霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.57

適応障害と診断されて150日目(3月13日)の朝にこの記事を書き始めています。今日は雨が降り、会社に行く日なら憂鬱だったかもしれませんが、お休みなのでとても心地良いです。昔から雨の日の休日は好きです。「雨だし外に出なくて良いなぁ」と引き籠りを肯定的に思えますし、雨の音が色々な生活のノイズをかき消してくれるような気がします。

センチメンタルな気持ちになっても、それを柔らかく包み込んでくれるような気がするので、心穏やかに自分らしくいられる気がしますね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は主に復職1週間目の内容でしたので、今回は当然ながら復職2週間目の内容になります。

 

 

ざっくりお話すると、とても疲れた1週間でした。先々のことに不安を覚えたりもしました。でも、適応しようとしているんだなぁ、ということも同時に感じたりしています(適応障害の人間が)。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…/復職して…

 

144日目/休み

日曜日。1日中だらだらとドラクエⅪをして過ごす。クリアしたと思ってから、予想以上の長さ。レベルアップ兼てクエストやり込み始めたら、めちゃくちゃ時間がかかる。頭痛は気になる程ではないが、なくならない。医者にも言われたが、頭痛という反応が出ているのはあまり良くない状況。慣れるまで待てば良いのかどうか。でも、まだ無理をしているという感覚は無いので、多少自分を信じてやってみようと思う。

 

145日目/6日目

月曜日。朝から頭痛と疲労感で調子が良くない。特に音がうるさく聞こえるという神経過敏を感じる。休もうかどうしようか迷いながら、行ってみて無理なら午後半休にしようと決めて、いつもより30分遅れの出社。フレックスなので問題の無い範囲。結局、いつもの定時まで働くことができたが、音は1日中気になった。早く寝ようと思うも、ドラクエしてたらいつもの時間に。でも、翌日にはクリアできそう。

 

146日目/7日目

火曜日。おそらく前日に薬を飲み忘れたせいで、夜中に何度も目が覚めた。すぐにまた入眠できるので大きな問題にはならないが、レム睡眠時に毎度目が覚めるのは何となく疲労感が溜まること。特に朝方は4時くらいからずっと夢を見っぱなしで、ノンレム睡眠まで達せなかった気がする。3日分の夢を見た気分。会社では休憩を多めに。また、初の職場外へ出る業務。休憩が取れなかったので、疲れが出たのか、帰宅時に耳鳴り。そして、Twitterのアカウントを始動させた。SNSで人と関わる中で、何か意味のあることができたらと思う。

 

147日目/8日目

水曜日。やや頭痛を感じ、疲労感はあるも大きな問題はなし。出社し、午前中は集中して仕事ができた。午後に上司から来週から夜勤をしないかという打診。現状の体調を考えると難しいので、正直にそれを伝えることができた。しかし、「いつまでも昼間だけってわけにはいかねぇからな」と言われたのが、まるで今の自分を否定されているように感じ、感情が揺さぶられる。また、その後急ぎの仕事が舞い込み、2時間ほど残業。復職後1番頑張ったし、普通に疲れた。心身のケアを丁寧に行わないと。

 

148日目/9日目

木曜日。朝から強めの頭痛と、疲労感。天気が良いことが幸いし、ゆっくり過ごしているうちに気を取り直し、いつもより30分遅い出社。今日も集中して業務に取り組むことができたけれど、やはり昼過ぎから頭痛が強くなってきて、何とか定時まで。定時の後、1時間程度サービス残業…というか、やらなければいけない個人業務があり、それをやってから帰宅。途中まで会社で優しくしてくれる先輩と一緒に帰れたのが良かった。それはそれとして疲労と頭痛でまともに自由時間も過ごせない。こんな生活に持続性があるのか疑問を感じ始める。

 

149日目/10日目

金曜日。夜中3時半に腹痛で目が覚める。朝は疲れが蓄積している感じがあり、先々に不安を覚える。しかし、この日は職場に人も少なく、落ち着いて仕事に取り組めた。急ぎの仕事はさっさと終わらせて、重めの仕事も時間をかけてほぼ終わらせることができた。過集中せず、自分のペースでなら比較的負荷を感じることは少ない。周りに人がいるとその人たちがせかせか働いているのに引っ張られてしまったり、単純に様々なノイズが刺激となってしまうのだろう。帰宅後はドラクエⅪをして今度こそクリア。さらにまだ裏ボスがいるみたいだが、それはまた先にしよう。ちょっと夜更かし。

 

2.お知らせ

わざわざお知らせするほどのことではないですが、今回分から毎日つけている日記の内容をそのままコピペで載せることにしました。これまではより簡易的な日記から当時のことを振り返り、書き直していましたが、今回から記事に書く内容は基本的に当日の夜に書いたものになります(遅れて翌日…ということもありますが)。

まぁ、そんなこと気にならないと思いますが、今までもう少し客観的だった内容が、ちょっとその日の気分とかも入り混じる感じになったのでご承知おきください。

 

また、Twitterも稼働させました。

 

twitter.com

 

これまでは基本的に好きなアイドルやアーティストの動向を追うだけのもので、あとは適当な愚痴を呟いていました。が、それらは全部別のアカウントにして、復職に関するものだけをこちらに呟くようにしています。

ブログにコメントしてくださる方がちょくちょくいらっしゃって、やはりこの病気に関することは誰かと痛みを分かち合うことにも繋がると思った次第です。心境の変化ですね。

ただ140字という字数制限は私にとっては非常に困ったもので、このブログを読んでくださっている方がいらっしゃったら既にお分かりの通り、私はとんでもないお喋りなんですよ。ベラベラベラベラと、いつまでも愚にもつかないことを書いていられます。普段は、良く言えば「物静かな青年」、悪く言えば「根暗の社会不適合者」みたいな感じなのですが、人体の構造上指は10本あっても、舌は1枚しかありませんからね。いくら物静かと言えど、10倍も喋るようになったらそれは充分お喋りです。いや、でも実際は10倍以上お喋りになっていますね。

 

Twitterは本当にただの呟きです。だいたいいつも文字数制限をオーバーするので、書いては消して状態になります。

対して、このブログではもう好きなだけ「ああでもない、こうでもない」を繰り返しながら考えを掘り下げていきたいと考えています。思考と同スピードで言葉が溢れていく…指が追い付かない…! なんてカッコイイことまで言ってしまえそうです。

というわけで、別段「Twitterの方もぜひ!」と言いたいわけではありません。実際、あまり呟いていませんし。多分、このTwitterがどうこうというこれまでの文章量は、私がこれまで呟いた全文字数を既にオーバーしていると思われます。

 

そんなお知らせでした。

 

3.カレンダーまとめ

ちょっと寄り道しましたが、カレンダー内容をまとめていきたいと思います。

この復職2週間目ですが、個人的には結構キツかったですね。というのも、仕事に慣れだしてくると「ただいるだけじゃダメだ」とか「もっと仕事ができるように」とか、「周りの人は頑張っているぞ」とかそういうことを否が応でも考えてしまって、ついつい「頑張ろう!」としてしまうんですよね。

もうそれが良くないことは百も承知で、頭痛まで酷くなっているのに、どうしても自分で自分を制御できない。というか、「いいんだよ。ゆっくりやっても」と言い聞かせても、むしろ「手を抜いている…」みたいな焦りの方が大きくなってしまうんです。結局、休職を経てもあまり変われていないんだなぁと思ってしまいます。

しかしながら、こうしてそういう状態に気がつけているだけでも、まだマシという気がします。少なくとも、一度落ち着いて考え直し、何とか行動を修正してみようという気になります。何とかその気づきを見落とさずにうまくバランスを取っていきたいものです。

 

具体的な今の状態について説明すると、自律神経失調症的な症状が出やすいということに尽きますね。まだまだ副交感神経(リラックス担当)が衰えているのか、交感神経(興奮担当)優位になりがちで、その状態が続くと頭痛がまず出てきます。しかし、頭痛が出てきても、興奮状態にあるのでそれを無視してしまいがちです。というか、「これくらいの頭痛で休んでいたら何もできん!」となってしまうんですよね。なので、大抵それが軽い眩暈や吐き気に変わってくるまでは、ついつい突っ走ってしまいます。そして帰宅後に交感神経がぷつんと切れて、ガイン、ガインというオノマトペとして適切なのかもよくわからない酷い頭痛に襲われるわけです。

そしてそこまで心身を酷使したわけですから、夜間の中途覚醒や腹痛、耳鳴りといった自律神経失調症的な症状のオンパレードみたいなことが引き起こされるわけです。

いや、もうそんなシステムはわかっているんですよ。勉強してきましたから。

問題なのは、そんなことわかっているのにできないよ!ということなんですよね。自分の体調ベースでやりたいと心から願っています。でも、どうしても周りに引っ張られてしまう。木曜日までは酷くなっていく症状にただただ戦々恐々としている感じだったのですが、金曜日に比較的人の少ない職場で1日過ごしてみて、気がつきました。そうです。自分1人(あるいは人が少ない)のときは、その辺のペースのコントロールが割とうまくやれるんですよね。もちろん頭痛が消えるほど良くなりはしませんでしたが、明らかに感じる負荷が減りました。

 

周りが忙しそうにしていると、自分ももっとやらなきゃと思ってしまう。

 

当たり前のことですが、この当たり前に私は苦しめられているわけですね。そんなの無視して自分のペースでやっていくしかないさ、なんてことはわかっているんですが、どうしたって多少は引っ張られてしまいます。また、その周囲の人の発するパワーというかオーラというか、そういうのも私の神経を逆撫でるのです。

銃撃戦が繰り広げられている戦場で、一人「私はいまお紅茶の時間ですの」と優雅に過していたら、たとえその人がお紅茶を飲まなければ死んでしまう人でも、背中から撃たれても文句は言えません。だからティーカップを投げ捨て、少なくとも形だけは私もヘルメットと迷彩服に着替え、塹壕の中から敵兵に銃口を向けていなくちゃいけないわけです。それが1番安パイ。生存確率が高い行動。そんな風に無意識に周りに順応しようとしてしまうのです。

書いていて思ったのですが、「紅茶を飲みながら背中から撃たれて死ぬ」か「紅茶を飲まないことで死ぬ」かならどっちを選ぶ?という疑問も当然あります。「どうせ死ぬなら紅茶を飲んで死のうよ」と考えるのはとても正当なことですし、もしそんな究極の問いを迫られるのであれば、当然私も紅茶を飲んで銃殺されます。

でも、そういうことでもないんですよ。それでは結局適応障害にもなれずに、ただただ不適合者として社会から抹殺されるだけです。

なので私はヘルメットをかぶり、迷彩服を着て、敵兵に銃口を向けながら、胸元に忍ばせた汚らしい水筒で紅茶を啜るのです。そのようにして生き延びていくのです。

 

…さて、するとまた次の問いが降ってきます。

そんな人生って幸せ?というものです。あぁ、これが出て来ると結構ヤバいですね。

そんな風に生き延びてもただ疲れて、ボロボロになるだけの人生だ。紅茶を飲んでも殺される。紅茶を飲まなくても死ぬ。バランスを取って生き延びようと思っても、そんな人生は幸福とは言えない。ただの消耗…そうして自分の敵兵から自分の口の中に銃口の先を向け変え、親指で引き金をひくことになるのです。

はい。八方塞です。でも、こういう状態に追い込まれる時って、だいたい八方も塞がれていないんですよね。だいたいが前か後ろ、あるいは右か左かの二方塞くらいのものです。

私自身極論を戦わせることは好きです。人間社会や人生といったものにおいて曖昧に見過ごされている問題を1か0かで考え直すことは、物事の本質に迫る上で非常に有用な思考方法だと考えています。ディベートとか討論の上手い人って、だいたい急所を狙ってこの1か0かの問題を突き付けてきますよね。相手を大きな1に乗せておいて、その中にある小さな1か0かの問題を突きつけ、「え、あなた1とおっしゃいましたよね。それなのに、その中に含まれるその問題だけは0と答えるんですか? それは矛盾ですよね」と言う訳です。あぁ、嫌な奴。でも、そういう考え方って論理的思考には非常に重要なわけです。それをエンターテインメントとして使うのも、まぁ別に個人の趣味ですからね。あえて否定しようとは思いません。もちろん自分がそういうことをやられるのは非常に腹立たしいですが。

と、また話が脱線しましたが、要するに2つの極論を戦わせてみることは理解を促進するうえで重要であり、また非常に楽しい物事ではあるわけです。しかしながら社会で上手くサバイブしていくためには、この二極論方式を持ち出し続けると酷い目に合います。よく「あの人は1か0かの人だから」と煙たがられている人を見かけます。それも突き抜けると尊敬され始めるんですけどね。でも、大抵が社会との酷い摩擦の中で苦しむことになるでしょう。

そして、それがまだ仕事をする上での「1か0か」的な考え方であれば、正直まだ救いがあります。

救いが無いのは、「紅茶を飲むか・飲まないか」という極論、すなわち究極の選択です。飲んでも銃殺、飲まなくても病死。だから、うまいこと銃殺されないよう配慮しつつ、こっそりと紅茶を飲むという方法になるのですが、そうやって生き長らえていることに価値を見出せなくなった途端、当初の究極の選択が舞い降りて来ることになります。そして、疲れ果てた頭ではもはやその選択をすることすら億劫になり、銃口を自分に向けるしかなくなっているのです。

 

だから、「二方塞」はやめた方がいいです。というか、そんな状態はまだ「二方」が塞がっているだけと気づくことが重要なんです。まだ「六方」残っているんです。もちろん、複数の問題を抱えている人は「いや、もう既に八方どころか二十方くらい塞がれているんですが」と言いたくもなるでしょう。私自身、様々な生き方を想定し、それらを1つずつ潰し、360度、いやもはや球状に逃げ道を1つずつ潰していくことで、自分を死に追い込むような10年間を過ごしてきました。

全てを塞ぎ切って、死の中心へと向かう道程だけが生なのだと考えていたわけですね。

でも、一旦そういうことはお休みにしています。そして、今は何とか生きる方向で考えるように自分に言い聞かせています。これまであらゆる手を尽くして、逃げ道を探し出し、それを潰して来た私です。その力を逆に使えば、あらゆる逃げ道を探し出し、それをうまく活用することだってできるはず。そう思えばこそ、私はまだ何とかやっていけるだろうと思います。

注意しなければならないのは、どうしてもいっぱいいっぱいになって来ると、究極の二択で考えがちになってしまうことです。何度も繰り返しますが、紅茶を飲んで銃殺されるか、紅茶を飲まずに不可思議な持病で死ぬか、その二択しかないと思ってしまってはダメです。だから、懐に水筒を隠してそれをこそこそと飲む生活を送るわけですが、それも苦しく、そんな風に生き長らえていることに意味を見出せなくなったら、それも危ういです。そんなときはもっと選択肢を広く持つようにしたいものです。

別に会社を休んだって良いし、もう1回休職しても良い。それこそ今度こそ転職という手もある。2回休職したんだから、もう充分でしょう。合わなかった、それで良いじゃない。より自分に合った生き方にシフトしていくだけです。私の大好きなドラマ「最高の離婚」でも、離婚をした結夏(ゆか)に向けて淳之介くんが「じゃあ、結夏さんはいま幸せになる途中なんですね。だって、結婚も離婚も幸せになるためにすることじゃないですか」と言うセリフがあります。

あらゆる選択が可能だし、あらゆる選択は自分のためになる。

そう思い、来週もまた無理なく過ごしていきたいと思います。

 

駄目になってしまうなら それでいいじゃないかと笑う

ー ハヌマーン「バクのコックさん」 

 

4.認知行動療法

カレンダーにも書きましたが、水曜日に私は上司からの言葉で酷く動揺してしまいました。帰宅後、なぜそんなにも動揺してしまったのかを整理し、自分でメンタルケアを行うためにガッツリと認知行動療法をやってみました。

誰かの何かの参考になればと思い、ここに載せます。

 

******

上司から「来週から夜勤やるか?いつまでも日勤ってわけにはいかねぇからな」と言われ、心を揺さぶられる。
自分の体調を最優先で判断をすると決めていたこと、そして夜勤に対してまだ恐怖があったことから、何とかもう1週間延ばしてもらうよう頼んだ。
これは良い判断だったと思う。でも、それ以上に心が苦しくなった。
理由の1つには、多分夜勤に対する恐怖が1番大きかったのだと思う。
今の自分の体調はまだまだ万全とは言い難い。
しかしながら仕事にも慣れて来て、確かに日勤で持て余している感もある。
おそらく今が1番微妙な時期だったのだ。
自分でも無意識のうちに「そろそろ夜勤もやって行かないと。でも、体調がまだ安定しない。もっと先延ばしにした方がいいんじゃないか」という、葛藤を抱いていたのだろう。
できればこのまま夜勤を含め、本格的に働くというとを先延ばしにしたいという甘えもあったのは確かだ。
つまり、ちゃんと夜勤を全うし、周りから認められたいという承認欲求と、もっと楽に働いていたいという怠惰欲があったのだ。
同時に、もっと意義のある業務をやりたいという発展欲と、それができないのではないかという不安を抱えながら、それを処理できていなかった。
今の私がやるべきことは、夜勤開始の時期をきちんと体調を鑑みて、計画を立てること。
そして、決して自暴自棄になるのではなく、夜勤をやってやっぱり体調を崩すようであれば、それはそれまでという割り切りだ。
そこまで考えれば何を恐れることがあろう。
確かに、そこから業務が本格化し、また潰れてしまうことは怖い。
でも、もう既に1度潰れているのだし、受け身の取り方はわかっている。失望のされ方もわかっている。
これで夜勤がダメだったら、いよいよ転職を考えようじゃないか。
そういうきっかけと捉えなおそう。何も計画は変わっていないじゃないか。

あと辛かったのは、今の自分の日勤業務を否定されたように感じたからだろう。
でも、それも自覚はあった。
今の自分は会社にとって価値のある存在とは言い難い。周りへの示しもつかない。
だから、甘えていたのは私であって、現状の自分で満足しようとしていたことを見抜かれたと感じ、恐怖したのだ。
単純に自分が役に立っていないという事実を突きつけられた衝撃もあったけれど、自分の無能を見て見ぬふりをしていたからこそ、図星だったからこそ、余計に傷ついたのだ。
これも「今の自分は結構うまくやれてるでしょ?」という周囲に対するアピールをしようとしていたことが根本にある。
それが覆されて辛かったのだ。
人は関係ない。だから、人に今の自分を否定されても傷つくことは無い。
そして、自分を否定されることを恐れていないのだから、自分を立派に見せようとすることはない。
立派に見せようとする必要が無いのだから、「こうありたい。こう見られたい」という願望を覆されたからといって、傷つくことは無い。

そして、怒りもあったかもしれない。
今週頭に「医者からもっとゆっくりと言われた」という旨のメールを送ったではないか。
頭痛や眩暈が酷いと報告したではないか。
頑張らなきゃいけないのなんてわかってる。
でも、できないんだと言ったではないか。
なんでその意図を汲んでくれないんだ。
そういう怒りを感じている。
自分なりに上手く報告したつもりだったのに、全然伝わっていないではないか…そういう虚しささえある。
だから私は上司に失望している。
でも、上司が言っていることも上述の通り、正しい部分がある。
上司なりに私の気持ちを推し量ってくれているのだ。
だからこそ、「夜勤やってみないか」という提案をしてくれ、私が無理だと答えたら、大人しく引き下がってくれたのだ。
そう、上司は引き下がった。
交渉の余地がないわけではないし、上司は私を追い込むというよりも、私の周りからの見られ方などを含めて配慮して提案をしてくれたに過ぎないのだろう。
言葉遣いとかはアレだけど(笑)。
だったら感謝こそすれ、怒りは見当違いだったかもしれない。

そういうわけで、今日あったこの「夜勤打診事件」に関しては、
私が気に病むことではないし、私は私できちんと自分の体調を把握したうえで、上司の期待に応えるという意味でも、とりあえず1回夜勤をやってみれば良いと思う。
今週末の調子が良ければ、来週後半に夜勤を汲んでもらうよう、こちらから打診してみても良いかもしれない。
不安があって1度断ってしまったけれど、やってみないことには何とも言えないし、やってみたいと伝えれば良い。
きっと上司は進んで予定の調整をしてくれるだろう。
そういう頼り方もありだ。

 *****

 

30分がかりでこんな風に認知の歪みを修正するようにキーボード叩いていました。いま読み直すと「まぁ、そうだろうな」という感じですけれど、これを書いている当時は私はもう胸が痛くて痛くて、とても辛く感じておりました。「もっと頑張らなきゃいけないのかな」とかなり落胆し、同時に焦りや絶望感があり、ちょっといつもの精神状態ではいられませんでした。

でも、こうしてしっかり自分の気持ちを吐き出し、整理し直すことで、だいぶ不安は小さくできました。実際的には夜勤をうまくこなせるようになるまで、根本的な問題は解決していないのですが、少なくとも漠然と苦しみだけを考えているよりはこうやって不安や苦しみを分別しておく方がずっと健全です。

嫌な気持ちは小さくして分別し、ベランダに放置。

あとはゴミ回収の日まで待ちです。大事なのは「もうほとんど捨てたようなもんだもんね」と思えることだと考えています。分別してもしなくても、夜勤がうまくこなせた段階でその不安ゴミは捨てられることになるのですが、だったら散らかして異臭だだ洩れ状態で放置しているより、ちゃんと分別して整理してゴミ袋に入れて外に出しておいた方が健康には良いです。

きっとこういうのも認知行動療法なんでしょうね。

 

最後に…

今日は土曜日。もう半分弱過ぎ去ってしまったけれど、休日を謳歌しよう!

 

前回

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