適応障害と診断されて165日目(3月28日)にこの記事を書き始めています。
今日は1日曇りということで、何だか気分も微妙な感じがしているものの、こうして文章を書こうという気持ちにはなっています。特に今週は水曜日に夜勤にもチャレンジしたのですが、その疲れがまだ残っていて、ちょっとしんどいですね。
前回
前回は1週間前の土曜日。今日は日曜日なので、1日投稿が遅れた感じですね。
先週は祖母の死を受けて実家に帰省したりしていました。そういった都合で先週は3日間しか出社はしていませんでした。
また、記事の中では「適応障害」というものがいったいどういうものなのか、今一度自分なりに考えてみました。自らの周囲を取り巻く社会に適応しようと自分を殺し続けていたことが、そもそもの私の長年の希死願望の根源であったのだろうと思ったわけです。それまでは希死願望の行く末に「適応障害」という病気が発症したのだと考えていましたが、どちらかと言えば「適応障害」に苦しんでいたからこそ私には死にたかったのではないかと気がついたわけですね。まぁ、鶏卵論争でしかないと言われればそれまでですが。
- 1.カレンダー
- 2.故郷と東京の自分
- 3.認知行動療法~夜勤が不安なんですが!?編~
- 4.認知行動療法~なんでそんなこと言うの!?編~
- 5.夜勤がヤバ過ぎる
- 6.増薬~クロチアゼパム錠~
- 7.ストレスって何?
- 最後に…
今週は復職後初の夜勤にチャレンジというのがビッグイベントではありました。そして、こうして記事を書いている今もその夜勤の疲れを引きずっており、未だ体調が若干悪いままです。そんなわけで日々、考えることは尽きません。
1.カレンダー
適応障害と診断されて…/復職して…
157日目/休み
土曜日。朝起きて、母と神社にお参り。母には本当に心配をかけていると実感する。せめて一緒に神様に手を合わせることで、その心配を小さくしてあげられるのなら…でも、やはり手を合わせ何かにゆっくり祈るというのは気持ちが穏やかになるものだ。その後、母は事務に行くとのことだったので、私は分かれて散歩しながら実家まで帰る。ブログを書き、午前中を過ごす。昼食後、だらだらと動画を観て昼寝を2時間弱。よく眠れた。夜、両親はお酒を飲みたそうだったけれど、私が体調を心配して飲まなかったので我慢させてしまった。申し訳ないけれど、何とか保っている体調をお酒で崩したくないという思いが強い。猫の写真を撮る。
158日目/休み
日曜日。いつも実家からこっちに戻るときは気持ちが落ち込んでしまう。これは実は大学時代から変わらない。落ち込んだ気分で翌日の仕事に向かいたくなかったので、午前中には実家を出るつもりで支度をする。朝、シャワーを浴びながら泣いてしまう。何が悲しいのか、何が寂しいのか言葉にすることは難しいけれど、実家を出る前はいつも本当に苦しい。弱い自分が嫌になるけれど、これが変わらない自分なのだと思う。寮に着くと、朝のあの涙がばかばかしく思えるほど、普通のいつもの感じ。実家にいるときは子供返りしているのかもしれない。自分が2人いるみたいで気持ち悪いけれど、ずっと前からそうだったし、今さらという感じもある。ドラクエをして半日を過ごす。とりあえず裏ボスまで倒して、やり込み要素もほぼやり尽くした感じだ。
159日目/14日目
月曜日。もう朝から心がなよなよしてしんどい。またシャワー浴びながら泣きそうになる。が、何とか気持ちを落ち着かせ、いつもより30分遅れで出勤。ずっと気持ちが落ち込んできたので、休憩多めで過ごす。休憩を取りながらも個人業務の方はまた1歩進んだし、グループの業務も少し進められたのでよかった。とは言え、夕方くらいは結構な頭痛があり、同時に心のぐずぐず感も結局消えることは無く。定時で退社し、のんびり過ごそうと思うが、元気が出てこない。何がこんなにも心を弱らせているのだろう。
160日目/15日目
火曜日。まだまだ心が弱っている感じがあり、ふと泣き出しそうになってしまう。また、若干の頭痛もあり。仕事がバタバタしてしまい、それで結構疲れる。と思ったら、午後は外出でぼやっとしているうちに、あっという間に時間が過ぎる。やらなきゃいけない仕事が終わらなかったけれどほぼ定時で帰宅。まぁ、まだどうとでもなる。帰宅後はやはり頭痛が出て、また今日は本当に疲れ果ててしまった。昨晩ちょっと眠るのが遅かったことも影響しているかもしれない。SNSはほどほどにしないと。また、翌日は夜勤があり、夜勤に対して不安があったので不安の細分化、分析、認知行動療法を行い気持ちを整えた。
161日目/16日目
水曜日。今日は復職後初の夜勤。休職の最後の勤務が夜勤だったこともあり、少しトラウマになっているということはもちろん、単純に体に負荷のかかることではあるので非常に不安。特に、生活リズムを整え、就寝前のルーティンを徹底することで何とか日々をやり切っている現状で、それらすべてをぶち壊す夜勤に臨むという点が恐ろしい。先週の段階で上司には夜勤をやりたい旨を伝えていたものの忌引き等でバタバタしていた結果、予定表で私が「夜勤(仮)」のような扱いだったので、本当に夜勤をやらせてもらえるのか再度上司に確認。すると、「完全復帰って聞いてたけど、先週予定していた夜勤を断ったよな。それで今度はやらせてもらいたいって、お前の都合で何でも決められるわけじゃない」とごもっともなことを言われる。罪悪感が無いわけがなく、それでも甘えさせてもらうしかないから何とか甘えさせてもらいつつ寛解を目指しているのに…とかなり落ち込んでしまう。何とか夕方までには気持ちを立て直し、夜勤に臨む。
162日目/17日目
木曜日。夜勤前に休憩時間があるのだが、結局約3時間仮眠を取ることができず、不安を抱えたまま夜勤に突入。同行してくれた先輩が良い人で、体調のことなどとても気を使ってくれた。また色々なことを教えてくれたし、会社や人生設計の話などもできて良かった。本当に感謝。そんなわけで何とか夜勤を乗り切り、朝帰宅。疲れて眠いものの神経が昂っていて眠れそうになかったので、いつもの入眠ルーティンを行い、1時間くらいの後に入眠。昼前に起きて、昼食。少し動画など観て時間を過ごすも、やはり眠くなり、またすぐに昼寝。起きたのは夕方6時前。夕飯を食べて、攻殻機動隊を観たり、宮本佳林ちゃんのインスタライブを観たり、サッカー日本代表の試合を観たりして過ごす。いつもより1時間くらい遅くに就寝。ほとんど部屋から出ない1日だった。というか、1日を過ごしたという感じが無い。
163日目/18日目
金曜日。朝からかなりの疲労感が残っている。特に、軽い眩暈まで感じているのは初めてのこと。おそらく午後までは持たないだろうと思いながらも出社。上司に調子が悪いことを朝一で伝えておき、その後期日の迫った仕事を進める。職場全体の上長と面談をして、体調が復調しない事、直属の上司から「お前の都合で決められるわけじゃない」という言葉を言われたことなどを相談。とりあえず、現状維持(増薬検討)、再休職、配置換えの中から、現状位置(増薬検討)の方向性でいくことに。昼休憩時には吐気と眩暈から昼食と食べることができず、やはり調子が悪すぎるので帰宅。帰宅途中、階段がきつかったり、太陽の光がきつかったり、諸々の症状が出る。帰宅後、すぐに真っ暗な部屋の中で昼寝。そのままなかなか復調せず、夜が過ぎる。
164日目/休み
土曜日。まだまだ疲れが残っている。が、朝から診察。医者はやはり「環境を変える」「休む」「薬で緩和しながら何とか続ける」の3択しかない、という説明。より即効性のある交感神経抑制剤としてクロチアゼパムを処方してもらう。薬は治すためのものではなく、日常生活をサポートするためのもの。習慣性等あるのでそれは承知して欲しいとのこと。とりあえず、これで何とかやってみることに。診療後は随分久しぶりに一蘭に行ってみた。そして、その後はシン・エヴァンゲリヲンを観る。超感動。でも、疲れから途中でちょっと眠ってしまった。もう1回観に行こう。帰宅後、早めに夕食を取り、軽く昼寝。風呂上がりにちょっと両親と電話。映画は素晴らしかったけれど、全体として疲れと気分の落ち込みを感じるような1日ではあった。
いつもであれば次に「カレンダーのまとめ」という感じで総括をしますが、今回は1つひとつの出来事にしっかりと向き合いたいので、総括は省略します。
2.故郷と東京の自分
まず、祖母の葬儀に参加するために帰省し、そのまま日曜日まで実家で過ごしていたのですが、やはり実家からこちらに戻って来るときにかなり気持ちが落ち込んでしまいました。この傾向は大学入学当初からあるもので、簡単に言えばホームシックということになるのでしょうが、「適応障害」的な観点からすると、環境の変異というのが私を苦しめる最も大きなものなのかもしれません。
実家にいるときの自分は本当にただの子供なのです。わがままも言いますし、気を張ることもなく、言わば「縁側で腹ばいになりながらクレヨンで画用紙に絵を描いている少年」みたいな存在です。まぁ、実際にはそれなりに大人になってはいるでしょうし、それらしく振舞もしますが、根本的には子供です。しかしながら、こっちでの生活では一応大人、あるいは社会人として生きているのです。知らず知らずのうちに気を張っていますし、孤独というものを当たり前のものとして受け止め、粛々と生活を営んでいます。
つまり、環境に合わせてほとんど無自覚に自分というものが切り替わっているのですね。その切替の時にかかるストレス・摩擦がとても辛いのです。今までは実家から戻る新幹線の中で「なんでこんなにも感傷的になってしまうのだろう。いや、そんな子供じみた自分であってはならない」という風に感じていました。しかしながら、今思えばこの反応は至極当然の物であり、私の悪癖である「環境に合わせて自分を変えようとする」というのがわかりやすく発動していたというわけです。
特に実家にいるときは上述の通り、クレヨンで手を虹色に染めた子供であるので、そこから孤独な青年に戻るときに生じるストレス・摩擦にとても苦しくなるのです。実家に帰省する時にはこういう気持ちにはならないので、まぁ、単純にホームシックなんでしょうね。
これを助長しているのが、私が大学時代に繰り返し行っていた自己虐待と思われます。つまり、東京にいるときの自分は様々なことに興味を持ち、追及的な人間である反面、孤独を噛み締め、社会に対して怒りを感じ、「死にたい」と思うことでセンチメンタルを享受するというのが常でした。なので、東京という場所は私にとっては「苦しみ抜き、その先に何かを見出そうとする場所」というのが刷り込まれているのかもしれません。なので、ぬくぬくと親の保護という毛布に包まっているところから、それを引っぺがされて、極寒の雪山の闇の中に放り込まれているというその大きな転換に私はどうしたって気持ちが苦しくなってしまうのでしょう。
時間とともに東京での生活にも慣れていきますし、むしろ本来の自分を取り戻しているという感覚さえ戻ってきます。実際、実家にいるときはそれはそれで息苦しさのようなものもあるのです。実家では甘えたいだけ甘えられるので、あえてそれが苦しいというものでもないのですが、実家での生活には何か違和感のようなものを感じているのです。
精神的な疾患についてネットや本でざっくりと調べていると、フロイト的な幼少期や青少年期の問題がその根幹にあるということが書かれていることが多いです。アドラー心理学では、その理論の妥当性を否定しないまでも、「そんな風に過去と今を結び付けても何も生産的ではない」というような観点で、「いまどう考え、感じ、どうするべきか」ということの方が重要であると説かれていますし、私自身精神疾患者はフロイト的な分析よりもアドラー的な分析をするべきと感じています。対して、社会構造や社会制度のようなものを考える人にとってはフロイト的な分析術を身に着けた方が為になるでしょう。要は、未然防止を考えるのであればフロイトについて学ぶべきであり、既に発病している当事者ならアドラーについて学ぶべきということですね。
急になんでこんなことを話しだしたかと言いますと、ちょっとフロイト的に私自身の幼少期を振り返ってみようと思ったからです。まぁ、いつもやっているんですが、何というか特に幼少期のことを考え出すと、「自分は悪くない。両親の育て方が悪いんだ」と責任転嫁をしているみたいで気が引けてしまうんですよね。でも、今回は良い機会ですし、できるだけ両親を傷つけないような形で幼い頃について振り返ろうと思います。
まず小学校頃までの私は活動的で、知能の発達も悪くなく、結構周囲からも目立った存在だったのかなと思っています。ただし、太宰治「人間失格」の葉ちゃんほどではないにせよ、嫌な子供だった気もします。何となく「子供らしく振舞おう」というのが抜け切らず、周囲の大人が望むような子供らしい子供であろうとしていました。まぁ、実際とても負けず嫌いですぐ泣くし、他人を貶めるようなところがあったり、ただのガキではあったことには間違いないのですが。でも、やはり「利発的で可愛らしい子供」と見られようとしてしまう傾向が強かったことは確かです。今でも多分それは抜けきっておらず、もうアラサーになった今でさえ、両親の前で恋愛や性的な話をすることに非常に抵抗感があります。誰でもある程度そうなのかもしれませんが、妹の方が自然と交際相手を両親に紹介したり、その辺は上手くやっているように思います。
話が前後しますが、中学生くらいになると私のそういった傾向と、周囲の環境の間に摩擦が生じ始めます。特に思春期になっていくにつれ、性的な話題が多くなっていくものですが、私はそういうものが苦手でそういう話題になる度に心の底ではぞっとしていました。何と言うか「利発的で可愛らしい子供」という私が無理やり作り上げた大人たちからのイメージが、そういう思春期的な会話によって脅かされているような心持ちになってしまったのです。つまり、小学生時代に「これでよし」となっていた価値観というものが心身の成長に伴って変容していくことに対して、強い恐怖感を感じたわけです。「あぁ、これまでの自分じゃダメだ。中学生らしい自分にならなくては」と思いながらも、周囲の大人はまだ一様に私に「子供らしさ」を期待しているように感じられてしまっていたのです。というか、少なくとも私が「子供らしさ」を発揮しているうちは、私に変わらぬ良い評価をしてくれていたのです。
なので、かなりお恥ずかしい話ですが、未だに私は両親の事を「お父さん、お母さん」という風に呼ぶことができません。「パパ、ママ」から成長できていないのです。でも、「パパ、ママ」と呼ぶことも恥ずかしいため、「ねぇ」とか「あのさ」とかそういう風に声をかけています。おそらく一般的な人たちから見れば異常なことでしょう。それは私もわかっているのです。
この事実に象徴されるように、私は明らかな違和感を抱えながらも、未だに両親との間に年相応の関係性を築くことができていません。私は昔も今も変わらず、両親の前では「利発的で可愛らしい子供」を演じ続けており、それが演技でしかないことは私も両親も気づいているものの、そういう接し方でしかコミュニケーションが取れていないのです。私も困っているし、両親も困っていると思います。なので、ありていに言えば、親離れ・子離れに失敗しているとも言えましょう。
大学進学を機に私は一人暮らしを始め、そこからようやく「大人からの評価」というところと物理的な距離を取り、青年期として自分を構築し始める作業に取り掛かったように思います。具体的にはこのブログで何度も書いているように虚栄心に支配された自分を破壊し、新たな価値観を1から作り上げるという作業です。
なので、正直に申し上げますと、その頃の私は両親を含め、それまで関わって来た大人たちをかなり憎んでいました。私に何かを期待し、そしてその「期待」は私にとっては「強制」のように感じられていたからです。そして、その「強制」に従順にやってきたにもかかわらず、私は全く以って幸福ではなかったのです。だから、私は私にとっての幸福を探すために、それまでの自分を全否定することにしました。20歳か21歳くらいのときに書いた「Gray Scale」という創作物の中で、私は「過剰な期待はもうウンザリだ」というようなことを書き残しています。本当にウンザリだと感じていたんですよ。期待されるとそれに応えようとしてしまう。だから、もう誰からも期待されたくない…というか、その期待は私のような人間を都合よく操るための欺瞞のように感じられていたわけですね。
そんな風に私はそれまでの自分を破壊する作業に取り掛かっていたわけですが、当然今ほど客観的に自分の状況を見れているわけではなかったですし、色々なことが絡み合って私は「もう一生孤独に生きていく。それがどれだけ寒く、苦しい道程であったとしても、もう社会の欺瞞に好き勝手やられてたまるか。何ならお前らが『不幸だ』という人生を歩んでやるよ」というくらいの気持ちになっていました。そしていつの間にか「この世は虚無で虚構である。いつか自死を選ぶことで、その事実を明らかにしてやる」というようなことまで考えるようになっていました。「ライ麦畑でつかまえて」で言うところの「未熟な子供は崇高な死を望み、成熟した大人は泥臭い生を望む」という言葉を踏まえれば、私は完全に未熟な子供だったわけです。そして、そんな未熟で子供な自分を自覚しながらも、「いや、だって大人になるのは辛いよ。そんな風にしては生きていけないよ」と未熟な子供として死を選ぶしかできなかったわけです。
そんなわけで、その辺りから私にとっては「実家(故郷)」=「利発的で可愛らしい子供でいる場所」、「東京」=「孤独な自死までの過酷な余生を彩る場所」という住み分けができるようになっていたのだと思います。なので、実家に戻るときは苦しくなくても、やはり数日間実家で生活していると変な違和感のようなものが芽生え、ストレスを感じるようになり、かと言って東京に戻るときには本当の子供の自分が抜けきらず、東京の過酷さに打ちのめされて、非常に気分が落ち込んでしまっていたのだと思います。
なので、何が言いたかったかと言いますと、私にはどうしても周囲の環境に適応しようと自分を変形させてしまう傾向が強くあり、しかもそれにがんじがらめになりがちということです。そして、そのようにして自分を色々と変えているので、そこでさらにストレスを溜め込んでしまうというわけです。誰でもそういう傾向はある程度あると思いますが、私の場合は私の心の脆さも相まって、それが「適応障害」という病名がつくほどにまでなってしまいました。
そして「適応障害」になってから両親ともよく話すようになったのですが、その中で少しずつ自分がどういう気持ちで生きてきたかということも話すようになっていきました。おそらくそれはようやく私の中の自浄作用が機能し始めてきたということなのかもしれません。両親は私の病みエピソードなんて聴きたくなかったかもしれませんが、私は正直に話すことで少しずつ楽になっているという感覚もあるのです。これは裏を返せば、やはり私が正直に話せていなかったということです。ずっと取り繕ったことしか喋っていなかったからこそ、正直に話すことで気持ちが楽になっていくのでしょう。
未だに私は実家から東京に戻るときにとても気分が落ち込み、苦しくなってしまいますが、この傾向も徐々に治っていけば良いなと思っています。それは実家でちゃんと素の自分で居るということもそうですし、東京での暮らしをより温かみのあるものに変えていくということもそうです。まだまだ難しい部分もありますが、色々なことを正常化していければいいなと思います。
3.認知行動療法~夜勤が不安なんですが!?編~
カレンダーにも書いた通り、今週は夜勤をやりました。夜勤をやるにあたって、やはり漠然としてはいるもののかなり大きな不安がありました。まずは、この不安を和らげるために私が実施した認知行動療法(風)の自己心理分析を書き留めておきます。
絶対的な命題:夜勤が不安だ!
⇒なぜ不安なんだろう? 何が不安なんだろう?
①何か下手を打ち、周囲に迷惑をかけてしまうのではないか?
⇒「上手くやってやろう」という虚栄心がある。
②失敗した場合は咎められてしまうのではないか?
⇒「咎める」という行為は「怒る(敵意)」ではなく、あくまで「指摘」に過ぎない。つまり、「怒る(敵意)」という認知の歪みがあり、プラス「指摘」を恐怖と感じるのであれば、それは①と同じく虚栄心がそうさせている。
③途中で体調を崩し、迷惑をかけ、呆れられるのではないか?
⇒これも①と同じ虚栄心。
①、②、③は総じて「失望されるのが怖い」ということである。
では、なぜ失望されるのが怖いのだろう。結局、これらすべて自分の虚栄心でしかない。周りからの期待にちゃんと応えたいという気持ちが強く、「期待には応えなければならない」という強迫観念が未だ抜けていない証拠である。まずは自分の体調を踏まえれば「応えられる期待」と「応えられない期待」があって当然。その上で、たとえ万全な体調であっても、人はミスをするし、上手くいかないことだってある。往々にして「期待に応えられない」というケースは起こるものであり、それをゼロにすることは不可能である。
そして、最も大切なことは「期待」というのは「他人」の心理状態であり、私がどうこうできる問題ではない。「期待以上」であろうが、「期待以下」であろうが、それらすべては「他人の心」と「結果」の間で発生する齟齬でしかない。つまり、何かが行われるにあたって、周囲の人が何らかの「予測」をするのは当たり前であり、その「予測」に合致するような「結果」が得られないことは普通のこと。だから、仮に周囲が「これくらいできるんじゃないか」、「これくらいできてもらわないと」というのはあくまで相手の都合に基づいた予測・期待であり、私の現状とは齟齬が発生し得るものである。
要するに、私が夜勤中に体調を崩したり、何らかのミスをしたとして、それはそれで私の現状=結果なのである。そして、それが相手の予測・期待を裏切る結果であったとしても、後に行われるプロセスは「理解」でしかない。「そうか。今のコイツの状態はこんな感じなのか」という「理解」をしてもらうのだ。夜勤をやった結果がどうであれ、それは正しい理解を進めるためのプロセスでしかなく、正しい理解の先にあるのはより正しい私自身を作り上げることでしかない。つまり、失望もまた私にとっては前進なのだ。なぜならば、私が私らしくあるために、正しい理解というのは必要なプロセスであるから。
そして、1番注意しなければならないのは、私が私自身に期待し過ぎることだ。「もっとできるはず」という過剰な期待と、それに伴った生じる「なんでできないんだ」という失望感というのは、自分でした屁に対して「臭い」と怒鳴り散らすようなものだ。全く以って馬鹿げている。今回の夜勤は自分でも自分の現在地を正しく理解するための物であり、それ以上でもそれ以下でもない。だから、何も不安に感じることなんて最初からないのだ。
④体調の悪化が怖い
⑤体調の悪化が辛い、嫌だ
うん、これも当然ある。でも、これこそやってみないと分からない。そして、体調が悪くなったのであれば、それはもう休むしかない。素直に伝えよう。確かに体調が悪化するのは辛いから絶対に嫌だし、またあの苦しみを味わうのは勘弁して欲しい。だからこそ、無理はしない。そして、万が一著しく体調を崩してしまっても、その時はまた再休職するだけだ。むしろ夜勤というものを見限って転職する良い機会になるかもしれない。
この苦しみに対する恐怖ばかりはどうしようもないけれど、苦しくなったらいつでも逃げられるし、逃げるという選択肢が総合的に考えて正解であるという可能性もある。一時的に自分の体を痛めつけることになってしまって、それは本当に申し訳ないけれど、一度やってみないことには判断もできない。
だから、「無理をしない」・「いつでも逃げられる」と自分に言い聞かせた上で、とりあえずやってみようではないか。
…という感じで、とりあえず不安を分別して、いつでも捨てられるようにゴミ袋に入れて部屋の隅に置くことができました。
大抵の不安って、事が起こって結果が出るまで解決できないものですもんね。今はどうしようもないものだからこそ、できるのは分別して整理して、小さくして部屋の隅やベランダに置いておくことまで。あとはゴミの回収日を待ちましょう。
4.認知行動療法~なんでそんなこと言うの!?編~
夜勤当日の午前中、上司に「先週もお話しましたが、今日の夜勤、よろしくお願いします」という確認の一言を行った際の出来事。
上司)「完全復帰って聞いてたけど、お前は先週の夜勤を体調を理由に断ったよな。体調優先ってのはわかるけど、『体調良いから夜勤やりまーす』、『体調悪いから夜勤かんべんしてくださーい』ってのはどうかと思う。お前の都合で仕事やってるわけじゃねぇからな。だいたい新入社員だってもっとハイペースで夜勤やってるんだからな。お前がいなくたって仕事は回るよ。でも、勉強のためだって夜勤やらせてんだからな」
というような言葉をかけられ、かなり気持ちを揺さぶられました。何とか涙が零れないよう眉間に力を込め、無理やり笑顔を作ってみました。そして、何度もトイレに席を立ち、Twitterに吐き出すことでバランスを取りました。上手い具合に重要度の低い全体会議みたいなものがあったので、そこではやれる限りの認知行動療法を行いました。今回はそれらの気持ちや行動について時系列でざっくりまとめ直します。
①逃げ道の用意
⇒よし、再休職か配置換えを上長に依頼しよう!もう付き合ってらんねえ。
⇒これで少し気持ちが落ち着きました。
②逃げ道へ踏み出す準備
⇒上長に再休職か配置換えをした方が良いのではなかろうか、という旨のメールを作成。今晩の夜勤後の体調変化も内容に盛り込んだら送ろう。
⇒少しせいせいした気持ちに。傷つくのがバカらしく思えてきました。
③自暴自棄になりかける
⇒こんな職場、もうやってられるか。仕事だって適当にやってやらぁ。
⇒これでもう落ち込むというゾーンからは逃げてやりました。
④自暴自棄から少し冷静になる
⇒いや、仕事を雑にやるのは違う。周りにはとても良くしてくれる人がいるではないか。その人たちに迷惑をかけるのは間違ったことだ。それにあの上司に対しても、反抗心みたいなものを向けるのは意味のないことだ。あくまでちゃんと真摯に働いたうえで、それでダメだったときにちゃんと逃げれば良い。逃げるそのときまでは、周囲の人のために自分ができることをする。そうすることで逃げる決断をするときも、自分に対して「やれることはやり切った」と言い訳をすることができる。
※前日に夜勤に対する向き合い方を認知行動療法で明確化していたおかげでここまで取り戻せたと思います。
そもそも上司にどんな言葉をかけられようが、私は今の自分の状態をはっきりして理解してもらうために夜勤に臨むのだ。私の状態が理解できれば上司の考え方も変わるかもしれない。なぜなら、上司はおそらく私の状態を誤認しているのであろうから。
そんな風に思えたのが1つ大事なことでした。
⑤気持ち穏やかに
⇒やれることをいつも通り、真摯に取り組んでいくことで、気持ちも徐々に穏やかになりました。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という感じでしょうか。
⑥認知行動療法(感情の分析)
⇒・適応障害の症状、治療法に関して理解をして貰えていないという虚しさ
・使えない奴だから特別扱いしてやっている、と言われたような気がして悲しい
・周りに迷惑をかけているという再認識をさせられ、罪悪感
・周りと同じくらいできろよ、と言われたような気がして恐怖
⇒これくらい細分化してみて、「そりゃあ、気持ち揺さぶられるわ」と自分で納得。納得できてしまうと、やはり自分ができることはとりあえず夜勤をやってみることだけというのがわかってきます。夜勤ができるかできないかはまだわからないし、もし夜勤ができない状態であるとわかったのならば、もはや「特別扱い」は必要なものと言わざるを得ないですし、「周りと同じくらいにはできない」ということも仕方のないことと言えます。それに夜勤で潰れてしまったのなら、それはそれで上司には私の状態を正しく理解してもらえるきっかけになるので、「理解してもらえていない虚しさ」も多少改善されるでしょう。「罪悪感」に関しては⑤の通り、冷静にやれることをやることだけでしか報いることはできません。
と、そんな感じで、気持ちを揺さぶられた理由ははっきりしましたし、それに対する私のできることは「とりあえず今晩の夜勤をやれるだけやってみる」ということでしかありません。そして、そのうえでちゃんと職場全体の上長に相談すべきだと思いました。相談するためのメールの雛形ももう作ってありますし、あとは夜勤が終わったときの私の状態を確かめるだけです。
…というわけで、大事なのは「自己否定のスパイラルに入らない事」、「冷静に真摯にやれることをやるのに集中」、「どうしてそんなに気持ちが揺さぶられたのか細分化して、受け止めること」です。そして、何と言っても「事前に不安は小さくしておくこと」も重要だと思いました。私の場合、前日の段階でそもそも夜勤に対する不安が大きくあったので、それを整理していたのが功を奏しました。もし、この夜勤に対する不安を見過ごしていたら、おそらくこの上司の言葉によって揺さぶられた気持ちとの相乗効果で、マイナス思考のスパイラルに入り込み、会社を早退していたことでしょう。
そして、もし「適応障害」になる前の自分であれば、そんな非常に困惑した状態でありながらも、「逃げちゃダメだ!」と自分に言い聞かせ、精神的にボロボロの状態で夜勤に臨んでいたことと思います。そんなことを続けていれば、いずれ「適応障害」になるということもわからずに…
さらに後日になって見ると、上司の性格や考え方も踏まえると、上司的には「責任感を持って仕事をして欲しい」という教育をやりたかっただけなんだとより冷静に理解することができます。「だから、適応障害っていう病気のせいで責任感を持って働きたくても、体調がついて来ない時があるんですってば」という私の言い分があまり理解できていないところが玉に瑕なんですが、まぁ、迷惑をかけているのは圧倒的に私の方なので仕方がないですよね。そこはもう本当に少しずつ理解してもらうしかありません。
お互いに歩み寄る。一見、対立してしまいそうに思える場面でも、冷静さを失わず、自暴自棄にもならず、落ち着いて歩み寄る。まぁ、無理をしてまで歩み寄る必要は無いですし、大抵の場合はいつも私の方が歩み寄り過ぎて結果的に自分を痛めつけがちなので、注意は必要ですけれど。
そんなことを学んだ1日でした。
5.夜勤がヤバ過ぎる
水曜日の夜に夜勤をやったわけですが、夜勤前の仮眠時間には一睡もできず、木曜は朝帰宅してそのまま夕方までほぼ寝通し。翌日金曜日は朝から軽い眩暈があり、午後は半休で早退させていただきました。そして、その疲れが日曜日のお昼現在でもまだ残っています。
私が毎日のルーティンやら何やらで少しずつ積み上げ、どうにかしてバランスを取りながら続けてきた復職生活が一気に吹き飛ばされた感じです。もはや「夜勤」=「キングボンビー@桃鉄」みたいな感じですね。
これで来週もまた夜勤があるのですが、いったいどうなってしまうのでしょう。
まぁ、今回は復職後初夜勤ということでもあったので、次回はもう少し慣れていればいいんですが…これもまたもう一度試してみるしかありませんね。そして、もし著しく体調を崩すようであれば、またお休みをいただきましょう。それしかありません。
ちなみに、夜勤をやっている最中は緊張・興奮をしているのでそこまでしんどくはなかったです。もちろん、結構な疲労感は感じていたのですが、それでも何とか無事に寮まで帰ることができました。
しかし、ヤバかったのは水曜に夜勤をやって、そのうえで金曜日に出社した時です。いつもなら体調が悪い時の夕方くらいにやってくる眩暈が朝からありました。それでも大事な予定があったので何とか出社したものの、午後でそれが限界に来ます。お昼ご飯に持っていったおにぎり1個も吐気のせいで食べることができませんでした。帰りは駅の階段を登るのもしんどく、ふらふらして何度も立ち止まりながら…という感じでした。そして、昼の太陽の光がキツ過ぎる。ほぼ目を閉じた状態で、腕で目元を隠し、音も辛いのでイヤホンで耳を塞ぎます。寮についてからも、部屋の電気すら刺激が強く感じられ、真っ暗な部屋の中で布団に潜り込みました。でも、なかなか眠れない。何とか夕方前に1時間弱眠れたものの、苦しくて何もできません。
Twitterでも思わず呟いてしまいましたが、とても悔しかったです。たった1回の夜勤でこんなことになってしまい、大敗を喫したわけです。積み上げてきたものがあっさりと覆された虚しさもありました。自分の弱さが嫌になりますね。
この夜勤問題はこれからも続くと思われるので、上手く体調と相談しながら、人生ベースで色々と考えていきたいと思います。
6.増薬~クロチアゼパム錠~
今回の診察で日常の頭痛等を軽減するために「クロチアゼパム錠 5mg」を処方していただきました。簡単に調べたところによると、現在私が服薬している「ロフラゼプ酸エチル錠 1mg」と同じくベンゾジアゼピン系のお薬のようです。
お医者様の説明では、ロフラゼプ酸エチル錠のものよりも即効性が高く、その分だけ効果が切れるのも早いものだということです。なので、頭痛が出始めたタイミングなどで頓服するお薬というわけですね。
ちなみにベンゾジアゼピン系のお薬とは、自律神経で言うところの興奮を司る「交感神経」の機能を抑制するお薬と私は認識しております。お医者様の所見によれば、もともとの私の適応障害発症の経緯が緊張・興奮状態の常時化にあったため、そういった状態を回避するための投薬ということになっています。また、現在の私の慢性的な頭痛も職場等で感じるストレスが原因となり、交感神経が昂ることによると考えられています。なので、興奮しやすい交感神経を抑制することは頭痛等の症状を緩和することに繋がるのではないかという推測に基づく処置となっています。
私自身、今週の夜勤の後などは太陽の光さえ辛いほどの神経過敏に悩まされているので、交感神経側に偏りがちな傾向があることは確かだと思います。したがって、今回処方していただいたお薬についても、まぁ、納得のいくことではあります。
しかしながら、本日(日曜日)のお昼に試しにクロチアゼパム錠を服用してみたところ、眠気や頭痛、手足の痺れ、光等の刺激に対する弱体化などの副作用が現れました。ちなみに今日は体の怠さがあったものの、頭痛はそこまで酷くはなく、むしろお薬を飲んでから頭痛等の症状が強く出たような感覚があります。
そこで、遅ればせながら頭痛が起こるメカニズムについて調べてみました。そもそも頭痛を緩和させるために処方してもらった薬の副作用項目に「頭痛」とあること自体、なんか矛盾がありますしね。
上記の記事を参考にすると、どうやら「頭痛」には「緊張性頭痛」と「片頭痛」の2種類があるそうです。そして、そのメカニズムを見てみると、これまでの私の認識が間違っていそうなお話が…
上記記事を参考にするのであれば、
◆交感神経の活発化(緊張、興奮)⇒血管の収縮⇒緊張性頭痛
◆副交感神経の活発化(リラックス)⇒血管の拡張⇒片頭痛
ということらしいのです。交感神経、副交感神経のどちらの偏りによっても頭痛というものは生じるようです。そして、主に私が感じていた「吐気」や「光などを苦痛に感じる」というのは、上記記事によれば副交感神経優位のときに起きる症状のようです。私はてっきり交感神経が昂り、刺激に身構えるような状態に傾き過ぎて、吐き気を感じたり光等の刺激が苦痛に感じられたりしていると思っていたのですが、もしかしたら認識が逆だったのかもしれません。
そこで、自律神経と体の状態を再度調査。
私の場合、特に気になったのは「便の状態」です。
このところ良く下痢をするようになりました。が、これはどちらかと言えば「副交感神経優位」になるときの症状のようです。てっきり交感神経優位になることにより、緊張でお腹を下すような状態かと思っていたのですが、もしかしたら交感神経優位からの揺り戻しで副交感神経が優位になり、下痢の症状が出ていたのかもしれません。
そう考えると、もしかしたら私はある程度のところまで回復して来てはいるものの、ベンゾジアゼピン系のお薬で無理やり交感神経の昂りを抑制しているがために、「光等の刺激に弱くなる」、「下痢になる」等の副交感神経優位時に見られる症状が出ていたのかもしれません。
しかしながら、そう安易に結論に飛びついてはいけません。
今一度ストレスと自律神経の関係性について確認しておきます。
やはりストレスがもたらすのは、交感神経の昂りのようです。ちなみに時々私も感じていた聴覚過敏のような症状についても調べてみました。
こちらでもやはり、交感神経の昂りによって聴覚過敏の症状が強く出るようです。
つまり、これまでの私の認識は大まかには間違っておらず、やはり会社等の外で受ける刺激がストレスとなり、それによって交感神経が刺激され、過剰に昂ってしまうというのが現状の私の体に起こっている症状と言えそうです。
なので、夜勤後の金曜日の体調、そして本日日曜日のクロチアゼパム錠服薬後の症状を例外的なパターンとして捉える必要がありそうです。
夜勤後の金曜日の症状はあまり詳しく覚えていないものの、明らかな倦怠感が伴っており、眩暈などの症状も相まっていることもあり、何というか体に力が入らない感じでした。わかりやすく「調子が上がらない」という感じですね。
これはどちらかと言えば、交感神経が活発化していない状態に近かったのかもしれません。階段を登るのが辛かったのは、交感神経が弱っていて、運動機能が弱体化していたからと考えることができるでしょうし、光に弱くなるという状態も前述のリンク先の情報を信用すれば副交感神経優位時に感じる症状ということです(この情報についてはどうも私の中で腑に落ちていないので、より詳細に調査する必要がありそうです)。
そして、本日日曜日のクロチアゼパム錠服用後の症状は明らかに薬の副作用が顕著化したものだと考えられます。すなわち、交感神経が抑制され過ぎているということです。
いずれもリラックスするための副交感神経の不調というよりは、興奮や緊張感を司る交感神経の不調ということに原因がありそうな症状でした。
このことから仮説を立てると…
私の基本的な頭痛の原因は職場におけるストレスが原因で交感神経が昂り過ぎることが原因。それは仕事が無い休日には目に見えて頭痛の症状が緩和されるため、ストレス性の頭痛=交感神経の昂り、ということで間違いがないはず。交感神経が昂ることによって、血管の収縮が起こり、それが頭痛を引き起こしているということですね。
しかしながら、私が退社するころに感じる「吐気」などはどちらかと言うと、副交感神経優位時のときに感じる症状のようです。したがって、1日のサイクルで考えると、まず交感神経が昂りやすいというのが今の私にはあります。しかしながら、私の交感神経は未だ調子が戻らず、疲れやすいのかもしれません。しかも、そこにはベンゾジアゼピン系のお薬で抑制をかけているという現状もあります。したがって、夕方の退社時刻頃になって来ると、急激に交感神経の機能が低下していって、それにより副交感神経優位の状態が急激に訪れ、吐気や眩暈を伴う頭痛となってしまうのかもしれません。
つまり、私は交感神経過多による「緊張性頭痛」と副交感神経過多による「片頭痛」とを行ったり来たりしている状態なのかもしれません。つまるところ、交感神経も副交感神経も正常に機能していないまさに自律神経失調症の状態にあるということでしょう。
思い返してみれば、帰り道で速足気味になっているとき(=交感神経過多)はあまり吐気や眩暈を感じたことは無いように思います。逆に、帰り道で強い倦怠感を感じているときは吐気や眩暈を感じることが多いです。いずれも原因は職場で蓄積したストレスであることには違いがありませんが、症状の出方としては「交感神経過多」と「副交感神経過多」で真逆の状態だったのかもしれません。
そのような仮説において私ができることは何でしょうか。
1つ目としては、交感神経を適宜休ませてやることです。つまり、これまで私が実践してきたように、休憩を適宜取り、交感神経から副交感神経に選手交代することで、疲労の蓄積を防ぐという方法ですね。これについてはちょっとずつ上手になって来ているように思います。
そして2つ目としては、ストレスをできる限り低減させるということになるでしょう。受けるストレスを軽減することができれば、それに伴い交感神経がむやみやたらに活性化させられることは少なくなり、結果的に交感神経の異常な昂りも防げますし、その後に訪れる急な機能不全も防げるのではないかと考えられます。
しかし、この2つ目は働いている以上、周囲の協力なくしては達成が難しいと思われます。現にお医者様も会社側から配慮してもらうしかないというようなことを仰っていました。「もう体質なので、それを踏まえて環境の調整をする以外にはないんですけどね」と言われたのは、何と言うか真理であるかもしれませんが身も蓋もないのでちょっとショックでしたが(笑)。
というわけで、次の章では「ストレスって何?」ということをちょっと考えたいと思います。
7.ストレスって何?
ストレス耐性が高い人、弱い人がいるというのは良く聞きますが、何が違うのかというと、巷では「完璧主義的な人ほどストレス耐性が弱くなる」ということが言われています。つまり、ストレスとは自分の中の「こうあるべき」というのが達成されないときに、想定と結果の間にある溝を感じたときに受けるものだそうです。
私がこの世の中で最も苛立ちを覚える現象は「イヤホンコードが何かに引っかかって取れてしまう」という現象です。だったら無線イヤホンを使いなよ、と言われるのは重々承知しておりますが、私は今の有線イヤホンが気に入っているので、無線イヤホンの仕様はちょっと先送りさせてもらおうと思います。と、そんなことはどうでも良くてですね。私が言いたいのはつまり、「前に進みたい」という私の中の計画が、イヤホンが引っかかることによって阻害されることに非常に苛立ちを感じるということなのです。しかも、音楽という時間的な連続性が重要な娯楽において、それがぷっつりと途切れさせられるのが非常に腹立たしいです。つまり、この「イヤホンコードが引っかかる」という現象は、単純に自分の「前に進みたい」という計画の崩壊とともに、「音楽の良いところでそれが途切れる」という流れを断ち切られるため、私にとってはかなりストレスフルな現象であるということです。
働いていれば自分の想定外の事がたくさん起きます。
今日はあれとこれを片付けよう。そんなことを考えていると、その計画をぶち壊すような急な仕事が入ってきたりします。そういうのが1つひとつストレスになるわけです。新しい仕事をやるときなんかは、知らない事ばかりでなかなか思うように仕事が進みません。これもストレス。本当なら人の手を煩わせずに自分でさらっと問題を解決したいところ、相手の時間を奪って人に助けを求めなければいけないこともストレス。見渡す限りストレスばかりです。
そういったストレスを軽減するためには、計画はぶち壊れるものだと予想しておくことであったり、わからなければすぐに人に聞いていいのだと思うことであったり、そういった自分の中の「こうでなくてはならない」をより減らして、柔軟な自分を作り上げることです。こういうのはそれこそ体の柔軟と一緒で、日々のストレッチの積み重ねが大事です。なので、日々思考の柔軟性を向上させるための訓練を行う必要があるでしょう。それがストレス軽減の1番の方法です。
というようなことはどこにでも書いてあることですが、今一度実践していかなければいけないのだと思います。ちなみに私は「他人に迷惑をかける」ということを率先してやるように頑張っています。発病前と比べて「ちょっとお時間良いですか?」という言葉を発する機会が多分5倍以上に増えているような気がします。
そして、今勉強しているのはそれら自己啓発的な仕事術の改善だけでなく、医療的な観点からの「背外側前頭前野」の機能向上です。私が適応障害を発病したときに、「これはうつ病だ!早く診察して欲しい!」と思い、真っ先に駆け込んだところがTMS治療を行っている病院でした。
TMS治療とは、うつ病の原因が前頭前野という脳の判断を司る部分の機能不全であるとして、磁気を使った脳の活性化治療によってうつ病を克服しようという考え方に則った治療法です。前頭前野とは様々な刺激をさばいて、適切に処理を行うための機能を司っているところらしく、そこが不調を起こしているために、あらゆる刺激をそのまま受け止めてしまい、結果的に交感神経がいたずらに刺激されてしまうという考え方ですね。
なので、前頭前野が刺激のフィルターとしての機能をもう少し上手に行えるようになれば、それに応じて不要なストレスを抱えることも減るのではないかと考えています。各章はありませんが、聴覚過敏や視覚過敏の症状の原因はこういったところにあるのではないかという気もしています。私自身、やはり適応障害になってから、騒音や光等の刺激がやけに気になったりという自覚もあるので、その辺りの機能を回復させることができれば、だいぶ発病前に近い体調に戻れるのではないかと考えています。
ただ、この背外側前頭前野の機能を回復させる方法は今のところ私にはよくわかっていません。最初に診察してもらったTMS診療のお医者さんは「脳トレをしたからって機能が回復するわけじゃありませんしね」とあくまでTMS治療を受けさせようとしてきました。私が訪れたところはあまりにもセールストークが過ぎたのでそこはお断りしたのですが、もしその言葉が本当だとすれば、自力による回復は難しいのかもしれません。しかしながら、認知症等の治療・リハビリでは前頭前野の機能回復のために、計算や音読といったトレーニングが有用であるという情報もあります。
そんなわけで、歌を歌ったり、好きな本を音読してみたり、そういったことを生活の娯楽の中により積極的に取り入れていきたいと今は考えています。
そして、もう1つ見直した方が良いかな、ということがあります。それは生活のルーティンです。ルーティンを組んだり、規則正しい生活を送ることは、自律神経を整える上で非常に重要であることは変わりません。しかしながら、ルーティンや規則というのはある意味では「こうあるべき」ということの最たるものです。ルーティンや規則正しい生活が「こうでなくては」という強迫観念になってしまうと、そこから外れたときのストレスがかなり大きくなってしまいます。なので、ルーティンはルーティンとして上手く活用しつつも、それに捉われ過ぎないように気を付ける必要があるなとも思いました。
その辺のバランスは非常に難しいと思いますが、これもまた上手く自分自身を実験体として活用しながら、何が今の私や今の生活に最も効果的かということを模索していきたいと思います。
最後に…
今回は非常に長い記事となってしまいました。
朝から書き始め、昼食後にクロチアゼパムを服薬したことで午後は基本寝通しだったわけですが、夕方からまた書き始め、気がついたらもう2万字に達しようとしています。
ちょっと熱中し過ぎましたかね。
でも、今週は本当に色々と思うところがあったので、これくらい書かないと私の場合、色々と吐き出しきれないのですよ。「千と千尋の神隠し」で言うところの、カオナシが苦団子を食べて、悪いものを吐き出すというシーンはまさに今の私を表しているとも言えます。
せっかくの休日も何だかあまりリフレッシュできずに終わってしまいましたが、明日からまた1週間しっかりと生きていけますように。
何度でも書きますが、「ダメになってしまうなら、それでいいじゃないかと笑う」という言葉をまた自分に言い聞かせたいと思います。
次回