く以って検討がつかない。「遺書」というものが砂漠に水を撒くような行為に思えて来る。結局のところ自分が何を書き残したところで、僕の本当の気持ちは伝えられないし、誤解というものも残ってしまう。そして、本当に死んでしまえば僕にはもうその誤解を解くことはできなくなってしまう。ならば、何も書き残さない方が良いのではないかという気がしてくる。

 僕はピエロでもなければ道化師でもない。オレンジでもなければ蜜柑でもない。人を楽しませるために遺書を書こうと思ったわけではないのだ。

 白い紙は相変わらずてかてかとしている。

 いっそのこと白紙のままにしておくのはどうだろう。半分ほど×印が書き込まれたカレンダーを引き千切って机の上に伏せておく。きっと僕が何かを書き残そうとして断念したことは伝わるだろう。いや、伝わるか? 僕ならその意味について思いを馳せるかもしれないが、「死」なんて仕様も無い出来事が面の皮を厚くしているせいで、僕の残す炙り出しのメッセージなんて全く無視されてしまうんじゃなかろうか。人間自らのアイデンティティである火の存在を忘れてしまっているのだ。無神経な彼ら人間には何らかの読むべき目に見える「言葉」が必要なのだ。レシートだって何だって言い。何らかの具体的な「言葉」を残してやらないと彼らは満足した気持ちになれないだろう。いやいや、待て。僕はピエロでも道化師でもない。ブドウでも葡萄でもないのだ。

 僕が本当に伝えたいことはなんだろう。そもそも僕はなぜ遺書なんてものを書こうと思ったのだろう。

 自ら勝手に命を絶つにあたってのご挨拶。つまり、義務感が半分といったところか。もう半分はなんだろう。もう半分はきっと取り留めも無い感情だ。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。僕はきっとこの気持ちを誰かに共有してほしいのだろう。死にたいという気持ちを誰かに伝え、それをそっくりと理解してほしい。その「死にたい」には色々な意味が含まれている。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。何も恨みつらみを書き連ね、死後の世界から生者たちを呪いたいわけではない。ただただ、こんな気持ちだったら死んでも仕方ないよね、ということを理解してほしい。あわよくば受容してほしい。この際、共感までは求めまい。ただし、そうなると相当に厄介だ。

 この白いカレンダーの裏にまずは横に一線を引く。上半分は先ほどのご挨拶だ。下半分には僕のこの気持ちを書き連ねよう。しかしながら、果たしてこの如何ともしがたい感情を上手く言葉にして書き記すことが僕にできるだろうか。それは結構な無理難題に思える。では、いっそのこともう一枚カレンダーを引き剥がし、一枚目にはご挨拶を、二枚目には僕の気持ちを書こうではないか。いやいや、丸々一枚でも足りるかどうか。では、何枚なら足りるのだろうか。どこまで手を尽くせば僕は僕の気持ちを正確に書き記すことができるのだろうか。そもそも何者かが自らの気持ちを正しく言葉に置き換えることが可能なのだろうか。一流の芸術家だってそこで苦労しているのではないだろうか。とても僕になんてできると思えない。白紙は何枚あったって足りないのだ。砂漠に水を撒くのだ。

 僕は諦める。

 ならば、ご挨拶くらいは書いておこうか。かくかくしかじかという理由で僕は簡易的な言葉で言うところの「精神を病み」、もう生きる希望を失くして、死んで楽になりたいと思いさぶらう。わずかではあるが貯金は弟に譲ろう。葬式は不要。あなた方が気持ちの割り切りをつけるための儀式として必要であるならば催せばよろしい。いずれにせよ我が国においては火葬にて処理されるであろう。遺灰はできるならば海に撒いて欲しい。海が面倒なら川でも良い。川でも面倒なら、慣例に倣ってどこかの墓に入れてもらっても構わない。僕が死んだ後の事だ。好き勝手にやるがいい。馬鹿な犬にしゃぶらせたって僕はまったく構わない。僕が精神を病んだ理由を求めるな。あらゆる理由は見当違いである。両親よ。自分を責めるでない。同時に誰かを責めるでない。僕は僕の自由意志に則って死を選んだまでである。場合によっては、僕を死に追い詰めたのは会社であると考えるかもしれない。会社に賠償金を請求するというのも、あるいは賢いやり方かもしれない。しかし、復讐する人生は惨めであり、あまりおススメはしない。もしやるのであれば、冷徹にあくまで金をせびるためにやられよ。愛ゆえの怒りと自らを正当化しているように判事には訴えかけ、然るべき金品を要求してそれで終わりにすべし。そして、繰り返しになるが、他者に理由を求めず、自らに理由を求めることもまた惨めであるからやめなさい。家族よ。僕を愛して止まない家族よ。もし自分のせいで僕が死んだと考えるようなことがあれば、それは僕が最も憎むべき行為であるということを理解して欲しい。僕は誰にも束縛されたくなどない。誰かの影響により僕が自死を選んだなどと考えることは僕から自由を剥奪する行為であり、唯一僕が憎むべき行為と言える。だから、自分を責めてはならない。

 さて、これくらい書けば、カレンダーの裏面半分を埋めるにあたるだろうか。

 つまらないご挨拶だ。これでは僕の伝えたいことは何一つとして伝わらないだろう。しかし、自死を選ぶのだからこれくらいのご挨拶を残していても然るべきという風にも思える。少なくとも僕の死をどのように処理して欲しいかということは伝えられている。それで充分だと思える。ああ、一つだけ書き忘れていることがあった。僕の無様で不潔な死体を処理される方よ、大変申し訳ない。ここに金六萬円を置いておくからこれで何とか手打ちとしていただきたい。六というのは完全数であり、また二と三という集団の最小単位を約数に持っているから、取り分で揉めることもまああるまい。

 僕はとりあえずそこまで考えてみた。実際に財布から6万円を取り出して、机の上に並べてみた。白いてらてらとしたカレンダーの裏面。そして、香ばしい紙の匂いのする六枚の札束。三色ボールペンが僕の手の中でくるりと円を描く。

 面倒になって一度ベッドの上で横になってみた。泣いてみようか。しばらく涙を流してみる。気持ちが高ぶって、声をあげて泣いてみた。どれくらい泣いただろう。カップラーメンだったら、カップの形を保ったままくらいの時間だろうか。すぐに飽きてしまった。

 頭が重たい。心が重たい。ロープを手に持ったまま狭い部屋の中を歩き回ってそれを括りつけるべき場所を探した。意外と適した場所はない。昔ながらの日本家屋であれば梁やら何やらに括り付けることもできたかもしれないが、小さなアパートではそんな首吊りにうってつけの場所なんて見つかりやしない。

 仕様が無いので風呂場に向かった。浴槽の真上に物干竿が亘らせてある。まずは手元のロープで輪っかを作る。くるりと小さな輪を作り、その先でさらに大きな輪を作り、小さな輪の方へと先端を戻してくる。軸の周りをぐるりと一周させ再び小さな輪の中に戻す。これを絞れば完成だ。試しに頭を通してみる。ばっちりの大きさだ。一度首からそれを外す。それを今度は物干竿に括りつける。物干竿の強度がやや心配であったが、僕はまあ瘦せ型の人間であるしきっと大丈夫であろう。薄暗い風呂場の中でそれを吊るして見ると、こんなもので人間が殺せるのかと不思議な気分になる。でも、やってみる価値はあるだろう。

 浴槽のヘリに乗り、浴槽を跨ぐようにバランスを取る。そしてロープに首を通してみた。ゆっくりとヘリから足を離して体重をロープに預けていくが、思いのほか強くロープが首に食い込み、強い痛みがある。僕は一度首吊りを断念して思考を巡らせてみる。ロープと首の間に何らかの緩衝材が必要だった。

 僕は一度ロープから首を抜くとハンドタオルを箪笥から出して来た。それをロープと首の間に挟み込むと痛みはだいぶ和らいだ。これから死のうという人間でも痛いのは嫌と思うのだ。不思議なものだ。いや、全く以って不思議ではない。痛みを恐れ憎むが故に僕は死を選ぶのだ。そもそも痛みに耐えられるのであれば僕は死なんてものを選ばなかったはずなのだ。そんな知見を得てももはやそれを誰かに伝える気力は僕には残されていない。体重をロープに預けていく。

 ヘリから足を離すと浴槽の底には爪先が届くくらいになる。体重を支えるには心許ないくらいの接触だ。次第に息が苦しくなっていく。

 怖くなって僕は一度足をヘリへと戻す。深呼吸をする。どうも首を吊るというのは一筋縄ではいかない行為のようだ。

 何度かそんなことを繰り返す。まるで熱い風呂に何とか入ろうとする小学生のように、何度も熱湯に足をつけては離れ、とそんなことを繰り返している。しかし、次第にその熱さにも慣れて来る。息ができないということを当たり前のこととして受け入れていく。思考を殺すのだ。吹雪の中、目も開けられずに俯きながら一歩一歩を踏みしめるように僕は死へと近づいていく。金魚鉢に鮮やかな色彩のおはじきを一枚ずつ落としていく光景を瞼の裏に描いた。ゆらゆらと確かな重みとスピードでおはじきは沈んでいく。一枚一枚が底のガラスと触れ合う時に微かに「かちり」という音がする。それは耳に届くか届かないかという小さな音だ。かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり…………かちり……………………………

 夢の中で手も足も失った僕はねばねばとした蜘蛛の糸でできた袋の中でもがいている。息が、できない。早く、袋の中から、出ないと。ぼやけた視界の中で見慣れた風呂場の映像が一瞬駆け抜ける。失ったはずの手や足がせせこましい、何やら硬いものに何度もぶつかる。幻肢か。苦しい理由。僕は失った手で首に纏わりつくものを外そうともがいた。

 次の瞬間、僕は浴槽の中で倒れ込みながら、背中に物干竿を背負っていた。

 そのときになって、僕は死に損なったことを知る。

 

 遺書を書くべきだったろうか。

 死ねなかった理由はわからない。少なくとも僕の自殺はお粗末なものであったし、生きている僕はやはり死を恐れて反射的な行動を取った。それだけと言えばそれだけなのだけれど、ちゃんと遺書を書いておけばもっと真摯に死と向き合えたのではなかろうか。どうせこんな中途半端な方法じゃ死ねないと高を括っていた自分が、自分に遺書を書かせなかったのかと思うと酷く惨めな気持ちになった。

 喉が酷く痛かった。まるで喉風邪に罹ったときのように、唾を飲み込む度に鈍い痛みが走る。こんなことなら首なんて吊らなければよかった。両耳の下あたりにもロープによる擦り傷ができていた。会社の人に何か言われたらどう誤魔化そうか。やはり生きていくのは何とも面倒だと思った。

 

 夕飯を買いに外に出た。陽は暮れかけ、薄闇の中で街灯は力無く光っているように見えた。夜も深まれば彼らももう少しは元気を出すのだろうけれど、まだまだ彼らは「居ないふり」をしているみたいにさりげなく頭上で灯っている。コンビニまでの道のり。小川に沿って幾本もの桜の木が植えられているが、数週間前にそれらの花があっという間に散ってしまったことを思い出した。しかし、今でもまだ数枚の花弁が花壇やらアスファルトのヒビの間に取り残されている。散った桜の花弁はいつもどこに行くのだろう。腐って形を失うであろうことはわかるけれど、実際にその過程を見たものはいない。夏のアスファルトに宿る蜃気楼がいつの間にか消えてなくなるように、それは不思議な時空を通り抜けて、異空間へと消えていくのだ。

 今まで僕はそういった自然と消えて無くなるものに憧れを抱き、自分もそのように消えていきたいという風に考えていた。しかし、僕が望むと望まざるとそうなることは最初から決まっているのだ。いずれどこからも忘れ去られ消えていく。歴史に名を刻もうとも、その個人の生というのは同じように消えていくのだ。次の時代の人間が歴史として学ぶことはあっても、生きて次の時代の人と対話をすることは適わない。そういう意味でみな平等に死を迎え、忘れ去られていくのだ。そして、僕はそのときを早く迎えたいものだと常々考えていたわけだけれど、桜の花弁が春には消えられぬように、夏の蜃気楼が夏には消えられぬように、僕という人間もまた今日という日には消えられなかった。そういうことなのかもしれない。

 むしろそのような時期に無理をして死ぬということは、死を特別視しているようではないか。死はその辺に転がっているありふれたものであり、小石や空き缶のようにくだらないものだとする僕の思想は、僕の自死によって矛盾に晒されてしまうのかもしれない。

 コンビニの中に入り、週刊漫画雑誌を立ち読みしてから、弁当を選ぶ。弁当を選び終えてから缶ビールとスナック菓子も手に持った。缶ビールとスナック菓子を持った左手を耳元まで持ち上げ、人差指でイヤホンを耳から掻き出す。店員は僕の首元の傷にも気づかぬまま、会計を告げる。あ、お弁当温めてもらえますか。店員が背を見せている間に、僕は金の準備をした。

 

                          *

 

 昨日の昼に自殺未遂をした人間が電車に乗りながら芸人のラジオを聴いて笑いを堪えている。会社で何てことなさそうに話をして、それなりに真面目に仕事をしている。でも、そんなものかもしれない。今、電車の隣の席で疲れたように眠る女子中学生も、この後家までの夜道で車に轢かれて死ぬかもしれない。強姦に襲われて心が壊れてしまうかもしれない。僕が急に首を絞めて殺してしまうかもしれない。何が起こるかなんてことはわからない。

 変わりたいと願いながら変わらない明日を切望して、今日もまた時間に引きずられていく。後ろ向きに引き摺られながら踵が残す二つの線を過去として眺めつつ。

 

                            *

 

 死に損なってみると、死にたいと思っていたことが馬鹿らしく思えて来る。二日酔いと似ているのかもしれない。今日は死ぬまで飲むぞ、と決めて酩酊。翌日には死んでももう酒なんて飲むかと誓う。あれだけ酔っ払いたかった僕は、二日酔いで達観する僕から見れば滑稽以外の何者でもない。

 でも、いつかまた近くに死にたいと思う時がやって来そうな気もしている。前回の失敗を受けて、より確実な方法を僕はきっと考えるだろう。しかし、僕という人は学ばないことで名が高い。またどうせ失敗してしまうんだろう。何回か繰り返していればいずれ死ぬことができるかもしれない。でも、それよりも先に「死なないライン」を見つけてしまうかもしれない。そうなってしまえば、僕の首吊りはただのよくある自傷行為でしかなくなる。ただのよくある自殺行為とただのよくある自傷行為との間にどれだけの差異があるのかはわからないが。

 みんなに聞いてみたいことがある。

 どうもみんなは死にたいと思っていないと見受けるのだけれど、それは本当なのだろうか。僕が死にたいと言うと、どうしてそんな風に考えてしまうのか不思議がるが、僕からしたらどうしてみんなが死にたいと思わないのかの方がよっぽど不思議である。まるで学校の道徳の授業みたいに「みんな生きよう」と答えることが正解だから、そう言っているだけでしかないように僕には思える。正解が何かを多角的に考えるべき道徳の授業においても、答えのようなものはあるようで、そうなってくると必然的に僕たちの人生もまたかくあるべしというのが規定されているように思える。僕はそういうのを見たり聞いたり味わったりする度に嫌な気持ちにさせられる。

 最近では結婚式が最悪だったな。

 初めて僕は結婚式というものに呼ばれたのだけれど、まず嫌だと感じたのは、それぞれに独善的な雰囲気を醸し出すコミュニティが適度な規模で群生していることだった。日本語という共通言語を用いながらも、それぞれが明らかに違う社会的文脈の中で呼吸をしている。いくつもの水槽が並んでおり、どれも同じ水道水を入れられているはずだったが、それぞれの水槽では全く別の生態系が築き上げられている。水とガラスと空気の屈折率差のせいだろうか。外に立ち並ぶ世界はどれも歪んで見えて気持ちが悪かった。

 まあ、しかし、それはどちらかと言えばどうでも良いことだった。そんなことに腹を立てるほど僕は子供じゃない。別のコミュニティに対して敵対心のようなものを感じるのは生物として至極当然の反応であることを僕は理解している。中学生じゃないんだ。A子ちゃんのグループに腹を立てているB子ちゃんのグループ、みたいな構図なんてわざわざ顕在化させるだけ労力の無駄というもの。だから、そんな面倒なことはうっちゃっておこうではないか。僕は大人だ。そう、僕は大人だ。ねぇ、みんなももちろん気になっているんだよね。でも、それを口にしないだけなんだよね。大人だから口にせず無視を決め込んでいるだけなんだよね。大人な僕はあえてそれを口にして確認したりはしないけれど。

 頭痛がする。このところずっとそうだ。何につけても頭痛だ。吐き気も感じる。でも、大人だからそんなことはわざわざ口にはしない。それよりも最悪な結婚式の話をしよう。

 結婚式の何が最悪か。それは社会の独善性を顕在化しているからだ。見たくないし、関わりたくもないし、だから僕は極力無視をするようにしているのだけれど、それをわざわざ僕に見せつけて来るのだ。出来の悪いサイコ映画における拷問器具で、手足を縛り付け、瞼を開いたままで固定し、口も似たように開かせたままで固定する金具みたいなものがある。そんな感じ。そう、拷問だ。僕の虹彩は眼前の惨状を網膜に映し、口には絶えず生きたムカデを放り込み続けられている。当然、ムカデは鼻からも入れられて、喉で口からのお友達と合流して、胃袋の中へと落ちて来る。そんな感じ。そう、拷問だ。

 結婚式は人生のハイライトなのだと僕は思わされた。美しい思い出たち。それらが写真やら映像やら音楽やらになって、参列者に振舞われる。感動があり、思いやりがあり、スパイスに苦労話も欠かさない。まるで就職活動みたいだと思った。端的に人生を要約し、「ほら、素晴らしいでしょう」と心ばかりの脚色を施す。そういう仕組みを僕は理解しているつもりだ。だから、ここで披露されているのは美しいものの抜粋に過ぎず、実際にはもっと汚らしい、人らしい時間を過ごして来たのだということは理解している。でも、そういったものは無粋とされて、重い緞帳の向うに隠されている。ショーなんだから、それで正しい。儀式なんだから、それで正しい。でも、こんな風にして何かを誇らなければならないのが社会なのだと思うと、僕はとても虚しい気持ちになってしまう。これも就職活動と似ている。端的な自己アピール。感心させるために、あれやこれやと準備をする。まるで僕のこれまでの人生そのものではないか。だから嫌いなのか。同族嫌悪。就職活動も結婚式も。吐き気が収まらない。

 人生における正解。そんなもの定義できるはずもないのに、そこには模範解答のようなものが存在している。社会の眼。誰もが「かくあるべし」という笑みを浮かべている。不自由がそこにはある。臭いものには蓋を。ずっとそんなことをして生きてきたのかもしれない。そう思うととても虚しい気持ちになる。これからもずっとそうして生きていくのかもしれない。そう思うと恐怖を感じる。どこまで行っても僕たちは社会の眼から逃れることはできない。

 ミシェル・フーコーは「パノプティコン」と呼ばれる囚人環視システムの凶悪性について語った。いや、衆人環視システムと言った方が本質的であろうか。その最終目標は自己の内面にもう一つの眼を植え付けることだった。仏教などで語られる「第三の眼」のことではない。それは本来であれば自分の外部に存在する眼であるはずなのに、執拗で悪質な監視はその外部の眼を個人の内の中に埋め込んでしまう。その眼は善良であるはずの人の心にねばねばとした巣を作り、じわじわと人を人間にすべく罰を与え続ける。罰はそのうちに罪という概念を作り上げていくだろう。中には罪が先に立ち、その罪に対応した罰が与えられると主張される方もいらっしゃるかもしれない。鶏と卵ではないが、ここは人によって見解が分かれる部分だ。しかし、僕はやはり罰が先に立ち、罰の理由付けのために罪という概念が持ち出されたと考えるべきという気がする。因果関係において原因が結果よりも時系列的に先であるという考え方は一般的には正しいと言える部分があるかもしれないが、必ずしもその限りというわけでもないだろう。現在から過去を推定する行為は、確かに結果から原因を推定する行為である場合が多いかもしれない。しかし、そのような「推定行為」によって、原因は結果に置き換えられ、結果は原因に置き換えられる。つまり、原因究明によって推定された原因というのは、すなわち「推定行為」の結果であるということだ。お腹を壊した原因を、朝方食べた賞味期限切れのヨーグルトに見出すという推定行為の目的は、「原因がヨーグルトにある」という結論を導き出すことであり、導き出されたその結論は不完全な因果関係と言えるだろう。つまり、本当にヨーグルトが原因でお腹を壊したかどうかというのは断定できない(もしかしたら手洗いせずに指を舐めたことによる細菌接種が原因なのかもしれない)はずであるのに、誤った原因を究明したことでこの問題の解決を見ようという目的意識がそこには見られる。罪と罰の関係も同じことだ。お腹を壊すという罰は、賞味期限切れのヨーグルトを食べた罪によってもたらされたと考える推定行為。これによって、その因果関係は不確実であるかもしれないのに、賞味期限切れのヨーグルトを食べるという行為が罪であるかのような概念が生まれてしまう。

 何が言いたいかというと、パノプティコンを機能させるための必要条件として「罰」が求められるということだ。そして、その「罰」に対応した「罪」を用意しなければならない。そしてその「罪」という概念を植え付けたときに初めて「監視」という行為に意味がもたらされる。したがって、パノプティコンとは「罪」という概念ありきで成立するシステムであり、そのシステムの機能性において最も核心となる部分は、外部からの監視ではなく、自己内面からの監視によって人は不自由に縛られるということであろう。

 結婚式に話を戻そう。

 結婚式が最悪な理由として、僕は社会の独善性がそこでは顕在化されているからと話した。それはつまるところ社会という問における正しい解答を結婚式というものが提示しているように僕には感じられてしまったということだ。その独善的な解答から外れた者には「罰」がもたらされる。それが賞罰教育によって僕たちに深く根付いた歪んだ認知である。果たして僕自身は結婚式が提示する独善的な正答が仄めかす「罰」に相当する「罪」を抱えた人間であろうか。そんなものは火を見るよりも明らかである。僕の内面に植え付けられた「監視」の眼が僕の「罪」を暴く。腕を後ろで縛られ、目の前で焼き鏝をちらつかされている気分だ。「監視」によって暴かれた僕の「罪」。あとは社会という人格の思惑一つで僕には「罰」がもたらされるであろう。

 取引をしようではないか。もしもこの焼き鏝を腹、あるいは胸、あるいは頬に押し付けられたくなくば、罪を償うが良い。私だって好きでこんな焼き鏝を振り回しているわけではない。これは君たち落第生を救うために仕方なくやっていることなんだ。もし、君が真っ当に生きることを承諾し、そして行動で示してくれるならばこの焼き鏝はすぐにでもしまおうではないか。どうだ、約束できるか?

 だから僕は結婚式でへらへらと笑う。感動しているフリをしている。内心ではいつその「嘘」が暴かれるのか恐怖しながら、膝を震わせながら。これを拷問と言わずして何と言うか。そして、その拷問は僕が生き続ける限りずっと続いていくだろう。これがすなわち地獄というものだ。

 同族嫌悪という言葉を僕は使った。それはとりもなおさず、そのような拷問がこれまでも僕の人生を彩って来たことを示し、また僕だけでなく万人がその拷問に晒されていると感じるからだ。僕たちは社会によって監視されている。そして監視されている者たちが雁首揃えて集結し、独裁者に礼賛の拍手を送っている。神に跪く、哀れな子羊たち。神よ、我を憐れみ給へ。僕は内心では神なんてものを信じていないにもかかわらず、罰を恐れて膝を震わせながら跪いている。なぁ、みんな大人だから黙っているだけで、本当は僕と同じように膝を震わせているんだろう? おい、どうなんだよ?

 この世は地獄だろう?

 死んだ方がマシだと思わないか?

 僕たちに唯一許された自由は死ぬことだけなんだと思わないか?

 ほら、見てみろ。死に損なって、自死が馬鹿らしく思えていたけれど、また死にたくなってきた。一生、これを繰り返すのか。いったい僕は何回首を吊れば済むんだ。せめて首を吊ることだけは誰も責めてくれるなよ。いや、責めても良い。みんな監視の眼を恐れて、口を揃えて「自殺は罪だ」なんてことを言っているだけなんだよな? それならば許そう。僕たちはみな一様に、不自由を享受する人間なのだから。

 

                            *

 

 お医者さん。僕を助けてください。僕は気づいたんです。形のない何者かが僕をずっと僕の内から見つめているのです。監視されているんだ。眼、眼、眼。眼がずっと僕を見ているんです。

 

 僕のしがない文学性に則って喋ればそういうことになる。しかし、これは医学的には強迫観念やら認知の歪みやらという言葉に置き換えられるらしい。まあ、それには納得もできる。確かにそれは実体のないものであり、強迫観念と端的に言い表すこともできるだろう。しかし、仮にその正体が強迫観念であることを見抜いたところで対して変わりはないように思える。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉があるが、幽霊に対する恐怖心はそう簡単には消せないだろう。確かにそれは枯れ尾花なのだろう。でも、幽霊に対する恐怖心が消せない限りは僕はずっと枯れ尾花だろうが何だろうが、それらしきものに幽霊の影を見て恐怖に晒され続けることに変わりはない。

 解決策は二つあるだろう。

 一つは常に物を良く観察することだ。恐怖に負けて目を逸らすのではなく、きちんとその対象を見つめ、観察し、それが幽霊ではないことを確認すれば良い。恐怖から目を逸らしても、恐怖から逃れることはできない。ならば、恐怖と正面切って向かい合うしかない。もし良く観察してそれが本物の幽霊だったその時は全力で逃げれば良い。観察する前から逃げ出していたら肺が潰れるまで走り続けなくてはならないだろう。

 二つ目は、そもそも幽霊なんていないということを理解することだ。あるいは一つ目の解決策を実践し続けることで、経験則的に幽霊はいないのだと理解できるようになるかもしれない。しかし、それと合わせて、よく分析、思考し、幽霊がいないのだと論理的に理解することもこの解決策を押し進める力になるだろう。逆にそのような論理的な理解ができていても経験がなければ、恐怖心はそう簡単には取り除けないかもしれない。だから、幽霊なんてものがいないのだと論理的な分析や思考によって理解しつつ、実際に幽霊らしきものと対峙して、それが幽霊なんかではなく恐るるに足らない存在なのだと体に覚え込ませるのだ。

 このような治療を通して、僕は僕の内に潜む「眼」を殺したい。そう考えるようになった。しかし、それはもの凄く大変なことのように思える。疲れる。疲弊してしまう。星が瞬き、夏草の香りが風に運ばれて首筋を俄かに冷やすような瞬間であれば、そういう事に対して前向きになれるかもしれないが、そんな日ばかりというわけでもないだろう。果たして僕は枯れ尾花に囲まれた社会の中にあって、そんな治療を完遂することができるのだろうか。これまで誤魔化し誤魔化しで地獄の中で生きてきた人間が、今さらちゃんと地獄と向き合おうと思って、それに耐えられるのだろうか。死ぬ気でやればできないことなんてない、と言う人がいるが生憎僕にとっては死を選ぶ方が楽なのだ。なぜならば、地獄と向き合わずに済むよう、死に対する恐怖心というものを僕はかなぐり捨てるようにしてここまでやって来たのだから。

 そう、僕は論理的な意味合いにおいて死を恐れていない。

 しかし、実際に首を吊ってみてわかった。体が死から免れようとするのだ。僕は肉体的な死への恐怖を乗り越え、徹底的に自分を殺し切ることができるだろうか。いや、できるはずだ。むしろそれはこの地獄を天国に変えるよりもよっぽど楽なことのように思える。

 雨に打たれて、体が冷え切った一人きりの夜には、僕は自分の目の前に垂らされた救いの糸に手を伸ばしそうになる。清廉潔白色のロープはまるでカンダタに提供された一縷の希望であるかのように見えるのだ。

 

                            *

 

 朝から雨の降る休日。狭い部屋のカーテンを開けて、線路を見下ろす。窓には雨粒が貼り付いていて景色をぼやかしている。

 足の爪が伸びていた。二番目の引き出しを開けて爪切りを取り出す。一人暮らしを始めるときに実家から持ち出し、以来使い続けている爪切りだ。保険会社名と、おそらくは担当者の氏名が印字されている。金属製で手に馴染む重さがあった。おそらくは父か母かがまだ若い頃に貰ったものだろう。どうしてかつての僕がそれを実家から持ち出したのかはわからない。そもそもどこに眠っていたのだろう。僕は学生生活を通してそれを使い続け、社会人となった今もなお使っている。しかしながら、そこに保険会社とその担当者の名前が印字されていることを知ったのはほんの二週間前だった。

 水垢のこびりついた洗面台の鏡で首に残ったアザを眺めていた。喉の奥はまるで風邪を引いたときのようにつばを飲み込むだけでまだ痛む。鏡に映る自分の表情は生きている人のそれであり、そのことが何故かとても不思議に思えた。しばらく鏡と見つめ合い、額の吹き出物を一つ潰した後、ベッドの端に腰を降ろし、しばらくティッシュでそこの血を止めていた。血を止めている間に暇になって爪を切ることに決め、何となく爪切りを眺めていたときに僕はその発見をしたのだった。

 樋口藍子。顔も知らない女性。彼女は笑顔を作り、保険の契約を取るために、いくつもの爪切りを配って歩いた。そして、今頃は孫の一人でもいるのかもしれない。

 雨音を聞きながら爪を切る。そして、彼女の半生を思う。改めて思う。生きる、とは。踏切の音が聞こえる。それからすぐに電車が何万という雨粒を轢き殺して走り去っていく。騒音が胸を締め付ける。

 

 トートバッグを肩から提げ、透明なビニール傘を持ち、部屋の鍵を閉め、アパートの階段を降りた。一挙手一投足がふわふわと春の綿毛のように漠然と目の前を通り過ぎていく。こんな雨の日だというのに、僕の行動はまるでそんな感じなのだ。じめじめと脇の下や足の裏は気持ちが悪いのに、頭の中は嫌になるくらいのふわふわの綿毛でまみれている。小学生くらいのときの事だったか、タンポポの綿が耳の穴に入ると一生取れなくなって、耳が聞こえなくなってしまうという話を聞き、恐怖を覚えた。噂自体の真偽も未だに不明だけれど、そんな噂が出回った理由についてはもっと不明だった。タンポポの綿毛は種であるわけだし、耳に入ったらそこからタンポポでも咲いてしまうのだろうか。アスファルトを突き破る程の生命力だ。耳からタンポポが生えたっておかしくない。頭の中がタンポポの綿毛でいっぱいになってもおかしくない。

 アパートの敷地を出て、そのまま坂を下っていくと踏切がある。このアパートに引っ越して来てからはこの踏切の音と電車の走行音が酷くうるさく感じられたが、今はだいぶ慣れた。それでももう二度と線路の近くには住むものか。踏切で待つ間、僕は何億回目かの決心をする。踏切を渡りながらふと振り返ってみた。アパートの自分の部屋のカーテンは開けっ放しだった。

 

 今日も僕は弁当を買って食べる。誰かが何かを殺し、それを綺麗に並べてプラスチックのケースに飾り立ててくれた。それに対して僕は対価を支払い、食す。幾度となく繰り返されてきた罪だ。しかし、今のところ僕はそれに対する罰を受けていないように思える。なぜなら人間の原罪を神が肩代わりしてくれているからだ。そういう事になっている。せめて手を合わせ、祈りを捧げるべきだ。しかし、僕は漠然と昼時のたいして面白くもないテレビ番組を見ながらそれを食している。手なんか合わせない。祈りの言葉も述べない。味わうでもなくそれを平らげる。割り箸を二つに折って、ケースの中に入れ込んで、それをビニール袋の中に放り込む。インスタント味噌汁の細かい出汁の破片がお椀にこびりついている。台所でそれを洗い流すと、部屋の電気を消し、テレビを点けたままベッドに横になった。疲れた……眠る。もう起きなくていいよ、と思いながら眠る。疲れたから永遠に眠らせて欲しい。踏切が鳴った。もうすぐにでも電車がやって来る……

 

                            *

 

 どうせそろそろ死ぬのだから、まともに生きていたって仕方ないじゃないか。

 それが僕のいつもの言い訳であり、考え方の癖のようなものだった。それを格好つけて「思想」なんて言葉で呼んでいたこともあったっけ。さも自らが高尚な行為に身をやつしているような錯覚に陥ることができた。しかしながら、それは「生きること」に対して正面切って向き合えない僕の臆病さが発見した便利な逃避方法でしかない。

 死を目指して生きることは苦しみの伴うものであった。しかし、その苦しみはむしろ僕の罪を浄化するための罰なのだと思うことで、あらゆる罪から逃げ遂せる大義名分にもなっていた。手も合わせない、祈りの言葉も述べない。ただ「死にたい」と思いながら生きることこそ、僕にとっての唯一の宗教的行為である。神が背負う原罪の重みを現世にて仮想的に追体験すること。ある作家は宗教の目的は唯一「神の意識と同化すること」と言っていたと思う。僕はその言葉を何度も何度も反芻した。たいして宗教の勉強などもしたことはなかったが、その言葉を信じて僕はただ「神の痛み」を思い描き、それを希死念慮と抱き合わせることで自らの中へ落とし込んでいった。

 一昔前のサイコ映画では、特殊な宗教にどっぷりと浸かったシリアルキラーが牢屋のような部屋の中、月明かりに照らされて自らの肉体を鞭打つシーンが散見された。生憎、僕はそういった具体的な目に見えるものを求める性格ではなかったし、もちろん人を殺したことはない(本当にそうか? 僕は人を殺してはいないけれど、人の心を踏みにじりはしなかったか? あるいは、無意識のうちに間接的にとは言え遠い国の誰かを殺しはしなかっただろうか? 人は生きているだけで誰かを殺すものではなかろうか? 少なくとも僕は動植物を他人に殺させ、それを食わなくては生きていけぬ)。ただイマジナリーな世界において僕は間違いなく自らの生きる罪を償うために自分を傷つけ続けてきた。それは自己否定という名前で昨今呼ばれている行為だったろう。むしろ、自己虐待と言っても良いくらいだ。ともかく僕は自らの生を貶めることでしか安息を得なかった。

 

 僕は昔から人間と関わることが怖かった。人はそんなに怖くなかったけれど、それが集団における人間関係となると恐怖した。なぜならば僕はとんでもないクズ野郎で、集団の中に馴染むことができず、いつでも人を傷つけてしまっていた。

 序列を明確化し、その上位に自らを置く「癖」があった。そのことが今まで多くの人を傷つけてきたし、僕が人から愛されるに足る人物ではない最たる理由の一つであった(愛されない理由なんていくらだって論える)。僕がまだ少年というカテゴリーに属していた頃、僕はそういった事実を認識することができなかったし、また向き合う勇気も持てずにいた。僕はひたすらに自分の本質を隠すことに躍起になり、余計に人を傷つけるような立場に身を置こうともがいた。人を傷つけた罪を隠すためには人間関係の序列でより上位にいなければならなかった。その行為の醜悪さをその頃の僕は理解できていなかったが、今思えばそのやり口は巧妙とさえ言えるほどで、とある女子が集合写真で「いいよ。前にいきなよ」と他人を気遣うフリをして、実際のところは他人よりも小顔に見えるような立ち位置を確保していた……みたいな感じがあった。そして、僕は優越感に浸る。僕は他人よりも賢いのだ、と。

 いつの間にか僕は他人より賢くあることでしか自分の愉悦を満たすことはできなくなっていたし、同時に自分の身を守ることができなくなっていた。自分勝手に何らかの序列を作り上げ、その中で上位にいることでバリアを張り、そのことが実際には人の心や善性といったものを踏みにじっていたということも気づかぬまま、人として友好的な関係を築くことを恐れ、ただただ人間関係という制御可能な範囲でしか人と関わらなかった。なぜなら、それこそ僕が最も「上手く」できることであったから。

 青年というカテゴリーに属す頃になってようやく自分が醜悪な生き方をしていたのだと気がつくことができた。それを教えてくれたのは一人の女の子だった。彼女は特に何も語らなかったし、僕を諭そうという気もなかっただろう。しかし、その春風の切なさを宿した涙で僕の心を突き刺したし、視界の中で小さく消えていく背中は僕の足元を大きく揺らがした。僕はただただ自らが醜悪であるということを思い知らされ、気づかないフリを辞めざるを得なくなった。

 その辺りの話は込み入っているようで込み入っていないし、特段詳しく話すほどの事でもない。よくある恋愛話だ。いま冷静になって思い返してみても、それは世間的に特別感のある話ではない。彼女の話でもなければ、僕と彼女の間における話でもない。ただただ、僕一人の個人の問題であった。

 僕は自らの罪深さに気づかされ、そこからは自分で自分を呪うようになった。自分が苦しむことでその罪に贖うことができているのだと考えるようになった。僕はなぜ僕が醜悪なのかをよく考えるようになり、自分自身を憎むと同時に世界をも憎むようになった。世界……いや、世界というよりは社会と言った方が僕のイメージに近いだろう。世界は花や月や海に溢れ美しいが、社会は「人間」という醜悪な「目」に埋められて息苦しい。僕は確かにその社会の中で自らを満たし、慰め、守ることに終始していたが、それは半分が自分由来の目的意識であり、もう半分は「社会」から強制されているのだと思った。「僕」と「社会」は共犯関係にあり、その両者は本来無垢であったはずの自分に対して「醜い行為」を強要し続けてきた。だから、僕は自らの愚かさを呪うと同時に、社会の狡猾さを憎んだ。自分や社会の価値を糾弾し、いずれの存在も醜悪でありそこには一片の正しさもないのだと思うようになった。十字架を二つ用意して、そこに「僕」と「社会」を磔にし、火を放った。火には浄化作用があるのだと、とある小説で読んだ。

 

 そんなわけで「死にたい」ということが僕の生きる指針になっていった。

 自らと社会を憎むことは、それまでの醜い自分との決別を果たし、彼女の涙に贖うことなのだと思った。いや、彼女だけではない。僕がそれまで踏みにじって来たいくつもの物事に対して。醜悪であるという僕の罪に対して、僕は「死にたい」と自らを、そして「殺してやる」と社会を鞭打つことで罰を与え続けた。

 そういった罰があることで僕は自分がまだ存在して良い隙間があるのだと思えた。小汚い自分はもはや消えるべきものであることは間違いないが、そう簡単に箒の先が届かない壁と箪笥の隙間ならば存在が許されるだろうと思った。いずれ消えなければいけないことはわかっていたが、その時が来るまでは影の中で卑しく生きていくしかない。死ぬまでは生きていかなければならないのだから、仕方がない。僕としても早く死んでしまいたいということは話して来た通りだ。しかし、実際には死ぬことはなかなか難しく、そして仮にも生命体である僕からしたらやはり「死」というのは具体的な恐ろしさを持つものであった。

 死ぬまでは「死にたい」と願い続ける。

 そんな生活はもはや何の意味も持ちはしない。

 楽しいこと、素敵なこと。世界は根源的に美しいものだから、それらが存在することは確かだ。しかし、そういった事実とは関係なく、自分というものの醜さも確実に存在しており、それらはこの世界から消されなければならない。何があろうとそこだけは揺るぎない。だから、僕は「死んだように生きること」を僕の生き方とするようになっていった。

 

                         *

 

 テーゼ:醜いから死ななくてはならない。

 アンチ・テーゼ:僕はそれでも生きている。

 アウフヘーベン:今の生は死への移行中のものである。また、その移行中において、僕は「死んだように生きる」ことが求められるであろう。つまり、僕は「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」のだ。

 

                         *

 

 空が青かった。アスファルトがオレンジに燃えていた。僕は電車に乗って、たいした意味も無く神社を目指していた。

 人影はまばらで、仲見世通りのシャッターはほとんどが閉められていた。境内の出店には人も無く、「焼きそば」やら「甘栗」と書かれた暖簾が緩やかな風に靡いていた。イヤホンを外す。静かだった。

 五円玉を二枚放り込み、悪縁を断ち切り、良縁が結ばれることを願った。

 僕は違和感を覚える。そして、過去を振り返り苦笑いを浮かべる。数か月前の僕であれば、そんなことを願うはずもなかった。僕はただひたすらに死を望み、その時が来るまではささやかな平穏があることだけを願った。そもそも神なんてものを信じてもいなかったし、手を合わせるという行為は自らの内に向けられるべきものであり、宗教なんてものは自己規範にしか過ぎないと考えていた。宗教自体を否定するつもりはないし、それらから学べることは非常に多いと理解しながらも、それでもやはりそれらは思想体系の一つでしかないと考えていた。もしも僕が何らかの宗教に属しているのであれば、それは現代科学ということになる。昔ながらの姿をした神は、現代にはあまりに不釣り合いに見えたし、賞賛すべきところが未だ多く残っているものの、やはり矛盾やら何やらといったものを内包していると思えた。所謂「宗教」なるものはフィクショナルな文脈でしかもはや機能しておらず、現代においてそれは文学の領域にあると考えていた。そして、僕は文学を愛しながらも、そうではない現実社会の在り様を認めざるを得ない。

 

 首を括ってみてわかったことがある。

 それはここが「行き止まり」であるということだった。

 もし歩く向きを変えないのであれば、僕はまたその行き止まりに向けて突き進んでいくことになる。この間は高い柵を乗り越えることができなかったが、いずれ僕は登り方を覚え、柵を乗り越え、崖から死の淵へと身を投げることに成功するだろう。

 そういう意味では「死」というものは一つの不可逆な到達点であることには間違いない。むしろ、生きている限りは可逆性の世界の中に閉じ込められていると言っても良いかもしれない。確かに時間の流れは不可逆だし、エントロピーの増大する方向も定められている。しかしながら、「変化し得る」という可能性は生きている限り拭えないし、すなわちその可能性を保有し続けることこそが「生きている」ということになるのだろう。つまり、生きることは可逆性の中にあるということなのかもしれない。

 対して、「死」というのは時間性からも隔絶され、そこからはもはやどこにも行くことができない、完全なる不可逆性の中にあるものごとだ。「変化し得ない」というのが「死んでいる」ということになるのだろう。私たちは死んだ瞬間に固定された「死」という概念に統合されてそこから永久に逃れることはできなくなる。

 すると、僕の「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」という生き方は、「いかに不可逆的に生きるか」ということに集約されると思う。より分かりやすく言えば、死までの道のりを不可逆的に歩むことに他ならない。生きている以上は本当はまだ道を変えることはできるはずだ。しかし、そういった可能性に目を瞑り、死に向かって、たとえそれがふらふらとした足取りであっても歩き続けることが、僕の描く理想的な道筋だったのだ。

 そのようにして、僕は僕の掲げた「生き方」を全うすることでようやく首を吊るところまで辿り着けた。林を抜け、小川を渡り、森を抜け、そのようにしてようやくその崖まで辿り着いた。しかし、その崖への最後の障壁として高い柵があった。海風で錆びて、赤茶けた網目状のフェンスだった。その頂上はこちらに向けて鋭角に張り出している。乗り越えるのは至難の業に思えた。しかし、今さらここを引き返すわけにもいかないだろう。僕はここまで来るのをずっと待ちわびていたのだ。何度も扉をノックし、ノブを回し、時には蹴破ろうとしたがビクともせず、しかし辛抱強く待ち続けてその扉がようやく開いたのだ。扉から飛び出してみると、小さなログハウスの周りを林が取り囲んでいた。僕はそこから海の匂いを嗅ぎ分け、害虫や鋭利な木枝をいなし、ようやくここまでやって来たのだった。

 そして、その柵を登ろうと頑張った。首を括ってみたのだ。

 しかし、上手くいかなかった。夢は一度ついえた。いいさ。もっと練習していつかはこの柵も登り切ってやろう。

 だが、これ以上ここで柵を登る努力を続けることにいったい何の意味があるだろう。それが僕の「生き方」なのだと言えばそれまでかもしれない。でも、登った先に何があるのかはもうだいたいわかったと思う。そう、ただ死ぬだけだ。死の景色はもうかなりリアルに、ほとんどが見えてしまっている。

 僕は確かにずっと死のうとしてきたけれど、そこにはある種の死に対する憧憬のようなものがあった。狭いログハウスから抜け出して、林や森を抜け、小川を渡り、新しい景色を見てみたかった。それが原動力の一つになっていた節もある。しかし、もう死というものがどういったものか何となくわかってしまった。今更、それを実行に移してやり遂げることにどれほどの意味があるだろうか。

 そう、ここから見える景色はもはや不可逆な到達点なのだ。

 今ならまだ可逆的な世界に戻ることもできる。僕は本当にすべてを投げうってまで、その不可逆的世界へと行ってしまいたいのだろうか。長年の憧れではあるけれど、それが達成されれば、もはや戻ることはできない。それで本当に良いのだろうか。

 立ち止まって考えてみた。

 座り込んで考えてみた。

 手元の石を拾い上げ、フェンスに向かって投げてみる。それはフェンスをすり抜けて、勢いそのままに崖から海へと落ちていった。

 

 僕は本当に醜いのだろうか。罪はまだ許されないのだろうか。罰を与え続ける必要はあるのだろうか。

 もういいのではないか。死というものがどんなものなのか。それが何となくわかってしまうくらいには、僕は自分を痛めつけ、罰し続けてきたではないか。これ以上、自分で自分を苦しめることにいったい何の意味があるだろうか。もうこの先に観たい景色などない。罰し続けなければならない理由というのも、もはや実感できなくなりつつあるのではないか。そうだ、もういいんだよ。もう疲れ果てしまったんだ。

 生きるのは苦し過ぎる。そこからの逃避もまた僕が死を目指す理由の一つになっていた。しかしながら、苦しく生きることを強いてきたのは僕自身だ。誰からもそれを強制されたわけじゃないんだ。自分が「やめる」と決めれば、それで済む話だ。もし、自分で自分を罰しなくて良い生き方ができるのであれば、もう少しくらいは生きるのが楽になるのではないか。

 罰する理由もない。罰しなくて良いなら、もう少し楽に生きていける。

 死に対する憧憬もほとんど消えた。

 ならば、僕はもう、生きていて良いのではないだろうか。

 

 そう考えると少しだけ息をしやすくなった。

 もう自分で自分を罰する必要はないのだ。

 これで生きていけると思った。

 

 しかし、物事はそう簡単ではない。

 そう心に決めたからと言って、僕の本質が変わったわけではない。

 僕は相も変わらず、社会の言いなりであり、僕は言いなりのままの自分を受け入れるために「罰」という言い訳を使って来た。

 社会が求めるように振舞い、序列の中で自らを慰めるという悪しき習性はほとんど変わっていなかった。

 僕が心に決めたことはただ「自らを罰することをやめる」ということであり、僕が根本的に別人に変わったわけではないのだ。

 社会の言いなりになり、自分を罰するというのはある意味では楽をしていたのだと思う。つまり、僕は自分を罰している限りは社会に対して抗う必要も無く、面倒ごとは避けて通れる。それが僕にとって、「死」に向かうメリットになっていた。「死」に向かっているうちは社会の言いなりでいて良かったのだ。

 しかしながら、僕はここで自らを罰することをやめた。死に向かうことをやめた。すると、必然的に僕は社会と向き合い、そこで醜くない自分を作り上げていかなくてはならない。とても骨の折れる作業だ。そんな大変な大事業を僕のようなもやしっ子が一体全体できるものなのだろうか。考えるまでも無く不安だ。しかし、もしそこに勇気を持って臨まないのであれば、僕は結局のところ不可逆的な死に向かって突き進むよりほかない。登り損ねたフェンスを何とか登り切り、崖からダイブしなければならない。まあ、それならそれでいいか、とも思う。しかしながら、僕はもう一度可逆的な世界の中で、何とか生きてみたいと思うようになった。

 もし楽になれるなら。もし好奇心が持てるなら。それなら生きてみるのも悪くないと思えるかもしれない。

 僕は自分を罰することをやめ、死に向かうことに興味を失い、生きることに僅かな好奇心を感じている。ならば、僕はやはり生きようと思う。それがたとえ面倒で疲れることであっても、やれるだけやってみようではないか。嫌になったらまたここに戻って来ればいい。道はもう覚えてしまっている。ここに帰ろうと思えば、いつだって帰って来られるのだ。

 そう心を決めて、僕はようやく重い腰を上げて、来た道を戻った。森を抜け、小川を渡り、林を抜け、またあのみすぼらしいログハウスへと。

 

 放り投げた五円玉は音を立てて、賽銭箱の底へと沈んでいった。

 僕が切りたい悪縁は不可逆的な世界であり、僕が結びたい良縁は可逆的な世界へと変わっていたのだ。

 

                                       *

 

 自らを罰することをやめる。それによってだいぶ肩の荷は下りるだろう。しかし、根本的な僕の本質が変わったわけではない。僕は相も変わらず醜く罪深き人間ではあるのだと思う。ならば、どのようにしてそれを改めれば良いだろうか。僕が目指すべき場所はどこになるのだろう。これまでは「死」に向かっていれば良かった。しかし、僕は自らを罰することをやめたのだ。新しい目的地が必要だった。

 一番最初に思い浮かぶのは「生きること」だった。

 極論、極論で申し訳ないけれど、死ぬことから目的地を変えるのであれば、変更先はやはり生きることとするのが妥当のように思えた。しかし、いったい醜く罪深い僕はどのように生きていけば良いのだろうか。いや、逆に考えてみよう。醜く罪深い僕であることをやめられるのであれば、僕にも生きていて良い理由が見つかるはずだ。罰することをやめて良いという判断は、ただ僕が自分自身を罰し続けることに限界を感じたからに過ぎない。それは理由としてはかなり消極的だ。むしろ、僕が自らを罰することをやめるのであれば、それにふさわしい人間へと生まれ変わらなければならない。しかし、いったいどのような人間になれば、自らを罰する必要のない状態へとなれるのだろうか。

 また極論を言えば、生きている限り人の抱える原罪からは逃れようがない。生きているだけで人は罰を受けるに値するはずだ。少なくともこれまでの僕の議論であれば。しかし、その前提を覆してみよう。人はどのような罪を犯していたとしてもその罪を被る必要はないと仮定する。罪に対して罰があると考えるのはただの幻想に過ぎないのかもしれない。罪と罰の間の関係性について、そこには確かな因果関係があるように見えて、実は証明不可能な命題とは言えないだろうか。何を根拠に僕たちは罪に対して罰が付随すると考えてきたのだろうか。そういった考えを僕たちに植え付けてきた存在はいったい誰なのだろうか。

 椅子に座り、天井を見上げる。無機質な部屋の明かり。背後ではスピーカーがポップなジャズを歌っている。犯人捜しは捗らない。

 そもそも犯人を捜すということは無意味な気がする。痛み始めた首を休めるためにまた椅子にきちんと座り直す。

 問題は自らを罰することの目的である。仮に罪と罰の間に因果関係がないのだとすれば、一体僕は何のために自らを罰し続けてきたのだろう。

 その答はおそらく簡単に見つかる。

 多分、僕はまともに生きていないことに対する免罪符が欲しかったのだ。

 死に向かっている僕はまともに生きる必要がなかった。社会の中でうまく馴染めない。他人に対して自分の心の内をさらけ出せない。将来の人生設計なんてクソくらえ。僕はいずれ遠からぬ未来に自分で命を絶つだろう。だから、深い人間関係を築くことなんて無意味だ。老後を見据えて生きるなんて馬鹿らしい。守りたいと思うものを手にすることはただ罪の上塗りをするだけだ。死に向かう人にとっては何物も必要とならない。全てが虚しく、悲しみを背負って消えていくだけだ。僕は僕の死を悲しまないだろうが、僕の死に巻き込まれる形でみな嫌な気分になるだろう。ならば、最初から深く関わらないのが僕なりの礼儀と言えるだろう。そもそも誰にも僕の希死なんて理解できまい。もし「死にたい」なんてことを言えば、みな蜘蛛の子を散らすように僕のもとから離れていくだろう。だから、僕は僕の本心を語ることなんてできやしない。

 僕は誰にも深く関わるまい、と思っている。そして、周りの人たちはみな僕の「死にたい」と関わりたくなんてない、と思っている。ならば、お互いに然るべき距離を取って生きていこうではないか。僕が誰をも避け、誰もが僕を避けていた。そして、そんな僕を僕は受け入れていた。

 フィクション、あるいはあらゆる創作物が僕は好きだった。作品は悲しむことを知らないし、物によっては僕の本心とよく共鳴してくれた。僕が彼らを傷つけることはなかったから、彼らが傷ついていることを知って僕の心が痛むことはない。僕が「死にたい」と言う前に彼らの方から「死にたいよね」と言ってくれる。あるいは、「死にたい」なんてことすら言わずして、僕たちは共感の中に身を置くことができた。とても刺激的でありながら、そこには新たな傷を作る余地はない。僕たちはただ互いに傷を見せ合うだけだった。いや、相手は僕の傷なんて見ちゃいない。だから、僕は気兼ねなく自らの傷を開放できた。そして僕がまじまじと傷を見つめても彼らは嫌がりもしない。痛みを伴う関係でありながら、そこには礼儀や作法があり、少なくともそれらとの交流を通して傷がさらに広がるということはなかった。

 つまるところ、僕は人間関係で傷つくのが怖かった。

 こんな風なことを言うと、とても軽く聞こえてしまうけれど、事実としてそうなのかもしれない。僕が宇宙に一人きりであれば、自分に罪があるなんて考えることも無かったし、そうなれば自らを罰することなんてなかった。でも、そんなところはこの世界に一つしか存在しない。そう、それはすなわち死後の世界だった。

 

 時系列。それはかなり難しい問題だった。

 人と関わり傷つくことが嫌だったから、僕は人間関係の中に罪を見出し、罰を作り続けた。

 自らを罰することで、罪の意識を強化し、人と関わるのが怖くなった。

 そもそも僕たちは生まれながらに罪を背負っており、人間関係を前提とした人生ではそこから逃れることができないため、自らを罰しなくてはならない。

 痛みの伴う人間関係はつまるところ僕自身への罰であり、したがって、そこには人間社会で生きていくための罪が内包されているのだ。

 どれも正しいことのように思える。

 何が原因で何が結果なんてことははっきりとしたことが言えない。それは円を成し、果ては螺旋のように繰り返される。始まりも終わりも無い。こぶた、たぬき、きつね、ねこ。いつまでも歌っていられる。

 しかし、ここで一度冷静になってみようではないか。

 罪はフィクションであり、罰は僕自身の選択であり、人間関係における痛みだけが具体性を持った現実である。であるならば、答はシンプルだ。何よりも「痛み」が先にあったと考えるのが妥当だろう。もしも「痛み」がなかったのだとしたら、僕は罪を想像し、罰を創造しただろうか。そうだ。やはり僕は何よりも先に人間関係の中で「痛み」を思い知らされ、それに恐怖し、そこから逃げるための手段として罰や罪を持ち出したのだろう。

 原初、僕は何らかの痛みを人間関係の中で感じた。その痛みを感じるのは是が非でも避けたかった。それは底の深い鍋の中に放り込まれ、長い年月をかけて形が無くなるまで煮込まれ続けた。それはいつの日か、僕には生きている価値はなくただ死を望む存在である、というテーゼとなった。死を望んでいる限りは僕は積極的に人間関係を作り上げる必要が無く、社会に対して背を向けていればよかった。ただただ死に憧れ、死を見つめているだけが僕のすべきことだった。死を見つめ続けることは自らに対する罰であり、そのように僕が死に捉われる理由となったのは、僕自身の醜さという罪だった。かなり飛躍しているようだが、それもそうだ。面倒ごとが嫌いな僕は、出発点と結論だけ用意すればそれで良いと考えている。「痛み」を感じ、それを避けるために、罪やら罰やらを持ち出した。それが簡潔に説明した場合の因果関係と言えるだろう。それ以上に言葉を尽くす必要はないように思う。ただ単にとろ火で時々鍋の底をかき混ぜるだけの単純な反復動作は描写するに堪えない。

 それでも、だいたいの部分については語らざるを得ないだろう。先に述べたように僕には過去にありきたりな恋愛で痛手を負った経験がある。僕はその経験を通して自らの罪を悟るに至ったわけだが、それは僕の自らに対する認識、あるいは社会に対する向き合い方を変容させるためのイベントに過ぎない。僕はそれ以前から醜悪であったのだし、だからこそそのありきたりな恋愛で痛手を負うに至ったわけだ。僕を人間関係から遠ざけ、醜悪な存在に至らしめたきっかけはまた別のところにあるように思う。

 僕はその存在について心当たりがないわけではない。しかし、それは確実に僕のトラウマであるが故になかなか正面切って向き合うことができずにいた。何ならその恋愛の方がまだ向き合える代物であり、それが隠れ蓑になってすらいた。僕は確かに彼女に対して誠実ではなかった。しかし、僕の不誠実さはそれ以前よりあらゆる人間に対して向けられたものであり、僕が自らを根源的に醜悪としたのもそれが理由であった。僕は僕の抱える根源的な醜悪さによって彼女を傷つけるに至ったのだ。

 そして、その責任の半分を社会に求めた。つまり、僕がこんな風に他人の目ばかり気にする醜悪な存在になってしまったのは、他人と比較することにしか、集団の中での偏差値にしか価値を見出すことのできない社会制度にあると訴えていたわけだ。確かに僕が他人からの羨望をいかに得られるかという尺度でしか物事を考えていないクソ野郎だということは認めよう。しかし、この社会全体がそうではないか。社会の中にはこれが「是」であるというような不文律があり、可能な限りそれを満たすように生きていくべきであるという抑圧があることは確かだ。道徳の授業の中に狙いや答が用意されているように、かくあるべしというレールが敷かれている。僕はそのことに気づき、できるだけそうなれるよう自分を抑制しなければならなかった。もちろん、僕はそのレールに沿うことで利益も得てきた。しかし、それは僕が本来求める利益だったろうか。その利益すら、この社会の中でしか通用しない疑似的な価値を付与された通貨でしかなく、根源的な価値を有してはいないんじゃなかろうか。そんなことを考え出し、人々を虚構の中に取り込めて搾取する社会を憎むようになり、加えてそんなものに蹂躙されていた自分自身が酷く情けなく感じられたものだ。

 だから僕はそんな社会を偽りのものとして再定義し、この世界は努めて虚無であると考えるようになった。この社会の中で言いなりになっていては、いつまでも真実の価値に辿り着くことは無いだろう。価値というのは自らが与えるものであって、社会に提示されるものでは決してない。何に価値を見出すか。それは自らの人格をきちんと持つことである。そう、ここまでは良かった。しかしながら、当時の僕は社会というものをひたすらに憎んでいたし、それの従僕であった自らをもとことん憎んでいた。だから、社会や自分の価値というものを最小化しようと躍起になっていた。そこからしかスタートをすることができなかったのだ。

 そのようにして、僕は自己虐待を始め、この社会には生きていくだけの価値は無いし、また自分自身も存在する価値は無いと決めつけた。人々の真の価値を蹂躙する社会は醜悪であり、またそれに準じてその社会の悪しき機能を向上させていた自分という存在も醜悪である。そんなものは消えて然るべきだ。では、そのように社会や自己を落としめるとして、いったいこの世の価値とは何なのだろうか。色々と考えてみたが答として適切なものには終ぞまみえることはなかった。だから、この世界の本質は虚無にあることと考えた。神と真理と虚無は、同じ本質の別名であるという風に考えたこともあったっけ。そのようにしてこの世界には、まっとうに向き合う価値などないし、いずれ死ぬその時まで、神であり真理である虚無と向き合っていればよろしい。そんな風に考え、僕は遠からず訪れるであろう自死のときを待ちながら、この社会と向き合うことを放棄していた。本気で死にたくなるまで自己虐待を続けていればそれで良い。それ以外に僕のやるべきことはないと考えるようになった。

 それはある意味では楽な生き方であったろう。自分自身で、低きに流れる行為だという自覚はあった。しかしながら、それに抗う道理もない。そもそもなぜ死を望んではならない? それはアレだ。僕が忌み嫌う道徳の授業だ。「死んではいけません」。そういう社会通念をただ押し付けているだけじゃないか。いくら考えたってこの社会に価値なんてものは無い。人々を強制するばかりでそこには不自由さと醜悪さしかない。行きつく先はただの虚無だ。だから、虚無的に死ぬまでを生きる。それで良いではないか。もうとやかく言ってくれるな。僕はもうそこから抜け出したいんだ。うるさい、うるさい、うるさい。もう、お前らの言うことになんて耳を貸すもんか。僕はもう消えたい、死にたい。放っておいてくれれば良い。ただそれだけで僕は僕の目的を達成するし、お互いに嫌い合う存在が決別するのだからWin-Winではないか。そうだろう。だから、もう本当に放っておいてくれ。僕は僕でその時まで独り楽しくしっぽりとやっているからさ。

 

 そんなところまで辿り着いてしまい、僕はついに首を吊ったわけだ。が、死ねなかった。

 僕は僕の信念に則ってこんなところまでやって来たけれど、その一歩目になったと思われる出来事は何だったろうか。足跡を辿っていくとき、僕は大抵、そのありきたりな恋愛をスタートとして据える。それくらいそのありきたりな恋愛は僕にとって記念碑的なものであった。しかし、その恋愛を経験するより以前から僕は醜かった。であるならば、僕がそんな風に醜い存在であった理由はどこにあるのだろうか。社会の言いなりであったから醜かったという理屈もよくわかるが、どうして僕は社会の言いなりであったのだろうか。

 随分と前に、その醜さの理由は僕の「悪癖」にあると考えた。

 そう、人間関係の中で序列を作り上げ、そこで上位にいることでしか自らを満たせないというあの「悪癖」だ。それは思い返せばもう幼稚園児くらいの時分からあったように思う。園内のドッジボールではいつも最後まで残っていないと気が済まなかったし、折り紙が得意という理由で他の子どもたちよりも良い折り紙を融通してもらった経験もあった。紙飛行機はいつだって一番遠くまで飛ばしたかった。ひらがなもカタカナも漢字も誰よりも書けていないと涙が溢れてきた。そういう意味では僕は生まれながらのクソ野郎であったわけだが、果たして本当にそういった「悪癖」だけで僕は醜悪な存在であったと言えるのだろうか。

 そういう傾向は確かに僕の「悪癖」であることには間違いなく、僕が社会を毛嫌いする理由にもなろう。しかしながら、僕はその「悪癖」によってどれほどの痛みを背負っただろうか。そこには僕が後々の人間関係を全て恐れ、遠ざけるほどの痛みがあったようには思えない。もちろん、後々その「悪癖」が痛みをより大きなものにしたことは間違いないが、少なくとも幼稚園児の僕はそこまで「痛み」を感じることはなかったように思う。

 僕が精神的な「痛み」を感じた最初の記憶は小学生の頃だった。

 

                         *

 

 小学生の僕も幼稚園児の僕に負けず劣らずの負けず嫌いであった。誰よりも上位に立っていないと気が済まなかった。そんな僕があるときバスケットボールを始めた。もちろん、バスケットボールでも一番でないと気が済まなかった。

 小学校の部活動のチームの中で少なくとも三本の指には入っていたと思う。僕が完全無欠の一番でないことに、最初のうちは納得できなかったが、それぞれに才能があり、僕よりも背が高い子や、シュートが上手い子、ディフェンスが上手い子などがいることは事実だった。しかし、僕以上にドリブルが上手い子はいなかったと自負していた。そして、僕はやはりそういった様々な才能の中でも、総合的に見て一番優秀であることに執着していた。

 チーム自体が強かったとは言い難い。負けることも多かったし、その度に僕は恥かしげも無く涙を流すことになった。確かにそういった敗北の経験というのは僕の心に痛みをもたらした。しかしながら、そういった部活動の中で僕の心を痛めつけたのは、まったく別の事であった。

 最初に申し上げた通り、僕はかなりの負けず嫌いであった。それ故に、他校と試合を行う度に……いや、それがたとえチーム内の練習試合であっても、僕はミスをしたチームメイトのことを酷く罵倒した。「やる気あるのか!?」、「真面目にやれよ!!」、そういった言葉を僕はチームメイトに叫びまくった。何よりも負けるのが嫌いだった僕は本気で自分が5人いれば良いのにと考えた。僕自身ミスをすることもあったけれど、それはそれとして周りの人間が自分の足を引っ張っていることに我慢がならなかった。

 全く以って横暴な人間である。

 僕は誰よりも他人に対して「かくあるべし」ということを強要し、そして、幾人もの仲間たちの心を踏みにじって来た。僕は自分勝手なエゴで他人を傷つけ、時にはその人間性すら否定した。気がつけば僕は裸の王様のような人間になっていた。

 そんな僕に対して、あるとき見かねたチームメイトの保護者が「うちの子だって真面目にやってる。そういう言い方はやめてあげてほしい」と至極真っ当な苦言を呈してきた。

 僕だって薄々感じていた。チームメイトに対して罵詈雑言を浴びせかける自分は良くないことをしているとわかっていた。しかし、誰も何も言わなかったし、僕も自分の感情を抑えることができなくなっていた。それは何らかの中毒のように、もはや自然と僕の口から零れていることだった。しかし、そのようにチームメイトの保護者に言葉をかけられて初めて、僕は「もっと自制しなければ」と思うようになった。その時の僕はもう誰からもほとんど信頼されていなかったし、煙たがられるような存在だったと思う。僕はバスケやらあるいは勉強やら何やらで他人の上に立つことはできていたけれど、その実誰とも深い交流を持てなくなっていた。僕は他人を傷つけないように気をつけ始めたけれど、その時にはもうほとんど誰も僕の味方と思えるような相手はいなくなっていた。そして、僕は何らかの序列にいることでしか、僕自身の価値を……ここに存在して良いことの正当性を見出すことができなくなっていた。

 しかし、中学や高校に進学していくと自然の成り行き通り、僕は自らが凡庸であったことを知るようになったし、そうなるとより僕は他人との関係性の中に自信を見出すことができなくなっていった。小学生時代の僕の横暴を、僕は僕なりに省みようとしたものの、そのやり方は中途半端で、僕が傷つけてきた人たちからの反撃を恐れ、他人を罵倒することは減っていった反面、無言の圧力で反撃を阻止し続けていた。つまり、何らかの序列の上で僕の方が上にいるということを示す方法でしか、僕は自分の身を守ることができなくなっていたのだった。だが、年齢が増えるにしたがって、僕は自分で自分を序列の上位に置くことが難しくなっていった。次第に僕は斜に構えた態度を取るようになり、「何となくあいつにはナメた態度を取らない方が良さそうだ」という空気を身に纏うようになっていったと思う。そして、そのように仮面を纏うことでしか、自分を人間関係の中で守ることができず、結果的に僕は誰よりも社会的な尺度で自らの正当性を他者へと見せしめ、自信の無い自分を守ることに終始していくことになった。

 僕の集団の中で上位にありたいという「悪癖」は、小学校の頃の僕自身の横暴により他者を傷つけてしまったことに起因する「痛み」によって、ある種の強迫観念的な様相を呈するようになったのだった。

 チームメイトの保護者からかけられた言葉に僕は傷つき、酷い「痛み」を覚えた。初めて僕自身の罪を「痛み」という罰によって知らしめられた瞬間だった。その出来事の中では完全に僕だけが悪者であり、そしてそんな悪者は周囲から煙たがられ、僕は自分を守るためにより「序列」に固執するようになったのであった。自分が序列の上位にいるという感覚なしでは、僕は他者と安心して絡むことができなくなっていたし、さすがに高校生くらいにもなれば、僕は自分のそういった「悪癖」にも気づき、他者のとの関係性の中に安らぎを見出すことはできなくなっていた。

 そんな僕がありきたりな恋愛をしてみたところで、そもそもの僕という人間自体がそんな感じで浅ましいのだから上手くいくはずもない。僕は人気のあった彼女と付き合っているという称号が欲しかっただけだったのかもしれない。いや、心の底では彼女のことが本当に好きであったと思う。少なくとも、他者の評価以前に彼女の人間性に対して僕はとても好感を持っていたはずだった。しかしながら、僕はプライドが傷つけられること、つまり何らかの弱みを見せたり、付け込む隙を与えたりすることが何よりも怖かった。だから、僕は彼女の事を手放しで愛することができなかったし、それ故に彼女の素朴で実直な気持ちにも正面切って向き合うことができなかった。僕はいかに僕の体裁を保つかということだけに終始していたのだから、彼女に対して無防備に心からの愛を捧げることなどできなかったのだ。

 

 僕はただひたすらに醜悪だった。

 こんな人間であったから、小学生から高校生くらいの思い出というと、虚栄心を満たしているか、それができずにイライラしているか、のどちらかという感じだ。誰かとまともに心を通い合わせられたという記憶がない。僕は常に人間関係に怯えていた。周囲をバカにしてきた僕は、もはや自分がいかにバカにされないかということしか考えられなくなっていた。そんな僕は間違いなく誰よりも大バカ者であった。

 周りの目ばかり気にして、いつも社会的尺度で定められた序列に従うことに終始していた。そして、小学生の頃に続いて、高校生にもなってまた女の子を傷つけ、そこでようやく僕は自分が醜悪極まりない生き方をしていて、そこから脱却しなければならないと思うようになったのだった。

 そこから先の事はもう何度も話して来たから今さら言うまい。

 結果的に僕は首を吊った。そして、死の風景を垣間見た。

 

「かくあるべし」を他人に強いてきた僕は、いつの間にか自分に「かくあるべし」と語り続けるようになっていた。そして、それに疲弊し、社会のせいにし、もう誰も僕に「かくあるべし」なんて言わせまいと拳を振るった。とんでもない自作自演である。

 最初はただの功名心だったはずなのだ。誰よりも遠くに紙飛行機を飛ばしたい、というある意味では純粋な欲望でしかなかった。しかしながら、それが他者に向いたとき、僕は醜悪な人間への第一歩を踏み出した。自らが一番になるために、他者をこっぴどく貶めた。そして、そういう自分の横暴さが糾弾されたときに、僕は謝るのではなく、ただ居心地の悪さから適当な距離感を取ろうとし、結果的に僕は無言の圧力で誰も反抗できないように周囲を押さえつけようとした。そして、それが習慣化し、僕は自らを守るために序列の中で上位にいることだけに終始するようになってしまった。そのことがさらに一人の女の子を酷く傷つけた。僕は他人を傷つけることでしか何かを学べないクソ野郎なのだと思うと、さらに人と関わるのが怖くなってしまった。だから、ある意味では僕は自分が傷つかないために社会的な関係性をより強く意識するようになったのだった。社会的に高い序列にいることが、僕を守るための唯一の手段であった。故に、僕は社会的な評価を得ることに固執し、そこから外れることを忌み嫌っていたのだった。

 しかし、内心ではもう自分の醜悪さに気づいている。他人と関わるときには必ず社会的な目線を持ち出そうとする。そういう自分が何よりも嫌いだった。嫌いだったけれど、そう簡単にはやめられない。

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。しかし、今さらそんな勇気を持つことはできなかった。だから僕は自らの醜悪さをただ認め、そして醜悪だからこそ罰を受けなければならないとし、ただただ死に向かっていったのだった。醜悪さを改めるのではなく、醜悪な自分に妥当と思われる罰を与える。すなわち、とことん自己という存在を否定しきって、自死に導くことでしか安寧を得ることはできなかった。そのようにすることで神に赦しを請うていたと言えなくもない。ともかく僕はこんな醜悪な自分を赦すためには、死なざるを得なかったのだ。

 

 首を吊るときに考えていたことは、「つまらない」ということだった。

 生きていたって仕方ない。そんなことはわかっている。でも、まだ何か生きる楽しみがあると思って、まだ生きていた。死ぬのが怖いから、まだ死ねない。でも、死ぬのが怖くなくなったらいつでも死んでやる。でも、結局そんなことを言いながらも生きていたのは、きっと何かが楽しかったから。死に向かうことで見えて来る何かは確かにあったし、それがちょっとした楽しみにもなっていた。

 しかし「もう死のう」と感じたときには、ただただ周りの物事が単なる「浪費」でしか思えなくなり、何事にも面白味を感じることができず、「つまらない」に支配されていた。疲弊していた。もうこれ以上自分を呪う事にも疲れてしまっていた。何に対しても面白味を感じられないくらい疲れていた。だからとにかく「つまらない」しか目に映らなかった。耳にも聞こえてこなかった。

 自分の醜悪さについて考えることも、罪深さについて考えることも、全てがつまらなかった。あるのは苦しみだけだった。だから、もうこれ以上は生きていけないと思って、僕は首を吊った。死ねばもう苦しまなくて済むと感じていた。やっと肩の荷を降ろせると思った。

 

 そして結局、僕は死に損ねた。

 これからいったいどのようにして生きていけば良いのだろう。

 

                         *

 

 答は既に喋り尽くした中にある。

 

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。

 

 これだ。と、思った。

 死に損なった僕にはもう恥も外聞もない。恐れることも何もない。僕は誰かと一から、一人の存在として、社会的な尺度を抜きにして向き合うのだ。「かくあるべし」を自分自身を含めて誰にも押し付けることなく、社会と共存していく。それがこれからの僕にできる唯一のことのように思えた。もっと社会に対して心を開いていかなければならない。そう、つまり僕は社会の中で「かくあるべし」を守らなければ、社会から煙たがられたり、何らかの反撃を受けるのではないかと考えていたのだった。だから自分の身を守るために、自分の中に自分を取り締まる法を作り上げて「かくあるべし」という生き方に終始していた。そして、内心ではその「かくあるべし」というものに対して、かなり強い反抗心を感じている。そこには、「かくあるべし」を満たさなければ自分の身を守れないが、その「かくあるべし」を心底憎んでいるという矛盾があった。言わば、他の生命を奪いたくないと考えているのに、何かを食べずには生きていけない全ての人間のように。

 豚肉や牛肉はもってのほか。それらは生命体を殺して得られる食物だ。そう考えると、大根のようなものも食べてはいけないと思う。フルーツなら果実だから、一個体の生命を全て剥奪するわけじゃないから食べても良さそうに思える。でも、果実は種子であり、言うなれば次の新たな命の源である。これを食べても良いのだろうか。では、乳製品ならどうだろう。今度こそ何の命も剥奪していないように思える。しかし、チーズのような製品は醗酵しており、これはつまるところ醗酵を促す微生物を食しているということになる。では、話を戻して、何らかの植物の葉なら食べてもいいのではないか。葉ならまた生えて来るし、種子というわけでもないから、命には含まれないのではないか。しかし、細胞一つひとつは生きている。それを食すということはやっぱり小さな命を奪っているということにならないだろうか。

 結局のところ、何かを貶めずには生物というのは生きていけない。その真理に行きつくだけで、どこをどう探したって、僕たちが生きていることを肯定する理由なんて見つけることはできないだろう。原罪というものが必ずあり、それを受け入れることでしか人は生きていくことができない。にも関わらず、大勢の人間が今もこうして生きている。

 だから、僕たちはやはり「罪」という幻想から解き放たれるよりほかない。確かにそこには「罪」が存在しているのだろう。しかし、「罪」というのは想像力の話だ。「罰」という具体化装置を用いない限りはそれはイマジネーションの領域を出ることは無い。自らを律するために「罪」という考え方は重要であるが、必要以上の「罪」は自らを必要以上に痛めつけるだけで、そんなことを続けていればいずれ死ぬよりほかなくなってしまう。

 僕を散々振り回して来た「かくあるべし」というヤツも、この「罪」というものととても似ている気がする。「かくあるべし」というのはただの不文律だ。別に法律か何かのようなものではない。だいたい法律だって人間が勝手に決めたもので、国によってその在り方は違うし、社会秩序を維持するための効率的なシステムに過ぎない。そんなものに終始して、自らをそこに縛り付けるのは、結局自分を痛めつける行為でしかない。もちろん、「罪」と同じように自らを律する上では「かくあるべし」というのも効能を発揮するかもしれない。しかし、やはりこれも必要以上のものは、自己虐待になり得る。「かくあるべし」に縛り付けられた人生はただ息苦しく、「つまらない」ものにならざるを得ないだろう。

 だから、もし僕がもっと伸び々びと生きていきたいのであれば、そういたイマジナリーなものをとことん排除するしかあるまい。何をも縛り付けてはならない。

 社会的尺度を持ち出して縛り付ければ安定はするかもしれない。束縛の中に安心感を見出せるかもしれない。しかし、それは結局すべての物事を息苦しくし、「かくあるべし」という「つまらない」オートメーションの中に閉じ込めてしまう。そういった生き方はもはや僕には虚無的にしか映らない。だったらもう死んだ方がマシだ、というところまで僕はもう行きついてしまった。僕はまたログハウスの扉を開け、林を抜け、小川を渡り、さらに深い森を抜けて、あのフェンスに取り囲まれた崖へと歩いて行くことになるだろう。今度こそあのフェンスを乗り越えてしまうかもしれない。まあ、それならそれで良いが、せっかく引き返したのだ。別の景色も見てみたいではないか。

 

                         *

 

 電車を降りて、僕は人が往来する駅の前を歩いた。決して大きくはないが小奇麗な商店街が僕を迎え入れる。花屋と古着屋とハンバーガーショップを横目に歩き、商店街の切れ目を右に折れ曲がる。これまた小さな古着屋の店員が入口の窓ガラスを拭いていた。おとぎ話に出て来るようなこじんまりとしたログハウスのような店だった。僕はそこを通り過ぎ、裏通りに差し掛かる。表よりもやや静かではあったが、表通りは昔ながらの高級店などが並ぶ一方で、裏通りは若者向けの洒落たカフェやら雑貨屋が目立った。二つ目の交差点には町の地図があり、丘の上にはちょっとした観光名所にもなっている欧風の街並みがあった。港町のここら辺には昔から欧米人やそれに憧れた日本人が洒落た家々を建てており、結婚式場や教会なども並んでいた。

 僕は先週末に買ったCDをミュージックプレイヤーで聴きながら、坂を登った。

 低層の家々は現代的な感じがあったが、坂を登るにつれて次第に時代を感じる風情ある建物が増えていった。急斜面にしがみつくようにして階段が幾重にも折り重なっている。木漏れ日が心地良い。足を止めて振り返ると遠くには港が見えて、きらきらと光る水を湛えていた。斜め向うの斜面には洋風の墓地が緑の影の中にひっそりと佇んでいるのが見えた。

 しばらくはそんな風に景色を眺めながら散歩を楽しんでいた。しかし、次第に景色は遠のき、歩くことそれ自体が散歩の目的へと変わっていく。僕はこの高台を一周して、あとは海沿いにずっと街の方まで歩いて行くルートを思い描いた。二、三時間は歩き尽くせる散歩ルートになるだろう。

 小さな庭園に心惹かれて立ち寄ると、結婚式前のカップルがタキシードと白いドレス姿で写真を撮っていた。誰もが幸福そうであったが、僕は数週間前の友人の結婚式を思い出して、気分が悪くなりかけた。しかし、そんな気分の悪さを海風が吹き飛ばしてしまうと、後にはただただ静かな悲しさだけが残った。耳元ではアンニュイなコーラスワークが僕の代わりに足を踏み出し続けていた。

 死ぬことをやめて、生きてみようと思っていた。そして、生きるためには誰かと正面切って向き合う必要があるだろう。そう、自分の中の「眼」を殺すのだ。「かくあるべし」という「眼」を殺す。僕は真に自由な個人となって、人と、そして社会と向き合わなければならない。

 確かに僕たちは失敗ばかりだったかもしれない。僕は首を吊るところまで行ってしまった。それは最終的には失敗したけれど、一つの到達点には至ったと思っている。もはや「死」というものは怖くない。もちろん、いざ死のうと思ったら生きている僕の体はそれを拒絶するだろう。だから死ぬにもかなりの労力は伴うはずだ。しかし、やろうと思えば、僕はいつだってそれを実行に移すことができる。そのことがわかった。何だって二回目は楽にやれるものだ。

 実際に僕はあれから二度、首を吊っている。首を吊ったってどうにもならないことはわかっていた。おそらくは失敗してしまうであろうこともわかっていた。しかし、とことん疲弊しきった日には、僕はどうしても首を吊りたくなったし、それに抗う術も持たなかった。自分がバカなことをしているということはわかっていた。それでも、それでも。

 喉元はまだ少しだけ痛んでいる。治りかけの瘡蓋のように、普段は気にならないけれど、ふとした瞬間に気になって力を入れてみると、そこには確かに若干の違和感が残っていた。

 ふいに悲しくなって、歩きながら鼻歌を歌った。

 耳元で鳴る音楽に合わせ、メロディラインをなぞるでなく、適当に旋律を重ねた。涙が出そうになる。泣かない代わりに僕は鼻歌を歌った。

 死んでしまうことは悲しいことか。

 これまでの僕だったら、むしろ死ねるのであれば、それは願ったり叶ったりという感じであったから、きっと悲しくはならなかっただろう。しかし、僕はもう一度「死」を垣間見てしまった。死ぬということは本当に「無」だった。虚無ですらない。「無」だ。あまりにも空白過ぎて、そこにはやはり一片の悲しさがあった。悲劇的ではないにせよ、憂いがあるわけでもないにせよ、ただそこには消滅の悲しさがあるのだった。早朝の白い光に消えていく小さな星々。それらが背負う悲しみと似た悲しみがあった。鼻歌くらい歌ったって仕方ないくらいの悲しさだった。ある曲の歌詞では「口笛」を吹いていたけれど、「口笛」を吹けるほどの力も無い。泣き声の代わりの鼻歌くらいが妥当な悲しみだった。

 僕は何を恐れていたのだろう、と思う。

 物心ついたときから、僕は人間関係の中で傷つきたくなくて、社会という「眼」を自らの内に飼うようになった。そういう存在があることを僕は社会から教えられた。社会という不自由さを受け入れれば、彼らは僕に安全を保障してくれた。誰にも僕を傷つけさせない。仮に彼らから攻撃を受けても、僕に社会的優位性がある限りは、僕という存在の価値を保証してくれる。だから、何をも恐れる必要はない。もし恐れるものがあるのだとすればそれはその「眼」そのものである。ただし、その「眼」を軽んじれば僕は罪を背負い、罰を受けなければいけなくなるだろう。

 僕を守ってくれていた「眼」。僕を縛り上げていた「眼」。上手く周囲に馴染めない僕はその「眼」を使い、社会という媒介を用いることで、何とか人間関係を作り上げてきた。しかし、やはり傷つくことを恐れていたから、心を開くことはできない。僕には安心してくつろげる場所がなかった。虚栄心だけが僕にささやかな安心感を与えてくれていた。そんな醜悪な生き方しか僕にはできていなかった。

 チームメイトよ、ごめんなさい。

 チームメイトのお母さん、ごめんなさい。

 美しい十七歳の彼女よ、ごめんなさい。

 僕は罪深い僕を殺すと誓った。そして、本当に殺しかけるまで頑張ったよ。いつの間にか、僕は僕の本来の罪を忘れ、新しい意味を与えた罪と罰に塗れて生きるようになっていた。僕と社会とを繋ぎ止めていた「眼」の存在なんてもはやたいして気にしていなかった。そんなものよりも、僕はより強力な「眼」を自分の中に作り上げていた。彼はもはや一点の曇りも無く、僕を死へと導くようになっていた。

 お前は死ななくてはならない。それはもう覆しようのない事実だ。

 僕はそんな彼の言葉を受け入れ、共感し、一緒になって喜んでいた。加害者も被害者も僕自身で、そして同時に社会そのものであった。

 知ってるかい。中学生の頃、理科の授業でビーカーの中で蝋燭を燃やす実験をした経験があるだろう。空気中の酸素と蝋燭の持つ炭素を化合させ、二酸化炭素と水と熱と光を得る実験だ。これが何を意味しているかと言うとね。人の生命活動というのも、蝋燭の炎を同じということを意味しているんだ。人間は食べることで自らの中に炭素を取り込み、呼吸を通して酸素とその炭素を化合させ、体の中で蝋燭を燃やしているんだよ。だから、死んで呼吸できなくなると、人は次第に冷たくなっていく。つまり、死とは冷たいものなんだ。

 いつからだろう。僕はもう過冷却された水のようだった。水はね、ゆっくりゆっくり冷やしていくと氷点下よりも冷たくなっても凍らずに液体のままでいるんだ。これを過冷却現象と言う。液体のうちはまだ動ける。でも、この過冷却された水に衝撃を与えると一気に凍り付いて動けなくなってしまうんだ。例を挙げよう。樹氷というのは、大気中の水蒸気がゆっくり冷やされ、氷点下になったものが風で運ばれ、樹にぶつかった衝撃で一気に凝固することで生まれるものだ。だから、樹氷は風が吹きつける方向へと育っていく。一般にイメージする風の流れとは逆向きに育っていくわけだね。まあ樹氷の話はあまり関係ない。僕が言いたいのは、あくまで過冷却現象だ。僕は死に向かうことに固執し、そしていつの間にかすっかり凝固点を下回ってしまった。呼吸をしても冷た過ぎてもう炎は生まれない。あとは何かにぶつかって完全に凍り付いてしまうまで、その辺の中空を漂うだけだ。

 そんなときに会社の中であることが起きた。僕はある失態を犯し、上司に呼び出され、こっぴどく叱られた。普段から苦手と感じていた上司に色々と嫌味を言われた。そんなことこれまでも何度か経験していたから、別に特に問題はなかったはずだった。しかし、残念ながら僕はそのときもう過冷却状態にあったんだ。だから、ついつい首を吊ってしまった。本当にただそれだけのことだったんだ。会社に対しても、その上司に対しても恨みなんかは無い。僕はずっと死にたかったし、それはただのきっかけに過ぎなかった。だから、僕の周りの人間がこれを会社の問題と捉えて欲しくなかったから、そうならないように遺書を残すつもりだった。しかし、結局僕はそのとき遺書を書く気力がなかった。もしかしたら、多少は恨んでいたのかもしれない。揉めるなら揉めるがいい、みたいな気持ちが全くのゼロではなかったということは否定しない。でも、それ以上に僕はただただ遺書も書けないくらい疲弊していただけだったんだ。

 でも、もうわかったよ。

 死ぬなんてくだらないことさ。

 生きていることがくだらないと同じように、いや、もしかしたらそれ以上にくだらないことさ。死にかけてみてようやくわかった。僕は全てのリアリティな生の世界を怖れて、イマジナリーな死の世界に酔っていただけだった。

 そこでは僕以外に僕を傷つけるものはなかった。仮にリアルな世界で傷ついても、むしろそっちの方が虚構に過ぎないと思い込めるくらい僕はイマジナリーな世界の中へと逃避していた。リアルな世界には不特定無数の「眼」があって僕を監視している。そんな怖ろしい場所では生きていくことができない。だから、死に向かうだけのイマジナリーな世界の方がマシに思えたのさ。イマジナリーな世界の方がよっぽどまともだと思えたんだ。でも、イマジナリーな世界をリアルだと思い込むためには、血を流す必要があった。僕はもうとんでもないくらい僕を痛めつけたよ。辺り一面、血の海。それでやっとここが現実なんだと思えた。

 でも、結局のところ僕はどこまで行っても現実逃避をしていただけだ。そんなことはわかっていたけれど、死んでしまえばそのイマジナリーな世界は現実のものとなる。それで良いと思っていた。自死に至る行動さえ起こせてしまえば、僕のイマジナリーな世界は真実のものとなる。どちらにせよいずれは死ぬわけだから、これは非常に生産的な方法だと考えていたんだね。

 けれど、本当に死にかけてみて、イマジナリーな世界を現実のものにすることの無意味さを思い知った。それはいつでも選べる手段であり、実に簡潔な到達点でしかない。ゲームに飽きたらいつでも電源を切れるように、僕たちも人生に飽きたらいつでも電源を切れる。ブラウン管の中に残った熱は一瞬だけ悲しさを漂わせるけれど、それもあっという間に消え去る。夕食の支度ができた合図でそれは消え去る。

 だから、僕は一度、そのイマジナリーな死の世界から離れようと思う。そうすると必然的に僕は不特定無数の「眼」が巣食うリアリティな生の世界へと戻らなければならない。でも、その「眼」と言うもの自体が、僕の生み出したものに過ぎないんじゃないかと思うんだよ。その「眼」の言いなりになっている限り、僕は心を開かなくていいし、ある意味では楽をしていられる。でも、それがいかに醜悪なことかというのは、もう身を持って体験している。そこから逃れたい一心で、僕は「死」へと向かってすらいたんだ。

 そういうわけで、僕はもうその「眼」の言いなりにはならないと誓おう。

 もう傷つくことを怖れまい。自分が犯したこれまでの罪をも受け入れよう。でも、もうそれに関する罰は与える必要はない。いいんだ、もう。罪は償うべきものであって、罰で帳消しにするものじゃあない。どうやれば償えるか。本来あるはずの「痛み」を受け入れることだ。「痛み」を免れようとして、訳の分からない「罪」に翻弄されるくらいなら、もうちゃんと「痛み」を受け入れるんだ。その勇気を持つ。それが肝要だ。

 僕は自らを襲う痛みを怖れるあまり、それを有耶無耶にするために、社会の「眼」を自分の中に飼い出した。それを機能させることで人間関係を自分の本当の心の位置から遠ざけようとしたんだ。そんなことを幼い僕はやり続けた。だからだろう、僕には友達と呼べるような人が誰もいない。「かくあるべし」という世間の視線に贖っていれば、誰も僕を責めたりはしない。そのことを逆手にとってやって来た結果がこれだ。僕は一度でも本当のことを言ったことが無かった。嘘ばかりだった。全部、嘘だった。すべては学校の授業で、どう答えるべきかという正解を口にしていただけに過ぎない。そんな道徳の姿態を僕はただただ描写してきただけの人生だった。

 それにケリをつけよう。

 正解を口にするのはもうやめた。

 先生、僕はもう疲れて死にたいんです。でも、死ぬのは怖かったです。死ぬのは難しかったです。だから、生きます。嘘をつくのも疲れました。「眼」の言いなりになるのももう嫌です。僕はちゃんと僕として生きます。それ以外やるつもりはありません。それで僕を排除したいと思うならそうすればいい。これまで僕が傷つけてきた人たちよ。やっぱり僕を赦せないと思っているかもしれない。なら、ナイフを持って殺しにくればよい。それで殺されるならそれもまた一興か。いや、でも僕はきっと死なない。そんなことじゃ死なない。血だらけになっても僕はきっと生きるだろう。そして、血の温かさを知るだろう。凍り付いた心を僕の血が溶かすだろう。息をする。炎を灯す。

 

                         *

 

 電車を乗り継いで、家の最寄り駅まで。

 スーパーマーケットのビニール袋を手から提げている。

 踏切が甲高い音で鳴っている。電車が通り過ぎていく。

 部屋に戻り、誰かが殺してプラスチックのケースに並べたそれらを食す。

 

 温かい風呂に入る。湯上りにストレッチをする。額の汗を拭う。

 だらだらとテレビを見る。

 テレビを消す。部屋の灯りを消す。

 明日のために眠る。

 

 

 2021.5.31