霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.75

適応障害と診断されて656日目(2022年8月1日)にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

また前回から2か月ぶりくらいの記事ですね。先週は結構しんどくて、今回の記事ではその振り返りと、多少回復に至った現在について書いていこうと思います。

 

 

1.出力を上げていく

次第に仕事で任されるところが増えてきました。周りからの期待も感じます。そうなると弱いのが私なんですよね。ついつい張り切り過ぎてしまうし、それに上手く応えられていないであろうことを自覚してしまうと、「あーあ」と苦しくなってしまいます。他人から期待されると自分で自分にも期待してしまう。思えば私の人生は常にその自分自身への期待と失望との荒波の中だったとも言えるでしょう。

適応障害を通じて、いや、適応障害という診断が下される前から私はずっとそういう自分が嫌で改めたいと思っていました。そういう期待と失望の間を行ったり来たりするだけの人生には疲れ果てていたし、苛々させられていて、私は他人からの評価だけに振り回されないよう自分自身の中に強固な価値観を作ろうと躍起になってきました。それが私にとって本を読んだり、音楽を聴いたり、こうして物を書いたり、散歩をしたりということで、そういう時間を大切にできているときは自分の中に平穏や安心というのを見出せている気がするのです。そういう意味では、私は大学生活を通じて、苦しいことも多々ありましたが、おおよそ大切なことを身につけられたようにも思うのです。

しかしながら、やはり私が社会に思い描くのは「点数」というものなのです。それなりの点数を取っていれば社会は自分を攻撃して来ないだろう。安心して本や音楽やに没頭するためには、社会が齎すノイズを極限まで減らしたい。そんな考え方が抜けきらないので、私にとって社会というのはどうしても怖くて、その怖さに負けて頑張らざるを得ない局面なのです。

病気の診断は私にとって良い免罪符でした。「病気なんだからできなくて大丈夫」という免罪符があればこそ、私はできない自分でいることを受け入れ、赦すことができていました。けれど、1番上にも書きましたように、もう診断が下ってから600日以上も経っているのです。となれば、もはやこの免罪符の効き目はほとんど消えてしまい、丸一日経過した後の虫よけスプレーくらいの効き目しかないんじゃないかと思ってしまうのです。

 

「自分のペースでやればいい」、「うまくできなくていい」、「会社なんて人生のほんの一部」、そのほか何でもいいですがそういう風にとにかくブレーキを踏み続ける1年を過ごしてきました。それである程度うまくバランスを取りながらやれてきた部分は大きいです。もちろん、何度かエンストしたり、コースアウトしかけたり、大変なこともありましたが。

免罪符の効能が効いているうちは、割とブレーキを踏むことに満足感を覚えることができていました。しかし、免罪符の効能が切れてきていると感じたとき、私の中にはやはり不安が芽生えたのです。周りから「さすがにもう大目には見ていられないよ」という声が聞こえて来るようでした。張り切ると体調が悪くなる。でも、頑張らないと社会から抹殺される。そんなどっちつかずの恐怖感に苛んでいたのが、4~5月くらいだったでしょうか。

GW明けにカウンセリングに行き、そこでそういった悩みを相談したところ、「ブレーキを踏み過ぎでは」という指摘を受けました。いやいや、何よりもまずブレーキを踏むことを覚えろ言うたんは、あんたやないですか。よっぽどそういう指摘をしようとも思いましたが、しかし痛いところを突かれていたのはわかっていました。そうですよね。私はブレーキを踏むことばっかり考え過ぎて、スピードを出すのが怖くなっているんですよね。そして、スピードを出していないことで、色々な人に抜かれ、周回遅れの視線を浴びることにも恐怖しているんです。だったら、ちょっとの勇気を振り絞ってスピードを出してみればいいんですよ。

「ブレーキを踏むことの大切さ、ブレーキの上手な踏み方、あなたはこれまでそういうのをちゃんと学んできました。真面目に学んできたからこそ、あたなはいまブレーキを踏むことばかりに目が行っている。今度はもう少し視野を広げ、アクセルの踏み方も勉強していきましょう。ブレーキとアクセル。極端ではダメです。上手くバランスを取りながら、丁寧なドライビングテクニックを身につけましょう」

そうか。私は極端過ぎたんだ。

目から鱗という感じで、そのカウンセリングを機に、私は中庸を目指すべくアクセルの踏み方を勉強してみることにしました。少しずつ出力を上げてみる。すると、思ったよりも自分がスムーズに、効果的に業務をこなせるようになっていることに気がつきます。もちろん同じ職場で1年近く働いてきた経験も大きいです。しかしながら、それだけでなく、今までは体や脳味噌に与える負荷を軽減するために、容量の30%くらいしか自分を酷使しないよう気をつけていた「たが」のようなものが外れた気がしたのです。最初はおっかなびっくりでアクセルを踏み込み、徐々に自分の容量60~70%くらいまで出力を上げられるようになってきました。思い切って、80~90%くらいまで頑張ってみちゃおうかしら。そんな風に7月の上旬までは、ある意味では健康な時の自分に戻りつつある実感を得て、結構満足感高く過ごせていました。このまま私は完治するんだろうな、と。

 

しかし、物事はそう上手くはいきません。仕事が壁にぶち当たり、またプライベートでもあまり好ましくない人間関係に巻き込まれて、疲弊してしまいました。すると、もう80%を保つことなんて苦しすぎて、生きているのが嫌になってきます。もう都会で生きていくのは無理だ。会社でやっていくのは無理だ。やっぱり向いていなかったんだ。そうだよ、私らしい生き方ってもっと別にあるはず。回復するまでは頑張ってみようと思ってここまで来た。回復してもやっぱり辛いじゃないか。だったら、もう潔く諦めてしまおう。それがいい、それがいい。

いつものようにそんな思考に囚われてしまいます。

 

2.初心に帰る

適応障害になって、私には色々な問題があることに気がつきました。

私はよっぽどの目に見える優位性がない限り、自分の苦しみ度合いでしか、自分を評価することができません。もしかしたらだいたい皆そうなのかもしれませんが、根本的に社会に対する怖れがあるので、「ほら、こんなに苦しんでるんだから許してよ。もうボロボロだよ」という免罪符を欲しがってしまうのです。運良く成果が出ているときはまだ良いのですが、成果が滞ると「上手くいかなかった分は、ボロボロになるまで頑張って取替えさせていただきます」という感じで自らを酷使してしまうのです。このような状態になると、私にとって指針となるのは、つまり計量の針を担うのは自分の苦しみ度合いになってしまうのです。

それは言い換えるならば、先ほどお話した「出力」という言葉になるかもしれません。仕事の成果は置いておいて、自分の出力を100%近くまで持っていけるか。あるいは、120%を超えるところまで。

ちょっとアクセルを踏み込んでみて調子づいた私は、いつの間にか適応障害発症当時と同じ「120%」を目指して日々奮闘しようと息巻いていました。結果、また体調を崩しかけ、週末はとにかく寝続けないと…という約1か月を過ごす羽目になりました。本当に自分って学ばないなぁと呆れてしまうのですが、どうしてかすぐに私は周りが見えなくなってしまう人間のようです。

自分がこれまで使って来た「出力」みたいな指標は、はっきり言って「針」が狂っている。そのことを再認識しました。もしかしたら私は自分に期待し過ぎているのかもしれません。出力を「120%」まで上げれば問題は解決できると思っているのです。そして、それはもしかしたらある意味では正しく、ほとんどの意味において間違っているのです。つまり、実際に問題が解決できるかは時の運によるでしょうが、出力「120%」まで出し切れば、それが免罪符になると考えているのです。免罪符さえできれば、実際的に問題が解決しなくても私にとっては構わないのです。なぜなら、私が頑張る理由は社会から攻撃されないためだからです。しかしながら残念なことに、私にとっては出力「120%」を出すことそれ自体が問題なのです。そんなに神経を焼き切るような出力は毒でしかなく、自分を壊すことでしかありません。

適応障害になる前までは、自分を壊すことで免罪符を得ることが何より重要でした。破滅願望というほどカッコの良いものではありませんが、早く壊れてしまいたいと考えているのが以前の私でした。

しかし、適応障害を経て、「壊れるのはやめよう」と今では思えます。漫画NARUTOで腹の中の九尾が暴れ出したら自動的に九尾を抑え込む術式が発動するように、「もういっそのこと壊れてしまいたい」と思ったら、自動的にブレーキを踏んで止まることを私は学びました。

昨日は日曜日。蓄積した疲労を少しでも癒すため、結局昼寝も含めて13時間くらいは寝ていました。カーテンを閉め切った部屋の中で。確かに、極力刺激を減らして寝ているというのは、体を休めるのにかなり効果的です。適応障害を経て、私はそのことを身を持って学びました。しかし、それだけ寝ても身体も心もすっきりとしない。そんな感覚が今朝はありました。それでテレワークでちょっと仕事をサボりながら、精神医学系の動画を観ていました。このあまりにも強い眠気はどこから来るのか。うつ病の回復期に眠くなると紹介されていました。おそらく今の私は一般的なうつ病の回復期よりはずっと回復した状態にあると思います。なので、その動画がとても参考になったというわけではありません。ただ、そういう動画を観るというのが、まさに適応障害からの回復期に私がしていたことで、必然的にそのときの心境が思い出されました。

ちゃんとブレーキを踏もう。

また、先日会社の健康診断があり、休職の際にお世話になった産業医の先生とお話をする機会がありました。「だいぶ出力を上げられるようになってきたんですよね」とちょっと得意げに話し、「だいたい80%くらいですかね」とカッコを付けて、ちょっと低めの数値を言ったりしました。すると、さすがはお医者さま。「100%なんか出さなくていいですからね。80%を維持することだけに全力を捧げてください。頑張り過ぎないように努力してください」と釘を刺されました。

なるほど。

 

いま、こうして文章を書いて頭の中を整理しています。

繰り返しになりますが、相も変わらず私のドライビングは酷いものです。ギッタンバッコン、まるで幼稚園児のシーソーのように乱暴に、急加速と急ブレーキを繰り返しているようです。それでも、まぁ、今回はぶっ壊れる前にブレーキを踏めました。今まさにブレーキを踏んでいます。まだ正気があるうちに。

昼間に見た精神医学の動画で、正気が無くなる病気がうつ病ということも言われていました。確かにな。ブレーキを踏めなくなる、アクセルを踏めなくなる、そういう異常な状態が病気の一面なのでしょう。アクセル…ブレーキ…アクセル…ブレーキ…これを上手にできるようになり、燃費が良く安全性の高いドライビングテクニックを身につけたときこそ、私はうつ病適応障害)を克服できたと言えるのでしょう。

 

3.価値観の再構築と持続的なアップデート

適応障害を機に、私はいくつか価値観を再構築してきました。

まずは、「死に向かって生きること」をやめました。やめようと思ってすぐにやめれるものではありませんが、とりあえず「やめた」ということにしています。それから、社会ともちゃんと向き合うことにしました。今でもちゃんと向き合えているかはわかりませんが、とりあえず「向き合う」と決めました。

自分が生きやすいと思える環境を自分の手で(他人の力を借りるにしてもちゃんと借りに「出向く」のです)、地道でも少しずつ構築していく。観葉植物を置く。誰かを食事に誘う。「あなたと過ごせて嬉しい」という気持ちを伝える。寒いときは靴下を履く。温かいお湯で手を洗う。薬を飲む。きちんと寝る。浴槽に浸かる。美味しいものを食べる。素敵な服を買う。散髪に行く。朝、体操をしてみる。よく笑う。人と話す。

小さなことから、これからも社会で生きていくために必要であることを少しずつできるようになってきました。

果てが見えないのが苦しい。いつまで頑張れば生きやすい土地に辿り着くのか。そう考えるとなかなかきついですよね。でも、考えてみれば、社会は常に変化していきますし、自分という人間も時間とともに変化していくのです。とすれば、いつまでもイタチごっこのように、私は自らをアップデートさせ続ける必要があります。1秒前の自分はもう既に古くて、今の自分に適した存在ではない。私は今の1秒、1秒を常に最良のものを目指してアップデートしていく覚悟と勇気を持たなければなりません。

それが強迫観念のようになったら苦しいでしょうが、少なくとも「勇気」を持って取り組んでみようと思っています。それが生きるということなのだと思います。

 

最後に…

まほろ駅前番外地」というドラマを久しぶりに見返しました。多田と行天の自由気ままな、それでいてどこか真面目臭くて、愛情にあふれた生き方が好きです。そういう風に生きたいと思います。今の私はなんてつまらない、不自由な仕事をしているんだろうと悲しくなってきます。私も自営業をやってみたいな。もちろん、自営業には自営業の苦しみがあるとは思いますが、自分にはそっちの方が向いているんじゃないだろうか。隣の芝生は青く見えると知っていても、そう考えずにはいられません。

仕事を、生き方を変えるべきかはまだ迷っています。考えてもわかりません。すべてはタイミングと言う人がいます。臆病な私はタイミングを逃し続けているのか、そうも思います。

それはそれとして、「まほろ駅前番外地」で主人公の多田は、多田便利軒の宣伝文句に「依頼は極力引き受けます」という文言を使っています。作中、何度も「何でもじゃない、極力だから」と仕事を断ろうとします。が、結局なんだかんだと言いながらどんな仕事も引き受けてしまいます。「極力」というのは「限界ギリギリまで頑張る」という意味です。それがいかに無茶なことなのか、適応障害になった私はわかります。多田もそのことに気づき、最終的には「極力」という文句を改めます。「何でも」に。

「極力」よりも「何でも」の方が無理難題なわけですから、普通に考えたら余計に苦しくなるだけのような気もします。けれど、何故かわかりませんが「何でも」にすることで清々しい気持ちというのも生まれてくるのです。

「極力」という言葉には、「受けたからには、きちんと責任を持って成果を出せる」という裏の束縛を感じます。そこには「うまくやらねば」という強迫観念のようなものもあるかもしれません。しかし、「何でも」にすると、どこか「失敗したって仕方ない」という雰囲気が漂います。それはある意味では自分への赦しのようにも思えます。これは私だけの感覚かもしれません。しかしながら、「カッコつけてないで、とりあえずすべてを受け入れて生きていこうよ」という気構えは私にとってはとても好ましいものです。あまり肩肘張らず、よくわかんないけど、何でもやってみたいとは思います。もちろん、ブレーキとアクセルに気をつけながら。

 

次回

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