霏々

音楽や小説など

【妄想】キャメリア工房ユミの「はぁ?聞いてないんですけど」

2021年5月

晴れてデビューすることが決まり、これで私も芸能人の仲間入りという感じだ。これまで一応芸能事務所に所属して、ドラマだとか戦隊モノのちょい役としてテレビに映ることもあったけれど、何か継続した活動があるというわけではなかった。ほぼ習い事の延長線上みたいに歌やダンス、演技のレッスンを受けて、たまにオーディションに応募するくらいのものだった。

でも、数か月後からは違う。ほぼ毎週のように週末はライブ。そして何と言っても10月には武道館公演を控えている。もちろん私達新メンバー4人がその武道館公演開催をもたらしたわけではなく、偉大な先輩方のこれまでの活動の成果である。けれど、武道館公演を行えるようなグループに入ったのだと思うと身が引き締まる思いだ。

とは言え、まずは目の前の7月の初舞台。しばらくは歌・ダンスのパフォーマンスはなしで、挨拶のみと聞いている。たかが挨拶ではあるけれど、与えられた短い時間の中でお客さんに良い印象を与えることができれば、その後本格的にパフォーマンスをするようになってからも、気にかけてもらいやすいだろう。たくさんのオーディションを受けて来た私にとっては、ほかの3人よりもきっとこれまでの経験値で優位に立てるはず…

 

言わずもがな楽しく活動できることが1番ではある。他人を蹴落としてどうのこうの、みたいなことをしたいわけじゃない。でも、せっかくアイドルという人気商売に身を置くことになったのだから、所謂グループのセンターだとかエースだとか、そういう存在にはなってみたい。そういう野心みたいなものがあればこそ、ファンも応援したいと思ってくれるのではないか。「応援」ってそういうことなんじゃないか。最終的にバイプレーヤー的な立ち位置になるとしても、加入したてでいきなりそんなところに目標を立てるほど私は謙虚でも、ひねてもいない。もちろん大人でもない。まだぴっちぴちの17歳だ。

ただいきなり先輩方に勝てるとは思っていない。長年活動してきた先輩たちに人気で勝つためには、それなりの時間をかける必要がある。客観的に見ても、歌やダンスのスキルでは全然歯が立っていないのはわかり切っている。もちろん私には私の強みがあるけれど、まだまだその差をひっくり返すには足りてはいない。

けれど、少なくとも同期の4人の中では、1番になれるはずだ。そういう気持ちでやっていく必要がある。いや、気持ちだけではない。ちゃんと戦略を立てて、人気を自分のところに集めなければならない。そう、これからだ。がんばっていこう。

 

2021年7月

加入発表の動画がYouTubeで公開された。そのときの自分的には精一杯やったつもりだったけれど、いま思い返してみるともっとやれたとも思う。サプライズで発表がなされて涙を流せたのはよかった。もちろん計算して流した涙ではないし、本当にびっくりしたし、合格が決まって本当に嬉しかった。それは真実。でも、こうして客観的に動画を見返すと、うん、よく綺麗に泣けていると思う。これは好感度高いだろう。

ただコメントはあまり強くはなかったか。憧れの先輩としてキャメリア工房じゃなくて、サンクス!プロジェクトの別のグループの先輩の名前を上げてしまったのもあまり良くなかったかもしれない。事実、私の次にコメントしたシホリがキャメリア工房の先輩の名前を上げて、結構場を盛り上げていた。これは単純な私のリサーチ不足でもあるし、どちらかと言えば悪い方向で私の素直さが出てしまった。しかも、シホリに関しては、サンプロ研修生から一緒にデビューすることになったルナのことを昔から応援していたらしく、そこでもポイントを稼いでいた。シホリのことは2次オーディションからずっと見て来たけれど、彼女は器用に嘘や方便が使える性格ではない。天然でそういうことをやれてしまう。そこがなかなかに厄介なパーソナリティだ。

けれど、総じて見てみれば、私の立ち振る舞いは4人の中では1番新人アイドルとして期待感を感じさせるものだったと思う。ちゃんとは知らなかったけれど、キャメリア工房は毎年グループで浴衣を着て花火をするらしく、「一緒に花火してくれますか?」という質問にピュアっピュアな雰囲気で「ぜひ!」と答えられたのはナイスプレーだった。YouTubeのコメント欄でも、そこの私のリアクションに対し、「なんていい子なの」とかタイムスタンプ付きでコメントしてくれているのをいくつか見つけた。

これまでのあまりパッとしない芸能活動を通して、私はどのように振舞えば大人から好感を持ってもらい、出役からスタッフまで様々な人間が入り乱れる現場で自分の価値を高められるかを学んできたつもりだ。いや、芸能活動だけではないか。部活や学校生活でも同じことだ。結局、不機嫌な顔をせず、常にハキハキと、フレンドリーに人と接せられるかが重要なんだ。しかもそういった態度を偽装するのではなく、自然に醸し出せるか。作り物は結局のところ化けの皮を暴かれてしまう。

そういう意味では、私には「才能」がある。そういう明るく、フレンドリーな感じを私は割と素で出すことができる。もともとの性格が私は陽キャ寄りなのだ。けれど、私の陽キャ感の良いところは、決してギャルとかヤンキーとかそういう浅はかな感じではないというところ。勉強が得意なわけではないし、ときどきおバカ発言をしてツッコまれることもあるけれど、私の陽キャ感には威圧感や嫌味みたいなのはない。割と誰からも「接しやすい」と言われるし、時と場合によっては、真剣な話をしたり、陰キャトークにも付き合うことができる。「世渡り上手」と言うと、すごい聞こえが悪いけれど、どんな空気にも合わせることができて、そしてちゃんと心からその空気や場を楽しむことができるのは私の「才能」だと思う。

キャメリア工房は王道アイドルで、サブカル感の強いアイドルではない。綺麗に、清く正しく生きることが評価に繋がるタイプのアイドルグループ。そういう土俵でこそ、私の持ち前の清純な陽キャ感というのは、最大限に力を発揮するだろう。

 

ライバルである同期についてもオーディションやレッスンを通じて少しずつ素性が知れて来た。

まずはさっきも話した八田シホリ。年齢的には同級生。演劇が好きで将来は舞台女優になりたいと思っているみたいだけれど、合格発表のときに答えていたように、ちゃんとサンプロが好きという気持ちでオーディションに応募してきたようだ。こいつはライバルとしてはなかなかに厄介で、どこまでも天然で素直で嫌味のひとかけらも無い人間だ。私が思うに、普通「舞台女優を目指している」なんてことを発言したら、「キャメリア工房を踏み台みたいに考えやがって」とくさされるものだけれど、シホリが「舞台女優になりたい。でもアイドルもがんばる」と言うと、本当に両方を真剣に頑張ろうとしているんだな、という感じがする。まだシホリは動画やブログで「舞台女優になりたい」と名言はしていないけれど、何となくファンも「演劇好き」という情報からシホリの気持ちを見抜いて、その純粋な想いをどちらかと言えば前向きなものとして捉えている感じがある。そういう不思議な純粋無垢さがシホリにはあるような気がする。

でも、シホリは空気が読めるタイプではないし、よくマジレスをして場を凍らせている。ステージやカメラの前に立つ人間としては配慮する力に欠けている。これが私と対極にある特性だ。シホリの純真さはもろ刃の剣みたいなものだ。その点、私の方が安定して場を盛り上げることができる。だから、シホリは厄介な存在ではあるけれど、正直負ける気はしない。

 

次に福原マロン。1つ年下の地味顔一般人。すごい悪口みたいなことを言ってしまったけれど、正直私からしたらマロンは人前に立つタイプの人間ではないように思える。たぶん姉妹か母親が応募したら、なぜかわからないけれど、合格してしまって困惑してるのだろう。辛うじてバレエをやっていたから、多少はステージに立つ度胸というのもついているのかもしれない。でも、そのバレエだって、どれくらい自分の気持ちからやっていたのかはわからない。会話をしてみても、別に面白いことを言いたがるわけではなく、そこら辺の物静かな毒にも薬にもならないただの真面目な女子。委員長タイプというのでもない。委員長決めを推薦でやったとしても、周りが気を遣ってマロンの名前を上げることはないだろう。そんな感じの本当に地味な子。

ただ気をつけなければならないのは、やたら小顔でスタイルが良いということ。ちょっとひょろっとし過ぎているので、あまり一般ウケするとも思えないけれど、衣装やヘアスタイルやメイクを上手いことやれば化けるかもしれない。ただマロンの純朴さをゴテゴテとした装飾で損なう結果になってしまうとも考えられる。

それから歌声は妙な色気があるようにも思える。ピッチもリズムも素人丸出しって感じだけど、確かに何か素材の良さみたいなものは感じるかもしれない。ダンスに関しては完全にバレエ系で、アイドルっぽいダンスは全然上手いとは思わないけど、基礎ができているから今後伸びるということもあるのかもしれない。私が思うに、マロンは所謂「成長枠」みたいな感じで選ばれたのだろう。地味で冴えない子が頑張って努力して、まぁそれなりのモノになっていく、というストーリーをサンプロはこれまでも色んな子で見てせて来た。マロンもそのタイプだと思う。だから、当面は私のライバルとしては考えなくていいだろうし、将来的にも私とファン層が被ることにはならないだろう。玄人向けのアイドルとして頑張ってもらいたい。そういう枠も必要だろうから。

 

最後は、豫城ルナ。これはシホリの発言でもあった通り、サンプロ研修生からの昇格で私の同期となった。サンプロ研修生の中でも、歌が上手く、定期模試(研修生は半年に一度「模試」という形式で、既定曲と自由曲をパフォーマンスし、お客さんの投票と審査員の評価で順位付けがなされる)で優勝している実力者だ。年齢もまだ13歳と、将来を嘱望されている超期待のスーパールーキーだ。まだデビューしていないにもかかわらず、一般加入の私達と比べたら圧倒的なファン数を既に獲得している。大方の見立てとしては、このルナが新メンバーの中でのエースであり、センター的な存在になっているのだろう。

でも、だからと言って、ルナが本当にエースやセンターとしての役割を務められるのかと言われると、私はやや懐疑的だ。まず年齢の問題がある。さすがに13歳は若すぎる。喋っていても本当にただの子供だ。学校であった話を私に「ねえねえ、聞いて聞いて」と無邪気にしてくるし、学校のペーパーテストでちょっと良い点を取ろうものなら、「ねえすごいでしょ」としつこくアピールして来て、「すごいね」と返すと、「やったー」と本気で喜ぶ始末。ファンシーショップのキャラクターが描かれた水筒を持って来て、両手で持ち上げて水分補給をする姿はもはや赤子。確かにパフォーマンスで魅せる力には舌を巻くけれど、ルナの立ち振る舞いからはグループに対する責任感なんてものは微塵も感じられない。子供ながらに「ちゃんとしなきゃ」と躾けられていることをなんとか守っている程度のものだ。まぁ、年齢が年齢なのだからそれはそれで仕方ないことではある。

 

そう考えていくと、どうやら私の同期はなかなかに個性が強いみたいだ。個性ってのは良く言い過ぎか。クセが強いというか、うん、バランスが悪い。総合的に見れば、私が1番良いんじゃなかろうか。とは言え、アイドルとか芸能人ってのは総合力ではない。突出した何かが必要なのだということを、私が1番良く知っている。

それでも、私の同期はまだアイドルや芸能人としての基礎的な力が足りていないように思える。そもそも人前でちゃんとしたことを、ちゃんと喋るという能力ができていない。これから始まるツアーでは、自己紹介とちょっとしたやり取りをすることになっているが、正直同期として一緒に喋る私の方が不安だ。だが、この不安はむしろチャンスとして捉え、私がしっかりとした人間であることを示し、内外ともに私への信頼感を一気に高めるよう頑張ろう。

 

2021年12月

9月からのツアーで初めてのパフォーマンスが始まった。そのまま10月の武道館公演まで駆け抜けて、11月には新曲シングルが発売。もう怒涛の日々だった。

色々と語りたいことはあるけれど、ともあれ今ここに記しておくのは、私の成功と懸念だ。まず、私は自分の強みである繊細なウィスパーボイスを存分に生かして、新曲の出だしパートを貰うことができた。もちろん新人だから活躍の場を特別に与えられたというところもあるだろう。でも、評判は上々。実力派の先輩たちも多くいる中で、私の歌声は既にグループにとって1つの武器となっているようだ。これは想定内であり、歌のレッスンを重ねたことで何とか達成に漕ぎ着けたことでもある。これは正直、かなり自信に繋がる出来事ではあったね。

それからグループ内での人間関係や、私のバラエティ能力についても概ね私が望む通りの評価を受けてる。新人4人をまとめるのは自然の成り行きで私の役割となり、先輩やレッスンの先生との仲介役を任されることが多くなった。それに何人かの先輩とはもうプライベートでも食事に行ったりして、普通に楽しかったし、色々とビジネス上でもやりやすい面が増えていった。ライブのMCでも、そうやって培ってきた人間関係と私が元来持ち合わせているコミュニケーション能力を活かし、新人の割にはかなり上手く立ち回れている。トークが苦手な先輩からも既に頼られているし、自分の喋りたいことを見当違いな角度から喋るシホリや、箸にも棒にも引っ掛からない普通のことを喋るマロンや、子供過ぎるし電波過ぎる奇天烈なルナたちの発言を適切にフォローして笑いに変えるのも私の役割となっていた。

そういった実績を鑑みれば、私はグループ内での序列を順調に上げて来たと言える。

けれど、この間YouTubeに投稿された新メンバー4人のソロ歌唱動画の再生数が変な伸び方をしている。声楽を習っていたシホリは発声が良いし、ルナに関しては相変わらずの底力のある表現力。それらを絶賛するコメントも多かったが、再生回数で言えば、私の方が一回り多い結果となっている。私の武器であるウィスパーボイスは確実にファンの心を掴んだと思うし、日々の立ち振る舞いから私のアイドル能力の高さを買われ、再生数が伸びたと私は考えている。だから、この状態にはまずまず納得がいっている。欲を言えば、もう少し差を広げたいところだったけれど、まぁ、新メンバー4人全体が注目されているということを考えればむしろ喜ばしい。実際、私たち4人は、新曲の曲名に合わせて「G4(ゴールデン・フォー)」とか「ミニキャメ」とかという愛称で呼ばれるようになり、キャメリア工房だけでなく、サンプロ全体でもかなり注目され始めた。

だから、現状に不満があるというのではないけれど、いまいち腑に落ちないのが、マロンだ。相も変わらず地味顔で、面白いことも言わないパンピー・マロンのソロ歌唱動画が何故だかグイグイと再生数を伸ばしている。エース筆頭の私を軽々と追い抜き、シホリやルナの倍近い再生数を叩き出している。4人ともそれぞれに割と人気の高い曲を歌っているはずだったから、楽曲選定自体ではそこまで差がつかないはずだった。いや、むしろマロンの与えられた楽曲よりも、私が与えられた楽曲の方が人気がある楽曲のはずだった。にもかかわらず、マロンは硬い表情でぎこちなく曖昧な発声で歌っただけで、サンプロファンを魅了したようだった。コメント欄ではマロンの純朴な感じを褒めたたえる声や、奥底に隠れた色気のある声質に賞賛を送る声で溢れ返っていた。なぜか皆がこぞって、「自分がマロンを見つけた」とでも言いたそうな感じで、知ったような口を聞いていた。

もしかしたらマロンには何か隠された才能のようなものがあるのかもしれない。ただ小顔でスタイルが良いという以外の何かが。

 

2022年2月

また不思議なことが起きた。シホリの変人っぷりについては、もうデビュー当時から感じるところではあったけれど、正直シホリは周囲から呆れられるくらいがちょうど良いと思っていた。

彼女はもうデビューしてから1,2か月でそのヤバいセンスをブログで世界に発信していた。ブログをチェックしているマネージャーもよく止めなかったな、というくらいの粗野な手抜き料理の写真。具無しのインスタントラーメンの写真。あんなものを外に出して恥ずかしくないのか。ファンや周囲の人たちからどう思われるか、とか考えないのだろうか。しかも別に料理下手キャラを付けようとしているわけではないのだから驚きだ。自分が何をどういう風に普段食べているのか、ということをファンの人と共有することでファンが喜んでくれると思ってやっているのだ。単に他人の目が気にならない性質なのか、あるいは手抜き料理を見せるくらいでは自分の価値は変わらないというとんでもな自己肯定感の持ち主なのか。私には到底理解の及ばない行動を取るシホリだったけれど、このシホリのメシの写真がファンの間でとてつもない反響を呼び始める。

最初はそれがぶっ飛んだギャグとして、ネットミーム的に流行っているだけだと思っていた。しかし、次第にシホリの開けっ広げな料理やブログの在り方に、ファンの人たちが感動を覚え始めていったようだった。「前よりも上手になったね」と褒めるコメントもあれば、「上手くならないで!」という原理主義者も現れ始め、「八田メシ」なんて言葉も生まれ出した。

そして先日、彼女が愛用するキャラクター柄の鍋(シホリは調理したその鍋のまま、皿に移すことなく食事することを公言している)を作っている企業から、リアクションがあった。SNSでシホリの料理に対して、いちいちリプライが来るようになり、これがシホリの料理の価値をさらに高めることとなり、キャメリア工房の中でも一大コンテンツに登り詰めるまでになった。「(見た目はともかく)味は(ごく一般的な味なので)、美味しいよ」と言うと、シホリはそれを真に受けてとても喜ぶ。シホリがライブのMCとかで「ちょっと失敗しちゃうことが多いんですけど」と料理の話をすると、会場がドっと笑い声に包まれる。そんな現象まで起こるようになった。
シホリのそんなパーソナリティーはいつの間にか、サンプロファン全体にまで広がり、シホリが色んなファンの最推しとなっているかどうかまではわからないものの、明らかにファンに対してインパクトを与え、各ファンの推し上位何パーセントかに食い込むようになったのを肌で感じるようになった。インタビューでもシホリのぶっ飛びエピソードを聞かれることが増え、普段大人しくて上品なマロンがちょっと腐すようなことをぽろっと零すと、それがまたウケ、「ハタマロン」のカップリングがキャメリア工房の中でも大きな覇権を握るようになっていった。

私個人の人気が落ちたとは思わないものの、「ハタマロン」が異常な人気の取り方をし始めるようになり、少し焦る。いや、まだ私は彼女たちとトントンくらいの感じで戦えているだろうか。コンサートのペンライトの色味を見ても、まだ何とかなっているんじゃなかろうか。いやいや、何を弱腰になっているんだ。マロンはたまたまあの純朴さと秘めたる「何か」が一時的にファンの心を掴んでいるに過ぎないのだろうし、シホリの人気の出方こそ一過性の飛び道具みたいなものだ。私はパフォーマンスと、バラエティスキルで圧倒すれば良い。王道アイドル。それが私の生きる道だ。

 

2022年6月

新曲がバズってる。ノリの良い曲で、私も大好きな曲だ。何よりも良いのが、先輩たちが順当に賞賛されていることだ。1人ひとりに見せ場があり、次々とキラーフレーズのバトンパスが行われるから、グループ全体の評判もうなぎのぼりだ。

何よりも凄いのはMVのサムネになっているララ先輩。ずっとグループのセンターにしてエースを務めている尊敬する人で、やっぱりこの人にはなかなか勝てないと思う。けれど、いずれは追い越さなければならない存在。私も先輩くらいの華を身に着けたい。

でも、私は私でこの曲でまた1つ評価を高めた。曲の中盤にあるキラーパートを任されたのだ。YouTubeのコメント欄でも、私のパートを好きだと言ってくれる人が多いし、今回こそは同期4人の中でも私の実力が証明されたんじゃないかと思う。相も変わらず、「ハタマロン」の台頭には目を見張るものがあるけれど、それでもやっぱり私の人気が落ちているわけではないはずだ。良いパフォーマンスをすれば、必ずファンの人たちは見ていてくれるはず。今回の新曲でそのことを再確認できた。

新曲では私の得意のウィスパーボイスはなかったけれど、それでも自分の価値を証明できている。これを足掛かりにもっと凄いアイドルになるんだ。

 

2022年11月

やられた。今度は豫城ルナだ。

サンプロの先輩を指名して、1対1でパフォーマンスする企画。キャメリア工房のトップバッターは私が務め、お姉さんグループのエースにして、今や色々な雑誌やテレビに引っ張りだこの上白浜さんと共演をさせてもらった。これが大好評であっという間に再生回数が伸びていった。先輩の力も大きいに決まっているけれど、めちゃくちゃ歌が上手い上白浜さんとタメを張ってることを色々な人に評価してもらった。かなり背伸びをしたけれど、やっぱり実力者に挑んで良かった。ビジュアルの面でもしっかり仕上げていったおかげで、超絶美人の先輩に見劣りしなかったことも大きい。

この動画で私の地位も盤石になった。そう思っていた。そこへ2週間後、ルナの1対1の動画が投稿される。

ルナの相手はサンプロ・メイングループのOG佐原さん。神憑り的な人気を博し、芸能界や著名人にも彼女のファンを公言する人は沢山いる。後輩や同じアイドル業界からの憧れも圧倒的。とにかくこの人を出しておけば、動画が回る。パフォーマーとしての表現力も桁違いだけれど、ステージを降りた後の天真爛漫でトリッキーな言動は、ただのぼんやりとした「不思議ちゃん」というレベルを凌駕し、唯一無二のキャラクターを作り上げている。

私の動画の再生回数が、ルナの動画に抜かれるのにそう時間はかからなかった。まぁ、正直佐原さんが出ているし、再生回数で負けるのは仕方がないとは思う。それくらい佐原さんという存在は別格なのだ。でも、問題なのは、その動画内でルナが佐原さんと対等に渡り合っていたことだ。もちろんパフォーマンスの面では、まだルナには甘いところがあり、食らいつく場面が所々で見られても、どちらかと言えば、まだまだ及ばないといった印象があっただろう。でも、ルナは佐原さんに触発されてなのか、かなり魅力的なパフォーマンスを見せていた。そのことがファンの間で話題を呼んでいた。ルナにはもともと天性の表現力がある。まだまだ子供だからパフォーマンスは安定しないことが多かったけれど、一瞬の煌めきは昔から佐原さんに近いものがあると思っていた。そのことが今回の1対1の動画でほとんど証明されてしまったのだ。

さらにマズいことに、その動画ではパフォーマンスの後で、サシで2,3分喋るタームがあるのだけれど、そこでルナは佐原さんと異様な相性の良さを見せてしまう。天然・天才・奇想天外、宇宙人同士にしか分かり合えない波長とでも言うのか、そういう奇跡的な邂逅がルナのアイドル商品としての信憑性を高めた。それまではただの「子供」とか「電波」とか、風変わりなところがちょっと佐原さんっぽさを感じさせていたに過ぎなかったけれど、この動画のせいで空席と思われていた佐原さんの後継者争いの筆頭として、ルナの名前が上がるようになってしまった。

私がこの対決動画で2の名声を手にしたのだとしたら、ルナは4の名声に加え、佐原さんの御加護というとんでもないアドを手にしたのだ。ずる過ぎる…動画の時間も私より1分近く長いし。

とは言え、この企画においては、私の動画の再生数はシホリやマロンに倍以上の差をつけている。動画の投稿時期や1対1の相手の問題、選曲の要素も色々とあるけれど、そのことだけは私のささくれだった心を少しは宥めてくれた。再生回数だけに囚われているわけではないけれど、自分自身の客観的な評価指標やトレンド感を押さえておく意味では、これが結構参考になる。ルナの躍進はあったものの、私は今まで通り着実に努力を積み上げて、1つずつ信頼を高め、人気メンバーへの道を進んでいきたい。

 

2023年2月

この事態は新曲レコーディングの辺りから想定できていた。しかし、実際に目にしてみて、ここまであからさまな時代の変化点になるとは思ってもみなかった。

英語を多用した楽曲がキャメリア工房に提供された段階で、「あぁ、もうこれはマロンを全面に押し出したいんだな」とわかった。マロンは英語と韓国語を喋ることができる帰国子女という、そう簡単には打ち崩せないストロングポイントを持っていることは周知の事実だ。どういう風にしてなのかその道筋は全くわからないのだけれど、水面下で着々と人気を集めていったマロンはもう事務所側も無視できない存在になっていて、そんな彼女を飛躍させるためにこの英語まみれのが曲が宛がわれたのだと想像に難くない。

大人しく、あくまで上品で、面白味が欠けた常識人。小顔で首が長く、華奢という言葉を擬人化したみたいなスタイルだったけれど、顔のパーツはどちらかと言えば地味な印象で、瞼だって一重。そういう深窓の令嬢みたいな女子が好きな層が一定数いることは私も知っている。でも、そんなマロンがメインストリームに来ることはまずないだろうと思っていた。しかし、髪を伸ばし、その伸ばした髪を緩く巻いて、妖艶なメイクに暗色の衣装を身に纏ったマロンは、どこか浮世離れしていて、それまで何だったらちょっと見下していた私にすら輝いて見えてしまった。

そんなマロンがバリバリに英詩のラップを歌う。楽曲が与えられた時点で薄々と想像していた考えたくもない未来が少しずつ、けれど着実に具現化されていき、最後はMVのサムネがマロンのソロショットとなったことにより、もはや何一つとして口を挟む余地のないものが出来上がってしまった。

公開して間もなく、私のAメロの歌い出し、得意のウィスパーボイスを称賛する声もままあったけれど、もはやほとんどがマロンのお祭り状態。ミニキャメの序列が一気に覆された感じがあった。これまで私の積み上げてきたものが小っちゃく思えてしまうくらいの圧倒的な転換点だった。完全にやられてしまった。こういうのは才能の問題なのだろうか。でも、歌だってトークだって、まだマロンに負けたとは思っていない。数値化できるステータスでは負けるつもりなんてさらさらない。それでもマロンが持っている「何か」が色んな些末なごちゃごちゃとした議論をすべてぶっ壊し、世界に新しい秩序をもたらすものなのだろうということがわかった。というか、わからされた。

けれど、こういうショックが起こる度に思うのは、やはり私の人気が落ちた訳ではないということ。もちろんチヤホヤされる機会は減ったとは思う。でも、私を応援してくれる人は変わらず沢山いたし、その絶対数は何だったらマロンのおかげで増えてすらいると思う。悔しいけれど。マロンはそれまであまりキャメリア工房を知らなかった人や、興味なかった人たちを惹きつけ、グループ全体の価値を高めることにも一役を買っていた。それくらいの快進撃を見せていた。

ちなみに、この曲はグループのセンターにしてエースを長年務めてきたララ先輩の卒業シングルのうちの1曲でもある。ララ先輩がメインの曲も別にあったけれど、マロンを新機軸に沿えたこの楽曲が圧倒体な再生回数を叩き出し、界隈に衝撃を与えたという事実は、ララ先輩やキャメリア工房にとって良い事だったのか、悪い事だったのか。今のところそれらのことはあまり議論になっていないけれど、間違いなくグループの転換点にはなっていると思う。もしかしたらそういったこともマロン・フィーバーの前では些末なことに過ぎないのか。

 

2023年11月

色々なことがあった。4月にララ先輩が卒業し、そこから立て続けに、リノ先輩とユメ先輩2人の卒業発表があった。リノ先輩はキャメリア工房結成当初からのリーダーだったし、ユメ先輩はグループのムードメーカにしてグループ随一のディーヴァ。この主要3メンバーが卒業することでグループの戦力は大幅に下がることが確定的だった。しかし、私たちミニキャメの努力が認められてきたのか、グループ崩壊に対する懸念を示す人達よりも、ミニキャメによる新時代の到来を待ち侘びる人達の方が多いのではないかと感じることが多かった。

随分と昔のことになるが、エース・ララ先輩の卒業を控えたグループとしての少しナーバスな時期に、ちょっとした騒動があった。先輩方の何人かがお酒やSNS絡みでちょっと炎上してしまった。事務所からは特に謹慎処分等もなかったし、もちろん法的にもコンプライアンス的にも何も問題がない、可愛いお騒がせだ。ブログなどを通じて謝罪や反省があり、それで事態は収束した。ララ先輩の卒業公演も、大きな問題はなく、つつがなく、けれど壮大に執り行われた。それでももちろん一部のファンの人達の間ではぐつぐつと何か煮え滾るものもありそうだったけれど。

サンプロでアイドルをするには綺麗に生きなければならないと、昔の大先輩が卒業後にSNSで語っていたと耳にしたことがある。まさにその通りなのかもしれない。まだ20歳になったばかりの私やシホリ、まだ10代のマロンやルカは未だ清純なイメージを損なっていないはずだ。そういった経緯や、ララ先輩の卒業、リノ先輩とユメ先輩の卒業発表も相まって、グループの中でのパワーバランスのようなものが不安定になったような気がした。そしてそんな時期に、卒業発表を終えたユメ先輩が心の病気にかかってしばらくお休みすることになった。

ユメ先輩の心の中までは私には覗けないけれど、色々と無理もないことだという気がした。私だって環境の変化にうまくついていけず、「もっとがんばらなきゃ」と思ったり、「どうせ私ががんばったって」と思ったり、心が不安定な時期を過ごした。

そんな時期でもシホリはあくまで自分のペースでアイドル稼業に精を出し、ずっと続けてきた料理「八田メシ」で料理系の外部仕事を取って来たし、マロンは毎日ブログでユメ先輩に対して見舞いの言葉を述べ続け、好感度を上げていた。2人とも別に自分をよく見せようとしてそうしているわけではないというのはよくわかっている。2人とも根っからのそういう人間なのだ。例の英詩の曲でマロンは一躍グループ内で段違いの人気を博するようになっていたけど、シホリもいつの間にかその我が道を行くキャラクターだけでなく、演劇趣味から来るものなのか重厚な表現力を身につけ始め、グループの中で人気を高めていった。

そしてリノ先輩とユメ先輩の卒業公演。ユメ先輩の療養も何とか間に合い、メンバー総出で2人を送り出すことができた。卒業の寂寥感に浸る一方で、ミニキャメが引っ張っていく新しい時代がやってきたという声も聞こえて来た。ミニキャメの中では私が長女的な役割として残りの3人を引っ張っていくという構図は変わらなかったけれど、「ハタマロン」の人気にぶら下がる感じで私がいて、そこにルナがトリックスター的に絡んでくるという新しい布陣が固まりつつあった。武道館での卒業公演については、SNSを見る限り、マロンの圧倒的なオーラや、シホリの急成長する表現力、そしてルナの鮮烈な歌声を賞賛する声が多かった。私もビジュアル面や、安定した歌唱力、グループを牽引する力、そして儚げな曲でのウィスパーボイスを褒めてもらった。1つひとつのお褒めの言葉は嬉しいし、励みになるけれど、どうしても同期と比べてしまう。

持ち前のコミュ力を使って、先輩を食事に誘って愚痴を聞いてもらった。

「私に何が足りないと思います?」

先輩は笑いながら首を横に振り、「何も足りないところなんてないよ」と言ってくれた。「向上心があるのは良い事だけど、人気なんて水モノだし、1つのスキャンダルで砂の城みたいに崩れて無くなるもんだよ。むしろね、人気が無くなって落ち目になっても応援してくれるファンの人達がいて、そのファンの人達が『良い』と言ってくれるものが見つかったら、それを大切にするの。それがユミらしさになるし、人間ってのは自分らしくあることが何より幸せなんだから」。

それから先輩は、「だいたい私より人気があるユミにそんな質問されたくないよ」と机の下で私の脚をコツンと蹴った。

まったく、なんでファンの人達は私の魅力に気付かないんだろう。それにシホリは加入した時から空気の読めない猪突猛進人間ってのは変わらないし、マロンは相も変わらず根っこは普通のことを普通にいうだけのただの一般ピーポー。ルナは末っ子属性の電波で日に日にブログの内容が壊滅へ向かって行っている。それが何故だかわからないけれど、時空が歪んだかなんだかして、本来欠点だったはずのものが魅力的に見えたり、説明できないような高輝度の魅力が内側からUFOみたいに突如として出現したり。

ったく、やってらんねぇよ。

「先輩、やってらんねぇです」

「後輩、やってらんねぇです」

ゲラゲラと笑いながら、焼き肉をやけ食いした。

 

2024年2月

髪をショートカットにしたマロンが猛威を振るっている。インフルエンザよりも感染力の高い何かが、サンプロ界隈を揺るがしていた。まじであいつは何個ギアを持ってるんだよ。

「はぁ?聞いてないんですけど」

「Juice=Juice 10th Anniversary Concert Tour 2023 Final ~Juicetory~」ライブレポート

ブログを更新するのはだいぶ久しぶりになります。文章を書くということ自体久しぶりの行為になるため、お手柔らかにお願いします。

と、いきなり言い訳から始まった本記事になりますが、2023年12月6日(水)にJuice=Juice(以下、J=J)の10周年記念武道館公演に参戦してきました。久しぶりのハロプロの現場、そしてデビュー当時から応援してきたグループの10周年記念コンサートということで、とても楽しい時間でした。公演時間も2時間を超え、大満足の内容でしたね。

 

 

■セットリスト

1:プライド・ブライト

2:Next is you!

3:プラトニック・プラネット

MC(自己紹介)

4:Dream Road ~心が躍り出してる~

5:FUNKY FLUSHIN'

6:ノクチルカ

7:Va-Va-Voom

MC

8:ブラックバタフライ(植村、段原、井上、工藤、松永)

9:初めてを経験中(有澤、入江、江端、石山、遠藤)

10:POPPIN’ LOVE

11:TOKYOグライダー

12:生まれたてのBaby Love

MC(コール&レスポンス)

13:明日やろうはバカやろう

14:選ばれし私達

15:STAGE ~アガッてみな~

※Juicetory スペシャルメドレー(M16~23)

16:イジワルしないで 抱きしめてよ

17:「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?

18:微炭酸

19:私が言う前に抱きしめなきゃね

20:カラダだけが大人になったんじゃない

21:Never Never Surrender

22:CHOICE&CHANCE

23:Magic of Love

24:Wonderful World(2023 10th Juice Ver.)

25:ボン・ヴォヤージュ~想いの軌跡~

EC

26:Familia

MC

※デビュー曲メドレー

27:全部賭けてGO!!

28:イニミニマニモ~恋のライバル宣言~

29:プラスティック・ラブ

30:Future Smile

31:がんばれないよ

32:好きって言ってよ

33:ポップミュージック

34:Fiesta! Fiesta!

35:ロマンスの途中(Original Ver. ~ 2023 10th Juice Ver.)

MC(1人ずつ)

36:未来へ、さあ走り出せ!

 

大満足の内容でしたね!

 

■長めのハイライト

出囃子はいつものツアーやフェスなどで聴くアレではなく、今回の武道館公演仕様のカッコイイ楽曲が使われていました。スクリーンにはローマ字表記でメンバーの名前が順々に映し出されて、1人ひとり歓声をさらっていましたね。

そして1曲目からキラーチューンの「プライド・ブライト」。近くに座っていた割と新規目?のお客さん(良いのか悪いのか、割とライブ中に喋るタイプのお客さんだったので、いちいち反応が面白かったです。カップルか男女のお友達で観に来ていたようです)も「あぁ、この曲ね!」「カッコイイ!」と歓声を上げていました。落ちサビの里愛ちゃん、れいれいの流れは鉄板ですね!1mmも外さず、完璧に歌い上げていました。ラスト「プライド!」のりさちも最高に決まってました。

そして次の2曲目は久しぶり過ぎて、最初イントロを聴いたとき「なんだっけ!?」となった「Next is you!」。この曲はイントロから凄いカッコイイんですよね。ぶち上がりました。「ふくらはぎバリ筋肉って努力の証だい!」のところ、誰が歌っていたか忘れてしまったんですが、めちゃくちゃ男前な歌声で印象に残っています。はやく配信されるか円盤が発売されて確認したいですね。

3曲目は皆大好き「プラトニック・プラネット」。前回の武道館ではイントロの「愛 愛 愛 愛…」のところでアレンジがありましたが、今回それはなく。スタンダードな「プラトニック・プラネット」でした。でも、いいよね。由愛ちゃんのフェイクではアレンジがありましたし。最高の出来でした。高音パートで由愛ちゃんが輝くタイミングが増えて嬉しいです。

自己紹介では、いつものことながら、ゆめりあいのテンションの高低差が面白かったですね。川嶋美楓ちゃん欠席にも軽く触れられ、10周年公演を楽しもう!というMC。J=Jは基本的に生真面目なMCなので、これと言って引っかかりはなかったです(笑)

4曲目はまた珍しい曲で「Dream Road」。「大工ダンス」と揶揄され、初代リーダーのゆかにゃも講演後のブログで「独特なダンス」と言っていた、不思議なコンテンポラリーダンスは健在。でも、楽曲自体はとても美しいんですよね。娘。の小田さくらさんも、この曲が好きだということがゆかにゃのブログで明かされました。私もこの曲、結構好きなので、久しぶり(というか初めて?)聴けてとても嬉しかったです。

5、6、7曲目は、「FUNKY FLUSHIN'」「ノクチルカ」「Va-Va-Voom」とお洒落系の楽曲が続きました。J=Jは歌声に厚みがあるので、聴いていて迫力があっていいですよね。それでいて、3トップの声が特徴的かつお洒落なので、雰囲気も醸し出されて聴いていて飽きないです。中でも私は「ノクチルカ」が大好きなので、今回の10周年記念ライブでもセトリに入っていてとても嬉しかったです。間奏明けの「誰かの模造品は嫌!」はいつもの如く、鳥肌ものでした。あと、里愛ちゃん推しの私としては、「Va-Va-Voom」の「もう左右されないくらい スピード上げていいじゃない 行きたいとずっと願った場所まで」も聴けて大満足でした。「まで~♪」でアレンジも加えていて、歓声が上がってました。

そしてMCの後はまさかの「ブラックバタフライ」。ゆかにゃブログでも「ブラックバタフライで笑った」と書いてあり、やはりオリジナルメンバーにとってこの曲はちょっとした思い出になっている楽曲なんでしょうね。発売記念イベントでプロレスラーの蝶野さんが招待され、J=Jの客層の年齢層の高さをいじられたのも良い思い出です。でも、私は結構この曲好きなんですよね。初期のJ=Jは本当に様々なジャンルの楽曲にチャレンジしていて、「ついにタンゴにまで手を出したか!」とびっくりしつつも、楽曲のクオリティに舌を巻きましたね。推しの里愛ちゃんはモチーフとしての蝶が好きなんですが、この曲では持ち前のセクシーさを思う存分発揮していてカッコよかったです。あ、言い忘れていましたが、この楽曲はMCに引き続き、お姉さんチームでの披露となっていました。ゆめりあいがお姉さんチームというのも何だか感慨深い。そんな1曲でした。

9曲目は「初めてを経験中」。こちらは年少チームでの披露。いちかちゃんはやはり頭一つ抜けて歌が上手い!そして安定していますね。でも、ほかの4人も楽曲の持つ可愛さを十分に表現していました。中でもりさちは可愛さという面ではかなりレベルが高かったです。こう言っては何ですが、オリジナルメンバーは佳林ちゃん以外、この楽曲やるときに固くなっていた印象なんですが、今のメンバーはかなり前向きに取り組んでいますよね。それも何だか、時代が変わったなぁ、という印象です。

10曲目はアルバム「terzo」から「POPPIN’ LOVE」。可愛い楽曲が続きます。私は東側の1階席で観ていたのですが、メンバーが近くまで来てパフォーマンスしてくれたので、その可愛さを堪能できて最高でした。例の新規目のお客さんも「かわいい~」と歓声を上げていましたね。りさちの台詞パートも100点の出来!

11曲目は「TOKYOグライダー」。東京女子流の楽曲を数多く手がけた松井寛さん作曲の「TOKYOグライダー」。6曲目にやった「ノクチルカ」も松井寛さんの楽曲なのですが、そのせいか今までのライブでは「TOKYOグライダー」か「ノクチルカ」のどちらか披露されたなということが多かったと思います。しかしながら、どちらもお洒落なJ=Jを体現する良曲。ここに来て、10周年記念コンサートで両方の楽曲が披露されてとても嬉しかったですね。

12曲目は1stアルバムから「生まれたてのBaby Love」。この辺りの楽曲って、J=Jをボーカルの凄いグループとして位置付けてくれたという印象があるんですよね。ライブでの盛り上がりもひとしお。間奏では会場全体でウェーブをやったのですが、ウェーブの最後を担当したあかりんごがそのまま綺麗なバレエのターンをやって会場を沸かせていました。本当に素晴らしい才能を持った子が入ってくれました。由愛ちゃんのラストのフェイクも最高でした。

そして、今回のライブの中でもかなり印象深かったコール&レスポンス(というか、さくらちの煽り)。黙っていれば美人筆頭のさくらちが、「もっと声出せますか?」「その100倍どうぞ!」「そのまた100倍どうぞ!」「その1000万倍どうぞ!」「こっちも!」「そっちも!」「こっちも!」とかなり理不尽に煽るので、会場からは笑い声も混じりながら大歓声が巻き起こっていました。「ライブビューイングの皆さんも!」「全然聴こえない!」とこれまた理不尽な煽りをして、メンバーから「そりゃそう…」と失笑されていたのも面白かったですね。これからもさくらちの煽りが毎回楽しみですね。引き際の潔さも面白かったです。

13曲目の「明日やろうはバカやろう」のイントロから、コール&レスポンスは里愛ちゃんに引き継がれたのですが、ここも大盛り上がりでした。何と言っても、「ペンライトを赤に!」の演出が良かったですね。不在のみっぷるを想っての演出が粋でした。単純に攻撃的な楽曲に赤色が映えてもいました。ただみっぷるにはやらなきゃいけないことを先延ばしにしてでも、今は何よりもまずしっかりと休養を取っていただきたいものです。まぁ、それはそれとして、この楽曲は福田まろ先生が作詞をしていることがやはり印象的ですよね。まろと佳林ちゃんのストロベリーズなんてのもありましたっけ。J=Jも色々とあったなぁ、と感じさせてくれる1曲でした。

14曲目は「選ばれし私達」、15曲目は「STAGE ~アガッてみな~」というアッパーな楽曲が続きます。「選ばれし私達」の頃って、オリジナルメンバー5人のライブパフォーマンスが凄すぎて、「これからJ=Jがとんでもないことになるんじゃないか!?」と期待が膨らんでいた時期なんですよね。ステージでの貫禄が付き始めていた時期だったんですが、そこから長い年月が経って「STAGE ~アガッてみな~」では、もう既にJ=Jが最強のパフォーマンス集団であることは周知の事実となっていたと思います。たった2曲の流れですが、そんな時の移り変わりを感じました。メンバーの入れ代わりはありましたが、圧倒的なステージパフォーマンスをJ=Jブランドの中軸にこれからも最強のグループであり続けて欲しいですよね。後付けみたいになりますが、れいれいのボイパ、やっぱりカッコよかったです。

16~23曲目はJuicetoryスペシャルメドレー。「イジ抱き」から始まり、「ひとそれ」や「Magic of Love」といった定番曲もこのメドレーの中で披露されました。長さが1ハーフ…どころかもっと短くなっている楽曲もあったので、なかなかライブに来たことがない人たちにとっては少し残念に感じた部分もあったかもしれません(近くにいた新規目のお客さんも「ひとそれは知ってる!再生回数すごい曲だよね!」と開演前に話していたので、フルで聴きたかったんじゃないかな)。でも、言っちゃあ、これまで死ぬほど聴いてきた楽曲たちなので、10周年記念ではその美味しいところだけツマミ食いできれば十分かな、という部分もありました。「微炭酸」はまなかんが入って、佳林ちゃんとのシンメの激しいダンスがJ=Jの新しい側面を表してくれた楽曲ですし、「わた抱き」は下手したら「ロマンスの途中」よりも初期J=Jらしさを感じさせるアッパーチューン。「カラダだけが大人になったんじゃない」はドラマ「武道館」に伴ってNEXT YOU名義で発表された「Next is you!」と抱き合わせで発売された、J=J名義の楽曲ということで「本業はこっちなんだけどね」的な印象のある楽曲です。「Never Never Surrender」は個人的にはずっとあまりピンと来なかった楽曲なんですが、2ndアルバム「!Una mas!」の1曲目ですし、何と言っても近年のいちかしのフェイクで個人的注目度爆上がり中の楽曲です。「チョイチャン」こと「CHOICE&CHANCE」は1stアルバムからMV化までされたキラーチューン。「STAGE ~アガッてみな~」と対を為すイメージなので、松井寛2選と並んで、「どっちもやってくれて贅沢だなぁ」部門を務める楽曲でした。「Magic of Love」では「ここだよりさち」をやってくれて、それだけでもありがたかったですね。

そんな素晴らしいメドレーが終わって、次の24曲目は「Wonderful World(2023 10th Juice Ver.)」でした。1回目の武道館公演のラストで披露されたパフォーマンスは、今でも語り草になっている伝説の1曲ですよね。この間、YouTubeのオフィシャルチャンネルでもライブ映像が公開されてとても嬉しかったです。

 

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J=Jも年輪の厚いグループになりましたね。2023年バージョンということで、前奏のアカペラでのハモリも披露されていましたが、とても美しい歌声でした。これでこそJ=Jですね。

25曲目のアンコール前最後の楽曲は「ボン・ヴォヤージュ~想いの軌跡~」。10周年記念アルバム「Juicetory」に収録された唯一の新曲です。コンサートタイトルにもなっている「Juicetory」を象徴する1曲ですね。「新しい未来を増えていく仲間と切り開いていく、でももちろんこれまでの軌跡も忘れない」というまさに今のJ=Jらしい歌詞。いちかしのヴァイオリンも素敵でした。

アンコール明けからは、みんながデビュー時の衣装を身に纏い再登場。この演出がにくかったですね(そういえば、ここまで衣装に触れるのを忘れていました…どれもカッコよく美しい衣装だったので、ぜひネットで探してみてください)。

26曲目からのアンコールは「Familia」で壮大に始まりました。穏やかな楽曲なので、何だか大好きなJ=Jがまたステージに戻って来てくれて安心したような心持になりました。「Familia」のあとのMCでは、「アンコールありがとうございました」的なお決まりの内容ではあったのですが、みんな言い間違えがあったり、噛みかみだったりで、歌とダンス以外はぽけぽけなJ=Jが見られて、これまた気分が非常に和みました。そして、今回のツアーではアンコール1曲目にそれぞれのデビュー曲をやっていたことが紹介され、ツアーファイナルの武道館ではそれをメドレーでやることが宣言されました。ここからテンションぶち上げのひと時が始まります。

デビュー曲メドレーは「全部賭けてGO!!」から始まり、「イニミニマニモ」とさくりんごのデビュー曲。クールかつ可愛いJ=Jを見せてくれました。お次は、3flowerのデビュー曲「プラスティック・ラブ」と「Future Smile」。「Familia」はすでにアンコール1曲目でやっていたのでね。妃咲ちゃんが「プラスティック・ラブ」の衣装を着ていたのですが、当時は衣装に着せられている感がありましたが、今ではぴっちに似合っていたのが流石でした(妃咲ちゃんは本当にお顔が美しい)。それから、れいれいのJ=Jデビュー曲は「がんばれないよ」。れいれいが「がんばれないよ」からという印象はあまりなかったのですが、そう言えば、「いきなりれいれいの歌声が堪能できる楽曲が来たな~」という感想を持ったことをふと思い出しましたね。れいれいの「がんばれないよ」の白いワンピース衣装が非常に似合っていました。そして、次に来たのは、ゆめりあいのデビュー曲にして、私が1番大好きな「好きって言ってよ」。落ちサビのソロパート回しはやはり圧巻の一言。やってくれてありがとう!そして里愛ちゃんの「好きって言ってよ」衣装、めちゃくちゃキュートでした。「ポップミュージック」は他の曲がかなりのショートバージョンだったのに比べて、かなり長めの割り振り。おそらくはKANさんへの感謝を表明していたのではないかと。素敵な楽曲をありがとうございました。そして、来ました。デビュー曲で、ここまで衝撃を与えたのは後にも先にも、このるるちゃんの「Fiesta! Fiesta!」だけ。最高に「情熱を解き放」っていました。

デビュー曲メドレーの締め括りは、当然ながらあーりーデビュー曲の「ロマンスの途中」。間奏までの前半はオリジナルバージョンでしたが、間奏から先は10周年記念アルバム「Juicetory」に収録された2023年バージョン。時代を繋ぐ、そんな演出にめちゃくちゃグッときました。

あと、いちいち言うことではないかもしれないんですが、できれば「SEXY SEXY」もやって欲しかったですね。スペシャルメドレーの方で「微炭酸」をやっていたので、まなかんは救済できている気がするんですが、できれば「SEXY SEXY」でやなみんの救済も…まぁ、やなみんの代表曲が「SEXY SEXY」というわけではないんですが、個人的にはそのイメージがあったので。でも、ツアーロゴの「Final」にやなみんカラーもあったので、それで良しとしましょう!

そして、ラストMCは恒例の1人1言。詳細は覚えていないんですが、めちゃくちゃ早口で言葉を詰め込んだ工藤由愛ちゃんがハイライトでしょうか。謎に最後に「アーイ!」と叫んでいたのも、会場を爆笑に包んでいて微笑ましかったです。円盤でどうなっているか早く観たいですね。

最後の楽曲は「未来へ、さあ走り出せ!」。重なり合う歌声がどこまでもJ=Jの歌声で、この楽曲も未来まで歌い継がれていくのだと思うと感慨深いですね。厳密に言えば、声音は変わっていくのかもしれません。でも、この楽曲を歌うときに脳裏に去来する光り輝くイメージはいつまでも変わらずにどこまでも繋がっていってほしいと思います。

歌い終わり、「未来へ、さあ走り出せ!」のインストがかかりながらの、バイバイタイム。会場を練り歩きながら手を振ってファンサービスをしてくれる恒例の時間ですが、まだ歌い足りないのか、何人かのメンバーが「トゥトゥトゥ♪」と歌い、ハモリながら手を振ってくれました。途中からはれいれいもボイスパーカッションで参加してくれたり、皆の仲の良さや、ライブへの愛情を感じられて素晴らしい一時でした。

 

■後記

言及したメンバーにもちょっと偏りがあったり、色々と書き足りないこともあったり、決して満足のいく記事にはなっていないのですが、久しぶりに沢山の文字を書いたので疲れてしまいました。なので、この辺で終わりたいと思います。が、せっかくなので、いま自分の頭の中にある諸々の事柄を吐き出しておこうと思います。ライブの内容には直接関係ないところも多いので、読み飛ばしていただけたらと思います。

まず、今回の席について。途中でも書きましたが、今回は、東側の1階席のチケットをゲットしました。1階席は実は初めてで、武道館はだいたいいつも2階席でした。なので、「今回は1階席だ!」ちょっとテンション上がっていたのですが、まさかのかなり端の方の席。ビジョンはほとんど真横なのでまともに見れず、また1階席の奥の方の席だったので、ビジョンの上側は2階席がある屋根で5分の1くらいは欠けている感じでした。始まる前は「外れ席だ~」と嘆いていたのですが、いざ始まってみたら、結構近くまでメンバーがやって来てくれる瞬間があり、「これはこれでいいかも」と思いましたね。ビジョンを観たいなら後日円盤を買えば良いわけですし、メンバーを近くで観て、手を振ってもらいたいなら、たとえ端の方であっても(むしろステージに近い端の方の席が)1階席は良いものなんじゃないかなと思いました。何にでも一長一短がありますね。

前回の武道館公演はライブビューイングを映画館で観たのですが、これは視界良好で常にアップでメンバーの表情が大画面で見られるので、これはこれで良いものだと思いました。が、やっぱり音響がイマイチ。特に低音の質が悪く、あまりライブに行っているという体感を得ることができませんでした。まぁ、ほぼリアルタイムでみっぷるの涙を観られたのは、良かったのですが。そういう意味では、やはり現地の音響はいいですね。低音もしっかり響いて、「ライブに来た~」という感じがあります。歓声の大きさもリアルに伝わって来るので、テンションの上がり方が違います。やはりできることならライブは会場で楽しみたいものです。まぁ、会場に行けなそうであれば、ライブビューイングもまた良いものですけどね。

それから途中途中でも書きましたが、近くの席に、結構新規目のカップル(か男女の友達)が観に来ていました。この2人が割と喋るタイプだったのですが、正直ライブ中のお喋りはやめて欲しい派なんです、私。気が散るので。でも、いざこうやって文章に記録を書き起こしてみると、自分以外の人がどういうところに注目していたのかということが自分の興味を引いていたんだと思い知らされました。そう言えば、YouTubeのコメント欄とかも結構読む派なので、考えてみれば当たり前のことなんですよね。だから周りの人が話していても、今後はあまり苛々したりしないように気をつけようと思いました。ライブを楽しめないのが1番勿体ないですからね。

ライブの環境についてはそんなところで、J=Jのメンバーのことについてもいくつか。まず推しの里愛ちゃんの衣装について。1着目のパンツスタイルがまずカッコ良かったですね。ステージを真横から見る形だったので、探すのに苦労するかなとも思っていたのですが、パンツスタイルはさくらちと里愛ちゃんしかいなかったので、割と簡単に発見できて良かったです。無事、双眼鏡でじっくり見ることもできました(笑)。2着目は記憶が薄れてしまっているのですが、里愛ちゃんの上半身が結構ふわふわな感じの白い衣装で、こちらも割と特徴的だったので見つけやすくて助かりました。里愛ちゃん以外のメンバーで言うと、りさちのヘアスタイルが甘々で非常に可愛く、目を引いていました。MCでの喋り方も含め、さすが3代目あざかわ担当を名乗るだけはありますね。ダンスで言うと、意外といちかしに目を奪われることが多かったです。キャラクターっぽい可愛さと音感の良さがあって、観ていて楽しいダンスでした。あとは由愛ちゃんのダンスもいつも通りパワフルで目を奪われましたね。最後にもう一度衣装の話に戻りますが、あーりーの「ロマンスの途中」の衣装が、何と言うかあーりー自身の成長も含め、色々とエモかったです。

 

J=Jを好きになってから10年が経っているということは、私も10個年を取っているわけですが…J=Jメンバーが様々なことを乗り越え、変化や進化を遂げている一方で、いったい私は何を得たのだろうと思うと、かなり怖くなりますね。変わらないことが美徳となる老舗の料亭であるならば、私のこの10年間も褒められるべきことなのかもしれませんが、そう都合良く自分の立ち位置を誤魔化すことはできませんよね。でも、10年間彼女たちを追って来たからこそ、今回のライブを楽しめたのだと思えば、救われるところもあります。

たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ

ねじまき鳥クロニクル

別に何かに復讐をしたいわけではないのですが、この10年という歳月の重みを「てこ」にして、今後もJ=Jという素晴らしいグループの紡いでいく物語を、まるで自分の事のように楽しんでいこうと思います。

改めて素敵な時間をありがとうございました!

Juice=Juice「プライド・ブライト」レビュー

Juice=Juiceの17thシングル「プライド・ブライト」のレビューをしていきたいと思います。100万回再生おめでとうございます!

 

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久しぶりの楽曲レビューです。

MVが公開されてからやや時間が経ってしまいましたが、この素晴らしい楽曲について何も書かずに据え置くことはできませんでした。先日の武道館公演は、ライブビューイングにて鑑賞させていただいたのですが、そこでもこの新曲はひと際注目を集めていましたし、何よりも会場を盛り上げていました。イントロのギターが流れてから数秒間で、「Juiceに凄い新曲が来たぞ!」と、そういった類のうねりが巻き起こっていたように思います。

 

■楽曲構成

楽曲構成は至ってシンプルで、

イントロ→サビ1→Aメロ→Bメロ→サビ1→サビ2→間奏

→Aメロ→Bメロ→サビ1→サビ2→間奏

→サビ1→サビ2→アウトロ

という感じです。特別取り上げるとすれば、この楽曲の肝は上にも書いた最強の「ギターリフ」と、最強の「サビ」にあり、その2つをふんだんに使っているということでしょうか。まずはイントロでバキバキのギターリフを発動させて、そこから印象的なサビに繋げています。そしてサビの最後にはまたギターリフが挿入されるという仕組み。

作曲の山崎あおいさんはJuice=Juiceの代表曲にもなった「『ひとりで生きられそう』ってそれってねえ、褒めているの?」の作曲もされており、印象的なメロディラインを作ることに長けた方です。私はあおいさんが作曲した「好きって言ってよ」がJuice=Juiceの楽曲の中でも1,2を争うくらい好きなんですが、この曲もメロディラインがとても素敵です。

そして編曲はハロプロ御用達の編曲家で、ご自身が優れたギタリストでもあらせられる鈴木俊介さん。武道館ライブでこの楽曲を初めて聴いたときも、ハロプロでこれだけ攻めたギターリフを入れて来るのだから編曲は鈴木俊介さんだろうと思っていました。それくらいロックバンド的に高度なサウンドと言えば…な方なんです。

そう考えると、山崎あおいさんのサビと、鈴木俊介さんのギターに主軸が置かれたこの楽曲が良作になるのは必然なわけですよね。

他にも語るべきことは沢山あり、前述した「好きって言ってよ」もそうでしたが、本楽曲はサビが2部構成になっているので、1曲を通して聴いたときの満足感はとてつもないものがあります。ただ2部構成と言っても、完全に違うメロディを繋ぎ合わせているのではなく、「Only 1 & No.1」のところだけが違うメロディとなっているので、継ぎ接ぎ感もなく、かと言って飽きも来ない絶妙なラインでまとめられています。それからもちろん、AメロやBメロの置き方も素晴らしく、全くと言っていいほど無駄がありません。リズムの立っているAメロと、マイナー調で流れるようなBメロと王道の感じです。楽曲全体を通して、王道でキャッチーなところから全く逸れることなく作り込んでいる…そんな正面突破感があって素敵ですね。

前にも語ったことがありますが、Juice=Juiceと言えば、才能と努力に裏打ちされた高スキルが売りです。そんなグループが王道の楽曲を臆することなく真面目に歌い上げるというのが良いんですよね。ともすれば誰にだってできることのように思われそうなのですが、Juice=Juiceのオリジナリティってこの王道感だと思うんです。これはきっと誰にも真似できない。歌もダンスも上手く、ビジュアルも優れた子たちが自信満々にパフォーマンスしている姿が私は好きです。YouTubeのコメント欄でも「Juiceが歌う強い女の子の曲が好き」というコメントをよく見かけますが、それってこの私が感じる王道感とかなり通じていると思うんです。まさに「ひとりで生きられそう」って言われてしまいそうなくらい完成された子たちが、完成された楽曲をパフォーマンスするというのがJuice=Juiceなんだと思っています。

オリジナルメンバーの頃からJuice=Juiceにはどこか完成された感というのがありました。初期にはその完成された感のせいでどこか引きが無いように見えてしまった時期もありましたが、今やその完成された感がJuice=Juiceの強みになっているというのが感慨深いです。そして実際にはJuice=Juiceは新陳代謝を繰り返し、未来への成長の可能性も感じさせてくれるグループにもなりました。常に現状がベストだと納得させながらも、未来を感じさせてくれるなんて、どれだけ素晴らしいグループなんでしょう。

と、少し楽曲のレビューからは逸れてしまいましたね。

あ、あと転調について触れるのを忘れてました。聴き過ぎていつの間にか当たり前になってしまっていたもので。米津玄師やYOASOBIの楽曲でよく見るように、最近は転調を取り入れるのがもはや当たり前になって来ていますよね。ただ本楽曲では、サビと間奏が同じメロディラインなのに半音転調してるのが面白いところです。さらに間奏からAメロに入るタイミングでも転調しているので、もう盛沢山って感じです。この転調があるおかげでシンプルな構成にもかかわらず、何回聴いても飽きないんだと思いますね。

 

■音像

シンセサイザーを色濃く使っているので、全体的な口当たりはアイドル楽曲らしいというか、J-POPらしい感じがあります。が、一聴して耳を引くギターリフを中心にして、ドラムもベースも結構エグイことをやっています。表面のポップさを剝ぎ取ると、とんでもなく攻めたロックサウンドになっていますね。

ドラムなんかはかなりわかりやすく、手数と言うかゴーストノートがハンパないです。全編通しても凄いのは変わらないのですが、1番のAメロではスネアが、2番のAメロではハイハットがわかりやすくかなり細かいゴーストノートを刻んでいてとてもカッコイイです。ベースは間奏やサビでもう一つのメロディラインかというくらい自由自在にフレーズを奏でています。これがあることでだいぶ楽曲としての厚みが出ているように思います。もちろん無理をせずコードや全体のリズムに合わせて弾いているところもあり、その辺のバランスもちょうどいい感じなんですよね。

ギターはその音作りからカッコイイですし、全楽曲の中でも1番耳を引くように要所に差し込まれています。が、荒っぽいカッティングでありながらも、Bメロの背後では相当テクニカルなフレーズを弾いています。聞こえにくいですがサビでも僅かに聴き取れますね。このギター、ベース、ドラムの3者がそれぞれに高度な演奏をしてくれているおかげで、ただキャッチーなメロディラインを持っているだけの楽曲というところに留まらないクオリティを感じさせてくれます。

 

■歌詞

そして絶賛されているのが、この山崎あおいさんの書く歌詞です。

あの子に会ってたのね 「ケジメ」なんて呼び方で

というのはこの楽曲の中でも1番のキラーフレーズですね。なぜキラーフレーズなのかと言えば、もちろん皮肉の効いたワードセンスということもあるんですが、全体的に抽象的な言葉で構成されている本楽曲の歌詞において、このワンフレーズだけでおおよその状況が説明されているからだと思います。

色々な場面が考えられますが、とりあえず主人公の女の子の彼が隠れて別の女の子に会っていたことは間違いがなさそうです。「ケジメ」と言うからには、元カノなのか何なのか、いずれにせよ彼はその子に対して何かしら惹かれるところはあったのでしょう。惹かれていたからこそ、その別の子との関係性を断ち切るために会っていたのでしょうか。いや、単に「ケジメ」というのは都合の良い言い訳でしかなく、浮気がバレそうになって持ち出した都合の良い言葉だったかもしれません。

そして、そこに繋がる…

比べて選ばれて めでたし言える女じゃない

という歌詞からは、「それでも僕は君の方が好きなんだ。だからこうして君の所に戻って来たんじゃないか。そうさ。君の言う通り、僕は確かにあの子に惹かれるところがあったかもしれない。でも、だからこそ、男のケジメとして、あの子よりも君の方が好きだと確信するために、あの子に会って、そしてちゃんとお別れを告げて来たんだ」的なエピソードがイメージできますね。たった2行の歌詞ですが、何と言うかそういう場面設定がすっと頭に浮かんで来るので、この歌詞はとてつもない情報量を含んだ優れた詩であると思うわけです。

それ以外の歌詞については基本的に抽象的なことを語っているので、ざっくりとまとめると…

・Only 1かつNo.1でありたい(特別かつあらゆる面で1番の女でありたい)

・ありきたりな愛の言葉で言いくるめられるような女じゃない

・そういうプライドが私にはある

ということになるでしょうか。つまり、「私のことを心底愛してくれる人じゃないと嫌だし、ましてや他の女に現を抜かしているような男はごめんこうむる」ということでしょうね。ただ、そういうことを繰り返し宣言し続けないといけないくらいには、そのプライドもぐらぐらとぐらついていると読み取れるかもしれません。

だめ…だめ…前向いて

なんかの歌詞にあるように、やっぱりどこかに弱さのようなところも抱えていて、基本はカッコ良くて強い女性なんですけど、その二面性が見え隠れする感じが堪らないです。「ひとそれ」なんかもこういったテイストが含まれていましたよね。そういう意味でも、Juice=Juiceのイメージにぴったりの歌詞だと思います。

 

■まとめ

ともかく武道館公演で初めて見たときから印象が強かったこの楽曲。シンプルな楽曲ではありますが、繰り返される転調とJuiceメンバーの高いスキルとビジュアルのおかげで何回でも聴くことが、観ることができてしまいます。ネットの情報では、ハロプロのMVの中でもかなりの早さで100万回再生を達したということですし、やっぱり楽曲の強さって大事だなぁと思います。そんなわけでMVはもうかなりの回数観たので、今度はライブバージョンも早く観てみたいものです。

MVの見どころについても語ろうかと思ったのですが、もう1カット1カットが素晴らしすぎるので、今回は割愛させていただこうと思います。それでも漂う妃咲ちゃんのエースの風格と、落ちサビの里愛ちゃんの音ハメだけはここで少し触れておきたいと思います…いや、やっぱりみんな最高だ~

凛として時雨「aurora is mine tour 2023@KT Zepp Yokohama 2023.5.20」ライブレポート

約1年ぶりに凛として時雨のライブに行って参りました。まず一言、「最高に盛り上がったぜ!!!!」なライブでした。

コロナが第5類に格下げとなり、完全に歓声もOK、1階はオールスタンディングという久しぶりの感じだったわけですが、いやぁ、めちゃくちゃ盛り上がっていましたね。ちょうど1年前の「DEAD IS ALIVE TOUR」も同じ会場で観たのですが、その時は1階も全て席指定だったのでここまでの盛り上がりではなかったように思います。そう考えると、たった1年でも世の情勢は大きく変わったんだなぁと思わされますね。通勤電車が込んで来たなぁ、というのも目に見える変化ではありますが、ライブの記憶はまた格段に深く刻みつけられているが故、ライブの高揚感とともに何とも言えない感慨深さに浸っております。

 

aurora is mine tour

 

 

1.雑感

どうしても1年前の「DEAD IS ALIVE」との比較になりますが、「DEAD IS ALIVE」が「竜巻いて鮮脳」を軸に据えた高湿度で濃密なライブであったことに対し、今年の「aurora is mine」はかなり攻撃的でノリの良いライブだったように思います。ツアータイトルからしたら何だか逆な感じですね。

この間発売されたアルバム「last aurorally」に収録されている楽曲が攻撃的な楽曲が多かったこともあり、全体的にアップテンポな構成となっており、息を突く暇もなくライブが進んでいった印象です。TKのソロだと曲ごとにギターを持ち替えている印象が強いのですが、私が見る限り、今回のライブでは一度もギターを変えずにやり切ったと思います。曲間の小休止やチューニングに割く時間も最小限で、次から次へと楽曲が降り注いでくる感じが、時雨のライブではちょっと新しく感じました。また珍しくTKがよく喋っていました。後ほど詳しく書きますが、客を乗せるような言葉を要所要所で発していたのも印象的でしたね。観客の歓声の大きさ、フロア全体のノリも最高で、何となく今回のツアーの中でもこの横浜公演は盛り上がったライブだったんだと思います。

あとは毎度のことかもしれませんが、相変わらず照明が美しかったです。オーロラ、見えましたね。

と、そんな感じで非常に温度感が高く、満足度も高く、という最高のライブでございました。それではセトリも兼て、1曲ずつ簡単に振り返っていこうと思います。

 

2.セトリ

M1:Neighbormind

まず、1曲目が「Neighbormind」ってヤバ過ぎます。この曲はAメロの不安定なボーカル、テクニカルなドラム、超絶技巧のギターという非常に演奏難易度の高い楽曲という認識があります。そして間奏の神々しさと、サビのキャッチーさが個人的に非常に大好きな1曲。スパイダーマンを彷彿させる赤と青の照明が怪しく光り、一音目から凛として時雨の世界に引き込んでくれました。

M2:Marvelous Persona

近年の時雨の楽曲の中でも、構成やリズムパターンが結構シンプル目なこの楽曲ですが、だからこそライブ序盤で非常に盛り上がります。「Neighbormind」がテクニカルで濃密な世界観の楽曲だとすれば、こちらはとにかくノリが良くわかりやすい楽曲。345の切り裂くようなボーカルと、繰り返される狂いそうなギターリフが突き刺さってきました。

M3:laser beamer

すっかりライブの定番曲となってきましたね。この楽曲はとにかくAメロがTKの曲芸なんですよね。よくあんなギターを弾きながら歌えるな、と。印象的なぴゅんぴゅん言わせるリフのときにエフェクターを確実に踏むスキルも一級品。シャウトを多用する楽曲でもあるので、音程なんて関係ねぇ!と言わんばかりのゴリゴリの勢いがテンションを上げてくれます。そして毎回思いますが、例のリフのときのライティングがカッコ良すぎます。脳汁出まくりです。

M4:Super Sonic Aurorally

楽曲が始まる前にちょっとチューニングタイムがありましたが、ここで珍しくTKが一言。「凛として時雨です。沢山聴こえますね、魂の声が。オーロラ見えちゃうんですかね、今日は。最後までよろしくお願いします」と、オーロラ・フラグを立てて、フロアを盛り上げました。このときから、この横浜公演はおそらくかなり盛り上がっている方なのではないかという予感がありました。

そして、始まった楽曲はもちろん盛り上がること間違いなしの「Super Sonic Aurorally」。時雨らしいテクニカルな部分もありながら全編通してメロディラインがキャッチーなこともあり、非常にポップな一曲ですよね。この頃にはもう既にフロアはこれ以上ないくらいに盛り上がっていました。僅かに残っていた硬さなんて完全に消え失せ、楽曲の勢いに身を任せていました。いやぁ、やっぱり好きだわ、この曲。

あ、あとライティングも非常に美しかったです。「last aurorally」のアルバムジャケットを彷彿とさせるような、青と緑のオーロラっぽい色味が最高でした。

M5:竜巻いて鮮脳

イントロから歓声が沸き起こっていました。おそらく「DEAD IS ALIVE」のラストのあの盛り上がりを思い出した人が沢山いたんじゃないでしょうか。そして、イントロのライティング(竜巻を模してくるくると回転する照明)がまた美しいんですよね。サビのノリの良さはもちろんですが、楽曲ラストの狂ったように倍テンポになる瞬間はとてつもないカタルシス……めちゃ竜巻いてました。

M6:ラストダンスレボリューション

ずっとライブで聴きたかったこの楽曲。私はそこまでの古参ではないので、ベストアルバムにライブバージョンが収録されていたこの曲を、実際にライブで聴いたことはありませんでした。ただライブでさらに良くなるということは、ベストアルバムで知っていたので、いつか生で聴いてみたいとずっと思っていたわけです。その願望をこの度、遂に叶えていただきました。とにかく「ありがとう」とゆいたい。

前半は緩やかになったり、細かいリズムになったりを繰り返し、後半は劇的な展開を見せるこの楽曲。中盤でガラッとテンポが変わる瞬間には、あのベストアルバムのように会場から歓声が上がり、「これこれ!」となりました。ラストのシャウトの応酬は本当に頭がおかしくなりそうなくらい盛り上がりました。うーん、生で聴けて本当に良かった。あと、ミラーボールを使ったライティングが最高でした。とても美しかったですし、この楽曲が「オーロラ」と題するこのライブで披露されて良かったな、と思いました。何となく銀色っぽいなぁと感じていたこの楽曲に最適の証明だったと思います。

M7:DISCO FLIGHT

まぁ、これもイントロから盛り上がる外れ無しの1曲ですね。ただただいつものようにノっていただけなので、あまり記憶がないです。何回聴いてもこの曲のドラムが大好き。そして、間奏のギターソロもエグイ。実は楽曲構成も凝っているので、何回聴いても飽きないんですよね。不思議。

M8:seacret cm

激しいラインナップから一転、幻想的な凛として時雨を見せてくれます。少し全体的なセトリに言及すれば、この「seacret cm」から「illusion is mine」に繋がるのかなと思いながら聴いていました。何て言ったって、ツアータイトルが「aurora is mine」ですからね。でも、まさかの「illusion is mine」なし。まぁ、それもそれで時雨らしいからいっか(笑)。

と、少し話が逸れましたが、この「seacret cm」がかなり良かったです。スタジオライブバージョンの映像も観たことがあるのですが、その時も結構終盤に盛り上がりを見せて、原曲とはまた違った一面がありました。が、今回のライブのそれはスタジオライブバージョン以上。もちろん、序盤、中盤の静かで美しく抒情的な音楽性も素敵ではありますが、この攻撃的なセットリストに引っ張られるような形で楽曲ラストではかなりの盛り上がりを見せてくれました。TKのファルセットも強弱がついていて、美しくかつ激しかったです。

M9:abnormalize

この楽曲もすっかりライブ定番曲となりましたね。興行上外せないという部分もあるのでしょうが、やっぱり1音目が鳴った瞬間の盛り上がりは格別ですね。1拍目にアルペジオが鳴り始め、2拍目からボーカルが入って来る。この一瞬で涎が流れてしまうくらいには、私もすっかりパブロフに調教されてしまいました。この曲も定番曲なので多くは語りません。とにかく音の洪水に身を任せましょう。

M10:self-hacking

最新アルバム「last aurorally」の中にあっては希少なミドルテンポの楽曲。怪しげなベースのリフから始まり、浮遊感漂うAメロが長く続くこの楽曲は掴みどころがなく、あまり得意でないという方もいるのかもしれません。が、私はとにかくこの楽曲のサビのメロディラインが大好きなんですよね。一気にキャッチーになるじゃないですか。てことは間違いなくライブで盛り上がるわけです。そんな期待通りの展開を見せてくれた本楽曲であります。

一点気になるとすれば、Aメロのギターが被せの音源だったことですかね。まぁ、さすがにあれは弾きながら歌えないか。でも、それ以外のところでは、キメも完璧に合っていましたし、ベースもギターもゴリッゴリの音像なのでめちゃくちゃカッコ良かったです。

MC

ピエール中野さんが沢山喋っていました。Xジャンプをしました。俺たちはXになりました。

あと予備知識で、ピエール中野さんのインスタのフォロワーが1番多いのは、横浜市民だそうです。教えてくれました。ありがたいですね。あと、「横浜は熱量高いですね」と言ってくれたことも嬉しかったです。

このピエール中野さんのMCを楽しむというのも、凛として時雨のライブの大事な要素だと思います。これと345さんの物販紹介があるからこそ、何と言うか凛として時雨がバンドだと思えるんですよね。バンド、最高です。

M11:make up syndrome

珍しい楽曲をやってくれるな!と嬉しかった1曲です。ていうか、ライブで実際にギターを弾いているのを見て、この楽曲のギターリフがエグイことに気づかされました。なんであんなにハーモニクスを多用して、しかも綺麗に鳴らせるんだ……!? あと意外とドラムもエグイというか、表現力が問われるなと思いました。何となく音源を聴いているときには平坦な印象があったのですが、こんなに深みのある曲だとはあまり認識できていませんでした。これからちゃんと音源も聴いていこうと思いました。今回のライブを通して、1番音源とのギャップを感じた曲だと思います。

M12:Telecastic fake show

はい。この曲も定番ですね。ブレイクのところで歓声が上がったり、間奏の辺りでクラップが会場を包んだり、会場全体が一体となった感じがありました。ピエール中野さんのドラムもちょっと走り気味になったりと、ライブならではの良さを強く体感した1曲でもありました。本当に素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれます。楽曲終わりの遊びのギターソロも非常にカッコ良く、痺れました。

M13:感覚UFO

いやぁ、実は私、ライブで「感覚UFO」聴くの初めてだったんですよね。ライブ映像は死ぬほど見てきましたが。イントロというか、曲が始まる前のあの前奏が「Telecastic fake show」から間を置かず始まった瞬間に、体に電撃が走りました。これを生で感じたかった。フロアも最高潮に達していました。

サビの激情的なバックサウンドを叩き割るような平板なボーカルのメロディラインが相変わらず狂っていました。そこから盛り上がらないはずがないシャウト。一体全体、どういう展開の楽曲なんだい。初見殺しとはこのことですが、初見でも「なんか盛り上がってるー!」となってしまうに違いない素晴らしい楽曲です。

MC

345のMCは相変わらず可愛かったです。中学生の頃、妹がハムスターを飼っていましたが、何故かいつもその頃のことを思い出します。小動物的な可愛さ。「オーロラ・マイクロファイバー・クロス」の紹介をするときに言葉が出てこなかった345さんをサポートするように、会場から「メガネが拭けます」と声が上がっていたのが面白かったですね。次に「オーロラ・タオル」を紹介すると、会場から「おぉ!!」と歓声が上がったりして、この横浜公演が盛り上がっていることが感じ取れてそれも良かったです。

M14:滅亡craft

ライブ終盤のこの曲はヤバイですね。イントロの内省的な雰囲気が素晴らしい一日の終焉を予感させます。なんで楽しい時間って、ほんの少ししたら寂しさに変わってしまうんだろう的なセンチメンタルに浸りながら聴いていましたね。

ただ曲に集中できない瞬間もあって。頭の隅っこでは、「滅亡craftをここでやるってことは、最後がアレキシサイミアスペアか」と考えてしまう自分は取り除けませんでした。その辺が私の集中力がないところですね。まぁ、それくらい「アレキシサイミアスペア」が楽しみだったという事でもあるのですが。

それにしても「滅亡craft」は何と言うか、酸いも甘いもを含んだ楽曲ですね。転調して明るくなる部分もあるのですが、そこでもTKが悲痛なシャウトを放つのでとにかく心が乱されます。そして最後にはイントロと同じフレーズに戻って来て終わるという。素晴らしい映画を一本観た後のような満足感がありました。

M15:アレキシサイミアスペア

正直、アルバム「last aurorally」の中でも力の入れ方が半端じゃない本楽曲。どれだけ時雨の持っている引出を詰め込んでいるんだという感じですよね。そして、この狂った1曲を演奏しきってしまう3人のミュージシャンとしての技術の高さにも驚かされます。

もう終わってしまうのか、という寂しさもありましたが、そんな儚い感情さえ圧倒して吹き飛ばしてしまう楽曲と演奏のエネルギーに感服しっぱなしでした。一分の隙さえなく、一音一音がクライマックスに向けて盛り上がっていく感じが「良いライブに来てるなぁ」と実感させてくれます。テレビ番組「Love Music」でも演奏が披露されていましたが、ぜひこのライブ、横浜公演での演奏をもう一度テレビで流してほしいと思いました。やっぱりバンドだから。生きてるものだから。盛り上がったライブのラストで披露される楽曲ほどに心を揺るがすものは無いと思います。それくらい素晴らしい演奏でした。

 

3.ライブ終演

いやぁ、久しぶりに手放しで盛り上がれたライブでした。最近行ったライブで言うと、yonawoやtoeなどがありましたが、それとはまた違った、凛として時雨でなければ体感できない類の激情がありましたね。やっぱり時雨が好きです。そのことを再確認しました。今回のライブは「last aurorally」という最新アルバムを引っ提げての公演ではあったのですが、最初に書いたようにコロナ規制が終了したこともあってか、何か古き良き時雨のライブに来たという感じがありました。何度も書きますが、それくらい手放しで楽しめたライブだったように思います。

私事にはなりますが、近く会社で部署異動の予定があり、そのことで漠然と不安感を抱く毎日が続いておりました。新しい場所で上手くやっていけるのか、今までの場所で自分は何か成果が残せたのか、そういう焦燥感や不安感みたいなものが頭の中を渦巻いていて、何をしていても落ち着かないという状態。新しく買ったゲーム(ゼルダの伝説)をやっている間は、何となくそのことを忘れていられるけど……でも、なんか日々が楽しくないんだよな。そんな感覚に苛まれていました。

そんな日常に合って、わずか90分弱という短い時間ではありましたが、心から楽しいと思える時間をくれた凛として時雨には感謝しかありません。ほんの僅かな時間であっても、そういうのが心のエネルギーとなり、また小さな太陽となって、じめじめとした部分を照らし出し、温めてくれるのだと思います。そんな奇跡的な一瞬を胸に、言うなれば自らの心にオーロラを飼って、明日もまた頑張っていこうと思います。

最後にもう一度。最高のライブでした!

凛として時雨 全楽曲レビュー vol.2

前回、当時時点の全楽曲レビューということで、活動開始から7th singleである「Neighbormind/laser beamer」までざっと書かせていただきました。10万字にも及ぶ無駄に長いものになりましたが、熱意だけは詰め込んだつもりです。

 

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そして、2023年4月には7th albumとなる「last aurorally」の発売が控えている今。前回記事から溜まっていた分をまとめておこうと思い立ち、こうしてキーボードをカタカタと打っているわけです。

それでは早速いってみましょう~

 

 

6.コロナ禍での模索

前回記事では2019年7月に発売の「Neighbormind/laser beamer」までを記事にまとめました。その後、コロナ禍に突入するまでにソロプロジェクト(TK from 凛として時雨)の方で何作か発表はあるのですが、凛として時雨としての活動はここで一旦区切りを迎えます。楽曲制作という面だけで見れば2018年に「#5」を発表しているので、ここから3~4年は新しいアルバムが出て来なくても、いつものペースト言えばいつものペースであるわけですが。

コロナ禍によるTKへの心理面での影響は、主にソロプロジェクトの方でわかりやすく発露されています。特に「yesworld」はもろにコロナ禍の悲痛が歌詞となっていますし、コロナにより急遽中止となったツアー「SAINOU TOUR」を無観客で撮影し、オンラインライブとして公開したのはコロナ禍を受けての初の試みでした。しかしながら、ここでの経験を経て、凛として時雨の方でもオンラインライブを無観客/有観客で配信してくれましたし、毎年何かしらのトピックがあったのはファンとしてとても嬉しいことです。

そしてTKのアーティストとしての才能・信頼感も確立されたのか、時雨とソロの両面から安定的な活動が見られました。特にタイアップと、自発的な制作活動がおよそ半々くらいでできているということは、何とも喜ばしい事です。求められているし、自分で好きなこともできている……最高じゃあないっすか。とは言え、自発的な活動として特別まとまった作品はコロナ直前に制作された「彩脳(2020年4月発売)」以来無いので、いよいよ新譜の「last aurorally」が楽しみというわけです。

 

◆「melt」、「蝶の飛ぶ水槽」(TK from 凛として時雨

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「melt」はヨルシカのsuisさんがゲストボーカル的に参加している楽曲になります。しかしながら、ちょうどお金かスケジュールかの問題で、レコーディングでは楽器の演奏者を招くことができなかった楽曲でもあります。故に、ドラムやベースなどもTK自身による打ち込みで作りこまれており、非常にTK成分が高い楽曲になっています。親和性が高く美しいボーカルになっており、終盤のノイジーなギターフレーズもらしさがありますね。ただ、TK自身もどこかで言っていましたが、自分の打ち込みでドラムを入れると想定通りのものにしかならず、創作においてはあまり刺激を感じられなかったということです。「次にどんなフレーズが来るかわかってしまう」という感じの事を言ってましたね。個人的にも上手くこじんまりとまとまっている楽曲という感じがあり、時雨の奇想天外な感じはあまり感じない楽曲のように思います。美しい楽曲だとは思いますが。

 

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「蝶の飛ぶ水槽」は、アニメ「pet」の主題歌にもなりました。原作は色々な漫画やアニメに影響を与えている作品ということで、そんな大作のタイアップなのでテンションが上がりました。私も原作は見ていなかったのですが、アニメを観て、そのやや難解で非常に心理的な描写が鋭い作風にはとても惹かれました。TKの作り出す楽曲との親和性も高く感じます。が、そういった部分を排しても、この「蝶の飛ぶ水槽」という楽曲、とても好きなんですよね。楽曲の構成も複雑でニヤニヤが止まらない感じなんですが、何と言ってもサビのキャッチーさが大好きです。ライブでは非常にノイジーかつ煌びやかなギターの音も堪能出来て、テンションが上がる楽曲ですね。シングルCDには、「katharsis(Co shu Nieの中村未来さんとコラボ)」や「Fu re te Fu re ru」のライブ音源も収録されていて非常に豪華な1枚となっています。何気に収録されている「蝶の飛ぶ水槽」のInstrumentalも好きです。

 

◆「彩脳」

私はこの「彩脳」というアルバム、本当に大好きなんです。後に制作ドキュメンタリーも映像化されますが、とにかく色々な人とのコラボレーションが実験的になされていて、それぞれに非常に特徴のある楽曲が1枚のアルバムに収められています。表題曲の「彩脳 -Sui Side-」は「東京喰種」のタイアップ曲の候補として作られたもので、惜しくも「katharsis」に負けたものの、楽曲としては「katharsis」以上に攻撃的でどちらかと言えば時雨らしい楽曲となっています。こちら「Sui Side」という副題が付けられていますが、これは「東京喰種」の石田スイ先生が作詞をしていることから、おそらくはSuicideとかけて名づけられています。後にTK自身が作詞したバージョンも発表されており、やはりTKが作詞したものの方が音に対してのノリは良い感じがしますね。が、「Sui Side」もなかなか時雨楽曲では聴けないようなぐにゃぐにゃしたようなうねりがあり、結構好みではあります。

このアルバムはどれも名曲ぞろいではありますが、「鶴の仕返し」が中でも私のお気に入りです。鶴田さくらさんというトラックメーカーの方との共作のようで、確かに打ち込みっぽい重たいビートを感じます。しかしながら、河野さんの弦楽器のアレンジを始め、かなりエグ味が効いています。序盤はシンプルなピアノのリフレインにテクニカルなドラムのリズムが絡み合う感じですが、終盤にかけてカオスなうねりとなっていくのがとてもTKっぽいです。このアルバム全体のコンセプトではありますが、コラボした方々の多様な個性を飲み込むTKの圧倒的な個性が感じられて良いんですよねぇ。それでも確実に楽曲の幅は広がっていると感じますし、どちらかと言えば、内に閉じて深く沈み込んでいきがちなTKの楽曲群の中では、外に開いていくような雰囲気を強く感じられて新鮮な感じがして嬉しいのです。今後の作品にも期待が持てるという意味でも。

 

・SAINOU

ちなみにアルバムツアーも計画されていましたが、ちょうどコロナにぶち当たりツアーは中止。代わりにアルバム制作ドキュメンタリーと、ツアーリハーサル映像が配信されました。色々な人がTKを絶賛してくれているので、ファンとしては見ていて嬉しいものになっています。TKの楽曲制作への向き合い方や、レコーディングの様子なども見ることができ、最高ですね。そしてアルバム発売から4か月ほど経った後には、配信ライブもやってくれました。コロナ禍で様々なアーティストが配信ライブをやり始めている中、この「SAINOU」という配信ライブはもう照明から音響から完成度が高過ぎてかなりビックリしました。この配信ライブ含めて私はアルバム「彩脳」が大好きになりました。

 

◆Remastered album「#4 -Retornade-」

こちらは名作「#4」をリマスターしたアルバムで、発売から15周年を記念して発表された作品になります。前回記事でも書きましたが、凛として時雨のバイブル的なアルバムであり、歴史を語る上では外せない作品なのが「#4」。しかしながら「凛として時雨を遡って調べよう!」と思って「#4」を聴いた人にとっては、やはり近年の作品と比べるとやや低音が軽く、全体的に粒が荒い印象にはなっていたと思います。もちろん当時のインディーズ感満載の音像も良いのですが、もう少し現代的な音質で聴いてみたいという人にとってはこちらの「#4 -Retornade-」がオススメです。

ちなみに私の浅い音楽知識から「リマスターって何?」について説明させていただきますと、「マスタリングし直した!」ということになります。「いやそもそもマスタリングって何?」って感じだと思いますが、楽曲制作においては、まずマイクのような録音機材に向かって音を鳴らし、レコーディングをする必要があります。大昔はギターからベースから何まで全員で1本のマイクに向かって音を鳴らしてレコーディングをしていたと思われますが、近年ではギターにはギター用のマイク、ドラムなんかはシンバルやスネアなど毎にマイクが立てられています。しかも必ずしも全楽器が同時に録音をするのではなく、楽器ごとに分けて録音をすることが一般的です。そのようにして録音した沢山の素材を上手いバランスで配合するのが「ミックス」と呼ばれる作業です。様々な食材から美味しい部分だけ切り出し、それぞれに下味をつけて、フライパンの上で混ぜ合わせるのが「ミックス」と言ってもいいかもしれません。そして、最終的に混ぜ合わせて炒めたものを最後にお皿に綺麗に盛り付けるのが「マスタリング」みたいな感じでしょうか。具体的には、「ミックス」で1つのデータにまとめられたものを、最終的なCDのパッケージに落とし込むような感じです。もう1つ別の言い方をすると、絵具を混ぜ合わせて絵を描き上げたとします。それを写真で撮影する際には、照明の当て方や使用するレンズやカメラ自体の性能、各種パラメータの設定などが重要になってきます。下手な人が写真にした場合、何となく全体の色味が白飛びしてしまうということもあるかと思います。言わば、15年前の「#4」はまだ素人に近かった当時のTKが、それでも当時の持てる技術全てを動員して撮影したものなわけです。ただ、時代が移り変わり、カメラの性能も向上し、またTK自身の技術も向上し、それによって当時よりもくっきりとした映像が撮れるようになりました。そのようにして生まれたのが「#4 -Retornade」なわけですね。はい、長くなってすみません。

15年前のガラケーで撮った写メと、最近のスマホで撮った写真ほどの差異は感じられないかもしれませんが、明らかに音の輪郭がはっきりしています。繰り返しにはなりますが、特に低音の太さ・明瞭さは全然違いますね。ミックス時点のデータはいじっていないはずですので、当時の世界観はそのままにより楽器が近くで鳴っている感じになったように思います。もちろん当時の「#4」の荒い音もそれはそれで楽曲の世界観に合っていて好きなんですが。

 

・#4 Extreaming LiveEdition

そして、こちらの「#4 -Retornade-」発売を記念して、「#4 Extreaming Live Edition」というライブが配信されました。こちらも無観客で配信ライブのためにスタジオを貸切って、時雨のメンバー3人が輪になって演奏した映像となっています。感想の記事も書いておりますのでよろしければ。

 

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ライブの定番曲で、最も人気がある(と個人的には思っている)「傍観」も映像化されており、結構びっくりしましたね。時雨はなかなかライブの映像化をしてこなかったバンドだっただけに、特にライブならではのアレンジが光る「傍観」はなおのことこういった映像作品には収録されなんじゃないかと思っていました。

 

・Acoustic Electric Session for 0

ここでまた1つ映像作品を挟みます。絶賛コロナ禍という中で、こちらもまた無観客で行われたライブ映像です。アコースティックな編成、アレンジとなっており、いつもとは違った雰囲気が楽しめます。ソロプロジェクトによる作品ではありますが、弾き語りの「Missing ling」も収録されているため、なかなかレア度が高いです。

「SAINOU」はソロプロジェクトのバンド編成、「#4 Extreaming Live Edition」は時雨本体、そして今回の「Acoustic Electric Session for 0」はアコースティック編成となっておりいずれも別々の形態での映像作品です。やれることは全てやって来ているわけです。このことからTK自身、このアコースティック編成も自らの大事な音楽表現方法の1つであるという認識を持っていることが窺えます。TKの音楽活動の形態として、このアコースティック編成もまた独特の持ち味を出していますよね。シンプルな音像になることで、TKの音楽が非常にメロディアスで親しみやすく、胸に良く響くものであることが再認識できます。

コロナ禍で活動が制限されている中ではありますが、今まで自分が積み上げてきたことを全てやり直してみることで、何かを確かめているような雰囲気を感じ取れます。そしていくつものTKの作品を通して見ることで、大切なものがこの世界には確かに残っているということを私たちもまた感じ取ることができるのだと思いました。

 

◆7th single「Perfake Perfect」

こちらの楽曲はPSYCHO-PASSの舞台、「Virtue and Vice 2」の主題歌としてタイアップされた楽曲です。

 

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舞台で何度もかけられることを想定して、サビのフレーズが何度も繰り返される楽曲構成となっているのが特徴的ですね。ソロの「12th laser」という楽曲は全てがサビみたいな楽曲の構成でしたが、それに近い執拗さでキャッチーが溢れています。と簡単に言い切りたいところではあるのですが、この楽曲には正直どう乗って良いのかわからない謎のパートが差し込まれています。

嘘?本当の嘘?本当?嘘?それって嘘?

というパートはコード感も、メロディも不明でとにかく不安定な音色が続きます。この狂ったような部分がある意味ではPSYCHO-PASSらしいとも言えます。PSYCHO-PASSは刑事ドラマとしても楽しめる部分が大きいですが、やはりSFっぽいどこか哲学的な問を含んでいるのが特徴的な作品。ですから、キャッチーなサビとこの不可思議なパートがお互いに噛みつき合っているこの構成がしっくり来るのです。

舞台中ではインストが使用されるため、それ用にバイオリンやピアノのアレンジが加えられたバージョンも制作されており、きちんとCDには収録されています。このインストバージョンがまた良いんですよね。ソロプロジェクトで培った弦楽器とピアノの織り交ぜ方をふんだんに活用して、かなり完成度が高いものとなっています。ボーカルが無いことで楽器1つひとつの音色がかなり聴こえやすくなっており、かつバイオリンがメロディを保管してくれているので物足りなくも無い。できれば今後の楽曲全てでこういったインストを作成して欲しいと思うほどです。

 

・Perfake Perfect Tour

コロナ禍は継続しているものの、少しずつ有観客ライブが解禁され出しました。時雨も周囲と足並みを揃えるか、それより少し早いくらいのタイミングで有観客ライブツアーを始めてくれましたね。歓声もNG、隣席は空席という状態ではありましたが、それでもライブをやってくれたのが嬉しかったです。久しぶりの有観客ライブ、一発目の曲が「鮮やかな殺人」というのも感慨深いものがありました。個人的には「Sitai miss me」をやってくれたのが嬉しかったですね。「TK in the 夕景」では昔の黄色いギターを引っ張り出して来て、ジャキジャキとした音を聴かせてくれましたし、おまけのリハーサル映像では「Neighbormind」もやってくれています。この「Neighbormind」がまたカッコいいんです。リハーサル映像なのにライティングもきちんとされていますし。シングルの楽曲名を引っ提げたツアーではありますが、記念碑的なツアーと言えるんじゃないでしょうか。映像化してくれたのもありがたいです。

 

◆「yesworld」

コロナ禍が始まって間もなく、TKは「彩脳」をリリースしますが、その後に無観客のライブ映像「SAINOU」も配信を行います。そして、その「SAINOU」の反響が素晴らしかったために、劇場での公演までされます。映画館の音響に合わせて再度TKが自らリミックスを行った手の込んだ企画でしたが、そこで初公開されたのがこの「yesworld」という楽曲でした。残念ながら私は映画館に観に行けなかったので、「すごい楽曲が来るぞ」という噂だけ聞いていました。

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イントロの不穏なピアノのフレーズからもうかなりカッコイイですよね。驚きなのがこの楽曲の制作にあたっては、レコーディングをミュージシャンが各自で行い、そのデータをTKがうまくミックスしているということです。TKは基本的にレコーディングに立ち会うスタイルなので、TKとしてはかなり珍しい手法と言えます。コロナ禍真っただ中ならではという感じですね。

どこへ連れて行くの?

という歌詞や、

声も 愛も 未来も 記憶も 孤独も お前には殺せないよ

という歌詞には、明らかにコロナ禍からの影響を感じますね。先が見通せない現状を「目隠しのTAXI」と表現する辺りは、さすがTKという感じですが。

CD化されたタイミングでは、ヨルシカのn-bunaさんによる「unravel」のリミックスや、さらにベースがバキバキになった「Dramatic Slow Motion」も収録されており、業かな円盤となっています。THE FIRST TAKEでのパフォーマンスも音源化されていて、こちらも素晴らしいです。

 

・TOUR 2021「yesworld」

こちらもまだ歓声NGのツアーではありますが、前回の「Perfake Perfect Tour」と比べるともう少し、新しい形でのライブパフォーマンスに演者側も観客側も慣れている感じが見受けられますね。このツアーでは「phase to phrase」が演奏されたのが私的には嬉しく、また表題曲の「yesworld」では刺激的なプロジェクションマッピングも観られ、満足度の高いライブとなっています。この辺りから、もうライブをしたら配信もされる、というのが確固たる流れとなって来た感がありますね。コロナが終わってもこの試みが継続されるのではないかと思わせてくれました。そして、現にその流れは2023年の今でも続いています。

 

◆「will-ill」、「egomaniac feedback」

「will-ill」は言わずと知れた名作「コードギアス反逆のルルーシュ」の再放送版とのタイアップ曲です。が、タイアップの宿命である1:30という短い時間では表現しきれないほどの濃密な5分越えの超名曲となりました。

 

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MVの映像美もハンパないです。

私の中では「film A moment」にも匹敵するくらい好きな楽曲です。とにかく音の洪水という感じで、展開も多岐に渡りますし、TK特有の静と動が素晴らしく織り交ぜられています。この音の積み上げ方はTK以外にはできないだろうな、という気がします。タイアップということでキャッチーでもありますしね。そういう意味では時雨らしさも感じられます。

「egomaniac feedback」はソロプロジェクトのベストアルバムのような位置づけで、収録曲を振り返ってみると、本当にどの楽曲もレベルが高く、色彩に富んでいると思わされますね。また数多くのタイアップも務めてきたことを振り返ることができます。そして、こちらのベストアルバムは3枚組になっており、Disc1がTKメインで制作された楽曲群、Disc2がコラボ作品群となっており、このDisc2は新録曲が3曲も含まれています。中でも「掌の世界」はSMAPへの提供楽曲のセルフカバーとなっており、UNISON SQUARE GARDENの斉藤さんを招いてリアレンジされています。これがカッコイイんですよね。

そしてDisc3には、ソロプロジェクトの始動となった映像作品「film A moment」も収録されています。「film A moment」についてはこちらに記載していますので、参考までに。

 

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WOWOWで放送された「10th Anniversary Session」も素晴らしい出来ですので、この「egomaniac feedback」は必ず購入しておきたい一品となっています。

 

・egomaniac feedback Tour

映像化されたこちらのツアーファイナル、私も国際フォーラムに観に行っておりました。素晴らしいライブであったことは言うまでもありませんが、色々と面白いこともありました。1つ目は、TKの音楽に対する想いが聞けたこと。時雨のライブではほとんど喋ることのないTKですが、ソロプロジェクトのライブでは色々と喋ってくれます。この日は、ソロプロジェクト10年目ということもあり、ここまでこのソロプロジェクトが続くとは当時は考えもしなかったと語っていました。そして、時雨(ソロプロジェクト含む)から離れてしまう瞬間もあるかもしれないけど、いつまでもステージで待っているので、また聴きに来て欲しいとも。

そして2つ目は、ダブルアンコールをしてくれたこと。1回目のアンコールの時点で「film A momet」が演奏されていなかったので、「やってくれないのかな…」と少し不安でしたが、逆に言えばダブルアンコールの予兆でありましたね。そんなわけで大満足の内容でした。3つ目は伝説の「will-ill」のやり直しです。アンコール前、最後に演奏されたのが「will-ill」だったのですが、機材トラブルで思うように演奏できなかったTKが急遽やり直しを決めたようでした(現地で聴いていた私はもう音の洪水に溺れてトラブルがあったことなんて気づけませんでしたが)。アンコール、だいぶ待つな、と思っていると、もう1回「will-ill」をやらせてほしいということで、再演がなされました。この時の舞台裏も映像には残っているので、ぜひ確認してみてください。

 

◆「As long as I love / Scratch」

この2曲はB'zの稲葉浩志さんとのコラボ楽曲です。

 

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「Scratch」の方は、マジック・ザ・ギャザリングとのタイアップ楽曲でもあります。

 

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※こちらの楽曲で使用されている音源はフルサイズではありません。

TKはもともと学生の時にB'zのギターをコピーしていたそうなので、今回のコラボはかなり胸熱のものとなりました。稲葉さんの鋭く、圧の強い声と比べると、やはりTKの声は若干柔らかい印象がありますね。それでもよく楽曲の中でよく親和していて、裏声のパートなんかはどちらの声か一聴して判別しにくいところもあります。

攻撃的でアップテンポな「As long as I love」と、バラード調の「Scratch」という違った良さのある2曲を出してくれたのがありがたいですね。それぞれに良いところがありますが、どちらかと言えば「Scratch」の方が2人の歌声を堪能できるのではないでしょうか。間奏にはTKらしい轟音のギターも入って来るので、そういう意味でも私は「Scratch」の方が好きかもしれません。ただ、「As long as I love」の方は、歌詞が稲葉さんとTKの共作になっているので、いつもの時雨とは少し違った世界観が垣間見えるのでこっちはこっちで刺激的であります。

 

・feedback from

TK from 凛として時雨の初の映像作品で、先の「TOUR 2021 yesworld」と「egomaniac feedback」のライブ映像が収録されています。そして、作品と同名の「feedback from」というコンサート映像からも数曲、期間限定で配信が為されました。りぶさんに提供した「unforever」のセルフカバーと、ソロプロジェクト用にアレンジされた「abnormalize」というかなりレア度の高い楽曲たちが配信されました。どちらも素晴らしい出来で、感動モノです。特に「abnormalize」は前半部分をTKがギターを置いていることもあり、2017年頃にBOOM BOOM SATELLITES中野雅之さんと結成されたPANDASを彷彿とさせます。かなりEDM的なアレンジになっており、新鮮味もある一方で、後半は当然のようにギターを持ち直し、破壊的なソロを響かせてくれます。

 

◆「竜巻いて鮮脳」(配信シングル)

正直この楽曲の歌詞について言及したくて、この記事を書き始めたというところがございます。それくらいこの曲の歌詞は時雨ファンには堪らないものになっているんじゃないでしょうか。

 

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タイアップでもコラボでもない、純粋な凛として時雨の作品でMVが公開されたのはかなり久しぶりのことになるのではないでしょうか。余計なドラマシーンや、ダンスシーンなど不要で、刺激的なライティングのもと不可思議な構図で演奏しているというのが時雨を際立たせてくれます。

TKが運転する車でライブ会場まで夜な夜な高速道路をかっ飛ばしていたという、かつてのこんなにも売れる前の凛として時雨というバンドに思いを馳せることができる歌詞です。あの高速道路の長いトンネルを照らすオレンジ色の光って、「ナトリミックオレンジ」って表現できるんですね。TKの言語感覚ってやっぱりすごいです。

それから「神の舌触り」と出てきますが、これはどこかでピエール中野さんが言っていたように、お笑い好きだった3人がよく見ていた「ゴッドタン」という深夜のテレビ番組を指しているそうですね。私も今ではあまりテレビを観なくなってしまいましたが、未だに「ゴッドタン」は毎週録画している数少ないテレビ番組です。

目覚めればパーテーションのミーティング

硬い床が癖になるぜ

という歌詞は、いつだったかホテルの予約が上手く取れていなくて、そのホテルだったかどこかの事務所だったかの会議室で寝る羽目になったというエピソードから来ているものですね。ベッドがあるわけでもないので、長机を並べてその上で寝たとか。ただ、この歌詞によると、そのまま床で寝たという感じなので、私の記憶違いだったか。このエピソードのソースが思い出せなくてすみません。たしか昔のTKのブログに書いてあったような気がするのですが。

http://tosite.blog35.fc2.com/

もう記事は1つも残っていませんね。10年前くらいは見れていたと思いますが。

そんな昔の無鉄砲に音楽とぶつかり続けたあの頃にTKは思いを馳せているわけですが、「まだ続く脳内のハイウェイ」とあるように、今もずっと同じ理想の音楽を追いかけているのでしょうね。

楽曲としては、ディレイをかけた不穏な雰囲気のイントロから始まり、どこかこれから巻き起こるカオスの予兆となる暗雲を感じさせてくれます。そして、途中と最後で急に倍テンポになるトチ狂った展開を見せる個性的な楽曲です。この倍テンポが無理やりギアを上げるような感じがあり、アクセルを思いっ切り踏み込むような痛快さがありますね。同時に竜巻に巻き込まれたようなカオスも感じさせてくれます。

あの頃の時雨を思い出させてくれ、同時にこれから先も続いていく時雨を感じさせてくれる非常に記念碑的な楽曲だと思います。大好きな楽曲です。

 

・DEAD IS ALIVE

このツアーは神セトリということでめちゃくちゃ人気が高かったように思います。ツアーファイナルも映像化・配信されましたが、私も横浜公演に参戦してきました。まず1曲目から「Missing ling」を持って来るという掟破りを見せてくれます。ライブレポートも書いていますので、よろしければ。ぜひ。

 

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上述の「竜巻いて鮮脳」に繋げるために組まれた、高湿度で悪天候的な楽曲が連なり、素敵なライブでした。

 

◆「Marvelous Persona」(配信シングル)

こちらはドラマ「終わらせる者」とのタイアップ曲になっています。

 

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攻撃的なギターリフが何度もリフレインするカッコイイ楽曲ですが、構成的には比較的シンプルでキャッチーですよね。

Aメロ⇒サビ⇒間奏⇒Aメロ⇒サビ⇒間奏⇒大サビ⇒Cメロ⇒大サビ⇒Cメロ

って感じですし。個人的には1番、2番のサビと大サビとでコードの進行が変わっているのが好きです。大サビの半音ずつ落ちていくクリシェ進行となっていて、これが345さんの切ないガラスを薄く研いだようなボーカルとよく親和していて、胸がきゅっとなります。地味に2番Aメロの倍テンポになっているところも好きで、楽曲が中弛みしないように気を遣っているのも、TKの基本的な作曲能力が高いレベルにあることを再認識させてくれます。そして、言わずもがな全編通してギターが鬼畜ですね。

2023年4月に発売されるアルバムは結構曲者ぞろいの楽曲たちになりそうなので、この「Marvelous Persona」はノリやすく、ライブ映えしそうな楽曲ですね。強いて言うなら、このギターをTKが本当に歌いながら弾けるのかというところは見どころになりそうですが。

 

◆「first death」

こちらは大注目アニメ「チェンソーマン」のタイアップ曲です。

 

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チェンソーマン」自体、私はもとから好きな漫画でしたが、アニメ化されるにあたってめちゃくちゃ力が入れられていたのでとても楽しみにしていました。しかもエンディングが回替わりという超豪華仕様。そんな「チェンソーマン」のアニメのエンディングにTK from 凛として時雨が選ばれたのですから、テンションが上がらないはずがありませんでした。

楽曲もMVもめちゃくちゃエキセントリックで、TKが使える技術を全て詰め込んだのではないかというくらい濃密な楽曲になりました。CDにはインストも収録されていますが、インストを聴くと本当にチェンソーらしき音を入れ込んでいたり、本当に「何でもアリ」で作ったんだなという感じが受け取れます。

「脳天Saw」という歌詞はまさにチェンソーマンの姿を表現していますし、それと韻を踏む「ノーベルShow(賞)は僕のもの」もアニメに出て来るセリフと符合しています。「first death」という曲名自体もまた、姫野先輩の決死の奮闘を表しており、TKがちゃんと原作を読み込んで楽曲を作り込んでいることがわかります。アニメファンにも評判が良いようなので、時雨ファンの私としても嬉しい限りです。

 

◆総括

というわけで、コロナ禍での模索ということで「#5」~「last aurorally」の間を埋めるべく記事を書いてみました。前半はやはりコロナの影響を踏まえた内容も多くなりましたが、後半はだいぶコロナというものを意識せずに書けたように思います。半分はコロナ禍への慣れ、半分はポストコロナという時代の変化もあったかもしれません。

記事を書いていて感じたのは、TK(時雨)がコロナ禍においても、大きくフォームを崩すことなく今まで通りひたむきに活動してくれていたことへの感謝です。無観客ライブではとにかく映像と音をしっかり作り込み、私たちファンを感動させてくれましたし、有観客ライブも基本的には配信を行ってくれたため、現地に赴けないファンを掴んで離さなかったと思います。特に時雨ファンは映像に飢えていた部分もあったので、この変化はコロナのおかげとも言えるでしょう。

TKソロでのプロジェクトも目立ちましたが、時雨でも定期的にライブをやってくれていましたし、とても精力的な4~5年間だったのではないでしょうか。いよいよ発売が間近になってきた「last aurorally」も、既出の楽曲がやや多い印象がありますが、それでも新曲も何曲か収録されますしとても楽しみであることは変わりません。前回のフルアルバム「#5」からどのような進化がなされているのか。「#5」が素晴らしすぎたが故に今回のアルバムにもつい大きな期待をしてしまいます。アルバムが発売されたらまた記事を書きたいですね(結構大変なので書けるかどうかはわかりませんが)。

それにしても2023年は楽しみなことが多いな~コロナもほぼ明ける感じがしてきましたし!私個人としてはなかなか大変な毎日なのですが、それでもこういう楽しみを胸に日々、腐ることなく生きていきましょう!

果知

 私が彼から連絡を貰ったのは随分と久しぶりのことでした。彼は私の七つ年下で、母の妹の息子、すなわち従兄弟にあたります。私が大学入学の年に彼は小学六年生でしたから、だいぶ年が離れていると言えるでしょう。しかしながら、昔から彼は私のことを気に入っているようで、何かとよく話しかけてきたものです。

 琳太郎というのが彼の名前です。クリスマスシーズンの鈴の音が聞こえる時期に生まれた彼らしい名前と言えますが、どうやら名づけ主の叔母は音の響きと字画で彼の名を決めたそうです。まぁ、それも良いでしょう。琳太郎も素っ気ない自分の苗字に対して、画数だけ見れば立派な自分の名前を気に入っているようでした。

 ちなみに私は別に姓名判断を生業としているわけでもないですし、数多ある日本の人名を研究するような、そんな特異な学者というわけでもありません。ただ職業柄、私は多くの名前に触れ、そしてある場合には名前から相手を値踏みすることもままあります。名は体を表すとまでは言わないものの、自分の子供に対してどのような名前を付けるのかという情報は、その子の家庭状況を推測する上で割と重要なものになってきます。そんな私の推測は当たったり外れたりなので何も信憑性はないのですが。

 その他にも、外見、人相のようなものも参考にします。琳太郎を例に取れば、彼は鼻筋がやや丸く柔和な雰囲気を持ちながらも、一重瞼がすっきりとした目元を表しており、がっちりとした体格の割には声が高いという感じです。こうした具体的な特徴と一対一で対応しているわけではありませんが、彼の全体の雰囲気からは明るさや礼儀正しさを持ちながらも、どこか偏狭な価値観の持ち主であることを私に感じさせます。「琳」という字の繊細なイメージと「太郎」という字の実直さを体現していると言えば体現していると言えるかもしれません。

 私は私立女子学校の理科教師を生業としています。したがって、毎年何百人という生徒の名前を覚え、何となくの個々人の学力や性格を知っておく必要があります。自分の担当クラスに関しては、生徒だけでなくその家庭事情などもおおよそ把握しておく必要もあります。そういうわけで名前と人相から、ある程度の情報を仮定であっても良いのでイメージする力が求められるのです。たとえそのイメージが間違っていてもそれは新たな情報が開示されたタイミングで修正をかければ特に問題ありません。一番の問題は生徒に対して何もイメージを持たずに、ただ無視をしてしまうことです。これまでの教師生活の中でそういったことを学んだわけですが、それでも上手く行くこともあれば上手く行かないこともあり、普通の一般的な人生を私もまた歩んでいると自認しています。

 冬に差し掛かる良く晴れた日の午後、私は駅の改札の外で琳太郎を待っていました。久しぶりに琳太郎から連絡を貰い、色々とやり取りをした結果、私は週に二日だけ与えられた休日のうちの片方を彼のために使うことに決めました。もはや生来の特質なのか、職業上の癖なのかはわかりませんが、他人の悩みに付き合うのが私の趣味なのです。なので、私は彼に恩を売りたいわけでも、身内の誼で何らかの義務感に突き動かされてこうして家から出てきたわけではないのです。琳太郎に対しては「休日だからってどうせやることなんてないんだ。たまにはいつもと違う休日を過ごしたいだけ」とそれっぽく伝えていますが、こういった物言いをすることが社会における礼儀を達成するということになるそうです。

 職場には至る所に時計がありますし、だいたいスマートフォン一台あれば腕時計なんて必要ありません。何かに縛られるというのが私は好きじゃありません。しかし、こうして誰かを待っているときに、改札の上から吊り下げられた時計を見上げるというのはなかなか面白味に欠ける気がします。古いトレンディドラマかなんかの影響かもわかりませんが、待ち合わせのシーンにはやはり腕時計があった方が良いのかもしれません。そんなことを考えている間に足元から地鳴りが響いてきました。琳太郎の乗る列車が到着したようです。

「秀介兄さん、待たせてごめんね」琳太郎は改札を抜けると小走りでこちらに駆け寄って来た。

「待ってないさ。時間通りだもの。それよりもちゃんと会うのはかなり久しぶりだな」

「じいちゃんが介護施設入ってから、じいちゃん家で会うこともなくなったからね。全然会ってなかったのに急に連絡してごめん」

「いや、おれは基本暇だからいつ連絡くれても構わないよ。それよりも単刀直入に聞くが体調はどうだ?」

「そうだね。まぁ、だいぶ落ち着いたという気はする。でも、仕事のことを考えるとダメだね。こういうのをトラウマって言うのかな」

「トラウマとは違うかもな。頭痛とか明確な症状が出てるんだろ? おれも専門家じゃないから詳しくは知らないけど、こういうのはちゃんとした静養と治療が必要だそうじゃないか。琳太郎は子供と一緒にされたくないだろうけど、おれもさ不登校とかイジメとか、まぁ、そういうのと関わってはいるからさ」

「そっか。秀介兄さんも大変だな」

「まぁ、立ち話もなんだ。飯でも食おう」

 それから私たちは高架化された駅のコンコースを降り、たまの贅沢でよく行くハンバーグ専門店に向かいました。よく食べる琳太郎でも満足できるボリューム感ですし、それなりの値段なので行列ができることも無く、食後のコーヒーを飲みながら時間を潰すこともできます。まぁ、私一人で行くときにはさくっと食べて、さっさと帰ってしまうのですが。

 リフォームで綺麗になった駅を離れるとすぐに駅前商店街の通りが始まります。車一台が通り抜けられるほどの幅がある道の両側に、不動産屋や花屋、弁当屋などが立ち並び、それぞれに活気づいています。照り返すレンガ色の道。日曜の日中は歩行者天国になっていることもあり、人々の陽気な顔が溢れていました。そういった光景というか空気感のようなものは弱った琳太郎にとっては若干良くない刺激だったかもしれません。琳太郎は少し疲れた表情で私の斜め後ろをついてきましたが、通りの喧騒に負けて会話をする気にもならないという感じでした。これから行くハンバーグ屋は割と静かなところなんだ、とそれとなく声を掛けるとほんの少し表情が緩み、安堵の吐息を漏らしたようでした。

 商店街の奥まったところに老舗のカフェのような佇まいでそのハンバーグ屋はあります。カランコロンと古き良きドアベルの音を鳴らして、私たちは入店します。店内の影はひんやりと冷たく、それでいて仄かに暖房が効いていて空気は温かい。初冬の午後一番の陽射しが鋭いものだったことを店内に入ってから気づきます。

 私たちはウェイターに案内されて、角の席に案内されます。琳太郎をソファ側、つまり店の壁側に座らせてやり、メニューを広げて見せます。ウェイターが水をテーブルに置いてきますが、悩んでいる仕草を見せ、彼女を一旦下がらせます。琳太郎は黙ったままメニューに視線を落としているので、私がペラペラとページをめくってやります。と言っても、食事のメニューは見開き一ページ半ほどしかないので、すぐに最初のランチのページに戻ります。ようやく琳太郎が「秀介兄さんは決めた?」と聞いて来るので、「おれはいつもこのスタンダードはハンバーグランチだな。サラダとスープ、食後にコーヒーもついて来るしな。ハンバーグはソースが選べるんだが、おれはだいたいオニオンソースか和風おろしソースかな。ガーリックソースも美味いが」と簡単に説明してやりました。

 ウェイターを呼び、二人ともハンバーグランチのセットを注文し、琳太郎はオニオンソース、私は和風おろしソースで頼みました。食後には二人ともアイスコーヒーを選びました。ウェイターが去ってから、一呼吸おいて、彼が今後住むことになるであろうこの街の感想を琳太郎に聞いてみました。

「丁度良いような気がする。いま住んでるところは、何て言うか、もっとゴミゴミしてて、殺伐とした感じの場所なんだ。こういう穏やかなところに来ると安心できる気がするよ」

「それは良かった。まぁ、この辺で暮らす分にはあまり不便はないよ。駅前にはもちろんスーパーも薬局もあるし、見ての通り商店街には飯屋も多い。家賃の相場もそこまで高いわけじゃない。琳太郎から聞いた感じだと、職場へのアクセスも悪くなさそうだ」

「秀介兄さんが居てよかったよ。ここの沿線にいくつか職場があるけど、いまいちどこの駅が住みやすいかわからなかったからさ」

「ネットの情報だけでイメージを沸かせるのも大変だしな。運良くおれが案内できるところがあってよかった。おれも全部の駅を見て回ったわけじゃないから何とも言えないけど。あくまで、『ここに住めば最低限コレくらいは生活しやすい』っていう観点で見て貰う感じだな」

 グラスの水を飲み、少し様子を伺ってから、私は彼が会社をいつから休んでいるのか聞いてみることにしました。事前の連絡では、現在会社を休んでおり、転職活動の結果、たまたま私が暮らす辺りに引っ越してくる可能性があるから居住地に関してアドバイスが欲しいというところまで聞いていました。私は他人の悩み相談を受けることが好きでしたし、街と言うのは実際に歩いてみて初めて雰囲気が掴めるという考えがあるので、直接会いに来てもらうように提案をしてみたわけです。それで諸々の事情などは今日しっかりと聞いてやるつもりでこのハンバーグ屋を選んだのでした。

「会社は三か月前から休んでる。転職活動は休む前からちょくちょくしてて、転職エージェントを通していくつか応募はしていたんだよ。数社は書類選考が突破できて、それで転職活動に本腰を入れようと思っていたんだけど、ちょうどその頃からまた会社でのストレスが半端なくてね。いよいよ頭痛がしたり、恥ずかしい話だけど、行き帰りの電車の中で涙が出たりして、『あぁ、これはもうダメだ』と思って休むことにしたんだ。おかげで転職活動には集中できたわけだけどね」

「まぁ、本当なら休職せずにスパッと別の会社に移るつもりだったんだろう。なんて言うか不本意だったろうな」

「そうなんだよ。でも、『あと数か月後にはこの会社を辞められるんだ』と思っても、その数か月がどうしても耐えられなかったんだ。そもそも転職活動をしたのだって、結構限界まで追い込まれていた状況になってからだったし、色々と遅過ぎたという気もする」

「人によって決断のタイミングは異なるものだ。琳太郎はよく考えてから行動するタイプだろうし、そういう意味では仕方ないと思うけどな。限界まで可能性を諦めないというのは琳太郎の良いところでもある。だからそんな琳太郎が転職に踏み切ったのは、限界まで追い込んでくれた会社のおかげというものの見方もできる。人を追い込むことを正当化して良いわけではないがな」

「あはは。確かに秀介兄さんの言う通りかもね。正直、今回の事ですっきりした部分もあるんだ。ある意味ではもっと前から会社を辞めることは考えていたからね。おれはもともと地元で採用されたわけだけど、なんて言うか地方の限界みたいなのを感じて、自らこっちへの転属の意思を表明したんだ。地元の職場は良い人が多かったし、周囲から頼られることも、認められることも多かったから、そこで満足できていればわざわざこっちに出てこようなんて思わなかったはずで。でも、人間は業が深いよな。自分は結構できるヤツだという自負が生まれてくると、『もっとできるはず』と思ってしまう。それで上司と話してこっちまで出てきたんだけど、そこで鼻を折られたよ。いや、鼻を折られたという表現はあまり自分でもしっくり来てないな。なんて言うか、ただ何が何だかわからなかったんだよ。あまりに理不尽で、非道徳で。おれはおれなりに一生懸命もがいたつもりなんだけど、なんか暖簾に腕押しというか。底なし沼で暴れるみたいに何をやっても沈んでいく一方だった。そして気がつけば会社に行くのがしんどくなっていたんだ」

「地方から出て来て、東京の職場はどんな違いがあったんだ?」

「とにかく冷たいと感じることが多かった。向うだったら、一緒に悩んでくれる人が周りにはいたんだ。でも、こっちで近くのデスクの人に『これってどうやるんですか?』と聞いても、『自分も知らないんで、然るべき人に聞いてください』で放置される。おれは地方から来たばかりで人脈も何も無いし、オフィスの中でどこにどういう部署が入っているかも教えてもらっていない。そんな状況で『然るべき人に聞いてくれ』と言われても困る」

「それは困るな。全員が全員、そんな感じなのか?」

「もちろん中には優しい人もいる。でも、おれのチームの上司も同僚もそんな感じで。上司からは仕事の締切や責任範囲を常に明確にされて、ほとんど相談にも乗ってくれない。同僚からは『これ、誰がやります?』みたいな無言の圧力で仕事を押し付けられる。全然関係ないチームの優しい人に聞きに行くこともあるけど、あくまで相談できるのは共通した業務に関することだけだし、何よりもその人の業務ではないのに申し訳ない。本来なら自分のチームで解決すべきことだし、だいたいの人が『これは自分の業務範囲じゃないんで』って突っぱねるような環境なんだ。そんな中であまり関係ない人に聞きに行くということ自体がちょっと辛かった」

「冷たい職場なんだな。締切や責任を明確化したり、良く言えばかなりシステマチックになっている印象だけど。でも、人材育成や教育というのは一概にシステム化すれば良いわけじゃない。手塩に掛ける、という言葉があるが、まさにそういう感覚が重要なんだよ。一教育者であるおれに言わせれば、ということだが」

「おれもそう思うよ。複数のチームが集まる会議でも基本的には誰も発言をしない。発言の責任を求められたり、間違いを指摘されたり、そういうことを恐れているんだ、みんな。余計なことをせずに与えられたタスクのみをやるのが、システム化された組織では最重要なんだと学んだよ。それでもおれはおれなりに、前の職場を思い出して、周りには親切にしてきたつもりだ。あんまり面識がなくても感じ良く喋りかけに行くようにしていたし、相談されたことには一緒に考えるようにしていった。それでおれを頼ってくれる後輩も増えたよ。まぁ、もちろん入社年次がおれの方が上と言うだけで、こっちの職場では相手の方が先輩なんだけどね。そういう意味では達成感を感じないこともなかった。でも、結局おれの現実はそこまで変わらない。むしろ、チームの上司や同僚からは、『自分の仕事をちゃんとやるように』ってお叱りを受けることの方が多かった。『いや、同僚の仕事を肩代わりしたり、ほかのチームの困っている若手を助けたりしちゃダメなのかよ』って。というか、『何でおれよりも知識も経験もあるやつが、そういうことを引き受けないんだ』って腹が立って仕方なかった。いや、もう腹が立つというよりは悲しかったし、単純に辛かったんだ」

「琳太郎は間違っていないとおれは思うけどな。琳太郎の周りの奴は典型的なダメな社会人だな。まぁ、おれの周りにも多かれ少なかれそういうヤツもいるよ。そんなこと言ったら、おれだってそういう部分はあるしな」

「秀介兄さんは優しい人間だって。こうしてせっかくの休日だってのに、おれの相談に乗ってくれてるわけだし」

「優しさと言われるとあんまりピンと来ないがな。単に暇だったってことと、琳太郎と久しぶりに会いたいってのもあったし。それに人助けができるチャンスがあるんだったら、無理のない範囲内でそのチャンスを活かそうと思うのが普通の人間だと思うんだよ。徳を積むみたいな考え方はあまり好きじゃないんだが、おれの好きな小説でこういうようなことが書かれていた。『首から血を流し、瀕死の状態にあるとき、頭の上に壺を乗せて坂道を登る少女を見かけたとする。そうしたら血を流しながらもその少女が無事坂を登り切るまで、背中を見守るような人間であるべきだ』っていう感じの内容だった。おれはただその言葉に感化されただけの痛いヤツでしかない」

「良い言葉だね、それ。おれの上司にその小説を読ませてやりたいよ」

「琳太郎の上司なんだからそれなりの年齢なんだろ。小説に感銘を受けるような人間であれば、そもそももう少し優しい人間であるはずだがな。たぶんもう手遅れだろう」

「まぁ、そうだろうね。だから人の上に立つ人間ではないんだよ、根本的に。それでもウチの会社は半分公務員みたいな体質だから、降格人事というのもほぼない。一回、役職が上がってしまえば、もうそれで『一抜け、上がり』みたいなもんなのさ」

「それだと若手のうちは辛いな。時代錯誤ではあるが、あと十年くらいすれば琳太郎ももう少し気分良く働けたのかもしれない」

「十年どころか数か月を我慢できなかったわけだけどね」

「こういうのは我慢するとかそういうことじゃない。アレルギーの程度と同じで、人それぞれにそれぞれの状況に対する許容量というのが存在する。逆に琳太郎が前にいた職場のように、人の優しさが基盤になるようなところでは、今の琳太郎の上司が病んでいたと思うしな」

「確かに。それはおれもよく思うよ。『大きな顔をしてるけど、地方に行ったらお前みたいなヤツは袋叩きに会うぞ』って」

「それはきっと真実だろう」

「秀介兄さんの周りは良い人が多い?」

 私は少し返答に困ります。良い人もいれば、悪い人もいるというのが実際でしたし、それが単に自分にとって「都合の良い人・悪い人」と言うべきなのが妥当という気がしているからです。同時に、琳太郎の話が誇張でなければ、琳太郎の上司や同僚ほど傍若無人な人がいないというのもまた事実でありました。琳太郎の味方をしてやるべきだと思うわけですが、ある程度自分の具体的な体験談を交えて喋る必要性を考えると、おおよその着地点だけでも見定めてから喋り出したいと思います。

「うむ。おれの周りには悪人は少ないかもしれない。少なくとも琳太郎の周囲の人間のように軽薄な人間はあまりいない。そもそも教師と言うのは根本的にお節介な理想家が多いんだ。むしろ常に無意味な論争に奔走しているようなヤツらが多い。おれはあまりそういうごちゃごちゃしたことが好きじゃないから、周りから見ればドライに見えるかもしれないな。でも、さっき言ったようにおれにも最低限の道徳心はある。頭に壺を乗せて歩く少女がいたら、手を貸してやりたいとは思うし、首から血を流してなければ壺を一緒に運んであげるだろう」

「どれだけシステマチックになろうとも、最低限の道徳心は必要だよね」

 それから私も自分の職場の愚痴をいくつか聞かせてやりました。対して中身のない話ではありましたが、直面する現実に対しての不満という同じスタートラインを設定することは意味があることだったでしょう。

 ハンバーグが運ばれてきて、平板な石のプレートの上で油を跳ね上げています。紙エプロンにできる黄色の水玉模様を見下ろしながら、きっと見えていないだけでエプロンで覆い切れていない部分には無数の油染みができているのだろうと思いました。

 各自黙々と食べることに集中しました。女性のようにいくらか直情的な感嘆符を用いつつ、このハンバーグが美味しいという認識を共有しながら。気がつけば皿はほとんど空になっていたので、琳太郎も私と同じく美味しく食事を楽しんでくれたのでしょう。ウェイターがやって来て、コップに冷たい水を注いでくれました。美味い料理を食べると、ただの水がまた格別に美味く感じるものです。ひんやりとした水の感触を喉で楽しみました。

 食後のアイスコーヒーを待ちながら、私たちは会話を再開します。

「年齢的にも三十前後というのは一つの分岐点であるように思う」私は琳太郎に語り掛けます。「仕事も一通りのことを経験して、ある程度先が見えてくるようになると、自分に残された最後の可能性を試してみたくなるものだ。これ自体はとても健全な心情だと思う。そういう意味では、琳太郎が地元にいた頃に感じていたものはよくわかるし、とても納得できるものだよ。おれも三十くらいで転職について考えた」

「秀介兄さんが言うように、自分の可能性を試したいってのが最初の動機だったんだ。別に地方だからどうこうと言うわけではない。ただ今後自分が辿るであろうキャリアみたいなのが見えてしまったときに、安心感と言うよりはむしろ焦燥感のようなものが生まれた。それは良い意味では向上心のようなものであったし、中途半端な言い方をすれば、このまま終わりたくないという焦りのようなものでもあった。でも、もちろんその中には『いつまで自分は周りから頼り続けられて、つまり自己犠牲を続けて、会社に対して貢献すれば良いのか』っていうような憤りのようなものもあったんだ。周りの人たちは良い人が多い。でも、そういう人の良さだけに報いる形で、今後も自分の人生をただただ捧げていくみたいなことに疲れていたのかもしれない。どれが自分の本心なのかはわからないし、たぶん様々な感情や事情が綯い交ぜになっていたんだろうけど、とにかく新しいところで新しいものにチャレンジする機会が欲しかったんだよ」

「会社で色々と思い悩んで、休職するというのはもちろん望んでいなかったことだっただろう。でも、結果的に琳太郎はその中でもがいて転職のチャンスを得た。そういう意味では、当初の目的を達成しつつあるのかもしれない。だって、前の会社では一時的に東京に配属されたわけだが、いずれはまた向うに帰ることになっていたんだろう?」

「そうだね。でも、もしこっちで何かを得ることができれば、向こうに帰っても前よりも納得感を持って働けていたかもしれない。前みたいな焦燥感は感じずに、向こうに骨を埋める覚悟もできたかもしれない」

「そればかりはどうなっていたかはわからないな」

 私たちは運ばれてきたアイスコーヒーで一旦口を潤します。深く焙煎されているのか香ばしいかおりが鼻から抜けます。咥内の油も流し去ってくれます。

「結局、おれは転職することに決めたけど、これが正解だったのかはやはりよくわからない。失敗だったんじゃないかと思うと怖い。それが正直な気持ちなんだ。いや、もっと正直になるのなら、東京に来ておれはこうして会社を休むほどに盛大に失敗した。ほんのちょっと地方で活躍したことで天狗になって、自ら東京行を希望したくせに環境に耐えられなくて仕事を休んでいる。こんな自分が転職なんかしてしまって、この先きちんと生きていけるかが不安なんだ。いま抱えているそういう不安も含めて、自分のした選択が正解だったのか毎夜考えている。そして考え過ぎて眠れなくなる。仕事を休んで一時は気持ちが楽になったのに、またこうして不安に苛まれて、頭痛が出てきた。それに付随するように気分も酷く落ち込むんだ。はっきり言って、最低な気分だよ。もう消えてしまいたいとすら思ってしまうんだ」

「消えてしまいたいと思うことは悪い事じゃない。それに、おれも女子中学生や女子高生で精神疾患を抱えている子たちと話した経験はあるが、琳太郎が抱えているであろう最低な気分ってのは、単純に考えて病気の症状なんだと思うぞ。思春期の女の子なんかはホルモンバランスの関係や、脳の成熟過程の関係で、結構トチ狂った状態にある。それが身の回りの人間関係や何かでぐちゃぐちゃにされると、割と簡単に精神疾患の症状が出て、『死にたい』って気持ちが噴出する。赤ん坊なんかは泣き喚くことしか感情表現ができないし、おそらくあらゆる感情が一つの『泣く』という行動に集約されている。それと同じように、思春期くらいまで成長しても、まだ絶望や甚大なストレスに対してどう対応して良いかわからない女生徒は『死にたい』と喚くことに終始することになる。これは感情が未分化であることや、語彙力の低さ、そして自分の強い混乱に対する解決法を持たないことが原因になっているとおれは思っている。つまり、自分が抱く絶望感や悲しさ、悔しさ、ストレスを具体的に言葉で説明ができなければ『死にたい』と喚く以外に選択肢がないってことだな。琳太郎もある部分ではそういう状態にあるように思う。許容量以上の負荷がかかっているんだよ。それでその渦巻く感情をどう清算して良いかわからないから『消えたい』と思う。それは至極当然なことだ。さっき琳太郎は、どういう気持ちや感情の動きで東京に来たいと思ったのか説明してくれた。はっきり言って、おれが普段一緒に仕事をしているようないっぱしの大人でも、ここまで自分の気持ちを論理的に喋ることができる人間はそう多くない。そういう意味では、琳太郎は感情を細分化できてるし、語彙力だって充分足りていると思う。それでもやっぱり人間には抱え込めるストレスには限界がある。頭の良い琳太郎だからこそ、色々な物事を一度は自分で抱えて処理しようと思うんだろう。でも、時にはその限界が現れて来る。そして、結果的に沢山の傷を負った。まさに琳太郎はいま首から血を流して路地に倒れているような状態なんだ。要するに、非常に弱っている。自信も著しく失ってしまっている。そんな状態だから、渦巻く不安に対処できずに、『消えたい』という感情に支配されてしまう。ほとんどが個人的な体験からの推論になるが、そういう意味では琳太郎の気持ちというのはとても良く理解できるし、妥当なものだと思う。そして、仕方ないと思うんだ」

「なるほど……何となくだけど、腑に落ちたよ。さすがは秀介兄さんだ」

「教職に就いていると色々と思うことはある。生徒を見ていても思うし、おれ自身色々と悩んで来たしな」

「結局またおれの転職への不安に話が戻ってしまうけど、秀介兄さんも一度は転職を考えたんだろう? それでも転職をしなかった。それは何か理由があったの?」

「理由、と言われると難しいな。人間嫌なことがあれば、そこから抜け出したいと考えるもんだ。現状の仕事に何か小さなことでも不満があれば、とりあえず考えるのは転職だろう。でも、いざ転職に向けて腰を上げてみると、意外と色々とやらなければいけないことが見えて来た。それがまず億劫だった。そして実際にどういったところに転職できるのかを考えてみた。普通に転職活動をしていれば、私立学校の理科教師が行ける一般企業なんてたかが知れていることがわかってくる。要するに転職が美味い話ではないことが見えて来るわけだな。そして、転職にかかる労力を渋るようにして、『まぁ、今の職場でもいいか。自分が抱えている不満なんてよくよく考えたら取るに足らないことだった』と自分を納得させたんだ。だから、転職をしなかったことが正しい選択だったという確証なんてない。むしろ常日頃、『自分は損してるんじゃないか』と思ってるよ」

「その気持ちはよくわかるよ。おれも地元にいるときはそういう思いだった。転職するのは大変そうだし、労力の割にメリットが少なそうに思えたから、結局会社内での異動って形で手を打ったんだ。でも、異動した先があまりに酷くて、それで転職活動を始めることになった。そのときのおれからしたらどんだけ労力を割こうとも、この会社から逃れることが多大なメリットのように思えたんだ」

「今さらこんなことを聞いて申し訳ないが、どうしてそのまま地元の職場に戻ろうと思わなかったんだ? 琳太郎としては地元の職場であれば、転職に踏み切るまでの不満や不安はなかったんだろう?」

「地元の職場に戻ることも当然考えたよ。でも、実際帰ることはあまり好ましくなかった。白い目で見られるのが嫌だということももちろんある。ただ、仮におれが東京で病んで帰ったとしても、それについてとやかく言ってくる人間はほとんどいないだろうってこともわかってるんだ。でも、これは理性的に割り切れる問題じゃなかった。もしもどうしても一言で理由を言わなきゃいけないんだとしたら、とにかく身の回りにある全てが嫌になって、パルプンテを唱えたかったんだよ。もっともらしい理由はいくつも考えてみた。でも、どの理由にも憶測や思い込みや感情が強く入り込んでくるし、一度理由を論ったとしてもその後ですぐに反論が思い浮かんでくるくらい精度の低い理由だったんだ。だから、もうこれはただただパルプンテを唱えてみたかったんだと考えるようにした」

パルプンテ……何が起こるかわからない呪文ね。なるほどな。琳太郎がそういうならそれが真実なんだろう。誰も知らない街で一からやり直したいと考えるのは、至極当たり前の思考だ。愛すべきホールデンも全てに嫌気がさした結果、文明が無いような森の奥地での生活を夢見ていた」

ホールデン?」

「好きな小説の主人公だよ。まぁ、ホールデンより琳太郎の方がよくよく自分を冷静に見れているよ。でも、琳太郎は最終的にパルプンテを唱えたんだろう? 別に責めるつもりはないが、パルプンテを唱えたからにはこの先何が起こるかは想像ができないのは当たり前だろう。そういう風に割り切れば、本当に新しい場所でやっていけるのかという不安も、ある種楽しめそうな気がするんだがな」

「そこがおれの中でも色々と倒錯していることなんだ。自分で博打をうつと決めた癖に、本当にそれで良かったのかと既に半分後悔している。冷静になって思い返せば、ただの自暴自棄だったんじゃないかと思ってしまうんだ」

「そこまで自覚があるならあえて言わせてもらうが、おそらく琳太郎の選択は結構自暴自棄だったと思うぞ。ただ自暴自棄が全て悪いというわけでもない。結果的に今の職場よりも、前の職場よりもずっと良い職場に巡り合う可能性も充分ある。だいたい新卒での就職だって、転職だって、もっと言えば大学受験だって何だって、多少自暴自棄でなきゃやってられない。だって、誰にだって未来は見えないんだ。ある程度のリスクを覚悟して博打をうつ意外の選択肢はないんだよ。どれだけ冷静に分析してみたところで、自分の選んだ答が最善手になることはそうそうない。そういう意味では、琳太郎が自暴自棄に転職活動に踏み切ろうが、落ち着いて冷静な時に転職の可能性を考えていようが、出て来る結果にはそこまで差異がないはずだ。琳太郎のことだから、自暴自棄とは言え、ある程度は自分にやれそうな仕事で転職先を考えたんだろう?」

「まぁ、もちろん色々考えたさ。自分の今の状態は色々と混乱しているとは思うけど、混乱していなかったとしても、結局いま考えてる転職先に行くか、いまの会社に残るかとい二択で迷っていた気がするな。まぁ、こう言っている自分が充分に混乱している最中ではあるんだけど」

「いや、たぶん琳太郎の言っていることはほとんど間違ってないよ。あとは転職するのもしないのも、七十点か、七十五点くらいの違いしかないと思うのが良いんじゃないか。もちろん、今の職場に復帰するのは二十点くらいの選択なんだろうが。地元の職場に戻してもらえれば、安心して働けるだろうが、また閉塞感のある日常が待っている。対して、転職には不安がつきものだが、新しい自分の可能性をさらに試すことができる。どちらの選択肢も別に悪くないと思う。仮に七十点と七十五点で七十点の方の選択肢を選んでしまったとしても、たった五点の差じゃないか。それくらいのリスクは受け入れよう、って思わないか」

「後ろ向きなことを言って悪いけど、秀介兄さんの表現を借りれば、それでおれは二十点の選択肢を既に選んでしまっているんだよな」

「確かにそうだな」

「そうすると、つまりは地元の職場に戻るっていう、七十点から七十五点くらいの選択肢と、全くどう転ぶかわからない選択肢の間で迷っているということにならないか?」

「たしかにそうなるな。そう考えると不安だよな」

「そうなんだよ。だとすると、転職せずに会社と相談して、地元の職場に戻してもらうというのが一番リスクヘッジされた選択だと思ってしまうんだ。もちろん、パルプンテを唱えたのはおれだよ。でも、やっぱり不安になってしまうんだ」

「まぁ、正直、こればっかりは未来のことだからわからないよな。およそ確率が収束している選択肢と、かなり確率の分散が高い選択肢のどちらを選ぶべきかという話だからな。こればっかりは正解がない。でも、転職先にはもう転職する方向で話をしているんだろう?」

「そうだけど、ぎりぎりになって無理やり話を翻すこともできないわけじゃない。もちろん色々と問題は起きるだろうけれど。例えば両親が事故にあって介護しなければならなくなれば、当然東京で転職なんてできなくなるわけだし」

「そりゃあそうだ」

「まだぎりぎり引き返せる状況だからこそ、不安で頭がいっぱいになって、頭が痛くなるんだ。やはり精神疾患の症状もあるのか、気分も酷く落ち込むしね」

「それについてはどこからどこまでを同一の問題と見るかが重要なんじゃないか」

「どういうこと?」

「まずさっきも言ったように、転職するかしないかというのは未来の見えないおれたちからすれば正解は導き出せない。問題の当事者が琳太郎かどうかということに関係なくな。だから、精神疾患であることや、琳太郎自身の問題じゃないんだよ。もう充分選択肢を絞り込んで、転職しなかった場合の点数もおおよそ見積れているし、転職した場合のリスクヘッジも最大限できている。そのうえでもう転職先にも返事をしてしまっている。だから、もうこれは琳太郎に限らず誰にとっても正解のない究極の二択問題なんだ。それを受け入れるしかない。おれも人間関係の問題を抱えた生徒に対して、同じクラスでの復学か、別のクラスでの復学か、それとも転校するかという提案を用意するけれど、こればっかりは百点の正解に辿り着けたと確信できることはほぼない。もちろん生徒の特質や環境、タイミングとかを考えて最善手と思えるものを選び取れるようにはするけれど、結果的にどうなるかはわからない。おれが同じクラスでの復帰が最善だと思って行動しても、結局別の学校に転校してケロっと楽しく新しい学校に馴染む子もいる。でも、その子は数年後にまた人間関係上の問題で病んでしまうかもしれない。そうなってからおれが『ほら、あのとき同じクラスで復帰して、人間関係を修復することを学んでおかなかったからだ』と得意げな表情を浮かべたところで仕方がない。その逆もまた然りで、あまりにもクラスの環境が合わないから、それとなく転校を勧めてみた子が、結局転校しても上手く行かなかったということもままある。どれだけ知恵を絞ろうが未来のことはわからないんだ。だから、あまりそこに固執しても仕方がない。現実的な可能性はもう充分検討できているはずだ。であるならば、あとは何ができるかと言うと、手に取った選択肢を正解に近づけるための能力を養うことに注力することだけだ。たぶん、琳太郎はもうそのフェーズに移るべきなんじゃないか。おれからすれば、既に転職先に行くと返事をしている時点で、もうほぼほぼ転職は動かない、決まった未来なんじゃないか。さっき琳太郎自身が言った通り、琳太郎の両親が事故にでも合わない限り、十中八九転職するものだと思ってる。だからこそ、今日はこうして新しい居住先の下見をしに来ているわけだろう。とするならば、やるべきことは転職した時のことを考えて、できるだけ住みやすいアパートを探すのがいま最も重要なことなんじゃないか。これは『くよくよしてないで、現実と向き合え』っていうただの一般論を押し付けているわけじゃない。琳太郎がいま抱えている苦難がそれでしか乗り越えられないから言ってるんだ。

 一度、心を折られてしまった人はとんでもなく自信を喪失するものなんだ。おそらくは自分が思っている以上に自信を失ってしまう。引き籠りの子なんかは典型的な例かもしれない。大抵人が傷ついたり自信を喪失したりするのは人間関係によってだ。だから、弱っているときには部屋の外に出るのがとても怖くなる。簡単に言えばそれで引き籠ってしまう。『勇気を出して外に出てみよう』と言ってもそう簡単には部屋から出てはもらえない。外に出てやっていく自信が全く無いからだ。そりゃあそうだ。『外に出てもやっていけた』という実績がないから自信がない。自信が無いから勇気が出ない。そうやって深みにハマっていくのが人間だ。琳太郎が抱えている問題……というより、おれも含めて人間が抱えている問題の根本的な部分はこの引き籠りの例と原理的には同じだと思うんだ。言わば、この実績と自信と勇気の関係性は精神的な運動方程式みたいなものと言える。琳太郎は環境を変えて上手くいかなかったという経験によって、これまで積み上げてきた実績を崩されて、傷つけられた。そうなると当然、自信も喪失するし、また新しい環境に飛び込んでみようという勇気が失われてしまう。だから、いざ転職が決まりかけても恐怖心が拭えない。不安に支配されてしまう。不安に支配されると典型的な精神疾患の症状のように頭痛や、気分の落ち込みが出て来る。これは当然の流れと言えないか。だから、まずは自分がそういう状態にあると認めるしかない。実績が傷つけられ、自信を喪失し、不安に苛まれ、その不安の渦に取り込まれている。健康な時だったらそういった状態から自力で抜け出せるはずだけれど、負った傷は深いし、まだ回復しきっていないから、負の連鎖で気分が沈んでいく。でも、それは仕方がない事なんだ。

 でも、仕方ないからと言って、不安に支配されているわけにもいかない。そこで何をどうすればいいか。さっき言ったように、考えるべきことは転職をするかどうかじゃない。それは未来の不確定なことだから考えても仕方がない。いま考えるべきことは、『いかにして自信を取り戻すか』ということと、『いかにして不安に取り込まれにくくするか』ということだ。自信を取り戻すためには、実績が必要だ。でも、仕事に戻って一定期間が経つまでは実績と呼べるものはできはしない。つまり、いま実績を積むことはできない。仮にいまできることがあるとすれば、それは実績を積むための下準備だ。では、その下準備として何をすべきか。それはもう一つの考えるべきことである、『いかにして不安に取り込まれにくくするか』ということになるだろう。人間は不確定な未来を恐れる。だから、まずは未来の不確定要素を極力減らす。今日こうして住む場所の下見をするというのは、まさにその行為の一つだ。どこにどう住んで、どう生活するのかということがイメージできて来れば、自然と新生活に対する不安は減ぜられる。同時に、現在手の付けられないことは、『いま考えたって仕方がない』と割り切ることだ。例えば、新しい職場の人たちが優しいかどうかは今のところ考えたってわからないことだから、考えたって仕方がない。『新しい上司が厳しい人だったらどうしよう』と考えても仕方がない。であれば、厳しい人に当たっても受け流すための思考法を鍛えることに時間を使うべきだ。ともあれ、色々なことを想定して準備するのはかなり骨が折れるし、ましてやいま琳太郎は弱っているわけだから、無理に準備し過ぎても余計に疲れてしまうだけだ。むしろ『未来のことはわからない』と不安を放置するだけの忍耐力を鍛えた方が良いだろう。その方法は色々とあるが、精神医学の領域では瞑想やマインドフルネスなんかが最近取り沙汰されているな。とにかくそうやって渦巻く不安と上手く付き合っていく術を身につけることを考えた方がいい。

 だから、転職のことや仕事のことを考えると不安になって気分が落ち込むというのは、因果関係としてとてもわかりやすいけれど、問題の本質ではないということだよ。転職や仕事のことは考えても上手くいくかどうかは博打だよ。でも、不安になって気分が落ち込んで、ともすれば『消えたい』と思うっていう、そういう心の動きについては一定の法則がある。それをある程度自分なりに解釈して、どう対処するのかということが、いま琳太郎にできることなんじゃないか。転職のことはもう充分検討してるんだとおれは思う。もし悩むべきことがあるんだとすれば、どのように心を制御して、選んだ選択肢を正解に持っていくかということじゃないか。だから全てのことを一緒くたにして考えるんじゃなくて、ポイントを絞って考えよう。理科、とりわけ物理の教師であるおれとしては、やはり自分の心を観察してそこに見える法則や原理を理解して、精神世界に起きる現象をある程度の精度で制御することがとても重要だと思うぞ」

 私はだいぶ喋り過ぎていましたが、これも私の職業病のようなものだと思うと、やや仕方ないことのように思います。普段私が女子中学生相手に理科を教えたり、女子高生相手に物理を教えたりするのと同じように、琳太郎に対してもこういった精神疾患との向き合い方を教えてやる必要があると感じたのです。私は専門家でもないですし、医師免許を持っているわけでもありません。なので、あくまで私が普段様々な生徒や自分自身と対話をする中で感じていることを喋ったまでです。しかしながら、昔から琳太郎は私に対して一定の信頼を置いているようでしたし、私も私で年長者としての役目を果たしたいと考えていました。私のような人間でも誰かの役に立つことで自らの存在意義を確かめたいと思っているのです。その想いこそ、私の趣味が他人の悩みに付き合うことになっている源泉なのでしょう。

 会計を済ませ、琳太郎と並んで街を歩きます。商店街の通りから一本道を逸れるとすぐに住宅地に入ります。あまり新しい街ではないので、古いアパートも沢山ありますが、中には小綺麗なアパートもいくらかあります。スマートフォンで不動産検索のアプリを使用し、いくつか目ぼしいアパートやマンションを巡ってみました。一時間ほどあちらこちらを歩き回りましたが、駅からの距離や家賃を考えると、マンションや比較的綺麗なアパートに入居するのはやや厳しそうでした。古びたアパートばかりが条件に適合したわけですが、それでもこの街の暮らしやすさや、職場候補地へのアクセスのしやすさを考えると、まぁ妥協できる範囲内であるようでした。「そもそも大学の時はもっと小さなアパートに住んでいたわけだし」と琳太郎は自分を納得させるように喋っていました。

 陽が傾いて、通りには建物の長い影が降り、冷えた風が緩く吹き抜けます。雑居ビルの三階の窓にオレンジの光りが反射し、花壇の一部を印象的に光らせていました。私たちはやや歩き疲れていましたが、最後に目についた不動産屋を訪問しました。飛び込みでありましたが、従業員の方は丁寧に対応してくれました。吉野という名札をつけた私とほぼ同世代と見える彼は、手慣れた様子でいくつかの物件を提案してくれました。やはり地元の不動産屋はさすがと言うべきか、アプリで調べるよりも遥にイメージしていた物件に近いものを紹介してくれます。私が名前や風貌からその女子生徒の頭脳レベルを値踏みするように、この吉野という男もまた琳太郎という人間の好みを何かしらからか推し量っているのでしょう。この辺りがまだITよりも人間が優れている部分なのかもしれません。時にはデータよりも直観の方が優れている場合もあるのです。

 二件ほど目星をつけて、私たちはそのまま物件に案内をしてもらいました。話が早くて大変助かります。先ほど琳太郎に聞かせたように、今回の訪問は転職という未知のものに対して不安を減ずるところに目的があります。したがって、実際にその物件に住むかどうかというところは抜きにしても、琳太郎自身の目で新しい住処を見て、新しい生活をイメージしてもらうところに目的があるのでした。一件目は駅からかなり近い割には破格の安値でした。が、やや手狭く感ぜられ、そして日当たりにも微妙な雰囲気がありました。駅に近すぎるが故に電車の走行音もやや気になりそうです。スピリチュアルなものを信じるほど感覚的には生きていませんが、何となく私はこの一件目の物件が好きにはなれませんでした。実際にそういう匂いがしたわけではありませんが、数か月洗っていない排水口のような臭気が天上の隅から漂っているような感じがありました。我慢できないほどではないので、琳太郎がここで良いというなら背中を押しましょう。

 二件目は駅を挟んで反対側の住宅地にありました。商店街から道を逸れ、五分ほどはコンビニやスーパーを横目に歩き、いくつかの清潔そうなマンションを超えた先にありました。駅からの道をざっと辿った形にはなりましたが、この道を歩いた時点で私はこちらの物件の方が気に入りました。歩道は狭いものの、すれ違う人は皆、穏やかな顔で歩いています。実際にアパートの中に入ってみると、やや一件目よりも広く、取り立てて嫌なものを感じませんでした。ただもちろん新築ではありませんでしたし、そこまで綺麗な物件でもありません。家賃の面で見ても、琳太郎が考えるラインのギリギリというところです。お金は大事な指標です。駅からの距離というのも生活に密接に関わる要素ではあります。紙面に書かれたデータだけで比較するならやはり一件目の方が良さそうに思えましたが、実際に目で見ると二件目の方が私は好みでした。が、最終的に決断するのは琳太郎です。それに別に必ずしもこの二件の中から決めなくても良いのです。時間もまだもう少しあるようですから。

 もうすぐ年度末だから空き部屋はすぐに埋まってしまう、という忠告を受けつつ、私たちは吉野という男と駅前で別れました。名刺は貰っていましたから、もう少し色々と見て回ってから今月中には連絡すると簡単な口約束もしました。

少しだけ歩き疲れ、私たちは商店街から一本路地に逸れたところにある喫茶店に入ることにしました。一月とは言え、午後の陽射しは暖かく、軽く喉が渇きます。二人してレモンスカッシュを頼んで先ほど見た物件について意見を交わしました。私は素直に二件目の方が好みだと言おうと思いましたが、琳太郎の意見と食い違った場合に彼に不安を与えそうだったので結局のところは「どちらも良いけどね」と曖昧な返答しか与えてあげられませんでした。

「秀介兄さんは毎日の仕事に満足している?」

「人間の欲望は際限がない。そういう前提があるとして、その上で謙虚に喋るなら、満足させてはもらっているかな」

「また転職の話になって申し訳ないんだけど、おれも前の地方の職場で満足していればよかったのかもしれないな。あのまま目の前にある日々に感謝していれば、こんな風に生きていく自信を喪失することも、取り留めのない不安に駆られることもなかったはずだよ」

「そうかもしれないな。それが幸福か不幸かということは抜きにしても」

「今になって思うよ。ほんのちょっと欲をかいたばっかりに、こんなことになるなんて。曇った眼鏡をかけたまま、ずっと終わらない裁縫を続けているみたいな感覚って言えばいいのかな。しかも天井からは次から次へと気色の悪いでっかい蜘蛛が糸を垂らして落ちて来る。早く裁縫を仕上げないとって焦るのに、目の前の眼鏡は曇って手元が良く見えない。間違って指先を何度も針先で刺してしまう。血で布が汚れる。そんな風に言うととても追い詰められていると分かるはずなんだけど、その時の自分はそういうヤバい状況にいることがまるで理解できていない。無自覚的に追い詰められているんだ。自分には昔から焦りやすかったり、頑ななところとか、不安になりやすい傾向があるってのは何となくわかっていた。でも、それでもこれまでは何とかやって来れたんだ。むしろそういう傾向ってのは、中途半端でいい加減な人間には優る特質だとも思って来た。でも、こっちに来てそれが悪い方に出た。おれはただ怯え、逃げ惑い、空回りすることしかできなかった。気がついたら勝手に追い詰められて、何もうまく行かないまま、涙が止まらなくなっていたんだよ。本当に情けない。自分はそう言えば、そんなどうしようもない人間だったんだ。そんな人間が調子に乗って上京なんてすべきじゃなかった。そんな風に思ってしまうよ」

「琳太郎の言っていることは、まぁ、間違っていない。というか、そう考えてしまって至極当然だと思うよ。だけど、悪いことは言わない。とりあえずは一旦自分の価値について卑下することはやめた方がいい。琳太郎が自分で言っていたように、人間には色々な特質がある。それが良い方向で出る環境もあれば、悪い方向で出る環境もある。現代社会では人間は群れで生活をしている。それぞれの群れにはそれぞれの流儀があって、それに合わない人間は他の場所ではどれだけ優れていようとも、何らかの形で圧力を受ける。それは個人の尊厳や価値とは関係のない問題なんだ。群れにおいては多数派と少数派が生まれるから、自分が少数派になってしまった場合には、無理に群れにコミットしようとしない方が良い。そこで無理をしたから琳太郎は苦しむことになったんだと思う。もっと少数派であることを自認して、その中で自分の立ち位置を模索した方が良い場合ってのがある。琳太郎は東京の職場で無理に優しさや責任感を発揮しようとせず、感じの良い無能という役割に甘んじても良かったんじゃないかとおれは思う。それでもその感じの良さは誰かの救いになったと思うし、何だったらそれこそが琳太郎の価値になるはずだった。属する集団が変わったんだから、周囲からの評価基準だって変わる。他人からの見え方なんてそういう水物みたいなものなんだ。だからそんなものに自分の価値を見出さない方が良い。琳太郎が自分自身の特質を踏まえたうえで、それを自分が属する集団の中でフィットさせ、何かしらの自分の立ち位置を見出すことができれば、それこそが琳太郎自身の真の価値を発揮していることになるだろう。そういうわけだからさ。琳太郎は自分のことを恥じているのかもしれないし、不安に押し潰されそうなのかもしれないけど、まずはある程度合理的に割り切ってみなよ。琳太郎には価値があるよ。それは真理だ。そしてその価値は基本的に琳太郎にしかないものだし、環境に応じて様々な発揮のされ方があるものだ。だから、まずは自分を大切にするんだ。自分の特質が歓迎されない環境なんて往々にしてあるけど、それで自分を否定したり、周りへの罪悪感とかから自罰的になったりしてはダメだ。自分が壊れないようにちゃんと出力を調整して、その上で自分の持っている価値や特質がスムーズに発揮される立ち位置を見つけることしか人間のやることはない。まぁ、おれもまだそれをうまくできているとは言えない。それでもおれがそれなりに満足して日々を過ごせているのは、おれはおれなりに自分の価値というのを社会の中で見出せているからだろう。そして、そういう価値を自認させてくれている周囲の人間には感謝しかない。こうやっておれの話を聞いてくれている琳太郎にももちろん感謝をしている」

 私は大抵こういう話をすることにしていました。琳太郎は思春期の女子学生よりはもう少し理知的ですし、抱えている苦しみというのも一端の社会人としてのレベルにあるのでむしろ話しやすいと思いました。

 私自身、社会の中でうまくいかないという経験は沢山ありました。周囲と価値基準が合わずに苦悩することが多かったからこそ、私はどのようにこの社会と向き合えばよいのか模索してきました。結果的に私は琳太郎に言って聞かせたような、絶対量としての価値と相対的なバランスの取り方に則った基本法則を信奉するようになりました。しかしながら、そういった考え方というのは年端もいかない女生徒に理解させることは大変難しく、つまらない大人の一般論という形でしか説明できないもどかしさというのもありました。

「確かに秀介兄さんの言うことは正しいと思うよ。おれも人間一人ひとりには価値があると思っている。でも、実際には社会ってのはそんな甘いものじゃないと思うんだ。集団の中で浮いた奴はやっぱり排除される傾向にあると思うよ。残酷だけどさ」

「それも正論だけれど、まずはその認識が危ういと思った方がいいんじゃないか。確かにはぐれものは攻撃の対象になりやすいのは集団における基本原理だけれど、その力は実際にはそこまで大きくない。例えば、琳太郎が地方の職場にいた時には、仕事ができなかったり不真面目だったりする人間が馬鹿にされることもあっただろう。そのとき琳太郎はそういう人間を貶める側にいたんじゃないか」

「正直に言えばそうだな。よく仕事のできる先輩と一緒になって、そういう人たちを馬鹿にしてた。でも、貶めるとかそういうレベルではなかったよ。『ちょっとしっかりしてくださいよ』って軽くからかう程度だった」

「そうだろう。実際はそんなもんなんだよ。仕事が周りに比べてできなかったり、ちょっと不親切だったりするくらいじゃ、集団から完全に排除されるなんてことはない。だけど、おそらく琳太郎の中では、集団でそういう扱いを受けることに大きな抵抗感があるはずだ。それは恐怖と言っても良いレベルなんじゃないか。でも、本当はそんなこと何の恐怖でもない。ちょっと仕事ができるだけで調子に乗っている人間に何か言われてるくらいにしか認識しないヤツだっている。集団の中でちょっと不利な立ち位置に置かれることなんて、自分自身の価値にはそこまで影響しないと思った方が良い。人間の価値はそう簡単に貶められるものじゃない。もしそれでも自分の価値が貶められそうで怖いと思うのなら、それは自分が周囲の人間の価値を軽んじやすいからなんじゃないか。自分が周囲に対して思っていることを周りからも思われるんじゃないかと思って怖いんだ。作用と反作用みたいなものだよ。そう思えば、賢い琳太郎なら色々と見つめ直すこともできるかもしれない」

「確かにな……思い当たることはあるかもしれない」

「悪いな。よく生徒からもそういうことを言われるんだ。大人は正しいことをしなさいというけど、実際に正義感をひけらかせば、周りから冷たい目で見られるって子供は反論する。それは半分は正しい。実際問題、委員長タイプの生徒は冷たい目で見られがちだったりする。そして不条理な仕打ちを受けることもままある。そういうのは恐ろしいことかもしれないけど、それによってその子の価値が失われることはないんだよ。ある意味では空気が読めない人間として煙たがられるかもしれないけど、例えばその子がいるおかげでクラス全体が放課後に集められて何かの問題で叱責されることを免れたりしていることもあるんだ。そういうときにはおれは極力その子を褒めてやるようにする。人間の価値や特質というのは、良い面が出ることも悪い面が出ることもあるということを教えてやるのが教師だからな。そして人間の価値を貶めるような不条理を働かないこと、そしてそういう不条理に立ち向かう勇気を持たせること。それが教師の役割だとおれは思っている」

「秀介兄さんの言うことはその通りだと思うよ。でも、秀介兄さんも言っているように、世の中は不条理だ。そんな中で不条理に立ち向かう勇気なんてどうやって養ったらいい? この際だから言うけど、おれはずっと前からこの世界で生きていることが嫌だった。とても苦しい事だと思っていた。自分が不条理な目に合わないためには細心の注意を払って、ちょうどいい正しさとちょうどいいずる賢さを持っていなきゃいけないと思う。何の価値も見いだせないことに右往左往して、四六時中靄を追いかけているみたいな感じだった。正直言ってもう疲れ果ててたんだよ。こっちに来て仕事に行けなくなったのは、ずっと前から溜まってた疲労が限界に達したからなんじゃないかと最近では思っている。地方の職場でも嫌だったんだ。いつまで自分はこんな風に何もかもを取り繕って生きていかなきゃいけないのか。しかも、それを一生続けたからって何も得られないという気がしていた。だから、東京に行きたいと思ったんだ。でも、その結果、取り繕えないほどの何か醜悪なものにぶち当たった。これだったらまだ地方に残っていた方がマシだったと思うような、そういう殺伐として救いのない場所だったんだよ、こっちは。それにぶち当たって、自分はやっぱり生きていたくなんかないんだと思い出させられた。正直、今もおれはテンパっている。こんな世界で生きていたくないのに、せっせと次の働き口を探して、そして新しい職場への不安でいっぱいなんだ。自分でも訳がわからないよ。いったいおれはどうしたらいいんだと思う?」

「言葉で言う分には簡単だ。自分と『社会』の価値を再認識することだ。まず第一に繰り返し言っているが、琳太郎に限らず全ての人間には価値や尊厳がある。これをまずは一つの定理として受け入れる。そして世の中であるところの『社会』には価値なんてない。人間一人ひとりに価値があるからそれの集合体である『社会』にも価値が生まれると勘違いしがちだけれど、『社会』という概念自体には価値はない。人間にとって都合の良い利益を生み出す装置として『社会』はそこにあるけれど、究極的には『社会』が破滅しても、個々人の価値は失われない。例えば、アウシュビッツで殺される前の子供たちは鉄条網の中で笑って走り回っていたと言われている。『社会』が壊滅的な状況で、最終的にそれが人間を殺戮しようとも、人間本来の価値というのは損なうことができないんだ。同じように根本的には琳太郎の価値というのはある次元において確実に守られているものなんだと認識することが必要だ。それは『社会』にも奪いようのないものである。まずはその基本的な定理を頭に叩き込まなければならない。そして現実問題として『社会』で爪弾きに合うと、色々と不利な条件で生きていかなきゃいけない。周囲に馴染めないと色々と損をすることがあるかもしれない。でも、そのことをあまり恐れ過ぎてもいけない。損得勘定だけで言えば、琳太郎が言うように、ちょうどいい正義感でちょうどいいずる賢さを持って、細心の注意を払いながら生きていく必要があるだろう。でも、そんなことに何の意味がある? これから殺戮されるとしても剥奪され得ない価値をすでに琳太郎は持っている。損をすることはそんなに恐ろしいことか。価値の輪郭を見出すことの方が何よりも大切なことなんじゃないか」

「秀介兄さんはどうしてそこまで価値というのを信じられるんだ? 宗教が廃れて、おれを含めた今の若者には縋るものが無い。そんな中で、どうしてそんな風に強く一つの価値を信じられる?」

「琳太郎は数字の『0』の存在を信じているか」

「ゼロ。信じているというよりか、まぁ、普通にあるというか数学的には必要なんじゃないか。やっぱり」

「『0』についての好きな定義がある。『体系を体系たらしめるために要請される意味の不在を否定する記号』。これがおれの考える価値の定義にもそのまま当てはまる。こんなどうしようもない人生という体系を成立させるためには、どこにも意味や価値なんかないということを否定するための記号が必要になって来る。ただの虚無しか見出せなくなったとき、その体系は崩壊する。だから価値が必要なんだ」

「何となくわかった気がする。秀介兄さんはやっぱり理数系の教師だ」

 私は二人分のレモンスカッシュの会計を支払い、琳太郎を駅まで送りました。琳太郎は一緒に家の下見をしてくれたこと、街を案内してくれたことの礼を言って手を振ると、改札の中へと消えていきました。既に陽は暮れかけていて、影の中にいると冷えた風が耳の辺りを凍えさせます。

 私は喋り過ぎたことを多少後悔しながらも、自分勝手な満足感に浸っていました。日頃から私は自分の人生の空虚さを噛み締めていましたが、今日は少しだけ自分の中に熱源を感じた気がします。これまで何人もの自分という存在を殺してきました。人生に失望し、絶望し、自暴自棄気味に怒りをぶちまけたこともありました。刺し違えて死んでいった自分もいれば、諦めるようにして投身した自分もいました。陶酔的な死に溺れた自分もいました。しかし、実在する自分はまだこうして生きているようです。今日の自分がその死んでいった全ての自分に報いる形をしているかはわかりません。しかしながらさほど変わらないフォルムで、同じようなレトリックを用いながら、今日を受容し、明日を語る。自分もまた不甲斐なく歳を重ねたということでしょうか。あの日侮蔑の目を向けた大人とおんなじ顔をして、僅かばかりの満足感に浸って口角を持ち上げている自分がいます。

 狭いアパートまで歩いて帰ります。弁当屋でコロッケ弁当を買って帰りましょう。明日は椎葉ゆかりがいるクラスで物理の授業があります。授業終わりに彼女が質問をしてくれることが最近の楽しみであることに疑いの余地はありません。聡明な彼女が挑戦的でかつ物欲しそうなキラキラとした眼差しで私を見てくれるあの時間が堪らないのです。私は私の価値のために生きているつもりではありましたが、こればかりは違う。誰にも説明できないものです。性癖という言葉が近いでしょう。しかし、これもまた私が明日に命を繋ぐ、消極的理由の一つでした。これがあるから生きていこうとまでは思えないものの、生きている以上はこれくらいの褒美がなければやってられません。不在だらけの現世において、それでも芯に齧りついて離さないもの。それこそが悦びであり賛歌。脳が溶け出して、銀色の金属片のようなものがその先端を覗かせます。それが椎葉ゆかりです。少なくともあと一年半はそれを食んで生きていきましょう。心ゆくまで。

 

2023.3.5

適応障害と診断されまして… vol.80

適応障害と診断されて790日目(2022年12月13日)にこの記事を書いています。今日は午前中に雨が降っていて、染み入るような冬の寒さでしたね。私は故郷が日本海側の雪国なので、今日のような氷がじんわりと溶けていったような湿り気のある寒さはなんだか懐かしい感じがしました。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回動画 vol.79

youtu.be

 

前回は転院やカウンセリングを機に、双極性障害発達障害という両軸で今後の自分の在り方を考えていこうという話をしました。色々と気をつけるべきこと、より安心して生きていくためにどのような工夫ができるかを主にカウンセラーから教えていただきました。

特にブレインストーミング的なタスク管理というのが自分にハマりそうだというのは大きな発見でした。前回記事にも書いた内容ですが、私はADHD的な傾向が強いようなので、それを補うことが重要そうな気がしています。

例えば、色々なタスクがあるのに、1つのことを始めてしまうとそれを必要以上に深掘りしてしまいがちです。これだけ見るとASD的な傾向なのかもしれないですが、私はおそらく1つのことに手を付けると、「あれも大丈夫か?」「これも大丈夫か?」と色々な懸念事項が生まれて、思考が散らかっていき、うまく集中できなくなってくるというADHD的な傾向があるようなのです。しかも、その間にも頭の隅っこには手を付けられていない複数のタスクがぐるぐると不安感を煽っており、気がつけば「やばいやばいやばい」で頭がいっぱいになってしまうのです。

これを防ぐためには、色々あるタスクをとりあえず書き出すこと。そして、タスクに取り掛かる前に、おおよそのゴール地点を描いておくこと。これをまずはブレインストーミング的に「タスクを見える化=未知のものに対する漠然とした不安感を消すこと」、「検討を最小限にし、低めの完成度をゴールにする=1つのタスクで芋づる式に検討事項を増やし、あれもこれも状態にならない」という形で意識することにしました。

 

今回動画 vol.80

youtu.be

 

というわけで、そんな双極性障害発達障害という前提をもとに、色々と日々の行動に配慮した2週間程度について、動画ではお話しています。

結果から言えば、「割と順調」。という感じですかね。とにかく、自分の状態を常に省みる努力が重要のようです。双極性障害を気にして、「今はテンション上がってない?」「いけいけ!やれやれ!と過集中していない?」と1日の中で何度も細かく振り返っています。また、私はストレスがかかると多動症(結構、意味もなく席から立ち上がってトイレに行ったり、ロッカーに向かったりしてしまいがち)の傾向が強く出ることがわかってきたので、それを1つ心身のバロメーターにしています。特に状況が散らかっていると多動症的になってしまうので、そういうときは一旦やるべきことを整理したり、限定したりするようにしています。そして、私の疲れやすい原因としては、多動症の傾向をカバーし過ぎようとするところにあると考えられるので、「相手の心情を気にし過ぎていないか?(無意識のうちにASD的な部分を隠そうとしているので、相手は相手だからそこまで気にする必要はないと割り切る)」、「ミスや失敗を恐れ過ぎていないか?(注意欠如によるミスを恐れ過ぎているので、指摘やアドバイスを受ける覚悟で書類等のチェックをお願いする)」ということを思い返すようにしています。

最初のうちは1日のうちで何十回と、自分の状態を確認するようにしていました。しかしそれも3, 4日もすると、割と自動にできるようになってきて、意識しないうちから「あ、いま多動症出かけてるな」、「あ、いま不安や恐怖に支配されてるな」とわかるようになってきました。まだまだ完璧でなく、時々忘れて体調が悪くなってから気づくこともありましたが、こういうトライ&エラーを繰り返していくことで、より生きやすくなっていくのだろうと思います。

というわけで、また動画投稿から日が経ちましたが、こちらのブログ記事も投稿させていただきました。しばらくこんな感じで続けていこうと思いますので、よろしくお願い致します。