適応障害と診断されて473日目(2022年1月30日)にこの記事を書き始めています。前回記事からは割と短いスパンで書くことになっていますね。最近は調子が悪いせいなのか、作品を色々と楽しんでいるせいなのか、ついついブログを書きたくなってしまいます。
前回
前回は「治った!」宣言の後、徐々に調子を崩していき、年末年始頃に一つの山場が訪れたのでそのことについて書きました。それから1週間経って、今の状態について今回は書いていきたいと思います。
1.規則正しい生活
会社のスケジューラーには、19時から「ちゃんと休む!」という予定を非公開で入れて、きちんと早めに帰ることを徹底しました。周りがまだ仕事をしている中で先に帰るのは本当に心苦しいのですが、たぶん私はこれ以上疲れてしまうと仕事も何でも放り出して、実家に帰り、そこで生きていく術を見つけられなければあっさりと死んでしまうでしょうから、「そうなるよりは今日ちゃんと早く帰る」と思って帰るようにしました。
幸いにも今の職場はフレックス導入なので、もし仕事をしたいのであれば早めに出勤するようにし、退社時間は18時台というルールにしました。ただし、結局朝は朝でとても辛いので、いつもより早く出勤できて15分程度という感じなので、ただの怠け野郎になってしまいました(笑)。まぁ、でもそれで仕事がなんとか回っているのだから良いですよね。無理することはないんです。
朝はやっぱりしんどくて、疲れが残っているという感覚があり、ついつい部屋を出る時間を先延ばしにしてしまいます。意味もなくニュース番組を観たり、録画したテレビ番組を観たり、Twitterで見つけたたいして興味の無い記事を観たりして。それでもまあ何とか周りの人たちと同じくらいの時間には出勤して、そして周りの人よりも早くに帰る日々を続けた1月という感じでした。
会社にいるときはやっぱり焦ってしまうことが多いです。それでもできるだけ1~2時間に1回はトイレ休憩と称して、10分程度ゆっくりと息を整える時間を取るようにしました。私の職場は会社ビルの5階にあり、地下1階にコンビニがあるのですが、1日に1~2回ほど、そこまで歩いて降りて、物を買い、また歩いて戻って来るというリフレッシュも行っていました。仕事って本当に楽しくないんですよねー。何かに追われているような感覚、そして自分が何か間違ったことをやっているんじゃないかという感覚、ほかの人よりも全然仕事がうまくできていないという感覚、そういうのが無意識のうちに積み上がって少しずつ息苦しくなってくるんです。そして、気づいたときにはくらくらして、とても疲れていて、気分が沈んで泣き出したくなるんです。
こういう感覚というのは、私の脳内に出来上がった「他者との比較」から来る「自己否定」の回路が無意識のうちに作り出しているもので、「そんなことを考えても意味ないよ。大丈夫、僕はちゃんとやれてる!」と無理やり自分に言い聞かせたところでどうしようもないものなんです。この辺りは、いくら自分の両親などに説明しても、「考え過ぎ」だとか「もっと気楽に」とか言われるだけで、なかなか理解されないところです。それができたら苦労しないんだよ、と苛々してしまうのですが、「痩せたい」と言いながら間食が止められない母親の苦しみを私がわかってあげられないように、致し方ないことなのかなとも思います。
同期で休職を経験している友人にはこの辺りの感覚がよくわかってもらえるので、そういう人と話していると落ち着きますね。これからも大切にしていきたいと思っています。
と、そんな感じで「どういう仕組みで自分が苦しんでいるのか」ということも何となくわかっては来たので、まずは対処療法的にその「自己否定オートメーション」が行われている前提で、数時間に1回休憩を挟んで会社のことを頭から吹っ飛ばすように心がけていた次第です。トイレでは好きなアイドルのブログを読んだり、まとめ記事を読んだり、そういうもので頭を空っぽにしてあげます。コンビニまでの超軽散歩ではマインドフルネスを意識して、階段の1段1段に意識を込めることで頭を空っぽにしてあげます。どちらもまだあまりうまくできず、仕事のことがちらついたりするのですが、まあそれも仕方ないものとして受け止めています。できるだけそういう雑念に気づいたときは、それをやり過ごし、また集中し直す訓練を積んでいる最中ですね。
あとは昼休憩時に、人目を気にせず散歩に出ることにしました。今までは何となく食堂での昼食が終わればすぐに自席に戻って来るべきだという感じがあったので、食後は何となく軽い事務作業をしたり、軽く昼寝をしたりしていたのですが、最近は散歩に出るようにしています。だいたい20~30分近く音楽を聴きながら散歩をしているのですが、駅の反対側に広がる静かな昼間の住宅街を歩いたりするのは心が落ち着いて良いですね。私はやっぱり都会生活にあまり向いていないのかもしれません。静かなところ、ひと気がないところが好きです。この季節、外は寒いので、会社に戻って来ると寒暖差から頭痛がするのが難点ですが(笑)。でも、散歩は良いです。気分が穏やかになりますし、頭の中が空っぽになりますし、何となく食後で急上昇した血糖値の降下を緩やかにできている感じもします。ストレス発散になりますね。
私の不調の体感としては、1番が頭痛、2番が抑うつ感、3番が吐気という感じなんですが、特に年明けからはこれらの症状が酷いです。だいたい会社に到着した朝が1番頭痛が酷く、昼にかけて徐々にそれが和らいでいく感じです。そして、昼食のあとはまた血糖値の下降によって眠気と頭痛が強くなり、それが15時くらいには一度ぱっと消えて仕事に集中できる感じになってきます。ただしそこからだいたい17時近くになってくると疲労などからまた頭痛が強くなり出し、何となく血の気が失せていくような感じがあります。なので、ここで一旦コンビニまでの散歩をして、甘いものを買って戻り、それを食べながら何とか血糖値を保ちつつ、18時過ぎまで働くというリズムでやってきました。
帰りの電車に乗ると、ようやくキリキリとした頭痛から解き放たれ、取って代わるようにぼやぼやとした淡い頭痛と麻痺するような疲労感がやって来ます。でも、気分はどちらかと言えば晴れており、この帰りの電車で何らかのコンテンツを楽しむのは、それなりに良い時間であります。ただやはり1日中ストレスを抱えているので、ちょっとしたこと(イヤホンのBluetoothが不調、電車内は空いているのになぜか目の前に人が来る、とか)に苛々してしまいます。そして、そういう苛々は一層の事、私を疲れさせます。
19時ちょっと過ぎに会社の寮に戻り、食堂で夕食を食べ、部屋に戻ると19時半くらい。そこから20時15分~30分を目処にだらだらさせてもらいます。そして、できるだけ20時半までには寮の共同のお風呂に行きます。体を深部から温めることに重点を置き、お湯の温度が結構熱いので、たいがい1度浴槽から上がり、1~2分程度休憩を挟んだ後で、もう一度1~2分温まるというルーティンを行います。これによって、体の表面だけでなく深部から温め、ストレスをケアするとともに、良い入眠に繋げられるのです。
21時前には部屋に戻り、疲れているときはすぐに部屋を間接照明に切り替え、皮膚科で貰った薬を全身にぬりぬりしたりしながら湯冷ましし、あとはゆったりとした音楽をかけながら本を読んで22時に就寝できるよう気持ちを落ち着かせていきます。なんだかんだと23時近い就寝になることも多々ありましたが、それで7~8時間ほど寝られればまあ満足という感じですね。
ストレスから頭の中が苛々して…いや言葉で表現するのが難しいのですが、何と言うか神経が高ぶってギザギザしているような感じの時は、無理せずお酒を飲みます。冷凍庫で作った氷を3つほど。そこにウイスキーを注ぎます。氷3つが溶け切るくらいのウイスキーを飲めば、まあ神経も穏やかになり、自然な眠りへと導かれます。完全に寝酒ではあるので極力そうならないようお風呂やストレッチ、読書などでスムーズに寝入れるように努力をしているわけですが、そうもいかないときだってあります。そんなときは無理せず、お酒の力を借ります。カウンセリングでも「たまにはお酒を飲んでリラックスするのもいいんじゃないですか?〇〇さんは基本的に良く言えばストイック、悪く言えば頑固で特定の考えに固執し過ぎなのかもしれません」と言われた経験があるので、無理せず臨機応変にやることを心がけています。
こういう生活を1月いっぱい続け、相変わらず頭痛は酷いですが、何とか1か月を乗り切ることができました。いつまでこんなことを続けなくてはならないんだろうという思いも当然ありますが、現状続けられてはいるので、もう少し様子を見たいと思います。
2.嫌いな先輩
会社の同じグループに嫌いな先輩がいます。その人は決して悪人ではありませんし、まあ仕事も頑張っています。よっぽど私よりも優良社員ではあると思います。でも、私の配属初日から私はこの人のことがあまり得意じゃありませんでした。どこに何があるのかわからない私は事務用品の場所を尋ねたのですが、そのときの対応にどこか冷たさ、そして「何もわかってない手のかかる無能が俺の貴重な時間を削るんじゃねぇ」というような煩わしさと人見下すような雰囲気を感じました…と言うと、被害妄想もたいがいだなと私自身思うのですが、何と言うか私はその人と関わるとよくそういう気持ちにさせられるのです。
前職場から仲良くさせてもらっている先輩にも「何となくあの人苦手なんですよね~」みたいに割と早い段階で愚痴ったりしていたのですが、その先輩はまだ数回しか絡んだこともなく「別に悪い人ではなくね?あの人は表情で損してるタイプだよ」みたいなことを言っていました。私も別にその嫌いな先輩のことを悪人だとは思っていませんし、もっと酷い人がいることは客観的に理解できてはいるので、「何となく苦手で、自分とは合わない人」という認識で留めるよう努力をしました。
そう簡単に人の事を嫌いになったりしない、というのは私の中の1つのテーマでもあるので、最初の印象だけで決めつけるような真似はしたくありません。私が憎むべきは、人と人との関わり合いの中で生まれる「人間」というものであり、同時にそれは「社会」であり、生身の個人に対して人身攻撃をしたいわけではないのです。
そんな思いで今まで生きてきたわけですが、色々とHSPのことなどを勉強していく過程で「苦手と感じたらちゃんと距離を置く」という考え方も身に着けるようになってきました。なので、私はその嫌いな先輩を暫定的に「積極的に関わらないようにする人」として、私の中で何かのタイミングで苦手意識が薄れていくのを待ちました。
が、そんな中、この1月のタイミングで、仲の良い先輩に対してその嫌いな先輩が酷い対応を取る瞬間が訪れました。まさに私が感じていた「見下して」「煙たがる」感じがとても強く出た瞬間でした。それを見て、後々その仲の良い先輩のところへ行くと、「あの対応はなくね?前にお前が言ってたことわかったわ」と言ってくれました。もうこれは私にとっては歓喜の瞬間でした。
そうなんですよ。割と私に対しては、あの感じを出すときが多くあって、その度に嫌な気分にさせられるんですよ!私はもう最初からあの感じを敏感に感じ取っていたんですよ!
そう叫びたいくらいでしたが、まあ会社の中だったので、「ですよね~」くらいに留めておきました。
人の悪口を言って喜ぶのはちょっと情けないものではあるのですが、やっぱり苦手なものは苦手なわけで。仲が良い先輩とは比較的感じ方や価値観が合うので、そんな先輩が私と同じ人を苦手という認識を持ってくれたのは、私にとっては味方ができたようで嬉しかったのです。だって、人のことばかり気にしがちな私にとっては、「あの人も別に悪い人じゃないし、顔で損してるタイプなんじゃない?」と言われたら、私もそういう見解にせざるを得ないのです。何だったら、私の感性が間違っているのかなと自己否定をしてしまいます。でも、こうして味方ができると自分の感性に自信が持て、自己否定から解放されたような気分になります。
好き嫌いの激しさはある意味では自分を苦しめることにはなるでしょう。でも、苦手なものは苦手なものとして捉え、極力それを遠ざけるような振る舞いというのも必要なんだと思います。社会の中では、そうやって苦手なものを遠ざけることが難しいこともたくさんあるでしょう。だからこそ苦しむわけですが、私の場合は「好き嫌いをなくそう」という努力が、「自分の感性がおかしいのでは?」というような自己否定にも繋がりかねませんし、無理やり嫌いなもののご機嫌を取りに行って傷ついたりということもやってしまいがちなので、そういう無理な努力はしないようにしなければならないと改めて思った次第です。
改めて言います。
私は時折こちらを酷く「見下し」「煙たがる」ような態度を取るあの先輩が苦手で嫌いです。彼に対して怒りを感じることも多々あります。そして、そうなってしまうのは仕方がないのだから、極力彼とは距離を置くようにしようと思います。それが自分の身を守ることに繋がります。私はもう誰にも(自分にさえも)自分を貶めるようなことはさせません。醜くてくだらない世の中ですが、その中で小さく非力でそれでいて尊い自分の世界をちゃんと守っていこうと思います。
3.色々と触れた作品たち
前回ブログからまた色々な作品に触れたのでここに書き留めておこうと思います。
書籍
国境の南、太陽の西(村上春樹)
こちらは文学部卒の友達に勧められた1冊です。私は村上春樹が大好きで、ほとんど村上春樹以外の作品を読んでいないと言えるほどですが、この作品は見落としていました。そういう意味で、私はそこまで読書家ではないのです。
そして、この「国境の南、太陽の西」という作品はとある行列のできるラーメン屋に並んでいるときから読み始め、なんだかんだと1~2週間で読み切ってしまった作品です。私は本を読むのが遅い方なのですが、やっぱり村上春樹はすらすらと読めてしまいますね~
本作は主人公が幼少期(小学生)の頃に、同じ一人っ子(周りはほとんどが兄弟がいて、一人っ子の家庭はほぼ自分しかいなかった)の女の子が転校してきたという出来事がスタートになっています。そして、主人公の男の子はその女の子と非常に親密で特別な関係を結びますが、それが恋愛というものに成熟するよりも先に、別々の中学への進学という出来事が起こってしまいます。そこから何となくの気まずさによって2人は離ればなれになってしまいます。
それ以降は主人公の男の子が中学、高校と進学し、その中での恋愛や欲情に対する戸惑いを経験し、とにかく孤独な二十代を通り過ぎ、ようやく素敵な伴侶と巡り合うという話が緻密に、繊細に、興味深い言葉たちで紡がれます。まさに村上春樹という感じの、微妙な精神の揺らぎが楽しめますね。ロジカルでありながら、ところどころ運命論的で、そして幻想的な内省が本作でも素晴らしいです。
当然ながら主人公の男のもとに、あの小学生の時の女がまた姿を現し、そこから物語はまた大きく展開していくのですが、そこで男が感じる感情の揺さぶりなんかはとても説得力があり、そして非現実さがあります。
そういった非現実的な力が現実を凌駕していく描写、そしてその非現実的なものが実らずまた現実へと戻って来て、そこで何とか残り物からやり直していくという最後の展開がとても村上春樹らしく、好きでした。有名どころで言うと「ノルウェイの森」と「ねじまき鳥クロニクル」の間頃の長編小説で、まだ「ノルウェイの森」に近い、現実的な世界観の小説であります。ただ「ノルウェイの森」や「ねじまき鳥クロニクル」と違って、1冊で完結する分量なので非常に読みやすかったです。
考えさせられることはたくさんありますが、まだうまく考察できないので、ただただ良い作品、私好みの作品だったという感想だけ書いておきます。初期の作品のように悲しく、虚無感だけ残して終わるのも好きですが、弱っている今の私にとっては、現実の中でやり直していこうとするラストが心温まり、良かったですね。
お笑い世代論(ラリー遠田)
こちらも文学部卒の友達から勧められた1冊。友人とはお笑い好きという共通点もあり、M-1やK.O.Cの話で盛り上がり、有吉のサンドリなどでもゲラゲラ笑い合えるような感じなのです。ただそんな友人に勧めてもらった本作は、ほんのちょっとだけ私には退屈だったように思います。確かに、一般的な日本の世代論と、お笑い界における世代論を比較しながら進めていくのは興味深い点もありましたが、個人的にはもっとお笑いの細かいディティールなどの考察が欲しかったですかね。私がリアルタイムで楽しんで来られなかった、お笑い第1~3世代の辺りは知識として為にはなりました。ただ、第4世代以降の話について言えば、私はリアルタイムで楽しんできたので、ちょっと物足りなく感じました。「論」としてまとめる上では仕方のないことなので文句を言っているわけでは決してありませんが、第6世代としてオリラジとキングコングをメインで論じるのみというのは、ちょっとだけ興味が惹かれなかったポイントです。
やはりバナナマンとかから第6世代に引き継がれたものを、第7世代がさらに広げたり、突き詰めていったりしていくという部分が私的にはとても興味があるので、私が読みたい内容とは違ったなぁという感じになってしまいました。そういう意味では最近YouTubeにアップされたコントのフェスを妄想する動画が個人的にはとてもぶっ刺さりました。
他にも、テレビという媒体で考えるのであれば、チームプレーを極めた加地さん、予測不能な化学反応を生み出す佐久間さん、緻密に仕掛けを施して切れ味鋭い悪意を笑いに変える藤井さんなど、その辺りの話をもっと聞いてみたいですね。
本書を「論」として否定するところは全くありませんが、そういう好みの問題はありましたかね。でも、それぞれの時代でどうしてそういう芸人が出てきたのかという部分はかなり腑に落ちたので、読んで良かったとは思います。
映画
空白
古田新太さん主演の本作ですが、Netflixで観させていただきました。私が贔屓にしているYouTubeチャンネル「おませちゃんブラザーズ」で映画「さがす」の紹介がなされており、そこで伊東蒼さんが出演している作品ということで本作「空白」が紹介されていました。
若いスーパーの店長青柳(松坂桃李)が、店内で万引きをした少女(伊東蒼)を捕まえるために追いかけている途中、少女は車に轢かれて死んでしまいます。そして、その少女の父親である添田充(古田新太)は激昂し、悲しみに暮れます。日頃から怒ってばかりいて、娘にも漁師の弟子にも厳しく高圧的な添田は、店長の青柳にもマスコミにも学校にも噛み付いて、様々なところで問題を大きくしていきます。対してスーパーの店長でもある青柳は極端に人付き合いが苦手で暗く、そのせいで前から女児に痴漢をしていたなどの噂を流され、こちらもこちらで追い詰められていきます。インタビューの中で炎上するような一部分を使って囃し立てるマスコミ、イジメは無いことにしたい学校のずる賢い対応、そして情報に踊らされる一般人。少女を車で轢いてしまった女性の苦悩や、ボランティアに勤しむスーパーのパートをしている女性の独り善がりな正義感、添田充の元妻(少女の母)とその新しい家庭など、様々な要素が本映画ではスポットを当てられています。
本作においてストーリーを進めていくのは添田充の「娘が万引きなんてするばずない」という主張です。なので、「本当に万引きしたのか?」ということが気になるような展開ではあるのですが、あくまで主題は失ったものの「空白」とどのように向き合うのかというところにあるのだと思います。単に娘を失った添田充の「空白」だけでなく、スーパーの店長である青柳も多くのものを失っていきますし、様々な人がこの映画の中では苦しみ、悲しみ、色々とうまくいきません。そうやって色々な物事がダメになっていく過程で、それでも残ったものが何となく光り出して、その後の人生を繋げていく…そんな感じのストーリーでした。
ミステリーではないので事故の真相(少女は本当に万引きしたのか、少女はなぜ万引きをしたのか、少女はなぜ車道に飛び出してまで逃げようと必死だったのか、など)は明らかにされません。本作で描かれるのは、丁寧な個々人の思惑や意見であって、そしてだいたいにおいてそれらはうまく噛み合いません。善意が薄ら寒く映ったり、愛情を口にする一方で実のところ何も娘のことを理解できていない父親(添田充)など、とにかく人間が理解し合う事って難しいなと感じさせられます。ただそういった描写を丹念にやっていくからこそ、最後のところでようやく本音が少しだけ噛み合ったりする場面がとても印象的に映ります。
悲しく不快になる部分も多々ありますが、苦しみに耐えて生きていく、人生の苦さと僅かな甘さが素晴らしい映画でした。
岬の兄妹
こちらはAmazonでレンタルして視聴しました。映画「さがす」の片山慎三監督の作品です。上記の通り、「おませちゃんブラザーズ」で紹介されていて気になって観てみました。
簡単に言うと、自閉症の妹に売春させて何とか生きていく足の悪い兄のお話です。兄と妹は2人で暮らしているため、兄は造船所で働く間、妹に鎖を繋げて、家の窓は段ボールで覆い、ドアには外から鍵をかけて妹が勝手にどこかに行かないようにしています。それでも自閉症の妹はこれまでも何度か家を抜け出し、警察と一緒に捜索する羽目になっていました。上手く言うことを聞かせられない兄は、妹に対してかなり辛辣で暴力的な扱いをしますが、むしろ四六時中そういった状態の妹と暮らす人間としてはある意味当然の苛立ちをきっちり描いているのは素晴らしかったと思います。兄自身もあまり才覚に恵まれた人間ではないので、そういう卑しさもよく表現されていました。
そんな妹がまた脱走し、兄は町中を探すのですがなかなか見つからず、ようやく夜になって、携帯電話に電話がかかってきました。兄が待ち合わせ場所に行くと、ある男が妹を保護してくれていて海鮮丼までご馳走したという話を聞かされます。兄は礼に海鮮丼代を払おうとするのですが、男はそれを遠慮し、とても感じ良さげに去っていきました。兄としてはほっとして妹を家へ連れ帰るのですが、妹を風呂に入れている間、妹の下着に男の精液がついているのを発見します。そして、服のポケットには1万円札が捻じ込まれていました。
兄はそれを問い詰めますが、妹は「海鮮丼!」や「冒険した!」とはしゃいでおり、自分がしたことをうまく理解できていません。そんな出来事があった後に、兄は造船所の人員削減に巻き込まれて職を失ってしまいます。もう食べるものがない…というとき、過去に妹が男に抱かれて1万円を貰っていたことを思い出します。そこから妹に売春させることを思い付き、兄は「1時間、1万円、最後まで」という条件でお金稼ぎを始めました。
その売春の中で色々と印象的なエピソードはあるのですが、重要なのは妹が売春を全く嫌がっていないということです。かつての「冒険」は「仕事」という単語に置き換えられたものの、妹としてはようやく閉じ込められていた家から出ることができ、しかもそこでは性的な欲も満たされます。周りの人間は妹を売り物にする兄を非難したり嘲笑したりするのですが、実際に妹が意に反して「仕事」をしているかというとそうではなく、妹はむしろ乗り気なのです。「仕事」が純粋に楽しいのです。だから、「仕事する?」と無邪気に聞いたりもしてしまうのです。
そんな妹をよく買ってくれる小人症の男がいました。妹はおそらくはその男に恋心のようなものを抱き始めるのですが、それは恋心と呼べるほどのものではなく、どちらかと言えば、愛着という言葉の方が近いようなものでした。しかしながら、明らかに妹はその小人症の男に愛情を感じ、会いに行きたがったりします。しかし、間の悪いことに妹は妊娠してしまい、当然ながら誰の子供かもわかりません。中絶させようと兄は妹を産婦人科に連れていきますが、値段が7~8万円と高額なため、手術は諦めます。そこで、兄は小人症の男に妹と結婚してくれないかと頼みにいくのですが、断られてしまいます。視聴者目線で見てもこの小人症の男は、その妹に対して愛情があるように見えたのですが、男は「勘弁してくれ。好きなわけがないだろう」と兄妹を救ってやることはできませんでした。
そんな感じで、障がい者の生活、そして性というところに踏み込みつつ、生活苦などを泥臭く描いたのが本作の概要となっています。障害を抱えながらもたくましく生きていく姿や、要領が悪く情けない兄の駄目さ加減がちょっと面白く見える場面もありつつ、微妙な笑いの中に、途方もない苦しみのようなものが見えて、独特の空気感がありました。実際問題としてこういう人たちはどのようにして生きているのだろう、と興味を持たされますし、普段は「自分のような人間がこの世界で生きていくのは辛過ぎる」と自虐に浸っている私にとって、もっと過酷な状況の人たちもいると改めて思わされました。
感想をまとめるのが難しいのですが、上でも書いた通り、思わず笑ってしまうような場面がありつつ、「んー…きついな…」とも感じさせてくれる不思議な作品でした。感情が揺さぶられたという意味で、とても面白かったです。
ドライブ・マイ・カー
こちらは映画館で観てきました。3時間という大作で、しかも村上春樹原作ですから、結構なスローテンポと予想され、途中で寝てしまわないか不安でしたが、結果的に一睡もせず視線を釘付けにさせられたまま観切ってしまいました。
もともと観たい映画ではあったのですが、村上春樹が好きだからこそ、がっかりしたくなかったですし、何となく週末には予定がコンスタントにあってという状況が続いていたので観ることができずにいました。が、文学部卒の友達が絶賛しており、この度ようやく時間を確保して観に行くことができました。チケットの予約を取ってから情報を集め出すと、海外で評価が高く、ゴールデングローブ賞を受賞していたり、また「おませちゃんブラザーズ」でも取り上げられていたり、と観るにあたってワクワクする情報がたくさん飛び込んできました。
とにかく映画の雰囲気がよかったです。村上春樹のお洒落で非現実的な雰囲気がきちんと醸し出されていました。
いずれきちんと感想や考察をまとめたい作品なので、とりあえず見どころ・解説的なことはこちらの動画に譲ります。色々な情報が紹介されていて、個人的にはこれを見てから映画を観に行って良かったです。
映画の舞台である広島についてはあまり思い当たることがなかったのですが、途中で北海道の上十二滝村という地名は、「羊をめぐる冒険」にも出て来る地名だったりと、村上春樹ファンなら楽しめるちっちゃなサービスもありましたね。
3時間と長いという問題がありますが、また観たいと思わせる映画でしたね。とても、とても素晴らしかったです。こういう映画を観たかったですし、前回ブログで紹介した濱口竜介監督の「寝ても覚めても」の見方もちょっと変わりました。前回ブログでも言った通り、雰囲気が良くて、何となくもう一回見たいと思わせてくれる作品であることに違いは無いのですが、「どうして雰囲気がよく感じられるのか」ということをもっと分析したくなりました。そこには「ドライブ・マイ・カー」にも通じる何かしらの共通した要素があるように思います。今後も濱口竜介監督の作品には注目していきたいと思います。
音楽
風呂上がり後のリラックスタイムに聴きたいなぁ、と思って、最近ハマっている曲をプレイリストにまとめました。何となく、今の気分を晒しておきたくなったので、ブログにのっけておきます。
1.Numb / Men I Trust
2.Pierre / Men I Trust
3.矜羯羅がる / yonawo
4.ijo / yonawo
5.夜間航路 / fox capture plan
6.輪舞曲(松任谷由実カバー) / Bohemianvoodoo
7.liontype / siraph
8.黒い砂 / Cö shu Nie
9.勘ぐれい / ずっと真夜中でいいのに
10.Final Cut #2 / Lillies and Remains
11.Bend / D.A.N.
12.rio / Spangle Call Lilli Line
13.Boyo / toe
14.Because I Hear You / toe
15.After Image / toe
16.グッドバイ(Album ver) / toe
17.untie / sora tob sakana
18.ロックフェラーの天使の羽 / 辻井伸行
だいたい1時間20分のプレイリストですね。最近、リラックスタイムに聴いて、とても好きになったMen I Trustの「Numb」から始まり、ライブにも行ったyonawoやfox capture planへと繋げてきます。そこから、昔から好きなBohemianvoodooの最新アルバムより「輪舞曲」、またここ1年で何度も繰り返し聴いたsiraphの「liontype」、コシュニエ、ずとまよを織り交ぜました。そこから先はまずここ数年間ずっと私のお気に入りトップ4を独占し続ける「Final Cut」「Bend」「rio」「Boyo」の神セトリを続け、何と言ってもabura derabu 2021で愛が一層深くなったtoeを連続で繋げます。sora tob sakanaの「untie」で一気に神秘的かつ無垢な気持ちにしてもらい、最後は「ロックフェラーの天使の羽」で切なく、静かに終わる…かと思えば、また甘くとろけるような1曲目の「Numb」に戻って来るという構成です。
本当に心地良く、今の私をとてもとてもよく慰めてくれる素敵な楽曲たち。カフェインで動悸がしなければ、ぜひとも美味しいコーヒーを飲みつつ、素敵な小説を読みながら聴きたい楽曲たちです。途中のコシュニエとずとまよは変更の余地ありですが、終始繊細過ぎる楽曲たちが続くので、途中で軽くポップな人たちを入れてみるのも良かろうといことで、暫定的に入れております。
Men I Trustやyonawoの気怠さから始まり、siraphやSpangle Call Lilli Lineといった繊細な楽曲へと繋がり、最近愛が止まらないtoeの楽曲で徐々に盛り上げていき、最後はsora tob sakanaと辻井伸行で神秘的な無垢の世界で締める。最高の流れですね!
最後に…
元気はなく、体調は思わしくなく、2週連続の夜勤に苦しめられ、心身のバランスを崩しかけています。が、本当に様々な作品に救われています。決して前向きになれるわけではありませんし、以前ほど強い希死念慮はないものの、「無理と思ったら死ねばいいしなー」と考えることで何とか平常心を保っているような状況ではございます。本や映画や音楽に触れることは楽しみですし、好きな人と会ったり連絡を取ったりするのもなかなか悪くありません。でも、別にやり残したことは無いですし、明日死ぬとなっても特に取り乱したりしないと思います。Apple WatchのCMで、転倒した人を検知したApple Watchが自動で救急へ連絡して命を救った、というエピソードが紹介されていますが、「うわぁ、余計なお世話ぁ」と思ってしまうくらいには、まだ前向きに生きていこうということができていません。
ともあれ、まだ生きているわけですし、もし今の会社にいれないと思っても、まだまだ生き長らえながら逃げていく道はたくさんあります。カウンセリングの先生にも「まあ、急に辞めてしまうんじゃなく、また休職でもなんでもして、その間に転職活動したり、あるいは実家に帰ってからどうやって生きていくかの算段を立てたりすればいいじゃない」と言われたので、そう深刻にならずにのらりくらりと生きていこうと思います。
もう生きていく目的のようなものもないのですから、適当に死なないためにできることを、多少ずる賢くなりながらやっていこうではないですか。「良い人と思われたい」ということももはやないんですから。うん、ただただ、死ぬ瞬間を1日でも先延ばしにしてみましょうよ。苦しみは環境に圧力をかけられ、最終的には自分が生み出しているものなんですから、逃げれば良いんです。
逃げるぞー、どこまでも。
次回