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適応障害と診断されまして… vol.14

適応障害と診断されて18日目(11月1日)の昼過ぎにこの記事を書き始めました。

前回の記事の内容は16日目(10月30日)の内容でした。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

今日は17日目と18日目の午前中について書こうと思います。

 

 

1.適応障害と診断されて17日目~休日・混沌~

前日に遅くまでお酒を飲んでいたこともあり(量は少なめでしたよ)、朝はゆっくりと9時過ぎに起床します。「今日は休日」と思うと、体の力が抜けて、いつも以上に朝のダラダラが長くなります。気が向いたら外に出て散歩でもしようかなと思いながらも、朝食にパンとミカンを食べ、シャワーを浴びてしまうと、もう何もやる気が起きませんでした。昨日は3時間会社にいて吐き気と戦ったし、久しぶりに会う友人と食事会も行ったし、疲れがたまっているかもしれないな。そう思って、ずっとグズグズとしていました。けれど、そんなだらけた休日も良いもんです(適応障害になってからここ最近はずっとだらけっぱなしなんですけれど)。

そんなこんなで気が付けばお昼も回って15時。まじで何もしてないなぁ、と思っていたところに地方の同期からメッセージが入ります。

「資格試験、むずかったわ」

…やべぇ。すっかり試験の事なんて忘れてました。

その試験、実は私も受験する予定だったのです。転勤に伴って試験会場を変えてもらったりまでしたのに!なんて自分はクソ野郎なんだ、と思いますが、過ぎてしまったことはどうしようもありません。そこからはもう2時間くらい自分に対する言い訳と懺悔のラリーが続きます。

「や、仮に覚えていたとしても、こんな状態だし行けてすらなかったでしょ」

「でも、忘れていたっていう事実がヤバいよね」

「や、忘れずにちゃんと行ってたら試験会場で体調不良になってたかもしれないし」

「でも、忘れるのはないわぁ」

「や、試験中に体調悪化して、それがトリガーになって適応障害が再発したらどうする? 今度こそうつ病よ。もっと悪くすれば、統合失調症になる可能性だってあったわけだし。ほら、午前中にネットサーフィンしてたときに、統合失調症についてもちょっと勉強したでしょ?」

「でも、受験料も払ったし、引っ越しに伴って受験会場まで変えてもらって、それで忘れてるって最悪でしょ」

「いやいや、そもそもこんな状況になってなきゃ忘れるなんてことはなかったはず。そういう注意力散漫も症状の1つだって書いてあったよ!」

と、そんなことを考えているうちに気分が沈んできます。完全に自分のせいなんですけど、最終的には自己保身が勝ちました。「戦略的撤退」・「計画的休養」ということで手を打ちましょう。第3者から見れば、それで充分言い訳がつくんですから問題ないんですよ。人間の感情はブラックボックス。もうそう思って心を落ち着かせるよりほかありませんでした。

とりあえずNetflixで「8Mile」を最後まで観て、お昼寝をします。

 

夜には日課と化した両親によるカウンセリング。今日の議題は「人間の性善・性悪について」です。

決して順調とまではいかないまでも、少しずつ適応障害の症状は回復してきています。強い眩暈や吐き気を感じるものの、職場に行くことはできるようになってきたわけです。ぶっちゃけ、「明日から復帰しろな」と言われれば、復帰できてしまうかもしれません。それくらいにまでは回復してきている感覚もあります。でも、まだ復帰するという宣言はできない。復帰という選択肢を先延ばしにしている自分は正しいのでしょうか。私の中にある混沌とした思惑を書き並べたいと思います。

 

・職場に1時間もいると眩暈と吐き気がしてくる。

・眩暈や吐き気は時々耐え難く、8時間の勤務なんて不可能な気がする。

・でも、どうしても「復帰しろ」ということになれば、復帰できるかも。

・ただし、今すぐ無理に復帰しても、すぐに再発する可能性がある。

・もう少し休んで、もう少し回復するまで待った方が良いと思う。

・というか、そもそもできるだけ長く休んでいたい。

・できることなら働きたくなんてない。

・生きていくために働かなければいけないのはわかる。

・でも、こんなんになったんだから、もう少しくらい休んだって…

・もはや3ヶ月くらい休職してもいいじゃないか。

・だって、病人だよ。 

 

と、それまでは「回復」という1つの目標に向かって私はやってきたわけですが、ここに来て、「もう少しくらい休もうぜ」というずるい自分が生まれてきてしまいました。でも、完全に「ずるい」だけではなくて、事実としてまだ職場に行くと体調が悪くなるのです。再発のリスクだってあります。けれど、それらの様々な思惑を定量的に比較し、復帰する・しないの判断をすることは非常に難しいわけです。そんなフェーズが私に訪れます。

ある人は「あんまり長く休まずに早めに職場復帰してしまった方が、後々楽よ」と言います。ある人は「充分復帰に向けてやっているし、今でもやり過ぎなくらいだから、もっと慎重になって休んでいたら」と言います。そして、全員が最終的には「自分で決めるしかないさ」と言います。

これは発症当初からの問題でもありますが、精神疾患の厄介なところはあくまで自己申告によってしか病状を判断できないことです。1番最初に受けた光トポグラフィー検査はその点、ある程度数値的に状況を見られるので、それは良いところです。そして、その症状が「明らか」であるうちは、対処は比較的講じやすいものです。ですが、こうして回復期に入って来ると、どこまでが疾患による症状なのか、その境界線が非常にわかりにくくなってきます。

性善説的に考えれば、私にはまだ適応障害の症状が残っており、確かに復帰ができるかもしれませんが、再発のリスクはかなり高いと言えましょう。

でも、性悪説的に考えれば、私はただ都合の良い仮病を使って、もう少し楽をしていたいだけかもしれません。

いつ復帰すべきか。

この問いは非常に難しいものです。両親の間でも意見が割れましたし、私の中でも天使のコスプレをした私と、悪魔のコスプレをした私が言い争っていました(明確に天使と悪魔と分かるのであれば、天使の言うことを聞いていれば良いので、あくまでコスプレです。ハロウィンだけに)。

でも、この難解な問題を解決することはそんなに難しいことではないのかもしれません。両親と議論を重ねた結果、「頭痛と吐き気が収まるまでは治っていないんだから、まだお休み継続」というところで落ち着きました。結局「これで回復!」というラインが明確でないからこそ、この復帰のタイミングに関する問題が浮上してきているのです。であれば、仮にでも「回復」のラインを設定してしまえば良いわけです。もちろん次には「頭痛と吐き気の程度」が問題となってくるでしょう。でも、まだその段階でないんだから考えたって仕方ないわけです。また、その「程度」についても明確な基準や数値で測れるものではありません。迷うたびに議論をして、都度判断の基準を探っていけばいいのだ、という非常に効果的かつ非合理的な結論が私たちにもたらされました。

幸いにも両親は「休職してもぜんぜん良いよ」と言ってくれました。これで安心して眠ることができます。

さて、明日は日曜日ということを活かして、朝から会社に行ってみる予定です。アラームをセットして早いところ眠りにつきましょう!

 

2.適応障害と診断されて18日目~午前中の出社・怒りと孤独~

適応障害になる前の起床時間よりも30分遅らせて起床。ゆっくり時間をかけて目を覚ましていきます。正規の出社じゃないんだから、急ぐ必要はない。そう言い聞かせながら充分に時間をかけていきます。

結果的にいつもより1時間弱遅れて出社です。幸い、私の職場はフレックスが導入されているので、いつもの1時間遅れても、問題の無い範囲です。まぁ、周りの目は気になりますけれどね。

そして、電車を乗り継ぎ、会社へ。体は多少重いものの、薬の副作用はかなり軽くなってきています。日曜日ということもあって、あの通勤ラッシュの息苦しさは感じなくて済みます。座席に腰を下ろして本を読むだけの余裕もあります。

職場の目の前の一本道で夜勤終わりと思われる同僚とすれ違いビックリ。簡単に挨拶だけします。そして、彼がいたということは上司もいるだろう…テンションはかなり下がりますね。

案の定、職場に行くと夜勤終わりの上司がまだ職場に残っていました。が、割と機嫌が良く、事務手続きのやり方を教えてくれたり、色々な仕事と向き合う上でのアドバイスをしてくれました。「お前は焦り過ぎたんだ」とか「みんな1つひとつ積み重ねている」とか、そういう言葉をたくさんかけてくれました。また、先日私が職場の皆に自分の症状を正直にメールした件について、「気持ちはわかるけど、わざわざ広めることじゃない。みんな何となく感じてたから、あえて明文化する必要はなかったぞ。むしろ、明文化することで、お前の今後の会社人生に悪い影響が出るリスクが高くなった」というような忠告もくれました。

その上司の言っていること自体は間違っていません。私も納得する部分が多かったです。でも、私の中には怒りと虚しさが湧き上がってきました。

 

まず1つ目は、何度も言うように、私は別に仕事との向き合い方で悩んでいるわけではないということです。もちろん、私は自分勝手に自分を追い込んで肩肘を張ってしまうタイプです(今回の件でよくわかりました)。だから、「焦るな」という言葉は私に対して言って言い過ぎるということはありません。とは言え、もはや私がしたいのはそういう話じゃないんですよ。私が話したいのは私の病状であり、具体的な復帰までの道のりの話なんです。相手はお医者様じゃないから、私の症状を聞いたからと言って、私が復帰すべきかどうかの判断ができるわけじゃありません。でも、少なくとも管理者なわけですから、私の状態を把握したうえで、業務に戻れるかどうかを判断して欲しいのです。挙句の果てには、「まだ職場に来ると吐き気があって…」ということを打ち明けたのに「傷病休暇にするかどうかはお前の判断だからな」と言われてしまいました。いや、確かにそうなんですけども! 結局、私の方からは「そういう話をしたいんじゃなくてですね」とは言い出せず、とにかく上司の温かく優しい言葉を黙って受け入れているよりほかありませんでした。

そもそも、そういう「考え方の問題だ」とか「カルチャーショックを受けただけだ」みたいな見られ方しかしていない状況が嫌でわざわざ私の症状をメールにしたためたわけです。「私が仕事との向き合い方を間違ってしまいました。結果、適応障害になりました。まだ、症状と薬の副作用が残っているので、その部分のサポートをよろしくお願いします」という旨のメールを送ったつもりでした。考え方を変えなきゃいけないことはもう充分わかってますし、その点はもうかなり整理できています。あとはその考え方が体に馴染むのを待つだけです。もちろん、また私が勝手に焦り始めていたら「焦らなくていいよ」と声をかけていただければとても嬉しいですし、とても感謝します。でも、それ以上に私が求めているのは私が患っている「適応障害」という精神疾患の症状(薬の副作用も含め)への理解なのです。

もちろん、周りの人に私の症状を和らげることはできませんから、「焦るなよ」というような優しい言葉をかけてやることしかできないとも思います。それだけでもとても私は嬉しいですし、救われます。でも、本当にかけて欲しい言葉は、「体調はどう?」ということなんです。例えば無理して思い荷物を持ってぎっくり腰になった人に、「重いと思ったら無理せず周りを頼りなね」と声をかけ続けても仕方ないじゃないですか。最初のうちはそういう言葉が嬉しく思えても、そのうちに「自分の仕事のやり方」を否定され続けているというような気になりませんか? むしろぎっくり腰になった人には「腰の調子はどう?」とか「あ、それ持っていくよ」みたいな声をかけてあげるべきじゃないでしょうか。

迷惑をかけている側の私が偉そうに言えることでは絶対にありませんが、要は私はそういうことを求めているのです。本当に「何様だ!」という感じですけれど。

 

そして私が言いたいことはもう1つあります。それは「わざわざ明文化して広めなくてもよかったのに」という考え方です。もちろん曖昧に濁すことが美徳だったり、後々の自分を守ることに繋がったかもしれません。「あぁ、なんか休んでるなぁ。病んじゃったかね」程度に思われておいて、しれっと復帰した方が波風も立たなかったかもしれません。私がやったように「適応障害という精神疾患にかかり、治療中です」と言ってしまうと、「あ、病気になったやつだ」という評判になります。そういう評判は明確な分、しっかりとした形で広まり、将来的に私の会社人生で思わぬ牙を剥いてくるかもしれません。

でも、なんかそういうの古くないっすか?

私はあまり自己啓発本とか好きじゃないですけど、自己啓発本っぽく繰り返し言いたいと思います。

そういう考え方って時代遅れ。これからはもっとリベラルな考え方をしていかないと。

私が望むのは精神疾患の仕組みとその対処方法を正しく理解してもらうということです。階段から転げ落ちて骨折したのと、ぶっちゃけ私は変わらないと思っています。滑る床と靴、視界不良、疲労、寝不足などの環境や状況の要因があり、結果的に骨折をしてしまった人。職場環境の変化、焦りなどから結果的に適応障害になってしまった人。この2者の間にどれだけの違いがあるのでしょうか。

たしかに心の問題は目に見えないし、基本的に症状を客観化することが難しいため、なかなか理解されにくいものだと思います。でも、だからこそ、私は何度も上司に説明しているわけです。どういう経緯で適応障害になったか。適応障害がどのような原理で発症するか。どのような治療方法を行い、そこではどのような弊害があるか。これだけ正直に自分の考え方や体調のことまで話しているのに、なんで「精神疾患はイメージが悪いから」みたいな言い方をしてくるんでしょうか。

いや、仮にイメージが悪くてもいいですけど、「お前、あの急な階段から転げ落ちたんだって? せっかちなとこあるから、ほんと気を付けろよ」くらいの対応にならないもんですかね。むしろ、そういう経験をして、人は注意深くなったり、危険箇所への配慮能力が向上すると思うのです。私は今回適応障害になってみて、「優しい人になろう」、「優しい職場を作る人になろう」と強く強く思いました。仕事との向き合い方も本当に反省していますし、周りに沢山迷惑をかけたことも心苦しく思っています。でも、その中で色々な人の優しさに触れることができましたし、どういうやり方がどういう人に対して必要以上の負担をかけることになるのか、少しだけ学ぶこともできました。だから、まるで「臭い物に蓋をする」みたいな言い方をしないでいただきたい。

これを読んでくださっている方には伝わっていると思いますが、私は怒っています。

 

と、そんな風に激おこぷんぷん丸(もう古い?)な私ですけれど、怒っていたって仕方がありません。疲れてしまうだけです。そして、怒りを少し俯瞰してしまえば残るのは虚しさだけです。結局今回私が怒っているのは、「精神疾患に対する社会の理解度の低さ」です。いや、一昔に比べれば随分と理解度は上がって来ているんだと思いますよ。でも、実際精神疾患にかかってみて、それがまだ十分でないことに気付かされました。心の痛みというのは一見するとわかりにくいですが、ちゃんと紐解けばある程度説明ができるものだということがよくわかりました。だからこそ、未然防止と事後処理はもっと建設的に行えると思うんです。

ま、具体的にこうしましょう、ということについてはなかなか端的に言えはしませんけど。でも、ゆくゆくはそういう人財保全に関わるような仕事をしてみたいとも思うようになりました。「多様性」とか「ダイバーシティ」とかという言葉を聞いて、「女性活躍に力を入れています!」みたいなことを言ってしまう会社にならないようにしたいものですね。ただ、もし完全な「ダイバーシティ」的な会社を作るとなると、まさにアニメ「PSYCHO-PASS」に出て来る「シビュラシステム」みたいなものを導入しなきゃいけないわけですが。

 

と、今回はそんなちょっと小難しいことも考えてみました。これも回復が進んでいる証なのかな…変な活動家と思われるのは尺ですが、今のテンションは完全に変な活動家ですね(笑)

次は鬱報告ができるよう頑張ります。

 

☆追記(次回分投降後に記述)

上で「次は鬱報告ができるよう頑張ります」と書いていますが、本当に過去最高の鬱報告となってしまいました。あらかじめご了承ください。

 

次回

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