プロローグ
何度目かの引っ越し。いらないものは捨て、できるだけの家具を買い替える。新しい私に生まれ変わる。でも、手元には2通の手紙が残った。別々の元カレから貰った別々の別れの手紙。「このご時世に手紙なんて」と笑われる。けれど、面と向かって伝えられないことも、気軽なメッセージアプリでも伝えられないことも、手紙だったら伝えられる。たまに歩道橋の上から通りを見下ろすと、少しだけ違った景色に見えるように、手紙を通して何かが新鮮に、そして立体的に浮かび上がってくる気がする。
いま、新品の机の上に並べてみる。別々の住所。今とは違う住所。間違ってももう彼らから手紙が届くことはない。彼らの知らない住所に私の生活が移り住む。
友達に交際相手の話をすると、「いつも同じような人を好きになるよね」と言われる。そうかもしれない。2人の筆跡はとても似ていた。文体も似ているかもしれない。でも、書かれている内容はまるで違っていた。どちらも私に宛てられた手紙だけれど、そこにいるのは同じ私なのだろうか。たぶん違う。私は…私っていったい誰なんだろう。
手紙を紹介する。
1通目
君への最後の手紙だ……なんてことは言いたくなかったけれど、実際問題これが最後になるんだろうね。僕はそのことを割と悲しく思っている。いや、もし君がうっとうしく思わないんだったら、「割と」ではなく「とても」に言い換えたい。それくらい君との別れは僕にとって残念なことだ。同じくらい君が残念がってくれていたら、と思うけれど、別れ際の君の笑顔を思い出すと僕に言えることはもう何もないように思う。何と言っても、君は1mmだって悪くなくて、全部僕が悪いのだから。
僕が君以外の人を選んだことは紛れもない事実だよ。でも、それが本当に正しい選択だったのかよくわからなくなる時がたまにある。君と別れてまだ1週間と経っていないけれど、「これが正解の選択だった」と自分に言い聞かせ後で、やっぱり君のことを思い出したりしている。でも、やっぱり君との関係をやり直す余地はどこにもないように思うし、僕は僕で新しい人生を始めようとしている。君のことを考えながら、君との思い出を捨て、君のことを考えながら新しい冷蔵庫を選んだりしている(君も一緒に使ってたからわかると思うけど、あの冷蔵庫はなかなか優れものだよ。僕を忘れても大事に使ってくれ)。
君の前で新しい生活の話をすべきではないんだろう。でも、僕が君のもとから離れつつあるという事実を、僕自身がまず認識しなくちゃいけない。だから冷蔵庫の話なんてしてしまった。そして、これが君との会話の締め括りだと思って、手紙を書いている。何につけても自分の希望を口に出さない君が何気に言った言葉が忘れられない。
-村上春樹の小説に出てくるような長い手紙が欲しいかな
物覚えの悪い僕だけれど、何故かその言葉だけはずっと頭の奥にあったんだ。君とは何回か手紙のやり取りをしてみた。ただ郵便ポストに入れたものが、僕たちの家に戻って来るというのが面白い。そんな単純な喜びしか僕はわかっていなかった。もちろん君の手紙は素敵だったし、僕もできるだけ自分の気持ちを素直に手紙に忍び込ませたよ。でも、こうして君への最後の手紙を書いていて、君が手紙を欲しがった理由ってのがわかったような気がする。自分がこんな風に文章を書くなんて、僕は今まで知らなかった。確かに、手紙の上にしか現れない感情というものがあるらしい。これまでの手紙はもっと砕けた調子だったから、君はここまでの僕の文章を読んで、ちょっと驚いているかもしれない。でも、できるだけ誠実であろうとするとこんな感じになってしまうんだよ。不思議だね。
手紙に向き合うことでようやく僕は自分の心に向き合っている気がする。何で君と別れてしまったのか、を真剣に考えている気がするよ。でも、なかなかそれを言葉にするのは難しいね。言葉は心に追いつけない。君との恋は簡単に語れるようなものじゃなかった。居心地の良さにかまけていて、君という人の魅力を軽視していたのかもしれない。結果、僕は新しい刺激や新鮮な何かというのを求めてしまった。軽率にも、ね。
君の優しい笑顔が胸を締め付ける。いっそのこと「裏切り者」となじってくれれば、僕も潔く君のことを忘れられたように思う。一方で、強い君のことだ。もう僕のことなんて忘れてしまっただろう。僕ばかりがめそめそしているという気がする。でも、この手紙を書く中で、僕も決心を固めなければならないとそういう自覚が芽生え始めている。うん。君のあの別れ際の優しい笑顔を手向けと思い、僕は新しい人生を進めていくよ。
と、ちょっと休憩がてらお茶を取りに行ったときに思い出したことがあったよ。君にあげたあの失くしたピアス(ダイヤモンドでも何でもないオモチャで申し訳ない。いつかちゃんとした宝石を買ってあげたいとは思っていたんだよ)。きっとソファの裏側にあるんじゃないかな。さっき立ち上がった時に消しゴムを落としたらソファの裏側に転がっていったんだ。それでふとあのピアスのことを思い出した。これはきっと天啓に違いない。この手紙を読み終わったら、ぜひソファの裏側を探してみてほしい。約束だ。
ついでにもう1つ思い出したこと。家でご飯を食べる時、だいたい僕がお茶碗にご飯を盛っていただろう? そして僕はいつも少な目にご飯を盛って「これくらい?」って聞いていた。僕は君のことを少食だと思っていたから、「欲しければ足すから言ってね」というつもりで聞いていたんだ。そんな僕に君はいつも「うん。それでいいよ」と笑顔で答えてくれた。でも、本当はもう少し沢山食べたかったんじゃないかな。外食では普通に1人前を食べてたな、ってふとこの間思い出したんだ。何故か僕の中で外食の時の君と、家で一緒に食べる君とが結びついていなかった。いつの間にか僕の中で、君は家ではあまり食べないようにしている、って認識が出来上がっていたように思う。
これは1つの側面でしかないかもしれないけれど、一事が万事そういうことだったんじゃないかと僕は不安になる。そう、君はいつだって何かが足りないと感じていたんじゃないか。それはご飯の量もそうだし、例えば僕の君に対する愛情も。君はいつだって満ち足りているという風を装っていたけれど、本当は何も満たされていなかったんじゃないか。欠落感を抱えたまま、そんな自分を無理やり納得させていたんじゃないか。
結果だけ見れば、僕が君との関係において何か欠落感を覚え、別の人に走ってしまったということになる。でも、本当に満たされていなかったのは君なのかもしれない。もしかしたら僕がもっと君を満たしていれば、それが自分に返ってきたのかもしれない。今更になってそんなことを思うよ。
さて、村上春樹の小説に出て来る手紙ほどは長くないけれど、だいぶだらだらと意味のないことを書いてしまったので、これくらいで終わりにするよ。君のこれからの人生が素晴らしいものになることを祈っている。何も満たしてあげられなかったかもしれないけれど、それを埋め合わせるように精一杯祈ってる。じゃあ、お元気で。
2通目
初めに。君みたいにエネルギーに満ち溢れていて美しい人が、僕の彼女であったということが僕にはまだ信じられない。君との日々は常にビビッドカラーで華やいでいた。ともすれば君は自己中心的な人なのだろうと誤解されるほどしっかりと自分を持っている。でも、実際はそれだけじゃなかった。君の背後にはきちんと思慮深さというのがあった。それを象徴するのはやっぱりこの「手紙」だ。
人生で誰かから「手紙」を要求されたのは初めてだった。一見して君は手紙を書くような人には見えないからね。正直、「意外と古風なんだな」と驚いたよ。でも、いざ手紙を書いてみると楽しかった。一緒に郵便ポストまで行って、お互いへの手紙を投函したのは何とも楽しい思い出だった。自分の投函したものが自分たちの部屋に届く、ってのが何だか面白くて、それだけで僕は満足してしまった。だから、あまり「手紙」そのものを楽しんではいなかったのかもしれない。そのことをこうして君への最後の手紙を書く段になってようやく思い至った。
君と別れることになったのは本当に申し訳ないと思っている。僕は君ほど可愛くて美しくて魅力的な人を知らない。それは本当だ。それくらい君の全てが大好きだった。うん。そのことは君も知っているよね。でも、それなのに僕が別れようと決めた理由について、まだ君にちゃんと正確に伝えられていないんじゃないかな。だから最後に手紙を書くことにしたんだ。そして、手紙を書き出して感じたけれど、実は心をきちんと見つめ直して、それを相手に誠実に伝えるのに、この「手紙」という方法はかなり有効なんだね。君が「村上春樹の小説に出てくるくらい長い手紙がほしい」と言っていた理由が今になってわかったよ。
君はいつでもキラキラしていて、輝いていた。僕の前では常に魅力的であろうとしてくれていたね。いつシャッターチャンスが訪れてもいいように油断なんて1mmもしていなかった。その努力は単純に凄いと思ったし、カッコイイとも思った。もちろん彼氏として嬉しくもあったよ。でも、もっとありのままの君でいてもよかったんじゃないか、という気がしたんだ。君のことは好きだったし、君といる自分を誇らしくも思ったけれど、でもどこか気が休まらなかった。そして、何となくだけど、君は常に輝いている自分でいることが大事であり、僕のことをあまり見ていないんじゃないかなという気がしたんだ。
いや、君は僕のことを見ていてくれた。君は僕のために美しくあろうとしてくれていた。それはわかっているつもりなんだ。でも、それでも、究極的には君の視線は僕を向いていないように思えた。そして、それと同じような態度を僕にも求めているんじゃないかという気がした。僕も精一杯お洒落やら何やらに気を使ったつもりだ。でも、僕が君の求めるラインに達していないとき、君は「あなたを好きでいさせて」とでも言いたげな残念そうな視線を僕に向けるんだ。そういうのが次第に耐えられなくなっていった。
今だから言うよ。君は女性として完璧すぎるくらいに魅力的だ。でも、一緒に生活をするには、君は美し過ぎる。愛を育むには隙が無さ過ぎる。もちろん無防備になればなるほど、愛が深まるとは言わない。だらけることが愛の成熟だとは思っていない。だからこそ、君の在り方というのは間違いではないんだろう。たぶん間違っているのは僕という人間で、そして君と一緒にいると僕はずっと自分が間違っているような気持になってしまったんだ。
沢山撮った君の写真も捨ててしまった。僕の手元にはもう1枚も残っていないけれど、捨てるには勿体ないくらい良く撮れているから、USBに保存して手紙に同封したよ。君に会えない日はよく写真をスクロールして、「可愛いなぁ」とか「これが自分の彼女かぁ」なんてニヤニヤしたものだけど、別れてしまうとそれはもう虚しさしか呼び起こさない。そんな風になってしまったことが何だか悲しい。たぶん君が美しいから未練があるんだろう。別れて気持ちが楽になったはずなのに……それは置いておいても、君の美しさは1つの真実だからね。人に対して使う言葉ではないけれど、「勿体ない」とか「惜しい」と思ってしまうんだろうね。
手紙を書いているうちに、ご飯の炊ける匂いがした。それで思い出したんだけれど、君はあんなに細いのに沢山ご飯を食べていたよね。外食先では普通に1人前で満足しているようだったけれど、そう言えば家ではお茶碗にご飯を大盛りによそっていた。僕が「これくらい?」と沢山よそって、(さすがに減らすだろう)と思っていると、君は何てことなさそうに「うん。ありがとう!」って景気よく答える。だから、外では品を気にして食べないようにしているだけで、家では思う存分食べているんだって認識していったんだ。
けど、たぶんあれは無理してたんじゃないかな。本当はそんなに食べなくてもいいけど、エネルギッシュな自分でありたいみたいなことが君に沢山食べさせてたんじゃないか、って最近になって気が付いた。
これは1つの側面でしかなくて、君はいつも自分の自信の無さを埋めるように美しく着飾ったりということをしていたのかもしれない。そう考えると、君をただ愛情で安心させられなかった僕のせいだったんじゃないかという気がしてくる。もし、僕が君を愛していることをもっとしっかり伝えられていたら、君も安心して、そこまで着飾ったりしなくて済んだかもしれない。心にも余裕が生まれて、ひいてはそれが僕の居心地の良さに繋がったかもしれない。そう考えると、上では君が僕を追い込んだというような書き方をしたけれど、たぶん僕が君を追い込み、そのせいで結果的に僕まで追い込まれてしまったということになるね。うん。君には本当に申し訳ないことをした。結局、僕が全部悪かったのかもしれない。
今更反省しても遅いよね。この間、君の家に荷物を取りに行ったとき、もう僕との別れ話を友人に盛大に披露した後だと言っていたね。君のその胆力にはいつだって驚かされる。君が本当に強く美しい人間で僕はそれが嬉しいよ。ただ、もう君に必要とされていないんだなと感じて、ちょっぴり寂しくはなるけどね。でも、君が前を向いているなら、僕もいつまでもうじうじしていられない。僕は僕で前を向いて人生を進めていくよ。
村上春樹の小説に出てくるほど長くはならなかったけれど、この手紙が君のところに届いて、また君の失恋話に色を添えることを期待している。では、僕に言われるまでもないだろうけれど、これからもお元気で。
エピローグ
同じような男を好きになった、全然違う私。私を含めて誰もが私のことを知らない。それはもうどうでもいい。2人ともそれなりに長い手紙をくれて、それだけで感謝だ。ただ、ムカつくのは2人とも私の食べる量に言及している点だ。私にいちいち「これくらい?」とか聞かずに、四の五の言わずに颯と盛りたもれ。






















