霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.25

適応障害と診断されて33日目(11月16日)の夜にこの記事を書いています。前回投降してから少し間が空きましたかね。

 

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1.適応障害と診断されて31日目・続~心療~

3回目の診療では、主に会社の手続き関係についてお医者様とお話しました。

まずは診断書についてですが、こちらは会社の方と相談しておいた通り、診察日の「11月14日から1月31日まで休養を要する」ということで出していただきました。1か月前に実家近くの心療内科から「10月15日から1か月」ということで診断書を書いておいてもらっていましたので、それと組み合わせることで、ぎりぎり連続してお休みを頂けることになります。また、私の傷病休暇の開始日については、11月9日からということで、上司には既に整理をつけていただいておりました。これは実際に私が会社の方に、「きちんと休みを頂きたい」と頭を下げに行った日になります。というわけで、「10月15日から1か月」と「11月14日から1月31日」の診断書を合わせることで、上手いこと「11月9日」からの傷病休暇を申請できるようになったわけです。

次に、傷病手当金に関してですが、こちらは傷病休暇の開始日から月単位での清算になります。つまり、傷病で休んでいるときにのとりあえずの補償金みたいなもので、これについてもお医者様からの一筆が必要になります。しかし、こちらは11月末までの手当金を申請する書類になるので、12月に入らないと一筆頂けないということで、先送りになりました。まぁ、当然と言えば当然ですが、お医者様も事情はよく知っているようで、むしろお医者様の方から色々と教えていただきました。

それらまずは事務的なことを話したのち、病状についてご報告。とりあえず1週間しっかりと会社を休んで実家で静養していたときには、適応障害の症状が出なかったことをお話ししました。これについてはお医者様も安心されているようでした。やはり、まずは症状を治めるところが治療のスタートになりますからね。復帰に向けて自分に負荷をかけていたことを私は後悔していませんが、お医者様としては「やっと治療できるか」という感じだったかもしれません。1日起きていられない日があるということについて相談すると、「眠い時には寝ても良い。それも含め治療・回復なんだから」ということを言っていただきました。「まだ治っていないんだから、刺激を受ければ、必要以上に疲れる。薬の副作用もあるし、眠たくなるのは当たり前」ということです。

そんな感じで3回目の診療が終わりました。お医者様に「休んでていい。むしろ、休んでくれ」という感じでお言葉を頂けるのは、私としても嬉しいことです。しっかり休んで、治そうという気持ちになります。

ちなみに、「診断書」を書いてもらうと、ちょっとしたお金になります。

 

2.適応障害と診断されて31日目・続~暇つぶしの1人カラオケ~

お医者様からは「なるべく刺激は避けるように。気分転換に家を出るのも良いけど、騒いだりはしない方がいい」とのアドバイスを受けていましたが、この日は夕方から会社の実習同期とお酒を飲む予定が

ありました。お昼ごろに診療も終わって私は都会に放り出されたわけですが、前回の記事にも書いた通り、少しだけ気分も滅入っているため寮に帰りたいという気持ちも湧いてきません。

仕方が無いので、ぶらぶらと街を歩き、昼飯を食べる場所を探しました。コロナ禍ではありますが、街はそれなりに賑わっていました。色々なお店の前を通り過ぎ、「いま自分は何が食べたいんだろう?」と考えながら歩き回ります。でも、当然1人で入れるお店ですからね。結局、節系のラーメン屋の香りに誘われてしまいました。初めて行くお店でしたが、空いている割にかなり美味い。また来ても良いかな、という思うほどでした。

しかし、お昼を食べ終わったところで、まだまだ飲みまでの時間は余っています。このまま散歩し続けるのもなぁ…と思っていたところに学生時代にお世話になっていた系列のカラオケ店が。終電後の夜も明かせるし、ストレスの発散にもなりますが、社会人になってからというもの、カラオケなんてめっきり行かなくなっていました。お医者様からは「あまり刺激を受けないように」と言われていたものの、懐かしさもありつつ、現実的に飲みまでの時間つぶしとしては丁度良かったので、ついつい暖簾を潜ってしまいました。疲れたら昼寝してても良いし、本もあるし。でも、結局、夕方までの3時間をぶっ続けで熱唱してしまいました。3時間1人でアイドル楽曲ばっかり歌っているので、まぁ、かなりヤバい奴だと思いますが、精神病患者なんで仕方ないですよね。

そんなこんなで飲みまでの時間を稼ぎ、喉はガラガラ、体はヘトヘトの状態でお会計を済ませ、待ち合わせの駅まで移動します。

 

3.適応障害と診断されて31日目・続~同期と飲み~

電車で爆睡し、寝起きで酷い倦怠感の中で同期に会います。本当は3人で飲む予定だったところが、1人別件で来られなくなり、サシで飲むことになります。1件目は洒落たイタリアン・スペイン料理店で。サングリアとスパークリングワインで乾杯し、サラダ、アヒージョ、マルゲリータを食します。グラスワインをさっと3杯程度飲んだ後で、今度は気になっていたウイスキーバーへ。同期はあまりウイスキーに詳しくなく、私もまだ初心者なので、マスターに勧められるまま注文をします。アイラモルトの説明を受けて、たしか私はキルホーマンのロック、カリラのボトラーズのストレート、それからボウモアの少し古めのロックを頂きました。詳しいことは私もよくわかりませんが、キルホーマンのロックは私には少し甘く、カリラのストレートは美味しいもののストレートなのでやや重く、ボウモアのロックはバランスが良いもののちょっと物足りない、という感じでした。少しずつ勉強ですね。良い勉強料を支払い、3件目へ。ここにはもともと来てくれる予定だった同期が、予定を終わらせて合流してくれました。カプレーゼとチーズをつまみに、3人で赤ワインのボトルを2本開け、閉店ということで店を出ます。しかし、もうちょっと話そうということになって、4件目へ。遅れて合流した同期も別のところで飲んでいたらしいので、さすがに疲れて4件目は安居酒屋へ。私はビール2杯で締め、3人ともぐでんぐでんに酔っ払い、終電も無いのでそのままカラオケへなだれ込みました。1日で2回もカラオケに行くとは。いや、日付が変わってるから、リセットだ。久しぶりにそんな大学生みたいなことをしました。

朝の3時半まで歌いまくり、同期2人は就寝。私はandymoriを何曲か歌って、疲れたので、1人でドリンクバーとトイレに通い詰めて、酔い覚ましをしていました。途中、可愛い酔っ払った女の子に「カウンターってどこですか?」と聞かれ、となりのトトロのカンタみたいな無骨な応対しかできず、少し落ち込みます。2人の始発までの1時間を潰すために、鞄から本を取り出すも、生憎そのとき持っていたのはサリンジャーの「シーモア序章」。素面でも難解で読みにくく、捻くれた文章はアルコールに侵された脳の上を上滑りし、全く話の内容が入って来ません。仕方が無いので、このブログにも投降した過去に自分が書いた創作物を読んで、暇をつぶしました。

1時間後、同期の肩を叩いて起こしてやると、2人ともぱっと目を覚まし、「あれ、もう酔い覚めちゃった」と驚愕の言葉を吐いたので私は怖ろしくなりながらも、まだ陽も上っていない都会の静かな朝を3人で笑いながら闊歩します。昼間の暖かいうちからずっと外にいた薄着の私にはこの時間は寒すぎます。

「風邪ひかないでね」

「今日はありがとね」

「病気なのに無理させてごめんね」

「病気で気を使わせてごめんね」

「ゆっくり休めよ」

「自分の分も頑張って働いてくれ」

そんな会話を投げかけ合いながら、私たちは分れます。電車の関係で、最後は夕方からサシで飲んでいる同期と2人になりましたが、そこでも同じように同期は優しい言葉をいくつもかけてくれました。

彼らと別れてしまうと、急に私の適応障害の症状が悪化してきます。外にいることに耐えられなくなって、日曜日の早朝の住宅街を泣きそうになりながら駅から寮まで走って帰りました。いや、あれは適応障害の症状というよりかは、酔っ払っていただけかもしれませんね。

寮の部屋に戻り、マスクやら何やらをかなぐり捨てて就寝。

昼前、上司からの電話で目を覚まします。

 

4.適応障害と診断されて32日目~上司との面談~

完全な寝不足、二日酔いの中で上司からの電話を取り、昼の2時から寮の近くのカフェで面談することになりました。日曜の昼で、上司も仕事が休みなのに本当にありがたいです。車で寮まで迎えに来てもらうわ、コーヒーまでご馳走になるわ、こっちは休暇頂いているのに二日酔いだわで本当に申し訳なくなります。

が、こっちはこっちで二日酔いの体調の悪さが、昨晩薬を飲んでいない体に拍車をかけて、あの嫌な症状としてのソワソワ感が背中の辺りに貼り付いているのを感じます。何とかそれを振り切り、上司との面談に臨みました。

今回も大した話をしたわけじゃありません。単純に診断書をお渡しし、お医者様の言葉を伝言リレーするだけです。しかし、上司もかなり気を使って、ゆっくり治療に専念してくれればいいからと言ってくれました。優しさが身に染みるんですけれど、正直私は私で適応障害の症状が出始めていたので(完全に自業自得ですが)、何を話したかあまり覚えていません。でも、このブログを書いているおかげで、わりとすらすらと言葉は出てきます。

まぁ、ただそのようにして、いつも私がこの場で書いていることを会社向けに編集したことを報告し、上司からはゆっくり休んでもらって良いという言葉をかけていただけたのは良かったです。しかも、帰りはまた寮まで送っていただきました。本当にその上司には足を向けて寝ることができません。

 

この日、私は実家にもう帰るつもりでしたが、適応障害の症状で不安感が出始めていたので、大事を取って1日寮で静養していることにしました。二日酔いと寝不足だったので、動きたくないというのもありましたが。

 

昼間たくさん寝たせいで夜はなかなか寝付けず。「天空の城ラピュタ」のテーマ曲である「君をのせて」のギター練習をしているうちに、0時を回ってしまいました。そして、ジブリの音楽を聴きながら眠りにつきます。

 

5.適応障害と診断されて33日目~実家へ帰省~

昨日は上司と1時間話して、あとは基本寝ていただけで、薬もちゃんと飲んでいたんですが、この日は朝起きたときからまだ疲れが取れていませんでした。ここでようやくお医者様の「なるべく騒いだりせず、安静にね」という言葉が思い出されます。なるほど。こんなにも疲れが残ってしまうのね。

結局、午前中の間は何もする気が起きず、だらだらとニコニコ動画を観たりして時間を潰していました。でも、この日は実家に帰ろうと決めていたので、ようやく重い腰を上げてシャワーを浴び、荷物をまとめ、寮を出ます。

電車と新幹線では、疲れているのに一睡もできず、仕方が無いのでずっと適当なお笑い動画を観て時間を潰していました。(違法アップロードなんであまり良くないですが)蛙亭関連の動画とダウンタウンなうでの小池栄子の立ち回りにいたく感動致しました。特に、ゴッドタンのネタギリッシュで披露された「紫陽花」という蛙亭のコントがめちゃくちゃ面白かったですね。

実家に着いてからは、疲れが出たのか子猫を愛でつつ少し昼寝。美味くて健康的な夕食を終え、東京で買って来たお土産を家族と食べます。そしてテレビをだらだらと見ているうちに、すっかり遅い時間になってしまいました。

金曜日に届いていた前職場の先輩にもようやくメールを返した後で、この記事を書いている次第です。

 

今回もまた例によってまとまりのない文章となってしまいましたが、とりあえずそんな数日間だったことをここに記録として残します。

「オドぜひ」に出ていた塩作り職人とバナナジュース職人のお話がとても面白かったです。私にも何かそういう夢中になれるものがあればいいなぁ、と思いましたね。昔はサッカーボールと会話ができていたはずなんだけどなぁ……あの頃は朝の8時から夜の8時までサッカーをしていました。本当に遠い昔のことです。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.24

適応障害と診断されて31日目(11月14日)の朝起きてすぐ、この記事を書いています。先月、10月14日から私は会社を休んでおり、の10月15日に適応障害と診断されました。1か月記念日みたいなものですね。今日をイブとした方が良いんですかね?

※また例によって、特に何もしていないので、ただの日記と化しています。あしからず。

 

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ちょっと時系列が前後しますが、まずは忘れないうちに夢日記をつけます。

 

1.夢日記

私は酷い二日酔いの中、簡素なホテルの1室で目を覚まします。カーテンは僅かに開けられていて、そこからは新鮮な朝の光が射し込んでいて、備え付けのテーブルやらくしゃくしゃになったシーツを照らし、嫌に明瞭にその陰影を描き出しています。

同じ部屋ではたしか高校の頃の同級生が2人眠っていました。が、彼らは既に起きて、部屋を出る準備をしています。彼らは私が精神疾患によって、会社を休んでいることを知っていましたが、昨晩一緒に楽しく飲んでいたせいもあって、私だけ今日も会社を休めることを少し妬ましく思っていることが私にはわかります。仮に精神疾患でなくても、これだけ二日酔いが酷ければ、会社になんて行きたいと思えるはずもありません。私は自らが精神疾患で良かったとさえ思っているのですから、それが彼らに透けて見えてしまったのでしょう。

彼らは急いで会社に行く支度を始めます。対して私はもう休職中の身だし、ましてや職場から遠く離れてこっちまで来ているわけですから、もし正規の時刻に出社しようと思っても、絶対に間に合いません。

2人はやはり「お前はいいよな」と言いたそうな顔で、二日酔いの苦しみの中でさっさと準備を終わらせてしまうと、部屋を出ていきました。「あとは任せるな」とだけ言って。

私は彼らが行ってしまうと、少しほっとしてベッドの端に腰を下ろします。自分だけゆっくりとしていることに対する罪悪感。でも、仕方ないんだ。精神疾患なんだもの。と自分で自分の言い訳をしてやります。つい昨日読み終えたばかりの「ノルウェイの森」で永沢さんが言っていた「自分に同情するのは下劣な人間のすることだ」という言葉が思い出され、僕は悲しくなります。悲しいので僕はもう1度寝ようと思うわけですが、何となく彼らがこの部屋に帰って来るような気配を感じます。そこで私は荷物の整理や、朝の支度をしているフリをしています。二日酔いで精神疾患だけど、別にサボっているわけじゃないんだということを見せつけるために。

案の定、彼らは何か忘れ物をしたのか、部屋に戻ってきます。私は何でもないようなフリを続けながら、彼らが忘れていったものを一緒に探してやろうとします。が、彼らは私の協力なしで、あっという間に自分の目的の物を見つけてさっさと行ってしまいます。私はほっと安堵の息をつきます。しかし、再び、彼らが戻って来る気配がします……そんなことが永遠と繰り返されます。

 

場面はまったく変わり、突如として私は鮮やかな自然に囲まれた場所にいます(明確に描写することはできますが、あまりに私の会社の業務を特定するような場所になるので、かなりぼやかしながら書いていきます)。古い橋があり、その下を真っ青な川の水が流れています。空気はひんやりと冷たいものの、陽射しは暖かく、紅葉の狭間にいる木々たちはキラキラと色とりどりに輝いて見えます。朝露はそういった世界の絵具を身に反映させて、生まれたての命そのもののようにさえ見えます。

そこで私はなぜここにいるのか、前の職場の上司から説明を受けます。「〇〇っていう調査の最中なんだよ」と上司は言います。そして、上司を含めた私が仲良くしていた数人が近くにいますが、ずっと遠くには私たちがちょっと煙たがっていた先輩社員がいます。その先輩社員も相当に偉い人です。私の上司の方が役職は僅かに上であるものの、会社には先に入社しているため、そこにはちょっとややこしい「ねじれ」がありました。上司は「なんか急にあいつが張り切っちゃってさ。それで、こうして全員で来てるんだよ」と私にさらに説明をしてくれます。

「こんな面倒なことさっさと終わらせたいですね」

「俺らに必要な調査だけしてさ、あとはあいつの好きなようにさせておこう」

上司と私は笑い合います。上司は決して私が「病気療養中」であることには触れません。しかし、彼はそれを知っていますし、本来ならば私がここにいるべきでないことも知っています。なぜなら私は既に別の職場の人間で、そこで休みを貰っているからです。働けるなら正式な職場で働くべきですし、働かないなら家で療養してるべきです。しかし、上司はそこには触れることなく、私がそこにいることを許してくれているのです。

美しく色づいた自然の中で、私は上司の優しさに打ちひしがれます。

 

と、そんな夢でした。夜中、ちょっと目が覚めたような気がします。そのとき、私の足の辺りでは、2匹の猫がじゃれ合うあの感触がありました。そして、朝起きたとき、私はいま自分がどこにいるのか上手くつかめませんでした。カーテンの隙間からの光の差し込み方が、実家の自室のそれとは違うので、一瞬の混乱がありました。

昨日の夜はなかなか寝付けませんでした。それについては、また次の章で書きましょう。

とりあえず、これが忘れないうちに書き留めておきたかった夢日記です。

 

2.適応障害と診断されて30日目~東京へ一時帰還~

前日、遅くまで「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」という村上春樹の短編集の感想記事を書いていたので、起きるのが少し遅くなりました。起きたときにはすでに父も妹も家を出ていました。怠惰な生活に少しだけ罪悪感。

朝食を食べ、テレビの騒音を避けるようにイヤホンをして本を読んでいると、母が「マイナンバーカード作りに行きたいんだけど」と話を持ち掛けてきます。私としても何かすることが欲しかったので、よろこんで送迎の役割に立候補します。2匹の猫たちは押し黙ったままですし、この教室では私が立候補するよりほかないという背後要因もありましたけれどね。

シャワーを浴びて、身支度を整え、街の中心地へと車を走らせます。平日の昼間ということもあって、そんなに道は混んでいませんが、さすがに中心街の付近は信号も多いし、車線もごちゃごちゃしているし、走り慣れていない私は母の指示にしたがって、あっちからこっちへとめちゃくちゃに車線変更をしています。ようやく目的地に辿り着き、そこで母を降ろし、私は適当にその辺をドライブしました。それにしても市街地のドライブほど楽しくないものもありませんね。マイナンバーカードの発行手続きなんてどれくらい時間がかかるかわかりませんから、あまり遠くに行くこともできず、その辺をぐるぐるしていましたが、5分くらいで飽きてしまい、結局コンビニに車を停めました。

申し訳ないねぇ、と思いながらもコンビニで漫画を立ち読みして、トイレを借り、130円のコーヒーミルクを購入して車内に戻ります。Spangle Call Lille Lineの楽曲を聴きながら、「ノルウェイの森」の続きを読んでいるうちに、割と早めに母から終了の連絡が入ります。私はご自慢の自作の栞をページに挟み、車を走らせます。

母をピックアップするともう昼前だったので、母の提案で前にテレビで取り上げられていたというお店へ向かいます。「休日なんてとてもじゃないけど入れないくらい混んでいるのよ」と母は言います。まぁ、全国ネットで取り上げられた地方の店なんてどこもそうなるんだろうなぁ、と思います。「平日なら大丈夫だと思うんだけど」と母は少し自信なさそうに言います。そして、そのせいか道案内を失敗し、私たちは変なところへ迷い込んでしまいます。普段だったら絶対に行かないようなところで、そのどん詰まりにある施設は私が成人式で行ったところです。

成人式にはあまり良い思い出がありません。宣伝ではありませんが、成人式のときに感じた私の漠然とした鬱屈とした想いは「茫洋」という創作物の中に書き入れているので、よろしければそちらをご覧いただければと思います。

 

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3つの記事に分けていますが、かなり短いです。

そして、そんな創作物の中で感じていたようなことを少し思い出しますが、その鬱屈した想いと、見事な秋晴れが綯い交ぜになって、得も言えない空虚な気分にさせられました。

昼食に訪れたところはとても混んでいて、1~2時間待ちではないかという感じだったので、諦めて近くの市場でお弁当を買って帰りました。お店にはちょっと悪いですが、予約を生かしたままにして、家でだらだらと昼飯を食べ、ゆっくりしていると、本当に2時間弱くらいの時間が経った後で電話がかかってきました。あまりにも繁盛しているからでしょう。もはやその電話連絡すら、自動音声システムが導入されていました。そのことに母はいたく感動したようで、「ね、すごい繁盛しているでしょ」とまるで自分の店かのように誇らしげです。

昼食後、私はとにかく集中して、村上春樹の短編集の感想記事を書き上げました。3時間くらいノンストップです。それでも思ったより時間がかかりました。

 

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翌日の午前中には東京での診療があるため、早く東京行の新幹線に乗らなければなりません。しかし、どうしても書き上げてしまいたかったので、何本か新幹線を見送ることになりました。おかげさまで、どうにかこうにか感想記事を書き上げ、急いで東京に戻る準備を始めます。

駅までは母が送ってくれました。もう大学生の頃からそうなのですが、実家を離れる時の私は本当に子どものようにナイーヴで、気持ちが滅入ってしまうのです。母は何とか元気づけようと色々な言葉をかけてくれるのですが、それらもちゃんと受け止めることができず、「うん」とか「まぁ」とか声が出せれば良い方で、ほとんど無視しながら外の景色を眺めていました。ごめんなさい。

「がんばりなさい」とか「楽しいこともあるわよ」とか、「みんな嫌々働いているけど、でもなんだかんだ言って、働くっていいものよ」とか「がんばって働いてお金をもらって、自分の好きなことをする」とかそういう言葉をかけてくれるのですが、実家を離れる時の私はもう本当にダメダメなんです。自分の創作物の中で結局は死んでしまう登場人物のように、生きることそのものに気力が持てないのです。でも、母に向かってそんなこと言えません。「楽しいことってなに?」、「好きなことってなに?」、「希望ってなに?」。「そんなことよりも、もう疲れたし、飽きたし、生きていても苦痛が続くだけ。なんでそんなわかり切っている未来のために生きていかなきゃいけないのか、ってことを言っているんだよ」。そんな言葉が喉元まで上がってきているので、私には黙っているよりほかないのです。

私の根本にはそういう自分がいますし、少なからず人間みんなそういう部分はあると思います。でも、下劣に自分に同情するのであれば、私はどうしてもそういう自分を抑え込めない時がたくさんあります。普通に楽しく暮らしているはずでも、ふと美しい夕焼けを見たり、静かな雨降りを眺めたりすると、そんな気持ちが脳裏を掠めます。そして、その残像のようなものが体に染み入り、目に見えるものすべてを美しく彩る代償に、「消えてしまいたい」という強い想いをもたらしてくるのです。そんな自分の弱さを宥めるために、私はたぶん愚にもつかない創作物を書いています。そういう自分をフィクショナルなものに置き換えていかないことには、とてもじゃないですけれど私は生きていくことができません。そんな風に私は思っています。そして、こんな適応障害なんてものに罹ってしまってから、そのことをよく考えるようになりました。生きることは苦しみと付き合っていくことで、そんな苦しみと唯一できる共同作業は「何かを書く」ということだけです。その等式を逆から読めば、「何かを書くために生きている」ということになるのでしょう。

自分が書くものが他者から評価されるとか、お金になるとか、そういうことではないのです。それは自己療養でしかないし、言わば排泄物みたいなものです。腸やら膀胱やらが破裂する前に、適切に排泄していかなければそれは致命傷になります。それはもはや持病のようなものでしょうし、そんなものを抱えて生きていくということにはもうウンザリなんですよね……

と、少し後ろ向きなことばかり書き連ねてしまいました。

もはや日記でもなんでもなくなりました。何を書いていたんでしたっけ? そうか、東京に戻るときの気分の滅入り様を説明したかったんですね。まぁ、とりあえずそんな気持ちを抱えながら、新幹線に私は乗っているわけです。

寮に戻ってからは、食堂で夕食を食べ、薬を飲んで、「ノルウェイの森」を最後まで読みました。色々と思うことはありましたが、もしそれを書くことがあるとすれば、それはきちんとした機会を設けましょう。ただ、一言だけ言うのであれば、やっぱり面白かったし、今の私が読むべき小説だったと思います。さて、次に読む小説は何にしましょう。それが問題です。

久しぶりに寮に戻って来たからか、神経が高ぶってなかなか寝付けませんでした。疲れているのに眠れないのは本当に辛いことです。それでも何とか1時過ぎには眠りにつくことができたようです。そう言えば、五十肩のあの湿布の匂いが懐かしく感じられました。あの匂いが私の眠りには良いみたいです。睡眠導入の合図になる何らかの「匂い」っていうのが必要なのかもしれませんね。アロマでも買ってみますかね。

 

3.適応障害と診断されて31日目~病院に行くまで~

今日は病院の診察。傷病手当金を貰うための書類に一筆頂いて来るという任務があります。これからもう1度書類を見直して自分が記入すべきところを埋めなくては。でも、その前にシャワーを浴びたい……と思ったら、いま別の人がシャワールームを使っているようです。仕方が無いので、書類を開く気にもなれない私はこうしてブログの記事を書いています。なんだか今日は既に疲れてしまいましたね。こんなんで本当に仕事に復帰できるんでしょうか???

不安もそうですが、なんか色々なものがどうでもよくなっていってしまいますね。またくだらない記事を書いてしまったという気がしますし。

視線を少し左に逸らすと、伊勢鈴蘭ちゃんが笑っています。まぁ、これだけでも寮に戻って来た甲斐があるか。

 

次回

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村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」感想~目に見えないものと宿命~

村上春樹の短編集「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」を読んだので、その感想を書いていきます。

 

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蛍・納屋を焼く・その他の短編集

 

はっきり言ってしまえば、私はほとんど村上春樹さんの小説しか読んでいないと言えるくらいには、村上春樹さんの書く文章が好きです。しかしながら、もともと多読家ではなく、全作品を読んでいるわけではありません。今回感想を書かせていただく、「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」に関しても、いつもの通り、文学部卒の友人から勧められて読んだ次第です。

最近私は適応障害という、まぁ、言わばうつ病のインスタントバージョンみたいな精神疾患にかかり、ちょうど「ノルウェイの森」を読み始めたところでした。精神を病んだ直子の気持ちに今ならより近づけるであろうと思ったからです。そこで、村上春樹さんの中でも映画化され、有名作と言える「ノルウェイの森」とも関係の深い本作にも手を出し、せっかくなのでこれから感想を書かせていただきます。

 

 

1.蛍

最初に書いておきますが、本作はそのまま「ノルウェイの森」の前半のエピソードになっています。

先にあらすじをざっと書いておきましょうかね。

主人公の「僕」は大学進学と同時に寮に入り、そこで生真面目過ぎて変わり者に見えてしまう「同居人」との共同生活を始めます。その寮は細部にわたってリアルに描かれており、なんてことの無いような出来事や寮の様子の描写も瑞々しく、読んでいて楽しい文章が展開されます。

それと並行するように、「僕」はある日「彼女」に出会い、高校時代のことを思い出します。「彼女」と「彼」は交際しており、「彼」は高校生の時に自殺をしています。「僕」と「彼女」は「彼」を失った痛みを抱え、共有しながら、「彼」のいない人生の続きを歩んでいきます。しかしながら、突き詰めれば「僕」と「彼女」は違う人間で、その痛みの意味もまた完全に同じものとは言えません。「僕」には「彼女」と「同居人」がいるけれど、「彼女」には「僕」しかいない。いや、むしろ「僕」すらいないのかもしれません。結局のところ、「彼女」は新しい「彼」のいない人生に馴染めず、「僕」に短い手紙を寄越し、療養所へと消えていってしまいます。

残された「僕」はある日、夏休みの帰省前の準備をする生真面目過ぎる「同居人」から瓶に入った1匹の蛍を貰います。「同居人」は「女の子にあげるといいよ」と言いますが、「僕」のもとにはもう「彼女」はいません。夜、「僕」は1人で寮の屋上に上り、淡い蛍の光の中に古い名も無い記憶を思い出し、そのまま蛍を瓶から出して逃がしてやります。

出来事だけ羅列すればそんなところです。

ちょうど「ノルウェイの森(上)」を読んだばっかりだったので、実はこの「蛍」はちゃんと読んでいないんですよね…ただ、ざっと読んでみて、「ノルウェイの森」と大きく違う点が2つあります。

1つ目は、登場人物に名前が与えられていないことです。「蛍:ノルウェイの森」の順で書くと、「僕:ワタナベ」、「彼女:直子」、「彼:キズキ」、「同居人:突撃隊」という感じになります。短編小説と長編小説では世界のスケールが異なりますが、短編小説というこじんまりとした、まさに瓶の中で淡く光るような世界観では、やはり「僕・彼女・彼・同居人」という人称が適切な気がしますね。

2つ目は、今ちょっと手元に「ノルウェイの森(上)」が無いので間違っていたら大変申し訳ないのですが、彼女(直子)の手紙の内容が割と大きく違います。本作「蛍」の手紙では、彼女が消えゆくような印象が強く、暗闇の中で1つの光の軌跡を残して遠くに飛び去っていく蛍と重なります。「ノルウェイの森」ではこの「蛍」パート以降にも物語が続いていくので、もう少しその後の展開を感じさせるような内容だったように思います。

大きな違いとすればそんなところでしょうか。

 

この「蛍」という作品からはナイーヴな美しさを感じます。核となっているのは「彼」の死です。「彼」の死は、「僕」と「彼女」の人生を冷たい混乱の中に陥れてしまいます。それにより、全体を通して主人公の「僕」によって語られる言葉はどれも冷たい諦観に満ちており、この作品のナイーヴな美しさを引き立てているように思います。様々な意味で不衛生的な社会とその冷たい諦観を繋ぐのは「同居人」です。この「同居人」がいるからこそ、「僕」は死と生活の天秤を自らの中に内在させることができ、結局のところ「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」というような哲学を比較的前向きな考え方で抱えていられるのだと思います。言い換えるのであれば、「僕」は「生という空間に死が点在している」ようなものとして捉えています。

しかし、対する「彼女」の方は、言葉上はおそらく「僕」と同じような哲学を抱えながらも、それはより後ろ向きな考え方で捉えているように思います。「彼女」にとっては「死という空間の中に自らの小さな生が孤立している」ようなものなのかもしれません。「僕」と「彼女」は確かに同じところに端を発する生きることに対する混乱を抱えながらも、ほどよく現実社会の中でその混乱を飼いならすことのできている「僕」と、それができない「彼女」の距離感は最後まで縮まり切ることはありませんでした。久しぶりに再会した時にあった1mの距離は、徐々に縮まり、「彼女」の二十歳の誕生日に「僕」の手は遂に「彼女」を捕まえたかのように思われます。が、「彼女」の混乱は「僕」が思うよりもより深く、遠いところにあり、「僕」の手は「彼女」の残像をかすめ、そのまま「彼女」という光は「僕」のもとから失われてしまいます。

最後のシーンで「同居人」からもらった蛍はまさにその象徴とも言えます。「僕」は1人きりの寮で、様々な失われゆくものの美しさに、さらにその諦観を重ね、世界の温度はまた一回り冷たくなっていきます。それがその夏の夜には、寒さではなく、少しだけ心地良い涼しさに感じられてしまうところが、この作品の1番素敵なところだと思います。

 

2.納屋を焼く

納屋とは何を意味するのか。彼はどうして納屋を焼くのか。不可解な紳士にかどわかされるようにして、僕は次第に納屋のことが頭から離れなくなっていく……と、作品を読んでなくても、これくらいの広告文を書けてしまうような印象的なタイトルですが、実際のところ、この作品を説明するとしたらこんな感じになってしまいそうです。

私はこの作品を読んで、トルーマン・カポーティのダークなテイストの作品に近いものを感じました(「夜の樹」や「夢を売る女」等)。一見して身なりが良く、品が良く、頭の良い紳士からはどこか説明のつかない、得体の知れない「恐怖」を感じます。冒頭に物語を牽引する女のエキセントリックでアバンギャルドな感じはどこか「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーを思い起こさせますしね(これはさすがにこじつけ過ぎ?)。

まだ1回しかちゃんと読んでいないので身勝手なことを書かせていただきますが、序盤に現れる女は、興味深くなかなか面白いことを言うものの、基本的にこの物語においては奇妙な男を物語に登場させるための呼び水としてしか機能していません(最後にもう一度重要な役割を担うようになりますが)。むしろ、彼女が連れてきた男と主人公の僕が2人きりでビールを飲み始め、マリファナを吸い始めたところから、この物語は主題へと移っていきます。それも流れ星のように唐突に。

あまり分析めいたことをする気にはなりませんが、具体的なくせにあまりに多義的な話なので、このモヤモヤを少しは晴らすためにも、ちょっとだけ頭を使ってみましょう。

 

・世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな男に焼かれるのを待っているように男には感じられる。

・焼かれた納屋はまるでそもそもの最初からそんなもの存在しなかったみたいに燃えて消えてしまう。

・だから、納屋なんか焼かれても誰も悲しみやしない。

・男はどの納屋を燃やすか判断なんてしない。男がやっていることはむしろ観察をすることだけだ。

・男曰く、モラリティーというのは同時存在のことであり、人間が存在するためにはモラリティーが必要だ。そして、そのモラリティーこそが、男が納屋を焼く理由である、というような口ぶりをしている。

・僕の家のすぐ近くの納屋を焼いたと男は言うが、 結局どこの納屋が焼かれたのか僕にはわからないままだ。

・女は僕の家の近くの納屋が焼かれたであろう日からそう遠くなく行方がわからない。

 

最初の話に戻りますが、これらのヒントから「納屋が意味するもの」「男が納屋を焼く理由」というのを私たちは想像しなくてはなりません。が、少なくともそれはどうも現段階で私には難しそうに思えます。

まず、上述の情報から察するに、「納屋」というものは「消えたことすら気が付かないようなもの」の暗喩であるように思います。

「燃やす」という行動自体にも非常に様々な意味が含まれそうな気がしますが、そこまでは私には追いきれません。例えば、伊坂幸太郎の「重力ピエロ」では、「燃やす」という行為に「浄化する」という意味を付与していましたが、今回の「納屋を焼く」ではイマイチ「焼く」という行為の副次的な意味合いが打ち出されていません。村上春樹の別の短編「アイロンのある風景」では「たき火」について描かれていますが、あくまで本作に限って言えば、「焼く」という行動の情景的な印象効果はありますが、ただそれだけと捉えていきましょう。重要なのは「納屋が消えてなくなってしまう」ということです。

そして、男は一貫して「納屋を焼く」ということに対する「主体性」のようなものを否定しています。男の口ぶりからするに、納屋は焼かれるべくして焼かれ、自分の存在はあくまでその焼かれる納屋を観察するためにある、という感じです。映画で言うならば「セブン」の「ジョン・ドゥ」の考え方に近い部分があるかもしれません。「自分はあくまで神の意思を実行しているだけだ」という感じです。これに対して、モーガン・フリーマン演じるサマセット刑事は「お前自身が楽しんでいる部分もあるんじゃないか」と鋭い指摘を投げかけます。もし、本作の「納屋を焼く」の男が同じような指摘を受けたとしたら、「確かに私は納屋を焼くことに喜びを見出しています。しかし、むしろ納屋の方が私に焼かれて喜んでいるのですよ。私と納屋はお互いにお互いの求めるものを与え、そしてそれはどこまでも自然の摂理に則った、ごく普通の変わり映えのしない現象に過ぎないんです」というようなことを言ったかもしれません。あくまで、私の憶測ですけれど。

要するに私が言いたいことは、この世界には「消えてなくなるべきもの」があり、男にはその判別がつき、また実際にそれを消す力を持っているということになります。そこには多少の身勝手な快楽主義的な部分があるにせよ、悪意はありません。例えば、妻のいる男性が他の女性と寝ればそれは断罪されますが、男性と女性が寝ること自体はごくありふれた自然現象です。同じように、他人の納屋を焼くことは器物損壊罪などに捉われるでしょうが、男の中では非常に自然な物事として捉えられているようです。

 

男はまた自らが「納屋を焼く」理由について、「雨が降るのと同じようなものだ」という上述の「自然の摂理」的なことを説明しますが、同時に「モラリティー」というこれまた面倒な議題を持ち出してきます。彼の中では「モラリティー=同時存在」ということらしいですが、これについて自分なりに解釈をしてみます。

つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です。 

 と、男は「同時存在」の適応例を挙げています。これは非常に無味乾燥な言葉を使えば「客観性」となるでしょうか。「客観的視点こそがモラリティー=倫理観の根本だ」と言われれば、結構わかりやすくなりますね。カントだったかは「何が道徳的な行いか」という問について、「地球の人間全員がその行動をして破綻しなければ、それは道徳的行為と言える」というようなことを言っていたかと思いますが、この考え方も捉え方によっては「客観性」の結実ですね。自らの主体的な欲に基づくのではなく、自らを俯瞰的に捉え、さらにそれを世界全体へと広げていく。そうやって自らの行動がもたらす結果を多角的に考えることが「モラリティー」というわけです。

しかしながら、あえて男は「客観性」ではなく、「同時存在」という言葉を使っています。「責めるのが僕であり、ゆるすのが僕」という言葉からは、一般的な客観性とはちょっとだけ違った意味合いがあるように私には思えます。「客観性」とは程遠い、「自己完結性」さえ感じますね。そして、男の「モラリティー」はその「自己完結性」をも含んでいるということになります。しかし、上述の通り、男は「自己完結的」でありながらも、多角的な「客観性」を有しています。本来相反するであろう2つの要素を複合し、男は「同時存在」という言葉を用いて、「モラリティー」を説明しています。

頭の出来の悪い私にはなかなかこの相反する2つの要素を1つにまとめ、わかりやすく説明することはできません。それでも何とか例を考えてみましょう。

まず、非常に生活レベルに近い喩えを持ち出すのであれば、10階建てのマンションの5階にあなたが住んでいるとします。あなたは家に帰るとき、エレベーターを用いて5階まで上がってきます。さて、このときあなたは「1階までエレベーターを戻してから部屋に戻りますか?」、それとも「エレベーターは5階に止めたまま部屋に戻りますか?」。5階はちょうど真ん中の階だから、5階に止めたままにしておけば次に誰が使うことになっても待ち時間は平均化されるだろう。いや、よくよく考えて見れば、最も使用頻度の高い階は1階だ。まず、エレベーターを使う場合を考えたとき、人は自分の部屋のある階と1階の往復となる。部屋を出るときは自分の階までエレベーターを呼び寄せるけれど、帰るときは必ず1階を使用する。であれば、1階に戻しておくべきだろう。何せ、外から疲れて帰って来た時に1階にエレベーターが無い、という状況はちょっと腹立たしいものだ。しかし、この際、人間の感情というものは排除して考えよう。あくまで時間とエネルギーの効率を考えよう。そして、仮に5階でなく、8階の住人だったとした場合、8階の住人はどういう選択をすべきか。8階に留めたままにすべきか、5階に送るべきか、1階に送るべきか。これは簡単だ。既に答えが出ているように、階の使用頻度を考えれば1階に送るべきだ。が、ちょっと待て。確かにそれは時間の期待値としては、1番良いのかもしれない。でも、エネルギー的に考えたときに1階に送るのは得策だろうか。8階の住人が家に帰り、8階から1階へと無人のエレベーターを送り返す。次に10階の人間がマンションを出るために10階までエレベーターを呼び戻す。これは非常に効率的ではない。時間的にもエネルギー的にも無駄だ。それは何も10階だけに限った話ではない。6階でも同じような無駄が発生する。というか、そもそもエレベーターは上に移動させる方がエネルギーを食う。上の階のほど位置エネルギー的に高いのだから、せっかく上まで上げたのであれば、わざわざ下にそれを無人で送り返すのはただの無駄でしかない。確かにマンションの住人の時間節約を考えた場合は、1階に戻すのが効果の期待値は高いかもしれないが、地球全体のエネルギー消費で考えた場合、毎回1階に戻すのはエネルギーの無駄でしかない。というか、そもそも無人でエレベーターを動かすこと自体がエネルギーの無駄なのだ。であれば、エレベーターはやはり降りた階で留めておくべきだろう……

さて、かなり長くなってしまいましたが、このように色々と思考し、最も適切と言える選択肢を考えるという行為は非常に多角的で、客観的と言えるでしょう。しかしながら、最終的にどこを着地点とするのか、ということについては基本的に個人の判断になります。もちろん、マンション住人やエネルギー問題の専門家を招いて討論を行い、1つの暫定解を見つけることも可能ですが、さすがにそこまではしません。となれば、あくまで自己完結させるしかありません。自分なりのモラリティーを模索したところで、結局のところ結論は自己完結的に導かれてしまいます。しかし、このような自問自答を行うことで自らの判断基準を見出し、自らにフィットしたモラリティーを人は手に入れることができます。

これが「客観性」と「自己完結性」を内包する1つの具体例ではあります。が、何となく「納屋を焼く男」が言いたいのはこういった問題だけではないように思います。というか、そういう生活レベルの話ではないため、何となく乖離した感じがあります(本質的には同じように私は思いますが)。なので、もう1つ、今度はちょっとだけより抽象的な議論をしてみましょう。

さて。まずこの世界に完全なモラリティーが存在するか、という問題ですが、カントだったかが言うように「全員がその行動をとって世界が破綻しないか?」という考え方は非常に完結でわかりやすいですが、それだけではあまりに厳密性に欠けます。私なんかは「人間が生きている」というだけで世界はだいぶ破綻に向かうように思ってしまいますしね。しかし、この世界を完璧に導くことのできる神がいたとしましょう。そして、その神が「人間はすべて生きなければならない」と導いたとします。結果的に人間は地球の資源を貪り尽くし、この世界を破綻へと向かわせてしまうかもしれません。しかし、それは完全な存在である神が導いた結論であり、故に人間によって破綻した世界こそが神の求める「完璧」なのです。もちろん、破綻した世界の中で人間は死に絶え、神が自ら宣言した「人間はすべて生きなければならない」という命題は達成されず、神は矛盾を抱えてしまいます。が、その矛盾さえも神は内包し、それは神による命題ではなく、ただの「世界を破綻に導き、人間を滅ぼすための欺瞞」でしかない。そんな風に都合よく捉えることも可能になります。

それではそんな全能の神において、客観性というものは存在するか。神には自己完結性しかないように見えます。しかし、神自体がこの世界を内包するため、神の視点こそが客観性そのものとなるわけです。

エレベーターと神の喩えを持ち出しましたが、これらのことから私が言いたいのは、必ずしも「客観性」と「自己完結性」は相容れないという訳ではないということです。この世界の捉え方次第では、客観性を突き詰めていった先にはどうしても自己完結性がありますし、完璧な自己完結性はむしろ客観性を内包します。つまるところ、それは行動規範という名の「モラリティー」として、社会の中に宿るというよりは、むしろ個人の中に宿ることになります。したがって、男が言うように、「モラリティーなしに人間は存在できない」ということになるのでしょう。

 

やや議論がごちゃごちゃしてきましたね。

あちらこちらに自分が同時に存在し、同時に何らかの行為を行う。分身した自己は自己完結的な客観性を持ち、それに根差した行動規範=モラリティーに則って、ただ自然の流れの中で「納屋を焼く」。細分化された自己の責任の範囲を超えたモラリティーという名の大きな流れの中にあっては、男にできることはもはや納屋が焼かれる一部始終をただ観察することだけです。人間を形成する行動規範=モラリティーの獲得には、自己の細分化や同時存在が必要であり、そのようにして作られた強固なモラリティーの流れの中では、もはやそのモラリティーの所有者である自らですら、その行動について何らかの判断をすることすら能わず、ただの傍観者に成り下がる。

そんなようなことが男が納屋を焼く理由となるのでしょう。

 

さて。最後の謎は、「僕」の近くで確かに焼かれた納屋と、女の失踪です。短絡的に考えれば、「1つ納屋を焼く」=「1人の女をこの世界から消す」ということになるのでしょう。しかし、やはりそれでは文学としての広がりがありません。上述の通り、「納屋」とは「消えても気づかれないもの」の象徴であり、それは具体的な事物であったり、儚い記憶であったり、感情や想いといった類のものであるかもしれません。男はそういった古びて、もはや用途のない「納屋」を焼くための象徴です。私たちは普段から様々な不要物を捨て去り、自らのモラリティーに則って消していきます。

自分が生み出した自分という世界において、神であるところの自分は好き勝手に大切な何かを焼いて、消していく。なぜなら、そこには自分を構築するためのモラリティーがあるからです。もし、自らに対するモラリティーが完全に存在しない人間がいるのだとすれば、その人間は何も焼くことはなく、四次元ポケットみたいな無限に広がる納屋を持ち、そこにありとあらゆるものを放り込んでゆく能力を持っている必要があるでしょう。

「女」は実際的に失踪してしまいました。しかし、「僕」は「これまでにも何度かそういうことはあったからね」と軽く考えていました。エキセントリックでアバンギャルドな「女」は確かに「僕」にとって興味深い存在でしたが、その失踪について「僕」は「彼」から言われるまで気づいていませんでしたし、言われてもなお、消えてしまってもなお、「僕」にとってそこまで大きな影響をもたらしてはいません。本当はもっと大切なものだったはずなのに……

 

灯台下暗し、ということわざがありますが、端的に言えばそうなります。近ければ近いほど、その納屋が朽ちていっていることに気付かないものなのかもしれません。そして、その納屋はモラリティーによって焼かれて、すっかりと消えてしまう。消えてしまったことを思うと少しだけ胸が空くような、哀しさが風となって空洞を通り抜けますが、ただそれだけです。

トルーマン・カポーティっぽい、フリーキーで「恐怖」を象徴するような「男」が出て来る話ですが、最終的にはその哀しい冷たさにそっと触れるような実に村上春樹らしい小説かなぁ、とも思いました。

 

3.踊る小人

この短編集の中では、個人的に1番好きな作品かもしれません。端的に言えば、ギタリストのロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」みたいなものでしょうか。夢や欲望を叶えるために、踊りの上手い小人に魂を売り渡すというのが主題で、非常にわかりやすいです。そのわかりやすい主題を、村上春樹らしい突拍子もない世界観の中で、ユーモアたっぷりに描いています。

私の周りには(特に女性に多いですが)村上春樹みたいな起承転結もなく、ある意味ではうじうじだらだらと格好つけながら思い悩んで、一向に話が進まない小説が好きじゃない(もっと言えば、嫌い)という人が多いような気がします。そういうことを言われると、私はいっつも「それがいいんじゃないか。うじうじだらだらと格好つけながら思い悩む以上にこの世で楽しいことなんてないと思うけど」と反論してしまいます。が、この「踊る小人」という短編に限って言えば、村上春樹にしては珍しく、主人公は実に行動的で、思い悩み過ぎて立ち止まったり右往左往したりするということがありません。

それはそれとして。ゾウを作る仕事という突拍子もない設定に、帝国と革命(でも、結局、ゾウ作りにとってはどこが政権を握ろうが大して変わらない)、チャーミングな「小人」というイマジナリーなキャラクターの登場という村上春樹らしい要素は沢山散りばめられています。しかし、上述の通り、主人公が思い悩んで、届かないところに手を伸ばし、結局掴み切れないというような所謂「聖杯伝説」的要素はなく、あくまでこの話は教訓や暗示に満ちた、童話や伝承のようにまとめあげられています。

 

まずはざっとあらすじを。

退屈な日常の中にあって、主人公を含めた「僕」たちは実に人間的な欲望に捉われて生きています。「楽をしたい」、「退屈を紛らわせたい」、「美しい女の子を自分のものにしたい」というものです。中でも、「僕」たちは「美しい女の子を自分のものにしたい」という欲望に夢中です。そんな中、「僕」は夢の中で、実に踊りの上手い小人に出会い、その正体を知りたいと思います。そして、上手い具合にその小人の情報が集まり出し、実はその小人が先の革命で何らかの重大な超能力を発揮したらしいということが明らかになります。

そして、再びその小人が「僕」の夢の中に現れて、ある条件と引き換えに新人の美しい女の子をお前のものにしてやる、と言ってきます。その条件は「僕」が美しい女の子をものにするまで一切口を聞いてはならないというものでした。しかし、小人は怖ろしい幻想を見せて、「僕」に叫び声を上げさせようとしてきます。「僕」はそれになんとか打ち勝ち、見事美しい女の子を自分のものにすることができるわけですが、才覚のない「僕」がそんな美人をものにできたのは小人に憑かれたからだということがバレてしまい、最後は警官隊に追われる身となってしまいます。

そんな最中、小人はまた「僕」に、「逃げたいのならまた力を貸してやろうか」と提案してくるところで話は終わります。

 

ロバート・ジョンソンの「クロスロード伝説」について、ちゃんと話していませんでした。要約すると、あまりにもギターが上手いロバート・ジョンソンはどこぞの交差点(クロスロード)で悪魔と出会い、魂を売る代わりにギターのテクニックを授かったという伝説です。私の知る限り、彼が実際に悪魔に魂を売ったことで、どうなってしまったのかはわかりませんが、本作においては「小人」に魂を売り渡すと、「森の中で未来永劫踊り続ける」ことになるそうです。最初は女の子をものにするという欲望のために、小人の力を借りた「僕」ですが、今は警官隊に追われて生きるか死ぬかの瀬戸際です。ここでまた小人の力を借りるべきか、否か。

 

でも僕にはどちらかを選ぶことなんてできない。 

 

というところで話は終わってしまいますが、そこには「欲」と「業」に関する典型的な教訓がわかりやすく描かれています。

尋常じゃなく上手く踊ることで、様々な人間の心を操ることができる小人。その力を借りてしまう「僕」。そこにはどこか村上春樹自身が「作家」という職に対して考えていることが透けて見えるような気がするのです。

最初は退屈な日常を華やかにするための、どこにでもある至って凡庸な「欲」がスタートにあります。しかし、運が良いのか悪いのか、理由があるのかないのかわかりませんが、なぜか「僕」の夢には踊る小人が出てきて、そしてその不思議な力を貸そうとしてくれます。スパイダーマンに出て来る名言「大いなる力には大いなる責任が伴う」ではありませんが、普通の人が持たないものを、あるとき村上春樹は自分自身の中に発見してしまったのかもしれません。そして、最初はちょっとした好奇心と欲からそれを使ってしまいます。しかし、そこからはもう後戻りはできません。

 

あらゆる物事がそうだとは思いますが、人間はみな自らの生き方にある意味では祝福され、ある意味では呪われ続け、人生を歩んでいきます。私は「作家」ではありませんが、おそらく一生こうやって愚にもつかない文章を書くことで、自分の人生を送っていくでしょうし、それによってメリットもあればデメリットもあります。それは誰しもが同じことと言えますが、スパイダーマンの名言の通り、もし自分の中に常人には無い特別なものがあった場合、もしかしたら本来の自分では選び取らないような人生の選択をしてしまうかもしれません。言わば、能力によって自らの人生を決定づけられてしますのです。まぁ、これも万人に言えることかもしれませんが。

いずれにせよ、この作品の中で描かれている力とそれによる呪縛というのは、実に私好みするテーマですし、何よりも好きなポイントは「進んでも地獄、引くも地獄」という状況で物語が終わっていることです。村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の中で「アカ」という登場人物が主人公である「つくる」に対して、「手の指を切るか、足の指を切るか」ということについて話をしていました。そして「それが現実だ」と。私の敬愛するロックンローラーである山田亮一も、「ソナチネ」という曲で「銃か毒か選べったって、俺には結局同じに見える」と歌っていました。

 

「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗き返している」という言葉をよく耳にしますが、まさにそれですね。ちょっとした欲をきっかけに「踊る小人」の特殊な力を受け入れた「僕」は、それに伴う業を受け入れ、八方塞の地獄に放り込まれてしまいます。「知らぬが仏」。こういう言い方は非常に高飛車で自信過剰だと自分でも思いますが、色々とあれやこれやと深く考えてしまう自分の性癖を呪ったこともあります。もし、同じような経験をしたことがある方ならば、きっとこの作品の教訓に対して共感していただけるのではないのでしょうか。

やや短いですが、わかりやすい作品なので逆にこれくらいで終わります。

 

4.めくらやなぎと眠る女

こちらもまた「ノルウェイの森」と関係性が深い作品です。「ノルウェイの森」の中では、本作「めくらやなぎと眠る女」で語られる病院でのエピソードが僅かに登場しており、少なくとも本短編集に編纂された「蛍」と「めくらやなぎと眠る女」の世界には共通の土壌があると考えることは充分に可能です。とは言え、「蛍」の登場人物である「僕」、「彼女」、「彼」と直接的に一致している部分は、「彼」にあたる「僕」の友人が若くして死んでいるということだけです。そして、「めくらやなぎと眠る女」の中心となっているのは「僕」と「いとこ」の物語であり、「僕」と「彼女」と「彼」が紡ぐエピソードは何らかの象徴という領域に留まっています。

 

また最初にざっくりとあらすじを書き出します。

まず「僕」は無職になって実家に戻ってきています。そこで右耳を悪くした14歳の「いとこ」の病院の付き添いを叔母から任されます。話は病院へ向かうバスの中、病院の食堂、そして帰りのバスという3場面で大まかに構成されています。

なぜ「いとこ」の右耳がいつまでも治らないのか、それは「僕」にも「いとこ」にもわかりません。「僕」は「僕」で混乱しており、「いとこ」は「いとこ」で混乱しており、2人は仲が良いとまでは言えなくても、どこか親密な雰囲気が2人の間には流れています。そして、混乱した「僕」は「いとこ」が診察を受けている間、病院の食堂でふと高校生の頃の記憶を思い出します。ただ、その記憶の中で「彼女」は「めくらやなぎ」と「眠る女」が登場する詩を書いています。それが一体何を意味するのか、それはよくわかりません。「いとこ」が診察から戻って来て、また2人は話しながらバスに乗って帰ります。

 

正直この「めくらやなぎ~」に関しては、まとまったことをうまく書けそうにありません。それぞれの要素があまりに象徴的過ぎて、それら1つひとつの情景は美しく、興味深いところがあっても、そこに関連性を見出し、何か1つの主張としてまとめ上げるのはちょっと私にはできそうにありません。

今もう一度ざっと目を通しましたけれど、結局何もわかりませんでした。面白いと感じるところは各所に脈絡なく散りばめられており、それでいて物語の総体として非常に印象深いという、私からすれば最高の作品であることは間違いないのですが……

 

あまりにわからないので、気になったシーンについて感じたことを順に書いていきます。

 

◆「いとこ」と腕時計

「いとこ」は時間やお金など、数字に細かく、何度も「僕」に時間を尋ねたり、気にしいなところを面倒に感じてきた「僕」に運賃の280円を手に握らされたりしています。一応、右耳が聞こえなくなった原因は「ボールをぶつけられたから」ということになっていますが、彼の神経質な部分も何らかの影響を与えているのではないかと思われるほどです。あるいは、耳が聞こえなくなったからこそ、常に自分が情報的な貧困状態にある不安感から、そのような神経質な気質になってしまったのかもしれませんが。

そんな「いとこ」が高価だけど時間に不正確な腕時計について話すシーンが、なかなか印象的でした。

彼は過去に高価だけれどしょっちゅう時間がずれる腕時計を買ってもらい、それを1年くらいで失くしています。それから彼は時計を持っていないらしく、「僕」から「不便じゃないか?」と尋ねられるわけですが、これに対して彼は「そうでもない」と答えています。「むしろ時間の合わない時計を持っているというのは、それはそれで大変なものだ」と僕に説明し、それから「もちろんそれでもわざと失くしたわけじゃない」と弁明します。

この「いとこ」の価値観は、彼の「耳が聞こえない(聞こえにくい)」という特性とかなりマッチしているように思います。つまり、不完全な機能を抱えることの煩わしさという点で、自らの難聴と時間に不正確な腕時計とを重ね合わせているわけです。もちろん、耳が悪くなったのも、腕時計を失くしたのも彼の望みではありませんが。そして、そのような時間に不正確な腕時計を身に着けてきた反動なのか、彼はやたらと時間を気にして「僕」を少しだけ戸惑わせます。「僕」は困っているわけではありませんが、少なくともその「いとこ」の時間に対する神経質な部分を感じ取っています。

私はこう見えて(どう見えてるのでしょう?)なかなか忘れ物が多い性質なんですけれど、だからこそ忘れ物の確認は念入りにしています。それでも忘れるときは忘れてしまうんですけれど。でも、そういった自分の不完全なところ、苦手とするところってやっぱり自分ではとても気になるし、ある場合には周りから「そんなに神経質にならなくても」と思われてしまいます。ですから、私は極力物を持たないようにしています。プライベートで家を出るときは基本的に財布とスマホと音楽プレイヤーしか持っていません。本当は本やタオルやモバイルバッテリーや、あれやこれやというものを色々と持っていきたいのですが、そうやって「あれも、これも」と意気込んだ時って、いっつも何かしらを家に忘れて来てしまい、「あぁ、また忘れたよ」と悲しくなるんですよね。だから、「あれも、これも」という気持ちを抑え込んで、私はあえて持ち物を最小限に留めるようにしています。そのように「諦め」を用いることで悲しみを回避しているわけです。

ちょっと作品の内容からはずれてしまいましたが、機能不全から来る諦め、つまり不完全性の受容こそが本作の1つのテーマになっているのかな、と思います。少なくとも「僕」は「いとこ」の難聴について彼を責めたり、見放したりはせず、ただ受け入れています。そして「いとこ」の方も「僕」が無職の状態にあることを否定したりせず、ただ受け入れており、それにより2人には不思議な親密感が宿っています。

 

◆バスの老人たち

これはもはや気になるというより、物語の大部分を担っているため無視できない要素となってしまっていますね。真新しいバスと変わり映えのしない街、それから気味の悪い老人たち。

「僕」はバスに乗っている間、ずっと「このバスが正しい目的地に向かっているのか」という疑念に捉われています。特にバスに乗り合わせた老人たちによって、「僕」の不安感は増長されています。バスの巡回ルートを考えると明らかに辻褄の合わない服装、そしてそもそもなぜ同じ格好をした老人がこれだけの人数まとまって乗り合わせているのか。そして、彼らはどこへ向かっているのか。そして、「僕」は老人たちに惑わされて、バスの行先が合っているのか再確認することにまでなります。。

このバスの老人たちはなかなか執拗に描写されているのですが、その執拗さがそのまま「僕」が感じる疑念の執拗さに繋がっているように思います。私は子供の頃「ハリーポッターと不死鳥の騎士団」を読んだときに、ハリーを襲う悪夢とアンブリッジの悪意の執拗さに読んでいるこっちまで気分が悪くなってきた記憶がありますが、本作の老人たちからも同じようなものを感じます。

仕事を辞めてどこに向かうべきか懊悩する「僕」。そして、難聴の治療が難航している「いとこ」。彼らの抱える不安感は、不気味な老人の描写によって間接的に説明されています。

そして、老人たちは疑念や不安の象徴だけでなく、「居心地の悪さ」をも意味しているように思います。「僕」も「いとこ」も自らの不完全性により、社会にうまく適合できていない部分があります。2人は身近な家族にすら上手く馴染むことができずに、3年ぶりに会う従兄弟に対して、最も心を開いているような雰囲気がありますね。

このように様々な暗喩を考えることができますが、この「老人たち」の存在は本作において非常に強い印象を残していることは確かです。

 

 ◆「痛み」に関する会話

バスの中で、「僕」は「いとこ」について「痛み」の記憶について尋ねられます。様々な肉体的な怪我をしてきて、その都度かなりの「痛み」を感じてきたにもかかわらず、いざその「痛み」を思い出そうとしても「僕」はそれがどんな感じだったのか思い出すことができません。

たしかに不思議ですよね。私は慢性扁桃炎というちょっとした疲労ですぐに扁桃腺が腫れて熱が出る病気になった経験があります。これを脱するために扁桃腺の摘出手術をやったのですが、これがとても痛くて、痛くて。口を開けて喉についている扁桃腺を切り取るという強引な手術なんですが、まさか喉の中を縫うわけにはいかないので、切ったところの傷口は開きっぱなしです。粘膜だから再生力が高いものの、切った直後はとても痛みました。そして、手術の間は全身麻酔がかけられていたのですが、麻酔がとけた後は強い吐き気と頭痛に悩まされ、自分ではあまり記憶がないのですが相当呻いていたそうです。また、手術では口を開きっぱなしにするための器具を突っ込んでいたせいで、至る所に口内炎ができており、これがまた何かを食べるときに非常に痛みます。もう、普通の口内炎じゃないんですよ。いつもの口内炎がK君の家の近くにある東公園だとしたら、術後にできた口内炎は東京ドームみたいなものです。それだけ「痛い」経験をしたのに、今となってはその「痛み」をリアルに思い出せません。私が覚えているのはその時に「どれくらい痛いか」を伝えるために捻りだした、「もし同じ手術をしろって言うなら、50万円は持ってきて欲しいね」という比喩くらいのものです。

そして、そうやって「金額で表現したり」して何とか自分の「痛み」を相手に伝えたいというにも関わらず、どうやってもそれを正しく相手に伝えることはできません。「僕」は「痛みというのは最も個人的な次元のものだからね」と言っていますが、まさにその通りだと思います。「痛み」を増長させるのは、その「痛み」に対して正確な共感を得られないところにあるという気もします。「どうしてこれだけ痛くて、苦しいのに、それをわかってくれないんだろう」と思うと、とても孤独で悲しくなってきますよね。

それから耳の検査について「いとこ」は実際にやってみればあまり痛いということはないけれど、「痛いんじゃないか」と想像することが辛いのだと言っています。これもとてもよくわかるものです。

と、少し私の個人的な話ばかりになってしまいましたが、この「痛み」に関する会話の終着地点は「この先の人生で色んな痛みが待っているのかと思うとウンザリする」というところになります。

「いとこ」は聞こえにくい耳を抱え、不安や居心地の悪さ、痛みの予感に付き纏われながら生きています。それは上述の通り、「腕時計」や「バスの老人」などの様々な暗喩を通じて描写されているものの、この「痛みについての会話」の中ではかなり直接的に「生きていくことの辛さ」が書かれていますね。それに対してまた「僕」も強い共感まではしなくとも、「いとこ」の言わんとしていることに理解を示し、柔らかく受け止めています。

 

◆17歳の頃の記憶

このパートは基本的には「僕」が自らの17歳の頃の美しく、奇妙な思い出を反芻しているだけです。しかしながら、ところどころで時間軸は「現在」に移り、病院の食堂で「いとこ」の診療を待っている「僕」へと戻ってきます。そこには幻想と現実の入り混じった浮遊感と気味の悪さが漂い、不可思議な重力場を生み出しています。

「彼女」が入院する病院への道のりで、「僕」と「彼」は海岸べりでバイクを止め、木陰で一休みします。夏の陽射しで見舞いの品のチョコレートはどろどろに溶けていきます。そこで「彼」は「いまここにこうして2人でいることは変じゃないか?」と言い出します。何がどう変なのか、そこでは説明されません。ただ「現在の僕」は最後に「その友達はもう死んでしまって、今はいない」と句点を打ちます。

現在の「僕」は3年ぶりに会うあまり親しいとも言えない「いとこ」の耳の診療に付き添って、病院の食堂で古い記憶を思い返しています。「彼」の言葉はむしろ「現在の僕」に対して突き刺さり、今この瞬間に対する奇妙な想いを代弁しているように感じられます。やはり「過去の彼」と「現在の僕」に共通しているのは、うまく説明のできない「居心地の悪さ」なのかなぁ、と私は思います。その「居心地の悪さ」というのは、何となくお互いに苦手意識を持っているであろう隣の部署の上司と偶然歯医者の待合室で遭遇したときのような「居心地の悪さ」とはちょっと議論の次元が違います。「僕」や「彼」、そして「いとこ」が感じる「居心地の悪さ」というのは、特定の条件のもと感じられるものというよりは、常時漠然とうまく今自分のいる時間や場所に馴染めない感覚。

それはどういう風に説明して良いのかわからないものです。

例えば、自分はどうして生まれて来て、なんで生きていかなきゃいけないのか。未来には沢山の痛みが待ち受けていて、今の自分には居場所なんてない。不完全な機能しか持ち得ず、そんな不完全な自分を抱えながら、世の中に馴染むことも能わない。バスの中には同じような風貌の(それでもきちんと個別化可能な)老人たちが、慣れたような様子で私たちには想像もつかない場所へと向かっている。そうやって上手くこの予測不能な世界に馴染んでいる人間たちがいる一方で、どうして私たちばかりは、簡単な行先に向かうことにすら不安を感じ、ビクつきながらバスに乗っていなければならないのか。その問いの先にあるのは、「私たちの居場所はこんなところじゃないんじゃないか」という閃きです。

「僕」には17歳の頃のことが意味も無く鮮明に思い出されます。その記憶は8年という歳月が経った今でさえうまく説明のつけられるようなものではありませんが、少なくともずっと心の底には潜んでいたもので、ある種の親しみのようなものがそこにはあるようです。

「彼女の白い胸の骨」というのが「僕」にはとても印象的に思い出されます。

それが意味するところはよくわかりませんが、その「彼女の胸の白い骨」は生まれつき、少し曲がっていたため手術で正規の位置に治すことになりました。ですから、安直に考えれば「普通じゃないもの」・「馴染んでいないもの」の象徴がその「彼女の白い胸の骨」ということになります。そして、その象徴は「僕」にとってはもう1つ重要な意味を持っています。彼女の白い胸の骨は、彼女の……思春期の女の子の柔らかい胸の奥にあるものです。「僕」はふとその骨のことを思いながら、パジャマの首元から除く、彼女の胸元に視線を奪われます。歪んだ骨というともすればあまり考えたり触れたりしたくないようなもののすぐ傍には、どうしても欲を駆り立ててくるものがあり、「僕」を魅惑してきます。その相反する2つのイメージが「彼女」と「彼」との思い出となり、ずっと「僕」を捉えているわけです。

あくまで私なりの捉え方ですけれど、私たちは「自分たちの居場所」について上手く捉えることができずに、そこに上手く馴染めないでいます。しかし、同時に生きているせいで、否応なしにその「居場所」に縛られてもいます。それは螺旋状に私たちの中に積み重なり、ある意味では私たちを祝福し、ある意味では呪い続けているわけです。たしかこんなことを「踊る小人」の感想の中でも私は話していましたね。「踊る小人」ではより魔力的な意味合いを持って同じことを喋ったように思いますが、この「めくらやなぎ~」ではもっと繊細で、梅雨のようにじっとりとしたイメージで私は喋っています。

何と言うか、もはや作品の感想というよりは、ただの私の心情吐露になってしまいましたね。

 

◆「めくらやなぎと眠る女」の詩

「彼女」は入院中に「めくらやなぎと眠る女」に関する自作の詩を書いていました。

・めくらやなぎの花粉をつけた小さな蠅が耳からもぐりこんで女を眠らせる。

・ある年齢に達しためくらやなぎは上に伸びるのをやめて、下に下にと伸びていく。

・暗闇を養分にして育つ。

・女を眠らせた蠅はそのまま女の体の肉を食べてしまう。

・眠った女に会うために、若い男は一人でめくらやなぎが茂り、蠅が飛び交う丘を登っている。

・しかし、若い男が丘の頂上に辿り着いたときには、既に女の体は「ある意味では」蠅に食われてしまっている。 

それが詩の大まかな設定と筋書きです。この詩が何を意味しているのか、それは非常に難しい問題です。まず情景としての美しさについて、それはそれとして受け止めましょう。その上で、詩の意味について考えていきます。

まず、「めくら」・「やなぎ」・「耳」・「蠅」・「丘」というキーワードの意味ですが、これを調べるのはもはや花言葉的にかなり面倒で由来も確証も持てないことになりますので、やめておきましょう。「実は『柳』という植物には〇〇という意味があって…」というようなことを喋ったところで、「ダイヤには心を浄化する作用があります」と言うようなものです。そのように考えることが良いか悪いかということはわかりませんが、少なくとも今の私にはちょっとやる気になれません。というわけで、キーワードの副次的な意味については一旦度外視します。

すると、話は非常に簡単です。

暗闇を糧に成長する「めくらやなぎ」があり、その花粉は蠅という媒介者を経て、女を眠らせてしまう。そして、女は眠らされただけでなく、その媒介者である蠅によって肉体を食われ、損なわれてしまいます。女を助けようとする「若い男」という希望は存在しているものの、結局彼が何とか丘の上に辿り着く頃には、女は損なわれてしまった後です。

これをさらに簡潔に言い換えると、私には次のように解釈し直せます。

この世界の暗く、嫌な側面を糧にして生きる何らかの存在がある。そして、その存在の断片は、細かい粒子となって私たちの意識を蝕んでくる。最後には、それは意識だけでなく肉体すら捉えてしまう。そこからの救いの手というのもこの世には存在しているはずだけれど、いつも間に合うことが無い。

つまり、死んでしまった「彼」も、居心地の悪さを抱えながら生きる「僕」や「いとこ」も、その世界の暗く、嫌な側面に捉えられており、おそらくはそこから救い出されることがないのです。思春期の「彼女」はそういった世界を実に瑞々しい詩として描き出し、「現在の僕」はその詩の云わんとするところを、8年越しに漠然と実感しているという構図になっていると私は思いました。

 

◆「インディアンを見ることができるというのはインディアンがいないってことです」

「いとこ」の好きな「リオ・グランデの砦」という映画の中のセリフです。「いとこ」は耳のことを言われるたびに、そのセリフを思い出すそうです。「僕」はそのセリフに対して、「誰の目にも見えることは、本当はそれほどたいしたことじゃない」という意味として捉えました。みな「いとこ」の「耳の異常」それ自体に注目していますが、そういった誰の目に見えるような「耳の異常」ってのはそんなにたいしたことじゃない、と言ってやりたかったのでしょう。

しかし、作品全体として考えたとき、このセリフの意味合いはもはや「めくらやなぎと眠る女」の詩との関連性なしに考えることはできません。

このセリフは裏返せば、「目に見えないインディアンがいる」ということを意味しているように思います。というか、「目に見えないからこそインディアンが存在している」ということになろうかと思います。空想の世界にしか存在しない「めくらやなぎ」とその花粉を運ぶ「蠅」。それはこの世界では決して見ることのできない存在です。しかし、見えないということはむしろ確実に存在しており、その不可視性こそが「めくらやなぎ」の正体であるわけです。

そんな世界の中で、「僕」と「いとこ」は肩を並べ、最後にはまた「28」番のバスに乗ってお互いの生活の中へと帰っていきます。

 

さて、結局この作品を通して、何が主題となっているのか、それはわからないままで、とりあえずの整理をつけることもできませんでした。

救いのない世界の中で、救いを諦めかけている者同士が肩を並べている。

落ち着くところはそこなんでしょうけれど、それを表現するために、実に印象的な物語が紡がれているというのが、この作品に対する私のとりあえずの感想になります。

 

5.三つのドイツ幻想

こちらに関しては感想を省略させていただこうと思います。

省略させていただく1番の理由は、もう疲れたから、ということ。

2番目の理由は、新幹線の時間が迫っているから、ということ。

3番目の理由は、感想を書きたいと思えないから、ということです。

三つの短編はそれぞれに非常に着想やイメージとしての面白味に富んだ作品ですけれど、「感想」というものを書くには不適切な気がしてなりません。もちろん、「あれが意味することはこうではないか?」とか色々と考える余地はありますが、もはやそれはロールシャッハテストみたいな様相を呈しそうなのでやめておきます。

 

6.最後に…

久しぶりに読書感想文を書きました。急いで書いたので結構大変でしたね。やっぱり適当なことを書き連ねているだけの日記とは、かかる労力が全然違います。

しかしながら、なかなか良い頭の運動にはなりました。本当はもっと深堀したかったのですけれど…でも、まぁ、村上春樹の作品を深掘りすることにどれだけの意味があるのかはよくわかりませんし、正しく評価するための知識を得る労力は、また計り知れないものがあります。なので、あくまで「感想」です。

ただ、本作は素敵な短編集であることは間違いないので、ぜひ読んでみていただければと思います。というか、少なくともこんなデタラメな記事を読んでいる方は既に読了されていると思いますが。まぁ、あくまで個人的な趣味、気晴らしでやっていることなので、この記事を読んでくださった方に対して私が求めることは特にありません。

 

今日はよく晴れています。音楽を聴きながら、猫が眠る実家のリビングで文章を書くにはうってつけの日です。ただ、明日は東京の方で心療内科の受診があるため、今日のうちに向うに戻る必要があります。本当はもうとっくに東京行の新幹線に乗っているはずなんですけど、この記事を書いているせいで既に何本か見送ってしまいました。そろそろ重い腰を上げなければ…

というわけで、今日はこの辺で勘弁しておいてやりましょう!

適応障害と診断されまして… vol.23

適応障害と診断されて30日目(11月13日)の朝にこの記事を書き始めています。

もう1か月も経ってしまったんですね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は実家に戻り、本の栞づくりと色々と買い物をしたというただの日記的な内容になりました。適応障害の治療の進捗としては、「1日起きているのが大変…」くらいのものでしょうか。

今回もまたかなり日記的な内容になりますのであしからず。

 

 

1.適応障害と診断されて29日目~もみじ狩り~

朝起きて、朝食を食べ、シャワーを浴びる。そういった日常的な行為はかなりスムーズに行えるようになってきたのを実感しています。ただ、寝起きはどうしても倦怠感は強いですけれど。それでも、やろうと思えば全然できるくらいには回復してきました。

午前中は家で留守番だったので、1人で映画「ピンポン」をだらっと見つつ、基本的にはテレビも音楽もなしで村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編集」の感想記事をずっと書いていました。なかなか解釈が難しく、またいつもの如くより道をしてしまうので、なかなか書き進められず、午前中の段階では短編集の半分くらいしか感想をかけませんでした。しかし、そのようにしてあっという間に時間が過ぎていきます。

昼ご飯はうどんを食べ、七味も良いですが、ガラムマサラを入れてみたところ、これがなかなか美味い。家に帰って来た母にも勧めてみましたが、母には遠慮されました。

猫との生活にも徐々に慣れて来て、2人がじゃれ合う様子を眺めたり、たまにちょっかいを出してやります。2人で同じタイミング眠たくなるので、人懐っこい寂しがり屋の白猫の方は腹の上に乗せてやり、警戒心の強い黒猫は足元近くに侍らせ、静かなひと時を過ごしました。

午後からは母とドライブして、もみじ狩りへ行きました。1時間くらい車で行ったところにもみじの名所があり、近くの神社を巡り、ちょっとした人混みを掻き分けて、美しく色づいたもみじを観てきました。ひんやりとした山の空気と、ささやかな川の流れ。午後の陽はあっという間に傾き、神社を山の影の中に閉じ込めます。神社では神様の由来も何もわからなかったので、とりあえず「心が砕け散りませんように」とだけ願わせていただきました。よくよく考えてみれば、今の私はとても落ち着いており、そして自分を取り戻してきているので、「早く復帰してバリバリ働きたい!」という想いはありませんし、何か素敵なことを求めているわけでもないのです。ただただ心さえ砕け散らなければ、私はそれだけで自分のことを自分で慰めてやることができるのです。何度も言ってきたように、私には音楽と本と季節さえあればそれで充分なんです。あとはそれを感じるだけの心があれば……願いは必要最小限に。別にそんな作法があるわけでもありませんが、名も知らぬ神様にはそもそも身勝手にお願いすることさえ無礼なわけで。ま、神様なんて本当はどうでも良くて、ただ願いを通して自分の思考を整理すると言うだけです。そう言えば、ちょうど財布の中には333円があり、賽銭箱にはそれを丸っと放り込んでやりました。いつだったかお笑い芸人の小薮さんが「日本に神社を残すためにもお賽銭はしっかりと!」みたいなことを言っていたのを思い出します。たった333円ですが、私は神社のように落ち着いており、文化を感じられる場所は好きなので、このはした金もそのために使っていただければ幸いです。

 

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紅葉

 

もみじはとてもきれいで、貼り付けた写真は様々な色の葉が入り乱れたものですが、基本的には綺麗な臙脂色に染まっているものが多かったです。また、もみじ園の外にあったイチョウも非常に美しい黄色に染まっており、秋を感じることができました。久々にちょっとした車の運転をしたのと、人も結構多かったので途中で疲れてしまったのが残念ですが。もみじ園では串に刺さったコンニャクと、もつ煮を食べたりして、普通に観光してきました。

 

家に戻り、また短編集の感想記事を書き進めるも、強烈な眠気に襲われます。しかし、ここで寝るわけにはいきません。いい加減、1日起きているだけの体力を戻さないと。今日は車の運転ともみじ狩りをしてきただけです。消耗も少ないはず……なんとかギターを弾いてがっつりと歌うことで眠気を吹き飛ばしました。

 

夕食を食べた後は、テレビでお笑い番組を見てのんびりと過ごします。テレビを見終わった後は、また短編集の感想記事を書きます。しかし、それにしても村上春樹の作品は感想を書くのも非常に難しいです。

そう言えば、塾講師時代に頭の良い私立高校に通う女の子が村上春樹の感想文が書けないと泣きついてきたことがあります。学校の課題で村上春樹の何らかの短編が題材に取り上げられていたのですが、まぁ、内容的には比較的わかりやすいものだった気がしますが、確かにこれを高校生に読解しろっていうのはなかなか難しいんじゃないかとその時も感じました。作品名は忘れてしまいましたが、たしか「鏡」がモチーフの作品でした。「鏡」を通して、2つの世界が並行存在し、自己の二分や同時存在のような、いかにも村上春樹らしい世界観だったような気がしますが、なかなか詳細までは思い出せません。

それこそ彼女は村上春樹の小説に出てきそうな、とても聡明で感じの良い女の子で、そして若くて美しく、可愛らしい生徒でした。私は留年までしている大学生のアルバイト講師だったのですが、もし同級生なら完全に恋に落ちていましたね。いや、講師という立場だったからこそ、ただただ彼女の聡明さに惹かれていたのかもしれませんが。どれくらい聡明かと言うと、数学Ⅱの微分の肝のほとんど全てをたった3時間ほどで理解してしまうくらい聡明でした(通常1~2か月はかかります。時間にすれば15~20時間くらいは必要でしょうか)。あの時ほど生徒と思考が繋がり、スムーズに授業を進められたことは後にも先にもありませんでした。私は特定の教科を教えるというよりは、数学や物理や化学、現代文や古典、その他雑多な特別課題などのフォローをしてやっていました。いま思い出しても素敵な時間でした。私は彼女によって試されていましたし、画一的な教育ではなく、そこには多分に私独自のエッセンスも含ませることができました。こういうことが続けられるなら、一生塾講師でも良いなぁと思ったほどです。原発が正か否かという議題について発表があるとのことで、私も原発の本を買って勉強したこともありました。「読解力」を身に着けたいという彼女にサリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」を読ませ、そこからいかに多くのことが読み取れるかということを説明したこともあります。

ただそんな聡明な子はすぐに私の手に負えなくなり、私の教育能力が彼女の高い志には及ばず、あっという間に彼女は別の塾へと移っていってしまいました。彼女が素敵な人生を送っていることを願っています。

 

余計なことをたくさん書きましたが、そんな風にただの休日みたいな毎日を過ごしながら静養しています。そう言えば、この日は日中1度も眠らずに済みました。おかげで、これを書いている翌日の朝は疲労のせいか少し体が重いです。

 

2.祖母の緩和ケア

現在、私の母方の祖母は療養施設に入っております。詳しいことは私もちゃんと聞かされていないのですが、痴呆症のようなものから始まり、祖母の体は徐々に弱り、今はほとんど意識もはっきりとせず、ご飯も食べられなくなってしまいました。施設に入ってから、私は祖母に会うことができていません。しかし、施設に入る前の彼女はもうなかなかまともに言葉も交わせないし、日常生活を営むこともままならないという状況でした。祖父と2人で暮らしていましたが、デイケアサービスの方に来ていただかないと、まともにお風呂も入れられないような状況です。

そんな彼女を連れて、一度実家近くのスーパー銭湯に行ったことがあります。ちょっとした段差を乗り越えることも難しく、靴の着脱なんてもうとんでもなく重労働です。私も強張った祖母の体を支え、靴を履かせる手伝いをして、手を引き……ということをしましたが、これを毎日続けている祖父や、実際に銭湯の女湯で全ての世話をする母や妹はもっと大変なんだろうと思い、少し悲しい気持ちになりました。それでも、久しぶりに広い浴槽を堪能できたのか、湯上りの祖母はなかなか気持ちよさそうな表情をしていたように思います。

「緩和ケア」というのは、つまるところ死に向かって穏やかに手を引いてやるようなものです。無理な治療は本人にとって苦痛も多く、すでに点滴すらまともに入っていかない状況のようです。当然、食事もまともに取られないため、あとは衰弱していくのを待つばかりといった段階です。褥瘡(床ずれ)が酷く、それを治すためにはしっかりと栄養を取らなければならないものの、まず食べるということができない。祖母の脳は既にその機能の大半が混迷しており、薬なしではひっきりなしに叫んだりするため、施設内の秩序や祖母自体の体力も考えると、そういった脈絡を欠いた衝動のようなものを抑制するための薬が必要らしいです。そして、その薬の副作用で、ますます祖母の食欲は消えてなくなり、消耗した祖母はもはや叫ぶこともままならなくなり、せっかく薬が減らせても、もう彼女のもとに食欲は戻ってはきません。11月13日。私と母がもみじ狩りに出掛けている間に、祖父と叔母が「緩和ケア」の同意書にサインをしてきたそうです。「2人しか施設に入れないのよ」と母は言っていましたが、本当は自分もその場に立ち会いたかったんだろうなぁ、と思います。祖母のことに加えて、私という重荷を母に押し付けてしまっていると考えると心苦しいです。せめて、仕事を辞めて1人きりの時間が増えた母に何かしてやれることがあればと思います。もちろん、祖母に対しても。

 

今年の夏、家族旅行で長野県の上高地に行ってきました。その時の写真をまとめました。そして、今日のもみじ狩りの写真もまとめました。とりあえず、今の私にできることはこれくらいのものです。

適応障害と診断されまして… vol.22

適応障害と診断されて28日目(11月11日)の午後にこの記事を書いています。

今日も今日とて、特に病状については書くことはないので、ただの日記になります。

 

前回

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1.適応障害と診断されて27日目・続~栞づくり~

ちょっと前のvol.19の記事でほんの少し話しましたが、実家に帰ってから特にやることもないので、本の栞づくりをしました。ただの思い付きの暇つぶしです。

前職場を離れる前に、お世話になった先輩から個人的にブックカバーを頂きました。私はブックカバーをする習慣がなく、いつも鞄やリュックに無造作に本を放り込んでいる様子を見ていたので、ブックカバーを選んでくれたそうです。本当にカッコ良くて素敵な先輩です。

というわけで、それからこんな私にもブックカバー生活が始まりました。「表紙も含めてその本だから」という私の面倒臭がりを正当化する理由はあっという間に消え失せ、新しい環境で不安な私にとって、そのブックカバーを1つのお守り代わりとなりました。大好きな本を守ることにもなるし、ブックカバーというのもなかなか良いではないか。そんなことを考えながらも1つだけ、私にはどうにも気になっていることがありました。そうです。そのブックカバーには栞を収納するポケットのようなものがついていたのです。

と、ここで一旦、文章を書く私はタイムワープをします。3時間の昼寝をして、今は午後5時。暴力的な眠気を何とか打ち破り、酷い頭痛の中で夕食前のひと時をこの記事の執筆に捧げます。

さて、そんなわけで、私にはずっと「このブックカバーに合う栞が欲しいなぁ」と漠然と考えていたわけですが、先日、診断されて24日目(11月7日)にようやく私は栞探しの旅に出掛けました。

いくつか書店やら雑貨店を回りましたけれど、意外と「栞」って売っていないんですね…売っていてもあまり好み出なかったり、ブックカバーの栞の用のポケットとは大きさが合わなかったり。というか、栞業界は1社独占なのか、どこに行っても同じ種類の栞しか売っていませんでした。質が悪いというのではないですが、単純にあまり好みでなかったので、私は仕方なく栞を自作してみようということを決めます。

最後に訪れた雑貨店で、メッセージカード用の厚紙を何枚か買いました。それらを切り貼りすれば、まぁ、とりあえずの栞代わりにはなるかと。そのような経緯で購入することになった厚紙を持って、私は実家へと帰ってきたわけです。

 

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自作・栞

 

かなり不格好ですが、こんな感じで栞を作ってみました。出来云々というよりは、単純に自分で作ったものなのでなかなか気に入っております。ちょっとだけsora tob sakanaをイメージしてみてもいます。

それにしても、こうやって精神病というようなものにかかってみると、ノルウェイの森の直子にはかなり共感できる部分も多いですね。死んでしまったキズキくんについても、なんと言うかとても感情移入できる部分がありますし、直子が「かわいそうなキズキ君」と言うシーンでは思わず電車の中で涙を流してしまいそうになりました。

というわけで、ちょっとしたワークショップみたいな感じで、栞作製も終わり、満足感と実家という安堵感に包まれ、眠りにつきました。

 

2.適応障害と診断されて28日目~皮膚科受診・お買い物・畑~

はい。こちらもただの日記です。特に適応障害について書いていることはありませんのであしからず。

まず朝は6時半に起き、30分かけてベッドから抜け出します。やはりまだ寝起きはキツイものがあります。まぁ、それでもその30分の間にまた寝てしまうということはないため、まだ良いんでしょうが。

朝はまだ神経が過敏なのか、テレビの音が酷くうるさく感じられます。寮にはテレビが無いため、朝はいつも静か(外の騒音はうるさいですが)なのでなかなか慣れません。朝食後はリビングでイヤホンをしながら読書。村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他短編」を読みます。文学部を卒業した友人から勧められていたのですが、確か「レキシントンの幽霊」か何かの短編集で「めくらやなぎと眠る女」は読んでいましたし、「蛍」に関しては「ノルウェイの森(上)」の内容とほとんど変わらないので、なかなか買ってみる気にはなりませんでした。が、この間一緒に美術館に行ったときにも勧められ、また私がちょうど「ノルウェイの森」を読み返そうとしてたところだったので、上巻を読んだ後に一度この「蛍~」の短編集にシフトしてみました。

朝の読書時間では「めくらやなぎと眠る女」を途中から、あとは「三つのドイツ幻想」を丸っと読んで、無事1冊読了です。せっかくなのでさらっと感想でも別記事にして書いてみますかね。深く分析するだけの気力は今の私にはありませんが…

と、そのようにして読書を終えた後、皮膚科を受診しにいきます。この1か月で心療内科を3つ、整形外科を1つ、皮膚科を1つ受診しているので、初診の作法はもう慣れたもの。問診票の記入なんて1秒として淀むことなく書き進められるようになりました。

皮膚科ではアトピーの症状について相談。1年半前の夏にアトピーが再発し、それから塗り薬でだいぶ回復しているのですが、未だにたまに顎の周りが痒くなります。症状がかなり改善してきたので、塗り薬はちまちま使っている感じだったのですが、それでもさすがに沢山処方してもらった薬も無くなってきたので、本日受診して参りました。今日の診察では、「アトピーっていうほど激しくないけど、敏感肌ってのには変わりないから、それ用のお薬とか出しておきますね。あと、髭剃りは剃刀じゃなくて、浅めに電動髭剃りを使う感じが良いと思いますよ」とアドバイスをしてもらいました。

というわけで、皮膚科に行った足で、すかさずヤマダ電機へ。

地方の寮では自室に洗面台を含む、全ての水回りがなかったため、いつも共同浴場で剃刀を使って髭剃りしていたのですが、新しい寮には洗面台があるので、よくよく考えれば電動髭剃りでも問題ないですね。1万円くらいの目についたものを購入し、合わせて2mのHDMIケーブル、2mのライトニングケーブルも購入しました。どちらも普段「短いなぁ」と感じていたので買っただけです。

その後、1度実家に帰宅し、母とラーメンを食べに出掛けます。久しぶりの実家近くの気に入りのラーメン屋。ちょっとだけ感動できて良かったです(先日、大学時代に通い詰めた世界一美味いラーメン屋に行ったときは心が死んでいてあまり感動できなかったため)。ラーメン屋に行った足で今度は楽器屋へ。実家にギターのカポ(弦を挟み、音程を変えるための道具)がなかったので。その次は、ホームセンターに行って、母の共同畑で使うための置き肥を購入しました。詳しいことはわからないのですが、成長の状況があまり芳しくないそうです。そのまま畑にも行って、肥料を撒いてきたのですが、晴れているのに急な雨。狐の嫁入りというやつですね。

ほんの2,3分で雨雲は通り過ぎ、後には美しい虹が出ました。くっきりとした虹を眺めながら実家に帰るべき車を走らせます。一応、大学院まで修了しているので、虹がどうして見えるのか説明。同じ色は観測地点から等距離にあるはず(間違っていたらごめんなさい)という話をしたり、故にどこまで行っても虹には追い付けないという話をしたりして、何だか塾講師時代のことを思い出しました。「理科が嫌いだ」という小学生にも色々と自然現象の仕組みについて話してやると、今度は自発的に「どうして雲ができるの?」とかそんなことを聞いてくるようになったのは、私の中でもちょっとした素敵な思い出です。子供には基本的に自然な好奇心というものが備わっているし、テストで点を取らせることもある面では重要ですが、それに終始して好奇心を殺してしまうようなものは教育ではないと、教育者でも何でもない私が言います。母に「あんたはそういう科学とか好きだねぇ。私には難しくてわかんないけど」と言われたので、私は少しムキになって科学の面白さを説明します。

確かに科学ってのはある意味理詰めだから、好き嫌いが出て来る部分もある。でも、理詰めが嫌いなロマンチストにも科学は楽しむことができる。例えば、今の見えている虹だって、さっきの「等距離」の原理を応用すれば、万人に対して虹は同じだけ遠くにあるっても言えるでしょ。みんな自分の目線から違う形の虹を見ているけど、その虹までの距離は一緒なワケ。ね、こう考えるとなんか名言っぽくなるでしょ。なぜそんな風に科学と名言みたいなのが密接な関係にあるかと言うと、科学「技術」は年々発展して、こんな風に信号で止まるとワイパーの速度が自動的に遅くなったりする機能も実現されたりしてるけど、でもこの世界を支配している物理法則は「科学」なんて言葉ができる前から変わっていないから。つまり、科学はどこまでも普遍的で、世界そのものなんだよ。人間の心さえそこには内包されているんだ。

と、まぁ、そんなことを力説しました。どれだけ母に響いているかはわかりませんが、ある意味ではこれが私の矜持の1つではありますし、できることなら私が物理教師になりたかった理由でもあります(その希望は私の怠惰によって破壊されましたが)。

実家に戻り、このブログを書き始めますが、15分ほどでどうにも耐えられないほどの眠気に襲われます。どうしても起きていられなくなり、ソファに横になりすぐに就寝。しばらくしてソファの脇で寂しがり屋の子猫が鳴いているので、抱き上げて再び就寝。次に目が覚めたとき、子猫は私の脚の間に挟まって寝ていました。寝起きの眠気は暴力的で、酷い頭痛がするほどでしたが、何とか体を起こし、少し寒々しい外の空気を5分ほど浴びて目を覚まし、この文章を書き始めました。

なんだかんだ、朝から色々と動き回っていたせいで消耗していたのかもしれません。思えば、皮膚科の待合室は込み合っていてストレスを感じ、イヤホンで耳を塞ぐ羽目になりましたし、ラーメン屋もがやがやとうるさかったです。色んな店を周ったのもそれなりに体力を消耗したのかもしれません。そんなこんなでもう午後7時を迎えようとしています。

 

さて、今日はこんなところで切り上げますか。

適応障害については特に何もチャレンジをしていないので書くことはありません。こんなただの日記が続いていくと思います。でも、穏やかな日々を何らかの記録に残せるというのは良いことかもしれませんね。どうせ起きていても今の私には何もすることはないんですから。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.21

適応障害と診断されて27日目(11月10日)の夕方にこの記事を書いています。

 

前回

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今回の記事では、診断されて26日目(11月9日)と27日目(11月10日)について書いていこうと思います。

 

1.適応障害と診断されて26日目~上司との面談・傷病休暇取得~

診断されて26日目の午前中は前回分の記事を書いていましたが、最後の方は「傷病休暇を取るべきか・取らないべきか」ということでかなり悩んでいるということを書きました。結局、私の中では結論のようなものを出せないまま、私は上司と面談をすべく職場に向かいました。

既に本章の副題に書いている通り、傷病休暇を頂くことになりました。

私の中ではまだ気持ちの定まりきらない部分があったのですが、心療内科で頂いたアドバイスの話をすると、上司はあっさりと「じゃあ、しっかり休もうか」と舵を切ってくれました。何と言うか、あまりにもあっさりと舵を切られてしまったので、ちょっと拍子抜けしてしまったような感じです。あれだけ私はああだこうだと悩んでいたのに…

まぁ、でも医者が言うのだから仕方がないというところが会社側の判断なんでしょうね。古き良き時代は断腸の思いでリングにタオルを投げ込んでいましたが、現代的にはもはや単純に「ドクターストップ」です。「症状が出ているんだから治っていない。治っていないんだから無理に復帰すべきではない」とお医者様が仰っておりました。私はまだファイティングポーズを崩していなかったわけですが、そんな私の想いは関係なく、とっても単純な論理に則って、私の処遇は決まったわけです。

良くも悪くも気が抜けてしまいました(笑)。

事務的な処理や調整などは上司が引き受けてくださいました。感謝。私は傷病手当金を貰うための書類の記入と、その書類に医師からの所見を貰ってくるという任務だけ与えられ、少しだけ会社で簡単な業務を済ませると、家路につきました。

と、結論を急ぐばかりに、書き忘れてしまっていましたが、この日の私の調子はあまり良くなく、職場に行く途中や職場についてすぐは強い眩暈や吐き気を感じていました。上司との面談中もあまり調子が良いとは言えず、帰りの電車の中ではほとんど疲れ果ててしまっていました。それでも緊張が解けないので寝れはしないのですが…

最寄り駅の1つ前の駅で電車を降り、夕暮の薄闇の中、ゆっくりと歩いて帰りました。何かを考えようと思ったりもしたのですが、肩の力が抜けてしまって、何も考えることができません。でも、決してパニックというのではないです。ただ単純に肩の力が抜けてしまっただけです。住宅街の中にある静かなコンビニに入り、週刊マガジンを立ち読み。夕闇に沈む住宅街とガラスに反射する自分の姿。こんな風にしていると、何だかただちょっと早めに仕事が終わって、暇つぶしがてらにコンビニで立ち読みをしているだけの普通のサラリーマンみたいに思えてきます。でも、私は明日からしばらく働かなくていい。頑張らなくてもいい。そういうのが何だか不思議な気がしました。

寮の食堂で夕食を食べ、寮室に戻り、ちょっとだけネットサーフィン。ペップバルサがいかに凄いか(サッカーの話)という動画を観て、眠くなったのでベッドで。母から今日の面談結果を案じるメッセージが来ていましたが、それに返信する気力も湧いてこず、部屋の電気もつけたまま眠りへと落ちていきます。

夜、スマートフォンの振動で叩き起こされ、両親と電話。まったく電話にも出ないし、返信もしない私を随分と心配していたようです。申し訳ないことをしたなぁと思いながらも、寝起きは薬の副作用が強く、まともに話すことができません。とりあえず傷病休暇を貰ったことだけ伝え、電話を切り、再び眠ろうと思いますが、少しずつ頭が覚醒して来て眠れません。仕方が無いので、本を読んだり、M-1の2回戦の動画を片っ端から観て、気がつけば午前1時。でも、明日は何もしなくて良いんだ。そう思うと、余計寝付けませんでした。

 

何というか、別に落ち込んでいるわけでも、後ろ向きになっているわけでも、不服があるわけでもないのですが、全体としてうまく自分の中に落とし込めないような1日でした。午前中は苦しいくらい悩み、午後には明らかな体調の不良を感じながらも職場に行き、気がつけば私はもっと沢山のお休みをいただけることになっていました。気がつけば一度眠りに吸い込まれ、両親からの電話で叩き起こされ、そして夜更かし。いったい自分は何をしているんだろう……そんな1日でした。

 

2.適応障害と診断されて27日目~部屋の掃除・帰省~

朝はアラームでお目覚め。傷病休暇を取ることにはなりましたが、具体的な開始日についてはもう少し調整をしてからとのことなので、とりあえずテレワークというグレーな手段を今日も続けるために、一応の手続きをしなければなりません。しかし、それが終わってしまうと、もはや私にはやるべきことも考えるべきこともありませんでした。

2日前ほどからまた新しい創作物を書き始めましたが、それを読み返したり、書き進めたりして少し時間を潰してみるも、今日はどうも「書けない日」のようです。ブログを書こうとも思いましたが、いまいち気持ちが乗らず、本を読んだり、昔自分で書いた創作物をちょっと読み直したりしながら、時間を過ごしてみるもどれもすぐに飽きてしまいます。ギターを持ち上げ、1フレーズ歌ってみるも、息を続ける気合いがあっという間に消えてしまいます。

うむ。さて、何をしようか。

とりあえず両親も心配しているし、実家に帰ろう。よし、それは決定。でも、何をしようか。もしこれが和食の席であれば中々の賛辞を得られるほどに、適当な暇つぶしを順繰り順繰り、短いスパンで続けているうちにもうお昼です。昼飯でも食うか……

そんなところへ前職場の先輩からメッセージが届きます。私がやり残して来た仕事について先輩と少し電話をします。職場内でのちょっと面倒な検討事項だったので、一緒に考え、とりあえずの解決策を出してから少しだけ世間話。

「調子はどう?」

「悪くはないですよ」

「よかった」

「でも、今まで有休で耐えていましたけど、正式な休暇をもらうことになりました」

「おぉ、それはよかった。ゆっくり休んでなー」

「ありがとうございます」

「それにしても、〇〇くんがそんなことになるなんてどういう職場よ?」

「まぁ、東京はおっかないとこってことですね」

「〇〇くんは絶対悪くないんだから、しっかり休んでやりな」

「ありがとうございます」

全面的に私の味方であろうとしてくれる先輩の優しさに、嬉しさが込み上げてきます。電話を切った後、休暇中に必ず前職場に遊びに行こうと思いました。

 

昼食後、部屋の掃除と整理をします。なんだかんだまだ10月に越して来てから、色々と物の整理ができていなかったのですが、ようやくやる気になってきました。まぁ、「マツイ棒」的な面白味のあることは何もないのですが1つだけ。

私は音楽を買う時は基本CD派なのですが、最近Amazonでお目当てのCDを探しているとなんか「メガジャケ」なるものがあるんですよね。何となく、「公式な特典じゃないんだろうけど…」と思いながら、その「メガジャケ」のバージョンを買ってしまいます。すると、ビニールに入ってジャケットが大きく印刷された厚紙が届きます。特にどこに飾るでもなく、何となく引き出しの中に積み上がっていたのですが、今日はそれを部屋に貼ってみました。内装は少しカオスになりましたが、でも、ちょっとは面白味のある部屋になりましたかね。

そんな感じで一通りの部屋の掃除と整理を終え、実家へと帰る準備を始めます。

 

というわけで、今は実家でこの記事を書いています。つい最近、実家に2匹の子猫がやって来たので、それを眺めながら書いていました。そのせいで、なんと言うか書く文章が上滑りしているような感じもあるのですが、まぁ、それはいつものことですかね(笑)。

 

自分で書いていても面白味に欠ける文章なので、まったく気が滅入りますが、それでも今はとりあえずリラックスすることができています。書き足りないような気もしますが、今日はここまで。それではまた明日!

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.20

記念すべき(?)20回目の記事を、診断されて26日目(11月9日)の朝に書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

今回は診断されて25日目(11月8日)、つまり昨日のことについて書いていきます。昨日は日曜日、前職場で仲良くなった友人に会いに地方に行った時の話を中心に、その前後も合わせて書いていきます。

 

 

1.適応障害と診断されて24日目~凛として時雨の配信ライブ~

診断されて24日目の夜に凛として時雨の配信ライブを視聴しました。心療内科を受診し、「本格的な休暇が必要では?」とアドバイスを受け、鬱屈とした思いを抱えて2~3時間散歩をして帰って来た後から配信ライブを視聴しました。

内容については、記事にまとめてみたので、興味がありましたら以下のリンクをご覧ください。

 

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ライブレポート記事の中でも書いているように、楽しい素敵なライブではあったのですが、刺激の強いライブでもありました。しかし、同時に自分の病状を把握する上で1つの大事な指標にもなってくれました。

ライブは想像していた通り、激しく緊張感があり、かなり刺激的でありながらも、MCすらないというかなりストイックな内容でした。このところ何をする気力も湧いてこず、死んだように過ごしていたのですが、久しぶりにテンションが上がったように思います。が、そんな大好きなライブにのめり込んで30分近くが経過した後に、少しだけ「ざわざわ」と落ち着かない感じが近づいてきます。僅かにあの適応障害の症状としての不安感みたいなものも頭の隙間に感じ始めます。

結局のところ配信ライブは最後まで大人しく観切ることができたのですが、観賞後にはただの興奮の名残だけではない、病状としての落ち着かなさがわずかに残りました。疲労感もあります。

まぁ、要するに何が言いたいかというと、「たとえ大好きなものであっても、強い刺激を受けると症状が出てしまう」ということです。これは私の現状を知る上で1つの重要な指標となりました。お医者様に昼間に言われ、歩き回っている間に自分の頭でずっと考えていたことが具象化したわけです。

まだ治ってなんかいない。

薬で緩和したり、復帰に向けた強い想いで今まで自分は良いところまで回復してきたという実感がありました。ただ、そうはいってもまだ復帰には早いということは、職場に行くリハビリを経て、自分でも理解できていました。まだ回復し切ってはいないけど、良いところまで来ているはずだ……たしかにそれはそれで間違っていないのでしょう。しかしながらお医者様が言うように、まだ私は治療が必要な段階なんだと思います。好きなものでさえ、負荷を感じ、症状がぶり返す。もちろんその度合いについては量や程度の問題という部分があるわけですが、それにしても好きなバンドのライブを1時間楽しめないという状況は決して健康的とは言えません。

この病気に罹りお休みをいただいている中でいくつも映画を観たり、音楽ライブを観たりしてきました。でも、そう言われてみれば、途中の休憩なしで通しで見たものはなかったように思います。だからきっと症状が顕在化しなかったのではないか。もちろん、凛として時雨のライブほど刺激が強いものではありませんでしたから、ある程度耐えられていたということもあったでしょう。

いずれにせよ、この配信ライブの視聴によって、私は活力を得る一方で、回復過程いおける自分の現在地を再認識したわけです。そして、その再認識はまた翌日にも起こることになります。

 

2.適応障害と診断されて25日目~地方に遊びに行く~

前日の夜、23時前には眠りにつきましたが、3時を回った辺りでふっと目が覚めます。外で騒音がしたとかそういうことではなく、何か夢に肩を叩かれたみたいに、眠りの方から不意に追い出されたような感覚でした。きっと配信ライブのせいで神経が高ぶっているのだろうと思います。さて、少し水を飲んでもう一度寝よう。朝は早いんだ。そう思ってもなかなか寝付けません。結局うだうだと眠れないまま夜を更かし、ようやく疲れから眠りにつけたのは6時ごろ。遅くとも7時過ぎには起きなくてはなりません。

結局1時間とちょっとの仮眠を挟み、何とか体に鞭を打って起き上がります。前回の記事で書いていたか忘れてしまいましたが、実は前日も別の予定をドタキャンしていたのです。どうしても気分が滅入ってしまい、誰にも会う気がしなかったためです。理解のある友人で「全然良いよ」と再度日程を調整してくれました。まぁ、そんなことがあったので、できれば今日はちゃんと約束通り、地方の友人と遊びに行きたいという想いがありました。ただ、ただでさえここ数日の滅入り様が激しかったにも関わらず、寝不足ということもあります。でも、そこまで気分は滅入っていない……いまいち自信が持てないながらも時間に急かされるように寮を出て、電車に乗ります。

友人が待つ地方都市の駅に降り立ったのは昼前。そこから友人の車に乗せてもらって、昼食を食べに行きます。古く趣のある街並みにまるで隠れ家みたいにしてあるイタリアン料理店へと連れて行ってくれました。移動中の車の中でこそ、私の病気の話題にはなりませんでしたが、美味しい料理を食べているうちに自然と私の病気の話に移っていきます。事前に私の病状のある程度までは話していたので、それをより詳細に伝えるような感じです。

このブログでは何回も書いていますが、

・発症の主たる要因は私自身の制御を誤ったこと

・前職場と新職場のギャップが不運にも大きかったことが私自身の制御を誤った背後要因であること

・ある程度そういった原因について整理はできているから、深く思い悩んでいるわけではないこと

・ただ症状が残っており、それは骨折のようなものだと考えて欲しいということ

そんなことを話していきます。もう何回この説明をしましたかね? ブログにも書いていますし、誰にどのような話をしたかもう覚えきれていないので、逐一「これは話したっけ?」と尋ねる羽目になりました。

昼食を終え、山奥の方へとドライブをしていきます。ドライブをしながら、友人の仕事の愚痴を聞いたりしていましたが、実はこれが少しだけ辛かったです。いま目の前にいる人は毎日大変な環境で働いており、自分なんかがしてきた苦労よりもずっと大変な苦労をしているのに、なんで自分はこんな風に仕事を休んでいるんだろう。そう考えないわけにはいきませんでした。でも、それは私が受け入れるよりほかない、厳然たる現実です。笑顔で相槌を打ちながら、久しぶりに感じる長閑な田舎の風を感じます。

ちょっと有名な滝があるということで、そこに連れて行ってもらいました。山奥のひんやりとした空気が心地いいです。でも、ちょっと寒いかな。滝までの山道は少し急な下り坂で、足を踏み外しそうで怖いです。おそらく薬の副作用で若干運動能力が低下しているのでしょう。日常生活にはあまり支障がないものの、こういった局面では常に頭の周りを取り囲んでいるぼんやりとした感じがはっきりと思い出されます。また、滝の音は凄まじく、感動すると同時に少し圧倒されてしまいます。HSP(Highly Sensitive Person)という気質の人が感じる「圧倒されてしまう」という感覚はこういうことかな、とちょっと思いました。が、滝は滝で美しく、壮大で非常に見ごたえがありました。なんにせよ、こうやって自然に触れるというのも久しぶりの事で、なかなか良いものですね。

滝を見終わると、そのまま車を走らせて、少し行ったところにある温泉に行きました。ご老人ばかりの客層。そんなに大きな温泉ではなく、露天風呂からは田んぼや村落を横切る道路が見えます。男だから良いけど、女性はなかなか露天風呂には行けないだろうななんて思いながら、湯に足を入れた瞬間……あつっ! ぎりぎり耐えられるくらいの高音の露天風呂を楽しみ、長閑な空気や温かい太陽の光、山の冷たい風、そんなものを感じながらのんびりするのもなかなか素敵な時間でした。

温泉から上がり、再びドライブをしながら地方都市の中心街へと帰ります。帰り道では仕事観についてじっくりと話し合いました。

その友人は1つしか職場が無い、私と比べればだいぶこじんまりとした会社に勤めています。ただ専門的な技術や知識も必要になるため、やった分だけ給料も沢山貰えるというような会社です。友人が就職活動中に考えていたことは「転勤とか嫌だし、面倒だし、落ち着いて働きたい」ということと、「自分がこれならできると思ったことを仕事にすべき。だって仕事ってそんなに甘いものではないから」ということだったようです。そして、そんな友人から「そんなに繊細なのに、今の会社でやっていけるの?」と私は言われてしまいます。

それは私も非常に悩ましく思っていることです。仮にこの病気が治ったとて、私の会社は2~3年で転勤が基本ペースですし、海外勤務はそう多くないものの、県を跨いでの転勤なんてざらです。業務内容も多岐に渡り、転勤する度に仕事を1から覚え直していかなければなりません。また夜勤の多い業種でもあります。

私は人見知りで、内向的で、体力に自信が無く、自分で言うのは少し恥ずかしいですが割に繊細な人間です。豆腐のメンタルです。そんな私に本当に務まる仕事なのかと問われると「いや、無理っぽいな」と自分でも思ってしまうほどです。そして、私はその友人の話してくれた仕事観についてはよくわかっているつもりです。というか、少なくとも就職活動を始める前までは、私もその友人と同じく、落ち着いた環境で自分にできると思しきことをやって働いていこうと考えていました。大学の研究室でやっていたことの延長線上にあるようなメーカーで研究開発に携わる未来を想定していました。

しかし、幸か不幸か、私が就職活動をしていた時期は売り手市場で、受ける会社のほとんどから内々定がもらえるような状況でした。詳しく話すととても長くなりますし、しかも一貫性を欠くので、とりあえず核となる部分だけお話をすると、そんな「よりどりみどり」みたいな状況の中で、私はふと自分の未来について考えてみました。

Aという選択肢を選べば、ある工場を拠点に今後の人生を送っていくことになるだろう。そこには今の自分にもある程度想像がつき、おそらくは自分が得意とする地道に物事を探求したり、自らの裁量で進められるような業務が待っている。いかにも理系というような自分と近い思考パターンを持った人が多いだろうし、まぁ、出会いは少なくても安定した収入、仕事ということでいずれ結婚だってできるかもしれない。将来的には管理職のような方向を目指すこともできるし、技術屋としてそのまま突き進むという方向性もある。様々な転機はあるだろうけれど、それでもある程度のところまで自分の人生がイメージできる。

対して、Bという選択肢は、あまりに未知すぎる。転勤は多いし、きっと落ち着いた人生を送ることはできない。業務だって自分があまり得意ではない、様々な人と関わり合いながら進める仕事が多く、おそらくは「じっくり考える」という自分の得意とする部分は発揮する場面があまり多くないだろう。会社に引きずり回され、消耗するだけの人生になるかもしれない。でも、様々な土地で様々な経験ができることは間違いない。予測不能というのは不安と同時に刺激的でもある。

どちらを選ぶかで私はかなり迷いました。今でも決め手が何なのかよくわかりません。私を知る人のほとんどは「Bという選択肢は向いてないんじゃない?」というアドバイスをくれました。でも、あまのじゃくな私はそう言われるたびに「A」という選択肢が気になってしまいました。それもきっと私が決断をしたときの理由の1つでしょう。でも、それ以上に私が「B」という選択肢に惹かれたのは、私が生きる上での矜持が「自分が好きと思える文章を書くこと」だったからでしょう。何度も言うように私はいつ死んでも構わないという想いで生きてきましたし、そんな私が私の人生でやるべきことはただ自分が「良い」と思える文章を書くことだけです。もちろん、その頃にはもう私は文章を書いて食べていくということが自分にはできないということを悟っていました。それは単に技術による面が大きいわけですが、同時に生活手段が文章を書くことになってしまうという怖さもありました。私は誰かに届かせるために文章を書くことができません。私はただ私のためだけに文章を書くのです。それだけが私の人生で許された唯一の自由なのです。まぁ、そんな風に考えていたわけです。

というわけで、気がつけば私は明らかに困難と思える「B」の選択肢を選んでいました。事実、私はこれまでに研修時代も含め、実に多くの土地で生活し、多くの人々に出会ってきました。それらは私に負担であると同時に、刺激となり、私に沢山の文章を書かせてくれました。そこには今回のこの「適応障害」というイベントも含まれています。

ただ、ここに来て問題となってくるのは、「そんな生き方が本当に持続可能なのか」ということです。別にいつ死んでも良いとは思っていますが、やはりいざ死ぬとなっても恐怖は大きいですし、今回こんなことになって、もはや書くという意思すら奪い取られ、感性が殺されるということも知りました。それは私が望む自由ではありません。もしかしたら私はもう1度「A」という選択肢について考慮してみるべきなのかもしれない……最近はよくそんなことを考えます。

と、そんなことまではその友人に話せませんでした。私が話せたのは「B」という無謀な選択肢に何か惹かれてしまったというところまでです。

 

かなり話が逸れましたが、そんな相容れないようで、相容れるような仕事観について話したのち、私たちは車を適当な駐車場にとめ、公園でコーヒーを飲みながら電車の時間まで話し込みました。

「こうやって話していると、だいぶ元気に見えるでしょう? でも、本当は今すぐそこの砂場に倒れ込んで、そのまま沈んで消えていってしまいたいと思っているんだよね。昔から人の目ばっかり気にして、カッコつけることしか考えて生きてこなかったからさ。いくら弱みを見せて良いって言われても、適当に笑い話に変えてしまうし、人当たりの良い人間であろうとしてしまうんだよ。ま、誰でもそういうことってあると思うけど」

まぁ、だいたいそんなことを話しながら、時間を潰しました。私なりに自分の弱さを伝えてみたつもりですが、本当のことを言うと、この時の私は既に適応障害の症状で、慢性的な不安感や落ち着かなさに心の内では悶え苦しんでいました。

笑顔で別れ、電車に乗り、泣き喚きたいのを堪えながら、自分の腕で自分の体を強く抱きしめ、吹きだす汗とじっとしていられない体を時折不自然がられない程度に揺り動かしてただ時間が流れ過ぎていくことを待つしかできませんでした。本に集中してみたりするもあまり長くは続かず、次第に文字が躍り出して吐き気が押し寄せてきます。目を瞑り、奇妙な夢に現を抜かし、またはっと目が覚めては、本に集中する。そんなことを繰り返し、ようやく寮に戻って、夕食を取り、薬を飲みます。

こんな寮でも、1人きりになると落ち着くことができました。

それでもまだ気持ちが落ち着かないところがあったので、両親と1時間くらい電話をしたのち、凛として時雨の配信ライブのレポート記事を書き始め、それが書き終わったのは日付が変わった頃でした。そこまでして、ようやく気持ちが落ち着き、眠りにつくことができました。

 

総じて、久しぶりに地方に帰り、素敵な時間を過ごせた日ではありました。また、自分の人生を見直すうえでの色々なヒントを得られた日でもあります。ですが、そんな素敵な1日であったにも関わらず、やっぱり私は適応障害の症状に苦しめられます。そう言えば、お酒を飲まずにこれだけ普通の友人と時間を過ごしたのは初めてですね。お酒さえ入ってしまえば、その時ばかりは大抵の嫌な症状は忘れられるのですが、どうも素面では気の置けない友人でもダメみたいです。これも1つの自分の状況を表していると言えるのでしょう。

 

3.判断のつかないことだらけ

心療内科というものは初診こそ時間をかけて症状を聞いてくれますが、2回目以降はものの15分で診療は終わってしまいます。患者も多いし、仕方のないことだとは思います。でも、それ故に、どこまで自分の状態を詳しく知ってもらえているかはわかりません。だから、お医者様の言葉は15分の信頼感という前提のもと考えを整理していきます。

【お医者様のアドバイス】…いくらか前回記事と内容がダブります。

・環境因による適応障害から回復するための3つの方法

 ①退職(環境をガラッと変える)

 ②休職して治してから復職

 ③薬の服用をして症状を抑え込んだうえで、継続的に働き、徐々に薬を減らす

 この場合、既に職場で明確な症状が出ている私には③という方法が不可能ということが既に分かっています。現在、私が上司からのグレーな提案で②と③の間の微妙な状況に置かれているということは、きちんと説明することができませんでした。しかし、お医者様の言い方からすると、負荷を感じてそれに伴って症状が出ているのであれば、「休職が妥当でしょう」とのこと。

 

・自殺未遂の話

 本来なら入院してもらいたいけれど、とりあえず次やったら入院ってことで。そして、負荷によってそういうパニック状態になるリスクは依然としてあるようなので、極力負荷は避けるように。

 

・増薬について

 職場でなくても日によって安定しない日があるのであれば、薬を増やしても良いんじゃないかとのこと。あまり安定している状態とは言えないし、安全を考えるのであれば、少しでも薬を増やしてまずは安定を目指した方が良いのではないかということ。特にこれまでで1か月弱が経ち、薬による緩和の効果も得られ、副作用も落ち着いてきたからこそ、きちんと回復に向けた手順を踏んでいくのもアリとのこと。

 個人的に薬は増やしたくなかったので、いったん断ることに。これについてはもう少し様子を見たい。特に、これまでは自分で自分に与えてきた負荷が大きすぎたのかもしれない。負荷の無い状況で安定するかを先に見るべきなんじゃないかとも思う。

 

【自分の気持ち】

先週の水曜日に上司と面談して、グレーな方法を提案してもらった。しかし、グレーはグレーなりにやってもらわなければいけない業務もある。木曜、金曜とそのグレーな方法で休んでみたけれど、グレーな方法を取っていることに対する罪悪感が若干あり、またその「やらなければいけない業務」に取り組むための気力が湧いてこず、そんな自分に失望してしまい辛かった。

無気力の原因はおそらく「復帰が遠のいたこと」です。「もう少し猶予を貰えたから少し肩の力を抜いて、しっかり休んで治そう」と思ったら、それまで張り詰めていたものが切れてしまったのだと思います。今は「復帰したい」という想いが消えかかっていります。それよりは「ゆっくり休みたい」という想いが強くなりつつあります。もちろん、「時期はわからないけれど、いずれ復帰したい」という想いはあります。私はまだこの新しい職場で2週間しかやっていないし、職場や業務が好きとか嫌いとかそういうことすらまだ自分の中には出来上がっていません。だから、いずれ復帰してまたトライしたいという想いはあるけれど、それが「できるだけ早く」という風には、今はあまり思えていません。

ただ、そんな「休みたい」という想いが、本当に治療の必要性から来る理性的な感情奈なのか、ただの甘えなのかは自分でもよくわからないです。もちろん第一目標は完治ですから、その状況は「どうしたら治るかわからない」というところから来ているように思います。もしかしたらある程度の緊張感があるグレーな方法を継続することで、復帰への想いを保ったまま治療していった方が良いのかもしれない。でも、そのグレーなやり方で心は少し辛いというのは事実。それが実際的に症状の悪化やパニックを引き起こすリスクにまでなり得るのかは、自分でよくわからないところがあります。耐えられるのか、耐えられないのか、それが自分ではイマイチわからないのです。でも、もしかしたら「耐える」・「耐えない」という話をしている時点でダメなんじゃないかとも思います。お医者様的には、たぶんそういう考えのもと、「休んだ方が良い」とアドバイスしてくれたのかもしれません。

 

これ以上は、私にもいま明確に言えない部分があります。本当に気持ちを包み隠さず、取り繕うことなく言うのであれば、「傷病休暇でじっくり休みたい」です。でも、これがいま一時の気持ちの緩みから来る「甘え」なのかもしれない、とも思ってしまいます。せっかく上司からは様々な提案をしてもらっているので、それに応えたいという想いもあります。でも…………でも…………やっぱり自分にはまだ判断がつきません。どうすべきなのか、自分でもよくわからないのです。

 

今日もまた上司と面談をセッティングしてもらいました。お医者様との話をフィードバックする場です。でも、3時間後の面談に向けて、まだ私の中では「こうしたい」という判断ができずにいます。いや、口を開いてすぐに飛び出て来るのは「休みたい」という言葉であることは間違いありません。でも、本当に休んでしまっていいのか…

上司はきっと困るでしょうが、もはや私には判断できないことです。医者でない上司にもきっと判断はできないでしょう。お医者様はちょっと独善的に「休職だ」と判断をします。

ま、どうなったところで死ぬわけじゃなし。この予測不能こそ私が人生に求めるものだったはずです! …本当に???

 

次回

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