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音楽や小説など

つばきファクトリー「抱きしめられてみたい」レビュー ~作詞・作曲・編曲、最高かよ~

つばきファクトリーの6th single「抱きしめられてみたい」のレビューをさせていただきます。

 

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◆ 私とつばきファクトリー

つばきファクトリーのレビューをさせていただくのは初めてですね。

冒頭の文を書いている段階で、「あれ? まだ6th singleだっけ?」と思い、Wikipediaで振り返ってみると、インディーズでシングルを3枚も出しているんですね。ほとんど姉妹グループみたいな「こぶしファクトリー」はインディーズ時代には1枚しかシングルを出しておらず、当時も色々と比較されて「つばきはメジャーデビューが遅い」みたいなことを言われていた気がします。

グループ結成当初より「気品」だとか「お淑やかさ」みたいなコンセプトでやっていたように思いますが、そのようなコンセプトと「デビュー」という勢いのある感じがマッチしていなかったのかもしれませんね。同じような「お洒落っぽさ」や「アイドルエリート感」がコンセプトにあった「Juice=Juice」もインディーズ時代に3枚のシングルが出されているものの、わずか3か月でメジャーデビューしてますからね。つばきファクトリーメジャーデビューまで約1年半というのは、近年のハロプロでは結構時間がかかっている印象です

とは言え、メジャーデビューの早さがそのグループの価値というわけではありません。

 大事なのは、何でもそうですが、「役割を持てるか」というところです。そういう意味では、つばきファクトリーは当初のコンセプト通り、「気品」や「お淑やかさ」のある素晴らしいグループに成長したように思います。

私がつばきファクトリーにきちんと興味を持ったのは、3rdインディーズシングルの「独り占め」が出てからですね。というか、この「独り占め」があったからこそ、今のつばきファクトリーがあるように私には強く思えます。つばきファクトリーの楽曲に「低温火傷」という曲がありますが、まさに低温火傷をしているような、じりじりとテンションを上げ切らずに、シックに熱を抑え込むように、切ない感じを歌うその気品こそが「つばきファクトリー」なんだと思わされました。

事務所もメンバーも、そしてファンも、その「独り占め」の感じには結構手応えを感じたんじゃないかと思います。今でも、「独り占め」みたいな楽曲を歌わせたら、やはりつばきファクトリーが1番ですね。「さらっと女性の切ない気持ちを歌う」というのはまさにつばきファクトリーのストロングポイントだと思います。

そして、メジャーデビュー曲の「初恋サンライズ」みたいに、めちゃくちゃキャッチーなアニソンっぽい楽曲もまたつばきファクトリーの特徴になったように思います。ハロプロのメンバーは、やはり歌をとても大切にしていて、つんく♂さんから受け継がれた「歌唱」に絶対的な自信と自負があります。つばきファクトリーもその例外ではありませんが、しかし、ハロプロの中ではもっとも「くどくない」歌い方ができるグループだと思います。つまり、「独り占め」で見たような「さらっと~歌う」というところです。熱量や個性よりは、器用さや横一列感を売りにしているグループはハロプロの中ではかなり稀有な存在だと思います。そして、そんな彼女たちだからこそ、彼女たちにしか歌えない歌がある…今回レビューさせていただく「抱きしめられてみたい」もそんな歌の1つだと思います。

また、こういう言い方は色んな所に角が立つかもしれませんが、グループのエース?あるいはセンター?として浅倉樹々ちゃんを据えているのは、横一列感を売りにしているグループにとって、結構重要なポイントだと思います。何というか、実際的な比較は置いておくとしても、樹々ちゃんがいるとそこに上手い具合に焦点が定まるような気がするんですよね。浅倉樹々という焦点を中心に、様々な色合いを魅せていくことで、横一列感がありながらも、「見やすい」=「楽しみやすい」グループになっていると思います。先日…と言っても、もう1年近くも前ですが、鞘師里保ちゃんが復活して、モー娘。とパフォーマンスしていましたが、あの時も同じような感覚を覚えました。鞘師里保が1人いるだけで、焦点が定まり、焦点が定まったうえで他のメンバーの良さも引き立たせられて…みたいな感じを強く受けました。

 

 

エドヴァルド・ムンク「太陽」という絵を貼り付けましたが、どう考えてもこの絵画の焦点は「太陽の中心」です。この「太陽の中心」があるからこそ、素敵な絵ではあるわけですが、しかし実際にこの絵を堪能していく過程では、黄・赤・青の光線、そして空と海のスカイブルー、そして岩石の陰影であったり、わずかに顔を覗かせる緑の平原(山?)などの、種々の要素にも目を移していくはずです。何というか、そういう「焦点から細部へ」という視点の移行を可能にするためにも、やはり「焦点」は必要だと思います。

さて、長くなりましたが、ここまでが私にとってのつばきファクトリーの印象です。これまで、1st album「first bloom」が発売されたタイミングでレビューを書こうと思ったりもしましたが、上手く勢いに乗れずこれまでつばきファクトリーという素晴らしいグループを放置してきてしまいました。本当に良曲の多い、素敵なグループだと思います。もし楽曲すべてに点数をつけたとすれば、ハロプロの中で最も平均点が高いグループはつばきファクトリーなんじゃないかと、割と真剣に思っています。

 

◆ 「抱きしめられてみたい」レビュー

いよいよ本題ですね。「抱きしめられたい」の楽曲のレビューを進めていきます。

まずは作詞・作曲・編曲のラインナップをご紹介したいと思います。

 

作詞:児玉雨子さん

もはや説明の必要はないですね。宮本佳林ちゃんのコピンク*の作詞から活動を始め、特にアンジュルムの楽曲で作詞を務め、一躍ハロプロ界隈に名を轟かせました。スマホSNSなどの現代的なアイテムを取り入れた歌詞が印象的ですが、つばきファクトリー「うるわしのカメリア」で見られるような古い言葉も難なく使いこなすことができたり、広い見分と器用さを持ち合わせた作詞家だと思います。もちろん心情描写も繊細かつ高度で、本楽曲でもその部分がいかんなく発揮されています。

作曲:大橋莉子さん

つばきファクトリーでは「低温火傷」・「純情cm」を手掛け、Juice=Juiceでは「禁断少女」を手掛けている、最近のハロプロに良曲を提供してくださる新進気鋭の音楽家であられます。サビだけでなく、Aメロ、Bメロにも絶対外さないキャッチーなメロディを取り入れてくださるので、安心して楽曲の世界観に浸ることができます。ほかにも上記3曲に共通してみられる特徴もあるので、それは後々説明します。

編曲:平田祥一郎さん

今更言うまでもないハロプロを支える超有能編曲家さんですね。本当に何でもできる編曲家さんで、Juice=Juiceでは「裸の裸の裸のKISS」、「ブラックバタフライ」、「背伸び」、「風に吹かれて」、「SEXY SEXY」というラインナップを見ればわかる通り、様々な音楽ジャンルに精通している方です。Berryz工房では「恋の呪縛」なども手掛けており、「あぁ、もうそんな前から」と感じつつも、「確かにこのときから平田祥一郎さんってわかる編曲だな」と思わされますね。きっと1人で何でもできるからだと思いますが、あまり生楽器を使っているイメージはなく、どちらかと言えば、すべて手元の電子楽器で作り上げたような音像が特徴だと思います。

 

私的にはかなり豪華なラインナップです。

音像は編曲が平田祥一郎さんなので、どこまでもハロヲタ好みのする感じでありながら、めちゃくちゃキャッチーなメロディラインは今までのハロプロにはないような感じで、大橋莉子さんのスキルが遺憾なく発揮されています。しかし、平田祥一郎さんも大橋莉子さんもどちらかと言えば、「上手に」楽曲を作り上げる人たちだと私は勝手にイメージしています。なので、間違いなくこれだけで良曲ではあるのですが、ただの良曲で終わらせないために、アクセントとしての児玉雨子さん。

国産牛肉(=大橋莉子さんの楽曲)を材料にすれば、平田祥一郎さんならまず間違いなく美味しいハンバーグを作ることができるわけですが、そこにナツメグやら何やらといった気の利いた調味料(=児玉雨子さんの歌詞)を加えることで、味わいは格段に上がるわけですね。私は料理をしないと決意しているので(だって美味しくできないんですもん)、料理人からしたら見当違いな比喩なのかもしれませんが(笑)。

 

さて、そんなお三方をベースにこのレビューを書いていこう、と今しがた決めました。

というわけで、まずは作曲についてです。もしかしたら、編曲上のアイディアも多分に含まれるのかもしれないですが、一見シンプルに見えながらも面白い構成をしている部分もありますので、ざっと楽曲の構成を見ていきたいと思います。

 

intro (8.2) ⇒ A1-1 (8) ⇒ A1-2 (6.4) ⇒ B1 (8) ⇒ C1-1 (1.8) ⇒ C2-1 (8.1)

inter1 (8) ⇒ A2-1 (8) ⇒ A2-2 (6.4) ⇒ B2 (8) ⇒ C2-1 (1.8) ⇒ C2-2 (8)   *inter1 = intro
inter2 (8.8) ⇒ C3-1 (1.8) ⇒ C3-2 (8.1.1) ⇒ outro (8.2)

 

念のため説明しておくと、「A1-1」は「1番のAメロ。2回繰り返しがある中の1回」という意味で、「(8.2)」だったらそのブロックが「8小節+2小節=計10小節」から成立してることを意味しています。また、「*inter1=intro」とありますが、これは「1番と2番の間の間奏(inter1)」が「前奏(intro)」と一致していることを意味しています。そして、本楽曲では「Cメロ=サビ」となりますね。

Juice=Juiceの「『ひとりで生きられそう』って それってねぇ、褒めているの?」のレビューや、モー娘。の「KOKORO&KARADA」のレビューで説明したような、「2番の短縮」は見られませんね。

 

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今回の「抱きしめられてみたい」はポップな楽曲なので、「2番の短縮」を用いることで、楽曲を軽やかに展開させても良いような気がしますが、小節数を数えてみると面白いことにそれができない構成となっていることがわかりますね。

まず、ポイントは「A1-2」や「A2-2」の小節数が「(6.4)=6小節+4小節=計10小節」であることです。基本的には「8小節」が音楽的には気持ちいいとされていますが、そをあえて外してきているわけですね。「6小節目」までは「A1-1」と同じような流れ出来ているな、と思わせておいて、ただ雰囲気を変えるだけでなく、「4小節」も使って大胆に楽曲を展開させているのがイレギュラーで面白いです。しかし、あまりにも違和感なく楽曲が繋がり、展開されているので、こうして楽曲をレビューするためにきちんと数えてみるまで私も気づきませんでした。

「6小節目」まで「A1-1」を繰り返し、あと「2小節」で展開させることも可能ではあったと思いますが、あえて「4小節」も使う効果はどこにあるのか。

サンプル数は少ないですが、大橋莉子さん作曲の「純情cm」や「禁断少女」でもAメロが2回繰り返されており、1回目と2回目では末尾のメロディラインが異なっています。「低温火傷」では「A1(4.4)」という感じで、長さは半分にはなりますが、前半の4小節と後半の4小節では、やはり末尾のメロディラインが若干異なっています。いずれの場合においても、2回目の末尾はBメロへと展開させるための仕様にアレンジされていますね。

今回の「抱きしめられてみたい」もそのような目的を基に、1回目と2回目で変化をつけているわけですが、もともとの8小節のメロディが「6+2小節」という感じが強く、「後半2小節で変化をつけてみようとしたら、2回目は4小節分のメロディが出来上がってしまった。故に6+4小節となった」というのが、実際のところなのではないかな、と思います。後でも説明しますが、大橋莉子さんは余計に小節数を拵えることにあまり抵抗感がないみたいです。抵抗感がないどころか、むしろ「そうなったら、そうなったで」というスタンスが見えてきます。「AIが作ってるんじゃないんだし、歌っててそうなったんだから、人間らしくていいじゃん!」という感じにも見えますね。「C1-1」で小節数が「1+8=9小節」となっているところからも、そのようなスタンスが伺えます。

さて、そんな感じで「A1-2」が「6+4=10小節」となっているのが面白い部分ではありますが、話を戻すと「なぜ『2番の短縮』を用いなかったのか?」というところだったかと思います。これはつまり「短縮のしようがない!」からです。「ひとそれ」も「KOKORO&KARADA」も同じ1番では同じAメロが2回繰り返されているからこそ、2番で短縮が可能なわけですね。対して、今回の「抱きしめられたい」では「A1-1」と「A1-2」ではもう小節数から違うわけですから、どうやっても短縮できないわけです。まぁ、もちろん「A1-2」の方のメロディのみを採用して無理やり展開することはできますが。

ということで、「2番の短縮」がないという話はこれにて完結です。さらに、構成上のポイントを見ていきます。

 

小節数に着目した場合、次のポイントは上でもちょっと言いましたが、「C1-1」や「C2-1」の「1+8=9小節」によるサビの構成です。これもまた大橋莉子さんの特徴ですね。まさに同じようにサビ前に「余計な1小節」がある構成をしているのが、「低温火傷」です。しかし、低温火傷」以外にも「純情cm」や「禁断少女」にも共通しているのが、「サビの前倒し」です。いずれの楽曲も聴き比べてみるとわかりますが、きちんとサビの小節に入る前に、メロディが前倒しで始められています。

今回の楽曲で言えば、「境目がなく~♪」までがサビの小節前に前倒しされている部分になります。以前私がレビューしたJuice=Juiceの「微炭酸」では、まさに「微炭酸♪」の部分が前倒しされている部分になりますね。「微炭酸」ではKOUGAさんによる、小節の抜き差しの妙をレビューしましたが、大橋莉子さんは基本「差し」の人です。

 

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この「サビの前倒し」はサビへの「ワクワクを高める」うえで非常に効果的です。というか、スピッツの「空も飛べるはず」などのスーパー王道ポップソングにも使われているようなごく一般的な手法です。

 

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大橋莉子さんの作る楽曲がポップでキャッチーなのはこの「サビの前倒し」を使っているから! とまでは言いませんが、しかし、様々な楽曲でこの手法を取り入れていることは事実です。たまたまハロプロに提供されている楽曲がそうだったというだけだとは思いますが、それにしても凄い採用率ですよね(笑)。そして、中でも「低温火傷」とこの「抱きしめられてみたい」では前倒しが行き過ぎて、余計に1小節も追加しているわけですから、すごい力の入れようです。

そして、そのような楽曲構成にしていながらも、「決して不自然じゃない!」です。むしろ重要なのはこの部分ですね。つんく♂さんの楽曲であれば、きっとこの小節数のトリックの部分にもっと特殊性を盛り込んで、楽曲のフックにするような気がするのですが、大橋莉子さんはそういうことをしません。きっと、生粋のシンガーソングライターなのでしょうね。おそらく「歌っていたら、そうなったから」というのが実際のところだと思うんです。

というわけで、「C1-1」の「1+8=9小節」はむしろ自然な流れで構成された特殊な小節数であるわけですが、対して「C1-2」の「8+1=9小節」はどうでしょうか。これは私の個人的な感性と、勝手な思い込みではあると思いますが、「C1-2」の9小節は「C1-1」の9小節と比べるとやや違和感を感じる部分です。いや、違和感という言葉よりは、何か「意図」を感じるような気がするのです。

おそらく「C1-2」では、サビ終わりの「歌」と印象的な「間奏」をバッティングさせないための配慮として、末尾に「1小節」を付け加えているんだと思います。そう、これはアイドルの歌を美しく見せるための「配慮」なんです。事実、2番のサビ終わり「C2-2」の小節数は単純に「8小節」であり、というのも2番終わりの間奏(inter2)はかなり静かなメロディから始まっています。ですから、この「C1-2」の末尾の「1小節」はきっと大橋莉子さんが作曲をした段階では存在しなかったものだと思うのです。

となると、誰が「配慮」してこの「1小節」を付け足したのか

それはもちろん編曲家の「平田祥一郎」その人にほかならないじゃないですか! まぁ、数多くのハロプロの楽曲において編曲をしてきた平田祥一郎さんのような熟練者ならではの「配慮」と考えるのが私としては自然な論の展開だと思うからそう言っているだけであって、この情報のソースはどこにもないわけですけどね。まったくの見当違いであったら申し訳ございません。

そして、そのような「配慮」でありながら同時に「大橋莉子さんに対する、平田祥一郎さんからのアンサー」でもあるような気もしますね。作曲者の自由な小節の付け足し(「A1-2」や「C1-1」)に触発されて、「それだったらほかのとこも同じような趣向を盛り込んでみようじゃないか」という編曲者のユーモアでそのような構成となっていたとしたら、それは結構面白いことだと思います。

ラストの「C3-2」では「8+1+1=10小節」となっていますが、これは大橋莉子さんの「ねぇ あの子誰なの♪」という自由な作曲の「+1小節」と、平田祥一郎さんの「配慮」の「+1小節」が邂逅した場面と言えるのではないでしょうか。お後がよろしいようで。

 

さて、これにて楽曲の構成については終わりたいと思います。話題が若干平田祥一郎さんに移り変わって来たので、そのまま編曲の特徴についても触れていきたいと思いまう。

上述の通り、平田祥一郎さんの楽曲は電子楽器を多用した音像に特徴がありますが、昔から一貫して言えるのは、「イントロのリフ」と「ベースライン」がエグイ!というところでしょう。

 

 

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Berryz工房の「告白の噴水広場」です。本当は同じBerryz工房でもTODAY IS MY BIRTHDAYを紹介したかったんですけどね(笑)。MVが無いので仕方ないです。。。「TODAY IS MY BIRTHDAY」は印象的なイントロの「シンセのリフ=テーマ」と「自由自在なベースライン」がまさに「平田さん大好き!」となる楽曲ですが、少なくとも「イントロ」と「ベースライン」の素晴らしさを感じるという部分では「告白の噴水広場」でも十分です。

こうしてよぉく聴いて見ると、ドラムとしてのリズムもカッコイイんですが、それを異次元まで高めているのは、やはりベースラインと言えるかもしれませんね。

 

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モー娘。の「そうじゃない」なんかでもそういった特徴を色濃く感じることができますね。ほかにも「恋愛ハンター」や「One and Only」…いくらでも例は出せそうですね。ぜひWikipediaなどで平田祥一郎さんの手掛けた楽曲を確認して、「平田祥一郎しばり」でプレイリストを作って楽しんでみてください。よく「ハロプロ好きだけど、結局つんく♂さんが好きなんだよなぁ」というような言葉を聞きますが、私から言わせれば「結局、平田祥一郎さんが好きなんじゃないか!?」という感じですね。

あ、大事な楽曲を1つ忘れていました。

 

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めちゃくちゃ本気で「憧れのStress-free」は超良曲だと思っているのですが、これもまた平田さん編曲でした。平田さんのカッケェベースラインを堪能できるので、ぜひ!

なんか楽曲紹介ばかりで終わってしまいましたが、平田さんに関してはこれくらいにしておこうと思います。

 

そして、ようやく歌詞について触れる段になりましたね。

1番から順に歌詞の解釈を進めていきましょう!

 

intro(8.2)

A1-1(8)
外は冷え込んでる
窓は曇ってる
ぼんやり街 眺めるふり
きみはまだ来ない 来ない

A1-2(6.4)
外は冷え込んでる
熱気が籠もってる
口をちゃんと閉じてなくちゃ
「甘えたいな」だとか
「さみしいよ」だとか
こぼしちゃうから

B1(8)
誰かに恋をしてるときは
ひとりでいると息苦しい
いつもなら気楽なのにな

C1-1(1.8)
境目がなくなるまで ぎゅって
あぁ 抱きしめられてみたい
"そこらへんの女の子"って
呆れないでね お願い

C1-2(8.1)
絡まった感情ごと
きみに抱きしめられてみたい
そうすればきっと 見せないで済むのよ
情けない泣き顔

あえて書くまでもないですが、普段は「サバサバ」していて、男からしたら「お前は面倒くさくなくていいな笑」と言われるようなタイプの女の子が主人公ではないでしょうか。まぁ、そこまで極端ではなくても、少なくとも「そこらへんの女の子」ではない主人公なのでしょう。

また明らかに注目するべきポイントとしては、「甘えたいな」や「さみしいよ」では「」=鍵括弧が用いられており、“そこらへんの女の子”では“ ”=引用符が用いられています。つまり、「甘えたいな」や「さみしいよ」と、「そこらへんの女の子」(面倒なのでもう引用符は使いません)では何かが違っているのです。

一番単純な解釈で言えば、「鍵括弧=主人公の女の子」で、「引用符=恋している男の子」ということになるでしょうか。また、通常であれば「鍵括弧」で済むところを、わざわざ「引用符」を用いていることから、「そこらへんの女の子」というのがこの歌詞を解釈するうえでのキーワードになっているとも言えるでしょう。ですが、さらに深読みしていくと、「引用符」を用いていることから、「そこらへんの女の子」というのが恋する男の子の「決め台詞」みたいなものであることが伺えます。それが実際的に男の子が意識して使っている「決め台詞」なのか、それとも何気ない男の子の言葉に対して、主人公の女の子が勝手に特別な意味持たせているだけなのかまでは断定できませんが、まぁ、おそらく前者でしょう。歌詞を読み進めてみると、男の子は結構ろくでもない感じですから、自ら進んで意識的に「そこらへんの女の子」くらいのことは言いそうです。

さて、冒頭に戻りまして、場面は「待ち合わせ」です。主人公の女の子が先に待ち合わせ場所(屋内)に到着しており、男の子を待っています。「外は冷え込んでいる」という言葉が2回用いられ、季節が冬であることを強調しています。人肌恋しくなる季節です。「窓は曇っている」という描写は素晴らしいですね。「雪」とか「白い息」とか「クリスマスソング」とか「マフラー」とか…ありきたりな「冬」の季語ではなく、それでいて確かに「冬」特有の現象ですからね。湿気の多い夏の夜などは、ガンガンに冷房効かせた車の窓が曇ったりする経験もありますが。

「ぼんやり街 眺めるふり」ではやはり「ふり」がポイントです。本当は彼の姿を人込みの中から探そうとしているにも関わらず、「ぼんやりとただ街を眺めている」感じを装っています。あるいは、前の文章の「窓は曇っている」ということから、「白く曇って何も見えないのに、そんなことにも気づかず、街を眺めているふりをしてしまうくらい、そわそわして落ち着かない」ということかもしれません。とにかく、大事なのは「彼がまだ待ち合わせに来ない」状況に対して、主人公の女の子はやきもきしているということです。

Bメロでは「いつもならひとりでいるのは気楽でむしろ好きだ」けれど、「誰かに恋しているときは一人でいると息苦しい」と言っています。待ち合わせ場所で、1人やきもきしている主人公の女の子は、いつもとは違う状態であることを自覚しているわけですね。そして、「甘えたいな」とか「さみしいよ」とか口走ってはいけない、と自分に言い聞かせています。どうしてそんな自制をしなければならないかと言うと、彼は「すぐに寂しいとか言うような“そこらへんの女の子”には辟易としていて、だからこそ私と一緒にいてくれる」からです。

 

「別に月1で会えればいいよ。お互いその方が楽だしさ。ラインの返事も1週間以内に返してくれればそれで十分だから。ま、たまにお互い時間があるときにデートでもしてさ。美味しいものでも食べながら、色々と愚痴でも言い合うくらいの感じが理想じゃん?」

こういうことが言えるのって、私が「そこらへんの女の子」じゃないから。ほら、友達関係とかも私ってそれくらいのドライな感じだしね。基本1人で居る方が気楽だし。

なーんてこと言ってても、結局のところ、恋に落ちてしまえば私だって寂しがり屋のただの女の子なんだよね。だから、本当はぎゅっと抱きしめられてみたい…じゃないと、ほんとに寂しくて、辛くて、泣いてしまいそう…そんなことしたら君は私のこと嫌うだろうし、私だって絶対そんなの見せたくないけど。だって、キャラじゃないし。

 

長くなりましたが、そういう感じのことをこの歌詞からは感じ取ることができますね。そして、何よりも切ないのが「抱きしめられてみたい」という曲名にもなっている歌詞です。一見、普通な感じですが「みたい」という言葉には、「未然形」的なニュアンスを感じます。「未然形」、すなわち「抱きしめられてみたい」と言っているということは、「まだ1度も抱きしめられたことがない」ということです。

え、これって付き合ってんの??

というレベルの話です。どんだけ可哀そうなんだ、この主人公の女の子は。そして、男はいったいどういうつもりで、女の子とデートしようとしているんだ?

まぁ、その答はとても簡単で、ネクスト・コ〇ンズ・ヒントを出すまでもなく、歌詞の最後で名言されています。とは言え、とりあえず美味しい部分は最後まで取っておきましょう。とんかつ定食を頼んだ時は、とんかつを一切れだけ最後まで残しておく派です。最後に取っておいた一切れを食し、その肉々しさを存分に味わったうえで、温かいお茶で締め括る。これが「Style of my tonkatsu」。

 

inter1=intro (8)

A2-1(8)
言葉 積もってゆく
画面 光ってる
仲間内のトークルーム
沈黙は強い証拠

A2-2(6.4)
ボタンを押さなくちゃ
開かない自動ドア
やっときみは来てもずっと
気づいていないのか
わざとなのかしら
立ち尽くすだけ

B2(8)
したいことと してほしいこと
多すぎないように捨ててみても
きみの前だと溢れちゃって

C2-1(1.8)
もう強がる必要もないくらい
あぁ 抱きしめられてみたい
人前をふたりきり
変える魔法をください

C2-2(8)
その胸 飛び込んで
きみに抱きしめられてみたい
ほんのあと一歩 踏み出せない今
壊してしまえたら 

というわけで、2番です。「言葉 積もってゆく」から始まっていますが、もうここからセンスを感じますね。児玉雨子さんらしいSNSを描写するような歌詞ですが、季節が冬であることを踏まえると、「積もってゆく」という言葉からは「雪」を感じ、ただラインのようなチャット形式のSNSでメッセージが積もり重なっていくという表現だけに留まらない歌詞になっています。「画面 光ってる」という歌詞もまた寒い景色の中でぼんやりと光が灯っている感じを受けるので、不思議ですね。まぁ、こちらは私だけが勝手にそう感じているだけかもしれませんが。

「仲間内のトークルーム」で「沈黙」しているのは「強い証拠」らしいですが、何の証拠なんですかね? ちょっと解釈に困る部分もありますが、普通に「いつもならすぐに皆のメッセージに反応するけど、今はそれどころじゃないから沈黙している」ということになりますでしょうか。私自身、あまりグループトークで発言するのが得意でない人間なのでピンとは来ませんが、「そこらへんの女の子」ではない人からするとグループトークでROMってるのは異常行動なのかもしれませんね。改めて「仲間内のグループトークでROMってる」と言葉にすると、「自分は異常なんじゃないか」とも思ってしまいますが(笑)。

そして、何よりも次の歌詞がもういじらしい! さすが!としか言いようがないです。

 

私「(ほら、ボタンを押さなくちゃ!)」…開かない自動ドア。

 

あぁ、もうこれだけで飯三杯いけるやーつ。

先に彼の姿を見つけて、主人公の女の子は「やっと来た!」と喜ぶわけですが、そんな彼は目の前の自動ドアが開かずに立ち尽くしているわけです。わざとなのか何なのか知らんが、「はよ、押せ!」と女の子は地団太ダンスを踊り出さずにはいられません。

そんな女の子の柄にもなく急いている感じが、可愛らしくて良いですよね。

と、私はそんなコミカルな感じで捉えてしまいましたが、MVでは「りこりこ」も「おけつマン あんみい」もいたってシリアスな表情をしているので、とにかく女の子の急いてる切なさを感じてみると良いと思います。が、全体を通して、事象の描写と心情の描写が時系列的に倒置法的になっているので、そこもまた面白いところです。タイムマシーン3号の「太らせる力」の漫才で、「デミグラスのスパゲッティ」⇒「借りぐらしのアリエッティ! …って、逆なんだよ!」というのがありましたが…ってこれは全く関係ありませんね(時系列的に逆でしょ、というのが言いたかっただけです)。

 

基本的には男の子の方に問題があるようには思いますが、ただ、この主人公の女の子もなかなかに難しいところがあるようですね。「したいこと」や「してほしいこと」が溢れないようにしたり、人前で抱きつきにいけなかったり、とにかく自制心が強いみたいです。主人公の女の子はそんな自制心のことを「強がり」と言っていますが、もっと素直になっても良いような気もしますね。

とは言え、そう素直になれない理由もあります。「強がり」という言葉を単純に捉えると、「抱きしめてほしい、なんてキャラじゃないから」という文脈での「強がり」となるでしょう。しかし、主人公の女の子には「強がらなくてはならない」別の理由もあります。1つは「そんなことをすれば男の子が“そこらへんの女みてぇだな”と呆れてしまう」からであり、もう1つは…いや、これは最後に取っておくんでした。とんかつの最後の一切れです。ただ、忘れないように言っておきたいのは、「人間として、女としての自尊心を失わないため」です。もちろん、歌詞では「人前で二人きりじゃないから」とか「勇気が足りないから」としか書いていませんが、色々と考えていくと様々な感情が絡み合っているように思います。もちろん、「そんな絡まった感情ごと抱きしめて欲しい!」とも主人公の女の子は思っているわけですが。

 

inter2(8.8)

C3-1(1.8)
境目がなくなるまで ぎゅって
あぁ 抱きしめられてみたい
"そこらへんの女の子"って
呆れないでね お願い

C3-2(8.1.1)
絡まった感情ごと
きみに抱きしめられてみたい
そうすればきっと 見せないで済むのよ
疑いの瞳も
ねえ あの子だれなの

outro(8.2)

基本的には1番の繰り返しです。なので、ここまでの歌詞の答え合わせ的な最後の歌詞についてから話します。

「疑いの瞳も」。そして、「ねえ あの子だれなの」。はい、主人公の女の子は男の子の本命ではありませんでしたとさ(語尾に「~でしたとさ」とつけると、「めでたし、めでたし」と続けたくなるのは何故ですかね)。

これで色々と合点がいきますね。

男の子がやたらと「そこらへんの女の子」って言って、主人公の女の子のベタベタしてこない感じを評価しているのも、本命の彼女がいるからですね。どうせ浮気をしているのだから「ベタベタしたって良いじゃないか」とも思ったりもしますが…罪悪感があるのか、誰かに見られることを恐れているのか、本命の彼女のベタベタが鬱陶しくて本気で主人公の女の子のサバサバした感じを評価しているのか。その辺は何とも言えないところではありますが、いずれにせよ男の子は主人公の女の子を抱きしめたりもせず、その理由は「本命がいるから」ということになりそうです。

2番の歌詞では、「女の子が抱きしめられにいけない理由」が歌われていましたが、その中で私の勝手な解釈で、主人公の女の子の「人間として、女としての自尊心」について言及しました。つまり、自分が本命ではないことに気づいているからこそ、女の子は「2番でもいいの」なんてことを言って泣きついてしまうような、自分ではありたくないと、そう強く思っているわけです。あるいは、「どうせ2番なんだから泣きついたって仕方ないでしょ」という想いもあるのかもしれませんが。

ですが、3番ではついにそんな「強がり」も砕け散って、「絡まった感情ごと、きみに抱きしめられてみたい。そうすればきっと疑いの瞳を魅せないで済むのよ」と歌ってしまいます。つまり、「抱きしめてさえくれれば、もう2番でも何でもいいわ」という堕落の瞬間が歌われているわけですね。

何とも切ない…それで現実には往々にして存在してしまう、苦々しい関係性です。つばきファクトリーのメンバーがどこまでこれらの可能性について考えて、歌っているかまではわかりませんが、表現者としてはそこまで考えたうえで表現してほしいとは思いつつも、アイドルとしてそんなことは考えてもほしくない、なんてことを想ってしまいますね。ま、アイドルも1人の人間ですから、人間としてこの歌詞に共感できてほしいと、やっぱりそう思いますよ。

さて、長くなりましたが、最後にもう一つだけ。

「ねえ あの子だれなの」と最後で歌われていますが、もし歌詞が時系列的に進んでいるものだとすれば、最後の歌詞の前の段階でも、主人公の女の子は随分と身を引いた感じの対応を心掛けています。だから、少なくとも自分が本命ではないということは知っているわけですね。当然、本命の女の子については心得ていることでしょう。しかし、最後には「ねえ あの子だれなの」という歌詞です。これは読み方によっては、「自分は2番だと思っていたけど、もしかしたら3番かもしれない」という解釈もできなくもないでしょう。

最高の離婚」というドラマで、綾野剛さん演じる上原亮は生粋の女ったらしですが、そんな上原亮の「2番」を自負する、小野ゆり子さん演じる有村千尋が「本命」と「自分」以外にも別の女がいると知る場面があります。とても切なく悲しい場面ですが、この「抱きしめられたい」の主人公の女の子も、もしかしたらそういう目に合っているのかもしれませんね。

あぁ、全然関係ないですが、宮本佳林ちゃんと「最高の離婚」を見てから、この曲の歌詞について色々と語り合ってみたいですね。

 

◆ シンコペーションの多用について

はい。ここに来て、もう少し音楽的な解説をば。本当はもっと早くこの記事を仕上げるつもりだったのですが、ここを掘り下げるのに半日近く費やしてしまいました。私は音感が鈍いので、本当に苦労しました。

 

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サビのシンコペーション

小さくてめちゃくちゃ見づらいと思いますが、このちゃっちいエクセルの表を作るのに、とても時間がかかりました。

各小節の4拍目の裏位置をオレンジ色に塗っています。

ご覧の通り、いずれの小節も4拍目の裏に音が来ております。その中でも、そこにアクセントがある場合は、文字を赤く塗っています。見にくいと思いますが、このようにあえて4拍目の裏の位置にアクセントが来て、つまり本来の1小節の表に来るであろうアクセントが半拍早く位置付けられていることをシンコペーションと言います。

この楽曲を聴いてまず思ったのが「シンコペーションやたら多いな」ということでした。とは言え、実際にこうして表にしてみないと、正確にシンコペーションを捉えられなかったので、めちゃくちゃ時間をかけて1つひとつ聴き取っていってみました。

半分以上の小節でシンコペーションが使われています。

メンバーもこのシンコペーションを意識して、アクセントをきっちりつけて歌っているので、「ウリャ、オイ! ウリャ、オイ!」で盛り上がるのも良いですが、シンコペーションを感じながら盛り上がってもみてくださいね! それはそれで音楽をキッチリ捉えているような気分になれて気持ちいいですから!

 

はぁ、長くなってしまいましたね(笑)。

これにてレビューを終わらせていただきます。

 

最後に…

こんな長くなる予定は全くありませんでした。

ぶっちゃけ、つんく♂さんの楽曲よりもわかりやすいし、そこまで言うこともないだろうと高を括っていました。が、一度喋り出すと止まらないのが私の悪いところでありまして。本当ならば、もっとちゃんと「メンバーのここが可愛い!」とかを話す予定だったのですが、もう気力が尽き果てました。

そう言えば、また恥ずかしげもなく、自作の小説のようなものをアップロードしました。まったく今回のレビューには関係ありませんし、鬱陶しいことこの上ないでしょうが、まぁ、このブログの趣旨はそこにあるわけでして。よろしかったら、読んでください。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

自分でタネ明かしするのも非常に興ざめですが、「凍結星」とは「ブラックホール」の異名です。ブラックホールの中では時空間が引き伸ばされ、光さえそこに捕らわれ、出て行くことができません。ゆえに、外の観測者からは視認することができません。そんなようなことを想いながら書きました。というか、これが今回の書き物の完全な、不足無しの「まとめ」です。それでも、これを書くのに3回も書き直しをしました。まったく自分の才能のなさが嫌になります。

これでまた私の中身は空っぽです。

それを埋めるように最近は連続で楽曲レビューの記事を書いています。良い具合でリリースのタイミングも重なってくれました。

また、アクセス数が伸びてくれているのも、私のやる気を後押ししてくれています。どんな形であれ、自分の書いた文章が少しでも人に読まれていると実感できるのは嬉しいものですね。

こんなところまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当に本当にありがとうございます。まりあ、とっても嬉しいです。あ、私は、まりあじゃなかったです。申し訳ございません。