適応障害と診断されて179日目(4月11日)にこの記事を書いています。1週間ごとのペースを先週で崩してしまいました。が、とりあえず3月末で復職1か月経過ということなので、ひとまず私も安心しております。
前回
前回の記事では、復職後初の夜勤前後の内容が大部分を占めていました。
1.カレンダー
適応障害と診断されて…/復職して…
165日目/休み
日曜日。朝はゆっくり過ごしつつ、ブログを書いて過ごす。昼前に買い物に出て、早めの昼食の後、クロチアゼパムを服用してみる。が、頭痛、眠気、手足の痺れといった副作用に襲われ、寝込む。電気の明かりもちょっと辛い感じ。夕方起きてから夕食を食べ、ブログ執筆を再開。色々と調べてみたが、交感神経過多でも副交感神経過多でも頭痛は生じるよう。特に、光が苦しい現象はどちらかと言うと、副交感神経過多のときの症状らしい。おそらくはクロチアゼパム服用により、交感神経が著しく抑制されたことが、副作用が強く出た原因と思われる。また、色々と勉強し直していく必要がありそう。
166日目/19日目
月曜日。朝からちょっと動機や息苦しさを感じる。頭痛もややあったので、出社後9時ごろに職場でクロチアゼパムを服用してみる。1~2時間後くらいから効果が出始めて、動悸や息苦しさが緩和されたような感じがある。頭痛も無い。しかし、どうも気持ちが上がらず、頭もぼんやりとする。苦しみも少ないけれど、元気や活力といったものもないため、何だか「これで良いのだろうか」という感じ。夕方ごろにようやく頭痛が出始め、それとともに少しずつ活力も戻って来る。苦しいときはクロチアゼパムに頼るのはありだけれど、むやみに乱用するものでもない気がしてきた。それは今服薬しているロフラゼプ酸エチルも一緒か。帰宅後は動画など観つつも、転職サイト2つに登録をしてみた。本当に転職するかどうかは置いておくとして、色々と人生の選択肢を模索するのもありかもしれない。
167日目/20日目
火曜日。久しぶの夜間覚醒があり、夢を沢山見た。クロチアゼパムの離脱作用かもと推定。が、朝はいつもより1時間程度遅く出勤したおかげで、頭痛や動悸はほぼ無く、どちらかと言えば調子の良い1日のスタート。怒っている上司と絡むタイミングがあり、少し気分を害される。しかし、すぐにトイレに避難し、事なきを得る。業務にはいい塩梅で集中でき、最後までほぼ頭痛は出なかった。帰宅後、転職会社に送るための履歴書を作成したり、両親と電話しながら人生設計に関する相談。日々の頭痛の原因は、飲み続けているロフラゼプ酸エチルの離脱症状である可能性を考え、今日は1日服薬をやめてみる。お医者様には怒られそうだけれど、頭痛の原因が薬によるところが大きいのであれば、本末転倒なので試してみる価値ありと判断。前回勝手に断薬したときは、一気にやめたせいで離脱症状が強く出たので、3日に1回抜くくらいから始めてみようと思う。
168日目/21日目
水曜日。前夜に薬を飲まなかったせいで案の定夜間覚醒があった。特に4時に目が覚めたときは、そこからしばらく寝付けなかったので、若干の寝不足感。でも、朝に起きたときには徐々に気分が高まっていき、軽い躁状態に。仕事にはいつもより1時間遅く行く予定だったけれど、出社前には躁が行き過ぎてちょっと動悸が出始めてしまった。なので、軽くマッサージと瞑想をしてから出社。出社後頭痛が出始め、躁が消え、軽い抑うつ状態に。昼休憩で少し持ち直し、また躁になりかけそうだったのを何とか食い止める午後だった。帰宅してすぐに転職サイトから電話があり、電話面談の日取りを決める。その後、Twitterをしているうちに、復職して1か月が経ったことに思い至る。復職1か月記念にこのブログについてツイートしてくれていた方に「いいね」をつけて回った。実はずっとエゴサーチはしてました。本当に励みになっていました。この場を借りてお礼申し上げます。
169日目/22日目
木曜日。夜間覚醒があり、3時ごろから1時間弱の間眠れなかった。その割には、調子は悪くなく、朝も頭痛は出ず、若干の動悸のみ。午前中は1時間ごとに休憩を取る中で、徐々にアクセルを踏んでいき、せかせかしない程度でバランスを保つことができた。特に、1時間ごとにできたことを休憩中に振り返り、自分を褒めてあげることで、仕事のストレス⇒アドレナリン⇒業務達成⇒ドーパミンという流れを作りつつ、達成感から安心できるのは今の自分に合っていると感じる。やはり幸福・快楽ホルモンであるドーパミンを出してあげることも大切なのだと実感。そして、リラックスも忘れずに。今日は色々とできる業務も増えたし、先輩の役にも経てたのでなかなか充実した1日だった。が、帰宅後に転職サイトの人と電話面談し、最初は良い感じで話が進んでいたのが、病気休職のことを伝えた途端「あっ…じゃあ、厳しいっす」みたいな感じになってしまった。やはり社会はそう甘いものではないと実感。せっかく沢山話を聞いてもらったのに、ご期待に沿えず申し訳ないです…ま、でも相手もそれが仕事だしね。転職の温度感や世界観がわかって、今日も1つ成長。
170日目/23日目
金曜日。朝から若干の抑うつ感があるも、頭痛や動悸はほぼなし。ただ抑うつ感のせいで元気が出てこなかったので、朝食のバナナ・ヨーグルト・コンソメスープをゆっくりと食べ、ハヌマーンの「幸福のしっぽ」を聴いて少し気持ちを和らげる。出社後、朝から上司が怒っていて、巻き込み事故のような形で教育を受ける。勉強にはなったが、気持ちが引き摺られてしまい吐気の症状。やはり「上司が機嫌悪い」という環境が大きなストレスになっているようなので、これをプラスの認知に変えつつ、また反応としてリラックス状態が現れるように「ストレス→深呼吸」のように反応のルーティン化を図っていきたい。その後数時間吐気が収まらなかったので、頓服薬のクロチアゼパムを服用。昼休憩中に効き始め眠気や手足の痺れが出るも、午後からの業務をやるにあたってバリアを張ることができた。薬で抑制している分、意識してリラックスせずとも調子を崩さないので楽ではあるけれど、気分が上がらないので何とも言い難い。退社後、他箇所で勤務している先輩とカフェへ(貸していたものを返してもらうついで)。1時間弱話したけれど、先輩の方がよっぽどストレスを溜めて良そうだった。無理せずに、という言葉をかけたけれど、病気になっていない人には精神病のリスクがきっとわからないのだと思う。そして、薬も飲まず、入眠のルーティンもせず、ちょっと夜更かしして就寝。あえて負荷のかかったままの状況で夜を過ごすことで、心と体の柔軟性をつけていきたい。
171日目/休み
土曜日。朝から診察。先週新しく処方してもらったクロチアゼパムを服用して、頭痛や手足の痺れが出る日もあったことを伝えるとお医者様はやめた方が良いかもと難色を示すも、これ以上弱い薬が無いので、とりあえずお守りのために継続して服薬することに。実際効くは効くのであると心強いので助かる。診察の後は少し早めにラーメンを食べ、転職サイトの方と直接面談。9月ぐらいから本格的に開始させたい旨を話し、とりあえず6月くらいまでは業界や職種について勉強するということに。色々と情報を逐次くれるそうなので心強い。帰宅後、また別の転職サイトの方と電話面談。ここではピンポイントで企業を紹介してもらい、それが学生時代の研究内容にかなり近い事業を行っている会社なのでとても惹かれる。前向きに検討するということで面談終了。その後、疲れが出たのか夕方にがっつり昼寝。夜には両親と電話して、とりあえず惹かれた企業に転職しようと考えている旨を伝える。電話の中で大学の教授に何か情報を知らないか聞いたみたらというアドバイスを貰い、電話が終わった後、メールを送ってみる。今日も少し夜更かしをした。
172日目/休み
日曜日。昨日の疲れが出たのか、朝から元気が出ない。動画を観たりして朝をだらだらと過ごし、そのまま何もする気が起きず、早めの昼食を食べて昼寝。教授から返って来たメールに返信したり、転職サイトの登録をしたり、職務経歴書を書いたり、ブログを書いたりしたかったけれど、今日は何もする気が起きなかったので全部諦める。夕方まで寝たり起きたりを繰り返し、5時くらいから夕食がてら1時間程度散歩に出かける。久しぶりにsora tob sakanaのアルバムを聴き、何だか悲しくなり久しぶりに希死念慮を感じる。金・土と蔑ろにしていた夜のルーティンを行い、翌日の夜勤に備える。
173日目/24日目
月曜日。朝から心身ともにかなり不調。休憩を挟みながらも何とか勤務を続けるも、自分でも不安になるくらい抑うつ感が強い。Twitterに気持ちを吐きだそうと思っても、言葉が湧いて来ない。お喋りな自分にとっては結構な異常事態。この日は夜勤もあり、夜勤前に3時間以上の休憩時間もあるけれど、結局30分も眠ることができなかった。その代わりに、希死念慮に襲われ、身近な人の死を体験した人たちの掲示板に書き込まれたメッセージを読みながら仮眠室で1時間近く涙を流す。夜勤が終わったら死んで良いんだ、と決めて夜勤に臨む。
174日目/25日目
火曜日。夜勤自体はかなり強い抑うつ感や頭痛などに苛まれたものの何とか乗り切れた。上司から「早く帰って休め」と声をかけてもらい、残業せずに早めに帰る。そのまま死にたかったけれど、疲れと急な食欲に襲われ、結局コンビニで買ったラーメンを食べて寝る。昼頃起床。お菓子を食べては動画を観ながら寝てを繰り返し、まるで発病当初の生活だなと思う。夕食後、だらだらと過ごしながら希死念慮を育てる。風呂で体を綺麗にし、床に放り投げて山積みになっていた洗濯物を片付け、アイロンもかける。すっきりしたし死のうと思い、ドアノブにロープを括りつけ首を吊ってみるも、途中で馬鹿らしくなってやめてしまう。きっと今日じゃない。希死念慮を抱えながら眠る。
175日目/26日目
水曜日。朝からやはり強い抑うつ感。シャワーを浴びながら一瞬泣きそうになるけれど、泣くのも疲れるので泣かなかった。もはや頭痛や吐気、眩暈は常時化しており、苦しいのが当たり前みたいになってしまっている。気持ちが死んだまま出勤し、とりあえず仕事を進める。10時半頃に、頓服薬のクロチアゼパムを飲む。昼休憩暗いから少しずつ元気が湧いてきて、マッサージと瞑想の効果もあってか抑うつ感はだいぶ小さくなる。日曜以来、久しぶりに水面に出て来て息を吸えた感じがあるも、未だ荒波の中で流木につかまっているような状態。それでも何とか仕事をこなしつつ、1時間半の残業。昼間はクロチアゼパムで抑うつ感を少し緩和し、おそらく夕方頃に薬が切れたことによる軽い躁状態になったことも残業ができた一因か。久しぶりに入眠ルーティンをしっかりとできた。体重が1週間で1kg弱落ちている。
176日目/27日目
木曜日。徐々に抑うつ感が弱まって来て助かる。頭痛・吐気・眩暈は軽くデフォルトであるけれど、中途覚醒もなかったし、治っているんだか治っていないんだか。苦手な上司がかなりのストレッサーになっていることを自覚する日々。この根本的な問題を解決しない事には職場での安寧は無いと思う。が、徐々にこの会社で働いていくことが嫌になっている自分に気付く。本格的に転職活動を始めたいと思うも、今の体調ではなかなか転職活動のための時間を確保することが難しい。ちなみに今日はクロチアゼパムを頓服せずに済んだ。今日はもうこれだけでも成果として考えて良いんじゃなかろうか。そんな感じの1日。
177日目/28日目
金曜日。朝から強い頭痛と眩暈がある。おそらく抑うつ感もあると思われるがそれよりも具体体な体調不良の方が強くあまり気にならない。30分遅めに出勤するも、電車の遅延で結局1時間遅い出勤となった。体調が優れないので出社後すぐにクロチアゼパムを服用。その後、きりきりと突き刺すような頭痛に耐えつつ業務を行うも痛みで業務に集中できない。朝の内から上司には「体調が思わしくなく、頓服薬も飲んだけれど復調しなければ午後半休をお願いしたい」旨を伝える。何とかその日のうちにしなければいけない仕事を午前中のうちに終わらせられたので、昼休憩前に午後半休の決断。2週間前にも1回やっているので最早手慣れたもの。悔しさもあるが、早々に心が折れてしまったのが良いのか悪いのか。中学や高校のときに学校を早退したり部活をサボったりした記憶が蘇る。きっと良くない方向に進んでいるんだろう。帰宅後、しばらく動画を観たりして過ごしたものの、急に疲れと睡魔に襲われて19時過ぎまで眠る。そこからまただらだらと過してしまい、結局寝たのは2時近くだった。
178日目/休み
土曜日。起きたのは9時頃。色々な夢を見たが内容はあまり思い出せない。11時半から診察があったので、少しゆっくり過ごした後に寮を出る。診察後、ラーメンを食べ、CDと本と食料品を勝手帰る。数日前から観始めたアニメ「この音とまれ!」を観切る。何度も涙が出た。最近とても涙もろくなっている気がする。強い眠気に襲われて3時間近く昼寝をする。夕飯を食べ、漫画「プラチナエンド」を読み切る。この冬お世話になった加湿器をようやく洗い、買ったCDをPCに取り込みながら両親と電話。やはり転職したい旨を伝える。賛同してくれて嬉しかった。あとは今めちゃくちゃ辛いということも理解してもらった。何とか転職できるまでのらりくらりで乗り切ろう。
2.カレンダーまとめ
2週間分の内容になるので少し盛りだくさんな気もしますが、大まかに言うのであれば、新たに「クロチアゼパム」という頓服薬を飲むようになり、転職活動を始め、少し体調が悪くなりつつあり、希死念慮がぶり返して来たという感じでしょうか。
私の希望としては減薬していきたいのですが、どうも薬を飲んだり飲まなかったりという状態は体調を不安定にするような感じがあります。なので、やはり「毎日のロフラゼプ酸エチル」と「厳しくなった時のクロチアゼパム」という2本柱で継続的にやっていくのが今の私には必要そうです。ストレス→頭痛→頭痛がストレス、という悪循環にはかなり嫌気が刺していて、こんな風に負のループが続いているとだんだんとすべてを投げ出して死んでしまいたくなります。が、そんな頭痛にも慣れつつあるという現状。日々、少しずつ疲労が蓄積している感じもあり、それが限界に来ると半休を使ってしまうというのが今の私です。
そんな私にとって希望となっているのは「転職」です。今の職は夜勤があるのが何よりもネックではあるのですが、それに加えて病気を経て見つめ直した人生観を踏まえると、やはり「転職」というのは必要そうな気がするのです。また環境を変えるのは大きなストレスになると思われますが、それでも今のこの会社で働いていく未来を考えたときに、そのことがストレスにもなっているのも事実です。なので、もう逃げてしまいたいという想いが強くなってきました。転職活動がうまく行くかはわかりませんし、仮に転職したとしてそれが私の心身に良い影響をもたらしてくれるのかはわかりません。先々のことを考えるとやはり不安を感じますし、転職活動も正直疲れます。したがって、今の私にとって「転職」は希望でありながらも、私を追い詰めるナイフの切っ先のようなものでもあります。
煩悶。
今の会社はかなり底力のある会社で、よほどのことが無い限り退職させられることはないでしょう。福利厚生も手厚いし、将来的にはなかなか良いお給料を貰えるようにもなるはずです。しかし、私にはこの会社で「良いなぁ」と思えるキャリアプランを描くことができなくなってしまいました。そのことを自覚すると、もはや「こんなところにいる意味はない」のであり、「早く逃げたい」という想いばかりが強くなってきます。そして、何といってもこの会社に留まっていることが私にとっては「リスク」なのだと思うようになってしまいました。どうしても縁を切ることができない夜勤。数年周期での転勤。年を追って大きくなる責任と、求められる会社への献身性。入社前は「夜勤」も「転勤」も「責任」も、私にとっては人生のスパイスのようなものであると考えていましたが、今の私にはそれらは単なる「リスク」のようにしか思えなくなってしまいました。
だから、転職を考えました。しかしながら、転職した先でも当然真面目に働くことは求められますし、どれだけ事前に調べようとももっと劣悪な労働環境になってしまう可能性もあります。今の会社ほどの安定性やお給料というのは見込めないでしょう。一般的に考えれば、今の会社に留まる方が絶対的に「おいしい」はずなのです。それでも、私は「転職」をしようとしている。ただ現状から逃げたいだけなのか、それとも私はちゃんと冷静に自分のQOL(Quality Of Life)を評価できているのか。こればっかりは未来の要素が多分に含まれるため、どうしても博打的な面が出てしまいますよね。本当に悩みます。
そして、さらに私を追い込んでいるのはタイムリミットです。
私はもう初めての会社で4年目社員になってしまいました。その間に積み上げてきたことは、一般的なスキルとは言えず、具体的なスキルや知識というのはこの会社の中でしか通用しないものです。転職したいと考えても、今の私が他の会社で流用できるスキルと言えば、「報連相を速やかに行う」とかそれくらいのものです。ほぼほぼ終身雇用のような現在の会社で生きていくと腹を括れれば、まぁ何も問題はないのですが、私はこの会社でのキャリアプランをもう描くことができなくなってきています。というのも、尊敬する上司や先輩というのはいても、「自分もこうなりなたい!」とは思えないからです。ピーターパン・シンドロームみたいに「自分はずっとこのままで良い」と思ってしまうのです。大人になるのって大変。それと同じで、出世するのって大変。何も良いことなんてない。そう思ってしまうのです。
もし人生の舵を切るのであれば、今がぎりぎりのタイミングかもしれません。もともと私は理系出身ですから、やはり手に職…ではないですが、より汎用性の高い技術や知識を身に着け、それを頼りにして生きていく方が良いのではないかと思うようになりました。時間が経てば経つほどに大学時代に身に着けたものは風化していくでしょうし、私の伸びしろというものも狭まっていきます。となれば、なるべく早いタイミングで舵を切り、社会人として1からやり直すべきだという風に思います。
でも、今はまだ体調もなかなか安定しない日々を過ごしています。転職活動をするための余裕もだんだんと失くなってきています。まぁ、こんなブログを書いていないでさっさと転職活動を進めろ!ということなんでしょうが、こうして私は自分の考えを文字にしないことには、自分でも自分の心が見定められないので許してください。そう考えると(これは完全な、不完全な言い訳です)、このブログを書いている時間もまた私にとっては転職活動の一環と言えるかもしれません。
さて、転職の事は一旦おいておきましょう。章を分けて、最近私の中に渦巻いている希死念慮について今回は書いていきたいと思います。
3.自殺願望と希死念慮
このブログでは結構前から、私は「希死願望」という言葉を使って来たように思います。が、「希死願望」ってよくよく考えてみたら「頭痛が痛い」みたいな意味の重複がありますね。Twitterなどをやるようになってから「希死念慮」という言葉の方をよく目にするようになり、正しくは「希死念慮」なのだろうなと気がつきました。
ただネットでざっと調べると「自殺願望」という言葉と「希死念慮」という言葉はちょっと意味が違うそうです。「自殺願望」よりも「希死念慮」の方が漠然としたもののようです。「自殺願望」の方が差し迫った具体的な切迫感があり、「希死念慮」の方がじわじわと根から腐っていくような感じのするものだと私は捉えています。どちらも辛いものであることには変わりませんし、私自身、自分の中に渦巻く感情を呼称する際に「自殺願望」の方が適切なのか「希死念慮」の方が適切なのかよくわからない部分があります。
夜勤前に仮眠室で涙を流していたときは、とにかく逃げ出したいという想いが強かったので、あれは自殺願望かな。
部屋の明かりも点けられずに、ベッドの中で頭痛を抱えているときのは希死念慮かな。
でも、出勤時の電車の中で感じるぼんやりとした「もう疲れた。逃げ出したい」という感情は自殺願望と希死念慮のどちらだろう。
よくわかりません。
というのも、両者はたぶん根本的には同じ人物だからでしょう。私の場合、彼は「疲弊感」に手を引かれてやって来ることが多いです。そして、彼は懐から「人生というのはかくかくしかじかという風に虚無的なものであり、このまま生きていくのはお辛いでしょう」とさも素敵な商品を勧めるかのように、私を死に導こうとしてきます。
<疲弊さん>
ほらほら、もう疲れたでしょう。前進も後退もこりごりでしょう。一応ですね、皆様にはこういう別の人生プランというのもお話はさせていただいているんです。しかしながらですね、そんな風に別の人生プランをご購入された方も結局はまた私がお世話をしなければならなくなってしまうことが多いんですよ。ですからね、今日は特別な方をご紹介させていただこうと思いまして。
<希死念慮さん(あるいは自殺願望さん)>
初めまして…って、冗談ですよ。何度かお目にかかったことがありましたね。貴方がお求めのものはわかっておりますよ。でも、改めて私がご用意するプランについてご説明させてくださいね。まぁ、あなた様も既にご存じの通り、人生というのは疲弊感というのがつきものでして…疲弊さん、そんな得意げに笑わないで。まぁ、疲弊さんもああいう方ですからね。こちらの都合は関係なしでドアを突き破って来るような方なのはご存じでしょう。というわけで、結局どのような人生プランを歩もうとも、疲弊さんからは逃げきれないのですよ。でも、たった1つ私がご紹介するプランだけは確実です。
<私>
わかってますよ。もう買うって決めてたんです。はやく物を。
…そんな感じで私は何度も何度も死にたくなるのです。
ある時は自殺願望のように明確な意思を持って、ある時は希死念慮のようにじわじわと。2度も自殺未遂をしている私にとっては、もう「希死念慮さん(あるいは自殺願望さん)」の用意している商品に対する拒絶感というのはかなり小さくなってしまっています。ゴミ箱に入り損ねた紙屑のように、ずっと視界の中にはあって、あとは重い腰を上げてそれを取りに行くだけ…そんな状態にすぐになってしまいがちです。
なので、私ができる最も「死なないため」にできることは「疲れないこと」なんだと思います。まだまだ私は「疲れるくらいなら死んで楽になりたい」と考えてしまう人間です。
お絵描きをしたりなんだりで何が言いたいかわからなくなってきましたが、つまるところ私にとっては「前向き」とか「後向き」とかそういう考え方は適切でないということです。「人生、生きていれば良いことあるよ」とか、「もっと気楽に」とか、「そんな物事の悪いところばかり見ていないで、良いところも見ていこうよ」」とか、そういう言葉はほぼほぼ何の効力も持ちません。
なぜなら私は後ろ向きなことばかり考えて辛いのではなく、ただただ疲れてしまって、生きていたくないだけなんですから。前進も後退も疲れるんですよ。その場で立っているだけでも疲れてしまうんです。体力測定のシャトルランと一緒です。さっさとやめるのが一番得だと考えてしまうような人間なのです。
でも、こんな私でもまだどうしてか生きているんですよね。何を期待しているのか自分でもよくわかりません。でも、生きているうちは何か打開策もあるはず。
まずは疲れないためにできることを何でもかんでもやってみたいと思います。とりあえず疲れさえしなければ、私は「死」という安直な解決策に飛びつく必要性も下がるはずです。では、疲れない人生ってなんでしょう?
それはまだわかりません。けれど、少なくとも、私はこのままの生活をしていたら、どんどん疲れていってしまう。だからこそ、私は逃げたいと思います。
疲れない世界。そんなものがあるのかはわかりませんが、完全に疲れ切ってしまう前に、疲れない程度にそんな世界を探してみたいと思います。あるいは、自分で少しずつ作り上げていきたいと思います。そして、おそらくは私がこんなに疲れてしまう原因の大部分は私自身にあるはずなのです。であれば、私自身を変えるか、それか疲れやすい自分にあった生き方を見いだせれば、だいぶ疲れなくて済むようになるはずです。
今のところ、それは「転職」という形で私の目の前に姿を見せている気がします。なんとか疲れない程度の頑張りで、そのチャンスを掴みたいと思います。
うん。自分でも何を言っているかわからなくなってきました。でも、これだけは言えます。
もう疲れたくない!
4.最後に…
なんかだいぶ混乱している気がします。
今回の記事は正直、今すぐにでも消してしまいたいくらいの駄文です。
でも、これも1つの記録なのだと思い、残すことにしました。
文章すらまともに書けなくなりつつあるのでしょうか。とても悔しいです。まぁ、これまでもまともに書けていたという自信もあまりないので、別にいいか。
次回