霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.43

適応障害と診断されて97日目(1月19日)の朝にこの記事を書き始めています。前回から1週間が経過しました。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は2回目の自殺未遂を中心にお話ししましたが、そこから1週間経ってかなり回復してきたように思います。ちょっとした出会いなどもあり、少しだけ思うところが出てきたので、今回はそれらについて色々と書き連ねることになると思います。

ともあれ、まずはカレンダーから。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

90日目

この日は火曜日。抗うつ剤のおかげで少しだけ持ち直したので、午後から外出をしてみる。2時間くらい散歩をして、そのまま帰宅。頭痛、疲労が出て、昼寝を強いられる。が、とりあえず外には出られるようになった。

 

91日目

この日も外出をしてみる。学生時代に行きつけだったラーメン屋に行く。電車での移動も含め、計2~3時間の外出。やはり頭痛、疲労が出て、昼寝を強いられる。が、電車に乗って遠出ができることがわかった。

 

92日目

昼前から外出し、床屋へ。ちょっと変な髪型になった。そのまま散歩がてら昼食を取り、計2時間弱の外出。午後から職場のコロナ対策に関するWEB会議があり、それに参加(と言っても、上司の説明を聞くだけ)。ちょっとだけ精神的にキツかった。

 

93日目

昼前から外出し、学生時代によく散歩した街中を歩く。そのまま出先で昼食を取り、図書館へ。図書館には2時間弱いられたが、眠気とそわそわが出てきたので帰宅。総外出時間は4~5時間程度。

 

94日目

土曜日ということなので、ちょっと小休止。久しぶりに化物語のアニメを観たりしてゆったりと過ごすつもりだったが、午後からちょっと散歩する気持ちになったので2時間程度散歩。平穏な1日。

 

95日目

1日動画を観て過ごす。少し疲れが出たか。外出は日暮れ時に夕食の買い出しをしたのみ。Twitterで流れてきたEMIさんの「僕が僕であるためのパラダイムシフト」といううつ病を題材とした漫画を読み、感銘を受ける。久しぶりに寮で飲酒。ビールを飲む。

 

96日目

月曜日。朝は外に出られないと思うも、午後から外に出られる体調に。職場の前まで行ってみる。やはり、普通に行ける。帰りにご褒美として加湿器と本と寿司を買う。今日もビールを飲んでみる。夜中、眠られずにウイスキーを飲んで寝る。

 

2.カレンダーのまとめ

2度目の自殺未遂から1週間経った辺りから、さらに1週間の経過について書いています。前回ブログまでは抗うつ剤が出されるほどの強い抑うつ感に苦しんでいましたが、薬のおかげか気持ちが落ち着いてきたおかげか、徐々に持ち直してきたような感じがありますね。

これまでのリハビリと同じように、少しずつ外出を増やしていき、行動範囲を広げていった1週間になります。

最初は慢性的な頭痛や疲労感などに悩まされていましたが、それも少しずつ改善。午前中は刺激に弱く、それでも午後には外出できるくらいになり、外出後に頭痛と疲労がセットでやって来て、帰宅後には昼寝というパターンにまで1週間で戻りました。

と、ここまでなら年末までの現状復帰を目指している感じでしたが、1月17日にTwitterで「僕が僕であるためのパラダイムシフト」という漫画が流れて来て(ピエール中野さんありがとうございます)、それを読んでから少し考え方が変わっていくような感じがありました。一昨日に1回一通り読み、何かヒントを得たような感じがあったものの、集中して読んでいたのでその日は疲れて就寝。さらに翌日、もう一度重要だと感じた箇所を読み直し、少しだけ考えを深めます。

今回の記事はこの「僕が僕であるためのパラダイムシフト」を読んだうえで、今の自分について考えていこうと思います。

 

3.「僕が僕であるためのパラダイムシフト」を読んで

ameblo.jp

 

上記リンクから無料で読むことができます。

ざっくりと内容をまとめると、幼い頃から父親に虐待されていた主人公が高校入学のタイミングでうつ病の症状を発症し、それを20年くらいかけて治していくというお話です。その中で色々な考え方のパラダイムシフトがあり、「うつ病とは?」、「心とは?」というものの認識が徐々に深まっていくような感じです。私自身とも重なる部分が大きく、とても参考になりましたし、私も今一度生き方を含めて考えを改める必要があるのではないかと思わされました。

 

まず面白いと思ったのは、主人公が「認知行動療法」と「マインドフルネス」に手を出し、最終的には回復の過程でそれらの手法の本質に救われているということです。私もまた適応障害になって手を出したのがその2つの手法でした。漫画の中では割と序盤に出て来て、その後はちょくちょく登場するくらいなのですが、結果的に主人公が行っていることは「認知行動療法」と同じく思考や行動のパターンのアップデートと、「マインドフルネス」的なヒーリングと自己認識の確立であるということです。

例えば漫画の中では「マインドフルネス」で自分の気持ちを確かめることで、「足先が冷たい」というような不快感を認識しますが、最初はそれに対して何ら対策をしていません。これは「不快に対処しないで放置する」という行動パターンが自分に染み込んでいることになるのですが、あるときそのことに気がつき、主人公は「靴下を履く」などの具体的な対処を行います。つまり、「認知行動療法」的に思考や行動のパターンをアップデートしていったわけです。

しかしながら、そのような小さな変化でさえ、最初のうちは思いつきもしません。そういった考え方ができるようになるためには、考え方の大きなパラダイムシフトが必要でした。どのように考え方をパラダイムシフトさせていったのか、ということについて気になったことはさらに下に書き連ねていきます。

 

主人公はあるとき「アドラー心理学」と出会い、そこで「現在の苦痛は過去や未来と関係ない」という考え方に触れます。様々なカウンセラーや自問自答を通して、その意味を徐々に悟っていくのですが、漫画では「うつ病の原因は過去の父親からの虐待ではないか」ということが序盤の肝となっています。しかし、アドラー心理学ではそのような過去と現在の因果関係を否定しており、結果的に主人公も過去と現在の因果関係を断ち切ることで、うつ病を克服していきます。

どういうことかと言うと、「現在の苦痛は現在の自分がもたらしている」という言葉に尽きるのですが、これを説明するためには少し文字数がかさばりますので覚悟していてください。

少し話が脱線しますが、村上春樹さんの「めくらやなぎと眠る女」の中で、主人公の僕は幼い従兄弟から、過去にどんな痛い経験をしたことがあるかを尋ねられてうまく答えられないシーンがあります。誰でもそうだと思いますが、私も過去に扁桃腺の摘出手術をしたときにめちゃくちゃ痛かった記憶があります。しかしながら、その痛みをリアルには思い出せないんですよね。私は当時、「50万円もらえるならもう1回手術してもいい」というような喩え方をして、その痛みをある程度わかりやすく記録しましたが、それでもそのときの痛みをリアルにいま思い出すことはできないのです。扁桃腺を摘出するに至った慢性扁桃炎の時期の熱と喉の痛みに煩わされていた日々のことも、リアルには思い出せません。

このことと漫画におけるアドラー心理学での「現在の苦痛は現在の自分がもたらしている」という考え方は結構似ていると思います。確かに主人公は父親の虐待によって、思考や行動のパターンにおいて色々な歪みを形成させられたのかもしれません。でも、現在のうつ病による苦痛は、過去に虐待を受けた現在の自分が作っているだけであり、過去に受けた虐待の痛みがそのまま現在のうつ病の苦痛に直結しているわけではありません。つまり、どのような過去があろうが現在が健常であれば、現在の苦痛は消えるわけです。過去に私は扁桃腺摘出により喉の内側を切り開かれ、しばらくの間、開きっぱなしの傷口が痛んではいたわけですが、その傷口が塞がってしまえばもう痛くありません。人間の体は治癒するものです(古傷が痛む、なんてことはあるかもしれませんが、これも考え方によっては、治癒が不完全だっただけと捉えることができますね)。

少しややこしくなってきましたが、つまるところ「うつ病の苦痛を生産する心身」であることが問題であり、過去は関係ないということです。

 

確かに分析は大切なことかもしれません。漫画において主人公は「父親からの虐待」や「父親からの過干渉」が原因で、物音に敏感になったり、他人の顔色を伺うようになったり、虚栄心の肥大とミスへの恐怖が醸成されたりというような描き方をされていました。確かに、そういう因果関係はあるでしょうし、自分の思考や行動のパターンはそのように過去の経験を通して形成されているものです。しかし、私たちが気にすべきことは過去のトラウマではなく、トラウマがあろうがなかろうが、現在の私たちが抱える思考や行動のパターンの歪みを整えていくことなのです。

そう考えると非常にシンプルです。つまり、自分の気持ち、すなわち「心」が今現在「快」なのか「不快」なのかだけを考えればいいだけです。例えば私は「ミスをしてはいけない」、「努力を認めてもらわなければならない」という風に思い詰め、結果的に「緊張感」という「不快」の中に自分を閉じ込め、縛り上げてしまい、今回のような適応障害になりました。これをもっと掘り下げていけば、過去の職場での成功体験や、周囲からの期待、さらには幼い頃からのエリート思想などが問題の根底にはあると言えるでしょう。しかしながら、私が向かい合うべき相手はそういった過去ではなく、いかに「現在の緊張感を緩和するか」ということになるでしょう。

どうして私がそんな風に緊張感に絡め捕られやすい思考や行動パターンになったのか、その理由については上述の通り、いくらでも理由を考えることができます。しかしながら、それがわかったとて問題は解決しません。であれば、私がすべきことは今現在の私に備わっているそういった傾向をどうやって変容させていくかということになりましょう。

 

さて、話はどんどんと訳の分からない方向へと進んでいるようにも思えますが、次に私が提示する議題こそが最も重要なことになります。

 

なぜ私はそういった自らにそんなに緊張を課している(課した)のか。

 

その答えは非常に簡単です。自らに「緊張感」を与えることで、事態が好転し、自己実現できると思ったからです。大好きだった職場を離れる寂しさも、周囲の期待によるプレッシャーも、新しい職場で感じた違和感というか不快感も、すべて自らに緊張感を与えれば解決できると考えていました。自らを鞭打ち、苦痛をバネにして自らを高めることであらゆる事態は解決されると考えていたわけです。

そして、それは何も仕事にだけ限ったことではありません。「緊張感」というのとは少し違うかもしれませんが、私が唯一生きる目的としている「ものを書く」ということについても、孤独や罪悪感、自己嫌悪といったものがエネルギーになっていました。芸術を楽しむうえでも、精神的な負荷やそれに伴う慢性的な希死願望が土台にあってこそという考え方をこれまでしてきました。

 

自分を痛めつければ痛めつけた分だけ、理想とする自分へと近づける。

 

これこそがこの10年近くの私の人生観だったように思います。常に「死にたい」と考えていなければならない。いや、そう考えているからこそ、自分なのだ。そんな風に思いながらこの10年近くを過ごしてきました。

今回の適応障害の発症は、もちろん引き金としては「転勤」になるでしょう。しかしながら、この10年間、私のベースにあったのは「苦痛」です。もちろん、楽しいこともありましたし、怠けることも多々ありましたし、常にストイックに自分自身を痛めつけていたわけではありませんが、まるでバスケのピボットのように軸足は常に「苦痛」にあったように思います。

映画「Fight Club」の中の名台詞「男は自己破壊を」という言葉や、ジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩者の夢想」の中の「もとより苦難が偉大な教師であることはいうまでもない」という言葉、その他諸々の作品の中に散りばめられた言わば「自己虐待により自己を向上させる」という考え方を私はかなり本気で信じ、そして実行してきたように思います。簡単に言えば、筋トレのように、筋肉を破壊することで次により大きな筋肉を作るといった、そういう単純な論理にしたがって生きてきたわけです。

「快」と「不快」という選択肢がある状況では、極力「不快」を選ぶようにしてきたつもりです。

10年…疲労骨折するには十分な期間と言えるかもしれませんね。心が疲弊し尽くしていたときに、ちょうど激しいスライディングを受けてしまい、ちゃんと私の心はぽっきりと折れました。そして、2度自殺未遂をし、特に2回目についてはもう少し寮に備え付けの物干竿が頑強であれば、確実に死んでいました。

そんな2回目の首吊りやその前後数日にわたって考えていたことは、「もう疲れたし」ということでした。もう自分の希死願望からは逃れられないし、いずれ自死を選ぶことは目に見えている。そうは言っても死ぬのが怖いから死ねないだけで、タイミングさえ合えばいつでも死のうと思う。ずっと「死のう」と思っていればいずれ死ねるだろう。そのようにして私はずっと自分を虐待し続け、そして適応障害になり、もはや生きていくことを考えるだけで疲れて果ててしまい、ようやく、やっと死ぬことができるだけの精神状態になりました。もうへとへとでした。

しかしながら、結局また死にきれませんでした。

私の自殺までの流れはとにかく「自分を追い込むこと」です。2度目の自殺に失敗した私はもはや自分を追い込む力さえなく、「快」と「不快」があっても「快」を選ばざるを得ないくらいにへとへとだったわけです。

 

まぁ、そんな感じで私は臨死体験をして、ある意味ではこの10年の集大成(仮)のようなものを手にしてしまったわけです。何と言うか、燃え尽き症候群のような感覚さえあります。10年間自分を痛めつけて最終的に得たものは、無様な自殺未遂でした。

そして、自分を痛めつけることにもいい加減疲れました。飽きました。

 

私はきっとこの10年間普通にうつ病だったのでしょう。ただ、それが頭痛や不安障害などの目に見えた症状には現れなかったというだけで。少なくとも希死願望というものは常にありましたし、一人きりのときに取り乱したり、半狂乱になるまで一人で酒を煽ったり、そんなことも幾度となくありました。交差点を歩くときは車が突っ込んでこないかと考えたり、駅のホームを急行列車が通過する度になぜいま飛び込まなかったのかと考えたり、全員殺してやろう、でもやっぱり自分が死んだ方が断然楽だと考えたり…まぁ、それくらい普通にみんな考えているのかもしれませんが。

漫画の話に戻りますが、漫画の主人公はずっとキツい不眠症と希死願望に悩まされていたようです。私の場合、不眠症は特になく(それなりに眠れない日もありましたが)、希死願望だけでしたし、その希死願望もどちらかと言えば、症状というよりは思想であるという風に思ってきました。しかし、自己虐待という意味では、間違いなくうつ病と同じ状態ではあったと思います。まぁ、その自己虐待も思想なんですけどね。

ですが、もうとりあえず自分を痛めつけるのはやめにしようかなぁ、と思っています。

漫画では「心に寄り添う」とありますが、これは漫画内でも示唆されているように「快」と「不快」をちゃんと判別し、「快」を選ぶということなのだと私は思いました。私はこれまで自ら意図的に「不快」を選び取っていましたが、それを極力「快」を選び取るようにすればいいだけのことです。

たしかに、私の過去はなかなか褒められたようなものじゃないですし、「不快」を選び取るべき人間ではあるように思うのですが、ここ10年くらいそうやって「不快」を選んできたわけですから、そろそろ「快」を選んでもいいのかなと思います。

今日ここでそう宣言したところでそう簡単に人間が変われるのか甚だ疑問です。しかしながら、思えば私が「不快」を選び取って来たのは、自己変革が目的でしたから、今度は「快」を選び取ることで自己変革をやっていきましょう。かなり時間はかかるでしょうし、もしかしたら途中苦しいこともあるかもしれません。が、まぁ、今度から選び取る方は「快」なわけですから、少しは気持ちが楽な気がします。

 

というわけで、ちょっと何が言いたいかわからなくなってきましたが、とにかく今日ここに書き留めておきたいのは、生き方を変えてみようということです。

適応障害になってみて、2度目の自殺未遂をするまでは適応障害になる前までの人生を取り戻すことを目標にしていましたが、もうそういう次元じゃなくなってきたのかもしれません。私はこの適応障害を機に、パラダイムシフトを起こさなければならないのでしょう。

きっと今までみたいに文章を書いたりできなくなるでしょうし、「死にたいと思っている」から蔑ろにできていた人間関係や社会とも向き合わなきゃいけなくなるでしょう。あぁ、嫌だな。面倒だな。でも、まぁ、もう「死にたい」と思うことにも疲れました。しばらくはちゃんと生きるという方向で何かを積み重ねていこうと思います。上手くいくかはわかりませんが。

 

次回

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