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Juice=Juice「微炭酸」レビュー ~本当に美しく儚い初恋なの?~

Juice=Juice 11thシングル「微炭酸」のレビューをしたいと思います。

 

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「微炭酸」のMVがYouTubeで公開されてから、かなりの日数が経ってしまいました。仕事が忙しく、そのうえ風邪までこじらせてしまって、ゆっくりと腰を据えて書く時間が取れずこの結果です。まだ若干風邪の症状がありますが、寝込んでいる間に「ポツリと」と「Good bye & Good luck!」のMVまでアップロードされてしまい、それどころか昨日はつばきファクトリーの「三回目のデート神話」まで。sora tob sakanaの「knock! knock!」もアップされましたし、寝込んでいる間に購入した東京女子流のアルバム「Killing Me Softly」が思いのほか名盤だったり、OKAMOTO'Sの最新アルバム「BOY」の中で「偶然」が非常に良曲だったり、TK from 凛として時雨の「P.S. RED I」のTeaser Movieに心を奪われたり、とにかくほとんど「微炭酸」に書き進められない日々に焦りを感じながらこの1か月近くを過ごしました。

それでも、たとえかなりの時間がかかったとしても、この「微炭酸」のレビューは手を抜きたくなかった!

何故なら、Juice=Juiceの初の楽曲レビューになりますから。そりゃあ、熱が入るってもんでしょう! 実際的に39℃の熱があったわけではありますが。

と、冗談はこの程度にして、早速レビューに入りたいと思います。

 

さて、本楽曲の世界観について簡単に説明すると、

「久しぶりに会った幼馴染に彼女が出来ていてショック!」という感じですね。先日、発売記念トークイベントにも参加させていただきましたが、宮本さんがだいたいこれと同じような説明をしていました。

そんな失恋ソングですが、Juice=Juice(以下、J=J)の楽曲としては珍しい舌触りの楽曲かなぁ、と個人的には感じています。

 

◇「つばきファクトリー感」と「モー娘。感」について

初めて聴いたときの間奏は「つばきファクトリーっぽいな」という感じです。楽曲のノリの良さや、清涼感のあるキャッチ―な感じが今のつばきファクトリーの路線に近いような気がしたのです。ただ、つばきファクトリー1stアルバムの「表面張力」や「可能性のコンチェルト」、「雪のプラネタリウム」などはもう少しビートが細かく、より現代的になりながら、かつアニソンっぽい取っつきやすさが強いですね。まぁ、つばきファクトリーの話はこれくらいにしておきましょう。

しかしながら、こうやってブログにしたためるにあたり、何度か聴いているうちに「あれ? モー娘。っぽさもないか?」という気になってきます。特に、リズムなどの低音域の乗り物がかなりEDMっぽく、特に「Oh my wish!」とめちゃくちゃ似ているな、と思いました。これについてはまた後で書きます。

本楽曲「微炭酸」の作曲・編曲家として起用されたのは、KOUGAさんという最近ハロプロ楽曲を手掛けるようになった方です。先述の「雪のプラネタリウム」を始め、「ハナモヨウ」や「青春まんまんなか」などのつばきファクトリーの楽曲を多く手掛けています。どうりで「つばきファクトリーっぽさがあるな」と。きちんとしたクラシックの土壌を持ちながらも、かつてはバンドをやっていたということらしく、かなりきっちりとキャッチ―な作曲・編曲をされる方だたなぁ、という印象です。ほかにもカントリーの「傘をさす先輩」やハロプロ研修生の「Rainbow」なども手掛けており、打ち込みの強い低音リズムの上に、ピアノ・シンセ・ギター等を駆使したキラキラした装飾を施したうえで、キャッチ―な歌メロで楽曲を引っ張っていくのが特徴と言える気がします。

今回の「微炭酸」もそのライン上にある楽曲ですが、ことリズムに関してはEDM要素を取り入れている感じが伺えますね。まずは、先述の通り、モーニング娘。'15の「Oh my wish!」を聴いてみてください。

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Aメロで比較してみると、「微炭酸」ととても似ている気がしませんか?

「ファン、ファン、ファン、ファン」というシンセの4つ打ちリズムが流れて、後半からバスドラムの4つ打ちも加わって来る感じがまさにそっくりです。そして、サビ前にEDMらしい倍々ビート(正式な名前を知りませんが、「ダッダッダッダッ、ダダダダダダダダ、ダダダダダダダダ…」と倍々でビートが細かくなっていくアレです)が使用され、テンションアップを煽るようなところとかもそっくりですね。ほかにもEDMの要素が沢山盛り込まれていますが、EDMにはあまり詳しくないので、これくらいにしておきます。が、しっかりとバックビートを聴いていれば、「あ、これもEDMっぽいじゃん」と色々と気づくところがあると思います。

このように様々なEDM要素が盛り込まれ、「Oh my wish!」との類似点が多く見受けられる「微炭酸」ですが、何も作曲者のKOUGAさんが「Oh my wish!」を参考に作ったとは言い切れないところがあります。つまり、それくらいEDMの基本要素を忠実に応用しているアレンジになるので、「今回はEDM要素をふんだんに取り入れてみよう!」と考えたのか、「Oh my wish! を参考にしよう!」と考えたのか、どちらなのかは断言ができないのです。

まとめますと、私が最初に感じた「つばきファクトリー感」は「打ち込みリズム」と「キャッチ―なメロ(キラキラも添えて)」が作曲・編曲者のKOUGAさんの特徴からだと思います。その上で、楽曲のコンセプトである「EDMの応用」というところが、「モー娘。感」を感じさせてくれたのでしょう。

さて、ここまで「つばきファクトリー」と「モーニング娘。」といった他のグループをもとに「微炭酸」を語って来ましたが、ここからはちゃんとJ=Jの持ち味について触れていきたいと思います。

 

◇J=Jらしさの発露

まずは歌詞の世界観がはっきりとしており、感情が込めやすいというところがJ=Jには重要になってきます。パフォーマーとして優秀なJ=Jのメンバーは、初期のように音楽スタイルがはっきりしている楽曲(例えば、「裸の…」や「ブラバタ」。最新アルバムなら「TOKYOグライダー」や「Fiesta」など)に対して、柔軟な表現で高いレベルを発揮することができます。もう一つのJ=Jの得意なスタイルは、歌詞の世界観がはっきりしている楽曲(「大人の事情」や「シンクロ。」、「禁断少女」など)に対して、中期以降徹底して磨いてきた深い歌詞解釈とその表現を活かすスタイルです。*「初期」や「中期」に関しては、私になりにJ=Jの歴史をまとめてみたブログを参考にしてみてください。

今回の楽曲は、「EDMにアニソン的キャッチ―さの応用」という明確なコンセプトがありながらも、それ以上に歌詞の世界観のわかりやすさがあります。これはブログ冒頭で、「久しぶりに会った幼馴染に彼女が出来ていてショック!」とあっさりと書ききれてしまったことからもわかると思います。トークイベントでも宮本さんが楽曲の説明をするときに、まっ先にそのようなことを言っていたので、J=Jメンバーが共通認識を以ってこの楽曲の表現に取り組んでいたはずです。

つまり、まずはこの楽曲の世界観である「悲しさ」「切なさ」「悔しさ」等々を、J=Jメンバーが頑張って表現しているわけです。歌詞の解釈と並行して、J=Jの表現力や楽曲のポイントについて、これからまとめてみようと思います。

 

◇楽曲のポイント! 

久しぶりに会えるたびに 背が伸びてるのね
隣歩くその姿が 別の人みたい

「久しぶりに幼馴染に会う度に彼は背が伸びていて、隣を歩くその姿も…まるで毎回別の人と歩いているみたい」という歌詞ですね。はい、そのままです。が、とても素敵な世界観ですね。「別の人みたい」というところが好きです。

Aメロは佳林ちゃん(宮本佳林)のソロパートから始まります。とても細かいところですが「久しぶり"に↑"」と「会えるたび"に↓"」のどちらも"に"のところがポイントです。「しゃくり」と「フォール」を駆使して語尾をきちんと処理している辺りは、さすが佳林ちゃんと言いたいところですが、J=Jメンバー全員が「語尾の処理」をちゃんと意識できてるのが楽曲を通して伝わってきます。ディレクションも良いのでしょうが、きちんとやり遂げる技術があるのはJ=Jというグループの凄いところ。ちなみに、佳林ちゃんと言えば、80年代アイドル(特に松田聖子さん)大好きっ子ですから、めちゃくちゃ「しゃくり」が好きなんですよね。昔はやたらめったら「しゃくり」を多用している印象でしたが、楽曲の温度感に合わせて、その辺の「つまみ」を調整できるようになったのは偉いなぁ、と思います。

「隣歩"く"」「その姿"が"」「別の人みた"い"」のあーりー(植村あかり)パートは、若干のビブラートを用いて語尾を処理しています。こんなこともきちんとできるようになったんだなぁ、とデビュー当時から応援している私にとっては感慨深いところがあります。が、元々あーりーの歌ってこんな感じの声の「揺れ」が儚くて、昔は昔で好きだったんですよね。歌のレベルが格段に上がったことで「意識的な揺れ=ビブラート」なのか、「無意識的な揺れ」なのか判断できなくなりましたが、何となしにあーりーらしさを感じるところではあります。

話が前後して申し訳ないですが、今回の楽曲は4拍子で、

「イントロ⇒Aメロ1⇒Bメロ2⇒サビ1⇒間奏1⇒Aメロ2⇒Bメロ2⇒サビ2⇒間奏2⇒Cメロ⇒落ちサビ⇒ラスサビ⇒アウトロ」

というシンプルな楽曲構成にはなっています。Cメロがあるのがハロプロらしくない、と昔だったら言われたのでしょうが、つんく♂さんがCメロを用いることが少なかっただけで、近年の様々な作曲家を採用する傾向になってからはCメロも様々な楽曲で登場してきます。つんく♂さんのストイックな楽曲構成も好きですが、Cメロがあると楽曲の華やかさが格段に上がりますよね。J=Jにとっては1曲の中でより多くの表現の側面を見せられるので、Cメロがあった方が映えると個人的には思っています。2ndシングルの「イジワルしないで抱きしめてよ」でもつんく♂さん楽曲でありながらCメロが採用されてますし、最近では2ndアルバム収録曲の「禁断少女」のCメロが秀逸でしたね。

楽曲構成の話で言えば、上記のようなシンプルな構成にもかかわらず、ちょっとした工夫がされているところもあります。

例えば、小節は8の倍数区切りが基本です。今回みたいに4拍子なら、4拍で1小節として、8小節(32拍)ずつ楽曲が区切られるのが普通ですよね。イントロもその法則に則って16小節分(8小節×2の構成)あるのですが、Aメロに移る前に4小節分の「溜め」があります。実はこの「溜め」の4小節がかなり重要で、煌びやかなイントロから静かなAメロに繋げるための役割をきっちりと担っています。Aメロ頭の「久しぶりに」の「ひさし(3文字分)」が溜めの4小節にはみ出してくるので、イントロの最後と打ち消し合わないためにも、実は効果的な方法となっています。こういうところも含めて、KOUGAさんはかなりきっちりと楽曲を作られる方だな、と思います。

 

見透かされてしまいたくて 早起きしたのに
春色した爪の先を
袖に隠して心ブレーキかけたの

 「早起きして春色のネイルをしてみたの。『どうしたんだ、そんなお洒落して』と彼が言って、『まだわからないの? 君に会うからに決まってるじゃん』と私が答える。そんな展開を期待していたけれど、何だか少し恥ずかしくてネイルした爪の先を袖に隠してしまう」という感じの内容です。「見透かされてしまいたくて」という言葉遣いが良いですね。「見抜く」ではなく、「見透かす」。「見透かしてもらいたい」ではなく、「見透かされてしまいたい」。つばきファクトリー「今夜だけ浮かれたかった…」の「口を滑らすはずだった」という歌詞に近い、「ふんぎれない系女子」の感じがうまく表現されていますね。あるいは「都会っ子純情系女子」と言った方が伝わりやすかったでしょうか? 心の中を見抜いてほしい…×3。

「見透かされて~」からのまなかん(稲場愛香)のソロパートですが、カントリー時代よりも少しずつ声に芯が出来てきたような印象です。J=Jに入ると、基本的な発声方法から練習させられるようなので、この辺りはその成果が出てきたことを感じられるところかと。とは言え、先日「タイムリピート ~永遠に君を想う~」のDVDを購入して観たのですが、その時点でもかなり芯のはっきりした発声になっていましたね。人に対して当たりの強いルナ役を演じて、まなかんの中に新しい表現の引き出しが生まれたことも、大きな要因だと思います。

「春色した~」からのるーちゃん(段原瑠々)のソロパートも、これまでの「押し」の発声だけでなく、きちんと「引き」の発声を覚えた感じが素敵です。やっぱりJ=J、もといハロプロの良いところはこういう成長が見られるところですよね。メンバーが頑張って成長しているのを見ると、つい応援したくなってしまいます。特に、J=Jは割と目指すべきパフォーマンスというものが体系的に見えてきやすいので、「これができるようになったから、次はこれ」とこちらが期待する通りに成長してくれるのが、応援していて心地良いです。もちろん、独学で試行錯誤しながら、奔放な成長を見せる子も好きなんですが、得てして評価されやすい子というのは基本からきちんと積み上げている場合が多く、応援している身としてもできれば多くの人から良い評価をしてもらいたいじゃないですか。

と、まぁ、そんなJ=Jの成長株2人のソロパートが続いて、最後は「袖に隠して~」のあーりーとるーちゃんのユニゾンになります。J=Jの大型犬2人の素敵なユニゾンです。2人の無邪気さが好きなんです(このパートからは無邪気さなど微塵も感じませんが)。

さて、また小節の話をしますが、先ほども言った通り、基本は8小節区切りです。しかしながら、「ブレーキかけたの」のところで2小節はみ出した感じになっています。先ほどは説明し忘れましたが、こういう微妙な小節のずれが、楽曲に立体感をもたらしてくれています。ほんの少し予想とずれてくる部分、すなわち「違和感」があった方が人の心を惹きつけたりするもんなんですよね。Maison book girlDream Theater、the cabs等みたいに違和感が武器の人たちも個人的には好きなのですが、やり過ぎると一般受けしなくなるのも世の常でありまして…「違和感」をどれだけ違和感なく隠し味的に入れられるかが職業作曲家に求められるスキルと言えるわけです。そういう意味では、KOUGAさんのこの辺りの微妙な「違和感」の入れ具合は、本当にすごいなぁ、と思うところです。

 

「彼女ができた」 嬉しそうに頬赤らめる君
なにも言えずに お揃いの顔してやり過ごしてる

 「『彼女ができたんだ』と嬉しそうに頬を赤らめながら言う君。突然やってきた最悪の事態に私は言葉を失ってしまう。けれど、泣くこともできずに、君の恥ずかしそうな笑顔を真似て、その場をやり過ごしてしまう」という感じです。「お揃いの顔して」という表現が良いですね。照れくさいときに零れるぎこちない笑顔。とてもショックな時に無理して作り上げる笑顔。傍から見たら、意外と似ているかもしれません。

このBメロは2人のユニゾンで繋がれていきます。「さゆき&やなみん」、「ゆかにゃ&かなとも(お姉さんズ、リーダー&サブリーダー)」、「かりんちゃん&あーりー(同い年コンビ)」、「まなかん&るーちゃん」とどこかカップリングを意識したようなパート分けになっています。全員に均等な実力があればこそ、こういった自由な組み合わせを楽しめるというのがJ=Jの強みですよね。でも、この2人のユニゾンが本当に凄い!どの瞬間を切り取っても、完全にJ=Jのユニゾンになっています! …そりゃ、全員J=Jなんだから当たり前でしょ。という感じですが、ソロパートで回すAメロは「完全に4,5人いるグループだな」と音を聴いているだけでもわかりますが、このカップリングユニゾンになった瞬間、正直「かりんちゃん&あーりー」以外のユニゾンパートが全て同じ声に聴こえてしまいませんか? それくらい親和性の高い声ということです。昔はよく「声質で選ばれたグループ」と言われていた気がしますが、これもまたJ=Jというグループの持つ個性ですよね。

さて、最後にまた拍子の話ですが、Bメロでは、Aメロではみ出した2小節をパズル的に受けるような感じで2拍半の溜めが冒頭にあります。「~ブレーキかーけたーの・・っ彼女がでーきたー♪」とAメロ末尾からBメロ冒頭にかけてを、文字で無理矢理表現できますが、その辺りの拍や小節の差し引きの感じが見事ですね。そして、実はこのBメロは10小節分の長さになっています。イントロのところでも言いましたが、楽曲の基本は8小節区切りです。

「彼女ができた」 嬉しそうに頬赤らめる君(4小節)⇒なにも言えずに お揃いの顔してやり過(4小節)⇒ごしてる…微炭酸♪(2小節)

と、あえて2小節分長いBメロを設けることで、サビの「微炭酸♪」をBメロに食い込ませたような構成を実現しています。このように普通よりも2小節分たっぷりとBメロを設けることで、Bメロの「サビに向けた盛り上げ」という役目をきっちりと完遂しながら、さらにバックサウンドを極限まで削り、サビ頭の「微炭酸」を目立たせることができるわけですね。よく考えられています。

この楽曲を聴いて感じるのは、Aメロ・Bメロ・サビという流れがありながらも、その「継ぎ目」があんまり意識されない、ということです。それぞれのメロの頭やお尻が互いに出っ張ったり引っ込んだりしているおかげで、「継ぎ目」がよくわからなくなっているからでしょう。しかも、そのように頭とお尻のやり取りをするために、その場一度限りの特別なメロディラインが出てくるので、そこが楽曲に新鮮味をもたらして、聴き心地に立体感を生んでいます。この「微炭酸」という楽曲は、その辺りのきめ細かい計算と配慮が素晴らしいなと感じる楽曲です。

 

微炭酸しゅわしゅわ 誰にも気づかれない
小さな音で恋は弾ける
君だけに相当純情 手遅れの素直さに
今更泣いたってダメ

いきなりの「しゅわしゅわタイム」。これまでストイックに幼馴染への恋心を綴ってきたにもかかわらず、それを打ち消すような「しゅわしゅわ感」。でも、歌詞の内容としては「隠してきた私の小さな恋は、微炭酸の淡い気泡のように誰にも気づかれることなく弾け、消えていく。私の純粋な想いは君だけのものだった。そのことに今さら気づいたけど、君にはもう彼女ができてしまって手遅れ。今さら泣いたってダメ。もう遅いの」という感じでしょうか。そして、この歌詞で実はこれまでの歌詞の解釈がやや変わってきます。

「手遅れの素直さ」や「今更」という歌詞の表現からして、実はこの主人公の女の子は幼馴染に対しての恋心に無自覚だったことがわかります。自分の恋心に自覚的かそうでないかというのは割と重要な部分です。AメロやBメロの歌詞をきちんと読めば、主人公の女の子が幼馴染の男の子に恋心を抱いているのは一目瞭然なわけですが、実は恋心自体を明確に書いているところはないんですね。

という訳で、歌詞の解釈にここで若干の修正が入ります。

「会うたびに君はどんどん背が伸びて変わっていくね」

「なんか早起きしてネイルしちゃった。君は全然気づいてくれないけど、まぁ、いいよ。別に好きでもなんでもないんだし(そう自分に言い聞かせて心にブレーキをかける)」

「へー彼女できたんだ…(呆然…としてもいられないので、とりあえずぎこちない笑顔を作ってみる)なんか、君の照れてる笑顔と似てるかも」

という感じのちょっとツンデレチックな乙女に変わりますね。この解釈になると、2回目のAメロの「見透かされてしまいたくて」という歌詞もよりしっくり来ます。自分の恋心に対して半分無自覚だからこそ、「それ、100%恋心じゃん」と「見透かされてしまいたい」わけです。

さて、歌詞の解釈はこれくらいにして次に移りましょう。

サビの注目ポイントは何と言っても「しゅーわぁっ♪ しゅーわぁっ♪」のところですよね! 「わぁっ♪」のところがたまりません! この「わぁっ♪」のニュアンスはJ=Jらしさと言うこともできますが、より正確に言えば「佳林ちゃんらしさ」です。このアイドルらしさ全開のニュアンスは佳林ちゃんのいるJ=Jだからこそできるもの(やろうと思えばみんなできるんでしょうが、ここまで徹底してやるのはきっと佳林ちゃんだけ)。辛うじてカントリーのメンバーがやりそうでもありますが、カントリーのメンバーがやるアイドルらしさとは意味が違う気がするんです。この感覚わかりますかね? 「表現」と「ユーモア」の違いなんです。その2つの境界線は非常に曖昧ですが、辿り着くところが一緒だとしても出発点の差異は意味を変えます。最初から金持ちだった金持ちの話と、貧乏から成りあがった金持ちの話が全く違うように。

このサビはユニゾン⇒ソロ(佳林ちゃん)⇒ユニゾン⇒ソロ(まなかん)という流れで構成されています。最初の「しゅーわぁっ♪ しゅーわぁっ♪」のユニゾンでは、アイデンティティの骨格たる佳林ちゃんをはじめ、ゆかにゃとまなかんのあざとさも良い感じでプラスαされている気がしますね。

佳林ちゃんソロパートは一文字一文字が愛おしい感じですが、「ちーい"ぃ↑"っさーなおっとっで"ぇ~"」の、"ぃ↑"のしゃくり、"ぇ~"のウィスパーボイスチックなビブラートが至高です。「おっとっでぇ」の段々と力が抜けてくる感じとかも素敵です。「こーいっ"わぁ↓""でぃ"っけぇるぅ~」の"わぁ↓"の若干のフォールだったり、「じ」の発音がちょっと"でぃ"っぽいところとか、色々と上げたらきりがないですので、この辺でやめておきます。

まなかんのソロパートでは、やっぱりまなかんの"i"の音の強め響きと、最後の「だめ~」の"e"の音の甘さが特徴的です。「だめ~」の方は、歌詞の意味とは違う意味で「ダメ」になってしまいそうですよね。本当に蕩けるように甘いです。まなかん、蕩れ。そして、「ダンスの上手い子は歌のリズムも良い説」も健在のリズムの良さ。特に、「"っい"ーまっ"SSa"ら」の"っい"の溜め、"SSa=さ"の音の切れ味の鋭さが歌にリズムをもたらしています。

と、そんなこんなでようやく1番が終わりましたね。2番に移ります。

 

友達なら隠し事はしないでいようね
まだ子どもでいられた日の 約束が憎い

 ここの歌詞、すごくないですか?

「幼い頃に、『友達だから隠し事はなしだよ』と約束した。あのときはまだ子どもで、恋愛とかそういうんじゃなくて、もっと友達みたいな感じだったけど、君と一緒にいれてとても幸せだった」というような内容の歌詞ですが、もう少し深い意味が隠されています。というのも、無自覚ではありながらも異性として意識してしまった時点で、もう友達には戻れないわけです。つまり「友達だから隠し事はなし」が約束であり、その「友達だから」という条件が破棄されてしまった。したがって、「彼の隠し事(=彼女ができた)」を責めることはもうできなくなり、むしろ彼が隠し事=彼女を作ってしまったのは、主人公の女の子自身のせいとも言えてしまう訳ですね。「私が彼を好きになった罰として、彼は隠し事をしてしまった。つまり、彼女を作ってしまった」と無理やり行間を読んでやれば、別の解釈も生まれます。

この辺りでは、相変わらず佳林ちゃんの語尾のフォールや、かなとものウィスパーボイス的な妖艶な歌声など楽しめるところも多いですが、るーちゃんの「やぁくぅ"そぉーくが"にっくい」の曖昧なファルセットに軍配を上げましょう。真綿で首を絞めるような、柔らかく切ない歌声が素敵でした。ここもまた、成長したるーちゃんの引きの発声ですね。まぁ、昔からこの手の発声は得意だった気もしますが。

 

信号待ち 君が不意に 冗談飛ばすけど
手を叩いて 笑えなくて
ねえ こんな私をつまらなく思うでしょ?

 ここの歌詞の解釈は特に不要ですね。相も変わらず、「幼馴染の彼に彼女ができたことがショックでうまく笑えない。そんな私に自己嫌悪」という内容です。

「君が不意に」という"i"の音が多いパートですが、あーりーのリズムに合わせた抑揚のつけ方が素晴らしいポイントです。

さゆきの「とばぁっすけど」の本当に何かを飛ばしているような表現も、"ぁっす"の辺りの投げやりな感じが確かなテクニックに裏打ちされたものになっています(何というか、J=Jって時々文脈レベルではなく、単語レベルで歌の表現に繋げようとするときがありますよね(笑)。単語レベルでパートを回しているので、そこで表現に差をつけなければいけない以上仕方ないですが、こういうところが少し苦手でありながら、それでいて堪らなく愛しいところです。佳林ちゃんやさゆきに見られがちなこの傾向ですが、この「飛ばすけど」でもそういった単語レベルの表現力が発揮されて、「何か飛ばしてる感」が演出されており、愛おしい気持ちになります)。

そして、後半の「ねぇ、こんな私を(ゆかにゃ)」⇒「つまらなく思うでしょ?(やなみん)」の継ぎ目のわからないバトンパスも素晴らしいポイント。2人って低音の声質が似ているんだなぁ、と実感です。

 

「ひとくち飲めよ」 無邪気な顔で差し出すサイダー
気の抜けた味 当たらず障らずの私責めるみたい 

 ここの歌詞は上手いのかそうでないのか、ちょっと微妙なところですね、正直(笑)。「無邪気な顔して『ひとくち飲めよ』って言うけど、これ間接キスじゃん。全然意識されてないじゃん、私。なんていうか気が抜けちゃうわ、サイダーだけに(笑)。これは当たらず障らずな態度でお茶を濁している私に対する何かの罰なの?(笑)」という内容です。主人公の女の子の絶妙なユーモアのセンスを感じます。急な「しゅーわぁっ♪ しゅーわぁっ♪」もそうでしたが、ずっと真面目に世界観を描いてきた作詞家の山崎あおいさん自身が自分の真面目さに飽きて来て、こういったユーモアを入れ込んだんでしょうかね。俄然山崎あおいさんという方に興味が湧いてきたので、ちょっくら調べてみました。

 

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サムネにもなっていますが、「カレシ、遠洋漁業の人が良い。サバサバが私に丁度いい」という歌詞で、曲名は「鯖鯖」ですからね。元々、そういうユーモアを入れ込みたい派の人なんでしょう。J=Jにも「Ça va ? Ça va ?」という曲がありますし、サバサバ繋がりということで、何となく好感を持ってしまいます。

歌に関しては、「無邪気な顔で差し出すサイダー」のところがるーちゃんとやなみんのユニゾンなんですが、もうすっかりとJ=Jらしいユニゾンになっているのが、何とも感慨深いです。

そして、ようやくやって参りました。かなとものソロパート。やっぱりJ=Jにはかなともの歌声が無いと! かなともは確かに美人ですし、得も言われぬ色気もあります。つまり、ビジュアルとしての強みも持っている訳です。しかし、何といってもその艶めかしい歌声がJ=Jにとっては宝物です。ハロプロカラオケコンテストから勝ち上がり、それからJ=Jとしてデビューしちゃうくらいです。Wikipediaで調べ直したところ、2012年の8月にそのカラオケコンテストがあって、2013年2月にはJ=Jメンバーに抜擢ですから、かなりのシンデレラストーリー。でも、これに関しては全く異論はないですね。彼女の特徴的な歌声を聴いたつんく♂さんもきっと、彼女を新しいグループでデビューさせることは即決したに違いありません。そんなかなともは初期の頃は、レコーディングであまりそのクセを出せずにいましたが、もうこの「微炭酸」では存分に自分の持ち味を発揮していますね。「せ"めぇー↑"るみたい」の"めぇー↑"のところがもうかなとも節炸裂という感じです。骨太の発声としゃくり。まろ、こと福田花音さんが確実に真似したくなるポイントだと思います。

 

微炭酸しゅわしゅわ
きづいたあの日から 弾け切れない 私が嫌い
故意に君の手そっと 触れたりができたなら…想像だけじゃもうダメ

さて、このサビもまた、微炭酸の気泡と淡く切ない恋心をかけた歌詞になっています。とは言え、「弾け切れない」はちょっと無理があるかな、と(笑)。もはや「炭酸⇒泡⇒弾ける」という読み換えがあった上の「弾け切れない」ですからね。「微炭酸⇒弾け切れない」という直接の変換はもうできません。「いや、関係なくなっちゃったよ。結構序盤で微炭酸の話関係なくなっちゃったよ」という感じです。しかしながら、「この切なさが彼に対する恋心なんだと気付いたあの日から、屈託なく笑うこともできなくなってしまって、余計彼には嫌われそう。そんな私が嫌い」という恋する乙女まっしぐらの歌詞。そして、「偶然を装って、君の手にそっと触れたりすることができたら…あぁ、もうそんなこと想像してるだけじゃダメ…」というちょっと色っぽい感じまで出て来てしまうこの歌詞。主人公の女の子は、どんどんと恋の泥沼にはまっていってしまうわけです。徐々に失われていく自制心。いったいこれから彼女はどうなってしまうのでしょう?

そして、この2番のサビではJ=Jの美しいユニゾンが堪能できます。ユニゾンになると個性というものについて語るのが難しくなってしまいます。これは魅力が減ってしまうということではなく、単に私の文章表現力の問題です。J=Jのユニゾンの魅力をどう言葉で伝えて良いか私にはわからないので、ここは大人しく、「実はハモりが豪華なんだよ!」ということだけお伝えして終わろうと思います。

 

予告もなしに訪れた 青い季節への自覚が
きっと君より少し遅かっただけで

 青い季節は当然「青春」と読み換えられます。そして、青春というものはたいてい「予告もなしに訪れる」もの。この辺は別にあえて説明し直す必要はなかったと思いますが、大事なのは「自覚」というキーワード。これまでも、主人公の女の子の、自らの恋心に対する自覚の有無について話してきましたが、このCメロの歌詞で彼女が「自らの恋心に対して無自覚であったこと」の裏付けが取れます。そして、無自覚であったことを彼女は自覚し、「少し遅かっただけでどうしてこんなことに…」と後悔をするわけです。そんな歌詞の内容。

しかしながら、この歌詞の面白さはちょっと別のところにある気もします。

注目していただきたいのは、「君よりも少し遅かっただけで」というところの「君よりも」です。幼馴染の男の子は主人公の女の子ではない子のことが好きになり、その恋心に順じてその子と交際に至ります。主人公の女の子よりも、恋愛に対してわずかに早熟であった幼馴染の男の子。そんな事実を受け止めきれず、主人公の女の子は「もし私がもう少し…せめて君よりも早く自分の恋心に自覚的であったなら」と悔いているわけですが、じゃあここで私は問い正したい。「もし、君よりも少し早く自分の恋心に気付いていたらどうなっていたのか」と。

主人公の女の子が仮にもう少し早く自分の恋心を自覚したところで、その幼馴染の男の子が好きなのは既に別の女の子だったわけで。もし、彼が別の子と付き合う前に、主人公の女の子が告白していたとして果たしてうまくいったのでしょうか。「私が言いよれば彼は絶対に拒否しない」という自信があったのか。それとも、「私が振り向いてくれないから、彼は仕方なく別の子に走った」という考えがあるのか。いずれにせよ、自分の失恋を「ただほんのちょっとタイミングが遅れてしまったせい」と考えている主人公の女の子の図々しさに、彼女の幼さを感じずにはいられません。そして、そこまで考え方が幼いとすると、主人公の女の子は本当に彼のことが好きだったのかも疑いたくなってきます。「ただ単に、自分の所有物だったものを見ず知らずの人に取られたみたいで、それに嫉妬してるだけじゃないの?」と思ってしまいますし、それどころか「私がカレシ作るよりも早くカノジョなんて作っちゃって、なんか生意気」という理不尽なへその曲げ方をしているのではないかとも勘繰ってしまいます。

こういうのはちょっとした男女差別になってしまうかもしれませんが、もしこの楽曲の作詞家が男性だったら、私もこんな勘繰りはしません。男というのは得てして女性の儚さを信仰したい生き物ですし、女の意地汚さをある場面では卑劣にあげつらったりもしますが、少なくとも淡い初恋をテーマにそんなことは書かないと思うんです。私だって男ですから、仮に自分が幼気な女子の初恋について描くとしたらそんなことは書きたくありません。しかしながら、この楽曲の作詞家は女性で、しかも「鯖鯖」という楽曲を描くような人です。もしかしたら、女子の高飛車な一面を裏テーマとして持っていても不思議ではありません。

つまり、このCメロで仄めかされているのは、「やれ私の純情は微炭酸みたいに弾けて消えてしまったみたいなことを言ってはいるけど、本当にそれは純情と呼べるのか。実は、自分のものだと思っていた幼馴染の彼が知らない女に取られて、それがなんか悔しいだけなんじゃないの。そういうのを認めたくないから、あれやこれやとやたら詩的な表現を使って、悲劇のヒロインを演じようとしてるんでしょ」という作者のメッセージです。なんて、まぁ、だいぶこじつけですけどね(笑)。

楽曲構成のCメロとしては既に述べた通り、楽曲の奥行を深めてくれたり、J=Jの表現力をより際立たせてくれたり、と効果的な役割を担ってくれています。また、全体的には短調気味の楽曲にあって、このCメロの長調な感じが心地よい違和感として、舌触りを変えてくれます。例えるなら、苦いコーヒーの合間に齧る小さなチョコレートみたいなものですね。それでありながら、後半の4小節は落ちサビに繋げるために短調に戻り、駆け上がるようなシンセのメロで山場を作ってくれています。実に効果的。

 

信号がちかちか
誰にも聞き取れない小さな声で
「好き」がこぼれた 

 ここの歌詞は秀逸ですね。というか、楽曲と本当に合っているように思います。詩先(作曲よりも作詞が先ということ)か、曲先(逆に作曲が先ということ)かまではわかりませんが、きちんと落ちサビの静かなところで「信号がちかちか」と印象的な描写を持ってきています。ところどころ差し込まれるMVの街中の風景も相まって、目の前には冬の都会の寒い夜の風景が広がってきますね。信号の点滅に照らされて、私ではない誰かのことを考えながら、にこやかな笑顔を浮かべている彼の横顔まで見えてきます。そんな信号の描写と、「誰にも~」からの描写が繋がることで、好きな男の子に振り向いてもらえず、心細い女の子の心情が読み取れます。「誰にも聞き取れない小さな声で」というのも、実に描写的でありながら、「誰も私の気持ちに気付いてくれない」という含みまで持たせている辺りは素晴らしいです。「私も含めて誰も私の気持ちに気付けなかった」と解釈するのは少しやり過ぎでしょうか。まぁ、その辺りの線引きは自由にしていただければと思います。それよりも、1番のサビの「誰にも気づかれない小さな音で恋は弾ける」とこの落ちサビの「誰にも聞き取れない小さな声で「好き」がこぼれた」の歌詞の親和性にこそ、感心すべきかもしれません。これについては次の最後のサビの所で書きます。

小さな声で(まなかん)⇒「好き」がこぼれた(佳林ちゃん)

の流れも完璧です。この楽曲の良いところは、制作陣がきちんと意図をもって作り込んでいるところだと思います。KOUGAさんの作曲にもEDMテイストを盛り込むという意図をきちんと感じますし、山崎あおいさんの歌詞も「幼馴染に対する失恋」というテーマがはっきりとしています。パート分けやMVといった売り込み方に関しても、完全にまなかんと佳林ちゃんの2人を軸にするということが徹底されているので、全体として非常に見やすくなっています。2人のファンでない人からしたら、ちょっと不満を感じるところもあるかもしれませんが、TR永遠君の舞台を成功させたご褒美と考えれば、まぁ納得もできましょう(舞台自体がご褒美ではないか、という正論は受け付けません)。

 

微炭酸しゅわしゅわ
誰にも気づかれない 小さな音で 恋は弾ける
君にだけ相当純情
手遅れの素直さに 今更泣いたってダメ
今更届いたってダメ

さて、最後のサビです。落ちサビのお尻に1小節ついて半音アップの転調が為され、一気に楽曲はラストスパートへ。

まずは歌詞の解釈ですが、ここは1番と同じ歌詞になっているので、詳しくは不要と思います。が、2番やCメロからの経緯を踏まえると若干違った意味になります。1番では幼馴染に対する淡い恋心の描写があり、この時点ではまだ自らの恋心に対して無自覚であるように書かれています。それが2番に入ると、だんだんとその恋心に対しても自覚的になり、意識してしまって上手く振る舞えない自分への嫌悪感や、抑えられなくなりつつある彼への想いが描かれます。Cメロでようやく自分の恋心を認め、手遅れになってしまったことを理解し、落ちサビでついに気持ちを抑えきれず「好き」と零してしまいます。

歌詞で使われている単語はラスト以外はすべて1番と同じですが、1番では幼馴染の彼が別の子と付き合ってしまったことを知らされての失恋(=恋は弾ける)でした。つまり、ここはどちらかと言えば自己完結的な失恋の想いとなっています。このままであれば、まだ彼とは幼馴染=友達のままでいられます。しかしながら、上記のように色々な経緯を踏まえ、「好き」と零してしまった最後のサビでは、想いも伝えた上での失恋(=恋は弾ける)になっています。もはや今までの関係に戻ることはできない、より実際的な失恋となります。まったく同じ文章を使用しているにもかかわらず、きちんと意味が変わってくる表現にできるのは、山崎あおいさんの文章力がかなり高いことを示しているでしょう。一番最後の「今更届いたってダメ」という部分があることで、「届いた」という事実確認ができ、その上で「ダメだった」ということまで明かされており、確実に1番とは異なる状況であることが丁寧に説明されています。「別にここまで説明されなくてもそれくらいわかるわ」とも思いますが、仮にこれが推理小説だとするならばきちんと種明かしは必要なわけでして。まぁ、この最後の一文があるからこそ、読者はすっきりと作品を読み終えられるわけです。

そして、この最後の一文があることで得られるメリットもあります。それは、このMVのラストで佳林ちゃんとまなかんが笑顔でピアス?を投げる場面を入れられるということです。つまり、「結局、どうなったの?」という段階ではここまで吹っ切れた演出を入れることはできないわけですが、「届いたけどダメだった」という一文がきちんと歌詞の中で明言されることで、「もう吹っ切るしかない」という演出を入れられるようになったわけですね。おかげで、微炭酸という曲名に相応しい爽やかなラストになりました(とは言え、Cメロのところで話したような「主人公の女の子が実はかなり高慢な人間性なのでは」という疑いは結局のところ確信までは辿り着けずにモヤモヤとしたまま終わってしまいました…)。

さて、最後に「るーちゃんのラストが最高だった」という一文を付け足してこれにてポイント解説は終わりになります。

 

◇佳林ちゃんの運動神経について

とりあえず、このブログを読んでください。

ハンドボール投げ★宮本佳林 | Juice=Juiceオフィシャルブログ Powered by Ameba

意外と運動音痴な佳林ちゃんが愛おしい…

そして、MVのラストのネックレス投げ(最初の投稿ではピアス投げと書いていました。Youtubeの方で指摘してくださった方、ありがとうございました!)。あぁ、きっと小さい頃から変わってないんだろうなぁ…愛おし過ぎます。

正直なところ、ここが1番書きたかったところでした。ほかは読み飛ばしてもらって構いません。だらだらとした文章をここまで読んでくださった方がいましたら、本当にありがとうございます。そして、すみませんでした。

 

最後に…

今回のブログは「どれだけの人に読んでもらえるか」という問題に関してはかなりの失敗だったと言わざるを得ません。MV公開から1か月弱が経ってしまい、これは私の日頃の不摂生と自堕落な資質が呼び寄せた必然ではあるわけですが、話題性という観点では完全にもうダメダメです。まさに「今更届いたってダメ」という感じですね(我ながら上手い!)。

しかしながら、内容的にはかなり満足のいくものが書けたと思います。例によって「もっと内容を整理すべきだった」という後悔はありますが、このレビューを書く中でかなり楽曲に対して深くのめり込めたので、やなみんのラストシングルの1曲をきちんと思い入れのあるものにできて非常に良かったです。

この1か月弱は本当に地獄で、風邪をこじらせてしまったことが最大の地獄でしたが、普段からもっと健康管理に気をつけた生活を送らなければならないなと痛感しました。そして、このブログも「いつでも書けるし」とか「週末にまとめて時間を取ろう」とかではなく、きちんと「タイムリーなものはタイムリーなうちに書き上げる」という気概を持たなければならないとも再認識しました。

結局、投稿が遅れに遅れ、やなみんのラストシングルにもかかわらず、こんな情けない結果になってしまって、本当に悔しいところです。せめてもの償いとして想いをたっぷりと込めましたが、投稿が遅れていることの償いで内容を詰め込もうとすればするほどまた投稿も遅れて、という負のスパイラルに入ってしまったのは、これもまた私の愚かなところですね。

精進します…