霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.56

適応障害と診断されて143日目(3月6日)の夕方にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事は今週の月曜。復職初日に書かせていただきました。復職自体はなかなか喜ばしいことのはずですが、喜びよりも不安や初日の疲労もあって、何だか微妙なテンションの記事になっていますね。

 

 

今回は主に復職第1週目がどういった感じだったかを書いていきます。できること、できないこと。注意すべき事など、色々と勉強になる1週間でした。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

139日目

火曜日。天気が悪く、通勤時から頭痛と吐き気、若干の動機があり。おそらく前日の業務で抱えたストレスやプレッシャーが脳裏にあったからと思われる。出社後、時間をかけて手指のマッサージ、深呼吸等でリラックスさせる。業務自体は前日よりもややスムーズに進めることができた。また、隣の席の先輩がとても丁寧に様々なことを教えてくれた。感謝。少し残業時間に割り込んだものの、ほぼ定時で退社。上司に軽く怒られるも、受け流すことができた。

 

140日目

水曜日。朝起きて頭痛を感じる。出勤前に一息つくことを決め、休んでいると10分くらいで頭痛が収まり、結果いつもより10分程度遅れただけで出勤できた。昼食がいつもより多め。そのせいもあるのか、昼過ぎから頭痛が出始める。いつもより30分程度早めに退社。勤務上問題の無い範囲。帰宅後早めに夕食。動画を観たりして過ごすも頭痛が強く出ているので、風呂もすぐに済ませ、2時間程度早く寝る。

 

141日目

木曜日。昨晩の強い頭痛は緩和されたが、出勤後に腹痛。昨日の反省を踏まえ、休憩を多めに取り、何とか体調の悪化を防ぐ。業務に慣れてきて嬉しい感じもあるが、「もっと色々できるように」と急いてしまう自分がいるので、そことバランスを取るのにも注意が必要。帰宅後はクレジットカードやアプリの設定を行い、ポイント還元率を高くする方法を模索。また、キャンペーンにも申し込む。これで沢山ポイントが入ればいいのだけれど。

 

142日目

金曜日。この日も1日リラックスタイム多めで過ごす。1日を通して軽い頭痛あり。業務自体は少しずつ色々なものに取り組んではいるが、本格稼働できないうちの隙間産業的業務は多くなく、ちょっと手持ち無沙汰な感じもある。が、今は自分の体調優先で良いはず。それでも退社直前に技術的な談義が盛り上がり、無駄に残業してしまった。帰宅後は楽しみにしていた「凛として時雨」の配信ライブを楽しむ。前回の配信ライブよりも粗めの「音」でとても良い。少し夜更かし。

 

143日目

土曜日。昨晩やや夜更かししたにも関わらず、いつもの時間に目覚まし無しで起床。ただの習慣なら良いけど、リラックスできていないせいだとしたら、ちょっと考えもの。今回の診察からちょっと早めの時間帯に。頭痛の件や勤務の状況を話すと、「もっとゆっくりで良いと思いますけどね。くれぐれも無理なさらず」と言われた。頑張っていると認めてもらえ嬉しい反面、気をつけなければと、勝ってもいないが兜の緒を締める。診察後に3時間ほど散歩。昼はラーメンを食べて幸福。でも、帰宅後に軽い頭痛が出る。やはり大食は交感神経を刺激し過ぎるか。

 

2.カレンダーまとめ

というわけで、復職しての最初の1週間は無事勤務的には問題なく、定時出社定時退社を基本として過ごすことができました。まぁ、フレックスを導入しているので、そこに救われた感もありますが。

ただこの1週間ずっと頭痛に悩まされています。やはり業務が始まったことによるプレッシャーと、実際的な負荷が問題のようです。特に業務だとついつい集中し過ぎてしまうので、軽く時間を決めて休憩するように心掛けています。私の不調の原因は交感神経(緊張や集中)の過剰活発かつ副交感神経(リラックス)の活動不良なので、無理やりリラックスさせるわけですね。

色々と勉強して復職前から取り入れている、ストレッチやマッサージ、そして可能な場合はマインドフルネス・瞑想・深呼吸なども活用しています。1~2時間間隔で一度騒々しいオフィスを離れ、トイレでゆっくりと手や指のマッサージを行い、ゆっくりと深呼吸をしたりしています。トイレで深呼吸っていかがなものか…というのもありますが、幸い現在の職場のトイレは換気も行き届いていますし、なかなか綺麗です。

昼休憩時はもう大胆にマッサージしながら瞑想ですね。「吐気 ツボ」で調べると出て来るような、よくある手や指、手首のツボを押すマッサージを行いながら、3:6の深呼吸を行います。余裕があれば、簡単にボディスキャン瞑想もして、昂る交感神経を抑制し、副交感神経に滋養を与えてやります。

あと気を付けるべきは昼食ですね。幸い、コロナ禍ということもあって、職場では外食を禁止しています。なので、事前に昼食を準備してそれを静かに自分のデスクで食べています。食べる量は必要最小限にし、極力GI値の低いものを食べるようにしています。それでもやっぱりエネルギーは必要なので、結果的には雑穀米系のおにぎりを1個という感じになっています。

説明が前後しますが、GI値とは食後の血糖値上昇の度合いを示すもので、炭水化物など糖質が多く含まれた食事を摂ると、一気に血糖値が上昇します。これにより幸福感(ドーパミン)がだだ洩れ状態となるので、ラーメン次郎なんかは最強なわけですが、その分上昇した血糖値は急激に下がってきます。このときに強い眠気や調子の悪いときは苛立ちがやって来るわけですね。これはまさに食事によって、交感神経と副交感神経が強い揺さぶりを受けていることを意味しています。なので、会社では極力食事を最小限に留め、この血糖値の上下運動を起こさないように気をつけています。

実際に水曜日には、ちょっとした会社の都合でがっつりとお弁当を食べることになってしまい、午後から一気に体調を崩してしまいました。もちろん復職して間もないので、疲れや上手く自分を制御できていないということも理由にあげられるとは思いますが、それでも食事というのも結構大きな要因であるのだと実感しました。

幸い、体の免疫力を上げたり、疲れにくい体を作るために軽いファスティングダイエットなども始めていたので、この辺りのことにも気を配れていました。ちなみに「GI値」などは元Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんが良く言っていたので、事前知識として持ち合わせていました。佳林ちゃんに健康オタクの時期があって良かった! そして、彼女は今、完全に少年漫画・アニメオタクとなっていますが。

 

そんな感じで、とにかく業務は業務で覚えつつ、何よりも「いかにリラックスさせるか」を考え、実践し続けた1週間でした。めちゃくちゃ気を使って、何とかバランスを取りつつ、週末まで耐えきったと言っても良いでしょう。おかげでこの記事を書いている土曜日現在はそこまで体調不良を感じておりません。

やはり若干の疲労感があり、また昼にがっつりラーメンを食べたので、頭痛も出てしまいましたが(笑)。

 

3.やれること・やれないこと、そして理解と感謝

復職して思うのは、今の私が完全なる会社のお荷物、役立たずであるということです。周りの人がめちゃくちゃ残業しながら何とか業務をこなしている脇で、私は定時退社。しかも、私がちょっとした業務を進めるためにも、わからないことだらけなので、先輩に色々聞かなくてはならず、沢山の時間を奪ってしまう始末。全く以って、私はいったい何のために存在しているのかわかりません。

エア・ギアの凛鱗人(リンド)というキャラクターは「女に足を引っ張られて男は脚が長くなるものさ」的なカッコイイセリフを残していますが、残念ながら私は精神疾患持ちの冴えないクズ男です。私が足を引っ張ることで先輩の脚が伸びてくれれば良いのですが…望み薄ですね。

とは言え、教えてもらわなくては仕事もできないままですし、出勤しているからには何かしら自分にもできることを見つけてやっていきたいという想いはあります。なので、もちろんできる限りのことはやろうとしてしまうのですが、逆にそこで頑張り過ぎると頭痛等の症状が出て来るのであまり良くない。大道芸人みたいに上手くバランスを取れれば良いのですが、今の私にはなかなかそれもまだ難しく、何とか空き缶の上にのっけた板切れの上から落っこちないように無様に右往左往しております。

 

適応障害になってから、同じような苦しみを抱えている人に対して何かしらできないかと考えることが増えてきています。

治療のポイントって何だろうなぁ、とよく考えています。

色々と読んだり観てきたり実感してきたりしたものの寄せ集めですが、やはり大事なのは「今」をベースに全ての判断を行っていくことだと思います。今の私にはまだまだ療養が必要で、当然ながらできることとできないことがあります。しかしながら、会社というものはもちろん利益を追求する組織なので、組織としての「目標」があり、それを達成するために私たち社員の「業務」があります。つまり、私自身の体調とは関係ないところで、私の「やるべき業務」というのは決められてしまうのが基本です。

しかしながら、そういう風に私の状態を度外視してやってくる業務というのは、非常に危険なものです。「健康なら進んでやるべき事・やらなくてはいけない事」というものはあるのでしょうが、そういった周囲の要求に応えられるだけの私ではありません。というか、そもそもそういう考え方に固執していたがために私は適応障害なんてものになってしまったのだと思います。

 

***ここから長く話が脱線します***

 

思い返せば、そもそものこの10年間の希死願望の原因もそういったところにあると思います。私はこれまで大学を留年したりとかなり好き勝手に生きてきたわけですが、それでも常に悩みの種は「社会との摩擦」でした。私は高校生までずっと人からどう見られるかばかり気にして生きて来て、社会の漠然とした総意によって共通認識と化した人生の偏差値のようなものに捉われていました。少なくとも高校生頃までの私にはそういった「尺度」みたいなものが明確に刻み込まれており、全国模試の偏差値のように「今の私の人間としての偏差値はいくらか」ということばかり気にしていました。

はっきり言ってしまえば、「ほかの人が3時間かかってテストで85点を取るところ、自分は1時間半で90点取れた。だから私は天才で、人間としての偏差値が高い」というような考え方をしていました。こういう考え方は勉強だけでなく、あらゆるところに滲み出ていました。けれど、そんな風にして生きていても楽しくとも何ともありません。優越感、というよりは虚栄心に浸っているばかりで、卑しい幸福感のようなものはありましたが、同時に常に不安を抱えていました。つまり、他人との比較の中でしか自分の存在価値がないのです。うまくいかなければ苛立ち、どうにもできなければ逃避しました。

高校生の頃に素敵な女の子と交際していました。しかし、私がその子と交際したいと思ったのは、世間から見てその子が良い子だったからです。そして、私が欲しかったのはその子と交際できたという事実だけだったのです。テストの点数と一緒です。私はその子と付き合うことで、自分の虚栄心を満たしていただけでした。本当はその子のことがちゃんと好きだったはずなのに…

というわけで、そんなこんなでその子とも長くは続かず、大学受験も舐め腐った態度だったので、当然上手くいくことはなく、ほとんど何も持たない状態で実家を離れ、大学生の1人暮らしが始まりました。もともと人見知りで、自分から交友関係を広げていくことが苦手でした。サークルにも入りましたが、みんな楽しむことばかりで、私の虚栄心を満たしてくれるものは多くありませんでした。また、大学のカリキュラム上の都合で、後期からはそのサークル活動に参加することもできなくなりました。大学では学業の成績など自慢すべきものではなく、むしろネタにすべきものであるので、ここでも私は虚栄心を満たせませんでした。

孤独に過す中で、私は自分のこれまでの人生が全く間違っているものだと気づきました。そして、高校の頃に交際していたあの子が本当に素敵な子であったこともそのときになってようやくわかったのです。

いったいなぜ私はこんな矮小な価値観の中でこれまで生きてきたのか。誰が私にそのせせこましい、卑しい水槽の中で生きるように仕向けてきたのか。私が自己評価の基準として常に意識してきた「社会」って何なんだ!?

そんなことを考え始めるようになってから、私はようやく反抗期を迎えたわけです。こんなクソみたいな社会で評価されたって、なんの意味もないじゃないか。自分ばっかり訳の分からない競争に参加させられていて、虚栄心という餌を与えられてきたけれど、そんなのはまやかしだったじゃないか。本当の人間の人生とは、生きる価値とはどこにあるんだ!?

 

結果、私は自分をこんな風にまやかしの水槽の中に閉じ込めていた社会を憎み、本当の価値を模索する旅に出ることになりました。旅と言っても、自室に籠り、世を呪い、様々な芸術やら学術やらに触れるというものです。そして、何度もこのブログで話して来ている通り、自分というものをぶっ壊す行為を繰り返したわけです。数年がかりで自分をぶっ壊し、何もなくなりました。何も無くなったのはいいのですが、そこから私は私だけの新しい城を建てるために、またそのまま突っ走り始めます。

よし。これまでの自分はぶっ壊した。手元には自分をぶっ壊すための様々な道具が残っている。諸行無常というツルハシ、虚無というハンマー、神というロープ、堕落というスコップ…そんなものを使って私はさらに自分を痛めつけるということを続けていきます。

この世界の真の姿はいったいなんであろう。ともかく、苦しみばかりしかないことはわかった。生きるべきか、死ぬべきかという問の答は既にシェイクスピアが「死んだ方が得だ」と出している。それでも生きているのはなぜか。死ねないからだ。死ねないから生きているだけに過ぎない。ならば、これからの人生は死に漸近していくことだけを考えよう。そのためには苦しみを味わい、それを味わい深いと感じ、「死にたい」と感じることだけを生きる糧としよう。

 

まぁ、ざっくり言うとこんな感じで私は自己虐待を続けるに至ります。私としてはとても筋が通っているように思うのですが、いかがでしょうか。幾分かそもそもの前提が色々と間違っている可能性もあるのですが、少なくともその時の私にはそういった前提しかよりどころが無かったのも確かなのです。

 

そういうわけで留年までしたわけですが、それでも何とか私なりに社会と歩み寄る術を見つけ出し、就職することができました。就職してからは、いや学生のバイト中もそうでしたが、私は心の底では社会を否定し、死を望んでいるからこそ、「少なくとも働いているときだけは社会貢献をしよう」と思うようになっていました。例えばその頃から私は将来いつ自死を実行に移すかわからないという前提のもと生きていましたので、「子供は作るまい」と決めていました。なので、生物の存在理由の大まかな部分が失われたと考えていたわけです。それでも私は生き続けている。心の底では生命を否定しながらも、生き続けている。動植物の生命を奪い、社会システムに生かされている。その代償のようなものとして、「少なくとも働いているときだけは社会貢献をしよう」という考えになっていったのです。

だから、基本的に私が社会人として働いているときは、高校生までの自分を持ち出すようにしていました。つまり、「社会に求められ、それを全うする人」として行動し続けていたわけです。内心では「社会なんてぶっ壊れてしまえばいい」、「早く死にたい」と考えているのに、外面ばかりは「周囲の期待に応えなくては」という鎧で武装していました。

もうぐちゃぐちゃです。そんなぐちゃぐちゃを抱えながら、私はほぼ生きる意欲を失くしていました。

これも何度も書いてきたことですが、1回目の自殺前に書き上げた「霧氷」は適応障害になる半年以上も前から書いていた創作物になります。この「霧氷」のタイトルは、生きる意欲が既に過冷却状態にあるということを意識して名付けました。そして、もちろん「霧氷」を書くよりも前から、私の希死願望は創作物の中で何度も何度もぶちまけられてきました。

そのようにして、「何かを書く」ということによって、自分の内面に抱える混乱と苦痛を昇華し、外面は社会と何とか適合しようとやってきたわけです。だから、会社の人から認めてもらえると、喜びと怒りと悲しみとが混ざったよくわからない感情になりました。それでも、とりあえずは「この社会で生きていていいんだ」と思えるだけの免罪符にはなっていたように思います。つまり、「これだけ死にたいと思っていても、社会で必要とされているから生きている」というような状態とも言えるわけです。

 

***脱線、とりあえず終わり***

 

まぁ、そんなわけで私は周囲の人から認められるためだけに働いていました。もちろん仕事自体を興味深く思い、面白味を見出している部分が皆無というわけではありません。それなりに仕事を楽しんでもいました。しかしながら、基本的には「周囲の期待に応えること」=「働くこと」だったわけです。

しかし、今の私には周囲の期待に応えるなんて全く以ってできません。そんな状態に対して一体どのようにして割り切りをつけるか。

 

まず生きることの定義を見つめ直しました。

そう、生きているから生きている、というありきたりな論を持ち出しすことにしました。死にたいという気持ちを捨て去ってからは、ただ生きている瞬間に、自分の内に何らかの熱源を感じ、それが希望なのだと感じることができるようになりました。生きていると、何か希望が湧いて来る。それだけが生きる理由で良いのだと暫定的な解を自分に与えることにしました。

すると、私にはもはや「周囲の期待に応えなくて良い」ということがわかってくるのです。だって、大事なのは生き続けることであって、周囲から失望されても生きていくことはできます。だいたい、あれだけ泣き喚いて休職させてもらっているんですから、今さら「期待を裏切る」だとか「失望される」だとかを恐れる必要はないですよね。既に落ちるところまで落ちてるんですから。

そこまで来るともはや私が行動を決める上で判断基準となるのは、「今の自分にできるか・できないか」ということでしかありません。それが「仕事」という半強制的なことであっても、「できないことはできない」わけで、私にできることは「仮にそれをやりたくない、と思ってもできるのであればやろうではないか」という妥協だけです。なので、まずは「できる・できない」ベースでものを考えるようにしました。

そこまで来ると、続けてやるべきことは「理解してもらう」ということです。

健康な人ならできることも、今の私にはできない。だって、病気なんだもの。ということを周りに理解してもらうことです。

これはまだ模索中ですが、ちょくちょく会話をしたり、業務を受ける・受けないみたいな微妙な瞬間でそれとなく「今の私は無理ができませんよ~」ということを伝えるように心がけています。上司には週末に1週間の体調を報告するメールを送りました。

そして、おおむね私のそういったことに対して、理解をしてくれ、みんな配慮してくれています。

そのことについては本当に感謝しかありません。

感謝、感謝、感謝です。

ここ数週間、毎日感謝したことなどを書き出すようにしていますが、だいたい会社の人に対して感謝をしています。

 

そんなわけで未だ綱渡り感が否めませんが、それでも何とかやっております。

体調最優先。やらなきゃ、やるべきではなく、やれるかやれないかで判断。そのうえで何とか周囲の理解を得つつ、理解してもらえたら感謝。理解してもらえなくても、私が働けない分働いていただいているのだから感謝。

そんな感じですね。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.55

適応障害と診断されて138日目(3月1日)の夜にこの記事を書き始めています。

そして、今日からきちんと復職となりました。ここまで長かった…でも、まだまだ周りの人のようには働けないし、夕方から頭痛も出たりしているので、ここからもきっと長いんでしょうね。

 

前回

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前回はようやく人らしい休日を送れたことに感動したという内容ですが、今回はまたそこから先に進みました。が、今日1日業務らしい業務をしてみて、ストレスと疲労でやや体調を崩しているので、なかなか思うようにはいかないなーという感じですね。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

131日目

月曜日。朝から出社し、勉強しつつ隣の席の同僚と少し話したりできた。退社後、スマホの修理へ。良いキッカケだと思って、iPhone12に買い替える。店員の中国人の方がとても良く対応してくださり、嬉しかった。そして、最新スマホは容量も大きいし、サクサク動くのでとても便利。

 

132日目

火曜日。この日はカレンダー通りの休日。好きなギター動画をまとめた記事を投稿。ウイルスバスターの更新に苦戦するも、何とかやり切る。1日中寮にいて、少しリフレッシュできた。

 

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133日目

水曜日。朝から1日出社。苦手と感じる先輩とも話せた。また、苦手な上司にも声をかけ、復職に向けての段取り…というか向うの思惑を聞けた。ちゃんと復職してから話す、ということらしい。それならそれでOK。断りを入れておくことが大事。

 

134日目

木曜日。朝から1日出社。隣の席の人とはもう普通に喋れる。退社の道中で道に迷っている受験生を救う。ホテルまで案内してあげた。福岡から受験しに来たらしいが、受験校が私の落ちた大学だった。受かることを願う。

 

135日目

金曜日。朝から1日出社。定時で上がり、一度寮に戻ってから、すぐに遠方の友人宅に向けて飛び出す。この日は友人宅に泊まり、翌日の朝からスキーに行く予定だったが、地震の影響で新幹線が速度を落としての運行となっていて、友人宅まで辿り着けず。急遽、見知らぬ土地の見知らぬホテルで1泊。急な事態にも臨機応変に対応できた。

 

136日目

土曜日。ホテルのバイキングで朝食を取り、友人たち(自分を入れて3人)と合流するために電車を乗り継ぐ。昼前から夜までスキーを楽しみ、スキー場で1泊。大学時代の思い出話や、友人の会社の愚痴を聞いたり、自分の病気のことを話したり。久しぶりに人と沢山話したし、運動もしたので疲れたが、症状は出なかった。

 

137日目

日曜日。朝からまたスキー。友人たちには、大事を取って昼には帰るという相談をすることができた。今までの自分なら無理やり最後まで付き合っていたけれど、ちゃんと自分の状態を踏まえて、話をすることができた。帰りの新幹線でドキュメンタルを観切る。

 

138日目

月曜日。今日から復職。朝方上司からようやく業務らしい業務を言われる。先輩に教えてもらいながら、集中して業務に取り組む。時間を意識したり、色々な人に教えを請うたり、やはり結構な負担。夕方には頭痛が出始め、定時で上がらせてもらった。やや仕事をやり残し、先輩に投げてしまったが、これも致し方ない…と思うことにする。何よりも自分の体調を優先させよう。

 

2.カレンダーのまとめ

復職に向けた会社との調整で、何日か連続で規定の勤務をこなす必要があったので、お給料も出ない中、出社訓練を続けていました。それがだいたい先週のやっていたことですね。そうしてようやく本日を以って正式に復帰となりました。まぁ、お給料が出ないことは別に良いんです。傷病手当金も貰えるわけですし、何よりも私が周りに迷惑をかけているわけですからね。

ただ、とりあえず「出勤できてますよ!」という実績を作ったは良いものの、全然まだまだ本調子ではありません。その点をどれだけ上司や同僚に理解してもらい、配慮してもらえるかというのが今の時点での私の課題ですね。わかってくれている人も多いとは思うのですが、肝心の直属の上司が何とも言い難い…もともと仕事には厳しい人ではあるので、他の人に比べたら私は随分と甘えさせてもらっている立場であることは確かなのですが、やっぱり面と向かって仕事を任され、「ちゃんとやれよ」という風に言われるとドキっとしますね。

ただようやく業務に携われると思うと、少しだけ後ろめたさのようなものは軽減されます。今は「責任」というものが非常に重荷に感じられてしまい、ちょっと心が苦しくなっているような状況ですが、上にも書いた通り、夕方には頭痛も出てきたので無理せず先輩に仕事を投げて帰って来ました。先輩、すみません。

「今日もちょっと定時で帰らせてもらっていいですか…?」

という言い方をして仕事を投げてしまったのですが、ちゃんと「頭痛が…」と説明した方が良かったかな、と今になって少し後悔しています。この辺りの自分の体調の伝え方なんかはなかなか難しいところです。「復職」というイベントによって、相手の求めるレベルがぐっと上がったような気がしているのですが、対して私が提供できるレベルはあまり高くないので、そのギャップがちょっと苦しいです。でも、素直にできないことはできないと言って、どうにかこうにか相手方の理解を待ちたいと思います。私の提供できるもののレベルを上げることはどうしたってできないので、向こうに合わせてもらうしかありません。そう考えることで、少しは罪悪感も薄まりますし、何よりも無理をして体調を悪化させずに済むと考えています。

ま、それで「お前、もっとちゃんと働けよ。復職したんだろ。やる気あんのかよ」的な感じになるのだとしたら、どうぞ解雇してくださいとしか言いようがありませんね。そして、私はまた新しい人生を歩んでいきましょう。必ずしもこの会社に残らなければいけないというわけではないですからね。広く、緩やかにやっていきましょう。

 

と、疲れもあってちょっと言いたいことがまとまりませんが、とりあえず「復帰おめ!」ということで。不安や困ったことも沢山ありますが、まぁ、その辺はゆるゆると1つずつ解決していきましょう。急いても今の私には大して何もできやしないので。やれることを1つずつ積み重ねるだけです。

 

スマホショップの店員さん(中国人の方)

先週の日曜日に松屋に行った帰りにスマホを落とし、画面が割れてしまいました。その日のうちにケータイキャリアのショップに予約を取り、翌日の月曜の仕事終わりに直行。

私の応対をしてくれたのは、中国人の店員さんでした。

沢山世話になっていて、沢山甘えさせてもらっている母の悪口を言いたくはないのですが、私が母の苦手とするところに「中国人の方に対する偏見」というのがあります。母がそういうことを口にする度に、「メディアに翻弄され過ぎだよ」と嫌味を言ってみたり、私が関わって来た素敵な中国人の方の話をしたりしているのですが、なかなか改めてくれません。

確かに母が言うような色々な不快を覚える経験もあるにはあるのですが、それはどうしたって文化の違いから来るものでなかなか防ぎようがありません。それに、それこそ日本人が海外旅行先でマナーが悪いということを考えると、相手ばかり責めてはいられません。だから、「偏見」でものを言うのは、相手にとっても失礼ですし、自分にとってもリスクのある行動だと思うのです。と、そんなことを言いながら、私はウルサイ車やバイクに乗っている人を一方的に憎んでおりますが(笑)。だって、大学時代に国道の近くに住んでいたせいで、ずうっと嫌な気持ちにさせられてきたので。でも、それだって自分のせい。もう二度と国道の傍になんか住むもんか。

…話がずれました。

ともかくですね。私はこれまで素敵な中国人の方と関わってきました。

大学の研究室時代には中国人留学生がいました。そんなに仲良くなれないまま研究室を移って行ってしまいましたが、私が苦手とする分野を丁寧に教えてくれたり、日本語で苦労しながらも、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれました。

そして、何と言っても会社に入社して、実習期間中に仲良くなった同期がとても素晴らしい中国の方でした。私よりも年上で、とても良い大学を出ているのですが、奢ったところはないですし、困ったときは素直に頼ってくれます。そして、技術的なものへの興味が強く、色々とテクノロジーの話などをしました。好奇心も強く、そしてピュアで、「日本の会社はおかしい!」と言ったりもしていましたが、そんな彼に会社の歴史や組織としてのしがらみなどについて話して聞かせるのは私にとっても良い経験でした。何よりも、直接的に言葉で「〇〇くんがいてくれてホントに助かった。これからも仲良くしてほしい」と言ってくれて、私はとても嬉しくなりました。「〇〇くんの発表、すごかった。日本語でのプレゼンの勉強したいから原稿をメールして欲しい」なんてことも言ってくれたんですよ。なんか、思い出すだけで涙が出そうです。本当に素敵な人です。

その人とはまた別の同期にも中国人の人がいて、彼は私が病気になった時に、「今度美味しい中華料理を食べに行きましょう!」と誘ってくれ、何人か人を集めて「中華料理を食べる会」と開いてくれました。一緒に技術的な研修をする期間もあったのですが、困ったときは頼ってくれましたし、昔も今も誰かが困っていたら躊躇せず助けてくれます。お国柄ということになるかもしれませんが、日本人だったら躊躇して救いの手を伸ばせない状況でも、純粋な気持ちで手を差し伸べてくれます。そういうのが私にとってはとても嬉しいことだったのです。

そんなわけで、私は中国人の方が好きです。

スマホショップで私の応対をしてくれた方も、とても丁寧な方でした。どうしても日本語の会話ではところどころ難しいと感じる部分もあるのですが、頭の良い方であることは間違いがなく、私の色々な質問にも的確に答えてくれました。変にマニュアルに固執することもなく、私の生活の事情などに合わせて提案もしてくれました。例えば私は転勤の多い会社で基本的に会社の寮を転々とするような感じなのですが、その話をすると「固定回線を引くのはちょっと考えた方がいいですね」とか、そういうことをちゃんと言ってくれました。「寮」という言葉に聞き馴染みがなかったのか、漢字を書いて伝えあったり、そういうことはありましたが。しかし、そんなちょっとしたコミュニケーションの手間や摩擦なんかよりも、やはり彼の紳士な応対や頭の良さが何よりも私にとっては助かることでしたね。

ともかく言えることは、私は中国人をはじめとして、外人の方が基本的に好きです。丁寧ですし、何と言うか奢ったところが無く、真摯さや優しさを感じるのです。改めて、ありがとうと言いたいですね。

 

道に迷う受験生

木曜日の夕方の出来事です。会社帰りの交差点で、「すみません!」と右往左往している1人の男の子を見かけました。とりあえずそこにいた人たちは見て見ぬふり的な感じだったのですが、私もここ数か月は他人に助けられっぱなしだったので、「どうかしましたか?」と声をかけてみました。

プリントアウトした地図を手に、どうやらホテルを探しているらしいことはわかったのですが、軽いパニックにあるのかちょっと何を言っているかわかりませんでした。それでも何とか宥めて、買い替えたばかりのスマホの地図アプリを場所を説明してあげました。が、どうやら説明を冷静に理解できるような状態でもなさそうです。

まぁ、私は定時退社をしてきたばかりですし、時間にはたっぷりと余裕もあるので、ホテルまで案内をしてあげることにしました。

その道すがら話を聞くと、国公立大学の前期入試のために福岡からやって来たということです。そうか、もうそんな時期だったのですね。印刷した地図を手に持っているということは、スマホも持たずに来たということでしょうか。このご時世に凄いなぁ、とちょっとだけ引きつつ(笑)、それでもよくよく見てみるとどこかで見覚えがあります。極端に視野が狭く、人の話を聞かずにベラベラと喋りまくる。そして、「すみません。〇〇というところが聞き取れなかったので、〇〇という風に勘違いしてしまいました」というようなことを普通の会話の中で言ってくる感じ。思い当たるところがあり、「どこの大学の受験だったんですか?」と聞いてみると、案の定ゴリゴリの理系大学を受験している方でした。

うむ。私が落ちた大学ですね。そして、小中学校の同級生にその路頭に迷っている受験生と同じようなタイプの人間がいたのですが、そいつはその大学に合格していました。というわけで、その路頭に迷っていた彼も何となく合格できそうな気がします。

と、別に私はその子も同級生の子も貶めたいわけではなくてですね、むしろ私はそういう人が好きなんですよ。昔から。

多分ですけど、私も本来は彼らのようなタイプの人間なんです。色々と学問の話をしたりするのは楽しいですし、私もやっぱり夢中になると視野が狭くなったりする方なので、彼らの事は何となく理解できるところが多いのです。でも、なんか変な見栄とか 虚栄心みたいなもののせいで、彼らのようにありのままの姿で振舞うことができず、カッコつけてしまうんですね。まぁ、たいしてカッコつけられてもいないんですが。

そんなわけで何かそういうのもあって、路頭に迷っている彼を放っておけなかったということもあります。

が、面白いのは、おそらく彼以上に私の方が困っているということです。

私は今もなお適応障害、というかうつ病に苦しんでおり、世間から見ればよっぽど「え? 大丈夫ですか?」という位置にいる人間です。でも、そんな人間にも救える場面もあるんですね。こんな私でも人の役に立てる、というのは喜ばしいことです。

そして、少しだけ大学時代を思い出しました。

そう言えば、大学を留年し、基本的に二日酔いの状態で時間を過ごし、淀んだ虚無感の中で「死にたい」と思いながら生きている時期にも、よく散歩に出かけた先でご老人の道案内をしていました。道に迷っている人から声をかけられやすい星のもとに生まれているんだなぁとよく思っていたのですが、何の生産性も無い1日の中で道案内をしたことだけが私の存在意義であるような日も多々ありました。

そんな昔から進歩しているのかしていないのかよくわかりませんが、そうやって曲がりなりにも「人助け」と呼べることができて、なんか良かったです。邪魔者でしかない自分にも存在価値があったのだと思うと、やっぱり嬉しい気持ちになりますね。

ちなみに、私が助けなくても誰か別の人が助けていた、という正論は絶対に言わないでください。

 

楽しいスキー

大学時代のバイト先の後輩2人からスキーに誘われて予定を組んでいました。2月末の土日です。

どうせ2月末まで休職だからと安請け合いしていたのですが、上述の通り、会社との取り決めの中で連続の出勤実績が必要ということになり、仕事が終わってからの出発となりました。

金曜日の夜に会社が終わった後、新幹線で東北にある後輩の家に行く予定でした。が、先日の地震の影響で新幹線が減速運転をしていることを知らなかったため、後輩の家まで辿り着くことができませんでした。新幹線に乗っている間にも何度かアナウンスがあったと思いますし、明らかに到着時刻が遅れていることにも気づいていたのですが、情報収集や再考を疎かにしていたため、予定通りの駅で新幹線を降りたときにはもうほとんどどこにも行けない状態になっていました。愕然。

仕方が無いので、後輩には謝罪をして、その見知らぬ土地でホテルを探すことに。駅前にホテルがあり、ホテルがある方の出口で降りたつもりだったのですが、線路やら何やらのせいで、めちゃくちゃ迂回する羽目になりました。出口を間違ったのが最大の敗因でしたね。気がつけば雪がちらつく東北の町で20分近くも歩いていました。

1つ目のホテル。1泊6100円…「ちょっと高いですね」と言って値引きを待ってみたものの、何も提案されることなくホテルを後にします。まぁ、近くにはネットカフェもあるようなので、最悪そこでも良いなぁと考えていました。

そして、2つ目のホテル。1泊7500円…「いやぁ、高いですね」と言って背を向けたところに、「ちょっとお待ちください!」という声がかかりました。
待ってました!

どれくらい安くなるかなぁ、とウキウキしていると、「いわくつきの部屋がありまして…」と小さな声で囁かれます。

「いわくつきですか…」

「はい。実は…」

「ごくり…」

「ボイラー室の上の部屋でちょっとうるさいんですが、5500円でいかがでしょう?」

私が勝手に「いわくつき=お化け系」と思っていたので、ちょっと拍子抜けでしたが、2000円も値引きしてくれるならと思い、そのホテルに決めました。

ネットカフェよりはかなり高いですが、まぁ、広いお風呂にも入れましたし、ベッドはふかふか。なかなか良い気分でした。ボイラー室の上の部屋と言われても別段ウルサイとは感じませんでした。普段、私は貨物列車が行き来するような超騒音物件(=会社の寮)に住んでいるので、ぜんぜん余裕でした。

こういうハプニングも旅の楽しみですね。

 

後輩と相談して、翌日の朝一でもう1人の後輩を仙台駅まで車で迎えに行くということだったので、私はスキー場の最寄り駅まで自力で行くことになりました。地方のローカル線に揺られながら、雪景色を眺めていると、とても長閑な気分になりました。このブログにも投稿している「霧氷」を読み返したりしながら、ゆるゆると電車に揺られ、辿り着いたのは無人駅。

近くのコンビニまで歩いて、そこで後輩に拾ってもらいました。

 

年始以来のスキーで、年始はスキーの翌日から体調を崩し、2度目の自殺未遂にまでなっていたので少し不安もあったのですが、総じて楽しいスキーでした。バイト先の後輩でもありながら、大学の後輩でもあるので、色々と話は弾みましたし、私もうつ病漫談なんかをしながら結構楽しい時間を過ごすことができました。ナイターも滑ったのですが、満月がとても美しかったですね。また、雪質も最高でした。

いやぁ、本当に滑っていて気持ちの良いスキー場でした。夏油(がとう)スキー場というところなのですが、スノボ中毒の後輩が「最高の雪質」というだけありましたね。コースも幅が広く、そんなに混んでもいなかったので、とっても伸び伸びと滑ることができました。天気が良かったのもまた最高でした。

スキー場に複合のホテルに泊まったのですが、温泉では「お客さん、そろそろ時間ですよ」と言われるまで色々と話し込みました。私の病気の話もしましたが、後輩も色々と悩みを相談してくれて嬉しかったです。

 

そして、私的に重大だったのは、2日目の昼に1人で先に帰るということでした。

後輩の1人はスキー場に比較的近いところで生活をしており、もう1人はまだ大学生なので遅くまで滑っていくということだったのですが、私はさすがに翌日には会社もありますし、復帰1日目です。しかも、体調的にもあまり疲れすぎると良くない状況です。今までの私なら後先考えずに、割とノリで付き合うことがほとんどだったのですが、2度目の自殺未遂以降考えを改めているので、きちんと自分の状態を話して理解をしてもらったうえで先に帰らせてもらいました。何よりも自分を労わることが大切。

これが成長なのかはわかりませんが、ちゃんと自分の意見を言えるというのは、とても大事なことのような気がしました。特に、今の私にとっては。

 

最後に…

疲れもあって、いつもよりもかなり乱文になっている気がします。

が、もうそろそろ寝る準備を始める時間でもあるので、今日はこのくらいにしておきます。また明日もきっと大変な1日になるでしょう。

無理せずやっていきたいと思います(頑張る、という言葉は使わないの)。

それではおやすみなさい。

 

次回

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ギター動画選(記録1)

誰とバンドを組むでもなく、1人でエレキギターを弾き始めて早7年かそこら。

未だに技術は初心者ですが、ギタリストはやっぱりカッコ良いなと思いますし、それなりに動画を観る機会も多いです。先日、後に紹介する弓木英梨乃さんの素敵な動画を観てから、「好きなギター動画でもまとめておくか」と思うようになり、今日は天気も多いのでようやく重い腰を上げて記事を書くことにしました。

というわけで、ただただ個人的な趣味に則って好きなギター動画のリンクを並べ、とちょっとした感想を書き連ねていきます。

 

 

弓木英梨乃・<BTS ”Dynamite”>

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うーん。何回聴いてもやっぱり良いですねぇ。

キリンジのギタリストとしても名を馳せている弓木さんですが、とにかくリズムとピッチの正確さがとんでもないです。ギターって結構安定した音を出すのが難しいんですが、これだけクリーンな音で気持ち良く聴かせるって本当に上手い人です。フレーズのバリエーションも豊かで、飽きさせることもありませんし、「言うことない」ってこういう感じですよね。

冒頭の「バイオリン奏法(ボリューム奏法)」から質の高さを感じます。カッティング、ミュートも超丁寧。1音1音が粒立っていて、聴いていて本当に心地良いです。42秒あたりの2~3弦を使ったハーモニクスなんか、「あんなに綺麗に音出せるんだ!」と個人的には結構ビックリです。

終始楽しそうに弾いている姿も素敵ですが、最後のサビからの歪ませてのギターソロでは一気にメーターを振り切って、トランスしている感じがカッコイイです。それでもブレない!ここがやっぱり弓木さんの素晴らしいところです。

 

Ichika Nito・<”lunar">

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私がいま1番好きなギタリスト、というかギター詩人的な存在であるIchikaさん。元々は「lunar」という曲名で動画を出していたのですが、いつの間にかそちらの動画は消えて、今は「When you're wandering around IKEA looking for the Exit but you're lost and accepted your fate」(IKEAで出口を探して彷徨っていたけど、道に迷って自らの運命を受け入れるしかない)という動画タイトルに変わっていました。

本楽曲についてはタッピングやメロディラインの美しさはもちろんのこと、途中で挟まれる「ツクツクツク」というミュートをしてのピッキングにグっと来ます。こんなに綺麗に差し込んでいるのは初めて観ました。

Ichikaさんの動画は1分未満のものが多く、しかしその短い時間の中に圧倒的な情景を詰め込んでいるので、まさに詩的なギターと言えるでしょう。そしてタッピングを主とした様々な超絶技巧。ただ上手いだけでなく、ギター1本で、しかも短時間で人の心を捉える世界を完結させてしまえる才能には脱帽です。

私がIchikaさんを知ったきっかけは、「i miss you」という自曲を題材にした「10 LEVEL OF GUITAR」という動画で、10段階に徐々にギター技術を上げていくという内容でした。Ichikaさんご本人の動画は消えているので、カバー動画のリンクを貼っておきます。

 

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こちらの方も非常に上手ですね。

後にIchikaさんも「Hard Version」ということで動画をアップロードしています。

 

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歪の強いギターを使っており、死ぬほどオリジナルバージョンを聴いていた私からするとまた一風変わっていて素敵です。そして、Ichikaさんは別の「10 LEVELS OF GUITAR」動画もアップロードしています。

 

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動画数が多くて申し訳ございませんが、最後にもう1曲だけ大好きな曲を。

 

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まぁ、1つひとつの動画が短いので問題はないでしょう。こちらの「Arpeggio」はもちろん曲名の通りアルペジオを駆使した楽曲になっているのですが、非常に切なく、繊細でセンチメンタルな情景が大好きです。最初に紹介した元「lunar」と合わせて繰り返し聴いております。

私はIchikaさんの繊細で切ない曲が好きですが、激しめの曲もいくつも作っていますし、変則チューニングを用いた楽曲もあります。また、伝説のギタリストであるCharさんともセッションを行っていたり、ベースで作った楽曲もあるので、できれば全てをオススメしたいところではあります。

…書いていたらもうあと1動画だけ、ベースの動画ですが紹介したくなりました。

 

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動画尺は短いので嫌にならないでください。こちらは変則チューニングかつベースの楽曲です。そして、カッコイイ。ということで、こんなこともできてしまうIchika Nitoさんでした。

 

田中義人、エジマハルシ(ポルカドットスティングレイ)<”Urtra Test Drive Session">

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ポルカドットスティングレイというバンドが好きで、そのギタリストであるエジマハルシさんからこの動画を見つけたのですが、田中義人さんの技巧に感銘を受けました。存じ上げなかったのですが、田中義人さんは名だたるJ-POPアーティスト(宇多田ヒカル秦基博YUKIなど)のレコーディングやアレンジに関わって来た方ということです。

セッション動画としての質も非常に高いですが、若手バンドギタリストであるエジマハルシさんのエッジが効いて勢いのある青いギターと、熟練の万能ギタリストである田中義人さんの確かな技術や感性、そしてフレーズの多用さなどが絡み合い、観ていて楽しい動画です。音作りからして2人の差異が見て取れ、世間的に「上手い!」とされている人たちの間でも、それぞれに個性やベクトルがあるのだなぁと思わされます。

感想としてはちょっと短くなってしまいますが、最近観たギター動画の中ではかなり印象に強く残っていて、ベースを嗜む父にも教えたりした素敵な動画でした。

 

Kyuhee Park・<Roland Dyens ”Fuoco">

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朴葵姫(パク・キュヒ)さんを知ったのは大学時代でした。そこから少しずつクラシックギターの興味を持つようになったのですが、そのお美しい外見はもちろん素敵なわけですが、柔らかくしなやかで力強い演奏が素敵な方です。

この動画は黒張りの広いスタジオの中で黒い衣装を着ている朴葵姫さんというその映像の質の高さが良いですね。クラシックギターと言うと、どうしてもコンサートホールでの映像のイメージが強いのですが、映像作品のために収録されているので、私みたいにあまりクラシックギターに馴染みのない方でも親しみやすさがあると思います。

楽曲はローラン・ディアンスさんという現代ギターの詩人(Ichika Nitoさんの時も同じようなことを言いましたね…)が作曲されており、ほかにも沢山の名曲を残しています。この「Fuoco(フォーコ)」という楽曲はイタリア語で「火」を意味し、ローラン・ディアンスさん自身が生死の境を彷徨ったときのことをイメージして作った楽曲らしいです。命の炎の揺らめきを感じます。最後は暖炉の木がぽきりと首を折るようにして終わり、ドラマチックな楽曲とも言えるでしょう。

ローラン・ディアンスさんは独特なメロディラインや構成の楽曲を多く作っていて、「Felicidade」や「Tango en Sky」なども有名曲です。特に「Tango en Sky」は日本の誇るクラシックギタリストである村治佳織さんの得意とする楽曲です。村治佳織さんの端正できりっとした演奏技術に非常にマッチしていて、「Tango en Sky」なら村治佳織さんのものが1番好きですね。

ちなみに私が朴葵姫さんを知ったきっかけとなる動画は「ソルの主題による変奏曲」という楽曲ですが、これもどうも公式動画っぽくないので、リンクを貼るのは控えさせていただきます。8分以上もある楽曲で、楽曲の世界観も好きな感じですし、途中ハーモニクスだけで弾いたり、左手だけで弾いたりするパートがあり、最後にはかなりの盛り上がりを見せる楽曲でもあるので、その楽曲構成もともに大好きで良く聴いています。

 

個人的な趣味編

ここからはもう個人的な趣味で好きな動画を紹介していきます。もちろん、これまでも個人的な趣味ではあったのですが、ここからはギタリストとして云々ということではなく、好きなバンドの好きなギタリストなどが関わっている好きな動画を貼っていく感じになります。

 

山田亮一・<Funk Discussion Brothers ”Devil’s manner Funkadelic">

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私の大好きな山田亮一さん。ハヌマーンバズマザーズといったバンドのギターボーカルとして活躍しており、そのとびっきりの作詞能力には魅了させられっぱなしです。でも、そんな山田亮一さん、ギターのテクニックも普通に素晴らしいです。

もう映像も録音状態もかなり質が悪いですが、若々しいエネルギーを感じますね。「こんばんわ。ファンク・ディスカッション・ブラザーズです」という挨拶からのスタートがとにかくカッコイイ! 10年以上も前の動画で2021年2月現在で24,000再生くらいの動画で、言ってしまえば「誰が見んねん」状態の動画とも言えますが、私はかなり再生回数に貢献していると思いますよ。彼これ何年にもわたって見続けていますからね。

Funk Discussion Brothers自体の活動はこの映像くらいのものだと認識しておりますが、ほかにも何曲かあるので、ぜひ聞いてみていただきたいです。特に「B loved」はおすすめです。スローテンポの演奏に合わせて、やや吃音症気味の山田亮一さんが「B型の女って、タルいわ~」的な詩を朗読するという山田亮一好きには堪らない楽曲となっております。何気なくて見落としてしまいますが「ラ・理想」という言葉が出て来て、「あぁ、『理想』って女性名詞なんだな」としたり顔で頷いた経験がありますね。「グラハム・ベルの発明と孫正義の企業努力によって、自分はまさに今、不条理な睡眠妨害に被られる深夜3時」という歌詞は好き過ぎて、何度も反芻していました。

って、ギターの話からずれてしまいましたね。

ちなみにAmazonで音源を買うこともできますが、決して録音状態が良いとは言えないので、本当に好きになったら買ってみていただきたいです。

 

TK・<凛として時雨 ”傍観">

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まぁ、当然大好きな凛として時雨も紹介することになります。

凛として時雨自体なかなかライブ映像を公開しないバンドではありましたが、先日の配信ライブ映像を15周年記念の「#4 -Retorunadio-」の付属Blu-rayディスクに収録してくれました。さすがにその動画は仮に無断投稿されていてもリンクを貼るわけにはいきません。

というわけで、2015年にロンドンで行われた撮影OKのライブ映像のリンクを貼らせていただきます。

TKのギターはもはやメロディやフレーズというところを通り越して「音」ですね。もうこのハウリングとノイズ、そしてめちゃくちゃに弾き倒すのが伝統芸能。ファーストアルバムである「#4」に収録されている「傍観」ですが、そこから多くのライブの最後の楽曲として披露されてきました。凛として時雨はアンコールをしないバンドですが、その理由の1つには、この「傍観」という楽曲の存在が大きいでしょう。

だいたいのライブ構成は、序盤から淡々と楽曲を演奏しまくり、だいたい途中でドラムのピエール中野さんプレゼンツのお楽しみタイム(昔はコール&レスポンスとかやっていましたが、最近はドラムソロが多いのかな?)が入ります。そしてまた淡々と楽曲を演奏しまくって、最後にベースの345さんによるボソボソ声のグッズ紹介でほんわかとして、最後の追い込みをかけるという流れになります。そして、最後にはこの「傍観」が披露されて、ぐわーっとなり、もう後には何も残らないよね?的な感じで去っていきます。

時代によって様々なアレンジパターンがありますが、どれも轟音のギターが鳴り響くことには変わりません。そして、この5年前の映像くらいから数か月前の配信ライブまでは、絶叫のちギターソロ、ギター投げで終わっていると思います。

ライブハウスで聴くとこの5倍は凄いです。「音が旨い」ってこういう感じです。何度聴いても圧倒されますね。

 

照井順政・<sora tob sakana「広告の街」>

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さっきから動画の撮影状況としてはアレな感じものですが、こういうものの方がギターの生々しい感じが出て好きなのかもしれません。と、記事を書いていて思いました。

こちらはsora tob sakanaというアイドル(2020年9月解散)の「広告の街」という楽曲になります。ギターを弾いているのが、プロデューサーで作詞・作曲のほとんどを担当する照井さんになります。ちなみに、ベースを弾いているのはお兄さんです。プロデューサーでありながら、自分もハイスイノナサというマスロックバンドをやっています。sora tob sakanaもマスロックやプログレの要素を取り入れたアイドルグループで、この動画を観てわかる通り、ポップでありながらも非常に前衛的な楽曲をやっています。

特にこの「広告の街」はギターが素晴らしく難しいです。が、sora tob sakana自体バンドセットでのライブも節目でやっており、解散ライブでは4時間もバンドセットライブを行っていました。そして、実際にライブでもさらっとこのギターを弾いているんですよね。ほんと惚れます。

 

長岡亮介・<ペトロールズ "FUEL">

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ここまでなかなか変わり種をご紹介してきたので、最後くらいちゃんとしたものをご紹介して終わりましょう。

本当にこの頃の頂フェスの動画を観ると青春って感じがしますね。カーテンを閉め切った部屋の中で、1人で泥酔しているような青春だったのですが(笑)。

この動画に関してはもはや説明不要ですね。長岡亮介浮雲)さんと言えば、もう説明不要のスーパーギタリストです。紅白歌合戦なんか一体何回出てるんだって話ですしね。だいたい最近は椎名林檎さんと星野源さんのバンドで1年に2回くらい紅白出場を果たしています。

長岡亮介さんみたいになりたくて、シンプルで無造作な格好をしようと思っても、ただのもさい田舎っぺになってしまうのは、あるあるですね。

 

最期に…

ギター上手くなりたいですね。

でも、漫然とただ好き勝手に弾いているだけじゃ、全然上手くなりません。

やっぱり観る専門というのが良さそうですね。

適応障害と診断されまして… vol.54

適応障害と診断されて129日目(2月21日)の午後にこの記事を書き始めています。ちょっと前に、映画「あの頃。」の感想記事を投稿したばかりです。

この適応障害ブログを書くようになってから、半分日記がてらで心動かされたものを記録していくのは何だかいい気がしますね。まぁ、その分1つひとつの記事のクオリティが下がってしまうので、それは少し気掛かりですが。

 

前回

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前回記事は124日目までの内容を書いていましたが、記事の投降後もちょっと記録しておくべきことがあったので、その内容も今回記事には盛り込んで置こうと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

124日目

月曜日。朝起きるも体調が優れず出社を断念。寝て起きてを繰り返し、夕方ごろに前回記事を投稿。その後、両親と電話し、何とか就寝前ルーティンを戻すことに成功。

 

125日目

火曜日。朝から頭痛で二度寝。が、二度目から覚めたタイミングでは復調しており、そこから出社。なんだかんだ5時間半程度在社できた。夕方前に帰宅し、昼寝。若干復調し、ルーティンも実行できた。

 

126日目

水曜日。朝から出社。業務知識の勉強に集中できた。職場内の清掃時に、割と同僚と会話をすることができた。ほんの少しだけど、周囲に貢献できているという実感を得られた。規定時間在社できた。

 

127日目

木曜日。朝から出社。電話を取ることもでき、不在の人の代理で少しだけ業務を行うことができた。1つずつやれることが増えていく。規定時間在社できた。前日よりもリラックスして過ごすことができたと思う。手のツボマッサージの効果か。

 

128日目

金曜日。朝から出社。15時くらいに頭痛が出たり、若干勉強にも集中できなかったように思う。手のツボマッサージも沢山行い、何とか既定の在社時間をクリア。先は長い。また帰宅後は佳林ちゃんのインスタを観て、その後に会社の先輩(研究室時代の先輩でもある)と電話。気にかけて貰っていて嬉しい。

 

129日目

土曜日。ゆっくり起床。午前中は病院に通院。医者ともちゃんと話せた。変化点なので薬の量は据え置き。昼は1番大好きなラーメン屋に行き、味に超感動。アロマや下着の買い物を済ませ、映画「あの頃。」を観賞。床屋で髪を切り、帰宅。充実した休日を過ごせたことに感動。

 

130日目

日曜日。8時~9時過ぎくらいで散歩。モーニング娘。の「恋ING」等初期楽曲を聴きながら、映画「あの頃。」について思いを馳せる。寮に戻り、会社の先輩2人(どちらも研究室時代の先輩でもある)と電話。気にかけて貰っていて嬉しい。昼前辺りから、映画「あの頃。」の記事を執筆。15時前くらいからこの記事の執筆。

 

2.カレンダーのまとめ

週の頭こそ、前週の疲れのせいで不調だったものの、そこから何とか持ち直し、水曜~金曜の3日連続で既定の出社時間をクリアできました。まだまだ本格的に働けるだけの体力は戻っていませんが、大きく見れば復帰に向けて回復してきているように思います。

嬉しいのは徐々にではありますが、職場で同僚と話せるようになってきているということです。普通に電話の取次ぎもできますし、掃除などのちょっとした雑務をしながら軽い会話もできるようになってきており、周りの人も私という存在に慣れて来ているような感じを受けます。こんな私でも受け入れてくださっていることには感謝をしなければなりませんね。本当にありがたいです。

また、人が少ないタイミングで私が電話に出ざるを得なく、そこで不在の人の代わりにちょっとした業務を行うこともできました。休職前に2週間いた中で覚えた仕事だったので、最初は社内システムの使い方とか忘れているところもありましたが、どうにかこうにかやり切ることができました。ほんのちょっとではありますが、これも1つ嬉しかったことです。

他にも、大学の研究室時代の先輩であり、私をこの会社に誘ってくれた先輩が、私の職場にやって来て、それがきっかけで久しぶりにお話をすることができました。金曜の夜にその先輩と1対1で電話をして、この記事を書いている日曜の午前中には、もう1人の先輩も交えて3人でお話をすることができました。先輩の大変だった話を聞けたのもそうですが、似たような経験をしてきているので、どういう風に考えたら良いかということを先輩が何とか私の状態に配慮しながら伝えようとしてくれているのを感じられてとても感動しました。

 

これはまた後で書くことになりそうですが、この「適応障害」という病気とその治療を通して、少しずつ「普通の人」になれているような気がします。

何と言うか、私にはずっと希死願望があり、表面上で話を合わせていても、「どうせこの人たちは死にたいと思ってない人だ」というのがあり、人と話せば話すほどに疎外感のようなものを感じていました。「なんでこの人たちはこんなに生きることに前向き何だろう」と全く理解ができなかったのです。どういう気持ちなのか不思議でたまらなくて、何か人生やら何やらについて私に語ってくれるような人であっても、「この人たちは私が本当に知りたいと思ってることを教えてくれるわけじゃない」と白けてしまうのです。白けてしまう、というよりは「うん。理解できるし、興味深くもある。でも、私がしたい話じゃない」という感じでしょうか。

伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」という小説の中で、主人公の弟であり、作品の重要人物である「春(ハル)」のセリフの中にこんなものがあった気がします。

 

暴力やセックスの話なんてアフリカの動物にしてごらんよ。「そんなこと知ってるから、もっと面白い話をしてくれよ」ってきっと笑われる。

 

たしか、こんなようなセリフだったように思います。

まさにそんな感じだったわけです。楽しいことや生活、将来の展望なんてことは私には全く興味がなく、「なぜこんなにも苦しいのに生きねばならないのか」とかそういう話をしてもらいたいと私は常々感じておりました。誰でもいいから教えてくれよ、と本気で思っていました。「毎日私はこんなにも死にたいと思っているのに、この人たちは何を求めてこんな話ばかりしているのだろう」と思っていたわけです。

何と言うか、お笑い芸人が、ゴールデンタイムのバラエティ番組での立ち振る舞いと、深夜番組や自分のラジオ番組での立ち振る舞いを使い分けるようにして、私はとりあえず人と話を合わせてきました。だって、どうせこの気持ちをどうにかしてくれる人なんていないし、良くて私の気持ちに対して軽い賛同を示して、どこかで聞いたことのあるようなアドバイスをしてくれるだけです。目から鱗が落ちるような言葉を与えてくれる人なんていないと考えていたわけですね。そして、私は孤独を感じ、自己嫌悪に陥り、そして社会を憎むわけです。

 

でも、臨死体験を経て、「とりあえず死んではみた。もういっか」となってからは、少しずつ「生きる」ということに対して前向きになれている気がします。そして、そういう気持ちになって来ると、何というかようやくこれまで話が噛み合わなかった人たちと同じ土俵で話ができているという気持ちになって来るんですよね。

この感覚って、本当に凄いです。

今ならみんながどういう気持ちで話をしているのか、ちょっとだけわかるような気がします。今までは私は水槽の中にいて、水とガラス越しに他人と会話していて、「いやいや、そんなん言うてますけど、あんたらこの水中の暮らしなんて想像すらできてはりませんやろ」と怒り狂っていたわけです。それが、ようやく私も水槽の中から這い出て、未だビショビショな状態ではあるわけですけど、「あぁ、はいはい。これが空気ね。風、そして森の匂い。はいはい」と何となく納得できる気がしてきたわけです。

何度も言いますが、「同じ土俵で話ができる」ってかなり凄いことです。感動すら覚えますね。

 

そして、昨日土曜日はようやく健康な人間の休日を取り戻したような気がしました。

朝起きてシャワーを浴びて、病院に行きました。病院ではお医者様と復職に向けた現状についてお話をして、ちゃんと話し合ったうえで「薬の量は据え置きで」ということになりました。「ストレスのかかる状況の中で良くやってますよ」と言っていただけたのも嬉しかったですね。別にお医者様に褒められるためにやっているわけではないですが、誰かから私のやっていることを承認してもらえるというのはやはり自信に繋がりますし、心の落ち着くことです。

そして、前日にチケットの予約していた映画「あの頃。」までは2時間ちょい時間があります。なので、計画していた通り、大学時代に通い詰めた世界一美味いラーメン屋に足を運びました。そして、そこで食べたラーメンがやっぱりめちゃくちゃ美味いんですよ。同じような系統のラーメン屋は色んな所に乱立していますが、ここのラーメンは他とは一味も二味も違います。スープを一口。もうその瞬間に完璧なバランスのしょっぱさと濃厚さ、そしてすぅっと抜けるおそらくはネギなどの野菜の旨み。本当に良いものを食べているという感覚にさせてくれます。

ここ最近、体調を整えるためにちょっとずつプチ断食を試しにやっており、この日も朝ご飯を抜いていたのでそれも相まっての美味しさだったかもしれません。でも、病気が回復しつつあり、感覚が研ぎ澄まされていたこともあると思うんです。

そして、そんな感動を考えつつ、映画館のある街に移動し、そこでアロマと下着を買いました。12月3日に初めてアロマを購入してから初めての買い足し。専用のグラスにオイルを溜めて、棒を突き刺す「リードディフューザー」というタイプなのですが、オイルが無くなってグラスがカピカピになっておりました。私が初めて買った香りのものはもう販売が停止してしまったのか、商品棚から消えてしまっていました。良い匂いだと思ったのに、不人気だったのか…なんかショックです。仕方が無いので、新しい匂いのものを購入。まぁ、これはこれで良い匂いだし、いっか。下着とパンツを沢山処分したので、また新たに購入しました。安物ではなく、ちゃんとしたものを買った方が破れにくいし経済的なんでしょうか。これはちょっと悩ましい問題ですね。

 

そして、その後は映画「あの頃。」を観に行きました。

 

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感想記事も書かせていただきましたが、素敵な映画でした。トイレを我慢できない、眠気を我慢できない、周りの人の存在が気になって集中できない、といった種々の理由から私は映画館で映画を観るのが苦手です。なので、基本的には人から誘われたときにしか行かないのですが、今回はハロプロ関連だったので行ってみました。よくよく考えて見れば、音楽ライブに行けてるんですから映画館だって行けるはずですよね。そんなことに今になって気付く自分に、ちょっとびっくりしてます。

そして、映画で満足した後は床屋に行って、髪をバッサリ切ってもらいました。お恥ずかしい話ですが、私は床屋も苦手でして、中学生くらいから就職するまでずっと自分で髪を切っていました。なので、大抵は酷い髪型で過ごしていました。社会人になった手前、自分で切り損ねてとんでもないことになっても大変なので、無理やり床屋に行っております。地方で働いていたときは住んでいたところの近くに床屋があり、そこではいつもFMのラジオがかかっていて、店主お1人で切り盛りしていて、穏やかで物静かな人だったのであまり苦にはなりませんでした。が、転勤してからはどこに行くべきかということで非常に困っていました。

そして、1か月ほど前に行った床屋はちょっと微妙だったので、今回は別のところに行ってみました。というか、QBハウスに行きました。安くて早くて事務的なので、とりあえず通いやすいと思いました。出来栄えも少なくとも私が自分で切るよりはよっぽど良いです。立地も駅前で良いので、今後利用していくことになりそうです。

 

そんな感じで土曜日はかなり活動的な1日を過ごしたわけですが、今までだったら「ちょっと負荷がかかり過ぎじゃないかな」とか「頭痛いから帰ろう」とか「そわそわしてきた」とか、「そもそもそんな行動的な計画なんて組めないよー」という感じだったのですが、ようやく私にも普通に休日を過ごす権利が戻ってきたような気がしました。

これもとても嬉しいことですね。気持ちや考え方の部分でも一般人に近づけてきたわけですが、体調の方も復調して来て、何か月かぶりにちゃんとした休日を休日らしく過ごせているような気がします。本当にうつ病の回復って「人権を取り戻す」みたいな感覚がありますね。決してうつ病患者の方に人権が無いと言っている訳じゃありませんが、私自身の感覚で言えば、やはり普通の日常を過ごすことができなくなっていたので、こうして普通に活動的な休日を大きな不安なく過ごせるというのは、素晴らしく自由を感じますし、「生きているのだな」と感じます。

 

そんな風にして今日この記事を書いている日曜日も朝から散歩に出たりして、ちょっと活動的に過していました。結局夕方から書き始めたこの記事も休憩を挟んだりなんだりしているうちに、両親と電話したり、夕食を食べに出た先でスマホを落として画面が割れてしまったり(泣)、イライラしながら修理の手続きを踏んだり(オンラインで修理対応してくれるから、と複雑な手続きを踏んだ末に「お客様の機種ではご対応致しかねます」的な文言で失望させられ、仕方なくショップの訪問予約を取りました)、まぁ結果的に散々な時間を過ごしていました。
ですが、そんな風にイライラしながらも、思い返せば生きていることを実感した1日でもありました。これまでは生きていても何も喜ばしいことは無いし、何らかの命を奪ってまで生き続けていても何にもならない。ただ無駄で虚無で浪費でしかない。人生なんて腐る過程にしか過ぎないと思っていたわけです。苦しみながら無様に腐っていくことに一体何の意味があるというのか。生きている人々は何かに希望を見出しているのだろうか。仮に希望を見出しているのだとすれば、そんなものは幻想か思想誘導に過ぎず、命というものの意味や定義について考えれば考えるほどにそれは全くの無価値であり、希望なんてものはどこにもなく、無責任に「希望」なんてものを抱くから「失望」し、「絶望」するのだ。もっとも、正確に人生や命を捉えている私からすれば「希望」なんてものはまやかしでしかないわけだから、そういったフラットな状態を「希望が絶えている」としてより静寂な「絶望」と定義できよう…なんてことを考えていたわけですね。

ただそんな状態が行き着く先はやはり何度も言うように「自死」でしかなく、「自死」にまで半分以上辿り着いた私にとっては、辿り着いた先で新たなる目的地を設定せざるを得ないのです。というわけで、そんな言語的正確性を持つ「絶望=Hopeless」という思想を一旦肩から降ろし、今は何とかまた自分の人生をスタートさせようとしているのですが、こうして何事もなく時を過ごしていると、ふつふつと何かの熱源のようなものを内に感じ始めるようになります。

そして、それはほとんど理論や虐殺的な感性を伴わない、ふわりとした無定形の「希望」であるような気がしました。生きていることがきっと皆の言う「希望」だったのでしょう。現在の自分の思想や価値、将来の展望、そういった小難しいことではなく、「希望のために生きる」でも「どんな状況でも希望はあるから生きていかなくちゃ」とかでもなく、ただ普通の人にとっては「生きていること」そのものが「希望」というものだったんだろうということがようやく私にもわかってきた気がします。

暖かい風を感じて、心が少し浮き立つ。

この感覚を私は今まで感傷性と結び付けて、人間の儚さや感性の刃のようなものへと変換してきましたが、今はそういうことはお休み中です。肩の荷を降ろしているのです。すると、不思議なことにその暖かい風が、体に染み渡り、何の意味も成していないただの小さな熱源になりました。それが前述のふわりとした無定形の「希望」なんだと自然を理解できた気がします。この「希望」を感じたからと言って、別に何があるわけではありません。この瞬間にも人間はどこかで殺し合い、汚らしい行いで自らを貶め、美しいものを台無しにしています。動植物を殺し、食い、地球という星を蝕んでいます。そして、そんな風にして何とか守っている地球もいずれ太陽の超新星爆発とともに滅びます。生命の欠片なんてこれっぽっちも残りません。では、この「希望」に何の意味があるのか。意味なんてありませんが、「生きている」という事実を認識することには役立ちそうです。そして、「希望のために生きている」のではなく、「生きているから希望がある」のだと、そう思いました。ニワトリとたまごみたいな話ですけれど。

 

まぁ、ちょっと臭いことを書き連ねたように思いますが、不思議なものでそういう風にしか評し得ないものを感じたのは確かなのです。もしかしたら私が何も考えずに過ごしていた時には感じていた感覚なのかもしれません。しかし、少なくとも大学時代からこの10年近くはほとんど感じ得なかった感覚です。涙が出るほどのことではなかったのですが、ちょっぴり感動はしました。何となく私の大嫌いな人類がこうして無意味に無価値に「生きている」理由はここにあったのかもしれません。

私はまだその新しい発見に当惑している状況ですが、今後少しずつその着想から思考を深めていき、もう少し自分の納得のいく形で理解をしていきたいと思います。

 

というわけで、明日もちゃんと職場に行って、帰りがけにスマホショップに寄って、修理の相談です。こういうことがあると「やっぱり生活ってめんどくせぇ」と思ってしまいますが、前ほど嫌じゃないかもです。なんだかんだ言って、今が1番最高!みたいな感覚をアイドルから自分の人生へと流用しましょう。映画「あの頃。」の感想文を書きながらそんなことを思い、今に至ります。

 

次回

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映画「あの頃。」感想 ~絶対に「恋ING」を聴きたくなる~

映画の感想を書くのは初めてになりますね。

映画もまぁそれなりに好きである方だとは自覚しているのですが、なかなかちゃんとレビューができるほどには知識や技術が追い付いてはいないので、単に感想として記録に止めておこうと思います。

 

 

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映画「あの頃。」

 

ざっくり感想

本ブログでも沢山取り上げさせていただいているように、私はハロプロのファン、つまりハロヲタです。

本作「あの頃。」はハロヲタでもある劒樹人さんが自叙伝コミックエッセイとして出版された「あの頃。男子かしまし物語」を原作とした映画となっております。私は申し訳ないことに原作を読んでいません。存在は何年も前から知っていたのですが、買おう買おうと思いながらもずっと先送りにしてしまっていました。

調べればどこにでも書いてありますが、一応ざっくりと概要を話しておくと、上記の写真のようにハロプロというアイドル集団を介して仲良くなった大人の青春物語みたいなものです。ハロヲタあるあるも随所にちりばめられていますし、ハロヲタである私からすると映画館で自分の趣味が大スクリーンに映し出されているという状況は、どこか渋谷のスクランブル交差点で服を脱いでいるかのような恥ずかしささえ感じました。「ヲタクってこんなもんっしょ?」みたいな妥協や軽薄さや一歩引いたような感じも無く、ヲタクの熱量そのままに映像の中に収めてくださっているので、素直に楽しむことができました。

が、しかしながら、あくまで「ハロプロ」というのは導入にしか過ぎません。私が贔屓にしているYouTubeチャンネルである「おませちゃんブラザーズ」でもさっそく紹介されていましたが、とても良い表現をしてくださっています。

シンクロ知らなくても、ウォーターボーイズって面白かったじゃん。 

そう、まさにその通りだと思いました。「ハロプロわからん」という人にも十分楽しんでもらえる内容だと思います。

 

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基本的に私が映画に対して抱いた感想と言うのはこの動画の中でほぼ語られているので、このブログを読むよりかはこちらの動画を観ていただいた方が早いと思います。

※こちらの動画は途中からネタバレもありますが、動画中でちゃんと時間を取ってネタバレゾーンに移行してくださっているので、安心して観ていただけます。

下ネタなども多く、所謂「男子高生ノリ」みたいなものが終始面白いです。主人公であり、語り部でもある劒樹人(役者:松坂桃李)も物語の主軸にはいますが、どちらかと言うと、コズミン(役者:仲野太賀)というキャラクターの憎めない愛らしさのようなものが物語の中で輝いています。

 

ここからがっつりネタバレになります。

 

物語は音楽で食べていくことを目標にしながらもうだつの上がらない日々を過ごす劒樹人(原作者)さんが主人公となっています。大阪で暮らし、バンド活動をしながらも、バイトばかりしていてバンドメンバーからは「バイトする時間があったらもっと練習しろ」と怒鳴られ今日も力無く帰宅。虚ろな想いで過ごしていると、ポストには友人から松浦亜弥のMV集DVDが突っ込まれています。「パチンコめっちゃ勝ったわ。これでも観て元気出せ」。コンビニで買って来た弁当を食べながら、何の気なしにDVDを観始め、「♡桃色片想い♡」のMVがブラウン管に映し出されます。そして、自然と涙が零れ落ちて来る…

そんな導入がありながら、松浦亜弥のCDを買いに行った小さなCDショップで、そこの店長から「ハロプロのイベントやってるから良かったら来てよ」と1枚のチラシを渡されます。何気なく訪れた非公式なトークイベント。そこでは同じようにハロプロに救われ、そこに日々の生きがいを見出している人たちの真剣でありながらも、くだらなくて楽し気なお喋りが繰り広げられています。

 

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ちょっと雰囲気は違いますし、作中のトークイベントはアイドルさんの出演は無しのものになりますが、ざっとこんな感じの奴です。

※この「アイドル三十六房」という企画は、何年も前からやっており、ハロプロメンバー出演の回もあったり、本映画原作者の劒さんの出演回もあります。2015年3月18日の回ですが、劒さんが喋っているのはここで初めて拝見しました。終始申し訳なさそうにしているのが、とても印象的でした。今はZOCで活躍中の福田花音(現: 巫まろ)さんも共演しており、たぶん探せばどこかに動画が残っているはずです。非公式の動画なのでリンクを貼るのは控えさせていただきますね。ただハロヲタにとってはめちゃくちゃ面白いのでぜひ観ていただきたいですね。

 

…と、振り返りのために動画を観直していたら、かなり時間が過ぎてしまっていました。金朋が歌っている”さっぱりスイーツ”って何なんでしょうね?

 

そして、そのトークイベントの主催者たちとも仲良くなり、劒さん自身も主催者側としてイベントに出るようになります。イベントだけでなく、6人が集まって狭い部屋の中でライブ映像を観たり、一緒に銭湯に行ったり、そういう日常の場面もとてもイキイキとしていて、普段は皆生きることに苦労していながらも、とても明るく生きている姿が愛おしいです。

作中には先頭の脱衣所の中の何気ない会話で、「学生時代が1番良かったみたいに言うやつがいるけど、おれは今が1番楽しいね」というセリフが出てきます。おませちゃんブラザーズの動画でも語られていますが、これがこの映画の本質なんですよね。

ストーリーが展開していく中で、劒さん自身の淡い恋心が叶わなかったり、将来に対する不安が湧き上がったり、あややの握手会に当選したけどどうしよう…と取り乱したり、そんな色々なことが起こります。また、仲間うちで女の子の奪い合いがあったり、ネットストーキングみたいなことがあったり、大阪から東京に引っ越して仲間の繋がりが少し疎遠になったり、終いには仲間の1人が癌に侵されたり、とにかく色々なことがあるんですよ。

そしてその色んな事件の中心にいるのが、だいたい仲野太賀さん演じる「コズミン」というキャラクターです。「ネット弁慶」を自称し、めちゃくちゃ自分勝手で性欲に忠実で、まぁ酷い人間だと作中でも何度も言われるのですが、そのクズさ加減が素晴らしくどうしてか憎めないんですよね。そんな彼のおかげで、1つひとつの事件があまりシリアスになり過ぎず、気がつけばどうしてか笑えて来る。「おもろいやん」という魔法の一言でどんなことも前向きに受け止めて、そして生きていく。そこには当然ほろ苦い感じもあるんです。ちょっぴり胸が締め付けられもするんです。でも、アイドルの卒業コンサートのように、「良い卒業式だった」と泣きながら笑ってみる…みたいなそういうぐしゃぐしゃとした感情を抱えながら、そうは言ってもやっぱり今が最高!と言っていくその姿がまさに、「アイドル」という題材ととてもマッチしているんです。

 

アイドル、特にハロプロは卒業加入のあるグループが多く、また解散や活動停止、新グループ結成などもあり、通称「ハロマゲドン」と呼ばれるような大転換の歴史もあります。先日もハロプロの最終兵器と呼ばれていた宮本佳林ちゃんの卒業があったり、佳林ちゃんと同じグループで盟友であった高木紗友希ちゃんが週刊誌による報道を期に急な卒業が決まったり、アイドルを応援していると色々なことがあります。

でも、ハロプロのアイドルはよく「昔も良かったけど、今の私たちが1番!」と常に今が最高という考え方で活動をしてくれています。これって単純にアイドルの理念としてそうなのかもしれないですが、生き方としても本当に素敵なことだと思います。

舞台が大阪ということもあって、「おもろいやん」というのが合言葉みたいになって、とにかくどんなしょーもないことも、悲しいことも、怒り狂うことも笑いに変えていくというのが、とても泥臭くてそれでいて尊いと感じさせてくれる映画です。

 

ほぼラストのシーンでは、劒さんが「今のハロプロも相変わらず最高だよ」と言い、道重さゆみさんの名言や新グループであるところのBEYOOOOONDSの話を持ち出し、それに対してコズミンが「そんなこと言われたら俺も行きたくなるやろ」という会話がありました。なんだかんだ言って、このシーンが私は1番好きだったかもしれません。

 

そして、名場面と言うと、何よりもこの映画の中でハイライトとなっているのはモーニング娘。恋INGという曲です。

 

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2003年発売の「Go Girl ~恋のヴィクトリー~」のカップリング曲ですが、世間的に知名度は低いもののハロヲタの中では根強い人気のある曲です。「パンが一つならわけわけね」という歌詞はみんな大好き。残念ながら公式動画の中には無いのでリンクを貼ることはできませんが、ぜひ各々で聴いていただきたいです。

私は2009年のよみうりランドで披露された所謂プラチナ期と呼ばれるメンバーたちでの「恋ING」が非常に記憶に残っています。このコンサートはたしかカップリング曲の中からファン投票によって演目が決められたものだったと思います。カップリング集の発売に伴ってのイベントだったわけです。そして、その中でも断トツの1位だったのが、この「恋ING」です。イベントの最後の曲でした。

ハロプロの楽曲には世界や地球規模の愛や平和を歌い上げるような楽曲がたくさんあり、そういった楽曲もまた今回の映画の内容とマッチする部分はあったと思います。例えば、有名どころで言えば「LOVEマシーン」とかでしょうし、とびっきりの人生肯定賛歌としては「でっかい宇宙に愛がある」とかが上がるでしょう。しかしながら、劒さんたちトークイベントのメンバーが「恋愛研究会。」という名前でバンドを作り、そこで決して上手いとは言い難いクオリティの演奏で披露したのがこの「恋ING」でした。この「恋ING」は幸福感に満ちた曲ではあるのですが、どちらかと言えば、愛し合っている2人の小さく幸せな気持ちを歌う曲になっています。そんな「恋ING」は、小さな1人の人間に過ぎない主人公やヲタクたちの気持ちに寄り添ってくれるような楽曲であり、おっさんたちが原曲キーで歌おうと奮闘する様は、まさに我々ハロヲタの姿そのものと言えるかもしれません。

最初に勢いだけでイベントで熱唱する場面は、面白おかしく、そして「わかるー!盛り上がるー!」となります。また、終盤でもう一度メンバーが集まって歌う場面は超絶エモくてめっちゃ泣けます。そして最後の場面、そしてエンドロールではちゃんとモーニング娘。が歌っている音源が流され、ここではもう切なさとともに涙が出てきます。どう言葉にすれば良いかわかりませんが、「幸せってなんだろう。でも、今が幸せなんだよな」と思わされます。

こればかりは映画を観て欲しいので明言しませんが、1回目の「恋ING」は言わば合唱コンクールで歌う「旅立ちの日に」で、2回目の「恋ING」は卒業式で歌う「旅立ちの日に」。そして、最後の「恋ING」は………って感じです。意味わからなくてすみません。でも、映画を観た人だったら絶対わかるはず…!

 

というわけで、アイドルを真剣に応援している人なら誰にでも刺さるでしょうし、特に部活などに打ち込んだ経験のある男子なら共感できるところも沢山あります。そして、今が楽しくない人も、今が楽しいという人にも絶対に楽しんでもらえる映画が、この「あの頃。」だと思いました。

 

私と劒樹人さん

ここは完全に蛇足になります。が、せっかくこうして記事にするのですから、ちょっとは私らしい趣向も織り交ぜていこうと思います。

 

まずは私とハロプロについてお話します。

私は2008年頃(楽曲で言うとモー娘。「リゾナントブルー」あたり)からのファンなので、本映画の導入部にあたる2003年頃(モー娘。6期加入あたり)の状況などはよくわかっていない部分もあります。また、その頃には主人公であるところの劒さんに大きな影響を与えた松浦亜弥さんも世間的には最盛期を過ぎており、ハロプロ卒業間近という感じでしたね。

ですが、ハロプロメンバーたちがその後もずっと先輩たちの楽曲を歌い繋いできてくれたので、当然のことながら劇中に用いられていた様々な楽曲は知っていましたし、私が経験できなかった当時の熱量なども映画を通して感じることができ、とても充実した内容でした。特に、石川梨華さんの卒コンの映像がそのまま使われていたり、卒業発表のラジオ音源も当時のリアルのものが使われていたり、とその辺りのこだわりも凄かったです。

唯一、リアルではなかったのが、松浦亜弥さんとの握手シーンにおける「松浦亜弥」です。こちらは現ハロプロ所属グループであるBEYOOOOONDSから「山﨑夢羽(ゆはね)」ちゃんが松浦亜弥役として大抜擢されています。BEYOOOOONDSとしてのデビュー前から「松浦亜弥の再来」と言われるほどに才能溢れる子で、個人的にはビジュアル面だけでなく、歌唱の中に独特の「節」があり、そこが「松浦亜弥の再来」と言われる所以かなと思っております。天性のものを感じさせるリズムやピッチ、そしてアクセント。人格的な部分では夢羽ちゃんはもともとかなりの引っ込み思案ということもあり、ちょっぴり松浦亜弥さんとは違うのですが、溢れ出るアイドルオーラはハンパないものがあります。

少し話が逸れましたが、そんな感じで私はおよそ13年間くらいハロヲタをやっているわけです。が、ハロプロとは関係のないところで、原作者の劒さんともちょくちょく接点がありました。もちろんご本人と繋がりがあるわけではなく、単に私が触れるものの中に劒さんが関わっているものがいくつかあったということです。

 

まずは「ミドリ」というバンドについて。ボーカルの後藤まりこさんのエキセントリックなパフォーマンスが注目を浴び、私も後追いで好きになったのですが、なんとこの「ミドリ」の1stミニアルバムである「ファースト」時代にベースをしていたのが劒さんだったんですね。後に劒さんを個人で知るまでは気にしたことがありませんでしたが、知った時は「え!?ミドリのベースってマジ!?」と驚愕したことを覚えています。

この「ファースト」というアルバムは2005年に発売されているのですが、超名盤で今でもたまに聴き返し衝撃を受けています。特に1曲目の「わっしょい。」なんか後藤まりこさんのデスボイスがエグ過ぎて、初めて聴く人は衝撃を受けること間違いないです。そう言えば、この「わっしょい。」にも「。」がついているんですね。「モーニング娘。」、そして劒さんがハロヲタ仲間と作った「恋愛研究会。」にも「。」があり、当然「あの頃。」にも。

また「ファースト」には「ロマンティック夏モード」という楽曲も収録されており、これもタイトルだけ見れば「ロマンティック浮かれモード」のオマージュですよね。

 

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「ミドリ」の映像や音楽は色々と残っているのですが、公式で観られるものはないので、ここではバンド「ミドリ」の中枢であった後藤まりこさんに関する動画のリンクを貼っておきます。この映像だけでも、まぁ、「後藤まりこ」っていうものがちょっとはわかると思います。これにプログレ・パンク・メタル・ジャズ・民謡的な要素を加えていけば「ミドリ」のイメージになると思います。もうわけわからんじょうたいですね。

ちなみに劒樹人さん自身のWikipediaによると、「ミドリ」のメジャーデビュー直前に劒さんが失踪して東京に行ったと書いてあります。その辺の情報と合わせて見ると、映画もより面白く観られるかもしれません。実際に映画でも大阪を離れて東京に行くシーンがあり、その状況は仲間内から見てもちょっと心配になる感じだったようです。映画を観ているときは理由がわかりませんでしたが、注目を浴び始めた「ミドリ」の脱退という事件がそこにあったのだと思うと、東京のライブハウスでローディをしながら「今が1番楽しいですよ」とほほ笑む劒さんの微妙な心情を少しは理解できた気がします。

 

そして、「あらかじめ決められた恋人たち」というバンドのベースとしても劒さんは活躍しています。

 

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※劒樹人さんのベーシスト姿も観ることができます!カッコイイ!

この頂フェスの動画で好きになりました。鍵盤ハーモニカに、テルミンといった変わり種の楽器が使われており、非常にユニークなバンドですが、その音楽性自体は「ミドリ」に比べればもうちょっと整理されており、ポップであるとも思います。

やっぱりこの映像見る度に「頂フェス」に行きたくなります。未だにフェス処女なので、いつか行ってみたいですね。フェスに連れていってくれるお友達が欲しい… 

残念ながらこの動画を知り、「あら恋」に興味を持ち始めた当時はなかなかお金もなく、近くのTSUTAYAには「ブレ」というアルバムしか置いておらず、現在私のiPodにはその「ブレ」1枚分のデータしか入っておりません。8曲目の「20分の雨」という曲が好きで、当時から今に至るまでずっと聴いていますね。

ちなみに時系列的にはこの頂フェスの直前くらいに「あの頃。男子かしまし物語」の出版にこぎつけているようです。あと、今さらですが「男子かしまし物語」というのは、モーニング娘。の「女子かしまし物語」という楽曲のオマージュになりますね。本当に今さらですが。

 

神聖かまってちゃん」のマネージャーとしても名を馳せていたそうですが、残念ながら私は「神聖かまってちゃん」を通っていないんですよね…妹が好きで、いつだったかのライブでの子さんがライブ中に脱ぎ捨てたTシャツを手に入れて来て、たいそう喜んでいましたが。

そして、「バンドじゃないもん!」も当然知ってはいますが、通って来ていないんです。本当にすみません。

でも、「神聖かまってちゃん」も「バンドじゃないもん!」も常に私の活動している界隈にはいて、手を伸ばせば届く範囲であることは間違いありません。もう少し私の出不精が治れば良いんですけどね。

 

あとは当然ですが、ハロヲタとしての認識が強いです。劒さんの書くコミックエッセイはブログなどでよく拝見していましたし、奥様が犬山紙子さんということで度々話題にも上がってきますよね。そして、前述の通り、2015年のアイドル三十六房でその人となりを初めてちゃんと認識したように思います。

 

そんな感じで、実は私の生活の結構近いところにいたのが、劒樹人さんという方でした。なので、「夢羽ちゃんが映画に出るだって!?」とか「ハロプロが題材の映画なの!?」とかもありましたが、映画館嫌いの私が1人で映画を見に行くと決心したのは「劒樹人さん原作」というのが1番の大きな理由でした。ハロヲタとして「同志!」と思えるような作品を作ってくださって、ありがとうございました。

 

最後に…

1人で映画館に行くなんて、いつぶりだろう…?

ジブリの「風立ちぬ」以来かな? なんか昔にも同じようなことを言った記憶があるので、もしかしたら他にも言っているのかもしれませんが、「映画館で映画観るなんて『風立ちぬ』以来だよ~」というセリフだったかもしれません。

また適応障害ブログの方でも書きますが、この日はとても充実した1日でした。病院行って、大好きなラーメンを食べに行って、日用品を買って、映画観て、床屋に行って…ちゃんと計画的に休日を過ごせているのが嬉しいです。

そして、繰り返しになりますが、「今が1番最高!」って非常に素敵ですね。病気になるまでは、「今が1番最低」を更新し続けようと躍起になっていましたが、今は少しずつ改心できているような気がします。でも、もう少し体調が戻って、普通に生活できるようになって来たら、これまでの自分と新しい自分を戦わせて、より正しい理解を追い求めたいなぁとも最近は考えています。

が、今はあまり何も考えないようにしておきます。少なくとも答えを先延ばしにするだけの余裕はあります。

適応障害と診断されまして… vol.53

適応障害と診断されて124日目(2月15日)の夕方からこの記事を書き始めています。今日は朝から体調・気分が思わしくなく、出社を断念しました。先週なんとか頑張って来れただけに少しだけショックですし、今後の復職に向けて不安を感じます。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事から1週間弱が経過しました。本当はもう数日空けるつもりだったのですが、上述の通り今日は出社訓練をお休みしてしまったので、その「埋め合わせ」みたいな気持ちでこの記事を書いています。何かを書くことで少しでも気が晴れれば良いのですが…

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

120日目

この日は木曜日。前日に続き、朝から出社訓練をして、既定の8時間半プラス30分の残業分だけ在社できた。多少疲れを感じるも、この日は復帰後初めて電話に出て、電話の取次ぎができたり、同僚とも少し会話をすることができた。

そして、Juice=Juiceの高木紗友希ちゃんの報道記事について知る。

 

121日目

金曜日。ここまでよく耐えた。しかし、朝から出社したものの、どうも頭痛が酷く、靄がかかったようで何にも集中できない。軽い眩暈のようなものも感じたので、午前中で退社。午後は寝て過ごそうとするもあまり眠れず、夜に高木紗友希ちゃんの卒業を知る。

 

122日目

土曜日なのでゆっくり過ごす。前日少し夜更かししたこともあり、何度も昼寝をする。夕方前に気合を入れて外出準備。ライブ「M-line Special ~Make a Wish!」に行き、道重さゆみさんや宮本佳林ちゃんを観る。帰宅後、高木紗友希ちゃんの卒業に関する記事を書く。

 

123日目

日曜日。朝の3時頃まで記事を書いたりしていたのが、朝7時に目が覚める。眠いので二度寝。昼前に起床。疲労が溜まっている。気分が晴れないので、前日のライブのレポート記事を書く。また、夜には「推し、燃ゆ」の記事も投稿し、何とか夜は22時に眠る。

 

124日目

月曜日。眠りの質が悪い。0時過ぎに一度目が覚め、そこからすぐに入眠できるも、断続的に寝て起きてを繰り返していた。朝は出社時刻に合わせて起床するも、気分の落ち込みを感じる。無視できるとも思ったが、11月の一度目の首吊り前の気持ちが軽く思い起こされ、無理をしないと決める。夕方まで寝て起きてを繰り返し、ようやくこの記事を書き始めるに至る。

 

2.カレンダーのまとめ

割と先週は頑張りました。

月曜は昼前まで出社。火曜は昼過ぎ14時まで出社。水曜日は既定の8時間半を会社で過ごす。木曜日は既定の8時間半プラス30分を会社で過ごす。が、金曜は朝から出社するも途中で体調を崩し、昼前に退社。

と、とりあえず週5で会社に行くことはできました。何とか既定の出社時間を達成することができるも、かなりの疲労が蓄積を実感します。

特にストレスからか、何とか作り上げた睡眠までのルーティン、特に寝る90分前に風呂にゆっくり入るというルーティンが守れず、シャワーで済ませたりしてしまいました。金曜日には大幅に体調を崩し、軽い眩暈がするほどにまでダメになってしまいました。

木曜、金曜とJuice=Juiceの高木紗友希ちゃんのスキャンダルと卒業が立て続けにあったことも、自分のリズムを崩してしまった要因だったかもしれません。何というか、そのせいで絶望感に捉われたとかではないのですが、やっぱり「何が正しかったんだろう」とかは考えてしまいますし、考えているうちに時間は過ぎていくもので、さすがに無視して強く自分を保つことはできませんでしたね。

そんな感じで、少し落ちた気持ちで週末に入り、平日に溜まった疲れが大きく、金曜の午後から土日にかけてはほとんど寝て過ごすような感じになってしまいました。土曜日は、既にチケットを買っていたため何とかライブに行き、それなりには楽しめたものの、それ以外はもうあまり何をしていたのか記憶にありません。多分ずっと寝ていました。あとは、ブログに記事を3つも投稿しているので、それに時間を使っていたという感じでしょうか。

そして、本日月曜日は、まず夜中に何度も目覚めたという嫌な兆候がありました。土日に嫌というほど寝たので寝不足感はなかったのですが、体が重く、それ以上に気持ちの落ち込みを割と強く感じました。上にも書きましたが、何とかベッドから抜け出し、一息ついてから「あ、ダメかな」と感じつつもシャワーに向かおうとしたとき、一度目の自殺未遂のことが思い出されました。

あの日もこんな感じの気持ちで無理やりシャワーに行き、そして戻って来た時には全てがどうでも良くなっていました。

さすがに今日はそこまで性急に行動に移すほど酷くは無いものの、嫌な予感がしたのでシャワーに行くのは辞めておきました。これについてはまた次の章で書きます。

 

3.予兆

もう何度か書いている通り、今日は月曜日で、本来ならば先週に引き続き出社訓練をする予定だったのですが、調子が思わしくなく断念しています。

夕方、雨が上がる頃にようやくまともに動き出し、前日の昼過ぎから洗っていない体を清めるためにシャワーを浴びに行きました。そして、ややさっぱりした気持ちでこの記事を書いています。が、やはり気分が沈んでいます。

 

ひとえに「体調が思わしくない」と言っても、なかなかどんな感じかわかりにくいと思います。また、私もその「体調の悪さ」というものを具体的に捉え切れていないので、今回の記事で言語化を試み、少しでも理解を深められたらと感じています。

まず客観的な事実をいくつか挙げていきます。

 

①先週は月~金でとりあえず出社訓練をして、休職してからは最大の功績。その分の疲れは確かにある。

②金曜の午後から土日にかけては、疲れから1日中寝ているような感じで、生活リズムもかなり崩れてしまった。

③おそらく日曜の夜に飲むはずだった薬を飲み忘れている。

④日曜の夜中にまた睡眠中の複数回の覚醒現象が起きる。

高木紗友希ちゃんの卒業、「推し、燃ゆ」の読了など、気持ちを揺さぶられることがここ数日であった。

 

まぁ、具合が悪くなる原因としてはこんな感じですね。①の出社訓練による疲労はやっぱり1番大きいと思います。主たる要因はこれで間違いないです。これが無ければ②~④も起こり得なかったはずなのでね。⑤に関しては確かに如何ともしがたいところではありますが、うつ病の症状が出るほどのことではないかな、と。もちろん色々と思うところはあったものの、具体的な症状とそれらを結び付けるのはやり過ぎという気がしています。まぁ、気持ちが揺さぶられればそれについて考え、どちらも記事にしてブログに投稿しているので、その分の体力をそこに割いたということにはなりましょうが、しかし好きでやっていることなので、ダメージを受けるというのとはちょっと違う気がします。

なので、今日の体調不良はやはり「出社訓練の疲れ」と割り切ってしまいましょう。また、調子の波というのもあります。特に今日は朝から天気も悪く、気圧も低く、調子を崩しやすい状況でもありました。しかし、やはり先週の疲労がなければ、いずれも問題なくクリアできていたとは思うんですよね。なので、繰り返しますが今回のこの体調不良は「疲れ」としましょう。もう、そう決めてしまいます。

 

その上で、今朝方感じた不調についてできるだけ正確に言葉にしていこうと思います。

まず朝起きた段階で不安がありました。それは主に夜中に何度も覚醒があったことです。このことからまず体調が万全ではないという自覚が芽生えます。

それでもそれはあくまで不安であって、「まぁ、会社に行ってみれば意外と大丈夫になるんじゃないか?」という想いもありました。が、不安が払拭できても、なかなかベッドを出ようという気持ちが湧いてきません。朝起きて「うーん、あんまり調子良くないなぁ」とか、「もうちょっと寝ていたいなぁ」ということは先週の出社訓練中もありましたが、今朝は何と言うか、軽い思考停止状態にありました。

この「思考停止」というのは土日の間もずっと感じていたことです。「起きて、ちゃんと今日も生活をしよう!」という気持ちを湧き上がらせるだけの力が出てこないのです。「何も考えたくない」という「逃避」に支配されているような状況ですね。簡単に言ってしまえば、「意欲が湧いてこない」という状態なのですが、その「意欲が湧いてこない」という状態を把握し、それを改善しようと「考える」ことすらうまくできないのです。なので、「思考停止」という言葉が1番しっくりきますね。

そんな「思考停止」の状態の中、時計を見て、「そろそろシャワーを浴びなきゃ」という意思は生まれてくるのですが、ふと嫌な感情に気付きます。ここ数日感じていたことですが、よく昔のような「あぁ、もう嫌だ」という言葉が意図せず零れるんですよね。土日の間も別に会社に行く用事があるわけでもないのに、顔を洗ったりしながら、「あぁ、もう会社辞める」という独り言を言ってしまうわけです。休職してからはそういうことをあまり言わなくなっていた自覚があったのですが、それが何と言うか戻ってきたわけですね。

休職する前や、普通にまともに働いていた時期にもあった悪癖ではあるので、あまり深刻視していませんでしたし、むしろまた「会社に戻る」というのがリアルになって来ている影響だとしか考えていませんでした。が、この「思考停止」の状態で「あぁ、嫌だ」と言いながらシャワーを浴びに行こうとするのが、まさに自殺未遂した時の行動に重なったわけです。

ふと思い直して、「自暴自棄になっていないか?」と自分に問いかけてみました。

思考が働いていないので上手く判断はつけられませんでしたが、何となく「自暴自棄になっているんじゃないか」という可能性を感じました。確かに、ここで「嫌だ」という気持ちを抑え込んで、会社に行くことはできるかもしれません。でも、「思考停止」したまま会社に行っても、おそらくはまた先週の金曜の時のような頭痛や眩暈に襲われる気がしました。また、これだけ気持ちが死んでいる状態で会社に行っても、余計に負荷をかけて、悪いものに支配されることも予想されました。というか、そもそもシャワーを浴びた後にその「自暴自棄」が暴れ出していないかどうかということすら、確信が持てなかったのです。脳裏にはやはり自殺未遂をした日の、あのじめっとした疲労感や全てがゼロになるような感情の消滅が過ります。

そんなこんなで言い訳をするような感じではありますが、シャワーを浴びに行くことすらやめて、ベッドの中に戻りました。電気を消して、動画を観ながら眠りにつきます。

 

やはり上手く言葉にすることはできませんでしたが、何となく自分のラインが見えてきた気がするので、書き留めておきます。

 

A「体調は良くないし、会社に行きたくないけど、会社に行くか」

B「体調は良くないし、会社に行きたくないけど、会社には行く」

 

Aが会社に行ってOKの場合の心理状態で、Bが会社に行ってはNGの場合の心理状態です。ほとんど同じですが、Aは自分の判断で会社に行こうとしています。Bは自分の判断で会社に行こうとしているように見えて、義務感のようなものに背中を押されています。つまり、Bは「思考停止」状態にありながらも、何かに自分の意思ではない何かに突き動かされて会社に行こうとしているのです。

Bの状態は多分、今の私には危ない状態です。

昔に自律神経で病気や体調のことをまとめましたが、「思考停止」状態とはすなわち、「交感神経」が不調で意欲が出ず、同時に「副交感神経」も不調でリラックスもできていない状態=うつ状態と言えます。何も考えたり判断したり、行動する意思のようなものが湧いて来ず、居心地の悪さだけがそこにはあります。

 

誰しもそういう時って多少はあると思うのですが、おそらく今の私はそれを無視してはいけないのです。

不調を感じながら何か行動をするとき、「自暴自棄になっていないか」と自問する。その上で、「思考停止」状態に陥っていないか確認する。交感神経と副交感神経の平面図で考えたとき、どちらもが不調を来している「うつ状態」ではないか。

そのように自分の状態をきちんと把握し、危険を予知することができないと、また私は首を吊ってしまいかねません。まだ私は自分が危ういところにいるのだと自覚し直す必要があるのでしょう。

 

と、今日はそんなことを感じた1日でした。

なかなか上手くいきませんね。治ったと思っても治っていない。これがただの杞憂であれば良いのですが、なかなかそこを無理してみるだけの勇気は今の私にはありません。

自分の心身の健康状態を数値化して、明確に可否を決めてくれれば良いのですが、私の状態はやはり私にしか気づきようがないので、慎重にやっていくしかありませんね。

それにしても、何と言うか疲れますね。

あまり恐れ過ぎても良くないということもわかってはいるのですが…うーん。何とも煮え切らないです。

でも、雨が上がったこともあって、今は美しい夕焼けが見えています。小麦色の空にサーモンピンクの細い雲が浮かんでいます。夕食を買いに出かけましょう。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

宇佐美りん「推し、燃ゆ」感想

芥川賞受賞作である本作を遅ればせながら読みましたので、感想文を残しておこうと思います。

 

 

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推し、燃ゆ

 

作品購入の経緯

まず1つに現在「適応障害」という心の病気で休職しており、時間を若干持て余しているということと、生活ルーティーンを整える上で風呂上がりに読書タイムを設けていることなどから、全体的に読書欲が高まっているということがあります。

あまり多読家ではないので、本を買う時は結構な意気込みが必要なんですが、まずはそのハードルが下がっている時期というのが1つの大きな理由になっています。

そして、その上できっかけを作ってくれたのは、Juice=Juiceの松永里愛ちゃんという現在私が現役ハロプロメンバーで最も推している子です。ブログで「この本を読んだ!」と書いていたので、私も気になって読んでみました。なので、普段は別に芥川賞受賞作品だし読んでみようとか、そういう感じの人間ではないのです。私にとっては芥川賞受賞よりも、里愛ちゃんが読んだという事実の方が大きいのです。ちなみに、里愛ちゃんは2021年2月現在で中学3年生です。読書家で、独特の感性や人間性を持った子で、とっても良い子です。

と、そんな感じで「推し」が「推し、燃ゆ」を「推し」ていたので、これはもう読まざるを得ない感じになったわけですね。

 

あらすじ・概要

「推しが燃えた」という一文から始まる本書。主人公は社会にうまく馴染めない女子高生「あかり」で、彼女は「まざま座」という男女混合アイドルグループの「上野真幸」くんを熱烈に応援しています。彼女はおそらくは発達障害のようなものを抱えており、それによって居場所のようなものを見出せず、「推し=上野真幸」を応援することだけが生きがいになっています。

冒頭の一文から既に「推し」が問題を起こし、炎上したということがわかりますが、この「推し」の炎上の顛末で読ませるというよりは、基本的には主人公「あかり」との社会との関わり方が描かれる内容になっています。優れている点としては、おそらくは「あかり」が発達障害のようなものを抱えているのですが、明確に病名がつけられず、「ただなんとなく人と違う」というところに留めているところですね。恐らくは相当発達障害やその他の精神的な問題事例を勉強されたのでしょう。「あかり」の行動やものの感じ方は非常に自然な一人称で語られ、健康な一般人からしたら「異常」であると感じる部分も多いと思います。しかし、それでも「何となく理解はできる」という部分もあり、そのバランスが素晴らしいです。

なので繰り返しますが、あくまで「推し」というのは切り口であって、主題は発達障害や精神病となっています。

何年か前に「コンビニ人間」という小説も芥川賞を受賞していますが、あれと結構近いものを感じましたね。あれも「コンビニ」という切り口であり、「コンビニ」に纏わるあるあるが散りばめられていたり、「コンビニ」の特徴を切り取ったりしてはいるものの、主題はあくまで周囲と馴染めない感性や、脳の作りが普通とはちょっと違う人の苦難でありました。本作もまた「アイドルを推す」という実に現代的な切り口を持ちながらも、基本的には主人公の「あかり」が社会との接合で苦労する話です。

と、ざっくりとした内容はそんなところですかね。

ページ数、というか文字数もそんなに多くなく、非常に読みやすい小説でした。テーマもシンプルでありながらエッジが効いているので、なるほど「芥川賞」なんだなぁ、と思わされます。

 

読みどころ

アイドルとSNSによる救済

時代を切り取っているので、将来的に文化史を研究される方には重宝される作品になっているのではないでしょうか。「インスタライブ」などもそのまま単語として扱われており、その他SNSはそのサービスの実名まで上げられていないものの、明らかにLINEやTwitterなどと思しきものが自然に主人公たちの世界を取り囲んでいます。主人公の「あかり」も「推し」のブログを書いていたり、そういったSNSに囲まれている生活が克明に描かれています。

しかしながら、何もSNSに振り回される現代人を描きたいというわけではないと思います。

SNSは「あかり」にとって「推し」を介して他者と繋がれる場であり、自分のブログはそれなりに評価されていたりと現実世界よりはよっぽど居心地が良い場所になっています。しかしながら、「推し」が炎上することで、徐々にそこに対する居心地の悪さのようなものも感じるようにもなります。

「アイドル」という虚像に依存し、しかも自分の居場所がSNSというバーチャルなものであるというのが、「あかり」の居場所の無さを物語っており、これは家族や学校との不和ともリンクしていますね。このように、「アイドル」と「SNS」は実在性のなさ、つまりバーチャルという点で非常に類似しており、そういったものに縋るしかない「あかり」の現状を辛辣に描くための重要なアイテムとなっています。

要するに、「推し、燃ゆ」というタイトルは「アイドル、SNS」とも読み替えられるわけです。なので、ある意味ではこれがテーマとなっています。

が、上述の通り、問題の本質は「アイドル」でも「SNS」でもありません。「アイドル」も「SNS」もバーチャルなものとして、最終的には寄る辺のないものの象徴となりますが、しかしながら「あかり」にとっては救いでもありました。「あかり」の抱える問題を現実社会は全く理解してくれず、受容してくれず、そんななかで「アイドル」と「SNS」だけが彼女の居場所を作ってくれました。

そういう意味では、私は本作にとても共感することができました。推しのメンバーカラーに執着したり、推しのおかげで変な知識が身に着いたり、そういう「アイドルヲタク」としての細やかな共感も沢山あったのですが、それ以上に「寄る辺ない」という感覚が非常に共感できたのです。誰しも少しは社会との齟齬を感じているはずですし、「自分は特に社会と上手く付き合っていけない」と感じている人には、響く作品だと思います。私もまさに「アイドル」に救いを求めていますし、こうしてブログを書いている以上、ある程度はネットに居場所を見出そうともしているのでしょう。

 

発達障害精神疾患

これも非常に生々しい問題です。なぜ主人公の「あかり」はそんなにも社会と上手く付き合うことができず、「アイドル」や「SNS」と言ったバーチャルに救いを求めざるを得なかったのでしょう。

その答えは明確に病名のような形では出てきませんが、終始一人称で語られる「あかり」の見たり感じたりしている世界の様子から明らかに、発達障害精神疾患の気があることが伝わってきます。

どうしても漢字が覚えられない、というような形で小学生の頃から勉学に関するハンデを背負っていることが語られていますが、そのことについて家族や学校から理解を得ることができていません。ただ、正直言えば、ここはちょっと脚色が強いので、インスタライブなどが余裕で行われている現代とは少し時代観がずれているかもしれません。私も学生時代に塾講師をしていましたが、勉学に関するハンデを持つ子を受け持ったりしていたので、さすがに今の社会ではそういったものがより理解されうる状況にはなってきていると思います。しかしながら、彼女が社会と上手くいかない理由としては、非常に分かりやすいので、創作物としては非常に効果的な背景だと思います。

パニック障害うつ病という傾向も見て取れますし、それはおそらく発達障害のようなところから派生して生まれてきたものであることも容易に想像つきます。

問題はそんな彼女にはどうしようもない「傾向」を周囲のほとんど誰もが受け止めてあげられないというところにあります。そして、残念なことに彼女が自分の身を守り、生きる目的として据えている「推す」という行為が、さらに彼女を受容できないものとして社会から隔絶していきます。彼女はかなり偏執的に「推し」ているので、周囲からは「どうしてアイドルを応援する力はあるのに、社会活動を頑張れないんだ?」という反感を買ってしまうのです。

それによって、彼女はより社会に対して興味を失い、最後にはほとんど勘当されるような形で一人暮らしを始めるのですが、彼女にはもうまともに生活を営む力さえ残ってはいませんでした。

この段階まで来ると、確かに先天的な色々な理由はありますが、もはや「うつ病」的な無気力状態になっています。

私自身、現在「適応障害」という半分うつ病みたいな状態で会社をお休みしているので、とても共感できる部分がありました。「うつ病」には原因があります。それは人それぞれのものの感じ方や考え方、思考パターンや行動パターンが自他両者によって強制され、自己虐待的になることから始まっていくものだと私は思っています。自己虐待というと例えばリストカットなどを想像するかもしれませんが、もっと簡易的な所謂「自己否定」のようなものに近いと考えれば良いと思います。「自分なんて」と行動に自ら制約を設けたり、あるいは「自分はダメだからもっと頑張らなきゃ」とか、「自分にはこれしかない。だから、何とかそれを守らなければ」と自分の健康や気持ちを蔑ろにしていくところから「うつ病」が始まっていきます。

本作品の中ではその経緯はあまり明確に描かれていないものの、明らかに主人公の「あかり」の回りでは「あかりに対する受容」が欠落しており、そのような環境にあっては彼女が自らの存在価値を見出すことは難しい状況になっています。なので、「推しを推しているときだけが私でいられる」という感覚になるのでしょう。とても納得できますし、私も共感できる部分が大いにあります。

発達障害精神疾患について簡単にでも調べてみたことがある人は、「あぁ、うまく描いているなぁ」と思うでしょうし、逆にこれまでそういったことに興味を持ってこなかった人には、「こういう人も確かにいるんだ。そして、それは当人の力だけでは解決しようがないんだ」と感じて欲しいですね。周囲の理解がなければ、自分自身と向かい合うこともままならないのですよ、本当に。

 

文体

女子高生らしさ、アイドルヲタクらしさ、その他現代的な考え方や描写などが優れている一方で、非常に詩的な美しさも持っています。

私の「推し」である里愛ちゃんは「推しを背骨に喩えているのが面白かった」とブログで書いていましたが、そんな感じで非常に独特な表現も沢山現れてきます。また「ポテチの袋のぎざぎざの部分が足裏にあたる感触」など、描写する箇所も非常に面白いです。連続する描写の中でも視点がぐるぐると動き回るので、一瞬「え、これは何を言っているの?」と思う部分もありますが、その取り留めのなさもかなり詩的に感じられます。それが宇佐美りんさんの文体のなのか、それとも発達障害精神疾患を抱える人間の一人称視点として意図的に描かれたものなのかはわかりませんが(知りたければ宇佐美りんさんの他の作品も読めば良いわけです)。

インスタントのチキンラーメンの放置された様子を「色の抜けた麵の切れ端」という形で描写するところなんかは私はかなり好きになりましたね。その感性の鋭さや独特さがこの作品の質をより高めているように思います。

 

まとめ

「アイドル」と「SNS」のバーチャルという類似点。そして、発達障害精神疾患による居場所の無さ。それらの主題を彩る質の高い文体。これらを「読みどころ」として挙げさせていただきました。

では、この小説で何が言いたかったの?と聞かれると、それは何とも言い難いところがありますね。何か答を提示するようなところはなく、あくまで現代に起こり得る「現象」として書き連ねられているのが本書だという風に思います。

でも、私なりの解釈をするのであれば、最後のパラグラフで主人公の「あかり」は生活を取り戻す非常に小さな一歩を踏み出しています。「一歩を踏み出す」なんて書くと、とても前向きに聞こえますが、それはかなり「諦め」に満ちた一歩でした。このことから、ともかく色々と社会と上手くはいかないし、頼みの綱のバーチャルな存在も最早力を失っているけれど、それでも生命は続いていくんだという悲哀が感じられました。

私自身「適応障害」という「うつ病」みたいなものになり、そして自殺未遂をしでかしたりして、結構参ってしまっていたのですが、それでも死んでいない限りは生活というものがあって、生命は続いていくわけです。なんと面倒な…そして救いがない…と思うこともありますが、今はとりあえず何とかちょっとは前向きに暮らせているような気がします。

でも、その一歩って本当に小さなことからなんです。

私にとっては、部屋の明かりを点けることが一歩だったりしました。首吊りに失敗したとき、部屋に備え付けの物干し竿が壁から剥がれ落ちました。その壁紙の破片を拾おうと思うまでに、1週間くらいかかりました。

絶望し尽くした時に見えるものがあり、そこから踏み出す一歩があり、その踏み出した先にまた一歩がある。そんな感じで今はようやく復職に向けて出社訓練をするところまで漕ぎつけました。なんとかここまで来てみたものの、全く以って上手くやっていく自信は生まれません。またいつか壊れるんじゃないかという怖さもあります。

だから、きっと「あかり」もずっと困った立場にあり続けるとは思うのですが、でも誰しもそういうところってあるはずですし、そういう辛さを持っている人は思いのほか多いと思います。最近Twitterで「復職」と調べ、色んな人がうつ病からの復職で苦しんでいることを知りました。私だけではないし、病気をせずちゃんと働いている人だって、苦しい思いをしていることはたくさんあります。

でも、病気とかどうしようもないくらい弱ってしまうこともあります。また先天的なものでどうしようもないこともあります。私は自分で何となく「HSP」という、所謂「繊細さん」的な気質を持っているのではないかと考えているのですが、そういうどうしようもないものを抱えているんだと、病気をしてより強く実感するようになりました。

だからこそ、そういうことを知り、人に優しくしたいなと思うようになりました。

少なくとも私には「あかり」のような人を救いたいと思いますし、救えるような人になりたいとも思います。そして、同時に「私だったら救えるのに」とも思います。

したがって私なりの本書の解釈を言うのであれば、「これを読んで、知り、人に優しくなろう」ということになりましょうか。なんか「解釈」という体裁を成していない言葉になってしまいましたが、少なくとも私は「優しくなろう」と思いましたね。というか、同じような経験をしている私にとって、その苦しみがわかるからこそ、「やっぱり優しさが必要だよね」という再確認になりました。文学的な価値も色々とある本書ではありますが、そういうメッセージを受け取れたことが、この本を読んで私が1番良かったなと感じれたことでした。

 

最後に…

この本を読了する前日、私の推しているグループであるJuice=Juiceの高木紗友希ちゃんが、週刊誌による報道を受けて卒業しました。「辞める必要なんてないでしょ」みたいな意見が結構多く見受けられ、紗友希ちゃんに対する非難ではありませんが、それなりに燃えてはいたと思います。

イムリーに「推し、燃ゆ」な感じだったわけですが、実際の事務所側や本人の事情などはわからないですし、もし私たちファンの態度が彼女を卒業に追い込んだのだとすれば、やっぱり罪悪感のようなものを感じますね。でも、ハロプロは恋愛禁止と公言していないものの、やっぱり男女間の恋愛をあえて見せるということは奨励していない集団です。私たちファンは彼女たち個人の幸せを願ってはいるものの、ハロプロというものに対しては一貫して「可愛い女の子たちがきゃっきゃしながらも、真摯にパフォーマンスに向き合って、日々成長している」というを求めているような気がします。その「求めているもの」の中には「男女恋愛」というものは含まれていませんし、あえて持ち出してほしいトピックではないと思います。

そして、そのことはおそらく事務所側も紗友希ちゃん本人も理解している部分だとは思います。恋愛感情は人間にとって普通の感情ではありますが、でもハロプロで活動する以上、そういった恋愛のリアルな空気を持ち込まない方が良いであろうことは不文律としてあるのも事実です。それは一般的なサラリーマンが、未だにスーツを着て会社に通勤しているのと同じことです。時代遅れだろうがなんだろうが、社会からの信頼を得るためにスーツという形式が求められるケースというものはこれからも無くならないでしょうし、それと同じようにハロプロという世界観ではおそらく今後も恋愛が公に認められるものにはなかなかならないと思います。

だからこそ、事務所も紗友希ちゃんも卒業という道を選んだのだと思うしかありません。

※恋愛だけでなく、緊急事態宣言下での頻繁な外出という問題もそこには含まれていたでしょう。

せめて卒業コンサートくらいしてあげてもいいじゃないか、とも思います。紗友希ちゃんももう23歳だし、恋愛くらい良いじゃないか。だから、活動を続けてよ…とも思います。でも、なかなか難しいもので、どういう対処が正解かはわかりませんし、せめて言えるのは、報道の翌日には卒業が決まったということは、何らかの決断が確固たる信念のもと行われたということでしょう。

できればその決断にはあまり打算的なものはなく、ハロプロというブランドを守るために…という1点のみに絞って、紗友希ちゃん本人の強い意思があったうえでなされたものであって欲しいと思います。もし、そこに紗友希ちゃんの「ハロプロを守らなければ」という強い意思があったのだとすれば、私たちファンはその決断を受け止め、賞賛するよりほかありません。

彼女にそんな決断をさせてしまった罪悪感とともに…

 

と、そんなことをだらだらと書いて専用の記事にしているので、リンクを貼らせていただきます。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

彼女の人生が健やかなものであり続けることを願っております。