霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.61

適応障害と診断されて186日目の夜にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は2週間分の投稿内容となってしまいました。このところ体も心も疲れてしまい、文章を上手く書くことができません。

故に今回は1週間分の日記をコピペしてカレンダーとしてまとめるだけにしようと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

179日目/休み

日曜日。朝から薬局に薬を取りに行く。昨日買ったCDを聴きながら散歩を楽しむ。toconomaの「BLUE YARD LIVE AT LIQUID ROOM」、Spangle call Lilli lineの「Remember」、yonawoの「ROBSTER」、モーニング娘。'21の「16th ~That's J-POP~」を聴く。特にtoconomaのライブアルバムはどの曲も素晴らしく、Evitaはやはり最高。とても楽しく、思わず笑顔になるし、踊りたくなる。踊れないけど。また、yonawoは2曲目の「ijo」が好みで、アルバムも全体を通して良かった。SCLLもモー娘。ももちろん良いけどね。帰ってからブログを書くもあまり良い文章が書けなくて辛い。最近はずっと頭に靄がかかったみたいだけれど、そのせいか。また、転職用の履歴書と職務経歴書の雛形を作る。

 

180日目/29日目

月曜日。起きてから簡単に職務経歴書を軽く校正して、転職エージェントにメールで送付。日勤から夜勤の日なので、朝から嫌な感じ。朝から苦手な上司に小言を沢山言われて嫌な気持ちになるけれど、トイレに逃げたりして上手くスルーしていく。もうスルーするしかない。10時前にクロチアゼパムを服用。やる気が出ないので、もう会社を辞めてやるんだから!くらいの気持ちで仕事を片付けていく。そんなに頑張る必要もないけれど、後腐れなく辞めるための最低限。そう考えると少しは気持ちが楽になる。休憩を多めに取り、30分程度残業した後に休憩に入る。

 

181日目/30日目

夜勤前の休憩は途中で覚醒があったものの、3時間近く眠ることができた。疲れていたのが逆に功を奏したかもしれない。夜勤自体はたくさん歩き、またたくさん小言を言われたものの、勉強したことが活きた部分もあり、少し仕事を楽しいと思えた。が、やはりこの仕事は向いていないと感じる。これを何十年と続けると考えると気が滅入る。夜勤終わり、残業で30分程度資料整理をしてから帰る。帰宅後、朝食を食べ、転職エージェントと少しメールのやり取りをしてから就寝。3時間程度眠れる。昼前に起きて1時間程度だらだらした後、また疲れから2時間程度昼寝をしてしまう。13時過ぎに昼食を食べ、また1時間程度だらだら過ごした後、1時間昼寝。起きてからも眠気が続いていたが神経が高ぶって、イライラする。久しぶりにウイスキーを飲んで眠る。19時まで3時間程度また昼寝して、夕飯を食べ、届いていたTK from 凛として時雨のCDをPCへ取り込んだりして、風呂に入って寝る。何だか寝てばっかりだし、疲労感が強く、気分の悪い1日だった。

 

182日目/31日目

水曜日。朝から頭痛と夜勤の疲労感、そして早朝覚醒もあり。摩耗的な日々が続いていると、うつ病に近づいているような感じがして不安になる。ストレッチと瞑想をしてから出社。ゴミ出しもできたので、今日の1日のノルマはもう達成したつもりで仕事に臨む。会社ではミスをしたり、初めてやる業務があったり、勉強会の発表者を務めるも苦手な上司からぐちぐちと攻められたり。でも、最近は鈍感力というものがついてきた気がする。人に迷惑をかけても気にしない、上司に何か厭味を言われても、それはもはや価値観の全く違う生物の戯言と受け流すことができている気もする。「大豆田とわ子と三人の元夫」が坂元裕二脚本で素晴らしい。エンディング曲がカッコイイと思っていたら藤井健太郎さんが関わっているし、最高のドラマになる予感。Twitterで珍しく色々な人に絡んでしまいちょっと反省。上司にいろいろ言われたことが、やっぱり多少ストレスだったのかなぁと思ったり。いつもより1時間半くらい遅い入眠。寝る前にチョコレートを食べてしまった。

 

183日目/32日目

木曜日。4時半ごろに中途覚醒あり。寝不足感が強い。最近は朝に体の冷えを感じるので、白湯を飲むようにしているがこれがなかなか美味しい。クノールカップスープとかをよく飲んでいたが、スープよりもすっと体に入って来る感じがある。アイドルが白湯を飲んでいるとよく言っていたけれど、何となく飲む理由がわかる気がする。ストレッチと瞑想をして出社。色々と初めてやる仕事が多くてちょっとてんやわんや。昼休憩を境に急に強い眩暈(貧血?)に襲われて、意識が飛びそうになる。慌ててクロチアゼパムを服用。その後、緩い会議や単純作業があったおかげでそこで何とか持ち直し、苦手な上司も早めに帰ったので、そこからは少し余裕を持って働くことができた。子供の段ボール工作みたいなことをしているうちに、結構な残業時間に。明日は社内で研究の発表会があるので、ちゃんとたくさん寝てそれに備えよう。水曜日のダウンタウンとあちこちオードリーが面白かった。

 

184日目/33日目

金曜日。朝の体の冷えがあるので、白湯とシャワーで温める昨日は残業を頑張ったので、1時間遅めに出勤。立川志らくさんの「死神」を聴いたりしてゆっくりできたので、比較的気分は良かった。が、出社後すぐに苦手な上司と外出。ああだこうだ言われ、終いには「おめぇトロいんだよ」と言われ、怒りを覚える。午前中の外出の疲れを抱えたまま、午後は社内の成果発表会で発表を行う。これもまた疲れる。私が色々と引きずり回されている間に先輩がフォローしてくれていたので、とても感謝。残業を2時間半程度して帰宅。明日は大学時代のバイト先の後輩の結婚式だ。
苦手な上司はもう同じ人間と思わない。パターン青「使途」と考え、ATフィールド全開で立ち向かい、絶対に殺されない。むしろそういう風に接することがあの人に対する礼儀だとさえ思えて来る。そして、自分が出世していったときは、部下が安心して働ける環境づくりを頑張りたいと毎日思う。部下が上司に対して危機感を感じ、常に気を使いまくって働いている環境は生産性も低いと思う。

 

185日目/休み

土曜日。今日は学生時代のバイト先の後輩の結婚式。財布を会社に忘れていたので取りに行き、時間の余裕もあったので20分くらい仕事をしてから会場に向かう。初めての結婚式なので色々とわからないことがあって不安だったし、トイレに寄った後スーツの後ろをズボンの中にしまい込んでいたようで恥ずかしかった。式自体は新郎新婦、両家とも本当に幸せそうで良かった。結婚式のために作った動画や写真、メッセージ。アンビリバボーの再現ドラマで出て来るような「いかにも」な神父さんもいたし。祝いの席なので変に気を使わせないよう、ちゃんとお酒を飲んだ。が、式の間中感じていたのは「これが同じ人間なのか」ということばかり。結婚式用に人生の素敵な瞬間だけを切り取っているだけだというのはわかるけれど、私にはとても同じようなことはできない。そして、感動して泣いている人たちの気が知れなかった。ずっと私が感じてきた疎外感のようなものを強く感じてしまった。結局のところどこまで行っても世界とはわかり合えないという気がした。帰宅後、疲れ果ててしまいがっつり昼寝。そのせいで少し夜更かし。お酒を飲みたかったけれど我慢してずっと1人でギターを弾いていた。こういうのがやっぱり自分には合っているし、落ち着くと思う。

 

186日目/休み

日曜日。昨日の疲れから昼近くまでは寝たり起きたりを繰り返していた。昼過ぎにシャワーを浴びて、「今日が死ぬ日だ」と思い、ドアノブで首を吊ってみる。なかなかドアノブでは首は吊れない。息が苦しくなってすぐにやめてしまう。次はクローゼットで試してみる。何度もトライしてようやく体が痙攣するくらいまでいけたけれど、結局体が暴れてしまって死ねない。少し時間をおいて、今度はクローゼットの棚にスーツケースを固定してその取っ手にロープを括り付けてみる。椅子から降りて確実に首が締まり、「これは死ねるな」と思っても慌てて椅子に足を戻してしまう。もう一度気持ちを整えて、今度は椅子から降りた後に、椅子を蹴とばしてみる。体が痙攣するところまでいき、意識もほとんど飛んだけれど、意識が飛ぶと体が暴れてしまい、結果ロープが緩んで落ちてしまう。蹴り倒した椅子の脚にぶつけたのか脛に大きな切り傷ができた。結果、4時間くらい首を吊ろうと格闘していたけれど、今日も失敗してしまった。なんで死ねないのか。本当は死にたいと思っていないんじゃないかと自分で自分を疑いたくなる。セブンイレブンのカレーを夕食に食べた。薬も飲んだ。風呂も入った。母親にブログのURLを送った。この調子だとまたすぐに首を吊ってしまいそうだったから。最近Twitterとかネットで自死で子供を失った人の言葉を良く見る。理由がわからなくて途方に暮れていることが多い。せめて理由…というか、どういう気持ちで生きていたのか、どう苦しんでいたのかだけでも残してあげたいと思った。

 

2.惨め

何度も首を吊っては失敗している。何度も体がびくびくと痙攣して暴れ、その度にロープから慌てて首を抜いてしまう。今の部屋の中には上手に首を吊れる場所が無い。ロープの縛り方も甘いみたいだ。まるで、僅かに生きる可能性を自分で作っているみたいで惨めだ。

首を吊って、失敗して、動画見て、また首吊って、失敗して、動画見て。そうこうしているうちに日が暮れてしまった。気持ちの良い夜風に涙が滲む。

また両親を悲しませている。両親を悲しませたくてこんなことをしているわけじゃない。誰も悲しませたくなんかない。どうして人が死ぬと人は悲しむのだろう。人は死ぬものだし、悲しむ必要なんてないのに。7年前に書いた「Angry Blue」という創作物の中でそんなようなことを書いた記憶がある。

ふとやって来る自殺願望。もう見慣れたものだけれど、病気になってから、行動に結びつきやすくなっている。だんだんと慣れていってしまう。「これくらいなら死なない」みたいなのが見つかりそうで怖い。

幸せにも不幸にもなりたいわけじゃなくて、ただ嫌になってしまうだけ。

頼むから自分の「嫌」が、他人の不幸になりませんように。

 

次回

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