霏々

音楽や小説など

「M-line Special 2021 ~Make a Wish!~ 2021.2.13 中野サンプラザ公演」ライブレポート

ライブに参戦してきたので簡単にレポートを残しておきたいと思います。

出演者は、道重さゆみPINK CRES.夏焼雅小林ひかる、二瓶有伽)、工藤遥宮本佳林の計6名でした。

先に断っておきますが、お目当ては宮本佳林ちゃんでした。が、モー娘。は「リゾナントブルー」辺りから好きになっているので、もちろん道重さゆみさんも、工藤遥ちゃんも楽しみでした。Berryz工房は活動停止の2,3年前から見るようになっていたので、夏焼雅ちゃんを見れるのも嬉しいものですね。PINK CRES.としての活動はあまりちゃんと追えていなかったので、小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんの2人は存在こそ知っていましたが、ほとんど初めましてな感じでした。

 

 

◆ セットリスト

1.Fantasyが始まる(全員)

2.世の中薔薇色(全員)

ー MC1(オープニング、宮本・夏焼あいさつ)

3.好きすぎて バカみたい(道重、夏焼、小林、二瓶)

4.LOVE涙色(道重、夏焼、小林、二瓶)

5.ブギートレイン(工藤、宮本)

ー MC2(工藤、宮本)

6.若者ブランド(宮本)

7.氷点下(宮本)

8.バイトがある(工藤) ※新曲

9.そう言ってくれたでしょ?(工藤)

10.記憶の迷路(小林、二瓶)

11.キレイ・カワイ・ミライ(PINK CRES.

12.TOUGH GIRL(PINK CRES.

13.曲名不明(道重)

14.OK!生きまくっちゃえ(道重)

15.I&YOU&I&YOU&I(道重、夏焼、工藤、宮本、今年から始めたこと)

― MC3(道重、夏焼、工藤、宮本)

16.チョコレート魂(全員)

17.付き合ってるのに片想い(全員)

18.みかん(全員)

― MC4(全員から一言ずつ)

19.青空がいつまでも続くような未来であれ(全員)

 

ごめんなさい。13曲目の道重さんのソロ曲だけ調べても曲名が分かりませんでした。「こっち向いて、向かないで、って言われてもこっち見て~♪」みたいな歌詞の曲です。結構BPMは早めで、とても道重さんっぽいしゃくり上げが特徴的で可愛らしい楽曲でした。

 

◆ 全体的な感想

曲がりなりにもハロプロを長年好きでいたので、これだけハロプロ楽曲が多いと普通に盛り上がれました。もちろん声援はNGですが。

ただ途中で各ソロ曲があるので、初めて聴く曲もたくさんです。工藤遥ちゃんがソロで曲作ってたんだ~とか私は初めて知りましたし、PINK CRES.もちょっと聴いたことはあってもしっかり聴くのは初めてで、小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんの雰囲気も何となく把握できました。そして、居住地の問題や学生時代の金銭的な問題、それからアイドルライブに対する免疫の低さなどから、実は道重さゆみさん在籍時はモー娘。のライブに行けたことがなかったので、ライブで道重さんを観るのは初めてだったんですよね。あぁ、そう言えば、工藤遥ちゃんももしかしたら観たことなかったかもしれません。夏焼さんもお初だったかも…なので、何と言うか個人的には時空を超えたような不思議な感覚がするライブでした。ずっと在宅で応援してはいたのでね。

ハロプロ関連…というか、アップフロント関連のライブは佳林ちゃんの卒業コンサート以来だったでしょうか。こんなご時世ですが、こうして音楽を通して、楽しい時間を過ごせるのは素敵なことですね。

そして、意外と女性のお客様が多く、サイリウムの色から何となく良いバランスでそれぞれの推しもばらけているような感じがして、心地良い空間でした。何と言うか、ハロプロを卒業しているメンバーだからこそ、逆にそれぞれがそれぞれの強い愛を持っていることが感じられました。なんかちょっぴり上質な空間だったように思います。

 

◆ 宮本佳林ちゃん

まぁ、今回の私のメインの目的でもあるので、佳林ちゃんから始めていきたいと思います。

まず最初に言わせていただきたいのは、「外ハネ可愛い!」ということですね。衣装は淡いピンクのジャケット風で大人っぽい雰囲気のものと、白ベースに黒のコルセットベルト(って言うんですかね?)でこちらも大人っぽくて素敵でした。そして、何と言っても「華奢ぁ!」と思いました。高いヒールを履いていることもあったのでしょうが、何か骨組みからとてもほっそりとしている印象を受けました。うん、ビジュアルも衰えるところを知らず、良い感じでした。

そして、MC1では佳林ちゃんから意気込み発表があったのですが(おそらく大阪公演では佳林ちゃんは別の組だったため)、Juice=Juice卒業あたりから加速が止まらなくなっている独特な喋り方で、工藤遥ちゃんから「今から落語始めるの?」とツッコまれていました。

また、MC2でも「ブギートレイン」でのパフォーマンスがめちゃくちゃだったことを工藤遥ちゃんから指摘されていました。「サビの歌詞が1個も合ってない」そうです。しかも、場位置も急な変更に対応できず、パフォーマンスに夢中になってしまうとテンションで突き進んでしまう辺りは佳林ちゃんらしいなぁ、と思いました。

アイドルサイボーグで完璧なイメージのある佳林ちゃんですが、卒業してからのブログでは「ハモり」や「フォーメーション」が苦手なことを再三暴露していますし、初のソロツアーでは初めてやる楽曲の歌詞がスクリーンの字幕と全然違うことになっていたり、と意外とお茶目なところもあるのです。でも、傍目にはそういうミスって意外とわからないんですよね。ミスをミスと思わせないところもまた佳林ちゃんらしい、素晴らしいところです。何よりもウキウキとパフォーマンスを楽しんでいる姿は見ていてやっぱり癒されますね。

ソロ曲の「若者ブランド」では、もう最初の一声から会場を宮本佳林色に染めていました。流石の持ち歌クオリティです。あのクリスタルボイスは、本当に稀有なものだと改めて思わされます。柔らかく、温かく、本当に天使のような歌声です。「若者ブランド」は結構高音のファルセットがキツかったり、低いところも佳林ちゃんの音域ギリギリなのでちょっと大変そうでもありましたね。

続いてみんな大好き「氷点下」ですが、今回も圧巻のパフォーマンスでした。激しめの「若者ブランド」のアウトロから、「氷点下」のイントロに切り替わる瞬間に、佳林ちゃんも一瞬で役を入れ替える感じがあり、やはり凄まじいパフォーマーだな、と。全体的に音数が少ない楽曲なので、吐息までがよく響き渡り、佳林ちゃんの歌声を堪能できました。毎回ちょっとずつ表現の仕方を変えているそうですが、今回はちょっと「恨めしい」感じがあった気がしますね。卒業前のハロコンのパフォーマンスでは、離れていく相手に対して、悲しみがありながらも笑顔で背中を見送ろうとする雰囲気があったと思います。しかし、今回はちょっと強めに「別れるなんて嫌だよ」という感情が乗っていると思わされました。まぁ、主に最後の「でも」の部分の解釈になるんですが。

そんなソロ曲はもちろん最高の出来でしたが、全体を通して楽しそうに踊っているのが印象的でした。工藤遥ちゃんとの「ブギートレイン」では沢山パートがあったので、音を楽しみながら歌っている雰囲気がありましたが、複数人曲ではやっぱり出番が少ないこともあり、歌で見せ場を作るというよりは、ダンスを一生懸命やっているイメージでしたね。道重さんやPINK CRES.さんたちお姉さま方に囲まれると、その華奢さも相まって一段と幼さが際立ちますね。でも、ダンスはキレキレで、それでいて繊細でした。さすがはハロプロ最終兵器と呼ばれてきただけあるなぁ、という感じです。

最後のMCでは、卒業してからこんなにすぐ中野サンプラザに帰って来れるなんて嬉しい!と言っていました。私もこんなに短いスパンで佳林ちゃんのパフォーマンスが見られて嬉しいです。そして、「今後の各地のライブにも悉く私はいますので」と笑いを取ったりもしていました。「ど、どの~M Lineん~Specialぅ~に行ってもぉ~、あ、あいついるなぁ。みたいな感じになるかもしれませんけれど」という喋り方がやっぱりヲタク味があって、良いですね。最後には道重さんの可愛さを褒めたたえ、気持ち悪さをちゃんと発揮していました。

道重さんのターンでは「道重さんが可愛すぎちゃったのがイケナイかもしれないですね」と中腰で会話を返し、道重さんからは「そう? じゃあ、罪だね」と軽くあしらわれている感じも、2人のらしさが出ていて面白かったです。

と、そんな感じで、佳林ちゃんはちょっと長めに書かせていただきました。

 

◆ PINK CRES.

雅ちゃんはさすがのスキルでしたね。もうリズムもピッチも完璧で、本当に天性のものを感じます。あれだけ才能があるのに、それを押しつけがましく感じさせず、さらっとやり切ってしまうところにはカリスマ性すら感じます。声量や声質などで言えば、小林ひかるちゃんや二瓶有伽ちゃんの方が個性を感じるのですが、やっぱり雅ちゃんの安定感が主軸にあるからこその、PINK CRES.なんだなと思わされました。

小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんのお2人は、何となく顔と名前は一致するけど…くらいの認知度しかなかったのですが、今回でざっくりとしたお2人の雰囲気を掴むことができました。お洒落なカフェの店員さんっぽい雰囲気で、どちらかと言えば落ち着いていてピッチなども正確なのが小林ひかるちゃんです。そして、バイタリティ溢れるやり手のOLさんみたいな雰囲気で、パワフルな歌声を持つのが二瓶有伽ちゃんですね。ハロプロには無い、大人の魅力を感じるお2人ですが、25,6歳ということで、まだまだお若いです。

どうしてもハロプロ上がりの子たちのファンが多い状況ではあると思うのですが、しっかりPINK CRES.というグループを大事にしてくれていて、ハロプロ楽曲も楽しそうにパフォーマンスしていたのが好印象でした。衣装もあると思うのですが、この2人の雰囲気の振り幅がグループの魅力を高めているように思いますね。特に、二瓶有伽ちゃんの方は2ポーズ目のショートパンツの衣装で、かなり妖艶なお御脚を披露されていて、ちょっと釘付けになってしまいました…なんかごめんなさい。

でも(何が「でも」なのかわかりませんが…というありきたりな文言を添えておきます)、本当に良いバランスのグループだと思いました。やってる楽曲はK-POP的な雰囲気が強いので、方向性ははっきりしていますし、何よりそれぞれベクトルの違ったお洒落さがあるので、本当に見ていて心地良いグループだと思わされました。

 

◆ 工藤遥

女優さんがステージに立っているという気品さを感じました。が、それ以上にくどぅーの素晴らしさを感じたのはやはりMCですね。合いの手をしっかりと入れてくれますし、道重さんと絡んでも良し、佳林ちゃんと絡んでも良し、なのでうまく接着剤的な役割を果たしてくれていました。意外と、道重さんと佳林ちゃんが直接絡むと、何とも言えない緊張感があるのですが、くどぅーがいることで上手く緩衝地帯のようなものが出来上がっているように思いました。

パフォーマンスでは、特にソロ曲が良かったですね。ハイトーンのところは大変なのかなぁと感じる場面もあったものの、ロートーンのところではめちゃくちゃ素敵なハスキーボイスで良い味を出していました。「これこれぇ!」となってしまいますね。なんか貫禄すら感じました。本当に良い個性を持っていますね。女優の伊藤沙莉さんが何か気になるのも、くどぅーのせいなのかなとこの日に思い至りました。

新曲の「バイトがある」は何となくaikoっぽさのある曲で、めちゃくちゃ難易度が高いのが伝わってきました。でも、ちょっぴり切なく、センチメンタルな夕焼けを感じさせるバラードで、その世界観をしっかり伝えられるのはさすがですね。

ぜひ、これからも色んな場所で披露して欲しいと思いました。

 

◆ 道重さゆみ

不肖ながら、私、道重さゆみという人間を侮っておりました。いや、まぁ、伝説的なアイドルであるということは知っておりましたし、まず基本的事項として人間的にめちゃくちゃ尊敬しているというところはあります。ですが、パフォーマンスに関しては生で観たことがなかったので、勝手に「さゆみんらしさで成立している人なんだなぁ」くらいに思っていました。

が、今回のコンサートで認識が一新されました。

道重さゆみ、やっぱめちゃくちゃ凄かったんだ、と思わされましたね。

正直佳林ちゃん目当てで行ったコンサートではありましたが、不思議と佳林ちゃんと並んでいても道重さんに目を惹かれるところが多かったです。もうずっと映像で観ていたあの「道重さゆみ感」を一瞬一瞬でビシビシと感じるんですよ。

サイドステップ1つをとっても、みな個性があり、佳林ちゃんは昭和アイドルっぽいお淑やかさがあり、工藤遥ちゃんはちょっとだけ荒いカッコ良さがあり、雅ちゃんは天性の音感がありという感じで、これまでのハロプロ活動を通してのイメージ通りなんですが、道重さんに関してはもう本当に「道重さゆみ」なんですよ。サイドステップ1つをとっても。特に、「みかん」のサビなどで見るあの腰を落として、拳を握りしめる感じなんかは「あぁ!道重さゆみだ!」と思わされました。

中高生くらいから映像だけで観ていたので、それが生で観られたという感動も相まって、何だかとてつもない感情にされました。

高いポニーテールが跳ねる感じ、立ち姿のシルエット、もう全てが完璧なる道重さゆみでしたね。これが伝説のアイドルというヤツなんでしょうね。

 

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道重さゆみシルエット

うん、あまり上手く書けませんでしたが、まぁ、要するに「ほら!シルエットだけでもさゆみんだってわかるでしょ!」というのをやってみたかったわけですね。見事失敗して撃沈ですが…笑。ちなみに、これは「シャバダバ ドゥ~」のラストカットです。髪型は変えています。

描いてみて気づいたのは、腰の感じですね。このアニメみたいな腰まわりのうねりが道重さゆみらしさを強く表していると思います。そして、極端な内股気味の脚とか。これがサイドステップしながらも基本的には維持されているんですよ。

ちなみに話は変わりますが、私は「レモン色とミルクティー」の田中れいなさんの腰使いがたまりません。ありがとうございます。

道重さんに話を戻すと、そんなシルエットだけでなく、歌声にも本当に特徴がありますよね。所謂ディーヴァという歌の上手さではなく、いつだったか佐藤優樹ちゃんが言っていたように、しゃくり上げが本当に「きゅるん」としていて素晴らしかったです。あとは、モー娘。で鍛えられたのか、リズム感が凄いです。音程よりは声音とそのリズム感で聴かせます。特にソロ曲は圧巻でした。ある意味ラップやHip-Hopに近いと言えるんでしょうか。早口っぽいところも乱れずに、きちっとリズムが生きているので、聴いていて心を揺さぶられました。

 

そして、言わずもがな、そのトーク力が素晴らしい。

特にMC3では、「今年から始めたこと」というテーマで、「白湯を飲み始めた」という雅ちゃんに対して、「さゆ?さゆ?」と絡んでいき、上手に相槌を打ちながら盛り上げながらトークを回していました。工藤遥ちゃんとの絡みはその中でも安定感抜群でしたね。佳林ちゃんは相変わらず、「今日も可愛いっすね」と微妙な絡み方をしていきましたが、上手く聞き出してあげていました。ありがとうございます。

雑誌の表紙を飾るにあたって、ブロッコリーと鶏肉ばっかり食べていて、その2種類だけの料理レパートリーがめちゃくちゃ増えたというストイックな話も披露していました。

本当に素敵な人です。

 

◆ 道重さゆみ宮本佳林

どちらもアイドル史では歴史的な人物だと思いますが、今回のコンサートではこの2ショットが観られたのが何よりも私にとっては価値のあることでした。

舞台「おじぎでシェイプアップ」で共演したのはもう12年もだったんですね。あの時はどちらかと言えば、さゆみんの方が佳林ちゃんを愛でていた気がしますが、今は佳林ちゃんの方がさゆみんを愛でていて、そんな変化が観られたのも何だか感慨深かったです。

今では2人ともハロプロの歴史の中でも「アイドルらしいアイドルと言えば」という代表格だと思いますが、今回同じステージに立っているのを観て、やっぱりベクトルは違うなぁということを感じましたね。そして、これまでの私のイメージがちょっとだけ覆りました。

どちらかと言えば、道重さんの方が好きがあるパフォーマンスをしていて、佳林ちゃんの方が完璧さを求めているという印象がありました。しかしながら、何となく一概にそうとは言い切れない部分があるし、むしろ逆なんじゃないかなぁと感じたりもしましたね。

というか、道重さんが異次元過ぎるんですよね。

道重さんは確かに一般的に見れば…つまり、何かのコンクールであれば、道重さんの歌やダンスはなかなか上位に入賞しにくいものだとは思うのです。そういう意味では、やはり佳林ちゃんの方がコンクールでも評価されるパフォーマンス能力があると思います。でも、アイドルとしての完成度で言えば、道重さんのレベルが異常であることを感じずにはいられません。

例えば道重さんは「付き合ってるのに片想い」の脚パカパカのダンスを誰よりも大きくやっていましたし、腰を落とす振りでも誰よりも深く落としており、「ザ・ハロプロ」な表現をしているんですよね。そして、その姿が本当に道重さゆみというブランドを作り上げているように思います。繰り返しますが、サイドステップの「きゅるん」レベルは今回の6人の中では断トツです。そして、それはつまるところ、細部まで全く手を抜いていないということを意味しています。「道重さゆみ」を作るために、ぜんぜん手を抜いていないんです。卒業コンサートで足を攣ってしまい、それがまた感動的なエピソードを生んだりもしていましたが、正直今回のコンサートを観て、「そりゃ足も攣るだろうな」と思うほどに手抜きがありませんでした。でも、おそらくはもともと持っている運動神経だったりが、若干人よりも劣っているからなのか、それだけ完璧なパフォーマンスをしていても、「愛らしさ」が失われていないんです。

隙さえも完璧に作り上げている、という感じでしょうかね。

 

対して佳林ちゃんは同じくアイドルサイボーグと呼ばれるほどの「ザ・アイドル」ですが、パフォーマンスを観ているとわざと隙を作っているんですよね。手を抜くという言い方があまり良くなければ、うまく力を抜いているというんですかね。あえて激しく踊ってみたり、あえて力を抜いてみたり、その時の自分のテンションや楽曲の雰囲気に合わせて器用に魅せ方を変えているのが佳林ちゃんと言えます。もちろん、確固たる自分らしさみたいなものはあるのですが、技術が幅広いだけに、道重さんほどの完成度はないように思います。

お2人とも質の高いパフォーマンスであることは間違いありませんが、道重さんの方が自分の魅せ方を研究し尽くし、そこからブレておらず、佳林ちゃんの方が色々と柔軟にやっている印象がありました。歴代最高のアイドル2人が並んでいるステージを観ながら、そんなことを考えさせられるコンサートでした。

 

なので、工藤遥ちゃんやPINK CRES.ももちろん素晴らしいのですが、コテコテのアイドルが好きな私からしたら、今回のコンサートは結構凄いものだったように思います。

だって、あの道重さゆみとあの宮本佳林がずっと同じステージでパフォーマンスしているんですよ?

普通に考えてとんでもないことだと思いませんか?

 

グループという制約があったあの頃には実現し得なかったステージが観られる、素晴らしいコンサートだと思いました。ハロプロ歴が長く、ハロコンのシャッフルユニットなどでテンションが上がる人はぜひ、M-line Specialのツアーに行ってみて欲しいと思います。

 

◆ 最後に…

注目ポイントが偏ってしまった感は否めませんが、まぁ、今回はそういうコンサートですし、仕方ないかもしれませんね。でも、総じて愛が深まる良いコンサートだったと思います。きっとこれからもっとPINK CRES.工藤遥ちゃんの活動にも気を配ることになると思いますし、昔のライブ映像なども観返したくなりました。

私もまだまだハロヲタとしてはレベルが低いですが、好きな人や好きだった人が出演する回があれば、本当にライブ参戦をオススメします。なんかとても考えさせられますし、深く感じ入るものがあります。

 

話変わって個人的なことですが、書きたいことが一気にやって来て、ちょっと疲れております。同時に会社への復職の兆しも見えてきたところなので、色々と忙しいなぁと感じる週末になりました。

頑張り過ぎずに頑張らなくては…

高木紗友希 卒業(活動終了)によせて

2021年2月12日に高木紗友希さんがJuice=Juice、およびハロープロジェクトを卒業されました。

※事務所のコメントでは「活動終了」となっていますが、個人的にやはり「卒業」という言葉を使いたいので、以下の内容でも「卒業」という言葉が出て来るかと思いますのであしからず…どういう経緯での活動終了であれ、私は紗友希ちゃんにはハロプロの卒業生として胸を張っていただきたく思っているので。

これまでたくさんの感動を、そしてJuice=Juiceというグループを作り上げてくださり、本当にありがとうございました。2013年から8年間、Juice=Juiceというグループがここまで歩んで来られたのは、やっぱり紗友希ちゃんの活躍、そして成長があったからだと思います。

まずは素直に感謝の言葉を捧げさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 

 

今回の卒業について話すうえで、まずはもちろん紗友希ちゃんに関する私の思い出を語りたいと思います。これが主題であることは間違いありません。

しかしながら、今回の急な卒業についてもやっぱり考えていかなくてはならないでしょう。確かなことはどこにもないので、全ては憶測でしかありませんし、そして私の個人的な考え方になるので、特にどうしても伝えたいわけではないですが、やはり考えないわけにはいかないので。

私自身、書いていて嫌な気持ちになるかもしれません。なので、美しい思い出の部分だけ読むことをオススメ致します。まぁ、この記事を読んでくださる方がいらっしゃればの話ですが…

 

美しい思い出たち

高木紗友希ちゃんと私の出会い、Juice=Juiceのメンバーとして

8年も昔のことなので正確なところは思い出せませんが、やはり思い出に残っているのは、ミュージカル「リボーン~命のオーディション~」のコウノトリ役ですね。モーニング娘。のお姉さま方に囲まれ、子供らしい笑顔が印象的でした。後に同じグループに選出され、盟友となる宮本佳林ちゃんもこのミュージカルで共演していましたね。

既にほかの記事で公言しているように、私は宮本佳林ちゃん推しなので、何と言うか勝手に紗友希ちゃんのことはライバル視していました(笑)。同じハロプロエッグの中から選抜されたこの「高木紗友希」という女の子はいったい何者なんだ!?と。でも、決して嫌いになるとかそういうことではありません。佳林ちゃんと同じレベルの子がハロプロエッグにはいるんだと知って、とてもハロプロの未来が楽しみになりました。それに、紗友希ちゃんの明るく可愛らしい人間性みたいなのが役から透けて見えて、「こういう子がグループにいると、きっとグループの雰囲気が良くなるんだろうなぁ」と考えたりしていました。そして、その印象はこうして卒業してしまった今も、私は紗友希ちゃんに対して抱き続けております。

 

Juice=Juiceのメンバーとして選出されたとき、「あぁ、リボーンのコウノトリ役の子か」と思いました。大塚愛菜ちゃんがメジャーデビュー前に脱退してしまってから、ハロプロエッグの血を濃く引いているのは、紗友希ちゃんと佳林ちゃんだけになりました。金朋様(金澤朋子)も歌唱スキルなど高かったものの、アイドルとしてはまだまだ素人っぽさがありましたし、デビュー当時はゆかにゃ(宮崎由加)もあーりー(植村あかり)もスキル面ではなかなか難しいところがあったように思います。そんな中で自然と紗友希ちゃんはグループの軸になっていましたし、期待も大きかったでしょう。

そんなわけでスキルでグループを引っ張る存在ではありましたし、重要なパートを任されることも多かった紗友希ちゃんですが、当時は今ほど「歌」というのが彼女の名刺になってはいなかったように思います。もちろん、スコーンと高音を当てる能力などは最初からあったのですが。4thシングルの「風に吹かれて」のラストなど、割と序盤から歌唱力を見出されてはいましたね。

その頃のJuice=Juiceを振り返ってみると、王道アイドルで表現力の「宮本佳林」、正確かつ独特な魅力がだだ洩れる「金澤朋子」、伸びやかで大胆それでいて器用に何でもこなす「高木紗友希」という3人が歌唱の軸にあったように思います。本当に良いバランスで、紗友希ちゃんの歌声はJuice=Juiceを繋ぐ接着剤のように感じていました。

そして、残りの2人(この言い方はちょっと失礼ですね…)も舞台を通して歌唱力が開花しだし、菅井先生とのトレーニングや「LIVE MISSION 220」を経て、5人全員の歌唱力が輝き始めたとき、あの「Magic of Love」がハロプロ界を震撼させます。

 

この「Magic of Love」が紗友希ちゃんの名をより高めることになったのは間違いないでしょう。多少「魅せプ」っぽさがあったのは確かですが、それまで大人っぽい楽曲をサラリとこなして来たJuice=Juiceメンバー、特に紗友希ちゃんの歌唱力はなかなか広くには伝わっていなかったと思います。なので、「Magic of Love」で一気に歌唱力にフォーカスされたときは「ほれ見たことか」とJ=Jファンは全員内心でほくそ笑んだと思うのです。が、実はそんな大きな顔もできないというのが正直なところではあります。

「Magic of Love」が収録された1st アルバム「First Squeeze!」の楽曲群で披露された彼女たちの歌唱は、正直ファンですら度肝を抜かされたと思います。少なくとも、私は当時お金もなく、ほとんど現場に行けていなかったので、ハロステでライブ映像などが出される度に度肝を抜かれていました。

いやいや、歌うまいのは知ってたけど、こんなにか!?

話は飛びますが、色んな場面で「Magic of Love」は他のハロプログループのメンバーによっても披露されてきました。しかしながら、やっぱりその度にJ=Jの「Magic of Love」のクオリティの高さには驚かされるんですよね。もちろん持ち歌ですし、やってきた回数も比じゃないので当たり前ですが、それでも「Magic of Love」を完璧にやれるJ=Jってやっぱり凄いなぁと思うのです。そして、そんな「Magic of Love」の1番の見せ所であるフェイクは、J=J歌唱3本柱のうちの宮本佳林でも金澤朋子でもなく、高木紗友希ちゃんにパートが与えられたわけです。

 

「Juice=Juiceってどんなグループだっけ?」

「ほら、Magic of Loveの…」

「あぁ、はいはい!」

 

J=Jを忘れるなんてことはあってはなりませんが、こんな会話が為されることは想像できますし、この会話におけるイメージの中で必ず目に浮かぶのはフェイクを歌い上げる高木紗友希ちゃんの姿だと思うのです。それくらい紗友希ちゃんの歌唱力というのはグループに大きなものを与えてくれたように思います。

 

グループに必要不可欠だった存在

なんか割と初期の頃って、「金朋・紗友希ちゃん」、「ゆかにゃ・あーりー」、「ぼっちりん」みたいな雰囲気があったように思います(笑)。とにかく、紗友希ちゃんは金朋と仲が良くて、ハローキティの舞台で佳林ちゃんが金朋(男装)に恋をしてからは特に、その2人を佳林ちゃんが羨むという図式があった気がします。そういうつもりが無くても、なんかちょっとしたグループを作って分かれてしまう感じが年頃という感じがして微笑ましかったですね。

でも、基本的にパフォーマンスに対してみんな真摯であることは伝わってきましたし、上手く慣れ合うことができない時期でも、ステージ上ではきちんとお互いを信頼し合っている感があって、これはこれで結構ぐっと来ていました。私の中のイメージでは5thシングルの「背伸び/伊達~」の辺りがそんな雰囲気だった気がします。

そんな時期において、やっぱり肝だったのは高木紗友希ちゃんの存在だったと思うのです。というか、本当に結成当初から紗友希ちゃんはグループにおいて非常に重要な役割を担って来たと思うのです。

 

語弊があるかもしれませんが、やはりJuice=Juiceは宮本佳林を中心に据えたグループであったと思います。佳林ちゃんの卒業に際して、紗友希ちゃんもブログで「Juice=Juiceは佳林ありきのグループ」と明言していますし、そういう認識はグループ内外に存在していました。

 

ameblo.jp

 

特にグループ結成当初はそういうイメージが強かったと思います。中でも比較的アイドル歴の浅い、ゆかにゃ・金朋・あーりーの3人にとっては「宮本佳林」という存在はあまりに大きかったと思います。メンバーの同期だからと言って、対等に渡り合うなんてことはなかなか考えることができなかったはずです。そんな中、紗友希ちゃんは「同じハロプロエッグ出身でしょ?」なんて言われるプレッシャーもあったはずですが、腐らずに努力を続けてくれました。

「Magic of Love」では顕著に出ましたが、3rdシングルの「裸の裸の裸のKISS」では既にキメのパートを担当しており、「歌は高木紗友希」というポジションを確立しようと奮闘していました。それからも「風に吹かれて」などでもキメパートを任されたりしてきました。これがあったからこそ、Juice=Juiceがただの宮本佳林のためのグループにならずに、きちんと5人のグループになれたのだと思います。

ゆくゆくにはリーダーのゆかにゃが「お互いの得意なことを活かしあうグループ」と言い切り、不安を抱えて入って来る新メンバー2人(段原瑠々梁川奈々美)を温かく迎え入れることができました。もし、ある時点で紗友希ちゃんの心が折れ、佳林ちゃんを先頭に押し出して、身を引くようなことがあれば、おそらくJ=Jは卒業加入があるグループになれなかったんじゃないかな、と思います。

つまり、それぞれが自分の個性や得意なことを発揮する、今のJuice=Juiceが出来上がる礎は紗友希ちゃんによってもたらされたと思うのです。彼女の前向きに頑張る姿勢、得意なことを見つけて個性を出そうという姿勢、それこそがJuice=Juiceというグループの本質を作り上げたように思います。

 

もちろんメンバー誰1人が欠けてもダメだとは思いますが、紗友希ちゃんが絶対的センターとして据えられた佳林ちゃんの隣で常に努力し、個性を模索し続けたからこそ、今のJ=Jの柔らかく、自信に満ちた風土が作り上げられたのだと思います。

 

そういう意味で、私は本当に紗友希ちゃんには感謝しているのです。

 

高木紗友希ちゃんの思い出

色々あるのですが、特に印象に残っているものを列挙していこうと思います。

 

西川貴教のイエノミ!!

 西川貴教さんのネット番組に出演した際に「ぶぅ」というあだ名をつけられて、あっけらかんとした様子で楽しそうに番組に臨んでいました。明るく、ちょっとガサツな感じは岡井千聖ちゃんっぽさもあり、彼女の素直で素敵な性格がよく表れていて、とても印象に残っています。

 特に「『ら』行の言葉を母音につけながらカンフーできる!」という謎の特技を披露しており、これがかなり面白く、一気に好きになってしまいました。

 

・Girls be Ambitious

 いきなり「こうなったらマジで痩せてやる。宣言!」という歌詞を与えられたのにはびっくりしましたね。メンバーへのあてがき楽曲でこれはちょっと…と思ってしまうような歌詞です(笑)。しかも、楽曲の歌い出しがこの歌詞ですからね。でも、紗友希ちゃんはきちんと歌い上げており、しかもそれから地道にダイエットも続けており、今ではすっかりスレンダー…というよりはダイナマイトボディの素敵なお姉さんになりました。

 本当に地道な努力ができる素晴らしい人です。歌唱力のこともそうですが、紗友希ちゃんを見ていると、人間にとって本当に大切なことを学ぶことができます。

 

・超便利屋@TRIANGROOOVE

 武道館で行われたライブ「TRIANGROOOVE」では、金澤朋子植村あかり高木紗友希の3人で「メロディーズ」で披露しているのですが、ここでの紗友希ちゃんのハモりが本当に素晴らしいです。というか、超便利屋扱いです。金朋やあーりーに合わせて、難しいハモりも難なくこなし、ムーディな楽曲世界を煌びやかに演出しています。本当に紗友希ちゃんがグループにいるって心強いと思わされました。

 名ライブとして名高い「TRIANGROOOVE」の中でも、私が1番お気に入りにしているのは、この「メロディーズ」です。

 

田中れいなさん愛

 そう言えばもう昔過ぎてすっかり忘れていましたが、私の最初の「推し」である田中れいなさんのことを紗友希ちゃんもかなり推していたんですよね。舞台「リボーン」でのコウノトリ役と合わせて、当時の私には印象的でしたね。

 田中れいなさんも非常にストイックで、自分の見せ方にはとことんこだわる人だったので、そういう根が真面目なところなどを引き継いでいるのかなぁなどと、こうして記事を書きながら思い返しています。

 

・役柄

 舞台「リボーン~命のオーデイション~」では天真爛漫な進行のお手伝い役、舞台「夢見るハローキティ」ではイジメっ子役、舞台「タイムリピート」では気の良い男のメカニック役、テレビドラマ「武道館」では明るいムードメーカー役。色々な役をやってきましたが、いずれの役も「人間味」が魅力となっている良い役を貰っているように思いました。これもひとえに紗友希ちゃんの素直で優しく、人としての正しさがあるからこそだと思います。

 

・後輩からの慕われ方

 番組「ハロプロONE×ONE」では、モー娘。牧野真莉愛ちゃんに指名されて、とても慕われている様子が映し出されていたのが記憶に新しいです。2015年くらいにはその紗友希ちゃんの色んな人からの慕われ方が凄いというスレッドが立っており、基本的には面倒見が良く、コミュニケーションを自然に取ることができる素敵な人格者であります。先日私が購入した「ソロフェス!」の舞台裏映像の中でも、モー娘。佐藤優樹ちゃんに懐かれていて、その応対の仕方などから人の良さがビシビシ感じられました。

 

もっと色々あるはずなんですが、とりあえずはこんなところですかね。

どうしても歌の印象が強くて、なかなか沢山のエピソードを出すことはできませんでしたが、とにかく人格にも優れた人だなぁという印象が強いです。

 

卒業に至るまで

報道内容の何が原因だったのか…?

2021年に2月11日に、アーティストの優里さんとの同棲(半同棲)に関する記事が報じられ、翌日2月12日には所属事務所のアップフロントから卒業に関するコメントが発表されました。寝耳に水、とはこのことです。

 

私は実際に今回の報道記事の内容を確認したわけではないので、どのような書き方をされているのかはわかりません。私が知っているのは、ネットで集めた断片的な情報に過ぎません。紗友希ちゃんが今売り出し中の優里さんというアーティストの方と一緒に外出したり、家に行って洗濯物を干したり、と半同棲のようなことをしていたという風に聞いております。

 

そして、先日発表された事務所と本人のコメントに共通しているのは、そんな半同棲の「報道を受けて」の卒業であり、その理由は「自覚が足りていないこと」とされています。

ハロープロジェクトは明確な恋愛禁止ではないアイドル集団であるというのが、ファンの間でも一応の共通理解にはなっていますが、実際にはグレーな部分があることも間違いないでしょう。なので、普通に考えれば「恋愛」が報じられたことが原因となりますが、事務所側の言い方からは「コロナ禍(緊急事態宣言下)での頻繁な外出」というのも原因の1つと考えていることが伺えましょう。実際に元ジャニーズの手越祐也さんなども、プライベートでの節度のない行動が取り沙汰されたりしていました。

なので、紗友希ちゃんの行動のどの要素が「自覚の足りない行動」だったのかが明記されていない以上、何が1番の原因だったのかはわかりません。まぁ、だからこそ「総合的に判断し」などという言葉が使われているのでしょう。

紗友希ちゃん自身のコメントの中では、「軽率な行動で気持ちを裏切った」とあり、また「許してもらうことはできない」、「責任を取る」、「恩返しをする」という言葉も使われています。「気持ちを裏切った」と言われると私のような男性ファンからすると、特にアイドルに対して恋愛感情に近いものを抱いている人からすれば「男女交際」のことがいち早く頭に浮かんできます。しかしながら、コロナ禍の緊急事態宣言下で軽率な外出を繰り返し、信頼を損ねたという意味でも「気持ちを裏切った」ということにはなるかもしれません。

 

ハロプロって結局恋愛禁止なの…?

いったいどうなんでしょうかね。過去に同じグループの金澤朋子さんは「明確にそういう契約になっているわけではない」とインタビューか何かで答えているようですが、多分恋愛は禁止(少なくともバレたらダメ)というのが不文律のようになっていると考えるのが妥当でしょうね。

今の時代、恋愛を解禁しているアイドルグループなんてざらにありますし、未だに恋愛禁止なんてのは時代遅れという考え方も増えてきました。アイドルだって1人の人間なんだから恋愛くらいするさ。それを認めないって、人権を侵害しているんじゃないか。と、まぁ、正論ではあります。

しかしながら、リベラルな考え方を広げていくことは重要である反面、そのリベラルな考え方に理解を示しながらも、ブランディングを行っていくことは商売として重要でもあります。少なくともスーツを着て会社に行っている人には、「恋愛禁止なんて時代遅れ」と批判する資格はないと私なんかは考えてしまいます。

企業イメージを守るため、「スーツの着用」が義務化されている会社は今の時代にも多いと思います。私の勤める会社なんて男は髪を染めるのも基本的にはNGだったりしますしね。「時代遅れの会社~」と揶揄されようとも、会社のブランドや信頼を守るためには必要なことかもしれません。もちろん社会の流れが変わって来れば、いずれスーツも着なくていいし、むしろ髪を染めてお洒落にすることが求められるかもしれません。先日眼鏡店にいったら、店員さんはみんな眼鏡をしていましたし、これも1つのブランディングですよね。

例えば、私の会社では髪型がぼさぼさだったりすると、それとなく上司からお叱りを受ける場合もあります。逆に派手にセットしていてもお叱りを受けます。もちろん会社の規則の中に「髪を染めてはいけない」などと書いてあるわけではありません。あくまで「会社の評判を落とすようなことをしてはいけない」的な文言が書かれているだけのはずです。では、何をしたらアウトで、どこまでがセーフなのか。それは非常に難しい問題です。

仮にそんな感じの風紀にうるさい会社で身だしなみが酷い社員がいたとしましょう。でも、身だしなみが酷いだけでは、減俸のような処罰は与えられない。そこで、その社員が賭け麻雀をしているのが見つかったとします。「賭け麻雀くらいみんなしてるよ」と上司は考えているかもしれません。でも、日ごろの行いや身だしなみの事、そして「賭け麻雀」という分かりやすく強い理由が出てきたとき、きっとその社員は「総合的な判断」の下、処罰を受けることになるでしょう。

たぶん、それと近いことが今回の紗友希ちゃんの卒業にもあったんだと思います。つまり、「恋愛がバレたから卒業してくれ」とは言えないけれど、「コロナ禍での外出もあるしさ」というところで卒業になったんじゃないかと私なんかは思うわけです。

 

ハロプロはアイドル稼業の中でも結構な老舗です。決して、ファンの全員が所属メンバーに対して疑似的な恋愛心を抱いているわけではないと思いますが、やはりメンバーが恋愛をしていると知ったらちょっとは嫌な気持ちになる人が多いと思います。もしもバンバン恋愛のことを語るアイドルが好きな人であれば、きっとハロプロを好きになりはしないんじゃないでしょうか。

私はかつて田中れいなさんに結構強い恋心を抱いていましたし、歳を取ってからはハロプロの「温室栽培」感、あるいは「純粋培養」感に惹かれている部分があります。ある程度歳を重ねたメンバーが恋愛していたとしても、そんなにショックは受けないでしょうが、ハロプロ全体のバランスや規範を見たときに、「はーい、全面的に恋愛OKです!」となったらちょっと嫌ですね。正直なところ。

事実、今回の件で紗友希ちゃんが恋愛をしていたと知って、そのこと自体には特別ショックを受けませんでした。むしろ良い相手で、紗友希ちゃんが幸せならいいけど…と思ったくらいです。まぁ、「恋愛についてグレー(というか、基本的にアウト)なグループに所属しているアイドルの子」をあえて口説く男、が良い人である確率を考えるとちょっと心配ではありますが。でも、そこは紗友希ちゃんを信頼したい…と、そう思いたいという感じです。

でも、やはり気になったのは、あまりハロプロに男の匂いを持ち込まないでほしい、ということですね。こういうのは差別になるかもしれませんが、高級なフレンチ料理店に行ったときに小汚いおっさんが周りの目も気にせず、むしゃむしゃ行儀悪く食事をしていると、それはやっぱり気になると思うんです。あえて店員に「あいつを追い出せよ」とまでは言わないまでも、せっかくの高級フレンチで良い気分になっているところを害されたような気になってしまうことでしょう。そして、もし味がちょっとでも微妙なら多分その店にはもう行かないと思います。

ハロプロメンバーのことは基本的に、彼女たちの人生ベースで応援しているので、どうしても恋愛はダメか、と言われればなかなかそうも言えない部分もあります。それで彼女たちが幸せになれるのであれば、全然構いません。でも、ハロプロにはそれを持ち込んで欲しくない、というのが正直なところ。なので、世間的にも「ガチ恋かよ、キモ」みたいなことを言われそうなので、表立って「恋愛はやめて!」とは言いにくいですが、やっぱり「うーん…」と思ってしまいます。「恋愛の歌を歌っているのに、アイドルが恋愛するのはダメ?」なんて言われると、「じゃあ、ミステリー小説家は殺人を犯しても良いの?」と言いたくなります。「殺人は犯罪でしょ。恋愛は別に犯罪でもなんでもない」なんて正論を言われたら、「カレー屋でウンコの話をしないで欲しい、と言うのはダメなことか!?」と逆ギレしてしまいそうです。

 

まぁ、何が言いたいかと言うと、恋愛禁止でなくても良いとは思いますが、私個人的にはあまりリアルな男女交際の匂いをハロプロには持ち込んで欲しくないということですね。それは上述の通り、ハロプロにはやっぱり高級料理店であって欲しいので、それに相応しい雰囲気づくりを徹底してもらえると消費者側としては助かるということに近いです。もちろんそんなドライな気持ちで応援しているわけではないので、ハロプロメンバー彼女たちが幸せならそれで良いという想いもあります。けど、可愛い女の子たちがきゃっきゃしてて、それでいてパフォーマンスには真摯に向き合う、どこか部活っぽい青春感がハロプロの好きなところなんです。もし、そのブランドが崩れていくのであれば、もしかしたらハロプロという伝統にあまり惹かれなくなるかもしれません。

そして、おそらくはそういうことを事務所もメンバーもある程度は理解していると思っています。一般的なビジネス同様、そこには不文律における信頼感というものがあります。私はこれまでハロプロには沢山お世話になってきたので、ちょっとしたことじゃ嫌いにはなりません。新曲があまり好みでなくても、軽い不祥事を起こしてしまったメンバーがいても、基本的にはハロプロというものを愛しています。でも、それはそこに信頼感があるからです。「ハロプロってこういう感じだよね」というのが、ファンの側にもハロプロ側にもありますし、それを守っていこうとしてくれているんだと感じるから、信頼できるのです。

とにかく、ハロプロのブランドというものは明文化されていない部分にも表れていますし、その明文化されていない部分はファンと事務所やメンバーの相互認識の間で、かなり曖昧な空気のようなもので成り立っています。それは当然、恋愛以外の部分でもそうです。「歌もダンスも嫌いなんだよね。とりあえず私は芸能界でタレントとして一発当てたいの」という子が、きっと今のハロプロでは求められていないように、モヤモヤした霧のようなもので、ハロプロのブランドというものは成り立っています。というか、ハロプロに限らず何でもそうですよね。

 

なので、ハロプロは恋愛禁止ではないのかもしれませんが、少なくとも男女交際を大っぴらにすることが奨励されるような場所ではないと私は考えています。ガンガン下ネタを言ってテレビで売れようとするくらいなら、一生懸命パフォーマンスを磨いていてくれ…というのが今のハロプロのファンの願いであるように(勝手に断定してしまい、すみません)、「まぁ、あまり恋愛沙汰を持ち込まんでくれ」というのがファンと事務所との共通の見解だと思います。

あくまで私個人の意見ではありますが、恋心そのものを否定するわけでも、人権を否定したいわけでもなく、ただただハロプロに求めることを語る上で、リアルな恋愛の要素はあまりいらないということです。アイドルだって人間ですからトイレに行くくらいわかります。でも、トイレに対して恥じらいを持っている子たちの方が、私は応援したいです。ただそれだけのことなのです。

 

紗友希ちゃんの決断

と、これらのことを考えていくと、私は今回のスピーディな「卒業」という対応はむしろハロプロ高木紗友希ちゃんの株を上げたように感じています。

もちろん、そうは言っても、ちゃんと卒業コンサートをして、幸せな気持ちで送り出してあげたかったという想いも強いです。そうできなかったことが悔しいです。もしそれが実現できるなら、「恋愛OK!」と言ってしまっても良いでしょう。それに、これくらいのことでタレントの人生を壊してしまっていいのか、という想いもあります。それに紗友希ちゃんの歌声は、ハロプロに必要だとも思います。打算的なことを言えば、テレビでも紗友希ちゃんの歌声は取り上げられるようになってきており、紗友希ちゃんを残すことは大きなメリットもあったでしょう。

ちょっとした「おイタ」で辞めさせるなんて、どうかしている。

むしろそういう過剰な反応がよりタレントの息苦しさを強め、どんどんと悪い方向へ向かわせているという考え方もあります。

恋愛したっていいじゃない。だって、アイドルも人間なんだよ。

好きな人の家に行くくらいいいじゃない。マスクせず電車で酒飲んで騒いでいたわけでもないんだし。

少なくともそういう考えが紗友希ちゃんにも事務所にもないわけがないです。だから、できることなら世間やファンからのバッシングを気にして、ビビり過ぎたが故の卒業でないことを祈っています。

 

それでも卒業という決断をしたのはどうしてなのか。

それはやっぱり「ハロプロ」というブランドを当人たちがどう考えているか、ということに唯一の理由があってほしいです。

もし、紗友希ちゃんが「ちゃんと卒業コンサートをしたい!」というのであれば、それはやっぱり実現して欲しいです。12年もハロプロに貢献してきたんですから、こんな1回の「おイタ」で彼女の全ての権利を剥奪すべきではありません。法律に抵触したわけでもないんですから、別に良いじゃないですか。

でも、前章でああだこうだ私の個人的な意見を述べてきたように、今回の件は色々な角度から見たときに「ハロプロ的」とは言い難いものであることも事実です。そして、おそらくそのことは紗友希ちゃんも含め、事務所もよく理解しているはずです。ルールに絶対に従わなければならないということではありませんが、「ハロプロ」のブランドを守りたいという想いから、今回の「卒業」という決断に至ったのだとすれば、そのことに対して、むしろ私たちは感謝こそすれ、変に批判すべきことではないと思います。

「潔く辞めてくれてありがとう」とは思いません。むしろ、どんなことをしてでも続けて欲しかったというのが、ファンとしての素直な想いだとは思います。多少、男の匂いが漂ったって良いじゃないですか。それくらい全然目を瞑ります。

でも、やっぱりハロプロ全体がそういうムードになるのはちょっと嫌だ、というのも事実なのです。

そして、同じことをもし紗友希ちゃんも感じているのだとすれば、紗友希ちゃんのような明るく素直で、真っ直ぐな努力ができる性格を鑑みれば、今回のような決断に至ったことも納得できないことではありません。私たちファンが許したとしても(事実、ネット上では「残留して欲しい」や「卒業コンサートはしてほしい」という意見も多いです)、紗友希ちゃんの信念に則って、純粋なハロプロに対する愛から決断したことだったとすれば、その決断を受け入れるよりほかありません。

 

私自身ひどく複雑な想いです。

別に紗友希ちゃんに責任を取って辞めて欲しいというわけでもないです。むしろ、「せめて卒業コンサートくらいは…」と言っている人たちに共感できてしまいます。何だったら残留して欲しいです。紗友希ちゃんはハロプロにもJuice=Juiceにも必要な存在です。そんな存在を守れない事務所にも腹が立ちますし、そういう状態に追い込んでしまったのがファンである私たちであるならば、それは何とも不甲斐ないことだとも思います。でも、やっぱり「ハロプロ」のイメージは守って欲しいという想いがあるのも事実ですし、もうどうして良いかわからないです。

どう考えても、整理のつかないことばかりです。

だからせめて思うのは、今回の決断が紗友希ちゃん自身によるものであって欲しいということだけです。もし、紗友希ちゃんがハロプロを守るために、素早く決断を行い実行したのだとすれば、それを尊重するしか私たちにできることはありません。

 

だから、私は今回のスピーディな決断はむしろハロプロ高木紗友希ちゃんの株を上げたという風に考えています。彼女は「守る」ことを優先したんだと、そう思いたいです。紗友希ちゃんの人柄を考えれば、「守る」という発想に至ることは容易に想像がつきますし、紗友希ちゃんの人格の素晴らしさを思えば、それを速やかに実行に移すことが何よりも効果的であるということもわかっていたはずです。

 

現に、私は情けないことに、ハロプロからこんなにも禍根無く、男の匂いが離れたことで安心してしまっているんですから…

 

ハロヲタである私は何と罪深い人間なんでしょうか。

 

 

…それはそれとして、色々な憶測が飛び交っています。

既に辞める話は出ていたとか、それがコロナで延期していたのではないかとか、だから紗友希ちゃんはもともと辞めたくてその機会を伺っていたのではないかとか。

まぁ、確かにそういう気配は何となくあったように思います。でも、できることなら卒業コンサートくらいしっかりやりたいと思うのが普通じゃないでしょうか。だから、紗友希ちゃんがいずれにせよ辞めるつもりだったとかは関係なく、単純に全く無用な報道のせいで、無理な判断を迫られ、こんなにもあっけなく卒業が訪れてしまったことが残念でなりません。

せめて決断が紗友希ちゃん本人の意思であったと考え、それを前向きなこととして受け入れ、その決断が実に効果的であったということを賞賛しなければやってられないです。

あとは、そういう決断をさせてしまった私たちファンや世論に問題があるのであって、紗友希ちゃんを責める気にはなれません。

 

紗友希ちゃんが残したメッセージでは、ハロプロに対する感謝や愛、そしてそれを損なったことに対する罪の意識が書かれています。それを信じて、その気持ちに対する行動が、速やかに身を引くということだったのだとすれば、それを前向きに受け入れるだけです。

いつもならもっと時間のかかるところを、これだけ速やかに決断が為されたのだから、これは絶対に紗友希ちゃんの意思に違いない。そう思わなきゃ、やってられません(もう何回この言葉を言っているんですかね…)。

いやいや、事務所が無理やりそうさせたんでしょ、とかそんなことはもう考えたくないですね。少なくとも私はこれまでの紗友希ちゃんを曲がりなりにも応援してきたわけですし、彼女の最後の決断もきちんと受け止めて、褒めてあげたいと思います。こんな褒め方しかできずに本当に不甲斐ないですが。

 

最後に…

はい。具合悪いです。もう自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきました。

また後日読み返して不適切だと感じたら、修正か削除をかけるのでよろしくお願い致します。

 

最後にもう一度。

本当にこれまで沢山の感動をありがとうございました。そしてJuice=Juiceというグループを作り上げてくださり、ありがとうございました。これからもあなたが作ったもの、守ったもの、残したもの、を応援していきます。そして、紗友希ちゃんの人生も応援しています。

どうか幸せになってください。あなたにはそれだけの資格が十分に足りています。

適応障害と診断されまして… vol.52

適応障害と診断されて119日目(2月10日)の夜にこの記事を書いています。また前回からは少し時間が経ちましたね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は半分くらい真面目に病気のことを書いていましたね。そして、他人とわかり合うことの難しさを再実感したりもしていました。もう半分はドラクエⅪです。1週間みっちりとやり込んで、あともう少しでとりあえずのストーリーはクリアできそうな感じのところまできました。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

114日目

この日は金曜日で朝から出社。連続出社3日目ということもあり、疲れが出たのか2時間ほどの在社。帰宅後は昼寝とドラクエで疲れを癒す。

 

115日目

午前中は病院。午後は上司とWEB面談。ドラクエ、昼寝、ドラクエで夜まで過ごす。久しぶりに日付が変わるまで夜更かしをして、「グレート・ギャツビーを追え」を読了。

 

116日目

いつもよりゆっくり、9時過ぎに起床。午前中はドラクエ。午後に両親と電話して体調のことなど話す。その後、3時間ほど散歩に出かける。暖かく、とても心地良い。「推し、燃ゆ」購入。

 

117日目

月曜日。朝から出社。昼で帰宅し、午後はドラクエと昼寝で癒す。「グレート・ギャツビーを追え」の感想文ブログを書いて投稿。

 

118日目

朝から昼を跨ぎ、6時間出社。初めて昼休憩を跨ぐことができた。また、会社にて上司と復帰に向けての詳細な手順(会社のルール)について話す。ずっと真夜中でいいのに。の最新アルバム「ぐされ」を楽しむ。付属Blu-ray収録のオンラインライブ「NIWA TO NIRA」が素敵な出来栄え。

 

119日目

朝から出社し、既定の8時間半を会社にて過ごすことができた。そこまで強い疲労感も無い。帰宅後はドラクエⅪをひとまずクリア。ブログを書く。

 

2.カレンダーのまとめ

そんな感じで会社に行ってはドラクエをするという日々を繰り返しつつ、連続出勤記録も伸ばしながら、在社時間延長も進めることができた約1週間になりました。土曜日にはちょっと生活リズムを崩したりしてみて、体調の柔軟性も確認できました。

そして、今日はようやく会社を休み始めてから初めて…

既定の8時間半会社にいることができました!!!

いやぁ、ここまで長かったですね。会社を休み始めてから120日目です(適応障害という診断名を頂いたのは休み始めた翌日なので)。とは言え、まだ正式な復職というわけではありませんし、会社のルール上、復職をするためには健康的に勤務を行えるという実績が必要になります。これからはそれを積み上げていくことになりましょう。

ドラクエⅪもちょうど今しがたクリアできましたし、今日はひとまずおめでたい日ということで(と思ったら、エンドロールの後に「to be continued」と出たので、まだ色々と続いていくのでしょうか…?)。

ちなみに会社で私が何をしているかと言うと、基本的には業務で必要になる知識の勉強です。直属の上司に「簡単な業務ならできると思いますが…」とお伺いを立てたところ、「まぁ、とりあえず勉強しとけ」と言われたので、とりあえず勉強させていただいております。溜まりに溜まったメールも一通りざっと目を通し終わりました(転勤後すぐに休職に入ったので、ほとんどのメールの意味がわかりませんでした)。勉強以外としては、私が休んでいるうちに受けなければいけなかった研修や教育(コンプライアンスのことなど含め、とにかく沢山あるのです)を受講していました。まぁ、これも業務というよりはただの勉強なのですが。

これまで業務に追われてじっくり勉強する時間なんてほとんど取れなかったので、いい機会だと思って、今日なんかは1日中勉強していました。周りではみんなが忙しそうに働いているのでかなり申し訳ないですが、まぁ、1か月前に自殺未遂をやらかしているような人間ですからね。こうして会社に来ているだけでも奇跡的だと自分では思います。周りからすればイライラさせられる存在かもしれませんが。

 

こうして少しずつ会社に行って、普通に忙しく働いている人を見ていると何だか不思議な気持ちになります。

半年前は自分も同じようにやっていたはずなのに、今では会社で時間を過ごすだけで精一杯。ちょっと前の自分にとっては会社に行くことだけで精一杯。もうちょっと遡れば、生活をしているだけで自分には精一杯。生きていくのって大変。

思い返してみると、本当に私は弱り切っていて、ここまで来るだけでも相当な大変さがありました。人生観すら変わってしまったような気がします。そして、普通に働いて、職場の中で必要な存在になるなんて、今の私からしたらもう相当雲の上の領域のことにように思えます。「普通」って…「普通のフリ」をするのって本当に大変なことです。今までの自分も「普通」という言葉には苦しんでいたのは実際そうなんですが、それでも対外的には「普通っぽく」見えるように振舞い、そつなく社会に馴染んで来れたように思います。でも、それが曲がりなりにもできていた自分というのが、今では信じられません。

 

今は常に体調の悪化という恐怖を抱えながら、そうならないようとことん自分を甘やかして生活を送っているのがギリギリ。子供の頃は高いところなんて全然平気だったのに、いつの間にか長いエスカレーターに乗っていると転げ落ちそうで怖くなるになっていますよね。なんか、そんな感じなのです。そして、今は「怖いから行儀悪くても座っちゃおう」とエスカレーターの段に座り込んでいるような状態です。これが「自分を甘やかす」ということですね。

落ちないためにはどうしたら良いか、ということを色々と調べて、「滑りやすい靴は履かないように」とか、「手摺につかまる」とか、そういうことを律儀に実践することも今は安心の素になっています。ちょっとずつ腰を浮かせる練習もしているわけですが、「大丈夫。そう簡単には転げ落ちないさ」とわかっていても、やっぱり一度座ってしまったところから立ち上がるのは結構な恐怖があって、慎重を期しているのですね。

 

と、よくわからない例えを持ち出しましたが、今はそんな感じの日々です。でも、もう少しでとりあえずは立てそうです。だいぶへっぴり腰にはなるでしょうが。しゃんと背筋を伸ばして立ち、普通の人に見えるようになるまではやっぱり大変そうですね。でも、ゆっくりやっていくしかありません。もう既に周りには迷惑をかけ倒しているわけですし、そもそも周りの目を気にする余裕なんてありはしません。へっぴり腰だろうがなんだろうが、そのうち立とうと思っているのです。それだけなのです。

 

今回は若干短い感じですが、まぁ、それは会社で長く時間を過ごせるようになってきたせいだと思っていただければ幸いです。

あと、これはやっぱり思うのですが、仕事に時間を割くということはどうしたって幸福度を減じますね。会社に行くのが堪らなく不幸に感じるというわけではなく、単純に自由時間が減る分、きちんと幸福度は減っているような気がします。1日のうちで「楽しい」と感じる時間が減るのはやっぱり悲しいことではあります。でも、いつまでもそんな楽しい時間ばかり追ってもいられませんからね。

無理にとは言いませんが、少しくらい会社で過ごす時間にも何らかの楽しみを見出せるようになれば良いな、と思います。「望み薄」なんて言わないで。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

ジョン・グリシャム「グレート・ギャツビーを追え」感想

ジョン・グリシャム作、村上春樹翻訳の「グレート・ギャツビーを追え」を読み終えたので感想を書きたいと思います。

これまでもいくつか読書感想文を書いてきましたが、結構あれこれと考えることが多くて長くなってしまいました。が、今回はさらっとまとめてみましょう。

 

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ジョン・グリシャムグレート・ギャツビーを追え」

 

 

作品購入の経緯

私はあまり多読家ではないため、「これは!」と思う本しか買ったり、読んだりしないタイプなのですが、「たまには息抜きの読書もしたいな~」ということで書店をうろうろしていました。そこで目に入ったのが、こちらの作品です。

何よりも村上春樹さんが翻訳というところに惹かれて購入いたしました。村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」関連の作品の翻訳をしているということで、その作品性がどうであろうとも私にとっては気になりましたね。さっそく手に取り、邪道ではありますが、訳者のあとがきをさらっと読んでみました。

原文をそのまま引用するのは気が引けるので、ざっとあとがきを要約すると、作品や著者(ジョン・グリシャム)の簡単な紹介が大部分を占めるものの、本書の村上春樹さんが気になる要素がいくつか書かれていました。

1つは稀覯本(初版本やサイン入りなど、希少な本)のコレクションに纏わること、もう1つはサイン会の話です。これらの点について村上春樹さんは興味を持ち、また楽しめたそうです。

稀覯本蒐集(←「収集」の正式な表記。本書を読んで知りました)や作家の生活についてざっくりとした知識を得ながら、ちょっとしたミステリー?サスペンス?みたいなことが楽しめそうであることが「訳者あとがき」を読んで予想できました。うん、息抜きの読書としてはちょうど良さそうだ。

そんなわけで久しぶりにハードカバーの本を買ってみた次第です。

 

あらすじ・注意点

プリンストン大学の図書館から、スコット・フィッツジェラルドが手書きした「グレート・ギャツビー」の原稿が盗み出されるところが最初の章になります。FBIは犯人数名を取り逃がし、盗まれた原稿は行方をくらませてしまいます。いったいどこに原稿は消えてしまったのか……その後、盗品回収を専門とするある特殊な組織に、とある若い女性作家がおとり捜査員として見出されることになります。疑いをかけられているのは、独立系書店経営者として名高い色男。彼は本書の原題である「カミーノ島」で書店を経営しており、おとり捜査員に見出された女性作家はその土地にゆかりがありました。彼女は捜査員としての任務を果たすことができるのか…!?

と、そんな感じのあらすじです。

注意点としては、「娯楽小説であること」です。村上春樹さんの作品に見られるような神秘的かつ神話的な、何かこの世界の真理を見出そうとするような、そういった観点はこの小説からはあまり得られないでしょう。純文学がもたらしてくれるような、目新しい着想や入り組んだ人間感情のようなものもありません。ほか、ミステリー小説のように緻密に仕込まれた伏線・回収、サスペンスに見られる急展開といったものもありません。

では、この作品はどんなことが楽しめる作品なのか、それは次の「見どころ」で簡単にご紹介します。

 

見どころ

本作の優れている点として、「リアルで多様な描写」というのがあげられるでしょう。本作は全8章+エピローグから成っていますが、それぞれの章では「グレート・ギャツビー」の原稿が目的物として扱われているものの、実に様々な人生や生活が描かれています。

第1章では窃盗グループが描かれています。プリンストン大学に忍び込むシーンはかなり細密に描かれ、作戦を遂行する様子や窃盗団の中の関係性などが楽しめると思います。どうやって原稿を盗み出すのか。それだけでも読んでいて楽しいです。そして、本作では「盗む」だけでなく、どのように警察から逃げ、盗品をお金に変えるのか、という部分についてもかなりリアルに描かれています。所謂ミステリーであればそこに「アッと驚くトリック」みたいなものがあるのでしょうが、盗むのも逃げるのも実に現実的に最善と思われる手法が描かれているので、そんな臨場感を楽しむことができます。

第2章では主役が変わり、ある1人の青年の半生が描かれます。帯でも書かれているのでここでも書いてしまいますが、彼はいずれ独立系書店を営み、一般的な書店経営の傍らで稀覯本売買の仲介役としても利益を上げるようになります。また同時に彼自身が稀覯本のコレクターでもあったのです。そして、彼は盗まれた「グレート・ギャツビー」の原稿の現所有者ではないかと捜査線上に浮かんでくることになります。ここでは彼がどのように書店を経営するに至り、どのように店を大きくし、そして稀覯本に興味を持つようになったのかについて細かく書かれています。これらもリアルに描かれているので、「ある書店経営者の成功談」として読んでも面白いです。

そして、第3章ではまた主役が変わります。今度は過去に2作ほど小説を出したことのある若手女性作家が主役となります。彼女は現在大学で臨時教員として働いており、彼女のあまり恵まれているとは言えない半生も書かれています。奨学金の借金と安い給料、そして数か月後には大学の人員削減で職を失ってしまうというなかなか切羽詰まった状況。そんな彼女のもとに怪しい1人の女性が現れます。そして、この章でその女性作家は金銭的な好条件のもとに、盗品の捜査に勧誘されることになります。新作が書けず、生活苦に襲われている陰気な女性作家の未来がここから変わっていくことになります。

第4章からは、女性作家が主役となって話がどんどん展開されていきます。特に第4章ではその副題になっている「海辺」、つまりカミーノ島での彼女の新しい生活が描かれます。彼女に与えらえた任務は、疑いのかけられている書店経営の男に近づき、原稿そのものや保管場所に関する情報を得ることです。しかしながら、捜査の素人である彼女が当面求められているのは、カミーノ島にゆかりがある若い女性作家として、その町に馴染むことです。この章では、カミーノ島の温暖で平和な世界や、そこにある作家コミュニティでの様々なゴシップを楽しむことができます。彼女の子供時代の美しい思い出はこのカミーノ島に住む祖母との時間が大半を占めているため、亡くなった祖母への想いや懐かしい景色に対する感傷的な想いというのも、この章の見どころになっています。

第5章で一瞬だけ、窃盗団に視点が戻ります。そして、そのまま第6章ではじわじわと捜査が進み出します。同時に女性作家は書店経営の男と徐々に親密になっていきます。この辺りでは一歩一歩捜査が進んでいく小気味良さを楽しむことができるでしょう。計画は予期した筋書き通りに進むのです。1つひとつの行動に意味があり、それが絡み合ってじわじわと原稿に迫る展開は、ややミステリーっぽさを感じさせてもくれます。「あぁ、そういう計画だったのね!」という発見が読者を楽しませてくれます。

そして、第7章。彼女は原稿に辿り着き、そして同時に男とも関係を深めます。この章の肝は、捜査が実るところよりもむしろ女性作家と書店経営の男の情事にあると言えます。2人の結婚や性生活に対する考え方なども描かれており、ある種の恋愛ものとしても楽しむことができるでしょう。

最後の第8章は、事件の顛末が語られることになります。ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、もしかしたら人によっては「こんな結末は受容しがたい!」となってしまうかもしれませんね(笑)。ですが、個人的にはとてもバランスの良い結末だったかなとも思います。そして、エピローグを読むことで、この作品が総じてどういう物語だったのか、ということを知るに至ります。

 

感想(読了前だと損になるネタバレも含みます)

見どころの章でお話した通り、この作品では非常に沢山の登場人物が出て来て、それぞれの人生がリアルに描かれています。それぞれの行動にはそれぞれの登場人物の思惑や人生観というものが反映されており、どれをとっても良く出来ていると思わされます。逆に言えば、表層的とも取れるので、人の内面世界やその交流といったところはあまり期待しない方が吉でしょう。

個人的に面白いと思ったのは、稀覯本というのがある種の投資になるという考え方ですね。攻殻機動隊の中で紹介される「ワインは良い投資」という話に通じるところがあり、年が嵩むにつれて確実に値上がりしていくものですからね。日本では「こころ」と「人間失格」がずっと販売数の2大巨頭となっていますし、そういった名作の初版本かつサイン入りなんてことになれば、きっと相当な価値になっていると思われます。それこそ直筆の原稿なんて文化財レベルでしょうし。

そして、そんな稀覯本の面白さを書店経営の男が明快に説明しています。もちろん確実に値上がりする資産としての価値も高いわけですが、同時に優れているのは「財産」と捉えられない場合が多いということです。彼自身、最初に稀覯本蒐集は父が実家に残した本でした。彼は父の遺産相続でもめたものの、その遺産の中には稀覯本は含められていませんでした。彼はとあるきっかけで戻った実家の書棚で父の蒐集物を見つけ、「これは売れば結構な金になるのでは?」と思い、数冊を懐に忍ばせて持ち出します。このときから彼の稀覯本ビジネスは始まっていく訳ですね。

また、女性作家は捜査の一環として、書店経営の男に自分の手元にある稀覯本を見せます。それは祖母が図書館からずっと借りっぱなしにしている本であると男には嘘をつきます(実際には捜査集団から与えられたもの)。「これは価値があるのかな? 図書館に返した方がいいのかな?」と男に相談しますが、男は「価値があるから返すべきではない」と主張します。つまり、図書館に返したところでどうせその本はその真の価値を見出されることもなく朽ちていくだけだというわけです。それにすでに図書館はその本を無くなったものとして財産から除外しているだろう、と。男は自分が100万円でそれを買おうと提案をします。

ほとんどの人がその価値を理解しないが、絶対に欲しいと思う人がいるもの。そういうものを題材にしたところにまず本書の面白さがありました。

 

その他にも、作家同士のお喋りなんかは読んでいて面白かったですね。売れる本とそうでない本。プライドや個性、個人の資質。キャラクターが立っており、その中に「全ての作家を尊敬する」という立場の書店経営の男が入ってきたり、と彼らの議論や討論、あるいはくだらないゴシップ談などは人間味があって「会話劇」としても品が良くて面白かったですね。

本を書き、売るという行為に対して色々な価値観があり、また書店経営の男が語る「売れる本の秘訣」なんかは、私もこうして文章を書く人間として反省させられるところがたくさんありました(笑)。まぁ、私のは売り物ではないので気にしなくてもいいのですが。

そして、そんな「物書き」としての世界に立っているときの女性作家は楽しそうでもありながら、どこか居心地も悪そうなのです。

そしてその居心地の悪さの原因はやはり「捜査」に関与しているからです。「物書き」と「捜査員」という真逆とも言える立場の間で、バランスを取ろうとしている彼女の真理描写はあまり深く内省的になり過ぎず、いい塩梅で現実的なので物語の進行を妨げることはありません。私なんかは気になったらどこまでもそこを掘り下げてしまうので、話の展開なんて放り出してしまうのですが、やはりプロの作家は違いますね。しっかりしてらっしゃいます。

 

さて、そんなこんなでまさに「フル・コース」的な感じのストーリーが振舞われているわけですが、私は結構本作のオチが好きです。

完全なネタバレになりますが、最終的に書店経営の男は、女性作家のおとり捜査を見抜き、盗まれた原稿の避難に成功します。しかも、おとり捜査の段階で運良く取り逃がした窃盗団の生き残りも捕まることになり、警察は「犯人逮捕」という着地点を見つけ出すことができます。警察は犯人を全て捕まえることができ、もはや盗品の行方には興味を失い、その段階で男は大学側と交渉します。大学は金銭的な余裕もあるし、原稿さえ取り戻せれば良いという態度。最終的に、大学側と交渉して書店経営の男は大金を稼ぎ、女性作家はおとり捜査協力の報酬として奨学金の返済も完遂し、手元にもそれなりの現金が残りました。損をしたのは、特別に捜査を行っていた組織と大学側ですが、ここはある意味共闘関係にあり、痛み分けのような形で決着を見ます。

「勧善懲悪じゃないのか!」と釈然としない読者もいるかもしれませんが、少なくとも窃盗団は逮捕されました。そして、書店経営の男はその信念に則り、稀覯本でビジネスをしたに過ぎません。彼はそのビジネスのリスクも承知したうえで、最善の対策を取り、見事罪に問われることはありませんでした。女性作家は捜査の目的が達成されなかったものの、それなりの金銭的な報酬を貰い、ともかく荒廃した生活から抜け出すこともできました。

エピローグではそんな書店経営の男と女性作家が、当時のおとり捜査の時の話を楽しげにする様子で終わっており、とても品のある結末と言えるのではないのでしょうか。

つまるところ、この作品は書店経営の男と女性作家の話だったように思います。2人とも魅力的なキャラクターであり、作家の愛が注がれているのを感じます。登場人物は様々であり、それぞれがそれぞれの価値観で動いているので、どの価値観も等価であるように見えますが、やはりこの2人だけは若干贔屓されているような感じがします。即物的過ぎもせず、観念的過ぎもしない。良いバランスの2人です。もちろん、2人にも欠点はあるのですが。

 

総じて、娯楽小説としてはかなり質の高い作品だったように思います。レーダーチャートで綺麗な五角形が描けるような作品ですね。ストーリー構成、切り口、人物描写、風景描写、文体のどれもが高水準なんだと思います。

ただ何度も言うように、「伊坂幸太郎みたいな伏線回収が好き!」とか「村上春樹みたいな圧倒的な世界観が好き!」とか「カフカみたいなシニカルさが!」とかそういうものを求めて読む本ではないので、テレビでクイズ番組を見るような感覚でお楽しみください。少なくとも個人的には、そんな感じの感想です。

 

最後に…

久しぶりの読書感想文です。今回は深い考察とか無しで、本当にただの感想文としてお送りいたしました。まぁ、所謂読書メモみたいなものですね。多読家ではない私がこうしてせっかく新しく本を読んだのですから、きちんとメモをとっておきましょう。

と、そんなくらいの考えで書き始めて早2時間が経過しました。もう寝る時間だ!

そして、宮本佳林ちゃんのインスタライブを見逃してしまった…残念。

適応障害と診断されまして… vol.51

適応障害と診断されて113日目(2月4日)の夜にこの記事を書き始めています。やや久しぶりの更新となりましたでしょうか。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回の記事はほぼほぼ「許された子供たち」の感想文みたいになっていましたね。

今回はこの約1週間のあれやこれやについて書いていこうと思います。ちなみに更新が遅れた理由は、1つに疲れもありましたが、主たる要因は「ドラクエⅪ」のせいです。何年かぶりにゲームにハマってしまいました。

 

 

日にちが空いたので、今回はカレンダーとして病気の進捗をまとめていこうと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

107日目

この日は職場ではなく、朝から会社の心の相談窓口へ。約1か月の訪問。復帰に向けたアドバイスを貰う。午後は「許された子供たち」を再鑑賞し、前回ブログを投稿。

 

108日目

年始の体調不良でドタキャンしてしまった友人に久しぶりに会う。7時間近く自分の現状と過去についてできるだけ正直に話した。他人に理解してもらうのは難しい。

 

109日目

この日は日曜日。1週間分の疲れ(出社2回、相談窓口1回、友人と長時間)が出たので、暗い部屋で過ごす。前から見直していたヱヴァンゲリヲン(テレビアニメ)を観終わる。特にラスト2話が面白く、以前より深く理解できたと思う。また、みうらじゅんの「最後の講義」という動画を観て、感銘を受ける。

 

110日目

朝は通勤してみるも、職場直前で吐き気が強く出始め、潔く撤退。ダウンロードしたドラクエⅪを始める。あっという間に時間が過ぎていく。

 

111日目

朝起きて前日よりも体調が悪化しているので、1日休むことに。やはりドラクエをして過ごす。昼食兼散歩に出掛け、散歩中に「中田敦彦Youtube大学」で「人間失格」の解説動画を聞く。思い出して泣きそうになる。

 

112日目

朝から3時間半、出勤できた。昼前に寮に戻り、午後はWEBにて会社の研修を2時間受講。あとはドラクエをして時間を送る。

 

113日目

朝から4時間出勤できた。昼前に寮に戻り、ドラクエをして過ごす。夕食後にようやく重い腰を上げてこの記事を書き始める。

 

2.カレンダーまとめ

1週間分の内容になりますね。

まずは金曜日に会社の相談窓口で復職に向けての色々な相談をしていただきました。調子が良ければ職場に行けるという状態になり、どのようなステップを踏んでいけばいいのかアドバイスを貰うことができました。

具体的には、丸1日出勤して翌日は休むというよりも、午前中だけでもいいから週5で出勤できるようになることが目標だと言われました。長時間ストレスへの耐性をつけるよりは、リズムを作って行くことが先決ということですね。まぁ、確かにそう思います。

また1か月分のあれやこれやについても話を聞いてもらいました。自殺未遂のことは話しませんでしたが、大きな波があったことは伝え、「また波の底が来たときにどうなってしまうのか…それが怖い」と相談すると、波の周期や振幅は個人差があるからそれを予期し、その波に上手く乗っていく慎重さやバランス感覚を鍛えるしかないと言われました。なかなか抽象的な話になりますが、まずはその波に気付くのが重要ということになります。私の場合は大抵疲労に合わせて「頭痛」が出るので、それが1つの合図です。頭痛が出たら無理せず休む。その上でやはり怖ろしいのは「無気力感」や「抑うつ感」です。これが出たときはもう籠城しかありません。籠城し、事態が僅かにでも好転するのを待つ。そして、少し良くなった段階で散歩や瞑想などから始め、体調を戻していくことが重要になってきます。実際に、今週の日曜~火曜の間はこれを実践しました。

 

やや話が前後しますが、土曜日は久しぶりに会う友人と沢山話しました。自殺未遂の話はしないまでも、私がこの10年間抱いてきた希死願望について頑張って伝えてみました。友人はかなりのリアリストなので、私がどうしてそんな無駄なことに一生懸命になっていたのかまるで理解できないようでした。他人と分かり合うって難しいと改めて思わされましたね。

私が「自分を痛めつけ、死と向き合うことで色んな事を知れた」と言っても、「そんなことをして学べることなんてないよ」とばっさりです。「病気になって沢山勉強した」と言っても、「自分1人で勉強するんじゃなくて、他人と話さないと」と正論を言われます。私はその友人が嫌いではありませんが、思うことがあります。

あのね、他人と話しても分かり合えなくて苦しいから、色んなものを探すんだよ。

そんなこと私には面と向かって言えませんでしたが、何とか理解し合おうとしても、やはりなかなか考えは相容れないですね。少しだけ言い合いっぽくなってしまい、それにも疲れてしまいます。でも、これが人間関係というものなんだな、とも感じます。そういう「摩擦」を楽しめるようになることが、人間としての第一歩なのかもしれませんね。

ともかく色々な学びのある1日でした。普通にちゃんと生きていくって、その友人みたいにならなくちゃいけないのかと思うと、本当に気が滅入ってしまいます。でも、思い返せば、私はずっとそのことで悩んできたわけです。社会と折り合いがつけられないからこそ、私は自己破壊に向かい、そして内省的な生活の中で自分だけのユートピア建造を行ってきたわけです。そのユートピアは私の「自死」を以って完成する予定でしたが、それに失敗した今、私はまた振出しに戻って来たということですね。そう考えると、何だか面白おかしい気分になります。結局のところ私はまた社会との「摩擦」に苦しみ、人の間で揺さぶられる毎日へと戻ってきました。

しかしながら、今度の私は一味違います。それだけ苦しい状況でも「自己否定」をしないのが今の私。ま、わかり合える人間なんか今までそんなにいなかったじゃん。それでも自分というものは失わなかったし、全てに迎合してきたわけでもない。少なくともそのリアリストな友人は、数多の人間よりも私好みの相手だし、自らの核であった「希死願望」について話せただけでも貴重な存在なわけ。そんなことを思い、自分と他者のありのままを受け入れる方向性で進むことができるようになりました。以前の私なら他者とわかり合えないことに大きく傷つき、それをエネルギーに変えて、「自死」というユートピア建造をこりこりと打ち進めていたことでしょう。状況に絶望し、希死と殺意に塗れ、酩酊と半狂乱の海で無様に犬かき…それを美徳としていました。

そんな感じで、大変心は疲れましたが、変わっていない世界と変わった自分を再発見する1日でした。

 

そんな友人と過ごした翌日から3日間。私はこの週4度にわたる挑戦的な外出(出勤訓練、相談窓口、友人)で蓄積した疲れを癒すことになります。

もう日曜日はどうしようもないことが分かっていました。大人しく暗い部屋で休んでいました。前から観ていたヱヴァンゲリヲンのテレビアニメシリーズをようやく見終わり、いたく感動致しました。後半にかけての鬱展開はさることながら、やはりラスト2話に込められた思いの強さと深さには胸を打たれますね。というか、個人的に非常にタイムリーでもありました。

他者との間にある壁で私はずっと苦しみ続け、絶望し、死ぬことばかり考えてきました。他者とわかり合えない自分という存在を見つめ抜くことで、自己を理解し、そこに完全な世界を作り上げることができれば、他者を排除した自分だけの小さな世界の中で生きていくことができます。それが死の同義であることがわかっているからこそ、私の最終目標は死であったわけですね。この世界から消えてしまいたい、という強い想いはエヴァの中で碇シンジが抱き続けていた感情に非常に近いものでした。最終的にはシンジくんも「ここにいていいんだ」と悟り、そのことを周囲の人が祝福してくれる図で終わっていましたが、過程は異なるものの今の私の精神状態と似通っています。私の場合は、「まぁ死ねなかったし、臨死体験はできたから、ここにいるか」という開き直りなので、ちょっと情けない感じですが。でも、とにかく「消えてなくなりたい」と自分を追い込むことをやめて、今ある自分を受け入れるという意味では同じことのように思います。

エヴァのほかには、みうらじゅんさんの「最後の講義」という動画を観て感銘を受けました。私の考える仏教に近いものがあり、彼の語る内容は少し前までの私に非常に似ているものだったのでよく理解することができました。もし私がずっと健康であり続けたなら、みうらじゅんさんのような考え方をずっとずっとしていたと思います。彼ほど高次元的なフラットさは手に入れられていなかったでしょうが。今の私は自分の健康状態を保つので精一杯ですし、みうらじゅんさん的な考え方には一区切りつけたので、理解や共感はできても、それに準じようという気持ちにまではなりませんでした。人それぞれのスタンスや角度、用法用量というものがありますからね。

と、みうらじゅんさんの考え方を紹介していませんでしたね。言わば、彼は自己否定を是とし、生と死を司るものが虚無であるという考えを持っているようでした。そして、彼もまた自分をイジメることに楽しみを見出している類の人間です。とっても共感出来ます。強いて言うなら、みうらじゅんさんはそれを喜劇的にやっていますが、私はそれを悲劇的にやってしまっていたがために、自殺未遂までイッてしまったわけですが(笑)。

そんなこんなで日曜日は過ぎ去り、翌日の月曜日は上にも書いた通り、通勤してみたものの職場の直前で吐き気が強く出たので撤退しました。

 

そして、この日から私の冒険が始まったのです。

 

もうここからは非常にシンプルです。とにかくドラクエⅪをやりまくる日々です。

 

www.youtube.com

 

上記動画で「ドラクエⅪはクオリティ高いし、普通にこれからやって楽しいと思う」と紹介されていたので、さっそく手を出してみました。幸い、ほとんど役目のなかった3DSが手元にあったので、ソフトをダウンロードします。中古屋に行けば安く手に入るでしょうが、正規の値段でダウンロードしました。金で手間を買いました。

久しぶりにゲームをやったので、ハマってしまいます。ご覧の通り、気がつけばブログを書くことも忘れていました。

ドラクエ生活を始めてからの概況を書きます。

まず、月曜に通勤途中で撤退した後にドラクエを始め、寮室に籠ります。火曜は朝から体調が悪かったので、出勤は諦め、ドラクエをして寮室に籠ります。もちろんちょっとは散歩したり、動画を観たりもしましたが。ちなみに上にも書いた通り、中田敦彦Youtube大学で「人間失格」の解説動画を観て、ストーリーを思い出して感動します。「神様のような子でした」という結びにはやはり胸が痛くなり、思わず涙が出そうになります。

翌日水曜日は朝から職場に行くことができ、3時間半を過ごした後、一度寮に帰宅し、寮の中でWEB研修を2時間受けます。その後はドラクエ

そして、本日木曜日は朝から4時間職場に行き、午後はドラクエをして過ごしました。夕食後にようやくこの記事を書き始め、すっかり風呂に行かなければいけない時間を過ぎてしまいました。ちなみに、今日は4時間いるうちに酷く頭が痛くなってしまったので、やはり何だかんだと疲れが溜まっているようです。

 

そんな1週間でした。

ゲームは時間を忘れさせますね。でも、ゲームができるようになったのも1つの進歩。正直、ゲームって面白いですけど、学びや発見が少ない気がして、時間を無駄にしているような感覚になるのであえて避けていたんですよね。

でも、今の私は取りあえず「頑張らなくていい」んです。普通にゲームしてだらっと過ごすのも良いじゃありませんか。私はこれまで傍から見れば非常に自堕落な生活をしていたと思いますが、(自分で言うのもなんですが)結構ストイックな生活を続けてきたんです。余裕があれば自分をイジメてたわけですからね。「そんなのストイックでも何でもない!」と言われればそれまでかもしれませんが、でも私は私なりの意思と決意を持って生活していたわけです。

そんな重荷を降ろして、今はゲームまでできちゃう。これは退化という名の進歩でしょう。そうですよね…?

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.50

適応障害と診断されて107日目(1月29日)の朝にこの記事を書き始めています。

気がつけばもう50回目の記事になっていました。色々とだらだらと書き進めてきましたが、何と言うか本当に半世紀くらい過ぎてしまったような気がしますよ。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は断薬や通勤訓練について書きましたね。徐々にですが、復帰に向けての道筋も見えてきました。相も変わらず、「復帰したくないなぁ」とは思いますけれどね。

 

 

今回は前回記事の続きから始めていきます。診断されて105日目の午前中くらいまでは前回記事の内容になりまして、今回記事は105日目の午後から書いていきます。

 

1.適応障害と診断されて105日目・午後~吐き気・創作物~

前回の記事を書き終えたのは午前中の10時半頃だったわけですが、そこからだらっとYoutubeで動画を観ていると不意に吐き気が襲ってきました。頭が若干くらくらとして、軽い眩暈に襲われました。

それでもお腹を満たそうという気持ちにはなったので、とりあえず冷凍パスタで早めの昼食を食べ、午後はカーテンを閉めて電気を消し、ゆっくり昼寝をしました。

いつもだいたい不調の兆候は頭痛なのですが、この日は吐き気がやって来ましたね。何か違いがあるのかわかりませんが、もしかしたら頭痛に気付いていなかったのかもしれません。久しぶりに「あぁ、ダメだな。これは」となってしまいました。

 

これまでずっと朝はだらっと過ごしていることが多かったところ、この日は起きて1時間くらいで会社に行く準備をして、久しぶりの通勤電車に乗りました。雨は降っていませんでしたが、いつ降り出してもおかしくないくらいの曇天。

電車に揺られながら、「疲れたな。今日は職場に行くのはやめよう」と思った時点で、きっと頭痛のようなものはあったのかもしれません。職場の最寄り駅ですぐにもと来た方向の電車に乗り換え、途中コンビニで漫画の立ち読みをしたりしながら、ゆっくり歩いて帰りました。朝からコンビニで立ち読みなんて悠長な人間だなぁ、とか、なぜか住宅地へと逆行して歩く私は周囲から変な人だと思われたことでしょう。

それでもたいした一歩じゃないか、と自分に言い聞かせ、寮室に戻ってからはYoutubeを観たりして過ごしていました。

面白いコンテンツを見つけたので、リンクを貼っておきます。

 

www.youtube.com

 

お笑い芸人、とろサーモン久保田さんが自分を誹謗中傷している人と対談をした企画です。相変わらず面白いことをやっていますね。

自分のTwitterにわざわざDMで誹謗中傷のメッセージを送って来る人に、「なぜそういうことをするのか?」、「嫌だからやめてくれ」とお話をするのですが、なかなか理解し合うことができず…という動画内容になっていますね。

※結構ストレスフルな動画なので、不快な気持ちになるかもしれません。

私は自称HSPなんですが、意外と映像作品とかは大丈夫なタイプです。むしろ好んでいるといってもいいかもしれませんね。暴力やグロテスクな表現、生々しい表現などの真理的な負荷を楽しむことができます。そうでない方は、あまり視聴をオススメしません。まぁ、この動画では暴力とかは無く、ただただ怒号が飛び交ったりするだけなんですが。

誹謗中傷を行った人は、もちろん出演料を貰えるからこんな動画に出演したそうですが、そもそもの誹謗中傷を行う理由については「自分のストレス発散になるから」と簡潔に答えています。誹謗中傷を受けるのは人前に出る仕事をしている「芸能人としての責務」という風に考えていることが何度も主張されます。酒を飲んで大騒ぎして、「他のお客様のご迷惑になりますので…」と言われたときに、「こんな安居酒屋に来ている時点で、それくらい覚悟してるだろ」と言い訳するような感じかもしれませんね。意外とそういう人は高級店に行けば大人しくなりそうな気もするので、判断のつかない人というよりはただただ独善的であるだけなのかもしれません。

誹謗中傷された久保田さんも、途中相手に対して感情的になったり、人格を否定するような言葉を使ったりもしているのですが、まぁ、そこはお互い様という感じで何とか「対等な人間としてやり合おう」という気概が見えます。しかし、なかなか誹謗中傷を行った人の価値観を変えることはできず、「死んでいる人もいる。俺もめちゃくちゃキツい。両親も自分の子供が酷いことを言われていて辛いだろう。だから、なんとか少しずつやめる方向にシフトしていってくれないか」と懇願するような感じになっていきます。

 

ネットの誹謗中傷は匿名性が高いから簡単にできてしまう、ということはよく議論されていることです。キングコングの西野さんは誹謗中傷の原因はその言葉の軽さにあると考え、1文字5円という実社会的な重みを与えることで美しい言葉でやり取りをする「Letter Pot」という企画をしています。

誹謗中傷を行う人は実社会での立場が弱く、ストレスの受け皿になってしまっているという意見もよく聞きますね。父親が会社でストレスを抱え、そのストレスを長男を殴ることで発散し、その長男はさらに弟を殴り…という負の連鎖は幾度か耳にしたことがあります。金が天下の回りものであるように、ストレスも天下の回りものであるとして、社会構造の歪みを指摘することもできましょう。

罪を憎んで人を憎まず、という言葉があるように、罪人を罰するだけでは社会は前に進みません。そもそも悪人が生まれてしまうような構造であることが問題なのだと考えるのは至極真っ当な気がします。しかしながら、ルールにがんじがらめになるストレスというものもあります。自由度が低い状態は不健康であるということを私は今回の自分の精神病を理解する中で学んできました。例えば、パワハラを恐れるあまり、機能不全を起こしている会社なんかもあるかもしれませんね。

そうかと思えば、自由を欲することで現代人はローカルなコミュニティを放棄し、大都会で孤独に暮らしているというパターンも多いはずです。それ故に、愚痴を吐く相手すら失い、結果的にネットで暴言を吐くという循環ができることも予想できます。

いじめの形もわかりやすいものから、より陰湿なものへと変化しているようですし、そのやり方は様々なテクノロジーを駆使して、より狡猾になっているそうです。

 

正直、どうすればいいかわかりませんね。

私は巷でよく聞くような意見を上に並べただけに過ぎませんが、心的負荷は正しさよりも量によってもたらされるという考え方もあります。つまり、自分が何かミスをしたときに、1人の上司から怒られるなら「すみませんでした」と素直に謝ることができても、それが全員に知れ渡り、会う人会う人に「すみませんでした」と言っているうちに「いい加減にしてくれ!そんな悪いことしたか!?」と逆ギレしてしまうということです。だから、咎める1人ひとりがたいして悪気を持っておらず、その意見がいかに正しかろうとも、量が過多になれば正しさは届かず、心的負荷ばかりが増えてしまうわけですね。

そんなことを考え始めると、いかに私が「一般論」を言っているだけに過ぎないと考えていても、上であげたような論で誰かに負荷をかけているかもしれないわけです。そう思うと、もう何も喋ることができなくなってしまいますね。

だって、誹謗中傷を行っている人だって、毎朝ニュースで「誹謗中傷は悪です」なんてことを聞かされていたら、自分を否定されているみたいで絶対に嫌な気持ちになっているはずですし。

となれば、久保田さんみたいに対面で「困ってるからやめてくれ」とあくまで個人間の問題として解決していくよりほかないのかもしれません。往々にしてより問題を複雑化しているのは、その問題の当事者を取り巻く社会なのだと私は思いますね。

 

詰まるところ問題は個々人の中であり、問題を解決していくためには個人の質を高めるしかないのですよね。社会構造や社会規範というものは啓蒙したり制約をしたりという力もありますが、必ず社会と人の間には摩擦が生じますし、その摩擦をどう軽減し、どう消化していくかというところは個人の質を高めていくことでしか乗り越えられない部分があるのだと、今回の病気を通じて痛感しました。

私は実に色々な人に助けられて徐々に適応障害を克服しつつあります。多くの人に迷惑をかけ、多くの人に気遣いをしてもらい、多くの人からヒントをもらいました。が、自己変革こそが問題解決の最善かつ唯一の手段なのだと思います。結局、置き換えや移行では問題が別の形になって表出するだけなので、学び、自己の質を高める以外にはやりようがないんです。

 

というわけで、そんな刺激的で考えさせられる動画を観たりしたことも相まって、私は吐き気と眩暈、そして疲れから午後はカーテンも閉め切り、真っ暗な部屋の中で寝て過ごしました。

こんな日もある。

 

夕方目が覚めてから、少しだけ文章を書きたい気持ちになったので、創作物を書いて夕飯までの時間を過ごしました。

「君に伝えたい物語」という企画がハロプロで現在進行中なので、それ用の文章を書きました。先日既に1作投稿したのですが、2作目をまとめあげて投稿することができました。通るといいなぁ、と思いながらもアニメの引用などをしてしまっているから権利の問題とかで難しいかもしれませんね。でも、個人的にはなかなかいい感じの文章にまとめられたので良かったです。また、何か思いついたらどんどんと書いていきたいですね。

 

2.適応障害と診断されて106日目~朝から出社・「許された子供たち」~

この日も朝きちんとした時間に起きて、体調も問題なかったのでそのまま会社に向かうことに。幸い天気も良く、心地良さを感じながら最寄り駅まで歩きました。

出社は問題なく行えました。少し早めに職場に行ったこともあり、グループの中では1番乗りだったので、落ち着いてデスクにつくことができました。しばらくして同僚が数人出社してきます。

コロナ禍でテレワークが導入されていることもあり、比較的静かな環境で過ごすことができました。3時間近く溜まりに溜まったメールチェックなどをして過ごし、そして頃合いを見て昼前に帰ることにしました。

昼食は自分へのご褒美ということでラーメン屋に。以前、外人の店員さんに親切にしてもらったラーメン屋です。店内に入った瞬間、湯気で眼鏡が真っ白に曇り、季節の移り変わりを感じました。

寮室に戻ると疲れが出て来たので、カーテンを閉めきり、電気を消して映画を観ながら眠ることにします。が、思いのほか映画が面白かったので、結果眠ることができずに最後まで観切ってしまいました。

 

ミスミソウ」という映画で、以前原作の漫画を読んだことがありました。大好きなアイドルであるsora tob sakanaがOP曲を務めた「ハイスコアガール」の作者である押切蓮介さんの漫画です。壮絶なイジメが題材になっており、かなりグロテスクで胸糞悪い内容になっています。「ミスミソウ」を観ようと思ったのは、そんな過去の経緯もありつつ、もう1つ大きな理由があります。上述のとろサーモン久保田さんが誹謗中傷者と面談した動画を公開するきっかけになったのが「許された子供たち」という映画なのですが、Netflixでは観ることができず、検索の結果1番類似している作品として出てきたのが「ミスミソウ」だったというわけです。後々知ることになるのですが、監督さんが同じだったから検索の結果1番に出てきたのですね。

ミスミソウ」のストーリーとしては、若干「バトルロワイヤル」に近いものがありますね。とある何もない限界集落みたいなところで、数か月後に廃校が決まった中学校が舞台です。あるキッカケから主人公の女の子はイジメられるようになり、そのイジメはエスカレートしていきます。序盤から結構あり得ないくらいハードなイジメを受けているのですが、結論から言うと、主人公の両親は殺され、そして主人公の女の子はクラスメイトを次々殺していくという展開になります。

雪降り積もる山間の集落では死体はなかなか発見されず、美しい雪景色の中で次々と殺し合っていく様子は、どちらかと言えばファンタジーとしての意味合いの方が強いですね。本来なら学校や警察などが動くと考えられそうなものですが、限界集落であり、その閉鎖的な環境というのが、ある意味では「バトルロワイヤル」の孤島のような状況に酷似しており、そこではもはや秩序を守るものが消えてしまっています。

ストーリー展開自体は脈絡を欠いていますし、ただただ凄惨な映像が続くだけなので、好みは大きく分かれると思います。ただし映像は迫力があり、また雪景色の中で主人公の女の子が着用している赤いコートが非常に映えており、血生臭い場面もかなり多いですが、どこかそんな血生臭さにも美しさを感じてしまいます。また、殺し合いの末に思い出される過去の温かなシーンは、それまでの凄惨さを吹き飛ばし、不思議と非常にセンチメンタルな気持ちにさせてくれます。

 

そんな「ミスミソウ」を観た後で、映画熱が高まり、遂に「許された子供たち」を観ることにします。Amazonのレンタルがあったので、500円を支払い観させていただきました。

 

 

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許された子供たち

 

※ここからは「許された子供たち」のネタバレを含みます。

この章の副題にも入れた通り、この「許された子供たち」がめちゃくちゃ面白かったです。Amazonのレビューでは「胸糞悪い」と評価されていましたが、私はとても面白く感じました。少なくともグロテスクさで言えば「ミスミソウ」の方が圧倒的でしたし、そういう意味では「ミスミソウ」を先に観ておいて良かったとも思いました。

「許された子供たち」は少年犯罪がテーマになっており、序盤で同級生殺しがあり、その犯人のその後がメインで描かれます。この映画を観るにあたって気をつけなければならないのは、決して「成長」や「気づき」、そして「答え」のようなものを求めてはいけないということです。同じ少年犯罪ものでも、私は「それでも、生きてゆく」というドラマが大好きなのですが、こちらはハートウォームなところもありつつ、繊細かつ強烈な苦悩の様子を楽しむことができます。しかし、この「許された子供たち」はどのシーンをとっても「悪」しか描かれないので、胸糞が悪いです。

ミスミソウ」を同級生が限界集落で殺し合うファンタジーとするならば、この「許された子供たち」はドキュメンタリーと呼べるかもしれません。主人公は小学生時代にイジメを受けた過去があり、左目の下には大きな切り傷があります。そんな彼が中学生になると不良少年となり、仲間を引き連れてイジメを行い、あるとき一線を越えてひと気のない河川敷でイジメていた同級生を割り箸で作ったボーガンで殺してしまいます。

最初、少年たちは仲間の自供などもあり、殺人を自白してしまいます。しかし、その後偶然にも決定的な証拠が出ることが無く、弁護士の手によって少年たちは供述をひっくり返し、「疑わしきは罰せず」と割り切った裁判官から無罪を勝ち取ってしまいます。晴れて不処分となった少年たちはまた元の日常に戻ったかのように思われますが、被害者の両親がメディアに出て事件がさらに世間の注目を集めるようになると、犯人の家族は世間の手によって抹殺されていきます。この世間の悲惨な野次馬精神がまたかなり胸糞悪く描かれています。冷やかし半分、独善的かつ横暴な正義感が半分。とにかく世間の酷さがリアルに描かれています。

主人公家族は引っ越しを繰り返すような生活に追い込まれます。最初は色々と面倒を見てくれた弁護士も役目を終えると消えてしまい、新しい暮らしの中で主人公家族も次第に追い込まれていきます。母親は過保護に息子が「殺してない」と言い張り、甘やかし、父親はそんな母親に愛想をつかし、いつしか逃げていってしまいます。

そんな中で主人公の少年も新しい学校で過去がバレてしまい、同級生の手によってまた新しい住所もネット上に晒されることになります。学校では主人公とは別にある少女がイジメの被害にあっており、少年と少女は奇妙な絆によって惹かれ合っていきます。もうこの新しい学校のシーンもかなり胸糞悪いです。少女に対するイジメも酷いものですし、そのイジメについてクラスでグループ討論が行われているシーンも酷いものでした。少年の過去が暴かれるシーンも、「法が裁かないなら僕が裁く」とクラスに宣言して悦に浸る生徒や、それをはやし立てるクラスメイトがとにかく気色悪く描かれています。教師はそれを制止しようとしますが、女生徒がその男性教師を取り囲み、「触られた~」などと言って妨害する場面も描かれています。教師は教師はそんな妨害にすぐに屈服してしまっているので本当に酷いものです。

犯人の少年とイジメられていた少女は距離を近づけ、それによりそれまで無感情に暮らしていた少年にも少しずつ感情が蘇ってきます。

そしてクライマックスへ。

少年は夜中に母親を置いて家を抜け出し、少女を呼びつけると一緒に被害者の家へと向かいます。最初にかつての自分の家に寄るのですが、家は「殺人鬼の家」として酷い有様です。その足で次は被害者の家に向かうのですが、被害者の家にも「ゼニゲバ」というような落書きがされていたり、こちらも同様に酷い有様でした。

少年は何とか被害者の墓前で手を合わせることができたものの、被害者の母親に「あなたは何を謝りたいの?まだわかってないんでしょ。自分の罪と向き合いなさい」と言われます。そうなのです。少年は被害者の幻影に苦しみ、その苦しみから逃れるために被害者宅に訪れたのですが、決して罪と向き合って何かを反省しているというわけではないのです。自分の母親には「お前はやっていないんだから」と言われ続け、世間からは「死んで詫びろ」と言われ続け、罪を認めることも、当然償うこともできずにいたのです。

そして、被害者宅から追い返された少年は少女を連れて、殺害現場を訪れます。

タイミングが良いのか悪いのか、一緒に殺しの現場にいた少年グループの中でも格が下に扱われていた少年がそこでは手を合わせていました。主人公の少年は彼に向って「偽善者気取りが」と言い放ちますが、彼は「僕にもう少し勇気があれば一緒に14歳になれたんだ。そしてきっと友達になれた」と返します。主人公の少年は彼が持って来た花束を投げ捨てますが、彼は川の中へと躊躇いもなく入っていき、花束を手に戻ってきます。彼の行動に犯人の少年は苛立ちを感じ、その場を後にします。

相変わらず一緒にいる少女からは「何に怒っているの?」と聞かれても、「うっせぇ」としか返すことができません。そんなところで、今度はまた少年グループの別の2人と出会います。彼らはまたかつてのように別のクラスメイトをイジメていました。しかも、彼らはオモチャのボーガンでその相手を脅しているのです。主人公の少年は、1年前に割り箸で作ったボーガンで殺したことを想起し、何も言わずに彼らに殴りかかります。ボコボコに殴りまくり、少女に「死んじゃう!」と止められるまで殴り続けます。

止まった瞬間に2人のうちの1人に後ろから蹴り飛ばされ、その間に彼らは逃げようとしますが、少年はオモチャのボーガンを拾い、かつてのように彼らに狙いを定めます。少年が引き金を引く寸前で少女が間に入り、矢の軌道はずれ、彼女の頬を掠めると背後の木箱に突き刺さりました。

2人の少年は逃げていき、主人公の少年は少女を突き飛ばすとそのまま河川敷へと消えていきます。

そして、ここからおよそ4分に渡ってセリフも無く、河川敷で1人で暴れ狂う少年の様子が音楽とともに映し出されます。このシーンは本当にカッコいいです。とにかく撮り方が凄いです。消えた息子を探す母親もまた同時に映し出されるのですが、早送りを使ったり、逆にスーパースローカメラを使ったり、ドローンによる撮影もあったり、少年が転ぶのに合わせて手持ちカメラもぐるぐると回転したり、とにかくありとあらゆる手法が使われています。中でもボーガンにカメラをつけて、少年がボーガンを振り回すのに合わせて景色を映し出す絵は、「ミスミソウ」でも取り入れられていた手法でオリジナリティを感じました。

ここまであまり書いてきませんでしたが、この胸糞悪い映画の中でも特筆して凄いのは、その撮り方だと思います。一昔前の映画では御法度のカメラ目線なども効果的に取り入れられており、登場人物の目線となって映し出される映像は確実にフィクションではありながらも、存分なリアル感を出しています。

その後も少しだけ話は続くのですが、ラストシーンでは母親と少年がカフェで楽しそうに会話をし、少年は離れた席の赤ちゃんに笑顔で手を振ったりします。そのまま2人は新しい家へと帰っていくのですが、坂道を登りながら母親と少年は1本の煙草を分かち合い、特に反省の色なども見せずにのうのうと歩いていました。

何と言うか、全体を通して、本当にこの世界は最悪だなと思わされます。少年の理由のない非行や殺人から始まり、利己的な弁護士や裁判官、そして独善的な世間の反応全てに憤りを感じさせられます。母親は過保護に「息子はやっていない」と言い張り、息子は家族に対しても自分がやったとは言うことができません。父親は逃げ回ることに疲れ、母親の過保護にも愛想を尽かして逃げ出します。少年が転校した先のクラスメイトはイジメをしており、クラス委員の2人もそれを黙認している始末。そのクラス委員の2人はあろうことか、少年の過去を掘り起こし、それをクラス会でばらし、ネットにまで拡散してヒーロー気取りです。被害者の親は少年たちが不処分となったにも関わらず、民事訴訟を起こすとメディアの前で宣言し、メディアはそれに火をつけて、両家は野次馬たちの手によってボロボロにされていきます。少年の母親は対抗馬として、「突然、我が子が殺人鬼にされた」という連載を始めてしまいます。少年は少年で路地のゴミ袋を蹴とばし、たまたますれ違ったサラリーマン相手にぶつけたりしています。廃墟で煙草を吸い、かつてそれで同級生を殺した割り箸ボーガンを作ったりもしています。

この作品の中で唯一の救いは、イジメられていた少女が少年の味方になってくれたことです。彼女もまた「全員殺したくなる」と考えるような子ではありましたが、少なくとも少年に寄り添うことができ、彼の事を思い、「被害者の両親に謝りに行ったら、その苦しさから逃れられるんじゃない?」とアドバイスしてくれたりしました。少年も彼女にだけは自分が殺したことを打ち明けています。しかし、最後のシーンでは少女は少年の引っ越し先も知らず、頬には少年の放ったボーガンでつけられた傷が残り、1人で思い出の廃墟で煙草を吸っていました。

映像(特にカメラワーク)の素晴らしさは言った通りですが、映像に文字を被せる編集も素敵でした。とにかく撮り方が新鮮なので映像を観ているだけでもかなり楽しむことができると思います。

が、特に面白いと思ったのは、全体的に無感情で冷血のように描かれている主人公の少年の気持ちが、じわじわと伝わってくることですね。彼は結局のところ「反省」や「贖罪」というところまでは達していないのですが、しかし「罪」に苦しんでいることは確かです。被害者宅を訪問するシーンでは、とにかく苦しみから逃れたいという気持ちが伝わってきますし、訪問後に殺人現場で手を合わせるかつての仲間に激昂するシーンもとても印象的です。うまく救われかけているかつての仲間を恨めしく思いつつ、そうはなれない自分に憤りを感じているのです。その後に出会う、未だにイジメを続けている仲間の中にはかつての自分を見出して、また激昂してしまいます。最後にはどこにぶつければ良いかわからない怒りを吐き出すように、1人で暴れ狂います。

自己否定と社会への怒りというのは、まさに私が感じている(感じていた)ことですし、主人公の少年のやり場のないフラストレーションにはかなり共感できる部分がありました。まぁ、私は殺人までは犯したことはないのですけれど。

と、そんな感じで、ここしばらくの間に観た映画の中では抜群に面白かったです。

面白くて翌日にもまた見返した次第です。

オススメできるような内容ではありませんが、私はとても面白いと思いました。改めて出会わせてくれた、とろサーモンの久保田さんには感謝です。

 

朝に書き始めたこの記事を書き終えたのは何だかんだと夜になってしまいました。いつもならとっくに風呂上がりで、リラックスタイムに入っている時間ですね。本日の行動についてはまた次回記事にて。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.49

適応障害と診断されて105日目(1月27日目)の朝にこの記事を書いています。

朝と言っても、「通勤訓練」を実施した後で書いているんですよ、実は。思えば平日にちゃんと出社時間に合わせた通勤訓練をしたのは初めてでした。最後にちゃんと出社したのは適応障害と診断される3日前なので、108日ぶりの「通勤」でした。

想像していた3倍疲れました…(笑)

 

前回

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前回は投資のお勉強などについてだらだらと話しましたが、病気についてのこととして、「断薬による悪夢」がメインディッシュだったように思います。今回はきちんとお薬を飲んだ後の結果についてちょっと話していきます。

 

 

1.断薬の一時中断・ナイトルーティン

前回の記事に書いた通りですが、1週間前くらいに大きな気持ちの変化があり、「もう治ったんじゃないです!?」みたいなノリから勝手にお薬を絶ってみました。それとともに、生活習慣なども大幅に見直し、夜10時に寝て、朝5時に起きるために色々なルーティンを取り入れてもみました。

しっかりとルーティンを取り入れることで、それまで「なかなか寝付けない~」といった悩みはあっという間に解決できたのですが、その反動なのか夜中に何度も起きてしまうといったことが体に起こりました。そして、3日前の夜、その症状は顕著になり、結局のところ夜中に酷い悪夢を見て目が覚め、そこから眠れなくなってしまいました。

今のところ原因は2つ考えられます。

大きな原因の1つは「断薬」です。ネットで「悪夢 うつ病」で調べたらすぐに出てきましたが、私が飲んでいたのは「ベンゾジアゼピン系」の薬で、これを断薬したときに「悪夢」の症状が現れやすいということでした。ベンゾジアゼピン系の薬にはレム睡眠(浅い眠り)のときに優位になる交感神経(興奮・活動を司る)を抑制する効果があるのですが、それが無くなった時に眠りが浅くなり過ぎて、脳の活動が過剰になってしまうそうです。断薬によるストレスも相まって、活動的になった脳は「悪夢」を生み出すという原理だと考えられます。そういうわけで、2日前の夜はお薬を飲みました。

そして2つ目の原因ですが、これはたぶん新しいルーティンを取り入れたせいですね。確かに狙ったようにすんなり寝付けるようにはなったのですが、「すんなり寝つくぞ!」と無意識のうちに思っていたせいで、神経が昂った(交感神経が活動的になった)ことは否めません。もちろん、そうやって少しずつ習慣を変えていかないことには、新しい習慣を得られないので必要な通過儀礼ではあるんですけれどね。でも、断薬とこの習慣の変化が重なって、私は酷い悪夢を見てしまったように思います。

 

そういうわけで、まずは「断薬の一時中断」と「ルーティンの継続」を実施することにしました。

しっかり薬を飲んで寝たところ、夜中に1度だけ一瞬目が覚めてしまったのものの、悪夢は見なくて済むようになりました。それでもやはり夢を沢山見るので、結構疲れる感じはありますね。本当にオールナイトシアターみたいに3~4本立ての映画を観ているような感じなんですよ。それぞれの夢はあまり思い出せないんですが、今朝方は小中学校の同級生と小学校の体育館でサッカーをしている夢を見ました。みんな大人になっていて、何故か私が1人現役を引退するみたいな設定でしたね。何を渡したか全く覚えていないのですが、「これはお前に任せた」みたいなシーンもあった気がします。本当に夢って謎。

ルーティンの方も順調に継続できているように思います。悪夢を見た日は昼間に寝すぎたので、1時間くらい寝る時間を後倒ししましたが、それ以外のところでは徐々にルーティンが体に馴染んでいるというような感じもありますね。最初は「あれをしなきゃ」とか「これをしちゃダメだ」と結構厳しくやっていたのですが、自然にやるべきことを行い、それを楽しみつつ、無駄に頑張っていたところは緩和させ、少しずつ充実した時間を作り上げられるようになってきました。

ちなみに私が取り入れているルーティンは、特に風呂上がり後の90分間にパソコンやスマホを見ず、部屋を暗くしてリラックスするということが肝になっています。これによって、最初の内は90分もの時間をどう過ごせば良いのかわからず、若干持て余しながらも無理やりストレッチや瞑想などをして過ごすしかありませんでした。

しかし、少しずつその90分間の過ごし方を自分に合ったものにできるようになってきました。

 

1.部屋を間接照明だけにする。

2.柔軟、ストレッチを15分くらい。 ←汗がだらだら出ます。

3.今日の自分を3つ以上褒める。カレンダーに×印をつける。 ←3分くらい。

4.日常の雑務。

一昨日は洗濯ものを畳み、昨日はネクタイの裏側の輪っか(これ何て言うんですかね?)が外れかかっていたので縫い付けました。中学の家庭科の授業で使っていたやつを未だに使っています。

5.読書。 ←寝る30分くらい前まで。もっと読みたい!ってなるけど我慢。

6.丁寧に歯磨き。 ←歯茎や歯が気持ちいいなぁと感じられるくらいゆっくりと。

7.ボディスキャン瞑想。 ←これ、自分にめちゃくちゃ合ってます。

 

という感じですね。YouTubeで一時期流行っていたナイトルーティンの紹介みたいな感じで書かせていただきました。

2.柔軟・ストレッチに関しては、ちょっと模索中です。もともと体が硬いので、まぁやる分には良いのですが、なんか日中に肩が痛いのでちょっとやり方がおかしいのかもしれません。要改善ですね。でも、柔軟は自然と呼吸をゆっくりにしたり、体の感覚を深く味わうことができるので、半分瞑想に近いところがあり、本格的な瞑想を行う前段階として良いものだと感じています。

3.自分を褒めるというのは、自己肯定感を高めるルーティンですが、もはやただの日記ですね。まぁ、これをやることで1日を思い残すことなく終われる気はするので、続けたいと思います。カレンダーに×印をつけるのは「いつかやってみたいなぁ」という憧れがあったので、やり始めることにしました。なかなか爽快です。なんか前向きな人間みたいで恥ずかしいと思っていたのですが、今の私は前向きな人間になろうとしているのでもう恥ずかしくなんてありません。

4.日常の雑務は、パソコンやスマホを使わずにできることをやります。洗濯ものを片付けたり、アイロンをかけたり、ちょっと裁縫をしたり、軽い部屋の掃除をしたり、できるだけ神経を使わずにリラックスできる類の作業をします。何もすることが無いときは、その分だけたくさん本が読めるという感じになるでしょうが、あまり本に熱中し過ぎても良くない気がするので、バランスを見ながらですね。

5.読書は、今のところ「グレート・ギャツビーを追え」という本を読んでいます。村上春樹さんが翻訳しているもので、ジャンルとしてはサスペンス小説になるんですかね? フィッツジェラルドの手書きの原稿が盗まれて…というお話ですが、泥棒の章、ブローカーの章、捜索員の章…という感じで、章ごとに視点が変わっていき面白いで鵜す。まだ4分の1くらいしか読めていませんが、ちまちまと進んでおります。

6.歯磨きは、読書の熱冷まし時間としても使っています。ぼーっとしつつ、とにかく歯や歯茎にあたるブラシの感覚を味わうようにすると、とても落ち着きます。私は小さい頃から虫歯になりがちで、歯医者さんから「歯の磨き方」を何度もレクチャーされているのですが、ずっとテキトーに磨いてきました。「歯を磨くのって心地いい!」という感覚がわかると、あのとき教わったことが実行できるようになり、少し嬉しいです。

7.ボディスキャン瞑想ですが、これが私にはめちゃくちゃ合っているようです。マインドフルネスなどでよく言われているように、「呼吸を感じましょう」というのはまだ私にはうまくできません。何と言うか呼吸に集中し過ぎて、無意識に呼吸をコントロールしてしまうんですよね。そして、いつの間にか飽きてやめてしまい、考え事に捉われてしまうという感じです。

しかしながら、ボディスキャン瞑想は、集中しながらも徐々にリラックスできます。やり方はまだ色々と模索中ですが、まずは「呼吸」からです。まずはコントロールしながらでも良いので呼吸に集中します。私は鼻の感覚から意識すると入りやすいので、吸う息と吐く息で、鼻の粘膜で感じる空気の温度の違いを意識します。そして、次第にその意識を肺やお腹に向けていき、空気が出たり入ったりするイメージを経由して、体が膨らんだり縮んだりする感覚へと持っていきます。そこからヘソに意識を向け、呼吸に合わせてヘソが動くことを意識し、徐々にじんわりとした感覚がそこに溜まっていくのを待ちます。

ここまでがボディスキャン瞑想の準備段階です。だいたい5分くらいかかるでしょうか。そこからはそのヘソのじんわりとした感覚を右足の爪先に持っていきます。右足の指先で空気の冷たさを感じたりしつつ、意識を向けた先にじんわりとした感覚が訪れるのを待ちます。そこまでできたら、その「じんわり感」をかかと、くるぶし、足首、すね、ふくらはぎ、膝、もも、という感じで移動させていきます。自分自身がMRIの機械になったつもりで、まさに体中をスキャンしていくような感じですね。一度、スキャンした箇所には「じんわり感」が少し残っているので、その「じんわり感」を楽しむこともできます。全身でちゃんと「じんわり感」を味わおうと思うと結構時間がかかるのですが、これをやっている最中に眠気がやって来ます。眠気が来たなぁと感じたら、電気を全て落とし、またボディスキャン瞑想に戻りつつ、眠りに落ちるのを待ちます。

はい。これで眠れます。ただ、もちろん「ボディスキャン瞑想をすれば眠れる!」というのではなく、ちゃんと食事は3時間前に済ませ、90分前にじっくり15分間風呂に入り、90分間のリラックスタイムを過ごしたうえで、ボディスキャン瞑想に入っているので、全ての効果が合わさった結果ではありますね。

 

そんな風にして、お薬も飲みつつ、ナイトルーティンも自分に合った形に整えていくことで、今日は朝方4時過ぎに1度目が覚めただけで、比較的ぐっすりと眠ることができたように思います。

 

2.適応障害と診断されて104日目~家計簿・職場に3時間~

昨日になりますが、この日は朝ゆっくりと起きました。前日は悪夢を見たせいで日中にたくさん眠ってしまったので、その分だけ寝るのが遅くなりました。なので、この日は無理せずゆっくりと起きることに。

午前中は家計簿をつけてみました。とりあえずアプリで銀行預金の入出金記録を確認しましたが、どこからの引き落としかわからないものが多く、自分が何にどれくらいお金を使っているのかわかりません。しかしながら、幸いにも私はこうして日記をつけているので、だいたいの引き落としに対して検討をつけることができました。思い出せない引き落としがいくつかあるのですが、その中でも毎月の1100円の引き落としと、たまに現れる255円の引き落としについては、よくわからないので要調査ですね。

そして、家計簿をつけてみてわかったのは、私の経済的悪習慣です。現金での出費が多く、たまに気が向いたときにカードを使うという悪習慣があります。私は「お金を使っている実感」が欲しくて、今まで現金を使うことが多かったです。これは学生時代からの名残ですね。学生時代は本当にお金が無かったので、常に財布の中にいくら残っているかを気にして暮らしていました。そして、薄っぺらい財布の中身を見ながら節約を自分に言い聞かせていました。やはりカードだと危機感が薄れてしまいますからね。

しかしながら、社会人になってお金に余裕ができると、私は基本的に毎回10万円ずつATMで降ろす癖がつきました。手数料や引き落としの手間を考えると、引き落とす回数は少ない方が良いですし、常に10万円くらい財布の中にあると何にでも対応ができるので助かります。地方勤務時代に先輩と飲みに行くと、必ずと言っていいほどお金が足りなくなり、私がコンビニATMでお金を降ろして、後日清算みたいな流れができてしまっていたのもこの癖を助長した原因ではありますが(笑)。

この癖のせいで、結構な頻度で10万円が引き落とされており、しかもそれが何に使われているのか一切不明という事態に自分が陥っていることに、今さらながら気づきました。Amazonなどのネット通販による出費は全体のうちでたいした割合ではなく、やはりその10万円の連続引き落としが私の経済に大きなダメージを与えていたのです。

これは改めなくてはなりませんね。極力、カードで支払うようにしつつ、ちゃんと家計簿をつけるようにしていきたいと思います…続けられるかな…(笑)。

 

そして、午後は会社に出向き、2時半から5時過ぎまで、約3時間職場にいることができました。既に締め切りが過ぎている社内の研修や教育をオンラインで済ませることで時間の大部分を過ごしました。

苦手としている上司とも数か月ぶりに会い、向こうが忙しいというのもありますが、特別話すようなことはなく、途中の「よく来たな」と帰り際の「遅くまでいると電車混むんだからな」という言葉だけ頂くことができました。まぁ、今日はこれで良しとしましょう。今後の復帰の過程については私自身がもう少しちゃんと目処を立てられるようになってから話し合えばいいわけですし。

10月末の何とか復帰に向けて頑張っていたときは、3時間で頭痛や吐き気がMaxになっていましたが、この日はとりあえず体に不調を来すこともなく、3時間を過ごすことができました。

しかし、やはり集中してメールチェックしたり、会社のコンプライアンスやら何やらについて勉強したりというのはまだまだ私にとっては負荷が大きいことのようで、2時間半を過ぎた辺りでふと貧乏ゆすりが出ていることに気がつきました。まぁ、まだ出社訓練2日目なので、こんなもんでしょうね。とりあえずは良しとしておきましょう。

そもそもこの日もなかなか寮室を出る気分になるのには時間がかかりました。

昼食を食べている段階では全く外に出たくなかったのですが、「嫌になったらそのまま帰って来ればいい」という逃げ道を用意しながら外に出ることができました。ちょっとした緊張感がありながらも、電車に乗っているうちに気持ちが固まっていき、何とか職場に入ることができました。掃除を手伝ったりする中で、同僚の人とも少しだけ会話できたので、結果的に行って良かったですが、やはり疲れましたね。

 

帰りにはリストアップしておいた買い物もでき、寮の食堂で夕飯を食べ、ちょっとだけ自分の時間を楽しんだ後に、いつも通りのナイトルーティンもこなして落ち着いた気持ちで眠りにつくことができました。

そう言えば、薬は飲み忘れていましたね。2日に1錠飲むくらいと考えてはいたので、この記事を書いている今日の夜に飲めばちょうど良いでしょう。

 

と、そんな感じの1日でした。

 

3.適応障害と診断されて105日目・朝~出勤訓練~

冒頭にも書きましたが、今日は朝に出勤訓練をしてきました。朝6時ちょっと前に目覚め、ゆっくりと支度をしつつ、7時に寮を出ました。

まずは朝一でスーツに着替えるというのが、結構疲れるかなと思っていたのですが、7時に寮を出るまでは比較的スムーズに行えたように思います。ただ、6時に起きて7時出発だとちょっと今の自分には慌ただしいように感じたので、就寝時間と起床時間については検討が必要な気がしますね。

そして、久しぶりの通勤電車です。10月よりもちょっと混んでいるような気がしました。もしかしたら、基本的に昼間の電車しか乗っていなかったので、そう感じるようになってしまっていたのかもしれませんが。ともあれ、この久しぶりの通勤電車が結構私にはキツかったです。調子が良ければそのまま職場に行こうと思っていたのですが、電車に乗りながら「あ、今日はダメかも」と思い、大人しく引き返してきました。

職場の最寄り駅で降り、そこからすぐにまた寮に帰って来た感じですね。ずっとスマホで動画を観ながら電車に乗っていただけだったのですが、ダメでしたね。

 

体力が100あるとして、まず朝6時に起きることで5を使います。その後、1時間で出社の準備をすることでさらに10を使います。そして、通勤電車に乗っている中で30近くを使ったように思います。計45を起床から2時間足らずで使ってしまったので、今日はもうこれで終了です。もちろん無理をして職場に行くこともできたと思いますが、まぁ、そう焦ることでもありませんし、「今はこれでいい」…と私の心の中の碇ゲンドウも言っていました。

大学の頃から朝というものがとても苦手でした。もちろん、それには私の心身の管理がうまくできていないというのが最大の原因なんでしょうが、あの朝の「蠢いている感」が嫌いなんですよね。誰だって朝早くから通勤電車に乗るのなんて楽しいわけがないから仕方ないんですけれど、周囲の人たちが抱えているストレスみたいなのが、ぞわぞわと私の体に染み込んでくるような気持ちになってしまうんです。

道を行く車の音も何だかせわしなく感じられ、朝陽はぎらぎらと人々を照らしつけ、ムカデの大群が部屋の外を蠢いているような感じがするのです。これは何もちゃんと一生懸命働いている方々を罵倒したいということではなく(大学生の時分には随分と罵倒してきたように思いますが)、とにかく私がそういう不快な気持ちになってしまうということが問題なわけです。もう朝が恐怖なのです。

HSP的な観点から言うのであれば、他者のストレスに共感して影響を受けてしまうからということになるのかもしれません。

となれば、当然何らかの対策は求められるわけです。もちろん、少しずつ慣れていける部分もあるわけですが、しかしきっと不快を感じているということには変わりがありません。「不快」を減らし、「快」を増やすというのがHSPだけに限らず、適切な自己運用においては重要になってきます。しかし、いったいどうやってこの通勤電車の不快を減らしますかね。1つには電車以外の通勤方法を考えるのもアリですけれど、自転車やタクシーなどの代替の通勤方法はちょっと無理がありますね。ならば、とにかく「快」の聖域を展開して、自己防衛に努めるしかありません。

今日はYoutubeで動画を観ながら通勤していましたが、今の私にはこれだけでは足りないようです。動画視聴は視覚と聴覚を使っているので、あとは味覚・嗅覚・触覚を使うことができます。とりあえず、飴を舐めたり、ガムを噛んだりしつつ、香水をつけたり、何か触って落ち着くものをポケットに忍ばせるというのが具体的な対策になるでしょうか。触覚を満足させるものについてはすぐに思いつかないので、まずは飴やガム作戦から始めてみましょう。

 

と、そんなことを感じた初めての通勤訓練でした。

 

次回

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