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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vo.31

適応障害と診断されて43日目(11月26日)の夜、夕ご飯を食べた後にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

このところ特に何もしていないので、だいたい2日に1度くらいの更新になっていますね。まぁ、それはちゃんと療養しているということの証拠ということで、前向きに考えていこうと思います。そして毎度のことながら特に何も起きない上に、相も変わらず適応障害の話はあまりないです。

 

 

1.適応障害と診断されて41日目・続~「ザ・エレクトリカルパレーズ」視聴~

前回記事を書き終えた後、昼寝をしたせいでなかなか寝付けずに、ダラダラとTwitterを見ていました。すると、「エレパレが面白い」と藤井健太郎さんがツイートしていました。「エレパレ」が何を意味するのか知らなかったのですが、お笑い芸人のニューヨークのYouTubeチャンネルに投稿された映画のようです。

 

www.youtube.com

 

ネタバレをするとあまり楽しめない内容なので、ざっくりとだけストーリーを説明します。

まず、吉本興業のお笑い養成所である「NSC」の東京17期生の間で結成された「ザ・エレクトリカルパレーズ(略して、エレパレ)」という集団が物語の中心軸となっています。ニューヨークのチャンネルで公開されているものの、本人たちは映像にほとんど出ることが無く、基本的にはインタビュアーみたいな立ち位置でストーリーの展開を担います。サムネイルにある通り、色々な東京NSCの17期生に「エレパレって結局なんだったん?」とニューヨークが聞いて回るだけのお話ですが、様々なインタビューを上手く切り貼りすることで、視聴者にも「エレパレって何?」と思わせながら、どこか謎解きをしていくような感覚にさせてくれます。

前提だけお話すると、当時NSCを卒業して芸歴1~2年目くらいだったニューヨークたちの界隈で、「今年のNSC生が何か『エレパレ』っていう集団を作って、グループのTシャツまで作っているらしい」という噂が広がります。基本的にその頃の若手お笑い芸人というのはギラギラとしていて、お互いを非常にライバル意識するのが当然!みたいな感覚でやって来ているので、新人が作った「集団」というものを冷笑するような雰囲気があったそうです。しかし、それから時が経ち、いつの間にか「エレパレ」という存在も風化してしまいます。ある意味ではあまり触れられてこなかった「黒歴史」みたいな感じになっていたわけですね。

もともとニューヨークというコンビは「イキっている人」、「意識高い系の人」などをイジるようなスタンスのネタが多いコンビでもあります。そんな彼らが「そろそろエレパレ掘り返したら面白いんじゃね?」的なマインド(おそらく)で色々と調べていくうちに、たぶん映画みたいなコンテンツ化ができるのではないかと思ったのでしょう。

これ以上はネタバレになってしまうので、内容については詳しく触れませんが、先輩芸人(ニューヨークたち)から見た「エレパレ」、同期の非エレパレから見た「エレパレ」、エレパレの中から見た「エレパレ」という様々な視点から、当時のその「ザ・エレクトリカルパレーズ」なるものを掘り返していくという構成がとても面白かったです。お笑い芸人の養成所という特異な環境で生み出された、数多の視点や捉え方、考え方などが交錯しているため、1つの職業ドラマみたいな楽しみ方もできるかもしれません。

でも、多くの職業ドラマがそうであるように、登場人物はみな同じ人間であり、そして内容はフィクションではなく、ドキュメンタリーです。ですから、私たちのような一般人にも共感できる部分は多いと思います。

0時過ぎに眠れない中、私はこの「ザ・エレクトリカルパレーズ」を視聴し始め、結局最後まで観てしまいました。眠ったのは2時半ごろでしょうか。大手を振るってオススメするようなコンテンツではないのかもしれませんが、学生生活を離れ、ちょっと社会に馴染んできた人にはぜひ観ていただきたい内容だと思いました(私は新しい社会に上手く馴染めずに、家に引きこもっているわけですが(笑))。

 

2.適応障害と診断されて42日目~神経過敏・アンチカップラーメン~

夜遅くまで「ザ・エレクトリカルパレーズ」を観ていたせいで、目が覚めたのは昼前。適応障害で休職している人間がやっていい生活とは思えませんが、まぁ、やってしまったものは仕方が無いです。というか、こういう私の不摂生のせいで本当に精神疾患で療養している方の評判が下がってしまうのではないかと思うと、非常に心が痛いです。とは言え、私も結構序盤は頑張ったんですよ! でも、それで治らなかったので、今は気ままに療養していると思っていただければと思います。と、もはやそんな愚にもつかない自己弁護をすることしか、今の私にはできません。本当に情けないですね。

この日は、というか前日から少し適応障害の「そわそわ」が出てしまい、なかなか外に出られません。私の寮では風呂やトイレが共用なので、正直トイレに行くのも結構しんどい感じです。とは言え、生理現象を抑えられるはずも無いですし、やっぱりシャワーくらいは浴びたいので、外には出るんですけど。

特にこの日1番きつかったのは、お昼ごはんです。

少しだけちゃんと適応障害の話をしますけれど、転勤してから私がこんなになってしまうまで、私は会社でよくカップラーメンを食べていました。夜勤前の夕飯もカップラーメンで済ませたりしていました。外に何かを食べに行く時間が勿体なかったり、あまり食欲がなかったので、カップラーメンで済ませていたわけです。土日も外に出たくないので、1日2食カップラーメンみたいな日もありました。でも、そのせいなのか適応障害にかかってから、あまりカップラーメンが食べられなくなってしまいました。何と言うか、カップラーメン独特の「匂い」みたいなのってあると思うんです。保存料がそれを感じさせるのか何なのかわからないんですが、とにかくカップラーメンが共通して感じさせる「何か」が私に当時のキツかったことを思い出させるんですよ。

これまで適応障害になってから何度か食事をカップラーメンで済ませたことがあるんですが、いつもお湯を注いでから3分経ち、フタを空けた瞬間にふと会社のことがフラッシュバックするんですね。別にそれでパニックになるとかそういうんではないですが、何となく嫌な気持ちになってから、カップラーメンを啜ることになるんです。そして、案の定と言うべきか、食べた後はちょっとだけ体調が悪くなるわけです。まぁ、もともとカップラーメンを食べて体調が良くなる人間なんてそういないと思いますので、最初は「そんなもんだろう」というくらいだったのですが、明らかにそれが「適応障害の症状」だと感じるようになってからは、カップラーメンを食べないようにしています。

そういうわけで、外は雨も降っているし、外に出るにはなんか「そわそわ」が辛いけど、私には外に昼飯を食べに行くという選択肢しか残されていません。寮の食堂は昼は閉まっており、また自炊するような環境もありません。あったとしても、私は自炊をしないと半分誓っているので、外食をするか弁当を買ってくるか、それか昼飯を抜くくらいの選択肢しかないわけです。でも、やっぱり外に出たくない。辛い。でも、お腹はどんどん減って来る…あぁ、どうしよう。

ようやく午後2時くらいになってきた辺りで、雨が上がり始めます。

よし、天も味方してくれたし、外に出るか…

しぶしぶ、という感じで私は寮を出て、近くの日高屋まで。松屋とも悩みましたが、いい加減松屋には行き過ぎているので、気分を変えるためにも今日は日高屋。生姜焼き定食を食べました。牛丼より少し高いけど、美味い。何というか諸々のチェーン店ってコスパが綺麗な1次関数になっている気がして、個人的に凄い面白いんですよね。地方にいる時には、個人経営のお店ばっかりだったので、「あっちの方が安いのに美味い」みたいなことが多かったので、お店自体も少ないし必然的に選択肢が絞られてくるんですが、都会はいっぱいチェーン店があって、気分に合わせて色々と変えられるのが良いです。なるべく人を意識しないように、TVerで「ゴッドタン」を観ながら歩き、生姜焼き定食を食べ、また歩いて帰ります。歩きスマホ、本当にごめんなさい。でも、まぁ、そんなに人通りのない道ですからね。許してくださいませ。

そう言えば、ちょっとSuicaにお金をチャージするために、通り道にある駅に寄りました。私がSuicaにお金をチャージしていると、隣の台では明らかに操作に困っているようなご老人が…あぁ、どうしよう。適応障害になっていなくても、私は非常に人見知りをする人間なので、こういうときにあまり声をかけてあげられないクソヤローなんです。自分のチャージが終わり、Suicaが券売機から戻ってきます。あぁ、どうしよう。15秒ほどその場に立ち尽くし、声をかけるかめちゃくちゃ悩みました。持ち前の人見知りに加えて、今日はあまり見知らぬ人と話せるような感じじゃないです。でも、自分も病気でとても困っているときに色んな人に優しくしてもらって救われてきました。なんとかこのご老人を助けてあげたい、という気持ちもあります。1歩後ずさりをした後で、「いや、ダメだ。困っている人は助けよう」と何とかご老人に声をかけます。声をかけたはいいけど、もう人見知りと病気で私の方がかなりのパニックです。何とかご老人の目的を汲み取り、操作方法を説明して、無事ご老人のPasmoにも1000円がチャージされました。あぁ、良かった。ご老人の「ありがとね」すら最後まで聞き届ける余裕も無く、私はその場を立ち去りました。

寮に戻り、カーテンを少しだけ開けて、外の光を取り込みつつ、ちょっと読書。読書に疲れると、だらだら色んな動画を観て時間を潰し、知らないうちに昼寝。夕方目を覚まし、だらだらと動画を観て、時間が来たので寮の食堂で夕飯。寮の食堂もなかなかキツいものがあります。そもそも自室を出るのがキツいですし、ましてや寮の食堂ともなれば、会社の人と顔を合わせる可能性があるわけです。私は極力自分の視野を狭め、物音を立てないようにしながら、かきこむように夕飯(チキンカツ)を食べきり、すぐに自室へと戻ります。ほっ。

どうやらこの日はどうもダメな日だったみたいです。ぶっちゃけ、こうして今(11月26日)に昨日のことを思い出して文章を書いているわけですが、本当にこの日に私が何をしていたのか思い出せません。覚えているのは、パニックを堪えながらご老人に券売機の使い方を教えてあげたことと、昼飯を食べに行く道中、「ゴッドタン」を観ながら笑いを堪えていたことぐらいです。

1日1善。

そんなことを耳にしますが、私みたいにただの「ウ〇コ生産機」みたいな人間はいったい何善したら帳尻が合うのでしょうね。少なくともご老人に声をかけたプラスポイントくらいではどうしようもないくらいのマイナスポイントを私は毎日積み上げているわけです。「いただきます」という呪文さえ唱えれば、豚や鶏を殺しても良いんでしょうか。サウジアラビアの砂漠から掘り出し、タンカーで輸送してきた石油を燃やし、タービンを回して、電線を伝ってここまでやって来た電力でもって、このエアコンを動かして暖を取っているわけですが、世界中の人が私がこうしてエアコンの暖気を享受するために一生懸命毎日おそらくは好きでもない仕事を頑張っているにも関わらず、私は1日部屋に籠って寝ているだけです。寮の隣の部屋で明日の仕事のために早く眠っている人を尻目に、私は夜中までお金もかけずにYouTubeを観ているのです。YouTubeのCMで流れて来る「アフリカの○○ちゃんは学校にも行けず…」という映像に目を背け、「広告をスキップ」ボタンを連打する「ウ〇コ生産機」。それが私です。

そんなことが許されるのか。

おぉ、神よ。我に選民思想を与えたまへ。私は特権階級の人間なのだから、1日中だらだらとクソを垂れ流していれば良いのだ。

そんな想いを抱えながら、また眠りについたのだと思います。仮に私が罪悪感に苛まれるだけの神経を持っているのだとすれば。

 

3.適応障害と診断されて43日目~散歩~

朝はしっかり(?)と7時半頃に起き、食堂が閉まる前にちゃんと食堂で朝ご飯を食べます。けれど、やはりこのところ続く「そわそわ感」がちょっと辛い。自室に戻り、電気を消し、イヤホンをして、布団に潜り込みます。

10時過ぎに目を覚まし、シャワーを浴びたり、一通りの身の回りの整理をしてからまた適当に動画を観てダラダラとしながら午前中を過ごします。さすがにこんな風に閉じこもっているとダメだなぁ、と思いながらも、外に出るにはかなり億劫です。部屋の中にいても気が滅入るだけですが、それでも外に出るだけの前向きな気持ちが湧いてきません。「そわそわ感」がやっぱり恐怖に繋がるんですよね。特定の何かが恐いというのではなくて、たただただ外に出るのが恐いんです。大学に不登校になっていたときも同じような感覚だったと思うので、やっぱりあの時も私もまた軽いうつ病だったのかもしません。何でも病名をつけて責任転嫁をするのはあまり良くないとも思いますが。

昼を過ぎた辺りで、クレジットカード会社から電話がかかってきます。

いつものように話を脱線させますが、私はあまりオートメーション的なものが好きではない昔気質の人間なので、学生時代には自分でクレジットカードというものを作ってはいませんでした。自分でいくら使っているか管理が甘くなるので嫌だったのかもしれません。でも、そういうことを言うと、「いやいくらでも通帳とかアプリで確認できるじゃん」などと言われるのですが、私はそういうのもあまり好きじゃなかったんです。年会費とかもあるし、何か個人情報の登録とかそういう手続き全般が面倒で嫌いなんです。特に学生時代はお金がありませんでしたから、振り込まれるバイト代の一部をすぐに引き出し、現金で手元に置いて生活をしていました。「いま手元にある5万円で今月を乗り切らなければならない」。そういう考え方の方がシンプルです。とにかく何かを「管理」することが嫌いなんです。家計簿を付けたりなんてこともできません。Amazonで注文するときも、多少高くても代金引換にしていたほどです。

ただ、大学入学と同時に親がクレジットカードを作ってくれました。「何かあれば使いなさい」と言われ、確かに何度かそれに頼らざるを得ないこともありました。ですが、大学入学3ヶ月後くらいにはバイトを始めたので、就職活動と研究室が忙しい時期が重なった時くらいしか実際にそのクレジットカードを使う出番はありませんでした。とは言え、学費も家賃も両親が払ってくれていましたし、留年までしているので、充分恵まれた大学生活だったように思いますが。それでも、実際にそんなにバイトに打ち込む余裕もなかったため、学生時代は結構な貧乏生活をしていました。主食は半額の弁当です。自炊は嫌いだったので。なんか、色々と矛盾していますね(笑)。

就職してからは自分の口座を作り、同じ銀行でデビットカードを作りました。が、それでもその大学入学時に両親から貰ったクレジットカードは今でもまだ財布の中にお守りみたいにして入っています。

そして、普通のクレジットカードとデビットカードの違いもわからないまま2年が経ちました。

地方で車も持たずに暮らしている私だったのですが、あるときMaison book girlのアルバムをAmazonで買ったら、なんとライブチケットが付いてきました。何日か日程の候補が選べたのですが、どうしても京都公演しか予定が合わなそうです。しかも、その公演の翌日は仕事。でも、ライブ終演後だと京都からだと終電がもうありません。夜行バスも仕事に間に合うような時間のものがない。となれば、自分で車で行くしかないわけですが、生憎私は車を持っていません。そのとき「持っていないなら借りれば良いじゃない」と天からの啓示を頂くも、どう考えてもレンタカーのカウンターの営業時間内には京都から帰って来ることは不可能です。1日余計に借りるという手もありますが、それも何だか勿体ない。さて、どうしたものか。

そんなときに「カーシェア」という方法を思いついたのです。カーシェアなら登録さえしていれば、勝手に乗って、勝手に返しておける。これは最善手ではないか。私は意気揚々と近くのタイムズカーシェアの受付カウンターに行って、登録を行います。が、そこでは何と「デビットカードが使えない!」とのこと。というわけで、何年かぶりに両親から貰ったクレジットカードを使います。初めてデビットカードではなく、クレジットカードが効力を発揮しました。お金は自分で口座に振り込んでおけばいいし、何も問題はありません。

というわけで、私はタイムズカーシェアに登録し、無事にMaison book girlのライブに行くことができました。このときのライブレポートのブログにあげているのでよろしければ読んでください。

 

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そんなこんなでずっとタイムズカーシェアの月額使用料を取られていたわけです。その後も2回くらいは使う機会があったものの、「管理」の苦手な私は結局退会するでもなく、「またいつか使うかもしれないし」、「地方にいるうちは何かあった時のために登録しておいた方がいいだろう」とずっと放置していました。

東京に転勤になったためすぐに解約をするつもりでしたが、それもずるずると先延ばしになり、結局退会したのは今日のお昼ごろ。クレジットカード会社から「口座残額がないので今月の引き落としができません!」と電話を貰ってからです。

さて、ようやく「クレジットカード会社からの電話」まで話を戻すことができました。

そういうわけで、私はその口座にお金を振り込むのも含めて、ようやく寮を出る決心をします。寮を出て見れば、御日柄は良く、コンビニのATMで振り込みを済ませてから少し遠くまでお散歩。ちょっとだけ適応障害の「そわそわ感」もありましたが、昨日よりはかなりマシになっていました。40分ほど歩いた先のすき屋でランチを済ませ、また寮に戻ってきます。そして、そのちょっとした散歩の中で着想を得た創作物を書いて午後は時間を過ごします。3時間ほど書くとさすがに疲れてきたので、M-1グランプリの準々決勝のネタ動画を観て、夕飯までの時間を過ごします。「ゴッドタン」周辺で集めた情報で好きになった芸人のネタを一通り見て、あとは昨日観た「ザ・エレクトリカルパレーズ」に出てきた芸人のネタもいくつか観ました。個人的には「Aマッソ」、「令和ロマン」のネタが面白かったです。期待していた「蛙亭」はやっぱりコントの方が面白いかなぁ、賞レース向きではないかなぁ、とちょっとだけ残念。それでも充分面白いと思いましたけどね。「ラランド」は好きなネタでしたが、好きだからこそ時間という制約を感じてしまいました。「真空ジェシカ」に関しては今回の転校生のネタはあまり好みじゃなかったかもしれません。笑どころは沢山ありましたが。「たくろう」、「コマンダンテ」、「Dr. ハインリッヒ」が思ったより会場でウケていましたね。みんな好きなので、頑張ってほしいです。

 

と、今日はそんな1日でした。

いつもの通り、脈絡も構成もありませんが、「そわそわ感」が若干快方に向かっているようなので、良かったと思います。ずっと実家に逃げ隠れていた代償みたいなものなんですかね。早く慣れて、生活に支障が出なくなればいいな、と思います。

適応障害と診断されまして… vol.30

適応障害と診断されて41日目(11月24日)の夜にこの記事を書き始めています。前回は少しイレギュラーに自殺未遂のときの振り返りを行いました。

 

前回

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というわけで、今回は3日分の内容をざっと書いていこうと思います。

 

 

1.適応障害と診断されて39日目~アニメ「ピンポン」視聴終了~

前日にはJ.D.サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の考察記事を4時間近く書き続けていたので、その疲れが残っているかとも思っていましたが、比較的体は軽いように感じました。とは言え、この日も特に予定はなかったので、1日中家でゴロゴロ。

まずはアニメの「ピンポン」を最後まで視聴しました。絵柄が独特で面白いですね。昔に観たことのあるアニメ「惡の華」と似たものを感じたので、この際ですから少し調べてみました。

惡の華」では「ロトスコープ」という手法が使われていました。私が簡単に調べたところによると、実写で撮影した映像をトレースしてアニメとして描き起こす手法ということです。ディズニーの「白雪姫」なんかも同じくロトスコープという手法を用いて製作されたもののようです。そう言えば、確かに「白雪姫」も独特の生々しさがありますよね。

しかし、「ピンポン」ではロトスコープは使われていないそうです。確かに、映像の生々しさはあるものの、アニメにも関わらず漫画的なコマ割りが用いられていたり、現実的には卓球台の数歩分の距離をダッシュで駆け抜けるような表現や、腕が伸びるような表現などは実写から描き起こされるロトスコープでは不可能ですもんね。でも、そう考えると、「ピンポン」の絵は余計に凄いと思わされます。

 

wired.jp

 

上記リンクの記事を参考にしましたが、アニメにはまだまだ疎い私にはちょっと理解できない部分が多過ぎました。

ただ、簡単に言うと、従来のアニメ制作のプロセスをテクノロジーを使ってだいぶ改変したということですね。それによって、作業の効率化も図れ、かつ原画段階の絵のタッチなどが最後まで残ったりとかなり監督のセンスが完成品にも反映されやすいようになったようです。それでこれだけ濃密なアニメ映像が生み出されたわけですね。

原作の漫画は読んだことが無いので、今度読んでみたいなぁと思いました。まぁ、なかなか漫画を揃えるのって大変なので、あまり漫画を買う習慣が私には無いんですが…

 

そんな感じで午前中は、アニメ「ピンポン」観るだけの半日。そして、午後は前回の自殺未遂の振り返り記事を書いていました。例によって1万5千字近くの分量があったかと思うので、まるまる午後を費やしたように思います。もちろん途中で休憩を入れたり、猫と少し戯れたり、ギターを弾いて気晴らししたりもしましたが。

 

夕飯は家族とステーキを食べに行きました。300g分のステーキを食べ(でも、チェーン店なんでそんなに高くないですよ)、あとはダラダラとテレビを見ながら時を過ごしました。

明日は東京に戻るのか。

そう考えると少しだけ気は滅入りましたけれど。

 

2.適応障害と診断されて40日目~東京へ・研修同期と映画鑑賞~

寝起き。今日は東京に戻る日なので、朝からだいぶ気が滅入っています。元気が出ません。でも、会社の研修同期と出掛ける予定があるので、だらだらとしてもいられません。なぜか最近モーニング娘。の子がよく夢に出て来るので、今日もまた夢の中で握手をしてくれた森戸知沙希ちゃんに勇気づけられながら荷物をまとめられました。

大学時代にはよく「現実なんかよりも夢の中の世界の方がずっと素敵だ。明日は何をしなきゃいけない、なんてことよりも、今日はどんな夢が見られるか。そう考えながら眠るようじゃなきゃ、人間としてダメだ」と考えていました。そういう考えはずっと私の中にはあったわけですが、なんと言うかここ数日は本当に夢がだいぶ私を癒してくれているように思います。ただ、こんなにもアイドルが頻出する期間は私の人生でも初めてですが。アイドルとまではいかなくても、むかし好きだったあの子とかにまた会えたら。むかし好きだったあの子とは言わないまでも、自分の深層心理の中にあるあの街にまた行けたら。現実の中にはたいして希望を持っていない私にとっては、夢こそが何よりの娯楽なのです。

と、いつも通り、話が逸れました。新幹線に飛び乗ります。

ずっと見損なっていた「新劇場版・攻殻機動隊(2015)」を視聴し、やっぱり「攻殻機動隊」は面白いなぁ、と思わされます。でも、やっぱりもう1回見直さないと、細かいディティールまでは理解しきれませんね。なので、とりあえずここでは感想を書くのをやめておきます。しかしながら、いつも通り、自己存在やテクノロジーの発達に伴う情報の並列化については色々と考えさせられるものがありました。ただ、前にちょっとした記事を書いた通り、攻殻機動隊では高度な情報の並列化が予測されている一方で、現実的には情報の細分化による共通言語の喪失の方が早く起こっているのかなぁ、と私には思えてなりません。もし、人間の情報処理能力がより高度化するそれこそ「電脳」のようなブレイクスルーがあれば、攻殻機動隊の中で懸念されているようなことも起こり得るのかもしれませんが。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

まとまりを欠いた記事ですが、せっかく話題に出したのでリンクを貼っておきます。

 

東京の寮に戻ると、なおのこと私の気分は滅入ってきますが、だらだらもしていられません。16時に東京駅で待ち合わせて、そのまま有楽町のTOHOシネマズへと向かいます。この日に会う会社の研修同期とはもう半年以上会っていなかったのですが、ちょくちょく連絡を取り合っており、軽く私の現状も伝えていました。とは言え、詳しくは話していなかったので、とりあえずカフェで「何の映画を観るか決めよう!」という主題を決めながらも、病気の事や相手の仕事の様子の話などを色々聞いたりしました。

会社の同期に会うたびに、みんな私なんかよりもよっぽど過酷な環境で頑張っているようなので、本当に私は自分で自分が情けなくなりますね。とは言え、私だってこんなことになったのは相当運が悪かったのだとも思います。あまりにも人間としての接し方や立ち振る舞いが違う場所へと転勤させられ、しかも私には結構なプレッシャーがかかっていました。単純に前の職場を離れることに対する寂しさから気分が塞ぎ込んでいたということもあるでしょうが、何よりも私自身の「しっかりしなきゃ。ちゃんとしなきゃ。もっと頑張らなきゃ」のアクセルが全開になっていたのが原因だということはこれまでも何度も話して来た通りです。最近はようやく自分が変なモードに入り込んでいたことがわかってきましたが、半分はそれを制御できなかった自分のせいではあるものの、どうしたってそういった環境的な要因も半分くらいはあったと思わされます。もちろん、私自身の個人的な資質も多分には影響していますけれどね。

でも、今回の件で色々なことを経験出来ましたし、色々なことを考えたり、学ぶことはできました。どんな惨めな事柄からでも何かを学ぶことができる、というようなことが最近読んだ本の中に書いてあった気がします。

映画は結局IMAXで「鬼滅の刃」を見ました。原作の漫画は読んでおらず、一応アニメは半年くらい前に1周観ただけだったのですが、同期が「IMAX気になるんだよね」ということで、結局「鬼滅の刃」になりました。私1人じゃ絶対にしない選択ですが、そうやって自分では選ばないものを経験させてくれる他者の存在というのはありがたいものです。私は私1人でも充分に楽しくやっていけますけれど、たまにはこうやって全く違う景色を見るというのもなかなか良いものです。

とは言いながらも、朝早く起き、久しぶりの東京ということで疲れが出た私は開始早々うたた寝をしてしまいます…IMAXの凄いサウンドの中。若干映画のネタバレになりますが、炭治郎たちが眠らされ夢の世界に入り込むのと入れ替わるようにして、私も何とか目を覚まします。「ずっと夢の世界にいられたら」というようなことが語られる場面があり、ちょうど最近そんなことを改めて考えていた時期であっただけに、妙に共感してしまいました。ストーリー自体はさすが王道バトル漫画という感じで、映像も美しく、普通に楽しむことができました。が、適応障害で頑張れない私にとっては、最後の展開の中でスポ根的な「もっともっと頑張らなきゃ!」というセリフが頻出するのに、少し胸が痛みました(笑)。でも、私もこの適応障害という挫折を乗り越えて、煉獄さんのような柱になれたら、とも思います。いや、煉獄さんになるには、目が細すぎますね。

少し話を戻しますが、IMAXみたいな科学でエンターテインメントをランクアップさせる取り組みは、私はとても好きです。なので、ちょっと期待していたわけですが、確かにサラウンドの音響は素晴らしいものは刺激的でした。ただ、上映時間ぎりぎりまで何を観るか悩んでいたため、結局館内の隅っこの席になってしまい、その結果左耳がやられてしまいました(笑)。途中、左後ろからのスピーカーの音がうるさすぎて、セリフが聞き取れないような場面もありましたし(笑)。次にIMAXで映画を観るときはちゃんと中央付近の席を確保しようと思いました。そして、これからも科学技術が進歩していってくれることを期待します。

映画の後は、近くのレストランで軽く食事。グラスの赤ワインを2杯ほど頂き、22時には店を追い出されて、大人しく帰りました。映画の感想を言い合ったり、仕事の愚痴を言い合ったり、お互いの大学時代の話を語り合ったりしました。ですが、やはり思うのは、こうやって会社の同期とかと会って、同じ温度感で会話を楽しむためには自分も働いていないとな、ということです。どうしたって、職場の愚痴が1番盛り上がるわけですから、まずはきちんと働いていなければ。何と言うか、そんなことを感じさせられた一時でした。とは言え、東京に来るだけで疲れてしまうような私の現状では、まだ復帰は難しいのかもしれませんが。

寮に戻り、バルセロナブスケツのポジショニングがいかに素晴らしいかという動画を観ながら酔いをさまし、薬を飲んで寝ました。明日は午前中に予防接種があります。

 

3.適応障害と診断されて41日目~予防接種・ラーメン~

朝起きても、天気が曇りということもあり、なかなかの気分の滅入り様。薬の副作用も少し辛く、また同時に若干ですが適応障害の「そわそわした感じ」もあります。あぁ、こんな日に限って外に出なければいけないのか。かなり憂鬱でしたが、職場に行くわけではありませんから、何とか自分を叱咤激励してスーツに着替えます。会社の人も来るので、スーツを着た方が良いかな、と思いまして。

ちなみに、私は「週末の予定のために頑張る!」とかがあまりできないタイプの人間です。そもそも週末に予定があるタイプではありませんでしたし、「頑張ろうが頑張るまいが週末は来る」と考えてしまうダメ人間です。でも、今日ばかりは「がんばって予防接種を受けに行ったら、大学時代の行きつけのラーメン屋に行こう!」と自分であらかじめご褒美を用意してあげました。ほんの少しだけ、「頑張って外に出よう」という気持ちになりました。

通勤ラッシュよりは少し遅い時間のはずですが、さすがに東京の電車は混んでいますね。今日のコンディションの私には少しだけ辛かったです。でも、おそらくは私が無理をして職場に顔を出していたときに比べれば、だいぶ症状は軽くなっていたはずです。あの頃のキツさはこんなもんじゃなかったはずなのに、よく職場になんか行っていたな、と自分で自分が怖くなります。今は治りつつあり、冷静になった分だけ、ちょっとした刺激にも恐怖が出て来るようになりました。これはこれでまた微妙な問題ですね。「サンドリ(有吉弘行のラジオ番組)」を聴きながら、眼を瞑り、笑いを堪えつつ、病院までの道程を耐え忍びます。

初めて訪れる病院でしたが、特段道に迷うことも無く、難なく目的地に辿り着きます。検温等の簡単な手続きを済ませ、いよいよインフルエンザの予防接種。注射はそこまで苦手ではありませんが、それでもあまり良い気のするものじゃありませんよね。何よりも次から次へとやって来る患者に対してウンザリとした表情の看護士さんたちがいたたまれませんでした。ごめんなさい。私ばかり働いていなくて。込み合う病院の中で何とか予防接種を済ませ、すぐさまその場から退散。大学時代に行きつけだったラーメン屋を目指して、電車に飛び乗ります。ふう。これで今日の任務は完了だ…こんなんでいいのかなぁ、自分。

 

そのラーメンに行くのは10月25日ぶりなので、約1か月ぶりということになりますね。10月25日に行ったときは、最後にそこのラーメンを食べてから1年くらい経っていたはずです。世界で1番美味しいラーメンだと私は思っていますし、社会人になってからは中々そこに行くこともできないので、だいたい行く度に相当な感動を得ることができるのですが、その10月25日は大して感動できませんでした。美味しいはずなのに、どうして感動できないのか。おそらくは感情が死んでいるんだな。そのときはそう思っていました。そして、今日、11月24日。その時の解釈が正解であったことを再認識します。

ラーメンのスープを1口啜ります。

う、美味いっ…美味すぎる!!!

あの感動がいまここに蘇る…そんな感じでした。しかし、それにしても、あれからもう1か月も経ったのか。時間の流れはとても早いものですね。

ラーメンとライスをかきこみ、私より早くラーメンが出されていた客も追い抜いてあっという間に完食してしまいます。私は大抵のことを許してやるだけの心の広さを持っているつもりですが、回転の悪いラーメン屋ほど嫌いなものはありません。というか、ラーメン屋でちんたら食べている人が許せないのです。特に、その私が行きつけのお店に限っては、もう憎しみすら湧いてきます。ここのラーメンはそんなちんたら食うもんじゃねぇんだよ。麺が伸びる前に、スープが冷める前に、最高の状態遷移の最中の内に食べきる。これこそが何よりも重要なのです。

そんなことを考えてしまうほどに、今日食べたラーメンはいつものように私に大きな感動を与えてくれました。そのおかげでほんの少しですが、私も治って来ているんだなぁ、という実感を得ることができました。まだまだ休んでいたい今の私にとっては、嬉しいような悲しいような。でも、美味しいものが食べられるって幸せですね。

ラーメンを食べた後で、私は大学時代によく行っていた商店街の個人経営の小さな書店に行きます。そこで「化物語」の11巻を購入。「エア・ギア」の頃から大暮維人先生の絵が大好きなんですよね。よく「エロ漫画家」と揶揄されますが、もはやエロさを感じないくらい流麗で美しい絵だと思います。「DEATH NOTE」の小畑健先生とか、「ノラガミ」のあだちとか先生とか、そういう系統の綺麗な絵が好きなんですよ。最低だとは思いますが、個人的に絵で引き込まれない漫画は大抵コンビニの立ち読みで済ませてしまいます…というか、あまり漫画自体を読まなくなってしまいました。大学時代はベッドの脇に何個も漫画の山があったんですけどね。

 

寮に戻り、疲れている自覚もあったので、空気階段のコントを見ながら昼寝。日が沈んだ頃にようやく目を覚まします。

そして、夕飯を食べ、ニコニコ動画倭寇(わこう)さんの「ゼルダ献血」動画を数パート分観てダラダラと過ごしていました。「ゼルダの伝説」というタイトルをもじって「ゼルダ献血」。これだけでも結構面白いですが、実際にやっていることも面白いです。喰らったダメージ(=失ったハートの数)×100mlの献血を行うという縛りプレイをしているため、めちゃくちゃ慎重にゲームをプレイする様子や、実際に献血に行ったときの動画を作ってくれているので、そんな献血パートもとても面白いです。いつの間にか、献血通になっていく倭寇(わこう)さんの様子も楽しめますし、献血というものが身近に感じられるのも、ちょっと社会性があって良いですよね。

ちょっと倭寇(わこう)さんの紹介もしますね。

倭寇(わこう)さん自体はゲーム実況者なんですが、昔からちょっと変わった縛りプレイをやっている人で、代表作は「サイコロ・ポケモン」です。ポケモンの技選択や、技覚えや進化その他あらゆる選択を「サイコロ」で決め、クリアできるかどうかという企画です。これがめちゃくちゃ面白いのですが、初期の頃の「足・ゼルダ」とかも結構好きで、その頃からずっと見続けている唯一のゲーム実況者です。「足・ゼルダ」は64の「ゼルダの伝説時のオカリナ~」を手ではなく、足でコントローラー操作を行ってクリアをするというものですが、最初は事あるごとに操作ミスで死んでいたのが徐々に上手くなっていく様子が楽しめます。最近で面白かったのは、「お赤飯エムブレム」ですかね。「ファイヤー・エムブレム」はゲームキャラクターがレベルアップとともに能力値が上昇するのですが、その上昇量は完全に運(キャラクターごとに成長しやすかったり、しにくかったりというのもありますが、そこで試行錯誤するのも面白いです)。ですから、上手く能力値上昇した時は「おめでとう!」の意味を込めてお赤飯を炊く(炊かなければならない)という縛りプレイだったのですが、お赤飯を5合も炊かなければならなくなり絶望する様子や、お赤飯に飽きたからパン焼き機を買って、パンにして食べたりと料理のアレンジ方法を試行錯誤する様子も非常に面白かったです。

 

と、そんなこんなでようやく今回の記事を書き始めた次第です。

そして、今日はたっぷり昼寝をしたにもかかわらず、ちゃんと眠気がやって来ます。今日もまた何もしていないけれど、寝ましょう。素敵な夢が見られますように。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

適応障害と診断されまして… vol.29

適応障害と診断されて39日目(11月22日)の昼過ぎにこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

vol.数や診断されてからの日数は微妙な感じですが、今日で私が自殺未遂をしてから20日が経ちました。当初は自分もなかなかのパニック状態にありましたし、ネットで自殺状況について詳細に記述することが、ウェルテル効果をもたらすのではないかという懸念もありました。しかし、ある程度落ち着きを取り戻した今の私ならば、もう少し当時の状況を冷静に捉え、どういう要因が絡み合って自分が死のうとしたのか、そして死ななかったのかを記述することができるような気がするのです。というか、もう一度当時の自分を思い出すことが、いずれ自分には必要になると思います。明日には実家から再度東京に戻る予定なので、その前にこの守られた環境の中でしっかりと思い出しておこうと思います。

 

 

1.自殺未遂翌日に投稿した記事

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要旨だけ書き出すと、11月2日は月曜日で私は残りの有休日数を考えて、リハビリを進めるために通勤ラッシュを耐えた上で職場に顔を出せるかということを試そうと思っていました。前日の日曜日には通勤ラッシュが無い状態で職場に顔を出せていたので、そこから1つ上のチャレンジをしてみようと思っていたわけです。

が、どうも気分が乗らずに朝の割と早い段階で職場に行くことを断念します。そして、それはそれとしてシャワーに向かい、おそらくはこの時点で私はほぼ自殺間際の精神状態にあったと思います。シャワーを浴びている途中に、執筆途中だった「霧氷」という創作物を書き上げようとふと思ったのです。この思いつきをしてしまった瞬間、私の中に自殺までのルートが組み上がったように思います。

正直なことを言えば、その時の頭の中がどんなものだったのか、今の私ではあまり良くわかりません。正気を失っていたという表現が最も妥当だとは思うのですが、別段取り乱すというわけでもなく、むしろ淡々と自殺に向かって着実に歩みを進めていたように思います。そして、実際にそれは実行され、失敗し、結果的に私はまだ回復していないのだと思い知らされました。自殺未遂をした当初こそ、私は自分の元来の「自殺願望」にも大きな原因があると考えていましたが、私はその「自殺願望」ともう10年近くともに過ごしているのです。したがって、「願望」と「実行」の間には大きな隔たりがあるわけです。そして、その11月2日の私はどうしてその隔たりを飛び越え、そしてどうして死ねなかったのか。それについて改めて書いていきたいと思います。

 

2.ロープの購入

自殺の際に使用したロープは10月25日、日曜日に既に購入している物でした。

私はその前日10月24日に実家から東京に戻り、会社の同期と遅くまでお酒を飲んでいました。割としっかりと酔っていたので、薬は飲まずにそのまま眠りにつきました(酔った状態では薬の服用はしない方が良いとの忠告をお医者様から受けていたため)。

10月25日の記事を読み返すと、朝から私は二日酔いで嘔吐し、そしてそのまま東京での初回の診療のために外に出ています。しかし、二日酔いと薬を飲んでいないせいもあって、私の精神状態は非常に不安定な状況だったように思います。診療を終えた後、私は大学時代に生活をしていたところまで出向き、行きつけだったラーメンを食べ、よく散歩していた道を練り歩きます。私の自殺願望は、私が大学生時代のときに自己変革をしようと苦しんでいた頃から付き纏っているもので、それこそ長い大学生活の間中「死にたい」と思いながらそこら中を散歩しまくっていました。今でもたまにやってしまいますが、大学にも行かず、平気で3~4時間は歩き回るのです。そして、その10月25日も当時の事を思い出しながら、2~3時間散歩をしていたように思います。秋晴れは美しく、懐かしく、何だか自分が大学時代に戻ったような感覚さえありました。そして、未だに同じ苦悩の中にあると思い返すわけです。

この日も別の会社の同期と飲む予定でしたが、そんな精神状態でしたから、相手には悪いと思いながらも私はそれをドタキャンします。そして、散歩をしながら、自然と私は自分がどこで死ぬべきかを考えるようになっていました。ちょっとした雑木林がある場所を散歩していたので、おそらくは近々このどこかの樹に縄を括りつけ、首を吊ることになろうと考えながらの散歩でした。しかし、もし仮に首を吊ることになったとして、きっと死体はすぐには見つかりません。警察かなんかに捜索願を出させるのも手間ですし、死ぬときにはしっかりとどこで死んでいるかを残す方法を考える必要があります。さて、どうやって自分の死に場所を伝えるか。答は比較的簡単に見つかり、地図アプリから取得した自分の現在地データをスマホで送る方法がありました。うむ、これでとりあえず死体捜索の手間は省けるな。そんなことを考えながら、私は電車に乗り、街の雑貨屋を目指します。

雑貨屋では少し苦労しましたが、割とすぐにロープを見つけることができました。誰かが「このロープ何に使うの?」と止めてくれることを少し期待しましたが、そんなことは起こるべくもなく、あっさりと購入に成功します。散歩で疲れ果てた私は、そのまま寮へと戻りました。

寮に戻るととりあえずロープを箱から出してみますが、これが思ったよりも長い。結び方を調べ、実際にもやい結びという方法で首が通るだけの輪っかを作ってみますが、あまりに長過ぎたので、何回か折り重ね、それで何重かのもやい結びを作ってみました。割と簡単ですし、私は未だにこの結び方を手に覚えています。正直、ネクタイやなんかでもできることを試してみたりもしました。

それからそのロープの強度を確かめるために、私は寮の中の物干し用の鉄棒にそれを括りつけて、実際に手でぶら下がってみます。うむ、強度的には問題ない。それから実際に首を通してみます。狭い寮室ですから、首を通したところで足は床にぎりぎり届きますし、床でなくても足をかけられるところは近くに沢山あります。これまで私は何度か自殺願望が高まった時に自殺を試みようとしましたが、実際にそれを行動に起こす段となると恐怖の方が勝り、試してみることすらできません。具体的には、研いでもいない包丁などを首にあてがったりした経験もありますが、どれだけ酔っ払っていてもその包丁を思いっきり引いてみるだけの勇気は湧いてきませんでした。どうしたって死に損なった時のことを考えてしまいますし、おそらくは生命体としての本能で死ぬことは基本的に難しいものなのです。

ですから、その10月25日の私の精神状態は不安定でありながらもまだ正気を失っているわけでもなく、「いずれこのロープで首を括ることになろう」というところまでしか考えることはできませんでした。実際にロープで首を軽く吊ってみたところで、やっぱり死に対する恐怖の方が強いし、こんな狭い寮室では死に損なうのが目に見えていたわけです。

しかしながら、私はそこで試しに吊るしてみたロープをそのまま残すことにしました。そこには主に2つの感情がありました。1つ目は、ロープとともに生活をすることで死に慣れることへの期待です。死ねない理由はやはり死への恐怖なので、ロープと生活することでその恐怖を減じ、さらっと死ねるのではないかという感情があったわけです。これは私がずっと持ち続けている「自殺願望」から表出した部分だと思います。そして、2つ目は「逃げ道」を手元に置いておくことで安心感を得るということでした。苦しいけど、嫌になったらこのロープで死ねる。そういう逃げ道があることで、むしろ私は心を落ち着かせることができるようになったと思います。

この2つの感情は一見すると相反するように見えると思います。「死にたい」と「生きたい」の象徴として、そのロープは私の寮室に吊るされ続けることになるわけですが、その矛盾した感情は実際のところ私の中では非常にしっかりと絡み合っているのです。これはもはや私の人生観の問題なので、どうしようもありません。死にたいと思いながら生きる。むしろ、死にたいと思っているからこそ生きていられる。目指すところは、死んだように生きるということです。言葉にしてしまうととても子供っぽいですけれど、実際問題として私はそういう風にしかできません。誰か目の覚めるような素敵な女の子が目の前に現れて、「あぁ、僕は君を幸せにするために生きていくんだ」と思わせてくれれば良いのに、とよく考えたりしました。今ではもはやそういったことすら考えることもなくなってしまうほどに、その「死んだように生きる」というのが私の指針になっているのです。だから、もうこれはそういうものだと割り切るよりほかありません。

ですから、実際に10月25日はかなり気が滅入っていたのは確かだったのですが、それでもその鉄棒に吊るされたままのロープは、ある意味では私自身の象徴であり、かつお守りのようなものだったわけです。そして、そのロープはひっそりと息を潜めたまま、私の生活を見下ろしていました。

 

3.自殺までの日々

これも既に記事に書いている通りですが、それから私は職場への復帰に向けて動き出します。10月26日の月曜日は、職場に行くまでの練習をします。火曜日は実際に職場に顔を出し、1時間滞在できました。しかも、上司や同僚と軽く飲みに行ったりまでしました。水曜日は2時間職場に滞在できました。木曜日は疲れが出たのか、1日中適応障害の症状に苦しめられ、あらゆる刺激が辛く、部屋の電気すら点けられない状況でした。が、金曜日にはそれも治り、職場に3時間滞在できました。が、1時間で頭痛と吐き気の1回目の波がやって来て、徐々にその波の感覚が狭くなり、3時間でその波がほぼ常時化するというデータも出そろいました。この時点で「今の自分には3時間が限界だ」ということにも気が付き、復帰は難しいと思うようになっていました。

あくる土曜日は1日中、そのデータをもとに考えを巡らせていたように思います。無理を押して復帰できるかもしれない。いや、でもこれだけきついと無理じゃないか。そういう攻め合いが自分の中で行われたように思います。そして、最終テストというか、ダメ押しみたいな感じで、午前中の出社を試してみるべきだと結論を出しました。症状や薬の副作用が強く出るのは午前中だったので、10月26日からの出社練習は全て午後に行っていました。が、無理を押して復帰するにしても、午前中に出社できなくてはそれすら叶わないわけです。ですから、日曜日に通勤ラッシュ無しで出社をしてみて、大丈夫だったなら、月曜日に通勤ラッシュ込みで出社をしてみる、という計画を立てました。

しかし、これらの練習や計画について、今の穏やかな生活の中で冷静さを取り戻した私からすると、かなり無謀だったことがわかります。適応障害と診断されてから約40日が経ち、今では実家というストレスや刺激のかからない環境で、ようやく1日中まともな感覚で過ごせるようになってきました。それでも、何度も記事に書いているように、ちょっとした外出などで疲労が蓄積しますし、強烈な眠気に襲われることもあります。つまり、まだ治り切ってはいないわけですね。

対して、有休の残数を考えて出社の練習をしていたその時期は、はっきり言って、17時くらいからしかまともな感覚にはなれていないような状況でした。ただ、症状自体はかなり抑え込めるようになってきたため、このまま回復の方向へ押し切れるのではないかと思ったわけです。何より、ストレスがかかっていたのは転勤した10月1日からの2週間だけという非常に僅かな期間だと考えていたからです。ダメージも少ないはずだから、すぐに治るのだろうと甘く考えていたわけです。

しかし、それは完全な思い上がりで、かなり焦っている状況と言わざるを得ません。

確かに1番酷い時からはかなり回復してきました。しかし、今の私から考えると全然治ってなんかいませんでした。今の私が会議室によく置かれている長テーブルの上を歩いているような状態だとするならば、その頃の私は何とか平均台の上に登り直してそこにしがみつきながら芋虫のようにして進んでいる状態だったと思います。今の私でさえ、この長テーブルの上を歩くことを恐いと思ってしまいます。落ち着いていれば足を踏み外すことはありませんが、酷く揺らされたりすれば足を踏み外してしまうでしょうし、何より左右には谷底があるのが見えているのです。それが恐ろしいわけです。しかし、その10月26日からの私は必死になって平均台にしがみつき、前と上だけを見て、体をくねらせているような状態でしたから、自分がいかに危機的な状態にあるのか客観視するだけの余裕がないのです。芋虫のようでも、前には進める。失敗して、落ちかけたりはしますが、それでも何とか体勢を立て直し、また前に進める。そうやって治っていくものだと考えていました。

それでもまだ救いだったのは、「こんな芋虫みたいな進み方じゃあ、本格的な復帰は無理だろう」と何となくわかっていたことだと思います。幸い、両親も「無理をするな」と何度も声をかけてくれていました。ですから、土曜日の時点の私はほとんど「ちゃんと休職することになるだろうな」と思っていたはずだったのです。しかし、それでも「やれるだけのことはやっておこう」という想いや、ほんの僅かな希望に縋るようにして、日曜と月曜に午前中の出社練習を計画したわけです。

そして、日曜日は何とか午前中に出社できたわけです。

 

4.日曜日(前日)の弾込め

そして、今となってはこの日曜日の出来事が翌日の自殺未遂に大きく関与しているのではないかな、と思っています。もちろんこれまで話して来たとおり、私の精神状態はかなりボロボロであり、自殺を決行に移すだけの土壌が整っているとは思います。ですが、実際に拳銃があっても弾を込めなければ撃つことはできません。日曜日にあった2つの出来事が銃弾となり、私の手元にあった拳銃に込められることになったと今では思っています。

 

まず、11月1日の日曜日に、私は見事朝に職場に顔を出すことができました。しかし、誤算だったのはこの時に上司がいたことです。そのときにいた上司は私が発病してから窓口になってくれた上司ではなく、職人気質の言わば私が追い込まれる直接的な要因となった上司です。もちろん今は恨んでいるわけではありませんし、適応障害になる前にも「ちょっとこれはないっしょ」と思ったりもしたものの、「そういう人もいるか」とある程度自分なりには割り切ることができていました。ですから、その日曜日も私の状況を気遣うような言葉をかけてくれましたし、ちょっとした用事で職場に来ていただけにも関わらず、1時間近く私と話をしてくれました。

しかしながら、その話し合いの中で私が感じたことは、「理解してもらえていない」というものでした。つまるところは「怒り」です。

11月1日のブログを読み返してみるとわかりますが、私はこの日上司と話し、そして寮に戻ってブログを書き、そこで確かな怒りを感じていました。その頃の私の感情はほとんど冷え切っていましたから、当時は「怒りを感じられるようになっただけでも回復した証拠だ」と捉えていました。確かにそういう側面もあったのでしょうが、平均台にしがみついているような状態で感じる強い感情(そのときは「怒り」)は結構危ういものだとも今では思います。

そのときの私は「復帰」に向けて焦り、そして自分が回復に向かっていると信じ込んでいました。しかし、そうは言っても、体は治っていないことを10月26日からの出社練習で身に染みてもいるわけです。「なんで私はこんなに復帰に向けて頑張っているのに、『考え方を変えろ』みたいなことを言われなければいけないのか?」という怒りがありました。「私は別に仕事の向き合い方で悩んでいるわけでもない。無理をして壊れてしまったことを反省し、既に考え方は改めたし、あとは体が治るまで見守ってくれればいいだけなのに。どうしてまだ、『考え方』のところでああだこうだ言われなきゃならないんだ? もうそういうフェーズじゃないんだよ!」という感じです。

それに相まって、自分がそういう意図を持って送ったメールにもケチを付けられたような気がして、酷く怒っていました。「私は今の自分の状況(考え方を改め、回復まで待っている。だから、迷惑をかけて申し訳ないけど、もう少し見守っていてほしいという旨)を伝えたくて、皆にメールを送った。でも、会社側は『グレーな対応で誤魔化していたんだから、そんなことしなくて良かったのに』と言ってくる。適応障害と骨折の何が違うんだよ!」という怒りです。別に適応障害だとかうつ病だとか精神疾患なんて恥ずかしいことじゃないのに…そんな曖昧な隠され方をされても、こっちもちゃんと謝れないし、気分悪いじゃないですか。そういう怒りが込み上げてきたわけです。

そのようにして私は上司や会社、そして社会から「理解されていない」という想いから、強い怒りを感じていました。この「強い怒り」はおそらく精神的な安定性を欠いている私には刺激の強すぎるものだったように思います。そして、その揺り戻しみたいなものが、おそらくは翌日の私の完全なまでの無気力、つまり理性や感情の凍結に繋がったのだと思います。これが1つ目の銃弾です。

 

そして、もう1つの銃弾は「大好きなアイドル楽曲をまとめた記事」を書き上げたことによる燃え尽き症候群のようなものです。

もしかしたら、このアイドル楽曲の記事を書こうと思っている時点で、私は少し正気を失っていたのかもしれません。しかし、実際にはこの記事はその日曜日以前から少しずつ書き進めていたもので、たまたまその日曜日に書き上げてしまったという偶然が重なりました。

いつからこのアイドル楽曲の記事を書き始めたのかは覚えていませんが、適応障害と診断されてから後であることには間違いがありません。記事には「何か書いていた方が落ち着くから」というような文言が残っていますが、実際には「死ぬ前に好きなものを書き出しておきたい」という想いも僅かにあったように思います。言わば、大好きなアイドル楽曲に対して「大好きだ」と言うことが、私が「やり残したこと」の1つであったようなものです。

そして、前述の「怒り」という強い感情をエネルギーにして、私はこのアイドル楽曲の記事を書き上げてしまいます。いま思えば最悪のタイミングだったように思います。

それまで脳や体を支配していた強い感情が昇華し、同時に「やり遂げた」感が得られてしまったわけです。私はこの記事を書き上げたときに、強い達成感に捉われました。映画かなんかで、敗北必至の闘いに向かう直前でずっと好きだった女の子に愛を伝えた男のような高揚感さえありました。そして、その高揚感と達成感は、翌日の朝、私の個人的な創作物である「霧氷」の執筆に私を向かわせることになったように思います。

もう好きな子に愛を伝えたし、感謝も伝えられた。あとはもうこの戦闘機とともに敵基地に飛び込むだけだ…!

極端なことを言えば、そんなような心持だったように思います。

 

5.自殺未遂当日

朝起きて、私はいつもの通り強い倦怠感に苦しみました。そして、疲労感。私は会社に行くつもりでしたが、しばらくベッドの上で自分の心の状態を観察した後に、わりとすんなりと「今日はダメだ」と思ってしまいました。

この決断については、もちろん色々な要素が絡み合っています。両親からも「辛いときは無理しないで」と言われていましたし、その日は前日に比べれば体調が良くないということも確かでした。10分くらい自分の心の状態をじっと見つめてみましたが、何となく「通勤ラッシュ」+「出社」はキツそうだという雰囲気もありました。が、当然ながら最終的に「今日は会社に行かない」と決めた私の心の内には、前日のあの「達成感」と「高揚感」があったのも事実です。半分は実際的に会社に行けない理由でしたが、もう半分は「さて、書くか」という気持ちだったように思います。

が、まだ「霧氷」を書き上げようという気持ちができる前に、私はシャワーを浴びに行きます。シャワーでも浴びれば「やっぱり会社に行こう」と思い直せるかもしれないという想いもわずかながらありました。しかしながら、シャワーを浴び、頭を洗い、体を洗っているうちに、私の中にはもう「霧氷」だけしか残らなくなってしまいました。そして、シャワーから戻った私にはもはや「会社なんてどうでもいい。今日、『霧氷』を書き上げる。そして、おそらくは…」という意識に支配されていました。そして、パソコンを開き、イヤホンで耳を塞ぎ、書きかけの文章と向かい合います。文章を書き進めるにしたがって、私はいつものトランス状態に入り込んでいきます。

別に私は芸術家でも小説家でも何でもありません。ただ約10年前くらいから、私は自分の「死にたい」という想いを発散させるために、自分のための文章を書き続けてきました。ですから、私が書き上げたこれまでの創作物の中で、私自身を投影した登場人物は半分近くが死んでいます。言わば、「死にたい自分」を創作物の登場人物に憑依させ、疑似的に殺すことで、私は「死にたい自分」を抱えながら生きながらえてきたような感じです。藁人形や生贄といったものと考えていただければわかりやすいかもしれません。ですから、私が自分の創作物にのめり込めばのめり込むほど、登場人物は死に向かって動いていきますし、最終的には自らをその登場人物に乗り移らせた上で殺し、そこで私は疑似的に「死にたい」という願いを叶え、満足感を得る…そういうことをずっと繰り返してきました。この自分を創作物の登場人物に憑依させるような感覚を、私は「トランス状態」という風に考えています。そういうわけで、最後に「霧氷」を書きながら何を考えていたかと言うと、それはもはや「霧氷」に書いていることしか考えていなかったわけです。だから、現実的に私が何を考えていたということもなく、ただただ妄想や夢想の世界に私は飛び込んでいたわけです。なので、「いつものトランス状態」に私は入り込んでいたはずなのですが、少しだけいつもと違うことがありました。

「霧氷」を書き上げてしまったときに、私はほとんど何も感じませんでした。「達成感」というような爽快な気分でもなく、ただただ「書き上がった」という感覚が残っただけです。何だったら前日のアイドル楽曲の記事を書き上げたときの方が達成感を感じたほどです。しかし、よくわからないのですが、それを書き上げてしまうと、本当に自然な気持ちで「よし。もう死のう」となってしまったのです。

こればっかりは今の私にもよくわかりません。いつもなら、1つの創作物を書き上げてしまったときに、得も言えぬ満足感と達成感、そして喪失感を感じるのですが、同時にふっと創作物の世界から現実世界に戻って来て、現実世界の雑多な生々しさを噛み締めるのです。その空想から現実の大きな移行には非常に大きなエネルギーが必要なのかもしれません。しかし、この日の私の脳は適応障害という精神疾患によって衰弱していましたから、そういった大きな移行ができなかったということかもしれません。いや、でも本当によくわかりませんが、書き上げた瞬間から私は死ぬための手続きへと、非常にスムーズな動作で入っていきました。パソコンのデータを消しながら、このブログへとこれまでの創作物をアップロードしていき、簡単な遺書を書き上げました。

 

どうしてそんなことになったのか、今一度「平均台」の喩えを用いてしっかりと考えてみましょう。

その頃の私は、平均台にしがみつきながら芋虫のように会社復帰という目標に目掛けて進んでいました。しかし、私は前日に会社の上司から「平均台に登るためにはな…」とか「平均台の上ではこういう風にバランスを取ってだな…」みたいな見当はずれなアドバイスを受けたりして怒りを感じていました。私は「今が無様な進み方なのはわかってるし、まだ平均台の上に立ち上がるだけの力が戻ってきていないだけなんだ。だから、大人しく見守っててくれればいい」と怒っていたわけです。そして、その怒りをエネルギーに変えて、私はなおも平均台を進んでいくと、ちょうど給水所みたいなところにさしかかり、そこで私はこれまで私を元気づけてくれたアイドル達に最後のお礼を言うこともできました。お礼を言うと、私がしがみついている平均台の近くで私を励ましてくれていたアイドル達も消えてしまい、私は薄い闇の中で1人取り残されました。そして、少し進んだ先で平均台は分断されています。少し高いところに「会社に復帰する」という平均台が見えていますが、そこには今の私の力では手が届きそうにありません。途方に暮れている私の目の前に1つの影が見えてきます。その景色の中から「もうさ。平均台なんて降りてしまえよ。疲れただろう」という声が聴こえてきます。疲労困憊で絶望している私はその声に唆され、平均台をふと降りてしまいます。降りてしまってもなんていう事ありません。暗闇の中で私は自分がしがみついていたみすぼらしい平均台を一瞥し、さらに暗いところ目指して足を進めます。気がつけば、もう平均台なんてどこにもありません。

おそらく私は辛くて怖くても、無理に平均台の上を進もうとせず、その場で立ち止まってゆっくり眠るべきだったのでしょう。「会社に復帰する」という平均台なんてある程度無視してしまって、何よりも眠るべきだったのです。そうして眠っているうちに、その平均台は次第に幅を広げていき、1か月もすれば長テーブルくらいの幅にはなったはずです。しかし、私は疲労困憊になりながらも、芋虫のように平均台を進み、「会社に復帰する」という平均台に手が届かないことで途方に暮れ、その心の隙間に現れた「死にたい自分」に唆されてしまったのです。そして、あっけなく平均台からひょいと降りてしまったわけですね。

 

そのようにして、私は拳銃の引き金に指をかけました。銃口はこめかみにぴたりと当てられています。全ての準備が整うと私は、寮室のチェーン鍵を降ろし、部屋の電気を消しました。耳元では美しい音楽が流れています。

 

6.ラッキーなアンラッキー

「霧氷」を書いているうちから、私には寮室の中に吊るされたロープで死ぬことを考えていました。

 

少しだけ話を変えます。

適応障害と診断してもらう前々日、パニックになった私は寮の5階から飛び降りることを考えました。しかし、その時の私には「会社から逃げる」という逃げ道がありました。私は転勤する前に、とある人身事故に遭遇しました。おそらくは自殺でしょう。そのとき私は会社の同期と一緒にいて、「こうなる前に会社辞めような」と話していました。ふとそのときの会話が蘇り、私は飛び降りという方法を頭から振り払い、会社の上司に「退職か休職させていただきたい」と連絡を入れることができました。

そして、そのときに「飛び降り」という方法に失敗しており、かつ私は大学時代の散歩道を歩きながら雑木林で首を吊るためのロープを買ってありました。しかも、そのロープは寮室にお守り代わりみたいにして括り付けられていたわけです。

 

「霧氷」の1つ前に私が渾身の想いで書き上げた「水流」という創作物でも登場人物は首吊りで死んでいます。こういうのはあまりにウェルテル効果を誘発するようで少し憚られますが、ずっと死にたいと考えている私にとっては、自殺の方法というのは常に悩みの種でした。大学時代なんかはよく、駅のホームを通過する特急列車を見る度に「どうしていま飛び込まなかったんだろう」と考えたものですが、電車への飛び込みは社会的影響も多く、家族にも多大な賠償金が請求されます。それに、怖気づいて中途半端なことをしてしまうと、死に損なう可能性もあります。それは飛び降りや首切りも一緒です。入水という方法も考えましたが、死体が見つからないと自殺なのかよくわからないまま遺族は宙ぶらりんな状態にされてしまいますし、しかも入水こそいくらでも後戻りができそうで、ビビりの私には遂行できる気がしません。服毒しようにも素人には致死量なんてものはわかりませんし、そもそも毒や死ねるだけの薬なんて持っていません。一酸化炭素中毒死というのもありますが、それを実現するだけの環境が今の私にはありません。焼身自殺なんて影響範囲のデカい方法はまた賠償金とかの関係からできませんし、それこそ死に損なう可能性があります。そう考えると、やはり「首吊り」という方法はかなり有用に思えました。何よりも良いのは「殺し続けることができる」ということです。飛び降りなどの一瞬の打撃とは異なり、誰かに救助さえされなければ、地球の引力によって私はずっと殺され続けることができるわけです。誰にも見られないところで首を吊れば、まず間違いなく死ぬことができます。しかも、ほとんど誰にも迷惑をかけないでしょう。汚物が垂れ流しになるそうなので、室内の場合にはできるだけ汚物で汚さないような前処理が必要とはなるでしょうが。そのようにして私は自殺の方法について、ほぼ「首吊り」ということで意見を固めていました。

 

と、少し過激とも思える内容を書いてしまいましたが、まぁ、あくまで病んだ人間の妄言ですのであまりお気になさらず。

ただ、その11月2日の「霧氷」を書き上げた私にとっては、死ぬ方法は「首吊り」以外は考えられませんでした。そして、もうその準備は整っているのです。少し振り向けば、鉄の棒に括り付けられたロープが見えます。もうほとんど力なんて残っていませんが、せめてもの汚物の対処としてロープの下に毛布やら何やらを敷きました。電気も点けず、カーテンも閉め切った暗い部屋の中で私は暖房機の上に登ります。そうすると、少し体を伸ばせば、ロープに首を通すことができます。一度ロープに首を通してから、少しずつロープの方に体重を移していきます。が、あるところまで体重をかけると、イヤホンのコードがロープと首の間に食い込んで気持ちが悪いことに気が付きます。私はロープに首を通したままイヤホンを外し、そのままロープの輪っかの外側からもう一度イヤホンを付け直します。「これから死ぬんだなぁ」と思いながらしばらくその体勢で音楽を聴くともなく聴き、理性が後ろへ引っ込むのを待ちます。次第に理性が消えていき、ただ「死のう」という微弱な感情だけが心の中に残ります。再びロープの方に体重をかけていきます。一気に飛ぶようにして体重をロープにかけてしまうと、衝撃でロープや鉄の棒が外れてしまう恐れがあったので、あくまでゆっくりと。ほとんど体重をかけきったところで、私は暖房機の上から体を降ろします。ぎりぎり足先が床に届くので、まだこの段階では少し苦しいくらいです。が、体の力を抜いていくとだんだんとロープが首に食い込んでいきます。完全に体の力を抜いてしまうと、まるでストップウォッチを押したみたいに、死へのカウントダウンがなされたような感覚になりました。耳元ではたぶんsora tob sakanaの「蜃気楼の国」だったかが流れていたと思います。ほとんど消えている意識の中で、「この曲で死ねるのは良かったかもな」と思ったのを覚えています。あっという間に指先から体が痺れていき、意識が朦朧としてきます。じわーっと全てが霞んでいく感じがあり、「あぁ、死ぬんだな」と最後に思いました。

が、気が付くと私は無我夢中でロープを首から外し、引っ越してから部屋の隅に放置していた段ボール箱を上から抱きかかえるようにして泣き崩れていました。ほとんどパニック状態で何度も「死ぬかと思った」と口にしていたことを覚えています。どれくらいの時間そうしていたのかわかりませんが、少しだけ落ち着きが戻って来ると、ベッドの上に移動して、今度は延々としくしくと泣き続けました。

涙も収まった頃、もう一度ロープに首を通してみますが、とても死ねるような感じではありません。怖くてすぐに足先に力を入れてしまいます。足先に少し力を入れるだけで、ロープは首への圧力を一気に弱めてしまいます。冷静になってみると、よくこんな環境であの死の間際まで行ったな、と思えるほどそれは不完全な首吊りでした。駄作もいいところです。

 

もし、ロープなんて買っていなかったら、私はやっぱり寮の最上階から飛び降りていたかもしれません。もし、ロープなんて寮室に括り付けていなければ、大学時代に良く散歩した雑木林まで出向いて首を吊っていたかもしれません。

そのときの私にしてみればアンラッキーだったわけですが、お守りみたいにして首吊り用のロープを寮室に括り付けておいたおかげで、私は死ななかったわけです。馬鹿みたいなラッキーですね。寮室にロープを括りつけたときの私は本気では「死のう」とは考えていませんでした。ですが、11月2日にロープに首を通した時の私はかなり本格的に「死のう」としていたように思います。最後の生命としての反発や恐怖を殺しきれはしませんでしたが、もう少しちゃんとした整った環境で首を吊っていれば…つまり、後戻りのできないような方法で(椅子を蹴とばすような方法で)首を吊っていれば、ちゃんと死ぬことができていたはずです。

よくよく私は自分の意気地の無さに嫌気が刺しますよ。でも、確かにあの時はほとんど放心状態でしたし、理性なんてものはどこにもありませんでした。どれだけ酔っ払っても殺せなかった理性も、あの時はきっちり消し去っていましたし、あとほんの僅かな生に対する執着さえ消せていたらちゃんと死ぬことができていました。しかし、私は思うのですが、おそらく自らの強い意思だけでは(特に私のような意思の弱い人間にとっては)たぶんそこにまですら辿り着けなかったでしょう。これだけ「死にたい」、「死にたい」と言っている私ですが、大学を卒業するころには既に「死にたいけど死ねない。だから、死んだように生きるんだ」と思い直してはいるんです。そして、適応障害になり、そこからだいぶ回復した今も同じように「死にたいけど、死ぬまでは生きなきゃいけないんでしょう」と思っています。

 

7.自殺未遂から20日経って思う事

あのときの私は「死にたいけど、死ねないじゃないか」みたいな考えを飛び越えて本当に死んでしまえるくらいには、何かがダメになっていました。普通に生きていれば、「生きるべきか死ぬべきか」と考えるくらいのことはできます。そして、そんなことを考えているうちは大抵死ねないものです。でも、精神疾患系の病気ではおそらく脳の機能が低下しきり、「生きるべきか死ぬべきか」なんてことを考えることすらできません。そこには判断の余地すらないのです。

私が自殺未遂をした日の朝に判断をしたことは、「今日は会社に行かないで、創作物を書き上げる」ということでした。そこからの私の行動はまったく判断というものを欠いていました。まるでベルトコンベアに乗せられたテディベアにみたいに、私は自動的に死に向かっていくだけでした。「やっぱり死なない方がいいんじゃないか」なんてことを微塵も考えていませんでした。私の部屋には首を吊るためのロープがもう準備をされていて、あとはそこで首を吊るだけです。

でも、結果から見れば、事前に不完全な首吊りの準備をしておいたおかげで私は死を免れてしまいました。

今の私は随分と正気を取り戻しましたし、脳の機能も戻って来てますから、未だに「生きるべきか死ぬべきか」みたいな自問自答をしていますけれど、たぶん今の私には死ぬことはできません。そういうものです。だいたいシェイクスピアハムレットの名台詞である「生きるべきか死ぬべきか」というものにはちゃんと続きがあるんです。ハムレットはちゃんと「そんなもの死んでしまった方が良いに決まっている。ただ、死んだ後に地獄の業火で焼かれるのが怖いから死ねないだけだ」と答を出しています。私は別に死後の世界を信じているわけじゃありません。なので、ただ「死ぬのって怖いから」という理由で生きているだけです。とは言え、生きていることは生きていますし、私がそういう考え方と一生付き合っていかなければならないということは、既に何回もお話している通りです。

私が今回の自殺未遂から得た教訓は、精神疾患の類で脳の機能が衰え切っているときには、一度死に捉われたが最後、そこから抜け出すことはできない、ということです。もちろん、わずかにでも回復して来れば、そこから抜け出すのはそう難しくありません。ただ、下手を打てば完全な機能不全になり、「死ぬ」という判断すらできない状態になってしまいます。そんな何も判断のできない状況で、何らかのきっかけで「死」に向かうベルトコンベアに乗せられたが最後。本当に死ぬか死に損なうかは運次第ということになってしまいます。私の場合その「きっかけ」を自分で作ってしまっていることが最大の悩みの種ではありますが。

 

そして、それから少し自殺についても調べてみました。自殺未遂をした人は1年以内の再実行の確率が高く、またその時の致死率はかなり高いとのことらしいです。私自身、もう一度ちゃんと自殺することになるとは今は全く思えませんが、しかし、確かにもう1回やるとなったらより確実に自分を殺せると思います。どういう方法を取れば確実に死ねるのか、何となく今回の自殺未遂でわかってしまいました。その場で他人に手ほどきをしてやれるくらいわかったつもりです。

だからこそ、次は無いと思って、自分を大切にしていこうと思います。無理をして、また自分の脳の機能を低下させれば、わりと容易く死ねてしまいます。そのことを肝に銘じ、しっかりと治療をしたうえで会社に復帰できればと思います。

 

8.最後に…

今回はだいぶ刺激的な内容になってしまったように思います。が、別に私は誰かに自殺を勧めているわけでもなく、同情して欲しいというわけでもなく、救いを求めているわけでもありません。私はただ自分の状態を再認識するために、今回の記事を書くことにしました。

今の私は穏やかな生活を送り、普通に「あぁ、復帰したくねぇ」みたいなことを考えながら、BEYOOOOONDSの西田汐里ちゃんの写真集を楽しみにしているだけのアイドルヲタクです。働いていませんが、傷病手当金が少しは入ってきます。怠惰な生活を営み、こうやってダラダラとブログに記事を投稿しては、アコースティックギターラピュタの「君をのせて」の練習をしている暇人です。あ、ちなみに、ギターを弾きまくっていたらまた五十肩がぶり返して来たので、どうやら五十肩の原因はギターだったようです。

昨日は神社から頂いた御神酒を家族で飲んで、ほろ酔い気分で特番の「まつもtoなかい」を観ていました。最近、私は小池栄子さんのバラエティ番組での立ち回りにハマっており、昨日もそれを楽しむことができました。が、昨日の小池栄子さんはちょっと力み過ぎだったようにも思います(笑)。あれだけの手練れでもさすがに緊張する番組だったんですね(笑)。あと、最近は芦田愛菜ちゃんが可愛すぎてちょっとヤバいですね。「博士ちゃん」というバラエティ番組も昨日はちらちら観ていましたが、嵌り過ぎるのが怖くて、ちゃんと観ることができないほどです。やっぱり生粋のロリコンなんでしょうか。まぁ、知ってはいましたが。

と、そんな感じで少しずつ元気になってきていることは確かですし、昔の私を知る人が仮にこのブログを観ていたら、「あぁ、治ってきているのね」と思ってくれると思います。そうなんです。私はもとからそんなに真面目なタイプではありませんし、「会社のために頑張ろう!」「1日でも早く復帰しよう!」なんてことを考える人間ではないのです。むしろ、毎日復帰に向けて頑張っていた私の方が異常だったのです。

私は小・中・高とほとんど家で勉強したことがありません。それは何も学校の図書館や塾の自習室で勉強していたとかそういう意味ではなく、単純に勉強が嫌いだっただけです。夏休みの前にできるだけ授業中に宿題を終わらせ、終わらなかったものは9月まで手を付けません。高校時代は小学生から続けていたサッカーを「走るのが嫌い」という理由で高2で辞めました。シャトルランは35回でやめます。大学時代は1年留年をしたうえ、就職したくないという理由で院にまで行かせてもらいました。塾講師のアルバイトもしていましたが、30%くらいの確率で二日酔いで行っていましたし、そのせいで卒塾する生徒からもらう手紙の多くには「お酒はほどほどに」という文言が書いてありました。会社の同期からもクソヤロー呼ばわりされています。適応障害になっているのに、カラオケでオールする30手前の人間ですから、クソヤロー以外の何者でもありません。

むしろ私は私を取り戻し、またここからスタートです。綺麗ごとはなし。死んだように生きていくんだろうが、自分よ。

 

というわけで、今日は20日経過記念ということでこんな文章を書かせていただきました。もし嫌な気分になってしまう方がいらしたら誠に申し訳ございません。でも、こんな酷い内容の記事を書いても、笑点で笑えているくらいにまで回復しているんですよ。病気が深刻な時の私の方がよっぽどまともだったんじゃないかとさえ思いますけれどね(笑)。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.28

適応障害と診断されて38日目(11月21日)の夕方にこの記事を書き始めています。もはや適応障害とはほとんど関係のないただの日記と化してきました。

 

前回

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1.適応障害と診断されて37日目~睡眠~

朝また少し早めに起きることに成功するも、とても身体が重いです。しかしながら、何とか会社へ行く父と妹を見送ることができました。これはここ最近の私にとってはちょとした快挙です。が、雨も降っているし、することもないので、とりあえず気になっていた「田村淳のコンテンツHolic」の藤井健太郎さんがゲストの回を観てみました。

藤井健太郎さんは「水曜日のダウンタウン」を始めとした、「クイズ・タレント名鑑」や「テベ・コンヒーロ」などの私が大好きな番組を手掛けている方で、演者側で映像媒体に出演するのは初めてということでした。Twitterでフォローするくらいには藤井健太郎さんが好きなのですが、番組ではどんなコンテンツに影響を受けているかが紹介されていました。中でも「さらば青春の光」(お笑いコンビ)と藤井健太郎でやったイベントには非常に興味をそそられました…いやぁ、第2回やってくれるならぜひ見に行きたいですね。Netflixとかでやってくれれば、1番手っ取り早いんですが、「これだけ自由にコンテンツを視聴できる世の中で、あえて視聴の難易度がめちゃくちゃ高いものやってみたかった」と言っていたのでなかなか難しいですかね。

藤井健太郎さんが紹介していたコンテンツで私が興味を持ったのは、Netflixで公開中の「ブラックミラー・バンダースナッチ」という作品でした。「ブラックミラー」はアメリカ版の「世にも奇妙な物語」みたいなもので、「バンダースナッチ」を題材にした作品です。「バンダースナッチ」というのは昔よくあった、「Aの選択肢なら43ページに、Bの選択肢なら25ページに」みたいな本という形式の冒険ゲームみたいなものです。私も昔に何かでやったような気がします。この「ブラックミラー・バンダースナッチ」というコンテンツの面白いところは、実際に映画を観ながらも、視聴者が自分たちで選択肢を選び、それに応じたストーリーが展開されるというところです。実際に私がやった後、母にもやらせてみましたが、別の結末になりました。久しぶりに刺激的なものに出会った気がします。

藤井健太郎さん自身も「水曜日のダウンタウン」の中で、「dボタン」と「クロちゃん(安田大サーカス)」を使って(「使って」という言葉は失礼ですね…)やった経験があるそうですが、選択肢の決定方法が視聴者の多数決にしてしまうと展開が刺激的な方に流れ過ぎてしまい、本当に面白い展開にはならなかったと少し残念そうでした。いつかのインタビューでも、「オチは複数用意していて、どう転んでもオチがつくように企画を考えている」と語っていましたし、今や伝説となっている「6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア」での藤井健太郎さんの回でも見せている通り、本当に下準備に余念が無い人だからこそ、こういう「ブラックミラー・バンダースナッチ」みたいなものが好きなんだと思います。ハプニングを楽しみながらも、そのハプニングすら自分の制御下に置いてしまう…さすがです。

他にもあさぎーにょさんの「もう限界。無理。逃げ出したい。」というコンテンツも紹介されていましたが、これは何のきっかけだったかで私も観たことがありますね。

 

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私も素直に面白いと思いましたが、藤井健太郎さんは「YouTuberをフリにして、新しいメディアで質の高いコンテンツを作っている」というその構造自体に面白味を見出しているようでした。題材的には結構やり尽くされているものなので、実は私的には「まぁ、こういうのは好きだしなぁ」くらいだったのですが、そういう見方もあるわけですね。

 

そんな感じで午前中を作品観賞に捧げたわけですが、昼食後、暴力的な眠気に襲われます。たぶん直前までNetflixでアニメの「ピンポン」を観ていたと思うのですが、実はあまり記憶がないほどです。午後の1時過ぎくらいに恐らくソファの上で眠りに落ちて、2時半過ぎくらいに1度起床。トイレを挟んで、そのまま自室で睡眠。気がつけば6時前になっていました。

いったいあの眠気はなんだったのか…

よくわからないまま、夕飯を食べ、だらっとバラエティー番組を観て、「STAND BY ME ドラえもん」を観て、「ダウンタウンなう」を途中から観て、風呂に入って、「カリオストロの城」の本当に最後のシーンだけ観て、自室に引き上げました。

 

ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの半日です。

 

アニメ「ピンポン」を数話観て、就寝。そんな1日でした。本当に、私は一体何をしていたんでしょう。

 

2.適応障害と診断されて38日目~疲労コネティカットのひょこひょこおじさん

朝6時に尿意で起床。子泣きじじいでも背負ってるのかというレベルの体の重さでしたが、用を足してまた就寝。その後、8時に母に起こされますが、強烈な眠気と疲労感でなかなか起き上がることができません。それでもなんとか8時半ごろにはリビングで朝食を摂り始められたものの、頭痛が酷いです。イヤホン+読書+ごろ寝で頭痛をやり過ごし、気が付けば10時近くになっていました。

昨日の眠気から異常な疲労感がありましたが、おそらくは連日のあれやこれやというのが結構体には堪えていたのだと思います。別に、ちょっと母とドライブに行ったりしていたくらいですが、それでも今の私には結構な疲労になってしまうようです。少しは自重せねば。ということで、今日は1日ゆっくりお留守番ということになりました。

家族が出払ってしまったので、私は1人でスピーカーで音楽を聴きながら、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」という短編集の「コネティカットのひょこひょこおじさん」の考察記事を書き始めました。ずっと書こう、書こうと思い、少しは書いてあったものの、先延ばしにしていたのです。それがこうやって適応障害なんてものに罹り、奇しくも時間ができたため、再度書き始めた次第です。昼飯を挟んで、書き上げたのが15時半くらいです。ということはだいたい4時間弱くらいは、短編集とこのブログを突き合わせたりしていたわけですね。結局、疲れるようなことしてしまったんじゃないか、と思いながらも、今は割と気分が良いです。

実家の大きなテレビも独占していますし、久しぶりにまともに頭を使ったような気もします。

ただ1つ問題があるとすれば、昨日は寝ていただけだし、今日は考察記事を書いていただけなので、この「適応障害ブログ」で書くことが何もないということです。ただでさえ、最近は積極的な治療をしているわけではないので、ただの日記と化しているこのブログです。よくよく考えて見れば、1日あたり3000字近い日記が書ける日々を過ごしている時点で(個人的な思索がその大半を占めるとは言え)、なかなか行動的な日々を送っているわけですよね。ちなみに、今回のブログについて、ここまでは1日1500字ペースです。いつもの半分くらいなわけです。

 

3.ひとり言

というわけで、何も書くことが無くなってしまったので、ここからは本当に何の計画性も、何の手がかりもなしでひとり言を言っていきたいと思います。この文章を書いている段階では、まだ何を書くとも決めていません。もう自分の言語野に全てを任せました。

そう言えば、そんな風にして創作物を書いたことがありますね。

 

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このブログのタイトルにもなっている「霏々」という創作物です。動物の「ヒヒ(狒々)」というイメージを持って書き始めた記憶があります。たしかちょうどその頃にバズマザーズの「ムスカイボリタンテス」というアルバムが発売され、バズマザーズと言えば山田亮一、山田亮一と言えばハヌマーンハヌマーンと言えば猿…ということで、「猿」にちなんだタイトルを考えていました。そこで「ヒヒ」という音の響きの良さに惹かれて、何か丁度いい読み替えが無いか、PCの変換機能に頼ってみたところ、「雨がしとしと降り続ける様」を意味する「霏々」という言葉にぶち当たりました。創作物のコンセプトとしても、「ただただその時に思っていることを書く」というものでしたから、「しとしと」というほど感傷的で繊細な内容でないにせよ、「延々と降り続ける」みたいなイメージで「だらだら」書き続けるということに若干マッチしているように思いました。結果的に、自分のトラウマを暗喩するシーンでは「霏々」という言葉を盛り込むこともでき、今では結構納得しているタイトルです。

そして、ちょうどその「霏々」を書き上げた辺りで、「ブログをやってみたい」と思い始めていたので、ブログのタイトルにもほとんど同じような意図を持って「霏々」というタイトルをあてがってやりました。なんて言うか、自分の創作物とかそういうものに対して、自分で解説を加えるというのは無粋だと思いますが、まぁ、せっかくなんでね。それにこんなわけのわからないタイミングでブログタイトルの意味を書き出すことに関して言えば、それなりに粋でもあるかなぁと思ったり、思わなかったり。

結局、今となってはこうしてだらだらと(霏々と)意味のない文章を書いているので、ブログタイトルの設定としては正解だったように思います。

繰り返し無粋なことをしますが、創作物の「霏々」の中で好きな言葉がありまして、それは「全ての言葉が全ての言葉に対する枕詞であるように」というものです。文章を書くことが好きな私にとっては、「何か書け」と言われれば、とりあえず私は何かを書けます。もちろんその書いたものに何も価値がないというのは私のお墨付きです。まるで1人で「マジカルバナナ」をしているようなもんです。延々どころか永遠と私は1つの言葉を枕詞にして、また次の言葉を引っ張り出すことができます。こんなものは能力でも何でもなく、ただ恥も外聞もないというだけであって、むしろ「能力の欠落」によって私はだらだらと文章を書き続けることができてしまうわけですね。

話は変わりますけれど、今日の私の唯一の活動(屋外への投身)はゴミ捨てでした。猫の糞が入ったゴミ袋を手に下げ、上下はスウェット、足元はクロックスという格好で無精ひげを伸ばした30手前の男が近所を闊歩することに、両親はきっと良い想いをしないだろうなと思いつつも、着替える気にも髭を剃る気にも、働く気にもなれない私はだらだらとした足取りでゴミ捨て場へと向かいました。ゴミ捨て場の扉を開けると、そこは空っぽ。あぁ、間に合わなかったか。悠長に昼飯を食べている場合ではありませんでしたね。ゴミ捨てすら満足にできない自分とは、どれだけクソ野郎なんだと、猫のクソを手に提げながら来た道を戻ります。風は冷たく、冬の予感を孕んでいます。そう言えば、以前会社の報告書か何かで「○○という可能性を孕んでいる」という言葉を使ったところ、上司から訂正が入りました。「孕む」という言葉はあまりこういう時に使わないものだよ、と至極真っ当なご意見をいただいたわけです。かねてより、私は日本語の数が減っているような気がしているのですが(「激おこぷんぷん丸」みたいな言葉がこの先に残っていくのであれば、そんなにも減っていないのかもしれませんが)、こういう風にして少しずつ日本語も淘汰されていくのだなぁと思いました。もちろん、効率性を追い求める社会においては、不要物の排除こそが重要であり、私たちは均質化された共通言語でコミュニケーションを図ることが求められ続けていくでしょう。はて、いつの間にかゴミ捨ての話から、語味捨ての話になってしまいました。ちなみに、「語味」なんて言葉はありません。「言葉やその意味を表す」用語として今しがた私が勝手に作りました。「激おこぷんぷん丸」と一緒に死んで、お隣の土を盛っただけの墓に埋葬されてください、どうぞ。

猫の糞と怠惰と駄文を詰め込んだゴミ袋を実家に持ち帰り、ベランダに放り投げます。まるで自分自身を寒空の下に放り出しているようで悲しくなりましたが、匂うので仕方がありません。この社会は不要物を排除することでさらなる高みへと向かっていくそうです。なんとも頼もしい。そして、喜ばしい。スペースシャトルが不要になった燃料タンクを切り離すことで更なる推進力を得るように、さっさと私を切り離して、宇宙の果てまで飛び去ってほしいものです。宇宙の事象的地平面の向こうまで。

ちょっとした宇宙科学かぶれになってからというもの、私には宇宙の果ての意味もよくわかるようになりましたし、人間の認識能力の限界についてもだいぶ受け入れられるようになってきました。つまり、情報伝達の限界です。しかし、だからこそ、知覚を前提とした言わばアポステオリ的な認識ではなく、知覚不要の完全な自己の理性から成り立つ言わばアプリオリ的な認識に助けを求め、私は自分の殻の中に閉じこもろうと考えてしまうわけです。けれど、どうやらその自己完結的な理性すら完全ではないそうです。全く以って救いのない世界ですよね。どこをどう見渡しても限界の壁ばかり。でも、その壁に辿り着くことすら私にはできないわけです。無限の霧の中でとりあえず歩いていたら、色んな人が「この先に壁あり」という立て札を親切にも至る所に残してくれているのです。はぁ。もはや霧だらけでどこに向かって歩いているのかもわからないのに、結局行きつくところは壁です。では、何のために歩いているのか。まったく、溜息しか出てきませんね。だから、あとは適当に散歩するようにだらだらと文章を書くことしか私には残されていないわけです。

と、だいぶ訳の分からないことを書き散らしてしましました。

と、これでようやく5700字まで来たので、あと300字程度書いて、今日の分はお終いにしましょう。

 

300字という僅かな余命の中で私が最後にやりたいことは、ゴミと倫理について喋ることです。私は幼い頃から「ゴミの分別をしなさい」と言われて育ってきた世代です。今日も使い切ったティッシュ箱の裏側からビニールの口部分を剥がして捨てました。こんな些細なことにどれだけの意味があるのか。私が動植物を喰らい、そこから得たエネルギーを使ってまでやる価値があるのか。しかし、そういった計算や分析抜きで、私は習慣的にそういった分別を行っています。イデオロギーから集団の倫理観へ、集団から個人の倫理観へそれは落とし込まれ、最終的には私の習慣としてそれは定着しました。でも、私には「ゴミを出さない」という習慣がありません。(300字)

 

さて、これで6000字に達したので、終わりましょう。今日も今日とて、ゴミを増やすだけの日でした。地球よ、赦してたもれ。

 

次回

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J.D.サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」考察 vol.2 ~コネティカットのひょこひょこおじさん~

長々しい前置きはやめて、前回の続きから進めていきたいと思います。

 

 

 

1.vol.1 前書き・バナナフィッシュにうってつけの日

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2.コネティカットのひょこひょこおじさん

「1.バナナフィッシュ~」に引き続き、グラース家のメンバーが登場する短編です。グラース家は上から4番目(三男)のウォルトが登場しますね。本作においては、まだウォルトはグラース姓を与えられていませんが、本作で提示されるパーソナリティ・来歴は後のグラース家を描いた作品にまで引き継がれています。なお、ウォルトには双子のウェイカーという弟が後に与えられることになりますが、本作には関係の無いところになります。

とは言え、本作の主軸となるのは亭主と幼い一人娘を抱えた主婦であるエロイーズと、その大学時代の友人であるメアリ・ジェーンの「会話」です。2人は大学寮のルームメートだけあって、互いに所帯を持ってからも良き友人であります。ネタバレになりますが、エロイーズは戦争で元旦那のウォルトを失っており、その後新しくルーという男と結婚し、娘のラモーナを授かっています。エロイーズとメアリ・ジェーンが会うのはおそらく数年ぶりといったところ(明記されていませんが、文章の雰囲気から…)で、久しぶりの再会に、大学時代の思い出話をつまみにして昼過ぎからお酒を飲んでいる場面が本作のほとんどを占めています。

本作を読み解くにあたって、大まかな重点を羅列すると、

・エロイーズの現在の生活に対する評価

・エロイーズのウォルトに対する想い

・エロイーズの娘に対する解釈

という3点が挙げられます。昔馴染みのメアリ・ジェーンとの会話(酒)を通して、エロイーズの閉ざされた心の中で降り積もっていた「何か」が溶け出し、この3点が再構築・再認識されていくというのが、物語の構成となっていますね。

本作においても、サリンジャーの淡麗かつ急所では激しく熱された文体が光っておりますので、前回同様物語冒頭の導入から始めていきましょう。

 

・導入 再会から雑談

冒頭からまるっと1段落で、主演であるエロイーズと、助演を務めるメアリ・ジェーンの人格紹介がなされています。また具体性のある2人の来歴やそれと付随した関係性などは2段落目でなされているものの、この1段落目では2人の行動ややり取りからもっと直接的な人間関係が見えてきます。

道に迷い、狼狽し、とんちんかんな受け答えをして、終いには「それにしてもヘルニアってどんな病気?」とずれた質問を投げかけるメアリ・ジェーンの行動からは、彼女がどこか所謂「天然」っぽいところがある女性だと読み取れます。対して、主演のエロイーズはそんなメアリ・ジェーンの言動を冷静に受け止め、訂正を与えたり、最低限の不満を言ったり、ヘルニアについての質問には「メアリ・ジェーンなどにはまず罹る気遣いのな病気だ」と皮肉交じりの答を返しています。このことから、頼りのないメアリ・ジェーンのことを、いつも冷静沈着でどっしりと構えたエロイーズがフォローしているという2人の関係性が見えてくるでしょう。

2段落目では、すでに説明した通り、2人が大学時代のルームメイトで、ほとんど同じ時期に大学を中退しており、一般的に考えてもかなり親密な間柄にあることが精細に説明されています。退学の理由が不純異性交遊(みたいなもの)というのが、また2人の多感な女子大生時代を思わせますね。そして、何だか時代ようなものも感じます(現代であれば不純異性交遊くらいで退学処分にはならないと思うのですが…それくらいで退学処分になるのであれば私は何度退学になったことか…なんてことを言ってみたいものです)。

少しくだらないことに文字数を割いてしまいましたが、その後の2人の会話を追っていくと、本当に2人が対等で気の置けない間柄であることが伝わってきますね。噂話などで盛り上がるところはいかにも女友達らしい感じですが、エロイーズの方が若干口が悪く辛辣で、メアリー・ジェーンはエロイーズよりも幼い感じがあり、エロイーズの辛辣な部分にも共鳴して会話を楽しんでいます。注意深く読んでいかないと、ときどきどっちがどっちのセリフかわからなくなってしまうかもしれませんが、基本的には辛辣な方がエロイーズで、軽薄な方がメアリー・ジェーンという感じでしょうか。どちらの形容も悪口みたいに聞こえて申し訳ありません。そして、辛辣と軽薄では結局わかりにくいですよね。とは言え、この一連の会話を通して押さえておきたいポイントは、そういった2人のパーソナリティの比較というよりは、共通の話題を誰に気兼ねするでもなく楽しそうに話す2人の「親密さ」です。

 

さて、ここまでをざっとまとめます。

まず、2人の会話から見る通り、エロイーズとメアリ・ジェーンはかなり親密な間柄ということですね。この2人の親密さがあるからこそ、今後の展開の中でエロイーズは自らの閉ざされていた心の扉を開き、感情を吐露できるようになるわけです。

そして、冒頭の再会シーンと、会話の節々から、エロイーズは冷静沈着かつ辛辣…つまり、所謂「サバサバ」したタイプの女性で、メアリー・ジェーンとセットで考えたとき、微妙ではありますが「エロイーズ>メアリー・ジェーン」というパワーバランスがあることが見えてきます。もちろん、友情において「どちらが上」ということはなく、例えば「いじる側>いじられる側」というわけではないというのも、忘れているわけではありません。ただ大小関係で表しておくと後々便利なので、このように表記させていただきました。

そのようにして、物語が進んでいくと、次第に心の鍵が緩んでいくエロイーズはその持ち前の「サバサバ」した感じを失っていきます。最終的には涙を見せ、メアリ・ジェーンに自分を肯定して欲しいという状態にまでなります(物語はそのシーンで終わるわけですが)。

というわけで、この導入で描かれた再会シーンから雑談シーンまでは、今後の物語の展開上必要な「前振り」として機能していることがわかります。

サリンジャーの書き出すリアリティ溢れる淡麗な文章は、一文々々の精巧さは言うまでもありませんが、全体の構成力もまたさすがの一言ですね。極力情感のようなものを排除してるからこそ、一瞬だけ浸み出す「熱」が言いようのない物語の深みを作るというのが、特にこの「ナイン・ストーリーズ」に見られるサリンジャーの都会的な文章の特徴だと思います。そして、その特徴は本作においてもいかんなく発揮されるので、それも楽しみにしながら先へと進めていきます。

 

・ラモーナの登場

エロイーズとメアリ・ジェーンが共通の知人に関する下世話な噂話をしているところに、不意にラモーナが現れます。「ニグロ」や「強姦」といったあまり子供には聞かせたくない言葉が飛び交う中での登場です。エロイーズは「ドアを閉めて」や「オーバーシューズを脱がせてもらって」と娘のラモーナに母親らしい指示を出しますが、この最初の段階ではどこかメアリ・ジェーンとの楽しい時間を邪魔されたくないという雰囲気が滲み出ているように思います。娘が帰って来たというのに、ソファから立ち上がる様子も無く、頭をもたげて声を張り上げたり、目をつぶったまま怒鳴っていることから、そんな印象が付与されているように思います。対して、お酒を零したメアリ・ジェーンに対しては、自ら新しいお酒を作って来ようかと申し出ていますね。

最たるものは「ラモーナは誰に似ている?」とメアリ・ジェーンに聞かれて、父であるルーの名前を出しますが、最後には「父親似でなく、コッカー・スパニエル(犬)のように自分に似ている存在が欲しい」と皮肉のような冗談を零しています。ほかにも視力の話や、物語の核心であるイマジナリーフレンドのジミーの話に対するエロイーズの態度からは、実の娘であるラモーナのことをあまり理解できていないという自覚があるように見受けられます。エロイーズは娘のラモーナの事を愛していないわけではないのでしょうが、しかし理解することのできないラモーナのことを溺愛まではできていません。エロイーズはラモーナの行儀の悪さを細かく指摘していますが、子供目線に立ってラモーナに話しかけるメアリ・ジェーンが描写されることで、よりエロイーズの自らの娘に対する苦手意識みたいなものが浮き彫りになっています。

「バナナフィッシュ~」でも、幼いシビルと彼女の母との乖離感がありましたが、ここでも同じように母:エロイーズと、娘:ラモーナの乖離感が描かれているように思います。ただ、今回は母であるエロイーズ視点で、その苦い感情を私たち読者は感じることができるでしょう。

ラモーナが再び外に遊びに出掛けると、それを見計らっていたかのように、エロイーズは酒を作るために立ち上がります。用事(というか仕事)があるから、と帰ろうとするメアリ・ジェーンを無理やり引き留めて、何とかそれに成功すると、気分を良くしたのかストリップの真似事をしてメアリ・ジェーンを笑わせます。こうして娘がいなくなった瞬間に機嫌が良くなるという描写もまた、エロイーズとラモーナの間のぎこちなさを後押ししているように思います。

さて、この最初のラモーナの登場もまた物語の前振りとして機能しています。「天然」で考えの浅いところはあっても、子供に対して優しいメアリ・ジェーンと比較すると、やはりもともと「サバサバ」した性格のエロイーズとは言え、実の娘に対する素っ気なさからは何か不穏なものを感じますね。そして、上ではほとんど触れていませんが、ジミー・ジメリーノというラモーナのイマジナリーフレンドも登場するのですが、この「イマジナリーフレンド」という存在がある意味ではこの物語全体を通しての1つの象徴として君臨しています。この象徴をどう解釈するかについては、また後半で話していこうと思います。

 

・ウォルトとの思い出話

エロイーズは一貫して、前の恋人であるウォルトのことを心の底から愛していること彼女の思い出話からが伺えます。思い出話は主に4つあり、「かわいそうなひょこひょこおじさん」・「汽車の道中」・「軍での進級」・「死んだ理由」に分けられます。間に現在の夫であるルーに対する批評なども入りますが、まずはこの4つの話から伝わって来るウォルトの人物像とエロイーズとの関係性について話していきたいと思います。

まず、「かわいそうなひょこひょこおじさん」の話から言えるのは、ウォルトが優しさとユーモアに富んだ人間ということです。ちなみにわざわざ説明するまでもなくきちんと訳注にありますが、ウォルトのこの冗談は、足の悪い老兎である「ひょこひょこおじさん」が登場する童話を引用した単なる駄洒落です。「アンクル=uncle(おじさん)=ankle(くるぶし)」ということで、そういった状況に合わせて駄洒落をさっと言えるような頭の回転の速さや、それをあえて恥ずかしがったりせず、しかもおそらくはドヤ顔無しで言ってしまえるところにウォルトの魅力があるのだと思います。また、ここが1番重要なのかもしれませんが、くじいてしまったエロイーズの痛む足に対して、「かわいそうな」という修飾語をつけているところも、素敵な部分ですね。きちんと相手のことを心配しながらも、ちょっとしたユーモアで笑わせてくれる。そんなウォルトの事を思い出してエロイーズは「いい子だったなぁ、彼」と懐かしみます。

次に「汽車の道中」の話では、ウォルトがユニークで飾り気のない豊かな愛情表現を持ち、また常に面白味のある言動でエロイーズを笑わせてくれる存在であったことが語られています。エロイーズのお腹を撫で、これだけ幸福だと、逆の手は汽車の窓の外に放り出して吹っ飛びでもしないと釣り合わないというようなことをウォルトは言います。格好つけるでもなく、おそらくは本心でそんなバカげた愛情表現のできる彼に対し、きっと今では皮肉っぽいエロイーズも少女らしい幸福を感じたことでしょう。そして、ふいに現れた車掌に向かって、現代の日本で言うところのちょっとしたミニコントをしかけたりして、エロイーズを楽しませてくれます(車掌さんの対応も素晴らしいですが)。これらのことから、ウォルトが幸福や喜楽を隠さず、少年のような真っ直ぐさと機転の早さでその場その場を明るくしてくれるような存在であることがわかります。

3つ目の「軍での進級」に関する話では、ウォルトの社会観みたいなものが伺えます。一般的には軍で進級することが重要視される社会において、ウォルトは自らの進級の方向性について、次々軍服をちぎり取られて最後にはへそに小さな歩兵のバッジだけが残るだろう、とエロイーズに話しています。軍なんてくだらない、というウォルトの基本的なスタンスが垣間見えますね。が、それだけでなく、この話を喋る前に思い出してエロイーズは不意に笑い出しており、このことからウォルトが半分以上はエロイーズを楽しませるためにそんな話をしたことが伺えます。自分の社会観を話すときにすら、ウォルトはユーモアを忘れずにいつだってエロイーズを笑わせています。

最後の「死んだ理由」に関しては、話というよりはただの事実ですが、ウォルトが戦地から引き上げる際のガスストーブのしょうもない爆発事故で死んだことが明らかにされます。人間の死に様ですから笑えたものではありませんが、それでも剽軽者の青年にとってはある意味では「らしい」死に方だったとも取れます。ウォルトならおそらくユーモアやコミカルな演技で以って、自分の死に際を面白おかしくエロイーズに言って聞かせたことでしょう。

これだけ並べて見ると、ウォルトがエロイーズを深く愛しており、かつ世間体やら何やらをうっちゃって、ただただ2人での面白く楽しい時間を作りたいという人間であることが伝わってきますね。純粋無垢な青年というイメージがあります。

対する現在のエロイーズの夫であるルーは、ウォルトとは全く逆のタイプの人間であることが伺えます。軍での階級を気にしたり、知的ぶったり、女々しい独占欲があったり、とそんなふうにエロイーズからは評されています。「低能」とすら言われていますからね。実際問題として、ルーが本当にそれだけエロイーズに悪態をつかれるほどの酷い夫であるかは疑問が残ります。メアリ・ジェーンもルーに対して「知性がないとはいえない」と評していますし、おそらくは世間一般の観点で言えば、ルーは大人びていてしっかりとした社会人ということになるのでしょう。エロイーズが羅列するような欠点も幾分かあるのでしょうが、それもどちらかと言えば、「男なんてそういうものでしょう」と割り切れてしまうくらいのものです。世の女性から言わせれば「気にするほどのことじゃない。むしろ自慢の夫じゃない」というくらいのもののような気がします。ただ、エロイーズからしてみれば、ルーがそんな風に世間から評価が高いことも気に入らないのでしょう。この辺りもまた作者であるサリンジャーらしい、世の中に対する穿った見方がエロイーズを通して漏れ伝わって来る部分になります。

当然ながらメアリ・ジェーンは「じゃあ、なぜルーと結婚したのか」と尋ねますが、これに対してエロイーズは上手く答えることができません。というか、答えようとしても出て来るのは悪態ばかりです。エロイーズは当初、ルーが「ジェーン・オースティンが大好きで、彼女の作品は自分にとって非常に重要な意味を持っている」と言っていたことに惹かれたと考えています。ちなみに私もジェーン・オースティンの作品は直接読んだことはありませんが、ずっと昔にNHKの「100分で名著」で「高慢と偏見」が紹介されていて何となく話の肝はわかっているつもりです(この記事を書くにあたって再度Wikipediaであらすじだけ確認しましたが)。ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」では、貴族らしい「高慢さ」であったり、貴族の間のパワーバランスなどから来る上位から下位、下位から上位に対する「偏見」が恋愛物語のキーとなっています。エロイーズはウォルトのように高慢でもないし、偏見みたいなものもあまりない純朴な人を好いていましたし、それでいて知性的な部分を感じさせるルーに惹かれたのでしょう。ウォルトのように無垢な青年も素敵だけれど、自分も歳を取ったし、結婚して家庭を持つならルーみたいな落ち着いた人間も良いだろうと考えたのかなぁ、と私は想像しています。ましてやルーはジェーン・オースティンが好きで、エロイーズが苦手とする「虚栄心」みたいなものがなさそうだし…でも、結婚してみればルーはジェーン・オースティンなんか1冊も読んでいないし、そこら辺にいる高慢で偏見に満ちた男と何ら変わらないことがわかってしまいます。ただルーは(社交的な場では特に)そういう風に自分を見せない大人びた立ち振る舞いができるというだけのことだったのでしょう。

また、ルーの嫌なエピソードについて1つ印象的なものがあります。自分で読んだ本のルーの評し方に対して、エロイーズは「良く書けているなんて言わずに、素直に気に入ったんだって言えば良いじゃないか」と言っています。いま手元に本が無いので記憶に頼って書きますが、確かサリンジャーの「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」の中に出て来るシーモアの手紙か日記か何かの中で同じようなエピソードが出てきます。シーモアは自分の愛する妻のミュリエルの言葉遣いの変化について自責の念を抱いています。たしかこんな内容でした。「彼女はそれまで可愛いものを見たら素直に『可愛い』と言っていた。でも、いつしか『なかなか良いわね』と言うようになった。いや、そういう風に僕がさせてしまったのだろう」。と、つまりはサリンジャーが、自らの理知的な部分が、本来であれば知性なんかよりもよっぽど優れた純朴さや無垢さを殺してしまうと考え、憂いているわけです。本短編集「ナイン・ストーリーズ」のラストを飾る「テディ」の中でも、このような人間の理性に対する嫌悪感みたいなものが描かれており、そんなサリンジャーらしい感覚をエロイーズもまた宿していることがわかるエピソードになっています。

サリンジャーが考える理想であるところのウォルト、そして嫌悪の対象としてのルー。その狭間に立たされ、ルーの側しか選び取ることができずに悲嘆に暮れるエロイーズという立ち位置がこれらのエピソードから描き出されています。

 

・ルーとの電話、グレースとの会話

ウォルトの思い出話をして泣き出してしまったエロイーズのもとに、娘のラモーナが帰って来ます。しかし、悲嘆に暮れるエロイーズにはラモーナの世話をしてやるだけの気力がなく、メアリ・ジェーンに代わりにやってもらうよう頼みます。ここではラモーナのイマジナリーフレンドのジミーの事故死についても語られますが、これについてはまた後でまとめて意味を考えます。

メイドのグレースがお手洗いで不在の中、メアリ・ジェーンはラモーナのオーバーシューズを脱がしてやることができず、結局エロイーズが自分でラモーナのオーバーシューズを脱がせてやることになります。そして、そのときにラモーナが少し熱っぽいことに気が付き、さっさと部屋で夕飯を食べて寝るようにと命令して追っ払ってしまいます。エロイーズはラモーナがいなくなってからまたすぐに煙草を吸い、酒を飲みます。

もともと理解し合えない娘のラモーナに対するストレスもあるでしょうが、酒と悲しい昔話(と現状の比較)のせいでかなり参っていることが伝わってきますね。そして、そのエロイーズの悲嘆に暮れ具合みたいなのが、ルーとの電話やグレースとの会話によってさらに強調されることになります。

 

まず、ルーとの電話ですが、酔って眠っているところに電話がかかって来て、部屋の明かりも点けないままエロイーズはその応対をします。エロイーズは「迎えには行けない」と返答しつつ、かなり厭味ったらしい言葉を投げかけることになります。また、この場面の描写の妙としては、ルーのセリフが一切記述されないことで、エロイーズが自分の殻に閉じこもっていることが強調されます。完全に夫の心情なんか無視しており、ただただ自分が気に食わないからという理由で、夫を一蹴してしまうような感じです。特に雪の中を歩いて帰らなければならなくなった夫のルーに対して、「いっそのこと隊を組んで、おイチニ、おイチニと行軍して来れば、あんたも隊長風吹かせられていいじゃない」と馬鹿にするようなところからは上述のような、夫のちっぽけな虚栄心に対する厭味が伺えますね。最後には、エロイーズは「あたしは変じゃない。変なのは顔だけよ」と投げやりな自虐をして一方的に受話器を置いてしまいます。このことからもエロイーズの参り具合が伝わってきます。

次に、メイドのグレースから「今晩ここにうちの亭主を泊めちゃいけないかね?」とお願いをされますが、エロイーズは「うちはホテルじゃない」と冷たくつけ返します。エロイーズはメアリ・ジェーンとの会話の中でグレースのことを「あの唐変木」呼ばわりしたり、グレースのいるキッチンには「オレンジ・ジュースみたいな匂いがプンプンしているから行きたくない」などと明らかな嫌悪感を見せたりしています。娘のラモーナの世話を押し付けたり、とまぁこれは当時のメイドとして当然の役割だったのかもしれませんが、何となくエロイーズからは今回の件とは無関係にメイドのグレースに対して、何らかの負の感情があるようです。この理由ついては明記されていないように私は思いますが、夫・娘・メイドとエロイーズは今の自分の置かれている環境全般に対する嫌悪感が本作の基盤となっているため、そういう意味では一貫性のある反応ということになりますかね。とは言え、グレースはある程度「亭主を泊めてもらえるんじゃないか」という考えのもと、エロイーズにお願いをしているわけですから、普段のエロイーズならグレースの依頼を了承していた可能性もあるはずです。見極めは難しいですが、このグレースの依頼を拒否するところからも、現在のエロイーズの精神状態がかなり投げやりで底意地悪くになっているのではないかなと思われます。

そして、最後にはラモーナの部屋に行く途中の階段の踊り場に脱ぎ捨てられているラモーナのオーバーシューズを拾い上げ、玄関に向かって思いっきり投げています。エロイーズの中で強い怒りの感情が爆発していることがわかります。これはある意味では決定的な描写と言えるでしょう。

 

・ラモーナのイマジナリーフレンド、ラモーナの眼鏡

既にメアリ・ジェーンと話していた通りに、ラモーナはイマジナリーフレンドのために場所を空けてやり、ベッドの端っこで落ちそうになりながら眠っています。が、イマジナリーフレンドのジミー・ジメリーノは先ほど交通事故で死んでいたはずです。そして、一応先に書いておきますが、この時の描写ではラモーナの眼鏡が「つるを下」にしてい置かれていることも記述されています。しかし、この眼鏡の置き方については、また後で考えますので、まずはイマジナリーフレンドを巡るエロイーズとラモーナの会話について考えていきます。

と言っても、たいした会話はありません。ただ、ラモーナは死んでしまったジミー・ジメリーノの代わりに、ミッキー・ミケラーノという新しいイマジナリーフレンドを作ったというだけのことです。これに対して、エロイーズはヒステリックに「ベッドの真ん中で寝なさい」と怒鳴りつけます。しかし、これに対してラモーナは放心状態。仕方が無いので、エロイーズは力づくで彼女をベッドの真ん中に移動させ、そして部屋の電灯を消してしまいます。

単純に考えれば、既に参ってしまっているエロイーズがまた娘のラモーナの訳の分からない行動に取り乱しただけという風に捉えられますが、明らかにこれは何かの暗喩という匂いがしてきます。なので、全くの勘でしかありませんが、これまでの話を踏まえた上で、このラモーナのイマジナリーフレンドの取替えについてどういう意味があるのか考えて見たいと思います。

真っ先に思いつくのは、死んでしまったウォルトの代わりにルーという旦那を選んだエロイーズ自身と、娘のラモーナをダブらせたということです。しかしながら、何となくですが、私にはそれとは違う解釈が適切かなと思われます。私にはむしろ「イマジナリーなもの(想像物)」であれば、ほとんど完璧な複製が可能であるのに…というエロイーズの悲しみを表現しているように思われます。自分もラモーナのように、ウォルトの代わりになる素敵な男の子がいれば、という娘に対する羨望がそこにあるような気がするのです。しかし、現実にはウォルトは死んでしまって、今はルーとの結婚生活がある。幻想(ウォルト)と現実(ルー)の狭間に立たされているのだとエロイーズは再認識し、それまで彼女を支配していた説明のつかない苛立ちや怒りは消え失せ、悲しみだけが残ります。

そして、これもまた非常に解釈の難しいところですが、ラモーナの部屋の戸口で立ち尽くしていたエロイーズは不意に、ベッド脇のナイトテーブルに駆け寄ります。そして、そこに置かれたラモーナの眼鏡を取り上げ、強く頬に押し当てながら涙を流します。その道中でベッドの脚に膝をぶつけますが、その痛みすら感じないほど、その行動に取りつかれています。この一連の流れについて、感情の時系列を追うところから始めていきます。

まず、エロイーズはメアリ・ジェーンとの会話の中でウォルトの昔話をします。それによって、エロイーズは非常に感傷的になり、今の自分の生活に対する否定的な想いが高まってきます。それは、夫からの電話やグレースとのやり取りによって増長され、激しい怒りや苛立ちとなります。しかし、ラモーナのイマジナリーフレンドが何かの暗示のようにそんな彼女の怒りを鎮め、エロイーズの中には感傷的な悲しみだけが残ります。そして、最後は「ラモーナの眼鏡」に何らかの救いを求めるように、駆けよっていく訳です。「ラモーナの眼鏡」を強く頬に押し当てながら、エロイーズは「かわいそうなひょこひょこおじさん」と何度も何度も繰り返してそう言うのです。

ベッドの脚に膝をぶつける描写は、その後の「かわいそうなひょこひょこおじさん」と自分自身に言い聞かせる前フリとして機能していることはもちろんですが、むしろ重要なのは「ラモーナの眼鏡」を手に「かわいそうなひょこひょこおじさん」に救いの手を求めていることでしょう。「かわいそうなひょこひょこおじさん」とは、すなわち「ウォルトとの思い出」のことであり、つまるところ死んでしまった「ウォルト自身」です。となれば、「ラモーナの眼鏡」は「ウォルト」に繋がる秘密の通路みたいなものとして考えるのが妥当かもしれません。幼くして目の悪いラモーナがかける眼鏡は、常にラモーナと彼女のイマジナリーフレンドを繋いでいる存在でもあります。ラモーナの眼鏡を通せば、エロイーズもまた「イマジナリー」な世界を見通し、そこでウォルトと再会できるかもしれません。いざ言葉にしてしまうと非常に月並みな解釈となってしまいますが、だいたいの意味するところはそんなところかなぁ、と思います。

 

そして、それと同時進行で生じる難問が、ナイトテーブルの上から取り上げる前のラモーナの眼鏡は「つるを下」にして置かれており、エロイーズはそれをあえて「レンズを下」にして置き直していることです。このラモーナの眼鏡にいったいどういう意味があるのか。その解釈が非常に難しいです。

前段の内容を踏まえれば、「イマジナリー」な存在を見通せる「ラモーナの眼鏡」の「レンズを下」向きにして、その効力を消したという解釈ができるかもしれません。つまり、死んでしまった「ウォルト」と繋がりたい一心で握りしめた「ラモーナの眼鏡」を、あえて「レンズを下」向きに置き直していることから、エロイーズが「ウォルト」を断ち切ろうとしたと考えることができるでしょう。

しかし、わざわざ別の見方をすれば、「つるを下」にして眼鏡を置くという行為を、「行儀の良さ(レンズを傷つけないため)」として捉えることで別の意味も考えることができます。エロイーズはラモーナに対して、「行儀良くしなさい」と何度も叱りつけています。その一環で、その「つるを下」にして置くという「行儀」もおそらくはエロイーズによって躾けられたものだと考えることができます。しかし、これまでずっと書いてきたように、エロイーズはルーの対外的に上品ぶるところを嫌悪しています。「気に入った」ではなく、「なかなか良く書けている」というような部分が我慢ならないのです。しかしながら、エロイーズ自身もまたラモーナには「行儀の良さ」を求めてしまっています。様々な想いが絡み合ってはいますが、ラモーナがイマジナリーフレンドを作るという、ちょっと他人とは違った行動に対しても、一貫して良い感情は抱いておりません。

そのことふと思い至り、散々「ウォルト」に対して救いを求めた後で、眼鏡をナイトテーブルの上に戻すとき、あえて「レンズを下」にして置いたのかもしれません。このように解釈すれば、そのラモーナの眼鏡を逆向きに戻すという行動の意味は、むしろ「ルーからの脱却」となるでしょう。

 

というわけで、「ラモーナの眼鏡」をイマジナリーな世界との連絡通路のような役割として考えた場合は、「レンズを下」にすることで、「ウォルトからの脱却」を意味します。対して、「レンズを下」にすることを「行儀の悪さ」と捉えるのであれば、それは「ルーからの脱却」を意味することになります。いったいどちらが正しいのでしょうかね。しかし、いずれにせよ、わざわざ「つるを下」から「レンズを下」となるように記述しているので、何かしらの逆転現象がその前後(ラモーナが死んだジミーの代わりに、ミッキーを生み出した前後)で起こっていることが確実に示唆されています。

 

・ラモーナの涙、エロイーズの涙

さて、最後のシーンですが、まずエロイーズがラモーナの眼鏡をナイトテーブルの上に、「レンズを下」にして戻した次の場面からです。

眠っていると思われたラモーナは起きて、泣いていました。なぜラモーナが泣いているのかはよくわかりません。エロイーズにベッドの中央に無理やり移動させられているときはまだラモーナは泣いていません。しかし、エロイーズが部屋の電灯を消し、そのまましばらく戸口に立ち尽くし、そしてラモーナの眼鏡を握りしめながらひとしきり泣き、彼女が落ち着きを見せるまでの間に、ラモーナも泣き始めていたわけです。

ヒステリーを起こした母に驚き、その反動で泣いたのか、それとも母が泣いているのを見て泣いたのか、あるいはジミーが死んでしまった悲しみで泣いたのか。どれも考えられそうなことですが、どの選択が正しいかということは断言できませんね。

 

そして、ラモーナの涙の理由は不明のまま、エロイーズはラモーナにキスをして額の髪をかき上げ、1階へと戻ります。電話の音でも起きなかったメアリ・ジェーンを無理やり起こし、「あたし、いい子だったよね?」と言って訴えるようにして再び泣き出します。で、話はそこで終わりです。

ここもエロイーズの言葉の意味を解き明かすのはかなり難しいです。「あたし、いい子だったよね?」と訴える手前で、彼女は1年生のときに同級生から心無い言葉を浴びせられて泣いてしまったエピソードを持ち出しています。あの頃はそういうちょっとしたことにも傷ついて泣いてしまうような無垢な子供だったということを言いたかったのだと私は思います。そして、そんなちょっとしたことで一晩中泣いてしまうようなエロイーズは、ウォルトを失い、ルーと結婚し、ラモーナを生み、すっかりと変わってしまいました。でも、こんな現在に至るまでの、少なくとも大学時代までの彼女は「いい子」だったはずなのです。そのことを憂い、エロイーズは今現在メアリ・ジェーンに泣きついているという時系列は確実です。つまり、昔は「いい子」だったけど、今のエロイーズは「いい子ではない」ということになります。では、なぜ今こうして泣き喚いてしまうほど「いい子ではない」と思ってしまっているのか。その理由がわかれば、最後のシーンにも何となく説明が付けられそうな気がします。

 

まず、前章とは順番が逆になりますが、「ルーから脱却」した現在が「いい子ではない」としましょう。「レンズを下」にして行儀の悪い自分を取り戻そうと、「ルーからの脱却」を決めた、エロイーズは社会的には、母や妻として失格のレッテルを貼られてしまうことになるでしょう。これは「いい子」とは言えませんね。しかしながら、ウォルトの思い出話の中でエロイーズはウォルトのことを「いい子」と言っています。つまり、彼女の中での「いい子」という言葉は「ウォルト」のことを指しており、むしろ「ルーから脱却」した現在のエロイーズは「いい子」になったわけです。先ほど、私は今のエロイーズは「いい子ではない」という前提のもと考えてみようと言いましたが、そうではなくエロイーズは「ルーから脱却」した自分が世間から見れば「いい子ではない」となるものの、反面「ウォルト」を取り戻し、昔のような「いい子」に戻っていることをメアリ・ジェーンに伝えたかったのかもしれません。かなり論がごちゃごちゃしてきましたが、「ルーのような行儀の良さへの執着を捨てようとする私は世間的にはいい子ではなくなるけれど、ウォルトのような本当の優しさを取り戻した。それはつまり、本当の意味ではいい子になったってことだよね? 昔の感じやすい私のように、今の私もいい子だよね?」ということをメアリ・ジェーンに訴えかけているという解釈です。

と、まぁ、これはこれで何となくぎりぎり論が破綻していないように思えますね。

しかし、どちらかと言えば、「ウォルトから脱却」した現在が「いい子ではない」とした方が論ははっきりします。つまり、「レンズを下」にしてイマジナリーな世界との連絡通路を閉ざし、「ウォルトからの脱却」を決めた、エロイーズは「ウォルト的ないい子」ではもうなくなってしまいました。涙を流していたラモーナにキスをし、彼女は現在の自分を受け入れようと決心したわけです。それでも、やはりウォルトのことは「いい子」であり、そんなウォルトと一緒にいた昔の自分もまた「いい子」であったことをメアリ・ジェーンに承認して欲しいわけです。結局、話がここで終わってしまっているので、エロイーズがメアリ・ジェーンに「あたし、いい子だったよね?」と前向きな想いで言っているのか、後ろ向きな想いで言っているのか、そこの判別はできません。しかし、それでも言えることは、「私はもういい子ではなくなってしまった」からこそ、「少なくともかつての私はいい子だった」ということだけでも認めて欲しいと思ったわけです。

 

・まとめ

かなり論が取っ散らかってしまいましたが、肝となるのはエロイーズの過去と現在の衝突です。素晴らしかった過去は死んでしまった「ウォルト」と結びつき、不満が募る現在は夫の「ルー」と結びついています。そこに、「ラモーナ」というイマジナリーフレンドを持つ彼女の娘が、様々なメタファーとして物語を展開させます。中でも、「ラモーナの眼鏡」はその描写のされ方によって、イマジナリーフレンドの取替えと合わせて、エロイーズの中での世界の逆転を描いています。

1番スムーズな解釈を選ぶのであれば、ラモーナのイマジナリーフレンドの死と、それに伴う取替えは「理想への執着」を意味しています。エロイーズは現実の中で「ウォルト」を失っているため、娘のように「取替え」はできません。しかし、「理想=ウォルトに執着」しているからこそ、エロイーズとしては「理想=ウォルト」と「現実=ルー」の板挟みで苦しいわけですね。そのせいで、夫や娘やメイドにきつく当たってしまいます。そんな状況の中で、娘のラモーナがいとも簡単そうにイマジナリーフレンドの取替えをやっているのを見て、現実的にはそんなことはできないということを悟り、もはや自分に残された選択肢は「理想を捨て、現実を受け入れる」しかないと悲しみに暮れてしまいます。最後に、「理想=ウォルト」を見通すラモーナの眼鏡を泣きながら「レンズを下」にして置き、「理想=ウォルトを断ち切って、現実を受け入れる」ことを選択します。それでも大学時代には理想とともにあったということを友人であるメアリ・ジェーンに承認してもらおうと、強く訴えかける場面で物語は終わります。普段はサバサバとした性格のエロイーズの心を開いていくために、古くからの友人であるメアリ・ジェーンとお酒は非常に重要な道具として用いられています。

が、これもただ1つの解釈にしか過ぎませんし、かなり見当違いな部分もあるでしょう。なので、こんな風に解釈してる奴がいるんだなぁ、と思う程度にしていただければと思います。私自身もきっともう1度読み直せばまた違う感想を持つと思いますし。

 

最後に…

ずっと書こう、書こうと思ってなかなか書けずにいました。が、これでようやく9分の2が達成されました。適応障害に罹って傷病休暇を頂き、時間ができたおかげですね。

今は伸び伸びと時間を過ごしており、療養に努めていますが、いつまでもこんな時間が続くわけはありません。私もそろそろ眼鏡のレンズを下向きにおかなくてはならない…と少しだけ気取ったことを書いてみます。

さて、次の「対エスキモー戦争の前夜」の考察を書き上げるのはいつになるのでしょうか…? 私自身、気長に待ちたいと思います。

適応障害と診断されまして… vol.27

適応障害と診断されて36日目(11月19日)の夕方にこの記事を書き始めています。今日も今日とて、特に適応障害の治療進捗に関する内容ではなく、ただの日記になりますので、ご容赦ください。

 

前回

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1.適応障害と診断されて36日目~床屋~

今日は昨日よりも30分早く起きることに成功。このまま少しずつ早く起きれるようにしていきたいですね。さすがに疲れもだいぶ取れてきました。夢の中にはモーニング娘。森戸知沙希ちゃんが出て来たり、なぜかほろ酔いの牧野真莉愛ちゃんが出て来て、とても楽しい夢でしたね。ほろ酔いの真莉愛ちゃんはめちゃくちゃ可愛かったです。と、あまりにキモいので今日は夢日記はやめておきましょう。

朝起きてからはギターの練習に時間を費やします。ようやく「君をのせて」の耳コピ(記憶を頼りにコピーしているので、正式な耳コピではありませんが)がサビまで終わりました。めちゃくちゃ下手ですが、とりあえず最後までいったので、あとはスムーズに弾けるまで練習あるのみですね。よっぽど楽譜を買おうかとも思いましたが、諦めず最後までやってみて良かったです。コードとメロディの関係について、良い勉強になりました。

それから昼前に家を出て、事前に電話で予約していた床屋に行きました。父が通っているという床屋です。私も中学生くらいの頃までその床屋に通っていました。でも、あるときから床屋が苦手過ぎてずっと自分で髪を切っていたんですよね。なので、中・高・大とずっと酷い髪型をしていたのですが、まぁ、就職活動もそれで乗り切りましたし、ちゃんと床屋に通い直したのはほんの2年前くらいからでしょうか。地方勤務の時の寮のすぐ近くに床屋があり、さすがに社会人としてちょっとはしっかりしなきゃと思い、床屋に行ったわけです。先輩にわざわざ合コンとかにも連れて行ってもらいましたしね(笑)。

と、少し話が逸れましたが、中学校までの登下校道を通って、床屋まで行きます。中学生の時なんかは、せっかちで粗暴で羞恥心なんてない私でしたから、「あぁ、よくあの柵を飛び越えていたなぁ」と少し懐かしくなります。と、同時に赤もみじという芸人の「近道」(たぶん)という漫才を思い出しました。

「絶対に駅からウチまで10分かかると思うけど、どうやって5分でついたん?」

「これこれこういう道があるでしょ。そこを行くと~で、公園があるけど、あそこの柵を乗り越えて、家と家の隙間を…」

「それ小学生の近道やん!」

みたいな感じの漫才です。私なんかはノスタルジーに駆られるわけですが、芸人さんはそこに面白味を見出して、漫才を作ってしまうんですから、ほんと凄いですよね。体は大きくなったはずなのに、育った羞恥心のせいで柵を乗り越えられない。皮肉屋の詩人ならそんなことを考えるのでしょうか。

床屋での会話はあまり得意でなく(これも床屋に行かなくなった理由の大きな1つ)、今日も「この辺にお住いなんですか?」というご主人の問いかけに対し、私は「あ、実家がこの辺で。ちょっと病気療養で戻ってきているんです」と答えてしまいました。当然ながらご主人は「そうですか」と答えながらも、内心では(やべ。地雷だったか)と思ってしまったことでしょう。はぁ。せめて気の利いた嘘をついたりするべきでした。そのまま世間話は終わり、あとは事務的な会話を何度かした程度です。私はできるだけ「気にしてませんよ!元気ですよ!」ということが伝わるように、受け答えをしていましたが、根暗の私が頑張ってみたところで多分そんなに効果はなかったでしょうね。

誰も来ない床屋の中で、ご主人と奥様と私。シャンプーや顔剃りなども含めて、じっくり1時間くらいかけて丁寧に切っていただきました。レジで代金を払っていると、今度は奥様の方から話しかけていただきました。

「ポイントカード作りますか?」

「あ、いえ。大丈夫です」

「ちなみにご家族の方とかって…」

「あぁ、父がこちらに通わせていただいてます」

「やっぱり。予約の電話でお名前聞いてたから。じゃあ、次にお父様がいらっしゃったときに、お父様のカードにスタンプ押しておきますね」

「あ、ありがとうございます」

「せっかくこっちに戻って来たんですからゆっくりしてくださいね」※おそらくご主人と私の会話を聞いていたと思われます。

「あ、はい。ありがとうございます。ゆっくりします」

「久しぶり…ですか?」

「えと、あ、そうなんです。中学生くらいのとき、ここで切っていただいてました」

「懐かしいですね」

「そうですね」

「今日は車で?」

「いや、天気が良かったので、歩いて…」

「そうですねぇ。今日は暖かいですもんね。じゃあ、お気をつけて!」

奥様に玄関まで見送っていただき、床屋を後にします。

奥様が中学生の頃の私を覚えていたのかはわかりませんが、なんと言うかそんな風に声をかけてもらって嬉しかったです。あれから15年近くも経っているんですもんね。中学生の頃の記憶なんてほとんど思い出せませんが、それでもそれだけの月日が流れたことはなかなか実感できないものです。

そのまま中学校まで歩いて行って、掠れた思い出に少しだけ浸ります。校門の辺りに差し掛かると、ふと卒業式の日が思い出されました。何と言うか、みんなして騒いだり別れを惜しんだりなんだりをしていた中、私はさっさと家に帰ってしまったような気がします。「こんなにあっけなく終わっていくものなんだなぁ」みたいなことを感じていました。そして、誰もいない平日の昼間の住宅街。その時の物悲しさみたいなものがまた思い出され、床屋の奥様との会話も引き金になってか、何だか泣きたいような気持になりました。

 

2.適応障害と診断されて36日目・続~散歩~

家に戻り、昼飯を食べ、再度ギターの練習をします。徐々にスムーズに指が動くようになっていきますが、実家には太い弦のアコースティックギターしかないので、指の痛みが激しくなってきます。何度も通しで弾く練習をしていますが、こうやって少しずつ何かが前進している感じって私は結構好きです。楽器って良いなぁ、と思います。

思えば私は昔からサッカーでもゲームでも、ドッジボールでも縄跳びでも何でも、負けず嫌いでした。そして、勝てば性根の悪い優越感に浸り、負ければ本気で悔しがり、勝った相手を妬み、憎みました。そんな風にして高校生くらいまで生きてきたので、まぁ、最低な人間だったと思います。あまり自分を良く言ったものじゃありませんが、アニメ「氷菓」の福部里志の中学生時代に近い感じがします。「勝ちにこだわっているくせに、それでいて楽しくないんだから、どうしようもないさ。だから、こだわらないことにこだわるようになったんだよ」というセリフはまさに私に突き刺さるものでした。

「そんな僕がマヤカにこだわっていいのかな?」

彼のこの自問は未だに私の中で螺旋状に渦巻き、私の方はずっと答が出せずにいます。

と、いつものように話しが脱線しましたが、ギターとか絵を描くとか、文章を書くとか、そういう実に自己完結的なことをいつの間にか私は好むようになっていました。ですから、バンドも組んだりせず、1人でギターを弾いているのが私にとっての至福なんです。少しずつ上達したり、弾ける楽曲が増えたり、新しいコードを覚えたり、そういう着実な1歩1歩が楽しいんですよね。そういうことを老後を迎えた母に説明してやりましたが、あまりそういうのは母には向いていないようです。親とは言え、他人の人生ですからね。教養はできません。

その後、母と買い物に出掛け、ユニクロとスーパーで荷物持ちを引き受け、家に戻ってから夕暮時の街を散歩しに出掛けました。今日は本当に暖かく、最高の散歩日和でした。昼間は少し汗ばむくらいでしたが、夕方はとても気持ちの良い風が吹いていました。それから何枚もスマホで写真を撮りました。写真も結構好きなんですよねぇ。いつかフィルムもやってみたいです。

 

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2020.11.19 夕暮

 

波の穏やかな川に反映する夕陽とビルの光がとても美しく、我ながらなかなか良い写真が撮れたように思います。

さて、そろそろ夕飯の時間になってしまいました。今日もまた何もしていませんが、こういう穏やかな時間を過ごせているのは、自分が「適応障害」なんて病気に罹れたおかげですね。今では休めるだけ休もうというような気持ちにさえなり始めていますが、いよいよ本格的に復帰についても考えていかなければなりませんね。

でも、まぁ、今は休めるだけ休みましょう。

上司もお医者様も、神社のおみくじも言うように、今はちゃんと休んで、しっかり治しましょう。どうせ、会社に戻れば、また忙しい毎日が待っているんですから。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.26

適応障害と診断されて35日目(11月18日)の夕方にこの記事を書き始めています。このところはただのニート日記みたいになっていますが、今回もそんな感じです。

 

前回

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1.適応障害と診断されて34日目~海岸沿いドライブで魚市場へ~

相も変わらず疲れが取れずに朝はかなり遅く目を覚まします。お医者様の仰った通り、やっぱりあまり激しく遊ぶのは私にはやめた方が良さそうですね…と何回目かの反省。

この日は朝ご飯を食べてシャワーを浴びると、すぐに母と外に出ました。最近の私にとっては、車の運転がリハビリみたいなものなので、今日も老後を謳歌する母のお抱え運転手みたいなものです。まぁ、母からしたら病んだ息子の療養のために外に出してやっているようなものなのでしょうが。

秋晴れの空の下、海岸線をドライブします。水平線は何千年も前から丸く、そして空を反映して青く輝ていました。「自分がサーファーなら」と考えてしまうような素敵な白波が幾重にも折り重なって砂浜へと押し寄せています。砂浜の色と混じってか、手前の方は不思議な緑色に光る海でした。

ドライブしながら、母が「退職したら世界一周旅行に行くつもりだったのにコロナで…」ということを言い出したので、私はどこに行きたかったか聞いてやることに。ちょうどBohemianvoodooの音楽を流していたので、「Adria Blue」を聴いてイタリアに思いを馳せたり、「Nomad」を聴いてモンゴルとかもアリだねと言ったり、「Cleopatra's Dream」を聴いてエジプトも外せないかとなったり、そんな感じで穏やかな会話をしながらしばらく車を走らせていました。

昼食に母が行きたがっていたパスタの美味しいカフェまで行くも、残念ながら定休日。そういえば、前の職場では外に食べに行くことが多かったので、必ず定休日の関係は調べていましたね。母はずっと土日休みで会社勤めをしていたので、頭の中に「定休日」という概念があまりないようです。仕方が無いので適当に調べた別のカフェへ。が、明らかに見た目が古い。そして、入口の手前まで行ってガラス窓から店内を伺うも、お客も店員も誰もいない……落ち着いた雰囲気のカフェではあったので私はとりあえず入ってみようとも思いましたが、母が断固として反対。仕方が無いので、昔に行ったことがあるこちらも古びたラーメン屋へ。私はあまり覚えていないのですが、私が小学生の頃にサッカー部の試合終わりでここに来たことがあるそうです。その時には監督や部員で店をほぼ占領したとのこと。雨でぐしゃぐしゃになったり、監督や子供たちのために公民館でカレーを作ったり、とそんな思い出も語って聞かせてくれました。先日テレビで「子供に習い事をやらせることがいかに大変か」ということをやっていたこともあり、改めて沢山迷惑をかけたなぁ…と。というか、あれから20年も経ったのにほとんど成長なく、また沢山迷惑をかけている自分には、もはや苦笑いを浮かべるよりほかありません。

魚市場では刺身やつまみ(梅水晶とか)を買って、イカ浜焼きなどをちょっと食べ歩きした後、割とすぐに帰りました。母はせっかちなところがあり、あまりひと所でゆったりと場所を楽しむことができない性格なんで、用事さえ済めばさっさと帰る感じです。

帰りの車の中では、母から「結婚しないの?」とあれやこれやと言われてしまいました。結婚生活も良いけど、何より子供が可愛いよ、と何度も力説されました。母曰く、自分ができなかった経験を子供を介して追体験できるのが楽しいとのこと。自分1人の人生じゃサッカーなんてきっと関わらなかっただろうし、そういう意味では人生の幅を子供に広げてもらった。そんなことを言ってくれました。これは息子冥利に尽きると言えば良いのか…まぁ、その辺はよくわかりませんが、この自分のクソみたいな「適応障害」も母にとって、刺激的な経験の1つであってくれれば良いなと思います。少なくとも、私はこうやって「適応障害」にかかったことも人生の1つのスパイスとして捉えられるくらいには回復してきましたし。

 

家に戻り、久しぶりにジブリ作品で心を癒します。

千と千尋の神隠し」・「魔女の宅急便」・「天空の城ラピュタ」を観賞します。

特に、「千と千尋の神隠し」はやはり何度見ても素晴らしいです。ジブリ作品の中でも線のタッチが特別細く、どこかさらりとした印象のある絵が印象的ですね(話はだいぶ変わりますが、漫画「NARUTO」のサスケが大蛇丸の手に落ちるまでを描いた20巻辺りのあの非常に線の少ない絵が私は大好きなんですよね。それと似た趣をその線の細さからは感じます)。湯屋の中でのドタバタも実に面白く、同時に非常に論理的に構築されており、エンターテインメント性が高い部分があります。そして、それはカオナシが暴れ出すところでピークを迎えます。しかし、私がどうしても好きなのはあの「電車のシーン」なのです。それまでの千尋の成長を軸とした湯屋でのドタバタ劇からは一転して、幻想的かつノスタルジーたっぷりな世界が不意に訪れます。海に浮く小島や、海の中にぽつんと佇む駅のホーム。通り過ぎる踏切。電車を乗り降りする乗客は誰も口を聞かず、虚ろで半透明な影。夕暮から夕闇までのわずかな時間に、千尋はまた一回り大人へと成長していきます。大人になるためには一時の孤独が必要なのだと言うような演出…でも、きっとそんなことは明確に考えていないはずです。宮崎駿監督を含め、作品に携わった人々はあくまで感覚的にそのシーンを描いているように思います。ジョニー・デップが主演を務める映画「ネバーランド」でも子供の成長を描いていますが、母の大病に際して、長男が急に大人びる場面があります。私はどうもそういう子供が大人に変わる一瞬を描いた作品に惹かれるようです。これはもはや性癖と言っても過言ではありませんね。

魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」はその半分以上を眠ってしまいました。どうしてもまだ疲れが取れない。なので、ここではあまり感想を書くことができません。強いて言うなら、「魔女の宅急便」では「海の見える街」が、「天空の城ラピュタ」では「空から降ってきた少女」が、それぞれ大好きな音楽なんですよね。久石譲は本当に素晴らしい音楽家だと思います。語り尽くされていますが、明るいシーンでは少し悲しい曲を当てたりと、そういうセンスも非常に大好きなところです。ちなみに全く関係ありませんが、私は小学生までエレクトーンを習っていて、たしか発表曲で「海の見える街」を練習していました。あの頃はこんなに好きになるとは思っていなかったなぁ…時とともに感性は変わりゆくものですね。モーニング娘。OGの田中れいなさんは中学生の頃から今に至るまで、やはり「可愛いな」と思わされますが。

 

そんな感じでドライブに行って、ジブリ映画を観て、昼寝をしただけの1日でした。昼寝をし過ぎたせいか夜はなかなか寝付くことができず、ドラマ「カルテット」をだらだらとAmazonPrimeで最終話まで観てしまいました。私、脚本家の坂元裕二さんが大好きなんですよね。夏は「それでも、生きてゆく」を、冬は「最高の離婚」を観るのが私の毎年の恒例行事です。特に「それでも、生きてゆく」はDVDボックスまで買って、何度も繰り返し見て、涙を流しています。

と、そんな感じで「カルテット」を見終わり、あとはハライチ澤部のラジオでのフリートークを聴きながら就寝。決してつまんなかったというわけではありませんが、30秒で眠ることができました。

 

2.適応障害と診断されて35日目~祈祷~

昨日よりは1時間早く目を覚ますことができ、何とかまともな時間から活動を開始。疲れは割と取れてきたようですが、まだ少し体が重いですね。

今日も今日とて、母とお出かけです。私の病気を心配してか、母は地元近くの(といっても車で1時間半くらいかかるところにある)ここ数年で割と有名になった神社でのお祓いを予約してくれました。予約時間の30分ほど前に神社につき、まずは一回り。本当に紅葉が綺麗でした。先日訪れたもみじの観光スポットも、色づいた木々がとても美しいものでしたが、鳥居や石段、松の葉の緑、それから社などと一緒に観る紅葉も非常に趣が深く、素敵でした。空気も澄んでおり、落ち着きます。

御祈祷の前に引かせていただいたおみくじが、これまた非常に今の私を物語っている内容で、かなり驚きました。何度も言っているように、私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんし、超常現象のようなものに胸をときめかせるには少し科学の勉強を頑張り過ぎました。以下、ざっくりとおみくじの内容をまとめます。

 

・理由なく気分が不安定で、心の迷いが生じやすい時期。こういうときは無理に事の打開をしようと焦らず、余裕をもっと受け身の姿勢を取るべし。

・過労気味のようなので、思い切って休養を取ること。病気の再発がないよう治療を十分に。 

 

と、まさに私にうってつけの内容が書かれていました。何と言うか不思議なものですね。有吉弘行信者の私としては、占い撲滅アベンジャーズとして行動していかなければいけないわけですが、まぁ、こういうのはあくまで気分の問題ですからね。私は「運命」は信じませんが「偶然」は信じていますし、これまで沢山のアーティストと偶然を介して出会ってきました。そういう意味では、私が「適応障害になった偶然」と休暇を貰って訪れた神社でこういうおみくじを引くという「偶然」に少しだけ面白味を感じてしまいます。

神社の御祈祷は平日の昼間ということもあって、神主さんと母と私の3人のみ。とても丁寧に御祈祷していただきました。名前だけでなく、生年月日や住所、そしてどんな祈祷の内容にするか5分くらい話し合ったあとで、いよいよ御祈祷の開始です。まずは太鼓を叩き、おそらくは神様に来ていただくような手順を踏みます。その後に、神主さんの方から、私や母や家族の名前、生年月日、住所など「これこれこういうものです」という紹介をしていただき、それから本格的な御祈祷に入ります。私の病気が治るように、医者や薬が良く効くように、回復後には問題なく仕事に戻れるように。そんな内容を15分くらいかけて、神主さんから神様に向かってお話していただきます(私については病気が治るように、くらいしか話していなかったのですが、神主さんはだいたいのところを悟ってか、丁寧に言葉を尽くしてくださいました)。それから、私たち家族のことについてもまた15分かけて神様に向かって話してくださいました。それからきちんとした順序はちょっと忘れてしまったのですが、まずは神主さんの笛の音により私と母のもとに、祈りを捧げた神様を降ろしていただきます。そして、今度は神楽鈴を振り、その神様を私たちの体に定着させるとのこと。そこまで儀式が済んだら、玉串を神様に捧げます。やり方についてはその場で神主さんが教えてくださり、それを真似すれば万事オッケーです。最後にまた太鼓の音で神様にお帰りいただき、1時間弱にも及ぶ御祈祷は終了しました。

最後に神主さんからは、御神酒や撤饌、お守りや勾玉のキーホルダー、神社のステッカーまでいただきました。

漫画「ノラガミ」を読んでからというもの、やはり神様に祈る上で、その神様のキャラクターとかをしっかり調べなきゃなぁ、と思うわけですが、今回はちょっと勉強不足でしたね。何となくお賽銭を放り込むくらいであれば、軽くネットで調べた知識でも充分ですが、これだけきちんと御祈祷してもらうにはもう少しちゃんと「どんな神様か」ということを知らないと強く思いました。ましてや神道は八百万も神様がいるのですから、勉強はとても大事です。それは私みたいに、宗教の役割が「内省」であると考えているような人間であっても…です。

さて、とりあえず近くの湧き水スポットで25リットルほど水を汲み(業者かっ!)、お昼に蕎麦を食べに。しかし、ここも母が行きたいと言ったところは定休日で、仕方なく少し遠くの蕎麦屋へ。完全に蕎麦の口になっていたにもかかわらず、そこのお店のオススメはなんと「鴨鍋定食」。熟練された安打生産機であれば、ここはきっと待ち玉である「蕎麦」を注文するところ。ですが、こちとら手負いの気まぐれ素人。それはもう「鴨鍋定食」を頼むしかありません。母が食べる蕎麦を美味そうだなぁ、と眺めながら私にはちょっと薄味の鴨鍋を食べ、お腹を膨らませました。そして、帰りにチョコが美味いと有名な菓子店に行きますが、ここも定休日(3回目!)。大人しく家まで車を走らせます。実家の車にもだいぶ慣れて来て、割と思い通りに動いてくれるようになりました。

 

家に戻ってからは先週のハロステと松永里愛ちゃんのtiny tiny(どちらもハロプロ関連のYouTube番組)を観て、ZAZEN BOYS54-71のライブ映像を観て、子猫と戯れてから今回の記事を書き始めました。「バッハのピアノ協奏曲1番」と「ラフマニノフのピアノ協奏曲」を聴きながら(クラシック音楽はあまりわからないので、聴く曲はほとんどのだめカンタービレで紹介された曲ばかりです)、記事を書き進めました。

「有吉の壁」を観ながら夕食を食べ、やっぱりインポッシブルみたいな芸人は強いなぁと感心しつつ、番組も終わったので再びブログの記事執筆に戻ります。が、イヤホンをしながらキーボードを叩いていると画面には、愛する田中れいなさんが!そうか!今日がその日か!と結局また番組1本分しっかりと見てしまい、やっとこの記事に戻って来れました。が、なんだかちょっと書きたい欲が薄れてしまったので、そろそろ切り上げたいと思います。

 

ここ数日、疲れてはいるものの、少しずつ以前の自分に戻れているような気がします。自分ってどんな風に生きていたかを思い出しているとでも言えばいいのでしょうか。思えば、転勤前後の自分は結構おかしな精神状態だったと思います。まぁ、もともと好きではあったのですが、急に哲学の勉強をし直したり、社会的なマイノリティの方に取材をするようなYouTube動画をひたすら見たり、スーパーやコンビニの店員の人にめちゃくちゃ優しくちゃんとした言葉で応対したり(本来の私は乱暴というわけではないですが、ほとんど喋らずジェスチャーで事を済ませてしまいます)していました。自分が弱っていたからこそ、弱い立場や疲れていそうな人に対して興味が向いていたのかもしれません。でき得ることならば、常にそういう人間でありたいとも思いますが、しかし元気になって来てみると、自ずと自分の行動は本来の自分に戻ってくるものなのですね。

 

最後にこれもまた引き続き余談ですが、2匹の子猫について少し紹介します。2匹とも白と黒のぶちですが、白メインと黒メインなので、ここでは白猫と黒猫と言いますね。白猫は人懐っこく、穏やかな性格。黒猫はビビりで、騒々しい性格。2匹は互いにじゃれ合ったりしながら、テーブルの脚に頭をぶつけたりしています。人間で考えたらちょっとあり得ないくらいのじゃれ合い、というかバトルです。基本的なスペックは白猫の方が高いのですが、白猫の方が疲れやすく、もう白猫が嫌がっているのにもかかわらず黒猫がずっとちょっかいを出し続けるものだから、しばらくすると白猫はどこかへと逃げてしまいます。白猫が黒猫をいなしている姿を見ると、仲が悪く見えるほど。でも、寝る時などはとても仲良く2匹で寝ています。そして、前までは人懐っこい白猫の方が、よく私の膝の上にやって来ていたのですが、しばらく黒猫と一緒になって遊んでやっているうちに、黒猫の方が私の膝の上にやって来るようになりました。逆に白猫の方は別に私以外の家族にも懐いているので、あえて私のところへやって来ることは減りました。

このことから何か教訓めいたものを引き出したいわけではありませんが、猫と人間にも相性というものがあるのだなぁ、と思いました。不思議なものですね。大学生の時分、小学校のサッカー部にたまに顔を出すことがありました。ちょっとした経緯(でも、これが話すと少し長くなるので今回はやめておきます)で、私は小学校のサッカー部のコーチとなかなか深い仲でしたので、久しぶりにサッカー部に顔を出すとコーチは喜んでくれます。とは言え、基本的には私はそこで放っておかれます。周りの小学生たちは見慣れない人が来たので、最初は少し距離を取っている感じ。でも、私が楽しそうにリフティングしたり、ドリブルしたりしていると、小学生も少し興味を持ってくれます。そして、一緒になってちょっと練習したり、こっちからちょっかいを出したりしているうちに、すぐに仲良くなることができます。今日、黒猫が膝の上にやって来て、何だかその時と同じような感情を思い出しました。子供のそういうところって、私、けっこう好きなのかもしれません。思えば、私もそのコーチとは教えてもらっているというよりは、一緒になって遊んでいるという印象が強かったように思います。

そんな風にして、ちょっとだけ昔のことを思い出したりしながら、自分という人間をもう一度見定めるための時間を今は取ることができています。今では休職して良かったなぁ、と思っています。が、きっとこの時間を悔いるのは、復帰してからなんでしょうね(笑)。

 

また、何も面白くもない個人的なことを書いて文字数ばかり嵩んでしまったので、そろそろ終わりにしましょう。それではおやすみなさいませ、ご主人様。

 

次回

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