霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.42

適応障害と診断されて89日目(1月11日)にこの記事を書いています。前回が昨年の12月29日なので、久しぶりの更新になりました。おめでたいのかわかりませんが、とりあえず年が明けました。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

これまで日割りで章を分けて書いてきましたが、毎日の出来事があまり面白味がなくなってきたので、少しだけ構成を変えていきたいと思います。というようなことを前回の記事では書いていましたね。しかしながら、こうして今回の記事を書いている今もまだ今後の構成については何も決めておりません。

ともあれ、前回の記事からかなり日が空いてしまい、日割りで書こうと思っても10日以上も前に自分が何をしていたのかなんて思い出せそうにもありません。したがって、必然的に日割りによる記述はできないため、適当に書いていくしかなさそうです。

そして、今回の記事においてここが肝要ですが、現在私の体調は思わしくなく、強い抑うつ感、慢性的な頭痛に襲われております。先日お医者様に行って、薬を追加してもらいました。今回は抗うつ剤も出していただきました。実際、つい昨日、一昨日まではうまく人と喋ることもできず、何も頭で考えられない状態が続いておりました。今もこうして久しぶりに文章を書いているのですが、やはり文章を書くという行為は多少なりとも頭を使うようで(このように私の低能丸出しの文章であっても)、ちょっと頭痛も強くなってきています。

さて、それでは今回の記事を書いていきましょう。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

77日目(12月30日)

記憶が不確か。たしか、家族とドラマ「11人もいる!」を観ていたと思われる。

 

78日目(12月31日)

記憶が不確か。自室に籠り、「賭ケグルイ」のアニメを観ていたと思われる。夕方からは家族とリビングで「ガキの使い(笑ってはいけない)」をメインに「紅白歌合戦」をちらちら観ていた。

 

79日目(1月1日)

記憶が不確か。自室に籠り、「賭ケグルイ」のアニメ、ドラマを観ていたと思われる。

 

80日目(1月2日)

家族と朝からスキーへ。スキー場は空いており、若干強めの吹雪に苦しみながらも、それなりに楽しく滑ることができた。ホテルに宿泊。晩酌をしながら家族と何年かぶりにトランプをやったりして過ごす。

 

81日目(1月3日)

この日はあまり雪が強くなく、昨日よりも楽しく滑ることができた。しかしながら、体力の衰えを感じる。帰りは渋滞に巻き込まれながらも、無事実家に到着。

 

82日目(1月4日)

朝起きて疲労感が強く、誰とも喋る気になれない。外出などで疲労が溜まった翌日はこうなることが多いものだとわかってはいたが、いつも以上の抑うつ感に襲われる。そんな中、初詣に連れ出され、そこで再び強い自殺願望に襲われる。夜中、家族が寝静まった後で実家を出て、酒を飲みながら雪が降る街を徘徊。川で入水ができはしないかと酒の力を借りて自分を奮い立たせるも、この日は入水への恐怖に負け、大人しく実家に戻る。

 

83日目(1月5日)

寝不足と二日酔いもありながらも、この日も誰ともまともに喋ることができず、自室に引き籠って「賭ケグルイ」のドラマなどを観ながら過ごす。自殺願望は拭えないどころかどんどん酷くなっていき、それどころか頭痛や不安障害の症状も併発していく。

 

84日目(1月6日)

昼過ぎまでは前日を同じ調子で自室に籠りながら、自殺願望を育てる。しかし、実家にいては死ぬことができないと思い立ち、荷物をまとめて寮に戻る。移動中は自分へ負荷をかけるために音楽も聴かず、動画も観ず、本も読まず、死ぬことだけを考えていた。寮に戻り、前回の自殺未遂の反省を活かし、ロープをより高い位置に取り付け首を吊る。気がついたら床に寝転がっていた。首にはロープがついたままで、背中には壁から剥がれ落ちた物干竿が乗っかっており、また死ねなかったのだと思った。今回ばかりは本当に死んでいて欲しかった。部屋の中でもう首を吊ることができなさそうだったので、外に出ることも考えたが、そんな力も残っておらず、この日は寝る。

 

85日目(1月7日)

1月6~8日の間に顔を出すことになっていたが、この日は断念。死ぬことを考えるも、死に向かう気力さえ湧いてこない。1日頭痛や強い抑うつ感、そして自殺願望を抱えながら寝て過ごす。しんどい。

 

86日目(1月8日)

この日も結局会社にはいかなかった。症状は緩和されているようだが、まだまだ外に買い出しに行くことすら辛い。なぜ死ねなかったのかなどと漠然と考えるも、やはり何一つとしてやる気が起きない。

 

87日目(1月9日)

午前中は医者で診療。自殺未遂のことは伝えず、症状についてのみ話す。抗うつ剤ということで2種類、薬が増える。午後は職場の上司が寮に来てくださり面談。年明けから調子が酷く悪いということを伝え、1月末までの復帰が可能かわからないと相談。とりあえず様子見ということで落ち着く。

 

88日目(1月10日)

地方で働いていた時の友人と会う予定だったが、ドタキャンさせてもらう。やはり1日寮の中で過ごす。電気を点けることさえ辛い。夜、会う予定だった友人と少し電話する。やはり人と喋ると余計に頭が痛む。しかし、喋ることができたのはよかった。

 

89日目(1月11日)

基本的にこの日も寝て過ごした。だが、進展としては、こうしてブログを書く力が戻ってきたことなどがある。FXの取引も少ししてみたが、すぐに集中力が途切れたので大人しくやめる。

 

2.カレンダーのまとめ

全体をまとめると、年始の1月4日より体調を大きく崩し、2度目の自殺未遂をしてしまうところまでいってしまったということになります。原因は自分でもよくわかりません。

色々な要因が考えられますが、まず第1に思うのはこれが一種の五月病のようなものであるということです。適応障害になってから休職しているものの、基本的には復職に向けてリハビリを続けてきた数か月でした。12月に入る頃には割と自分を甘やかしているなぁ、という感じもあったのですが、それでもやっぱり「復帰に向けて着々と…」という想いはありました。なので、年末年始くらいは復帰の事は一旦忘れてだらだらと過ごそうという想いがありました。したがって、完全に気を抜いていたわけですね。それが年を明けて、「さて、ここからまた復帰に向けて頑張るぞ!」というスイッチがうまく入らず、気分が滅入ってしまったのではないかと思われます。また、そのタイミングで家族で行ったスキーの疲労もやって来て、しかもその疲労を抱えながら無理やり初詣に出掛けたりもしました。そして、自殺未遂に至るまでに最も良くなかったのは、「死にたい」から一歩たりとも抜け出せなかったことです。

1月4日の夜にも一度死のうとしているわけですが、まぁ、はっきり言ってこれくらいの状態はこれまでの人生でも何度もありました。大学時代も夜中に街を徘徊しては死に場所を求めたり、自室で包丁を取り出して首筋に当てたりということもありました。そこまで酷くなくとも、基本的に私は「死にたがり」なため、そういう落ち込み方は何度も経験してきたわけですね。ただ、やはり病気も相まってか、この1月4日は特に酷かったように思います。初詣から帰って来て、そのまま鬱屈とした想いを抱えながら自室に籠ると、「今日死ぬぞ」と自分に何度も言い聞かせました。実家の近くには川があり、そこで入水自殺を図ることはこれまでの人生で何度も考えてきたことだったので、いよいよそれを実行に移すときが来たかという感じもありましたね。

ですが、結果的に酔っ払っていたせいで上手く死ぬ踏ん切りが付けられませんでした。酒に頼ってもダメだ。酒は確かに勢いをつけ、理性を飛ばすという意味では有効かもしれませんが、やはりある方向に精神を昂らせるような効果もあるため、そのような状態では私は死ねないことがわかりました。この前に、11月2日に自殺未遂をした時のように、全ての心が死んだ状態にならなければ死ねないと悟ったわけです。

なので、翌日の1月5日、さらに翌日の1月6日は自分の精神を追い込むことばかり考えていました。自分で自分の不安感を煽ったり、死について根詰めて考えたり、そのようにしてとにかく負荷をかけまくりました。が、どうも実家にいては死ねないような感じがありました。実家という環境では死と向き合うには安全過ぎるので、急遽寮に戻ることにします。両親に声もかけずに、荷物をまとめ、新幹線に乗り込みました。いつも私は移動中は音楽を聴いたり、動画を観たりして、外界をなるべく追い払って過ごしているのですが、この日は何よりも自分に負荷をかけたかったので、上述の通り何もせずただ「死ぬこと」だけを考えて移動していました。

新幹線を降りて、寮まで電車で移動している間はもう泣き出す寸前で、軽く鼻歌を歌っていないとまともに立っていることさえできないほどに、自分を追い込むことに成功していました。

そして、寮に戻り、さっそくロープを物干竿に括り付けます。

 

3.2度目の自殺未遂について

前回の11月2日は意識が飛ぶ前に、自ら恐怖に負けて首吊りに失敗していました。そもそも物干竿の高さがそんなに高くなかったので、足先に力を込めればそれで首吊りから逃れられてしまうのですね。それでも「死んでしまおう」と思い、自ら体重を首元のロープに預けてしまえるだけのパニック状態にはあったわけですが、やはり死の恐怖には抗えず、死に損なってしまいました。

今回はその反省を生かすために、後戻りができないように脚を折り曲げて腰と結びつけるようにロープを巻いてみました。これなら足は床に届きません。暖房機の上で膝立ちをして、少し張り出た物干竿の方へ乗り出せば、そのまま後戻りができなくなります。が、どうしてかそのようなスタイルはしっくりと来なく、結局やめてしまいます。理由はわかりませんが、なんか「怖い」と思ってしまったのですね。これから死ぬというのに怖いも何もあったもんじゃないと皆さんお考えでしょうが、やはり死ぬのって怖いんですよ。だから、「いかに怖くないか」ということが死ぬうえでは大切だと思いました。

そういうわけで、脚のロープは解き、普通に物干竿にロープを括りつけました。前回は試しに結んでみておいたロープをそのまま使ったので、ぎりぎり足が届くような形になっていましたが、今回は極力ぎりぎりまで高い位置にロープを結び付けました。

さて、そのようにして準備も整い、また暖房機の上から首をロープに通します。が、ロープが首に食い込んで痛い。その痛みが恐怖となるので、首とロープの間にタオルを挟むことにしました。痛みが弱くなり、これで恐怖も小さくなります。

そして、私は首を吊りました。足は伸ばした指の先がかるく床に触れる程度で、とても体重を支えられることはできません。そして、あっという間に意識を失いました。

 

どれくらいの時間、首を吊った状態だったのかわかりません。

とにかく所謂走馬灯のような明確なイメージではありませんが、何やら訳の分からないとんでもない情報量のイメージが全身を駆け巡り、まるで全ての神経が機能不全を起こしているような恐怖に襲われ(芋虫になったみたいに上手く体が動かせないのです。思い返せば、カフカの「変身」の冒頭のような状態でした)、排泄器官(性器と肛門ですね)の辺りがまるで漏らしているときのように暖かくなるのを感じ、そして次の瞬間には意識を取り戻していました。床の上でうつ伏せに倒れており、首にはロープ、そして背中には壁から剥がれ落ちた物干竿が乗っかっていました。顎と頸動脈の辺りが擦り切れ、喉の奥は風邪を引いたときのように違和感と痛みがありました。もう扁桃腺は摘出しているはずなんですけどね。

まぁ、そんなわけでまたも死にぞこないました。今回は前回よりもより死に近づいたと思います。というか、なぜ死ねなかったのか今でも私にはよくわかりません。物干竿は部屋に備え付け型のようなもので、壁にはネジでしっかりと止められていたのですが、さすがに70kgの体重は支えられなかったようです。あとほんの10分でも耐えてくれていれば死ねたのに、と思います。

今はこうしてブログを書けるほどには戻ってきましたが、「なぜ死ねなかったのか」ということはやはり考えてしまいますね。本来なら私は死んでいたはずで、確かにあの時の自殺願望は本物でした。手段も結構な本気度ではあったように思います。振り返ると、壁が剥がれ落ちたところに穴が開いており、また物干竿の端が当たったのでしょう、関係のないところの壁にも穴が開いています。また、床には壁の破片くずが散乱し、物干竿は部屋の隅に放り投げられています。顎と首筋の傷はほとんど目立たないくらいに治ってきましたが、まだ喉の奥は少し痛いです。

初詣で「死にたいです」と神様に祈ったものの、お賽銭を投げ入れなかったせいですかね。やっぱりお賽銭は大事です。そんなことを思います。

 

4.いま、思うこと

今もまだ「死にたい」という想いには変わりありません。でも、それは大学時代からずっとですし、それよりも「どうして死ねなかったのか」という疑問の方が強いですかね。そして、やはり「死ぬのは難しい」ということです。とりあえず、もう寮の自室では首を吊ることができないので、ほかの場所を探す必要がありますし、またあそこまで自分を追い込むというのも非常に労力のかかることです。今はほとんどすべての事に対してやる気が起きず、自暴自棄になれるほどの元気もありません。

「生きていても仕方ない」ということは理屈ではわかっていても、心からそう想い、きちんと死に向けた行動に結びつけるためにはかなりの頑張りが必要です。よく「死のうとする力があるなら、それを生きる方向にどうして使えないんだ!?」的な叱咤激励を聞きますけれど、「生きるための力」と「死ぬための力」って全然別物なんですよね。でも、例えば絶対値で括ってやれば、それはイコールで結ぶことができるものかもしれません。それほどに「死ぬための力」というのは大きなものなんだと思います。まぁ、それでも「生きるための力」よりは「死ぬための力」の方が小さく思えるから人は自殺をするんでしょうが。逆に生きている人は、不等号が逆向きなわけですね。

まぁ、ともかく今はお医者様から頂いた薬を飲んで、だらだらと生きています。色々な症状に悩まされ、寝ているだけでも結構キツイですが、2,3日前に比べれば幾分かマシな気分です。

なんと言うかいま現在の状況から言えば、元気ではないですが、元気には向かっていると思います。こうしてブログを更新しようという気持ちにはなっているわけですし。

というわけで、少し暗~い内容になってしまったように思いますが、そんなこんなでまだ何とか生きております。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com