適応障害と診断されて228日目(5月30日)の夕方にこの記事を書き始めています。今週はまた色々とありましたので、ここにきちんと記録を残しておこうと思います。
前回
前回はGW明けの様子についてまとめました。薬を変えたおかげか、GWに休養できたおかげか、頭痛の症状がかなり緩和されたような気がしていました。そして、仕事もテレワークが増え、若干体調が整ってきたかなという感じもありました。しかしながら、その一方で少し気持ちが感傷的になっており、夜勤の疲れなども重なり、不安を感じることも多くなっていました。また、心理的安全性について色々と考え、両親との関係性を改善できていることが自分にとって大きいことを自覚するに至りました。
今週はそこから1週間を過ごし、結果から言うと、体調が限界を超え、再度休職することになりました。限界まで頑張ったので悔いはありませんが、悔しくはありますね。
1.カレンダー
適応障害と診断されて…/復職して…
220日目/休み
土曜日。午前中は夜勤の疲れがあってずっと眠っていた。昼過ぎまでダラダラと過ごし、遅めの昼食のために外に出る。近所のラーメン屋に行き、帰りは少し遠回りをして初めて通る道を歩いた。天気は良くなかったが、音楽がとても心地良く、知らない道も素敵だった。家に戻ってからブログを書き始め、途中途中でダラダラしながらも、夜には書き上げて投稿できた。取り留めのない1日の中でブログを書き上げられたのは良かった。
221日目/休み
日曜日。朝はゆっくりと寝て過ごす。昼過ぎから友人と舞台を観に行く予定。集合時間を1時間早く間違え、少しテンパるも、おかげで買い物などできて充実した時間を過ごせた。「父と暮らせば」という舞台を観た。原爆被害にあった少女が人生と向き合う話で、ユーモアがありながらもシリアスな部分もあり、とても面白かった。舞台の後は、友人とカフェで3時間近く話した。近況報告や、最近観た映画やドラマ、読んだ本、音楽などとても充実した時間を過ごせたように思う。趣味が合う人間はそう多くないので本当に大切にしたいと改めて感じた。帰宅後、気が高ぶって少し眠るのが遅くなったが、翌日から仕事なので頑張って寝た。翌日が仕事だと考えるとかなり気持ちが萎えたが、なるべく見ないふりをした。
222日目/48日目
月曜日。朝から気持ちがかなり弱っており、会社を休むか悩む。シャワーを浴びながらダメかもとも思ったが、ぐちぐちと独り言を喋っているうちに少しずつ気持ちを立て直し、時間に追われるように何とか職場に向かうことができた。若干の頭痛があり、朝食時にはスルピリドに加えて、頓服薬のペロスピロンも初めて飲んでみた。午前中は頓服薬のせいもあってかややぼーっとした感じがあり、頭痛、眠気、疲労感が取れなかった。トイレ休憩の度に、「逃げ出したい」と思い、「もう限界かも」「まだやれそう」の間で揺れ動く。そのまま調子が上がらず、しかしながら黙々と働き、気がつけば3時間弱も残業をしていた。帰宅、疲労。こんな1日は楽しくもなんともないし、なんでこんな風にしてまで生きていなくちゃいけないのかわからなくなる。でも、取り乱すことなく1日を終えられたのは成長か。あまり色々と考えたくなかったので、早めに眠る。
223日目/49日目
火曜日。本日はテレワーク。朝はいつもより1時間遅く起きて、ゆっくり身支度。日曜日に会った友人に勧められた「式日」を観ながら、勤務開始時間までの時間を潰そうと思う。が、40分くらいで気持ちが途切れ、ずっと無視してきた「疲弊感」に捉われる。生きていても楽しくない。なんでこんな状態で無理して生きていかなきゃならないのか。もう全部から逃げ出したい。そのまま気持ちを好転させることができず、号泣。希死念慮に捉われ、またロープを出してしまう。「また懲りずにやるの?」、「もうやめんたんじゃないの?」と何とか自分を説得し、繰り返される思考を追い出そうと部屋を暗くしてベッドに潜り込む。午前中はWEB会議にだらだらと過ごすだけだったので何とか耐え、昼休憩から午後の1時間くらいはずっと眠っていた。母に調子が悪いことを伝えていたので、30分ほど電話した。何とか気持ちを持ち直し、午後は少しはまともに働けたと思う。会社や働くことに対する割り切りはだいぶできるようになってきたはずなのに、どうしても気持ちが沈み切ってしまい、パニックになる。これまで適応障害ということでストレスに対する認識を改めれば治ると思っていたが、どうもちゃんとしたうつ病っぽい症状になってきた気がする。気持ちのタガが外れて、制御できなくなる感覚だった。夕飯を買いに、外に出る。ちょっとだけ気が紛れた。夕食後は部屋を暗くし、ベッドの中で半分寝ながら「式日」を観切った。入眠ルーティンをしっかりして明日に備えようと思う。明日もこんな感じなら会社を休もう。
224日目/休み
水曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。スーツまで着たけれど、いまいち気持ちがついて来ず、いつもより1時間遅い出勤にしようと決める。そこから大豆田とわ子と三人の元夫を観て時間を潰す。しかし、いつまで経っても気持ちが滅入ったままで辛かったので、もう今日は休むことに決め、会社に電話を入れた。午前中はほとんど寝て過ごした。昼食後、またダラダラと過ごし、夕方前にようやく散歩に出ることにする。散歩は暑かったし、1日中寝ていたせいで頭もぼーっとしていたが、少しだけ生きていることに嬉しさを感じることができた。この感覚が失われたまま生活をしていたことに思い至る。帰宅後、早めの夕食を取り、クイーンズ・ギャンビットを観始める。スーパームーンは観られなかった。深田恭子が適応障害になったらしい。無理せず、やっていこう。生きていくと決めたのだから。もう発病から2/3年近く経っているけれど、ようやくそういった心境にまで持っていくことができるようになった。色々と不安もあるし、こんなはずじゃなかったけれど、でも、偉いぞ、自分。辛い日々は多いけれど、少しずつ成長しているのだと思う。
225日目/50日目
木曜日。朝起きて昨日よりは調子が良いことを確認。また朝から泣きそうではあるが、何とかいつもより30分出勤を送らせて寮を出ることができた。寮さえ出れてしまえばなんとかなる。そう思ってもやはり辛いものは辛い。通勤中に朝の薬を飲み忘れたことに気づく。薬を持ち歩いているので、出社後に会社で服薬。出勤後、やはり気持ちが落ち着かない。頭痛と若干の手足の痺れがあり、やはり調子が良くないのだと思う。こんなことが続いたらどうなってしまうんだろう、と不安になる。考えても仕方ないけれど、やはり考えてしまう。普通にパソコンで作業をしていても辛くて涙が出そうになる。椅子から立ち上がると頭痛と眩暈が酷い。でも、今日良かったのは「このところ調子が悪いから万が一のときにはフォローをお願いします」と同僚に話せたこと。同僚は夜勤の後も残業して日勤の私よりも長く勤務しているのに、本当に申し訳ない。でも、これが今の私だし、できることは本当に限られている。その中でできることをやっていくしかない。頑張っていることを認めて欲しいわけではない。けれど、これが私の全力なので許してほしいとは思う。無理の効かない体なのです。明日どうなるかもわからない不安。でも、どうなったって逃げ道は用意されている。とりあえず生きてはいようと、今日も思うことができた。
226日目/休み
金曜日。この日も何とか朝から出勤を試みるがやはり感情を制御することができず涙が溢れて来る。「ここが限界か」と認識し、母と電話で相談したうえで再休職することに決める。まずは職場の上長に再休職させてほしい旨を伝え、少し電話で状況についての会話。その後、直属の上司に連絡を入れ、今日休む旨と休職になるであろうことを伝える。「気づかなくてごめんね」と言われたが、こちらとしても期待に応えられず本当に申し訳ないし、結局また再休職となってしまって悔しい。が、体が言うことを聞かないので仕方ない。悔しいけれど、とりあえず自分が頑張れるところまでは頑張ったと思う。限界まで耐えてみたはず。でも、これ以上は無理なのだ。アドラーに言わせれば、こんな風に再休職するのは私が病気を何らかの言い訳に使っているからであって、本当は沸つに働けるはずということらしい。そして、働けないのは私に何らかの勇気が足りていないから、ということになる。確かにそういう節もあるかもしれない。しかし、今の私には逃げることが必要なのだ。むしろ、恐れずに休みを取ることこそ、私が何をも言い訳にせず、自分の人生を生きるということになるのであろう。と、根拠など存在しない目的論の使い勝手の良さをわけもなく感じる。一日中寝て過ごす。「クイーンズ・ギャンビット」を観終わる。こんな自分を受け入れて、何とかそれでも前向きに生きていきたい。
227日目/休み
土曜日。朝から診察。主治医には会社を休む旨を伝えたが、主治医としてはGW前に既に休職の診断書を出しており、言うことが聞けないなら違う病院にしましょうか、と言われてしまった。そんな言い方するか…と少し絶望したけれど、お医者様の手も震えているし、お医者様もお医者様で大変なんだなと思うと、へらへらと笑って謝るしかできなかった。とりあえず、6月末までの診断書を貰う。その足でラーメンを食べに行き、帰宅後、職場の上長とWEB面談。おそらくは7月1日付けで配置換えとなることを聞く。それまでは休職させてもらいつつ、異動に向けての準備をしていくことで話をつけた。ああだこうだと騒ぎ立てて本当に申し訳ないけれど、今の自分にはこれが精一杯で、これでダメなら大人しく実家に帰ろうと思っているからあと少しだけ多めに見て欲しい。そこまでは言わなかったけれど、そういう気持ちでできるだけ真摯に話し合った。この日も疲れていてほとんど1日中寝て過ごした。夕方、夕食を買いにコンビニまで行き、夜には両親と電話した。病気のこと、休職のこと、祖父の体調のこと。色々と話したけれど、とりあえずはいつでも実家に帰って来て良いからと言ってくれたことが本当に嬉しかった。そこが基盤となっているからこそ、私はまだ何とかこっちで頑張ってみようという気になれるのだ。昼間寝ていたせいで眠気がやって来なかったので、アンジュルムの新曲の楽曲レビューを書いて、ブログにアップした。久しぶりの楽曲レビューをしてみて、若干のブランクと、それでも楽しさを感じることができた。日付が変わってから眠る。
2.カレンダーのまとめ
今週は月曜に長めの残業をして、火曜に朝から泣き崩れながらもテレワークをこなし、水曜日は涙が溢れて出勤できず、木曜は何とか出勤し、金曜日はやはりもう涙が止まらなくなってしまい出勤できず、そして再休職をすることに決めました。日曜に久しぶりに友人と会ったのが引き金になった可能性もありますが、正直その前から気持ち的にはだいぶぐらぐらしており、それを何とか押さえつけている状況ではありました。GW明け直後にはもう会社を辞めるつもりだったのが、色々あって先延ばしになり、何とか頑張っていた中で遂に糸が切れた感じです。
自分ではあまり無理をしているつもりはなく、できるだけ負荷がかからないように過ごしていたつもりだったのですが、単純に毎日仕事に行き、帰って来るという日々の中で蓄積するストレスに耐えられなくなっていました。何がそんなにストレスなのかはわかりませんが、火曜の朝の段階ではまた強い希死念慮に襲われまして、それでも「死なないように!」とテレワーク勤務中でしたが誰も見ていないことを良いことに布団を被って現実逃避していました。しかしながら、前までの私であればおそらくまた自殺企図していたでしょうから、そうなる前に現実逃避することができたのは少し成長かなとも思います。
恥かしい話ですが、6月にかなり忙しくなりそうと判明したことが、大きなストレス要因となったのかもしれません。まぁ、何とかなるだろうと自分に言い聞かせたものの、やはりもう現段階から少し忙しくなりつつあり、ストレス量も増え、それに耐えられなくなったのかもしれません。本当に自分で自分が情けないです。
火曜に感情の抑制が効かなくなり、それは水曜になってもあまり治まらず、結局水曜は会社を休みました。そこから何とか木曜日は頑張って出勤したのですが、職場で意味も無く涙が流れそうになり、また酷い頭痛や眩暈に襲われました。金曜も何とか出勤しようと思ったのですが、やはり涙が溢れてしまい、「これはもうダメだ」と職場の上長に再休職の申し出をしました。そして、とりあえずは再休職する方向で話が進んでいます。色々とやり残したことがあるので、まだ落ち着かないですが、とりあえず休めるというのが今の私には救いです。
3.それでも褒める
自己虐待をせずにどんな自分でも受容し、褒めてあげよう。
そんなことを病気になってから色んな所で目にし、耳にしてきました。そういう心がけは確かに大事だと思います。自己否定をしても何にもなりませんから、自己否定するくらいなら自分を褒める方が生産的でしょう。しかしながら、明らかに自分が情けないことを褒めるなんて、そんな道理は無いんじゃないかという考えももちろんありますよね。今回の私で言えば、普通の人が耐えらえるストレスに耐えられずまた再休職してしまったことは、どう考えたって私の「至らない点」であり、そこには褒める余地なんて全く以って無いように思えます。しかしながら、それでも私は私で今回のことに納得できていたりします。
適応障害と診断されてもう220日以上が経っているわけですから、私自身の自己肯定力もだいぶ高まってきたということもあるでしょう。できるだけ毎日自分の褒めるべきところを書き留めてきましたし、そういうこともあって褒める技術が向上しているのかもしれません。しかしながら、決して「良い所を見つけられるようになった」とかそういうことだけじゃないと思っています。
私は今、ストレスへの耐性がかなり弱っている状況にあります。それを自覚しているからこそ、できるだけストレスを受けないように、溜め込まないようにやれることをやってきたつもりです。例えば、仕事で無理に自分で自分を追い込まないように気をつけたり、苦手な上司との接触機会を減らしたり、何かを言われてもそれを自己否定に繋げないようトイレで休憩して気持ちをリラックスさせたり。ほかにも、疲れを溜め込まないように、お酒は飲まないようにしていますし、できるだけ規則正しい生活を心がけ、消化器官が疲れてきたと感じたらファスティングをしてみたり。入眠ルーティンを作り上げたりもしました。そんな風にやれるだけのことはやってきたつもりです。より良く生きるために、今の私にでき得ることは何でもやってきたつもりなのです。
そして、仕事や会社との付き合い方についても、「どうしてもダメなら実家に帰ろう」というところまで割り切りもできてきました。しかしながら、会社から再休職や配置換えの打診をしていただいたので、今はそれを試してみようという気持ちになっています。その中で、できれば配置換えまで勤務を継続するというのが第1目標でした。そして、それがダメなら一度休職を挟んで配置換えに臨むというところまで職場の上長とも話すことができていました。なので、ある意味では今の私の状況というのは想定内の事であり、そういう意味では「まぁ、仕方ないか」と思うに足る状況ではあるわけです。
そんな風に私なりにやれることはちゃんとやって来ましたし、できるだけ周りの人を頼って、どうにかして社会復帰することを目標に動けていたという自負があります。もちろん、決して完ぺきではないと思いますが、それでも私なりにきちんと自分の病状や置かれた環境と向き合ってきました。その中で、両親との関係性を見直したり、職場でもできるだけきちんとコミュニケーションを取ったりして、そしてその結果が今の私なのです。これ以上は私にはやりようがなかった。少し大げさではあるかもしれませんが、割と率直にそんな風に思ってたりもします。
だからこそ、私はこうしてまた再休職するに至ったわけではありますが、後悔と言うのはありません。自分を褒めるのは難しいですが、しかし、やれるだけのことはやってこの結果なのだから仕方ないじゃないかと思うことくらいはできそうです。そして、そう思えるまでちゃんと自分や周囲と向き合ったことは褒めるに値するのではないかと思っています。もちろん、多分に私は自分自身に甘いところがあったでしょう。しかし、それでも私はよくやったと思います。普通の人なら難なくできることができない私ではありますが、そんな自分を責めようとかそんなことを思わないくらいには、私は私なりに真摯であったと思います。
そういうわけで、自画自賛甚だしいと呆れてしまう部分があるものの、自己否定はしなくて良い気がします。こんな自分を受容できるくらい、私は私に対して寛容になったと思います。それはきっと良いことのはず。
情けないし、将来に対する不安も尽きません。いったい、こんな状態がいつまで続くのだろう。そして、こんな状態が続いた先で私は生活を構築することができるのか。甚だ疑問ですし、私よりも忙しく仕事をしている人たちには申し訳ないと思います。私はただ目の前のストレスに耐え切れず、自分勝手に逃げ出したしょうもない奴です。それは紛れもない事実でありますが、しかしながら私が私なりに誠実にやって来たのも事実だとは思うんですよね。
同じことの繰り返しになってしまいますが、そういうわけで、私は自分の現状をある程度受け入れてはいます。今後の事はわかりません。でも、ここまできちんとやれることをやってきて、それでダメだったのだから仕方ないと思えてもいます。そんな自分を今はちゃんと褒めてあげたいと思います。誰がなんと言おうと、こんな自分を褒めてあげられるのは自分自身しかいないわけですから。
4.最後に…
これから私は自分がどうなっていくのか、全く見当もつきません。異動すれば全てが解決するという訳じゃないこともわかっています。だからこそ、休職したからといって、ただダラダラと過ごすのではなく、きちんと治療に向けてやれることをやっていきたいと考えています。
昨日の夜、久しぶりに楽曲レビューの記事を書きました。少しだけ達成感。やれることからやっていきたいと思います。
次回