霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.70

適応障害と診断されて307日目(8月17日目)にこの記事を書き始めています。先ほど、1か月ほど放置していた書きかけの記事を投稿したばかりです。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事の最後に、記事を放置していた理由を今回書くと宣言しましたので、これからそれを始めていきたいと思います。

 

 

1.カレンダーはもうつけていない。

7月27日を最後にもうカレンダーはつけていません。カレンダーと私が呼んでいるのは、いわゆる日記のことで、どうして「日記」ではなくて「カレンダー」と呼ぶことにしたのかはもう覚えていません。

最初は何となく書き忘れていたくらいだったのですが、そのまま書かない日が何日か続き、気がつけばもうカレンダーを書かなくなってしまいました。部屋の壁にかけているカレンダーにも、×印をつけたり、「適応障害と診断されてからの日にち」、「復職してからの日にち」などをつけていたのですが、それも合わせて放置してしまっています。

そうなった理由の1番大きなところは、私の中から何か切迫したものが無くなったからのような気がします。そもそもこうしてブログなどに、日記をつけ始めたのは、適応障害からの治療の過程を書き留めておこうと思ったからでした。なので、割とこまめに感じたことや考えたことなどを書き留めていて、そんな日々が286日間も続きました。もちろん、書き忘れた日もたくさんありましたし、後からまとめて書くこともざらにありました。それでも、それなりの頻度でブログを更新して、ここまで適応障害の治療の経過を書き連ねてきました。それができたのは、私には「書くべきこと」があったからです。

何につけて文章にしないことには、頭の整理ができない非生産的な人間である私にとって、この「適応障害と診断されまして…」というブログ記事たちは、「精神病」とされる適応障害とどのように向き合いどのように治療していくかということについて思考錯誤してきた私の足跡であります。このブログを書いていたからこそ、私は自分の考え方の傾向など、「精神病」になってしまった原因を掘り下げ、それに何らかの対処を講じることができたように思います。

つまり、このブログは私にとって「治療」の一部であったと思うわけです。

だからこそ、先に述べたように私はこのブログを書くにあたって、何とも言えない切迫感を抱いており、こんがらがった思考を整理するために「書かねば!」となっていました。

そんな気持ちが7月末あたりから薄れていき、結果的に私はブログを書くことをしばらく放棄してしまっていました。では、なぜそんな治療に向けた切迫感が私の中から消えていったのでしょうか。それは、とりもなおさず、私が………

治ったから

です。

正確には私はまだ薬を飲んでいますし、日中に眠気を感じることがあったり、体力がまだ落ちたままであったり、と色々と万全とは言えない状況ではあるのですが、それでも私は半分の懐疑心と半分の確信、それからちょっとした躊躇いを以ってここに宣言します。私は無事、適応障害の治療を進め、ほぼ回復したと言えるところまで来ました!

いえーい。

と、少し恥ずかしさに頬を赤らめながら、拳を天に向けて突き上げてみます。

私にとっては治療の一部であった、このブログとカレンダーという名で呼んでいた日記。それは回復した私にはもうあまり必要のないものになっていたのでした。

 

2.長い治療生活

適応障害と診断されてから、307日が経過しようとしている今日。今日を以って、回復したというわけではなく、きっと数週間前から私はほぼ回復していると言って良い状態でしたが、明らかに体調の変化を感じたのは7月に入ってからでした。兆候は1か月の再休職をしていた6月の中旬(約250日目)くらいからあったように思います。薬に頼りながらですが、私は長い時間をかけて、自分の力で療養を続けてきました。職場にもたくさん配慮してもらいましたし、両親にもだいぶ頼りましたが、「適応障害」という病気に向き合い、「何をどうすれば良いか」ということはほとんど自分1人で勉強してきたように思います。

最初はほとんどパニック状態でした。息苦しさが抜けず、そわそわ感が治まらず、とてつもない疲労感に襲われて私は何もすることができませんでした。体を起こすのも辛いし、外に出るのも苦しいような体調が続きました。そんな病気の初期段階の私が学んだことは、「自律神経」でした。

うつ病を始めとする精神病から来る、明らかな身体症状というのはつまるところ「自律神経の極端な乱れ」であるという風に考えていました。それはそれで間違っていなかったと思います。不調はあくまで身体症状であると認識していた私はまず生活習慣から見直し、色々なルーティンを作り上げることに力を入れていました。中でも入眠ルーティンを作り上げたのは、大きな成果であったように思います。それまで私は「健康」というものを軽視してきたので、改めて「健康な状態とはどういう状態か」ということを睡眠や食事といった切り口、それから自律神経の成り立ちという視点を介して勉強しているのは楽しかったですね。そこで学んだことは今の生活にも色々と生きています。

しかし、そのように「身体面の体調を整えれば良いのだ」という考えは、つまるところ私がまだ「心の在り方」を軽視していたことにほかなりません。私は適応障害になるより以前から、ずっと「死にたい」という気持ちを抱えながら生きて来ていました。事実、私は長い間、自分のための創作物の中で、何度も主人公を自殺させたりして何とか心の平衡を保っているような有様でした。今回の適応障害という病気は、転勤に伴う事故のようなものであるという考え方があったわけですが、その背後要因にはそのような長い期間にわたる私の心の状態があったことに私も薄々勘付いていました。

それをはっきりと認識するきっかけになったのは自殺未遂です。

良くも悪くも私のそれまでの人生の目的は「死ぬこと」でした。部屋の壁の強度の問題で偶然死ななかった私は、臨死体験のようなものをすることができました。それによって、それまでの私の人生の目的は仮達成されたわけです。それにより、10年近く私を苛んできた希死念慮は1つの到達点を見て、私の中で明らかに価値観が変容しました。もちろん、自殺未遂をする前後は酷い精神状態・体調でしたが、自殺未遂をして数週間すると「もう死にたいと思わなくていいんじゃないか」と思えるようになりました。

これは私の中では結構自然な感情の流れであり、というのも、繰り返すように私はかなり本気で「死にたい」と長年考え続けてきたので、その欲求が仮達成されてしまうと私には次の目的地を探そうという気持ちが芽生えたのです。これによって、私は身体面だけのケアだけでなく、新しい目的地を探しがてら、心のケアも始めていくようになったのです。「嫌われる勇気」のようなより精神面に近いような書物も色々と読むようになり、人生においてどのような考えを持てば、より辛くない人生を送れるかということを考えるようになっていったわけです。それまでの私はいかに苦しみを享受し、それを自分なりの文章に置き換えたり、自分の苦しみを様々な芸術作品と共鳴させるようなことで鋭い幸福感を得ようと躍起になっていました。そのような人生のベクトルから離れることがやっとできるようになったのです。

「もう死にたいと思わなくていいんだ」という1つの転換点は私にとってはとても大きなもので、そこから色々なものがようやく変わっていったように思います。自殺未遂から数か月かけて私は会社を休職しながら、かなり前向きな考え方を持てるようになってきました。

その中で1つ私が意識して頑張ったことは、両親との関係の修復です。別に私は両親と何か確執のようなものがあったわけではないのですが、ずっと「この人たちとは一生わかり合えないだろう」と考えてきました。というのも、私はずっと「死にたい」と考えていたわけで、そのことが根幹にあったために、両親には正直な気持ちを打ち明けられずにいました。自分のこの希死念慮をこの社会の人たちは誰も認めようとはしないだろう。ならば、誰ともわかり合えるはずはない。と、両親どころか全ての人間を忌み嫌っていたわけです。それ故に、私は誰にも心を開くことができない人間になっていました。しかし、病気を患う中で、私は致し方なく両親の前で号泣する羽目になったりと、酷い状態が続いており、次第にプライドのようなものもなくなっていきました。そして、最終的には「もう死ななくていいんだ」と思えるようになってから、ようやく私は両親に対して、ちゃんと自分の気持ちを説明することができました。今まで「死にたい」と本気で思っていたこと、そして今回の病気の原因の根幹にはそんな自分の価値観があるということ、そんなことをようやく話すことができたのです。

私には帰れる場所が必要でした。高校卒業と同時に1人で暮らすようになり、その中で随分と孤独と戯れて時を過ごしてきましたが、ここまで心身共に弱っている状態では、もはやどこか温かい場所で療養するか、また孤独のもとで首を括るしかないという状況でした。そして、私は死ぬことをやめたわけですから、恥も外聞も投げ捨てて、温かい場所で療養するしか選択肢はありませんでした。それが私にとっては両親のもとだったわけです。

結果的に、この両親との関係性の修復は私が社会生活を取り戻すうえでは大切な一歩になりました。それまで私は他人に対して心を打ち明けたりできず、気を使ってばかりで疲れるので人間関係というものが億劫で仕方ありませんでした。だから、私は誰かを遊びに誘う事なんてできませんでしたし、まったりとした感情で他人と話すことも難しく感じるような人間だったのです。お酒を飲んで何もかもどうでも良いというときしか、落ち着いて他人と過ごせないという感じですね。しかし、この両親との関係という1歩から始め、そんな自分を少しずつ変えることができるようになってきたと思います。ようやく私は他人との関わり方を学んだわけです。それが私と社会と向き合うためにとても重要であったことは言うまでもありません。

一度復職してからも私は体調不良が続き、これは薬が合っていなかった疑惑もあるのですが、結局無理が祟り、また自殺未遂をすることになったりもしました。しかし、私の中では色々なことが少しずつ変わっていっていたのです。

1つ目には両親との関係性が良好になってきたことによって、「もう無理だと思ったら、実家でフリーター生活をする」というかなり横暴な選択肢を両親にも受容してもらえました。これが私の1つのセーフティネットになったわけです。そして、それまで何かと「耐える」ということばかりだった私と社会との関わり方も少しずつ変わっていき、「もうこの職場では無理そう」ということを産業医を含めた上司との面談で訴えることができました。これを経て、私はようやく配置転換の切符を手にすることができました。これが2つ目の私にとっての大きな変化です。両親の次は、会社に甘えることができました。

そして、その産業医との面談でカウンセリングを無料で受けられる会社の制度を紹介してもらったり、同じく適応障害に罹っていた同期と連絡を取ることもできたり、私の周りで具体的なサポート環境が整っていきました。カウンセリングや同期との会話や、同期から紹介してもらった本を通して、私の中で少しずつ「回復のために目指すべきところ」が明確に見えてきました。

身体面の調子の整え方を最初に勉強しました。そして、次に私を苦しめる元凶であった私の「死にたい」と思い続けるという価値観を改めることにもなりました。しかし、それでも、私は相も変わらず心身ともに不調があり、そのことが社会生活を営むうえで大きなハードルになっていました。身体面、精神面ともに私は改めたのになぜまだ万全な状態でないのか。それが私にはわからなかったのです。

職場が変わり、そこで少しずつ慣れていけば、自然と治るものなのか。では、そこではいったい何を以って治ったとすれば良いのか。不調に慣れるのと、治るのは何が違うのか。そもそも私のこの心身に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体は何なのか。それが私にはまだわかっていませんでした。しかし、その答えがカウンセラーと会社の同期のおかげでようやく見えてきたのです。

 

3.うつ病適応障害)って何だったの?

上述の私に付き纏う「なんか嫌な感じ」の正体、それがすなわちうつ病適応障害の根幹だったのです。もちろん、自律神経の乱れに見られるあからさまな身体面の不調、それから希死念慮に強く執着する誤った価値観というのも、精神疾患と密接に関係しているものでしょう。でも、よくよく考えて見れば、私は適応障害になる以前にも夜勤続きのせいで自律神経失調症になったことがありますし、希死念慮への執着なんて10年近くも続いていたものでした。しかし、適応障害と診断されてからは明らかに何かが違うのです。「明らかに」という言葉を使いましたが、それが何なのかを説明することはそれまでの私にはできませんでした。それが何なのかを教えてくれたのは、同期が勧めてくれた本でした。

そこでは「うつ病とは反芻思考である」と書いていました。その頃には私は反芻思考というものがうつ病の症状であると知っていましたし、反芻思考を止めるテクニックを色々と知ってもいました。その1つは、前に書いた記事でも紹介した「逆回転、逆視点」などを用いたものですし、広く知られているのはマインドフルネスなどがありますね。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

しかし、今になって思うのは、反芻思考自体がうつ病であったのかな、ということです。一度、うつ病になると心身の調子が狂うことに恐怖するようになります。さらには自分のこれまでの経験や歴史、持病や持って生まれた考え方などにも恐怖するようになってしまいます。簡単に言えば、「こんな自分がまた社会生活に戻れるのだろうか」や「社会に戻ってまたストレスを抱えたら今度こそ壊れてしまうのではないか」といった恐怖心を常に抱いている状態が、私の考える反芻思考です。

言ってみれば、全てのことに自信が持てなくなるのです。

そして、その自信の無い自分に捉われてしまう。それがすなわちうつ病だと思うのです。この恐怖心は、過去の失敗(うつ病になってしまったこと)から来るものでもありますし、未来の失敗(うつ病が酷くなってしまうこと)から来るものでもあります。ですから、マインドフルネスなどでは過去や未来から離れて現在に集中することで、この絶え間なくもたらされる恐怖を知覚し、そこから逃れる方法を勉強するわけです。

ですから、私が言いたいこともまさにそれになります。うつ病によってもたらされる絶え間なく続く恐怖心は、それを恐怖と認識できないことに1つの難しさがあります。それは、スマホやパソコンなどで行われているバックグラウンドプロセスのようなもので、気づかないうちに私たちの脳の処理能力を割いてしまっているのです。

・外に買い物に出掛けよう(できるだけ外界からの刺激を減らすためにイヤホンをしていこう)

・夕食を食べに行こう(生活リズムが崩れると嫌だから、できるだけ早めに帰って来よう)
のように、自分ではあまり気にしていないつもりでも、病気のことを考えて少し及び腰になっているような状況が私は続いていました。最初は、ただ外に出るだけでも相当キツかったので、こんな風に考えられるようになっただけでも私はだいぶ回復していたとは思うのですが、最後はこの思考のバックグラウンドプロセスに調子を狂わされ続けていました。

これを断ち切るのは難しいものでした。認知行動療法やマインドフルネスなどを通して、気づきを得ることもできましたが、1番大切だったのは「今はこれでいい」という言葉だったように思います。細川貂々さんの著書である「それでいい。」の中で使われていた言葉ですが、私は医者に病気と診断されるくらい痛めつけられていたわけですから、不安になるのは当たり前のことですし、心身の調子が崩れるのは当たり前のことでした。しかし、本当なら耐えられるほどの不調にも怯え、そのことによって余計に調子を崩しているのがその頃の私の現状でした。そんな私にとって、多少の不調は織り込み済み。だから、ちょっと調子が悪くても「今はこれでいい」と思えるようになることが、最後のその「なんか嫌な感じ」を受け入れるためにとても重要だったのです。

「あぁ、なんか今、嫌な感じが来ているなぁ」とまずは気づいてあげる。それは、これまでの勉強を通してできるようになったことです。そして、そこでその「嫌な感じ」に何らかの対処をしようとしたり、不安になったりするのではなく、ただそこに「嫌な感じ」があることを認め、「いやいや、これくらいの嫌な感じはあって当然でしょ。だって、まだ治ってないんだし。申し訳ないけど、もう君に恐れおののいて、あれこれ慌てふためくほど、私も病気歴が短くないんだよ」とどっしり構えるのです。これが続けてできるようになり、そして実際にそれ以上に調子が崩れないという自信を得たことにより、私はこうしてこのブログで「治りました」宣言をすることができるようになったわけです。

どうやって治していくのか。

うつ病はよく心のサインを無視し続け、理性や何やかやで縛り付け、結果的に自己虐待を続けたことにより発症するものとされています。私もその通りだと思いますし、事実私の発症経緯もそのような感じでした。そして、一度発病すると社会生活を営むことが難しくなるので、そうなったら大人しく休養するしかできなくなるのが普通です。幸い私は休むことができたので、それなりにゆっくり休みました。同じ病気に罹った同期に私の話をすると、「全然休めてない!」と怒られますが、それでも私はまだ休めていた方だったようにも思います。幸いなのか、守らなければならない家庭もありませんでしたし。

身体症状は生活習慣を整えることで大きく回復すると思います。がちがちにルールを決めると、逆にそこから逸れたときに不安が増すので難しい部分もありますが、それでも少しはルールを決めて、生活から体調を整えていくことは大事だと思います。というのも、うつ病などで苦しいときは、そもそも朝起きることができなくなったりするので、できる日だけでも健康的な生活を意識することは、負のループに入らないためにも大事だと思います。ご飯が食べられたとか、シャワーを浴びれたとか、そういう小さなことの積み重ねが自信に繋がりますし、回復の一段階だと思います。

もちろん身体症状と心は密接に関係しているので、心のケアも大切です。フロイト的な過去のトラウマを遡ったりすることは、むしろ心を痛めつけることになるからやめた方が良いと色々な本で書かれています。しかし半分はその通りだと思いますが、半分は私は反対意見ですね。過去に捉われても何も良いことはありませんが、自分の考え方の傾向を知って、現状を知ることは必ずしも無益とは言い難いです。特に、私のように、確固たる考えを以って自己虐待を続けてきたような人間にとっては、結局のところそこに折り合いをつけないことには、どこにも進むことができません。そのためには自己分析は必要なことに違いないでしょう。ただ、私とは違い、「本当は幸せになりたいのに!」と考えている方にとっては、やはりそういった過剰な自己分析は必要ないのかもしれませんね。

結局のところ、有用なのは広い意味での「認知行動療法」と「マインドフルネス」であることは、私の発病当初の見立てと変わりありません。それと、既に社会生活に復帰しつつある方は「ストレスコーピング」ですね。

うつ病は脳の病気だから、心なんて関係ないということもあるのかもしれませんが、心に原因があると少しでも思っているのであれば、やはり「認知行動療法」は欠かせないと思います。よくある「上司が挨拶を返してくれなかった」⇒「何か悪いことをしたのか」⇒「不安、焦り」⇒「いつも失敗ばかりの自己嫌悪」⇒「消えてしまいたい」のようなわかりやすい認知の歪みでなくても、「眠い」⇒「疲れやストレスが溜まっているのかもしれない」のようなレベルの認知の歪みだってあります。「眠い」⇒「今日は仕事を軽めにして早く寝よう」と思えるだけで、だいぶ心の負荷は軽くなりますからね。ちゃんと自分の心に負荷がかかっていることを「認知」し、負荷方向に向いているベクトルを変えるような「行動(自動思考を意図的に制御)」することを細かく積み重ねていくことが大事だと思います。発病して間もない頃は、「仕事は休んだっていいんだ」と思えるようになることなどを、認知行動療法を通して身に着けたいところでしょうし、だいぶ回復して来てからは、多少の不調も「まだ完快していないんだから、こんなもん。今はこれでいい」と思えるようになることを身に着けたいですね。

「マインドフルネス」は何も瞑想の達人になれというのではなく、頭のスイッチの切り替え方を身に着けられればそれで良いと思います。マインドフルネスが1番意識して勉強しやすいと思いますが。とにかく、うつ病と言えば、自動思考や反芻思考で、ぐるぐると嫌な感じが頭を巡っている状態なので、それを断ち切る方法がどうしても必要なのです。最初は「筋トレしてる時だけは、頭からっぽにできる!でも、筋トレをやめて少しするとまた嫌な感じがぐるぐるする…」という感じだったりするかもしれません。大切なのは、「頭のスイッチを今切り替えているんだ」と自覚することです。そして、最終的には「いつでも自由に頭のスイッチを切り替えられるようになる」ということです。今の私はだいぶ早い段階で「嫌な感じ来てるな」と知覚し、「さぁ、これ以上、嫌な感じには捉われないぞ!」とすることができます。もはや何か具体的な行動を起こさなくても、「嫌な感じに捉われないぞ!」と意識するだけで、自分の気持ちを変化させる言葉や思考が頭に浮かびあがり、うまく自分をコントロールできるようになってきました。大切なのは、自動思考や反芻思考にのさばらせないことなわけです。

そして、当然ながら社会生活を営んでいれば、色々なストレスに見舞われるため、それをコーピングするのも大切です。私は両親との関係性を改善できたことから、少しだけ人間関係全般に自信が持てるようになり、友人と積極的にコミュニケーションができるようになりました。今では、そうやって他人と話すことがコーピングの1つになっています。1年前の私からでは考えられなかったことです。特に私は生活を蔑ろにしがちな傾向があるので、植物の世話をしたり、洗濯物をしたり、そういった生活に根差したことにも気を配るようになりました。強く控えていたお酒もたまには飲むようになりましたし、色々と変かはあったように思いますが、それは意識的に私がコーピングを行っている結果と言えなくもありませんね。ギターを歌いながら、わぁわぁ歌うのは前から変化ないことですが。そして、こうやって文章を書くことも。

そのようにして、私はようやく自分で「治った」と言えるところまで来ました。もちろん、自分だけではどうにもならなかったこともあります。特に1番大きかったことは、会社で配置換えをしてもらったことでしょう。関わる人が変わり、業務体系が変わり、私にとってだいぶやりやすい環境になりました。大きな不安や、躊躇いがあったことは言うまでもありませんが、結果的に会社に配置換えの希望を出したことは正解だったように思います。そういう希望が通る会社であったことは幸運だったと思います。しかし、何よりも私は私自身が変わったのだという気持ちの方が強いです。今の私なら前の職場でもきっとやれると思えますし(かと言って、戻りたくはないですけど笑)。

ともかく、先の事はまだ何もわかりませんが、現時点では私は「治った」と考えています。このブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、本当にこれまでありがとうございました。

具にもつかないことをだらだらと喋り倒す、酷いブログであったことを心からお詫び申し上げるとともに、改めて感謝の気持ちを捧げます。

 

最後に…

まだ不安はあります。でも、それと同じくらいの自信は得られました。せめて薬を完全にやめられるまでは、しっかり気をつけて、自分を大切に生きていこうと思います。

何か新しい、主人公が死ななくて済む、自分のための創作物を書きたいです。