霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.19

適応障害と診断されて24日目(11月7日)の夕方、この記事を書いています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

今日は診断されて23日目(11月6日)のことと、24日目(11月7日)に心療内科を受診した結果について簡単にお話したいと思います。

 

 

1.適応障害と診断されて23日目~頭痛・無気力状態・罪悪感~

前回記事の末尾でも書きましたが、22日目の夜にあまりにも久しぶりにリラックスした気分を得られたので、夕食後薬を服用し、その2時間後くらいにちょっと調子に乗ってウイスキーを飲んでしまいました。結果、翌日酷い頭痛が…そのせいで1日中何もできませんでした。薬と酒がスカイラブハリケーンを決めてきたような感じだと思っていましたが、酒が抜けているはずにもかかわらず、24日目の夕方でもまだその頭痛が抜けていません。初期症状こそ薬と酒のスカイラブハリケーンかと思っていましたが、どうやらそうではなく、単純に薬の副作用か適応障害の症状ですね。

23日目はとにかくその頭痛と無気力状態に悩まされました。そして、テレワーク開始の手続きを取ったはいいものの、まともに起きていることすらできない自分に罪悪感を感じてきます。気分は落ち込みきり、電気を消して、イヤホンで耳を塞ぎ、曖昧な眠りと覚醒を繰り返します。次第に頭も混乱してきますが、幸いにも取り乱すまではいかず、ただただ罪悪感に包まれながら眠るのみです。

論理的に自分の状況を見つめ直すだけの気力も湧いてきません。ただ1つだけ、自分の頭を支配しているのは、「とにかく今は何も頑張らない方が良い」ということです。

 

前回のブログにも書き記したように、これまで私は「復帰」という目標に向けて、有休の残り日数を計算に入れながら自分なりに計画的に動いてきました。1日として無駄な日が無いというほどに。病気の仕組みについて調べ、それをまとめ直し、認知行動療法なども積極に取り組みながら、特に毎日このブログを書き続けることで、「回復」の実感を得てきたように思います。上司への報告で「病気に対してもストイックだね」と言われてしまい、それが何だか誇らしかったくらいには私も自分なりに「復帰」を目指してやって来ました。その甲斐もあってか、上司からはある種禁じ手とも言える、提案をしていただきました。転勤してから初めて認めてもらえたものが「病気に対するアプローチ」だったことには少し笑けてきますが、とにかく私はこの病気から立ち直り、「復帰」するためにでき得る限りのことはやって来たつもりです。

しかしながら、その結果、まだ治り切っておらず、「復帰」は無理という判断のもと先日上司と話し合いの場を持ちました。「傷病休暇の前にこんな禁じ手もあるけれど」という提案をしてもらい、とりあえずその提案に乗っかることにしてみました。上出来の成果です。あと1か月くらいは休める…その安心感から22日目は非常にリラックスでき、久しぶりに気持ちよく息をすることができました。会社からちょっとした業務指示は出ているけど、それは明日から頑張ればいいじゃん!という感じで、22日目は本当に心底リラックスしておりました。

 

ですが、薬と酒のスカイラブハリケーンのせいで出鼻を挫かれ、23日目は何もできず、強い罪悪感に襲われます。その罪悪感はまたあの嫌な不安感を少しだけ引きずり込み、気分が滅入ってきます。「でも、明日がある…明日は元気になっているはず」と、そんなことを考えながら、何もできなかった1日を終えます。

 

2.適応障害と診断されて24日目~愚痴~

24日目の朝、またじっくりと時間をかけて起床します。そして、まだ続く頭痛。とっくにお酒なんて飛んでいるはずなのに…いったいどうして。

そして、未だに昨日から続くあの無気力状態から脱せていません。体は夏休みの登校日に校舎に転がり込んできた蝉のように、ほとんど力を失っています。どうしてこんなに辛いんだ…と、その時にはっと1つの考えに達します。

反動だ…

おそらく私は適応障害になってからずっと、体や心がバラバラになってしまわないように力んでいたのだと思います。そして「復帰」という具体的な目標があり、そこに向けて弱っているなりに全力で取り組んできました。多少無理をした部分もあったかもしれませんが、それでもできるだけ負荷のかかり過ぎないようなやり方を選んできたはずです。ただし、塵も積もれば山となるという感じで、あの忘れもしない11月2日の自殺未遂で1度ネジが弾け飛びます。

何とか飛び散った自分を集めて、11月4日に職場の上司との面談を実施し、「復帰はまだ無理です」という前提のもと、妙案で乗り切っていくよう新たに舵を切りました。しかし、「復帰は無理」、「時間をかけて治療していこう」と思った瞬間に、それまで自分の中に張り詰めていたものが途切れてしまったのでしょう。「復帰」という目標が消え去った今、私の体と心は完全な無気力状態となってしまいました。

いったい何度こういうことを繰り返せばいいのでしょう?

頑張り過ぎた結果、爆発してしまった。何とかそこから持ち直し、「復帰」という目標を達成すべく慎重にまた頑張る。でも、そこでまた無理が祟ったのか、再度大爆発。もう無理をしないよう体の力を抜いてみたら、今度は自然崩壊で無気力状態に。どれだけ余裕値の小さな天秤ゲームをさせられているのか。

「うまくバランスを取りなさい。ただそれだけです」

「いやいや、私はそんなに体幹を鍛えてないですよ。ていうか、この背骨を真っ二つにされた状況でどうやってバランスボールの上に立てと言うんですか」

はっきり言って、「無茶言うな」って話です。そもそもそんなことができるような人間だったら最初からこんなことにはなっていないでしょう。不器用なりに、バランスボールの上に膝立ちをして、後ろ手をつくような不格好な体勢でバランスを取れるようになっていた私。そこに「転勤」というローキックをかまされ、私はものの見事にバランスボールから派手に落っこちて、背骨が砕け散りました。

とりあえず私は上司に乞うて、バランスボールから一旦降りて言いということを仰せつかりました。ですが、それでも私は未だにシーソーの真ん中に立たされているような気分です。背骨が折れているにも関わらずです。もう些細な体重移動が、また大きな事故に繋がりかねません。頑張れば爆発、力を抜けば自然崩壊。今は頑張っていたところから急に力を抜いた反動で、とんでもない無気力状態に捉われています。この無気力を売ることができれば、ボートウォーク(ボードゲームモノポリー)にホテルを建てられますよ、きっと。

 

3.適応障害と診断されて24日目・続~心療内科受診結果~

前章ではだらだらと愚痴を書き過ぎてしまいましたね。でも、おかげでちょっとすっきりできたので、今日の心療内科での受診結果を書いていきます。

まず、私はこれまで私が取り組んできたリハビリ(職場に顔を出してみよう)とその結果について伝えました。前回のお医者様とは違う方だったのですが、今日のお医者様は結構バシバシものを言うタイプのお医者様らしく、端的に私にこう伝えてくれます。

「環境員による適応障害ということでね。回復の方法ははっきり言って3つです。

 ①退職=環境を変えて1からやり直し、治療をしていきましょう。

 ②休職=1度しっかりと休んで治し、そこから復帰を目指しましょう。

 ③服薬しながら勤務続行=残業をしないなどの周囲のフォローを得ながら、です。

 今回、あなたが頑張って③のデータを集めてくれたわけですね。で、結果的に3時間で吐き気や眩暈が抑えられなくなる…ということは、③は厳しいですね。はっきりとした症状が出ているということは、それは③のやり方があっていないし、無理があるということです。あなた自身、少なくともすぐの復帰は無理と感じて、休職を視野に入れているんでしょう。その通りだと思いますよ。実際、その③の実験から来る負荷と断言できるわけではありませんが、あなたは死にそうにもなっているわけですから。あと、言っておきますけど、もう1回自殺未遂ということになると、それはもう入院になりますからね。それだけはしないと私と今ここで約束してください」

短い診療時間の中で、なかなかちゃんと詳しく正確に私の状況を伝えられたわけではありませんが、とりあえず私は自分が思っているよりもやや深刻な状況にあることがわかりました。特に「③のリハビリで反応が出たならまだ治っていないんだから、無理はしない方が良い」というのは、私も自分の中でそう感じていながらも、なかなか自信を持てていない部分でした。それをきちんとお医者様から言っていただけたのは、会社に対して説明を行う上でも、非常に説得力が増します。

実際、私は職場に顔を出した時は持ち前のかわいこぶりっ子で「まだちょっとキツイっすねぇ」とはにかんでしまうような人間なので、私がどれくらいキツイかということがイマイチ伝わりにくいというところもありました。まだ2週間と一緒の時間を過ごしていない人たち相手ですから、致し方ないとは思っていますが。

③は確実に無理。それなら②に専念した方が良いというのがお医者様の意見でした。あまり中途半端なことをしても、症状に苦しむだけでちゃんと回復できる可能性はそう高くないということです。「だって明確な症状が出ているんでしょう?」というようなことを何度も言われました。だったら休んだ方が良いです。無理することないです。

 

さて。お医者様の仰ることはよくわかりました。また、自殺未遂のことを話したら、「薬増やしますか?」と言われました。すぐさま「結構です」と私は断ってしまいました。私自身は回復に向かっているつもりだったので、「薬増量=症状の悪化」ということを認めたくなかったわけですね。でも、実際どうなんでしょう。私はやはりそうは言っても「回復している」と思うのですが、今日初めて会うお医者様的には「症状が悪化している」と捉えられたみたいです。上司も両親も「回復してきたね」と言ってくれていますが、でも自殺未遂をしでかすような私は本当に回復していると言えるのでしょうか。

これまで私なりに論理的に考え、データを集め、自分の状態を検証してきたわけですが、よくわからなくなってきました。お医者様の言葉を全部信用したわけではありませんが、確かにここ数日間のとてつもないナマケモノ以下の無気力状態を考えると、一概に回復してきたとは言えない部分があります。事実、今の私にはもはや生きる気力さえ湧いてこないのです。運良く死ぬ気力も湧いてこないので、ただ苦しい時間が通り過ぎていくだけです。でも、こんな状態が続けば、そのうちにまた私は事をしでかしてしまうかもしれません。

希望ってなんでしょう?

例えば、「あの人みたいな人生だったらなぁ」とか「こういう生き方をしたい」とか、「あれが楽しみ」とか「この時間が至福」とかそういうのを希望って言うんですかね。これは拗ねているわけでもひねているわけでもなく、ただ今の私にはそういうことすら思えない…思うだけの気力が湧いてこないのです。あの人みたいな人生もいらないし、どんな生き方にも惹かれないし、何が楽しみということもないし、どういう時間が至福なのかもよくわかりません。一昨日の夜にはそれが何だかちゃんとわかっていたし、実感もできたはずなんですけれど。おかしいもんですね。

でも、きっとこういう気分も一過性のもの。こうして文章を書いている間に、ほんの少しですが頭痛も収まり、ほんの少し意識もはっきりとしてきました。

多分私はまだしばらく混乱の中にい続けることになると思います。完全な休職ではない分、そのことが重荷になってより混乱を来す可能性もあるでしょう。ただそんな状況にあっても…例えば、11月2日に書いて、その後くしゃくしゃにして捨てた遺書をゴミ箱から拾って、机の端に置いてしまったような今日でも、まだ何とか命を繋ぐことはできる。シーソーは酷く不安定です。おまけに背骨は粉々。いつ足を踏み違え、体が放り出されるともわかりません。でも、繋ぎさえすれば「何か」があるんでしょう。その「何か」は希望なんかではないし、十中八九「苦しみ」であるでしょうけれど、でもそもそもの私の人生は苦しみを受け入れることを前提としています。そういう思想なんです。だったら別にそれでいいじゃないですか。希望という光は必ず苦しみという影を生み出すのですから、全ての希望を捨て去って虚無の中に沈むことこそが私の矜持です。だったら、今さらその虚無の何を恐れるというんです?

と、また訳の分からないことを書いてしまいましたね。

 

シーソーのバランスを取るためにも、最後に今日あったちょっとだけ素敵だと感じたこと書き留めておきます。残念ながらこれらは希望と言えてしまうのかもしれませんね。

・昼前に病院に行ったけど、しばらく食欲が出なかった。でも、1時間と少し散歩をしたらお腹が減って来た。

・空いていそうな喫茶店で食べたミートソーススパゲティとケーキ、コーヒーセットが美味しかった。

・喫茶店のウェイターの女の子はまるでメイド喫茶みたいなコスチュームをしていて素敵だった。

・転勤の祝いの品で貰ったブックカバーに合う栞を探したけれど、見つからなかったので、厚紙で自作することにした。綺麗な色の厚紙がいま11枚手元にある。

・これから凛として時雨の配信ライブだ。

そんなところです。

ちなみに食欲が無いので、今日の夕飯は職場から貰った期限切れの非常食用クラッカーと、買い置きしていた茶わん蒸しです。ミカンも1つ食べました。命が繋げさえすれば…というやつです。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com