霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.26

適応障害と診断されて35日目(11月18日)の夕方にこの記事を書き始めています。このところはただのニート日記みたいになっていますが、今回もそんな感じです。

 

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1.適応障害と診断されて34日目~海岸沿いドライブで魚市場へ~

相も変わらず疲れが取れずに朝はかなり遅く目を覚まします。お医者様の仰った通り、やっぱりあまり激しく遊ぶのは私にはやめた方が良さそうですね…と何回目かの反省。

この日は朝ご飯を食べてシャワーを浴びると、すぐに母と外に出ました。最近の私にとっては、車の運転がリハビリみたいなものなので、今日も老後を謳歌する母のお抱え運転手みたいなものです。まぁ、母からしたら病んだ息子の療養のために外に出してやっているようなものなのでしょうが。

秋晴れの空の下、海岸線をドライブします。水平線は何千年も前から丸く、そして空を反映して青く輝ていました。「自分がサーファーなら」と考えてしまうような素敵な白波が幾重にも折り重なって砂浜へと押し寄せています。砂浜の色と混じってか、手前の方は不思議な緑色に光る海でした。

ドライブしながら、母が「退職したら世界一周旅行に行くつもりだったのにコロナで…」ということを言い出したので、私はどこに行きたかったか聞いてやることに。ちょうどBohemianvoodooの音楽を流していたので、「Adria Blue」を聴いてイタリアに思いを馳せたり、「Nomad」を聴いてモンゴルとかもアリだねと言ったり、「Cleopatra's Dream」を聴いてエジプトも外せないかとなったり、そんな感じで穏やかな会話をしながらしばらく車を走らせていました。

昼食に母が行きたがっていたパスタの美味しいカフェまで行くも、残念ながら定休日。そういえば、前の職場では外に食べに行くことが多かったので、必ず定休日の関係は調べていましたね。母はずっと土日休みで会社勤めをしていたので、頭の中に「定休日」という概念があまりないようです。仕方が無いので適当に調べた別のカフェへ。が、明らかに見た目が古い。そして、入口の手前まで行ってガラス窓から店内を伺うも、お客も店員も誰もいない……落ち着いた雰囲気のカフェではあったので私はとりあえず入ってみようとも思いましたが、母が断固として反対。仕方が無いので、昔に行ったことがあるこちらも古びたラーメン屋へ。私はあまり覚えていないのですが、私が小学生の頃にサッカー部の試合終わりでここに来たことがあるそうです。その時には監督や部員で店をほぼ占領したとのこと。雨でぐしゃぐしゃになったり、監督や子供たちのために公民館でカレーを作ったり、とそんな思い出も語って聞かせてくれました。先日テレビで「子供に習い事をやらせることがいかに大変か」ということをやっていたこともあり、改めて沢山迷惑をかけたなぁ…と。というか、あれから20年も経ったのにほとんど成長なく、また沢山迷惑をかけている自分には、もはや苦笑いを浮かべるよりほかありません。

魚市場では刺身やつまみ(梅水晶とか)を買って、イカ浜焼きなどをちょっと食べ歩きした後、割とすぐに帰りました。母はせっかちなところがあり、あまりひと所でゆったりと場所を楽しむことができない性格なんで、用事さえ済めばさっさと帰る感じです。

帰りの車の中では、母から「結婚しないの?」とあれやこれやと言われてしまいました。結婚生活も良いけど、何より子供が可愛いよ、と何度も力説されました。母曰く、自分ができなかった経験を子供を介して追体験できるのが楽しいとのこと。自分1人の人生じゃサッカーなんてきっと関わらなかっただろうし、そういう意味では人生の幅を子供に広げてもらった。そんなことを言ってくれました。これは息子冥利に尽きると言えば良いのか…まぁ、その辺はよくわかりませんが、この自分のクソみたいな「適応障害」も母にとって、刺激的な経験の1つであってくれれば良いなと思います。少なくとも、私はこうやって「適応障害」にかかったことも人生の1つのスパイスとして捉えられるくらいには回復してきましたし。

 

家に戻り、久しぶりにジブリ作品で心を癒します。

千と千尋の神隠し」・「魔女の宅急便」・「天空の城ラピュタ」を観賞します。

特に、「千と千尋の神隠し」はやはり何度見ても素晴らしいです。ジブリ作品の中でも線のタッチが特別細く、どこかさらりとした印象のある絵が印象的ですね(話はだいぶ変わりますが、漫画「NARUTO」のサスケが大蛇丸の手に落ちるまでを描いた20巻辺りのあの非常に線の少ない絵が私は大好きなんですよね。それと似た趣をその線の細さからは感じます)。湯屋の中でのドタバタも実に面白く、同時に非常に論理的に構築されており、エンターテインメント性が高い部分があります。そして、それはカオナシが暴れ出すところでピークを迎えます。しかし、私がどうしても好きなのはあの「電車のシーン」なのです。それまでの千尋の成長を軸とした湯屋でのドタバタ劇からは一転して、幻想的かつノスタルジーたっぷりな世界が不意に訪れます。海に浮く小島や、海の中にぽつんと佇む駅のホーム。通り過ぎる踏切。電車を乗り降りする乗客は誰も口を聞かず、虚ろで半透明な影。夕暮から夕闇までのわずかな時間に、千尋はまた一回り大人へと成長していきます。大人になるためには一時の孤独が必要なのだと言うような演出…でも、きっとそんなことは明確に考えていないはずです。宮崎駿監督を含め、作品に携わった人々はあくまで感覚的にそのシーンを描いているように思います。ジョニー・デップが主演を務める映画「ネバーランド」でも子供の成長を描いていますが、母の大病に際して、長男が急に大人びる場面があります。私はどうもそういう子供が大人に変わる一瞬を描いた作品に惹かれるようです。これはもはや性癖と言っても過言ではありませんね。

魔女の宅急便」と「天空の城ラピュタ」はその半分以上を眠ってしまいました。どうしてもまだ疲れが取れない。なので、ここではあまり感想を書くことができません。強いて言うなら、「魔女の宅急便」では「海の見える街」が、「天空の城ラピュタ」では「空から降ってきた少女」が、それぞれ大好きな音楽なんですよね。久石譲は本当に素晴らしい音楽家だと思います。語り尽くされていますが、明るいシーンでは少し悲しい曲を当てたりと、そういうセンスも非常に大好きなところです。ちなみに全く関係ありませんが、私は小学生までエレクトーンを習っていて、たしか発表曲で「海の見える街」を練習していました。あの頃はこんなに好きになるとは思っていなかったなぁ…時とともに感性は変わりゆくものですね。モーニング娘。OGの田中れいなさんは中学生の頃から今に至るまで、やはり「可愛いな」と思わされますが。

 

そんな感じでドライブに行って、ジブリ映画を観て、昼寝をしただけの1日でした。昼寝をし過ぎたせいか夜はなかなか寝付くことができず、ドラマ「カルテット」をだらだらとAmazonPrimeで最終話まで観てしまいました。私、脚本家の坂元裕二さんが大好きなんですよね。夏は「それでも、生きてゆく」を、冬は「最高の離婚」を観るのが私の毎年の恒例行事です。特に「それでも、生きてゆく」はDVDボックスまで買って、何度も繰り返し見て、涙を流しています。

と、そんな感じで「カルテット」を見終わり、あとはハライチ澤部のラジオでのフリートークを聴きながら就寝。決してつまんなかったというわけではありませんが、30秒で眠ることができました。

 

2.適応障害と診断されて35日目~祈祷~

昨日よりは1時間早く目を覚ますことができ、何とかまともな時間から活動を開始。疲れは割と取れてきたようですが、まだ少し体が重いですね。

今日も今日とて、母とお出かけです。私の病気を心配してか、母は地元近くの(といっても車で1時間半くらいかかるところにある)ここ数年で割と有名になった神社でのお祓いを予約してくれました。予約時間の30分ほど前に神社につき、まずは一回り。本当に紅葉が綺麗でした。先日訪れたもみじの観光スポットも、色づいた木々がとても美しいものでしたが、鳥居や石段、松の葉の緑、それから社などと一緒に観る紅葉も非常に趣が深く、素敵でした。空気も澄んでおり、落ち着きます。

御祈祷の前に引かせていただいたおみくじが、これまた非常に今の私を物語っている内容で、かなり驚きました。何度も言っているように、私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんし、超常現象のようなものに胸をときめかせるには少し科学の勉強を頑張り過ぎました。以下、ざっくりとおみくじの内容をまとめます。

 

・理由なく気分が不安定で、心の迷いが生じやすい時期。こういうときは無理に事の打開をしようと焦らず、余裕をもっと受け身の姿勢を取るべし。

・過労気味のようなので、思い切って休養を取ること。病気の再発がないよう治療を十分に。 

 

と、まさに私にうってつけの内容が書かれていました。何と言うか不思議なものですね。有吉弘行信者の私としては、占い撲滅アベンジャーズとして行動していかなければいけないわけですが、まぁ、こういうのはあくまで気分の問題ですからね。私は「運命」は信じませんが「偶然」は信じていますし、これまで沢山のアーティストと偶然を介して出会ってきました。そういう意味では、私が「適応障害になった偶然」と休暇を貰って訪れた神社でこういうおみくじを引くという「偶然」に少しだけ面白味を感じてしまいます。

神社の御祈祷は平日の昼間ということもあって、神主さんと母と私の3人のみ。とても丁寧に御祈祷していただきました。名前だけでなく、生年月日や住所、そしてどんな祈祷の内容にするか5分くらい話し合ったあとで、いよいよ御祈祷の開始です。まずは太鼓を叩き、おそらくは神様に来ていただくような手順を踏みます。その後に、神主さんの方から、私や母や家族の名前、生年月日、住所など「これこれこういうものです」という紹介をしていただき、それから本格的な御祈祷に入ります。私の病気が治るように、医者や薬が良く効くように、回復後には問題なく仕事に戻れるように。そんな内容を15分くらいかけて、神主さんから神様に向かってお話していただきます(私については病気が治るように、くらいしか話していなかったのですが、神主さんはだいたいのところを悟ってか、丁寧に言葉を尽くしてくださいました)。それから、私たち家族のことについてもまた15分かけて神様に向かって話してくださいました。それからきちんとした順序はちょっと忘れてしまったのですが、まずは神主さんの笛の音により私と母のもとに、祈りを捧げた神様を降ろしていただきます。そして、今度は神楽鈴を振り、その神様を私たちの体に定着させるとのこと。そこまで儀式が済んだら、玉串を神様に捧げます。やり方についてはその場で神主さんが教えてくださり、それを真似すれば万事オッケーです。最後にまた太鼓の音で神様にお帰りいただき、1時間弱にも及ぶ御祈祷は終了しました。

最後に神主さんからは、御神酒や撤饌、お守りや勾玉のキーホルダー、神社のステッカーまでいただきました。

漫画「ノラガミ」を読んでからというもの、やはり神様に祈る上で、その神様のキャラクターとかをしっかり調べなきゃなぁ、と思うわけですが、今回はちょっと勉強不足でしたね。何となくお賽銭を放り込むくらいであれば、軽くネットで調べた知識でも充分ですが、これだけきちんと御祈祷してもらうにはもう少しちゃんと「どんな神様か」ということを知らないと強く思いました。ましてや神道は八百万も神様がいるのですから、勉強はとても大事です。それは私みたいに、宗教の役割が「内省」であると考えているような人間であっても…です。

さて、とりあえず近くの湧き水スポットで25リットルほど水を汲み(業者かっ!)、お昼に蕎麦を食べに。しかし、ここも母が行きたいと言ったところは定休日で、仕方なく少し遠くの蕎麦屋へ。完全に蕎麦の口になっていたにもかかわらず、そこのお店のオススメはなんと「鴨鍋定食」。熟練された安打生産機であれば、ここはきっと待ち玉である「蕎麦」を注文するところ。ですが、こちとら手負いの気まぐれ素人。それはもう「鴨鍋定食」を頼むしかありません。母が食べる蕎麦を美味そうだなぁ、と眺めながら私にはちょっと薄味の鴨鍋を食べ、お腹を膨らませました。そして、帰りにチョコが美味いと有名な菓子店に行きますが、ここも定休日(3回目!)。大人しく家まで車を走らせます。実家の車にもだいぶ慣れて来て、割と思い通りに動いてくれるようになりました。

 

家に戻ってからは先週のハロステと松永里愛ちゃんのtiny tiny(どちらもハロプロ関連のYouTube番組)を観て、ZAZEN BOYS54-71のライブ映像を観て、子猫と戯れてから今回の記事を書き始めました。「バッハのピアノ協奏曲1番」と「ラフマニノフのピアノ協奏曲」を聴きながら(クラシック音楽はあまりわからないので、聴く曲はほとんどのだめカンタービレで紹介された曲ばかりです)、記事を書き進めました。

「有吉の壁」を観ながら夕食を食べ、やっぱりインポッシブルみたいな芸人は強いなぁと感心しつつ、番組も終わったので再びブログの記事執筆に戻ります。が、イヤホンをしながらキーボードを叩いていると画面には、愛する田中れいなさんが!そうか!今日がその日か!と結局また番組1本分しっかりと見てしまい、やっとこの記事に戻って来れました。が、なんだかちょっと書きたい欲が薄れてしまったので、そろそろ切り上げたいと思います。

 

ここ数日、疲れてはいるものの、少しずつ以前の自分に戻れているような気がします。自分ってどんな風に生きていたかを思い出しているとでも言えばいいのでしょうか。思えば、転勤前後の自分は結構おかしな精神状態だったと思います。まぁ、もともと好きではあったのですが、急に哲学の勉強をし直したり、社会的なマイノリティの方に取材をするようなYouTube動画をひたすら見たり、スーパーやコンビニの店員の人にめちゃくちゃ優しくちゃんとした言葉で応対したり(本来の私は乱暴というわけではないですが、ほとんど喋らずジェスチャーで事を済ませてしまいます)していました。自分が弱っていたからこそ、弱い立場や疲れていそうな人に対して興味が向いていたのかもしれません。でき得ることならば、常にそういう人間でありたいとも思いますが、しかし元気になって来てみると、自ずと自分の行動は本来の自分に戻ってくるものなのですね。

 

最後にこれもまた引き続き余談ですが、2匹の子猫について少し紹介します。2匹とも白と黒のぶちですが、白メインと黒メインなので、ここでは白猫と黒猫と言いますね。白猫は人懐っこく、穏やかな性格。黒猫はビビりで、騒々しい性格。2匹は互いにじゃれ合ったりしながら、テーブルの脚に頭をぶつけたりしています。人間で考えたらちょっとあり得ないくらいのじゃれ合い、というかバトルです。基本的なスペックは白猫の方が高いのですが、白猫の方が疲れやすく、もう白猫が嫌がっているのにもかかわらず黒猫がずっとちょっかいを出し続けるものだから、しばらくすると白猫はどこかへと逃げてしまいます。白猫が黒猫をいなしている姿を見ると、仲が悪く見えるほど。でも、寝る時などはとても仲良く2匹で寝ています。そして、前までは人懐っこい白猫の方が、よく私の膝の上にやって来ていたのですが、しばらく黒猫と一緒になって遊んでやっているうちに、黒猫の方が私の膝の上にやって来るようになりました。逆に白猫の方は別に私以外の家族にも懐いているので、あえて私のところへやって来ることは減りました。

このことから何か教訓めいたものを引き出したいわけではありませんが、猫と人間にも相性というものがあるのだなぁ、と思いました。不思議なものですね。大学生の時分、小学校のサッカー部にたまに顔を出すことがありました。ちょっとした経緯(でも、これが話すと少し長くなるので今回はやめておきます)で、私は小学校のサッカー部のコーチとなかなか深い仲でしたので、久しぶりにサッカー部に顔を出すとコーチは喜んでくれます。とは言え、基本的には私はそこで放っておかれます。周りの小学生たちは見慣れない人が来たので、最初は少し距離を取っている感じ。でも、私が楽しそうにリフティングしたり、ドリブルしたりしていると、小学生も少し興味を持ってくれます。そして、一緒になってちょっと練習したり、こっちからちょっかいを出したりしているうちに、すぐに仲良くなることができます。今日、黒猫が膝の上にやって来て、何だかその時と同じような感情を思い出しました。子供のそういうところって、私、けっこう好きなのかもしれません。思えば、私もそのコーチとは教えてもらっているというよりは、一緒になって遊んでいるという印象が強かったように思います。

そんな風にして、ちょっとだけ昔のことを思い出したりしながら、自分という人間をもう一度見定めるための時間を今は取ることができています。今では休職して良かったなぁ、と思っています。が、きっとこの時間を悔いるのは、復帰してからなんでしょうね(笑)。

 

また、何も面白くもない個人的なことを書いて文字数ばかり嵩んでしまったので、そろそろ終わりにしましょう。それではおやすみなさいませ、ご主人様。

 

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