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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.53

適応障害と診断されて124日目(2月15日)の夕方からこの記事を書き始めています。今日は朝から体調・気分が思わしくなく、出社を断念しました。先週なんとか頑張って来れただけに少しだけショックですし、今後の復職に向けて不安を感じます。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事から1週間弱が経過しました。本当はもう数日空けるつもりだったのですが、上述の通り今日は出社訓練をお休みしてしまったので、その「埋め合わせ」みたいな気持ちでこの記事を書いています。何かを書くことで少しでも気が晴れれば良いのですが…

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

120日目

この日は木曜日。前日に続き、朝から出社訓練をして、既定の8時間半プラス30分の残業分だけ在社できた。多少疲れを感じるも、この日は復帰後初めて電話に出て、電話の取次ぎができたり、同僚とも少し会話をすることができた。

そして、Juice=Juiceの高木紗友希ちゃんの報道記事について知る。

 

121日目

金曜日。ここまでよく耐えた。しかし、朝から出社したものの、どうも頭痛が酷く、靄がかかったようで何にも集中できない。軽い眩暈のようなものも感じたので、午前中で退社。午後は寝て過ごそうとするもあまり眠れず、夜に高木紗友希ちゃんの卒業を知る。

 

122日目

土曜日なのでゆっくり過ごす。前日少し夜更かししたこともあり、何度も昼寝をする。夕方前に気合を入れて外出準備。ライブ「M-line Special ~Make a Wish!」に行き、道重さゆみさんや宮本佳林ちゃんを観る。帰宅後、高木紗友希ちゃんの卒業に関する記事を書く。

 

123日目

日曜日。朝の3時頃まで記事を書いたりしていたのが、朝7時に目が覚める。眠いので二度寝。昼前に起床。疲労が溜まっている。気分が晴れないので、前日のライブのレポート記事を書く。また、夜には「推し、燃ゆ」の記事も投稿し、何とか夜は22時に眠る。

 

124日目

月曜日。眠りの質が悪い。0時過ぎに一度目が覚め、そこからすぐに入眠できるも、断続的に寝て起きてを繰り返していた。朝は出社時刻に合わせて起床するも、気分の落ち込みを感じる。無視できるとも思ったが、11月の一度目の首吊り前の気持ちが軽く思い起こされ、無理をしないと決める。夕方まで寝て起きてを繰り返し、ようやくこの記事を書き始めるに至る。

 

2.カレンダーのまとめ

割と先週は頑張りました。

月曜は昼前まで出社。火曜は昼過ぎ14時まで出社。水曜日は既定の8時間半を会社で過ごす。木曜日は既定の8時間半プラス30分を会社で過ごす。が、金曜は朝から出社するも途中で体調を崩し、昼前に退社。

と、とりあえず週5で会社に行くことはできました。何とか既定の出社時間を達成することができるも、かなりの疲労が蓄積を実感します。

特にストレスからか、何とか作り上げた睡眠までのルーティン、特に寝る90分前に風呂にゆっくり入るというルーティンが守れず、シャワーで済ませたりしてしまいました。金曜日には大幅に体調を崩し、軽い眩暈がするほどにまでダメになってしまいました。

木曜、金曜とJuice=Juiceの高木紗友希ちゃんのスキャンダルと卒業が立て続けにあったことも、自分のリズムを崩してしまった要因だったかもしれません。何というか、そのせいで絶望感に捉われたとかではないのですが、やっぱり「何が正しかったんだろう」とかは考えてしまいますし、考えているうちに時間は過ぎていくもので、さすがに無視して強く自分を保つことはできませんでしたね。

そんな感じで、少し落ちた気持ちで週末に入り、平日に溜まった疲れが大きく、金曜の午後から土日にかけてはほとんど寝て過ごすような感じになってしまいました。土曜日は、既にチケットを買っていたため何とかライブに行き、それなりには楽しめたものの、それ以外はもうあまり何をしていたのか記憶にありません。多分ずっと寝ていました。あとは、ブログに記事を3つも投稿しているので、それに時間を使っていたという感じでしょうか。

そして、本日月曜日は、まず夜中に何度も目覚めたという嫌な兆候がありました。土日に嫌というほど寝たので寝不足感はなかったのですが、体が重く、それ以上に気持ちの落ち込みを割と強く感じました。上にも書きましたが、何とかベッドから抜け出し、一息ついてから「あ、ダメかな」と感じつつもシャワーに向かおうとしたとき、一度目の自殺未遂のことが思い出されました。

あの日もこんな感じの気持ちで無理やりシャワーに行き、そして戻って来た時には全てがどうでも良くなっていました。

さすがに今日はそこまで性急に行動に移すほど酷くは無いものの、嫌な予感がしたのでシャワーに行くのは辞めておきました。これについてはまた次の章で書きます。

 

3.予兆

もう何度か書いている通り、今日は月曜日で、本来ならば先週に引き続き出社訓練をする予定だったのですが、調子が思わしくなく断念しています。

夕方、雨が上がる頃にようやくまともに動き出し、前日の昼過ぎから洗っていない体を清めるためにシャワーを浴びに行きました。そして、ややさっぱりした気持ちでこの記事を書いています。が、やはり気分が沈んでいます。

 

ひとえに「体調が思わしくない」と言っても、なかなかどんな感じかわかりにくいと思います。また、私もその「体調の悪さ」というものを具体的に捉え切れていないので、今回の記事で言語化を試み、少しでも理解を深められたらと感じています。

まず客観的な事実をいくつか挙げていきます。

 

①先週は月~金でとりあえず出社訓練をして、休職してからは最大の功績。その分の疲れは確かにある。

②金曜の午後から土日にかけては、疲れから1日中寝ているような感じで、生活リズムもかなり崩れてしまった。

③おそらく日曜の夜に飲むはずだった薬を飲み忘れている。

④日曜の夜中にまた睡眠中の複数回の覚醒現象が起きる。

高木紗友希ちゃんの卒業、「推し、燃ゆ」の読了など、気持ちを揺さぶられることがここ数日であった。

 

まぁ、具合が悪くなる原因としてはこんな感じですね。①の出社訓練による疲労はやっぱり1番大きいと思います。主たる要因はこれで間違いないです。これが無ければ②~④も起こり得なかったはずなのでね。⑤に関しては確かに如何ともしがたいところではありますが、うつ病の症状が出るほどのことではないかな、と。もちろん色々と思うところはあったものの、具体的な症状とそれらを結び付けるのはやり過ぎという気がしています。まぁ、気持ちが揺さぶられればそれについて考え、どちらも記事にしてブログに投稿しているので、その分の体力をそこに割いたということにはなりましょうが、しかし好きでやっていることなので、ダメージを受けるというのとはちょっと違う気がします。

なので、今日の体調不良はやはり「出社訓練の疲れ」と割り切ってしまいましょう。また、調子の波というのもあります。特に今日は朝から天気も悪く、気圧も低く、調子を崩しやすい状況でもありました。しかし、やはり先週の疲労がなければ、いずれも問題なくクリアできていたとは思うんですよね。なので、繰り返しますが今回のこの体調不良は「疲れ」としましょう。もう、そう決めてしまいます。

 

その上で、今朝方感じた不調についてできるだけ正確に言葉にしていこうと思います。

まず朝起きた段階で不安がありました。それは主に夜中に何度も覚醒があったことです。このことからまず体調が万全ではないという自覚が芽生えます。

それでもそれはあくまで不安であって、「まぁ、会社に行ってみれば意外と大丈夫になるんじゃないか?」という想いもありました。が、不安が払拭できても、なかなかベッドを出ようという気持ちが湧いてきません。朝起きて「うーん、あんまり調子良くないなぁ」とか、「もうちょっと寝ていたいなぁ」ということは先週の出社訓練中もありましたが、今朝は何と言うか、軽い思考停止状態にありました。

この「思考停止」というのは土日の間もずっと感じていたことです。「起きて、ちゃんと今日も生活をしよう!」という気持ちを湧き上がらせるだけの力が出てこないのです。「何も考えたくない」という「逃避」に支配されているような状況ですね。簡単に言ってしまえば、「意欲が湧いてこない」という状態なのですが、その「意欲が湧いてこない」という状態を把握し、それを改善しようと「考える」ことすらうまくできないのです。なので、「思考停止」という言葉が1番しっくりきますね。

そんな「思考停止」の状態の中、時計を見て、「そろそろシャワーを浴びなきゃ」という意思は生まれてくるのですが、ふと嫌な感情に気付きます。ここ数日感じていたことですが、よく昔のような「あぁ、もう嫌だ」という言葉が意図せず零れるんですよね。土日の間も別に会社に行く用事があるわけでもないのに、顔を洗ったりしながら、「あぁ、もう会社辞める」という独り言を言ってしまうわけです。休職してからはそういうことをあまり言わなくなっていた自覚があったのですが、それが何と言うか戻ってきたわけですね。

休職する前や、普通にまともに働いていた時期にもあった悪癖ではあるので、あまり深刻視していませんでしたし、むしろまた「会社に戻る」というのがリアルになって来ている影響だとしか考えていませんでした。が、この「思考停止」の状態で「あぁ、嫌だ」と言いながらシャワーを浴びに行こうとするのが、まさに自殺未遂した時の行動に重なったわけです。

ふと思い直して、「自暴自棄になっていないか?」と自分に問いかけてみました。

思考が働いていないので上手く判断はつけられませんでしたが、何となく「自暴自棄になっているんじゃないか」という可能性を感じました。確かに、ここで「嫌だ」という気持ちを抑え込んで、会社に行くことはできるかもしれません。でも、「思考停止」したまま会社に行っても、おそらくはまた先週の金曜の時のような頭痛や眩暈に襲われる気がしました。また、これだけ気持ちが死んでいる状態で会社に行っても、余計に負荷をかけて、悪いものに支配されることも予想されました。というか、そもそもシャワーを浴びた後にその「自暴自棄」が暴れ出していないかどうかということすら、確信が持てなかったのです。脳裏にはやはり自殺未遂をした日の、あのじめっとした疲労感や全てがゼロになるような感情の消滅が過ります。

そんなこんなで言い訳をするような感じではありますが、シャワーを浴びに行くことすらやめて、ベッドの中に戻りました。電気を消して、動画を観ながら眠りにつきます。

 

やはり上手く言葉にすることはできませんでしたが、何となく自分のラインが見えてきた気がするので、書き留めておきます。

 

A「体調は良くないし、会社に行きたくないけど、会社に行くか」

B「体調は良くないし、会社に行きたくないけど、会社には行く」

 

Aが会社に行ってOKの場合の心理状態で、Bが会社に行ってはNGの場合の心理状態です。ほとんど同じですが、Aは自分の判断で会社に行こうとしています。Bは自分の判断で会社に行こうとしているように見えて、義務感のようなものに背中を押されています。つまり、Bは「思考停止」状態にありながらも、何かに自分の意思ではない何かに突き動かされて会社に行こうとしているのです。

Bの状態は多分、今の私には危ない状態です。

昔に自律神経で病気や体調のことをまとめましたが、「思考停止」状態とはすなわち、「交感神経」が不調で意欲が出ず、同時に「副交感神経」も不調でリラックスもできていない状態=うつ状態と言えます。何も考えたり判断したり、行動する意思のようなものが湧いて来ず、居心地の悪さだけがそこにはあります。

 

誰しもそういう時って多少はあると思うのですが、おそらく今の私はそれを無視してはいけないのです。

不調を感じながら何か行動をするとき、「自暴自棄になっていないか」と自問する。その上で、「思考停止」状態に陥っていないか確認する。交感神経と副交感神経の平面図で考えたとき、どちらもが不調を来している「うつ状態」ではないか。

そのように自分の状態をきちんと把握し、危険を予知することができないと、また私は首を吊ってしまいかねません。まだ私は自分が危ういところにいるのだと自覚し直す必要があるのでしょう。

 

と、今日はそんなことを感じた1日でした。

なかなか上手くいきませんね。治ったと思っても治っていない。これがただの杞憂であれば良いのですが、なかなかそこを無理してみるだけの勇気は今の私にはありません。

自分の心身の健康状態を数値化して、明確に可否を決めてくれれば良いのですが、私の状態はやはり私にしか気づきようがないので、慎重にやっていくしかありませんね。

それにしても、何と言うか疲れますね。

あまり恐れ過ぎても良くないということもわかってはいるのですが…うーん。何とも煮え切らないです。

でも、雨が上がったこともあって、今は美しい夕焼けが見えています。小麦色の空にサーモンピンクの細い雲が浮かんでいます。夕食を買いに出かけましょう。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

宇佐美りん「推し、燃ゆ」感想

芥川賞受賞作である本作を遅ればせながら読みましたので、感想文を残しておこうと思います。

 

 

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推し、燃ゆ

 

作品購入の経緯

まず1つに現在「適応障害」という心の病気で休職しており、時間を若干持て余しているということと、生活ルーティーンを整える上で風呂上がりに読書タイムを設けていることなどから、全体的に読書欲が高まっているということがあります。

あまり多読家ではないので、本を買う時は結構な意気込みが必要なんですが、まずはそのハードルが下がっている時期というのが1つの大きな理由になっています。

そして、その上できっかけを作ってくれたのは、Juice=Juiceの松永里愛ちゃんという現在私が現役ハロプロメンバーで最も推している子です。ブログで「この本を読んだ!」と書いていたので、私も気になって読んでみました。なので、普段は別に芥川賞受賞作品だし読んでみようとか、そういう感じの人間ではないのです。私にとっては芥川賞受賞よりも、里愛ちゃんが読んだという事実の方が大きいのです。ちなみに、里愛ちゃんは2021年2月現在で中学3年生です。読書家で、独特の感性や人間性を持った子で、とっても良い子です。

と、そんな感じで「推し」が「推し、燃ゆ」を「推し」ていたので、これはもう読まざるを得ない感じになったわけですね。

 

あらすじ・概要

「推しが燃えた」という一文から始まる本書。主人公は社会にうまく馴染めない女子高生「あかり」で、彼女は「まざま座」という男女混合アイドルグループの「上野真幸」くんを熱烈に応援しています。彼女はおそらくは発達障害のようなものを抱えており、それによって居場所のようなものを見出せず、「推し=上野真幸」を応援することだけが生きがいになっています。

冒頭の一文から既に「推し」が問題を起こし、炎上したということがわかりますが、この「推し」の炎上の顛末で読ませるというよりは、基本的には主人公「あかり」との社会との関わり方が描かれる内容になっています。優れている点としては、おそらくは「あかり」が発達障害のようなものを抱えているのですが、明確に病名がつけられず、「ただなんとなく人と違う」というところに留めているところですね。恐らくは相当発達障害やその他の精神的な問題事例を勉強されたのでしょう。「あかり」の行動やものの感じ方は非常に自然な一人称で語られ、健康な一般人からしたら「異常」であると感じる部分も多いと思います。しかし、それでも「何となく理解はできる」という部分もあり、そのバランスが素晴らしいです。

なので繰り返しますが、あくまで「推し」というのは切り口であって、主題は発達障害や精神病となっています。

何年か前に「コンビニ人間」という小説も芥川賞を受賞していますが、あれと結構近いものを感じましたね。あれも「コンビニ」という切り口であり、「コンビニ」に纏わるあるあるが散りばめられていたり、「コンビニ」の特徴を切り取ったりしてはいるものの、主題はあくまで周囲と馴染めない感性や、脳の作りが普通とはちょっと違う人の苦難でありました。本作もまた「アイドルを推す」という実に現代的な切り口を持ちながらも、基本的には主人公の「あかり」が社会との接合で苦労する話です。

と、ざっくりとした内容はそんなところですかね。

ページ数、というか文字数もそんなに多くなく、非常に読みやすい小説でした。テーマもシンプルでありながらエッジが効いているので、なるほど「芥川賞」なんだなぁ、と思わされます。

 

読みどころ

アイドルとSNSによる救済

時代を切り取っているので、将来的に文化史を研究される方には重宝される作品になっているのではないでしょうか。「インスタライブ」などもそのまま単語として扱われており、その他SNSはそのサービスの実名まで上げられていないものの、明らかにLINEやTwitterなどと思しきものが自然に主人公たちの世界を取り囲んでいます。主人公の「あかり」も「推し」のブログを書いていたり、そういったSNSに囲まれている生活が克明に描かれています。

しかしながら、何もSNSに振り回される現代人を描きたいというわけではないと思います。

SNSは「あかり」にとって「推し」を介して他者と繋がれる場であり、自分のブログはそれなりに評価されていたりと現実世界よりはよっぽど居心地が良い場所になっています。しかしながら、「推し」が炎上することで、徐々にそこに対する居心地の悪さのようなものも感じるようにもなります。

「アイドル」という虚像に依存し、しかも自分の居場所がSNSというバーチャルなものであるというのが、「あかり」の居場所の無さを物語っており、これは家族や学校との不和ともリンクしていますね。このように、「アイドル」と「SNS」は実在性のなさ、つまりバーチャルという点で非常に類似しており、そういったものに縋るしかない「あかり」の現状を辛辣に描くための重要なアイテムとなっています。

要するに、「推し、燃ゆ」というタイトルは「アイドル、SNS」とも読み替えられるわけです。なので、ある意味ではこれがテーマとなっています。

が、上述の通り、問題の本質は「アイドル」でも「SNS」でもありません。「アイドル」も「SNS」もバーチャルなものとして、最終的には寄る辺のないものの象徴となりますが、しかしながら「あかり」にとっては救いでもありました。「あかり」の抱える問題を現実社会は全く理解してくれず、受容してくれず、そんななかで「アイドル」と「SNS」だけが彼女の居場所を作ってくれました。

そういう意味では、私は本作にとても共感することができました。推しのメンバーカラーに執着したり、推しのおかげで変な知識が身に着いたり、そういう「アイドルヲタク」としての細やかな共感も沢山あったのですが、それ以上に「寄る辺ない」という感覚が非常に共感できたのです。誰しも少しは社会との齟齬を感じているはずですし、「自分は特に社会と上手く付き合っていけない」と感じている人には、響く作品だと思います。私もまさに「アイドル」に救いを求めていますし、こうしてブログを書いている以上、ある程度はネットに居場所を見出そうともしているのでしょう。

 

発達障害精神疾患

これも非常に生々しい問題です。なぜ主人公の「あかり」はそんなにも社会と上手く付き合うことができず、「アイドル」や「SNS」と言ったバーチャルに救いを求めざるを得なかったのでしょう。

その答えは明確に病名のような形では出てきませんが、終始一人称で語られる「あかり」の見たり感じたりしている世界の様子から明らかに、発達障害精神疾患の気があることが伝わってきます。

どうしても漢字が覚えられない、というような形で小学生の頃から勉学に関するハンデを背負っていることが語られていますが、そのことについて家族や学校から理解を得ることができていません。ただ、正直言えば、ここはちょっと脚色が強いので、インスタライブなどが余裕で行われている現代とは少し時代観がずれているかもしれません。私も学生時代に塾講師をしていましたが、勉学に関するハンデを持つ子を受け持ったりしていたので、さすがに今の社会ではそういったものがより理解されうる状況にはなってきていると思います。しかしながら、彼女が社会と上手くいかない理由としては、非常に分かりやすいので、創作物としては非常に効果的な背景だと思います。

パニック障害うつ病という傾向も見て取れますし、それはおそらく発達障害のようなところから派生して生まれてきたものであることも容易に想像つきます。

問題はそんな彼女にはどうしようもない「傾向」を周囲のほとんど誰もが受け止めてあげられないというところにあります。そして、残念なことに彼女が自分の身を守り、生きる目的として据えている「推す」という行為が、さらに彼女を受容できないものとして社会から隔絶していきます。彼女はかなり偏執的に「推し」ているので、周囲からは「どうしてアイドルを応援する力はあるのに、社会活動を頑張れないんだ?」という反感を買ってしまうのです。

それによって、彼女はより社会に対して興味を失い、最後にはほとんど勘当されるような形で一人暮らしを始めるのですが、彼女にはもうまともに生活を営む力さえ残ってはいませんでした。

この段階まで来ると、確かに先天的な色々な理由はありますが、もはや「うつ病」的な無気力状態になっています。

私自身、現在「適応障害」という半分うつ病みたいな状態で会社をお休みしているので、とても共感できる部分がありました。「うつ病」には原因があります。それは人それぞれのものの感じ方や考え方、思考パターンや行動パターンが自他両者によって強制され、自己虐待的になることから始まっていくものだと私は思っています。自己虐待というと例えばリストカットなどを想像するかもしれませんが、もっと簡易的な所謂「自己否定」のようなものに近いと考えれば良いと思います。「自分なんて」と行動に自ら制約を設けたり、あるいは「自分はダメだからもっと頑張らなきゃ」とか、「自分にはこれしかない。だから、何とかそれを守らなければ」と自分の健康や気持ちを蔑ろにしていくところから「うつ病」が始まっていきます。

本作品の中ではその経緯はあまり明確に描かれていないものの、明らかに主人公の「あかり」の回りでは「あかりに対する受容」が欠落しており、そのような環境にあっては彼女が自らの存在価値を見出すことは難しい状況になっています。なので、「推しを推しているときだけが私でいられる」という感覚になるのでしょう。とても納得できますし、私も共感できる部分が大いにあります。

発達障害精神疾患について簡単にでも調べてみたことがある人は、「あぁ、うまく描いているなぁ」と思うでしょうし、逆にこれまでそういったことに興味を持ってこなかった人には、「こういう人も確かにいるんだ。そして、それは当人の力だけでは解決しようがないんだ」と感じて欲しいですね。周囲の理解がなければ、自分自身と向かい合うこともままならないのですよ、本当に。

 

文体

女子高生らしさ、アイドルヲタクらしさ、その他現代的な考え方や描写などが優れている一方で、非常に詩的な美しさも持っています。

私の「推し」である里愛ちゃんは「推しを背骨に喩えているのが面白かった」とブログで書いていましたが、そんな感じで非常に独特な表現も沢山現れてきます。また「ポテチの袋のぎざぎざの部分が足裏にあたる感触」など、描写する箇所も非常に面白いです。連続する描写の中でも視点がぐるぐると動き回るので、一瞬「え、これは何を言っているの?」と思う部分もありますが、その取り留めのなさもかなり詩的に感じられます。それが宇佐美りんさんの文体のなのか、それとも発達障害精神疾患を抱える人間の一人称視点として意図的に描かれたものなのかはわかりませんが(知りたければ宇佐美りんさんの他の作品も読めば良いわけです)。

インスタントのチキンラーメンの放置された様子を「色の抜けた麵の切れ端」という形で描写するところなんかは私はかなり好きになりましたね。その感性の鋭さや独特さがこの作品の質をより高めているように思います。

 

まとめ

「アイドル」と「SNS」のバーチャルという類似点。そして、発達障害精神疾患による居場所の無さ。それらの主題を彩る質の高い文体。これらを「読みどころ」として挙げさせていただきました。

では、この小説で何が言いたかったの?と聞かれると、それは何とも言い難いところがありますね。何か答を提示するようなところはなく、あくまで現代に起こり得る「現象」として書き連ねられているのが本書だという風に思います。

でも、私なりの解釈をするのであれば、最後のパラグラフで主人公の「あかり」は生活を取り戻す非常に小さな一歩を踏み出しています。「一歩を踏み出す」なんて書くと、とても前向きに聞こえますが、それはかなり「諦め」に満ちた一歩でした。このことから、ともかく色々と社会と上手くはいかないし、頼みの綱のバーチャルな存在も最早力を失っているけれど、それでも生命は続いていくんだという悲哀が感じられました。

私自身「適応障害」という「うつ病」みたいなものになり、そして自殺未遂をしでかしたりして、結構参ってしまっていたのですが、それでも死んでいない限りは生活というものがあって、生命は続いていくわけです。なんと面倒な…そして救いがない…と思うこともありますが、今はとりあえず何とかちょっとは前向きに暮らせているような気がします。

でも、その一歩って本当に小さなことからなんです。

私にとっては、部屋の明かりを点けることが一歩だったりしました。首吊りに失敗したとき、部屋に備え付けの物干し竿が壁から剥がれ落ちました。その壁紙の破片を拾おうと思うまでに、1週間くらいかかりました。

絶望し尽くした時に見えるものがあり、そこから踏み出す一歩があり、その踏み出した先にまた一歩がある。そんな感じで今はようやく復職に向けて出社訓練をするところまで漕ぎつけました。なんとかここまで来てみたものの、全く以って上手くやっていく自信は生まれません。またいつか壊れるんじゃないかという怖さもあります。

だから、きっと「あかり」もずっと困った立場にあり続けるとは思うのですが、でも誰しもそういうところってあるはずですし、そういう辛さを持っている人は思いのほか多いと思います。最近Twitterで「復職」と調べ、色んな人がうつ病からの復職で苦しんでいることを知りました。私だけではないし、病気をせずちゃんと働いている人だって、苦しい思いをしていることはたくさんあります。

でも、病気とかどうしようもないくらい弱ってしまうこともあります。また先天的なものでどうしようもないこともあります。私は自分で何となく「HSP」という、所謂「繊細さん」的な気質を持っているのではないかと考えているのですが、そういうどうしようもないものを抱えているんだと、病気をしてより強く実感するようになりました。

だからこそ、そういうことを知り、人に優しくしたいなと思うようになりました。

少なくとも私には「あかり」のような人を救いたいと思いますし、救えるような人になりたいとも思います。そして、同時に「私だったら救えるのに」とも思います。

したがって私なりの本書の解釈を言うのであれば、「これを読んで、知り、人に優しくなろう」ということになりましょうか。なんか「解釈」という体裁を成していない言葉になってしまいましたが、少なくとも私は「優しくなろう」と思いましたね。というか、同じような経験をしている私にとって、その苦しみがわかるからこそ、「やっぱり優しさが必要だよね」という再確認になりました。文学的な価値も色々とある本書ではありますが、そういうメッセージを受け取れたことが、この本を読んで私が1番良かったなと感じれたことでした。

 

最後に…

この本を読了する前日、私の推しているグループであるJuice=Juiceの高木紗友希ちゃんが、週刊誌による報道を受けて卒業しました。「辞める必要なんてないでしょ」みたいな意見が結構多く見受けられ、紗友希ちゃんに対する非難ではありませんが、それなりに燃えてはいたと思います。

イムリーに「推し、燃ゆ」な感じだったわけですが、実際の事務所側や本人の事情などはわからないですし、もし私たちファンの態度が彼女を卒業に追い込んだのだとすれば、やっぱり罪悪感のようなものを感じますね。でも、ハロプロは恋愛禁止と公言していないものの、やっぱり男女間の恋愛をあえて見せるということは奨励していない集団です。私たちファンは彼女たち個人の幸せを願ってはいるものの、ハロプロというものに対しては一貫して「可愛い女の子たちがきゃっきゃしながらも、真摯にパフォーマンスに向き合って、日々成長している」というを求めているような気がします。その「求めているもの」の中には「男女恋愛」というものは含まれていませんし、あえて持ち出してほしいトピックではないと思います。

そして、そのことはおそらく事務所側も紗友希ちゃん本人も理解している部分だとは思います。恋愛感情は人間にとって普通の感情ではありますが、でもハロプロで活動する以上、そういった恋愛のリアルな空気を持ち込まない方が良いであろうことは不文律としてあるのも事実です。それは一般的なサラリーマンが、未だにスーツを着て会社に通勤しているのと同じことです。時代遅れだろうがなんだろうが、社会からの信頼を得るためにスーツという形式が求められるケースというものはこれからも無くならないでしょうし、それと同じようにハロプロという世界観ではおそらく今後も恋愛が公に認められるものにはなかなかならないと思います。

だからこそ、事務所も紗友希ちゃんも卒業という道を選んだのだと思うしかありません。

※恋愛だけでなく、緊急事態宣言下での頻繁な外出という問題もそこには含まれていたでしょう。

せめて卒業コンサートくらいしてあげてもいいじゃないか、とも思います。紗友希ちゃんももう23歳だし、恋愛くらい良いじゃないか。だから、活動を続けてよ…とも思います。でも、なかなか難しいもので、どういう対処が正解かはわかりませんし、せめて言えるのは、報道の翌日には卒業が決まったということは、何らかの決断が確固たる信念のもと行われたということでしょう。

できればその決断にはあまり打算的なものはなく、ハロプロというブランドを守るために…という1点のみに絞って、紗友希ちゃん本人の強い意思があったうえでなされたものであって欲しいと思います。もし、そこに紗友希ちゃんの「ハロプロを守らなければ」という強い意思があったのだとすれば、私たちファンはその決断を受け止め、賞賛するよりほかありません。

彼女にそんな決断をさせてしまった罪悪感とともに…

 

と、そんなことをだらだらと書いて専用の記事にしているので、リンクを貼らせていただきます。

 

eishiminato.hatenablog.com

 

彼女の人生が健やかなものであり続けることを願っております。

「M-line Special 2021 ~Make a Wish!~ 2021.2.13 中野サンプラザ公演」ライブレポート

ライブに参戦してきたので簡単にレポートを残しておきたいと思います。

出演者は、道重さゆみPINK CRES.夏焼雅小林ひかる、二瓶有伽)、工藤遥宮本佳林の計6名でした。

先に断っておきますが、お目当ては宮本佳林ちゃんでした。が、モー娘。は「リゾナントブルー」辺りから好きになっているので、もちろん道重さゆみさんも、工藤遥ちゃんも楽しみでした。Berryz工房は活動停止の2,3年前から見るようになっていたので、夏焼雅ちゃんを見れるのも嬉しいものですね。PINK CRES.としての活動はあまりちゃんと追えていなかったので、小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんの2人は存在こそ知っていましたが、ほとんど初めましてな感じでした。

 

 

◆ セットリスト

1.Fantasyが始まる(全員)

2.世の中薔薇色(全員)

ー MC1(オープニング、宮本・夏焼あいさつ)

3.好きすぎて バカみたい(道重、夏焼、小林、二瓶)

4.LOVE涙色(道重、夏焼、小林、二瓶)

5.ブギートレイン(工藤、宮本)

ー MC2(工藤、宮本)

6.若者ブランド(宮本)

7.氷点下(宮本)

8.バイトがある(工藤) ※新曲

9.そう言ってくれたでしょ?(工藤)

10.記憶の迷路(小林、二瓶)

11.キレイ・カワイ・ミライ(PINK CRES.

12.TOUGH GIRL(PINK CRES.

13.曲名不明(道重)

14.OK!生きまくっちゃえ(道重)

15.I&YOU&I&YOU&I(道重、夏焼、工藤、宮本、今年から始めたこと)

― MC3(道重、夏焼、工藤、宮本)

16.チョコレート魂(全員)

17.付き合ってるのに片想い(全員)

18.みかん(全員)

― MC4(全員から一言ずつ)

19.青空がいつまでも続くような未来であれ(全員)

 

ごめんなさい。13曲目の道重さんのソロ曲だけ調べても曲名が分かりませんでした。「こっち向いて、向かないで、って言われてもこっち見て~♪」みたいな歌詞の曲です。結構BPMは早めで、とても道重さんっぽいしゃくり上げが特徴的で可愛らしい楽曲でした。

 

◆ 全体的な感想

曲がりなりにもハロプロを長年好きでいたので、これだけハロプロ楽曲が多いと普通に盛り上がれました。もちろん声援はNGですが。

ただ途中で各ソロ曲があるので、初めて聴く曲もたくさんです。工藤遥ちゃんがソロで曲作ってたんだ~とか私は初めて知りましたし、PINK CRES.もちょっと聴いたことはあってもしっかり聴くのは初めてで、小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんの雰囲気も何となく把握できました。そして、居住地の問題や学生時代の金銭的な問題、それからアイドルライブに対する免疫の低さなどから、実は道重さゆみさん在籍時はモー娘。のライブに行けたことがなかったので、ライブで道重さんを観るのは初めてだったんですよね。あぁ、そう言えば、工藤遥ちゃんももしかしたら観たことなかったかもしれません。夏焼さんもお初だったかも…なので、何と言うか個人的には時空を超えたような不思議な感覚がするライブでした。ずっと在宅で応援してはいたのでね。

ハロプロ関連…というか、アップフロント関連のライブは佳林ちゃんの卒業コンサート以来だったでしょうか。こんなご時世ですが、こうして音楽を通して、楽しい時間を過ごせるのは素敵なことですね。

そして、意外と女性のお客様が多く、サイリウムの色から何となく良いバランスでそれぞれの推しもばらけているような感じがして、心地良い空間でした。何と言うか、ハロプロを卒業しているメンバーだからこそ、逆にそれぞれがそれぞれの強い愛を持っていることが感じられました。なんかちょっぴり上質な空間だったように思います。

 

◆ 宮本佳林ちゃん

まぁ、今回の私のメインの目的でもあるので、佳林ちゃんから始めていきたいと思います。

まず最初に言わせていただきたいのは、「外ハネ可愛い!」ということですね。衣装は淡いピンクのジャケット風で大人っぽい雰囲気のものと、白ベースに黒のコルセットベルト(って言うんですかね?)でこちらも大人っぽくて素敵でした。そして、何と言っても「華奢ぁ!」と思いました。高いヒールを履いていることもあったのでしょうが、何か骨組みからとてもほっそりとしている印象を受けました。うん、ビジュアルも衰えるところを知らず、良い感じでした。

そして、MC1では佳林ちゃんから意気込み発表があったのですが(おそらく大阪公演では佳林ちゃんは別の組だったため)、Juice=Juice卒業あたりから加速が止まらなくなっている独特な喋り方で、工藤遥ちゃんから「今から落語始めるの?」とツッコまれていました。

また、MC2でも「ブギートレイン」でのパフォーマンスがめちゃくちゃだったことを工藤遥ちゃんから指摘されていました。「サビの歌詞が1個も合ってない」そうです。しかも、場位置も急な変更に対応できず、パフォーマンスに夢中になってしまうとテンションで突き進んでしまう辺りは佳林ちゃんらしいなぁ、と思いました。

アイドルサイボーグで完璧なイメージのある佳林ちゃんですが、卒業してからのブログでは「ハモり」や「フォーメーション」が苦手なことを再三暴露していますし、初のソロツアーでは初めてやる楽曲の歌詞がスクリーンの字幕と全然違うことになっていたり、と意外とお茶目なところもあるのです。でも、傍目にはそういうミスって意外とわからないんですよね。ミスをミスと思わせないところもまた佳林ちゃんらしい、素晴らしいところです。何よりもウキウキとパフォーマンスを楽しんでいる姿は見ていてやっぱり癒されますね。

ソロ曲の「若者ブランド」では、もう最初の一声から会場を宮本佳林色に染めていました。流石の持ち歌クオリティです。あのクリスタルボイスは、本当に稀有なものだと改めて思わされます。柔らかく、温かく、本当に天使のような歌声です。「若者ブランド」は結構高音のファルセットがキツかったり、低いところも佳林ちゃんの音域ギリギリなのでちょっと大変そうでもありましたね。

続いてみんな大好き「氷点下」ですが、今回も圧巻のパフォーマンスでした。激しめの「若者ブランド」のアウトロから、「氷点下」のイントロに切り替わる瞬間に、佳林ちゃんも一瞬で役を入れ替える感じがあり、やはり凄まじいパフォーマーだな、と。全体的に音数が少ない楽曲なので、吐息までがよく響き渡り、佳林ちゃんの歌声を堪能できました。毎回ちょっとずつ表現の仕方を変えているそうですが、今回はちょっと「恨めしい」感じがあった気がしますね。卒業前のハロコンのパフォーマンスでは、離れていく相手に対して、悲しみがありながらも笑顔で背中を見送ろうとする雰囲気があったと思います。しかし、今回はちょっと強めに「別れるなんて嫌だよ」という感情が乗っていると思わされました。まぁ、主に最後の「でも」の部分の解釈になるんですが。

そんなソロ曲はもちろん最高の出来でしたが、全体を通して楽しそうに踊っているのが印象的でした。工藤遥ちゃんとの「ブギートレイン」では沢山パートがあったので、音を楽しみながら歌っている雰囲気がありましたが、複数人曲ではやっぱり出番が少ないこともあり、歌で見せ場を作るというよりは、ダンスを一生懸命やっているイメージでしたね。道重さんやPINK CRES.さんたちお姉さま方に囲まれると、その華奢さも相まって一段と幼さが際立ちますね。でも、ダンスはキレキレで、それでいて繊細でした。さすがはハロプロ最終兵器と呼ばれてきただけあるなぁ、という感じです。

最後のMCでは、卒業してからこんなにすぐ中野サンプラザに帰って来れるなんて嬉しい!と言っていました。私もこんなに短いスパンで佳林ちゃんのパフォーマンスが見られて嬉しいです。そして、「今後の各地のライブにも悉く私はいますので」と笑いを取ったりもしていました。「ど、どの~M Lineん~Specialぅ~に行ってもぉ~、あ、あいついるなぁ。みたいな感じになるかもしれませんけれど」という喋り方がやっぱりヲタク味があって、良いですね。最後には道重さんの可愛さを褒めたたえ、気持ち悪さをちゃんと発揮していました。

道重さんのターンでは「道重さんが可愛すぎちゃったのがイケナイかもしれないですね」と中腰で会話を返し、道重さんからは「そう? じゃあ、罪だね」と軽くあしらわれている感じも、2人のらしさが出ていて面白かったです。

と、そんな感じで、佳林ちゃんはちょっと長めに書かせていただきました。

 

◆ PINK CRES.

雅ちゃんはさすがのスキルでしたね。もうリズムもピッチも完璧で、本当に天性のものを感じます。あれだけ才能があるのに、それを押しつけがましく感じさせず、さらっとやり切ってしまうところにはカリスマ性すら感じます。声量や声質などで言えば、小林ひかるちゃんや二瓶有伽ちゃんの方が個性を感じるのですが、やっぱり雅ちゃんの安定感が主軸にあるからこその、PINK CRES.なんだなと思わされました。

小林ひかるちゃんと二瓶有伽ちゃんのお2人は、何となく顔と名前は一致するけど…くらいの認知度しかなかったのですが、今回でざっくりとしたお2人の雰囲気を掴むことができました。お洒落なカフェの店員さんっぽい雰囲気で、どちらかと言えば落ち着いていてピッチなども正確なのが小林ひかるちゃんです。そして、バイタリティ溢れるやり手のOLさんみたいな雰囲気で、パワフルな歌声を持つのが二瓶有伽ちゃんですね。ハロプロには無い、大人の魅力を感じるお2人ですが、25,6歳ということで、まだまだお若いです。

どうしてもハロプロ上がりの子たちのファンが多い状況ではあると思うのですが、しっかりPINK CRES.というグループを大事にしてくれていて、ハロプロ楽曲も楽しそうにパフォーマンスしていたのが好印象でした。衣装もあると思うのですが、この2人の雰囲気の振り幅がグループの魅力を高めているように思いますね。特に、二瓶有伽ちゃんの方は2ポーズ目のショートパンツの衣装で、かなり妖艶なお御脚を披露されていて、ちょっと釘付けになってしまいました…なんかごめんなさい。

でも(何が「でも」なのかわかりませんが…というありきたりな文言を添えておきます)、本当に良いバランスのグループだと思いました。やってる楽曲はK-POP的な雰囲気が強いので、方向性ははっきりしていますし、何よりそれぞれベクトルの違ったお洒落さがあるので、本当に見ていて心地良いグループだと思わされました。

 

◆ 工藤遥

女優さんがステージに立っているという気品さを感じました。が、それ以上にくどぅーの素晴らしさを感じたのはやはりMCですね。合いの手をしっかりと入れてくれますし、道重さんと絡んでも良し、佳林ちゃんと絡んでも良し、なのでうまく接着剤的な役割を果たしてくれていました。意外と、道重さんと佳林ちゃんが直接絡むと、何とも言えない緊張感があるのですが、くどぅーがいることで上手く緩衝地帯のようなものが出来上がっているように思いました。

パフォーマンスでは、特にソロ曲が良かったですね。ハイトーンのところは大変なのかなぁと感じる場面もあったものの、ロートーンのところではめちゃくちゃ素敵なハスキーボイスで良い味を出していました。「これこれぇ!」となってしまいますね。なんか貫禄すら感じました。本当に良い個性を持っていますね。女優の伊藤沙莉さんが何か気になるのも、くどぅーのせいなのかなとこの日に思い至りました。

新曲の「バイトがある」は何となくaikoっぽさのある曲で、めちゃくちゃ難易度が高いのが伝わってきました。でも、ちょっぴり切なく、センチメンタルな夕焼けを感じさせるバラードで、その世界観をしっかり伝えられるのはさすがですね。

ぜひ、これからも色んな場所で披露して欲しいと思いました。

 

◆ 道重さゆみ

不肖ながら、私、道重さゆみという人間を侮っておりました。いや、まぁ、伝説的なアイドルであるということは知っておりましたし、まず基本的事項として人間的にめちゃくちゃ尊敬しているというところはあります。ですが、パフォーマンスに関しては生で観たことがなかったので、勝手に「さゆみんらしさで成立している人なんだなぁ」くらいに思っていました。

が、今回のコンサートで認識が一新されました。

道重さゆみ、やっぱめちゃくちゃ凄かったんだ、と思わされましたね。

正直佳林ちゃん目当てで行ったコンサートではありましたが、不思議と佳林ちゃんと並んでいても道重さんに目を惹かれるところが多かったです。もうずっと映像で観ていたあの「道重さゆみ感」を一瞬一瞬でビシビシと感じるんですよ。

サイドステップ1つをとっても、みな個性があり、佳林ちゃんは昭和アイドルっぽいお淑やかさがあり、工藤遥ちゃんはちょっとだけ荒いカッコ良さがあり、雅ちゃんは天性の音感がありという感じで、これまでのハロプロ活動を通してのイメージ通りなんですが、道重さんに関してはもう本当に「道重さゆみ」なんですよ。サイドステップ1つをとっても。特に、「みかん」のサビなどで見るあの腰を落として、拳を握りしめる感じなんかは「あぁ!道重さゆみだ!」と思わされました。

中高生くらいから映像だけで観ていたので、それが生で観られたという感動も相まって、何だかとてつもない感情にされました。

高いポニーテールが跳ねる感じ、立ち姿のシルエット、もう全てが完璧なる道重さゆみでしたね。これが伝説のアイドルというヤツなんでしょうね。

 

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道重さゆみシルエット

うん、あまり上手く書けませんでしたが、まぁ、要するに「ほら!シルエットだけでもさゆみんだってわかるでしょ!」というのをやってみたかったわけですね。見事失敗して撃沈ですが…笑。ちなみに、これは「シャバダバ ドゥ~」のラストカットです。髪型は変えています。

描いてみて気づいたのは、腰の感じですね。このアニメみたいな腰まわりのうねりが道重さゆみらしさを強く表していると思います。そして、極端な内股気味の脚とか。これがサイドステップしながらも基本的には維持されているんですよ。

ちなみに話は変わりますが、私は「レモン色とミルクティー」の田中れいなさんの腰使いがたまりません。ありがとうございます。

道重さんに話を戻すと、そんなシルエットだけでなく、歌声にも本当に特徴がありますよね。所謂ディーヴァという歌の上手さではなく、いつだったか佐藤優樹ちゃんが言っていたように、しゃくり上げが本当に「きゅるん」としていて素晴らしかったです。あとは、モー娘。で鍛えられたのか、リズム感が凄いです。音程よりは声音とそのリズム感で聴かせます。特にソロ曲は圧巻でした。ある意味ラップやHip-Hopに近いと言えるんでしょうか。早口っぽいところも乱れずに、きちっとリズムが生きているので、聴いていて心を揺さぶられました。

 

そして、言わずもがな、そのトーク力が素晴らしい。

特にMC3では、「今年から始めたこと」というテーマで、「白湯を飲み始めた」という雅ちゃんに対して、「さゆ?さゆ?」と絡んでいき、上手に相槌を打ちながら盛り上げながらトークを回していました。工藤遥ちゃんとの絡みはその中でも安定感抜群でしたね。佳林ちゃんは相変わらず、「今日も可愛いっすね」と微妙な絡み方をしていきましたが、上手く聞き出してあげていました。ありがとうございます。

雑誌の表紙を飾るにあたって、ブロッコリーと鶏肉ばっかり食べていて、その2種類だけの料理レパートリーがめちゃくちゃ増えたというストイックな話も披露していました。

本当に素敵な人です。

 

◆ 道重さゆみ宮本佳林

どちらもアイドル史では歴史的な人物だと思いますが、今回のコンサートではこの2ショットが観られたのが何よりも私にとっては価値のあることでした。

舞台「おじぎでシェイプアップ」で共演したのはもう12年もだったんですね。あの時はどちらかと言えば、さゆみんの方が佳林ちゃんを愛でていた気がしますが、今は佳林ちゃんの方がさゆみんを愛でていて、そんな変化が観られたのも何だか感慨深かったです。

今では2人ともハロプロの歴史の中でも「アイドルらしいアイドルと言えば」という代表格だと思いますが、今回同じステージに立っているのを観て、やっぱりベクトルは違うなぁということを感じましたね。そして、これまでの私のイメージがちょっとだけ覆りました。

どちらかと言えば、道重さんの方が好きがあるパフォーマンスをしていて、佳林ちゃんの方が完璧さを求めているという印象がありました。しかしながら、何となく一概にそうとは言い切れない部分があるし、むしろ逆なんじゃないかなぁと感じたりもしましたね。

というか、道重さんが異次元過ぎるんですよね。

道重さんは確かに一般的に見れば…つまり、何かのコンクールであれば、道重さんの歌やダンスはなかなか上位に入賞しにくいものだとは思うのです。そういう意味では、やはり佳林ちゃんの方がコンクールでも評価されるパフォーマンス能力があると思います。でも、アイドルとしての完成度で言えば、道重さんのレベルが異常であることを感じずにはいられません。

例えば道重さんは「付き合ってるのに片想い」の脚パカパカのダンスを誰よりも大きくやっていましたし、腰を落とす振りでも誰よりも深く落としており、「ザ・ハロプロ」な表現をしているんですよね。そして、その姿が本当に道重さゆみというブランドを作り上げているように思います。繰り返しますが、サイドステップの「きゅるん」レベルは今回の6人の中では断トツです。そして、それはつまるところ、細部まで全く手を抜いていないということを意味しています。「道重さゆみ」を作るために、ぜんぜん手を抜いていないんです。卒業コンサートで足を攣ってしまい、それがまた感動的なエピソードを生んだりもしていましたが、正直今回のコンサートを観て、「そりゃ足も攣るだろうな」と思うほどに手抜きがありませんでした。でも、おそらくはもともと持っている運動神経だったりが、若干人よりも劣っているからなのか、それだけ完璧なパフォーマンスをしていても、「愛らしさ」が失われていないんです。

隙さえも完璧に作り上げている、という感じでしょうかね。

 

対して佳林ちゃんは同じくアイドルサイボーグと呼ばれるほどの「ザ・アイドル」ですが、パフォーマンスを観ているとわざと隙を作っているんですよね。手を抜くという言い方があまり良くなければ、うまく力を抜いているというんですかね。あえて激しく踊ってみたり、あえて力を抜いてみたり、その時の自分のテンションや楽曲の雰囲気に合わせて器用に魅せ方を変えているのが佳林ちゃんと言えます。もちろん、確固たる自分らしさみたいなものはあるのですが、技術が幅広いだけに、道重さんほどの完成度はないように思います。

お2人とも質の高いパフォーマンスであることは間違いありませんが、道重さんの方が自分の魅せ方を研究し尽くし、そこからブレておらず、佳林ちゃんの方が色々と柔軟にやっている印象がありました。歴代最高のアイドル2人が並んでいるステージを観ながら、そんなことを考えさせられるコンサートでした。

 

なので、工藤遥ちゃんやPINK CRES.ももちろん素晴らしいのですが、コテコテのアイドルが好きな私からしたら、今回のコンサートは結構凄いものだったように思います。

だって、あの道重さゆみとあの宮本佳林がずっと同じステージでパフォーマンスしているんですよ?

普通に考えてとんでもないことだと思いませんか?

 

グループという制約があったあの頃には実現し得なかったステージが観られる、素晴らしいコンサートだと思いました。ハロプロ歴が長く、ハロコンのシャッフルユニットなどでテンションが上がる人はぜひ、M-line Specialのツアーに行ってみて欲しいと思います。

 

◆ 最後に…

注目ポイントが偏ってしまった感は否めませんが、まぁ、今回はそういうコンサートですし、仕方ないかもしれませんね。でも、総じて愛が深まる良いコンサートだったと思います。きっとこれからもっとPINK CRES.工藤遥ちゃんの活動にも気を配ることになると思いますし、昔のライブ映像なども観返したくなりました。

私もまだまだハロヲタとしてはレベルが低いですが、好きな人や好きだった人が出演する回があれば、本当にライブ参戦をオススメします。なんかとても考えさせられますし、深く感じ入るものがあります。

 

話変わって個人的なことですが、書きたいことが一気にやって来て、ちょっと疲れております。同時に会社への復職の兆しも見えてきたところなので、色々と忙しいなぁと感じる週末になりました。

頑張り過ぎずに頑張らなくては…

高木紗友希 卒業(活動終了)によせて

2021年2月12日に高木紗友希さんがJuice=Juice、およびハロープロジェクトを卒業されました。

※事務所のコメントでは「活動終了」となっていますが、個人的にやはり「卒業」という言葉を使いたいので、以下の内容でも「卒業」という言葉が出て来るかと思いますのであしからず…どういう経緯での活動終了であれ、私は紗友希ちゃんにはハロプロの卒業生として胸を張っていただきたく思っているので。

これまでたくさんの感動を、そしてJuice=Juiceというグループを作り上げてくださり、本当にありがとうございました。2013年から8年間、Juice=Juiceというグループがここまで歩んで来られたのは、やっぱり紗友希ちゃんの活躍、そして成長があったからだと思います。

まずは素直に感謝の言葉を捧げさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 

 

今回の卒業について話すうえで、まずはもちろん紗友希ちゃんに関する私の思い出を語りたいと思います。これが主題であることは間違いありません。

しかしながら、今回の急な卒業についてもやっぱり考えていかなくてはならないでしょう。確かなことはどこにもないので、全ては憶測でしかありませんし、そして私の個人的な考え方になるので、特にどうしても伝えたいわけではないですが、やはり考えないわけにはいかないので。

私自身、書いていて嫌な気持ちになるかもしれません。なので、美しい思い出の部分だけ読むことをオススメ致します。まぁ、この記事を読んでくださる方がいらっしゃればの話ですが…

 

美しい思い出たち

高木紗友希ちゃんと私の出会い、Juice=Juiceのメンバーとして

8年も昔のことなので正確なところは思い出せませんが、やはり思い出に残っているのは、ミュージカル「リボーン~命のオーディション~」のコウノトリ役ですね。モーニング娘。のお姉さま方に囲まれ、子供らしい笑顔が印象的でした。後に同じグループに選出され、盟友となる宮本佳林ちゃんもこのミュージカルで共演していましたね。

既にほかの記事で公言しているように、私は宮本佳林ちゃん推しなので、何と言うか勝手に紗友希ちゃんのことはライバル視していました(笑)。同じハロプロエッグの中から選抜されたこの「高木紗友希」という女の子はいったい何者なんだ!?と。でも、決して嫌いになるとかそういうことではありません。佳林ちゃんと同じレベルの子がハロプロエッグにはいるんだと知って、とてもハロプロの未来が楽しみになりました。それに、紗友希ちゃんの明るく可愛らしい人間性みたいなのが役から透けて見えて、「こういう子がグループにいると、きっとグループの雰囲気が良くなるんだろうなぁ」と考えたりしていました。そして、その印象はこうして卒業してしまった今も、私は紗友希ちゃんに対して抱き続けております。

 

Juice=Juiceのメンバーとして選出されたとき、「あぁ、リボーンのコウノトリ役の子か」と思いました。大塚愛菜ちゃんがメジャーデビュー前に脱退してしまってから、ハロプロエッグの血を濃く引いているのは、紗友希ちゃんと佳林ちゃんだけになりました。金朋様(金澤朋子)も歌唱スキルなど高かったものの、アイドルとしてはまだまだ素人っぽさがありましたし、デビュー当時はゆかにゃ(宮崎由加)もあーりー(植村あかり)もスキル面ではなかなか難しいところがあったように思います。そんな中で自然と紗友希ちゃんはグループの軸になっていましたし、期待も大きかったでしょう。

そんなわけでスキルでグループを引っ張る存在ではありましたし、重要なパートを任されることも多かった紗友希ちゃんですが、当時は今ほど「歌」というのが彼女の名刺になってはいなかったように思います。もちろん、スコーンと高音を当てる能力などは最初からあったのですが。4thシングルの「風に吹かれて」のラストなど、割と序盤から歌唱力を見出されてはいましたね。

その頃のJuice=Juiceを振り返ってみると、王道アイドルで表現力の「宮本佳林」、正確かつ独特な魅力がだだ洩れる「金澤朋子」、伸びやかで大胆それでいて器用に何でもこなす「高木紗友希」という3人が歌唱の軸にあったように思います。本当に良いバランスで、紗友希ちゃんの歌声はJuice=Juiceを繋ぐ接着剤のように感じていました。

そして、残りの2人(この言い方はちょっと失礼ですね…)も舞台を通して歌唱力が開花しだし、菅井先生とのトレーニングや「LIVE MISSION 220」を経て、5人全員の歌唱力が輝き始めたとき、あの「Magic of Love」がハロプロ界を震撼させます。

 

この「Magic of Love」が紗友希ちゃんの名をより高めることになったのは間違いないでしょう。多少「魅せプ」っぽさがあったのは確かですが、それまで大人っぽい楽曲をサラリとこなして来たJuice=Juiceメンバー、特に紗友希ちゃんの歌唱力はなかなか広くには伝わっていなかったと思います。なので、「Magic of Love」で一気に歌唱力にフォーカスされたときは「ほれ見たことか」とJ=Jファンは全員内心でほくそ笑んだと思うのです。が、実はそんな大きな顔もできないというのが正直なところではあります。

「Magic of Love」が収録された1st アルバム「First Squeeze!」の楽曲群で披露された彼女たちの歌唱は、正直ファンですら度肝を抜かされたと思います。少なくとも、私は当時お金もなく、ほとんど現場に行けていなかったので、ハロステでライブ映像などが出される度に度肝を抜かれていました。

いやいや、歌うまいのは知ってたけど、こんなにか!?

話は飛びますが、色んな場面で「Magic of Love」は他のハロプログループのメンバーによっても披露されてきました。しかしながら、やっぱりその度にJ=Jの「Magic of Love」のクオリティの高さには驚かされるんですよね。もちろん持ち歌ですし、やってきた回数も比じゃないので当たり前ですが、それでも「Magic of Love」を完璧にやれるJ=Jってやっぱり凄いなぁと思うのです。そして、そんな「Magic of Love」の1番の見せ所であるフェイクは、J=J歌唱3本柱のうちの宮本佳林でも金澤朋子でもなく、高木紗友希ちゃんにパートが与えられたわけです。

 

「Juice=Juiceってどんなグループだっけ?」

「ほら、Magic of Loveの…」

「あぁ、はいはい!」

 

J=Jを忘れるなんてことはあってはなりませんが、こんな会話が為されることは想像できますし、この会話におけるイメージの中で必ず目に浮かぶのはフェイクを歌い上げる高木紗友希ちゃんの姿だと思うのです。それくらい紗友希ちゃんの歌唱力というのはグループに大きなものを与えてくれたように思います。

 

グループに必要不可欠だった存在

なんか割と初期の頃って、「金朋・紗友希ちゃん」、「ゆかにゃ・あーりー」、「ぼっちりん」みたいな雰囲気があったように思います(笑)。とにかく、紗友希ちゃんは金朋と仲が良くて、ハローキティの舞台で佳林ちゃんが金朋(男装)に恋をしてからは特に、その2人を佳林ちゃんが羨むという図式があった気がします。そういうつもりが無くても、なんかちょっとしたグループを作って分かれてしまう感じが年頃という感じがして微笑ましかったですね。

でも、基本的にパフォーマンスに対してみんな真摯であることは伝わってきましたし、上手く慣れ合うことができない時期でも、ステージ上ではきちんとお互いを信頼し合っている感があって、これはこれで結構ぐっと来ていました。私の中のイメージでは5thシングルの「背伸び/伊達~」の辺りがそんな雰囲気だった気がします。

そんな時期において、やっぱり肝だったのは高木紗友希ちゃんの存在だったと思うのです。というか、本当に結成当初から紗友希ちゃんはグループにおいて非常に重要な役割を担って来たと思うのです。

 

語弊があるかもしれませんが、やはりJuice=Juiceは宮本佳林を中心に据えたグループであったと思います。佳林ちゃんの卒業に際して、紗友希ちゃんもブログで「Juice=Juiceは佳林ありきのグループ」と明言していますし、そういう認識はグループ内外に存在していました。

 

ameblo.jp

 

特にグループ結成当初はそういうイメージが強かったと思います。中でも比較的アイドル歴の浅い、ゆかにゃ・金朋・あーりーの3人にとっては「宮本佳林」という存在はあまりに大きかったと思います。メンバーの同期だからと言って、対等に渡り合うなんてことはなかなか考えることができなかったはずです。そんな中、紗友希ちゃんは「同じハロプロエッグ出身でしょ?」なんて言われるプレッシャーもあったはずですが、腐らずに努力を続けてくれました。

「Magic of Love」では顕著に出ましたが、3rdシングルの「裸の裸の裸のKISS」では既にキメのパートを担当しており、「歌は高木紗友希」というポジションを確立しようと奮闘していました。それからも「風に吹かれて」などでもキメパートを任されたりしてきました。これがあったからこそ、Juice=Juiceがただの宮本佳林のためのグループにならずに、きちんと5人のグループになれたのだと思います。

ゆくゆくにはリーダーのゆかにゃが「お互いの得意なことを活かしあうグループ」と言い切り、不安を抱えて入って来る新メンバー2人(段原瑠々梁川奈々美)を温かく迎え入れることができました。もし、ある時点で紗友希ちゃんの心が折れ、佳林ちゃんを先頭に押し出して、身を引くようなことがあれば、おそらくJ=Jは卒業加入があるグループになれなかったんじゃないかな、と思います。

つまり、それぞれが自分の個性や得意なことを発揮する、今のJuice=Juiceが出来上がる礎は紗友希ちゃんによってもたらされたと思うのです。彼女の前向きに頑張る姿勢、得意なことを見つけて個性を出そうという姿勢、それこそがJuice=Juiceというグループの本質を作り上げたように思います。

 

もちろんメンバー誰1人が欠けてもダメだとは思いますが、紗友希ちゃんが絶対的センターとして据えられた佳林ちゃんの隣で常に努力し、個性を模索し続けたからこそ、今のJ=Jの柔らかく、自信に満ちた風土が作り上げられたのだと思います。

 

そういう意味で、私は本当に紗友希ちゃんには感謝しているのです。

 

高木紗友希ちゃんの思い出

色々あるのですが、特に印象に残っているものを列挙していこうと思います。

 

西川貴教のイエノミ!!

 西川貴教さんのネット番組に出演した際に「ぶぅ」というあだ名をつけられて、あっけらかんとした様子で楽しそうに番組に臨んでいました。明るく、ちょっとガサツな感じは岡井千聖ちゃんっぽさもあり、彼女の素直で素敵な性格がよく表れていて、とても印象に残っています。

 特に「『ら』行の言葉を母音につけながらカンフーできる!」という謎の特技を披露しており、これがかなり面白く、一気に好きになってしまいました。

 

・Girls be Ambitious

 いきなり「こうなったらマジで痩せてやる。宣言!」という歌詞を与えられたのにはびっくりしましたね。メンバーへのあてがき楽曲でこれはちょっと…と思ってしまうような歌詞です(笑)。しかも、楽曲の歌い出しがこの歌詞ですからね。でも、紗友希ちゃんはきちんと歌い上げており、しかもそれから地道にダイエットも続けており、今ではすっかりスレンダー…というよりはダイナマイトボディの素敵なお姉さんになりました。

 本当に地道な努力ができる素晴らしい人です。歌唱力のこともそうですが、紗友希ちゃんを見ていると、人間にとって本当に大切なことを学ぶことができます。

 

・超便利屋@TRIANGROOOVE

 武道館で行われたライブ「TRIANGROOOVE」では、金澤朋子植村あかり高木紗友希の3人で「メロディーズ」で披露しているのですが、ここでの紗友希ちゃんのハモりが本当に素晴らしいです。というか、超便利屋扱いです。金朋やあーりーに合わせて、難しいハモりも難なくこなし、ムーディな楽曲世界を煌びやかに演出しています。本当に紗友希ちゃんがグループにいるって心強いと思わされました。

 名ライブとして名高い「TRIANGROOOVE」の中でも、私が1番お気に入りにしているのは、この「メロディーズ」です。

 

田中れいなさん愛

 そう言えばもう昔過ぎてすっかり忘れていましたが、私の最初の「推し」である田中れいなさんのことを紗友希ちゃんもかなり推していたんですよね。舞台「リボーン」でのコウノトリ役と合わせて、当時の私には印象的でしたね。

 田中れいなさんも非常にストイックで、自分の見せ方にはとことんこだわる人だったので、そういう根が真面目なところなどを引き継いでいるのかなぁなどと、こうして記事を書きながら思い返しています。

 

・役柄

 舞台「リボーン~命のオーデイション~」では天真爛漫な進行のお手伝い役、舞台「夢見るハローキティ」ではイジメっ子役、舞台「タイムリピート」では気の良い男のメカニック役、テレビドラマ「武道館」では明るいムードメーカー役。色々な役をやってきましたが、いずれの役も「人間味」が魅力となっている良い役を貰っているように思いました。これもひとえに紗友希ちゃんの素直で優しく、人としての正しさがあるからこそだと思います。

 

・後輩からの慕われ方

 番組「ハロプロONE×ONE」では、モー娘。牧野真莉愛ちゃんに指名されて、とても慕われている様子が映し出されていたのが記憶に新しいです。2015年くらいにはその紗友希ちゃんの色んな人からの慕われ方が凄いというスレッドが立っており、基本的には面倒見が良く、コミュニケーションを自然に取ることができる素敵な人格者であります。先日私が購入した「ソロフェス!」の舞台裏映像の中でも、モー娘。佐藤優樹ちゃんに懐かれていて、その応対の仕方などから人の良さがビシビシ感じられました。

 

もっと色々あるはずなんですが、とりあえずはこんなところですかね。

どうしても歌の印象が強くて、なかなか沢山のエピソードを出すことはできませんでしたが、とにかく人格にも優れた人だなぁという印象が強いです。

 

卒業に至るまで

報道内容の何が原因だったのか…?

2021年に2月11日に、アーティストの優里さんとの同棲(半同棲)に関する記事が報じられ、翌日2月12日には所属事務所のアップフロントから卒業に関するコメントが発表されました。寝耳に水、とはこのことです。

 

私は実際に今回の報道記事の内容を確認したわけではないので、どのような書き方をされているのかはわかりません。私が知っているのは、ネットで集めた断片的な情報に過ぎません。紗友希ちゃんが今売り出し中の優里さんというアーティストの方と一緒に外出したり、家に行って洗濯物を干したり、と半同棲のようなことをしていたという風に聞いております。

 

そして、先日発表された事務所と本人のコメントに共通しているのは、そんな半同棲の「報道を受けて」の卒業であり、その理由は「自覚が足りていないこと」とされています。

ハロープロジェクトは明確な恋愛禁止ではないアイドル集団であるというのが、ファンの間でも一応の共通理解にはなっていますが、実際にはグレーな部分があることも間違いないでしょう。なので、普通に考えれば「恋愛」が報じられたことが原因となりますが、事務所側の言い方からは「コロナ禍(緊急事態宣言下)での頻繁な外出」というのも原因の1つと考えていることが伺えましょう。実際に元ジャニーズの手越祐也さんなども、プライベートでの節度のない行動が取り沙汰されたりしていました。

なので、紗友希ちゃんの行動のどの要素が「自覚の足りない行動」だったのかが明記されていない以上、何が1番の原因だったのかはわかりません。まぁ、だからこそ「総合的に判断し」などという言葉が使われているのでしょう。

紗友希ちゃん自身のコメントの中では、「軽率な行動で気持ちを裏切った」とあり、また「許してもらうことはできない」、「責任を取る」、「恩返しをする」という言葉も使われています。「気持ちを裏切った」と言われると私のような男性ファンからすると、特にアイドルに対して恋愛感情に近いものを抱いている人からすれば「男女交際」のことがいち早く頭に浮かんできます。しかしながら、コロナ禍の緊急事態宣言下で軽率な外出を繰り返し、信頼を損ねたという意味でも「気持ちを裏切った」ということにはなるかもしれません。

 

ハロプロって結局恋愛禁止なの…?

いったいどうなんでしょうかね。過去に同じグループの金澤朋子さんは「明確にそういう契約になっているわけではない」とインタビューか何かで答えているようですが、多分恋愛は禁止(少なくともバレたらダメ)というのが不文律のようになっていると考えるのが妥当でしょうね。

今の時代、恋愛を解禁しているアイドルグループなんてざらにありますし、未だに恋愛禁止なんてのは時代遅れという考え方も増えてきました。アイドルだって1人の人間なんだから恋愛くらいするさ。それを認めないって、人権を侵害しているんじゃないか。と、まぁ、正論ではあります。

しかしながら、リベラルな考え方を広げていくことは重要である反面、そのリベラルな考え方に理解を示しながらも、ブランディングを行っていくことは商売として重要でもあります。少なくともスーツを着て会社に行っている人には、「恋愛禁止なんて時代遅れ」と批判する資格はないと私なんかは考えてしまいます。

企業イメージを守るため、「スーツの着用」が義務化されている会社は今の時代にも多いと思います。私の勤める会社なんて男は髪を染めるのも基本的にはNGだったりしますしね。「時代遅れの会社~」と揶揄されようとも、会社のブランドや信頼を守るためには必要なことかもしれません。もちろん社会の流れが変わって来れば、いずれスーツも着なくていいし、むしろ髪を染めてお洒落にすることが求められるかもしれません。先日眼鏡店にいったら、店員さんはみんな眼鏡をしていましたし、これも1つのブランディングですよね。

例えば、私の会社では髪型がぼさぼさだったりすると、それとなく上司からお叱りを受ける場合もあります。逆に派手にセットしていてもお叱りを受けます。もちろん会社の規則の中に「髪を染めてはいけない」などと書いてあるわけではありません。あくまで「会社の評判を落とすようなことをしてはいけない」的な文言が書かれているだけのはずです。では、何をしたらアウトで、どこまでがセーフなのか。それは非常に難しい問題です。

仮にそんな感じの風紀にうるさい会社で身だしなみが酷い社員がいたとしましょう。でも、身だしなみが酷いだけでは、減俸のような処罰は与えられない。そこで、その社員が賭け麻雀をしているのが見つかったとします。「賭け麻雀くらいみんなしてるよ」と上司は考えているかもしれません。でも、日ごろの行いや身だしなみの事、そして「賭け麻雀」という分かりやすく強い理由が出てきたとき、きっとその社員は「総合的な判断」の下、処罰を受けることになるでしょう。

たぶん、それと近いことが今回の紗友希ちゃんの卒業にもあったんだと思います。つまり、「恋愛がバレたから卒業してくれ」とは言えないけれど、「コロナ禍での外出もあるしさ」というところで卒業になったんじゃないかと私なんかは思うわけです。

 

ハロプロはアイドル稼業の中でも結構な老舗です。決して、ファンの全員が所属メンバーに対して疑似的な恋愛心を抱いているわけではないと思いますが、やはりメンバーが恋愛をしていると知ったらちょっとは嫌な気持ちになる人が多いと思います。もしもバンバン恋愛のことを語るアイドルが好きな人であれば、きっとハロプロを好きになりはしないんじゃないでしょうか。

私はかつて田中れいなさんに結構強い恋心を抱いていましたし、歳を取ってからはハロプロの「温室栽培」感、あるいは「純粋培養」感に惹かれている部分があります。ある程度歳を重ねたメンバーが恋愛していたとしても、そんなにショックは受けないでしょうが、ハロプロ全体のバランスや規範を見たときに、「はーい、全面的に恋愛OKです!」となったらちょっと嫌ですね。正直なところ。

事実、今回の件で紗友希ちゃんが恋愛をしていたと知って、そのこと自体には特別ショックを受けませんでした。むしろ良い相手で、紗友希ちゃんが幸せならいいけど…と思ったくらいです。まぁ、「恋愛についてグレー(というか、基本的にアウト)なグループに所属しているアイドルの子」をあえて口説く男、が良い人である確率を考えるとちょっと心配ではありますが。でも、そこは紗友希ちゃんを信頼したい…と、そう思いたいという感じです。

でも、やはり気になったのは、あまりハロプロに男の匂いを持ち込まないでほしい、ということですね。こういうのは差別になるかもしれませんが、高級なフレンチ料理店に行ったときに小汚いおっさんが周りの目も気にせず、むしゃむしゃ行儀悪く食事をしていると、それはやっぱり気になると思うんです。あえて店員に「あいつを追い出せよ」とまでは言わないまでも、せっかくの高級フレンチで良い気分になっているところを害されたような気になってしまうことでしょう。そして、もし味がちょっとでも微妙なら多分その店にはもう行かないと思います。

ハロプロメンバーのことは基本的に、彼女たちの人生ベースで応援しているので、どうしても恋愛はダメか、と言われればなかなかそうも言えない部分もあります。それで彼女たちが幸せになれるのであれば、全然構いません。でも、ハロプロにはそれを持ち込んで欲しくない、というのが正直なところ。なので、世間的にも「ガチ恋かよ、キモ」みたいなことを言われそうなので、表立って「恋愛はやめて!」とは言いにくいですが、やっぱり「うーん…」と思ってしまいます。「恋愛の歌を歌っているのに、アイドルが恋愛するのはダメ?」なんて言われると、「じゃあ、ミステリー小説家は殺人を犯しても良いの?」と言いたくなります。「殺人は犯罪でしょ。恋愛は別に犯罪でもなんでもない」なんて正論を言われたら、「カレー屋でウンコの話をしないで欲しい、と言うのはダメなことか!?」と逆ギレしてしまいそうです。

 

まぁ、何が言いたいかと言うと、恋愛禁止でなくても良いとは思いますが、私個人的にはあまりリアルな男女交際の匂いをハロプロには持ち込んで欲しくないということですね。それは上述の通り、ハロプロにはやっぱり高級料理店であって欲しいので、それに相応しい雰囲気づくりを徹底してもらえると消費者側としては助かるということに近いです。もちろんそんなドライな気持ちで応援しているわけではないので、ハロプロメンバー彼女たちが幸せならそれで良いという想いもあります。けど、可愛い女の子たちがきゃっきゃしてて、それでいてパフォーマンスには真摯に向き合う、どこか部活っぽい青春感がハロプロの好きなところなんです。もし、そのブランドが崩れていくのであれば、もしかしたらハロプロという伝統にあまり惹かれなくなるかもしれません。

そして、おそらくはそういうことを事務所もメンバーもある程度は理解していると思っています。一般的なビジネス同様、そこには不文律における信頼感というものがあります。私はこれまでハロプロには沢山お世話になってきたので、ちょっとしたことじゃ嫌いにはなりません。新曲があまり好みでなくても、軽い不祥事を起こしてしまったメンバーがいても、基本的にはハロプロというものを愛しています。でも、それはそこに信頼感があるからです。「ハロプロってこういう感じだよね」というのが、ファンの側にもハロプロ側にもありますし、それを守っていこうとしてくれているんだと感じるから、信頼できるのです。

とにかく、ハロプロのブランドというものは明文化されていない部分にも表れていますし、その明文化されていない部分はファンと事務所やメンバーの相互認識の間で、かなり曖昧な空気のようなもので成り立っています。それは当然、恋愛以外の部分でもそうです。「歌もダンスも嫌いなんだよね。とりあえず私は芸能界でタレントとして一発当てたいの」という子が、きっと今のハロプロでは求められていないように、モヤモヤした霧のようなもので、ハロプロのブランドというものは成り立っています。というか、ハロプロに限らず何でもそうですよね。

 

なので、ハロプロは恋愛禁止ではないのかもしれませんが、少なくとも男女交際を大っぴらにすることが奨励されるような場所ではないと私は考えています。ガンガン下ネタを言ってテレビで売れようとするくらいなら、一生懸命パフォーマンスを磨いていてくれ…というのが今のハロプロのファンの願いであるように(勝手に断定してしまい、すみません)、「まぁ、あまり恋愛沙汰を持ち込まんでくれ」というのがファンと事務所との共通の見解だと思います。

あくまで私個人の意見ではありますが、恋心そのものを否定するわけでも、人権を否定したいわけでもなく、ただただハロプロに求めることを語る上で、リアルな恋愛の要素はあまりいらないということです。アイドルだって人間ですからトイレに行くくらいわかります。でも、トイレに対して恥じらいを持っている子たちの方が、私は応援したいです。ただそれだけのことなのです。

 

紗友希ちゃんの決断

と、これらのことを考えていくと、私は今回のスピーディな「卒業」という対応はむしろハロプロ高木紗友希ちゃんの株を上げたように感じています。

もちろん、そうは言っても、ちゃんと卒業コンサートをして、幸せな気持ちで送り出してあげたかったという想いも強いです。そうできなかったことが悔しいです。もしそれが実現できるなら、「恋愛OK!」と言ってしまっても良いでしょう。それに、これくらいのことでタレントの人生を壊してしまっていいのか、という想いもあります。それに紗友希ちゃんの歌声は、ハロプロに必要だとも思います。打算的なことを言えば、テレビでも紗友希ちゃんの歌声は取り上げられるようになってきており、紗友希ちゃんを残すことは大きなメリットもあったでしょう。

ちょっとした「おイタ」で辞めさせるなんて、どうかしている。

むしろそういう過剰な反応がよりタレントの息苦しさを強め、どんどんと悪い方向へ向かわせているという考え方もあります。

恋愛したっていいじゃない。だって、アイドルも人間なんだよ。

好きな人の家に行くくらいいいじゃない。マスクせず電車で酒飲んで騒いでいたわけでもないんだし。

少なくともそういう考えが紗友希ちゃんにも事務所にもないわけがないです。だから、できることなら世間やファンからのバッシングを気にして、ビビり過ぎたが故の卒業でないことを祈っています。

 

それでも卒業という決断をしたのはどうしてなのか。

それはやっぱり「ハロプロ」というブランドを当人たちがどう考えているか、ということに唯一の理由があってほしいです。

もし、紗友希ちゃんが「ちゃんと卒業コンサートをしたい!」というのであれば、それはやっぱり実現して欲しいです。12年もハロプロに貢献してきたんですから、こんな1回の「おイタ」で彼女の全ての権利を剥奪すべきではありません。法律に抵触したわけでもないんですから、別に良いじゃないですか。

でも、前章でああだこうだ私の個人的な意見を述べてきたように、今回の件は色々な角度から見たときに「ハロプロ的」とは言い難いものであることも事実です。そして、おそらくそのことは紗友希ちゃんも含め、事務所もよく理解しているはずです。ルールに絶対に従わなければならないということではありませんが、「ハロプロ」のブランドを守りたいという想いから、今回の「卒業」という決断に至ったのだとすれば、そのことに対して、むしろ私たちは感謝こそすれ、変に批判すべきことではないと思います。

「潔く辞めてくれてありがとう」とは思いません。むしろ、どんなことをしてでも続けて欲しかったというのが、ファンとしての素直な想いだとは思います。多少、男の匂いが漂ったって良いじゃないですか。それくらい全然目を瞑ります。

でも、やっぱりハロプロ全体がそういうムードになるのはちょっと嫌だ、というのも事実なのです。

そして、同じことをもし紗友希ちゃんも感じているのだとすれば、紗友希ちゃんのような明るく素直で、真っ直ぐな努力ができる性格を鑑みれば、今回のような決断に至ったことも納得できないことではありません。私たちファンが許したとしても(事実、ネット上では「残留して欲しい」や「卒業コンサートはしてほしい」という意見も多いです)、紗友希ちゃんの信念に則って、純粋なハロプロに対する愛から決断したことだったとすれば、その決断を受け入れるよりほかありません。

 

私自身ひどく複雑な想いです。

別に紗友希ちゃんに責任を取って辞めて欲しいというわけでもないです。むしろ、「せめて卒業コンサートくらいは…」と言っている人たちに共感できてしまいます。何だったら残留して欲しいです。紗友希ちゃんはハロプロにもJuice=Juiceにも必要な存在です。そんな存在を守れない事務所にも腹が立ちますし、そういう状態に追い込んでしまったのがファンである私たちであるならば、それは何とも不甲斐ないことだとも思います。でも、やっぱり「ハロプロ」のイメージは守って欲しいという想いがあるのも事実ですし、もうどうして良いかわからないです。

どう考えても、整理のつかないことばかりです。

だからせめて思うのは、今回の決断が紗友希ちゃん自身によるものであって欲しいということだけです。もし、紗友希ちゃんがハロプロを守るために、素早く決断を行い実行したのだとすれば、それを尊重するしか私たちにできることはありません。

 

だから、私は今回のスピーディな決断はむしろハロプロ高木紗友希ちゃんの株を上げたという風に考えています。彼女は「守る」ことを優先したんだと、そう思いたいです。紗友希ちゃんの人柄を考えれば、「守る」という発想に至ることは容易に想像がつきますし、紗友希ちゃんの人格の素晴らしさを思えば、それを速やかに実行に移すことが何よりも効果的であるということもわかっていたはずです。

 

現に、私は情けないことに、ハロプロからこんなにも禍根無く、男の匂いが離れたことで安心してしまっているんですから…

 

ハロヲタである私は何と罪深い人間なんでしょうか。

 

 

…それはそれとして、色々な憶測が飛び交っています。

既に辞める話は出ていたとか、それがコロナで延期していたのではないかとか、だから紗友希ちゃんはもともと辞めたくてその機会を伺っていたのではないかとか。

まぁ、確かにそういう気配は何となくあったように思います。でも、できることなら卒業コンサートくらいしっかりやりたいと思うのが普通じゃないでしょうか。だから、紗友希ちゃんがいずれにせよ辞めるつもりだったとかは関係なく、単純に全く無用な報道のせいで、無理な判断を迫られ、こんなにもあっけなく卒業が訪れてしまったことが残念でなりません。

せめて決断が紗友希ちゃん本人の意思であったと考え、それを前向きなこととして受け入れ、その決断が実に効果的であったということを賞賛しなければやってられないです。

あとは、そういう決断をさせてしまった私たちファンや世論に問題があるのであって、紗友希ちゃんを責める気にはなれません。

 

紗友希ちゃんが残したメッセージでは、ハロプロに対する感謝や愛、そしてそれを損なったことに対する罪の意識が書かれています。それを信じて、その気持ちに対する行動が、速やかに身を引くということだったのだとすれば、それを前向きに受け入れるだけです。

いつもならもっと時間のかかるところを、これだけ速やかに決断が為されたのだから、これは絶対に紗友希ちゃんの意思に違いない。そう思わなきゃ、やってられません(もう何回この言葉を言っているんですかね…)。

いやいや、事務所が無理やりそうさせたんでしょ、とかそんなことはもう考えたくないですね。少なくとも私はこれまでの紗友希ちゃんを曲がりなりにも応援してきたわけですし、彼女の最後の決断もきちんと受け止めて、褒めてあげたいと思います。こんな褒め方しかできずに本当に不甲斐ないですが。

 

最後に…

はい。具合悪いです。もう自分でも何を書いているのかよくわからなくなってきました。

また後日読み返して不適切だと感じたら、修正か削除をかけるのでよろしくお願い致します。

 

最後にもう一度。

本当にこれまで沢山の感動をありがとうございました。そしてJuice=Juiceというグループを作り上げてくださり、ありがとうございました。これからもあなたが作ったもの、守ったもの、残したもの、を応援していきます。そして、紗友希ちゃんの人生も応援しています。

どうか幸せになってください。あなたにはそれだけの資格が十分に足りています。

適応障害と診断されまして… vol.52

適応障害と診断されて119日目(2月10日)の夜にこの記事を書いています。また前回からは少し時間が経ちましたね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は半分くらい真面目に病気のことを書いていましたね。そして、他人とわかり合うことの難しさを再実感したりもしていました。もう半分はドラクエⅪです。1週間みっちりとやり込んで、あともう少しでとりあえずのストーリーはクリアできそうな感じのところまできました。

 

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

114日目

この日は金曜日で朝から出社。連続出社3日目ということもあり、疲れが出たのか2時間ほどの在社。帰宅後は昼寝とドラクエで疲れを癒す。

 

115日目

午前中は病院。午後は上司とWEB面談。ドラクエ、昼寝、ドラクエで夜まで過ごす。久しぶりに日付が変わるまで夜更かしをして、「グレート・ギャツビーを追え」を読了。

 

116日目

いつもよりゆっくり、9時過ぎに起床。午前中はドラクエ。午後に両親と電話して体調のことなど話す。その後、3時間ほど散歩に出かける。暖かく、とても心地良い。「推し、燃ゆ」購入。

 

117日目

月曜日。朝から出社。昼で帰宅し、午後はドラクエと昼寝で癒す。「グレート・ギャツビーを追え」の感想文ブログを書いて投稿。

 

118日目

朝から昼を跨ぎ、6時間出社。初めて昼休憩を跨ぐことができた。また、会社にて上司と復帰に向けての詳細な手順(会社のルール)について話す。ずっと真夜中でいいのに。の最新アルバム「ぐされ」を楽しむ。付属Blu-ray収録のオンラインライブ「NIWA TO NIRA」が素敵な出来栄え。

 

119日目

朝から出社し、既定の8時間半を会社にて過ごすことができた。そこまで強い疲労感も無い。帰宅後はドラクエⅪをひとまずクリア。ブログを書く。

 

2.カレンダーのまとめ

そんな感じで会社に行ってはドラクエをするという日々を繰り返しつつ、連続出勤記録も伸ばしながら、在社時間延長も進めることができた約1週間になりました。土曜日にはちょっと生活リズムを崩したりしてみて、体調の柔軟性も確認できました。

そして、今日はようやく会社を休み始めてから初めて…

既定の8時間半会社にいることができました!!!

いやぁ、ここまで長かったですね。会社を休み始めてから120日目です(適応障害という診断名を頂いたのは休み始めた翌日なので)。とは言え、まだ正式な復職というわけではありませんし、会社のルール上、復職をするためには健康的に勤務を行えるという実績が必要になります。これからはそれを積み上げていくことになりましょう。

ドラクエⅪもちょうど今しがたクリアできましたし、今日はひとまずおめでたい日ということで(と思ったら、エンドロールの後に「to be continued」と出たので、まだ色々と続いていくのでしょうか…?)。

ちなみに会社で私が何をしているかと言うと、基本的には業務で必要になる知識の勉強です。直属の上司に「簡単な業務ならできると思いますが…」とお伺いを立てたところ、「まぁ、とりあえず勉強しとけ」と言われたので、とりあえず勉強させていただいております。溜まりに溜まったメールも一通りざっと目を通し終わりました(転勤後すぐに休職に入ったので、ほとんどのメールの意味がわかりませんでした)。勉強以外としては、私が休んでいるうちに受けなければいけなかった研修や教育(コンプライアンスのことなど含め、とにかく沢山あるのです)を受講していました。まぁ、これも業務というよりはただの勉強なのですが。

これまで業務に追われてじっくり勉強する時間なんてほとんど取れなかったので、いい機会だと思って、今日なんかは1日中勉強していました。周りではみんなが忙しそうに働いているのでかなり申し訳ないですが、まぁ、1か月前に自殺未遂をやらかしているような人間ですからね。こうして会社に来ているだけでも奇跡的だと自分では思います。周りからすればイライラさせられる存在かもしれませんが。

 

こうして少しずつ会社に行って、普通に忙しく働いている人を見ていると何だか不思議な気持ちになります。

半年前は自分も同じようにやっていたはずなのに、今では会社で時間を過ごすだけで精一杯。ちょっと前の自分にとっては会社に行くことだけで精一杯。もうちょっと遡れば、生活をしているだけで自分には精一杯。生きていくのって大変。

思い返してみると、本当に私は弱り切っていて、ここまで来るだけでも相当な大変さがありました。人生観すら変わってしまったような気がします。そして、普通に働いて、職場の中で必要な存在になるなんて、今の私からしたらもう相当雲の上の領域のことにように思えます。「普通」って…「普通のフリ」をするのって本当に大変なことです。今までの自分も「普通」という言葉には苦しんでいたのは実際そうなんですが、それでも対外的には「普通っぽく」見えるように振舞い、そつなく社会に馴染んで来れたように思います。でも、それが曲がりなりにもできていた自分というのが、今では信じられません。

 

今は常に体調の悪化という恐怖を抱えながら、そうならないようとことん自分を甘やかして生活を送っているのがギリギリ。子供の頃は高いところなんて全然平気だったのに、いつの間にか長いエスカレーターに乗っていると転げ落ちそうで怖くなるになっていますよね。なんか、そんな感じなのです。そして、今は「怖いから行儀悪くても座っちゃおう」とエスカレーターの段に座り込んでいるような状態です。これが「自分を甘やかす」ということですね。

落ちないためにはどうしたら良いか、ということを色々と調べて、「滑りやすい靴は履かないように」とか、「手摺につかまる」とか、そういうことを律儀に実践することも今は安心の素になっています。ちょっとずつ腰を浮かせる練習もしているわけですが、「大丈夫。そう簡単には転げ落ちないさ」とわかっていても、やっぱり一度座ってしまったところから立ち上がるのは結構な恐怖があって、慎重を期しているのですね。

 

と、よくわからない例えを持ち出しましたが、今はそんな感じの日々です。でも、もう少しでとりあえずは立てそうです。だいぶへっぴり腰にはなるでしょうが。しゃんと背筋を伸ばして立ち、普通の人に見えるようになるまではやっぱり大変そうですね。でも、ゆっくりやっていくしかありません。もう既に周りには迷惑をかけ倒しているわけですし、そもそも周りの目を気にする余裕なんてありはしません。へっぴり腰だろうがなんだろうが、そのうち立とうと思っているのです。それだけなのです。

 

今回は若干短い感じですが、まぁ、それは会社で長く時間を過ごせるようになってきたせいだと思っていただければ幸いです。

あと、これはやっぱり思うのですが、仕事に時間を割くということはどうしたって幸福度を減じますね。会社に行くのが堪らなく不幸に感じるというわけではなく、単純に自由時間が減る分、きちんと幸福度は減っているような気がします。1日のうちで「楽しい」と感じる時間が減るのはやっぱり悲しいことではあります。でも、いつまでもそんな楽しい時間ばかり追ってもいられませんからね。

無理にとは言いませんが、少しくらい会社で過ごす時間にも何らかの楽しみを見出せるようになれば良いな、と思います。「望み薄」なんて言わないで。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

ジョン・グリシャム「グレート・ギャツビーを追え」感想

ジョン・グリシャム作、村上春樹翻訳の「グレート・ギャツビーを追え」を読み終えたので感想を書きたいと思います。

これまでもいくつか読書感想文を書いてきましたが、結構あれこれと考えることが多くて長くなってしまいました。が、今回はさらっとまとめてみましょう。

 

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ジョン・グリシャムグレート・ギャツビーを追え」

 

 

作品購入の経緯

私はあまり多読家ではないため、「これは!」と思う本しか買ったり、読んだりしないタイプなのですが、「たまには息抜きの読書もしたいな~」ということで書店をうろうろしていました。そこで目に入ったのが、こちらの作品です。

何よりも村上春樹さんが翻訳というところに惹かれて購入いたしました。村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」関連の作品の翻訳をしているということで、その作品性がどうであろうとも私にとっては気になりましたね。さっそく手に取り、邪道ではありますが、訳者のあとがきをさらっと読んでみました。

原文をそのまま引用するのは気が引けるので、ざっとあとがきを要約すると、作品や著者(ジョン・グリシャム)の簡単な紹介が大部分を占めるものの、本書の村上春樹さんが気になる要素がいくつか書かれていました。

1つは稀覯本(初版本やサイン入りなど、希少な本)のコレクションに纏わること、もう1つはサイン会の話です。これらの点について村上春樹さんは興味を持ち、また楽しめたそうです。

稀覯本蒐集(←「収集」の正式な表記。本書を読んで知りました)や作家の生活についてざっくりとした知識を得ながら、ちょっとしたミステリー?サスペンス?みたいなことが楽しめそうであることが「訳者あとがき」を読んで予想できました。うん、息抜きの読書としてはちょうど良さそうだ。

そんなわけで久しぶりにハードカバーの本を買ってみた次第です。

 

あらすじ・注意点

プリンストン大学の図書館から、スコット・フィッツジェラルドが手書きした「グレート・ギャツビー」の原稿が盗み出されるところが最初の章になります。FBIは犯人数名を取り逃がし、盗まれた原稿は行方をくらませてしまいます。いったいどこに原稿は消えてしまったのか……その後、盗品回収を専門とするある特殊な組織に、とある若い女性作家がおとり捜査員として見出されることになります。疑いをかけられているのは、独立系書店経営者として名高い色男。彼は本書の原題である「カミーノ島」で書店を経営しており、おとり捜査員に見出された女性作家はその土地にゆかりがありました。彼女は捜査員としての任務を果たすことができるのか…!?

と、そんな感じのあらすじです。

注意点としては、「娯楽小説であること」です。村上春樹さんの作品に見られるような神秘的かつ神話的な、何かこの世界の真理を見出そうとするような、そういった観点はこの小説からはあまり得られないでしょう。純文学がもたらしてくれるような、目新しい着想や入り組んだ人間感情のようなものもありません。ほか、ミステリー小説のように緻密に仕込まれた伏線・回収、サスペンスに見られる急展開といったものもありません。

では、この作品はどんなことが楽しめる作品なのか、それは次の「見どころ」で簡単にご紹介します。

 

見どころ

本作の優れている点として、「リアルで多様な描写」というのがあげられるでしょう。本作は全8章+エピローグから成っていますが、それぞれの章では「グレート・ギャツビー」の原稿が目的物として扱われているものの、実に様々な人生や生活が描かれています。

第1章では窃盗グループが描かれています。プリンストン大学に忍び込むシーンはかなり細密に描かれ、作戦を遂行する様子や窃盗団の中の関係性などが楽しめると思います。どうやって原稿を盗み出すのか。それだけでも読んでいて楽しいです。そして、本作では「盗む」だけでなく、どのように警察から逃げ、盗品をお金に変えるのか、という部分についてもかなりリアルに描かれています。所謂ミステリーであればそこに「アッと驚くトリック」みたいなものがあるのでしょうが、盗むのも逃げるのも実に現実的に最善と思われる手法が描かれているので、そんな臨場感を楽しむことができます。

第2章では主役が変わり、ある1人の青年の半生が描かれます。帯でも書かれているのでここでも書いてしまいますが、彼はいずれ独立系書店を営み、一般的な書店経営の傍らで稀覯本売買の仲介役としても利益を上げるようになります。また同時に彼自身が稀覯本のコレクターでもあったのです。そして、彼は盗まれた「グレート・ギャツビー」の原稿の現所有者ではないかと捜査線上に浮かんでくることになります。ここでは彼がどのように書店を経営するに至り、どのように店を大きくし、そして稀覯本に興味を持つようになったのかについて細かく書かれています。これらもリアルに描かれているので、「ある書店経営者の成功談」として読んでも面白いです。

そして、第3章ではまた主役が変わります。今度は過去に2作ほど小説を出したことのある若手女性作家が主役となります。彼女は現在大学で臨時教員として働いており、彼女のあまり恵まれているとは言えない半生も書かれています。奨学金の借金と安い給料、そして数か月後には大学の人員削減で職を失ってしまうというなかなか切羽詰まった状況。そんな彼女のもとに怪しい1人の女性が現れます。そして、この章でその女性作家は金銭的な好条件のもとに、盗品の捜査に勧誘されることになります。新作が書けず、生活苦に襲われている陰気な女性作家の未来がここから変わっていくことになります。

第4章からは、女性作家が主役となって話がどんどん展開されていきます。特に第4章ではその副題になっている「海辺」、つまりカミーノ島での彼女の新しい生活が描かれます。彼女に与えらえた任務は、疑いのかけられている書店経営の男に近づき、原稿そのものや保管場所に関する情報を得ることです。しかしながら、捜査の素人である彼女が当面求められているのは、カミーノ島にゆかりがある若い女性作家として、その町に馴染むことです。この章では、カミーノ島の温暖で平和な世界や、そこにある作家コミュニティでの様々なゴシップを楽しむことができます。彼女の子供時代の美しい思い出はこのカミーノ島に住む祖母との時間が大半を占めているため、亡くなった祖母への想いや懐かしい景色に対する感傷的な想いというのも、この章の見どころになっています。

第5章で一瞬だけ、窃盗団に視点が戻ります。そして、そのまま第6章ではじわじわと捜査が進み出します。同時に女性作家は書店経営の男と徐々に親密になっていきます。この辺りでは一歩一歩捜査が進んでいく小気味良さを楽しむことができるでしょう。計画は予期した筋書き通りに進むのです。1つひとつの行動に意味があり、それが絡み合ってじわじわと原稿に迫る展開は、ややミステリーっぽさを感じさせてもくれます。「あぁ、そういう計画だったのね!」という発見が読者を楽しませてくれます。

そして、第7章。彼女は原稿に辿り着き、そして同時に男とも関係を深めます。この章の肝は、捜査が実るところよりもむしろ女性作家と書店経営の男の情事にあると言えます。2人の結婚や性生活に対する考え方なども描かれており、ある種の恋愛ものとしても楽しむことができるでしょう。

最後の第8章は、事件の顛末が語られることになります。ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、もしかしたら人によっては「こんな結末は受容しがたい!」となってしまうかもしれませんね(笑)。ですが、個人的にはとてもバランスの良い結末だったかなとも思います。そして、エピローグを読むことで、この作品が総じてどういう物語だったのか、ということを知るに至ります。

 

感想(読了前だと損になるネタバレも含みます)

見どころの章でお話した通り、この作品では非常に沢山の登場人物が出て来て、それぞれの人生がリアルに描かれています。それぞれの行動にはそれぞれの登場人物の思惑や人生観というものが反映されており、どれをとっても良く出来ていると思わされます。逆に言えば、表層的とも取れるので、人の内面世界やその交流といったところはあまり期待しない方が吉でしょう。

個人的に面白いと思ったのは、稀覯本というのがある種の投資になるという考え方ですね。攻殻機動隊の中で紹介される「ワインは良い投資」という話に通じるところがあり、年が嵩むにつれて確実に値上がりしていくものですからね。日本では「こころ」と「人間失格」がずっと販売数の2大巨頭となっていますし、そういった名作の初版本かつサイン入りなんてことになれば、きっと相当な価値になっていると思われます。それこそ直筆の原稿なんて文化財レベルでしょうし。

そして、そんな稀覯本の面白さを書店経営の男が明快に説明しています。もちろん確実に値上がりする資産としての価値も高いわけですが、同時に優れているのは「財産」と捉えられない場合が多いということです。彼自身、最初に稀覯本蒐集は父が実家に残した本でした。彼は父の遺産相続でもめたものの、その遺産の中には稀覯本は含められていませんでした。彼はとあるきっかけで戻った実家の書棚で父の蒐集物を見つけ、「これは売れば結構な金になるのでは?」と思い、数冊を懐に忍ばせて持ち出します。このときから彼の稀覯本ビジネスは始まっていく訳ですね。

また、女性作家は捜査の一環として、書店経営の男に自分の手元にある稀覯本を見せます。それは祖母が図書館からずっと借りっぱなしにしている本であると男には嘘をつきます(実際には捜査集団から与えられたもの)。「これは価値があるのかな? 図書館に返した方がいいのかな?」と男に相談しますが、男は「価値があるから返すべきではない」と主張します。つまり、図書館に返したところでどうせその本はその真の価値を見出されることもなく朽ちていくだけだというわけです。それにすでに図書館はその本を無くなったものとして財産から除外しているだろう、と。男は自分が100万円でそれを買おうと提案をします。

ほとんどの人がその価値を理解しないが、絶対に欲しいと思う人がいるもの。そういうものを題材にしたところにまず本書の面白さがありました。

 

その他にも、作家同士のお喋りなんかは読んでいて面白かったですね。売れる本とそうでない本。プライドや個性、個人の資質。キャラクターが立っており、その中に「全ての作家を尊敬する」という立場の書店経営の男が入ってきたり、と彼らの議論や討論、あるいはくだらないゴシップ談などは人間味があって「会話劇」としても品が良くて面白かったですね。

本を書き、売るという行為に対して色々な価値観があり、また書店経営の男が語る「売れる本の秘訣」なんかは、私もこうして文章を書く人間として反省させられるところがたくさんありました(笑)。まぁ、私のは売り物ではないので気にしなくてもいいのですが。

そして、そんな「物書き」としての世界に立っているときの女性作家は楽しそうでもありながら、どこか居心地も悪そうなのです。

そしてその居心地の悪さの原因はやはり「捜査」に関与しているからです。「物書き」と「捜査員」という真逆とも言える立場の間で、バランスを取ろうとしている彼女の真理描写はあまり深く内省的になり過ぎず、いい塩梅で現実的なので物語の進行を妨げることはありません。私なんかは気になったらどこまでもそこを掘り下げてしまうので、話の展開なんて放り出してしまうのですが、やはりプロの作家は違いますね。しっかりしてらっしゃいます。

 

さて、そんなこんなでまさに「フル・コース」的な感じのストーリーが振舞われているわけですが、私は結構本作のオチが好きです。

完全なネタバレになりますが、最終的に書店経営の男は、女性作家のおとり捜査を見抜き、盗まれた原稿の避難に成功します。しかも、おとり捜査の段階で運良く取り逃がした窃盗団の生き残りも捕まることになり、警察は「犯人逮捕」という着地点を見つけ出すことができます。警察は犯人を全て捕まえることができ、もはや盗品の行方には興味を失い、その段階で男は大学側と交渉します。大学は金銭的な余裕もあるし、原稿さえ取り戻せれば良いという態度。最終的に、大学側と交渉して書店経営の男は大金を稼ぎ、女性作家はおとり捜査協力の報酬として奨学金の返済も完遂し、手元にもそれなりの現金が残りました。損をしたのは、特別に捜査を行っていた組織と大学側ですが、ここはある意味共闘関係にあり、痛み分けのような形で決着を見ます。

「勧善懲悪じゃないのか!」と釈然としない読者もいるかもしれませんが、少なくとも窃盗団は逮捕されました。そして、書店経営の男はその信念に則り、稀覯本でビジネスをしたに過ぎません。彼はそのビジネスのリスクも承知したうえで、最善の対策を取り、見事罪に問われることはありませんでした。女性作家は捜査の目的が達成されなかったものの、それなりの金銭的な報酬を貰い、ともかく荒廃した生活から抜け出すこともできました。

エピローグではそんな書店経営の男と女性作家が、当時のおとり捜査の時の話を楽しげにする様子で終わっており、とても品のある結末と言えるのではないのでしょうか。

つまるところ、この作品は書店経営の男と女性作家の話だったように思います。2人とも魅力的なキャラクターであり、作家の愛が注がれているのを感じます。登場人物は様々であり、それぞれがそれぞれの価値観で動いているので、どの価値観も等価であるように見えますが、やはりこの2人だけは若干贔屓されているような感じがします。即物的過ぎもせず、観念的過ぎもしない。良いバランスの2人です。もちろん、2人にも欠点はあるのですが。

 

総じて、娯楽小説としてはかなり質の高い作品だったように思います。レーダーチャートで綺麗な五角形が描けるような作品ですね。ストーリー構成、切り口、人物描写、風景描写、文体のどれもが高水準なんだと思います。

ただ何度も言うように、「伊坂幸太郎みたいな伏線回収が好き!」とか「村上春樹みたいな圧倒的な世界観が好き!」とか「カフカみたいなシニカルさが!」とかそういうものを求めて読む本ではないので、テレビでクイズ番組を見るような感覚でお楽しみください。少なくとも個人的には、そんな感じの感想です。

 

最後に…

久しぶりの読書感想文です。今回は深い考察とか無しで、本当にただの感想文としてお送りいたしました。まぁ、所謂読書メモみたいなものですね。多読家ではない私がこうしてせっかく新しく本を読んだのですから、きちんとメモをとっておきましょう。

と、そんなくらいの考えで書き始めて早2時間が経過しました。もう寝る時間だ!

そして、宮本佳林ちゃんのインスタライブを見逃してしまった…残念。

適応障害と診断されまして… vol.51

適応障害と診断されて113日目(2月4日)の夜にこの記事を書き始めています。やや久しぶりの更新となりましたでしょうか。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回の記事はほぼほぼ「許された子供たち」の感想文みたいになっていましたね。

今回はこの約1週間のあれやこれやについて書いていこうと思います。ちなみに更新が遅れた理由は、1つに疲れもありましたが、主たる要因は「ドラクエⅪ」のせいです。何年かぶりにゲームにハマってしまいました。

 

 

日にちが空いたので、今回はカレンダーとして病気の進捗をまとめていこうと思います。

 

1.カレンダー

適応障害と診断されて…

 

107日目

この日は職場ではなく、朝から会社の心の相談窓口へ。約1か月の訪問。復帰に向けたアドバイスを貰う。午後は「許された子供たち」を再鑑賞し、前回ブログを投稿。

 

108日目

年始の体調不良でドタキャンしてしまった友人に久しぶりに会う。7時間近く自分の現状と過去についてできるだけ正直に話した。他人に理解してもらうのは難しい。

 

109日目

この日は日曜日。1週間分の疲れ(出社2回、相談窓口1回、友人と長時間)が出たので、暗い部屋で過ごす。前から見直していたヱヴァンゲリヲン(テレビアニメ)を観終わる。特にラスト2話が面白く、以前より深く理解できたと思う。また、みうらじゅんの「最後の講義」という動画を観て、感銘を受ける。

 

110日目

朝は通勤してみるも、職場直前で吐き気が強く出始め、潔く撤退。ダウンロードしたドラクエⅪを始める。あっという間に時間が過ぎていく。

 

111日目

朝起きて前日よりも体調が悪化しているので、1日休むことに。やはりドラクエをして過ごす。昼食兼散歩に出掛け、散歩中に「中田敦彦Youtube大学」で「人間失格」の解説動画を聞く。思い出して泣きそうになる。

 

112日目

朝から3時間半、出勤できた。昼前に寮に戻り、午後はWEBにて会社の研修を2時間受講。あとはドラクエをして時間を送る。

 

113日目

朝から4時間出勤できた。昼前に寮に戻り、ドラクエをして過ごす。夕食後にようやく重い腰を上げてこの記事を書き始める。

 

2.カレンダーまとめ

1週間分の内容になりますね。

まずは金曜日に会社の相談窓口で復職に向けての色々な相談をしていただきました。調子が良ければ職場に行けるという状態になり、どのようなステップを踏んでいけばいいのかアドバイスを貰うことができました。

具体的には、丸1日出勤して翌日は休むというよりも、午前中だけでもいいから週5で出勤できるようになることが目標だと言われました。長時間ストレスへの耐性をつけるよりは、リズムを作って行くことが先決ということですね。まぁ、確かにそう思います。

また1か月分のあれやこれやについても話を聞いてもらいました。自殺未遂のことは話しませんでしたが、大きな波があったことは伝え、「また波の底が来たときにどうなってしまうのか…それが怖い」と相談すると、波の周期や振幅は個人差があるからそれを予期し、その波に上手く乗っていく慎重さやバランス感覚を鍛えるしかないと言われました。なかなか抽象的な話になりますが、まずはその波に気付くのが重要ということになります。私の場合は大抵疲労に合わせて「頭痛」が出るので、それが1つの合図です。頭痛が出たら無理せず休む。その上でやはり怖ろしいのは「無気力感」や「抑うつ感」です。これが出たときはもう籠城しかありません。籠城し、事態が僅かにでも好転するのを待つ。そして、少し良くなった段階で散歩や瞑想などから始め、体調を戻していくことが重要になってきます。実際に、今週の日曜~火曜の間はこれを実践しました。

 

やや話が前後しますが、土曜日は久しぶりに会う友人と沢山話しました。自殺未遂の話はしないまでも、私がこの10年間抱いてきた希死願望について頑張って伝えてみました。友人はかなりのリアリストなので、私がどうしてそんな無駄なことに一生懸命になっていたのかまるで理解できないようでした。他人と分かり合うって難しいと改めて思わされましたね。

私が「自分を痛めつけ、死と向き合うことで色んな事を知れた」と言っても、「そんなことをして学べることなんてないよ」とばっさりです。「病気になって沢山勉強した」と言っても、「自分1人で勉強するんじゃなくて、他人と話さないと」と正論を言われます。私はその友人が嫌いではありませんが、思うことがあります。

あのね、他人と話しても分かり合えなくて苦しいから、色んなものを探すんだよ。

そんなこと私には面と向かって言えませんでしたが、何とか理解し合おうとしても、やはりなかなか考えは相容れないですね。少しだけ言い合いっぽくなってしまい、それにも疲れてしまいます。でも、これが人間関係というものなんだな、とも感じます。そういう「摩擦」を楽しめるようになることが、人間としての第一歩なのかもしれませんね。

ともかく色々な学びのある1日でした。普通にちゃんと生きていくって、その友人みたいにならなくちゃいけないのかと思うと、本当に気が滅入ってしまいます。でも、思い返せば、私はずっとそのことで悩んできたわけです。社会と折り合いがつけられないからこそ、私は自己破壊に向かい、そして内省的な生活の中で自分だけのユートピア建造を行ってきたわけです。そのユートピアは私の「自死」を以って完成する予定でしたが、それに失敗した今、私はまた振出しに戻って来たということですね。そう考えると、何だか面白おかしい気分になります。結局のところ私はまた社会との「摩擦」に苦しみ、人の間で揺さぶられる毎日へと戻ってきました。

しかしながら、今度の私は一味違います。それだけ苦しい状況でも「自己否定」をしないのが今の私。ま、わかり合える人間なんか今までそんなにいなかったじゃん。それでも自分というものは失わなかったし、全てに迎合してきたわけでもない。少なくともそのリアリストな友人は、数多の人間よりも私好みの相手だし、自らの核であった「希死願望」について話せただけでも貴重な存在なわけ。そんなことを思い、自分と他者のありのままを受け入れる方向性で進むことができるようになりました。以前の私なら他者とわかり合えないことに大きく傷つき、それをエネルギーに変えて、「自死」というユートピア建造をこりこりと打ち進めていたことでしょう。状況に絶望し、希死と殺意に塗れ、酩酊と半狂乱の海で無様に犬かき…それを美徳としていました。

そんな感じで、大変心は疲れましたが、変わっていない世界と変わった自分を再発見する1日でした。

 

そんな友人と過ごした翌日から3日間。私はこの週4度にわたる挑戦的な外出(出勤訓練、相談窓口、友人)で蓄積した疲れを癒すことになります。

もう日曜日はどうしようもないことが分かっていました。大人しく暗い部屋で休んでいました。前から観ていたヱヴァンゲリヲンのテレビアニメシリーズをようやく見終わり、いたく感動致しました。後半にかけての鬱展開はさることながら、やはりラスト2話に込められた思いの強さと深さには胸を打たれますね。というか、個人的に非常にタイムリーでもありました。

他者との間にある壁で私はずっと苦しみ続け、絶望し、死ぬことばかり考えてきました。他者とわかり合えない自分という存在を見つめ抜くことで、自己を理解し、そこに完全な世界を作り上げることができれば、他者を排除した自分だけの小さな世界の中で生きていくことができます。それが死の同義であることがわかっているからこそ、私の最終目標は死であったわけですね。この世界から消えてしまいたい、という強い想いはエヴァの中で碇シンジが抱き続けていた感情に非常に近いものでした。最終的にはシンジくんも「ここにいていいんだ」と悟り、そのことを周囲の人が祝福してくれる図で終わっていましたが、過程は異なるものの今の私の精神状態と似通っています。私の場合は、「まぁ死ねなかったし、臨死体験はできたから、ここにいるか」という開き直りなので、ちょっと情けない感じですが。でも、とにかく「消えてなくなりたい」と自分を追い込むことをやめて、今ある自分を受け入れるという意味では同じことのように思います。

エヴァのほかには、みうらじゅんさんの「最後の講義」という動画を観て感銘を受けました。私の考える仏教に近いものがあり、彼の語る内容は少し前までの私に非常に似ているものだったのでよく理解することができました。もし私がずっと健康であり続けたなら、みうらじゅんさんのような考え方をずっとずっとしていたと思います。彼ほど高次元的なフラットさは手に入れられていなかったでしょうが。今の私は自分の健康状態を保つので精一杯ですし、みうらじゅんさん的な考え方には一区切りつけたので、理解や共感はできても、それに準じようという気持ちにまではなりませんでした。人それぞれのスタンスや角度、用法用量というものがありますからね。

と、みうらじゅんさんの考え方を紹介していませんでしたね。言わば、彼は自己否定を是とし、生と死を司るものが虚無であるという考えを持っているようでした。そして、彼もまた自分をイジメることに楽しみを見出している類の人間です。とっても共感出来ます。強いて言うなら、みうらじゅんさんはそれを喜劇的にやっていますが、私はそれを悲劇的にやってしまっていたがために、自殺未遂までイッてしまったわけですが(笑)。

そんなこんなで日曜日は過ぎ去り、翌日の月曜日は上にも書いた通り、通勤してみたものの職場の直前で吐き気が強く出たので撤退しました。

 

そして、この日から私の冒険が始まったのです。

 

もうここからは非常にシンプルです。とにかくドラクエⅪをやりまくる日々です。

 

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上記動画で「ドラクエⅪはクオリティ高いし、普通にこれからやって楽しいと思う」と紹介されていたので、さっそく手を出してみました。幸い、ほとんど役目のなかった3DSが手元にあったので、ソフトをダウンロードします。中古屋に行けば安く手に入るでしょうが、正規の値段でダウンロードしました。金で手間を買いました。

久しぶりにゲームをやったので、ハマってしまいます。ご覧の通り、気がつけばブログを書くことも忘れていました。

ドラクエ生活を始めてからの概況を書きます。

まず、月曜に通勤途中で撤退した後にドラクエを始め、寮室に籠ります。火曜は朝から体調が悪かったので、出勤は諦め、ドラクエをして寮室に籠ります。もちろんちょっとは散歩したり、動画を観たりもしましたが。ちなみに上にも書いた通り、中田敦彦Youtube大学で「人間失格」の解説動画を観て、ストーリーを思い出して感動します。「神様のような子でした」という結びにはやはり胸が痛くなり、思わず涙が出そうになります。

翌日水曜日は朝から職場に行くことができ、3時間半を過ごした後、一度寮に帰宅し、寮の中でWEB研修を2時間受けます。その後はドラクエ

そして、本日木曜日は朝から4時間職場に行き、午後はドラクエをして過ごしました。夕食後にようやくこの記事を書き始め、すっかり風呂に行かなければいけない時間を過ぎてしまいました。ちなみに、今日は4時間いるうちに酷く頭が痛くなってしまったので、やはり何だかんだと疲れが溜まっているようです。

 

そんな1週間でした。

ゲームは時間を忘れさせますね。でも、ゲームができるようになったのも1つの進歩。正直、ゲームって面白いですけど、学びや発見が少ない気がして、時間を無駄にしているような感覚になるのであえて避けていたんですよね。

でも、今の私は取りあえず「頑張らなくていい」んです。普通にゲームしてだらっと過ごすのも良いじゃありませんか。私はこれまで傍から見れば非常に自堕落な生活をしていたと思いますが、(自分で言うのもなんですが)結構ストイックな生活を続けてきたんです。余裕があれば自分をイジメてたわけですからね。「そんなのストイックでも何でもない!」と言われればそれまでかもしれませんが、でも私は私なりの意思と決意を持って生活していたわけです。

そんな重荷を降ろして、今はゲームまでできちゃう。これは退化という名の進歩でしょう。そうですよね…?

 

次回

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