霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.55

適応障害と診断されて138日目(3月1日)の夜にこの記事を書き始めています。

そして、今日からきちんと復職となりました。ここまで長かった…でも、まだまだ周りの人のようには働けないし、夕方から頭痛も出たりしているので、ここからもきっと長いんでしょうね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回はようやく人らしい休日を送れたことに感動したという内容ですが、今回はまたそこから先に進みました。が、今日1日業務らしい業務をしてみて、ストレスと疲労でやや体調を崩しているので、なかなか思うようにはいかないなーという感じですね。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

131日目

月曜日。朝から出社し、勉強しつつ隣の席の同僚と少し話したりできた。退社後、スマホの修理へ。良いキッカケだと思って、iPhone12に買い替える。店員の中国人の方がとても良く対応してくださり、嬉しかった。そして、最新スマホは容量も大きいし、サクサク動くのでとても便利。

 

132日目

火曜日。この日はカレンダー通りの休日。好きなギター動画をまとめた記事を投稿。ウイルスバスターの更新に苦戦するも、何とかやり切る。1日中寮にいて、少しリフレッシュできた。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

133日目

水曜日。朝から1日出社。苦手と感じる先輩とも話せた。また、苦手な上司にも声をかけ、復職に向けての段取り…というか向うの思惑を聞けた。ちゃんと復職してから話す、ということらしい。それならそれでOK。断りを入れておくことが大事。

 

134日目

木曜日。朝から1日出社。隣の席の人とはもう普通に喋れる。退社の道中で道に迷っている受験生を救う。ホテルまで案内してあげた。福岡から受験しに来たらしいが、受験校が私の落ちた大学だった。受かることを願う。

 

135日目

金曜日。朝から1日出社。定時で上がり、一度寮に戻ってから、すぐに遠方の友人宅に向けて飛び出す。この日は友人宅に泊まり、翌日の朝からスキーに行く予定だったが、地震の影響で新幹線が速度を落としての運行となっていて、友人宅まで辿り着けず。急遽、見知らぬ土地の見知らぬホテルで1泊。急な事態にも臨機応変に対応できた。

 

136日目

土曜日。ホテルのバイキングで朝食を取り、友人たち(自分を入れて3人)と合流するために電車を乗り継ぐ。昼前から夜までスキーを楽しみ、スキー場で1泊。大学時代の思い出話や、友人の会社の愚痴を聞いたり、自分の病気のことを話したり。久しぶりに人と沢山話したし、運動もしたので疲れたが、症状は出なかった。

 

137日目

日曜日。朝からまたスキー。友人たちには、大事を取って昼には帰るという相談をすることができた。今までの自分なら無理やり最後まで付き合っていたけれど、ちゃんと自分の状態を踏まえて、話をすることができた。帰りの新幹線でドキュメンタルを観切る。

 

138日目

月曜日。今日から復職。朝方上司からようやく業務らしい業務を言われる。先輩に教えてもらいながら、集中して業務に取り組む。時間を意識したり、色々な人に教えを請うたり、やはり結構な負担。夕方には頭痛が出始め、定時で上がらせてもらった。やや仕事をやり残し、先輩に投げてしまったが、これも致し方ない…と思うことにする。何よりも自分の体調を優先させよう。

 

2.カレンダーのまとめ

復職に向けた会社との調整で、何日か連続で規定の勤務をこなす必要があったので、お給料も出ない中、出社訓練を続けていました。それがだいたい先週のやっていたことですね。そうしてようやく本日を以って正式に復帰となりました。まぁ、お給料が出ないことは別に良いんです。傷病手当金も貰えるわけですし、何よりも私が周りに迷惑をかけているわけですからね。

ただ、とりあえず「出勤できてますよ!」という実績を作ったは良いものの、全然まだまだ本調子ではありません。その点をどれだけ上司や同僚に理解してもらい、配慮してもらえるかというのが今の時点での私の課題ですね。わかってくれている人も多いとは思うのですが、肝心の直属の上司が何とも言い難い…もともと仕事には厳しい人ではあるので、他の人に比べたら私は随分と甘えさせてもらっている立場であることは確かなのですが、やっぱり面と向かって仕事を任され、「ちゃんとやれよ」という風に言われるとドキっとしますね。

ただようやく業務に携われると思うと、少しだけ後ろめたさのようなものは軽減されます。今は「責任」というものが非常に重荷に感じられてしまい、ちょっと心が苦しくなっているような状況ですが、上にも書いた通り、夕方には頭痛も出てきたので無理せず先輩に仕事を投げて帰って来ました。先輩、すみません。

「今日もちょっと定時で帰らせてもらっていいですか…?」

という言い方をして仕事を投げてしまったのですが、ちゃんと「頭痛が…」と説明した方が良かったかな、と今になって少し後悔しています。この辺りの自分の体調の伝え方なんかはなかなか難しいところです。「復職」というイベントによって、相手の求めるレベルがぐっと上がったような気がしているのですが、対して私が提供できるレベルはあまり高くないので、そのギャップがちょっと苦しいです。でも、素直にできないことはできないと言って、どうにかこうにか相手方の理解を待ちたいと思います。私の提供できるもののレベルを上げることはどうしたってできないので、向こうに合わせてもらうしかありません。そう考えることで、少しは罪悪感も薄まりますし、何よりも無理をして体調を悪化させずに済むと考えています。

ま、それで「お前、もっとちゃんと働けよ。復職したんだろ。やる気あんのかよ」的な感じになるのだとしたら、どうぞ解雇してくださいとしか言いようがありませんね。そして、私はまた新しい人生を歩んでいきましょう。必ずしもこの会社に残らなければいけないというわけではないですからね。広く、緩やかにやっていきましょう。

 

と、疲れもあってちょっと言いたいことがまとまりませんが、とりあえず「復帰おめ!」ということで。不安や困ったことも沢山ありますが、まぁ、その辺はゆるゆると1つずつ解決していきましょう。急いても今の私には大して何もできやしないので。やれることを1つずつ積み重ねるだけです。

 

スマホショップの店員さん(中国人の方)

先週の日曜日に松屋に行った帰りにスマホを落とし、画面が割れてしまいました。その日のうちにケータイキャリアのショップに予約を取り、翌日の月曜の仕事終わりに直行。

私の応対をしてくれたのは、中国人の店員さんでした。

沢山世話になっていて、沢山甘えさせてもらっている母の悪口を言いたくはないのですが、私が母の苦手とするところに「中国人の方に対する偏見」というのがあります。母がそういうことを口にする度に、「メディアに翻弄され過ぎだよ」と嫌味を言ってみたり、私が関わって来た素敵な中国人の方の話をしたりしているのですが、なかなか改めてくれません。

確かに母が言うような色々な不快を覚える経験もあるにはあるのですが、それはどうしたって文化の違いから来るものでなかなか防ぎようがありません。それに、それこそ日本人が海外旅行先でマナーが悪いということを考えると、相手ばかり責めてはいられません。だから、「偏見」でものを言うのは、相手にとっても失礼ですし、自分にとってもリスクのある行動だと思うのです。と、そんなことを言いながら、私はウルサイ車やバイクに乗っている人を一方的に憎んでおりますが(笑)。だって、大学時代に国道の近くに住んでいたせいで、ずうっと嫌な気持ちにさせられてきたので。でも、それだって自分のせい。もう二度と国道の傍になんか住むもんか。

…話がずれました。

ともかくですね。私はこれまで素敵な中国人の方と関わってきました。

大学の研究室時代には中国人留学生がいました。そんなに仲良くなれないまま研究室を移って行ってしまいましたが、私が苦手とする分野を丁寧に教えてくれたり、日本語で苦労しながらも、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれました。

そして、何と言っても会社に入社して、実習期間中に仲良くなった同期がとても素晴らしい中国の方でした。私よりも年上で、とても良い大学を出ているのですが、奢ったところはないですし、困ったときは素直に頼ってくれます。そして、技術的なものへの興味が強く、色々とテクノロジーの話などをしました。好奇心も強く、そしてピュアで、「日本の会社はおかしい!」と言ったりもしていましたが、そんな彼に会社の歴史や組織としてのしがらみなどについて話して聞かせるのは私にとっても良い経験でした。何よりも、直接的に言葉で「〇〇くんがいてくれてホントに助かった。これからも仲良くしてほしい」と言ってくれて、私はとても嬉しくなりました。「〇〇くんの発表、すごかった。日本語でのプレゼンの勉強したいから原稿をメールして欲しい」なんてことも言ってくれたんですよ。なんか、思い出すだけで涙が出そうです。本当に素敵な人です。

その人とはまた別の同期にも中国人の人がいて、彼は私が病気になった時に、「今度美味しい中華料理を食べに行きましょう!」と誘ってくれ、何人か人を集めて「中華料理を食べる会」と開いてくれました。一緒に技術的な研修をする期間もあったのですが、困ったときは頼ってくれましたし、昔も今も誰かが困っていたら躊躇せず助けてくれます。お国柄ということになるかもしれませんが、日本人だったら躊躇して救いの手を伸ばせない状況でも、純粋な気持ちで手を差し伸べてくれます。そういうのが私にとってはとても嬉しいことだったのです。

そんなわけで、私は中国人の方が好きです。

スマホショップで私の応対をしてくれた方も、とても丁寧な方でした。どうしても日本語の会話ではところどころ難しいと感じる部分もあるのですが、頭の良い方であることは間違いがなく、私の色々な質問にも的確に答えてくれました。変にマニュアルに固執することもなく、私の生活の事情などに合わせて提案もしてくれました。例えば私は転勤の多い会社で基本的に会社の寮を転々とするような感じなのですが、その話をすると「固定回線を引くのはちょっと考えた方がいいですね」とか、そういうことをちゃんと言ってくれました。「寮」という言葉に聞き馴染みがなかったのか、漢字を書いて伝えあったり、そういうことはありましたが。しかし、そんなちょっとしたコミュニケーションの手間や摩擦なんかよりも、やはり彼の紳士な応対や頭の良さが何よりも私にとっては助かることでしたね。

ともかく言えることは、私は中国人をはじめとして、外人の方が基本的に好きです。丁寧ですし、何と言うか奢ったところが無く、真摯さや優しさを感じるのです。改めて、ありがとうと言いたいですね。

 

道に迷う受験生

木曜日の夕方の出来事です。会社帰りの交差点で、「すみません!」と右往左往している1人の男の子を見かけました。とりあえずそこにいた人たちは見て見ぬふり的な感じだったのですが、私もここ数か月は他人に助けられっぱなしだったので、「どうかしましたか?」と声をかけてみました。

プリントアウトした地図を手に、どうやらホテルを探しているらしいことはわかったのですが、軽いパニックにあるのかちょっと何を言っているかわかりませんでした。それでも何とか宥めて、買い替えたばかりのスマホの地図アプリを場所を説明してあげました。が、どうやら説明を冷静に理解できるような状態でもなさそうです。

まぁ、私は定時退社をしてきたばかりですし、時間にはたっぷりと余裕もあるので、ホテルまで案内をしてあげることにしました。

その道すがら話を聞くと、国公立大学の前期入試のために福岡からやって来たということです。そうか、もうそんな時期だったのですね。印刷した地図を手に持っているということは、スマホも持たずに来たということでしょうか。このご時世に凄いなぁ、とちょっとだけ引きつつ(笑)、それでもよくよく見てみるとどこかで見覚えがあります。極端に視野が狭く、人の話を聞かずにベラベラと喋りまくる。そして、「すみません。〇〇というところが聞き取れなかったので、〇〇という風に勘違いしてしまいました」というようなことを普通の会話の中で言ってくる感じ。思い当たるところがあり、「どこの大学の受験だったんですか?」と聞いてみると、案の定ゴリゴリの理系大学を受験している方でした。

うむ。私が落ちた大学ですね。そして、小中学校の同級生にその路頭に迷っている受験生と同じようなタイプの人間がいたのですが、そいつはその大学に合格していました。というわけで、その路頭に迷っていた彼も何となく合格できそうな気がします。

と、別に私はその子も同級生の子も貶めたいわけではなくてですね、むしろ私はそういう人が好きなんですよ。昔から。

多分ですけど、私も本来は彼らのようなタイプの人間なんです。色々と学問の話をしたりするのは楽しいですし、私もやっぱり夢中になると視野が狭くなったりする方なので、彼らの事は何となく理解できるところが多いのです。でも、なんか変な見栄とか 虚栄心みたいなもののせいで、彼らのようにありのままの姿で振舞うことができず、カッコつけてしまうんですね。まぁ、たいしてカッコつけられてもいないんですが。

そんなわけで何かそういうのもあって、路頭に迷っている彼を放っておけなかったということもあります。

が、面白いのは、おそらく彼以上に私の方が困っているということです。

私は今もなお適応障害、というかうつ病に苦しんでおり、世間から見ればよっぽど「え? 大丈夫ですか?」という位置にいる人間です。でも、そんな人間にも救える場面もあるんですね。こんな私でも人の役に立てる、というのは喜ばしいことです。

そして、少しだけ大学時代を思い出しました。

そう言えば、大学を留年し、基本的に二日酔いの状態で時間を過ごし、淀んだ虚無感の中で「死にたい」と思いながら生きている時期にも、よく散歩に出かけた先でご老人の道案内をしていました。道に迷っている人から声をかけられやすい星のもとに生まれているんだなぁとよく思っていたのですが、何の生産性も無い1日の中で道案内をしたことだけが私の存在意義であるような日も多々ありました。

そんな昔から進歩しているのかしていないのかよくわかりませんが、そうやって曲がりなりにも「人助け」と呼べることができて、なんか良かったです。邪魔者でしかない自分にも存在価値があったのだと思うと、やっぱり嬉しい気持ちになりますね。

ちなみに、私が助けなくても誰か別の人が助けていた、という正論は絶対に言わないでください。

 

楽しいスキー

大学時代のバイト先の後輩2人からスキーに誘われて予定を組んでいました。2月末の土日です。

どうせ2月末まで休職だからと安請け合いしていたのですが、上述の通り、会社との取り決めの中で連続の出勤実績が必要ということになり、仕事が終わってからの出発となりました。

金曜日の夜に会社が終わった後、新幹線で東北にある後輩の家に行く予定でした。が、先日の地震の影響で新幹線が減速運転をしていることを知らなかったため、後輩の家まで辿り着くことができませんでした。新幹線に乗っている間にも何度かアナウンスがあったと思いますし、明らかに到着時刻が遅れていることにも気づいていたのですが、情報収集や再考を疎かにしていたため、予定通りの駅で新幹線を降りたときにはもうほとんどどこにも行けない状態になっていました。愕然。

仕方が無いので、後輩には謝罪をして、その見知らぬ土地でホテルを探すことに。駅前にホテルがあり、ホテルがある方の出口で降りたつもりだったのですが、線路やら何やらのせいで、めちゃくちゃ迂回する羽目になりました。出口を間違ったのが最大の敗因でしたね。気がつけば雪がちらつく東北の町で20分近くも歩いていました。

1つ目のホテル。1泊6100円…「ちょっと高いですね」と言って値引きを待ってみたものの、何も提案されることなくホテルを後にします。まぁ、近くにはネットカフェもあるようなので、最悪そこでも良いなぁと考えていました。

そして、2つ目のホテル。1泊7500円…「いやぁ、高いですね」と言って背を向けたところに、「ちょっとお待ちください!」という声がかかりました。
待ってました!

どれくらい安くなるかなぁ、とウキウキしていると、「いわくつきの部屋がありまして…」と小さな声で囁かれます。

「いわくつきですか…」

「はい。実は…」

「ごくり…」

「ボイラー室の上の部屋でちょっとうるさいんですが、5500円でいかがでしょう?」

私が勝手に「いわくつき=お化け系」と思っていたので、ちょっと拍子抜けでしたが、2000円も値引きしてくれるならと思い、そのホテルに決めました。

ネットカフェよりはかなり高いですが、まぁ、広いお風呂にも入れましたし、ベッドはふかふか。なかなか良い気分でした。ボイラー室の上の部屋と言われても別段ウルサイとは感じませんでした。普段、私は貨物列車が行き来するような超騒音物件(=会社の寮)に住んでいるので、ぜんぜん余裕でした。

こういうハプニングも旅の楽しみですね。

 

後輩と相談して、翌日の朝一でもう1人の後輩を仙台駅まで車で迎えに行くということだったので、私はスキー場の最寄り駅まで自力で行くことになりました。地方のローカル線に揺られながら、雪景色を眺めていると、とても長閑な気分になりました。このブログにも投稿している「霧氷」を読み返したりしながら、ゆるゆると電車に揺られ、辿り着いたのは無人駅。

近くのコンビニまで歩いて、そこで後輩に拾ってもらいました。

 

年始以来のスキーで、年始はスキーの翌日から体調を崩し、2度目の自殺未遂にまでなっていたので少し不安もあったのですが、総じて楽しいスキーでした。バイト先の後輩でもありながら、大学の後輩でもあるので、色々と話は弾みましたし、私もうつ病漫談なんかをしながら結構楽しい時間を過ごすことができました。ナイターも滑ったのですが、満月がとても美しかったですね。また、雪質も最高でした。

いやぁ、本当に滑っていて気持ちの良いスキー場でした。夏油(がとう)スキー場というところなのですが、スノボ中毒の後輩が「最高の雪質」というだけありましたね。コースも幅が広く、そんなに混んでもいなかったので、とっても伸び伸びと滑ることができました。天気が良かったのもまた最高でした。

スキー場に複合のホテルに泊まったのですが、温泉では「お客さん、そろそろ時間ですよ」と言われるまで色々と話し込みました。私の病気の話もしましたが、後輩も色々と悩みを相談してくれて嬉しかったです。

 

そして、私的に重大だったのは、2日目の昼に1人で先に帰るということでした。

後輩の1人はスキー場に比較的近いところで生活をしており、もう1人はまだ大学生なので遅くまで滑っていくということだったのですが、私はさすがに翌日には会社もありますし、復帰1日目です。しかも、体調的にもあまり疲れすぎると良くない状況です。今までの私なら後先考えずに、割とノリで付き合うことがほとんどだったのですが、2度目の自殺未遂以降考えを改めているので、きちんと自分の状態を話して理解をしてもらったうえで先に帰らせてもらいました。何よりも自分を労わることが大切。

これが成長なのかはわかりませんが、ちゃんと自分の意見を言えるというのは、とても大事なことのような気がしました。特に、今の私にとっては。

 

最後に…

疲れもあって、いつもよりもかなり乱文になっている気がします。

が、もうそろそろ寝る準備を始める時間でもあるので、今日はこのくらいにしておきます。また明日もきっと大変な1日になるでしょう。

無理せずやっていきたいと思います(頑張る、という言葉は使わないの)。

それではおやすみなさい。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com