霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.50

適応障害と診断されて107日目(1月29日)の朝にこの記事を書き始めています。

気がつけばもう50回目の記事になっていました。色々とだらだらと書き進めてきましたが、何と言うか本当に半世紀くらい過ぎてしまったような気がしますよ。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は断薬や通勤訓練について書きましたね。徐々にですが、復帰に向けての道筋も見えてきました。相も変わらず、「復帰したくないなぁ」とは思いますけれどね。

 

 

今回は前回記事の続きから始めていきます。診断されて105日目の午前中くらいまでは前回記事の内容になりまして、今回記事は105日目の午後から書いていきます。

 

1.適応障害と診断されて105日目・午後~吐き気・創作物~

前回の記事を書き終えたのは午前中の10時半頃だったわけですが、そこからだらっとYoutubeで動画を観ていると不意に吐き気が襲ってきました。頭が若干くらくらとして、軽い眩暈に襲われました。

それでもお腹を満たそうという気持ちにはなったので、とりあえず冷凍パスタで早めの昼食を食べ、午後はカーテンを閉めて電気を消し、ゆっくり昼寝をしました。

いつもだいたい不調の兆候は頭痛なのですが、この日は吐き気がやって来ましたね。何か違いがあるのかわかりませんが、もしかしたら頭痛に気付いていなかったのかもしれません。久しぶりに「あぁ、ダメだな。これは」となってしまいました。

 

これまでずっと朝はだらっと過ごしていることが多かったところ、この日は起きて1時間くらいで会社に行く準備をして、久しぶりの通勤電車に乗りました。雨は降っていませんでしたが、いつ降り出してもおかしくないくらいの曇天。

電車に揺られながら、「疲れたな。今日は職場に行くのはやめよう」と思った時点で、きっと頭痛のようなものはあったのかもしれません。職場の最寄り駅ですぐにもと来た方向の電車に乗り換え、途中コンビニで漫画の立ち読みをしたりしながら、ゆっくり歩いて帰りました。朝からコンビニで立ち読みなんて悠長な人間だなぁ、とか、なぜか住宅地へと逆行して歩く私は周囲から変な人だと思われたことでしょう。

それでもたいした一歩じゃないか、と自分に言い聞かせ、寮室に戻ってからはYoutubeを観たりして過ごしていました。

面白いコンテンツを見つけたので、リンクを貼っておきます。

 

www.youtube.com

 

お笑い芸人、とろサーモン久保田さんが自分を誹謗中傷している人と対談をした企画です。相変わらず面白いことをやっていますね。

自分のTwitterにわざわざDMで誹謗中傷のメッセージを送って来る人に、「なぜそういうことをするのか?」、「嫌だからやめてくれ」とお話をするのですが、なかなか理解し合うことができず…という動画内容になっていますね。

※結構ストレスフルな動画なので、不快な気持ちになるかもしれません。

私は自称HSPなんですが、意外と映像作品とかは大丈夫なタイプです。むしろ好んでいるといってもいいかもしれませんね。暴力やグロテスクな表現、生々しい表現などの真理的な負荷を楽しむことができます。そうでない方は、あまり視聴をオススメしません。まぁ、この動画では暴力とかは無く、ただただ怒号が飛び交ったりするだけなんですが。

誹謗中傷を行った人は、もちろん出演料を貰えるからこんな動画に出演したそうですが、そもそもの誹謗中傷を行う理由については「自分のストレス発散になるから」と簡潔に答えています。誹謗中傷を受けるのは人前に出る仕事をしている「芸能人としての責務」という風に考えていることが何度も主張されます。酒を飲んで大騒ぎして、「他のお客様のご迷惑になりますので…」と言われたときに、「こんな安居酒屋に来ている時点で、それくらい覚悟してるだろ」と言い訳するような感じかもしれませんね。意外とそういう人は高級店に行けば大人しくなりそうな気もするので、判断のつかない人というよりはただただ独善的であるだけなのかもしれません。

誹謗中傷された久保田さんも、途中相手に対して感情的になったり、人格を否定するような言葉を使ったりもしているのですが、まぁ、そこはお互い様という感じで何とか「対等な人間としてやり合おう」という気概が見えます。しかし、なかなか誹謗中傷を行った人の価値観を変えることはできず、「死んでいる人もいる。俺もめちゃくちゃキツい。両親も自分の子供が酷いことを言われていて辛いだろう。だから、なんとか少しずつやめる方向にシフトしていってくれないか」と懇願するような感じになっていきます。

 

ネットの誹謗中傷は匿名性が高いから簡単にできてしまう、ということはよく議論されていることです。キングコングの西野さんは誹謗中傷の原因はその言葉の軽さにあると考え、1文字5円という実社会的な重みを与えることで美しい言葉でやり取りをする「Letter Pot」という企画をしています。

誹謗中傷を行う人は実社会での立場が弱く、ストレスの受け皿になってしまっているという意見もよく聞きますね。父親が会社でストレスを抱え、そのストレスを長男を殴ることで発散し、その長男はさらに弟を殴り…という負の連鎖は幾度か耳にしたことがあります。金が天下の回りものであるように、ストレスも天下の回りものであるとして、社会構造の歪みを指摘することもできましょう。

罪を憎んで人を憎まず、という言葉があるように、罪人を罰するだけでは社会は前に進みません。そもそも悪人が生まれてしまうような構造であることが問題なのだと考えるのは至極真っ当な気がします。しかしながら、ルールにがんじがらめになるストレスというものもあります。自由度が低い状態は不健康であるということを私は今回の自分の精神病を理解する中で学んできました。例えば、パワハラを恐れるあまり、機能不全を起こしている会社なんかもあるかもしれませんね。

そうかと思えば、自由を欲することで現代人はローカルなコミュニティを放棄し、大都会で孤独に暮らしているというパターンも多いはずです。それ故に、愚痴を吐く相手すら失い、結果的にネットで暴言を吐くという循環ができることも予想できます。

いじめの形もわかりやすいものから、より陰湿なものへと変化しているようですし、そのやり方は様々なテクノロジーを駆使して、より狡猾になっているそうです。

 

正直、どうすればいいかわかりませんね。

私は巷でよく聞くような意見を上に並べただけに過ぎませんが、心的負荷は正しさよりも量によってもたらされるという考え方もあります。つまり、自分が何かミスをしたときに、1人の上司から怒られるなら「すみませんでした」と素直に謝ることができても、それが全員に知れ渡り、会う人会う人に「すみませんでした」と言っているうちに「いい加減にしてくれ!そんな悪いことしたか!?」と逆ギレしてしまうということです。だから、咎める1人ひとりがたいして悪気を持っておらず、その意見がいかに正しかろうとも、量が過多になれば正しさは届かず、心的負荷ばかりが増えてしまうわけですね。

そんなことを考え始めると、いかに私が「一般論」を言っているだけに過ぎないと考えていても、上であげたような論で誰かに負荷をかけているかもしれないわけです。そう思うと、もう何も喋ることができなくなってしまいますね。

だって、誹謗中傷を行っている人だって、毎朝ニュースで「誹謗中傷は悪です」なんてことを聞かされていたら、自分を否定されているみたいで絶対に嫌な気持ちになっているはずですし。

となれば、久保田さんみたいに対面で「困ってるからやめてくれ」とあくまで個人間の問題として解決していくよりほかないのかもしれません。往々にしてより問題を複雑化しているのは、その問題の当事者を取り巻く社会なのだと私は思いますね。

 

詰まるところ問題は個々人の中であり、問題を解決していくためには個人の質を高めるしかないのですよね。社会構造や社会規範というものは啓蒙したり制約をしたりという力もありますが、必ず社会と人の間には摩擦が生じますし、その摩擦をどう軽減し、どう消化していくかというところは個人の質を高めていくことでしか乗り越えられない部分があるのだと、今回の病気を通じて痛感しました。

私は実に色々な人に助けられて徐々に適応障害を克服しつつあります。多くの人に迷惑をかけ、多くの人に気遣いをしてもらい、多くの人からヒントをもらいました。が、自己変革こそが問題解決の最善かつ唯一の手段なのだと思います。結局、置き換えや移行では問題が別の形になって表出するだけなので、学び、自己の質を高める以外にはやりようがないんです。

 

というわけで、そんな刺激的で考えさせられる動画を観たりしたことも相まって、私は吐き気と眩暈、そして疲れから午後はカーテンも閉め切り、真っ暗な部屋の中で寝て過ごしました。

こんな日もある。

 

夕方目が覚めてから、少しだけ文章を書きたい気持ちになったので、創作物を書いて夕飯までの時間を過ごしました。

「君に伝えたい物語」という企画がハロプロで現在進行中なので、それ用の文章を書きました。先日既に1作投稿したのですが、2作目をまとめあげて投稿することができました。通るといいなぁ、と思いながらもアニメの引用などをしてしまっているから権利の問題とかで難しいかもしれませんね。でも、個人的にはなかなかいい感じの文章にまとめられたので良かったです。また、何か思いついたらどんどんと書いていきたいですね。

 

2.適応障害と診断されて106日目~朝から出社・「許された子供たち」~

この日も朝きちんとした時間に起きて、体調も問題なかったのでそのまま会社に向かうことに。幸い天気も良く、心地良さを感じながら最寄り駅まで歩きました。

出社は問題なく行えました。少し早めに職場に行ったこともあり、グループの中では1番乗りだったので、落ち着いてデスクにつくことができました。しばらくして同僚が数人出社してきます。

コロナ禍でテレワークが導入されていることもあり、比較的静かな環境で過ごすことができました。3時間近く溜まりに溜まったメールチェックなどをして過ごし、そして頃合いを見て昼前に帰ることにしました。

昼食は自分へのご褒美ということでラーメン屋に。以前、外人の店員さんに親切にしてもらったラーメン屋です。店内に入った瞬間、湯気で眼鏡が真っ白に曇り、季節の移り変わりを感じました。

寮室に戻ると疲れが出て来たので、カーテンを閉めきり、電気を消して映画を観ながら眠ることにします。が、思いのほか映画が面白かったので、結果眠ることができずに最後まで観切ってしまいました。

 

ミスミソウ」という映画で、以前原作の漫画を読んだことがありました。大好きなアイドルであるsora tob sakanaがOP曲を務めた「ハイスコアガール」の作者である押切蓮介さんの漫画です。壮絶なイジメが題材になっており、かなりグロテスクで胸糞悪い内容になっています。「ミスミソウ」を観ようと思ったのは、そんな過去の経緯もありつつ、もう1つ大きな理由があります。上述のとろサーモン久保田さんが誹謗中傷者と面談した動画を公開するきっかけになったのが「許された子供たち」という映画なのですが、Netflixでは観ることができず、検索の結果1番類似している作品として出てきたのが「ミスミソウ」だったというわけです。後々知ることになるのですが、監督さんが同じだったから検索の結果1番に出てきたのですね。

ミスミソウ」のストーリーとしては、若干「バトルロワイヤル」に近いものがありますね。とある何もない限界集落みたいなところで、数か月後に廃校が決まった中学校が舞台です。あるキッカケから主人公の女の子はイジメられるようになり、そのイジメはエスカレートしていきます。序盤から結構あり得ないくらいハードなイジメを受けているのですが、結論から言うと、主人公の両親は殺され、そして主人公の女の子はクラスメイトを次々殺していくという展開になります。

雪降り積もる山間の集落では死体はなかなか発見されず、美しい雪景色の中で次々と殺し合っていく様子は、どちらかと言えばファンタジーとしての意味合いの方が強いですね。本来なら学校や警察などが動くと考えられそうなものですが、限界集落であり、その閉鎖的な環境というのが、ある意味では「バトルロワイヤル」の孤島のような状況に酷似しており、そこではもはや秩序を守るものが消えてしまっています。

ストーリー展開自体は脈絡を欠いていますし、ただただ凄惨な映像が続くだけなので、好みは大きく分かれると思います。ただし映像は迫力があり、また雪景色の中で主人公の女の子が着用している赤いコートが非常に映えており、血生臭い場面もかなり多いですが、どこかそんな血生臭さにも美しさを感じてしまいます。また、殺し合いの末に思い出される過去の温かなシーンは、それまでの凄惨さを吹き飛ばし、不思議と非常にセンチメンタルな気持ちにさせてくれます。

 

そんな「ミスミソウ」を観た後で、映画熱が高まり、遂に「許された子供たち」を観ることにします。Amazonのレンタルがあったので、500円を支払い観させていただきました。

 

 

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許された子供たち

 

※ここからは「許された子供たち」のネタバレを含みます。

この章の副題にも入れた通り、この「許された子供たち」がめちゃくちゃ面白かったです。Amazonのレビューでは「胸糞悪い」と評価されていましたが、私はとても面白く感じました。少なくともグロテスクさで言えば「ミスミソウ」の方が圧倒的でしたし、そういう意味では「ミスミソウ」を先に観ておいて良かったとも思いました。

「許された子供たち」は少年犯罪がテーマになっており、序盤で同級生殺しがあり、その犯人のその後がメインで描かれます。この映画を観るにあたって気をつけなければならないのは、決して「成長」や「気づき」、そして「答え」のようなものを求めてはいけないということです。同じ少年犯罪ものでも、私は「それでも、生きてゆく」というドラマが大好きなのですが、こちらはハートウォームなところもありつつ、繊細かつ強烈な苦悩の様子を楽しむことができます。しかし、この「許された子供たち」はどのシーンをとっても「悪」しか描かれないので、胸糞が悪いです。

ミスミソウ」を同級生が限界集落で殺し合うファンタジーとするならば、この「許された子供たち」はドキュメンタリーと呼べるかもしれません。主人公は小学生時代にイジメを受けた過去があり、左目の下には大きな切り傷があります。そんな彼が中学生になると不良少年となり、仲間を引き連れてイジメを行い、あるとき一線を越えてひと気のない河川敷でイジメていた同級生を割り箸で作ったボーガンで殺してしまいます。

最初、少年たちは仲間の自供などもあり、殺人を自白してしまいます。しかし、その後偶然にも決定的な証拠が出ることが無く、弁護士の手によって少年たちは供述をひっくり返し、「疑わしきは罰せず」と割り切った裁判官から無罪を勝ち取ってしまいます。晴れて不処分となった少年たちはまた元の日常に戻ったかのように思われますが、被害者の両親がメディアに出て事件がさらに世間の注目を集めるようになると、犯人の家族は世間の手によって抹殺されていきます。この世間の悲惨な野次馬精神がまたかなり胸糞悪く描かれています。冷やかし半分、独善的かつ横暴な正義感が半分。とにかく世間の酷さがリアルに描かれています。

主人公家族は引っ越しを繰り返すような生活に追い込まれます。最初は色々と面倒を見てくれた弁護士も役目を終えると消えてしまい、新しい暮らしの中で主人公家族も次第に追い込まれていきます。母親は過保護に息子が「殺してない」と言い張り、甘やかし、父親はそんな母親に愛想をつかし、いつしか逃げていってしまいます。

そんな中で主人公の少年も新しい学校で過去がバレてしまい、同級生の手によってまた新しい住所もネット上に晒されることになります。学校では主人公とは別にある少女がイジメの被害にあっており、少年と少女は奇妙な絆によって惹かれ合っていきます。もうこの新しい学校のシーンもかなり胸糞悪いです。少女に対するイジメも酷いものですし、そのイジメについてクラスでグループ討論が行われているシーンも酷いものでした。少年の過去が暴かれるシーンも、「法が裁かないなら僕が裁く」とクラスに宣言して悦に浸る生徒や、それをはやし立てるクラスメイトがとにかく気色悪く描かれています。教師はそれを制止しようとしますが、女生徒がその男性教師を取り囲み、「触られた~」などと言って妨害する場面も描かれています。教師は教師はそんな妨害にすぐに屈服してしまっているので本当に酷いものです。

犯人の少年とイジメられていた少女は距離を近づけ、それによりそれまで無感情に暮らしていた少年にも少しずつ感情が蘇ってきます。

そしてクライマックスへ。

少年は夜中に母親を置いて家を抜け出し、少女を呼びつけると一緒に被害者の家へと向かいます。最初にかつての自分の家に寄るのですが、家は「殺人鬼の家」として酷い有様です。その足で次は被害者の家に向かうのですが、被害者の家にも「ゼニゲバ」というような落書きがされていたり、こちらも同様に酷い有様でした。

少年は何とか被害者の墓前で手を合わせることができたものの、被害者の母親に「あなたは何を謝りたいの?まだわかってないんでしょ。自分の罪と向き合いなさい」と言われます。そうなのです。少年は被害者の幻影に苦しみ、その苦しみから逃れるために被害者宅に訪れたのですが、決して罪と向き合って何かを反省しているというわけではないのです。自分の母親には「お前はやっていないんだから」と言われ続け、世間からは「死んで詫びろ」と言われ続け、罪を認めることも、当然償うこともできずにいたのです。

そして、被害者宅から追い返された少年は少女を連れて、殺害現場を訪れます。

タイミングが良いのか悪いのか、一緒に殺しの現場にいた少年グループの中でも格が下に扱われていた少年がそこでは手を合わせていました。主人公の少年は彼に向って「偽善者気取りが」と言い放ちますが、彼は「僕にもう少し勇気があれば一緒に14歳になれたんだ。そしてきっと友達になれた」と返します。主人公の少年は彼が持って来た花束を投げ捨てますが、彼は川の中へと躊躇いもなく入っていき、花束を手に戻ってきます。彼の行動に犯人の少年は苛立ちを感じ、その場を後にします。

相変わらず一緒にいる少女からは「何に怒っているの?」と聞かれても、「うっせぇ」としか返すことができません。そんなところで、今度はまた少年グループの別の2人と出会います。彼らはまたかつてのように別のクラスメイトをイジメていました。しかも、彼らはオモチャのボーガンでその相手を脅しているのです。主人公の少年は、1年前に割り箸で作ったボーガンで殺したことを想起し、何も言わずに彼らに殴りかかります。ボコボコに殴りまくり、少女に「死んじゃう!」と止められるまで殴り続けます。

止まった瞬間に2人のうちの1人に後ろから蹴り飛ばされ、その間に彼らは逃げようとしますが、少年はオモチャのボーガンを拾い、かつてのように彼らに狙いを定めます。少年が引き金を引く寸前で少女が間に入り、矢の軌道はずれ、彼女の頬を掠めると背後の木箱に突き刺さりました。

2人の少年は逃げていき、主人公の少年は少女を突き飛ばすとそのまま河川敷へと消えていきます。

そして、ここからおよそ4分に渡ってセリフも無く、河川敷で1人で暴れ狂う少年の様子が音楽とともに映し出されます。このシーンは本当にカッコいいです。とにかく撮り方が凄いです。消えた息子を探す母親もまた同時に映し出されるのですが、早送りを使ったり、逆にスーパースローカメラを使ったり、ドローンによる撮影もあったり、少年が転ぶのに合わせて手持ちカメラもぐるぐると回転したり、とにかくありとあらゆる手法が使われています。中でもボーガンにカメラをつけて、少年がボーガンを振り回すのに合わせて景色を映し出す絵は、「ミスミソウ」でも取り入れられていた手法でオリジナリティを感じました。

ここまであまり書いてきませんでしたが、この胸糞悪い映画の中でも特筆して凄いのは、その撮り方だと思います。一昔前の映画では御法度のカメラ目線なども効果的に取り入れられており、登場人物の目線となって映し出される映像は確実にフィクションではありながらも、存分なリアル感を出しています。

その後も少しだけ話は続くのですが、ラストシーンでは母親と少年がカフェで楽しそうに会話をし、少年は離れた席の赤ちゃんに笑顔で手を振ったりします。そのまま2人は新しい家へと帰っていくのですが、坂道を登りながら母親と少年は1本の煙草を分かち合い、特に反省の色なども見せずにのうのうと歩いていました。

何と言うか、全体を通して、本当にこの世界は最悪だなと思わされます。少年の理由のない非行や殺人から始まり、利己的な弁護士や裁判官、そして独善的な世間の反応全てに憤りを感じさせられます。母親は過保護に「息子はやっていない」と言い張り、息子は家族に対しても自分がやったとは言うことができません。父親は逃げ回ることに疲れ、母親の過保護にも愛想を尽かして逃げ出します。少年が転校した先のクラスメイトはイジメをしており、クラス委員の2人もそれを黙認している始末。そのクラス委員の2人はあろうことか、少年の過去を掘り起こし、それをクラス会でばらし、ネットにまで拡散してヒーロー気取りです。被害者の親は少年たちが不処分となったにも関わらず、民事訴訟を起こすとメディアの前で宣言し、メディアはそれに火をつけて、両家は野次馬たちの手によってボロボロにされていきます。少年の母親は対抗馬として、「突然、我が子が殺人鬼にされた」という連載を始めてしまいます。少年は少年で路地のゴミ袋を蹴とばし、たまたますれ違ったサラリーマン相手にぶつけたりしています。廃墟で煙草を吸い、かつてそれで同級生を殺した割り箸ボーガンを作ったりもしています。

この作品の中で唯一の救いは、イジメられていた少女が少年の味方になってくれたことです。彼女もまた「全員殺したくなる」と考えるような子ではありましたが、少なくとも少年に寄り添うことができ、彼の事を思い、「被害者の両親に謝りに行ったら、その苦しさから逃れられるんじゃない?」とアドバイスしてくれたりしました。少年も彼女にだけは自分が殺したことを打ち明けています。しかし、最後のシーンでは少女は少年の引っ越し先も知らず、頬には少年の放ったボーガンでつけられた傷が残り、1人で思い出の廃墟で煙草を吸っていました。

映像(特にカメラワーク)の素晴らしさは言った通りですが、映像に文字を被せる編集も素敵でした。とにかく撮り方が新鮮なので映像を観ているだけでもかなり楽しむことができると思います。

が、特に面白いと思ったのは、全体的に無感情で冷血のように描かれている主人公の少年の気持ちが、じわじわと伝わってくることですね。彼は結局のところ「反省」や「贖罪」というところまでは達していないのですが、しかし「罪」に苦しんでいることは確かです。被害者宅を訪問するシーンでは、とにかく苦しみから逃れたいという気持ちが伝わってきますし、訪問後に殺人現場で手を合わせるかつての仲間に激昂するシーンもとても印象的です。うまく救われかけているかつての仲間を恨めしく思いつつ、そうはなれない自分に憤りを感じているのです。その後に出会う、未だにイジメを続けている仲間の中にはかつての自分を見出して、また激昂してしまいます。最後にはどこにぶつければ良いかわからない怒りを吐き出すように、1人で暴れ狂います。

自己否定と社会への怒りというのは、まさに私が感じている(感じていた)ことですし、主人公の少年のやり場のないフラストレーションにはかなり共感できる部分がありました。まぁ、私は殺人までは犯したことはないのですけれど。

と、そんな感じで、ここしばらくの間に観た映画の中では抜群に面白かったです。

面白くて翌日にもまた見返した次第です。

オススメできるような内容ではありませんが、私はとても面白いと思いました。改めて出会わせてくれた、とろサーモンの久保田さんには感謝です。

 

朝に書き始めたこの記事を書き終えたのは何だかんだと夜になってしまいました。いつもならとっくに風呂上がりで、リラックスタイムに入っている時間ですね。本日の行動についてはまた次回記事にて。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.49

適応障害と診断されて105日目(1月27日目)の朝にこの記事を書いています。

朝と言っても、「通勤訓練」を実施した後で書いているんですよ、実は。思えば平日にちゃんと出社時間に合わせた通勤訓練をしたのは初めてでした。最後にちゃんと出社したのは適応障害と診断される3日前なので、108日ぶりの「通勤」でした。

想像していた3倍疲れました…(笑)

 

前回

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前回は投資のお勉強などについてだらだらと話しましたが、病気についてのこととして、「断薬による悪夢」がメインディッシュだったように思います。今回はきちんとお薬を飲んだ後の結果についてちょっと話していきます。

 

 

1.断薬の一時中断・ナイトルーティン

前回の記事に書いた通りですが、1週間前くらいに大きな気持ちの変化があり、「もう治ったんじゃないです!?」みたいなノリから勝手にお薬を絶ってみました。それとともに、生活習慣なども大幅に見直し、夜10時に寝て、朝5時に起きるために色々なルーティンを取り入れてもみました。

しっかりとルーティンを取り入れることで、それまで「なかなか寝付けない~」といった悩みはあっという間に解決できたのですが、その反動なのか夜中に何度も起きてしまうといったことが体に起こりました。そして、3日前の夜、その症状は顕著になり、結局のところ夜中に酷い悪夢を見て目が覚め、そこから眠れなくなってしまいました。

今のところ原因は2つ考えられます。

大きな原因の1つは「断薬」です。ネットで「悪夢 うつ病」で調べたらすぐに出てきましたが、私が飲んでいたのは「ベンゾジアゼピン系」の薬で、これを断薬したときに「悪夢」の症状が現れやすいということでした。ベンゾジアゼピン系の薬にはレム睡眠(浅い眠り)のときに優位になる交感神経(興奮・活動を司る)を抑制する効果があるのですが、それが無くなった時に眠りが浅くなり過ぎて、脳の活動が過剰になってしまうそうです。断薬によるストレスも相まって、活動的になった脳は「悪夢」を生み出すという原理だと考えられます。そういうわけで、2日前の夜はお薬を飲みました。

そして2つ目の原因ですが、これはたぶん新しいルーティンを取り入れたせいですね。確かに狙ったようにすんなり寝付けるようにはなったのですが、「すんなり寝つくぞ!」と無意識のうちに思っていたせいで、神経が昂った(交感神経が活動的になった)ことは否めません。もちろん、そうやって少しずつ習慣を変えていかないことには、新しい習慣を得られないので必要な通過儀礼ではあるんですけれどね。でも、断薬とこの習慣の変化が重なって、私は酷い悪夢を見てしまったように思います。

 

そういうわけで、まずは「断薬の一時中断」と「ルーティンの継続」を実施することにしました。

しっかり薬を飲んで寝たところ、夜中に1度だけ一瞬目が覚めてしまったのものの、悪夢は見なくて済むようになりました。それでもやはり夢を沢山見るので、結構疲れる感じはありますね。本当にオールナイトシアターみたいに3~4本立ての映画を観ているような感じなんですよ。それぞれの夢はあまり思い出せないんですが、今朝方は小中学校の同級生と小学校の体育館でサッカーをしている夢を見ました。みんな大人になっていて、何故か私が1人現役を引退するみたいな設定でしたね。何を渡したか全く覚えていないのですが、「これはお前に任せた」みたいなシーンもあった気がします。本当に夢って謎。

ルーティンの方も順調に継続できているように思います。悪夢を見た日は昼間に寝すぎたので、1時間くらい寝る時間を後倒ししましたが、それ以外のところでは徐々にルーティンが体に馴染んでいるというような感じもありますね。最初は「あれをしなきゃ」とか「これをしちゃダメだ」と結構厳しくやっていたのですが、自然にやるべきことを行い、それを楽しみつつ、無駄に頑張っていたところは緩和させ、少しずつ充実した時間を作り上げられるようになってきました。

ちなみに私が取り入れているルーティンは、特に風呂上がり後の90分間にパソコンやスマホを見ず、部屋を暗くしてリラックスするということが肝になっています。これによって、最初の内は90分もの時間をどう過ごせば良いのかわからず、若干持て余しながらも無理やりストレッチや瞑想などをして過ごすしかありませんでした。

しかし、少しずつその90分間の過ごし方を自分に合ったものにできるようになってきました。

 

1.部屋を間接照明だけにする。

2.柔軟、ストレッチを15分くらい。 ←汗がだらだら出ます。

3.今日の自分を3つ以上褒める。カレンダーに×印をつける。 ←3分くらい。

4.日常の雑務。

一昨日は洗濯ものを畳み、昨日はネクタイの裏側の輪っか(これ何て言うんですかね?)が外れかかっていたので縫い付けました。中学の家庭科の授業で使っていたやつを未だに使っています。

5.読書。 ←寝る30分くらい前まで。もっと読みたい!ってなるけど我慢。

6.丁寧に歯磨き。 ←歯茎や歯が気持ちいいなぁと感じられるくらいゆっくりと。

7.ボディスキャン瞑想。 ←これ、自分にめちゃくちゃ合ってます。

 

という感じですね。YouTubeで一時期流行っていたナイトルーティンの紹介みたいな感じで書かせていただきました。

2.柔軟・ストレッチに関しては、ちょっと模索中です。もともと体が硬いので、まぁやる分には良いのですが、なんか日中に肩が痛いのでちょっとやり方がおかしいのかもしれません。要改善ですね。でも、柔軟は自然と呼吸をゆっくりにしたり、体の感覚を深く味わうことができるので、半分瞑想に近いところがあり、本格的な瞑想を行う前段階として良いものだと感じています。

3.自分を褒めるというのは、自己肯定感を高めるルーティンですが、もはやただの日記ですね。まぁ、これをやることで1日を思い残すことなく終われる気はするので、続けたいと思います。カレンダーに×印をつけるのは「いつかやってみたいなぁ」という憧れがあったので、やり始めることにしました。なかなか爽快です。なんか前向きな人間みたいで恥ずかしいと思っていたのですが、今の私は前向きな人間になろうとしているのでもう恥ずかしくなんてありません。

4.日常の雑務は、パソコンやスマホを使わずにできることをやります。洗濯ものを片付けたり、アイロンをかけたり、ちょっと裁縫をしたり、軽い部屋の掃除をしたり、できるだけ神経を使わずにリラックスできる類の作業をします。何もすることが無いときは、その分だけたくさん本が読めるという感じになるでしょうが、あまり本に熱中し過ぎても良くない気がするので、バランスを見ながらですね。

5.読書は、今のところ「グレート・ギャツビーを追え」という本を読んでいます。村上春樹さんが翻訳しているもので、ジャンルとしてはサスペンス小説になるんですかね? フィッツジェラルドの手書きの原稿が盗まれて…というお話ですが、泥棒の章、ブローカーの章、捜索員の章…という感じで、章ごとに視点が変わっていき面白いで鵜す。まだ4分の1くらいしか読めていませんが、ちまちまと進んでおります。

6.歯磨きは、読書の熱冷まし時間としても使っています。ぼーっとしつつ、とにかく歯や歯茎にあたるブラシの感覚を味わうようにすると、とても落ち着きます。私は小さい頃から虫歯になりがちで、歯医者さんから「歯の磨き方」を何度もレクチャーされているのですが、ずっとテキトーに磨いてきました。「歯を磨くのって心地いい!」という感覚がわかると、あのとき教わったことが実行できるようになり、少し嬉しいです。

7.ボディスキャン瞑想ですが、これが私にはめちゃくちゃ合っているようです。マインドフルネスなどでよく言われているように、「呼吸を感じましょう」というのはまだ私にはうまくできません。何と言うか呼吸に集中し過ぎて、無意識に呼吸をコントロールしてしまうんですよね。そして、いつの間にか飽きてやめてしまい、考え事に捉われてしまうという感じです。

しかしながら、ボディスキャン瞑想は、集中しながらも徐々にリラックスできます。やり方はまだ色々と模索中ですが、まずは「呼吸」からです。まずはコントロールしながらでも良いので呼吸に集中します。私は鼻の感覚から意識すると入りやすいので、吸う息と吐く息で、鼻の粘膜で感じる空気の温度の違いを意識します。そして、次第にその意識を肺やお腹に向けていき、空気が出たり入ったりするイメージを経由して、体が膨らんだり縮んだりする感覚へと持っていきます。そこからヘソに意識を向け、呼吸に合わせてヘソが動くことを意識し、徐々にじんわりとした感覚がそこに溜まっていくのを待ちます。

ここまでがボディスキャン瞑想の準備段階です。だいたい5分くらいかかるでしょうか。そこからはそのヘソのじんわりとした感覚を右足の爪先に持っていきます。右足の指先で空気の冷たさを感じたりしつつ、意識を向けた先にじんわりとした感覚が訪れるのを待ちます。そこまでできたら、その「じんわり感」をかかと、くるぶし、足首、すね、ふくらはぎ、膝、もも、という感じで移動させていきます。自分自身がMRIの機械になったつもりで、まさに体中をスキャンしていくような感じですね。一度、スキャンした箇所には「じんわり感」が少し残っているので、その「じんわり感」を楽しむこともできます。全身でちゃんと「じんわり感」を味わおうと思うと結構時間がかかるのですが、これをやっている最中に眠気がやって来ます。眠気が来たなぁと感じたら、電気を全て落とし、またボディスキャン瞑想に戻りつつ、眠りに落ちるのを待ちます。

はい。これで眠れます。ただ、もちろん「ボディスキャン瞑想をすれば眠れる!」というのではなく、ちゃんと食事は3時間前に済ませ、90分前にじっくり15分間風呂に入り、90分間のリラックスタイムを過ごしたうえで、ボディスキャン瞑想に入っているので、全ての効果が合わさった結果ではありますね。

 

そんな風にして、お薬も飲みつつ、ナイトルーティンも自分に合った形に整えていくことで、今日は朝方4時過ぎに1度目が覚めただけで、比較的ぐっすりと眠ることができたように思います。

 

2.適応障害と診断されて104日目~家計簿・職場に3時間~

昨日になりますが、この日は朝ゆっくりと起きました。前日は悪夢を見たせいで日中にたくさん眠ってしまったので、その分だけ寝るのが遅くなりました。なので、この日は無理せずゆっくりと起きることに。

午前中は家計簿をつけてみました。とりあえずアプリで銀行預金の入出金記録を確認しましたが、どこからの引き落としかわからないものが多く、自分が何にどれくらいお金を使っているのかわかりません。しかしながら、幸いにも私はこうして日記をつけているので、だいたいの引き落としに対して検討をつけることができました。思い出せない引き落としがいくつかあるのですが、その中でも毎月の1100円の引き落としと、たまに現れる255円の引き落としについては、よくわからないので要調査ですね。

そして、家計簿をつけてみてわかったのは、私の経済的悪習慣です。現金での出費が多く、たまに気が向いたときにカードを使うという悪習慣があります。私は「お金を使っている実感」が欲しくて、今まで現金を使うことが多かったです。これは学生時代からの名残ですね。学生時代は本当にお金が無かったので、常に財布の中にいくら残っているかを気にして暮らしていました。そして、薄っぺらい財布の中身を見ながら節約を自分に言い聞かせていました。やはりカードだと危機感が薄れてしまいますからね。

しかしながら、社会人になってお金に余裕ができると、私は基本的に毎回10万円ずつATMで降ろす癖がつきました。手数料や引き落としの手間を考えると、引き落とす回数は少ない方が良いですし、常に10万円くらい財布の中にあると何にでも対応ができるので助かります。地方勤務時代に先輩と飲みに行くと、必ずと言っていいほどお金が足りなくなり、私がコンビニATMでお金を降ろして、後日清算みたいな流れができてしまっていたのもこの癖を助長した原因ではありますが(笑)。

この癖のせいで、結構な頻度で10万円が引き落とされており、しかもそれが何に使われているのか一切不明という事態に自分が陥っていることに、今さらながら気づきました。Amazonなどのネット通販による出費は全体のうちでたいした割合ではなく、やはりその10万円の連続引き落としが私の経済に大きなダメージを与えていたのです。

これは改めなくてはなりませんね。極力、カードで支払うようにしつつ、ちゃんと家計簿をつけるようにしていきたいと思います…続けられるかな…(笑)。

 

そして、午後は会社に出向き、2時半から5時過ぎまで、約3時間職場にいることができました。既に締め切りが過ぎている社内の研修や教育をオンラインで済ませることで時間の大部分を過ごしました。

苦手としている上司とも数か月ぶりに会い、向こうが忙しいというのもありますが、特別話すようなことはなく、途中の「よく来たな」と帰り際の「遅くまでいると電車混むんだからな」という言葉だけ頂くことができました。まぁ、今日はこれで良しとしましょう。今後の復帰の過程については私自身がもう少しちゃんと目処を立てられるようになってから話し合えばいいわけですし。

10月末の何とか復帰に向けて頑張っていたときは、3時間で頭痛や吐き気がMaxになっていましたが、この日はとりあえず体に不調を来すこともなく、3時間を過ごすことができました。

しかし、やはり集中してメールチェックしたり、会社のコンプライアンスやら何やらについて勉強したりというのはまだまだ私にとっては負荷が大きいことのようで、2時間半を過ぎた辺りでふと貧乏ゆすりが出ていることに気がつきました。まぁ、まだ出社訓練2日目なので、こんなもんでしょうね。とりあえずは良しとしておきましょう。

そもそもこの日もなかなか寮室を出る気分になるのには時間がかかりました。

昼食を食べている段階では全く外に出たくなかったのですが、「嫌になったらそのまま帰って来ればいい」という逃げ道を用意しながら外に出ることができました。ちょっとした緊張感がありながらも、電車に乗っているうちに気持ちが固まっていき、何とか職場に入ることができました。掃除を手伝ったりする中で、同僚の人とも少しだけ会話できたので、結果的に行って良かったですが、やはり疲れましたね。

 

帰りにはリストアップしておいた買い物もでき、寮の食堂で夕飯を食べ、ちょっとだけ自分の時間を楽しんだ後に、いつも通りのナイトルーティンもこなして落ち着いた気持ちで眠りにつくことができました。

そう言えば、薬は飲み忘れていましたね。2日に1錠飲むくらいと考えてはいたので、この記事を書いている今日の夜に飲めばちょうど良いでしょう。

 

と、そんな感じの1日でした。

 

3.適応障害と診断されて105日目・朝~出勤訓練~

冒頭にも書きましたが、今日は朝に出勤訓練をしてきました。朝6時ちょっと前に目覚め、ゆっくりと支度をしつつ、7時に寮を出ました。

まずは朝一でスーツに着替えるというのが、結構疲れるかなと思っていたのですが、7時に寮を出るまでは比較的スムーズに行えたように思います。ただ、6時に起きて7時出発だとちょっと今の自分には慌ただしいように感じたので、就寝時間と起床時間については検討が必要な気がしますね。

そして、久しぶりの通勤電車です。10月よりもちょっと混んでいるような気がしました。もしかしたら、基本的に昼間の電車しか乗っていなかったので、そう感じるようになってしまっていたのかもしれませんが。ともあれ、この久しぶりの通勤電車が結構私にはキツかったです。調子が良ければそのまま職場に行こうと思っていたのですが、電車に乗りながら「あ、今日はダメかも」と思い、大人しく引き返してきました。

職場の最寄り駅で降り、そこからすぐにまた寮に帰って来た感じですね。ずっとスマホで動画を観ながら電車に乗っていただけだったのですが、ダメでしたね。

 

体力が100あるとして、まず朝6時に起きることで5を使います。その後、1時間で出社の準備をすることでさらに10を使います。そして、通勤電車に乗っている中で30近くを使ったように思います。計45を起床から2時間足らずで使ってしまったので、今日はもうこれで終了です。もちろん無理をして職場に行くこともできたと思いますが、まぁ、そう焦ることでもありませんし、「今はこれでいい」…と私の心の中の碇ゲンドウも言っていました。

大学の頃から朝というものがとても苦手でした。もちろん、それには私の心身の管理がうまくできていないというのが最大の原因なんでしょうが、あの朝の「蠢いている感」が嫌いなんですよね。誰だって朝早くから通勤電車に乗るのなんて楽しいわけがないから仕方ないんですけれど、周囲の人たちが抱えているストレスみたいなのが、ぞわぞわと私の体に染み込んでくるような気持ちになってしまうんです。

道を行く車の音も何だかせわしなく感じられ、朝陽はぎらぎらと人々を照らしつけ、ムカデの大群が部屋の外を蠢いているような感じがするのです。これは何もちゃんと一生懸命働いている方々を罵倒したいということではなく(大学生の時分には随分と罵倒してきたように思いますが)、とにかく私がそういう不快な気持ちになってしまうということが問題なわけです。もう朝が恐怖なのです。

HSP的な観点から言うのであれば、他者のストレスに共感して影響を受けてしまうからということになるのかもしれません。

となれば、当然何らかの対策は求められるわけです。もちろん、少しずつ慣れていける部分もあるわけですが、しかしきっと不快を感じているということには変わりがありません。「不快」を減らし、「快」を増やすというのがHSPだけに限らず、適切な自己運用においては重要になってきます。しかし、いったいどうやってこの通勤電車の不快を減らしますかね。1つには電車以外の通勤方法を考えるのもアリですけれど、自転車やタクシーなどの代替の通勤方法はちょっと無理がありますね。ならば、とにかく「快」の聖域を展開して、自己防衛に努めるしかありません。

今日はYoutubeで動画を観ながら通勤していましたが、今の私にはこれだけでは足りないようです。動画視聴は視覚と聴覚を使っているので、あとは味覚・嗅覚・触覚を使うことができます。とりあえず、飴を舐めたり、ガムを噛んだりしつつ、香水をつけたり、何か触って落ち着くものをポケットに忍ばせるというのが具体的な対策になるでしょうか。触覚を満足させるものについてはすぐに思いつかないので、まずは飴やガム作戦から始めてみましょう。

 

と、そんなことを感じた初めての通勤訓練でした。

 

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適応障害と診断されまして… vol.48

適応障害と診断されて103日目(1月25日)の夕方にこの記事を書き始めています。

 

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少しずつ復職に向けて、体調や生活習慣、自分の思考パターンや行動パターンのアップデートを図っています。そんな中、今日は1日色んなことを休みました。

 

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昨日は色々と寮室の中にいながらも、能動的な1日であったように思います。そして、そんな昨日の夜中に悪夢を見て、そこから眠れず、一旦寝ても悪夢にうなされてかなり疲弊感のある今日を過ごしました。原因についてはちょっと調べたらわかったので、それらについても書いていきましょう。

 

1.適応障害と診断されて102日目~創作・掃除・保険・投資~

日曜日でしたがこの日も5時半ごろには起きることができました。とりあえず自己肯定感を高めるために、自分を褒めてあげることに。まぁ、褒めたところで何か報酬が貰えるわけでもないんですけれどね(笑)。

ただ、日曜ですし、無理に体を目覚めさせることはせず、ここ数日の間では比較的ゆっくりとした朝を過ごしました。よく眠れているようで、やはり夜中には何度も夢を見つつ目を覚ましそうになっており、それでちょっと寝起きに疲れが出ているという自覚もありました。

そうは言っても、起きてしまった以上はやはり楽しく過ごしたいので、ちょっと創作物を書いたりして数時間を過ごしました。ハロプロの企画で「君に伝えたい物語」という朗読用作品応募企画があったので、それに投稿してみる用の創作物です。何か具体的な目標に向かってものを書くというのは非常に久しぶりだったので、なかなか楽しい時間でした。この記事を書いている段階ではまだ推敲が済んでいないので、これからまた少し時間をかけてまとめていきたいと思います。

 

そのようにして、久しぶりの創作の時間を過ごした後は、お薬を貰いに寮を出ます。前にも一度ありましたが、昨日は薬局が混んでいたので処方箋とお薬手帳だけ預けて、今日受け取るようにしていたのです。

前回の記事にも書いた通り、この間まで私は「メイラックス」、「サインバルタ」、「スルピリド」という3種類のお薬を貰っていましたが、今回からは「メイラックス」だけになります。ベンゾジアゼピン系のお薬で、交感神経を抑制するような効果があります。交感神経は良くも悪くも心身を活動的にする側の役割なので、特に私のようにすぐに刺激に反応して臨戦態勢を取ってしまうような症状の人には効果的なお薬です。まぁ、その「メイラックス」も、何だか適応障害が治って来ているという実感があるので、ここ数日間は飲むのをやめているんですけれどね(これが問題であることに翌朝気がつきます)。

 

薬局に行った後、昼食を近くの「はなまるうどん」で食べて、少しだけ本屋に寄って寮に帰ることにします。雨も降っていたし、散歩する気分にはなれませんでした。ちなみに、本屋では「四畳半神話大系」の文庫版を購入しました。ちょうど薬局に行く途中の電車でアニメの最終回を観た後で、ふらっと訪れた書店に平積みされていたらついつい買ってしまいますよね。作者は森見登美彦さんという人で、ちょっと前に観た「ペンギンハイウェイ」も書かれているのだと初めて知りました。

 

寮に戻ってからは、これまで何度も行った医者の領収書などの整理をしました。何と言うか、ずっと適当にまとめて放置していたのですが、一応保険にも入っていたので何らかの補償が受けられるなら…という感じですね。本当は保険に入るつもりなんてなかったんですけれど、会社から半強制的に入れさせられたので、毎月給料から天引きされる保険料に「うーん」と思っていた分、「ここで取り返してやろう」と思い立ったわけです。

が、これまで保険のことなんてほぼ無視していたので、自分がどんな保険に入っていて、どのような補償が受けられるのかもわかりません。そしてそれを調べようと思っても、手元には自分が加入している保険に関する資料なんて何も残っていません。ネットで調べたら「加入者票」のようなものが必要とのことだったのですが、その「加入者票」すらもうどこにあるのかわかりません。多分、引っ越しの時にまとめて「いらないと思われる書類」を処分したので、そのときに捨ててしまったのだと思います…

とりあえず、保険会社にお問い合わせのメールを送りました。病気になって、休職したけれど何らかの補償は受けられるのか。そして、私はいったいどんな保険に入っているのか。加入者票、無いんですけど…という感じですね(笑)。いやぁ、ふがいない。

ただ、こんな風に今まで無視していた物事とも向き合うというのもなかなか面白いものだと感じました。

これまでは「死んだ時に両親にちょっとくらいお金が入れば良いかな」くらいに思っていたのですが、これからはちゃんと自分がどういう保険に入っているのかきちんと把握しておきたいと思い直しました。一応、しっかり生きていくつもりなのですから。

 

保険に関してあれこれとやる過程で、加入者票を探していたのですが、そうやって探し物をしていると、何だか部屋を片付けたくなりますよね。

引っ越しをしてからもほぼ放置していた段ボール箱があったのですが、この中身を寮室に備え付けの収納スペースにきちんと振り分けました。2度目の首吊り失敗のときに、落下の衝撃で段ボールは大きく破損しており、しかも剥がれた壁の破片とかがたくさん入り混じっていたので、それらのお掃除も進めます。

これまでの収納も見直し、結果2時間近く部屋の掃除をしていたと思います。おかげで今はだいぶ片付いた印象の部屋になりました。いずれ、寮長に部屋の物干し竿をぶっ壊したことを告白し、修理してもらわなければいけないので、それに向けても一歩目を踏み出すことができます。流石に汚い部屋に他人を入れたくはありませんので(笑)。

 

掃除をした後には、最近ちょっとずつ勉強している「投資」について色々と動画を観たりして勉強しました。まぁ、主に中田敦彦YouTube大学での勉強なんですけれどね。

先月始めたFXについては、ちょくちょくやってはいたのですが、やればやるほどにギャンブルだということがわかってきました。一応、色々とテクニカル分析と呼ばれるものの知識もちょっとずつ付けて、グラフの読み方などがわかるようになってきたのですけれど、どうも外国為替の値動きというのはランダム過ぎて予測が難しいです。

パターン通りになることもあれば、パターンと逆になることもあるし、そもそもパターンを見抜くのも今の私にはままなりません。売買時の値段の差分(=スプレッド)というものがあり、それは実質FXを扱う会社に対する手数料になるのですが、これがある以上、胴元のテラ銭を払い続けることになるのでなかなか設けるのが難しいということにも気がつきました。

とは言え、自分のお金を弾にして、値動きを予想するというギャンブル要素は面白い部分もありますし、数値グラフの分析にも興味があるので趣味としては続けても良いような気がしますね。趣味として数百円単位のギャンブルとして遊びながら、もしコツなどがわかって儲けられそうだったら、そのときにもっと賭け金を上げていきたいと思います。

 

というわけで、このところ私が勉強しているのは「資産運用」としての「投資」です。

私が色々と動画を観たり、ちょっとネットで勉強したところによると、税金や銀行預金に対する理解を始めるところから「資産運用」についての意識が変わるそうです。

まずは税金ですけれど、これは単純に所得税になりますね。iDeCoという制度を使うことでまずは所得税を減らすのが良いそうです。毎月の給料が30万円で、そのうち10万円が所得税や住民税などが天引きされ、20万円手元に残る。でも、月々12万円で生活できているので、8万円は銀行預金に回している。まず、この状態が勿体ないという考え方になります。つまり、8万円も銀行預金に回しているのであれば、5万円はiDeCoの制度を使って年金のように積み立てをすることで、5万円分の所得が減ることになり、例えば毎月5000円分の所得税や住民税を減らすことができるようになります。これは毎月5000円分余計に財産が増えていくということになりますね。

しかし、iDeCoの制度は確定拠出型年金なので、原則60歳になるまで引き出すことができません。なので、老後を見越して貯金をするくらいならiDeCoを使いなよ、ということにはなりますが、私はちょっとそれに窮屈さを感じますね。まぁ、それでもただ銀行預金しているよりは絶対にお得な制度ではあるわけですが。

そして、次に「銀行預金」に対する考え方も改める必要があるそうです。まず、「銀行預金」のリスクが何かと言うと、主に2つが考えられます。1つ目は、銀行の破綻で、これは非常にわかりやすいですね。2つ目は、インフレです。もしハイパーインフレーションが起こってしまい、お金が紙切れ同然になる時代が来たら銀行に預けているお金の価値は消えてしまいます。現に、消費税が増税されただけでなく、色々なものが徐々に値上がりしているような気がします。これはインフレが起きているということですよね。お金の価値が下がれば、現在はバナナ1万本買えるだけの現金貯蓄があっても、数年後には8千本しか買えなくなっているかもしれない。これもまた銀行預金におけるリスクということになります。

 

銀行預金については、こういう考え方もできます。現状の普通預金口座の利子はだいたい0.001%くらいだそうです。これは非常に勿体ない、という考え方ですね。もちろん銀行にお金を預けておくことで、現金を手元に持っておく必要がなくなり、またクレジットカードなどの決済サービスを受けられるという利点もあります。なので、一概に銀行預金が悪いという訳ではないです。ただ、銀行預金には半年分の生活費が入っていれば十分だという考え方があります。それ以上の余剰な預金は、何の役にも経っていないということです。

もし、この余剰に浮いているお金を利子5%で貸せるのだとしたら、その方がお得な気がします。利子が0.001%ということは100万円を誰かに10年貸して、100万100円になって返って来るくらいのものだそう。そんな相手にお金を貸していても意味は無いという考え方です。

お金には「利子」というお金を稼ぐ力があります。その力を引き出しつつ、安定して運用することができれば、お金がお金を稼いでくれるようになります。富裕層というのはまさにそれをしているのであって、そのようなお金を稼いでくれるお金のことを「マネーマシーン」と呼ぶそうです。

定年退職するとき、あるいは早期退職を願い出るとき、手元に立派なマネーマシーンがあれば非常に心強いです。そして、このマネーマシーンを安定稼働させたときに目指せる現実的な効率は現状5%くらいだそうです。つまり、もし1億円の資産運用=マネーマシーンを作りだせれば、このマネーマシーンは毎年500万円くらいを稼いでくれることになります。だいたい500万円あれば、特別な贅沢をしない限り、かなり充実した生活が送れると思います。しかも、提唱されている安パイなこのマネーマシーンの半分近くは株になるので、インフレにも強いです。ちなみにマネーマシーンの一部にはリスクヘッジを行うために、利子が低い国債や銀行預金なども含まれ、それによってデフレ時の安定稼働も組み込まれています。

 

しかしながら、普通に考えたら1億円の資産を作ることなんてかなり難しいことのように思います。しかし、株投資の利点は「複利」にあります。つまり、毎年5%ずつお金が増えていくとすれば、最初の投資額が500万円だとすると、1年目は500万円の5%である25万円が儲かり、2年目はその合計の525万円の5%である26万円が儲かります。このようにしていくと、順調に5%の利回りを継続してくれる場合、500万円の初期投資が30年後には2160万円くらいのマネーマシーンへと成長していることになります。このときの2160万円のマネーマシーンの効率がまだ5%であるとすると、毎年108万円を私たちにもたらしてくれる存在になっていますね。

一応、より現実的な計算をしてみました。

まず初期投資を200万円とします。そして、最初は年間30万円ずつ、さらにこのマネーマシーンに自分で働いて得たお金も餌としてくれてやることにします。年間30万円ということなので、毎月2万5千円分投資をさらにするということになりますね。そして、5年ごとにこの年間の追加投資を10万円ずつ増やしていきます。なので、明日200万円のマネーマシーンを作り、そこに毎月2万5千円さらに餌をくれてやります。そして、給料がさらに上がった5年後はその月々の餌代を8500円くらいずつ増やします。もう5年経ったらまた8500円増やし、この時は年間50万円分マネーマシーンに餌をやっていることになりますね。

すると、30年間にかかる餌代は初期投資の200万円も含めて、約2千万円となります。つまり、普通に銀行の定期預金で考えたとき、最初に200万円の貯金をして、年間30万円の追加貯金をしていくということですね(もちろん、5年ごとに年間の預金額は10万円ずつ増やしていくというルールは守ります)。すると、30年後には約2千万円の貯金があるということになりますね。当たり前です。

そして、これが銀行預金したときの資産です。しかし、仮に盤石な5%の利回りを持つマネーマシーンに餌としてこの貯金を食わせ続ければ、30年後の資産は約4千万円となります。まぁ、30年で約倍になるといった感じですね。

ちなみに30年がかりで1億円のマネーマシーンを作るとしたら、初期投資が200万円だった場合、最初の5年間は毎月2万5千円の餌代。その後、5年ごとに毎月の餌代を5万円ずつプラスしていくことで何とか作り上げることができそうです。まぁ、このルールだと最終的に30年後の餌代が月々32万5千円となるので、なかなか大変ですけれど(笑)。年間390万円の貯金となるので、30年後にそれが可能かどうかを考えると、年収は1000万円は必要な気がしますね。

 

詳しい理論とか考え方、具体的にどこにどう投資すれば良いのかということはYouTube大学の方で観た方がわかりやすいですが、極力手数料を抑えて投資信託に任せるのが良いそうです。手数料を抑えるには、ネット証券でETF(上場投資信託)でインデックス投資をするのが吉。私もまだまだ勉強不足なので、これから少しずつ勉強していこうと思います。

 

…そんな風に色々なことをやりながら有意義な日曜日を過ごしました。

しかし、夜中に酷い目に合います。

 

2.適応障害と診断されて103日目~悪夢~

このところ、レム睡眠時(眠りが浅くなったタイミング)に一瞬目が覚めてしまうということが続いていました。また、その時に見ている夢も比較的不快なものが多く、そのせいでやや疲弊してしまうということもあります。ただ、それは睡眠ルーティンを導入したことによる一時的な反動だと考えていたので、あまり考えないようにしていました。

しかしながら、この日はいつも通り夜10時に眠りについた後、夜中の2時頃に酷い悪夢によって目が覚めます。そして、そこから眠れなくなりました。結局、それから動画を観たり、茶わん蒸しやお菓子を食べて過ごし、ようやく眠れたのは朝の4時半頃です。そして、7時半頃まで眠れたのですが、やはりその間も酷い悪夢を見続けました。

夜中の2時頃に見た悪夢が1番鮮烈で、今でも内容は覚えているのですが、端的に言うとこのブログが職場の人に見つかって、酷いバッシングを受けるという内容でした。やはり職場で大きなストレスを受けるというのがトラウマになっているようで、なかなか精神的にキツくて眠れなくなってしまったのです。再び眠りについた後に見た夢は職場の夢ではなかったと思いますが、結構苦しみながら夢を見ていたように思います。

 

起きてから、「うつ病 悪夢」で調べました。そして、すぐに原因がわかりました。

ベンゾジアゼピン系の断薬によって悪夢を見ることがあるそうです。つまり、私が適応障害になってからずっと飲み続けている「メイラックス」というお薬の断薬に原因があったそうです。お医者様が「ちゃんと薬は飲んでください」と言っていた理由が今になってやっとわかりましたね(笑)。

私が飲み続けていた「メイラックス」は交感神経を抑制するお薬です。つまり、興奮を抑制する効果があるわけですね。

適応障害の症状に不眠があり、よくよく考えて見れば、ここ数日の睡眠状態は会社を休む前の睡眠状態に近いところがありました。夜中にふと悪夢で目が覚めてしまうというのは、まさに10月の最初の2週間に私に起こった出来事だったのです。そして、なぜそれが起こったのかというと、私が四六時中自らを追い込み、交感神経を高ぶらせていたからだったのです。

90分おきくらいに、夢を見ているタイミングで目が覚めるというのは、すなわちノンレム睡眠(副交感神経が優位になりリラックスしている深い眠り)から、レム睡眠(交感神経が優位になり活動的になっている浅い眠り)へと推移した段階で覚醒してしまうということです。つまり、レム睡眠=浅い眠りになったときに、そのまま浅くなり過ぎて目が覚めてやすくなってしまうということですね。そこに断薬による負荷がかかって、悪夢になってしまうようです。

原因がわかればすっきり。今日からお薬を飲みましょう。まぁ、いずれ断薬はしなきゃいけないので、2日に1錠とかに量は減らしていくつもりですが。

 

とは言え、上手く眠れず、結構心身に負荷があったので、今日は会社に行くのをやめておきました。戦略的休養というやつですね。そう自分に言い聞かせました。

 

というわけで、今日は日中ずっとカーテンを閉めって眠っていました。午前中は頑張って起きようとしていたのですが、ちょっと早めに昼食をとった後はもう起きていられなくなって、午後はヱヴァンゲリヲンを見たりしながら眠り続けました。

夕方4時過ぎからまともに起きて、また動画を観たり、この記事を書いたりしながら時間を過ごし、さっき夕飯を済ませ、今しがたお薬を飲んだところです。

今はJuice=Juiceの金澤朋子さんのインスタライブを観ています。

あと1時間くらいしたら、お風呂に入ってしっかり眠ろうと思います。今夜は悪夢を見ずに済むでしょうか? 自分の体を使って実験してるみたいで楽しいです。

 

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シソンヌ面白い。。。私も明るく休職していたいですね!

 

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適応障害と診断されまして… vol.47

適応障害と診断されて101日目(1月23日)の夕食後にこの記事を書き始めています。

 

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今日は雨でしたね。

昨日は適応障害と診断されてから記念すべき100日目でしたが、そんな日に久々職場に顔を出すことができました。おめでとう to myself。

今日は今日で病院での診療があり、午後は上司とWEB面談をしたりしました。

 

1・適応障害と診断されて100日目~祝・出社~

この日は睡眠ルーティンを取り入れた翌日でしたが、なんと朝5時に目が覚めました。詳しいところは前回の記事に書いた通りですが、勉強した方法を色々と取り入れて見事夜は10時に眠ることができ、朝の7時頃に目覚ましをかけました。しかしながら、自然と目が覚めたのは朝の5時です。

朝は朝で色々とルーティンがあるので、それもこなしつつ、6時くらいから前回記事を書き始めました。そして、朝の10時過ぎには記事を投稿し、一息。

早起きしたことでちょっぴり体は疲れていましたが、悪い疲労感ではありません。体調は問題なさそうです。

というわけで、午後に出社してみることを決心しました。

1回でも出社しておけば、かなりハードルを下げることができますし、何よりも「まだ会社に行くだけの心の準備ができていないんだ」というもやもやとした緊張感を緩和することができます。もう調子が良いうちにやってしまおう。決して投げやりな気持ちではありませんでしたが、清水の舞台から飛び降りるような感じではありましたね。

 

午後3時ごろに職場に着き、ちょっとびっくりされながらも、何とか久しぶりに顔を出すことができました。前もって上司から聞いてはいましたが、「刺激の少ないであろう場所に…」ということで、角の席に私のデスクの場所が変わっていました。緊張からあまりうまく話すことができず、私は「お久しぶりです」と申し訳なさそうに頭を下げるくらいしかできませんでした。

私の職場は夜勤があったり、今のご時世テレワークなども活用していたりするので、同じグループの人は半分以下くらいしか出社していませんでした。人が少ないというのは、それだけ人の圧も少ないので私としてはとても助かりましたね。

それから私はいる人たちからは少し離れた自分のデスクに行きました。

周囲の人も、転勤後の2週間で職場に来なくなった、うつ病相手にどう話しかければ良いのか戸惑っているようでした。私としても11月9日(診断されて26日目)以来の75日ぶりの職場だったので、かなり緊張してしまってこちらから声をかけることはできませんでした。パソコンのパスワードが変わっていたりしていたので、それらの再設定にかなり苦戦しながら1時間弱の時間を過ごしました。

途中でうまい具合に、身の回りのアルコール消毒タイムが始まり、そこで「コロナ対策ですか?」という言葉で何とか私の方から話しかけることができました。ほんのちょっとだけでしたけれど、雑巾や消毒スプレーの場所、いつも拭いているところなどを教えてもらうことでコミュニケーションが取れたのが良かったです。

帰る前に先輩社員(チームリーダー的な存在)が会議から戻って来て、少しだけ話しかけて貰うこともできました。「まぁ、あまり無理しないで、徐々に慣らしていきなね」という言葉を頂き、私も笑顔で答えられたので良かったと思います。

 

そんな感じで、何とか1時間くらいの時間出社することができ、同じグループの人に向けて「これから少しずつ職場に来ます」ということもメールできたので成果としては上々でした。

でも、行くまでは本当に緊張しました。昼食を買いに寮の外に出たとき、近くのコンビニまで歩きながら、「なぜ自分は緊張しているのか?」、「本当に緊張する必要があるのか?」、「どうなったって大丈夫じゃないか」と何度も何度も自分に言い聞かせたりしなければ途中で挫けてしまいそうなくらいです。

スーツを着て電車に乗っている間も、お笑い動画を観てリラックスしたり、何度も自分に「大丈夫」と言い聞かせたりしたんですよ。そして、職場についてからも割と緊張していました。「あまり元気そうだと思われてもな」とか「かと言って不機嫌そうな表情でもな」とか考えると、どういう表情をして良いかもよくわかりませんでした。

しかしながら、最終的に帰るときには何か1つやり遂げたような感慨深さがありましたね。帰り道でちょっとビックカメラに買い物をしに寄ったのですが、何と言うか色んな人が街中を歩いているのを眺めながら、自分がやり遂げたことを周囲に自慢したいような気持にさえなりました。

少なくとも、適応障害と診断されてからのこの100日間の成果ではあったわけです。

周囲にめちゃくちゃ迷惑をかけ、色んな恥をかき、心身の苦しみがあり、2度死にかけ、10年間にわたる自己虐待に区切りをつけ、それが「1時間職場にいれた」という成果となって返って来ました。我ながらよくやったと思います。

 

寮に戻ってからは、やはり寝る3時間前に夕飯を食べ、90分前に風呂に15分入り、風呂上がりの90分間をリラックスタイムに使い、しっかりと時間通りに眠ることができました。前日よりは少し寝るまでに時間がかかりましたが、たぶん前日よりもしっかりと風呂で深部体温を上げたからですね。実際、自室に戻ってからも汗がなかなか引かないくらいでした。

 

そんな1日であり、100日目でした。

 

2.適応障害と診断されて101日目~診療・面談・告白~

朝は5時半に目が覚めました。

やはり夜中に何度も目が覚めてしまったような気がします。同時に、「眠りたい!」と思い過ぎて、なかなか眠れない夢を見てしまったような気もします。なので、それが夢だったのか実際に夜中に目が覚めてしまっていたのか今となってはうまく判別できません。総じて、何か疲労感のある寝覚めでした。

ただ何とか布団を抜け出すことができた後では、しっかりと明りを点け、軽く部屋の中でスクワットや足踏み、そして意味不明なめちゃくちゃテキトーなダンスをしたりしてちゃんと体温を上げます。20分くらいそんな感じで体を起こし、極めつけは朝のシャワー。それで一気に目を覚ますことができました。

雨が降っていることもあってか、やや体が重い感じもありますが、ちゃんとルーティンを守れてよかったです。まぁ、あまりそこに固執しても負荷になるので、慎重にならなければとは思いますが。

連日のように、また朝のうちにブログを書こうかとも思いましたが、今日は午前中から診療があったのでやめておくことにしました。代わりに、ゆっくりと動画を観たりして過ごしました。土曜日ですし、ゆっくりやっていきましょう。

 

雨降る中、病院へと向かいます。雨のせいかいつもより病院は空いていましたね。もしかしたら、体調が悪くなった患者さんがたくさんいるのかなぁと思うと、心から同情心が湧いてきました。わかる、わかるよ、と。

そして、お医者様による診療ですが、今回はちょっとうまくいきませんでしたね。

急激に体調が回復したこともあり、勝手に抗うつ剤をやめたことを咎められ、そして何よりも診断書についてかなり揉めました。ちょっと複雑な話なんですが、私が会社から与えられた猶予は90日間というもので、それは1月末でほぼ切れてしまいます。90日を超えても休めるは休めるのですが、少し取り扱いが変わってしまうのです。取り扱いが変わるとなると、当然人事評での書かれ方も変わって来るので、できればそれを避けたいのですが、リミットである1月末までには完全復帰は厳しいです。

しかしながら、上司の話では「90日を過ぎても、そこから30日以内に復帰見込みがあると医師の診断があれば、追加で30日の休みを認める」というルールがあるそうです。今の私ならば2月末には完全復帰できる気がしています。なので、ぜひともそのルールを適用して欲しかったのですが、そのためにはお医者様にそういった内容の診断書を書いてもらう必要があります。ただ、そのことをお医者様に相談すると、「『見込み』なんてことは書けないのでね…」と一蹴されてしまいました。そして、2月分の休職を貰うための診断書が無い私は、「2月も休職が必要という旨の診断書」or「2月から復帰可能という旨の診断書」の2択を迫られることになります。

当然ながら私には「休職」の診断書を選ぶよりほかありませんでした。何とかお医者様には、次回診断時に「2月末での復帰可能という旨の診断書」を書いてもらうよう取り付けましたが、最後には「次の患者さんがいますので」と追い返されてしまいました。

私としてはちょっと納得がいかない部分もありましたが、色々と無理難題や面倒ごとを言っているのは私なので仕方ないです。とりあえずモヤモヤとした感情は、寮に戻ってから文字にしてパソコンのメモ帳に吐き出しました。自己肯定感を高めるためには、そういうのも有効だと最近学んだので(笑)。しかし、実際にそうやって文字にしてみると、一歩踏み込んだところまで考えられますね。最初は愚痴や苦言から始まっても、最終的には謎に自己肯定をするような感じで締め括られました。

「達成と非達成は1つの等価な結果である」

という謎の迷言で終わっていましたね(笑)。

 

午後にはいつものように上司との面談がありました。コロナも猛威を振るっているので、今回はWEBでの面談でした。毎回足を運んでいただいて悪いと思っていたのですが、面談の初めに「ちょっと1通だけメール送らせて」と言って来た上司を見て、何だか複雑な気持ちになりました。

休日なのにいつも面談してもらって申し訳ない。でも、この人は休日も普通に仕事してるんだ。でも、だからこそ、面談というのがさらに負担になって申し訳ない。

そんな感じです。

まずは30日分の休みを追加ルールについて相談しましたが、私のとった対応ではもしかしたらルールが適応できないかもしれないとのことです。まぁ、それならそれで仕方ないですね。適応障害でもう100日以上休んではいるんですから、有休消化などでお茶を濁していなければ普通に現段階でアウトなわけです。それに取り扱いが変わったからといって、私がそんなに気にすることじゃないです。1か月分勤続年数から引かれて、退職金が僅かに減るとか、出世が遅くなるくらいのことです。退職金を計算する人事の人が面倒な想いをして、出世欲の強い同期が喜ぶくらいのものでしょうか。

私としては、とりあえず「元気になった感じがするから安心したよ。良かった」と上司に言ってもらえたことが嬉しかったので、それだけでも良かったです。

 

上司との面談後、ちょっと疲れが出て1時間ちょっと昼寝をしました。昼寝から起きたときには頭痛もありましたが、30分くらいでそれも取れたので良かったです。さすがに昨日の出社と、今日のお医者様との押し問答、上司との面談と色々と疲れが出たのでしょう。睡眠ルーティンもやはり多少は負荷になっているでしょうし。

 

そして、昼寝の後、両親とも少し電話をしました。

とりあえず職場に行けたことを両親は喜んでくれました。電話口の声音もだいぶ変わったようで安心していました。

そしてふと、ここ数日で大きな考え方の変化があったことを伝えようという気持ちになりました。なかなか両親には、辛い思いをさせることがわかっているから、この10年間私が「死にたい」と思いながら生きていることは話せていませんでした。しかしながら、節々の挙動などから私がずっと苦しんでいることは伝わっていたでしょうし、こうして適応障害になってからは色々な私の価値観や人生観について話す機会もありました。そして、今日ようやく簡単にですが、そのことを告白することができました。

 

何かを見出したくて、死に近づこうと自分を追い込むような気持ちで10年間を過ごした。死にかけるところまでいって、やっと「もういっか」と思えるようになった。これからは自分を労わる方向でやっていこうと思う。

 

めちゃくちゃ両親を傷つけたと思います。

でも、とりあえずは死なない方向にベクトルが向いているということが伝えられて、それはそれで良かったんじゃないかと思います。たぶんここ10年で1番前向きな言葉だったと思います。就職のタイミングや色々な機会で私は「前向きな姿勢」を見せてきたようにも思いますが、いつもどこかひねたところがありました。

「ま、ちゃんと働くよ(働いたって、何も目的は達成されないけどね)」。みたいな感じです。そんなところからすれば随分と進歩したように思いますね。

 

と、今日は今日でなかなか濃密な1日でしたね。

記事の文字数は連日の半分くらいですが、それだけ内容がまとまっているということで良しとしましょう。

さて、これから風呂に入り、しっかり10時に寝たいと思います。

 

次回

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適応障害と診断されまして… vol.46

適応障害と診断されて100日目(1月22日)の早朝にこの記事を書いています。

ついに100日が経ったんですね!なんだか感慨深いような不思議な感じがします。すっかり鬱生活にも慣れてしまいましたが、100日目の朝は5時に起きることができました。今日から少しずつ生活を変えていくぞーぞーぞー。

 

前回

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前回は処方された薬について調べ、最近勉強した自律神経などと組み合わせて内容理解を深めました。前に自分の中身を「感情」と「理性」と分けて自己理解してみましたが、自律神経は「交感神経」と「副交感神経」に分けることで理解しました。何でも二元論に落とし込みがちだなぁ、と思いますが、やはり性格の異なる2人の登場人物を出すと私は色々と腑に落ちるようです。

 

 

今回は昨日(99日目)のことと、中田敦彦YouTube大学で学んだ一通りのこととその実践結果についてまとめます。

 

1.適応障害と診断されて99日目~写真~

この日はそれでも8時少し前には起きて、なんだかんだと9時半くらいからは前回ブログの執筆に取り掛かりました。徐々に起きる時間を早められている気はしますが、なかなか寝付けずに苦労もしました。前回ブログにも書きましたが、10時に寝ようと思って寝られず、結果1時過ぎくらいに眠りに落ち、それで7時半くらいに起きたイメージです。

それから朝の諸々をしたのち、動画などを見たりしつつ、ブログの執筆に入りました。薬について勉強しながらだったので、なんだかんだと12時を回っても8割くらいしか書けませんでしたね。

それから12時過ぎて割とすぐに昼食。セブンイレブンの冷凍ナポリタンとチーズ1個、それからインスタントの味噌汁を飲んで、食後にプリンを食べた気がします。並べると酷い食べ合わせですが、何となく1品目ずつ区切って食べていったので、そんなに気持ち悪いこともありませんでした。ちなみに、セブンイレブンの冷凍ナポリタン、けっこう美味しいですよ。冷凍じゃないナポリタンも好きで何度も食べたことがありますが、量は冷凍じゃないものの75%くらいで味は90%程度まで再現できているので備蓄しておくと便利です。

お昼休憩ということで友人からのLINEの返事をしたり、ハロプロメンバーのブログにコメントしたり、ちょっと動画を観たりして1時間弱を過ごしました。昼の1時前にはまたブログを書き始め、1時10分には投稿。

 

そこから遂に会社に「明日(100日目)、体調が良ければ職場に顔を出しに行きます」と上司にメールをしました。こうして今日(100日目)の朝にブログを書いている今現在の体調は悪くありません。かなり早起きをしてしまったのがちょっと心配ですが、まぁ、大丈夫だと思います。とは言え、やっぱり100日も離れていた場所に戻るというのは緊張もしますね。

 

会社へのメールを済ませると、外に出る準備をします。今日は大学時代によく行っていた街にお散歩しに行きます。調子が良ければ、そのまま図書館で軽く本を読もうと思います。

電車に揺られながら、散歩をしながら、中田敦彦YouTube大学を流し聞きしていました。まぁ、人がいないときとか信号で立ち止まっているときとかは歩きスマホ的な感じのこともしましたが…モラルが低くてすみません。途中、公園の中ではイヤホンを外して鳥のさえずりや木々のさざめきを聞いたり、久しぶりにスマホで写真なんかも撮ってみました。

散歩をしているうちに午後4時を回ったので、図書館はやめて書店で立ち読みをすることにします。

 

読んだ本

・広告デザインに関するもの

 さっと流し読みしました。漫画形式で初めてデザインをする人向けにポイントを紹介していましたが、あまり芸術的な観点ではなく、行間を開けるとかかなり基本的なデザインの注意点がまとめられていました。確かに全くの初心者には勉強になるかもしれませんが、それなりにPowerPointとかでスライド資料を作ったことがある人なら知っているような知識が多かったように思います。改めて注意点を再確認できたように思います。

 

・色彩の組合せカタログ

 ほんとうにパラパラ捲る程度ですが、こういうカタログって1冊手元にあってもいいかもしれませんね。「ワインっぽいイメージ」とか「サファリっぽいイメージ」とか、そういうイメージに合わせて組合せで使える色がまとめられていたので、何か色を用いてデザインを行う時には結構楽しく使えそうです。立ち読みする本ではなかったので、すぐに次の本に移りました。

 

・服飾に関する本(モードに関して)

 こちらは目次と気になる章のみをざっと。ユナイデットアローズの偉い人がファッションについて書いていました。どうやら少しずつファッションの役割が変わって来ているそうです。例えば、一昔前は自己表現や自己顕示のために派手で奇抜なファッションを求める人が多かったけれど、各種イベントに伴うコスプレ文化の一般化によって比較的そういった欲求は場面を集中して発散されてしまうようになったそうです。なので、普段は目立たないものを選ぶ人が増えたとか。まぁ、それに合わせて売る側も色々と考えるべき、みたいなことも書いてありましたが、その辺は読み飛ばしました。

 また、お洒落についての章も読んでみましたが、これはどこにでも書いてあるように「自分に似合うものを探す」ということでした。お洒落苦手人間の私でもそれくらいは知っています。足し算よりは引き算が大事、とかですね。面白かったのは、男性ならばフォーマルなスーツのコーディネートから始めると勉強しやすいというところですね。シンプルで幅が制限されているだけに、急所を押えて勉強ができるようです。いつもくたくたのスーツに同じような面白味の無いネクタイをしていましたが、少し気を使ってみますかね。

 

・ケーキを分けられない子供

 少年犯罪をおかした子供たちの特性について書いた本です。カズレーザーさんが帯を書いていましたね。目次を読んで、何となく今の自分の興味には引っかからなそうだったので、1章だけ読みました。幼児を狙った性犯罪をおかした子供に関する章です。私もアイドル好きですから、かなりロリコンの気があるのでちょっとだけ興味を惹かれました。

 まず、性犯罪をおかした少年に言えるのは特別性欲が強いというわけではないということです。異性と交流を図りたいけれど、自我が芽生えた子とのコミュニケーションが恐い。だから、幼児にそれを求め、結果的に性犯罪になるケースが多いそうです。強いトラウマ意識や恐怖、そこにモラルの不全(先天的な部分が大きい)と欲求が絡み合って発生するとのこと。わからなくもないですね。何となく子供の方がコミュニケーションを図りやすい人や、大人や同世代とのコミュニケーションに恐怖を感じる人なんてざらにいると思いますし。

 9歳はダメで、8歳以下の子が良い。そんな9歳の壁というものがあることも少しだけ興味が惹かれました。9歳になると自我が強くなったように感じてしまい恐いそうです。私の場合、中2~高2、3くらいが一番惹かれる年齢層なのですが、やっぱり大学生になると一気に世界が広がるので、「籠の中の鳥」感に何かを求めているのかもしれませんね。高校3年生だとなんか大学受験を意識して、かなり打算的・社会的になるような気がするのでちょっと魅力が落ちる気がします。

 ハロプロが好きなのも、もしかしたら「ハロプロという籠」が好きなのかもしれません。何と言うかハロプロは精錬無垢な感じがするので、ハロプロ内にいる限りは20歳を超えても私にある種の幻想のようなものを与えてくれるような気がします。

 私がこうなってしまったのは多分大学入学くらいから自己虐待を始め、社会とうまく折り合いをつけられなくなったからでしょうね。まぁ、ハロプロが好きな理由はそれ以外にも沢山ありますし、私の場合、性犯罪を実際に起こすまではそこに捉われていないと自分では思っていますが(笑)。

 

HSP(繊細な人)に関する本

 HSP関連では2冊目の立ち読みですが、書いている内容は割と同じです。まずはHSPが人口の10~20%程度いる「ただの気質」であるから気にしなくていいよ、ということ。その上で、HSPは短所ではなく、長所であると考えるべきということ。そして、HSPはどのような価値観を持つと生活が潤うかということが書いてありました。

 簡単に言えば、良い刺激にも悪い刺激にも敏感だから、良い刺激を沢山見つけて味わい、悪い刺激からは逃げたり、防御姿勢を取ったりしていこうということになります。機嫌が悪い人からは積極的に逃げたり、好きなもので壁を作ったりすることが肝要です。自らが特異な存在ではないけれど、マイノリティではあることを意識し、「なんで周りの人はあんなに粗暴なのだろう?」と悩んだりせずに、ある程度はそういうものだと割り切る。無理にそこに馴染んだり、理解しなければならないということもなく、自分の感性を優先することが大切です。繊細なんですから、客観的指標に頼らなくても、自分の感性を信じて、自分が幸福と感じるものを中心に行動すればいいのです。むしろ客観的指標に目を向けてしまうと、自らに義務や責任を強いたり、必要以上に落ち込んでしまったり、傷ついたりするので注意が必要とのことでした。

 人間関係については、マイノリティではあるけれど、割合的には10人に1~2人はいるわけですから、自分が心地良いと感じる場所へ出向くことで、同じような感性の人と出会えるという当たり前のことが書いてあります。でも、当たり前だけど、意外と繊細な人ほど周囲に合わせようとして、自らが苦手とする環境に身を置きがちだそうです。あとは刺激に弱く、1人でいる時間を大切にしなければならない人種なので、そのことを身近な人には理解してもらう必要があります。どうしても離れられない家族のような間柄でも、無理をせずに正直に「疲れたから1人で休むね」とかをきちんと伝えることが大切です。あとは「そのテレビの音量は、目の前をトラックが走っているみたいでちょっとキツい」とかHSPでない人にも伝わるように、比喩を用いると良いそうです。なかなか職場とかでは、そういう風に自我を通すことが難しいと思うので、そういう場合はやはり自分なりに自己防衛をしていくことが必要ですが。

 疲れやすいから義務感や責任感に捉われて頑張り過ぎないことがポイントです。自分がやらなくても何とかなる、と言い聞かせ、必要以上に頑張らないように。どんな刺激が苦手なのか把握し、それを物理的に防御したり、自分を回復させる具体的な対処法を積極的に考えるのです。

 

音楽と人

 凛として時雨のインタビューページのみ読みました。今回の新譜は作詞・作曲・編曲・レコーディング・ミックスなどほとんど全てをGt.&Vo.であるTKが務めたそうです。まぁ、いつも大抵自分で全部やってしまうんですが。ただ、その中でも今回はBa.&Vo.の345やDr.のピエール中野のアイディアを多く採用したようです。また、舞台で使われる楽曲ということで、キャッチーさを大事に作況もしているので、それ故にかなりバンドっぽいサウンドになっています。

 今回のインタビューは、メンバー3人にそれぞれソロインタビューをしているので、メンバーごとに色々なことを話しているので面白かったですね。

 TKの作って来たデモ通りに演奏するパターンでも、ある程度自由度が高い中で演奏するパターンでも、345もピエール中野も別に窮屈に感じていないというのが素敵な関係性ですね。それは楽曲制作の中でのTKのコミュニケーション能力の高さもあるのでしょうが、何と言っても「真摯さ」を感じるからだということです。各パートの良さを引き立たせることに「真摯」であるからこそ、言いなりであっても発想を求められても、完成していく楽曲に信頼を持って取り組むことができるそうです。

 ピエール中野さんに関しては最近、精神的な原因で足がうまく動かなかった時期について公表したので、それについても喋っていました。凛として時雨のドラマーとしてだけ活動していた時期は、やはり自らの人生の様々なものをそこに懸けてしまっていたので、かなり窮屈さがあったのかもしれないと言っていました。「ドラムがもう叩けなくなるかもしれないから色々とやらなきゃ」と思い、DJや他のバンド、イヤホン制作など活動の幅を広げていきました。そして、結果的には色々な感情を分散できたことで、今はより凛として時雨のドラムに対して、純粋で整理された感情で伸び伸びとやれているということです。

 

そんな感じで色々な本をぱらぱらと立ち読みさせていただきました。1時間ちょっとその書店で過ごし、17時過ぎには帰路につきました。そこから先については次の章で書いていきたいと思います。

 

2.生活改善

主に「中田敦彦YouTube大学」でこれからの生活改善にする動画を観て勉強させていただきました。

 

まぁ、何とか2度の自殺未遂を経て、「もっと自分を労わっていこう」という気持ちになり、適応障害はある程度克服できたような気がします。それに伴い、これまでは自分をメンタル的にもフィジカル的にも痛めつけがちだったので、そのような習慣からも脱却していきたいと思います。

色々と自分を痛めつけ、蓄積したストレスやフラストレーションを糧に、感性を高めたり、文章を書いたりしてきました。もちろん、単純に体調が悪いだけでは意味が無いので、カップラーメンばかり食べないとか、極力バランスを意識した食事とか、夜には疲れ果てて良い文章が書けないので、朝早く起きて、出勤前に文章を書くとか、そういうことはしていました。しかしながら、基本的には欲望に忠実に、思い付きに忠実に生きるようにしていました。結果的にそれが自分を壊すようなことであっても、それで自分らしく生きることができるのであれば、いくらでも犠牲を払っていました。

が、色々と思い直し、今の自分のやりたいことは「自分を労わること」なので、これまでとは新しい生活様式が求められましょう。当面は、社会復帰を果たし、その上でいかにストレスを減らし、伸び伸びと生きていくかということが目標になりますからね。それを実現するための手法を1から学びの治す必要があります。というか、そういうことに今は興味を惹かれています。

あれだけ憎んでいた社会とも折り合いをつけていこうではありませんか。

 

ということで、4つの動画とHSPに関する本を合わせ、精神面と身体面から生活改善を行っていくための勉強成果をまとめていきます。

 

精神面 (参考)自己肯定感・自律神経・HSP

まず自己肯定感の動画で参考になったことをまとめます。

まず考え方ですが、これは先日「僕であるためのパラダイムシフト」という漫画でも紹介されていたように「アドラー心理学」的な要素があります。それは「過去」と「比較」は把握して放置する、ということです。自己肯定感が低いと、何をするにしても「前もあぁだったし」とか「自分なんて」と考えてしまって、行動に負荷が伴います。しかしながら、「過去」は現在の思考や行動パターンに影響を与えていても、思考や行動を最終的に決定するのは自分です。なので、「過去」は「過去」として把握したうえで放置しておき、現在の自分の判断基準には持ち込まない方が良いそうです。それは「比較」も同じです。「あの人に比べて自分はダメだからなぁ」とかを思ったとしても、それはそれで置いておいて、自分がやりたいかどうかで判断すべきだそうです。

今現在の自分が「やってみよう」という気持ちなら、過去にも他人にも左右されずに、ただやってみればいいのです。そして、成功しようが失敗しようがその結果はどうでも良いのです。大事なのは「自分で選択した」という自由度を楽しむことだそうです。まぁ、失敗したら楽しめなさそうなもんですが、「僕であるためのパラダイムシフト」にもあったように、心の自由度は心の健康に繋がります。それはHSP的な観点でも同じで、今の自分の感性に対して素直になることがすなわち「自分を労わる」ということになりますね。

 

加えて、具体的に自己肯定感を高める具体的な方法が紹介されています。

 

瞬発系の手法として、「ポジティブな言葉に置き換える」、「好きな存在で身を守る」、「脱マンネリ」、「休息」ということがあります。

馬鹿みたいでも、前向きな言葉を使ってポジティブシンキングをするのは普通に精神衛生上良いのは周知の通りです。

あとは、HSPや鬱の対策でも色々と取り上げられていますが、好きなもので防御するのも大切ですね。心地良い肌触りの服を着たり、好きな飲み物を飲んだり、待ち受けを好きな人にしたり、身の回りに好きなものを配置していくのです。私の嫌いな類の自己肯定感高めの上司は、必ずと言って良いほど自分の趣味を自分のデスクに広げています。自分もそうなるのかと思うと嫌になりますが、これまで散々周りに合わせてやって来たのですから、多少は自分勝手になっても良いでしょう。だいたい私はうつ病にもなったし、HSPの気もあるし…という言い訳もどんどんしていきます。

「脱マンネリ」はつまるところ無自覚に自由度を下げてしまわないための工夫です。あえていつもとは違う道を通ってみたり、少しでも毎日に変化をつけていくのです。散歩好きの私は道を変えるのは時々やっていたことですが、それだけでなく例えば服装を変えてみたりとか、今まで面倒だし恥ずかしいからと避けてきたことも色々と変えていこうと思います。

そして、疲れたら休む。逃げる。これも鉄則ですね。

 

継続系の手法として、「ストレスは吐き出す」、「漠然とした不安には対策案を」、「1,3,5年後+最期の想像」、「困ったときは尊敬する人になりきる」、「1日3つ褒める」ということが紹介されていました。

嫌なことがあったら、それは日記でも何でもいいから言葉にして吐き出す。これも当たり前ですけれど、どんどんとやって習慣化した方が良いですね。やるにあたって人を不快な気持ちにさせたりしないよう気を付けたいと思います。

あとは大抵の場合、人が不安を感じるとき、それは不確定でもやもやとした未来に対してだそうです。「遅刻するかも」とか「怒られるかも」という不安に苛まれているときは、具体的に遅刻してしまったときにどういう行動を取るか決めておくことが大事です。私の会社は遅刻に非常に厳しいので、もう仮病を使うと決めています。もう少し今の職場に馴染んで来たら、公には病気ということにして、直属の上司にはちゃんと謝ろうと思います。前の職場ではそんな感じでした。

また同じように長期的なスパンでの未来への不安感もまたストレスになるので、簡単にでも具体化してみた方が良いそうです。ただ私の場合は未来が見えていると逆にげんなりしてしまうし、それが目標みたいになって生活の重しになるのでやめておこうと思います。私の場合、これまで「いつ死んでもいいし」、「早く死にたいし」と考えて逃げるようにしていました。今は「早く死にたい」とは考えないようにしつつ、それでも「別に自分はどんな状況になっても楽しめる」と考えるようにしようと思います。

ピンチのときは誰になりきりますかね。私が心から尊敬する人は大抵「病める人」なので、ここは具体的に好きだった上司を思い出すことにしましょう。前職場の直属の上司は人間的に素敵な人だったので、その人になり切って対処することで、冷静かつ安心していられると思います。

1日3つ褒めるは、ちゃんと習慣化していきたいですね。ちなみに昨日の褒める事項は、「7時半に起きられた!」、「会社にメールできた!」、「睡眠ルーティンを実行できた!」です。

 

次に自律神経の動画で参考になったことですが、これは主に呼吸法ですね。「吸う:吐く=1:2」というのが良いらしいです。3秒かけて吸って、6秒かけて吐く。緊張などのストレスを感じたら、何度かそれをすることをルーティン化してリラックスするのが良いそうです。マインドフルネスなどでも呼吸は重要視されていますが、この「1:2」というのは初耳だったので、今後取り入れていきたいと思います。

他にも、音楽でリラックスとか笑顔でセロトニン増とか色々ありましたが、まぁ、一般的に言われていることですね。

身体的な部分も多く紹介されていましたが、睡眠、食事、運動などに分けて次章で話していきます。

 

最後にHSPに関してですが、これも既に話している通りですね。

 

精神面 まとめ

総じて大切なのは、「マインドフルネス」と「認知行動療法」です。

基本的には、過去や未来を忘却し、現在の自分の状態を自覚することが精神をリラックスさせるうえで最も重要なことなんでしょう。それはつまるところ「マインドフルネス」にほかなりません。

とにかく一旦落ち着いて、今の自分の呼吸に集中してみます。できればこのときに「吸う:吐く=1:2」が習慣化されるとより良いのでしょう。やらなければいけないことが山積みだろうが何だろうが、いま現在に自分が存在していることを実感し直すだけで落ち着きます。そして、自分の心身の状態に耳を傾けます。

そして、あらゆる局面において「認知行動療法」を取り入れていきます。特にHSPだったり、自己肯定感が低い場合は周囲の状況に振り回されやすいので、マインドフルネスなどで自分の心に立ち返ったうえで、「どうしたらより心地良くなれるか」だけを考え、行動に映せば良いのでしょう。

「快」が足りないなぁと思えば、「快」を身の回りに増やすために、ちょっとトイレで好きなアイドルのブログを読んだり、いい香りを嗅いだり、眼鏡を拭いたり、深呼吸をしてみたり、何か「快」を感じるための具体的な手法を講じます。

「不快」を感じたら、それを防御するか逃げるための具体的な手法を講じます。例えば上司が怒り始めたら、トイレに逃げたり、ちょっと席を離れて調べものをしたり、「快」でバランスを取ったりする。

とにかく自らの「快」、「不快」をきちんと認知し、それに対して適切な対抗策を積極的に講じていくことが重要です。

当たり前のことのようですけれど、私は例えば上司の機嫌が悪かったら、無理に上司に話しかけて機嫌を直そうとしたり、あるいは席を立つことでそれが上司をより苛立たせたらどうしようと考えて動けなくなったり、あえてあからさまにやる気を見せるようにしたり、そんな感じで耐え忍ぶようにしてきました。でも、そういう人ってそもそもHSPじゃない鈍感傾向の人なんですから(なのに、変に細かいところがあったりして面倒なんですけどね)、ある程度無視して専守防衛に努めた方が良かったんだと思います。

とにかく自分の身が最優先です! それが私において最も大切なことなんだと思います。

 

身体面 (参考)最高の体調、最高の睡眠、自律神経

こちらは精神面と比べて具体的です。が、やはり結論は当たり前のことが多いです。ただ、ポイントが絞られているので非常に為になりました。

 

まずは最高の体調ですが、これはとにかく「腸」を改善することが重要らしいです。

まずは熱が出ても抗生物質を極力飲まないようにすること、ファストフードのような人工油や糖質の多いもの、それから酒を飲まないことです。抗生物質は腸内細菌を殺し過ぎるので良くなく、油と糖質の組合せは負担が大きいので注意する。

その上で発酵食品(納豆、キムチ、ヨーグルト)と食物繊維(リンゴ、キノコ、ゴボウ)を積極的に食べるようにするだけです。

腸は弱体しがちな副交感神経を高めるセロトニンを大量に生産し、精神的にリラックスさせるために重要な器官であり、免疫の大部分を司ってもいます。そんな「腸」の状態を改善するだけで、とにもかくにも体調は良くなると信じましょう。

ほかにも、極力狩猟民族時代に近くなるよう自然に沢山触れたり、無理に交友関係を広げる必要はないですが、家族+親友5人くらいの人間関係を作ったりというのも重要だそうです。

 

次に最高の睡眠ですが、これはさらに具体的です。

寝る3時間より前に夕食を済ませ、寝るちょうど90分前に15分以上湯船に浸かり、体の芯まで温めることが第1の準備です。その上で、風呂上がりの90分からは極力部屋を暗くし、作業・仕事・考え事などの活発な動きは避け、ストレッチなど心身のリラックスをするためだけに使います。寝るときに靴下は履いてはなりません。また、別の本でも、布団に入る前に腕や肩回りのストレッチをして血流を良くし、最後に布団に入ってからは、「3秒息を吸いながら足首を手前に向け、6秒息を吐きながら足首を奥に倒す」というストレッチを1分程度行うと書いてありました。

実際に私がやったことを書いておきます。

・18時に夕食を食べる。

・18時30分~20時30分は動画を観たり、好きなことをして過ごす。

・20時30分~20時45分はゆっくり風呂に入る。なお、別の本で書かれていた「うなじを熱いお湯で1分間温める」をやりました。

・20時45分~22時00分は部屋を間接照明だけにし、ノートに勉強したことを簡単にまとめ、1日3つ自分を褒める(参考:自己肯定感)をやりつつ、軽くストレッチをしたり、音楽をかけたり、ちょっとだけ本を読み、そして腕や肩回りのストレッチを最後に軽くした後、マインドフルネスをして過ごしました。スマホやパソコンは極力触らないのは当然です。マインドフルネスはだいたい5分くらいじっくり呼吸だけをしていたのですが、この段階でじんわりと眠気がやって来ます。

・22時にベッドに入り、足首のストレッチを1分間。それであとは騒音を防ぐために、イヤホンで静かな音楽を聴きながら、瞼の上にタオルを置いて横になっていました。

たぶん10分くらいで寝付けましたね。連日、夜10時には寝ようとしていつも日を跨いでいたので、めちゃくちゃ嬉しかったです。

そして、朝もちょっとした決まりがあります。

まずアラームは1回目をできるだけ静かな音でスヌーズ無しで設定しておくこと。この1回目のアラームは眠りが深いときに無視できるくらい静かなものにしてください。眠りが浅いタイミングの場合は、小さな音でも起きることができます。そして、2回目のアラームは20分後にしっかりとセットしてください。1回目のアラーム時に深い眠りだった場合、20分後に浅い眠りに移行しているので、ここで起きることができます。大事なのは「深い眠りのタイミングで起きないこと」です。起床のタイミングを「浅い眠り」にすることで体にかかる負荷を軽減できます。なお、レム睡眠(浅い睡眠)とノンレム睡眠(深い睡眠)が周期的に訪れることは、みんな知ってますよね…?

そして、起きたらまずしっかり朝陽(光)を浴びて、それからちょっと汗ばむくらいの軽い運動をし、さっとシャワーを浴びるなどして、体温を上げます。このとき、汗が流れるくらい運動したり、がっつり風呂に入るのはNGです。それは温め過ぎでまた眠気を引き起こす原因になります。この起床後の「光」と「体温上昇」を確実に行うことで、体内時計を「朝」に合わせることができるそうです。

体が目覚めたら冷たい水で手を洗うなどの刺激を与えるのも、「朝」のセットに有効だそうです。

ちなみに私は今朝、アラームセット前の5時に目が覚めました。というか、だいたい90分くらいの周期で一瞬目が覚めてしまいました。何となくこれは悪いことのように思うのですが、何となくノンレム睡眠(深い眠り)の時にしっかり眠れているから、レム睡眠(浅い眠り)のときに元気になってちょっと起きてしまっただけのような気がします。実際、時間だけ確認するとすぐに眠れました。事実、5時の段階ではアラーム前なのにすっかり眼が覚めてしまって、再び眠れなくなったので、ぐっすりと眠ることができたのだと思います。

 

最後に自律神経ですが、これはもう上述の食事と睡眠が中心の内容でした。運動に関しては、リラックスするためにはランニングよりは、ウォーキング・ストレッチ・スクワットくらいがちょうど良いらしいです。また、部屋の片づけなどもリラックス効果があるそうですね。また、最高の体調の動画より、最低でも12分以上の早歩きを週に2~3回行うことが求められるそうです。

 

身体面 まとめ

とにかく食事と睡眠、運動という基本的なことをしっかりやることが必要です。

食事に関しては、発酵食品と食物繊維にだけ気を配り、腸の調子を整えることが何よりも重要です。納豆、キムチ、ヨーグルト、リンゴ、キノコ、ゴボウです。そして、ファストフードや脂っこいものは控える。

睡眠はルーティンを遵守。睡眠3時間前に夕食、90分前にじっくり風呂。そして、90分前からはリラックスに専念。朝は光と体温上昇で体内時計を朝にセット。

運動はウォーキングメインでOK。ストレッチとスクワットで補強する程度で調子は整えられる。

私は夜勤の多い職場に勤めていますし、ラーメンはやっぱり食べたいので、なかなか守れない部分もありますが、極力これらのルールを守るようにしていきたいと思います。

 

生活改善のまとめ

メンタルケアについては、自分がHSPであり、かつ適応障害ということを大前提として、自分最優先でやっていきます。「快」を増やし、「不快」には防御と逃げです。ちゃんと自分の心に耳を傾け、素直に行動です。

そして、とにかく食事は見直しましょう。というか、発酵食品と食物繊維を積極的に取り入れて見ましょう。その上で、まぁ、ラーメンとかは現状維持かより控える方向にしていけば良いかなと思います。あまり我慢が多くてもいけないと思うので。

睡眠に関しては、職場に復帰したら難しい部分も増えるでしょうが、やっぱりしっかりと眠りたいです。特に夜勤が多い職場なので、自分の身を守るためにも、意識的に睡眠の質を高めていきたいです。

運動はまぁ継続してお散歩ですね。公園などで自然に触れる機会を増やしたいです。何より、今までと違って憎しみと自己虐待を背負って歩き回らなくていいだけで、随分と健康的な感じがします。

そんな感じで「労わり期」を作り上げていきたいですね。

適応障害と診断されまして… vol.45

適応障害と診断されて99日目(1月21日)の朝にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

ここ3日連続で記事を書いていますが、理由の1つは前回も書いたように「今が変化点である」ということ、それから「この記事の執筆がリハビリの一環となるであろう」ということもあるかもしれません。まぁ、言ってしまえば、朝早く起きる練習をしている最中なのですが、早起きしても職場に行くわけではないので、朝の時間を持て余してしまっているということが理由の1つですね。

 

 

今日は、昨日の話と薬の話をしていこうと思います。

年始に思いっきり体調を崩した時に抗うつ剤を追加されたのですが、その薬について調べるのと、個人的な効果の実感について書き記しておきます。

 

1.適応障害と診断されて98日目~眼鏡をつくる~

前回の記事を投稿した際(昨日のお昼ごろ)、「これから外出して眼鏡をつくろうか」と書きましたが、無事実行できたのでそれについて書きます。

 

前回の記事を投稿した後、まずはお昼ご飯を食べに行きました。久しぶりに松屋です。「ねぎ玉牛丼」を食べました。やっぱり「ねぎ玉牛丼」は美味しいです。

学生時代には歩いて7~8分というところにすき屋があって、贅沢するときは「ねぎ玉牛丼」を注文していました。そもそもすき屋に行くこと自体がちょっとした贅沢ではあったのですが、すき屋に行ったときは大抵「牛皿定食(ごはん大盛)」を頼んでいました。ごはんの大盛が無料でできて、たまご、味噌汁、お新香がついて、たしか450円くらいだった気がします。普通に「牛丼+3点セット」を頼むよりも僅かにコスパが良いという風に学生時代の私は考えていました。「3点セット」だとお新香ではなく、サラダになるのですが、サラダというのは実質キャベツと空気の集合体だから、栄養価的にはお新香の方が良いんじゃないかなどとも考えていましたね。

対して、栄養価的なこと、それから満腹度合のコスパを考えると「ねぎ玉牛丼」は贅沢な一品でした。だって、ねぎの上にたまごを乗せただけで500円はした気がします。それでも青ねぎの辛みとたまごのまろやかさの融合、それから特製の甘辛ダレが相まって、非常に私好みの味だったので、5回に1回くらいは食べてしまっていましたね。

そんな「ねぎ玉牛丼」を食べながら、オリラジ中田敦彦YouTube大学で「進撃の巨人」の解説動画を観ていました。

 

昼食を済ませた後、そのまま駅に向かい、2駅先の大きな商業施設へ。

Zoffで新しい眼鏡をつくることが目的です。徐々に度が合わなくなってきていることは実感していたのですが、適応障害になって暗い部屋の中で動画ばっかり観る生活をしていたせいですっかり眼が悪くなってしまいました。

私はこの適応障害の中で様々な苦しみを味わい、実際に2度ばかり命を失いかけた訳ですが、トータルで考えたときに特段失ったものはないと考えていました。不健康な状態での生活は時間を多く無駄にしているような感じも否めませんが、それでも久しぶりに「仕事」というものから離れ、リラックスした時間を過ごしたり、ずっと離れて暮らしていた家族ともある程度一緒にいる時間を作ったり、なんと言っても多くの学ぶことがありました。やはりルソーの言う通り、「苦難が偉大な教師である」というのは1つの真理ですね。私の場合、それに捉われ過ぎて、自分を10年近くも痛めつけてしまいましたが。

そういう訳で、繰り返しになりますが、トータルで考えれば「失ったものは何もない」という風に思います。しかし、「視力」ばっかりは確実に「失ったもの」でしょうね。昔、DEATH NOTEを読んでいるときに「死神の目」を持つと視力が4.0になるという裏設定があることを知り、それだけでも「死神の目」が欲しくなったことを思い出します。アイドルライブで、双眼鏡無しでも可愛いお顔を堪能できるというのは何とも羨ましいものです。

私の人生観を変える後押しをしてくれた「僕が僕であるためのパラダイムシフト」という漫画では、うつ病克服の過程で、「服装の好みも変えていった」とあります。それまで黒やグレーといった無難な色でコーディネートすることが主人公のスタンスになっていたわけですが、それも一種の自己虐待に繋がる自己暗示であると考えたわけですね。「別に黒やグレーでなくても良いんだ」と考え直し、選択肢の幅を広げることはすなわち「心の自由度向上」に繋がります。私も漫画の主人公のように自分の服装などに一定の制限を持たせていました。「目立たないこと」、「風景に溶け込むこと」です。自然と派手な色の服は避け、暗色のものやシンプルなシルエットのものしか着なくなりました。

しかしながら、病気になって実家で療養しているときに、黄土色のセーターを何となく衝動買いしてしまったんですよね。私的には結構珍しいことだと思います。それを着て大学時代の後輩に会ったときは、「なんか明るい色の服着てたんで安心しました」と少し驚かれるくらいに私の服装は暗色に凝り固まっていたというわけです。言われたときは少し恥ずかしかったですが、今思えば私なりに心が自由度を高めようとしていたのかもしれません。もしかしたら単にもみじ狩りで見たイチョウの美しさに感銘を受けただけかもしれませんが。

と、眼鏡の話から結構離れてしまいましたが、何が言いたいのかというと、結局私が勝ったのはまた黒縁の眼鏡だった、ということです。まぁ、仕事で使うものですし、復職した時に色味のついた眼鏡をしていたら、何か変な印象を与えそうですもんね。これはこれで賢明な選択だったと思います。でも、今度プライベート用の眼鏡を買う時は、ちょっとオシャレなものにも挑戦してみようと思いました。

ちなみに、私は本当に服飾関係のものが苦手でして、買う時は基本的には即決です。迷って2~3分というところですね。それは上述の通り、「目立たないこと」、「風景に溶け込むこと」という最低条件を満たし、かつシルエットがシンプルであることという自分ルールがあるからです。自ずと選択肢は絞られ、買うべきものは決まってきます。CDショップなんかではいくらでも悩んで楽しむことができるんですけどね。服屋さんでは何となく人目が気になるということもありますが。

 

そういうわけで、人目が気になりつつも、条件を満たす黒縁の眼鏡を即決して店員さんに声をかけます。手に持っている眼鏡とそのときかけている眼鏡の違いと言ったら、ツルの太さくらいです。

最初に対応してくれた店員さんはおそらくまだ新入社員の方で、やや接客に慣れておらず、マニュアルをなぞるような印象がありました。スマートな身なりをした店員の中でも、どちらかと言えば私のようにパッとしない理系っぽい感じです。でも、そういう人の方が私は話しかけやすいですし、少なくとも不慣れなりに誠意のある対応をしてくださったので感謝しております。ちょっと挙動不審の私に対しても、椅子を勧めてくれたり、ありがとうございました。なんか椅子に座るタイミングを逃して、受付の前で立ち尽くしたままアプリの設定とかやり出してしまってすみませんでした…

ちなみにちょっとご紹介させていただきますが、今のZoffはLINEで色々と会員情報や眼鏡の完成通知などをしてくれるシステムになっているようで、私が受付の前に陣取って色々と設定していたのはそういうことです。LINEのシステムに変わる前の購入情報などもきちんと保存されており、2018年3月(地元)、2018年10月(地方勤務先)、2020年3月(地元)、2021年1月(現在)という感じでいつ何を購入したかという履歴も自分で確認できます。過去に購入した商品の写真も並んで出て来るのですが、怖ろしいことに全て同じような形…ぱっと見判別できません。今度こそ新しい感じの眼鏡を買おうと思わされます。

そして、今回は久しぶりに視力検査もさせてもらいました。結果的に右目は1段階、左目は2段階+乱視矯正ということで、新しい眼鏡の誕生です。

最初に「オートレフラクトメータ」というあの気球の絵が出て来るやつを案内してくださったのは、また別の男性店員さんで、荷物入れの箱や眼鏡を置く場所、それからアルコール消毒をして良いかなど非常に気配りのできる店員さんでした。背も高く、すらっとしていて、清潔な印象があり、醸し出されるお洒落な雰囲気。何となく眼鏡屋さんって顔採用のイメージがありますよね。いつも爽やかなイケメンと、キュートでちょいお洒落な女子が店内をぐるぐるしているイメージです。何と言うか、そんな中で最初に私の対応をしてくれたちょい理系っぽい店員さんが心を病んでしまわないか心配です。何となく接客も向いてなさそうな感じでしたし…無理せず、自分のやり方で仕事をやっていって欲しいと思います。

次に本格的な視力検査へと案内されましたが、今度は丸眼鏡をした可愛らしい女性店員さんです。髪も少し茶色に染めて、それでいて小柄な体系と良く似合うボブカットでした。もともと人好きのする気質なのか、柔らかく丁寧な口調の中にも自然な親しみやすさがあり、私の「………………見えない、です」みたいな反応にも臆することなく対応してくださいました。

 

「1段階上げたんですが、今の視力だと、1.0ですね」

「うーん…」

「もうちょっと見えるようにしますか?」

「あ、はい。お願いします」

「そうですね。そうしましょう」

 

この太字の「もうちょっと見えるようにしますか?」のタイミングが絶妙でした。私のコミュ障っぷりを見抜いて、「うーん…」という何とも言い難い状態の私に、店員さんの方から提案をしてくれるのは本当に助かります。私の方から「もう1段階上げられますか?」と相談するのと、店員さんの方から率先して提案してくれるのでは私の負担が全然違います。

なんか私が社会人として終わっていることを曝け出すようでお恥ずかしい限りですが、この一言のおかげで私はすぐにこの店員さんに心を開く準備ができました。ブルーライト加工を入れるかどうか迷っている間も嫌な顔を見せずに待ってくれましたし、ちょっとした相談にも乗ってくれました。結局、その店員さんと話した結果、度数の低いブルーライト加工のものが別にあるので、今回の眼鏡にはブルーライト加工を入れるのをやめました。基本的にパソコン作業やスマホをいじるときに使っているには度数の低いブルーライト加工のもので事足りていますし、新しい眼鏡は外出時や運転時など遠くを見る必要がある際に使えば良さそうです。

ブルーライト加工だと1~2週間かかるそうなので、また取りに行くのが面倒ということもありましたし。無料だし加工してもいいかもとは思いましたが。

 

と、そんなこんなで眼鏡の話でだいぶ文字数が嵩んでしまいましたね。

無事、眼鏡を手に入れて帰宅。ちょっとだけ街中を歩き回ったりしたので、自室に戻って来たのは16時過ぎくらいです。

夕飯までの時間を動画でも観ながらゆっくり過ごすつもりでしたが、急に疲れが出てしまい、15分くらい寝落ちします。すると、またあの非常に強い倦怠感に襲われました。手足が痺れて重力が2倍になるやつですね。

実は、抗うつ剤はもう飲んでいないのですが、前日にそれまでずっと飲んでいたメイラックスジェネリック:ロフラゼプ酸エチル)を断薬してみたんですよね。そのせいもあって疲れやすい状態にあったのかもしれません。薬自体の効果はけっこう長時間持続するということで、1日断薬しても大きな差異はないということでしたが、結構症状的に辛かったので、それなりに今の私には必要な薬なのかもしれません。

薬の話については次章にて、また追ってまとめようと思います。

そんなわけで、まだ17時くらいだったのですが、早めの夕食を摂り、そこからは中田敦彦YouTube大学を色々と見ました。「がんばらない働き方」、「自律神経」などの回を観ました。特に「自律神経」の回であった、内容を踏まえ、色々と実践してみたのですがそう簡単には体の状態は変わりませんね。やはり継続が大事ということでしょう。

 

ここ数日、少しずつ早く起きるように努力しているのですが、なかなか早く寝突くことができません。最終的には1時とかには寝付けるので、不眠という訳ではないのですが、頑張って10時とかに眠ろうとしてもなかなか眠れないという感じが続いております。

今日は何とか7時半に起床できましたが、私は基本的に8時間くらい寝たい人なので仕事に復帰したときのことを考えると、10時には寝て5時半に起きるというくらいの生活リズムを作る必要があります。まだまだ先は長いですね。

 

2.薬について

10月に適応障害と診断されてから、メイラックスジェネリック医薬品である「ロフラゼプ酸エチル」というお薬を飲み続けています。まずは、この薬の効能について再度調べてみました。

 

まず、私の体の状態についてですが、緊張感の持続により「不安障害」が強く出ていたことが最初の症状でした。「不安障害」というのは言ってみれば、常に身の回りに蛇や蜘蛛のようなおぞましい存在がいる状態で生活しているような感覚のことです。そわそわして落ち着かなかったり、実際に動悸が収まらなかったりします。発表会のステージ出番直前みたいな状態が続いているとも言えますね。

基本的に何もしていなくてもこの症状が収まらなくなると、当然ながら自律神経失調症と同じような、不眠や頭痛、腹痛、倦怠感などに悩まされます。それでも無理をし続けると、結果的には緊張感すら持つことができなくなり、慢性的な虚脱感に襲われ、イメージ通りのうつ病という感じになると思われます。

私の場合はあまりにもこの「不安障害」が極端に強く出過ぎたために、「もうこの緊張感に耐えられない!無理!」となった感じです。中田敦彦YouTube大学で勉強したばかりの自律神経に則って、もう少しちゃんと説明しますね。

 

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自律神経(交感神経・副交感神経)

 

生物の授業などでも出てきたかもしれませんが、自律神経というのは2つに分類されます。興奮や活動力など主にアッパー系を司る交感神経と、リラックスなど主にダウナー系を司る副交感神経になります。なお、この平面座標で示す方法はYouTube大学での表記方法をパクっています。

交換・副交感のどちらもが正常に働いていれば、第1象限の「①健康」ということになりますが、私が陥っていたのは第4象限「④緊張・焦り」ということになります。つまり、副交感神経が弱っていて、過剰に交感神経の活動が高まっていた感じです。私は自分で業務中に自らの心身を④の状態に追い込むように自己暗示をかけ続けていました。そのせいで、基本的には④の状態にあり、それが休日になっても抜けないのですが、一瞬だけ反動で交感神経の活動が弱まり、③の1番ヤバい「虚脱・抑鬱」状態になっていました。これが休日に急に寝落ちしたと思ったら、また起きてそわそわし出すということになったのだと思います。

 

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適応障害発病判明時

 

横軸の交感神経側に振り切れて、私はぶっ壊れてしまったので、まずはこの交感神経を宥めてやることが必要になります。というわけで、交感神経の活動を抑制する効果が期待できるとして、最初のお薬である「メイラックス」が処方されました。

言わば私は神経過敏状態にあり、あらゆる刺激に対して過剰に反応してしまい、それによって必要以上に疲れてしまうという健康状態でした。調べたところによると、メイラックスベンゾジアゼピン受容体というところに作用するそうで、これは神経伝達の阻害を引き起こすことができるようです。つまり、様々な外界の刺激を脳がばんばんキャッチして反応していくので、お薬によってできるだけ脳の活動を和らげて、刺激を通しにくくする効果があるようです。これはすなわち交感神経の方の活動をお薬で抑制するということになりますね。

 

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メイラックス服用時に期待される状態

 

薬を服用するようになってから、徐々に上の図のような「②眠気・脱力」、「③虚脱・抑鬱」ゾーンに精神状態が移行していったように思います。しかし、薬も万能ではありませんから、刺激を受ければ当然また交感神経が強く働き、④の状態へと向かって行ってしまいます。したがって、私がお医者さんから忠告されたのは、「とにかくリラックスできる環境で静養すること!」でした。

まずは物理的に刺激を極力低減するために、実家でゆっくりと過ごしました。その上で、お薬の効果で受けた刺激に過剰に反応しないようにもう1段階のバリアを張っているような状態ですね。

これにより、副交感神経の調子が良いときは眠くなり、ちょっと副交感神経が優れないときは疲労感に襲われ、虚脱感や抑うつ感が出てくるような状態での生活に移行していきました。そして、次第に交感神経の方もバランスが取れて来ると、「①健康」の付近まで持ち直すこともできるようになってきます。つまり、「メイラックス」によって横軸の交感神経が暴走しないように、メーターが右側に振り切れないように抑制をかけている状態ですね。

年末のだいぶ回復してきた時期や、今の自分の状態はこのように「メイラックス」によって刺激を緩和し、メーターが右に振り切れないように抑制がかかっている状態ということになりましょう。

 

では、年始にあった強い抑うつ感…2度目の自殺未遂をも引き起こしたは一体何だったのでしょうか。

 

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年始、自殺未遂時の状態

 

おそらくは年始に家族でスキー旅行に行ったことで、私の交感神経は大活躍しました。時同じくして、リラックスする能力である副交感神経もやや消耗していたのでしょう。そして、実家に帰宅後、翌日から交感神経の揺り戻しが起こります。つまり、一気に「③虚脱・抑鬱」という方向に大きくメーターが振れたのです。

そこで私はまた静養して、副交感神経の回復を待てば良かったのですが、持ち前の希死願望と自己虐待の精神に則り、自ら③の矢印の方向(左下)へと、自分の心身を追い込んでいきました。もう何もやる気が起きないし、回復するのも疲れた。このまま疲れ果てて死んでやろう!という感じですね。

なので、別に緊張感や焦りがあったわけではありません。

強い無気力、つまり虚脱感の中にありながら、自らを奮い立たせたり(横軸正:右方向)、あるいはリラックスして自分を労わろう(縦軸正:上方向)という想いを捨て去ったのです。そして、「死ななければならない」という強い自己暗示をかけ、私はついに自殺未遂に至りました。

自殺が失敗したとわかったとき、自己暗示はとりあえず解け、単に強い「③虚脱・抑鬱」という状態になります。このときに処方されたのが以下の2つのお薬です。

 

サインバルタ

 セロトニンノルアドレナリンの「再取り込みを阻害する=量を増やす」薬。セロトニンは副交感神経に効き、縦軸の正方向(上方向)に引き上げる効果がある。ノルアドレナリンは交感神経に効き、横軸の正方向(右方向)に引き上げる効果がある。

 

スルピリド

 ドーパミン神経伝達物質)の受容体を遮断する薬。つまり、全体的に刺激等を遮断する薬。メイラックスと同様に交感神経の抑制が期待できるが、どうやらメイラックスよりは強力な薬のよう。

 

個人的にはなんか相反する作用のような気がしますが、とにかくセロトニンノルアドレナリンドーパミンをコントロールする薬が追加されたようです。

 

www.ohara-ch.co.jp

 

ちょうどわかりやすい図解が調べたら出てきたので、リンクを貼っておきます。

これを踏まえると、サインバルタの方の効能はイメージしやすいですね。つまり、交感神経、副交感神経ともに弱っている状態を、ノルアドレナリンセロトニンで引き上げていることになります。そして、少しわかりにくいですが、ドーパミンは良くも悪くも刺激を司るものらしいので、私の場合は悪い方向に刺激が働かないようにスルピリドで防御しているということになります。

私自身のその時本来の心身の状態もあったでしょうが、たしかにこの2つの薬を飲んでからは、必要以上に落ち込んだりしないにも関わらず、前向きにもなっていない…という感じでした。つまり、座標の左下=死に向かわないようにしつつ、私の刺激に弱い現状をカバーしているといった感じで、座標軸の交点=中心に固定するイメージですね。

 

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メイラックスサインバルタスルピリドによる効果

 

素人理解ですが、上の図みたいな感じで薬でフラットな状態を目指すイメージでしょうか。決して心身ともに健康という感じでもないですが、興奮もせず抑鬱に苦しむこともないという風にブーストと抑制を上手く組み合わせた感じになっているということのような気がします。

なので、抗うつ剤としてサインバルタスルピリドを飲んでいたときは、確かに酷い抑うつ感というのは引いていきましたが、「元気になった!」という感じは全くありませんでした。あくまで「あぁ、何もしたくない。寝てよ」くらいのもんです。

数日そのようにして過ごした後、何となくもとに戻って来た感じがあったので、サインバルタスルピリドは医者に相談せず勝手に服用をやめました。もしまた抑うつ感に悩まされたら、すぐに飲めば良いと思っていたので。今のようにきちんと知識があったわけではありませんが、何となくこの2つの薬で、良くも悪くもない状態にはイケるという実感がありましたね。

 

というわけで、今は自前でセロトニンとアドレナリン(ノルアドレナリン)をある程度はちゃんと生産できるようになっていると思われます。しかしながら、未だに神経過敏の気が残っているため、最初のメイラックスというお薬を飲まずに刺激の多いところに身を晒しまうと交感神経が極端に弱ってしまい、眠りによって交感神経の電源を一旦OFFにした際に強い疲労感に襲われるのでしょう。

 

というわけで、まだまだ色々と勉強が必要ですが、上手くこのバランスを取りながら、刺激にも徐々に慣れていくことが必要になってくると思われます。

 

結局今日も午前中はブログを書いて終わってしまいました。

これから散歩に出かけてこようと思います。

 

次回

eishiminato.hatenablog.com

適応障害と診断されまして… vol.44

適応障害と診断されて98日目(1月20日)の朝にこの記事を書いています。もうすぐ100日が経とうとしているんですね。なんか記念日みたいな感じですが、あまり喜べたことではない気もします。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

ここ数日で考え方が大きく変わったような気がします。

なんというかこの変化のタイミングについて思うことはたくさん書き留めておいた方が良いような気がするので、久しぶりの連日投稿になりますが、記事を書いていきましょう。

 

 

1.適応障害と診断されて97日目~回想~

前回の記事を昼頃に書き上げた後、昨日は大学時代に行きつけだったラーメンを食べに行きました。ちょうど1週間ぶりですが、そう言えば大学時代にはお金がない中でも、毎週1~2回のペースで通っていましたね。日々、半額の弁当で暮らしていましたが、そのラーメンだけは特別。特に何もしていなくても、自分の生きているご褒美としてそのラーメンを食しに行っていたように思います。なので、1週間ぶりとは言っても、その当時に比べればだいぶ大人しくなったものです。

 

ラーメンを食べた後、ふと大学に寄ってみようという気になりました。学生時代に住んでいたアパートは駅前にあったので、アパートから大学までの通学路をなぞりました。

その道を辿るのは大学を卒業してから3年ぶりということになりますが、随分と景色の見え方が変わったことを実感します。もちろん実際的に景色も変わっていましたし、単純に3年という年月がそう感じさせるのかもしれません。しかしながら、やはりこの数日間で大きく変わった「ものの見方」がそのような変化を私にもたらしているような気がしました。ただの恥ずかしい思い込みかもしれませんけれどね(笑)。

 

前回の記事でも「これでもか!」というくらい書いたことですが、この10年近く私は自分を痛めつけることを習慣としていました。世を、社会を憎み、全員ぶっ殺してやろうと決意しながらも、それ以上に自分は死ぬべきだという風に考えていたわけです。友人も無く、大学では基本的に常に1人で行動していました。

そんな風にして大学生生活を送っていたものですから、同学のバイト先の後輩から「この間、大学キャンパスで見かけましたけど、めっちゃ怖い顔してましたね」と言われたことがあるほどです。多分その日は「全員ぶっ殺してやろう!」モードだったんだと思います。そうじゃない日は「早く死にたい!」モードで、きっとめちゃくちゃ体調が悪く見えたことでしょう。

正確にいつからそんなマインドになっていたのかはわかりませんが、少なくとも大学1年の冬頃からはそういった傾向が強くなっていたはずです。考え方によっては高校3年くらいからもう私の「鬱」は始まっていたとも思いますが、「鬱」=「自己虐待」を強めていったのは大学1年の冬で間違いないと思います。その頃、私は「凛として時雨」というバンドに出会いました。それが私のターボみたいなものになりました。

つまりですね、私は何と言うかそれまでの自分というものを好きになれずに、自己変革を起こしたいという風に潜在的に考えていたのですが、その糸口が掴めなかったわけです。自分をぶっ壊して、1から新たな価値観を作り上げていく工程が、私の長い大学生活7年間になるのですが、漠然と「もやぁ」っとした感じで自分がどういう方向を目指すべきか見えていても、どのようにして良いかわからなかったのですね。それをある程度具体化してくれたのが「凛として時雨」というバンドでした。

私の本格的な自己破壊は「凛として時雨」の音楽を理解することで始まっていきました。彼らの表現欲やフラストレーションに満ちた音楽性は当時の私の潜在的な気持ちに非常に近いものがあり、彼らの音楽を理解することはつまるところ私自身の「心」を理解することだという風に思ったわけです。そして、その出会いが大学1年の冬だったことは確かです。そういうわけで、私の「鬱」=「自己虐待」=「自己変革」はその大学1年の冬から始まったという風に考えているのです。

 

ということは、私は大学生活のほとんどを「鬱」状態で過ごしていたわけです。常に自己を含めたあらゆるものを憎み、全部ぶっ壊してやりたいという精神状態です。もちろん、そのように自分を追い込んで…いや、この表現はあまりにナルシシズムが強いのでやめておきましょう。私は自分を痛めつけることで、多くのことを学んでいきました。世界の本質について考えるようになったり、芸術や学問、表現や思想、そういったものについて沢山のことを学びました。自分を痛めつければ痛めつけるほど、どんどん見える世界が変わっていったので、毎日が苦しいながらも、毎日が発見と変化で非常に楽しい時期でもありました。

もし病名としての「うつ」が無気力状態と近い関係にあるのであれば、当時の私は必ずしも「うつ病」ではなかったと思います。もちろんとんでもない無気力状態に捉われることも多々ありましたが、基本的にはめちゃくちゃ前向きに自分を痛めつけていました。「死にたい」と思えば思うほど、より深くものを考え、感じられるようになった実感があったのです。

凛として時雨」だけでなく、様々なバンド音楽に魅了されていきました。「ハヌマーン」、「toe」などは今でも愛して止まないバンドです。ギターを買って練習するようになりました(それでも絶対に軽音サークルになんか入るつもりはありませんでした。ひねくれているので)。自分も何かを表現したいと思うようになっていたからですね。しかし、すぐに音楽は自分に向いていないことがわかりました。

そうしてギターを買ったくらいの時期には、映画や漫画、小説を中心にさらに私の芸術的な物事に関する興味が爆発していました。漫画家を目指して絵を描いたりもしていましたが、絵も自分には向いていないとわかり、何となく文章を書き始めていたら、それが1番しっくりと来て、本気で小説家になりたいと考える時期もありました。

芸術や学問に対する理解を深め、感度を高めていくことが私の方針になっていくと同時に、私は自分で文章を書き始め、徐々に自己実現の方針の中に「より良い文章を書く」ということが盛り込められていくようになりました。そして、それらの目標を達成するためにはやはり一貫して自己虐待が必要不可欠でした。いかに感傷的になれるか。「死にたい」と思えばこそ、私のあらゆる意味での「渇望度合」は高まり、求めるものを手に入れられたような気がします。

 

そんなわけで、私は自らの内へ内へと精神を凝縮させ、常に自己虐待をしながら生活をしていました。具体的に自分のダメなところをあげつらうことも当然しましたが、それよりはどちらかと言えば、誰しもふと訪れる「あぁ、なんか辛いな」という感情をできるだけ増幅するようなイメージですね。きっかけは何でもいいです。アパートの前をうるさいバイクが通り過ぎ、イラっとします。そして、その「イラっ」という負の感情を増幅していき、バイクをうるさく乗る人への殺意へ変えます。その殺意を自分でも抱えきれないほどに高めます。すると、「あぁ、もう自分でも自分の感情をどうしていいかわらかない」、「キツい」、「辛い」、「面倒だ」、「なんでこんなに負の感情に捉われなくてはならないのか」、「あぁ、もう死にたい」。という感じで、どんどんと自己虐待を深められます。他にも、道端で美しい花を見かけ、「こんな美しい花もいつか枯れてしまう」、「なぜ命には終わりがあるのか」、「なんで世界はこんな刹那的なんだ」、「死という絶望しかないのに何で生きていかなくてはならいのか」、「もうそんな風に悩みたくない」、「もう嫌だ」、「死にたい」とい感じもできます。

まぁ、常にそんなことを考え、最終的には「死にたい」みたいな感情に帰結させながら生活をしていたので、景色の見え方というものもそういう風になっていきます。そういった考え方や感じ方をオートメーションでやれるようになっていました。そして、そのようにして自分の中に蓄積したフラストレーションのようなものを原動力にして文章を書いたり、種々の芸術などを楽しんだりしていました。

 

というわけで、私は自己虐待を突き詰め、「痛みこそが原動力」という思想に馴染んでいたわけです。どこかの痛い中学生みたいな感じですけれど、本当にそんな感じだったんですよ。まぁ、随分と怠惰な面もありましたけれど、その怠惰ささえ、自己否定感を高めるのに使っていました。

ただ、学生の時分はそういった傾向をあくまで芸術や学問といった方面でしか用いていなかったように思います。社会とはうまく折り合いがつけられず、ただ自分の身の回りを流れゆくものという風に考え、あまり真剣に向き合ってきませんでした。

しかしながら、実際に社会人になってみると、生活のほとんどは「仕事」に支配されます。そして当たり前ですが、社会というのは苦しみを耐えて頑張っている人間を結構優遇してくれるんですよね。自分で言うのもなんですが、私は前職場でそれなりに頑張り、それなりに認めてもらうことができました。つまり、「痛みこそが原動力」が「仕事」の面でも適用されていったわけです。知らず知らずのうちに。

学生時代のときには独りきりで自己虐待を行うことが生活の主たる部分で、むしろバイトが息抜きみたいな感じでした。しかしながら、社会人になると「仕事」が主たる部分になってしまいます。余暇や休日だけじゃ自己虐待が足りません。そういうわけで、徐々に「仕事」の範疇でも「自己虐待」が共鳴するようになっていきます。そして、そんな風に「自己虐待」をすればするほど、周りからの評価も高まっていきます。

今こうして書いて見ると、もう本当にぐちゃぐちゃですね。

しかしながら、そんなぐちゃぐちゃの中で私はいくつか自分にとって重要な文章を書いていきます。「霏々」を書き進める中で私は「死とは虚無。ならば、虚無に寄り添うことこそ自分の生き方」という発見をします。さらに「水流」では、美と自己虐待の共存というそれまでの自分の生き方を書きました。そして、徐々に疲弊していく精神を、過冷却によって既に「冷たさ」を行き過ぎながらも辛うじて活動している自分として「霧氷」の中に込めました。で、「霧氷」を書いている途中に「転勤」という大きな衝撃を与えられ、まさにその言葉通り、心は凍結し、つまり適応障害となってしまいます。そんな状況の中で「霧氷」を書き上げたと同時に1回目の自殺未遂をします。

 

その1回目の自殺未遂を経ても、基本的には私の生きるスタンスは変わりませんでした。私の希死願望はもう10年近く供に過ごしたものでしたし、今さらその生き方は変わらない。そして、自殺未遂に至った経緯は、あくまで会社と自分の関わり方の問題でしかないという風に考えていたわけです。もちろん、根底には自分の希死願望があったことはわかっていましたが、繰り返すようにそれはもはや私自身です。実際に自殺未遂という行動に至ったのは、あくまで「転勤」とともに受けた精神的負荷のせいであって、私の生き方それ自体までは問題にならないと考えていました。

だから、闘病中の私の目標は「転勤前」と同じところまで回復することでした。

しかし、そのようにして回復していった先で、また急に「死にたい!」が暴れ出して、2回目の自殺未遂をしてしまいます。この時の感覚としては、「転勤前」に戻ったところでもう何もない…という感じです。実際に「ほぼ」死んでみてしまうと、「死にたい!」という生きる指針はもう何の役にも立たないというような気持ちになりました。ある意味では「生きる目標」が達成されてしまったわけですね。

 

これ以上死にたいと思えない。ということは、生きている意味がない。

 

そう感じながら、1週間ちょいが経過しました。そんなときに「凛として時雨」のドラムであるピエール中野さんのTwitterから「僕が僕であるためのパラダイムシフト」といううつ病を題材にした漫画が紹介されます。

私が感じたことは前回の記事の通りですが、簡潔に言えば「自己虐待こそがうつ病である」ということが書かれているという風に私には思えました。つまり、もし私がこの適応障害から回復したいのであれば、自己虐待をやめることが求められるということです。それまで10年近く私の生きる指針であった「自己虐待」を辞めなければ、適応障害は治らない。そのことが非常に腑に落ちました。なぜならば、それを読んだときの自分はやはり「いずれまた自死を選ぶだろうな」と考えていましたから。

便宜的に復職し、また元の生活に戻ったところで、いずれ私が自死を選ぶことは変わりません。なぜなら、私はそういう生き方をしているからです。死ぬことを目標にして生きているんですから当たり前ですよね。それまでは別にそれはそれで問題ではありませんでした。何度も言うように、それが…「死ぬこと」が目標なんですから、「死」は私の望むところです。

でも、それは2回目の自殺未遂で半分達成されたように私には思えました。

 

ある種の燃え尽き症候群のような状態の中で、「もう疲れたし、飽きたし、自己虐待はやめにしようかなぁ」と感じたのです。これまでは「自己虐待」によりどんどん先に行ける気がしていたのですが、「ここが私のやり方のどん詰まり」だと悟ったような気がしました。

 

だから昨日、私は自己虐待をやめてみよう、と思いました。前回の記事を書きながら。

 

2.適応障害と診断されて97日目・続~巡礼~

そんな風に「自己虐待」と決別しようと考えながら、ラーメンを食べ、大学時代に歩いていた通学路をなぞりました。

自己虐待と密接に絡み合っていた景色が何だか違って見えます。まだそれを具体的にどうこう言えるほど私はいまの私を理解できていませんが、多くのものを見落していたんだというような感覚に捕らわれます。ありきたりな映画みたいですけどね。

最近、「四畳半神話大系」というアニメを観始めているのですが、なんと言うかそれと同じように「全く違う大学生活もあったのかなぁ」と思うわけです。きっと「自己虐待」のない大学生活は、それはそれでなかなか楽しかったんじゃないかなぁとちょっとだけ思いました。別に後悔をしているわけではないんです。この10年近くの間に随分と沢山の事を学びましたし、私は自己虐待を通して、確かに自己変革には成功したように思います。結果、臨死体験をしましたけれど。

でも、その臨死体験を以って、1つのエピソードが完結したような感覚があります。

そして、「自己虐待」を捨てた私はこれから、私がこれまで見落としてきたこの世界に馴染んでいかなくてはなりません。何と言うか、大学時代に歩いていた道を進んでいると、その色彩の差から私がこれから向かい合う世界がどんなものなのかがより明確にわかるような気がしました。「自己虐待」が染みついた道を、「自己虐待」から解脱したこの眼で見ると、全く違ったように見えました。

 

あらゆるものの存在が憎くて仕方なかった、棘々としていて、同時に底なしの沼みたいだった景色が、今の私にはただの普通の景色として見えます。普通に生きている人が歩いていて、普通にアパートが建っていて、普通に道が交差しているのです。なんかとても不思議な感じがしました。かつての自分は何をそんなに憎み、恐れ、感傷的になっていたんでしょう。

何を見ても最終体には死に帰結させなければならなかったこと。それがどれだけ面倒で疲れることなのかを感じました。まるで、重荷を下ろしたような軽やかささえあります。多少、躁状態な感じも否めませんが、生きる活力さえ湧いて来るほどです。

今まで背負って来た重い荷物を下ろせたのだから、普通に歩くことくらいもういくらでもできるんじゃないか!?とまで考えました。

もちろん、無理は禁物ですけれど、「自己虐待しなくていい」ということがこんなにも楽なことだったなんて。「生きていい」と思えることが、こんなにも気楽なことだったなんて。

当然ながら不安もありますよ。今まで生きる上で軸となっていたものを失うわけですし、「自己虐待」を言い訳に目を逸らして来たものとも向かい合う必要が出てきます。きっとあらゆるものは等価ですから、私が脱ぎ捨てた分だけ、また何か別のものが私の背には乗っかって来るでしょう。そのことを考えると嫌な気持ちになりますが、とりあえずこれ以上自己虐待しなくていいと思えることが今の私にとってはとても大きなことなのだと実感しました。

「自己虐待」に使っていたエネルギーが浮くと考えるだけでも、大きな余剰が生まれるのではないかという予感さえ出てくるほどです。

 

冬の午後の光はとても眩しく、それでいて嫌な暑さというものがありませんでした。影の中はひんやりとしていて、アスファルトは黒く、空気は土埃を含んだように黄土色に輝いて見えます。道や建物、時間や空間はそこにあるだけでした。あんなにも私の身を切り刻み、刺して来たのに、今となっては全く私というものに興味関心を失ってしまったようです。これが普通なんだ、と思いました。

かつて通り抜けていた近道。まだ使えるかな、と足を運んでみます。昔と変わらない警告文。「〇〇大学の学生 ルールを守られない場合、通行を禁じます」。大学キャンパスの中、私はいつも人通りの少ない道を選んでいました。近道でもありましたし。おそらくは研究室に配属されている学生と思われる数名が歩いています。彼らに対しても何も感じません。何なら親しみさえ覚えるほどです。

私もまだ博士課程の学生ぐらいには見えるでしょうか。

随分と歳を取ったような気がしますが、変わらないのは今も昔も1人で、イヤホンをしながら外界をシャットアウトしているということ。でも、見える景色はこんなにも違う。何か新しいモニュメントのようなものが出来上がっていました。一度も中に入ったことが無い研究棟が工事中。講義棟の中に足を踏み入れてみます。コロナ禍ということもあってか、誰もいません。憎しみとともに出席していた講義をいくつも思い出します。いわれのない憎しみを向けられていた色々な講義になぜか同情心が湧いてきます。トイレをお借りして、なぜか梅雨時に靴や靴下がぐしょぐしょになったことを思い出します。

図書館の前を通り、図書館のカフェで談笑する数人をちらりと見やります。もう憎しみの感情はどこにもありません。教育学部棟の前の階段を登り、またいくつかの講義を思い出します。私は何をそんなに憎み、恐れていたんでしょう。そのまま裏通りに出て、音楽史を受講していた講堂の前を通り過ぎます。大学生協を遠くに見やり、そこで買ったパンやおにぎり、小説やテキストのことを思い出します。

裏門を抜けてキャンパスの外に出ます。前には2人の女子大生が並んで歩いていて、彼女たちにも特にこれと言って何も感じませんでした。同じような服を着て、頬を緩ませている彼女たちをかつての私が見ていたら気色の悪さに襲われ、憎悪を自己嫌悪に塗れていたでしょう。小学生の集団が公園の前を駆け抜けていきます。前までの私なら、思いっきり顔面を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られていましたが、今はそんなことありません。ただ彼らは走りたくて走っているだけであり、間違いなく私にもそういう時代があり、それはきっと愛しいものだったはずです。憎悪の対象なんかじゃありません。

 

ふと、私はどこを目指しているのか自問をしてみます。が、その答えはすぐに見つかります。

大学時代に通い詰めたTSUTAYAを目指しているのです。そこで実にたくさんの音楽や映画と出会い、お金のない私にとっては実に希望や可能性に溢れた場所でした。私の住んでいたアパートからは1駅ほど離れているのですが、そもそも駅間が短いので歩いて15分くらいの距離でした。暑い日も寒い日も、晴れている日も雨の日も、昼間も夜中も、何か私はそこに救いや期待を抱えながら通っていました。素敵な作品も微妙な作品も色々でしたが、そこを訪れる度に私は何かを積み上げているような気持ちになることができました。

TSUTAYAまでの道のり。駅前の商店街を通り抜けます。けれど、そこに並ぶ店々は当時の私の眼には入らなかったものが多くありました。私のものの見方が変わったこともあるでしょう。それまでは私の人生には必要のない雑多なものが並んでいるだけに過ぎず、そこを訪れる人々やそこにあった人間の生活などには微塵も親しみを覚えることができませんでした。でも、今は色々なものをフラットな視点で見ることができているような気がします。それとも、単に私の経済状況が向上して、色々なものを購入できるようになり、生活の選択肢が広がったからでしょうか。正確な理由はわかりませんが、ただ変化はしているのだと感じます。

そして、ようやくTSUTAYAに辿り着くわけですが、ここで私に1つの衝撃が走ります。

立ち並ぶ空っぽの棚々。店内の中心部はロープで立ち入り制限がされています。誤って改装中の店に足を踏み入れてしまったかと思いましたが、そういうことではありませんでした。この2月に私の思い出のTSUTAYAは閉店してしまうようです。今は閉店セールの真っ最中です。

ショックではありましたが、何か運命めいたものを感じました。ある意味では私の孤独な大学生活の牙城であったTSUTAYA。それがこのタイミングで閉店するなんて。

YouTubeで初めて「凛として時雨」を聴き、惹かれるものを感じ、このTSUTAYAで初めてCDを借りました。他にも「ハヌマーン」や「toe」を始めとして、様々なヒーローと私はここで出会いました。もちろん、音楽だけでなく映画も。ですが、主にはやはり音楽が私にとっては重要でした。何度も10枚セットでCDをレンタルしては、パソコンに取り込みました。

私はずいぶんと「凛として時雨」やら何やらといったミュージシャンを愛好している話してきましたが、しかしながらこのTSUTAYAで借りたCDを後になって正式に購入し直すということをしませんでした。当初の理由は「お金が勿体ないから」というものでしたが、社会人になってからもどうしてか買い直すことができずにいました。何かその当時の「出会い」のようなものを大切にしたい気持ちが芽生えていたからかもしれません。もちろん、好きになったアーティストのCDは極力レンタルではなく、ちゃんと買うようにしていましたが、最初の出会いに関して言えばレンタルである場合が多かったです。だから、「凛として時雨」も「ハヌマーン」も「toe」もこのTSUTAYAで借りたCDの音源を今でも聴き続けています。

しかし、そんな私にとって思い出深いCD達も閉店に伴いセールにかけられていました。

1枚300円。10枚以上購入なら1枚200円。

迷いはほとんどありませんでした。私はまるで村上春樹の「1973年のピンボール」にて、主人公の僕に追い求められた「スペースシップ」というピンボールマシンと再会するかのように、それらCDと再会し、そして購入することにしました。

それらの薄汚れたCDはまさに私にとっては青春そのものだったわけです。

とても芝居めいているように思いますけれど、なんと言うかとても奇妙な運命を感じてしまいます。

私が学生時代にせこせこと壊しては積み上げていた人生観の崩壊とともに、その人生観の土台基礎となっていたTSUTAYAが潰れることになりました。そして間一髪のところで私はその中からかつての私の青春の中心であったものだけは救い出すことができたわけです。私は新しいCDではなく、そのTSUTAYAでかつてレンタルしたことがあるCDが欲しかったのです。そして、ずっと買うのを渋って来たときに、それを自分の手に戻すチャンスが訪れました。

そして、それらのCDは今、寮の自室の靴箱の中に作られた即席のCDラックの中に、かつての姿のままー今はもうどこか別のところで別の人生を送っているであろう名もなき店員によって書かれたポップとともに、レンタルケースに格納された姿でー並べられています。思い入れ、とはこういうことを言うのでしょうね。

 

その後、かつての最寄駅から電車に乗り、7年間勤めていたバイト先がある町まで行きました。そこで今の私が何を感じるのか確認してみたかったのです。

ですが、既にお話ししている通り、当時の私にとってはそのバイトは「自己虐待」の息抜きみたいなものでした。バイトをしている間は、なんと言うか「死にたい!」という希死願望を抑え込み、割と普通の感覚で時間を過ごすことができていたと思います。もちろん、「自己虐待」の痛みをゼロにすることはできませんでしたし、日によってはうまく自分を制御できないこともありましたけれど、それでも基本的にはそのバイト先の町では違う自分であったように思うのです。

自分でそう思い込んでいるからか、あるいは歩き疲れたからかわかりませんが、大学付近を歩いているときほどの、景色の差異というものは感じられませんでした。遠目からバイト先を覗きこみ、そして陽がだいぶ傾き寒くなって来たので、よく訪れていた書店に行きました。暖を取るついでに、HSPに関する本を読みました。「繊細さんの~」みたいなやつですね。私はやはりHSPの気もあるようなので、割と納得できる部分も多かったです。私が新しく手に入れた価値観と、HSPという気質を前提とした対処法を活用していけば、とりあえず私は苦痛の少ない生活を手に入れることができそうです。

書店で暖を取ったあとは特に何をするでもなく、寮へと帰りました。

 

寮に着く頃には陽もすっかり沈み、めちゃくちゃ寒くなっていました。あんなに暖かったのに…薄着で外に出たのが失敗でしたね。

帰りの電車の中で中田敦彦YouTube大学で「ヱヴァンゲリヲン」の解説動画を観ました。前後編合わせて4時間以上あるのですが、面白くてこの日のうちに全部観てしまいました。

ちなみに、寮に帰って来ると「凛として時雨」の新譜が届いており、それも非常に楽しませていただきました。初めて出会ったときから変わらず、衝撃を与えてくれます。私にも彼らのような表現力が芸術的才覚があれば良いのに…と何度も思わされます。しかし、まぁ、無いものは無いから仕方ありませんね。とにかく、今回の記事もその新譜をずっとリピートで流しながら書いております。もう3時間もぶっ続けで聴いていますね。ということは、もう今回の記事を書いてから3時間が経っているということですか。

 

というわけで、もうお昼です。

とりあえず昼飯を食べに外に出ましょう。天気も良いですし、お散歩もしましょう。適応障害になってからずっと動画ばかり観ているので、視力が落ちてしまいました。前々からちょっと度が合わなくなってきていたので、眼鏡も新調したいですね。

このところお金を使い過ぎな気もしますが(働いていないのに)、まぁ、これまで随分と不十分な生活に身をやつしてきていたので、ちょっとずつ充実させていくのもきっと良いことですよね。

そろそろ職場にも顔を出すべき時期でしょうし、その前に少しでも環境を整えておきたいものです。