霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.23

適応障害と診断されて30日目(11月13日)の朝にこの記事を書き始めています。

もう1か月も経ってしまったんですね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は実家に戻り、本の栞づくりと色々と買い物をしたというただの日記的な内容になりました。適応障害の治療の進捗としては、「1日起きているのが大変…」くらいのものでしょうか。

今回もまたかなり日記的な内容になりますのであしからず。

 

 

1.適応障害と診断されて29日目~もみじ狩り~

朝起きて、朝食を食べ、シャワーを浴びる。そういった日常的な行為はかなりスムーズに行えるようになってきたのを実感しています。ただ、寝起きはどうしても倦怠感は強いですけれど。それでも、やろうと思えば全然できるくらいには回復してきました。

午前中は家で留守番だったので、1人で映画「ピンポン」をだらっと見つつ、基本的にはテレビも音楽もなしで村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」の感想記事をずっと書いていました。なかなか解釈が難しく、またいつもの如くより道をしてしまうので、なかなか書き進められず、午前中の段階では短編集の半分くらいしか感想をかけませんでした。しかし、そのようにしてあっという間に時間が過ぎていきます。

昼ご飯はうどんを食べ、七味も良いですが、ガラムマサラを入れてみたところ、これがなかなか美味い。家に帰って来た母にも勧めてみましたが、母には遠慮されました。

猫との生活にも徐々に慣れて来て、2人がじゃれ合う様子を眺めたり、たまにちょっかいを出してやります。2人で同じタイミング眠たくなるので、人懐っこい寂しがり屋の白猫の方は腹の上に乗せてやり、警戒心の強い黒猫は足元近くに侍らせ、静かなひと時を過ごしました。

午後からは母とドライブして、もみじ狩りへ行きました。1時間くらい車で行ったところにもみじの名所があり、近くの神社を巡り、ちょっとした人混みを掻き分けて、美しく色づいたもみじを観てきました。ひんやりとした山の空気と、ささやかな川の流れ。午後の陽はあっという間に傾き、神社を山の影の中に閉じ込めます。神社では神様の由来も何もわからなかったので、とりあえず「心が砕け散りませんように」とだけ願わせていただきました。よくよく考えてみれば、今の私はとても落ち着いており、そして自分を取り戻してきているので、「早く復帰してバリバリ働きたい!」という想いはありませんし、何か素敵なことを求めているわけでもないのです。ただただ心さえ砕け散らなければ、私はそれだけで自分のことを自分で慰めてやることができるのです。何度も言ってきたように、私には音楽と本と季節さえあればそれで充分なんです。あとはそれを感じるだけの心があれば……願いは必要最小限に。別にそんな作法があるわけでもありませんが、名も知らぬ神様にはそもそも身勝手にお願いすることさえ無礼なわけで。ま、神様なんて本当はどうでも良くて、ただ願いを通して自分の思考を整理すると言うだけです。そう言えば、ちょうど財布の中には333円があり、賽銭箱にはそれを丸っと放り込んでやりました。いつだったかお笑い芸人の小薮さんが「日本に神社を残すためにもお賽銭はしっかりと!」みたいなことを言っていたのを思い出します。たった333円ですが、私は神社のように落ち着いており、文化を感じられる場所は好きなので、このはした金もそのために使っていただければ幸いです。

 

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紅葉

 

もみじはとてもきれいで、貼り付けた写真は様々な色の葉が入り乱れたものですが、基本的には綺麗な臙脂色に染まっているものが多かったです。また、もみじ園の外にあったイチョウも非常に美しい黄色に染まっており、秋を感じることができました。久々にちょっとした車の運転をしたのと、人も結構多かったので途中で疲れてしまったのが残念ですが。もみじ園では串に刺さったコンニャクと、もつ煮を食べたりして、普通に観光してきました。

 

家に戻り、また短編集の感想記事を書き進めるも、強烈な眠気に襲われます。しかし、ここで寝るわけにはいきません。いい加減、1日起きているだけの体力を戻さないと。今日は車の運転ともみじ狩りをしてきただけです。消耗も少ないはず……なんとかギターを弾いてがっつりと歌うことで眠気を吹き飛ばしました。

 

夕食を食べた後は、テレビでお笑い番組を見てのんびりと過ごします。テレビを見終わった後は、また短編集の感想記事を書きます。しかし、それにしても村上春樹の作品は感想を書くのも非常に難しいです。

そう言えば、塾講師時代に頭の良い私立高校に通う女の子が村上春樹の感想文が書けないと泣きついてきたことがあります。学校の課題で村上春樹の何らかの短編が題材に取り上げられていたのですが、まぁ、内容的には比較的わかりやすいものだった気がしますが、確かにこれを高校生に読解しろっていうのはなかなか難しいんじゃないかとその時も感じました。作品名は忘れてしまいましたが、たしか「鏡」がモチーフの作品でした。「鏡」を通して、2つの世界が並行存在し、自己の二分や同時存在のような、いかにも村上春樹らしい世界観だったような気がしますが、なかなか詳細までは思い出せません。

それこそ彼女は村上春樹の小説に出てきそうな、とても聡明で感じの良い女の子で、そして若くて美しく、可愛らしい生徒でした。私は留年までしている大学生のアルバイト講師だったのですが、もし同級生なら完全に恋に落ちていましたね。いや、講師という立場だったからこそ、ただただ彼女の聡明さに惹かれていたのかもしれませんが。どれくらい聡明かと言うと、数学Ⅱの微分の肝のほとんど全てをたった3時間ほどで理解してしまうくらい聡明でした(通常1~2か月はかかります。時間にすれば15~20時間くらいは必要でしょうか)。あの時ほど生徒と思考が繋がり、スムーズに授業を進められたことは後にも先にもありませんでした。私は特定の教科を教えるというよりは、数学や物理や化学、現代文や古典、その他雑多な特別課題などのフォローをしてやっていました。いま思い出しても素敵な時間でした。私は彼女によって試されていましたし、画一的な教育ではなく、そこには多分に私独自のエッセンスも含ませることができました。こういうことが続けられるなら、一生塾講師でも良いなぁと思ったほどです。原発が正か否かという議題について発表があるとのことで、私も原発の本を買って勉強したこともありました。「読解力」を身に着けたいという彼女にサリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」を読ませ、そこからいかに多くのことが読み取れるかということを説明したこともあります。

ただそんな聡明な子はすぐに私の手に負えなくなり、私の教育能力が彼女の高い志には及ばず、あっという間に彼女は別の塾へと移っていってしまいました。彼女が素敵な人生を送っていることを願っています。

 

余計なことをたくさん書きましたが、そんな風にただの休日みたいな毎日を過ごしながら静養しています。そう言えば、この日は日中1度も眠らずに済みました。おかげで、これを書いている翌日の朝は疲労のせいか少し体が重いです。

 

2.祖母の緩和ケア

現在、私の母方の祖母は療養施設に入っております。詳しいことは私もちゃんと聞かされていないのですが、痴呆症のようなものから始まり、祖母の体は徐々に弱り、今はほとんど意識もはっきりとせず、ご飯も食べられなくなってしまいました。施設に入ってから、私は祖母に会うことができていません。しかし、施設に入る前の彼女はもうなかなかまともに言葉も交わせないし、日常生活を営むこともままならないという状況でした。祖父と2人で暮らしていましたが、デイケアサービスの方に来ていただかないと、まともにお風呂も入れられないような状況です。

そんな彼女を連れて、一度実家近くのスーパー銭湯に行ったことがあります。ちょっとした段差を乗り越えることも難しく、靴の着脱なんてもうとんでもなく重労働です。私も強張った祖母の体を支え、靴を履かせる手伝いをして、手を引き……ということをしましたが、これを毎日続けている祖父や、実際に銭湯の女湯で全ての世話をする母や妹はもっと大変なんだろうと思い、少し悲しい気持ちになりました。それでも、久しぶりに広い浴槽を堪能できたのか、湯上りの祖母はなかなか気持ちよさそうな表情をしていたように思います。

「緩和ケア」というのは、つまるところ死に向かって穏やかに手を引いてやるようなものです。無理な治療は本人にとって苦痛も多く、すでに点滴すらまともに入っていかない状況のようです。当然、食事もまともに取られないため、あとは衰弱していくのを待つばかりといった段階です。褥瘡(床ずれ)が酷く、それを治すためにはしっかりと栄養を取らなければならないものの、まず食べるということができない。祖母の脳は既にその機能の大半が混迷しており、薬なしではひっきりなしに叫んだりするため、施設内の秩序や祖母自体の体力も考えると、そういった脈絡を欠いた衝動のようなものを抑制するための薬が必要らしいです。そして、その薬の副作用で、ますます祖母の食欲は消えてなくなり、消耗した祖母はもはや叫ぶこともままならなくなり、せっかく薬が減らせても、もう彼女のもとに食欲は戻ってはきません。11月13日。私と母がもみじ狩りに出掛けている間に、祖父と叔母が「緩和ケア」の同意書にサインをしてきたそうです。「2人しか施設に入れないのよ」と母は言っていましたが、本当は自分もその場に立ち会いたかったんだろうなぁ、と思います。祖母のことに加えて、私という重荷を母に押し付けてしまっていると考えると心苦しいです。せめて、仕事を辞めて1人きりの時間が増えた母に何かしてやれることがあればと思います。もちろん、祖母に対しても。

 

今年の夏、家族旅行で長野県の上高地に行ってきました。その時の写真をまとめました。そして、今日のもみじ狩りの写真もまとめました。とりあえず、今の私にできることはこれくらいのものです。