霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.50

適応障害と診断されて107日目(1月29日)の朝にこの記事を書き始めています。

気がつけばもう50回目の記事になっていました。色々とだらだらと書き進めてきましたが、何と言うか本当に半世紀くらい過ぎてしまったような気がしますよ。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は断薬や通勤訓練について書きましたね。徐々にですが、復帰に向けての道筋も見えてきました。相も変わらず、「復帰したくないなぁ」とは思いますけれどね。

 

 

今回は前回記事の続きから始めていきます。診断されて105日目の午前中くらいまでは前回記事の内容になりまして、今回記事は105日目の午後から書いていきます。

 

1.適応障害と診断されて105日目・午後~吐き気・創作物~

前回の記事を書き終えたのは午前中の10時半頃だったわけですが、そこからだらっとYoutubeで動画を観ていると不意に吐き気が襲ってきました。頭が若干くらくらとして、軽い眩暈に襲われました。

それでもお腹を満たそうという気持ちにはなったので、とりあえず冷凍パスタで早めの昼食を食べ、午後はカーテンを閉めて電気を消し、ゆっくり昼寝をしました。

いつもだいたい不調の兆候は頭痛なのですが、この日は吐き気がやって来ましたね。何か違いがあるのかわかりませんが、もしかしたら頭痛に気付いていなかったのかもしれません。久しぶりに「あぁ、ダメだな。これは」となってしまいました。

 

これまでずっと朝はだらっと過ごしていることが多かったところ、この日は起きて1時間くらいで会社に行く準備をして、久しぶりの通勤電車に乗りました。雨は降っていませんでしたが、いつ降り出してもおかしくないくらいの曇天。

電車に揺られながら、「疲れたな。今日は職場に行くのはやめよう」と思った時点で、きっと頭痛のようなものはあったのかもしれません。職場の最寄り駅ですぐにもと来た方向の電車に乗り換え、途中コンビニで漫画の立ち読みをしたりしながら、ゆっくり歩いて帰りました。朝からコンビニで立ち読みなんて悠長な人間だなぁ、とか、なぜか住宅地へと逆行して歩く私は周囲から変な人だと思われたことでしょう。

それでもたいした一歩じゃないか、と自分に言い聞かせ、寮室に戻ってからはYoutubeを観たりして過ごしていました。

面白いコンテンツを見つけたので、リンクを貼っておきます。

 

www.youtube.com

 

お笑い芸人、とろサーモン久保田さんが自分を誹謗中傷している人と対談をした企画です。相変わらず面白いことをやっていますね。

自分のTwitterにわざわざDMで誹謗中傷のメッセージを送って来る人に、「なぜそういうことをするのか?」、「嫌だからやめてくれ」とお話をするのですが、なかなか理解し合うことができず…という動画内容になっていますね。

※結構ストレスフルな動画なので、不快な気持ちになるかもしれません。

私は自称HSPなんですが、意外と映像作品とかは大丈夫なタイプです。むしろ好んでいるといってもいいかもしれませんね。暴力やグロテスクな表現、生々しい表現などの真理的な負荷を楽しむことができます。そうでない方は、あまり視聴をオススメしません。まぁ、この動画では暴力とかは無く、ただただ怒号が飛び交ったりするだけなんですが。

誹謗中傷を行った人は、もちろん出演料を貰えるからこんな動画に出演したそうですが、そもそもの誹謗中傷を行う理由については「自分のストレス発散になるから」と簡潔に答えています。誹謗中傷を受けるのは人前に出る仕事をしている「芸能人としての責務」という風に考えていることが何度も主張されます。酒を飲んで大騒ぎして、「他のお客様のご迷惑になりますので…」と言われたときに、「こんな安居酒屋に来ている時点で、それくらい覚悟してるだろ」と言い訳するような感じかもしれませんね。意外とそういう人は高級店に行けば大人しくなりそうな気もするので、判断のつかない人というよりはただただ独善的であるだけなのかもしれません。

誹謗中傷された久保田さんも、途中相手に対して感情的になったり、人格を否定するような言葉を使ったりもしているのですが、まぁ、そこはお互い様という感じで何とか「対等な人間としてやり合おう」という気概が見えます。しかし、なかなか誹謗中傷を行った人の価値観を変えることはできず、「死んでいる人もいる。俺もめちゃくちゃキツい。両親も自分の子供が酷いことを言われていて辛いだろう。だから、なんとか少しずつやめる方向にシフトしていってくれないか」と懇願するような感じになっていきます。

 

ネットの誹謗中傷は匿名性が高いから簡単にできてしまう、ということはよく議論されていることです。キングコングの西野さんは誹謗中傷の原因はその言葉の軽さにあると考え、1文字5円という実社会的な重みを与えることで美しい言葉でやり取りをする「Letter Pot」という企画をしています。

誹謗中傷を行う人は実社会での立場が弱く、ストレスの受け皿になってしまっているという意見もよく聞きますね。父親が会社でストレスを抱え、そのストレスを長男を殴ることで発散し、その長男はさらに弟を殴り…という負の連鎖は幾度か耳にしたことがあります。金が天下の回りものであるように、ストレスも天下の回りものであるとして、社会構造の歪みを指摘することもできましょう。

罪を憎んで人を憎まず、という言葉があるように、罪人を罰するだけでは社会は前に進みません。そもそも悪人が生まれてしまうような構造であることが問題なのだと考えるのは至極真っ当な気がします。しかしながら、ルールにがんじがらめになるストレスというものもあります。自由度が低い状態は不健康であるということを私は今回の自分の精神病を理解する中で学んできました。例えば、パワハラを恐れるあまり、機能不全を起こしている会社なんかもあるかもしれませんね。

そうかと思えば、自由を欲することで現代人はローカルなコミュニティを放棄し、大都会で孤独に暮らしているというパターンも多いはずです。それ故に、愚痴を吐く相手すら失い、結果的にネットで暴言を吐くという循環ができることも予想できます。

いじめの形もわかりやすいものから、より陰湿なものへと変化しているようですし、そのやり方は様々なテクノロジーを駆使して、より狡猾になっているそうです。

 

正直、どうすればいいかわかりませんね。

私は巷でよく聞くような意見を上に並べただけに過ぎませんが、心的負荷は正しさよりも量によってもたらされるという考え方もあります。つまり、自分が何かミスをしたときに、1人の上司から怒られるなら「すみませんでした」と素直に謝ることができても、それが全員に知れ渡り、会う人会う人に「すみませんでした」と言っているうちに「いい加減にしてくれ!そんな悪いことしたか!?」と逆ギレしてしまうということです。だから、咎める1人ひとりがたいして悪気を持っておらず、その意見がいかに正しかろうとも、量が過多になれば正しさは届かず、心的負荷ばかりが増えてしまうわけですね。

そんなことを考え始めると、いかに私が「一般論」を言っているだけに過ぎないと考えていても、上であげたような論で誰かに負荷をかけているかもしれないわけです。そう思うと、もう何も喋ることができなくなってしまいますね。

だって、誹謗中傷を行っている人だって、毎朝ニュースで「誹謗中傷は悪です」なんてことを聞かされていたら、自分を否定されているみたいで絶対に嫌な気持ちになっているはずですし。

となれば、久保田さんみたいに対面で「困ってるからやめてくれ」とあくまで個人間の問題として解決していくよりほかないのかもしれません。往々にしてより問題を複雑化しているのは、その問題の当事者を取り巻く社会なのだと私は思いますね。

 

詰まるところ問題は個々人の中であり、問題を解決していくためには個人の質を高めるしかないのですよね。社会構造や社会規範というものは啓蒙したり制約をしたりという力もありますが、必ず社会と人の間には摩擦が生じますし、その摩擦をどう軽減し、どう消化していくかというところは個人の質を高めていくことでしか乗り越えられない部分があるのだと、今回の病気を通じて痛感しました。

私は実に色々な人に助けられて徐々に適応障害を克服しつつあります。多くの人に迷惑をかけ、多くの人に気遣いをしてもらい、多くの人からヒントをもらいました。が、自己変革こそが問題解決の最善かつ唯一の手段なのだと思います。結局、置き換えや移行では問題が別の形になって表出するだけなので、学び、自己の質を高める以外にはやりようがないんです。

 

というわけで、そんな刺激的で考えさせられる動画を観たりしたことも相まって、私は吐き気と眩暈、そして疲れから午後はカーテンも閉め切り、真っ暗な部屋の中で寝て過ごしました。

こんな日もある。

 

夕方目が覚めてから、少しだけ文章を書きたい気持ちになったので、創作物を書いて夕飯までの時間を過ごしました。

「君に伝えたい物語」という企画がハロプロで現在進行中なので、それ用の文章を書きました。先日既に1作投稿したのですが、2作目をまとめあげて投稿することができました。通るといいなぁ、と思いながらもアニメの引用などをしてしまっているから権利の問題とかで難しいかもしれませんね。でも、個人的にはなかなかいい感じの文章にまとめられたので良かったです。また、何か思いついたらどんどんと書いていきたいですね。

 

2.適応障害と診断されて106日目~朝から出社・「許された子供たち」~

この日も朝きちんとした時間に起きて、体調も問題なかったのでそのまま会社に向かうことに。幸い天気も良く、心地良さを感じながら最寄り駅まで歩きました。

出社は問題なく行えました。少し早めに職場に行ったこともあり、グループの中では1番乗りだったので、落ち着いてデスクにつくことができました。しばらくして同僚が数人出社してきます。

コロナ禍でテレワークが導入されていることもあり、比較的静かな環境で過ごすことができました。3時間近く溜まりに溜まったメールチェックなどをして過ごし、そして頃合いを見て昼前に帰ることにしました。

昼食は自分へのご褒美ということでラーメン屋に。以前、外人の店員さんに親切にしてもらったラーメン屋です。店内に入った瞬間、湯気で眼鏡が真っ白に曇り、季節の移り変わりを感じました。

寮室に戻ると疲れが出て来たので、カーテンを閉めきり、電気を消して映画を観ながら眠ることにします。が、思いのほか映画が面白かったので、結果眠ることができずに最後まで観切ってしまいました。

 

ミスミソウ」という映画で、以前原作の漫画を読んだことがありました。大好きなアイドルであるsora tob sakanaがOP曲を務めた「ハイスコアガール」の作者である押切蓮介さんの漫画です。壮絶なイジメが題材になっており、かなりグロテスクで胸糞悪い内容になっています。「ミスミソウ」を観ようと思ったのは、そんな過去の経緯もありつつ、もう1つ大きな理由があります。上述のとろサーモン久保田さんが誹謗中傷者と面談した動画を公開するきっかけになったのが「許された子供たち」という映画なのですが、Netflixでは観ることができず、検索の結果1番類似している作品として出てきたのが「ミスミソウ」だったというわけです。後々知ることになるのですが、監督さんが同じだったから検索の結果1番に出てきたのですね。

ミスミソウ」のストーリーとしては、若干「バトルロワイヤル」に近いものがありますね。とある何もない限界集落みたいなところで、数か月後に廃校が決まった中学校が舞台です。あるキッカケから主人公の女の子はイジメられるようになり、そのイジメはエスカレートしていきます。序盤から結構あり得ないくらいハードなイジメを受けているのですが、結論から言うと、主人公の両親は殺され、そして主人公の女の子はクラスメイトを次々殺していくという展開になります。

雪降り積もる山間の集落では死体はなかなか発見されず、美しい雪景色の中で次々と殺し合っていく様子は、どちらかと言えばファンタジーとしての意味合いの方が強いですね。本来なら学校や警察などが動くと考えられそうなものですが、限界集落であり、その閉鎖的な環境というのが、ある意味では「バトルロワイヤル」の孤島のような状況に酷似しており、そこではもはや秩序を守るものが消えてしまっています。

ストーリー展開自体は脈絡を欠いていますし、ただただ凄惨な映像が続くだけなので、好みは大きく分かれると思います。ただし映像は迫力があり、また雪景色の中で主人公の女の子が着用している赤いコートが非常に映えており、血生臭い場面もかなり多いですが、どこかそんな血生臭さにも美しさを感じてしまいます。また、殺し合いの末に思い出される過去の温かなシーンは、それまでの凄惨さを吹き飛ばし、不思議と非常にセンチメンタルな気持ちにさせてくれます。

 

そんな「ミスミソウ」を観た後で、映画熱が高まり、遂に「許された子供たち」を観ることにします。Amazonのレンタルがあったので、500円を支払い観させていただきました。

 

 

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許された子供たち

 

※ここからは「許された子供たち」のネタバレを含みます。

この章の副題にも入れた通り、この「許された子供たち」がめちゃくちゃ面白かったです。Amazonのレビューでは「胸糞悪い」と評価されていましたが、私はとても面白く感じました。少なくともグロテスクさで言えば「ミスミソウ」の方が圧倒的でしたし、そういう意味では「ミスミソウ」を先に観ておいて良かったとも思いました。

「許された子供たち」は少年犯罪がテーマになっており、序盤で同級生殺しがあり、その犯人のその後がメインで描かれます。この映画を観るにあたって気をつけなければならないのは、決して「成長」や「気づき」、そして「答え」のようなものを求めてはいけないということです。同じ少年犯罪ものでも、私は「それでも、生きてゆく」というドラマが大好きなのですが、こちらはハートウォームなところもありつつ、繊細かつ強烈な苦悩の様子を楽しむことができます。しかし、この「許された子供たち」はどのシーンをとっても「悪」しか描かれないので、胸糞が悪いです。

ミスミソウ」を同級生が限界集落で殺し合うファンタジーとするならば、この「許された子供たち」はドキュメンタリーと呼べるかもしれません。主人公は小学生時代にイジメを受けた過去があり、左目の下には大きな切り傷があります。そんな彼が中学生になると不良少年となり、仲間を引き連れてイジメを行い、あるとき一線を越えてひと気のない河川敷でイジメていた同級生を割り箸で作ったボーガンで殺してしまいます。

最初、少年たちは仲間の自供などもあり、殺人を自白してしまいます。しかし、その後偶然にも決定的な証拠が出ることが無く、弁護士の手によって少年たちは供述をひっくり返し、「疑わしきは罰せず」と割り切った裁判官から無罪を勝ち取ってしまいます。晴れて不処分となった少年たちはまた元の日常に戻ったかのように思われますが、被害者の両親がメディアに出て事件がさらに世間の注目を集めるようになると、犯人の家族は世間の手によって抹殺されていきます。この世間の悲惨な野次馬精神がまたかなり胸糞悪く描かれています。冷やかし半分、独善的かつ横暴な正義感が半分。とにかく世間の酷さがリアルに描かれています。

主人公家族は引っ越しを繰り返すような生活に追い込まれます。最初は色々と面倒を見てくれた弁護士も役目を終えると消えてしまい、新しい暮らしの中で主人公家族も次第に追い込まれていきます。母親は過保護に息子が「殺してない」と言い張り、甘やかし、父親はそんな母親に愛想をつかし、いつしか逃げていってしまいます。

そんな中で主人公の少年も新しい学校で過去がバレてしまい、同級生の手によってまた新しい住所もネット上に晒されることになります。学校では主人公とは別にある少女がイジメの被害にあっており、少年と少女は奇妙な絆によって惹かれ合っていきます。もうこの新しい学校のシーンもかなり胸糞悪いです。少女に対するイジメも酷いものですし、そのイジメについてクラスでグループ討論が行われているシーンも酷いものでした。少年の過去が暴かれるシーンも、「法が裁かないなら僕が裁く」とクラスに宣言して悦に浸る生徒や、それをはやし立てるクラスメイトがとにかく気色悪く描かれています。教師はそれを制止しようとしますが、女生徒がその男性教師を取り囲み、「触られた~」などと言って妨害する場面も描かれています。教師は教師はそんな妨害にすぐに屈服してしまっているので本当に酷いものです。

犯人の少年とイジメられていた少女は距離を近づけ、それによりそれまで無感情に暮らしていた少年にも少しずつ感情が蘇ってきます。

そしてクライマックスへ。

少年は夜中に母親を置いて家を抜け出し、少女を呼びつけると一緒に被害者の家へと向かいます。最初にかつての自分の家に寄るのですが、家は「殺人鬼の家」として酷い有様です。その足で次は被害者の家に向かうのですが、被害者の家にも「ゼニゲバ」というような落書きがされていたり、こちらも同様に酷い有様でした。

少年は何とか被害者の墓前で手を合わせることができたものの、被害者の母親に「あなたは何を謝りたいの?まだわかってないんでしょ。自分の罪と向き合いなさい」と言われます。そうなのです。少年は被害者の幻影に苦しみ、その苦しみから逃れるために被害者宅に訪れたのですが、決して罪と向き合って何かを反省しているというわけではないのです。自分の母親には「お前はやっていないんだから」と言われ続け、世間からは「死んで詫びろ」と言われ続け、罪を認めることも、当然償うこともできずにいたのです。

そして、被害者宅から追い返された少年は少女を連れて、殺害現場を訪れます。

タイミングが良いのか悪いのか、一緒に殺しの現場にいた少年グループの中でも格が下に扱われていた少年がそこでは手を合わせていました。主人公の少年は彼に向って「偽善者気取りが」と言い放ちますが、彼は「僕にもう少し勇気があれば一緒に14歳になれたんだ。そしてきっと友達になれた」と返します。主人公の少年は彼が持って来た花束を投げ捨てますが、彼は川の中へと躊躇いもなく入っていき、花束を手に戻ってきます。彼の行動に犯人の少年は苛立ちを感じ、その場を後にします。

相変わらず一緒にいる少女からは「何に怒っているの?」と聞かれても、「うっせぇ」としか返すことができません。そんなところで、今度はまた少年グループの別の2人と出会います。彼らはまたかつてのように別のクラスメイトをイジメていました。しかも、彼らはオモチャのボーガンでその相手を脅しているのです。主人公の少年は、1年前に割り箸で作ったボーガンで殺したことを想起し、何も言わずに彼らに殴りかかります。ボコボコに殴りまくり、少女に「死んじゃう!」と止められるまで殴り続けます。

止まった瞬間に2人のうちの1人に後ろから蹴り飛ばされ、その間に彼らは逃げようとしますが、少年はオモチャのボーガンを拾い、かつてのように彼らに狙いを定めます。少年が引き金を引く寸前で少女が間に入り、矢の軌道はずれ、彼女の頬を掠めると背後の木箱に突き刺さりました。

2人の少年は逃げていき、主人公の少年は少女を突き飛ばすとそのまま河川敷へと消えていきます。

そして、ここからおよそ4分に渡ってセリフも無く、河川敷で1人で暴れ狂う少年の様子が音楽とともに映し出されます。このシーンは本当にカッコいいです。とにかく撮り方が凄いです。消えた息子を探す母親もまた同時に映し出されるのですが、早送りを使ったり、逆にスーパースローカメラを使ったり、ドローンによる撮影もあったり、少年が転ぶのに合わせて手持ちカメラもぐるぐると回転したり、とにかくありとあらゆる手法が使われています。中でもボーガンにカメラをつけて、少年がボーガンを振り回すのに合わせて景色を映し出す絵は、「ミスミソウ」でも取り入れられていた手法でオリジナリティを感じました。

ここまであまり書いてきませんでしたが、この胸糞悪い映画の中でも特筆して凄いのは、その撮り方だと思います。一昔前の映画では御法度のカメラ目線なども効果的に取り入れられており、登場人物の目線となって映し出される映像は確実にフィクションではありながらも、存分なリアル感を出しています。

その後も少しだけ話は続くのですが、ラストシーンでは母親と少年がカフェで楽しそうに会話をし、少年は離れた席の赤ちゃんに笑顔で手を振ったりします。そのまま2人は新しい家へと帰っていくのですが、坂道を登りながら母親と少年は1本の煙草を分かち合い、特に反省の色なども見せずにのうのうと歩いていました。

何と言うか、全体を通して、本当にこの世界は最悪だなと思わされます。少年の理由のない非行や殺人から始まり、利己的な弁護士や裁判官、そして独善的な世間の反応全てに憤りを感じさせられます。母親は過保護に「息子はやっていない」と言い張り、息子は家族に対しても自分がやったとは言うことができません。父親は逃げ回ることに疲れ、母親の過保護にも愛想を尽かして逃げ出します。少年が転校した先のクラスメイトはイジメをしており、クラス委員の2人もそれを黙認している始末。そのクラス委員の2人はあろうことか、少年の過去を掘り起こし、それをクラス会でばらし、ネットにまで拡散してヒーロー気取りです。被害者の親は少年たちが不処分となったにも関わらず、民事訴訟を起こすとメディアの前で宣言し、メディアはそれに火をつけて、両家は野次馬たちの手によってボロボロにされていきます。少年の母親は対抗馬として、「突然、我が子が殺人鬼にされた」という連載を始めてしまいます。少年は少年で路地のゴミ袋を蹴とばし、たまたますれ違ったサラリーマン相手にぶつけたりしています。廃墟で煙草を吸い、かつてそれで同級生を殺した割り箸ボーガンを作ったりもしています。

この作品の中で唯一の救いは、イジメられていた少女が少年の味方になってくれたことです。彼女もまた「全員殺したくなる」と考えるような子ではありましたが、少なくとも少年に寄り添うことができ、彼の事を思い、「被害者の両親に謝りに行ったら、その苦しさから逃れられるんじゃない?」とアドバイスしてくれたりしました。少年も彼女にだけは自分が殺したことを打ち明けています。しかし、最後のシーンでは少女は少年の引っ越し先も知らず、頬には少年の放ったボーガンでつけられた傷が残り、1人で思い出の廃墟で煙草を吸っていました。

映像(特にカメラワーク)の素晴らしさは言った通りですが、映像に文字を被せる編集も素敵でした。とにかく撮り方が新鮮なので映像を観ているだけでもかなり楽しむことができると思います。

が、特に面白いと思ったのは、全体的に無感情で冷血のように描かれている主人公の少年の気持ちが、じわじわと伝わってくることですね。彼は結局のところ「反省」や「贖罪」というところまでは達していないのですが、しかし「罪」に苦しんでいることは確かです。被害者宅を訪問するシーンでは、とにかく苦しみから逃れたいという気持ちが伝わってきますし、訪問後に殺人現場で手を合わせるかつての仲間に激昂するシーンもとても印象的です。うまく救われかけているかつての仲間を恨めしく思いつつ、そうはなれない自分に憤りを感じているのです。その後に出会う、未だにイジメを続けている仲間の中にはかつての自分を見出して、また激昂してしまいます。最後にはどこにぶつければ良いかわからない怒りを吐き出すように、1人で暴れ狂います。

自己否定と社会への怒りというのは、まさに私が感じている(感じていた)ことですし、主人公の少年のやり場のないフラストレーションにはかなり共感できる部分がありました。まぁ、私は殺人までは犯したことはないのですけれど。

と、そんな感じで、ここしばらくの間に観た映画の中では抜群に面白かったです。

面白くて翌日にもまた見返した次第です。

オススメできるような内容ではありませんが、私はとても面白いと思いました。改めて出会わせてくれた、とろサーモンの久保田さんには感謝です。

 

朝に書き始めたこの記事を書き終えたのは何だかんだと夜になってしまいました。いつもならとっくに風呂上がりで、リラックスタイムに入っている時間ですね。本日の行動についてはまた次回記事にて。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com