霏々

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適応障害と診断されまして… vol.13

適応障害と診断されて17日目(10月31日)の昼前にこの記事を書き始めました。

 

 

eishiminato.hatenablog.com

 

今日は診断16日目(昨日)の出来事について書いていきます。そんなに長くならないものと思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

1.適応障害と診断されて16日目~会社に行くまで~

朝目覚め、昨日のあの激しい適応障害の症状がないことを確認します。けれど、いくら気持ちが軽くても、やはり昨日のことがあるので、あくまで慎重にゆっくりと行動を進めていきます。

けれど、朝ご飯を食べたり、トイレに行ったりしているうちに「あぁ、今日は本当に体調が戻っているな」という気持ちになってきます。「今日だったら午前中のうちに会社行けるかもなぁ」と感じてきます。

割と早い段階でシャワーを浴びに行きます。温度調節がイマイチ安定しないシャワーを頭からかぶりながら、独り言が口から零れてきます。どうやったらこの適応障害の状態…特に昨日のあの苦しみを説明できるか。そこで、「不安を感じる部分」と「不安を抑制する部分(前頭葉)」の2人を擬人化して、その2人のやり取りをぼそぼそと口にしていきます。そんなちょっとしたお遊びがやめられなくなり、頭を洗ったり体を洗ったりしている間中続けていると、何となく「あれ、昔にもこんなことしてたな」と思い出してきます。それは大学時代のことで、私はいつも「繊細な自分」とそれを守る「社会的な自分」をイメージしながら大学への講堂へ行く道を歩いていました。その2人はまるで量子の状態の重ね合わせの如く、常に状態を遷移させながら私の中に存在しているというモデルを考えていました。つまり、シュレディンガーの猫みたいに「繊細:40%」、「社会:60%」みたいなそういう微妙な存在確率の揺らぎによって自らが構成されているのだと考えていたわけです。

そのことをふと思い出したら、「これは会社なんて行っている場合じゃない!」となりました。どうせ休みは申請しているわけだし、会社に行ったところで私は「休みだけど、職場に慣れるために来ているだけ」という扱いなのです。そこに出社の責任はありません。ましてや私は昨日とんでもなく体調を崩していたし、まぁ、無理をするのもよくないしな。あんまり急いで回復の兆しを見せるよりは、ここはじっくり徐々に治療していっているという見られ方をした方が得だし。そんなずるい考えも湧きおこってきました。

ということで、私は昨日のあの「番外編」なるものを書くことにしました。

頭の中にあったイメージを書き出すだけなので、たいした苦労もありません。あっという間にそれを書き上げてしまうと、いよいよすることも無くなってきて、会社に行かなくてはなりません。

でも、いざ会社に行く段となると、どうしても不安感が湧き上がってきます。その理由は最初の内はわからないのですが、徐々にそれが昨日のトラウマから来ているものだとわかってきます。適応でも、の症状が全開になった昨日のあの状態がどこから来ているのか…やっぱり自分にはかなり負担がかかっていたのではないか。そう考えると、会社にいくことでさらなる負担がかかり、回復を遅らせるのではないかと思えてきます。でも、それは「楽をしよう」という自分の都合の良い言い訳なのかもしれない。「今日も休んだ方がいいんじゃないか、大事を取って」、「でも、これだけ体調が良いのに休んでしまっていたら、いつになっても会社になっていけないじゃないか」。自分の中で不毛な押し問答が繰り広げられます。

そんなところへ、BEYOOOOONDSの山﨑夢羽ちゃんが松浦亜弥さん役で映画出演が決まったというニュースが入ってきます。「すごい!やっぱりあやや役はゆはだよね!」と、少しだけ気分が上がってきます。「夢羽ちゃんもがんばっているんだから、自分もちょっとは頑張らないと!」と、何とか重い腰を上げてスーツに着替えます。「元年バンジージャンプ」と聴きながら、寮を飛び出します。

でも、うだうだしていたせいでもうお昼の時間です。前回もらったクーポンを使って、また松屋で昼飯を食べます。またお笑いの動画をじっくり見ながら、ぐずぐずとネギ玉牛丼を食し、何度も深呼吸をしてから電車に乗りました。けれど、電車に乗っている間中も消えない得も言えぬ不安感と緊張感。会社を休む前に感じていた、あの嫌な感じです。それが適応障害で弱った心身に重くのしかかってきます。トラウマから来るパニックとは少し違くて、ただ漠然と「嫌だな」という負担が歩く速度を遅めます。何がそんなに負担になっているんだろう?

パニックや拒絶反応とは違う感触がしたので、今回は意図的に立ち止まって考えて見ることにします。こういう時はとりあえず「認知行動療法」と「マインドフルネス」で症状の改善を図ってみよう!

 

まずは「認知行動療法」です。

・いま私は会社に向かう途中で、心に負担を感じている。単純に「行きたくない」と思っている。

・では、なんでそんなにも「行きたくない」のか。

・職場に対するトラウマからパニックになっているわけではない。

・職場で怖ろしいことが待ち受けているわけでもない。

・でも、職場に行けば心と体にそれなりの負担がかかることは間違いない。

・既に2日で計3時間を職場で過ごし、それなりの負担を感じている。

・おそらくその「負担」の経験が、今のこの「不安感」に繋がっている。

・よし、原因は「不安感」の根源はこれでわかった。

・でも、よくよく考えて見れば、私は適度な負荷をかけて体を慣らす目的で今から会社に行こうとしているのだ。

・無理をする必要はない。

・会社には休みを申請しているし、いつ行ったって帰ったって別にいいんだ。

・そう、目的は会社に負担を感じに行くことではなく、体を慣らすためなんだ。

・リハビリなんだ。

・やれることだけをやって来ればいい。

・あれやこれややるべきそうなことはあるけど、でも、それだって絶対にやらなければいけないというわけでもない。

…そんなことを一通り考え、今自分が感じている「負荷」は妥当だけれど、それを「不安」に思う必要はないんだということに思い至ります。いつだって逃げて良いんだ。

そうして、深呼吸して、秋の風を感じます。地球の自転を感じ、球の回転方向に対する半径の差異が、この大気の動きを生み出している。地軸の傾きがこの冷たさをもたらしている。大気を構成する気体分子の運動速度とその密度を私の皮膚を刺激し、私はそれを認識している。そんなことを考えます。本来のマインドフルネスの方法とは少し違いますが、こういうやり方が自分には効果的なのではないか、と最近私は考えるようになってきました。とにかく、そうやってただ自分の感覚と世界の動きを感じるだけで、随分と気持ちも落ち着いてきます。

そのように、とりあえずあの「嫌な」感じを払拭し、いま私が抱えるのに適度と思われる「負荷」だけを携えて職場へと足を踏み入れました。

 

2.適応障害と診断されて16日目~会社での3時間~

まずは色んな人から来たメールに返信します。私が前々日に職場の人に送ったメールを読んで、窓口になってくれていた上司からの返信に対して、私も返信。それから、前の職場にもメールを返信しました。色んな人が私の現状を心配し、優しい言葉をかけてくれていました。そんなことをしているうちにあっという間に1時間が過ぎます。

やはり言葉を書き連ねている時間は私にとって大して苦にはなりません。それでも、ちょっと汗が出て、息苦しくなってきたので、一旦トイレで休みます。次に私は休んでいる間に溜まっていたメールの仕分けをします。だいたい300件弱のメールを2時間かけて捌いていきます。途中、何度か眩暈と吐き気に襲われますが、目を瞑り、深呼吸し、簡易的な瞑想でそれをやり過ごします。もう1時間経ったところでもう一度トイレで5分程度休憩します。次にOffice365の設定を組み替えて、より現在の職場に適応したものにしていきます。Excelで自分用の業務リストを作り直します。前職場と業務内容がだいぶ変わったので、より現在の業務に適したように整理をしてみます。うん、まぁ、とりあえずは良しとしましょう。ですが、この辺りになると眩暈と吐き気の波がより頻繁に訪れるようになってきます。それから色々と取りこぼしていた事務処理を片付け、この日の業務は終了です。眩暈と吐き気が常態化しそうになったところで、周囲に頭を下げて職場を後にしました。

あっという間の3時間のようにも思えましたし、3時間の割にはかなり負担を感じました。職場から駅までの帰り道、信号待ちの間、膝に手をつき試合終わりのスポーツ選手のような感じで息を整えます。周りからは奇怪に思われたでしょうが、疲労と眩暈、それから強い吐き気があったのでそうしないわけにはいきませんでした。

でも、気分が塞ぎ込んだり、パニックになるというのではありません。運動不足の人がマラソンをやった後に近い状態とでも言えばいいでしょうか。とても説明が難しいのですが、過剰なストレス反応ではある反面、自分を見失ったり取り乱したりという精神疾患としての致命的な反応があるわけではないのです。サッカー部時代にキツイ練習をした後に近い爽快感すらありました(もちろん吐き気はあるんですけれど)。なんだか喩えを考えすぎて同じことを繰り返してしまいましたね。適当に思いついたままを書いているので、こういうことも多いですが、見逃してやってください。

 

それから、今日は今日で大学時代のバイト先の後輩と食事の予定がありました。約束の時間まではまだまだ時間があります。

まずは100均のお店で少しお買い物。先日ハロショで買った写真を補完するための小さなアルバムを買います。おかげでこうしてキーボードを叩く姿をかりんちゃんとまなかんが見つめてくれています。少しは部屋が明るくなったような気がします。

それから無駄に東京の街中を歩き、行き交う人混みを漠然と眺めます。色々な人が色々な思惑や期待、苦しみを抱えて、各々の人生を背負っているのだと思うと、安心とやるせなさが同時に込み上げてきますね。全員のことを愛したいと思うし、全員消えてしまえば良いと思うし、でも全員消すくらいなら自分が消えてしまった方が楽だな。そんなことを考えながら時間を潰します。結局、人混み酔いをしてさらに気持ち悪くなり、歩き疲れたので適当なベンチに腰掛けて、東京03のコントとAマッソの動画を見たりしながら時間を潰します。Aマッソさん、「THE W」決勝進出おめでとうございます。この時をずっと待っていました。

そうこうしているうちに約束の時間になりました。

 

3.適応障害と診断されて16日目~食事会~

会うのはたぶん1~2年ぶりになるのでしょうか。バイト先の後輩2人と会って近況報告。当然、私は自分の今の状態を話して、それなりに笑ってもらいます。後輩の1人は下戸で、もう1人は最近結婚したみたいでお酒を控えているそう。結果的に精神疾を抱えている病人の私だけがビールを注文させてもらいました。

会話の詳細はあまりにプライベートなことなので省略しますが、下戸の後輩が私と同じように定期的な転勤がある職場なので、特に転勤後の心の持ちようについては気を付けるように忠告しておきました(そうやってあぁだこうだ偉そうなことを言って来る先輩って鬱陶しいですよね。でも、私の酒癖の悪さは心得ている後輩なので、きちんと受け止めてくれました)。そして、私が適応障害なんてものになった経緯を話すと、やはり「らしくないですね」と言われました。「うん、そうなの。らしくないことをしちゃったの」。前に一緒に美術館に行った友人を含め、私の大学時代を知る人にこれだけ「らしくない」と言われるということは、本当に「らしくない」のでしょうね。

まぁ、そんなこんなで特にここで書き記すことも無いのですが、楽しい時間を過ごすことができました。ビールも3杯でやめておきましたし、ちょうど良い感じです。

 

寮に帰り、また両親と電話。3時間職場にいれたこと、吐き気が酷かったこと、食事会が楽しかったこと。そんなことを話して、ベッドに入ります。

おっと、薬を飲むのを忘れていました。おっと、五十肩の湿布を貼るのを忘れていました。なんだかんだ疲れた1日を過ごし、すやすやと眠りにつきました。

 

最後に…診断15日目(適応障害の症状で1歩も寮の外に出られなかった日)の夜。辻井伸行さんの美しいピアノが私を救ってくれました。美しい心は痛んだ心を癒してくれますね。友人だけでなく、実に色んな人が私を救ってくれます。夢羽ちゃんもありがとう。そして、おめでとうございます。Aマッソさんもね(笑)。

 

次回

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