適応障害と診断されて143日目(3月6日)の夕方にこの記事を書き始めています。
前回
前回記事は今週の月曜。復職初日に書かせていただきました。復職自体はなかなか喜ばしいことのはずですが、喜びよりも不安や初日の疲労もあって、何だか微妙なテンションの記事になっていますね。
今回は主に復職第1週目がどういった感じだったかを書いていきます。できること、できないこと。注意すべき事など、色々と勉強になる1週間でした。
1.カレンダー
適応障害と診断されて…
139日目
火曜日。天気が悪く、通勤時から頭痛と吐き気、若干の動機があり。おそらく前日の業務で抱えたストレスやプレッシャーが脳裏にあったからと思われる。出社後、時間をかけて手指のマッサージ、深呼吸等でリラックスさせる。業務自体は前日よりもややスムーズに進めることができた。また、隣の席の先輩がとても丁寧に様々なことを教えてくれた。感謝。少し残業時間に割り込んだものの、ほぼ定時で退社。上司に軽く怒られるも、受け流すことができた。
140日目
水曜日。朝起きて頭痛を感じる。出勤前に一息つくことを決め、休んでいると10分くらいで頭痛が収まり、結果いつもより10分程度遅れただけで出勤できた。昼食がいつもより多め。そのせいもあるのか、昼過ぎから頭痛が出始める。いつもより30分程度早めに退社。勤務上問題の無い範囲。帰宅後早めに夕食。動画を観たりして過ごすも頭痛が強く出ているので、風呂もすぐに済ませ、2時間程度早く寝る。
141日目
木曜日。昨晩の強い頭痛は緩和されたが、出勤後に腹痛。昨日の反省を踏まえ、休憩を多めに取り、何とか体調の悪化を防ぐ。業務に慣れてきて嬉しい感じもあるが、「もっと色々できるように」と急いてしまう自分がいるので、そことバランスを取るのにも注意が必要。帰宅後はクレジットカードやアプリの設定を行い、ポイント還元率を高くする方法を模索。また、キャンペーンにも申し込む。これで沢山ポイントが入ればいいのだけれど。
142日目
金曜日。この日も1日リラックスタイム多めで過ごす。1日を通して軽い頭痛あり。業務自体は少しずつ色々なものに取り組んではいるが、本格稼働できないうちの隙間産業的業務は多くなく、ちょっと手持ち無沙汰な感じもある。が、今は自分の体調優先で良いはず。それでも退社直前に技術的な談義が盛り上がり、無駄に残業してしまった。帰宅後は楽しみにしていた「凛として時雨」の配信ライブを楽しむ。前回の配信ライブよりも粗めの「音」でとても良い。少し夜更かし。
143日目
土曜日。昨晩やや夜更かししたにも関わらず、いつもの時間に目覚まし無しで起床。ただの習慣なら良いけど、リラックスできていないせいだとしたら、ちょっと考えもの。今回の診察からちょっと早めの時間帯に。頭痛の件や勤務の状況を話すと、「もっとゆっくりで良いと思いますけどね。くれぐれも無理なさらず」と言われた。頑張っていると認めてもらえ嬉しい反面、気をつけなければと、勝ってもいないが兜の緒を締める。診察後に3時間ほど散歩。昼はラーメンを食べて幸福。でも、帰宅後に軽い頭痛が出る。やはり大食は交感神経を刺激し過ぎるか。
2.カレンダーまとめ
というわけで、復職しての最初の1週間は無事勤務的には問題なく、定時出社定時退社を基本として過ごすことができました。まぁ、フレックスを導入しているので、そこに救われた感もありますが。
ただこの1週間ずっと頭痛に悩まされています。やはり業務が始まったことによるプレッシャーと、実際的な負荷が問題のようです。特に業務だとついつい集中し過ぎてしまうので、軽く時間を決めて休憩するように心掛けています。私の不調の原因は交感神経(緊張や集中)の過剰活発かつ副交感神経(リラックス)の活動不良なので、無理やりリラックスさせるわけですね。
色々と勉強して復職前から取り入れている、ストレッチやマッサージ、そして可能な場合はマインドフルネス・瞑想・深呼吸なども活用しています。1~2時間間隔で一度騒々しいオフィスを離れ、トイレでゆっくりと手や指のマッサージを行い、ゆっくりと深呼吸をしたりしています。トイレで深呼吸っていかがなものか…というのもありますが、幸い現在の職場のトイレは換気も行き届いていますし、なかなか綺麗です。
昼休憩時はもう大胆にマッサージしながら瞑想ですね。「吐気 ツボ」で調べると出て来るような、よくある手や指、手首のツボを押すマッサージを行いながら、3:6の深呼吸を行います。余裕があれば、簡単にボディスキャン瞑想もして、昂る交感神経を抑制し、副交感神経に滋養を与えてやります。
あと気を付けるべきは昼食ですね。幸い、コロナ禍ということもあって、職場では外食を禁止しています。なので、事前に昼食を準備してそれを静かに自分のデスクで食べています。食べる量は必要最小限にし、極力GI値の低いものを食べるようにしています。それでもやっぱりエネルギーは必要なので、結果的には雑穀米系のおにぎりを1個という感じになっています。
説明が前後しますが、GI値とは食後の血糖値上昇の度合いを示すもので、炭水化物など糖質が多く含まれた食事を摂ると、一気に血糖値が上昇します。これにより幸福感(ドーパミン)がだだ洩れ状態となるので、ラーメン次郎なんかは最強なわけですが、その分上昇した血糖値は急激に下がってきます。このときに強い眠気や調子の悪いときは苛立ちがやって来るわけですね。これはまさに食事によって、交感神経と副交感神経が強い揺さぶりを受けていることを意味しています。なので、会社では極力食事を最小限に留め、この血糖値の上下運動を起こさないように気をつけています。
実際に水曜日には、ちょっとした会社の都合でがっつりとお弁当を食べることになってしまい、午後から一気に体調を崩してしまいました。もちろん復職して間もないので、疲れや上手く自分を制御できていないということも理由にあげられるとは思いますが、それでも食事というのも結構大きな要因であるのだと実感しました。
幸い、体の免疫力を上げたり、疲れにくい体を作るために軽いファスティングダイエットなども始めていたので、この辺りのことにも気を配れていました。ちなみに「GI値」などは元Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんが良く言っていたので、事前知識として持ち合わせていました。佳林ちゃんに健康オタクの時期があって良かった! そして、彼女は今、完全に少年漫画・アニメオタクとなっていますが。
そんな感じで、とにかく業務は業務で覚えつつ、何よりも「いかにリラックスさせるか」を考え、実践し続けた1週間でした。めちゃくちゃ気を使って、何とかバランスを取りつつ、週末まで耐えきったと言っても良いでしょう。おかげでこの記事を書いている土曜日現在はそこまで体調不良を感じておりません。
やはり若干の疲労感があり、また昼にがっつりラーメンを食べたので、頭痛も出てしまいましたが(笑)。
3.やれること・やれないこと、そして理解と感謝
復職して思うのは、今の私が完全なる会社のお荷物、役立たずであるということです。周りの人がめちゃくちゃ残業しながら何とか業務をこなしている脇で、私は定時退社。しかも、私がちょっとした業務を進めるためにも、わからないことだらけなので、先輩に色々聞かなくてはならず、沢山の時間を奪ってしまう始末。全く以って、私はいったい何のために存在しているのかわかりません。
エア・ギアの凛鱗人(リンド)というキャラクターは「女に足を引っ張られて男は脚が長くなるものさ」的なカッコイイセリフを残していますが、残念ながら私は精神疾患持ちの冴えないクズ男です。私が足を引っ張ることで先輩の脚が伸びてくれれば良いのですが…望み薄ですね。
とは言え、教えてもらわなくては仕事もできないままですし、出勤しているからには何かしら自分にもできることを見つけてやっていきたいという想いはあります。なので、もちろんできる限りのことはやろうとしてしまうのですが、逆にそこで頑張り過ぎると頭痛等の症状が出て来るのであまり良くない。大道芸人みたいに上手くバランスを取れれば良いのですが、今の私にはなかなかそれもまだ難しく、何とか空き缶の上にのっけた板切れの上から落っこちないように無様に右往左往しております。
適応障害になってから、同じような苦しみを抱えている人に対して何かしらできないかと考えることが増えてきています。
治療のポイントって何だろうなぁ、とよく考えています。
色々と読んだり観てきたり実感してきたりしたものの寄せ集めですが、やはり大事なのは「今」をベースに全ての判断を行っていくことだと思います。今の私にはまだまだ療養が必要で、当然ながらできることとできないことがあります。しかしながら、会社というものはもちろん利益を追求する組織なので、組織としての「目標」があり、それを達成するために私たち社員の「業務」があります。つまり、私自身の体調とは関係ないところで、私の「やるべき業務」というのは決められてしまうのが基本です。
しかしながら、そういう風に私の状態を度外視してやってくる業務というのは、非常に危険なものです。「健康なら進んでやるべき事・やらなくてはいけない事」というものはあるのでしょうが、そういった周囲の要求に応えられるだけの私ではありません。というか、そもそもそういう考え方に固執していたがために私は適応障害なんてものになってしまったのだと思います。
***ここから長く話が脱線します***
思い返せば、そもそものこの10年間の希死願望の原因もそういったところにあると思います。私はこれまで大学を留年したりとかなり好き勝手に生きてきたわけですが、それでも常に悩みの種は「社会との摩擦」でした。私は高校生までずっと人からどう見られるかばかり気にして生きて来て、社会の漠然とした総意によって共通認識と化した人生の偏差値のようなものに捉われていました。少なくとも高校生頃までの私にはそういった「尺度」みたいなものが明確に刻み込まれており、全国模試の偏差値のように「今の私の人間としての偏差値はいくらか」ということばかり気にしていました。
はっきり言ってしまえば、「ほかの人が3時間かかってテストで85点を取るところ、自分は1時間半で90点取れた。だから私は天才で、人間としての偏差値が高い」というような考え方をしていました。こういう考え方は勉強だけでなく、あらゆるところに滲み出ていました。けれど、そんな風にして生きていても楽しくとも何ともありません。優越感、というよりは虚栄心に浸っているばかりで、卑しい幸福感のようなものはありましたが、同時に常に不安を抱えていました。つまり、他人との比較の中でしか自分の存在価値がないのです。うまくいかなければ苛立ち、どうにもできなければ逃避しました。
高校生の頃に素敵な女の子と交際していました。しかし、私がその子と交際したいと思ったのは、世間から見てその子が良い子だったからです。そして、私が欲しかったのはその子と交際できたという事実だけだったのです。テストの点数と一緒です。私はその子と付き合うことで、自分の虚栄心を満たしていただけでした。本当はその子のことがちゃんと好きだったはずなのに…
というわけで、そんなこんなでその子とも長くは続かず、大学受験も舐め腐った態度だったので、当然上手くいくことはなく、ほとんど何も持たない状態で実家を離れ、大学生の1人暮らしが始まりました。もともと人見知りで、自分から交友関係を広げていくことが苦手でした。サークルにも入りましたが、みんな楽しむことばかりで、私の虚栄心を満たしてくれるものは多くありませんでした。また、大学のカリキュラム上の都合で、後期からはそのサークル活動に参加することもできなくなりました。大学では学業の成績など自慢すべきものではなく、むしろネタにすべきものであるので、ここでも私は虚栄心を満たせませんでした。
孤独に過す中で、私は自分のこれまでの人生が全く間違っているものだと気づきました。そして、高校の頃に交際していたあの子が本当に素敵な子であったこともそのときになってようやくわかったのです。
いったいなぜ私はこんな矮小な価値観の中でこれまで生きてきたのか。誰が私にそのせせこましい、卑しい水槽の中で生きるように仕向けてきたのか。私が自己評価の基準として常に意識してきた「社会」って何なんだ!?
そんなことを考え始めるようになってから、私はようやく反抗期を迎えたわけです。こんなクソみたいな社会で評価されたって、なんの意味もないじゃないか。自分ばっかり訳の分からない競争に参加させられていて、虚栄心という餌を与えられてきたけれど、そんなのはまやかしだったじゃないか。本当の人間の人生とは、生きる価値とはどこにあるんだ!?
結果、私は自分をこんな風にまやかしの水槽の中に閉じ込めていた社会を憎み、本当の価値を模索する旅に出ることになりました。旅と言っても、自室に籠り、世を呪い、様々な芸術やら学術やらに触れるというものです。そして、何度もこのブログで話して来ている通り、自分というものをぶっ壊す行為を繰り返したわけです。数年がかりで自分をぶっ壊し、何もなくなりました。何も無くなったのはいいのですが、そこから私は私だけの新しい城を建てるために、またそのまま突っ走り始めます。
よし。これまでの自分はぶっ壊した。手元には自分をぶっ壊すための様々な道具が残っている。諸行無常というツルハシ、虚無というハンマー、神というロープ、堕落というスコップ…そんなものを使って私はさらに自分を痛めつけるということを続けていきます。
この世界の真の姿はいったいなんであろう。ともかく、苦しみばかりしかないことはわかった。生きるべきか、死ぬべきかという問の答は既にシェイクスピアが「死んだ方が得だ」と出している。それでも生きているのはなぜか。死ねないからだ。死ねないから生きているだけに過ぎない。ならば、これからの人生は死に漸近していくことだけを考えよう。そのためには苦しみを味わい、それを味わい深いと感じ、「死にたい」と感じることだけを生きる糧としよう。
まぁ、ざっくり言うとこんな感じで私は自己虐待を続けるに至ります。私としてはとても筋が通っているように思うのですが、いかがでしょうか。幾分かそもそもの前提が色々と間違っている可能性もあるのですが、少なくともその時の私にはそういった前提しかよりどころが無かったのも確かなのです。
そういうわけで留年までしたわけですが、それでも何とか私なりに社会と歩み寄る術を見つけ出し、就職することができました。就職してからは、いや学生のバイト中もそうでしたが、私は心の底では社会を否定し、死を望んでいるからこそ、「少なくとも働いているときだけは社会貢献をしよう」と思うようになっていました。例えばその頃から私は将来いつ自死を実行に移すかわからないという前提のもと生きていましたので、「子供は作るまい」と決めていました。なので、生物の存在理由の大まかな部分が失われたと考えていたわけです。それでも私は生き続けている。心の底では生命を否定しながらも、生き続けている。動植物の生命を奪い、社会システムに生かされている。その代償のようなものとして、「少なくとも働いているときだけは社会貢献をしよう」という考えになっていったのです。
だから、基本的に私が社会人として働いているときは、高校生までの自分を持ち出すようにしていました。つまり、「社会に求められ、それを全うする人」として行動し続けていたわけです。内心では「社会なんてぶっ壊れてしまえばいい」、「早く死にたい」と考えているのに、外面ばかりは「周囲の期待に応えなくては」という鎧で武装していました。
もうぐちゃぐちゃです。そんなぐちゃぐちゃを抱えながら、私はほぼ生きる意欲を失くしていました。
これも何度も書いてきたことですが、1回目の自殺前に書き上げた「霧氷」は適応障害になる半年以上も前から書いていた創作物になります。この「霧氷」のタイトルは、生きる意欲が既に過冷却状態にあるということを意識して名付けました。そして、もちろん「霧氷」を書くよりも前から、私の希死願望は創作物の中で何度も何度もぶちまけられてきました。
そのようにして、「何かを書く」ということによって、自分の内面に抱える混乱と苦痛を昇華し、外面は社会と何とか適合しようとやってきたわけです。だから、会社の人から認めてもらえると、喜びと怒りと悲しみとが混ざったよくわからない感情になりました。それでも、とりあえずは「この社会で生きていていいんだ」と思えるだけの免罪符にはなっていたように思います。つまり、「これだけ死にたいと思っていても、社会で必要とされているから生きている」というような状態とも言えるわけです。
***脱線、とりあえず終わり***
まぁ、そんなわけで私は周囲の人から認められるためだけに働いていました。もちろん仕事自体を興味深く思い、面白味を見出している部分が皆無というわけではありません。それなりに仕事を楽しんでもいました。しかしながら、基本的には「周囲の期待に応えること」=「働くこと」だったわけです。
しかし、今の私には周囲の期待に応えるなんて全く以ってできません。そんな状態に対して一体どのようにして割り切りをつけるか。
まず生きることの定義を見つめ直しました。
そう、生きているから生きている、というありきたりな論を持ち出しすことにしました。死にたいという気持ちを捨て去ってからは、ただ生きている瞬間に、自分の内に何らかの熱源を感じ、それが希望なのだと感じることができるようになりました。生きていると、何か希望が湧いて来る。それだけが生きる理由で良いのだと暫定的な解を自分に与えることにしました。
すると、私にはもはや「周囲の期待に応えなくて良い」ということがわかってくるのです。だって、大事なのは生き続けることであって、周囲から失望されても生きていくことはできます。だいたい、あれだけ泣き喚いて休職させてもらっているんですから、今さら「期待を裏切る」だとか「失望される」だとかを恐れる必要はないですよね。既に落ちるところまで落ちてるんですから。
そこまで来るともはや私が行動を決める上で判断基準となるのは、「今の自分にできるか・できないか」ということでしかありません。それが「仕事」という半強制的なことであっても、「できないことはできない」わけで、私にできることは「仮にそれをやりたくない、と思ってもできるのであればやろうではないか」という妥協だけです。なので、まずは「できる・できない」ベースでものを考えるようにしました。
そこまで来ると、続けてやるべきことは「理解してもらう」ということです。
健康な人ならできることも、今の私にはできない。だって、病気なんだもの。ということを周りに理解してもらうことです。
これはまだ模索中ですが、ちょくちょく会話をしたり、業務を受ける・受けないみたいな微妙な瞬間でそれとなく「今の私は無理ができませんよ~」ということを伝えるように心がけています。上司には週末に1週間の体調を報告するメールを送りました。
そして、おおむね私のそういったことに対して、理解をしてくれ、みんな配慮してくれています。
そのことについては本当に感謝しかありません。
感謝、感謝、感謝です。
ここ数週間、毎日感謝したことなどを書き出すようにしていますが、だいたい会社の人に対して感謝をしています。
そんなわけで未だ綱渡り感が否めませんが、それでも何とかやっております。
体調最優先。やらなきゃ、やるべきではなく、やれるかやれないかで判断。そのうえで何とか周囲の理解を得つつ、理解してもらえたら感謝。理解してもらえなくても、私が働けない分働いていただいているのだから感謝。
そんな感じですね。
次回