霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.68

適応障害と診断されて269日目(7月10日)にこの記事を書き始めています。今日は久しぶりに晴れて、もう本格的な夏という感じですね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は地方公務員試験の受験、祖父の死といったことがありました。しかしながら、ちょうどブログを書いていた頃は暴力的なまでの眠気に苦しんでいる時期で、ブログの記事自体もかなり投げやりな感じになってしまいました。

今回はついに復職(2回目)してからの日々について、書いていきたいと思います。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

256日目/休職中

日曜日。昨日のカウンセリングでアドバイスされた通り、6時半に起きてすぐに朝散歩に出かけた。散歩中は眠くてぼーっとしていたけれど、コンビニで朝食と昼食を買って帰る。あまり気分が良いという感じもなかったけれどとりあえず無理なくこなせた。帰宅後、朝食を食べ、そしてすることがなくなりずっと寝てる。最初はカーテンも開けていたがそのうちに眩しさを感じるようになり、カーテンも閉めて動画を観ながら寝た。ずっとうたた寝している感じで午前中を過ごし、昼食を食べると午後もそんな感じで過ぎていく。ふと3時過ぎに気持ちが晴れ、凛として時雨ライブ配信アーカイブを見直し、それからブログを書き始めた。すぐに夕食の時間になるので、夕飯をまたコンビニまで買いに行き、夕食後再度ブログに取り掛かる。強い眠気に襲われてあまり書けなかったがとりあえず投稿。その後は「BURN THE WITCH」のアニメを観始める。あっという間に入眠ルーティンの時刻に。風呂に入り、そしてこの日記をつける。実家暮らしの3週間で2.4kgも太った。5kg近く痩せていたので、戻ったのは良いことかもしれないが、短期間で体重が大幅に増減しているので注意しなければと思う。

 

257日目/休職中

月曜日。朝6時に起きて朝散歩を10分程度。散歩中はやはり半覚醒といった感じでぼーっとしている。帰宅後朝食。朝食の後はだらだらと動画を観たりしながら過ごす。8時半頃までゆったりして、そこから会社へ行く準備。異動に際して荷物の整理をしなければならない。久しぶりに職場に行くと苦手な人はおらず、おかげで比較的落ち着いて過ごせた。異動の挨拶も朝礼でできて、荷物の整理も一通り完了する。荷物が多くどうしても一度では運びきれなかったので、一旦昼前に帰宅してから、午後もう一度行くことに。自宅(寮)で昼食を食べ、少し休憩。2時ごろ寮を出てもう一度会社へ。最後の荷物を引き取って、良くしてくれた同僚に挨拶をする。帰りしな楽器屋に行って、エレキギターのポータブルアンプを買う。帰宅後それで1時間程度遊びつつ、洗濯機を回す。掛け布団の外カバーを洗った。同じく適応障害に罹った会社の同期から勧められた「マインドフルネス認知療法ワークブック」を読み始める。現実社会では現状と目標の比較という思考方法が有用ではあるが、心の世界ではそれが逆効果になり得ると書いてあって「なるほど」と思った。まだ先は読んでいないが、おそらくそこで心の世界に対してはマインドフルネスが有用であるという展開になるのだろうと思う。今日も入眠ルーティンをしてしっかり眠ろうと思う。

 

258日目/休職中

火曜日。朝は5時半に起床し、朝食を買いに行くついでに20分程度朝散歩。これがこれからの生活リズムになりそう。異動先はもう少し朝が遅いから、若干遅起きでも大丈夫そうだが。朝食の後、私の体調を気遣った母から送られてきたキューピーコーワゴールドの栄養ドリンクを飲む。その後、ベッドでうだうだしていると妙に心拍数が上がってくる感じがあり、ソワソワ感が高まる。おそらくは栄養ドリンクのせいだろう。そんな些細な変化も気にしてしまい、日中はほとんど寝て過ごすような感じになった。こうなるととにかく長くて短い1日になる。最初のうちは1時間近く眠れるので良いが、だんだんと眠れなくなっていき、次第に10分も寝るとぐっすり寝てしまったという感じになる。そして、それをただ繰り返すのだ。途中で本を読んだり、ギターで遊んだりした。ポータブルアンプの機能を色々と試し、楽しい。夕食前あたりからマインドフルネスのワークブックを読んで内容をまとめたりしていく。夕方くらいからやる気が出るのはいつものパターンだ。夕食後もワークブックを進める。「レーズンエクササイズ」というのが面白かったし、心地よかった。レーズンが無かったのでナッツを代用した。「ボディスキャン瞑想」は多少慣れていたけれど、50分以上もやるのは初めてだったので、集中力を保つのがちょっと難しかった。しかし、気持ちが落ち着き、有意義な時間だった。

 

259日目/休職中

水曜日。昨晩は0時半くらいまで眠る気持ちになれなかったので、やや寝不足。朝は6時に起きて、朝散歩を15分ばかし。曇り空。紫陽花が綺麗で、しゃっきりした緑の葉には雨が溜まっていて、触れると冷たく気持ち良かった。8時に寮を出て、職場へ。異動前の荷物整理と最後の挨拶をした。昼前に新しい職場へ荷物の運搬をしに行く。新しい職場の同じフロアには大学の研究室の先輩がいたり、同期がいたりして少しだけ嬉しい気持ちになれた。配属されるグループの人たちも良い人たちそうで、明日から頑張りたいとちょっと思うことができた。が、なんだかんだと疲れた。昼過ぎに職場から帰宅。乗りたい電車まで時間があったので、駅内のラーメン店に行く。値段はちょっと高めでお世辞にも美味しいラーメンとは言い難かったけれど、普段食べないようなタイプのラーメンだったのでそれはそれでありかなと思う。帰宅後、地方公務員試験の1次試験の結果が発表された。無事、合格。合格は嬉しいし良かったけれど、会社の復職に関する手続き上、2次試験の日に休みを取ることが難しく、このままだと受験できずに辞退という扱いになってしまう。平日に試験は困る。何とか復職の手続きを進めつつ、試験も受けられるような言い訳を捻りだせないものか。案はあるので、明日異動初日だけれど、タイミングがあればちょっと聞いてみようと思う。でも、とりあえずは新しい職場で頑張ってみたいので、無理に話を出さなくても良いと思っている。すべては成り行きだ。マインドフルネスの「ワークブック」2日目。ボディスキャン瞑想を昨日に引き続きやったが、眠気のせいでなかなか瞑想に集中することができなかった。ほとんどうたた寝みたいな状態で、次から次へと取り留めのない夢が浮かんでしまった。特に今日は色々なことがあったし、会社のことを思い出して少し嫌な気持ちにもなったけれど、まぁ仕方がないとも思う。何せ今日は色々なことがあったのだ。それを全く封殺することの方が難しいだろう。うまくできない自分でも認めてあげて、むしろそういう状態に自分があることに気がつけたのはマインドフルネスの成果だと思い、前向きに捉えていこう。

 

260日目/1日目

木曜日。朝6時に起床。雨が酷く降っているので朝散歩は諦める。代わりにラジオ体操。復職1日目ということで緊張する。不安が胸に巣食い、若干ソワソワするのを何とか飲み下して、水曜日のダウンタウンやあちこちオードリーを見ながら朝の準備を進める。家を出る前に頓服薬を服用する。特に大きな問題も無く1日が過ぎていく。とにかく眠たくてずっとマスクの下で欠伸を噛みしめていた。緊張すると呼吸が浅くなって欠伸が出るのかもしれない。異動の挨拶も難なくこなし、ほぼ残業無しで帰る。地方勤務時代の先輩が同じフロアに同じタイミングで異動になり、終業後に一緒にご飯を食べに行く。仕事や生活の不安、それからこれからの新しい生活に対する希望などについてだらだらと話して、短いけれど楽しい時間を過ごせた。帰宅するとそれなりの時間になっていたので、風呂も入らずに布団に入る。復職&異動して1日目は疲れた。

 

261日目/2日目

金曜日。朝は6時半に起床。雨が激しく今日も朝散歩は断念。ラジオ体操でお茶を濁す。復職2日目だが、夜中は色々と仕事上の不安が夢の中に現れたりして、あまりしっかりと寝れた感じがしない。夜中には2度ほどトイレに目が覚めた。朝はやはり気持ちがナイーブになってしまい、会社に行きたくないという思いが強く出て来る。会社に行ったところで何があるというわけでもないのに、朝はいつもこうだ。でも、あまりそのことを深刻に考えないようにする。そんなもんだと気持ちを大きく包み、淡々とこなすことを誓う。不安や不調に敏感になっているのが、状況をより悪化させることに繋がるらしいので、そうならないように「寝不足だけどこれくらいなんてことない」と自分に言い聞かせる。午前中は眠かったけれど、上司から部署の説明を受けたりしてのんびり過ごすことができた。昼食の時は会社の食堂で久しぶりに同期に会って、少し話をすることができた。昼休憩中に頓服薬を飲む。また、市役所に電話を入れて地方公務員試験の辞退を伝えた。勿体ないと思うけれど、今はこの場所で頑張りたいという思いが強い。午後は少しだけ仕事を進めることができた。何もわからない私のフォローを先輩方が進んでしてくれたのがとても嬉しかった。この場を借りてさらに感謝を捧げます。残業をしていたら遅い時間になった。帰りの電車が二度急停車した。二度は珍しい。帰宅後はダラダラと過ごしていつもよりも遅くまで起きている。

 

262日目/休み

土曜日。朝は8時まで眠る。朝散歩もラジオ体操もせず、ダラダラ過ごしてしまう。9時過ぎに寮を出て2回目のカウンセリングに向かう。カウンセリングでは、認知行動療法の説明と実際にそれを少し始めた。自分で思っているよりも、白か黒かで考えてしまう傾向が強いみたいだ。もっとグレーゾーンな判断で生きていこうという話になった。特に、自分は睡眠時間が少ないと「体調が悪くなるかも」「疲れてしまうかも」という自動思考に陥りやすい状態に今あるようなので、「前は朝の3時まで飲んで会社に行っていたじゃないか」のような極端な反論を自分の中に持ち、うまく自分の認知をグレーゾーンに持ち込むことが必要のようだ。カウンセリングの後は、ずっと漠然と行きたいと思っていた丸亀製麺に行けた。牛肉うどんを食べて、とても美味しかった。その後は久しぶりに一人カラオケへ。めちゃくちゃ音痴だけれど、無心で歌っている時間は楽しかった。帰宅後、疲れて少し昼寝。夕食に寿司を食べ、「マインドフルネス・ワークブック」のボディスキャン瞑想に取り掛かってみるが、50分は長く、半分の25分ほどでやめてしまう。眠い時にやると、ただ眠気と戦うだけになり、半覚醒時の取り留めのないイメージが延々と続き、余計に気分が悪くなるみたいだった。とりあえず、ボディスキャン瞑想は前からやっているし、もうやらなくてもいいかもしれない。それかたっぷり余裕のあるときにまたやってみようと思う。眠い時はダメだ。そして、夜は日付が変わるくらいまでダラダラと動画を観たりして過ごす。

 

263日目/休み

日曜日。朝は9時過ぎまで眠る。朝散歩もラジオ体操も無し。起きた瞬間から気持ちが弱っていて、朝ご飯を食べた後すぐにまたベッドに戻って動画を観ながら眠る。予定のない日は寂しくなる。1年前ならそんな寂しさもむしろ刺激に感じられていたけれど、今はちょっと辛め。実家に戻り、家族と過ごしたいと思う。これまで誰かと家庭を築いたりしないんだろうと思っていたけれど、誰か、人と暮らしたいと思うようになってきた。そんなことをまた漠然と感じながら、カーテンを閉じて1日中眠りこける。予定もなく、一人で過ごすのは今の自分には辛過ぎて、そこから現実逃避をするように眠りを求めた。今日のお供は「東京卍リベンジャー」のアニメ。Netflixで1話目から観始めて、半日ほどで最新13話まで観る。悪くはないが、ちょっと物足りないと感じる内容だった(個人的に)。夕方5時を回り、ようやく少しだけ元気になってくる。コンビニまで夕食を買いに行き、わずか20分弱の外出にふと息抜きを感じる。夕食後、細川貂々さんの「それでいい。」を読んでいるうちにふと涙が出て来る。今日1日の寂しさと、明日の仕事の辛さ、それから得も言えぬ疲労感が綯い交ぜになって、涙が出てきた。「それでいい。」の中に書かれている言葉を反芻していると、知らぬうちに張り詰めていた気持ちが緩み、涙が出たのだと思う。「今はこれでいい」と自分に言い聞かせ、そっと心の中で自分を抱きしめる。「マインドフルネスワークブック」をサボっているが、昨日「一旦やめる」と決めたので、気にしないことにする。ただ、風呂や食事、歯磨きなど、日々の行動の中にマインドフルネスを取り入れるように心がけてはいるのでOKだろう。

 

264日目/3日目

月曜日。朝は6時に起きて、散歩の代わりにラジオ体操。跳躍のときに必ず息が上がる。雨はいつまで続くのだろう。朝はやはり辛い。会社に行きたくない、という気持ちが強く、泣きそうになる。自分で自分を制御しきれないような感じになってしまう。大学生の頃から朝が苦手だった。世界のスイッチがONになって、自分も否が応でもスイッチを入れなければならない。その感覚が本当に嫌いだった。最近観た動画では、仕事のスイッチのON/OFFをはっきりさせると良いと言っていたが、今の自分には、特にONのイメージをつけない方が良い気がした。OFFのイメージはしっかりとするとして、自分の場合は特にその朝のONのタイミングが1番辛くなるようなので、できるだけOFFのままぬるっと会社に向かうようにしたい。涙を堪え、何とか会社に。会社についてからも1時間くらいは気持ちが落ち込んだまま。午後を回ると徐々に平常心を取り戻していき、そして夕方に耳鳴りが出始める。まだ新しい職場で3日目だけれど、そんなようなサイクルが基本になりそうだ。今日は大人しくほとんど誰とも喋らず過ごし、ほぼ定時で上がらせてもらった。夕飯は寮でハンバーグカレーを食べる。美味しかった。

 

265日目/4日目

火曜日。久しぶりに朝晴れていたので、朝散歩を15分程度。朝散歩のおかげかどうかはわからないが、昨日よりも朝の辛さは少なく、割とすんなり家を出ることができた。有吉のラジオを聴きながらの通勤。やはり混んでいる通勤電車はストレスが溜まるし、疲れる。今日は会社でクレペリン検査を受けた。精神病の影響が出るのか気になる。計算をしていると頭に何かがつっかえる感じがあり、前ほどスムーズに計算できない気がした。また、計算をしながら頭ではどんどん色々な考えが浮かんで、集中できていないことに気づく。こういうのに気づけるようになったのは、マインドフルネスを練習しているおかげか、あるいは単にそういう傾向が強く出ているだけか。いずれにせよ、適応障害を通して色々と変わったんだなと思う。また、こういうクレペリン検査のようなもので何かを測るというのは、一種の差別のような気がする。どんな人でも平等に働ける世の中にしていかなきゃダメだと思う。もちろん、適材適所で仕事を行うための検査だから不平等というわけではないし、理に適ってはいるのだけれど。ともかく人それぞれ傾向は違うし、状態だって時と場合によるのだから、それらを受容していかなければと改めて思った次第である。職場では今日は色んな人と沢山話せてよかった。やはり雑談というのは大事なことだと思う。そのおかげかどうか、今日は帰宅するまで耳鳴りも出なかった。自分的には多めの残業だったけれど、同じグループの人たちはまだ残っていた。人間関係は良さそうなので、あとは業務量だけが今後の心配である。帰りの電車から「大切なものはすべて君が教えてくれた」を観始める。今は有名になった俳優がたくさん出ている。そして、昔見たときと同じように、好きなドラマだと思う。

 

266日目/5日目

水曜日。今日を乗り切れば復職から1週間が経過したことになる。朝は6時過ぎに起きて、10分の散歩。朝のゆったりタイムに「大切なものはすべて君が教えてくれた」をTverで見ようとしたが、なんと、見れなくなっている。昨日から観始めたのに、昨日までだった…残念。昨日よりは少し調子が悪い感じだったが、そこまで苦しむことなく出社することができた。「オッドタクシー」を観たり、「ハライチのターン」を聴いたりしながら出社。午前は会議で時間を使い、午後は研修や個人業務の検討を進める。出社後は上司が体調の事で話しかけてくれ、午後はちょっとした気持ちで質問を投げた先輩がすごい親身にフォローしてくれて、本当にありがたかった。終業時間ごろに地方時代の先輩が声をかけてくれて、急遽飲みに行くことに。仕事を早めに切り上げて、2時間弱お酒とともに談笑をした。週に1回くらいこういう時間があると救われる。コロナ禍で申し訳ないけれど。何だかんだと良い時間を過ごしている気がする。異動してよかった。

 

267日目/6日目

木曜日。今日はテレワークなので朝は7時に起きて、散歩を20分程度。通勤時間がなくて済むのでゆったりとした時間を過ごすことができる。前職場ではおそらく潜在意識の中で「職場に行く」ということに対し、非常に強いストレスを感じていたためか、テレワークが本当にありがたかった。しかし、新しい職場になってみて、そのありがたさが半減したような感じがある。きっと今はそれほど職場それ自体にストレスを感じていないからであろう。単純に通勤時間が減った分、ゆったりと過ごせることにありがたみがあった。午前中は会議に出て、後輩に対してこんな自分からもちょっとしたアドバイスをすることができた。こうやって少しずつできることが増えていき、自信も取り戻していけるのだろう。午後は色々と資料の確認をしていたが、眠くなったので、ついつい寝てしまった。ダメだな、とは思いつつも、まぁこれはこれでいいのかもしれない、と感じる。どうしてもやらなければいけないことがあれば、そのときはちゃんとやるのだから、今はこれでいい。悪いことだけれど、そう思うことにした。

 

268日目/7日目

金曜日。朝は6時に起きて、朝食を買いに行きがてら20分の散歩。さすがに疲れが溜まって来た感じがあるが、今日を乗り切れば明日は休みだと考えることで、何とか今日もやれそうな気がしてくる。仕事は1日を通して、マイペースに進められた。途中、細々とした目の霞むような作業をしていたこともあり、それなりに神経が疲れて来る。しかし、地方時代の先輩のところへちょっと話しに行ったりして、うまくリフレッシュしながら進められたと思う。残業中は先輩たちと色々と話したりできて、仕事は進まなかったけれど、充実した時間だった。こういう時間を大切にしたい。今日も周りよりは早めに上がらせてもらった。しかしながら、電車が大幅に遅延しており、結局駅のホーム上で40分近く待つ羽目になって、非常に疲れた。人混みから発せられる蒸し蒸しした熱気にやられ、かなり苛立ちを覚えた。帰宅後、疲れ果てて、風呂に行く元気はなく、シャワーで済ませる。若干気持ちが悪くて吐き気があったものの、ストレスで夕食をドカ食いしてしまった。そのまま昂った神経を抱えながら少し夜更かしした。日付が変わる前には寝られたが、翌日が休みで良かったと思う。

 

269日目/休み

土曜日。朝は7時半に起きて、少し長めに40分散歩をした。色々と初めて通る道を歩いたが、8時も近くなるともう陽射しが熱くて、夏を感じる。そして、久々に晴れたこともあってか、体の中に活力を感じる。何だかかなり久しぶりにまともな感覚を取り戻した感がある。そう言えば、適応障害になるまではこんな風な活力を感じていた気がする。そういうのを取り戻せたような感覚があった朝だった。帰宅後、朝食を食べ、シャワーを浴びて、準備を済ませてから診察へ向かう。メンタルクリニックは混んでいて30分以上も待たされて、昨日から待ってばかりだなと思うけれど、本を読みながら比較的穏やかな気持ちで過ごせた。やはりイライラしたくはない。一度、イライラについて考え出すと、余計にイライラしてくるから、きちんと思考のモードを切り替えるよう心掛けてゆっくりと過ごした。診察の後は早めの昼食。前から何度か行っているラーメン屋に行った。色々メニューがあるので、今日もまた新しいメニューにチャレンジ。麺が美味しいけれど、スープの味はよくわからなかった。おそらく様々な香辛料などが使われているのか、汗が噴き出た。昼食の後は、午後のカウンセリングまでの時間をTOWER RECORDで過ごす。そう言えば、昔住んでいた町にはタワレコが無くて、いっちょ前に「この町は文明が死んでる」と考えていた。そんなところでの生活も慣れると何てことなかったわけだから、人間は環境に適応するものだと思う。CDを12,000円分購入する。CDを色々と見ている間に時間が過ぎてしまい、結構ギリギリでカウンセリングを受ける病院に着く。午前中に診察した病院とは違う街にあるので、電車を乗り継がなければならない。同じ病院にすれば良いのだろうけれど、色々な場所へ行くのは面倒な反面、気分転換にもなってそれなりに気に入っている。生活圏が広がるのは楽しいことだ。カウンセリングでは、エゴグラムというものをやった。それなりに面白く、今後のストレスコーピングに活かしたいと思う。カウンセリングの後、百均で掃除道具やら麦茶づくりのための諸々の用品を買ったりした。帰宅後、部屋の掃除を進め、すっきり。ブログを書くためにこうして日記を書いているが、もう今日はかなり充実した1日だったと言える。夜はお酒を飲みながら、1人で音楽を聴いたりして楽しい時間を過ごしました。

 

2.カレンダーのまとめ

ついに復職&異動を果たしました。復職直前はとにかく暴力的な眠気にやられていて、「こんなんで復職できるのか?」と不安でしたが、やはり眠気はあるものの、何となくぬるりと復職をスタートすることができました。新しい場所で不安もありましたが、明らかに前職場よりも職場の雰囲気、人が良く、初日から「ここならやって行けるかも」と感じました。おそらく前職場には相当なトラウマ意識があり、そのことが余計に前職場に対するネガティブイメージを持たせていたのだろうと思います。そこから離れるだけでこんなにも気持ちが軽くなるなんて思ってもみませんでした。

既に復職から7日間勤務をしたわけですが、とにかく人の良さを感じます。なんだかんだと週に1回くらいのペースで、地方時代にとても仲良くしていた先輩と飲みに行けたりしていることも気分良く大きな要因だと思います。仕事自体はまだ私にできることは少なく、任されている業務も本格始動していないので、時間的にはかなり余裕があります。数か月後には忙しくなるのが見えているので、そのときが今の段階から不安ですが、カウンセラーの先生にも「予期不安は良いことがない」と言われているので、今は今でのんびり過ごしていようと思います…が、なかなか難しいですね。頭ではわかっていても、心や思考をコントロールすることはとても難しいです。

しかし、それにしても最近は本当に体調が良くなっていることを実感しています。適応障害になってから、これまで何度か「あ、良くなってる!」と感じる段階があったのですが、そういうのを感じる度に「1つ前の『良くなってる!』のときはまだまだ治っていなかったんだ」と思わされますね。よくよく考えると、私はよくもあの状態で、前の職場で復職をチャレンジしていたと感心してしまいます。あんなに体調が悪かったのに、よくやっていたよ、自分。

と、そんなことを感じる余裕があるくらいに、今回の復職は気持ちを落ち着けて進められています。環境の変化が1番大きいと思いますが、その中でも色々と学ぶことがあったので、次の章からはそういったことも書いていきたいと思います。

 

3.自己受容(現在の受容)とモードの自覚・切替

私より先に適応障害になり、休職をしていた会社の同期から、治療中に読んでいた本を色々と教えてもらいました。その中の1つが「ツレがうつになりまして。」の細川貂々さんが精神科医水島広子さんに色々と教わる「それでいい。」という漫画でした。対人関係療法というものが元にはなっているので、人との関わり方を正常化して治療に繋げるという部分が多いのですが、個人的には「自己受容」の部分で大きく救われた気がします。

これまで様々な本や動画で「自己受容」という言葉を聴いて、それなりに理解していているつもりでした。そして、実践してもいるつもりでした。しかしながら、私のそれはまだまだ足りなかったようです。「自己受容」というのは、「こんな自分は死んでしかるべきだ」というような「自己虐待」の逆を行くような言葉だとしか私は認識できていませんでした。今までの私はとにかく自分という存在は本当に醜く消えるべきだと思っていました。そして、いずれそう遠くない未来に死んでやるし、その時までは死んだように生きる。だから、それまでは死なないでいることを容認してくれ。と、そんなことを考えていました。しかし、実際にそれが最終段階にまで行き、自殺未遂までして、「あぁ、もう行きつくところまで行きついたな」と思った次第です。

そこからは「もう良いんじゃない?」と思えるようになり、「ちゃんと生きていこう」と思うようになりました。そのためにはこれまでやってきた途方もない自己虐待をやめなくてはなりません。そして、「もう自己虐待をしなくて良いんだ」と思えるだけで、その頃の私は随分と楽になった気がしたものです。

しかしながら、その段階ではまだ正しい「自己受容」というものができていませんでした。せいぜい私の自己受容というのは「私みたいな人間でも生きていて良いのかもしれない」というくらいです。それでも、まぁ、私からしたらたいした進歩にはなるわけですが、これまで散々自分を苛めてきたわけで、私の「自己受容レベル」はようやく一歩を踏み出したに過ぎませんでした。適応障害という状態にも慣れ、ようやく1度目の復職をした頃は、「1日でも早く良くなろう」と前向きに考えていたわけですが、しかし、この「1日でも早く良くなろう」という考え方は「自己受容」のレベルとしてはまだまだ低いそうです。

事実、私は体調が悪くなったときに酷く落ち込みましたし、なかなか取れない頭痛に不安になりました。仕事は少しずつできることが増えて来ているのに、体調が全く良くなる気配がないことに酷く困惑していました。実際に気にかけてくれている上司にも「仕事はできるようになりつつあるけど、体調が良くならくて心配なんです」と何度も話していたくらいです。夜勤で生活リズムが乱れたりすると、その度に体調を崩し、また不安になり、「こんな生活が続いていくなんてとても耐えられない」と考えていました。そして、実際にそんな日々に耐えられなくなっていき、5月末に「もう無理!」と2度目の休職を決断しました。

その時の私は、「今度はかなり酷くなる前に自分でちゃんとブレーキをかけられた。もう少しでまた自殺未遂をしでかすところだったけれど、今回はちゃんと立ち止まって、休職という冷静な判断ができた」と自分を褒めるように心がけていました。それはそれで良かったのですが、結局のところ私は「自分はまだ良くなっていない」という事実に抗おうとして抗えないという状態にあったのです。つまり、「現状は未だ酷い状態である。だから、適切に対処していかなければ、自分というのは壊れてしまう」と考えていたわけです。だから、「休職=逃げる」という判断をせざるを得ませんでした。

こういった病気になると、まず「逃げて良いんだよ」という言葉をかけてもらうことが多いです。それは間違ったことではありません。「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」と碇シンジ君のような状態に追い込まれるとかなりしんどいですからね。逃げたいときは逃げて良いのだと思います。しかしながら、それが行き過ぎると、「ヤバいときには、本格的にヤバくなる前に逃げなくちゃ」という思考に支配されるようになってきます。何事もバランスが大切とはよく言いますが、「逃げなくちゃ」という考え方は一見「逃げる自分」を受容しているように見えて、それは正しい自己受容になっていないと思います。つまり、自分の現状を「悪い」と判断し、そこから逃れる必要があると考えているわけですからね。状況を変える必要がある、という考え方は要するに「自己の現状を受容できていない」ということになるわけです。

「逃げちゃダメ」も「逃げなきゃダメ」もどちらも凝り固まった考え方です。特に一度適応障害などで「逃げちゃダメ」マインドから「逃げなきゃダメ」マインドに切り替わると、色々なことに臆病になり、何よりも自分自身を信じられなくなってしまうことが多いんじゃないでしょうか。私はまさにそんな感じで、「今日はいつもより睡眠時間が1時間半も少ない。こんなんではきっと日中のストレスに耐えられないだろう。帰ったらきっとくたくたになるだろう。だから今日はセーブして、残業も無しで帰らせてもらおう。そして、睡眠不足を補うために早めに寝よう」と考えてしまうことが多かったです。これは一見、病気である自分を受け入れて、その状況にマッチした判断をしているように見えますが、その実は自分というものを全く信頼しておらず、自分自身に対してあれやこれやと不要な口出しをしているような状態とも言えるでしょう。

自分を信頼していない、ということはすなわち自分を受け入れていない=「自己受容できていない」ということになります。どこからどこまでが冷静な判断で、どこからが疑心暗鬼なのかを見極めることは難しいです。しかしながら、このような「不安が不安を大きくする」という状態はやはり鬱の典型的な傾向です。そして、少し前の私にはその境界線を正しく認識することができていませんでした。私はかなり疑心暗鬼よりの判断をし続けていました。

つまり、「自己受容」が大切であることは理解しながらも、私の「自己受容レベル」は「自分なんて消えた方が良い」と考えず、「これからちゃんと生きていこう」と思えるようになった程度のもので、まだまだだったわけです。それが細川貂々さんの「それでいい。」を読んで、少し変わりました。この本の中で言われていた自己受容のレベルは、「だってそうなんだもん。仕方ないじゃん」というレベル感です。本の中では「ネガティブに育てられてきたんだから、ネガティブ思考で仕方ないじゃん」という感じで書かれていましたが、これを私の現状に置き換えると、「病気になったんだから体調悪いのは仕方ないじゃん」という感じになりましょうか。

その頃の私は「1日1日、ちょっとずつでも体調が回復していかなければならない」と考え、そうならないことに苛立ちや不安を覚えていたわけです。つまり、現状に全く納得がいってなかったわけですね。「病気になったんだから体調が悪いのはわかる。しかし、体調が良くなっていかないことにはムカつく」と思っていました。でも、そんな「自己受容」じゃ足りません。というか、ちょっと間違っています。未来を予測するというのは、基本的にうつ病などの精神疾患に対してなんら良い影響をもたらさないようです。大切なのは、「病気になったんだからこれくらい体調悪くて当たり前。それが正常なんだから、それでいいじゃん」という現在に対する受容のみなのです。未来のことはわかりません。とにかく現在の私ができる自己受容というのは、「今の私でいいじゃん。それで仕方ないじゃん」という現在に対しての評価のみです。そのことを私はわかっていませんでした。

悪)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。こんなのがいつまで続くのか。早く治したい。

と考えるのではなく、

良)休日になると溜まっていた疲れのせいで寝っぱなし。そりゃそうだよ。適応障害なんだから、寝るのが当たり前。これでいいんだよ。

と考えるわけです。

私がこの「それでいい。」を読んで、最も勇気づけられたのは「改善しようと思う=自分を疑う感じになる。だから、今はこれでいいと受け入れる。そうすると、人間というのは自然と変わっていくし、成長していく」という内容です。

思えば私は適応障害と診断されたその日から、「はいはい。自分にはそういう病名がついたのですね。理解しました。それではこれから勉強して、ちゃんと回復していきます」と考えていました。「どうすれば現状を改善できるか?」ということを考え続け、そのために日々、自分の現状を分析したり、そこから脱却するための手法を勉強していたように思います。自分の状態を受け入れ、客観的に分析し、足りないところを補うために色々なことを試してきました。それはそれで実りのある日々でしたが、それは一見自分の状態を受け入れ、前向きになっているように見えて、自己受容のレベルとしては全然低かったわけです。

私がすべきはとにかく「今はこれでいいんだ」と焦らずに、日々を過ごすことだったようです。まぁ、色々やって来たからこその、今のこの境地ということなのかもしれませんが。

確かに苦しい日々では、「今はこれでいい」と受け入れるのは難しいと思います。だって、1秒でも早くこの状態から抜け出したいわけですもんね。空腹なら早くご飯を食べたいと思うのが自然ですし。なので、もしかしたら、ある程度回復して来てから、この段階になるものなのかもしれません。しかし、もし前職場にいた頃に、「あぁ、いつまでこの頭痛は続くのか。1つでも対策を練って、この状態を改善していかなくては」と考えるのではなく、「頭痛があるのは仕方ない。でも、復職してまだ数か月だし、今はこれでいい」と思えていたら、もう少しだけあの頭痛は深刻さを失っていたようにも思います。私に必要だったのは、「対策」ではなく、ただの「受容」だったのかもしれません。

 

そして、そのような考えはまた別の本でも説明されていました。これはまだ私も取組み中なのですが、「マインドフルネス認知療法ワークブック」という本です。マインドフルネスのやり方を習得し、うつ病を始めとする精神疾患に打ち勝とう!というのがこの本のコンセプトなのですが、ここでも面白いことが書かれていました。

この本で真っ先に書かれているのは、「現状を把握・分析して、目的を明確化する。そして、そのギャップを埋めるための対策を練り、実行する」というのは現実社会において非常に有用である。しかしながら、こと心の問題においては、そういった考え方・手法というのはむしろ状況を悪化させる、ということでした。言い換えると、心の問題に対して、あれこれ分析をして対抗策を練るというやり方は、水の中で溺れないようにじたばたして余計に体が沈んでいくというようなもの、ということです。じっとしていれば自然と体は自らの浮力で浮いて来るというような感じですね。

つまり、課題解決能力と呼ばれる社会人スキルみたいなものはむしろ心の問題では役に立たないというわけです。そのことがマインドフルネスをやる上での1番最初の前提になっています。

例えば、「目的地:新宿駅」・「現在地:東京駅」という状況があったとき、「中央線で行けばいいか」と考えるのが人間の状態としては普通です。「目的」と「現在」を比較し、「手法」を検討して実行するのが、人間の基本的なモードです。ふともよおして「目的:トイレ」、「現在:リビング」、「手法:立って歩く」ということを人間は自然とやっています。このように自動的に思考し実行に移すモードを「することモード(doing mode)」という風にこの本では説明されています。

そして、大抵の場合、そのような「することモード(doing mode)」では、まるで自動操縦のように、無意識でトイレのドアを開けたりしています。それが日常であり、それを発展させていくことで、人間というのは所謂「課題解決能力」というようなものを使い、能動的に身の回りの問題を処理していくわけです。例えば、「アルバイト先の売り上げが少なかったので、キャンペーンを企画して、収益を2倍まで増加させました」というのを就職面接における課題解決能力のアピールとして使ったりしますよね。これは、まさに人間のもつ「すること(doing mode)」の応用というようなわけです。現実社会ではこれが非常に有用になっています。

しかしながら、心の問題を解決するためには、これはあまり使えないそうです。心の問題は「課題を分析し、打開策を模索する」というような「することモード(doing mode)」を使うとかえって悪くなるそうです。そういうのは前述の通り、水の中で溺れまいとじたばたするようなもので、余計に事態を悪化させると考えられています。人間というのがどういうときに不安を抱くかというと、それは未来を想定した時です。「このままだとどうなってしまうんだろう」とか、そんな感じですね。なので、「未来を想定する」ということがそもそもの悪手なわけです。「目的(未来)」と「現在」を比較するというのは、不安を引き起こし、心を揺さぶります。ですから、そういった揺さぶりから離れなければなりません。

健常な人間であれば、普通「不安に駆られる」という状態は未来を想定したときに現れます。つまり、能動的に「することモード(doing mode)」を使用したときですね。そして、その不安は何か現実の悪い事態を回避するための、重要な心のトリガーのようになっています。ですから、一概に不安というのが悪いわけではありません。しかしながら、気持ちが落ち込んでいたり、うつ状態にある人は、もはや「トイレに行こう」と思って無意識に、自動操縦的に「トイレのドアを開ける」という行動を取るかのように、常時不安に駆られています。何もしていなくても、自分ではそういうつもりがなくても、勝手に不安のようなものが心の内に無限に湧き上がって来て、それが止められなくなっています。このような状態に対して、さらに「課題解決能力」を用いて、歯止めをかけようとしても、それは「不安から脱するために、トリガーとしての不安を醸成している」ようなもので、全くの逆効果になってしまいます。

そこで、心の問題に対しては、「あることモード(being mode)」というのを使った方が良いそうです。何よりも不安を増長させないことが重要なわけです。では、その「あることモード(being mode)」というのはいったいどういうものなのか。その答えが、マインドフルネスな状態というわけです。

マインドフルネスとは、例えば、猫のお腹を撫でて、その柔らかさや毛並みを感じているような状態です。つまり、無心で何かに心を集中している状態ですね。そこには目的もなければ、現状に対する分析というのも必要ありません。切り分けが難しいですが、例えば計算ドリルを進めているときに無心になるのとはちょっと違うようです。いや、目的なくただ趣味として計算ドリルをしていればいいのかもしれませんが、例えば、「この宿題は1時間以内に終わらせておきたい」というような目的がある場合は、ちょっと違ってくるそうです。この辺りは物事の捉え方次第なので難しいです。なので、できれば、自動操縦的に無心で目的を達成しようとしている状態ではなく、ただただその瞬間に意識を集中して、「そこにある」という感覚が研ぎ澄まされている状態をイメージした方が良いと思います。

私が読んでいる「ワークブック」ではボディスキャン瞑想を通して、「することモード(doing mode)」から「あることモード(being mode)」へ切り替える練習をしたりします。ボディスキャン瞑想は体の感覚に意識を集中させる瞑想法です。呼吸で肺が膨らむのを感じ取ったり、足の指先に触れる冷たい空気を感じ取ったり、そういうことをします。しかし、体の感覚に意識を集中させようと思っても、雑念が沸いてきて、例えば「夕飯何食べようかなぁ」みたいな思考が走り出します。今回のマインドフルネスでは、そういった状態を「することモード(doing mode)」と大まかに分類し、そこからまた体の感覚へと意識を集中させ、「あることモード(being mode)」へと戻す意識の筋肉のようなものを鍛えることが中心になっています。

「することモード(doing mode)」なのか、「あることモード(being mode)」なのかをきちんと見極めて認識し、できるだけ「あることモード(being mode)」へと自分の状態を誘います。これができるようになってくると、うつ状態にありがちな、自動思考でどんどん不安が膨らんだり、どんどん具合が悪くなったりする状態から抜け出せるようになってきます。うつ病というのはつまるところ、自動で無限に負の感情を生産する病気なわけですから、そこから脱している時間を1秒でも多くしてあげることが治療へと繋がるわけですね。こういった考え方はまさに「課題解決能力」という気がして、何だか矛盾を感じますが、しかし大事なのは「治ろう」という目的を放棄して、ただただ「することモード」から脱却し、「あることモード」へと移行し、その状態を保持することだけなのです。とにかく先のことは考えずに「あることモード」を維持。それだけ。そのためのトレーニングをこのテキストではやっています。

 

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前々回の記事で、「敏感過ぎるあなたへ」という本でも色々な対策が講じられていましたが、これも一種のマインドフルネス的治療と言えそうですね。自分勝手に増長していく悪い自動思考(悪循環)から脱するための、気持ちのベクトルを変化させるという意味では一緒です。

 

健康な状態であれば、思考の悪循環、不安の無限生産といった状態にはあまりなりません。しかし、それが続くと、もはや体の機能にまで支障をきたし、頭痛が取れなくなったりします。そして、またその頭痛が気持ちを弱らせてしまうのです。精神疾患の類はそういう嫌な病気なのです。

そこから脱するためには、マインドフルネスやら様々な手法があるわけですが、共通しているのはそれがある特殊な、分類可能な「状態」であるということです。そのような「状態」を見極め、そこから脱するというのがそれぞれの手法の重要なプロセスになっています。そして、そこから脱するための筋肉は鍛えられるというのが、それぞれの手法が「治療法」となっている所以だと思います。

 

今回私が読んだ本では、「これでいい」と自己受容をすることや、マインドフルネスを用いてスイッチを切り替えることが主題となっています。いずれも、未来のことは置いておいて、現在に集中するというのがキーポイントですね。話が長くなってしまったように思いますが、こんな感じで色々と勉強も進んでおり、日々回復に向けて進んでいっているという実感が出てきました。

 

4.最後に…

もう少し異動後の仕事の状態について書こうと思っていたのですが、最近読んだ本の話でいっぱいになってしまいました。

今のところは元気でやれていると思いますので、また仕事については今後書いていきたいと思います。また、カウンセリングの方も順調に進んでいますので、その内容も書いていきたいですね。

あと、気づいたらMaison book girlが活動終了していました…これについてもまた追々書いていかなければなりませんね。本当に悲しいです。

適応障害と診断されまして… vol.67

適応障害と診断されて256日目(6月27日)にこの記事を書いています。また2週間ぶりの更新になりますね。このところサボり気味でした。

 

前回

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再休職をしてからの日々を前回は書きました。特に「敏感すぎるあなたへ」という本が面白かったのでその紹介をさせていただきました。

 

 

日記をつけることを怠っていたので、今回はこの2週間の内容についてざっくりとまとめようと思います。

 

1.地方公務員試験

GW中に現職を辞するつもりで気持ちを固めていたので、次の働き口として地元の地方公務員を考え、応募だけはしていたのです。結局、GW明けに会社との話し合いの中で配置換えを進めてもらうようになったので、すぐに退職するのではなく、とりあえずは新しい環境でやれるだけやってみることに舵を切りました。しかしながら、異動する前にもう感情の制御ができなくなってしまい、再休職することに…

再休職になったのが5月末。そして、公務員試験は6月20日でした。休職中にすることもなかったので、とりあえず公務員試験に向けて勉強をすることにしました。

私が受験しようとしていた地方公務員試験の1次試験は一般教養と専門科目に分かれていました。それぞれ試験時間は2時間。まずは一般教養の方から勉強に取り掛かりましたが、これが非常に難しかったです。私は理系出身なので、政治やら歴史やらがもうてんでわからず、付け焼刃的に勉強もしましたが、とても本番で得点できる気がしなかったのでこちらは潔く諦めることにしました。ただ、一般教養の半分は理系科目やSPI的な数的処理問題となっているので、こちらは大丈夫そうでした。なので、100点満点とするならば、50点は取れるかな?という感じです。理系科目はケアレスミス込みで半分の50点弱になり、残り半分の文系科目も選択問題なので+αの何点かは取れそうです。合格点はわかりませんが、そんなに倍率も高そうではなかったので、これでダメならもう仕方ないかなという感じです。

専門科目についてはその辺の大学院入試程度のレベルのようです。久しぶりにしっかりとした勉強になるので最初は苦労しましたが、やっているうちに少しだけ楽しめるようになってきました。約2週間かけて購入した問題集をざっくりと2周しました。大学時代にほとんど触れて来なかった単元は飛ばしてやったので、短い期間でしたが何とか間に合わせられました。昔から私は勉強くらいしかまともにやって来なかったので、こういうのは比較的好きだし得意な方かなと、なんだか懐かしい気持ちになりましたね。試験の難易度にもよりますが、テキストと同レベルでも7~8割は取れそうな感じです。

そして、実際に試験を受ける日がやって来ました。2~3週間分の努力にしか過ぎないので特に緊張もしませんでした。むしろ久しぶりにしゃんとした気持ちになれて楽しかったような気がします。昔からペーパーテストは比較的好きだったので(早く学校から帰られますし)、そんなことを思い出したりもしました。受験会場が高校だったので、自分の高校時代を思い出したりもしました。一般教養の方はほぼ完全に予想通りでした。40問中21問が語学・理系問題で、こちらはほぼ満点が取れそうでした。残りの19問の文系科目はさっぱりでしたが、一部選択肢を絞って、あとは運任せという感じでしょうか。時間配分的には2時間の試験時間のうち、1時間半を語学・理系問題に使い、残りの30分で得点の見込みが薄い文系科目に振り分けた感じです。何とかぎりぎり間に合わせられました。専門科目の方は勉強していたよりも若干レベルが低く、むしろ学習を飛ばした単元がネックになってしまいました。わからないなりに軽くでも基礎を勉強しておけば、確実に得点できそうな問題だったように思います。感覚でとりあえず解けはしたので、こちらも予定通り8割近くは得点できたような手応えです。

結果は6月末に発表されるようです。受験者も少なかったですし、おそらく1次試験は何とかなるんじゃないかと楽観視しています。しかしながら問題があって、2次試験の日が現職の復職の関係でどうしても休めない日なんですよね。1次試験は日曜日に開催でしたから良かったですが、2次試験は平日ということでとても困りました…おそらく受験は難しいかなと思います。

というわけで、今年の公務員試験は合格がほぼ無理そうということになりました。しかしながら、来年以降受験するにあたって純粋に学力が問われる1次試験の「感じ」だけでもわかったのは良いことです。もし今年合格できるなら来年以降も何とかなりそうな気がしています。と言っても、私も歳が歳ですから、残されたチャンスは少ないですけどね。現在の仕事を続けられたら、社会人枠でチャンスも残されるわけなので、今回の受験では将来の選択肢を広げる基盤ができたように思います。

何よりも今回の受験では生きていく上での自信を少しだけ取り戻すことができたように思います。少なくとも20年近く続けてきた学校のお勉強は私の身になっているようですし、それが実際の社会でどれだけ役に立つかは不明ですが、わずかでも私のよりどころにはなってくれそうです。「ある程度真面目に勉強して来て良かった」と久方ぶりに思うことができました。

そして、休職中のリハビリとしては丁度良かったようにも思います。

そんな感じで割と充実した地方公務員試験と相成りました。

 

2.祖父の死

先日私の父方の祖父が亡くなりました。小さい頃から共働きの両親の代わりによく面倒を見てくれた祖父でした。戦時中15歳で予科練に入り、もう1年でも戦争が長引いていればおそらくは特攻隊として飛び立っていたであろう、ということをよく聞かされました。私の家系の中では私とともに唯一の理系側の人間で、獣医をしており、合理的な考え方をする人だったので私は密かに尊敬しておりました。祖母が亡くなってからも一人で立派に生活をしており、体が弱って来ると自分で介護施設を見つけて来てそこに入るような人でした。

紙飛行機の作り方、飛ばし方、水泳、そのほか色々なことを教えてくれた記憶があります。祖父と祖母のどちらが飾ったのかはわかりませんが、家の整理をしているときに私の写真がたくさん飾られているのを見つけて、よく気にかけてくれていたんだなと感じました。

もともと認知症がかなり進行していましたが、コロナの関係で介護施設にほぼ閉じ込められていたことで拍車がかかり、また体力も落ちていたのが原因でした。5月には肺炎にかかり、健常者であればそこまで酷くならないようなものが病人に入院することが必要になるほど体力が衰えていました。6月の頭に何とか退院して介護施設に戻ったのですが、正直このままでは厳しいということも施設から言われていたところ、また何らかの細菌による感染症で体調が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。新型コロナではなく、CTスキャンの結果、胆管結石から来る内臓の炎症が直接的な原因であったようです。朝方救急車で病院に運ばれてからあっという間の出来事でした。

たまたま私も地元に帰っていたので、祖父を最後看取ることもできましたし、葬儀等にもしっかりと参加することができました。体調が優れず周囲に迷惑をかけてしまった部分もありますが、少しは両親の役にも立てたと思うので良かったです。

3月には母方の祖母も亡くなり、これで残っているのは母方の祖父だけです。みな歳を取り、命を終えていきます。私は未だに生きることが怖く、悲しい夜にはどうして上手く自殺できなかったのかを考えることもあります。しかしながら、少しずつそういう気持ちは薄れてきたようにも思います。

こんな風に悩んでいると、寿命を全うした祖父や祖母に申し訳ない気持ちになりますね。

祖父の死に際してもう少し色々と書けると思っていたのですが、どうやらあまり自分以外の人のことについて書くのは得意でないようです。強い眠気に襲われていることも原因の一部ではあるでしょうが。

ともかく、あちらの世界でゆっくりと祖父が休んでいることを祈るばかりです。

 

3.暴力的な眠気

地方公務員の受験前あたりから、とてつもなく眠い日が続いています。今日も朝散歩をし終わって8時前くらいから15時過ぎまでずっとベッド中で寝たり起きたりを繰り返していました。とにかく眠くて眠くて仕方ないのです。全身がだるく疲れています。15時には一度ぱっと目が覚めて、このブログを書き始めるなど少し活動的になれたのですが、夕飯も食べ終えた19時現在、もう強い眠気に襲われています。

なぜこんなにも眠いのでしょうか。体力が落ちているという実感もあるのですが、明らかに異常な眠気です。薬を変えたわけではないですし、原因がよくわかりません。疲れやすい状態が続いています。こんなんで復職できるのでしょうか…不安です…

 

4.カウンセリング

昨日初めてカウンセリングを受けてきました。と言っても初回なので、これまでのざっくりとした人生歴と発病の経緯を話して制限時間の50分が終わってしまいました。また来週カウンセリングです。アドバイスとして朝散歩と、日々の記録(起床時間や食事等)を命じられたので、とりあえずそれは守ろうと思っています。

 

最後に…

ダメです。。。とにかく眠いです。眠くて仕方ありません。ほんの数時間前まではもっと沢山書こうという気持ちでいたのですが、もうその気力がありません。今日はずっと寝てばかりだったのに、まだまだ眠くて仕方がないのです。

7月1日からの復職が上手くいきますように。。。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.66

適応障害と診断されて242日目(6月13日)にこの記事を書き始めています。久方ぶりの更新となってしまいました。

前回

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前回はまた体調が悪くなり、会社を休職することになったところまでを書きました。1回目の休職のときほど途方に暮れているわけではありませんし、体調もそこまで酷いわけではありません。しかしながら、弱っていることには間違いなく、そんな状態ではもはや会社にいけるわけもなく、半分は致し方なく、半分は勇気を持って休職の決断をしたわけであります。

 

 

今回は休職してからの2週間についてまとめようと思います。

 

1.カレンダー

休職して…

 

228日目

日曜日。昨晩は遅くまでブログを書いていたのでゆっくり目に起きて二度寝。まともに体を起こしたのは11時頃になってから。昨晩の夜更かしは完全に自分のせいだけれど、このところ本当に体が疲れている感じがする。やはりそれだけ精神的に無理を強いてきたのだなぁと感じる。午後には何とか起きて、買ったばかりのJuice=Juiceの宮本佳林ちゃん卒業コンサートBlu-rayを観たりして過ごす。しかし、それも最後まで観切る体力は無く、途中で疲れて昼寝。昼寝から起きてまたダラダラした後、夕食ついでに外出。軽く走ったりして体を動かした。夕食は新しく見つけたラーメン屋に飛び込む。漫画のエア・ギアが置いてあって何だか懐かしくなる。帰宅後、今週の適応障害ブログを更新し、その後はまた動画を観たりしてダラダラ。そんな感じであっという間に風呂に入る時間になり、入眠ルーティンへ。明日はもう会社に行かなくていいけど、一応会社に電話は入れておこう。そして、明日はきちんと部屋の掃除をしよう。今の自分にはそこからの再スタートが妥当だろう。

 

229日目

月曜日。休職することになったので少しゆっくり目に起床。朝食を食べるもやはり体調は少し優れないので大人しく部屋を暗くして横になっている。直属の上司(苦手な上司)にだけ直接休職のことを伝えられていなかったので、電話をする。少し肩の荷が降りた。「映像研に手を出すな」を観始め、面白い。昼前にようやくベッドから起き出して、創作物を書き進める。昼食を挟み、また動画を観て少しダラダラとした後で、創作物をまた書く。今日は筆が進む。このまま書き終えてやろうという気になる。動画を観たりして休憩を挟みながらだが、夕方頃に創作物を書き終える。「道徳の姿態」というタイトルはもう8年、9年温めて来たもので、いつかこのタイトルで作品を書きたいと何度もトライしていたが、ようやくタイトルに相応しい内容を見据えられ、そして今日書ききることができた。「アリバイ崩し承ります」と「きのう何食べた?」の1話目だけ観て、今はあまりそそられず観るのをやめる。「映像研に手を出すな」はジブリ好きには面白かった。何もしていない1日だったけれど、創作物を書き終えられたのはかなり嬉しいことだった。勢いでブログにも乗せてしまったが、何度か読み返し、修正していきたいと思う。

 

230日目

火曜日。夜中の2時半に起きてしまった。アニメ「GANTZ」を観ながらの入眠をしてしまい、派手な銃撃戦の音で目が覚めてしまった次第。そのまま4時半くらいまで眠れず、結局ちゃんと目を覚ましたのは10時過ぎ。良くないな、と思いながらも、のんびりと時間を過ごせていて心地よい。すべらない話を昼までベッドの中でぐずぐずと見続け、昼食後からようやく活動開始。部屋の掃除を割としっかり目に。2時間弱かけて、水回りから何から色々やったけれど、部屋自体が狭いのであっという間。そこから小休止した後、4時前に散歩&ランニングをしに外出。久しぶりに走ったが、体力が無さ過ぎてまともに走れなかった。3分走っては5分歩いてを繰り返し、帰りにセブンでいつもの冷凍パスタのラインナップを買って帰宅。「宇宙を駆けるよだか」を観ながら夕食までの時間を過ごす。夕食後も引き続き「宇宙を駆けるよだか」を鑑賞し、あっという間に観終わる。人間関係で勇気を持って心を開けない主人公に今の自分の気持ちが重なり、割と楽しめた。ほぼ定刻通りに風呂に入り、こうして日記を書いている。今日はしっかりと眠り、明日はちゃんと朝から活動的な1日にしたい。

 

231日目

水曜日。朝は8時に起床。昨日走ったせいで体は筋肉痛になっており、そのせいで疲れる夢を見た。疲れたときに見がちなのだが、暴風が吹いているせいで全然歩みを進めない夢だ。息もしにくいし、体は疲弊しているし、どれだけ足を踏み出しても前に進めない。友人ばかり先を歩いて行く。場所は異なれ、私はそういう夢をよく見た。朝の1時間はそんな疲労感に包まれながらベッドの上で「大豆田とわ子と三人の元夫」を観ながら過ごした。起床後、朝食を取り、実家近くの市役所から届いたメールのチェックをした。復職が上手くいかなかった場合の保険として市役所を受けてみるつもりなのだ。一通りの内容を確認してから、試験勉強に取り掛かる。政治経済が難し過ぎる。昼前に家を出て、受験用の証明写真を撮りに行った。昼食を食べてから帰ってくる。午後は少し昼寝をしてから、また勉強をした。理系科目の数学・物理・化学はほぼ満点だ。やはりネックは文系科目か。自分の常識の無さを恨む。生物は考えるタイプの問題はOKだが、知識問題は少し厳しい。夕食を食べて、生物の続きをやり、入眠ルーティンへ。先日書き上げた創作物「道徳の姿態」を読み返しながら寝る準備をしようと思う。

 

232日目

木曜日。一昨日のランニングと昨日の勉強のせいか朝から倦怠感が強く、また若干のソワソワ感もある。しかし、何かしら行動しようと決めていたので、昼から2回目の「シン・エヴァ」を観に街へ。昼ご飯を食べると眠くなることがわかっていたので食べずに行ったが、結局途中でまた同じような箇所で少し寝てしまった。最近は映画1本を休憩なしで観切る体力がない。しかしながら、前回観たときよりは内容を理解できたと思う。「心を開けない」、「他人と関わるのが怖い」という自分の弱さを自覚した最近の私にとっては、やはり刺さる内容だった。「式日」を観たことも理解を深める一因になったと思う。映画の後は時計の電池交換をしてから、昼食兼夕食のラーメンを食べに行った。1番好きなラーメン屋の元祖的な店だが、ようやくこっちの店の味の良さもわかるようになってきたと思う。帰宅後、外出の疲れからまたダラダラ。地方勤務時代の先輩から連絡があり、1時間近く電話をした。7月からの私の異動先と同じフロアに先輩も異動してくることになりそう。これは単純に朗報だった。一緒に海外旅行まで行った仲の良い先輩だったので嬉しい。先輩がこれからお酒を飲むとのことで、私もそれにつられて久しぶりに酒を飲んでしまった。久しぶりにテンションが上がった気がする。やや深酒をしてしまった。

 

233日目

金曜日。昨日の深酒のせいで今日もまた午前中を寝て過ごしてしまう。そのまま「ボーン」シリーズをベッドの中で見続けるというダラダラとした1日を過ごし、勉強もできなかったの少し罪悪感がある。疲れが溜まりやすい体になっているのかとも思うが、反面自分の意志の弱さが問題なんじゃないかとも思う。自分で自分の状態がわからなくなるけれど、よくよく考えてみれば、適応障害になる前と比べて圧倒的に疲れやすくなってはいると思うので、やはり病気のせいなのだろう。しかし、単純に体力が落ちているという面もあると思うので、これはしっかりと訓練をして克服していかなければならないだろう。ダラダラとした1日だった。

 

234日目

土曜日。この日は昼から会社の同期と会う約束。一緒に昼食を食べ、渋谷にエジプト展を観に行った。最近、エジプト神話の動画を観たりしていたので、少し理解できる部分もあって楽しめたと思う。が、久しぶりに人混みに出たり、人と会ったりして疲れる部分もあった。何千年も前の人たちが普通に文明を築いていたことに驚き、ミイラ文化のようにまったく理解できないこともあり、そしてそれらの情報が長い時を経て今にまで残っていることに何よりも感銘を受けた。とても気遣いができて何にでも感動できる友人は改めて素敵な人だと感じる。その後、六本木にまた別の美術展を観に移動したが、小休憩のつもりで入ったスタバでだらだらと雑談をしてしまい、美術展は結局お預け。何のために六本木まで移動したのか、とも思ったが、色々と話せて有意義な時間だった。帰りがけ、友人が花を買って帰りたいと言うので、私も一緒に花を買ってみることに。何か植物でも育てようかと思っていたところだったので、ちょうど良かった。ブルースター芍薬という花を買った。帰宅後部屋に飾り、少しだけ気分が和んだ。夜はサッカーの日本代表戦を観ながらまったりと過ごす。戦術の理解力はまだまだ低いけれど、うまくいっているのは相手の戦術がアバウト過ぎるからだよなーと感じる。

 

235日目

日曜日。午前中はまたダラダラと過ごしてしまった。昨日の外出の疲れを感じる。「ライ麦畑の反逆児」という映画を観ながら過ごす。大好きなサリンジャーの半生を著した映画で、見つけたときはかなり興奮した。サリンジャーらしい皮肉の効いたやり取りはとても好みだったし、知らなかったことなども知れて良かった。「ライ麦畑でつかまえて」とサリンジャーの戦争体験が時系列的にかなり近接していたことは初めて知ったが、ノルマンディ上陸作戦などの戦争中にサリンジャーがずっと「ライ麦畑」のストーリーを考えていたという構成については、少しだけ違和感を覚えた。しかし、よくよく考えて見れば、後に戦争を振り返るような内容の作品が多いからそう思うだけで、実際の戦争中には戦争から離れるための妄想が必要だったのかもしれない。どうしても「ライ麦畑」を主軸に扱わざるを得ないけれど、「ナイン・ストーリーズ」やグラース家シリーズについてもきちんと描いてくれていたので嬉しかった。また、サリンジャー自身がどういう心境で隠遁生活に入っていったのか、仏教との出会いを踏まえて構成されており、1つの解釈として非常に有用だった。午後は少しダラダラとした後、髪を切りに行ったり、買い物に行ったりした。帰宅後早めの夕食を摂り、疲れてしまってがっつり昼寝をする。9時前に目が覚め、そこから1時過ぎまで少し勉強したり、ダラダラと動画を観て過ごした。最近はもう観たい動画もなくなってきてしまっている。もっと活動的な1日を過ごせるようになりたい。

 

236日目

月曜日。朝9時から部屋の壁修繕。2度目の自殺未遂で首を吊ったときに剥がれ落ちた壁と物干竿を修繕してもらった。作業は2時間ほどで終わったが、新しい壁紙もぱっと見て周囲の壁紙との境目がわからないほど綺麗な仕上がり。職人技に感嘆。公務員試験の勉強が割と捗った。午後は会社の上司から電話があり、異動先が正式に決まったことを教えてもらった。午後5時過ぎにわざわざ寮にまで来てもらい、異動や諸々の手続きについて話をすることができた。その後、実家に帰省する。やはり実家は落ち着く。猫が可愛い。

 

237日目

火曜日。朝はゆっくり。10時近くからようやく勉強を始める。途中途中で休憩を挟みながらもそれなりにしっかりと公務員試験対策の勉強を進めることができた。一般教養はもはや文系科目はほぼ捨てて、理系科目と言語系で得点を稼ぐしかないと判断。数的処理などは割と得意のようで、数問解けなかったが、解法が何となく掴めたのでおそらく大丈夫であろう。専門科目は大学時代に勉強したことを思い出しながらだったが、ほとんど忘れていたので、一から思い出しつつの勉強。一発で解けることがほとんどなかったので、ちゃんと勉強しておかなければマズいと感じる。また、勉強の合間に「敏感すぎるあなたへ」というドイツの精神科医が書いた書籍を読む。色々と新しい発見があって、非常に面白かった。

 

238日目

水曜日。この日も朝から勉強。でも、そもそも朝起きるのが遅い。10時過ぎから勉強。もっと早い時間から活動できるようにならなければ。この日は父もたまたま仕事が休みだったので、昼食は父と母と自分の3人で近くのラーメン屋に行く。勉強はそれなりに捗ったが、やはり難しく本番が不安だ。まぁ、ダメならダメで全然構わないが。しかし、復職後の選択肢を増やすという意味ではやれるだけ頑張っておきたい。

 

239日目

木曜日。この日も朝から勉強。大学で勉強したはずの事をほとんど忘れていて、難しい。午後は母の畑へ野菜を収穫しに行った。キャベツやレタス、きゅうり、ルッコラ、春菊を収穫した。何かを育てたり、収穫したりということは楽しいものだと思う。

 

240日目

金曜日。翌日の診察に備えて一時寮に帰宅。電車の中で前職場の先輩からWEB飲みをしようとお誘いを受ける。3人でのWEB飲みだったが、久しぶりにだらだらと4時間くらいお酒を飲みながら喋り倒す。先輩の1人は7月から自分と同じフロアに異動してくるので、そのことについて話すことが多かった。酒を飲むのも久しぶりだったので疲れた。が、楽しかった。

 

241日目

土曜日。午前中は診察。今度カウンセリングを受けることにしたので、紹介状を書いてもらう。電車で移動して少し街を散歩した。時折この街を散歩するが綺麗なところが多く、毎度「この街に住みたい」と感じる。そして陽射しが暑い。昼食は行きたい店が2件あったがどちらもかなり混んでいたので断念。すき家でビビンバ丼を食す。寮の部屋修繕のお金を振り込み、カウンセリングの事前問診票を書いてから、また実家へと帰る。夕食は母親と2人で食べ、この日も少し酒を飲んだ。

 

242日目

日曜日。午前中はこれまでよりも少し早い時間に起きて、10時前に勉強を開始できた。が、あまり集中はできず、少し疲れを感じる。昼前に自分よりも長く休職していた会社の同期から久しぶりに連絡が帰って来る。元気になったみたいで良かった。彼女も大学時代から不安定だった部分があったようで、薬物治療ではなく、認知行動療法などでじっくりと改善していったようだった。時間をかけてしっかりやったのは凄いと思う。Twitterやブログをずっとサボっていたせいで、心配のDMをくれた方がいた。嬉しいと同時に、申し訳ないとも思う。急いでこの日記を遡りながら書いて、ブログを更新するつもりである。

 

2.カレンダーのまとめ

休職することになり、しばらくは療養に努めました。まず最初にやれたことは「道徳の姿態」という創作物を書き上げたことです。「道徳の姿態」という言葉はもう10年近くも「いつかこのタイトルで書きたいなぁ」と思い続けていたもので、適応障害になってからそのタイトルに見合うテーマを見つけることができ、この度ようやく書き上げることができた次第でございます。長いこと抱えていた希死念慮の根幹が、まるで道徳の授業のように、気づかぬうちに自分の中に飼い続けていた「こうあるべき」という自制心からくる不自由さにあったのだと実感できたことが、この創作物を書き上げることができたきっかけです。ここ数年間は自分を貶める創作物しか書いてこなかったので、少し前向きになれるものが書けたことはよかったことかと思います。

その後は、走って運動したり、地方公務員試験の勉強をしたり、療養しながらもリハビリと考えてやれることやっていきました。しかし、やはり疲れが溜まっていたこともあり、最初のうちは眠いし、そわそわ感があるし…という感じでなかなか大変でした。走ったり勉強したりした翌日は疲れも強く出て、やはり弱っていたのだなぁと実感しました。

そんな風に1週間療養したところで、会社から正式に7月1日付けの異動が命じられました。GW明けから打診していたことですが、これだけ早く実現してくれて非常に助かります。現職場には迷惑をかけることになりますが、まぁ、「私の方がよっぽど迷惑を被っているしね」ということで許してください。と、そんな図太いことも言っていいのかなと今は思うよう心掛けています。

異動の命令を受けた後からは、特に寮で一人で生活していてもすることがなく、煮詰まるだけだったので、実家に帰ってゆっくりすることにしました。家族と会話できるというのは非常に大きいですね。おかげでTwitterやブログを更新したい!という欲求が薄れてしまい、ほとんど放置してしまった次第です。実家に帰ってからは基本的に日中を公務員試験の勉強に捧げています。捗ったり捗らなかったりですが、久しぶりに勉強らしい勉強をしているのが、ちょっとだけ楽しくもあります。もちろん、なかなかうまく問題が解けずに苦労もしているのですが。

そして、母から勧められて読んだ「敏感すぎるあなたへ」という本が非常に面白かったです。詳しくは次の章で書きます。

そんな感じで最初は疲労感が強く、少ししんどい日々が続いていましたが、徐々に体調も回復して来て、実家への帰省を機に割とゆったりかつ有意義に時間を過ごせるようになった二週間でした。

 

3.「敏感すぎるあなたへ」~導入~

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敏感すぎるあなたへ~緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる~

ドイツの精神科医であるクラウス・ベルンハルトさんが書いた書籍を母に勧められて読みました。どういう考え方にしていくべきか、ということは「嫌われる勇気」などを読んでその大枠を漠然と見定められていたように思うのですが、具体的にどうすれば良いかということを悩んでいる私にとってはなかなか面白味のある本でした。

書籍の前半は「嫌われる勇気」などに見る、目的論的な考え方…つまり、「精神的な原因から来る病状のほとんどは自分にとってそれが必要だから」という考え方が基盤となっていることを示しています。例えば、私は「もう会社に行くの無理!」となって涙が止まらなくなったり、頭痛や眩暈が酷くなったりしたのですが、これらは私の無意識が私を会社に行かせないようにするための「道具」として「涙」や「頭痛」や「眩暈」を使っているという考え方ですね。

「嫌われる勇気」では赤面症を例に、「赤面症のせいで好きなあの人に告白できない。赤面症さえなければ告白して、あの人と付き合えるかもしれないのに」と悩む少女を持ち出しています。この場合は、「告白してうまくいかず傷つくのが怖いから、赤面症という身体症状を少女自身が作り出している」という考え方をします。この例えはまさに「嫌われる勇気」というタイトルそのままですね。つまり、好きな人に嫌われる勇気が持てれば、赤面症を克服できるということになります。

「敏感すぎるあなたへ」では車の運転でトンネルを通るときにパニックになってしまう女性を例に持ち出しています。実はこの女性はずっと旦那の母に対して強い苦手意識を持っていました。旦那の実家(旦那の母が住んでいる)に行く道には長いトンネルがあるのですが、その旦那の実家に行かない理由を女性自身の無意識が「パニック」という形で作っていたわけです。

このように、「涙」や「頭痛」や「赤面症」や「パニック」という一見「結果」に見えるような症状は、あくまで個人の無意識が何かを避けるために持ち出した「理由」に過ぎない、というのがこの目的論の基本的な考え方になります。つまり、症状は結果ではなく目的なのです。すると、結果的に症状の治療は、目的の破壊になるわけですね。

今回「敏感すぎるあなたへ」を読んだわけですが、このような考え方は既に触れていたので割とすんなりと理解することができました。「嫌われる勇気」よりも興味深かったのは、あくまでパニック障害などの精神疾患に対してのアプローチとしてまとめられているので、私の欲しい形の情報だったことですね。人は無意識下で「あれがしたい」とか「これは嫌だ」とかを感じているわけですが、人は理性を持ち出して、「でも、○○だから」とその無意識を無視しがちです。でも、そのように無意識を無視し続けると、徐々にその無意識はやり方を凶暴化させていき、その果てに明確な身体症状が出て来ると説明されていました。「嫌われる勇気」ではそのような書き方をされていないものの、最終目標は同じで、「無意識の声に従い、変化を怖れず、勇気を持って行動を起こす」というところにあります。

しかし、私のように明確な症状に苦しんでいる人たちには、「勇気を持って行動を起こす」ということが難しい部分もあるでしょう。そして、私が最近悩んでいることもまさにこのことでした。それぞれの書籍が語っている「目的論」的な考え方は納得もできますし、それを踏まえた上で「勇気を持って行動(変化)」という最終目標もよくわかります。しかしながら、そうしたくても元気がないんですよ。今の私には。もちろん、その「元気がない」も、内心では変化を怖れている私の心が作り出している言い訳にしか過ぎない…ということになるのもわかっています。まったく、目的論ってやつは万能ですよね。あらゆる言い訳が目的論のせいで成り立たなくなってしまいます。でも、実際に私はまだ発病以前よりも調子が悪く、まずはこの「調子が悪い」を何とかしたいのです。

大まかな方向はわかります。「変化を怖れず、勇気を持って行動」し、自分の本心(無意識)が求める方向へ進んでいくことです。そこには我慢も理屈も必要ありません。仮に我慢や理屈があったとしても、それはただの苦役ではなく、目的達成のために必要なプロセスでしかない。そう考えられるくらいではないとダメということです。だから、何よりも自分の心を優先し、その実現のために努力することが必要なわけです。私も日々そういう気持ちで生きるよう心がけているつもりです。しかし、今の私の体調から言うと、「仕事を辞めて、自由に生きる!」というのが一番最初に思い描く私の心の現在地です。でも、果たしてそれで良いのか。ストレスがかかることから逃げるのは確かに私の心の目的ですが、それが長期的な視野に立った目的なのかと言われるとちょっとわかりません。弱っているから、弱気になって、そう考えているだけなのかもしれません。本当なら楽しく働いて、楽しく芸術に触れ、公私ともに充実した生活を求めたいと考えていそうな気もしているのです。それを選び取れるだけの自信が今の私にはないだけで…

だから、当面の私の目標はこの「調子の悪さ」を打開することなのだと思います。そして、それは長期的な視野に立った人生観の形成も大事であると理解しながらも、やはりもっと短期的かつ具体的な方法を今の私は欲しています。そういう意味で「敏感すぎるあなたへ」という書籍は、とても興味深く、かつ有益であったように思います。

本書で説明されているのは「脳のシナプスを組み替える」という部分にあるようです。不安症やパニック障害のようなものに苦しんでいる人は、ネガティブな思考癖がついていたり、自分でストレスを増幅させがちになっていたり、という脳の構造になっていると考えられます。私は別にネガティブな思考癖や自責的な傾向というのは悪いものとは思っていませんが、今の私はそれを抱えてやっていけるほど強くありません。なので、一時的にでもそのネガティブ思考や自責傾向から抜け出して、辛くないように気持ちや心を移行させていきたいのです。そして、それができないことには最終目標である「変化を怖れず、勇気を持って行動」も達成されません。

というわけで、本書で紹介されていた具体的な手法について次の章でご紹介したいと思います。

 

4.「敏感すぎるあなたへ」~不安を減らす具体的手法~

ある種突拍子もない手法が本書では紹介されていました。なので、それを受け入れてもらうために本書ではかなり長いこと前置きがなされています。1つ前の章で書いていた目的論に関することも、その前置きの一部です。要はこれから紹介する手法の信憑性を上げるために用いられている理論の大枠みたいなものです。

が、ここでは面倒なので端折りますね。とりあえず紹介されている手法を私の体験と一緒にご紹介したいと思います。

まず精神疾患に共通するような不安障害や反芻思考といったものについて、その軽減・解消法が紹介されていました。漠然と不安に苛まれたり、頭や体が重くて疲労感が強かったり、希死念慮に纏わりつかれたり、という感覚を単純に不安障害とします。私の場合は、何となくソワソワ感があったり、息苦しかったり、とにかく気分が沈んだりということがあります。そして、それはずっと頭や体の中に渦巻いていて、地平線まで広がる分厚い灰色の雲のように感じられます。こういう状態のとき、じっと心に目を凝らし耳を澄ませると、竜巻のように何かが渦巻いているような感じがあります。仮に無くても、そのときの心の状態を渦巻でイメージしてみます。すると、徐々にその渦巻は明確に形を取るようになります。

さて、ここでその渦巻は右回りでしょうか、左回りでしょうか。

これは人によって変わるようですが、まずはどっち回りか特定できるくらい頑張って明確に渦巻をイメージしてみてください。その渦巻を感じていると、気分が悪くなるのです。渦が大きくなり、回転が速くなるほど気分が悪くなります。そんな渦を心の内にイメージしてみてください。

 

※そして、それがイメージできてからここから先を読んでください。

 

その心の中の渦巻を、頑張って逆向きに回そうとしてください。最初は回転を弱めるように頑張ります。いきなり逆向きにするのではなく、凄い強さで回転していて止めようがないように思えるけれど、徐々に力を込めて逆向きに回すような感じです。頭の中のイメージだけで難しければ、指を立てて逆向きに回してみても効果的かもしれません。渦巻いているコップの中の水に指を入れて回す感覚ですね。

すると、自然とゆっくり気分の悪さが軽減された感じがしないでしょうか。私は何となく気分が良くなりました。プラシーボ効果でも何でもよくて、要は気分が悪いときに気分を良くする方法を手に持つことが目標です。そして、本書によれば、大抵気分がどんどん悪くなっていくときには、シナプスの中を同じ経路で信号が巡り巡っているような状況ということになるそうです。その同じ経路の堂々巡りに意図的に意識を介入させ、違う思考へと持っていくことがこの方法の肝になると私は考えています。

 

次に紹介されている方法は、視覚や聴覚に訴えかける方法です。

特定の状況下でパニックになってしまうパニック障害の方をメインの対象とした手法のため、やや私には取っつきにくい感じもありましたが、これもそれなりに効果がありました。まずは、パニックに陥る特定の場面を思い出してください。視覚的な映像でも良いですし、傷ついた言葉(音声)を思い出したりしても良いです。そして、それをじっくり頭の中で再生してみると、その映像や音声は右目・右耳か、左目・左耳のどちらかに寄っていることに気がつくはずです。右目・左耳のように感じる人もいるそうなので、とりあえず視覚か聴覚かに分けて、試してみると良いです。私は「おめぇは何もできねぇんだからよ」と言われた記憶を再生してみました。このとき、私は右耳にその音声が寄っているような感覚があります。他にも会社の嫌な雰囲気を視覚的に思い出すと、右目の方にその映像の焦点が合っているような感覚があります。私の場合は、偶然右目・右耳でした。

そして、次にその左右どちらかに寄っている映像や音声を徐々に逆側に移動させていきます。最初は難しいですが、慣れなければ元々の映像や音声が寄っている目や耳を手で塞いだりしてみると、多少やりやすいかもしれません。私の場合は右目・右耳で感じていたので、右目を手で塞いだり、右耳を指で塞いだりしてみました。

 

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上の図のようなイメージですね。

※映像や音声の左右の移行が出来たらここから先を読んでみてください。

 

嫌な記憶やイメージがハッピーなものに変わるまでも行かないかもしれませんが、何となく「嫌な感じ」が減ぜられて、よくわからないような感覚になりませんでしょうか。なんか違う感じになったけど、少なくともそんなに嫌でもない…くらいの感じに私はなりました。

私の場合は右目・右耳で嫌な気分を感じがちだということがわかりました。確かに、ストレスから耳鳴りが出たときなど、適応障害になるより以前を思い出しても右耳で耳鳴りが出たように記憶しています。対して、素敵な記憶や妄想を思い描くときは、左目・左耳が活性化しているような感じがあります。

これも渦巻と同じく、不安症状に捉われているときには、脳の神経伝達を司るシナプスが特定の経路を構成し、信号がそこを巡り巡っていることに起因するそうです。したがって、その固定されたシナプスに干渉し、別のルートを構成してあげることでそこから抜け出せるようになるわけです。この背景には、特定の思考パターンを促すようにシナプスが強く構成されていることがあるそうです。不安障害に悩む人は、要は不快な思考パターンになりやすいシナプスの構成が組み上がっていることになります。なので、それを意識したうえで、あえてそれとは逆向きのシナプスを組み上げることで、不快なパターンから抜け出せることになるようです。

とにかく嫌な気分に支配されそうになったら、この渦巻の逆回転や視覚・聴覚のずらしを細かく用いることで、負のループに入るのを防ぐことが、不安障害を軽減させる手っ取り早い手法として紹介されていました。

 

それと同時に紹介されていたのが、「10(テン)・センテンス法」というものです。これは詳しくは色々と条件があるのですが、要は妄想術です。先の例で挙げた「トンネルがパニックのトリガーとなる女性」であれば、「ウキウキとした気分で愛する家族とドライブしている。音楽をかけて、美味しいチョコを食べながら、旅行先の楽しい計画について話している。車の椅子は柔らかくて心地よく、タイヤも滑らかにアスファルトの上を回転している」みたいな楽しい妄想をノートに10個ほど書いてみます。必ずしも、苦手なことに対応した妄想でなくても良いそうです。このように10個のセンテンス(文章)を書くわけですが、注意点としてはその妄想が個人の努力で達成できるものを書くそうです。「宝くじが当たって嬉しい」とか「あの上司から賞賛された」とか「好きな人から告白された」とか、自分の力だけでは達成が難しい(運や相手の都合による)ものは避けた方が良いそうです。本書では「愛する彼女と充実した映画デートをする」という場面が妄想されていました。

テン・センテンス書き出せたら、毎日1つずつ20分くらいの時間をかけてじっくり妄想し、心地良い気分を味わい尽くすようにしてみるそうです。どうやら寝る前が良いみたいですね。そして、現実世界の中でその妄想を達成できたら、10個のリストから消して、新しい妄想(目標)を書くようにするそうです。これを日々のルーティンにすることで、脳の快感を得る機能や、前向きに努力する機能が向上するそうです。この効果の分かりやすい例として、体操選手のイメージトレーニングがあるそうです。体操選手は新しい技の練習に取り掛かる前に、何度も成功の映像を見て、イメージの中でまずはできるようにします。すると、そういった過程を踏まえない選手よりも何割増しで成功する確率が上がったり、成功に辿り着く時間が短縮されたりするそうです。したがって、このテン・センテンス法は、幸福になるためのイメージトレーニングのようなもので、これをすることで実際に幸福感を得られやすくなるそうです。

私はまだこの効果を実感するには至っていませんが(というよりも、まだ本格的に始められていませんが)、何となく前述の細かい手法と合わせることで1日の中で不快感に浸っている時間は減って来たように思います。つまるところ、たとえそれがプラシーボ効果であろうがなんであろうが、1日の中で心地良い時間が増えることが何よりも重要なんだとようやくわかってきました。

 

これらの手法は人それぞれ効果も違うかもしれませんが、既にある程度実証されているカウンセリング手法でもあるそうなので、試してみる価値はあるかと思います。もし興味を持ったら、本書を読んでみて欲しいと思います。

 

5.最後に…

こんな感じで、ちょっとずつ色々なことを試しながら、今のところは落ち着いた日々を過ごしています。とりあえずは来週の公務員試験の勉強を頑張りつつ、7月からの異動&復職に備えたいと思います。

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道徳の姿態

                            道徳の姿態

 

 遺書を書こうと思った。しかし、生憎ノートもちり紙もない。半分ほどまで×印をつけたカレンダーを引き千切って机の上に伏せる。カレンダーは会社の取引先から貰ったものだった。

 白くてかてかと光る紙。三色ボールペンの一色を突き出す。

 しばらくの間、書き出しの言葉を求めてじっと固まっていた。ペンの先からはインクが垂れてきそうだったけれど、そんなことが起こるはずもない。インクは垂れることはなく乾いていくばかりだ。

 理想の遺書というものをこれまでの人生で幾度か考えてきたように思う。

 死んだ後にどう思われたいか。無意識のうちにそんなことを考えていたからだろう。かつての僕はあれやこれやと遺書の中身を夢想することができた。年頃の女の子のように。それは愛の詩であり、おとぎ話のオマージュであり、無限に咲く夢幻であった。「王子様」と書いてみて、次の言葉を考えているうちにインクが垂れ、「玉子様」になるようなそんな仕様も無い、薄ら寒い言葉たちの羅列だった。

 育ててくれた両親への謝罪と礼。弟へのせめてもの心遣い。愛すべき雑多な交友関係。僕はおよそ「人」というものを恨んだ記憶はない。僕が嫌いなものは「人間」であり、すなわち「社会」であるのだ。僕は自ら死を選ぶが、それは「社会」によって半分強制されたものであり、もう半分は間違いなく僕自身の願いなのだ。そんなようなことでも書こうと考えていた。しかしながら、フェルマーさながらに余白の狭さを嘆き、僕は最後に「もっと伝えたいことはあるけれど」と蛇足を生やして、残された者たちに何らかの印象的な「謎」を残してやろうなどとも考えたことがあったか。退屈な飛行機の旅。その暇を少しくらい埋めてやるためのクロスワードパズル。そんな程度の洒落た「謎」だ。フィッツジェラルドも似たようなものを残していたではないか、と格好つけた僕は言ってみる。

 しかしながら、これだけ広大な白の砂漠の上に何を書けばいいのか、今の僕には全く以って検討がつかない。「遺書」というものが砂漠に水を撒くような行為に思えて来る。結局のところ自分が何を書き残したところで、僕の本当の気持ちは伝えられないし、誤解というものも残ってしまう。そして、本当に死んでしまえば僕にはもうその誤解を解くことはできなくなってしまう。ならば、何も書き残さない方が良いのではないかという気がしてくる。

 僕はピエロでもなければ道化師でもない。オレンジでもなければ蜜柑でもない。人を楽しませるために遺書を書こうと思ったわけではないのだ。

 白い紙は相変わらずてかてかとしている。

 いっそのこと白紙のままにしておくのはどうだろう。半分ほど×印が書き込まれたカレンダーを引き千切って机の上に伏せておく。きっと僕が何かを書き残そうとして断念したことは伝わるだろう。いや、伝わるか? 僕ならその意味について思いを馳せるかもしれないが、「死」なんて仕様も無い出来事が面の皮を厚くしているせいで、僕の残す炙り出しのメッセージなんて全く無視されてしまうんじゃなかろうか。人間自らのアイデンティティである火の存在を忘れてしまっているのだ。無神経な彼ら人間には何らかの読むべき目に見える「言葉」が必要なのだ。レシートだって何だって言い。何らかの具体的な「言葉」を残してやらないと彼らは満足した気持ちになれないだろう。いやいや、待て。僕はピエロでも道化師でもない。ブドウでも葡萄でもないのだ。

 僕が本当に伝えたいことはなんだろう。そもそも僕はなぜ遺書なんてものを書こうと思ったのだろう。

 自ら勝手に命を絶つにあたってのご挨拶。つまり、義務感が半分といったところか。もう半分はなんだろう。もう半分はきっと取り留めも無い感情だ。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。僕はきっとこの気持ちを誰かに共有してほしいのだろう。死にたいという気持ちを誰かに伝え、それをそっくりと理解してほしい。その「死にたい」には色々な意味が含まれている。悲しさと苦しさと愛情と儚さ、だ。何も恨みつらみを書き連ね、死後の世界から生者たちを呪いたいわけではない。ただただ、こんな気持ちだったら死んでも仕方ないよね、ということを理解してほしい。あわよくば受容してほしい。この際、共感までは求めまい。ただし、そうなると相当に厄介だ。

 この白いカレンダーの裏にまずは横に一線を引く。上半分は先ほどのご挨拶だ。下半分には僕のこの気持ちを書き連ねよう。しかしながら、果たしてこの如何ともしがたい感情を上手く言葉にして書き記すことが僕にできるだろうか。それは結構な無理難題に思える。では、いっそのこともう一枚カレンダーを引き剥がし、一枚目にはご挨拶を、二枚目には僕の気持ちを書こうではないか。いやいや、丸々一枚でも足りるかどうか。では、何枚なら足りるのだろうか。どこまで手を尽くせば僕は僕の気持ちを正確に書き記すことができるのだろうか。そもそも何者かが自らの気持ちを正しく言葉に置き換えることが可能なのだろうか。一流の芸術家だってそこで苦労しているのではないだろうか。とても僕になんてできると思えない。白紙は何枚あったって足りないのだ。砂漠に水を撒くのだ。

 僕は諦める。

 ならば、ご挨拶くらいは書いておこうか。かくかくしかじかという理由で僕は簡易的な言葉で言うところの「精神を病み」、もう生きる希望を失くして、死んで楽になりたいと思いさぶらう。わずかではあるが貯金は弟に譲ろう。葬式は不要。あなた方が気持ちの割り切りをつけるための儀式として必要であるならば催せばよろしい。いずれにせよ我が国においては火葬にて処理されるであろう。遺灰はできるならば海に撒いて欲しい。海が面倒なら川でも良い。川でも面倒なら、慣例に倣ってどこかの墓に入れてもらっても構わない。僕が死んだ後の事だ。好き勝手にやるがいい。馬鹿な犬にしゃぶらせたって僕はまったく構わない。僕が精神を病んだ理由を求めるな。あらゆる理由は見当違いである。両親よ。自分を責めるでない。同時に誰かを責めるでない。僕は僕の自由意志に則って死を選んだまでである。場合によっては、僕を死に追い詰めたのは会社であると考えるかもしれない。会社に賠償金を請求するというのも、あるいは賢いやり方かもしれない。しかし、復讐する人生は惨めであり、あまりおススメはしない。もしやるのであれば、冷徹にあくまで金をせびるためにやられよ。愛ゆえの怒りと自らを正当化しているように判事には訴えかけ、然るべき金品を要求してそれで終わりにすべし。そして、繰り返しになるが、他者に理由を求めず、自らに理由を求めることもまた惨めであるからやめなさい。家族よ。僕を愛して止まない家族よ。もし自分のせいで僕が死んだと考えるようなことがあれば、それは僕が最も憎むべき行為であるということを理解して欲しい。僕は誰にも束縛されたくなどない。誰かの影響により僕が自死を選んだなどと考えることは僕から自由を剥奪する行為であり、唯一僕が憎むべき行為と言える。だから、自分を責めてはならない。

 さて、これくらい書けば、カレンダーの裏面半分を埋めるにあたるだろうか。

 つまらないご挨拶だ。これでは僕の伝えたいことは何一つとして伝わらないだろう。しかし、自死を選ぶのだからこれくらいのご挨拶を残していても然るべきという風にも思える。少なくとも僕の死をどのように処理して欲しいかということは伝えられている。それで充分だと思える。ああ、一つだけ書き忘れていることがあった。僕の無様で不潔な死体を処理される方よ、大変申し訳ない。ここに金六萬円を置いておくからこれで何とか手打ちとしていただきたい。六というのは完全数であり、また二と三という集団の最小単位を約数に持っているから、取り分で揉めることもまああるまい。

 僕はとりあえずそこまで考えてみた。実際に財布から6万円を取り出して、机の上に並べてみた。白いてらてらとしたカレンダーの裏面。そして、香ばしい紙の匂いのする六枚の札束。三色ボールペンが僕の手の中でくるりと円を描く。

 面倒になって一度ベッドの上で横になってみた。泣いてみようか。しばらく涙を流してみる。気持ちが高ぶって、声をあげて泣いてみた。どれくらい泣いただろう。カップラーメンだったら、カップの形を保ったままくらいの時間だろうか。すぐに飽きてしまった。

 頭が重たい。心が重たい。ロープを手に持ったまま狭い部屋の中を歩き回ってそれを括りつけるべき場所を探した。意外と適した場所はない。昔ながらの日本家屋であれば梁やら何やらに括り付けることもできたかもしれないが、小さなアパートではそんな首吊りにうってつけの場所なんて見つかりやしない。

 仕様が無いので風呂場に向かった。浴槽の真上に物干竿が亘らせてある。まずは手元のロープで輪っかを作る。くるりと小さな輪を作り、その先でさらに大きな輪を作り、小さな輪の方へと先端を戻してくる。軸の周りをぐるりと一周させ再び小さな輪の中に戻す。これを絞れば完成だ。試しに頭を通してみる。ばっちりの大きさだ。一度首からそれを外す。それを今度は物干竿に括りつける。物干竿の強度がやや心配であったが、僕はまあ瘦せ型の人間であるしきっと大丈夫であろう。薄暗い風呂場の中でそれを吊るして見ると、こんなもので人間が殺せるのかと不思議な気分になる。でも、やってみる価値はあるだろう。

 浴槽のヘリに乗り、浴槽を跨ぐようにバランスを取る。そしてロープに首を通してみた。ゆっくりとヘリから足を離して体重をロープに預けていくが、思いのほか強くロープが首に食い込み、強い痛みがある。僕は一度首吊りを断念して思考を巡らせてみる。ロープと首の間に何らかの緩衝材が必要だった。

 僕は一度ロープから首を抜くとハンドタオルを箪笥から出して来た。それをロープと首の間に挟み込むと痛みはだいぶ和らいだ。これから死のうという人間でも痛いのは嫌と思うのだ。不思議なものだ。いや、全く以って不思議ではない。痛みを恐れ憎むが故に僕は死を選ぶのだ。そもそも痛みに耐えられるのであれば僕は死なんてものを選ばなかったはずなのだ。そんな知見を得てももはやそれを誰かに伝える気力は僕には残されていない。体重をロープに預けていく。

 ヘリから足を離すと浴槽の底には爪先が届くくらいになる。体重を支えるには心許ないくらいの接触だ。次第に息が苦しくなっていく。

 怖くなって僕は一度足をヘリへと戻す。深呼吸をする。どうも首を吊るというのは一筋縄ではいかない行為のようだ。

 何度かそんなことを繰り返す。まるで熱い風呂に何とか入ろうとする小学生のように、何度も熱湯に足をつけては離れ、とそんなことを繰り返している。しかし、次第にその熱さにも慣れて来る。息ができないということを当たり前のこととして受け入れていく。思考を殺すのだ。吹雪の中、目も開けられずに俯きながら一歩一歩を踏みしめるように僕は死へと近づいていく。金魚鉢に鮮やかな色彩のおはじきを一枚ずつ落としていく光景を瞼の裏に描いた。ゆらゆらと確かな重みとスピードでおはじきは沈んでいく。一枚一枚が底のガラスと触れ合う時に微かに「かちり」という音がする。それは耳に届くか届かないかという小さな音だ。かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり……かちり…………かちり……………………………

 夢の中で手も足も失った僕はねばねばとした蜘蛛の糸でできた袋の中でもがいている。息が、できない。早く、袋の中から、出ないと。ぼやけた視界の中で見慣れた風呂場の映像が一瞬駆け抜ける。失ったはずの手や足がせせこましい、何やら硬いものに何度もぶつかる。幻肢か。苦しい理由。僕は失った手で首に纏わりつくものを外そうともがいた。

 次の瞬間、僕は浴槽の中で倒れ込みながら、背中に物干竿を背負っていた。

 そのときになって、僕は死に損なったことを知る。

 

 遺書を書くべきだったろうか。

 死ねなかった理由はわからない。少なくとも僕の自殺はお粗末なものであったし、生きている僕はやはり死を恐れて反射的な行動を取った。それだけと言えばそれだけなのだけれど、ちゃんと遺書を書いておけばもっと真摯に死と向き合えたのではなかろうか。どうせこんな中途半端な方法じゃ死ねないと高を括っていた自分が、自分に遺書を書かせなかったのかと思うと酷く惨めな気持ちになった。

 喉が酷く痛かった。まるで喉風邪に罹ったときのように、唾を飲み込む度に鈍い痛みが走る。こんなことなら首なんて吊らなければよかった。両耳の下あたりにもロープによる擦り傷ができていた。会社の人に何か言われたらどう誤魔化そうか。やはり生きていくのは何とも面倒だと思った。

 

 夕飯を買いに外に出た。陽は暮れかけ、薄闇の中で街灯は力無く光っているように見えた。夜も深まれば彼らももう少しは元気を出すのだろうけれど、まだまだ彼らは「居ないふり」をしているみたいにさりげなく頭上で灯っている。コンビニまでの道のり。小川に沿って幾本もの桜の木が植えられているが、数週間前にそれらの花があっという間に散ってしまったことを思い出した。しかし、今でもまだ数枚の花弁が花壇やらアスファルトのヒビの間に取り残されている。散った桜の花弁はいつもどこに行くのだろう。腐って形を失うであろうことはわかるけれど、実際にその過程を見たものはいない。夏のアスファルトに宿る蜃気楼がいつの間にか消えてなくなるように、それは不思議な時空を通り抜けて、異空間へと消えていくのだ。

 今まで僕はそういった自然と消えて無くなるものに憧れを抱き、自分もそのように消えていきたいという風に考えていた。しかし、僕が望むと望まざるとそうなることは最初から決まっているのだ。いずれどこからも忘れ去られ消えていく。歴史に名を刻もうとも、その個人の生というのは同じように消えていくのだ。次の時代の人間が歴史として学ぶことはあっても、生きて次の時代の人と対話をすることは適わない。そういう意味でみな平等に死を迎え、忘れ去られていくのだ。そして、僕はそのときを早く迎えたいものだと常々考えていたわけだけれど、桜の花弁が春には消えられぬように、夏の蜃気楼が夏には消えられぬように、僕という人間もまた今日という日には消えられなかった。そういうことなのかもしれない。

 むしろそのような時期に無理をして死ぬということは、死を特別視しているようではないか。死はその辺に転がっているありふれたものであり、小石や空き缶のようにくだらないものだとする僕の思想は、僕の自死によって矛盾に晒されてしまうのかもしれない。

 コンビニの中に入り、週刊漫画雑誌を立ち読みしてから、弁当を選ぶ。弁当を選び終えてから缶ビールとスナック菓子も手に持った。缶ビールとスナック菓子を持った左手を耳元まで持ち上げ、人差指でイヤホンを耳から掻き出す。店員は僕の首元の傷にも気づかぬまま、会計を告げる。あ、お弁当温めてもらえますか。店員が背を見せている間に、僕は金の準備をした。

 

                          *

 

 昨日の昼に自殺未遂をした人間が電車に乗りながら芸人のラジオを聴いて笑いを堪えている。会社で何てことなさそうに話をして、それなりに真面目に仕事をしている。でも、そんなものかもしれない。今、電車の隣の席で疲れたように眠る女子中学生も、この後家までの夜道で車に轢かれて死ぬかもしれない。強姦に襲われて心が壊れてしまうかもしれない。僕が急に首を絞めて殺してしまうかもしれない。何が起こるかなんてことはわからない。

 変わりたいと願いながら変わらない明日を切望して、今日もまた時間に引きずられていく。後ろ向きに引き摺られながら踵が残す二つの線を過去として眺めつつ。

 

                            *

 

 死に損なってみると、死にたいと思っていたことが馬鹿らしく思えて来る。二日酔いと似ているのかもしれない。今日は死ぬまで飲むぞ、と決めて酩酊。翌日には死んでももう酒なんて飲むかと誓う。あれだけ酔っ払いたかった僕は、二日酔いで達観する僕から見れば滑稽以外の何者でもない。

 でも、いつかまた近くに死にたいと思う時がやって来そうな気もしている。前回の失敗を受けて、より確実な方法を僕はきっと考えるだろう。しかし、僕という人は学ばないことで名が高い。またどうせ失敗してしまうんだろう。何回か繰り返していればいずれ死ぬことができるかもしれない。でも、それよりも先に「死なないライン」を見つけてしまうかもしれない。そうなってしまえば、僕の首吊りはただのよくある自傷行為でしかなくなる。ただのよくある自殺行為とただのよくある自傷行為との間にどれだけの差異があるのかはわからないが。

 みんなに聞いてみたいことがある。

 どうもみんなは死にたいと思っていないと見受けるのだけれど、それは本当なのだろうか。僕が死にたいと言うと、どうしてそんな風に考えてしまうのか不思議がるが、僕からしたらどうしてみんなが死にたいと思わないのかの方がよっぽど不思議である。まるで学校の道徳の授業みたいに「みんな生きよう」と答えることが正解だから、そう言っているだけでしかないように僕には思える。正解が何かを多角的に考えるべき道徳の授業においても、答えのようなものはあるようで、そうなってくると必然的に僕たちの人生もまたかくあるべしというのが規定されているように思える。僕はそういうのを見たり聞いたり味わったりする度に嫌な気持ちにさせられる。

 最近では結婚式が最悪だったな。

 初めて僕は結婚式というものに呼ばれたのだけれど、まず嫌だと感じたのは、それぞれに独善的な雰囲気を醸し出すコミュニティが適度な規模で群生していることだった。日本語という共通言語を用いながらも、それぞれが明らかに違う社会的文脈の中で呼吸をしている。いくつもの水槽が並んでおり、どれも同じ水道水を入れられているはずだったが、それぞれの水槽では全く別の生態系が築き上げられている。水とガラスと空気の屈折率差のせいだろうか。外に立ち並ぶ世界はどれも歪んで見えて気持ちが悪かった。

 まあ、しかし、それはどちらかと言えばどうでも良いことだった。そんなことに腹を立てるほど僕は子供じゃない。別のコミュニティに対して敵対心のようなものを感じるのは生物として至極当然の反応であることを僕は理解している。中学生じゃないんだ。A子ちゃんのグループに腹を立てているB子ちゃんのグループ、みたいな構図なんてわざわざ顕在化させるだけ労力の無駄というもの。だから、そんな面倒なことはうっちゃっておこうではないか。僕は大人だ。そう、僕は大人だ。ねぇ、みんなももちろん気になっているんだよね。でも、それを口にしないだけなんだよね。大人だから口にせず無視を決め込んでいるだけなんだよね。大人な僕はあえてそれを口にして確認したりはしないけれど。

 頭痛がする。このところずっとそうだ。何につけても頭痛だ。吐き気も感じる。でも、大人だからそんなことはわざわざ口にはしない。それよりも最悪な結婚式の話をしよう。

 結婚式の何が最悪か。それは社会の独善性を顕在化しているからだ。見たくないし、関わりたくもないし、だから僕は極力無視をするようにしているのだけれど、それをわざわざ僕に見せつけて来るのだ。出来の悪いサイコ映画における拷問器具で、手足を縛り付け、瞼を開いたままで固定し、口も似たように開かせたままで固定する金具みたいなものがある。そんな感じ。そう、拷問だ。僕の虹彩は眼前の惨状を網膜に映し、口には絶えず生きたムカデを放り込み続けられている。当然、ムカデは鼻からも入れられて、喉で口からのお友達と合流して、胃袋の中へと落ちて来る。そんな感じ。そう、拷問だ。

 結婚式は人生のハイライトなのだと僕は思わされた。美しい思い出たち。それらが写真やら映像やら音楽やらになって、参列者に振舞われる。感動があり、思いやりがあり、スパイスに苦労話も欠かさない。まるで就職活動みたいだと思った。端的に人生を要約し、「ほら、素晴らしいでしょう」と心ばかりの脚色を施す。そういう仕組みを僕は理解しているつもりだ。だから、ここで披露されているのは美しいものの抜粋に過ぎず、実際にはもっと汚らしい、人らしい時間を過ごして来たのだということは理解している。でも、そういったものは無粋とされて、重い緞帳の向うに隠されている。ショーなんだから、それで正しい。儀式なんだから、それで正しい。でも、こんな風にして何かを誇らなければならないのが社会なのだと思うと、僕はとても虚しい気持ちになってしまう。これも就職活動と似ている。端的な自己アピール。感心させるために、あれやこれやと準備をする。まるで僕のこれまでの人生そのものではないか。だから嫌いなのか。同族嫌悪。就職活動も結婚式も。吐き気が収まらない。

 人生における正解。そんなもの定義できるはずもないのに、そこには模範解答のようなものが存在している。社会の眼。誰もが「かくあるべし」という笑みを浮かべている。不自由がそこにはある。臭いものには蓋を。ずっとそんなことをして生きてきたのかもしれない。そう思うととても虚しい気持ちになる。これからもずっとそうして生きていくのかもしれない。そう思うと恐怖を感じる。どこまで行っても僕たちは社会の眼から逃れることはできない。

 ミシェル・フーコーは「パノプティコン」と呼ばれる囚人環視システムの凶悪性について語った。いや、衆人環視システムと言った方が本質的であろうか。その最終目標は自己の内面にもう一つの眼を植え付けることだった。仏教などで語られる「第三の眼」のことではない。それは本来であれば自分の外部に存在する眼であるはずなのに、執拗で悪質な監視はその外部の眼を個人の内の中に埋め込んでしまう。その眼は善良であるはずの人の心にねばねばとした巣を作り、じわじわと人を人間にすべく罰を与え続ける。罰はそのうちに罪という概念を作り上げていくだろう。中には罪が先に立ち、その罪に対応した罰が与えられると主張される方もいらっしゃるかもしれない。鶏と卵ではないが、ここは人によって見解が分かれる部分だ。しかし、僕はやはり罰が先に立ち、罰の理由付けのために罪という概念が持ち出されたと考えるべきという気がする。因果関係において原因が結果よりも時系列的に先であるという考え方は一般的には正しいと言える部分があるかもしれないが、必ずしもその限りというわけでもないだろう。現在から過去を推定する行為は、確かに結果から原因を推定する行為である場合が多いかもしれない。しかし、そのような「推定行為」によって、原因は結果に置き換えられ、結果は原因に置き換えられる。つまり、原因究明によって推定された原因というのは、すなわち「推定行為」の結果であるということだ。お腹を壊した原因を、朝方食べた賞味期限切れのヨーグルトに見出すという推定行為の目的は、「原因がヨーグルトにある」という結論を導き出すことであり、導き出されたその結論は不完全な因果関係と言えるだろう。つまり、本当にヨーグルトが原因でお腹を壊したかどうかというのは断定できない(もしかしたら手洗いせずに指を舐めたことによる細菌接種が原因なのかもしれない)はずであるのに、誤った原因を究明したことでこの問題の解決を見ようという目的意識がそこには見られる。罪と罰の関係も同じことだ。お腹を壊すという罰は、賞味期限切れのヨーグルトを食べた罪によってもたらされたと考える推定行為。これによって、その因果関係は不確実であるかもしれないのに、賞味期限切れのヨーグルトを食べるという行為が罪であるかのような概念が生まれてしまう。

 何が言いたいかというと、パノプティコンを機能させるための必要条件として「罰」が求められるということだ。そして、その「罰」に対応した「罪」を用意しなければならない。そしてその「罪」という概念を植え付けたときに初めて「監視」という行為に意味がもたらされる。したがって、パノプティコンとは「罪」という概念ありきで成立するシステムであり、そのシステムの機能性において最も核心となる部分は、外部からの監視ではなく、自己内面からの監視によって人は不自由に縛られるということであろう。

 結婚式に話を戻そう。

 結婚式が最悪な理由として、僕は社会の独善性がそこでは顕在化されているからと話した。それはつまるところ社会という問における正しい解答を結婚式というものが提示しているように僕には感じられてしまったということだ。その独善的な解答から外れた者には「罰」がもたらされる。それが賞罰教育によって僕たちに深く根付いた歪んだ認知である。果たして僕自身は結婚式が提示する独善的な正答が仄めかす「罰」に相当する「罪」を抱えた人間であろうか。そんなものは火を見るよりも明らかである。僕の内面に植え付けられた「監視」の眼が僕の「罪」を暴く。腕を後ろで縛られ、目の前で焼き鏝をちらつかされている気分だ。「監視」によって暴かれた僕の「罪」。あとは社会という人格の思惑一つで僕には「罰」がもたらされるであろう。

 取引をしようではないか。もしもこの焼き鏝を腹、あるいは胸、あるいは頬に押し付けられたくなくば、罪を償うが良い。私だって好きでこんな焼き鏝を振り回しているわけではない。これは君たち落第生を救うために仕方なくやっていることなんだ。もし、君が真っ当に生きることを承諾し、そして行動で示してくれるならばこの焼き鏝はすぐにでもしまおうではないか。どうだ、約束できるか?

 だから僕は結婚式でへらへらと笑う。感動しているフリをしている。内心ではいつその「嘘」が暴かれるのか恐怖しながら、膝を震わせながら。これを拷問と言わずして何と言うか。そして、その拷問は僕が生き続ける限りずっと続いていくだろう。これがすなわち地獄というものだ。

 同族嫌悪という言葉を僕は使った。それはとりもなおさず、そのような拷問がこれまでも僕の人生を彩って来たことを示し、また僕だけでなく万人がその拷問に晒されていると感じるからだ。僕たちは社会によって監視されている。そして監視されている者たちが雁首揃えて集結し、独裁者に礼賛の拍手を送っている。神に跪く、哀れな子羊たち。神よ、我を憐れみ給へ。僕は内心では神なんてものを信じていないにもかかわらず、罰を恐れて膝を震わせながら跪いている。なぁ、みんな大人だから黙っているだけで、本当は僕と同じように膝を震わせているんだろう? おい、どうなんだよ?

 この世は地獄だろう?

 死んだ方がマシだと思わないか?

 僕たちに唯一許された自由は死ぬことだけなんだと思わないか?

 ほら、見てみろ。死に損なって、自死が馬鹿らしく思えていたけれど、また死にたくなってきた。一生、これを繰り返すのか。いったい僕は何回首を吊れば済むんだ。せめて首を吊ることだけは誰も責めてくれるなよ。いや、責めても良い。みんな監視の眼を恐れて、口を揃えて「自殺は罪だ」なんてことを言っているだけなんだよな? それならば許そう。僕たちはみな一様に、不自由を享受する人間なのだから。

 

                            *

 

 お医者さん。僕を助けてください。僕は気づいたんです。形のない何者かが僕をずっと僕の内から見つめているのです。監視されているんだ。眼、眼、眼。眼がずっと僕を見ているんです。

 

 僕のしがない文学性に則って喋ればそういうことになる。しかし、これは医学的には強迫観念やら認知の歪みやらという言葉に置き換えられるらしい。まあ、それには納得もできる。確かにそれは実体のないものであり、強迫観念と端的に言い表すこともできるだろう。しかし、仮にその正体が強迫観念であることを見抜いたところで対して変わりはないように思える。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉があるが、幽霊に対する恐怖心はそう簡単には消せないだろう。確かにそれは枯れ尾花なのだろう。でも、幽霊に対する恐怖心が消せない限りは僕はずっと枯れ尾花だろうが何だろうが、それらしきものに幽霊の影を見て恐怖に晒され続けることに変わりはない。

 解決策は二つあるだろう。

 一つは常に物を良く観察することだ。恐怖に負けて目を逸らすのではなく、きちんとその対象を見つめ、観察し、それが幽霊ではないことを確認すれば良い。恐怖から目を逸らしても、恐怖から逃れることはできない。ならば、恐怖と正面切って向かい合うしかない。もし良く観察してそれが本物の幽霊だったその時は全力で逃げれば良い。観察する前から逃げ出していたら肺が潰れるまで走り続けなくてはならないだろう。

 二つ目は、そもそも幽霊なんていないということを理解することだ。あるいは一つ目の解決策を実践し続けることで、経験則的に幽霊はいないのだと理解できるようになるかもしれない。しかし、それと合わせて、よく分析、思考し、幽霊がいないのだと論理的に理解することもこの解決策を押し進める力になるだろう。逆にそのような論理的な理解ができていても経験がなければ、恐怖心はそう簡単には取り除けないかもしれない。だから、幽霊なんてものがいないのだと論理的な分析や思考によって理解しつつ、実際に幽霊らしきものと対峙して、それが幽霊なんかではなく恐るるに足らない存在なのだと体に覚え込ませるのだ。

 このような治療を通して、僕は僕の内に潜む「眼」を殺したい。そう考えるようになった。しかし、それはもの凄く大変なことのように思える。疲れる。疲弊してしまう。星が瞬き、夏草の香りが風に運ばれて首筋を俄かに冷やすような瞬間であれば、そういう事に対して前向きになれるかもしれないが、そんな日ばかりというわけでもないだろう。果たして僕は枯れ尾花に囲まれた社会の中にあって、そんな治療を完遂することができるのだろうか。これまで誤魔化し誤魔化しで地獄の中で生きてきた人間が、今さらちゃんと地獄と向き合おうと思って、それに耐えられるのだろうか。死ぬ気でやればできないことなんてない、と言う人がいるが生憎僕にとっては死を選ぶ方が楽なのだ。なぜならば、地獄と向き合わずに済むよう、死に対する恐怖心というものを僕はかなぐり捨てるようにしてここまでやって来たのだから。

 そう、僕は論理的な意味合いにおいて死を恐れていない。

 しかし、実際に首を吊ってみてわかった。体が死から免れようとするのだ。僕は肉体的な死への恐怖を乗り越え、徹底的に自分を殺し切ることができるだろうか。いや、できるはずだ。むしろそれはこの地獄を天国に変えるよりもよっぽど楽なことのように思える。

 雨に打たれて、体が冷え切った一人きりの夜には、僕は自分の目の前に垂らされた救いの糸に手を伸ばしそうになる。清廉潔白色のロープはまるでカンダタに提供された一縷の希望であるかのように見えるのだ。

 

                            *

 

 朝から雨の降る休日。狭い部屋のカーテンを開けて、線路を見下ろす。窓には雨粒が貼り付いていて景色をぼやかしている。

 足の爪が伸びていた。二番目の引き出しを開けて爪切りを取り出す。一人暮らしを始めるときに実家から持ち出し、以来使い続けている爪切りだ。保険会社名と、おそらくは担当者の氏名が印字されている。金属製で手に馴染む重さがあった。おそらくは父か母かがまだ若い頃に貰ったものだろう。どうしてかつての僕がそれを実家から持ち出したのかはわからない。そもそもどこに眠っていたのだろう。僕は学生生活を通してそれを使い続け、社会人となった今もなお使っている。しかしながら、そこに保険会社とその担当者の名前が印字されていることを知ったのはほんの二週間前だった。

 水垢のこびりついた洗面台の鏡で首に残ったアザを眺めていた。喉の奥はまるで風邪を引いたときのようにつばを飲み込むだけでまだ痛む。鏡に映る自分の表情は生きている人のそれであり、そのことが何故かとても不思議に思えた。しばらく鏡と見つめ合い、額の吹き出物を一つ潰した後、ベッドの端に腰を降ろし、しばらくティッシュでそこの血を止めていた。血を止めている間に暇になって爪を切ることに決め、何となく爪切りを眺めていたときに僕はその発見をしたのだった。

 樋口藍子。顔も知らない女性。彼女は笑顔を作り、保険の契約を取るために、いくつもの爪切りを配って歩いた。そして、今頃は孫の一人でもいるのかもしれない。

 雨音を聞きながら爪を切る。そして、彼女の半生を思う。改めて思う。生きる、とは。踏切の音が聞こえる。それからすぐに電車が何万という雨粒を轢き殺して走り去っていく。騒音が胸を締め付ける。

 

 トートバッグを肩から提げ、透明なビニール傘を持ち、部屋の鍵を閉め、アパートの階段を降りた。一挙手一投足がふわふわと春の綿毛のように漠然と目の前を通り過ぎていく。こんな雨の日だというのに、僕の行動はまるでそんな感じなのだ。じめじめと脇の下や足の裏は気持ちが悪いのに、頭の中は嫌になるくらいのふわふわの綿毛でまみれている。小学生くらいのときの事だったか、タンポポの綿が耳の穴に入ると一生取れなくなって、耳が聞こえなくなってしまうという話を聞き、恐怖を覚えた。噂自体の真偽も未だに不明だけれど、そんな噂が出回った理由についてはもっと不明だった。タンポポの綿毛は種であるわけだし、耳に入ったらそこからタンポポでも咲いてしまうのだろうか。アスファルトを突き破る程の生命力だ。耳からタンポポが生えたっておかしくない。頭の中がタンポポの綿毛でいっぱいになってもおかしくない。

 アパートの敷地を出て、そのまま坂を下っていくと踏切がある。このアパートに引っ越して来てからはこの踏切の音と電車の走行音が酷くうるさく感じられたが、今はだいぶ慣れた。それでももう二度と線路の近くには住むものか。踏切で待つ間、僕は何億回目かの決心をする。踏切を渡りながらふと振り返ってみた。アパートの自分の部屋のカーテンは開けっ放しだった。

 

 今日も僕は弁当を買って食べる。誰かが何かを殺し、それを綺麗に並べてプラスチックのケースに飾り立ててくれた。それに対して僕は対価を支払い、食す。幾度となく繰り返されてきた罪だ。しかし、今のところ僕はそれに対する罰を受けていないように思える。なぜなら人間の原罪を神が肩代わりしてくれているからだ。そういう事になっている。せめて手を合わせ、祈りを捧げるべきだ。しかし、僕は漠然と昼時のたいして面白くもないテレビ番組を見ながらそれを食している。手なんか合わせない。祈りの言葉も述べない。味わうでもなくそれを平らげる。割り箸を二つに折って、ケースの中に入れ込んで、それをビニール袋の中に放り込む。インスタント味噌汁の細かい出汁の破片がお椀にこびりついている。台所でそれを洗い流すと、部屋の電気を消し、テレビを点けたままベッドに横になった。疲れた……眠る。もう起きなくていいよ、と思いながら眠る。疲れたから永遠に眠らせて欲しい。踏切が鳴った。もうすぐにでも電車がやって来る……

 

                            *

 

 どうせそろそろ死ぬのだから、まともに生きていたって仕方ないじゃないか。

 それが僕のいつもの言い訳であり、考え方の癖のようなものだった。それを格好つけて「思想」なんて言葉で呼んでいたこともあったっけ。さも自らが高尚な行為に身をやつしているような錯覚に陥ることができた。しかしながら、それは「生きること」に対して正面切って向き合えない僕の臆病さが発見した便利な逃避方法でしかない。

 死を目指して生きることは苦しみの伴うものであった。しかし、その苦しみはむしろ僕の罪を浄化するための罰なのだと思うことで、あらゆる罪から逃げ遂せる大義名分にもなっていた。手も合わせない、祈りの言葉も述べない。ただ「死にたい」と思いながら生きることこそ、僕にとっての唯一の宗教的行為である。神が背負う原罪の重みを現世にて仮想的に追体験すること。ある作家は宗教の目的は唯一「神の意識と同化すること」と言っていたと思う。僕はその言葉を何度も何度も反芻した。たいして宗教の勉強などもしたことはなかったが、その言葉を信じて僕はただ「神の痛み」を思い描き、それを希死念慮と抱き合わせることで自らの中へ落とし込んでいった。

 一昔前のサイコ映画では、特殊な宗教にどっぷりと浸かったシリアルキラーが牢屋のような部屋の中、月明かりに照らされて自らの肉体を鞭打つシーンが散見された。生憎、僕はそういった具体的な目に見えるものを求める性格ではなかったし、もちろん人を殺したことはない(本当にそうか? 僕は人を殺してはいないけれど、人の心を踏みにじりはしなかったか? あるいは、無意識のうちに間接的にとは言え遠い国の誰かを殺しはしなかっただろうか? 人は生きているだけで誰かを殺すものではなかろうか? 少なくとも僕は動植物を他人に殺させ、それを食わなくては生きていけぬ)。ただイマジナリーな世界において僕は間違いなく自らの生きる罪を償うために自分を傷つけ続けてきた。それは自己否定という名前で昨今呼ばれている行為だったろう。むしろ、自己虐待と言っても良いくらいだ。ともかく僕は自らの生を貶めることでしか安息を得なかった。

 

 僕は昔から人間と関わることが怖かった。人はそんなに怖くなかったけれど、それが集団における人間関係となると恐怖した。なぜならば僕はとんでもないクズ野郎で、集団の中に馴染むことができず、いつでも人を傷つけてしまっていた。

 序列を明確化し、その上位に自らを置く「癖」があった。そのことが今まで多くの人を傷つけてきたし、僕が人から愛されるに足る人物ではない最たる理由の一つであった(愛されない理由なんていくらだって論える)。僕がまだ少年というカテゴリーに属していた頃、僕はそういった事実を認識することができなかったし、また向き合う勇気も持てずにいた。僕はひたすらに自分の本質を隠すことに躍起になり、余計に人を傷つけるような立場に身を置こうともがいた。人を傷つけた罪を隠すためには人間関係の序列でより上位にいなければならなかった。その行為の醜悪さをその頃の僕は理解できていなかったが、今思えばそのやり口は巧妙とさえ言えるほどで、とある女子が集合写真で「いいよ。前にいきなよ」と他人を気遣うフリをして、実際のところは他人よりも小顔に見えるような立ち位置を確保していた……みたいな感じがあった。そして、僕は優越感に浸る。僕は他人よりも賢いのだ、と。

 いつの間にか僕は他人より賢くあることでしか自分の愉悦を満たすことはできなくなっていたし、同時に自分の身を守ることができなくなっていた。自分勝手に何らかの序列を作り上げ、その中で上位にいることでバリアを張り、そのことが実際には人の心や善性といったものを踏みにじっていたということも気づかぬまま、人として友好的な関係を築くことを恐れ、ただただ人間関係という制御可能な範囲でしか人と関わらなかった。なぜなら、それこそ僕が最も「上手く」できることであったから。

 青年というカテゴリーに属す頃になってようやく自分が醜悪な生き方をしていたのだと気がつくことができた。それを教えてくれたのは一人の女の子だった。彼女は特に何も語らなかったし、僕を諭そうという気もなかっただろう。しかし、その春風の切なさを宿した涙で僕の心を突き刺したし、視界の中で小さく消えていく背中は僕の足元を大きく揺らがした。僕はただただ自らが醜悪であるということを思い知らされ、気づかないフリを辞めざるを得なくなった。

 その辺りの話は込み入っているようで込み入っていないし、特段詳しく話すほどの事でもない。よくある恋愛話だ。いま冷静になって思い返してみても、それは世間的に特別感のある話ではない。彼女の話でもなければ、僕と彼女の間における話でもない。ただただ、僕一人の個人の問題であった。

 僕は自らの罪深さに気づかされ、そこからは自分で自分を呪うようになった。自分が苦しむことでその罪に贖うことができているのだと考えるようになった。僕はなぜ僕が醜悪なのかをよく考えるようになり、自分自身を憎むと同時に世界をも憎むようになった。世界……いや、世界というよりは社会と言った方が僕のイメージに近いだろう。世界は花や月や海に溢れ美しいが、社会は「人間」という醜悪な「目」に埋められて息苦しい。僕は確かにその社会の中で自らを満たし、慰め、守ることに終始していたが、それは半分が自分由来の目的意識であり、もう半分は「社会」から強制されているのだと思った。「僕」と「社会」は共犯関係にあり、その両者は本来無垢であったはずの自分に対して「醜い行為」を強要し続けてきた。だから、僕は自らの愚かさを呪うと同時に、社会の狡猾さを憎んだ。自分や社会の価値を糾弾し、いずれの存在も醜悪でありそこには一片の正しさもないのだと思うようになった。十字架を二つ用意して、そこに「僕」と「社会」を磔にし、火を放った。火には浄化作用があるのだと、とある小説で読んだ。

 

 そんなわけで「死にたい」ということが僕の生きる指針になっていった。

 自らと社会を憎むことは、それまでの醜い自分との決別を果たし、彼女の涙に贖うことなのだと思った。いや、彼女だけではない。僕がそれまで踏みにじって来たいくつもの物事に対して。醜悪であるという僕の罪に対して、僕は「死にたい」と自らを、そして「殺してやる」と社会を鞭打つことで罰を与え続けた。

 そういった罰があることで僕は自分がまだ存在して良い隙間があるのだと思えた。小汚い自分はもはや消えるべきものであることは間違いないが、そう簡単に箒の先が届かない壁と箪笥の隙間ならば存在が許されるだろうと思った。いずれ消えなければいけないことはわかっていたが、その時が来るまでは影の中で卑しく生きていくしかない。死ぬまでは生きていかなければならないのだから、仕方がない。僕としても早く死んでしまいたいということは話して来た通りだ。しかし、実際には死ぬことはなかなか難しく、そして仮にも生命体である僕からしたらやはり「死」というのは具体的な恐ろしさを持つものであった。

 死ぬまでは「死にたい」と願い続ける。

 そんな生活はもはや何の意味も持ちはしない。

 楽しいこと、素敵なこと。世界は根源的に美しいものだから、それらが存在することは確かだ。しかし、そういった事実とは関係なく、自分というものの醜さも確実に存在しており、それらはこの世界から消されなければならない。何があろうとそこだけは揺るぎない。だから、僕は「死んだように生きること」を僕の生き方とするようになっていった。

 

                         *

 

 テーゼ:醜いから死ななくてはならない。

 アンチ・テーゼ:僕はそれでも生きている。

 アウフヘーベン:今の生は死への移行中のものである。また、その移行中において、僕は「死んだように生きる」ことが求められるであろう。つまり、僕は「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」のだ。

 

                         *

 

 空が青かった。アスファルトがオレンジに燃えていた。僕は電車に乗って、たいした意味も無く神社を目指していた。

 人影はまばらで、仲見世通りのシャッターはほとんどが閉められていた。境内の出店には人も無く、「焼きそば」やら「甘栗」と書かれた暖簾が緩やかな風に靡いていた。イヤホンを外す。静かだった。

 五円玉を二枚放り込み、悪縁を断ち切り、良縁が結ばれることを願った。

 僕は違和感を覚える。そして、過去を振り返り苦笑いを浮かべる。数か月前の僕であれば、そんなことを願うはずもなかった。僕はただひたすらに死を望み、その時が来るまではささやかな平穏があることだけを願った。そもそも神なんてものを信じてもいなかったし、手を合わせるという行為は自らの内に向けられるべきものであり、宗教なんてものは自己規範にしか過ぎないと考えていた。宗教自体を否定するつもりはないし、それらから学べることは非常に多いと理解しながらも、それでもやはりそれらは思想体系の一つでしかないと考えていた。もしも僕が何らかの宗教に属しているのであれば、それは現代科学ということになる。昔ながらの姿をした神は、現代にはあまりに不釣り合いに見えたし、賞賛すべきところが未だ多く残っているものの、やはり矛盾やら何やらといったものを内包していると思えた。所謂「宗教」なるものはフィクショナルな文脈でしかもはや機能しておらず、現代においてそれは文学の領域にあると考えていた。そして、僕は文学を愛しながらも、そうではない現実社会の在り様を認めざるを得ない。

 

 首を括ってみてわかったことがある。

 それはここが「行き止まり」であるということだった。

 もし歩く向きを変えないのであれば、僕はまたその行き止まりに向けて突き進んでいくことになる。この間は高い柵を乗り越えることができなかったが、いずれ僕は登り方を覚え、柵を乗り越え、崖から死の淵へと身を投げることに成功するだろう。

 そういう意味では「死」というものは一つの不可逆な到達点であることには間違いない。むしろ、生きている限りは可逆性の世界の中に閉じ込められていると言っても良いかもしれない。確かに時間の流れは不可逆だし、エントロピーの増大する方向も定められている。しかしながら、「変化し得る」という可能性は生きている限り拭えないし、すなわちその可能性を保有し続けることこそが「生きている」ということになるのだろう。つまり、生きることは可逆性の中にあるということなのかもしれない。

 対して、「死」というのは時間性からも隔絶され、そこからはもはやどこにも行くことができない、完全なる不可逆性の中にあるものごとだ。「変化し得ない」というのが「死んでいる」ということになるのだろう。私たちは死んだ瞬間に固定された「死」という概念に統合されてそこから永久に逃れることはできなくなる。

 すると、僕の「いずれ死ぬために、それまでの時間をほぼ死と同化しながら過ごす」という生き方は、「いかに不可逆的に生きるか」ということに集約されると思う。より分かりやすく言えば、死までの道のりを不可逆的に歩むことに他ならない。生きている以上は本当はまだ道を変えることはできるはずだ。しかし、そういった可能性に目を瞑り、死に向かって、たとえそれがふらふらとした足取りであっても歩き続けることが、僕の描く理想的な道筋だったのだ。

 そのようにして、僕は僕の掲げた「生き方」を全うすることでようやく首を吊るところまで辿り着けた。林を抜け、小川を渡り、森を抜け、そのようにしてようやくその崖まで辿り着いた。しかし、その崖への最後の障壁として高い柵があった。海風で錆びて、赤茶けた網目状のフェンスだった。その頂上はこちらに向けて鋭角に張り出している。乗り越えるのは至難の業に思えた。しかし、今さらここを引き返すわけにもいかないだろう。僕はここまで来るのをずっと待ちわびていたのだ。何度も扉をノックし、ノブを回し、時には蹴破ろうとしたがビクともせず、しかし辛抱強く待ち続けてその扉がようやく開いたのだ。扉から飛び出してみると、小さなログハウスの周りを林が取り囲んでいた。僕はそこから海の匂いを嗅ぎ分け、害虫や鋭利な木枝をいなし、ようやくここまでやって来たのだった。

 そして、その柵を登ろうと頑張った。首を括ってみたのだ。

 しかし、上手くいかなかった。夢は一度ついえた。いいさ。もっと練習していつかはこの柵も登り切ってやろう。

 だが、これ以上ここで柵を登る努力を続けることにいったい何の意味があるだろう。それが僕の「生き方」なのだと言えばそれまでかもしれない。でも、登った先に何があるのかはもうだいたいわかったと思う。そう、ただ死ぬだけだ。死の景色はもうかなりリアルに、ほとんどが見えてしまっている。

 僕は確かにずっと死のうとしてきたけれど、そこにはある種の死に対する憧憬のようなものがあった。狭いログハウスから抜け出して、林や森を抜け、小川を渡り、新しい景色を見てみたかった。それが原動力の一つになっていた節もある。しかし、もう死というものがどういったものか何となくわかってしまった。今更、それを実行に移してやり遂げることにどれほどの意味があるだろうか。

 そう、ここから見える景色はもはや不可逆な到達点なのだ。

 今ならまだ可逆的な世界に戻ることもできる。僕は本当にすべてを投げうってまで、その不可逆的世界へと行ってしまいたいのだろうか。長年の憧れではあるけれど、それが達成されれば、もはや戻ることはできない。それで本当に良いのだろうか。

 立ち止まって考えてみた。

 座り込んで考えてみた。

 手元の石を拾い上げ、フェンスに向かって投げてみる。それはフェンスをすり抜けて、勢いそのままに崖から海へと落ちていった。

 

 僕は本当に醜いのだろうか。罪はまだ許されないのだろうか。罰を与え続ける必要はあるのだろうか。

 もういいのではないか。死というものがどんなものなのか。それが何となくわかってしまうくらいには、僕は自分を痛めつけ、罰し続けてきたではないか。これ以上、自分で自分を苦しめることにいったい何の意味があるだろうか。もうこの先に観たい景色などない。罰し続けなければならない理由というのも、もはや実感できなくなりつつあるのではないか。そうだ、もういいんだよ。もう疲れ果てしまったんだ。

 生きるのは苦し過ぎる。そこからの逃避もまた僕が死を目指す理由の一つになっていた。しかしながら、苦しく生きることを強いてきたのは僕自身だ。誰からもそれを強制されたわけじゃないんだ。自分が「やめる」と決めれば、それで済む話だ。もし、自分で自分を罰しなくて良い生き方ができるのであれば、もう少しくらいは生きるのが楽になるのではないか。

 罰する理由もない。罰しなくて良いなら、もう少し楽に生きていける。

 死に対する憧憬もほとんど消えた。

 ならば、僕はもう、生きていて良いのではないだろうか。

 

 そう考えると少しだけ息をしやすくなった。

 もう自分で自分を罰する必要はないのだ。

 これで生きていけると思った。

 

 しかし、物事はそう簡単ではない。

 そう心に決めたからと言って、僕の本質が変わったわけではない。

 僕は相も変わらず、社会の言いなりであり、僕は言いなりのままの自分を受け入れるために「罰」という言い訳を使って来た。

 社会が求めるように振舞い、序列の中で自らを慰めるという悪しき習性はほとんど変わっていなかった。

 僕が心に決めたことはただ「自らを罰することをやめる」ということであり、僕が根本的に別人に変わったわけではないのだ。

 社会の言いなりになり、自分を罰するというのはある意味では楽をしていたのだと思う。つまり、僕は自分を罰している限りは社会に対して抗う必要も無く、面倒ごとは避けて通れる。それが僕にとって、「死」に向かうメリットになっていた。「死」に向かっているうちは社会の言いなりでいて良かったのだ。

 しかしながら、僕はここで自らを罰することをやめた。死に向かうことをやめた。すると、必然的に僕は社会と向き合い、そこで醜くない自分を作り上げていかなくてはならない。とても骨の折れる作業だ。そんな大変な大事業を僕のようなもやしっ子が一体全体できるものなのだろうか。考えるまでも無く不安だ。しかし、もしそこに勇気を持って臨まないのであれば、僕は結局のところ不可逆的な死に向かって突き進むよりほかない。登り損ねたフェンスを何とか登り切り、崖からダイブしなければならない。まあ、それならそれでいいか、とも思う。しかしながら、僕はもう一度可逆的な世界の中で、何とか生きてみたいと思うようになった。

 もし楽になれるなら。もし好奇心が持てるなら。それなら生きてみるのも悪くないと思えるかもしれない。

 僕は自分を罰することをやめ、死に向かうことに興味を失い、生きることに僅かな好奇心を感じている。ならば、僕はやはり生きようと思う。それがたとえ面倒で疲れることであっても、やれるだけやってみようではないか。嫌になったらまたここに戻って来ればいい。道はもう覚えてしまっている。ここに帰ろうと思えば、いつだって帰って来られるのだ。

 そう心を決めて、僕はようやく重い腰を上げて、来た道を戻った。森を抜け、小川を渡り、林を抜け、またあのみすぼらしいログハウスへと。

 

 放り投げた五円玉は音を立てて、賽銭箱の底へと沈んでいった。

 僕が切りたい悪縁は不可逆的な世界であり、僕が結びたい良縁は可逆的な世界へと変わっていたのだ。

 

                                       *

 

 自らを罰することをやめる。それによってだいぶ肩の荷は下りるだろう。しかし、根本的な僕の本質が変わったわけではない。僕は相も変わらず醜く罪深き人間ではあるのだと思う。ならば、どのようにしてそれを改めれば良いだろうか。僕が目指すべき場所はどこになるのだろう。これまでは「死」に向かっていれば良かった。しかし、僕は自らを罰することをやめたのだ。新しい目的地が必要だった。

 一番最初に思い浮かぶのは「生きること」だった。

 極論、極論で申し訳ないけれど、死ぬことから目的地を変えるのであれば、変更先はやはり生きることとするのが妥当のように思えた。しかし、いったい醜く罪深い僕はどのように生きていけば良いのだろうか。いや、逆に考えてみよう。醜く罪深い僕であることをやめられるのであれば、僕にも生きていて良い理由が見つかるはずだ。罰することをやめて良いという判断は、ただ僕が自分自身を罰し続けることに限界を感じたからに過ぎない。それは理由としてはかなり消極的だ。むしろ、僕が自らを罰することをやめるのであれば、それにふさわしい人間へと生まれ変わらなければならない。しかし、いったいどのような人間になれば、自らを罰する必要のない状態へとなれるのだろうか。

 また極論を言えば、生きている限り人の抱える原罪からは逃れようがない。生きているだけで人は罰を受けるに値するはずだ。少なくともこれまでの僕の議論であれば。しかし、その前提を覆してみよう。人はどのような罪を犯していたとしてもその罪を被る必要はないと仮定する。罪に対して罰があると考えるのはただの幻想に過ぎないのかもしれない。罪と罰の間の関係性について、そこには確かな因果関係があるように見えて、実は証明不可能な命題とは言えないだろうか。何を根拠に僕たちは罪に対して罰が付随すると考えてきたのだろうか。そういった考えを僕たちに植え付けてきた存在はいったい誰なのだろうか。

 椅子に座り、天井を見上げる。無機質な部屋の明かり。背後ではスピーカーがポップなジャズを歌っている。犯人捜しは捗らない。

 そもそも犯人を捜すということは無意味な気がする。痛み始めた首を休めるためにまた椅子にきちんと座り直す。

 問題は自らを罰することの目的である。仮に罪と罰の間に因果関係がないのだとすれば、一体僕は何のために自らを罰し続けてきたのだろう。

 その答はおそらく簡単に見つかる。

 多分、僕はまともに生きていないことに対する免罪符が欲しかったのだ。

 死に向かっている僕はまともに生きる必要がなかった。社会の中でうまく馴染めない。他人に対して自分の心の内をさらけ出せない。将来の人生設計なんてクソくらえ。僕はいずれ遠からぬ未来に自分で命を絶つだろう。だから、深い人間関係を築くことなんて無意味だ。老後を見据えて生きるなんて馬鹿らしい。守りたいと思うものを手にすることはただ罪の上塗りをするだけだ。死に向かう人にとっては何物も必要とならない。全てが虚しく、悲しみを背負って消えていくだけだ。僕は僕の死を悲しまないだろうが、僕の死に巻き込まれる形でみな嫌な気分になるだろう。ならば、最初から深く関わらないのが僕なりの礼儀と言えるだろう。そもそも誰にも僕の希死なんて理解できまい。もし「死にたい」なんてことを言えば、みな蜘蛛の子を散らすように僕のもとから離れていくだろう。だから、僕は僕の本心を語ることなんてできやしない。

 僕は誰にも深く関わるまい、と思っている。そして、周りの人たちはみな僕の「死にたい」と関わりたくなんてない、と思っている。ならば、お互いに然るべき距離を取って生きていこうではないか。僕が誰をも避け、誰もが僕を避けていた。そして、そんな僕を僕は受け入れていた。

 フィクション、あるいはあらゆる創作物が僕は好きだった。作品は悲しむことを知らないし、物によっては僕の本心とよく共鳴してくれた。僕が彼らを傷つけることはなかったから、彼らが傷ついていることを知って僕の心が痛むことはない。僕が「死にたい」と言う前に彼らの方から「死にたいよね」と言ってくれる。あるいは、「死にたい」なんてことすら言わずして、僕たちは共感の中に身を置くことができた。とても刺激的でありながら、そこには新たな傷を作る余地はない。僕たちはただ互いに傷を見せ合うだけだった。いや、相手は僕の傷なんて見ちゃいない。だから、僕は気兼ねなく自らの傷を開放できた。そして僕がまじまじと傷を見つめても彼らは嫌がりもしない。痛みを伴う関係でありながら、そこには礼儀や作法があり、少なくともそれらとの交流を通して傷がさらに広がるということはなかった。

 つまるところ、僕は人間関係で傷つくのが怖かった。

 こんな風なことを言うと、とても軽く聞こえてしまうけれど、事実としてそうなのかもしれない。僕が宇宙に一人きりであれば、自分に罪があるなんて考えることも無かったし、そうなれば自らを罰することなんてなかった。でも、そんなところはこの世界に一つしか存在しない。そう、それはすなわち死後の世界だった。

 

 時系列。それはかなり難しい問題だった。

 人と関わり傷つくことが嫌だったから、僕は人間関係の中に罪を見出し、罰を作り続けた。

 自らを罰することで、罪の意識を強化し、人と関わるのが怖くなった。

 そもそも僕たちは生まれながらに罪を背負っており、人間関係を前提とした人生ではそこから逃れることができないため、自らを罰しなくてはならない。

 痛みの伴う人間関係はつまるところ僕自身への罰であり、したがって、そこには人間社会で生きていくための罪が内包されているのだ。

 どれも正しいことのように思える。

 何が原因で何が結果なんてことははっきりとしたことが言えない。それは円を成し、果ては螺旋のように繰り返される。始まりも終わりも無い。こぶた、たぬき、きつね、ねこ。いつまでも歌っていられる。

 しかし、ここで一度冷静になってみようではないか。

 罪はフィクションであり、罰は僕自身の選択であり、人間関係における痛みだけが具体性を持った現実である。であるならば、答はシンプルだ。何よりも「痛み」が先にあったと考えるのが妥当だろう。もしも「痛み」がなかったのだとしたら、僕は罪を想像し、罰を創造しただろうか。そうだ。やはり僕は何よりも先に人間関係の中で「痛み」を思い知らされ、それに恐怖し、そこから逃げるための手段として罰や罪を持ち出したのだろう。

 原初、僕は何らかの痛みを人間関係の中で感じた。その痛みを感じるのは是が非でも避けたかった。それは底の深い鍋の中に放り込まれ、長い年月をかけて形が無くなるまで煮込まれ続けた。それはいつの日か、僕には生きている価値はなくただ死を望む存在である、というテーゼとなった。死を望んでいる限りは僕は積極的に人間関係を作り上げる必要が無く、社会に対して背を向けていればよかった。ただただ死に憧れ、死を見つめているだけが僕のすべきことだった。死を見つめ続けることは自らに対する罰であり、そのように僕が死に捉われる理由となったのは、僕自身の醜さという罪だった。かなり飛躍しているようだが、それもそうだ。面倒ごとが嫌いな僕は、出発点と結論だけ用意すればそれで良いと考えている。「痛み」を感じ、それを避けるために、罪やら罰やらを持ち出した。それが簡潔に説明した場合の因果関係と言えるだろう。それ以上に言葉を尽くす必要はないように思う。ただ単にとろ火で時々鍋の底をかき混ぜるだけの単純な反復動作は描写するに堪えない。

 それでも、だいたいの部分については語らざるを得ないだろう。先に述べたように僕には過去にありきたりな恋愛で痛手を負った経験がある。僕はその経験を通して自らの罪を悟るに至ったわけだが、それは僕の自らに対する認識、あるいは社会に対する向き合い方を変容させるためのイベントに過ぎない。僕はそれ以前から醜悪であったのだし、だからこそそのありきたりな恋愛で痛手を負うに至ったわけだ。僕を人間関係から遠ざけ、醜悪な存在に至らしめたきっかけはまた別のところにあるように思う。

 僕はその存在について心当たりがないわけではない。しかし、それは確実に僕のトラウマであるが故になかなか正面切って向き合うことができずにいた。何ならその恋愛の方がまだ向き合える代物であり、それが隠れ蓑になってすらいた。僕は確かに彼女に対して誠実ではなかった。しかし、僕の不誠実さはそれ以前よりあらゆる人間に対して向けられたものであり、僕が自らを根源的に醜悪としたのもそれが理由であった。僕は僕の抱える根源的な醜悪さによって彼女を傷つけるに至ったのだ。

 そして、その責任の半分を社会に求めた。つまり、僕がこんな風に他人の目ばかり気にする醜悪な存在になってしまったのは、他人と比較することにしか、集団の中での偏差値にしか価値を見出すことのできない社会制度にあると訴えていたわけだ。確かに僕が他人からの羨望をいかに得られるかという尺度でしか物事を考えていないクソ野郎だということは認めよう。しかし、この社会全体がそうではないか。社会の中にはこれが「是」であるというような不文律があり、可能な限りそれを満たすように生きていくべきであるという抑圧があることは確かだ。道徳の授業の中に狙いや答が用意されているように、かくあるべしというレールが敷かれている。僕はそのことに気づき、できるだけそうなれるよう自分を抑制しなければならなかった。もちろん、僕はそのレールに沿うことで利益も得てきた。しかし、それは僕が本来求める利益だったろうか。その利益すら、この社会の中でしか通用しない疑似的な価値を付与された通貨でしかなく、根源的な価値を有してはいないんじゃなかろうか。そんなことを考え出し、人々を虚構の中に取り込めて搾取する社会を憎むようになり、加えてそんなものに蹂躙されていた自分自身が酷く情けなく感じられたものだ。

 だから僕はそんな社会を偽りのものとして再定義し、この世界は努めて虚無であると考えるようになった。この社会の中で言いなりになっていては、いつまでも真実の価値に辿り着くことは無いだろう。価値というのは自らが与えるものであって、社会に提示されるものでは決してない。何に価値を見出すか。それは自らの人格をきちんと持つことである。そう、ここまでは良かった。しかしながら、当時の僕は社会というものをひたすらに憎んでいたし、それの従僕であった自らをもとことん憎んでいた。だから、社会や自分の価値というものを最小化しようと躍起になっていた。そこからしかスタートをすることができなかったのだ。

 そのようにして、僕は自己虐待を始め、この社会には生きていくだけの価値は無いし、また自分自身も存在する価値は無いと決めつけた。人々の真の価値を蹂躙する社会は醜悪であり、またそれに準じてその社会の悪しき機能を向上させていた自分という存在も醜悪である。そんなものは消えて然るべきだ。では、そのように社会や自己を落としめるとして、いったいこの世の価値とは何なのだろうか。色々と考えてみたが答として適切なものには終ぞまみえることはなかった。だから、この世界の本質は虚無にあることと考えた。神と真理と虚無は、同じ本質の別名であるという風に考えたこともあったっけ。そのようにしてこの世界には、まっとうに向き合う価値などないし、いずれ死ぬその時まで、神であり真理である虚無と向き合っていればよろしい。そんな風に考え、僕は遠からず訪れるであろう自死のときを待ちながら、この社会と向き合うことを放棄していた。本気で死にたくなるまで自己虐待を続けていればそれで良い。それ以外に僕のやるべきことはないと考えるようになった。

 それはある意味では楽な生き方であったろう。自分自身で、低きに流れる行為だという自覚はあった。しかしながら、それに抗う道理もない。そもそもなぜ死を望んではならない? それはアレだ。僕が忌み嫌う道徳の授業だ。「死んではいけません」。そういう社会通念をただ押し付けているだけじゃないか。いくら考えたってこの社会に価値なんてものは無い。人々を強制するばかりでそこには不自由さと醜悪さしかない。行きつく先はただの虚無だ。だから、虚無的に死ぬまでを生きる。それで良いではないか。もうとやかく言ってくれるな。僕はもうそこから抜け出したいんだ。うるさい、うるさい、うるさい。もう、お前らの言うことになんて耳を貸すもんか。僕はもう消えたい、死にたい。放っておいてくれれば良い。ただそれだけで僕は僕の目的を達成するし、お互いに嫌い合う存在が決別するのだからWin-Winではないか。そうだろう。だから、もう本当に放っておいてくれ。僕は僕でその時まで独り楽しくしっぽりとやっているからさ。

 

 そんなところまで辿り着いてしまい、僕はついに首を吊ったわけだ。が、死ねなかった。

 僕は僕の信念に則ってこんなところまでやって来たけれど、その一歩目になったと思われる出来事は何だったろうか。足跡を辿っていくとき、僕は大抵、そのありきたりな恋愛をスタートとして据える。それくらいそのありきたりな恋愛は僕にとって記念碑的なものであった。しかし、その恋愛を経験するより以前から僕は醜かった。であるならば、僕がそんな風に醜い存在であった理由はどこにあるのだろうか。社会の言いなりであったから醜かったという理屈もよくわかるが、どうして僕は社会の言いなりであったのだろうか。

 随分と前に、その醜さの理由は僕の「悪癖」にあると考えた。

 そう、人間関係の中で序列を作り上げ、そこで上位にいることでしか自らを満たせないというあの「悪癖」だ。それは思い返せばもう幼稚園児くらいの時分からあったように思う。園内のドッジボールではいつも最後まで残っていないと気が済まなかったし、折り紙が得意という理由で他の子どもたちよりも良い折り紙を融通してもらった経験もあった。紙飛行機はいつだって一番遠くまで飛ばしたかった。ひらがなもカタカナも漢字も誰よりも書けていないと涙が溢れてきた。そういう意味では僕は生まれながらのクソ野郎であったわけだが、果たして本当にそういった「悪癖」だけで僕は醜悪な存在であったと言えるのだろうか。

 そういう傾向は確かに僕の「悪癖」であることには間違いなく、僕が社会を毛嫌いする理由にもなろう。しかしながら、僕はその「悪癖」によってどれほどの痛みを背負っただろうか。そこには僕が後々の人間関係を全て恐れ、遠ざけるほどの痛みがあったようには思えない。もちろん、後々その「悪癖」が痛みをより大きなものにしたことは間違いないが、少なくとも幼稚園児の僕はそこまで「痛み」を感じることはなかったように思う。

 僕が精神的な「痛み」を感じた最初の記憶は小学生の頃だった。

 

                         *

 

 小学生の僕も幼稚園児の僕に負けず劣らずの負けず嫌いであった。誰よりも上位に立っていないと気が済まなかった。そんな僕があるときバスケットボールを始めた。もちろん、バスケットボールでも一番でないと気が済まなかった。

 小学校の部活動のチームの中で少なくとも三本の指には入っていたと思う。僕が完全無欠の一番でないことに、最初のうちは納得できなかったが、それぞれに才能があり、僕よりも背が高い子や、シュートが上手い子、ディフェンスが上手い子などがいることは事実だった。しかし、僕以上にドリブルが上手い子はいなかったと自負していた。そして、僕はやはりそういった様々な才能の中でも、総合的に見て一番優秀であることに執着していた。

 チーム自体が強かったとは言い難い。負けることも多かったし、その度に僕は恥かしげも無く涙を流すことになった。確かにそういった敗北の経験というのは僕の心に痛みをもたらした。しかしながら、そういった部活動の中で僕の心を痛めつけたのは、まったく別の事であった。

 最初に申し上げた通り、僕はかなりの負けず嫌いであった。それ故に、他校と試合を行う度に……いや、それがたとえチーム内の練習試合であっても、僕はミスをしたチームメイトのことを酷く罵倒した。「やる気あるのか!?」、「真面目にやれよ!!」、そういった言葉を僕はチームメイトに叫びまくった。何よりも負けるのが嫌いだった僕は本気で自分が5人いれば良いのにと考えた。僕自身ミスをすることもあったけれど、それはそれとして周りの人間が自分の足を引っ張っていることに我慢がならなかった。

 全く以って横暴な人間である。

 僕は誰よりも他人に対して「かくあるべし」ということを強要し、そして、幾人もの仲間たちの心を踏みにじって来た。僕は自分勝手なエゴで他人を傷つけ、時にはその人間性すら否定した。気がつけば僕は裸の王様のような人間になっていた。

 そんな僕に対して、あるとき見かねたチームメイトの保護者が「うちの子だって真面目にやってる。そういう言い方はやめてあげてほしい」と至極真っ当な苦言を呈してきた。

 僕だって薄々感じていた。チームメイトに対して罵詈雑言を浴びせかける自分は良くないことをしているとわかっていた。しかし、誰も何も言わなかったし、僕も自分の感情を抑えることができなくなっていた。それは何らかの中毒のように、もはや自然と僕の口から零れていることだった。しかし、そのようにチームメイトの保護者に言葉をかけられて初めて、僕は「もっと自制しなければ」と思うようになった。その時の僕はもう誰からもほとんど信頼されていなかったし、煙たがられるような存在だったと思う。僕はバスケやらあるいは勉強やら何やらで他人の上に立つことはできていたけれど、その実誰とも深い交流を持てなくなっていた。僕は他人を傷つけないように気をつけ始めたけれど、その時にはもうほとんど誰も僕の味方と思えるような相手はいなくなっていた。そして、僕は何らかの序列にいることでしか、僕自身の価値を……ここに存在して良いことの正当性を見出すことができなくなっていた。

 しかし、中学や高校に進学していくと自然の成り行き通り、僕は自らが凡庸であったことを知るようになったし、そうなるとより僕は他人との関係性の中に自信を見出すことができなくなっていった。小学生時代の僕の横暴を、僕は僕なりに省みようとしたものの、そのやり方は中途半端で、僕が傷つけてきた人たちからの反撃を恐れ、他人を罵倒することは減っていった反面、無言の圧力で反撃を阻止し続けていた。つまり、何らかの序列の上で僕の方が上にいるということを示す方法でしか、僕は自分の身を守ることができなくなっていたのだった。だが、年齢が増えるにしたがって、僕は自分で自分を序列の上位に置くことが難しくなっていった。次第に僕は斜に構えた態度を取るようになり、「何となくあいつにはナメた態度を取らない方が良さそうだ」という空気を身に纏うようになっていったと思う。そして、そのように仮面を纏うことでしか、自分を人間関係の中で守ることができず、結果的に僕は誰よりも社会的な尺度で自らの正当性を他者へと見せしめ、自信の無い自分を守ることに終始していくことになった。

 僕の集団の中で上位にありたいという「悪癖」は、小学校の頃の僕自身の横暴により他者を傷つけてしまったことに起因する「痛み」によって、ある種の強迫観念的な様相を呈するようになったのだった。

 チームメイトの保護者からかけられた言葉に僕は傷つき、酷い「痛み」を覚えた。初めて僕自身の罪を「痛み」という罰によって知らしめられた瞬間だった。その出来事の中では完全に僕だけが悪者であり、そしてそんな悪者は周囲から煙たがられ、僕は自分を守るためにより「序列」に固執するようになったのであった。自分が序列の上位にいるという感覚なしでは、僕は他者と安心して絡むことができなくなっていたし、さすがに高校生くらいにもなれば、僕は自分のそういった「悪癖」にも気づき、他者のとの関係性の中に安らぎを見出すことはできなくなっていた。

 そんな僕がありきたりな恋愛をしてみたところで、そもそもの僕という人間自体がそんな感じで浅ましいのだから上手くいくはずもない。僕は人気のあった彼女と付き合っているという称号が欲しかっただけだったのかもしれない。いや、心の底では彼女のことが本当に好きであったと思う。少なくとも、他者の評価以前に彼女の人間性に対して僕はとても好感を持っていたはずだった。しかしながら、僕はプライドが傷つけられること、つまり何らかの弱みを見せたり、付け込む隙を与えたりすることが何よりも怖かった。だから、僕は彼女の事を手放しで愛することができなかったし、それ故に彼女の素朴で実直な気持ちにも正面切って向き合うことができなかった。僕はいかに僕の体裁を保つかということだけに終始していたのだから、彼女に対して無防備に心からの愛を捧げることなどできなかったのだ。

 

 僕はただひたすらに醜悪だった。

 こんな人間であったから、小学生から高校生くらいの思い出というと、虚栄心を満たしているか、それができずにイライラしているか、のどちらかという感じだ。誰かとまともに心を通い合わせられたという記憶がない。僕は常に人間関係に怯えていた。周囲をバカにしてきた僕は、もはや自分がいかにバカにされないかということしか考えられなくなっていた。そんな僕は間違いなく誰よりも大バカ者であった。

 周りの目ばかり気にして、いつも社会的尺度で定められた序列に従うことに終始していた。そして、小学生の頃に続いて、高校生にもなってまた女の子を傷つけ、そこでようやく僕は自分が醜悪極まりない生き方をしていて、そこから脱却しなければならないと思うようになったのだった。

 そこから先の事はもう何度も話して来たから今さら言うまい。

 結果的に僕は首を吊った。そして、死の風景を垣間見た。

 

「かくあるべし」を他人に強いてきた僕は、いつの間にか自分に「かくあるべし」と語り続けるようになっていた。そして、それに疲弊し、社会のせいにし、もう誰も僕に「かくあるべし」なんて言わせまいと拳を振るった。とんでもない自作自演である。

 最初はただの功名心だったはずなのだ。誰よりも遠くに紙飛行機を飛ばしたい、というある意味では純粋な欲望でしかなかった。しかしながら、それが他者に向いたとき、僕は醜悪な人間への第一歩を踏み出した。自らが一番になるために、他者をこっぴどく貶めた。そして、そういう自分の横暴さが糾弾されたときに、僕は謝るのではなく、ただ居心地の悪さから適当な距離感を取ろうとし、結果的に僕は無言の圧力で誰も反抗できないように周囲を押さえつけようとした。そして、それが習慣化し、僕は自らを守るために序列の中で上位にいることだけに終始するようになってしまった。そのことがさらに一人の女の子を酷く傷つけた。僕は他人を傷つけることでしか何かを学べないクソ野郎なのだと思うと、さらに人と関わるのが怖くなってしまった。だから、ある意味では僕は自分が傷つかないために社会的な関係性をより強く意識するようになったのだった。社会的に高い序列にいることが、僕を守るための唯一の手段であった。故に、僕は社会的な評価を得ることに固執し、そこから外れることを忌み嫌っていたのだった。

 しかし、内心ではもう自分の醜悪さに気づいている。他人と関わるときには必ず社会的な目線を持ち出そうとする。そういう自分が何よりも嫌いだった。嫌いだったけれど、そう簡単にはやめられない。

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。しかし、今さらそんな勇気を持つことはできなかった。だから僕は自らの醜悪さをただ認め、そして醜悪だからこそ罰を受けなければならないとし、ただただ死に向かっていったのだった。醜悪さを改めるのではなく、醜悪な自分に妥当と思われる罰を与える。すなわち、とことん自己という存在を否定しきって、自死に導くことでしか安寧を得ることはできなかった。そのようにすることで神に赦しを請うていたと言えなくもない。ともかく僕はこんな醜悪な自分を赦すためには、死なざるを得なかったのだ。

 

 首を吊るときに考えていたことは、「つまらない」ということだった。

 生きていたって仕方ない。そんなことはわかっている。でも、まだ何か生きる楽しみがあると思って、まだ生きていた。死ぬのが怖いから、まだ死ねない。でも、死ぬのが怖くなくなったらいつでも死んでやる。でも、結局そんなことを言いながらも生きていたのは、きっと何かが楽しかったから。死に向かうことで見えて来る何かは確かにあったし、それがちょっとした楽しみにもなっていた。

 しかし「もう死のう」と感じたときには、ただただ周りの物事が単なる「浪費」でしか思えなくなり、何事にも面白味を感じることができず、「つまらない」に支配されていた。疲弊していた。もうこれ以上自分を呪う事にも疲れてしまっていた。何に対しても面白味を感じられないくらい疲れていた。だからとにかく「つまらない」しか目に映らなかった。耳にも聞こえてこなかった。

 自分の醜悪さについて考えることも、罪深さについて考えることも、全てがつまらなかった。あるのは苦しみだけだった。だから、もうこれ以上は生きていけないと思って、僕は首を吊った。死ねばもう苦しまなくて済むと感じていた。やっと肩の荷を降ろせると思った。

 

 そして結局、僕は死に損ねた。

 これからいったいどのようにして生きていけば良いのだろう。

 

                         *

 

 答は既に喋り尽くした中にある。

 

 もしも僕がまともな人間になろうとするのであれば、やらなければいけないことは、社会的な序列を持ち出して自分を守ることをやめ、きちんと誰かと人対人の関係性を構築することだったのだろう。

 

 これだ。と、思った。

 死に損なった僕にはもう恥も外聞もない。恐れることも何もない。僕は誰かと一から、一人の存在として、社会的な尺度を抜きにして向き合うのだ。「かくあるべし」を自分自身を含めて誰にも押し付けることなく、社会と共存していく。それがこれからの僕にできる唯一のことのように思えた。もっと社会に対して心を開いていかなければならない。そう、つまり僕は社会の中で「かくあるべし」を守らなければ、社会から煙たがられたり、何らかの反撃を受けるのではないかと考えていたのだった。だから自分の身を守るために、自分の中に自分を取り締まる法を作り上げて「かくあるべし」という生き方に終始していた。そして、内心ではその「かくあるべし」というものに対して、かなり強い反抗心を感じている。そこには、「かくあるべし」を満たさなければ自分の身を守れないが、その「かくあるべし」を心底憎んでいるという矛盾があった。言わば、他の生命を奪いたくないと考えているのに、何かを食べずには生きていけない全ての人間のように。

 豚肉や牛肉はもってのほか。それらは生命体を殺して得られる食物だ。そう考えると、大根のようなものも食べてはいけないと思う。フルーツなら果実だから、一個体の生命を全て剥奪するわけじゃないから食べても良さそうに思える。でも、果実は種子であり、言うなれば次の新たな命の源である。これを食べても良いのだろうか。では、乳製品ならどうだろう。今度こそ何の命も剥奪していないように思える。しかし、チーズのような製品は醗酵しており、これはつまるところ醗酵を促す微生物を食しているということになる。では、話を戻して、何らかの植物の葉なら食べてもいいのではないか。葉ならまた生えて来るし、種子というわけでもないから、命には含まれないのではないか。しかし、細胞一つひとつは生きている。それを食すということはやっぱり小さな命を奪っているということにならないだろうか。

 結局のところ、何かを貶めずには生物というのは生きていけない。その真理に行きつくだけで、どこをどう探したって、僕たちが生きていることを肯定する理由なんて見つけることはできないだろう。原罪というものが必ずあり、それを受け入れることでしか人は生きていくことができない。にも関わらず、大勢の人間が今もこうして生きている。

 だから、僕たちはやはり「罪」という幻想から解き放たれるよりほかない。確かにそこには「罪」が存在しているのだろう。しかし、「罪」というのは想像力の話だ。「罰」という具体化装置を用いない限りはそれはイマジネーションの領域を出ることは無い。自らを律するために「罪」という考え方は重要であるが、必要以上の「罪」は自らを必要以上に痛めつけるだけで、そんなことを続けていればいずれ死ぬよりほかなくなってしまう。

 僕を散々振り回して来た「かくあるべし」というヤツも、この「罪」というものととても似ている気がする。「かくあるべし」というのはただの不文律だ。別に法律か何かのようなものではない。だいたい法律だって人間が勝手に決めたもので、国によってその在り方は違うし、社会秩序を維持するための効率的なシステムに過ぎない。そんなものに終始して、自らをそこに縛り付けるのは、結局自分を痛めつける行為でしかない。もちろん、「罪」と同じように自らを律する上では「かくあるべし」というのも効能を発揮するかもしれない。しかし、やはりこれも必要以上のものは、自己虐待になり得る。「かくあるべし」に縛り付けられた人生はただ息苦しく、「つまらない」ものにならざるを得ないだろう。

 だから、もし僕がもっと伸び々びと生きていきたいのであれば、そういたイマジナリーなものをとことん排除するしかあるまい。何をも縛り付けてはならない。

 社会的尺度を持ち出して縛り付ければ安定はするかもしれない。束縛の中に安心感を見出せるかもしれない。しかし、それは結局すべての物事を息苦しくし、「かくあるべし」という「つまらない」オートメーションの中に閉じ込めてしまう。そういった生き方はもはや僕には虚無的にしか映らない。だったらもう死んだ方がマシだ、というところまで僕はもう行きついてしまった。僕はまたログハウスの扉を開け、林を抜け、小川を渡り、さらに深い森を抜けて、あのフェンスに取り囲まれた崖へと歩いて行くことになるだろう。今度こそあのフェンスを乗り越えてしまうかもしれない。まあ、それならそれで良いが、せっかく引き返したのだ。別の景色も見てみたいではないか。

 

                         *

 

 電車を降りて、僕は人が往来する駅の前を歩いた。決して大きくはないが小奇麗な商店街が僕を迎え入れる。花屋と古着屋とハンバーガーショップを横目に歩き、商店街の切れ目を右に折れ曲がる。これまた小さな古着屋の店員が入口の窓ガラスを拭いていた。おとぎ話に出て来るようなこじんまりとしたログハウスのような店だった。僕はそこを通り過ぎ、裏通りに差し掛かる。表よりもやや静かではあったが、表通りは昔ながらの高級店などが並ぶ一方で、裏通りは若者向けの洒落たカフェやら雑貨屋が目立った。二つ目の交差点には町の地図があり、丘の上にはちょっとした観光名所にもなっている欧風の街並みがあった。港町のここら辺には昔から欧米人やそれに憧れた日本人が洒落た家々を建てており、結婚式場や教会なども並んでいた。

 僕は先週末に買ったCDをミュージックプレイヤーで聴きながら、坂を登った。

 低層の家々は現代的な感じがあったが、坂を登るにつれて次第に時代を感じる風情ある建物が増えていった。急斜面にしがみつくようにして階段が幾重にも折り重なっている。木漏れ日が心地良い。足を止めて振り返ると遠くには港が見えて、きらきらと光る水を湛えていた。斜め向うの斜面には洋風の墓地が緑の影の中にひっそりと佇んでいるのが見えた。

 しばらくはそんな風に景色を眺めながら散歩を楽しんでいた。しかし、次第に景色は遠のき、歩くことそれ自体が散歩の目的へと変わっていく。僕はこの高台を一周して、あとは海沿いにずっと街の方まで歩いて行くルートを思い描いた。二、三時間は歩き尽くせる散歩ルートになるだろう。

 小さな庭園に心惹かれて立ち寄ると、結婚式前のカップルがタキシードと白いドレス姿で写真を撮っていた。誰もが幸福そうであったが、僕は数週間前の友人の結婚式を思い出して、気分が悪くなりかけた。しかし、そんな気分の悪さを海風が吹き飛ばしてしまうと、後にはただただ静かな悲しさだけが残った。耳元ではアンニュイなコーラスワークが僕の代わりに足を踏み出し続けていた。

 死ぬことをやめて、生きてみようと思っていた。そして、生きるためには誰かと正面切って向き合う必要があるだろう。そう、自分の中の「眼」を殺すのだ。「かくあるべし」という「眼」を殺す。僕は真に自由な個人となって、人と、そして社会と向き合わなければならない。

 確かに僕たちは失敗ばかりだったかもしれない。僕は首を吊るところまで行ってしまった。それは最終的には失敗したけれど、一つの到達点には至ったと思っている。もはや「死」というものは怖くない。もちろん、いざ死のうと思ったら生きている僕の体はそれを拒絶するだろう。だから死ぬにもかなりの労力は伴うはずだ。しかし、やろうと思えば、僕はいつだってそれを実行に移すことができる。そのことがわかった。何だって二回目は楽にやれるものだ。

 実際に僕はあれから二度、首を吊っている。首を吊ったってどうにもならないことはわかっていた。おそらくは失敗してしまうであろうこともわかっていた。しかし、とことん疲弊しきった日には、僕はどうしても首を吊りたくなったし、それに抗う術も持たなかった。自分がバカなことをしているということはわかっていた。それでも、それでも。

 喉元はまだ少しだけ痛んでいる。治りかけの瘡蓋のように、普段は気にならないけれど、ふとした瞬間に気になって力を入れてみると、そこには確かに若干の違和感が残っていた。

 ふいに悲しくなって、歩きながら鼻歌を歌った。

 耳元で鳴る音楽に合わせ、メロディラインをなぞるでなく、適当に旋律を重ねた。涙が出そうになる。泣かない代わりに僕は鼻歌を歌った。

 死んでしまうことは悲しいことか。

 これまでの僕だったら、むしろ死ねるのであれば、それは願ったり叶ったりという感じであったから、きっと悲しくはならなかっただろう。しかし、僕はもう一度「死」を垣間見てしまった。死ぬということは本当に「無」だった。虚無ですらない。「無」だ。あまりにも空白過ぎて、そこにはやはり一片の悲しさがあった。悲劇的ではないにせよ、憂いがあるわけでもないにせよ、ただそこには消滅の悲しさがあるのだった。早朝の白い光に消えていく小さな星々。それらが背負う悲しみと似た悲しみがあった。鼻歌くらい歌ったって仕方ないくらいの悲しさだった。ある曲の歌詞では「口笛」を吹いていたけれど、「口笛」を吹けるほどの力も無い。泣き声の代わりの鼻歌くらいが妥当な悲しみだった。

 僕は何を恐れていたのだろう、と思う。

 物心ついたときから、僕は人間関係の中で傷つきたくなくて、社会という「眼」を自らの内に飼うようになった。そういう存在があることを僕は社会から教えられた。社会という不自由さを受け入れれば、彼らは僕に安全を保障してくれた。誰にも僕を傷つけさせない。仮に彼らから攻撃を受けても、僕に社会的優位性がある限りは、僕という存在の価値を保証してくれる。だから、何をも恐れる必要はない。もし恐れるものがあるのだとすればそれはその「眼」そのものである。ただし、その「眼」を軽んじれば僕は罪を背負い、罰を受けなければいけなくなるだろう。

 僕を守ってくれていた「眼」。僕を縛り上げていた「眼」。上手く周囲に馴染めない僕はその「眼」を使い、社会という媒介を用いることで、何とか人間関係を作り上げてきた。しかし、やはり傷つくことを恐れていたから、心を開くことはできない。僕には安心してくつろげる場所がなかった。虚栄心だけが僕にささやかな安心感を与えてくれていた。そんな醜悪な生き方しか僕にはできていなかった。

 チームメイトよ、ごめんなさい。

 チームメイトのお母さん、ごめんなさい。

 美しい十七歳の彼女よ、ごめんなさい。

 僕は罪深い僕を殺すと誓った。そして、本当に殺しかけるまで頑張ったよ。いつの間にか、僕は僕の本来の罪を忘れ、新しい意味を与えた罪と罰に塗れて生きるようになっていた。僕と社会とを繋ぎ止めていた「眼」の存在なんてもはやたいして気にしていなかった。そんなものよりも、僕はより強力な「眼」を自分の中に作り上げていた。彼はもはや一点の曇りも無く、僕を死へと導くようになっていた。

 お前は死ななくてはならない。それはもう覆しようのない事実だ。

 僕はそんな彼の言葉を受け入れ、共感し、一緒になって喜んでいた。加害者も被害者も僕自身で、そして同時に社会そのものであった。

 知ってるかい。中学生の頃、理科の授業でビーカーの中で蝋燭を燃やす実験をした経験があるだろう。空気中の酸素と蝋燭の持つ炭素を化合させ、二酸化炭素と水と熱と光を得る実験だ。これが何を意味しているかと言うとね。人の生命活動というのも、蝋燭の炎を同じということを意味しているんだ。人間は食べることで自らの中に炭素を取り込み、呼吸を通して酸素とその炭素を化合させ、体の中で蝋燭を燃やしているんだよ。だから、死んで呼吸できなくなると、人は次第に冷たくなっていく。つまり、死とは冷たいものなんだ。

 いつからだろう。僕はもう過冷却された水のようだった。水はね、ゆっくりゆっくり冷やしていくと氷点下よりも冷たくなっても凍らずに液体のままでいるんだ。これを過冷却現象と言う。液体のうちはまだ動ける。でも、この過冷却された水に衝撃を与えると一気に凍り付いて動けなくなってしまうんだ。例を挙げよう。樹氷というのは、大気中の水蒸気がゆっくり冷やされ、氷点下になったものが風で運ばれ、樹にぶつかった衝撃で一気に凝固することで生まれるものだ。だから、樹氷は風が吹きつける方向へと育っていく。一般にイメージする風の流れとは逆向きに育っていくわけだね。まあ樹氷の話はあまり関係ない。僕が言いたいのは、あくまで過冷却現象だ。僕は死に向かうことに固執し、そしていつの間にかすっかり凝固点を下回ってしまった。呼吸をしても冷た過ぎてもう炎は生まれない。あとは何かにぶつかって完全に凍り付いてしまうまで、その辺の中空を漂うだけだ。

 そんなときに会社の中であることが起きた。僕はある失態を犯し、上司に呼び出され、こっぴどく叱られた。普段から苦手と感じていた上司に色々と嫌味を言われた。そんなことこれまでも何度か経験していたから、別に特に問題はなかったはずだった。しかし、残念ながら僕はそのときもう過冷却状態にあったんだ。だから、ついつい首を吊ってしまった。本当にただそれだけのことだったんだ。会社に対しても、その上司に対しても恨みなんかは無い。僕はずっと死にたかったし、それはただのきっかけに過ぎなかった。だから、僕の周りの人間がこれを会社の問題と捉えて欲しくなかったから、そうならないように遺書を残すつもりだった。しかし、結局僕はそのとき遺書を書く気力がなかった。もしかしたら、多少は恨んでいたのかもしれない。揉めるなら揉めるがいい、みたいな気持ちが全くのゼロではなかったということは否定しない。でも、それ以上に僕はただただ遺書も書けないくらい疲弊していただけだったんだ。

 でも、もうわかったよ。

 死ぬなんてくだらないことさ。

 生きていることがくだらないと同じように、いや、もしかしたらそれ以上にくだらないことさ。死にかけてみてようやくわかった。僕は全てのリアリティな生の世界を怖れて、イマジナリーな死の世界に酔っていただけだった。

 そこでは僕以外に僕を傷つけるものはなかった。仮にリアルな世界で傷ついても、むしろそっちの方が虚構に過ぎないと思い込めるくらい僕はイマジナリーな世界の中へと逃避していた。リアルな世界には不特定無数の「眼」があって僕を監視している。そんな怖ろしい場所では生きていくことができない。だから、死に向かうだけのイマジナリーな世界の方がマシに思えたのさ。イマジナリーな世界の方がよっぽどまともだと思えたんだ。でも、イマジナリーな世界をリアルだと思い込むためには、血を流す必要があった。僕はもうとんでもないくらい僕を痛めつけたよ。辺り一面、血の海。それでやっとここが現実なんだと思えた。

 でも、結局のところ僕はどこまで行っても現実逃避をしていただけだ。そんなことはわかっていたけれど、死んでしまえばそのイマジナリーな世界は現実のものとなる。それで良いと思っていた。自死に至る行動さえ起こせてしまえば、僕のイマジナリーな世界は真実のものとなる。どちらにせよいずれは死ぬわけだから、これは非常に生産的な方法だと考えていたんだね。

 けれど、本当に死にかけてみて、イマジナリーな世界を現実のものにすることの無意味さを思い知った。それはいつでも選べる手段であり、実に簡潔な到達点でしかない。ゲームに飽きたらいつでも電源を切れるように、僕たちも人生に飽きたらいつでも電源を切れる。ブラウン管の中に残った熱は一瞬だけ悲しさを漂わせるけれど、それもあっという間に消え去る。夕食の支度ができた合図でそれは消え去る。

 だから、僕は一度、そのイマジナリーな死の世界から離れようと思う。そうすると必然的に僕は不特定無数の「眼」が巣食うリアリティな生の世界へと戻らなければならない。でも、その「眼」と言うもの自体が、僕の生み出したものに過ぎないんじゃないかと思うんだよ。その「眼」の言いなりになっている限り、僕は心を開かなくていいし、ある意味では楽をしていられる。でも、それがいかに醜悪なことかというのは、もう身を持って体験している。そこから逃れたい一心で、僕は「死」へと向かってすらいたんだ。

 そういうわけで、僕はもうその「眼」の言いなりにはならないと誓おう。

 もう傷つくことを怖れまい。自分が犯したこれまでの罪をも受け入れよう。でも、もうそれに関する罰は与える必要はない。いいんだ、もう。罪は償うべきものであって、罰で帳消しにするものじゃあない。どうやれば償えるか。本来あるはずの「痛み」を受け入れることだ。「痛み」を免れようとして、訳の分からない「罪」に翻弄されるくらいなら、もうちゃんと「痛み」を受け入れるんだ。その勇気を持つ。それが肝要だ。

 僕は自らを襲う痛みを怖れるあまり、それを有耶無耶にするために、社会の「眼」を自分の中に飼い出した。それを機能させることで人間関係を自分の本当の心の位置から遠ざけようとしたんだ。そんなことを幼い僕はやり続けた。だからだろう、僕には友達と呼べるような人が誰もいない。「かくあるべし」という世間の視線に贖っていれば、誰も僕を責めたりはしない。そのことを逆手にとってやって来た結果がこれだ。僕は一度でも本当のことを言ったことが無かった。嘘ばかりだった。全部、嘘だった。すべては学校の授業で、どう答えるべきかという正解を口にしていただけに過ぎない。そんな道徳の姿態を僕はただただ描写してきただけの人生だった。

 それにケリをつけよう。

 正解を口にするのはもうやめた。

 先生、僕はもう疲れて死にたいんです。でも、死ぬのは怖かったです。死ぬのは難しかったです。だから、生きます。嘘をつくのも疲れました。「眼」の言いなりになるのももう嫌です。僕はちゃんと僕として生きます。それ以外やるつもりはありません。それで僕を排除したいと思うならそうすればいい。これまで僕が傷つけてきた人たちよ。やっぱり僕を赦せないと思っているかもしれない。なら、ナイフを持って殺しにくればよい。それで殺されるならそれもまた一興か。いや、でも僕はきっと死なない。そんなことじゃ死なない。血だらけになっても僕はきっと生きるだろう。そして、血の温かさを知るだろう。凍り付いた心を僕の血が溶かすだろう。息をする。炎を灯す。

 

                         *

 

 電車を乗り継いで、家の最寄り駅まで。

 スーパーマーケットのビニール袋を手から提げている。

 踏切が甲高い音で鳴っている。電車が通り過ぎていく。

 部屋に戻り、誰かが殺してプラスチックのケースに並べたそれらを食す。

 

 温かい風呂に入る。湯上りにストレッチをする。額の汗を拭う。

 だらだらとテレビを見る。

 テレビを消す。部屋の灯りを消す。

 明日のために眠る。

 

 

 2021.5.31

適応障害と診断されまして… vol.65

適応障害と診断されて228日目(5月30日)の夕方にこの記事を書き始めています。今週はまた色々とありましたので、ここにきちんと記録を残しておこうと思います。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はGW明けの様子についてまとめました。薬を変えたおかげか、GWに休養できたおかげか、頭痛の症状がかなり緩和されたような気がしていました。そして、仕事もテレワークが増え、若干体調が整ってきたかなという感じもありました。しかしながら、その一方で少し気持ちが感傷的になっており、夜勤の疲れなども重なり、不安を感じることも多くなっていました。また、心理的安全性について色々と考え、両親との関係性を改善できていることが自分にとって大きいことを自覚するに至りました。

 

 

今週はそこから1週間を過ごし、結果から言うと、体調が限界を超え、再度休職することになりました。限界まで頑張ったので悔いはありませんが、悔しくはありますね。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

220日目/休み

土曜日。午前中は夜勤の疲れがあってずっと眠っていた。昼過ぎまでダラダラと過ごし、遅めの昼食のために外に出る。近所のラーメン屋に行き、帰りは少し遠回りをして初めて通る道を歩いた。天気は良くなかったが、音楽がとても心地良く、知らない道も素敵だった。家に戻ってからブログを書き始め、途中途中でダラダラしながらも、夜には書き上げて投稿できた。取り留めのない1日の中でブログを書き上げられたのは良かった。

 

221日目/休み

日曜日。朝はゆっくりと寝て過ごす。昼過ぎから友人と舞台を観に行く予定。集合時間を1時間早く間違え、少しテンパるも、おかげで買い物などできて充実した時間を過ごせた。「父と暮らせば」という舞台を観た。原爆被害にあった少女が人生と向き合う話で、ユーモアがありながらもシリアスな部分もあり、とても面白かった。舞台の後は、友人とカフェで3時間近く話した。近況報告や、最近観た映画やドラマ、読んだ本、音楽などとても充実した時間を過ごせたように思う。趣味が合う人間はそう多くないので本当に大切にしたいと改めて感じた。帰宅後、気が高ぶって少し眠るのが遅くなったが、翌日から仕事なので頑張って寝た。翌日が仕事だと考えるとかなり気持ちが萎えたが、なるべく見ないふりをした。

 

222日目/48日目

月曜日。朝から気持ちがかなり弱っており、会社を休むか悩む。シャワーを浴びながらダメかもとも思ったが、ぐちぐちと独り言を喋っているうちに少しずつ気持ちを立て直し、時間に追われるように何とか職場に向かうことができた。若干の頭痛があり、朝食時にはスルピリドに加えて、頓服薬のペロスピロンも初めて飲んでみた。午前中は頓服薬のせいもあってかややぼーっとした感じがあり、頭痛、眠気、疲労感が取れなかった。トイレ休憩の度に、「逃げ出したい」と思い、「もう限界かも」「まだやれそう」の間で揺れ動く。そのまま調子が上がらず、しかしながら黙々と働き、気がつけば3時間弱も残業をしていた。帰宅、疲労。こんな1日は楽しくもなんともないし、なんでこんな風にしてまで生きていなくちゃいけないのかわからなくなる。でも、取り乱すことなく1日を終えられたのは成長か。あまり色々と考えたくなかったので、早めに眠る。

 

223日目/49日目

火曜日。本日はテレワーク。朝はいつもより1時間遅く起きて、ゆっくり身支度。日曜日に会った友人に勧められた「式日」を観ながら、勤務開始時間までの時間を潰そうと思う。が、40分くらいで気持ちが途切れ、ずっと無視してきた「疲弊感」に捉われる。生きていても楽しくない。なんでこんな状態で無理して生きていかなきゃならないのか。もう全部から逃げ出したい。そのまま気持ちを好転させることができず、号泣。希死念慮に捉われ、またロープを出してしまう。「また懲りずにやるの?」、「もうやめんたんじゃないの?」と何とか自分を説得し、繰り返される思考を追い出そうと部屋を暗くしてベッドに潜り込む。午前中はWEB会議にだらだらと過ごすだけだったので何とか耐え、昼休憩から午後の1時間くらいはずっと眠っていた。母に調子が悪いことを伝えていたので、30分ほど電話した。何とか気持ちを持ち直し、午後は少しはまともに働けたと思う。会社や働くことに対する割り切りはだいぶできるようになってきたはずなのに、どうしても気持ちが沈み切ってしまい、パニックになる。これまで適応障害ということでストレスに対する認識を改めれば治ると思っていたが、どうもちゃんとしたうつ病っぽい症状になってきた気がする。気持ちのタガが外れて、制御できなくなる感覚だった。夕飯を買いに、外に出る。ちょっとだけ気が紛れた。夕食後は部屋を暗くし、ベッドの中で半分寝ながら「式日」を観切った。入眠ルーティンをしっかりして明日に備えようと思う。明日もこんな感じなら会社を休もう。

 

224日目/休み

水曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。スーツまで着たけれど、いまいち気持ちがついて来ず、いつもより1時間遅い出勤にしようと決める。そこから大豆田とわ子と三人の元夫を観て時間を潰す。しかし、いつまで経っても気持ちが滅入ったままで辛かったので、もう今日は休むことに決め、会社に電話を入れた。午前中はほとんど寝て過ごした。昼食後、またダラダラと過ごし、夕方前にようやく散歩に出ることにする。散歩は暑かったし、1日中寝ていたせいで頭もぼーっとしていたが、少しだけ生きていることに嬉しさを感じることができた。この感覚が失われたまま生活をしていたことに思い至る。帰宅後、早めの夕食を取り、クイーンズ・ギャンビットを観始める。スーパームーンは観られなかった。深田恭子適応障害になったらしい。無理せず、やっていこう。生きていくと決めたのだから。もう発病から2/3年近く経っているけれど、ようやくそういった心境にまで持っていくことができるようになった。色々と不安もあるし、こんなはずじゃなかったけれど、でも、偉いぞ、自分。辛い日々は多いけれど、少しずつ成長しているのだと思う。

 

225日目/50日目

木曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。また朝から泣きそうではあるが、何とかいつもより30分出勤を送らせて寮を出ることができた。寮さえ出れてしまえばなんとかなる。そう思ってもやはり辛いものは辛い。通勤中に朝の薬を飲み忘れたことに気づく。薬を持ち歩いているので、出社後に会社で服薬。出勤後、やはり気持ちが落ち着かない。頭痛と若干の手足の痺れがあり、やはり調子が良くないのだと思う。こんなことが続いたらどうなってしまうんだろう、と不安になる。考えても仕方ないけれど、やはり考えてしまう。普通にパソコンで作業をしていても辛くて涙が出そうになる。椅子から立ち上がると頭痛と眩暈が酷い。でも、今日良かったのは「このところ調子が悪いから万が一のときにはフォローをお願いします」と同僚に話せたこと。同僚は夜勤の後も残業して日勤の私よりも長く勤務しているのに、本当に申し訳ない。でも、これが今の私だし、できることは本当に限られている。その中でできることをやっていくしかない。頑張っていることを認めて欲しいわけではない。けれど、これが私の全力なので許してほしいとは思う。無理の効かない体なのです。明日どうなるかもわからない不安。でも、どうなったって逃げ道は用意されている。とりあえず生きてはいようと、今日も思うことができた。

 

226日目/休み

金曜日。この日も何とか朝から出勤を試みるがやはり感情を制御することができず涙が溢れて来る。「ここが限界か」と認識し、母と電話で相談したうえで再休職することに決める。まずは職場の上長に再休職させてほしい旨を伝え、少し電話で状況についての会話。その後、直属の上司に連絡を入れ、今日休む旨と休職になるであろうことを伝える。「気づかなくてごめんね」と言われたが、こちらとしても期待に応えられず本当に申し訳ないし、結局また再休職となってしまって悔しい。が、体が言うことを聞かないので仕方ない。悔しいけれど、とりあえず自分が頑張れるところまでは頑張ったと思う。限界まで耐えてみたはず。でも、これ以上は無理なのだ。アドラーに言わせれば、こんな風に再休職するのは私が病気を何らかの言い訳に使っているからであって、本当は沸つに働けるはずということらしい。そして、働けないのは私に何らかの勇気が足りていないから、ということになる。確かにそういう節もあるかもしれない。しかし、今の私には逃げることが必要なのだ。むしろ、恐れずに休みを取ることこそ、私が何をも言い訳にせず、自分の人生を生きるということになるのであろう。と、根拠など存在しない目的論の使い勝手の良さをわけもなく感じる。一日中寝て過ごす。「クイーンズ・ギャンビット」を観終わる。こんな自分を受け入れて、何とかそれでも前向きに生きていきたい。

 

227日目/休み

土曜日。朝から診察。主治医には会社を休む旨を伝えたが、主治医としてはGW前に既に休職の診断書を出しており、言うことが聞けないなら違う病院にしましょうか、と言われてしまった。そんな言い方するか…と少し絶望したけれど、お医者様の手も震えているし、お医者様もお医者様で大変なんだなと思うと、へらへらと笑って謝るしかできなかった。とりあえず、6月末までの診断書を貰う。その足でラーメンを食べに行き、帰宅後、職場の上長とWEB面談。おそらくは7月1日付けで配置換えとなることを聞く。それまでは休職させてもらいつつ、異動に向けての準備をしていくことで話をつけた。ああだこうだと騒ぎ立てて本当に申し訳ないけれど、今の自分にはこれが精一杯で、これでダメなら大人しく実家に帰ろうと思っているからあと少しだけ多めに見て欲しい。そこまでは言わなかったけれど、そういう気持ちでできるだけ真摯に話し合った。この日も疲れていてほとんど1日中寝て過ごした。夕方、夕食を買いにコンビニまで行き、夜には両親と電話した。病気のこと、休職のこと、祖父の体調のこと。色々と話したけれど、とりあえずはいつでも実家に帰って来て良いからと言ってくれたことが本当に嬉しかった。そこが基盤となっているからこそ、私はまだ何とかこっちで頑張ってみようという気になれるのだ。昼間寝ていたせいで眠気がやって来なかったので、アンジュルムの新曲の楽曲レビューを書いて、ブログにアップした。久しぶりの楽曲レビューをしてみて、若干のブランクと、それでも楽しさを感じることができた。日付が変わってから眠る。

 

2.カレンダーのまとめ

今週は月曜に長めの残業をして、火曜に朝から泣き崩れながらもテレワークをこなし、水曜日は涙が溢れて出勤できず、木曜は何とか出勤し、金曜日はやはりもう涙が止まらなくなってしまい出勤できず、そして再休職をすることに決めました。日曜に久しぶりに友人と会ったのが引き金になった可能性もありますが、正直その前から気持ち的にはだいぶぐらぐらしており、それを何とか押さえつけている状況ではありました。GW明け直後にはもう会社を辞めるつもりだったのが、色々あって先延ばしになり、何とか頑張っていた中で遂に糸が切れた感じです。

自分ではあまり無理をしているつもりはなく、できるだけ負荷がかからないように過ごしていたつもりだったのですが、単純に毎日仕事に行き、帰って来るという日々の中で蓄積するストレスに耐えられなくなっていました。何がそんなにストレスなのかはわかりませんが、火曜の朝の段階ではまた強い希死念慮に襲われまして、それでも「死なないように!」とテレワーク勤務中でしたが誰も見ていないことを良いことに布団を被って現実逃避していました。しかしながら、前までの私であればおそらくまた自殺企図していたでしょうから、そうなる前に現実逃避することができたのは少し成長かなとも思います。

恥かしい話ですが、6月にかなり忙しくなりそうと判明したことが、大きなストレス要因となったのかもしれません。まぁ、何とかなるだろうと自分に言い聞かせたものの、やはりもう現段階から少し忙しくなりつつあり、ストレス量も増え、それに耐えられなくなったのかもしれません。本当に自分で自分が情けないです。

火曜に感情の抑制が効かなくなり、それは水曜になってもあまり治まらず、結局水曜は会社を休みました。そこから何とか木曜日は頑張って出勤したのですが、職場で意味も無く涙が流れそうになり、また酷い頭痛や眩暈に襲われました。金曜も何とか出勤しようと思ったのですが、やはり涙が溢れてしまい、「これはもうダメだ」と職場の上長に再休職の申し出をしました。そして、とりあえずは再休職する方向で話が進んでいます。色々とやり残したことがあるので、まだ落ち着かないですが、とりあえず休めるというのが今の私には救いです。

 

3.それでも褒める

自己虐待をせずにどんな自分でも受容し、褒めてあげよう。

そんなことを病気になってから色んな所で目にし、耳にしてきました。そういう心がけは確かに大事だと思います。自己否定をしても何にもなりませんから、自己否定するくらいなら自分を褒める方が生産的でしょう。しかしながら、明らかに自分が情けないことを褒めるなんて、そんな道理は無いんじゃないかという考えももちろんありますよね。今回の私で言えば、普通の人が耐えらえるストレスに耐えられずまた再休職してしまったことは、どう考えたって私の「至らない点」であり、そこには褒める余地なんて全く以って無いように思えます。しかしながら、それでも私は私で今回のことに納得できていたりします。

適応障害と診断されてもう220日以上が経っているわけですから、私自身の自己肯定力もだいぶ高まってきたということもあるでしょう。できるだけ毎日自分の褒めるべきところを書き留めてきましたし、そういうこともあって褒める技術が向上しているのかもしれません。しかしながら、決して「良い所を見つけられるようになった」とかそういうことだけじゃないと思っています。

私は今、ストレスへの耐性がかなり弱っている状況にあります。それを自覚しているからこそ、できるだけストレスを受けないように、溜め込まないようにやれることをやってきたつもりです。例えば、仕事で無理に自分で自分を追い込まないように気をつけたり、苦手な上司との接触機会を減らしたり、何かを言われてもそれを自己否定に繋げないようトイレで休憩して気持ちをリラックスさせたり。ほかにも、疲れを溜め込まないように、お酒は飲まないようにしていますし、できるだけ規則正しい生活を心がけ、消化器官が疲れてきたと感じたらファスティングをしてみたり。入眠ルーティンを作り上げたりもしました。そんな風にやれるだけのことはやってきたつもりです。より良く生きるために、今の私にでき得ることは何でもやってきたつもりなのです。

そして、仕事や会社との付き合い方についても、「どうしてもダメなら実家に帰ろう」というところまで割り切りもできてきました。しかしながら、会社から再休職や配置換えの打診をしていただいたので、今はそれを試してみようという気持ちになっています。その中で、できれば配置換えまで勤務を継続するというのが第1目標でした。そして、それがダメなら一度休職を挟んで配置換えに臨むというところまで職場の上長とも話すことができていました。なので、ある意味では今の私の状況というのは想定内の事であり、そういう意味では「まぁ、仕方ないか」と思うに足る状況ではあるわけです。

そんな風に私なりにやれることはちゃんとやって来ましたし、できるだけ周りの人を頼って、どうにかして社会復帰することを目標に動けていたという自負があります。もちろん、決して完ぺきではないと思いますが、それでも私なりにきちんと自分の病状や置かれた環境と向き合ってきました。その中で、両親との関係性を見直したり、職場でもできるだけきちんとコミュニケーションを取ったりして、そしてその結果が今の私なのです。これ以上は私にはやりようがなかった。少し大げさではあるかもしれませんが、割と率直にそんな風に思ってたりもします。

だからこそ、私はこうしてまた再休職するに至ったわけではありますが、後悔と言うのはありません。自分を褒めるのは難しいですが、しかし、やれるだけのことはやってこの結果なのだから仕方ないじゃないかと思うことくらいはできそうです。そして、そう思えるまでちゃんと自分や周囲と向き合ったことは褒めるに値するのではないかと思っています。もちろん、多分に私は自分自身に甘いところがあったでしょう。しかし、それでも私はよくやったと思います。普通の人なら難なくできることができない私ではありますが、そんな自分を責めようとかそんなことを思わないくらいには、私は私なりに真摯であったと思います。

そういうわけで、自画自賛甚だしいと呆れてしまう部分があるものの、自己否定はしなくて良い気がします。こんな自分を受容できるくらい、私は私に対して寛容になったと思います。それはきっと良いことのはず。

 

情けないし、将来に対する不安も尽きません。いったい、こんな状態がいつまで続くのだろう。そして、こんな状態が続いた先で私は生活を構築することができるのか。甚だ疑問ですし、私よりも忙しく仕事をしている人たちには申し訳ないと思います。私はただ目の前のストレスに耐え切れず、自分勝手に逃げ出したしょうもない奴です。それは紛れもない事実でありますが、しかしながら私が私なりに誠実にやって来たのも事実だとは思うんですよね。

 

同じことの繰り返しになってしまいますが、そういうわけで、私は自分の現状をある程度受け入れてはいます。今後の事はわかりません。でも、ここまできちんとやれることをやってきて、それでダメだったのだから仕方ないと思えてもいます。そんな自分を今はちゃんと褒めてあげたいと思います。誰がなんと言おうと、こんな自分を褒めてあげられるのは自分自身しかいないわけですから。

 

4.最後に…

これから私は自分がどうなっていくのか、全く見当もつきません。異動すれば全てが解決するという訳じゃないこともわかっています。だからこそ、休職したからといって、ただダラダラと過ごすのではなく、きちんと治療に向けてやれることをやっていきたいと考えています。

昨日の夜、久しぶりに楽曲レビューの記事を書きました。少しだけ達成感。やれることからやっていきたいと思います。

 

次回

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アンジュルム「愛されルート A or B?」レビュー ~シャッフルビート×3拍子~

アンジュルムの29th single「愛されルート A or B?」のレビューをさせていただきます。

 

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久しぶりの楽曲レビューとなりました。ライブレポートや好きな楽曲選のようなことはちまちまとやっていたのですが、楽曲のレビューをちゃんとやるのは2020年7月24日のこちらもまたアンジュルムの「限りあるMoment」ぶりになります。もう1年弱も楽曲レビューをしていなかったのですね。

レビューしたい楽曲がなかったわけではないのですが、個人的に適応障害なんて病気にかかってしまい、その実況をすることに終始していたため、楽曲レビューからは遠ざかっていました。しかしながら、今回は好みドストライクの楽曲がやって来たので、久しぶりに気合を入れてやってみようと思います。気分転換でもありますね。

 

 

リズムパターン

はっきり言って、この楽曲を好きになるにはこの「シャッフルビート」×「3拍子」というリズムパターンだけで事足りますね。もう私の好み過ぎてヨダレが出まくりです。一応言葉だけでなく、わかりやすいようにいつもの底辺のエクセルスキルで視覚化しておきます。

 

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シャッフルビート×3拍子

 

まず3拍子ということで、「拍」の行に「1,2,3」と振っているように、思わず「ワン・ツ―・スリー・ワン・ツ―・スリー…」とステップを踏みたくなるような感じがありますね。3拍子はワルツなどでも用いられますが、このBPM(テンポ)の速さだとかなり攻撃的なダンスになりそうです。一気にお洒落度が跳ね上がるリズムパターンですね。3拍子についてはハロプロ御用達の作曲家であらせられます星部ショウさんのYouTubeチャンネルでも紹介されていますので、よろしければ確認してみてください。

 

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さて、この3拍子に加えてこの楽曲の「軽やかさ」や「跳ねる感じ」を演出しているのがシャッフルビートです。上の画像の「アクセント」の行を確認していただければわかると思いますが、1拍を3つに区切って、その頭とお尻にアクセントを置いているのがシャッフルビートです。これが私の大好きなリズムパターンでして、古くは日本のお祭り囃子などにも使われているリズムです。そう聞くと少し洒落た感じがなくなりますが、ある程度のBPM(テンポ)の速さがあると、これがかなりお洒落に機能し始めるのです。

サビの歌詞も書き入れていますが、歌詞と対比させるとシャッフルビートであることがよくわかりますね。ドラムのスネアやハイハットなどを聴いてもわかりやすいかもしれません。特に2番終わりの間奏のスネアは聴き取りやすいと思います。「ツッタ・ツッタ・ツッタ・ツッタ(タの部分がスネアの音になりますね)」とかなり細かく刻むことで、このシャッフルビートに乗りながら楽曲を楽しめると思います。

はっきり言って、私なんかはシャッフルビートが使われている楽曲は全部好きなんじゃないかというくらいこのビートが大好きです。ハロプロの楽曲では、Juice=Juiceの「好きって言ってよ」などにも使われており、これもまた私の大好きな楽曲であります。

 

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そんなシャッフルビートにお洒落な3拍子まで加わっているわけですから、もう言うこと無しですね。

 

楽曲構成

基本的にはイントロ⇒Aメロ⇒Bメロ⇒サビ⇒間奏…という王道の構成にはなっています。しかしながら、もう少し細かく見ていくと、面白味が感じられる構成となっています。

 

intro(8.8)

A1(8.8) ⇒ B1(8.8.2) ⇒ C1(8.8) ⇒ D1(8.6) ⇒ inter1(8.8) *inter1=intro

A2(8.8) ⇒ B2(8.8.2) ⇒ C2(8.8) ⇒ D2(8.6) ⇒inter2(8.8)

E(8.8) ⇒ F(8.8) ⇒ C3(8.8) ⇒ D3(8.6) ⇒ outro(8.8) *outro=intro

 

まず特筆すべきは赤太字で示したように、サビにあたる部分のバリエーションの豊富さですね。CメロとDメロという風にサビが2段構成になっています。これまでもいくつかこういった楽曲をレビューしてきましたが、例えばアンジュルムの「全然起き上がれないSUNDAY」やJuice=Juiceの「好きって言ってよ」なんかがそうですね。どちらも私の大好きな楽曲です。

 

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1番、2番ではわかりやすくサビの2段構成になっています。「愛されるのはどっち?」から始まるところがCメロで、「気分次第でしょうか」から始まるところがDメロです。Cメロではシャッフルビートが際立ち、かなり細かいリズムパターンでテンションをグッと上げてくれます。Dメロは3拍子にしっかりと乗る形で、少し切なく抒情的な雰囲気を纏い、しっとりと締めてくれます。この緩急が素晴らしいです。

そういう意味では、Aメロのお洒落でアンニュイな感じから、Bメロの3拍子強めのお茶目な雰囲気、Cメロ(サビ1段階目)の激しい感じから、Dメロの抒情的な感じという飽きさせない振り幅の大きい展開が全て素晴らしいです。全体を通してお洒落さが統一感を出していますが、その中ではコロコロと表情が変わっているので、1番と2番で全く同じ構成になっていながらも全く飽きが来ないように思います。

そして、やはり最後の「E ⇒ F ⇒ C3 ⇒ D3」という展開が何よりも素晴らしいです。

Eメロ(ドジばかり~)とFメロ(無礼講しちゃうくらい~)は1番、2番でサビを務めていたCメロを基盤にしたメロディラインでありながらも、音階的には低めのところで旋律を作り上げています。シャッフルビートに乗っており、リズムパターンだけで言えばCメロに近くとも、音階が少し低いわけですね。Eメロは少し静かに、楽器も高音域を控え目にしており、そこからFメロに差し掛かると一気に高音域も増えてサウンドが豪華になります。しかしながら、ここでもサビのCメロよりは少しだけ低い音階。そして、ラストのC3メロ(愛されるのどっち~)に入ると、一度またバックミュージックは控え目になります。それによって、このC3メロは若干落ちサビのような風格を持つわけです。C3メロの後半8小節はまた一気に盛り上がり、勢いそのままにD3メロへと入っていきます。

そんなわけで「E ⇒ F ⇒ C」という流れでは似たようなメロディが繰り返されながらも、実際には音階が徐々に上がっていく構成になっており、その中でバックミュージックの濃淡の移り変わりも激しく、最後のC3メロの後半8小節に向けて劇的な展開が用意されており、とても気持ち良いのです。

 

そして、青太字で示したBメロのラスト2小節「あ あ あ」の部分もまた楽曲の緩急をつける上で非常に重要な役割を果たしていますね。ここはあえて2小節付け足すことで、間合いを図るような雰囲気があり、サビのCメロに入るタイミングで大きく盛り上がる仕掛けとなっています。対して、Dメロの後半は6小節しかなく、他と比べて2小節短くなっています。Dメロのラストはロングトーンになっているため、歌が間奏に割り込んでくる形になり、楽曲の展開を滑らかにしている印象があります。それと同じように、間奏⇒Aメロ、Aメロ⇒Bメロでは歌が前に割り込んでくるような工夫がなされています。例えば最初のイントロからAメロに入るところでは、「愛想よ」までが間奏の小節に食い込んでいます。これによっても、楽曲の展開が滑らかになっている印象が付与されていますね。

そう考えると、この青太字のBメロラスト2小節の「あ あ あ」だけが楽曲の中で展開をばっつりと切り取るような効果を表しており、サビへのわかりやすい助走として機能しています。

 

こんな感じで、この楽曲は緩急と流れるような展開が優れており、ただ「サビがいいよね!」とか「雰囲気がカッコイイ!」というだけでなく、本当にイントロからアウトロまで全体を通して素晴らしい楽曲になっていると言えます。

 

作詞・作曲

作詞はハロプロではもうお馴染みの山崎あおいさんです。Juice=Juiceの「微炭酸」、「ひとそれ」、「好きって言ってよ」の3部作でさらに名を上げたように思いますが、今回も素敵な歌詞を書いておられます。

根が真面目過ぎるのか、可愛げが足りないと言われるタイプの女の子の煩悶が綴られています。頭が悪いわけじゃないから「可愛げ」が大切だということは理解しているものの、「どうやったら可愛げが出せるか」と考えてしまうが故に「可愛げ」が出せない。「Aという選択肢、Bという選択肢、いったいどっちを選んだ方が可愛げがある?」と周りが求める「可愛げ」に振り回されているわけですが、第三者的な目線から見ると、そんな風に悩んでいるのが実は可愛いような気がします。「可愛げが出せない」と悩んでいる様子が可愛いという、つい笑ってしまいたくなるような皮肉が詰まっている歌詞になっていて、私はだいぶ好きだなぁと思わされました。

キラーワードとして「ディプロマシー」という言葉が出てきますが、これは「diplomacy:外交」という意味がある一方で、第一次世界大戦前のヨーロッパの覇権争いをモデルとしたボードゲームの名称でもあるようです。サイコロなどのランダム要素が排除されているうえに、基本的には交渉や策略、裏切りのプレイヤースキルが勝敗を分けるため、「友情破壊ゲーム」と称されてもいるようです。私はプレイしたことがないため、深く語ることはできませんが、そういったガチガチのゲーム性は本楽曲の歌詞世界にも強く共鳴しているように思います。「もっと気楽に生きていきたいのに!」というような心の声が「攻略不可 ディプロマシー」という素敵な歌詞を通して、伝わってきますね。

作曲・編曲は山崎真吾さんという方で、私はお初にお目にかかりました。アニメ関連の楽曲に沢山携わっている方のようで、私がちゃんと観たことのあるアニメだと「ヒナまつり」くらいでしょうか。勉強不足で申し訳ございませんが、既に色々書いているようにこの楽曲はとても素晴らしいので、凄い作曲家・編曲家なのだなと思います。簡単ですが、こんなところですね。

 

ベース

とにかくベースがめちゃくちゃカッコイイです。ドラムもピアノもブラスも素敵ですが、何よりこの楽曲ではベースの旨みが半端ないです。誰が弾いてらっしゃるんでしょうか。アプカミでベースのレコーディング映像が配信されることを心より願っております。

 

アンジュルムメンバー・MV

今回はMVもかなり秀逸ですね。モノクロの映像から始まり、背景の無いコンクリート打ちっぱなしの広い空間が楽曲の雰囲気と相まって、とてもお洒落です。冒頭から莉佳子(佐々木莉佳子ちゃん)の激しいダンスも堪能できますし、開始5秒で「好き!」となってしまいます。

そして、ワンコーラス目からかっさー(笠原桃菜ちゃん)が魅せてくれます。甘くとろみのある声質のかっさーをワンコーラス目に持って来たことは大正解ですし、2番のラストでも非常に目立つパートをかっさーが担っているので、私的にこの楽曲は「かっさー」の楽曲だと思っています。ソロショットでは極端な接写を用いており、これもまた良い味を出しています。13歳の頃から大人っぽかったかっさーももう17歳なんですね。何というか時の流れるのは本当に早いものです。ようやくポテンシャルに実年齢が追い付いてきた感がありますね。

好きなポイントとしては、1:00あたりの竹ちゃん(竹内朱莉ちゃん)のくしゃっとした表情、2:31の莉佳子の剽軽なダンディ坂野的な動きが挙げられます。どっちもこの子にしかできない!という個性が弾けているところだと思います。あとは具体的に言葉にするのが難しいのですが、松本わかなちゃんをブランコに乗せた人は天才だと思いますね。何と言うか、超小柄で実際に年齢も13歳とめちゃくちゃ若いわかなちゃんなんですが、ブランコに乗っている姿が「無理して子供っぽさを出してる感」に溢れている気がするんですよね。この楽曲の詩世界に近い境地がこのブランコわかなちゃんからは感じられます。歳のわりにしっかりし過ぎているわかなちゃんが「はいはい。ブランコに乗ってるのが、可愛げあるんでしょう?」と内心では感じていそうで、そこにグッときます。それにしても、指が長かったり、骨格から察するに、わかなちゃんは将来的に背が高くスラっとした美しい女性になりそうですね。タワレコの嶺脇社長が好きなタイプなんじゃないかなぁと勝手に思っています。

そして、衣装がとてもカッコイイですよね。シルエットが美しく、飾りも厭味にならないくらいで非常にスタイリッシュです。最後のC3メロまではモノクロのダンス映像が使われているのでなかなか気づかないのですが、鮮烈な赤の差し色がとてもお洒落で楽曲雰囲気にばっちりハマっています。

ダンスシーンはモノクロがメインですが、私服カットでは色味のはっきりとした映像が使われており、その色使いにも非常にセンスを感じますね。どのカットもかなり好みですが、れらぴ(伊勢鈴蘭ちゃん)の紫色の壁紙にかぼちゃ色のソファ、そして私服衣装の臙脂色の配色が素敵だなぁと思いました。

そんな感じで全体を通して素敵なMVで、観れば観るほどに好きになっていきます。

 

最後に…

久しぶりの楽曲レビューでした。いつも8,000~12,000字近くなるのですが、今回は6,000字未満と比較的コンパクトにまとめられたと思います。

適応障害という病気になってもう半年以上経ちますが、徐々に文章を書くのが下手になっている気がします。というか、今までは兎にも角にも言葉が止まらない感じがあったのですが、その勢いがやや衰えた感じがあります。でも、逆にこれくらいの方が丁度良いのかもしれません。

いずれにせよ、良い文章を書いていきたいものです。

闘病中と言うほどの闘病中ではないのですが、やはり体調はずっと万全でなく、会社に行くのもしんどい状況が続いています。この記事を書いているときは1度復職してからまた再休職が決まった翌日です。体調が優れない中、ハロプロには救われてきましたが、何と言うか感性が鈍っているのか、あまり何をしていても昔ほど楽しめないような気がしています。本能的にあらゆる刺激を恐れているのか、はたまた薬のせいか。そのせいで、ちょっとだけハロプロ熱が下がっている現状がありました。

そんな中、この「愛されルートA or B?」という素敵な楽曲に出会い、また楽曲レビューを書きたいという気持ちになれただけ、今の私は少し幸福なんでしょう。もっと心の底からハロプロを愛せるように、早く病気に打ち勝ちたいと思います。

私の書いたしがない文章が誰かの心に少しでも響けば嬉しい限りです。

適応障害と診断されまして… vol.64

適応障害と診断されて220日目(5月22日)にこの記事を書いています。

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事ではGW中の私の生活について書きました。およそ2週間というかなり長めの休暇期間を経て、会社を辞める決心がついたので、そのことを記事の中心においていましたね。そして、今回は前回記事でも少し予告した通り、会社とのやり取りを経て「まだ辞めなくてもいいんじゃないか」と考えるようになったので、その内容について話したいと思います。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

205日目/休み(GW)
金曜日。午前中に両親と話し、おそらくは仕事を辞めることになろうということを話した。色々と言いたいことはあるのだろうけれど、この2週間じっくり考え、話し続け、ようやく自分の中でも踏ん切りがつけられたと思う。自分らしく生きるための代償として、今後私が切り捨てることになるであろう様々な可能性や信頼というものはおそらく安いのではないかと思う。自分らしさを獲得するために勇気を出す局面なのであろう。そう自分に言い聞かせてみる。

 

206日目/休み(GW)

土曜日。若干遅寝遅起きの習慣がついてしまい、今日も遅めの起床。起きて少し急いで支度をして診察へ。GW中に薬が効き過ぎている感じがあったので、スルピリド錠を1日3錠から2錠へ減量してもらい、ロフラゼプ酸エチルはこれにて終了。頓服薬でペロスピロンを追加してもらった。昼食は大好きなラーメン屋に。仕事を辞めて実家に帰ったらもう食べに来る機会がほとんどなくなってしまうので、心して食す。やはり素晴らしく美味しかった。帰宅後、スマホショップでスマホケースを買い、床屋へ。昼寝を挟んで、少しブログの記事を書き進める。体内時計を戻すために入眠ルーティンをして、通常時より30分遅い就寝。

 

207日目/休み(GW)

日曜日。夜中3時半に中途覚醒があり、そこから眠れなくなる。だらだらと動画を観続けてしまい、結局眠れたのは朝の6時を回ってから。10時ごろに目を覚まし、また動画を観てダラダラと過ごす。昼食を部屋で食べた後、地方勤務時代のお世話になっていた先輩に連絡を取る。会社を辞めようと考えていることを話すために、7時くらいから電話をさせてもらう約束を取り付ける。ブログの記事を少し書き進め、夕食を買いに外出。早めの夕食を済ませ、7時から1時間くらい先輩と電話。自分の考えを尊重してくれたし、先輩の身の回りの話も色々と聴けて楽しかった。先輩はバイクの免許を取るらしい。今までバイクには興味なんて持っていなかったけれど、一緒にツーリングしたいと言ってくれたので一考してみようと思う。入眠ルーティンをして眠る。明日からまた会社だ。

 

208日目/38日目

月曜日。夜中3時半にまた中途覚醒。そこから結局眠れないまま朝を迎える。やはりロフラゼプ酸エチルの断薬の影響が出ているのか。朝の時点ではやはり仕事に対する気持ちは湧いて来ず、今日のうちに退職の意向を伝えようかという気持ちになっていた。そして、久しぶりの通勤電車はやはり疲れる。午前中は少し眠気と疲労感がありながらもゆるゆると仕事をこなす。午後からは産業医と職場の上長を含めた面談があり、そこで「個人的気質」の問題がありながらもやはり職場環境との不整合が問題となっているという見解を頂き、配置換えについても前向きに検討してもらえることに。最終的な判断は主治医の意見も聞いたうえで決定となるが、配置換えの準備が整うまで勤務継続が難しければ一度休職してからの配置換えもアリというところまで提案してもらえた。退職しようと考えていたところなのでまた悩むが、1つ選択肢が生まれたのは良いことだった。この日は夜勤もあるため、6時過ぎまで働いた後、休憩。3時間近くの休憩時間のうち1時間程度しか仮眠できなかった。が、できなかったものは仕方ないと割り切って、眠れなかったことはあまり考えないようにする。

 

209日目/39日目

夜勤はもうアルバイト感覚で過ごすと決め、とにかく時間が過ぎ去ることだけ考えながら働いた。色々と歩き回り疲れる夜勤だった。朝はフレックスを使って早めに帰宅。シャワーを浴びて、朝ご飯を食べ、就寝。しかし、1時間くらいで目が覚めてしまう。そこからは「攻殻機動隊S.A.C」の動画を観ては寝てを繰り返すという1日。途中、2回目の首吊り失敗時に壊してしまった部屋の物干竿について寮長に確認してもらうなどのイベントもあった。もちろん、首吊りで壊したとは言えないので適当に誤魔化したが。結局朝の7時から夜の7時までほぼ寝たきり状態の1日で、この日記をつけている今もかなり心身共に疲弊しているが、とりあえず入眠ルーティンをしっかり行い、明日に備える。今日は中途覚醒無く、しっかり眠れるといいな。

 

210日目/40日目

水曜日。昨日は日中に昼寝をし過ぎたせいで、結局夜中1時過ぎまでダラダラとスマホをいじってしまった。2時ごろに中途覚醒が一度あったものの割とすぐに再入眠でき、そのまま朝6時半まで眠れた。テレワークなので出勤時間分ゆっくり眠れたのが良かった。が、やはり夜勤の疲弊感と眠気は拭えない。午前中はやるべきことを割とスムーズにこなせた。午後はマスト案件をダラダラとこなし、昼食を食べ過ぎたのか若干の頭痛もあったけれど、何とか1日を終えることができた。買い物にも行って、動画を観て楽しみ、少しだけブログの記事も書き進められた。明日は職場に出勤なので今日は早めに寝よう。

 

211日目/41日目

木曜日。昨晩は寝る直前に公務員試験の勉強をやってみたりしたせいで、頭が活性化してなかなか寝付けず。このままではヤバいと思い、入念なストレッチ(15分:軽く汗ばむ程度)から横になってたっぷり深呼吸(10分)、からのボディスキャン瞑想で気づけば5分くらいで寝付くことができた。結果1時間程度予定より夜更かしになったものの、入眠ルーティンを作れていると実感。朝は眠気があったものの夜勤の疲れは8割くらい取れていた。久しぶりの雨。仕事は今は基本的に軽めなのでゆるゆると働くことができた。途中眠気を感じるくらいのゆるゆる感。それでもやはり1時間程度残業をすると疲れも出て来る。苦手な上司ともいい塩梅の距離感で立ち回れた。帰宅後どっと疲れが押し寄せて動画を観ながら寝そうになる。いつもより30分遅めのお風呂。でも、明日はまたテレワークだし、朝も遅いので、ちょっとくらいの夜更かしならまぁいっか。という感じで、今日も終わっていく。

 

212日目/42日目

金曜日。早朝に騒音で目が覚めるも、遅めのテレワーク勤務開始なのでたっぷり8時間程度眠ることができた。晴れているし朝からの調子は良さそう。午前中はかなりダラダラと働く。午後は会議や社内の発表などがあるので、それなりにしっかりと勤務。テレワークならば体調は悪くならなそう。やはり対人関係でストレスを感じる部分が多いようだ。勤務終了後、インスタのストーリーで凛として時雨のTKが「当日券あり!」と言っていたことを思い出し、寮を飛び出すもよくよく調べて見たら、ライブ自体が前日のものだった。せっかく外に出たのでラーメンを食べて帰る。夜はだらだらと動画を観ながら過ごした。

 

213日目/休み

土曜日。朝から診察。会社から提示してもらった今後の方針の何パターンかについて主治医に助言を求める。が、結局それは自分の人生なのだから決めるのは自分自身だと言われてしまう。まぁ、その通りだ。結局自分で自分の人生に責任を負うのが怖いのだろう。他人のせいにできる余地がある方が楽だ。しかし、この病気を治すためには、自分でちゃんと人生と向き合う必要があるのかもしれない。周囲の目を気にし過ぎた結果、自分で自分を追い込むことになり、その何年もの蓄積がこんなところへ自分を連れてきたのだとも思う。自分の人生に責任を負う勇気を持ち、むしろその自由を楽しめるようになりたい。早めの昼食を食べて帰宅。午後から職場の上長とWEB面談。自分で決めて、異動の希望を出した。異動したからと言って事態が好転するとは限らないが、ダメになったら実家に帰ればいい。やれることはやっておく。これが自分のスタイルなのだと思うことにした。夕方頃、ふと散歩したい欲に駆られ、電車に乗ってある神社まで足を伸ばす。神社は静かで、少し物悲しさがあった。誰かが池のほとりで横笛の練習をしていた。近くにある公園では子供や老人がたくさんいて、それぞれに土曜の夕刻を楽しんでいた。自販機で買ったアイスを食べながら少し広めの公園を一周する。自分が人生に求めるものはそんなに多くない、目の前のような景色が見られるだけで充分なのに。そんな感覚を久しぶりに覚え、何だか切なくなる。散歩から帰宅して夕食にお寿司を食べた後、両親と電話。診察のこと、会社のことを伝え、状況が少しずつ変わっていくことに安心してくれたみたいだ。でも、「あまり期待しないで。いつでも実家に帰ってきて良い、というスタンスを崩さないで」と伝えた。申し訳ないけれど、そこだけが今の自分のセーフティネットなのだ。自分が心で求めているものと、自分が目指そうとしているものにまだまだギャップがあるのかもしれない。今日の夕方みたいなものを求めているとして、自分が会社に残ることで得られるもの・我慢しなければならないもの、その間には隔たりがあるように感じる。本当に自分は自分の意思で「異動」という選択肢を選んだのだろうか。何というか、まだまだ自分の中にある自分を監視する「目」の言いなりになっている気がする。夜に久しぶりに酒を飲んだ。日が変わるまで酔っ払って過ごし、遅くに眠る。

 

214日目/休み

日曜日。心が疲れていたせいか、あるいは昨日の深酒のせいか(二日酔いではないと思う)、ずっと眠たくて起き上がることができなかった。元sora tob sakanaの神﨑風花ちゃんが再開したTwitterでおすすめのアニメを募集しており、それに対するコメントで多かった「ゴジラS.P」を観ながら、寝たり起きたり。夕方までそんな低空飛行を続ける。夕食を買いに出たが、それが本日唯一の外出。ブログを更新し、その後はまたダラダラとして過ごす。夕方にシャワーを浴びたので夜はお風呂に入らなかった。入眠ルーティンもせずだらだら動画を観続けていたらいつの間にか夜中の1時を回っていた。バナナマンのラジオを聴きながら眠る。何もしない1日だった。寮の廊下を抜ける風がどこか切なくて、感傷的な気分に支配されていた。

 

215日目/43日目

月曜日。昨晩は寝るのが1時過ぎだったため、少し遅めの起床。本日もテレワークの為、気持ちはかなり軽い感じ。テレワークの開始について上司と連絡を取ったところ、「やることないならそんな朝早くから始める必要ない」と言われたので、予定より遅く開始することに。今日働かなかった分はどこかで残業しないと勤務時間が足りなくなるので、できることなら毎日規則正しく勤務したかったが、まぁ上司なりの気遣いなのだろうと思い素直に受け入れることに。会社から持って来たBluetoothのマウスの電池が切れたため、朝一でコンビニに買いに行った。それからテレワーク開始時間までは創作物を書いたりなんだりしてゆっくりと過ごす。土曜から少し感傷的な気分になっていて、ともすれば希死念慮が湧いてきそうだったけれど、買い物と文章を書くことで若干気分が好転したように思う。業務自体はまたダラダラと負荷がかからない程度に済ませた。急ぎの要件も早めに片付いたので一安心。疲れたらベッドに横になって休憩したりしながら無理なく働けたと思う。夕飯を食べた後はだらだら動画を観て過ごす。途中で眠気に襲われる。今日こそちゃんと寝るために風呂に入り、入眠ルーティンをこなす。明日は出勤なので英気を養いたい。

 

216日目/44日目

火曜日。3時50分頃に中途覚醒があるも、久しぶりにたっぷりと眠れた感がある。寝起きから若干の頭痛があり、やはり職場に行きたくない気持ちが症状として現れているのか。希死念慮まではいかずとも、何となく疲労感があり、心がなよなよしている。職場では朝方に苦手な上司から指導があったものの、「これはアドバイスに過ぎない」、「別にすぐにできるようにならなくても大丈夫」と自分に言い聞かせ、平常心を保つ。テレワークの時はフレックス勤務のコアタイムだけを勤務時間として欲しいと上司から打診があった。基本的に残業少なめにしている私の現状ではテレワークの度に勤務時間がマイナスになってしまうけれど、と意見してみたが、「そこはうまくやってマイナスにならないようにしてくれ」とのこと。ちょっと無理難題だと思ったけれど、やれるだけはやってみようと思う。おかげでこの日から出勤時にはそれなりの時間の残業をしなければならない。業務量も調整してもらっているので、無駄残業のようになってしまって申し訳ないが、上司の命令ということで納得しよう。とは言え、この日は16時間ファスティングもやれ、残業前提で動いていたから焦ることも無く自分のペースを保つことができ、多少は体調に良い時間を過ごせただろう。拘束時間が長いことにはやはり疲れはしたが。入眠ルーティンをして、ほぼ時間通りに就寝。

 

217日目/45日目

水曜日。結構たくさん夢を見た気がするが、中途覚醒もほぼ無く眠れた。いつもより若干早い起床だったけれど、この日はテレワークで勤務時間もコアタイムだけなので、朝はゆっくり。部屋を暗くしたままベッドの中で「大豆田とわ子と三人の元夫」を観てから、ゆっくりと起きる。朝ご飯をちゃんと食べ、シャワーを浴び、それでもまだ時間があったので創作物を書き進める。そして、公務員試験の勉強も少ししてみた。政治とか金融とかは苦手分野なのでとても難しい。選択問題に出て来る言葉1つひとつがよくわかっていないので、調べながらの解答になり、亀の歩み。勤務自体は特段追い込まれることも無く、やるべきことをできる範囲内で進められたので良しとする。自宅でできなかったことをリストアップして明日に仕事を持ち越す。たいした量じゃない。休憩時間にはHSP関連の動画をいくつか観た。HSPが関わってはいけない人、という動画で紹介されている人物の特徴がほぼほぼ苦手な上司のキャラだったので、「もう無理に関わろうとしない方が良いな」と思う。自分も苦手で相手も苦手、そんな絶妙な距離感が私とその上司の適切な距離感というやつなのかもしれない。お互いの為にもそれくらいの感じでいた方が良いだろうと開き直ることにする。夕方買い物に出掛け、夕食後はだらだらと動画を観たり、創作物の校正をして時間を過ごす。今日も入眠ルーティンをしっかりとやって眠ろうと思う。

 

218日目/46日目

木曜日。夜中2時頃に中途覚醒があり、そこからも浅い眠りが続く。昨晩にふと「フラニーとズーイ」に出て来るバガヴァッド・ギータ―の一節「人は仕事をする権利を持っている。しかしあくまで仕事そのものに対する権利のみである。仕事の成果を求める権利はない。成果を求める欲望が、仕事の動機であってはならない。またそこに怠惰の入り込む余地があってはならない」を思い出す。今までこの言葉の意味を理解しきれていなかったが、少しだけ腑に落ちた気がする。働く以上は成果を出すべきだという考えが先行し過ぎて自分を追い詰めていたのかもしれない。強い目的意識が自らの精神を縛り付け、息苦しくなっていた。「こうすべきだ」という考え方はすなわち「成果を求める欲望」なのだ。それを切り捨てるべきだと感じた。この日は日勤からの夜勤の日。日中はここ数日の中では1番忙しなく、良く働いたと思う。疲れた。

 

219日目/47日目

夜勤前の休憩は1時間くらい浅い仮眠ができたものの、やはりなかなかじっくりと眠ることはできずに、疲れが残った。暇な時間の多い夜勤だったけれど、その間に普段はあまり話せていなかった同僚と2人きりで話すことができた。自分が苦手な上司や先輩を同じく苦手と言ってくれたので、少し安心。やっぱりあの人たちは良くない人たちなのだと思う。無理に関わろうとするだけこっちが不幸になると思った。こういう考え方はあまり良くないであろうことはわかるけれども、背に腹は代えられない。憎しみが生まれる前に良い距離感を保つことが相手の為にもなるだろうと思う。夜勤の後はやはりとても疲れて1日中寝たり起きたりを繰り返した。ぐっすり眠ることができなかったので体はかなり辛い。結局、ベッドの中で1日過ごし、そのまま風呂にも入らず歯も磨かず、寝落ちした。

 

2.カレンダーのまとめ

GW明け2週間の内容についてまとめました。この2週間はテレワークも多かったため、体調を上手く維持しながら切り抜けられたと思います。ただ、夜勤も2回あり、その度にとても疲れました。やはり夜勤は苦手なのだと思います。

仕事自体はそんな感じで何とか乗り切りましたが、GW明けすぐに色々と自体が展開しました。

まずは産業医との面談がありました。色々と発病の経緯や、もともとの私の人格的な傾向についても話し、「異動後2週間でそこまで異常が出たのはやっぱり人格的な傾向だけとは言い切れない。その異動初日での上司の態度にトラウマ意識があるから症状がなかなか治まらないという気がする」ということで、産業医の方から職場の上長に対して異動の打診をしていただけました。それまでは上長も「異動は最終手段」という風に考えていたようですが、その最終手段を使うべきなのだと理解してくれました。私自身、あまり異動には乗り気ではなかったのですが(なんか負けたような気がしますし…)、ようやく気持ちに踏ん切りがつけられたように思います。まぁ、その時にはもう会社を辞めるつもりでいたので、「辞める前にものは試しか」と思えたのも大きかったです。

その週の最終日にはたまたま若手社員が会社の上役と面談する機会があって、そこでも「異動について検討しているから安心して良い」と言われました。それから「うちの会社は色々と悪いところも沢山あるけど、人を大切にする会社であることは間違いないから、何でも言ってくれていい」と言ってもらえました。私が会社をなかなか辞める決心ができなかったのも、そういう風土の会社であると私も感じていたからでした。

今でもまだ会社を辞めたい、辞めよう、という気持ちは残っています。しかしながら、会社がそこまで譲歩してくれるなら、まだもう少しだけ頑張ってみようという気もしています。言えるうちに我儘を言っておこうと思いました。

ただ、やはり日々辛いことは辛いです。苦手な上司といかに関わらないようにするか。いかに落ち着いた気持ちで仕事をこなすか。いかに体調を安定させるか。正直そんなことばかり考えているので、毎日が綱渡りのようでとても疲れます。はやく実家に帰って休みたいと思ってしまいます。そして、どうしても夜勤はキツイ。肉体的にかなり疲弊しますし、それによって当然の如く精神面にも不調を来します。

職場の上長は「異動は検討しているがそうすぐに決められることでもない。時間がかかるから、それまで休職が必要なら休職してもらっても大丈夫」と言ってくれています。その一方で「有休とか使いながらでも良い。せっかく今の環境にいれるのだから、今の内に勉強できることはしておいた方が後々の役に立つだろう」とも言われました。その言葉自体には納得しているものの、納得できているからこそ少し危険も感じています。今の私がどれくらい頑張れるのか。無理をすればまた命を絶とうと衝動的な行動をしてしまうかもしれません。そうならないように、いつでもブレーキを踏む準備はしておかなければなりません。

 

そんな感じで、会社を辞めようと決心したGWでしたが、その後産業医との面談や会社の上役の方との面談を通して少しだけ気持ちが変わったこの2週間でした。

まだまだどうなるか私自身わからないものの、「辞めても良い」と思えたことは、いい塩梅に力を抜いて仕事と向き合うためにもとても重要なことだったと思います。会社がある意味では下手に出てくれたことも後押ししてくれている気がします。プレッシャーを感じずに働くというのが私の最も目指すべきところです。病気という後ろ盾があることはもちろんですが、仮に病気が完治しても、自分の気持ち次第でどうとでもなるのだと思います。病気は私が変わるためのきっかけなのだと思い、変化を恐れずやれることはやっていきたいと思います。もし、気持ちを楽に生活ができるのであれば、10年近く希死念慮に悩まされてきた私にも「生きたい」という気持ちが目覚めるかもしれません。そうなりたい、と今は思っています。そのためには本当に辛くなったら逃げるという選択を取るべきということも忘れずにいたいと思います。

 

3.安全基地と心理的安全性

ベンチに座る母親と一人で遊ぶ子供との間にはまるで1本のゴム紐による結びつきがあるようだ。子供は好奇心から母親から少しずつ離れて遊びの範囲を広げていくが、ある一定距離まで行くと不安からまた母親のもとへと戻って来る。そこで情緒が安定するとまた好奇心から行動範囲を広げていく。

これがすなわち、子供にとって母親が安全基地になっているという例らしいです。私の両親はいつでも率先してそういった安全基地であろうとしてくれていました。しかしながら、私のちっぽけなプライドや「周りの眼」に対する怖れから、私はそういったものを両親に求めないようにして過ごして来たように思います。それでもたくさん甘えていたとは思いますが。しかし、甘えることと両親に安心を感じることはまた別物なのだとようやく私にもわかって来ました。

私はずっと誰にも心を開くことができずに、他人との比較の中でしか自分の人間的な価値を見出すことができずにいました。大学生くらいになってようやく私はそうやった比較に対して嫌悪感を感じるようになり、そこからはより人間を嫌いになり、比較することすらやめて、1人きりの殻の中に籠るようになりました。誰にも本心は言わず、心の中で自分と社会に対してひたすら呪詛の言葉を並べていたように思います。

ですから、私はとにかく孤独でしたし、その孤独を受け入れようともがいていました。他人との比較を嫌うのであれば孤独を受け入れるよりほかないと考えていたわけですね。そして、私はいつしか「早く死んでしまいたい。消えてしまいたい」と思うようになっていました。それがさらに心と体に染みついていき、気がつけば「死ぬこと」が生きる目標になっており、「いつか自ら命を絶つそのときまで死んだように生きよう」という指針ができあがっていました。そんな10年近くを過ごしていました。

最も小さなコミュニティである親子関係ですら私はうまく構築できずにいたのだと三十路になってようやく気づくことができました。しかも、適応障害なんていう病気にかかって初めて気づけたのです。安全基地という言葉を知って、私に足りなかったのはこれなのかもしれないと思うようになりました。広い心で受け止めようとしてくれていた両親ともまともに向き合うことができず、私は差し伸ばされた手をはたき落とし、1人で孤独の中へと沈んでいたように思います。そんな状態はとにかく「不安」だったのでしょう。「不安」でいることを私は恥じ、強がり、とにかく私を孤独に仕向けた社会と自分自身の傾向とを憎みました。「不安」を抱えたまま生きることに嫌気が刺し、いつの間にか私は死を望むようになっていました。要するに、私は「安心」を求めていたのでしょう。

「安心できる場所」を私はずっと求めていました。しかし、それは私には既に用意されていたものだったのです。一人暮らしを始めてから、実家への帰省から帰って来た後はいつも心が塞ぎ込んでいました。私はそれを認めるのが嫌で気づかないふりをしていました。でも、おそらく私は実家に帰ることで安心感を得ていたのです。そして、そこから離れることに恐怖していたのです。「安心できる場所」が実家であるなんて恥ずかしくて、受けれることができませんでした。はい、全て私のつまらないプライドです。

ですから、「不安」であることを「当たり前」のこととして受けれるようにしていきました。孤独に不安に怯えていることこそが人生であり、その孤独や不安を取り繕うために、弱い自分を隠して強がることがこの社会で生きていくということなのだと考えていました。そして、そんなハードモードを強いる社会を憎み、人生というものを呪い、できることなら早く死んでしまいたいと思っていたわけですね。

会社に勤め出し、私は誰も私の事を知らない新しい場所へとまた放り込まれました。何とか私はそこでまた外面ばかり良い自分をコミュニティの中に作り上げることに終始しました。おかげで1つ目の職場ではどうにかこうにか信頼関係を構築できたと思います。それでも私はやはり誰にも心を開くことができず、優秀で感じの良い人を装いながら、心の内では常に死ぬことを願っていました。いつまでも「安心」することができず、「この孤独は誰にも理解されまい」といつも仲良くしている人たちですら恨んでいました。そして、どんどんと私が「安心」するために頼れるのは、自らの「外面」だけになっていきました。その「外面」が機能しなくなったら…と考えると恐怖心が巻き起こりました。そんなときに私のもとへ転勤の辞令が出されたわけです。

私の職業柄いつまでも同じ土地に留まれないことはわかっていました。ですから「仕方ない」とは思いつつも、ようやく作り上げた「外面」がまたリセットされることには恐怖しました。新しい場所でもまた頑張って「外面」を作り上げなくては、と自分で自分を追い込み、いつの間にか強迫観念のようなものができあがっていたのです。そして、運悪く私が新しく配属されたところは、古い体質のパワハラまがいの教育が横行している場所でした。私の「外面」は否定され、不安は最高潮に達し、私はパニックになってしまいました。

結局、私は会社を休職することになり、実家に逃げ帰りました。

そして、何か月もかかって私はようやく自分の心を両親に打ち明けることができるようになってきました。そうしてやっとのことで私は自分には「安全基地」がなかったのだと気づくことができました。

そこからは少しずつ「実家」を私にとっての「安全基地」に変えていくことを始めたように思います。最初のうちは「もう両親しか頼れない」という気持ちでしかありませんでしたが、徐々に「自分で自分の認識を変え、両親を頼れる人たちにしていこう」という風に思うようになっていきました。そうしているうちに「安全基地」という言葉に出会ったのです。

さらに色々と調べ「心理的安全性」という言葉にも出会いました。主に「アンガーマネジメント」などで知られるこの言葉ですが、まさに私の今の職場はこの「心理的安全性」を一部の人たちが独占しているような職場でした。縄張り意識が強く、外部からやって来た私に対して最初はその排他性が強く出ており、それ故に私も「早く認められなくては」と焦ってしまったのです。もちろん根底には私自身の「安全基地がない」という問題もありましたが、そのような私自身の傾向と「心理的安全性」の不足した職場環境が相まって、私は適応障害なんてものになってしまいました。

 

今は自分自身で「両親」という入口から「安全基地」を作り上げる努力をしていこうと考えています。それと同時に会社ももう少し「心理的安全性」の高い場所へと配置換えを検討してくれています。もし少しでも私の中で「安心感」が向上するのであれば、私もまだ生きていくことができるのかもしれません。こんな歳になってから、また両親との関係を一から構築していく恥ずかしさや見っともなさも感じますが、正直これが乗り越えられなければ私はまた自死を試みるよりほかないでしょう。会社に我儘を言うことも本当に情けない限りです。でも、そこからでしか私は再出発できないのでしょう。

人生をもう一度やり直すくらいの気持ちで、しっかり前を向いて生きていこうと思っています。

 

4.最後に…

私は「フラニーとズーイ」という小説が大好きです。その中でバガヴァッド・ギータ―の一節が引用されています。

 人は仕事をする権利を持っている。しかしあくまで仕事そのものに対する権利のみである。仕事の成果を求める権利はない。成果を求める欲望が、仕事の動機であってはならない。またそこに怠惰の入り込む余地があってはならない。

 至上の主に心を定めてすべての行為をおこなわなくてはならない。成果にしがみつく心を捨てなくてはならない。成功に対しても失敗に対しても等しく平常心を失ってはならない(この部分に筆記者の一人の手で下線が引かれている)。なぜならヨーガの意味するところは、この平常心であるからだ。

 結果を案じつつ為された仕事は、そのような心配なしに、自己放棄の静けさの中でなされた仕事よりも遥に劣る。ブラフマンの知に避難場所を求めよ。結果を出すために利己的に仕事をなすものは惨めだ。

 

私はここで述べられているところの「結果を出すために利己的に仕事をなすもの」にあたるのだと最近気づきました。つまり、私は「外面」を整え、即席の安心感を得るために「結果を案じながら」でしか仕事をしてこなかったように思うのです。仕事さえ上手くできれば、私には居場所がありますし、それが私の根本的な不安を隠すための「即席の安全基地」として存在してくれていたわけです。しかし、そんな「即席の安全基地」を得るために私は常にびくびくしながら働かざるを得ませんでした。いつも自信がなく、失敗を恐れ、成功しても次に失敗することがより不安になるだけでした。正直、とても生きづらかった。そんな生き方は息苦しく、早く死んでしまいたかった。

でも、もうそういう生き方はやめようと思います。私はただ仕事を為すだけであり、そこに色々な意味を結び付けないようにしたいと思います。そうしなければ弱っている私はまたその息苦しさに負けて、死のうとしてしまうでしょう。

私にはまだ両親という安全基地が残されています。最悪はそこに逃げ込めるのです。決して無理をせず、まずは自分を大切にして、これから先は少しずつ自分が生きやすい人生を作って行きたいと思います。

 

次回

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