適応障害と診断されて205日目(5月7日)の夜にこの記事を書き始めています。適応障害ブログを更新するのは久方ぶりになります。19日ぶりということになりそうです。
前回
前回はまた首を吊ってしまったところで終わってしまっており、ちょっと残念な内容になっていたかもしれません。そのまま結局GWに入り、2週間近く実家であれこれと考えながら時を過ごしていました。
今回の記事は前回記事~GW直前の内容を遡って書き残しておきます。このGW中の2週間に考えたことはまた日を改めて記事にまとめたいと思います。
1.カレンダー
適応障害と診断されて…/復職して…
187日目/休む
月曜日。朝また母と電話しながら号泣。会社は休むことにする。10時になるのを待ってクリニックの当日予約をして、動画を観て過ごす。12時半から診察。担当医はいないとのことで、不愛想なお年を召したお医者様。「会社、産業医、担当医と話してください」、「なんでこのお薬止めたんですか?」などと少し高圧的な態度を取られてちょっと嫌な気持ちにはなったものの、たまには別の人に話を聞いてもらうのもいい機会だった。が、特に薬を処方してもらったわけでもないので、無理して外に出た甲斐はなかったように思える。まぁ、いい塩梅に疲弊してがっつり昼寝ができたのは良かったのかもしれないが。「賭ケグルイ双」を観ては寝てを繰り返す。また夜に両親と電話して号泣。もう気持ちがぐちゃぐちゃだし、どうして良いのか全くわからない。逃げた方が良いのか、それとも耐えるべきなのか。わからない。治ったら耐えなきゃいけない。治る意味がない。でも、治らないでこの苦しみが続くなら生きていく意味はない。どうして良いのかわからない。そんなことが頭をぐるぐる回っていた。
188日目/休む
火曜日。朝方また母と電話して号泣。また会社を休む。年始に処方してもらっていた残りの「サインバルタ」と「スルピリド」を服用してみる。上司には「ちょっと体調がマズい」と伝え、いつも世話をしてくれている職場の上長にも別途メールを入れる。午前中はまたアニメ「進撃の巨人」を観返したりして過ごし、午後に意を決して1時間ほど散歩に出かける。ただ歩いているだけだけど、ふらふらするし、気を緩めると涙がこぼれてしまいそうになる。それでも何とか散歩を完遂し、買い物もして帰って来る。そしてまた昼寝をしては動画を観てというサイクル。夜に両親と電話。今度は泣かなかった…と思う。実家に帰りたい。会社を辞めたい。社会活動は向いていないと思う。誰とも関わらずに1人で静かに生きていきたい。心身が健全な人たちを見ていると自分という存在を否定されるように感じてしまうのかもしれない。幸い、両親はいつでも戻ってきていいし、世話も見てやると言ってくれている。そういう風に逃げ道を作ってくれるのは本当にありがたい。これだけ悲しませているのに、それでも味方でいてくれる。家族がいなかったらとっくにまた首を括っている。むしろ死んで楽になりたいとも思ってしまうが、それでもまだ生きてはいるのだ。未来についてはわからないことばかり。わからないから相談をして、人のせいにしてしまえばいいのかもしれない。
189日目/34日目
水曜日。朝の体調はやはり芳しくないが、外には出られそう。会社にもぎりぎり行けそう。でも、無理しないように朝はゆっくりと時間を過ごした。とりあえず「大豆田とわ子と三人の元夫」2話を観て、感激してからの出社。サンドリ(有吉のラジオ)を聴きながら出社。心臓がばくばく言うし、頭痛や眩暈が朝から酷いけれど、クロチアゼパムを服用したり、休憩を多めに取ったりして何とか過ごす。幸い業務もそこまで重くなかった。職場の上長とWEBで面談もでき、自分の現在の体調を伝え、最悪の場合についても話すことができた。やはりそう簡単に配置換えはできないけれど、医者の見解で配置換えが妥当であるならばそれも不可能ではない。再休職は可能だけれど、結局越えなければいけないハードルは変わらないから、安易に休職はお勧めしない。もちろん、体調最優先ではあるけれど。まぁ、当たり前と言えば当たり前の内容を話したけれど、改めてどうすべきかの優先順位が見えてきたのでそれは良かった。いっそのこと「もう会社には置いておけない。田舎へ帰れ」と言ってくれればそれはそれで楽になれるのだけれど…そんなことを思いながらも、辛抱強く私という人間を見守ろうとしてくれていることが伝わって来て、本当にありがたいことだと感じた。帰宅後、両親と軽く電話して、今日の様子を報告。風呂に入り、ストレッチをして、3日分のこの日記をつけている。人騒がせで自分でも嫌になるけれど、今は割と気持ちが安定していると思う。ねぇ、なんであんなに暴れたんだい、自分よ。
190日目/35日目
木曜日。変な感じの夢を沢山見て朝からちょっと疲労感がある。そして、やはり朝はどうしても気弱になってしまう。実家に帰ってフリーター生活をしたいと考える。そんな夢想を抱きながら、水曜日のダウンタウンを観て、白湯をがぶ飲みして朝の支度。出社してしまえばちゃんとやるのに、どうしても出社したくないと思ってしまう自分の子供じみたところが情けなく感じられる。通勤電車がやはりストレスになっているらしく、職場に到着直後は体調が優れない。そして、頭が整理できずに仕事を順序立てられない(ワーキングメモリが凍結している感覚)。が、今日は苦手な上司がほとんど職場にいなかった。それだけで気持ちが軽くなる。あまり苦手意識を強く持ちすぎても、自分の精神衛生上良くないとわかっていても、どうしても「いなくなれ」と願ってしまう。昼にかけてやるべきことが続々と出て来るが、何とか対処できた。体調不良で急に休んでしまう可能性があるので、締め切りのある仕事が増えると追い詰められてしまう。でも、今日は「もし明日来られなくなったら、この仕事お願いして良いですか?」と相談できた。それも1つの成長、というか信頼関係が築けた証拠かもしれない。母が送って来た「嫌われる勇気」を読み始める。だいたいの内容は知っているし、中田敦彦のYouTube大学やほかのところで触れてはいるけれど、せっかくなんで読んでみる。意外と好きな文体だと感じる。
191日目/36日目
金曜日。夜中3時前頃にまた中途覚醒あり。が、この日はもう割り切ってがっつりフレックスを使って朝はゆっくり過ごす。洗面台の掃除をしてから出社する。できるだけ気持ち穏やかに…と思いながらも、上司から「おめぇは信頼してねぇからな」などと言われて、気持ちを乱される。いくらそういう人だとわかっていても、本当は自信がないから高圧的な態度を取ってしまうのだろうと思ったりしても、まったくの無傷というわけにはいかない。深呼吸をしたり、トイレ休憩をしたりして気持ちを立て直しつつ頑張る。眩暈というか頭痛に合わせて頭がクラクラする感じがあるが、やらなければならない仕事をこなしつつ時間を後ろに流していく。退社後ラーメンを食べに行き、帰宅後は「嫌われる勇気」を読了。今週は3日しか働いていないがとても疲れた。
192日目/休み
土曜日。午前中は診察があり、首を吊ってしまったことなどを伝えたところ、休職を強く勧められた。また薬についても大幅に変更していく流れとなった。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)を1日1錠から0.5錠に減らし、やめる方向に。追加でスルピリドを1日3錠服用することに。また頓服薬はクロチアゼパムからペロスピロン塩酸塩に変更となる。昼食後帰宅し、職場の上長とWEB面談。医者からは休職を勧められたこと、薬が変更となったことを報告。GWが長く取れているので、GWにしっかりと休養し、GW明けにまた出社してからの体調を鑑みて再休職の時期は判断することにできた。その後、部屋の整理をしてから帰省。実家では母と2人で夕飯を食べつつ、これまでどんな風な気持ちで生きてきたか、今後どうやって生きていくべきかなど腹を割って話せた。母からも色々と過去の話を聞けて、意外とこれまで親子としての会話が少なかったのだと自覚する。少なかったというよりは自分が心を閉ざしていたせいで上辺だけの会話になっていたという感じか。結局のところ自分には人と深く気持ちを通じ合わせる勇気がなかったのだと思った。
2.カレンダーのまとめ
自殺未遂の後、結局体調を崩したまま月曜、火曜と会社を休んでしまった。まぁ、もうそれはそれとして。水、木、金と仕事をして土曜からGWに突入。今の職場はGW中は仕事にならないのでがっつりと休みが取れた。休み初日は診察などもあったが、それを済ませるともうすぐに実家に帰った。こんなご時世で県を跨ぐ移動は自粛するように言われているけれど、それでも今の自分にはコロナよりも差し迫った問題がある。自粛している皆さんには大変申し訳ないけれど、もし立場を代わってくれるならいくらでも変わってやりたいと思う。ごめんなさい、赦してください。
帰省中に適応障害ブログを更新する気になれず、久しく放置しておりました。心配やアドバイスのコメントをしてくださった方々、本当にありがとうございます。私は何とかまだ生きており、この2週間を使って沢山考え、そして沢山両親と話をしました。今後の私の人生がどのようなものになっていくかわかりませんが、色々と諦める代わりに自分らしい人生を作り上げたいという想いが今はあります。これまでの自分を完全否定するわけではありませんが、おそらく何かしら問題があったからこそ、こんな病気になってしまったわけで。もし治そうと思うのであれば、根本から見直し、自分の本当に生きたい生き方を探そうと考えています。
現職を辞することを6~7割くらいの気持ちで考えております。
GW明けには産業医との面談や、会社の上層部との面談(これは入社年次が若い者に対する定例的なもの)もあるため、そこで私が「この会社に残りたい」と思える何かを感じさせてくれたら残ることもやぶさかではない…みたいな少し上から目線のスタンスでいこうと思っています。もちろん、GWを挟むことで私の体調や気持ちが急激に好転した場合なども会社に残ることになろうかと思いますが、これはちょっと望み薄ですかね。ただ「もう辞めていっか」という精神状態の変容が、どの程度私の気持ちに変化をもたらすのかという部分もあるため、もう少しだけ検証期間は設けようと考えています。
このような考えに至った経緯について改めて記事をまとめられたら、と考えています。自分の思考を整理するためにも。私は何につけても書いてみない事には考えを整理できない人間のようなので。
さて、それでは今夜ももうパソコンは閉じて入眠ルーティンに入ろうと思います。おやすみなさい。
次回