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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.54

適応障害と診断されて129日目(2月21日)の午後にこの記事を書き始めています。ちょっと前に、映画「あの頃。」の感想記事を投稿したばかりです。

この適応障害ブログを書くようになってから、半分日記がてらで心動かされたものを記録していくのは何だかいい気がしますね。まぁ、その分1つひとつの記事のクオリティが下がってしまうので、それは少し気掛かりですが。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

 

前回記事は124日目までの内容を書いていましたが、記事の投降後もちょっと記録しておくべきことがあったので、その内容も今回記事には盛り込んで置こうと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

124日目

月曜日。朝起きるも体調が優れず出社を断念。寝て起きてを繰り返し、夕方ごろに前回記事を投稿。その後、両親と電話し、何とか就寝前ルーティンを戻すことに成功。

 

125日目

火曜日。朝から頭痛で二度寝。が、二度目から覚めたタイミングでは復調しており、そこから出社。なんだかんだ5時間半程度在社できた。夕方前に帰宅し、昼寝。若干復調し、ルーティンも実行できた。

 

126日目

水曜日。朝から出社。業務知識の勉強に集中できた。職場内の清掃時に、割と同僚と会話をすることができた。ほんの少しだけど、周囲に貢献できているという実感を得られた。規定時間在社できた。

 

127日目

木曜日。朝から出社。電話を取ることもでき、不在の人の代理で少しだけ業務を行うことができた。1つずつやれることが増えていく。規定時間在社できた。前日よりもリラックスして過ごすことができたと思う。手のツボマッサージの効果か。

 

128日目

金曜日。朝から出社。15時くらいに頭痛が出たり、若干勉強にも集中できなかったように思う。手のツボマッサージも沢山行い、何とか既定の在社時間をクリア。先は長い。また帰宅後は佳林ちゃんのインスタを観て、その後に会社の先輩(研究室時代の先輩でもある)と電話。気にかけて貰っていて嬉しい。

 

129日目

土曜日。ゆっくり起床。午前中は病院に通院。医者ともちゃんと話せた。変化点なので薬の量は据え置き。昼は1番大好きなラーメン屋に行き、味に超感動。アロマや下着の買い物を済ませ、映画「あの頃。」を観賞。床屋で髪を切り、帰宅。充実した休日を過ごせたことに感動。

 

130日目

日曜日。8時~9時過ぎくらいで散歩。モーニング娘。の「恋ING」等初期楽曲を聴きながら、映画「あの頃。」について思いを馳せる。寮に戻り、会社の先輩2人(どちらも研究室時代の先輩でもある)と電話。気にかけて貰っていて嬉しい。昼前辺りから、映画「あの頃。」の記事を執筆。15時前くらいからこの記事の執筆。

 

2.カレンダーのまとめ

週の頭こそ、前週の疲れのせいで不調だったものの、そこから何とか持ち直し、水曜~金曜の3日連続で既定の出社時間をクリアできました。まだまだ本格的に働けるだけの体力は戻っていませんが、大きく見れば復帰に向けて回復してきているように思います。

嬉しいのは徐々にではありますが、職場で同僚と話せるようになってきているということです。普通に電話の取次ぎもできますし、掃除などのちょっとした雑務をしながら軽い会話もできるようになってきており、周りの人も私という存在に慣れて来ているような感じを受けます。こんな私でも受け入れてくださっていることには感謝をしなければなりませんね。本当にありがたいです。

また、人が少ないタイミングで私が電話に出ざるを得なく、そこで不在の人の代わりにちょっとした業務を行うこともできました。休職前に2週間いた中で覚えた仕事だったので、最初は社内システムの使い方とか忘れているところもありましたが、どうにかこうにかやり切ることができました。ほんのちょっとではありますが、これも1つ嬉しかったことです。

他にも、大学の研究室時代の先輩であり、私をこの会社に誘ってくれた先輩が、私の職場にやって来て、それがきっかけで久しぶりにお話をすることができました。金曜の夜にその先輩と1対1で電話をして、この記事を書いている日曜の午前中には、もう1人の先輩も交えて3人でお話をすることができました。先輩の大変だった話を聞けたのもそうですが、似たような経験をしてきているので、どういう風に考えたら良いかということを先輩が何とか私の状態に配慮しながら伝えようとしてくれているのを感じられてとても感動しました。

 

これはまた後で書くことになりそうですが、この「適応障害」という病気とその治療を通して、少しずつ「普通の人」になれているような気がします。

何と言うか、私にはずっと希死願望があり、表面上で話を合わせていても、「どうせこの人たちは死にたいと思ってない人だ」というのがあり、人と話せば話すほどに疎外感のようなものを感じていました。「なんでこの人たちはこんなに生きることに前向き何だろう」と全く理解ができなかったのです。どういう気持ちなのか不思議でたまらなくて、何か人生やら何やらについて私に語ってくれるような人であっても、「この人たちは私が本当に知りたいと思ってることを教えてくれるわけじゃない」と白けてしまうのです。白けてしまう、というよりは「うん。理解できるし、興味深くもある。でも、私がしたい話じゃない」という感じでしょうか。

伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」という小説の中で、主人公の弟であり、作品の重要人物である「春(ハル)」のセリフの中にこんなものがあった気がします。

 

暴力やセックスの話なんてアフリカの動物にしてごらんよ。「そんなこと知ってるから、もっと面白い話をしてくれよ」ってきっと笑われる。

 

たしか、こんなようなセリフだったように思います。

まさにそんな感じだったわけです。楽しいことや生活、将来の展望なんてことは私には全く興味がなく、「なぜこんなにも苦しいのに生きねばならないのか」とかそういう話をしてもらいたいと私は常々感じておりました。誰でもいいから教えてくれよ、と本気で思っていました。「毎日私はこんなにも死にたいと思っているのに、この人たちは何を求めてこんな話ばかりしているのだろう」と思っていたわけです。

何と言うか、お笑い芸人が、ゴールデンタイムのバラエティ番組での立ち振る舞いと、深夜番組や自分のラジオ番組での立ち振る舞いを使い分けるようにして、私はとりあえず人と話を合わせてきました。だって、どうせこの気持ちをどうにかしてくれる人なんていないし、良くて私の気持ちに対して軽い賛同を示して、どこかで聞いたことのあるようなアドバイスをしてくれるだけです。目から鱗が落ちるような言葉を与えてくれる人なんていないと考えていたわけですね。そして、私は孤独を感じ、自己嫌悪に陥り、そして社会を憎むわけです。

 

でも、臨死体験を経て、「とりあえず死んではみた。もういっか」となってからは、少しずつ「生きる」ということに対して前向きになれている気がします。そして、そういう気持ちになって来ると、何というかようやくこれまで話が噛み合わなかった人たちと同じ土俵で話ができているという気持ちになって来るんですよね。

この感覚って、本当に凄いです。

今ならみんながどういう気持ちで話をしているのか、ちょっとだけわかるような気がします。今までは私は水槽の中にいて、水とガラス越しに他人と会話していて、「いやいや、そんなん言うてますけど、あんたらこの水中の暮らしなんて想像すらできてはりませんやろ」と怒り狂っていたわけです。それが、ようやく私も水槽の中から這い出て、未だビショビショな状態ではあるわけですけど、「あぁ、はいはい。これが空気ね。風、そして森の匂い。はいはい」と何となく納得できる気がしてきたわけです。

何度も言いますが、「同じ土俵で話ができる」ってかなり凄いことです。感動すら覚えますね。

 

そして、昨日土曜日はようやく健康な人間の休日を取り戻したような気がしました。

朝起きてシャワーを浴びて、病院に行きました。病院ではお医者様と復職に向けた現状についてお話をして、ちゃんと話し合ったうえで「薬の量は据え置きで」ということになりました。「ストレスのかかる状況の中で良くやってますよ」と言っていただけたのも嬉しかったですね。別にお医者様に褒められるためにやっているわけではないですが、誰かから私のやっていることを承認してもらえるというのはやはり自信に繋がりますし、心の落ち着くことです。

そして、前日にチケットの予約していた映画「あの頃。」までは2時間ちょい時間があります。なので、計画していた通り、大学時代に通い詰めた世界一美味いラーメン屋に足を運びました。そして、そこで食べたラーメンがやっぱりめちゃくちゃ美味いんですよ。同じような系統のラーメン屋は色んな所に乱立していますが、ここのラーメンは他とは一味も二味も違います。スープを一口。もうその瞬間に完璧なバランスのしょっぱさと濃厚さ、そしてすぅっと抜けるおそらくはネギなどの野菜の旨み。本当に良いものを食べているという感覚にさせてくれます。

ここ最近、体調を整えるためにちょっとずつプチ断食を試しにやっており、この日も朝ご飯を抜いていたのでそれも相まっての美味しさだったかもしれません。でも、病気が回復しつつあり、感覚が研ぎ澄まされていたこともあると思うんです。

そして、そんな感動を考えつつ、映画館のある街に移動し、そこでアロマと下着を買いました。12月3日に初めてアロマを購入してから初めての買い足し。専用のグラスにオイルを溜めて、棒を突き刺す「リードディフューザー」というタイプなのですが、オイルが無くなってグラスがカピカピになっておりました。私が初めて買った香りのものはもう販売が停止してしまったのか、商品棚から消えてしまっていました。良い匂いだと思ったのに、不人気だったのか…なんかショックです。仕方が無いので、新しい匂いのものを購入。まぁ、これはこれで良い匂いだし、いっか。下着とパンツを沢山処分したので、また新たに購入しました。安物ではなく、ちゃんとしたものを買った方が破れにくいし経済的なんでしょうか。これはちょっと悩ましい問題ですね。

 

そして、その後は映画「あの頃。」を観に行きました。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

感想記事も書かせていただきましたが、素敵な映画でした。トイレを我慢できない、眠気を我慢できない、周りの人の存在が気になって集中できない、といった種々の理由から私は映画館で映画を観るのが苦手です。なので、基本的には人から誘われたときにしか行かないのですが、今回はハロプロ関連だったので行ってみました。よくよく考えて見れば、音楽ライブに行けてるんですから映画館だって行けるはずですよね。そんなことに今になって気付く自分に、ちょっとびっくりしてます。

そして、映画で満足した後は床屋に行って、髪をバッサリ切ってもらいました。お恥ずかしい話ですが、私は床屋も苦手でして、中学生くらいから就職するまでずっと自分で髪を切っていました。なので、大抵は酷い髪型で過ごしていました。社会人になった手前、自分で切り損ねてとんでもないことになっても大変なので、無理やり床屋に行っております。地方で働いていたときは住んでいたところの近くに床屋があり、そこではいつもFMのラジオがかかっていて、店主お1人で切り盛りしていて、穏やかで物静かな人だったのであまり苦にはなりませんでした。が、転勤してからはどこに行くべきかということで非常に困っていました。

そして、1か月ほど前に行った床屋はちょっと微妙だったので、今回は別のところに行ってみました。というか、QBハウスに行きました。安くて早くて事務的なので、とりあえず通いやすいと思いました。出来栄えも少なくとも私が自分で切るよりはよっぽど良いです。立地も駅前で良いので、今後利用していくことになりそうです。

 

そんな感じで土曜日はかなり活動的な1日を過ごしたわけですが、今までだったら「ちょっと負荷がかかり過ぎじゃないかな」とか「頭痛いから帰ろう」とか「そわそわしてきた」とか、「そもそもそんな行動的な計画なんて組めないよー」という感じだったのですが、ようやく私にも普通に休日を過ごす権利が戻ってきたような気がしました。

これもとても嬉しいことですね。気持ちや考え方の部分でも一般人に近づけてきたわけですが、体調の方も復調して来て、何か月かぶりにちゃんとした休日を休日らしく過ごせているような気がします。本当にうつ病の回復って「人権を取り戻す」みたいな感覚がありますね。決してうつ病患者の方に人権が無いと言っている訳じゃありませんが、私自身の感覚で言えば、やはり普通の日常を過ごすことができなくなっていたので、こうして普通に活動的な休日を大きな不安なく過ごせるというのは、素晴らしく自由を感じますし、「生きているのだな」と感じます。

 

そんな風にして今日この記事を書いている日曜日も朝から散歩に出たりして、ちょっと活動的に過していました。結局夕方から書き始めたこの記事も休憩を挟んだりなんだりしているうちに、両親と電話したり、夕食を食べに出た先でスマホを落として画面が割れてしまったり(泣)、イライラしながら修理の手続きを踏んだり(オンラインで修理対応してくれるから、と複雑な手続きを踏んだ末に「お客様の機種ではご対応致しかねます」的な文言で失望させられ、仕方なくショップの訪問予約を取りました)、まぁ結果的に散々な時間を過ごしていました。
ですが、そんな風にイライラしながらも、思い返せば生きていることを実感した1日でもありました。これまでは生きていても何も喜ばしいことは無いし、何らかの命を奪ってまで生き続けていても何にもならない。ただ無駄で虚無で浪費でしかない。人生なんて腐る過程にしか過ぎないと思っていたわけです。苦しみながら無様に腐っていくことに一体何の意味があるというのか。生きている人々は何かに希望を見出しているのだろうか。仮に希望を見出しているのだとすれば、そんなものは幻想か思想誘導に過ぎず、命というものの意味や定義について考えれば考えるほどにそれは全くの無価値であり、希望なんてものはどこにもなく、無責任に「希望」なんてものを抱くから「失望」し、「絶望」するのだ。もっとも、正確に人生や命を捉えている私からすれば「希望」なんてものはまやかしでしかないわけだから、そういったフラットな状態を「希望が絶えている」としてより静寂な「絶望」と定義できよう…なんてことを考えていたわけですね。

ただそんな状態が行き着く先はやはり何度も言うように「自死」でしかなく、「自死」にまで半分以上辿り着いた私にとっては、辿り着いた先で新たなる目的地を設定せざるを得ないのです。というわけで、そんな言語的正確性を持つ「絶望=Hopeless」という思想を一旦肩から降ろし、今は何とかまた自分の人生をスタートさせようとしているのですが、こうして何事もなく時を過ごしていると、ふつふつと何かの熱源のようなものを内に感じ始めるようになります。

そして、それはほとんど理論や虐殺的な感性を伴わない、ふわりとした無定形の「希望」であるような気がしました。生きていることがきっと皆の言う「希望」だったのでしょう。現在の自分の思想や価値、将来の展望、そういった小難しいことではなく、「希望のために生きる」でも「どんな状況でも希望はあるから生きていかなくちゃ」とかでもなく、ただ普通の人にとっては「生きていること」そのものが「希望」というものだったんだろうということがようやく私にもわかってきた気がします。

暖かい風を感じて、心が少し浮き立つ。

この感覚を私は今まで感傷性と結び付けて、人間の儚さや感性の刃のようなものへと変換してきましたが、今はそういうことはお休み中です。肩の荷を降ろしているのです。すると、不思議なことにその暖かい風が、体に染み渡り、何の意味も成していないただの小さな熱源になりました。それが前述のふわりとした無定形の「希望」なんだと自然を理解できた気がします。この「希望」を感じたからと言って、別に何があるわけではありません。この瞬間にも人間はどこかで殺し合い、汚らしい行いで自らを貶め、美しいものを台無しにしています。動植物を殺し、食い、地球という星を蝕んでいます。そして、そんな風にして何とか守っている地球もいずれ太陽の超新星爆発とともに滅びます。生命の欠片なんてこれっぽっちも残りません。では、この「希望」に何の意味があるのか。意味なんてありませんが、「生きている」という事実を認識することには役立ちそうです。そして、「希望のために生きている」のではなく、「生きているから希望がある」のだと、そう思いました。ニワトリとたまごみたいな話ですけれど。

 

まぁ、ちょっと臭いことを書き連ねたように思いますが、不思議なものでそういう風にしか評し得ないものを感じたのは確かなのです。もしかしたら私が何も考えずに過ごしていた時には感じていた感覚なのかもしれません。しかし、少なくとも大学時代からこの10年近くはほとんど感じ得なかった感覚です。涙が出るほどのことではなかったのですが、ちょっぴり感動はしました。何となく私の大嫌いな人類がこうして無意味に無価値に「生きている」理由はここにあったのかもしれません。

私はまだその新しい発見に当惑している状況ですが、今後少しずつその着想から思考を深めていき、もう少し自分の納得のいく形で理解をしていきたいと思います。

 

というわけで、明日もちゃんと職場に行って、帰りがけにスマホショップに寄って、修理の相談です。こういうことがあると「やっぱり生活ってめんどくせぇ」と思ってしまいますが、前ほど嫌じゃないかもです。なんだかんだ言って、今が1番最高!みたいな感覚をアイドルから自分の人生へと流用しましょう。映画「あの頃。」の感想文を書きながらそんなことを思い、今に至ります。

 

次回

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