※最初に断っておきますが、「聖域」という言葉は「タブー」という意味で使っていません。そのままの前向きな意味のまま、ヲタクには触れられない神聖なものとしての「聖域」として使っています。以下から、リトキャメ礼賛が始まります。ややこしいタイトルをつけた私の責任ですが、アンチはブラウザバックでお願いします。
何はともあれ、これを観て欲しいと思います。
リトキャメ恒例のアカペラ動画です。コメントなんかを見ると、「こんな階段で…」とか「もっと大きなところで…」とか、そういう応援コメントを見かけます。そして、そういうコメントを読みながら、半分の共感と半分の拒絶とを感じます。いえ、もちろん私も「もっと大きいステージで…」と願ってはいます。ただ、リトキャメを見ていると、何か彼女たちの美しさの表出の仕方ということを考えてしまうのです。
ここで、もう1つ動画を。
狭い物置スペースのようなところで小さな円になって歌っています。4人だけの聖域です。子どもたちだけの秘密基地の中を盗み見ているような感覚。小さく閉じた完璧な世界というのが強く印象として残っています。
派手な照明、派手なメイク、派手な衣装。そういうものは必要なく、ただ4人がいるところに聖なる光が降り注ぐ。薄明の中で声を重ね合わせる4人を見ていると、彼女たちはもはやつばきファクトリーでもハロプロでもなく、ただ「リトキャメ」なんだなと思わされます。
「神は細部に宿る」という言葉は、よく「細部までこだわって仕事をしなさい」という意味で使われます。でも、リトキャメを見ているとむしろ「細部にしか宿らない神もいる」と思わされます。リトキャメのアカペラは決してただの「細部」というわけではないのですが、この小さな輪の中でしか生まれ得ない静かな美しさがあると思っています。
少し話が逸れますが、最近はJuice=Juiceの勢いが凄いですね。「盛れ!ミ・モーレ」がハロヲタ以外にも届き、毎日がお祭り騒ぎのようでとても楽しいです。Juice=Juiceヲタクとしてはもちろん嬉しいことこの上なく、誇らしいという気持ちすらあります。
でも、リトキャメのこのアカペラ動画を見たとき、何か強く吸い寄せられるものがありました。「盛れミ」に疲れたというわけではないのですが、ちょっとお祭りの喧騒を抜け出して、神社裏手の藪に迷い込んだ感じ。ひっそりと薄暗い闇の中で、浴衣を着た彼女はさっきよりもちょっとだけ大人びて見える…みたいな、ね。
どっちが良いとか、どっちかにヘイトを向けるとかそういうのではないです。お祭りの喧騒も楽しいし、少し外れた神社裏の静けさもまた趣があります。だから、「盛れミ」で盛り上がっている人々には、ちょっとした気分転換でリトキャメのアカペラも観て欲しいな、と思います。
―あ、まだ自分の感性って信じられるな。
というのをなんとなしに思い出させてくれるような気がするのです。
ここからは完全な余談になりますが、せっかく書き出したのでちょっともう少し時間を設けて考えてみたいと思います(寄り道、大好き)。リトキャメの美しさって何なんでしょう。というか、この「小さく閉じた完璧な世界」って何なんでしょう。
私は「読書と言えば、村上春樹」というくらい、村上春樹ばっかり読んでいます。そうすると、「小さく閉じた完璧な世界」という概念はよく出てきます。「ノルウェイの森」で描かれた「完璧な世界」についてGPTにまとめてもらいました。
村上春樹『ノルウェイの森』で主人公ワタナベが回想する“3人の完璧な世界”とは、高校時代に親友キズキとその恋人直子の三人で過ごした、静かで調和のとれた時間のことを指す。ワタナベは二人の恋人関係の“外側”にいながらも、奇妙な均衡の中で深い安心感を得ていた。キズキと直子は互いの孤独や傷を理解し、ワタナベはそこにそっと寄り添うことで、三人だけの閉じた親密圏が成立していたのである。この関係は他者が入り込む余地のない小宇宙のようで、学校生活や将来への不安から自分たちを守る殻のようでもあった。しかし、キズキの突然の自死によってその世界は脆くも崩れ去る。ワタナベは後に「あの完璧な世界は二度と戻らない」と述懐し、その喪失が物語全体の情緒的基調となる。三人の静かな調和は、永遠を願ったがゆえに壊れた儚い青春の象徴として描かれている。
村上春樹作品の王道な流れとして、上述のような「完璧な世界」というのを過去としてまず提示します。そのうえでそれが何らかのきっかけで壊れ、同時に自分というものも崩れていきます。何とか修復しようと思っても力及ばず苦しみ抜き、その先に諦めだったり受容だったり、ほんの僅かな救いが与えられるという流れが多いですね。
ストーリーの大部分がこの「完璧な世界」をフリにした苦しさだったりするので、常にその「完璧な世界」というのが念頭に置かれます。なので、読書体験としては段々とその「完璧な世界」が神格化されてくることになります。主人公が苦しめば苦しむほどに、この過去の「完璧な世界」というのが如何に美しいものなのかということを読者は実感していくのです。
この時間軸のずれみたいなものによって、「現在の苦しみ」と「過去の美しさ」が対比され、より一層過去の「完璧な世界」が美しさの輝きを放っていく構造になっています。それは決して名誉や名声といったものとは関係のない、至極個人的でこじんまりとした「小さく閉じた完璧な世界」ではありますが、それが小さければ小さいほど、閉じていれば閉じているほどに、読者は強い親近感を覚えてしまいます。何も考えずに無邪気にはしゃいでた子供の頃を懐かしく思うのと一緒ですね。人によっては気苦労の絶えなかった中高生時代というのも、もし本当に気の合う数人の友達と「小さく閉じた完璧な世界」を作り上げられていたら。そんな妄想も、割と想像に難くない気がします。
村上春樹作品では、この「美しい過去」を神話として掲げたうえで、現在の苦しみが語られます。しかしながら、リトキャメはその逆かな、という気がしています。
リトキャメはむしろ、現在進行形でこの「小さく閉じた完璧な世界」を見せてくれています。ただ4人でアカペラを歌っているだけ(今は3人になってしまいましたが)、という動画ですが、これはまさに何行にもわたって書いてきた「小さく閉じた完璧な世界」を体現しているように私には思えます。
もちろん彼女たちも「もっと大きいステージで」と思いながら活動しているでしょうが、何と言いますか、少なくともこのアカペラ動画を撮っているときはそんなことまで考えていないような気がするんですよね。単純に音を重ねていることが楽しかったり、多少色気が出ていたとしても、「ウチらで初恋サイダーやったらちょっとバズるんじゃね」くらいの軽いノリで歌っているような雰囲気があります。その他愛のなさが何とも愛らしく、ありていに言えば「青春感」があって胸が締め付けられます。
でも、これはある意味ではいずれリトキャメにも終わりが来ることを知っているからなんですよね。何年もアイドルを追ってきたからこそ、この一瞬の「青春感」が尊く思えてくる。こういう感動の仕方を覚えたということは、私ももう良い歳の平成一桁ガチジジイなんだなと思いますね。
ただそうなってくると補足しなければならないのが、「こういう青春感はリトキャメだけにあるものではないでしょ」という指摘に対する反証です。ハロメンは沢山いて、その1人ひとりが青春時代をハロプロに捧げてくれています。そのことは深く理解をしたうえで、「それでもリトキャメは特別なんだ」と思える理由は何なのか。大まかな構造は上述のとおりですが、あまりにも大まか過ぎて、これでは全員が当てはまってしまう。リトキャメ個別の事由はいったい何なんだい、ということですね。
そのことについて30分くらいぼんやりと考えてみましたが、「これ」というのがなかなか見つけられなかったんですよね。「ここだけはリトキャメだけの特別な要素!」みたいなのって意外と少ないのかな。色々と考えてみても、どれも在り来たりというか。
・スキルが高い
・仲がいい
・謙虚
・前に出ていくことにそこまで重きを置いていない
・大人びている(常識人)
とか、そういう一般的な項目が作り上げる総体的な印象でしかないのかなと思ってしまいます。でも、「いやいやそれだけじゃないだろ」みたいな自分もいて。
また数時間だらだら過ごしたのちにこうしてパソコンと向き合っていますが、やはり答えのようなものは出ませんね。ただ、GPTと話しているうちに少しだけ見えて来たことがあります。
基本的には上で挙げたような、「スキルが高い」等の要素の掛け合わせではあるのですが、リトキャメの凄いのは1人ひとりが同じ脚本で全然違う主役を演じられるということかなと思います。ハロプロ楽曲がそれだけ解釈の余地のある懐の深い楽曲というのもあるのですが、普通に考えて、4人がそれぞれ全然違うタイプの表現力を持っていることがやはり圧倒的です。
結心ちゃんは、真っ直ぐで王道を行く、強く輝くアイドル像を見せてくれます。でも、同時にウィスパーボイスを用いたり、儚さも十分に演出でき、見事なまでのオールラウンダーという印象がありますね。女優ならばシリアスも、コメディも思うがままに演じ分けられてしまうタイプ。
真琳ちゃんは、しっとりと甘く、ほろ苦く、柔らかく。透き通れば透き通るほどに華が咲き乱れる。声は中低音に色気のある響きがあり印象的。女優ならば、なんて事のないシーンでも一級品の映像に変えてしまうような圧倒的なオーラがあります。
瑠乃ちゃんは、変幻自在のトリックスターでありながらも、音楽家としては寸分違わぬ天才さん。末っ子で可愛らしいところがあるけれど、たまにブログなどでは切れ味鋭い比喩や描写で観る者を唸らせる、生来の芸術家ですね。女優という枠には収まらない、自分で1から世界を構築できてしまうタイプでしょう。
最後にヤギシオリですが、彼女はまんま舞台女優と言えるでしょう。鍛え抜かれた肉体はもちろん高潔ですが、精神もまた淀みがなく、自分という存在に最も筋が通っている人。テレビドラマや映画の中で、表情ベースで曖昧かつ繊細な演技をするよりは、舞台上での躍動感のある演技や、圧倒的なキメ顔などが求められる場所で花開く存在です。
こういった四者四様のベクトルがありながらも、全員が優れた女優・アーティストとしての素質を持っているというのが、単純に質や量の面で稀有です。こんな同期はなかなかいません。しかも全員が1人の表現者として同期の持ち味をきちんと理解して、リスペクトもしているというのが素晴らしいです。
勝手な妄想ですけど、たぶん本人たちも自分たちの凄さというのはある程度理解していると思うんですよね。「私たちって、結構凄いよね」って普通に思ってそう。決して、それを口にはしないんでしょうけれど、口にはしない中で何となく脳のシナプスが繋がっているというか。
優れたサッカー選手が、「こういうときはお前、ここに走るべ?」「ここに走ってれば、自然とお前はパス出すべ?」みたいな阿吽の呼吸でゴールに迫ることがありますが、たぶんリトキャメもそう。「私たちならこの曲、こんな風に表現できちゃうよね」みたいなのが、割と雰囲気で伝わってそうな感じ。お互いに一流の表現者だし、お互いの特性をリスペクトしているから、言葉少なくてもちゃんと目指すべき方向性を合わせられていそうな感じ。それが何となく漏れ伝わってくるというか。
だからあまり言いたくはないのですが、他のつばきファクトリーのメンバーでもこのリトキャメの世界観の中にはなかなか入り込めないんじゃないかと妄想しています。もちろんリトキャメは周囲の人たちを蔑ろにはしないと思いますが、リトキャメだけで何かを作るときと、他のメンバーも含めて何かを作るときでは、リトキャメの中で何かスイッチを切り替えていそうに思えます。「今はリトキャメだけだから、ここでこんな感じで歌えば、周りも自然と世界観を合わせてくれるだろう」みたいな気楽さがあるのではないかと妄想しています。
その高次元でシナプスが繋がっている感が、何か「閉ざされた完璧な世界」というのを感じさせるんですよね。すべて私の妄想でしかないんですけれど、でもこの感覚はぜひとも伝わって欲しい。
そして、その「閉ざされた完璧な世界」というのは、いつも「小さく」感じられるのです。それは「閉ざされている」が故なのですが、なんかヲタクたちすらそこには入り込めない感があるというか。彼女たちは自分たちの全霊力みたいなものを捧げて、会場全体を震わせるようなパフォーマンスをするタイプじゃないんですよね。なんかジブリ作品で、階段を登るときに必ず足を踏み外す描写が挟まるみたいな。そういう細部のきめ細かい部分にこだわりを込めていくような、そんなタイプのように思っています。
―私たちは意識を集中して細部に魂を込めているから、楽しめる人は楽しんで。
これもまた妄想ですけれど、リトキャメたちの間では「その足を踏み外すところの絵、凄い良く描けてるね」とかで盛り上がってそうなんですよね。「私じゃなきゃ見逃しちゃうね」なんてふざけてもいそうです。
だからリトキャメのパフォーマンスからは目が離せなくなります。大味な演出でなくても、地味であれば地味であるほどに彼女たちの凄味が現れる、というか。あまり好きな表現ではないのですが、いわば職人的な魅せ方ができる同期なんですよね。
お互いにそれぞれの分野に対するリスペクトがあるから(+普通に育ちが良いから)常に謙虚だし、分かり合える部分も多いから仲が良いし、やりたいことも割と細部寄りだから必ずしも大盛り上がりしなくていいし。いや、盛り上がるに越したことはないけれど。でも、リトキャメって一緒に盛り上がるのもそうだけど、それ以上に鑑賞するものとして凄く良いモノなんですよねぇ。
そういうわけで、これだけ高次元のものを見せる奇跡的な同期が、いま現在進行形で活動してくれていることがとにかく嬉しいわけですな。というか、本当に1秒でも見逃してしまうことが勿体ない。
というわけで、繰り返しになりますが、TikTokのアカペラ動画をぜひとも観て欲しいのです。楽屋裏みたいな場所が彼女たちの主戦場というわけでは決してないですが、でも、彼女たちが作り上げるものはたとえ楽屋裏であっても、決して色褪せない宝石のような煌めきを放っています。
まだ活動しているのに何ですが、全員がハロプロを卒業して何年も経って、そしてまた久しぶりに会った時、記念にアカペラを歌ってみる。久しぶりに合わせたにもかかわらず、ばっちりと素敵なものが撮れる。彼女たちの才能は強く結びつき、決して離れたり錆び付いたりしないものだと思っています。
彼女たちにしかわからない秘密の聖域を、今こうして見せてもらえることに感謝したいと思います。