2020年7月18日(土)に大阪はオリックス劇場にて開催された、「ハロコン2020夏(Aチーム)」に参戦してきました。ライブの正式名称は、「Hello! Project 2020 Summer COVERS ~The Ballad~」ですね。今回のライブはコロナ対策として、総勢52名のハロプロメンバーを「Aチーム:17名」・「Bチーム:18名」・「Cチーム:17名」に分けて、それぞれがソロで往年の名曲バラードをカバーするという方式が取られました。私はそのうちの「Aチーム」の公演に参加してきたわけです。
3チームのうちAチームの公演を選んだ理由ですが、「松永里愛を生で見たい!」という非常にわかりやすいものです。最近、里愛ちゃんがとても気になっているのです。いずれ「松永里愛という大器」みたいなタイトルの記事でも書いてみたいものです。ただ言うまでもありませんが、どのチームも本当に愛して止まないメンバーが属しているのでかなり迷いました。ただ、迷い過ぎた挙句、自分に対する1番の言い訳だったのが、「いずれ松永里愛の記事を書くことになろう」というものだったわけです。
以下、しばらくライブレポートとは関係ない、ドブ臭い話が続くので、「*ここから!」というところまでびよーんと飛んでみてくださいね。
◆ コロナ禍でのライブ開催について
私は別に社会派の記者でも、ご意見番でも何でもなく、ただのヲタクでしかないので、あまりこういうことは書きたくないのですが、とは言え「コロナ怖い」という人にもハロプロを楽しんで欲しいという想いから一応書いておきます。
あらゆる専門家が言うように「こうすれば絶対に大丈夫」という予防策は無いですが、きちんとリスクヘッジをしていけばかなりの確率でコロナにかかることを予防できるのではないかと思います。
話が逸れますが、私たちを構成する微粒子、すなわち量子の挙動を物理学的に記述する量子力学では「量子は確率的に分布している」という考え方を根幹に持ちます。だいぶ端折ってまとめると、「いま目の前にいる量子が、次に瞬きをした瞬間には月の上に移動している」という可能性(=確率)も数式上ゼロではないということです。まさに「微レ存」というわけですね。
ほかにも現代人が依存するネットへのアクセスに関しては、SSL暗号化通信というものが用いられており、これは「現在の情報処理技術では解読に何百年とかかる」という前提のもと「永久に解読されない」というわけではない暗号通信方式が採用されています。同様に、情報セキュリティの基本的な思想としては、1つひとつの防壁には穴もあるけど、その防壁を何重にも重ねることで、現実的な穴をゼロに近づけようという所謂「スイスチーズモデル」なる考え方が用いられていますね。
アニメで言えば、PSYCHO-PASSにおける「シビュラ・システム」は完璧なシステムと謳われながらも、シビュラ自らが「完璧なシステムはない。しかし、運用方法でカバーすることで完璧に近い成果を生み出すことができる」という考え方をしています。最新作では、そのシビュラ・システムが自らをデバックするための自立型のウイルスのような存在として、「ビフロスト」という組織(システム)が実はシビュラ・システムに内包されていたという壮大なテーマが扱われていました。
長くなりましたが、何が言いたいかというと、私たちが生きる現実には「絶対」というものが存在しないということです。数学では「ゲーデルの不完全性定理」というもので、「数学では証明できない命題が存在する」ということを数学的に証明するなんてことも為されています。ですから、「本当にコロナにかからないの?」という問はある意味では不毛であり、「どうしたらコロナにかかる確率を低減できるのか? そして、その対策は実施されているのか?」という論でしか、私たちには語りようがないと、私は思っているわけです。
そういう意味では、今回のハロコンは一部ニュースなどでも取り上げられているように、充分と言える対策が取られていました。
・入場、退場の時間指定(席の大まかな場所ごとに時間帯を分けて案内)
・手指消毒
・体温検査
・COVID19-追跡システムへの登録(感染者が会場内にいたことが判明した場合、登録者に注意喚起のメールを送付)
・両隣、前後の席は空席(実質会場キャパの1/2しか客を入れない)
・大声での声援の禁止
と、いまざっと私が目で追えた範囲内でもこれだけの対策がなされていました。ニュースでは、演者へのフォローとして「ビュッフェ形式のケータリングの廃止⇒弁当化」や「マイクの個人割り当て」なども実施されているとありましたね。費用や労務という点で考えれば運営側には従来よりも大きな負担があり、同時に客入れも制限していることから収入だって減っているはずです。
それでもファンを離さないために、今後の経営のためにライブをしなければならないという事情もあると思います。そしてライブをしなければならないのはもちろんのこと、再びライブを禁止されるわけにもいかない、というところから上記のようなコロナ対策に全力を尽くさなければならないという事情もあると思います。私たちファンもそういった事柄を踏まえ、極力その会場を感染源にしないように、と個々に対策を講じているはずです。
「ハッキングされる可能性があるからネットは使わない」、「事故る可能性があるから車には乗らない」とそんなことは言えないのと一緒で、私たちはある程度のリスクと向き合ったうえで、いかにそのリスクを低減すべきか考える必要があるでしょう。そういう意味では、私たちが今ある知恵を絞り尽くしたうえでのライブ開催だったのだと思います。総じて何が言いたいかというと、「みんなで頑張って、ハロプロを応援していこうよ!」ということです。
◆ ハロプロだからこそ見つけ出せた解
ほかのアイドルでは「オンライン・サイン会」なども為されていますが、これまで「コロナ対策」として模索されてきた方法はある意味では、一般解でしかなく、そこにオリジナリティや占有性のようなものを感じることはありませんでした。それはそれで何も問題ではなく、むしろ「皆で解を見つけていこう!」という非常に大事な動きではあります。
ただ今回のハロコンで持ち出された、「総勢52名のアイドルがソロで往年の名曲バラードをカバーする」という手法はかなりオリジナリティのあるものだと思います。そして、同時にコロナ対策としても非常に効果的です。なぜ効果的かと言えば、第一に「さわぐ」を抑制できるからですね。「さわぐ」という行為はライブの醍醐味ではあるわけですが、飛沫感染のリスクを格段に上げるため、特にクラスターが誘発される密室では絶対にさせてはいけないことです。だからこそ「バラード」でなくてはなりません。そういう意味では、ついついコールを入れたくなるハロプロ楽曲を封印したのも非常に重要な点と言えるでしょう。第二にこれは言うまでもないことですが、ソロ歌唱ということでメンバー同士での接触も抑えられるという効果もあります。副次的な作用としては、メンバーもそうやって頑張っているのだから、私たちも「密」に気を付けなきゃなとファンに考えさせる、つまり「模範」としての機能もあるわけですね。
そんな風にコロナ対策としては非常に効果的な手法であるわけですが、より重要なのは「そんな対策を講じられるアイドルがほかにいるか?」ということです。
いわゆる「歌唱メン」ならまだしも、総勢52名全員のメンバーが「ソロ歌唱」を行うわけです。デビューしているからには「一定の水準にある」という自負があるからこそできる選択です。所属メンバーが全員それだけのクオリティを持っているグループ、組織はそう多くないと思います。ライブMCで中島早貴(なっきー)がアナウンスしていた言葉が印象的でしたが、「メンバーみんなの日々のレッスンがあってこそ開催できたライブ」ということの意味を考え、私はハロヲタで良かったなと胸が熱くなるわけです。
ただ、「いや、メンバー全員が歌が上手いグループなんていくらでもいるでしょ」とか「いや、確かに平均点は高いけど、中にはまだまだ技術の低い子もいるでしょ」とかそういう批判だってあるかもしれません。その批判自体は否定できないものの、ただその批判が的外れであるかもしれない、と言うことはできます。
「歌が上手い」というのは「ソロ歌唱によるカバー」を成立させるために重要なファクターではあります。しかしながら、より重要なのは「需要と供給」です。特にハロプロファンが重視しているのは、アイドルの「個性」や「成長」だと思うのです。確かに、素晴らしい楽曲や素晴らしいパフォーマンスを私たちハロヲタは求めています。ただ、最高のスキルを堪能するだけが目的なら、たぶんハロヲタである必要はないと思うんです。私たちは「スキルを高めよう」という意志こそを尊重し、今まで見えてなかった「個性」や「成長」を見出すことに高い価値を見出しています。同時にあの「ももち」がよく言っていたように、「私たちアイドルが、アイドルを楽しんでいる様子を見てもらって、ファンにも楽しんでもらう」ということをハロヲタは望んでいるわけです。そういう意味で、今まではグループ活動という決められた型のせいで見えてき辛かったメンバーの「個性」や「成長」を存分に拝むことができる「ソロ歌唱」は非常に有用な手法だと思いました(グループでのライブパフォーマンスで気になった子に「沼る」過程では往々にして、バースデーイベントという段階を踏みますものね。え、みんなは違うの? いやいや、みんなもそうでしょう?)。
結論を申し上げると、「一定のパフォーマンススキル」という企画を成立させるための最低限の土壌があり、「ヲタはメンバーの個性や成長を見たいと願っている」というその需要が、企画を成功に導いたのだと思います。運営側とアイドルの信頼関係、運営側とファンの信頼関係、アイドルとファンの信頼関係…それこそがこの企画のオリジナリティだと思います。改めて言いますが、「こんなことハロプロ以外でできますか?」と思ってしまうわけです。
ただ一言断っておくと、別に今回の「ソロ歌唱によるカバー」こそがコロナ対策の最善手ではないということです。それぞれのアイドルやアーティストがそれぞれでできる形で、自分たちに合った方法を探すことが何より重要なんだと思います。不自由の中にこそ自由があるという言葉をよく聞きますが、こういった制約のある現状だからこそ、自由な発想でそれぞれの最善手を生み出していければ、苦境に迫られるエンターテインメント業界にもきっと光が射すと思います。と、エンターテインメントとは真逆のような職業であくせく働いている私が言ってしまいます。
総じて、「そういう高い志が粋じゃないの」ということを私は言いたかったわけです。周到なコロナ対策も然り、自らのストロングポイントを生かして、自分たちにしかできないものを作り上げようという意志のもと考えだされた企画と、それを実行し得るハロプロメンバーのスキルと愛され力。本当にハロヲタで良かったと、とても誇らしい気持ちになります。
*ここから!
◆ ライブレポート
やぁっっっと、本題です。本当に余計なことをグチグチ書き連ねてしまいました。
ここからはライブがどれだけ素敵だったかについて話していきます。もちろんネタバレを含みますので、そういうのが嫌な方はほかのハロプロ関連の記事も色々ありますので、そちらを見ていただくか、時間とデータ通信料を無駄にさせて申し訳ないですが「またの機会に」ということでよろしくお願い致します。
あ、あとちょっと批評めいた感じに書いてしまったので、そういうのが苦手な方も読まれない方が良いかもしれません。ただそれを言い訳にすれば何を言っても良いというわけではないということは重々承知していますが、私はハロプロが大好きなんです。成長を見たいからこそ、「どこどこが良くて、どこどこはもう少し。総じて、成長が楽しみ!」という意味で以下の記事を書いています。
一時代前の所謂「アイドル戦国時代」であれば考えられなかったことですが、ライバルであるAKB48の楽曲から始まるところが時の流れと、この苦境を皆で乗り越えていこうという想いを感じますね。ウェルカム・ドリンク的な感じであるものの、伸びやかな合唱からは何よりもまず「あぁ、また彼女たちの歌声が聴けるんだな」という安心感を得られました。実家の味噌汁…いや、この比喩はあまりにも野暮ったいですね(笑)とにかく、そんな素敵な合唱を皮切りにライブがスタートしました。
MC. 中島早貴による導入
「個性」と「歌」を楽しんでください、というアナウンスがなされていました。また、毎公演抽選でパフォーマンス順が決まっているという前提も紹介されていました。特に印象深かったのは、上にも書いた通り、「メンバーの日々のレッスンがあってこそ」という言葉ですね。もうこの一言だけで、ハロヲタで良かったと思わされますね。
くじ引きで1番手になったわけですが、さすがハロプロリーダーという圧巻のパフォーマンスでした。声には力強さがあり、ファルセットも弱くならず綺麗です。感情の込め方も素晴らしく、息継ぎ1つまでよく聴こえてくるので、ドキドキしてしまいますね。落ちサビをどこまでも繊細に歌い、ラストに1番の盛り上がりを持って来る構成力もさすがという感じです。ロングトーンも半端ないですし、まさに王道を行くパフォーマンス。バランス型の最高峰と言えますね。改めて、さすがリーダー。
今回のハロコンで「Aチームを見よう」と決意させてくれた里愛ちゃんのパフォーマンス。正直に言うと、高水準なフクちゃんの次ということでやや物足りない部分がありましたかね。ニュアンスの付け方やオケとのグルーヴ感、微妙なリズム(タイム感)の位置が定まっていないという印象があったからでしょうか。まぁ、里愛ちゃんもまだ個性は模索中ということで、超バランス型のフクちゃんと比較されると少し厳しいところがあるのは致し方ない部分が大きいですが。しかしながら、地声とファルセットの行き来などからは新人離れした歌唱力を感じました。そして、「新人が頑張ってます!」みたいな感じを出さずに、ナチュラルに歌を気持ちよく歌おうという意思が伝わって来たのにはとても好感が持てました。歌い始めはリズムを取る身体も緊張でこわばっている感じでしたが、歌いながら徐々に緊張もほぐれていき、最後の曲終わりで見せてくれた笑顔は自然体で、とっても素敵でした。
最早、選曲から「さすが!」の一言。演歌調の曲にハスキーボイスが良く合いますね。強弱の付け方、息の量、その辺をきちんとコントロールしながら情念の表現をできるその器用さもまたふなっきらしいところだと思います。楽曲の入り込み具合で言えば、一線を画しますね。声を張り上げるポイントもよく考えられており、一本調子にならないところなどはよく考えているなぁ、と思わされるところです。フォールのところなども含め、本当によく演出されていました。MCでは「大阪生まれの私が、大阪で生まれた女を、大阪で歌う」ということで彼女的にはプチ千秋楽だったと言っていました。が、本当に千秋楽感がありましたね。
歌唱力という意味では、やはり歌唱メンには及ばないかなという部分もありましたが、自分の中でコンセプトがしっかりあって素敵なステージングでした。特にサビの「だけどぼくにはピアノがない」のところなどに顕著でしたが、アイドルっぽい可愛らしく丸みのある音の処理から、彼女なりの表現を感じました。「アア アー」というコーラスのニュアンスの付け方などもまさにアイドル的な儚さ、キラキラ感があって「可愛らしさ」という一貫性があって良かったです。
甲高い声の持ち主ではありますが、変にキンキンした感じも無く、ただただ声質良いなぁと思わされました。特に音が伸びた時に、子音から母音に切り替わった後でその声質の良さの真価が発揮されますね。A, Bメロ辺りの低音は少し辛そうでしたかね。ただし、自分の声域とマッチしている張り上げたくなるようなサビの部分でも、これ見よがしに張り上げたりせず、楽曲の世界観に寄り添って柔らかく歌っているのが好印象でした。かわむーの人の良さ、優しさを感じますね。
これはもう選曲がパーフェクトじゃないですか。確かに歌唱力という意味では、歌唱メンには及ばないところはありますが、あかねちんと一緒で自分の見せ方がしっかりしているのが素晴らしいです。メンヘラっぽい曲に、きそらんのキャラがめちゃくちゃ合っていました。なんかデビュー当時から、彼女のキャラというか雰囲気ってどうしてか気になっちゃうんですよね。不思議な魅力があります。楽曲順という点から言えば、これまではリズムが緩めの一時代前の楽曲が続いていたので、リズムが立っているというだけでも、グッと惹きつけられるところがありました。スキルよりは世界観で勝負して、「希空いいな」と思わせたという意味では、完全勝利でしたね。「いいな」というよりか「すきっ」となりました。
選曲にネタっぽさを感じもしますが、ちゃんと自分のものにして歌っていたのが素敵でした。低音部も高音部も弱点という弱点がなく歌えていたのは、努力によりスキルを伸ばして来た成果と言えるでしょう。ただ、ニュアンスの付け方で世界観を演出するよりは、発声の強さに頼っている印象がありました。きそらんとは真逆ですね。ただそんな愚直なところもまた彼女らしさではあるので、決して間違っているわけではないと思います。もしも歌唱メンを目指すのであれば、その辺りの世界観の見せ方、構築の仕方というところが必要になるのでしょう。このまま変わらないで!とは思いますが。
8.高瀬くるみ「Time goes by」ーEvery Little Thing
終始声質が良く、声優かなと思うほどでした。ただ声質はもとより皆知るところであり、意外と凄いと気づかされたのはリズムの良さです。活舌が良いおかげなのかもしれませんが、とても歯切れの良い歌い方も相まって、バラードでありながらもJ-POPとしての良さも感じました。こういうのが所謂「立ち上がりの良い声」ということなのでしょう。音楽的に気持ち良い発声とリズムです。また、熱量も感じる歌唱でした。まぁ、あまりべた褒めになってもアレなので、唯一、熱量に対して伝わって来る世界観は若干薄いかなとも思います。器用なのは重々承知しているので、ただの「歌うま」に収まらず、心を揺さぶるような何かを見出せるようになったら本当に化け物になってしまいますよね。
9.西田汐里「PRIDE」ー今井美樹
キラキラしたアイドルっぽさがニシっぽさを感じさせます。特に、「Wow~♪」の唇をすぼめたような歌い方は、めちゃくちゃニシだな、と思いましたね。ただ、意外とピッチというか発声は安定しないところがあったでしょうか。リズムの良さ、アイドルっぽい見せ方、聴かせ方が上手い器用な彼女にとっては、こういうシンプルな楽曲だとそういった良さが見せ切れないのかなと思いました。注目している子だけに、もっと違う曲も見てみたいなと思いました。MCで「ぬか床」について楽しそうに喋っていたのは、さすがですね。
可愛らしくガーリーな見た目と、演歌調の楽曲というギャップが良かったです。ドラマティックな楽曲に対して、頑張って情念を込めて歌おうとしていたのが素敵でした。ただ、楽曲の厚みにはあと一歩及ばずという感じもありましたかね。しかしながら、つばきファクトリーの「春恋歌」のような乙女成分がまおぴんにはあり、それを失わずにきちんと感じさせてくれたのは非常に良かったです。すなわち、等身大と没入感の中間くらいと言ったらよいでしょうか。そういう相反する成分の同居が素敵なところでしたね。あとは、意外と息が多めの歌い方もできるのだと感心しました。
あゆみんは普段のライブで見せるロック調の強い歌い方と、舞台TRIANGLEのサクラ姫役の時に見せたような可憐な歌い方ができる子です。今回はそんな彼女の魅力のうち、後者の「可憐さ」を感じました。ただ、サクラ姫ほどか細くなく、ちゃんと強い歌唱で楽曲の世界観を表現しようとしているのも伝わってきました。が、やはり1番の見所だったのは、最後の「去年よりずっと綺麗になった」の畳みかけのところですね。徐々に声を細くしていく演出からは、少しずつ雪が溶けだしていくような神秘的な切なさを感じました。ピッチは安定しきらない部分もありましたが、世界観の構築によって十分すぎるくらいに取り返せていました。
12.江口紗耶「Lemon」ー米津玄師
現代の超良曲ですが、転調が多い楽曲なので、幅広い音域が必要になるため非常にレベルが高い楽曲でもあります。MCでは、「ピッチを自分に合わせてじっくり選んだが、それでも音域の広さに苦労した」と言っていましたが、そうだろうなぁ、という感じですね。またリズムもシャッフルビート的なところがあり、勘の良さや実際的な活舌の良さも求められます。そんなわけで、若干歌唱力の至らなさも感じてしまいました。とは言え、現代っ子が好みそうな曲を割り当てられるところや、難曲に対して真摯に取り組む姿勢が伝わってくるところなど、アイドルに最も必要な「愛嬌」のようなものが彼女にはありますね。難しい楽曲ではありますが、裏声のポイントでも音を外さず、一生懸命練習したんだなぁ、と感じられたのが何よりも素敵なところでした。
もう一声目から「うま!」となりました。先日「FIRST TAKE」風のJuice=Juice楽曲ソロカバ―動画がYouTubeチャンネルにアップロードされましたが、もうあのクオリティのれいれいそのまま!という感じでした。れいれい節というものが確実にあり、それはこぶしファクトリーのエッセンスでもあったのだなと再認識し、そういう楽曲を選曲できたもの良かったです。周囲の席からすすり泣きが聞こえてくるほどの圧倒的な歌唱力。Juice=Juiceはとんでもない補強をしたなぁ、と改めて思わされますね。歌唱後の拍手の大きさもすごかったです。ちょっとした部分では、「縦の糸」と「横の糸」という歌詞に合わせて、手の振付を自分で考えて取り入れていたところもとても好感が持てました。
持ち味の力強い歌唱は最終兵器として隠し持ちながら、どこまでも美しく、無垢に、優しく歌う姿がるーちゃんらしいです。明るくて哀しいという原曲の世界観を見せつつ、少女の夢想のような幻想的な星空をも感じさせる世界観の作りこみがまた素晴らしかったです。やはり彼女の純粋さは稀有なもので、王道ではあるものの、確かに彼女にしかできない歌唱でした。ラストでは最終兵器のフェイクも入れて、わずか3分程度という時間の中に、彼女の魅力がぎゅっと詰め込まれており、自己プロデュースという意味でもさすがだと思わされました。ここでもすすり泣きと、割れんばかりの拍手。2連続の素晴らしいステージに会場も圧倒されていました。あと、これも印象的だったのですが、唯一るーちゃんだけが会場の端から端まで歩きながら歌っており、その余裕もさることながら、ファンに対してのサービス精神もまた彼女が人間的に素敵だなと思わせるところでした。
全編を通してウィスパーボイスの楽曲で、りさまるの儚さをこれでもかと堪能できるパフォーマンスでした。正直、前の2人が凄すぎたので、続く人は可哀そうだなと思っていたのですが、単純な歌唱力勝負ではなく雰囲気の作り込みで勝負できるりさまるで良かったなと思いました(被害者が出なかったという意味で)。前の2人がディズニーアニメなら、りさまるはジブリアニメみたいなものでしょうか。確かな技術とセンス、深みがあり、繊細さによる凄みを感じました。1つのアートですらありますね。りさまるっぽさで言えば、「形」という歌詞の「ち」に見るように、た行の発音がらしくて「すきっ」ってなりました。
16.小林萌花「私はピアノ」ー高田みづえ
何よりもまず最初に言っておきますが、本っ当に最っ高でした。1980年代のアイドルっぽい、演歌テイストのある艶っぽい楽曲です。これを、ほぼ完璧に表現しきったほのぴがまじで凄過ぎでした。発見という意味では、今回のライブで1番の驚きと嬉しさです。鼻を詰まらせたような発声方法を用いることで非常に艶っぽくしている、というところが最初の入り口です。まずこれができるだけでもすごい。そしてそれだけでなく、強弱の付け方にもとてもダイナミックさがあり、広い音域に対しても地声・ミックス・ファルセットを適宜使い分け、しかもポイントで活用されるビブラートも形式ばったものではなく不安定さを良い塩梅で含んでいるのです。まさに完璧なパフォーマンスと言えましょう。クラシックピアノで鍛え上げた楽曲理解と表現方法の模索が生きているからこそこんなパフォーマンスができるのでしょうね。息を繋げたり、あえて後ノリにしたり、気怠く妖艶なリズムの作り方にもまた彼女の音楽的な素養の高さを感じました。そういう私は別に音楽的な素養は何もないのですが。いやぁ、本当にほのぴのスペックの高さが日に日に明らかになっていきますね。ワンピースのグランドライン並みに驚きと興奮が詰め込まれていますよ、彼女には。と、次元の低い比喩を持ち出して、彼女を賞賛したところで終わりにしておきましょう。
17.岡村ほまれ「M」ーPrincess Princess
決して上手いという訳ではないですが、とにかく一生懸命に歌っている姿が、我が子の演芸会を見守る親の心境にさせてくれました。ただし、ほまたんは別に歌が下手なわけではありません。彼女の真っ直ぐな歌声とその強い発声からは今後の成長を感じさせてくれます。高音が強いので、ファルセットはほとんど必要としていない感じもありました。ただやはり一度ファルセットになるとまだまだ歌声が弱くなってしまうので、今後の練習に期待です。そして、MCでは語尾の「私はー」の「はー」とか、「○○でぇー」の「でぇー」で強くなるのがめちゃくちゃ子供で可愛すぎます。会場全体でどこか微笑ましい雰囲気になり、総じて「良いコンサートだったな」と思わせてくれたので、トリとしての役目をしっかり務めてくれたと思います。
MC. 中島早貴による締め
「これからもハロプロはピンチをチャンスと捉え、新しい在り方を模索していく」というなっきーの言葉に見るように、いまやれること・今後に繋がることを懸命にやっているのだと感じることができる素晴らしいライブでした。確かに盛り上がりという意味では、従来のライブとは欠けるポイントもあるかもしれません。が、これまで色々と書いてきたように、メンバーの個性や成長を見つけるという意味で、非常に有益な時間でした(こうして記事を書いている時間も含め)。記事のサブタイトルにも書きましたが、本当に「ハロヲタで良かった!」。
繰り返しになりますが、コロナ禍という状況の中で、いつもとは違う形でコンサートの企画を行い、運営側もパフォーマー側も最善を模索して価値あるステージを作ってくれたというだけで私は感動で泣いてしまいそうです。もしも、私のこの記事もまたそうやって苦境の中で新たな楽しみを見出すことに、ほんの少しでも役立てたらそんなに嬉しいことはありませんね。
最後に…
ド田舎から大阪のような都会に出ることには、やはりコロナのリスクから抵抗がありました。そして、会社の人なんかにも、この週末の過ごし方についてはあまり大っぴらに言えない部分もあります(アイドルヲタクとバレたくない、という意味ではありません)。こんな私にだって負い目のようなものはあるんです。ただ、皆が少しずつ我慢し合い、少しずつ制限を緩和していき、少しずつより効率的な感染予防方法を見出していく過渡期に今はあると思います。積極的に外に出ろというわけではありませんが、恐怖に煽られてヒステリックになったり、ひいては他者へ攻撃するようになることは、コロナウイルス以上に危険なことだと思います。
私はいま会社の寮に住んでいます。が、中には過敏になるあまり他人の行動を監視し、棘のある言葉を吐いて来る人もいます。相手に不安を与えるようなことをした私が悪いと言えば悪いのですが、もう少し心に余裕を持てるようになれば良いのにな、と思ってしまいます。
と、少し愚痴みたいになってしまいましたが、結局のところ私たちは私たちにできることを模索し、それを愚直にやっていくしかないんですよね。そういう意味では、彼の怒りも別に悪いことではなく、私も私で自分を顧みらなきゃなと思いました。しかしながら、自分の正しさを振りかざし、人を攻撃するようなことだけは避けたいです。この記事で私はメンバーに対して辛辣なことを書いてしまったかもしれません。また、メンバーのファンの方に嫌な想いをさせてしまったかもしれません。そういったことが非常に恐いのですが、それでもこの記事を読んで、私と同じようにハロプロを応援したいと思ってくれる人がいることを願い、投稿させていただきます。