霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.41

適応障害と診断されて76日目(12月29日)の夕方にこの記事を書き始めています。ご時世など丸々無視をして、実家に帰省してぬくぬくと過ごしております。実家に戻ったからと言って、昔馴染みに会うわけでもないですし、そもそも基本的には社会と関わり合わない生活を送っているので、「まぁ、いいかな」という感じです。きっちりと諸々を自粛している方々には大変申し訳ないですが。

 

前回

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1.適応障害と診断されて72日目~怠惰なクリスマス~

この日は金曜日で、月曜は出勤訓練からのハロショ、火曜は図書館、水曜も図書館+FXと連日結構活動的でしたので、その疲れが木曜、金曜と出てしまったようです。寝起きの異常な体の重さを久しぶりに感じたり、若干ですがそわそわ感も出てしまいました。うーん、まぁ、負荷をかけている以上は仕方がないのかもしれません。昼寝もしてしまいましたしね。やっぱりまだ疲れやすい体ということなんでしょう。

せっかくのクリスマスですが、特に外に出ることもなく、1日中寮の中で過ごしていました。主にはハロプロ関連の動画やライブ映像を見ていたように思います。あまりにも何もしていなかったので、こうして後日にブログを書いていると本当に何も思い出せないんですよ。Juice=Juiceのライブ「Octopic」を観賞していたのは覚えているんですけれどね。でも、1日は24時間あるわけでまさかそれだけで1日が終わっているということも無いでしょう。

色んなハロプロメンバーのブログにコメントをしまくったりして、私なりのクリスマスを過ごしていたことも記憶にはありますね。忙しいのに毎日ちゃんとブログを更新していて、本当に偉いですよね。まぁ、仕事だから仕方ないのかもしれませんが、そうは言っても大変なことだと思います。1日中ベッドの上でだらだら過していることが申し訳なくなってきますね。

ところで、これってちょっとした矛盾ですよね。

要は休職して生活に余裕があるからそうやって色々なハロプロメンバーのブログにコメントしたりできるわけで、そのようにしてブログにコメントをして過ごしていると「だらけているんじゃないか」と今度は逆に罪悪感に駆られるのです。まぁ、問題は自分のキャパシティなんですけど。毎日ばりばり働いたうえで、メンバーのブログにコメントを書くだけのキャパシティがあれば…って、心底思いますよ。

と、そんな感じであてもないネットサーフィンをしているうちに、すっかり大事なことを忘れていることに気がつきました。そう言えば、今日はTK from 凛として時雨の「Acoustique Electrick Session for 0」の配信ライブがある日ではありませんか! 先日実際に参戦してきたアコースティックライブとほとんど同じ内容でしたが、若干曲順が違うのと、あとは最後にソロプロジェクトではなく、凛として時雨本体の「Missing Ling」を最後にやってくれたのが嬉しかったですね。会場で聴くのも良かったですが、きちんとミックスされた音を聴くのもこれはこれで良いものですね。より繊細な音を楽しむことができたように思います。

そんなこんなで基本的にはだらだらしたクリスマスだったものの、TKのおかげでちょっとだけ素敵な気持ちになることができました。やっぱりアーティストって偉大!

 

2.適応障害と診断されて73日目~診療、上司と面談、かつての職場へ~

前日は全く以って取るに足らない1日でしたが、この日は何かと予定が詰まっておりました。

まず、午前中は2週間ぶりの診察に向かいます。いつもの通り、10分ほどお話をしただけですが、とりあえず出勤訓練と図書館滞在についてお話し、その後に出た疲れの症状についてもお話しました。お医者様の言うことはいつもと一緒です。

「無理のない範囲で少しずつ負荷をかけて慣らしていきましょう。調子の良い日に頑張った分、調子の悪い日に疲れてしまうのは仕方がないもんです。」

まぁ、本当にその通りだと思いますし、もはやそれでしかないので、もうどうしようもないですね。sinc関数のように、徐々に波の振幅を小さくいていくのが今の私がやっていることです。

ただ、思ったよりもその振幅の減少速度が遅い…つまり現象の傾きがあまいのです。調子の良い日はほとんど普通に生活が送れるようになって、本当にもうあと少しかな…と思える日があるのですけれど、結局そこで張り切り過ぎるとまた「そわそわ感」のような初期によく見られた症状が出てしまう…本当に3歩進んで2歩下がる的な感じですね。残念ですがそれを受け止めるよりほかありません。

ま、その分だけ長く会社を休めるのはメリットという気もするので、甘んじて受け入れていきましょう。

そして、いつものように上司との面談もありました。本当に年の瀬まで申し訳ないです。ありがたいことに、上司もあまり焦らないようにと言ってくれましたし、無理せずやっていきたいですね。

そんな感じで特に目新しいことは何もなく、上司との面談も終わりました。

 

というわけで、急いで支度をして寮を出ます。何と言ってもこの日は前職場の人たちとの飲み会です。前職場の軽い忘年会みたいなものと合わせて、先輩が飲み会を開催してくださいました。

久しぶりに会う人たちばかりでしたが、私の事情もみんな知ってくれていましたし、かなりアットホームな雰囲気で私を受け入れてくださいました。いやぁ、本当にありがたいものです。私がいなくなった後の職場での出来事を色々と聞いたり、普通に思い出話に花を咲かせたり、相も変わらずくだらない話をしているうちにあっという間に時間が過ぎ去っていきます。終電の頃、少しずつ人が減っていくも、結局最後は近場に住む4人で3時ごろまでずっと飲んでいました。

これと言って、このブログで書くようなことは起きないくらいただただ楽しく、懐かしい時間でした。私の「またここに戻りたいですね」という言葉にも、「いやいや、ほんといつでも戻っておいでよ。代わりにあいつ追い出すからさ」みたいに言ってくれるような人たちばかりで有難いです。

ただそんな風に楽しい時間を噛み締めながらも、思うのは「たとえこの場所に戻れるのだとしても、働かなくていいならそれが1番だよな」ということです。なんて悪い人間なんだと自分で自分が情けなくなりますけれど、それが今の1番の本心です。

最近よく思いますね。特にFXをやり始めてからよく思うのは、働くことに対するリスクです。つまりですね、例えばギャンブルをやったり、フリーター生活をしたり、というのは「リスクの高いこと」だと思われがちだと思うんです。まぁ、もちろん安定した経済状況という側面で考えると、それらのことはリスクになるのかもしません。でも、割と真面目に働いていた私は結局精神病なんかにかかってしまい、一時的にせよまともな生活を送れなかったわけです。感情というものも死に絶え、自分が自分でないような感覚にもなっていました。そして、もちろん死にも近づきました。そう考えると、普通に働くこともリスクなんだなぁ…というか生きている以上、生活をしている以上、安定というものに対して何らかの形のリスクを払い続ける必要があるということに気がついたわけですね。当たり前のことですけれど、こうした状況になるまではあまり意識してこなかったようにおもいます。むしろリスク自体を楽しんだり、リスクを最小限に抑えられているのではないかと自己肯定したり、そんなことばかり考えていたように思います。

でも、これまでの私の生活を振り返ると、普通に働いて普通に生活をするということが何ともリスクに溢れているように思えてならないわけです。そんな風に考えてしまうのは私が弱気になっているということもありますが、それでもそう思ってしまうのをやめることはそう簡単にはできません。FXをやっていると、間違った判断をしたときに損失が大きくなる前に、損切をしてダメージを最小限に抑えるということが非常に重要になってきます。しかし、それができずに一気に大きく負けてしまうこともしばしば。運が良ければまた相場が逆転して逆にプラスに転ずることもありますが、全体として負け越している私から言わせれば、確率的にはなかなかそううまくいかないでしょう。それと同じように、私は自分の人生設計というものが、まるで損切りできずにどんどんと損失が大きくなっていく「間違い」だったように思えてならないのです。相場が徐々に不利になっていっているにも関わらず、一瞬だけ相場が逆転するとこのまま逆転するんじゃないかと期待してしまって、「もう少し待ってみよう。もっと好転するかも」という気持ちになり、なかなか損切りできない。しかし、またすぐに悪い方向に相場は流れていって、「さっき切っておけばよかった…」と後悔するわけです。何と言うか、自分の人生そのものがそういう感じような気がしてしまうんです。

いつもの通り、話が脱線しましたが、なんと言うか飲んでいるうちは楽しかったものの、1人でホテルのベッドに身を横たえているとふとそんな気持ちになりました。

けれど、酔いのおかげですぐに眠りが訪れてくれます。

明日は8時に起きて、実家へと帰らなければなりません。

 

3.適応障害と診断されて74日目~寝不足・二日酔い・ピアノの森

副題の寝不足と二日酔いは言うまでもありませんね。当然薬も飲んでいなかったわけですが、まぁ、それが気にならないくらいにはバッド・コンディションです。

朝。アラームをセットしたとおり、8時に起床し、少しだけウダウダした後に、ホテルの大浴場に向かいます。アパートのベランダ程度の幅しかない洗い場。そこにシャワーが8つ程度並び、1辺3m程度の正方形の浴槽が2つ。たったそれだけの「大浴場」なわけですが、宿泊費用も安いし、特に不便なく過ごせたので文句はありません。部屋に備え付けのしなびたユニットバスよりかは幾分かマシです。それにもうだいぶ腐ったような色合いになっていましたが、一応ひのき風呂のようで豊かな森の香りがしました。

よく通っていた松屋で朝食を食べ、吐き気を何とか堪えながら列車の切符を買います。

疲れているし眠れるだろうと踏んでいたのですがなかなか眠ることができそうになく、どうにかして暇を潰そうとNetflixで興味が惹かれるものを探しました。

というわけで、副題の通り「ピアノの森」のアニメを観始めました。

前職場から実家まで、約4時間かかるのですがその間ずっと「ピアノの森」を見ていました。ときどき眠気に襲われもしましたが、なんだかんだ4時間近くは寝ていますし、アニメに集中している間は二日酔いも薬を飲んでいないことも忘れていられます。

あっという間…というほどではありませんが、とりあえず実家にも辿り着き、疲れ果てたままだらっと陽が沈むまでを過ごし、夕飯を食べるとこの日はさっさと眠りました。夜7時には自室に引き籠り、8時には眠ったことと思います。

そんな1日でした。

 

4.適応障害と診断されて75日目~歌~

たっぷり12時間近く眠り(何度か夜中に起きましたが)、この日は1日予定も無し。午前中は昨日に引き続き「ピアノの森」を観て、午後からはひたすらにライブDVDを観て、そしてギターを弾いて歌いまくっていました。

最近、キリンジの「アルカディア」を覚えたので、それは何度も繰り返し歌って弾いていましたね。それから、誰もいないのを良いことに大声で凛として時雨を歌いました。時にはギターを弾きながら、時には先日配信開始された「Acoustique Electrick Session for 0」に合わせて。ほかにもJuice=Juiceやsora tob sakanaの楽曲を歌ったりして、1日を過ごしました。

特に発見というものがあったわけではありませんが、徐々に高音の出し方というのがわかるようになってきた気がしますね。まだまだ酷い音痴ですが、少しずつ自分にあった声の出し方を見つけることができました。

夕食時には先日12月5日に遊びに行った先で買い、実家に送ったワインを飲みました。

と、こんな感じの特に何もない1日です。

本当に書くことがなくなってきますね(笑)。良いことなのか、悪いことなのか。それはよくわかりませんが。

 

5.適応障害と診断されて76日目~ピアノの森・散歩~

そして今日、ようやく「ピアノの森」を全て見終わりました。

総じてショパンが好きになる映画でしたね。楽曲を通して各キャラクターの過去が描かれているところは面白く、特にストーリーの肝となる設定と構成が素晴らしかったですね。主人公の一ノ瀬海がぽんぽんと成長していくところは人によっては「リアリティに欠ける」と思うことかもしれませんが、この作品の中核はやはり主人公の一ノ瀬海とその師匠である阿字野先生の関係性にこそありますね。この2人の生い立ちと関係性をピアノやクラシック音楽を通して表現している作品として捉えると、この作品の面白さを深く感じることができると思います。

そんな感じで「ピアノの森」に感動した後で、午後は散歩に出掛けました。

久しぶりの故郷…でもないか。

音楽を聴きながら懐かしい道を歩き回り、そしてかつて書いた創作物を読んだりしました。少しだけ寂しく、少しだけ悲しく。ほんの1時間ちょいの散歩でしたが、楽しい時間でした。

これから夕飯を食べます。今は「ペンギン・ハイウェイ」という映画を観ています。

 

このところ書くことが無くなってきましたね。

つまらない文章になってしまうのが心苦しいので、来年度からはまた少しこの適応障害ブログの構成について考え直そうと思います。

 

追記

小片リサさん。つばきファクトリー及びハロー!プロジェクトでの活動が終了ということで、本当にお疲れさまでした。個人的にはめちゃくちゃショックです。ちょっと愛が無い言い方になってしまいますが、りさまるのパフォーマンスが大好きでしたし、つばきファクトリーにはかけがえのない存在だったと思っています。

何よりショックだったのは、りさまる本人が、自分の過去がつばきファクトリーにとってマイナスになると考えてしまったことです。確かにそういった側面はあるのかもしれませんし、そのりさまるの考えはたぶん正しいのだと私も思います。福田花音さんがどこかで言っていたように、ハロプロで活動する上で大事なことは「綺麗に生きること」なんでしょう。ハロヲタがそこに気にする気持ちも非常にわかりますし、「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるように、愛ゆえに許せない人がいることも間違いがないでしょう。でも、ももち先輩は「可愛さ余って憎さ0倍」という言葉を残していて、これはただのギャグじゃなくて、真理だと思うんですよね。アイドルを応援しているのだから、たとえどんなことがあってもアイドルとしての活動を諦めて欲しくないんですよ。流出してしまった内容も、どちらかと言えば個人的に好感の持てる部分もありましたし、仮にそれらのことが罪だと感じてしまっているのであれば、やはりつばきファクトリーとして復帰して取り返していって欲しかったですね。

ただそれでも1つ難しいのが、仮に自分がりさまる以外のメンバーに心酔していた場合のことです。自分が応援している人にはたとえどんな形であっても「汚点」のようなものを付けられたくはないと思ってしまうでしょう。仮にその応援している人自身が何か間違いを犯してしまった場合にはきっと許せるんでしょうが、意外と許すことができないのって間違いを犯した本人以外のファンなのかもしれません。「この子はこんなに頑張っているんだから、頼むから他のメンバーがかき回したりしないでくれ」と思ってしまう気持ちは少しだけ分かる気がします。

でも、それを押し付けるのはやっぱり可哀そう過ぎます。

いえ、りさまるが「辞められてせいせいした」と思っているなら良いんですよ。でも、きっとそうじゃないと思うし、思いたいです。りさまるはつばきファクトリーに大切な存在でしたし、もしりさまるが自分の気持ちよりも他人の気持ちを優先して辞めてしまったのだとしたら本当に悲しいことです。そんな風に辞めて良い人ではないんです。こんな言い方をすると、ほかのつばきファクトリーのメンバーに失礼かもしれませんが、りさまるほどつばきファクトリーのことを考えていた人がいるでしょうか?

まぁ、考えているからこそつばきファクトリーでの復帰には至れなかったのだと思いますが…

とにかく今の私から言えるのは、「りさまる、ありがとう!」ということです。りさまるがアイドルとしてやって来たことは本当に偉大です。つばきファクトリーの各楽曲でのパフォーマンスだけでなく、りさまるがいたからこそ、今のつばきファクトリーの形になっている部分もあると思います。りさまるはつばきファクトリーの魂みたいなものだったと思います。そして、今年の夏のハロコンでは、周りにソウルフルな歌姫がたくさんいる中で、りさまるの自分の強みを活かしたウィスパーボイスでのパフォーマンスは本当に格好良かったです。そんな風に自分の長所を客観的に見極め、そこを突き詰められるだけの素晴らしいアイドルだったと思います。

これからのご活躍もお祈りしています。

 

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