2005年に発表されたアルバム「#4」。そこから15周年を記念してのリマスタリングアルバム「#4 -Retornado-」発売と、ライブ「#4 for Extreaming Live Edition」の配信。
今回は、そんな凛として時雨として初の配信ライブを視聴した感想を書いていきたいと思います。
1.ちょっと長めのライブレポート風ライブレポート
グッズ紹介と穏やかなBGMの中、静かにPCの前に待機している時間はまさにライブハウスで開演を待っている時のあの感じ。期待や緊張感、そして何とか押さえつけている高揚感が胸の内に広がっていきます。
そしてすぅっとその穏やかなBGMが消え、暗転。薄暗いスタジオの階段が映し出されると、すかさずSEが鳴り響きます。初めてイヤホンで聴くSEはいつもライブ会場で聴いているよりもより生々しく、そんな中ゆっくりと歩いて3人がスタジオに集結していきます。機材やライトが暗闇の中で鮮明に映し出され、3人はトライアングルを描くように向かい合い、それぞれのセッティングに入ります。足元の瀟洒な絨毯を踏みしめ、黙々とセッティングに向き合う姿からは既に並々ならぬ集中力が醸し出されています。
SEが消えるのに被さるようにTKのギターが煌びやかな音色で「Sadistic Summer」のコードを1弦ずつ、ゆったりと慣らしていき、それがスタジオを満たしていきます。そして、挨拶も無いままにピエール中野が2カウントを刻み、楽曲がスタート。一聴して「Summer」と「Sadistic」を感じる印象的なイントロから、まさに凛として時雨らしい変則的で独特な流れが生み出されていきます。攻撃的ではあるけれど、ノスタルジー溢れるサビは、15年経った今でも色褪せることなく、私たちを遠い夏の空の中へと吹き飛ばしていきます。
そして、勢いそのままにすかさず「テレキャスターの真実」のイントロ。歯切れの良いギターが冴え渡ります。そこへ重低音のベースと、テクニカルなドラムが加わり、一瞬で凛として時雨の「音」が結実します。制作当初はその疾走感に皆が魅了されましたが、年を追うごとにこの「テレキャスターの真実」という楽曲が本来持つ「うねり」が見事に表現されるようになってきました。今回の配信ライブでは、3人が掛け合わせる独自性の高いタイム感を細部まで聴きとることができ、楽曲は新たな剥き出しの生命力を放ちます。
ギターのハーモニクスが残した残響が引き千切られると同時に「CRAZY感情STYLE」の印象的なドラムが弾けます。グルーヴという概念を覆す、疾走感に身を委ねる楽曲。しかし、キメでは一切のズレがありません。楽曲の展開に合わせ、怪しさの紫、疾走する青、ストイックの白といった風にライティングも目まぐるしく移り変わり世界観を補強します。特に、「僕のせいで死んじゃえばいいよ」のキメが生み出す「真空」は鳥肌ものです。
重く歪なノイズから始まったのは「トルネードG」。アルバムと同じ曲順で胸が熱くなります(なお、アルバムでは「CRAZY~」のトラックの最後に「トルネードG」へと続くノイズが僅かに含まれているので、その当時の制作意図をきちんと汲んだ形となります)。当時のアルバム音源では透明に駆け抜けていく印象が強かった本楽曲ですが、鋭角なキメと、燃え滾るような間奏によって激情を引き出される感覚があります。これは特にバスドラムを中心とした低音の力強さが効いているからでしょう。
間髪入れずに「O.F.T」が開始。歯切れが良くありながらも、浮遊感のあるエフェクトがかかったTKのカッティングギターから始まり、345のボーカルを引き立たせるピエール中野の的確な8ビート。アルバムの中でも屈指の歌のメロディラインを余すことなく聴かせます。345のパート中では、TKが多彩なテクニックを使用し、アルバム音源以上の壮大な世界観を作り上げていました。ラストの転調してからの、重なり合うTKと345のボーカルはまるで嵐のように私たちの心を連れ去ります。近年の楽曲では、TKと345のパートが明確に分離されていることが多いため、違うメロディを2人が歌う本楽曲はその構成だけでも凛として時雨の中では突出した楽曲となっていることを再認識します。
静けさの中で寂寥感を含んだアルペジオが鳴り響き、始まった「Acoustic」。冷たい海を照らす灯台の光のように、矢のようなライティングがゆっくりと回転し、ノスタルジーを感じさせます。中盤はノン・ボーカルで楽器のみにより「破壊」と「創造」を表現しきります。昔からのライブアレンジもあり、ラストは溢れ出すカオスに溺れたのち、斧でロープを断ち切るように突如として無音に還ります。
静寂の後、不気味なギターの雨音が空間を埋め尽くします。細かく粒だったディレイが降りやまない雨を降らし、その冷たさを保ったまま、「ターボチャージャーON」の世界が目の前に開けます。美しい歌のメロディラインの背後では音が氾濫を起こし、あらゆる事物をその飛沫で濡らしていきます。間奏では止まない雨の中、ほんの少しだけ雲が薄くなり、太陽の暖かみが大地に降り注ぎますが、そんな光の中も雨は激しさを増していく…そんな世界観をピエール中野の無限の手数が表現していく様に圧倒されます。
前曲に引き続き2弦にカポをはめたまま、攻撃的に歪んだ無骨なアルペジオが次の楽曲への期待を高め、そのボルテージが最高潮に達したのを見計らうように、ピエール中野による4カウント。何度でもその激情と疾走感の中に私たちを誘ってくれる「Telecastic fake show」が遂にその姿を現します。カメラワークも激しさを増し、眼には見えない狂気を映し出します。「#4」というリミッターが振り払われ、スタジオの空気はより濃密で狂気的な凛として時雨の色へと染め直されます。
まるで最早場外乱闘の様相を呈しだしたスタジオライブは、次の「DISCO FLIGHT」によってさらに混沌を極めていきます。深く歪んだベース音、怪奇的な暗幕を切り裂くように、イントロのギターが無数のミラーボールを宙に映し出します。事実、冷色のミラーボールはスタジオに雨の渦を巻き起こし、雨は星となり、宇宙へと私たちを誘います。恒星の灼熱を思わせるようなライティングの中、カオティックなギターソロが空間を食い破ります。345のハイトーンボイスとTKのシャウト、そこに狂ったようなドラミングが畳み掛け、一瞬の静寂の後に、最後の混沌が楽曲を締め括ります。
無骨なテレキャスターの音が世界をリセットしたかと思えば、それは鋭いピッキングによって打ち切られ、凛として時雨以外では絶対に聴くことのできない、ユニークかつクールなリフを持つ「想像のSecurity」へ。もともとドラムの手数が尋常じゃない本楽曲ですが、生々しいタムの音が有機的な感触を増幅してくれます。ラストの345のパートでは、スネアのタイム感が音源と大きく異なり、より激しい切迫感を演出。演奏技術の進化が、楽曲に新たな息吹を吹き込んでいる事実を目の当たりにします。
ハウリングの後、ギターの音色がオレンジ色に染まり出します。新しい朝を思わせるような閃光を背中に受け、TKが神々しい影となり、「鮮やかな殺人」の一節を歌いあげます。初期衝動は時の奔流の中でノスタルジーとなり、そしてそのノスタルジーはライブという熱の力場によって、また鋭い衝動を模ります。「鋭角殺人トリオ・狂気:プログレ・凛として時雨」という名にふさわしい鮮烈さを失うことなく、今もここに存在し続ける奇跡に胸が熱くなります。
そして、そんな美しい懐古心すら切り殺すように「TK in the 夕景」の超速アルペジオが血飛沫を撒き散らします。そこにはある種の非情ささえ感じるほどです。一瞬の隙さえも見せず、楽曲は展開していきます。アルペジオをかき鳴らしながら孤独の中で「僕らの未来を見さしてくれ」と歌うTKに続き、次は345がまるで古いフィルム写真で撮ったような懐かしい景色を柔らかく半透明な声で歌い上げます。「風は少し紫色。夏の匂いに。丘が見える。白い家を。君が探す。2人の少年。僕を笑う」。そこからさらに楽曲派予測不能な展開を見せていきます。理性を壊すサイレン音のようなギターソロ。かと思えば、優しいTKのアルペジオの中で345が再び幻想的な風景を引き連れてきます。そして、楽曲はラストのカオスへと向けて、何一つ猶予を与えず駆け上がっていきます。そして私たちは静寂の中へと放り出されます。
MCもなく、私たちと凛として時雨というバンドはライブのラストを飾るに相応しい「傍観」の序章へと足を踏み入れていきます。柔らかく温かく心地よささえ感じさせる「痛み」。その具現化のような前半が赤い血の光の中でゆったりと時間を押し進めます。ほんのひと時、冷たく幻想的な青のライティングに身が浸され、神秘的な世界観が脳裏を過ります。が、それは波が押し寄せる前に、一度深く引いていっただけに過ぎません。「僕は汚いよ」「僕は見えますか」「僕は死にたい」というもう一人の僕という傍観者の言葉をトリガーにして、自らに潜む狂気が再び血の赤の中で吐き出されていきます。形容不能のカオスに全ての空間が支配され、音以外では語ることのできない激情に包まれ、それはもはや音楽というジャンルを超越した純粋な表現となって弾け飛びます。後には意味消失を意味するためだけのハウリングが取り残され、ライブが終幕を迎えます。
スタッフロールの後は、再び私たちを夢から優しく覚ましてくれる、開演前と同じBGMがゆったりと流れます。ここまでが凛として時雨のライブ。
お疲れさまでした。
2.感想
と、まぁ、巷に出回っているような「ライブレポート」っぽい感じで、私もライブレポートを書いてみました。「カッコいい語彙」ってなかなか難しいものですね。
ここでは少し冷静に、今回の配信ライブの感想について話していこうと思います。
まず1番感動したのは「傍観を演奏してくれたこと」です。「#4」を軸としたライブなんだから「傍観」をやって当たり前と言えば当たり前なのですが、凛として時雨というバンドが「傍観」を自前で映像化したのは今回が初ではないでしょうか。色々な「傍観」のライブ映像が出回っているものの、それらはフェスや対バンのような凛として時雨が自ら企画したライブのものではありません。初期こそ、特典DVDとしてライブ映像を販売していましたが、時雨はずっとライブを映像化してこないバンドでした。YouTubeの公式チャンネルにすらライブ映像はありません。中でも、昔からよく最後の曲として演奏されていた「傍観」は初期の特典DVDにも収録されていません。
なので、そんなある意味では「ライブでしか聴けない」という付加価値が最高に高まっていた「傍観」は、「もしかしたらやってくれないだろうなぁ」とも思っていました。が、意外とあっさりとやってくれましたね。めちゃくちゃ嬉しいのですが、同時にほんの少しモヤモヤした気持ちもあります。1回生で「傍観」を観てしまうと、安易に映像化してほしくない!と思ってしまうほど、やはり「傍観」という楽曲の持つパワーはすごいと思うのです。とは言え、やっぱり演奏してくれて嬉しいは嬉しいんですけどね。ライブハウスで聴けない今だからこそ、こうやって配信で聴けたことは幸せ以外の何者でありません。
そして、そんな「傍観」は置いておいて、セットリストに関してもなかなか感動させられました。「#4」では特に「ターボチャージャーON」が好きなのですが、ネットで漁ると出て来る「Live Cheers!」の低画質・低音質のライブ映像のときとは違ったアレンジがなされていましたね。実はあのアレンジが好きだったので、できればそっちのパターンも観てみたいな、という欲が出てしまいました。あとは、「トルネードG」なんかも結構レアな気がしますが、どうでしょう? 上でも書きましたが、本当にただ駆け抜けていくだけでなくて、キメにはきちっと重みがあり、より立体的になった印象がありました。「#4」以外の楽曲を「Telecastic fake show」や「DISCO FLIGHT」、「想像のSecurity」といったメジャーデビュー前の楽曲で固めてくれていたのも良かったです。素直に品の良さみたいなのを感じました。あとは「#1」を意識して、「鮮やかな殺人」⇒「TK in the 夕景」⇒「傍観」という流れを最後に持ってきてくれたのも良かったです。まぁ、本来なら「傍観」ではなく「Ling」なんですが、「Ling」をやらない以上は「傍観」で間違いないです。「テレキャスターの真実」ではなく、「Sadistic Summer」が1曲目だったのは少し意外でしたかね。でも、なんだかんだ突き詰めていくと今回の曲順にはなりそうな気がします。
配信ライブというところで音質も少し気になるところですが、低音までボリューム感があり、非常に満足のいく音でした。3ピースバンドですから、埋もれてしまう音も少なく、無駄にエコーがかかり過ぎている感じも無く、ギターのカッティングもかなりジャキッと歯切れが良かったですし、ドラムのタムなんかも何とか粒になって聴こえてくるくらいですから、かなり良い感じだったと思います。もちろん、音質に関して言えば、私の側の再生機器の問題もあるのであまり滅多なことは言えたもんじゃありませんが。唯一ちょっとだけ我儘を言うなら、TKのギターの高音がもう少しだけとんがっていた方が好みでしたかね。まぁ、色々なバランスを考えるととても難しいんでしょうけれど、やっぱり生のライブで何よりも刺激をくれるのは、TKのギターの高音成分であるように個人的には思っているので……と、完全に余計なことを書いてしまいましたね。でも、本当に想像以上の音の良さで(特に3ピースバンドの良さを引き出すという意味で)大変驚かされました。
ライティングに関しても先日のTK from 凛として時雨の方の配信ライブのときよりもよりシンプルで、今回のライブのコンセプトに非常に合っていると思いました。何でも派手に煌びやかにすればいいという訳でなく、凛として時雨の持つストイックさみたいなものを表現する上では、やはり必要最小限の絵具でどこまで魅せられるかということがポイントになりそうですもんね。そういう意味では、カメラワークも含め、映像全体から有機的でありつつ、強いストイックさみたいなものが感じられて最高でした。衣装に関しては、ピエール中野さんのパンツが水玉で「らしいな」と思いましたね。
あと、最後の演出も非常に良かったですよね。ギターを投げた後のTKをほんの少しだけ追ってくれたのが個人的にはとても嬉しいポイントでした。あの十数秒があった後のギターのアップと鳴り止まないノイズ。3人ともが捌ける瞬間が映像で映し出され、特に最後のTKはほとんど完全にスタジオを後にする……やはりそこまで見せてくれたからこそ、取り残されたスタジオからはより一層哀愁を感じ、味わい深く感じられるんだと思いました。
3.余談
いま、私は「適応障害」という「うつ病」の手前みたいなものに罹っているのですが、こうして生きる楽しみがあることには非常に感謝しなければなりません。でも、まぁ、そんなのは私が病気だろうが何だろうが関係のないことで、むしろこの「余談」で私が伝えたいことは別にあります。
これだけ愛して止まない凛として時雨のライブですが、正直、途中から「早く終われ~」と願ってしまっていました。というのも、「適応障害」というのは簡単に言えば神経が過敏になり、しかもその過敏になった神経を抑制する脳の機能も低下しているという状態なので、これだけ刺激的なライブをされると正直体的に、脳的にキツイのです。
大好きなものでも、刺激を受けるとキツイ(落ち着かなくなったり、不安感が増長されたりする)というのは私にとっては目から鱗で、「あぁ、自分まだ治っていないんだなぁ」と実感することができました。こうやって1つひとつ自分の状態をきちんと認識したうえでちゃんと治療を進めていきたいと改めて思いました。
うーん、この余談は本当に必要だったかな?
まぁ、良いでしょう。どうせ誰かに読まれるということもないでしょうから(笑)。
ということで、総じて「素敵なライブをありがとうございました!」。