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適応障害と診断されまして… vol.47

適応障害と診断されて101日目(1月23日)の夕食後にこの記事を書き始めています。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

 

今日は雨でしたね。

昨日は適応障害と診断されてから記念すべき100日目でしたが、そんな日に久々職場に顔を出すことができました。おめでとう to myself。

今日は今日で病院での診療があり、午後は上司とWEB面談をしたりしました。

 

1・適応障害と診断されて100日目~祝・出社~

この日は睡眠ルーティンを取り入れた翌日でしたが、なんと朝5時に目が覚めました。詳しいところは前回の記事に書いた通りですが、勉強した方法を色々と取り入れて見事夜は10時に眠ることができ、朝の7時頃に目覚ましをかけました。しかしながら、自然と目が覚めたのは朝の5時です。

朝は朝で色々とルーティンがあるので、それもこなしつつ、6時くらいから前回記事を書き始めました。そして、朝の10時過ぎには記事を投稿し、一息。

早起きしたことでちょっぴり体は疲れていましたが、悪い疲労感ではありません。体調は問題なさそうです。

というわけで、午後に出社してみることを決心しました。

1回でも出社しておけば、かなりハードルを下げることができますし、何よりも「まだ会社に行くだけの心の準備ができていないんだ」というもやもやとした緊張感を緩和することができます。もう調子が良いうちにやってしまおう。決して投げやりな気持ちではありませんでしたが、清水の舞台から飛び降りるような感じではありましたね。

 

午後3時ごろに職場に着き、ちょっとびっくりされながらも、何とか久しぶりに顔を出すことができました。前もって上司から聞いてはいましたが、「刺激の少ないであろう場所に…」ということで、角の席に私のデスクの場所が変わっていました。緊張からあまりうまく話すことができず、私は「お久しぶりです」と申し訳なさそうに頭を下げるくらいしかできませんでした。

私の職場は夜勤があったり、今のご時世テレワークなども活用していたりするので、同じグループの人は半分以下くらいしか出社していませんでした。人が少ないというのは、それだけ人の圧も少ないので私としてはとても助かりましたね。

それから私はいる人たちからは少し離れた自分のデスクに行きました。

周囲の人も、転勤後の2週間で職場に来なくなった、うつ病相手にどう話しかければ良いのか戸惑っているようでした。私としても11月9日(診断されて26日目)以来の75日ぶりの職場だったので、かなり緊張してしまってこちらから声をかけることはできませんでした。パソコンのパスワードが変わっていたりしていたので、それらの再設定にかなり苦戦しながら1時間弱の時間を過ごしました。

途中でうまい具合に、身の回りのアルコール消毒タイムが始まり、そこで「コロナ対策ですか?」という言葉で何とか私の方から話しかけることができました。ほんのちょっとだけでしたけれど、雑巾や消毒スプレーの場所、いつも拭いているところなどを教えてもらうことでコミュニケーションが取れたのが良かったです。

帰る前に先輩社員(チームリーダー的な存在)が会議から戻って来て、少しだけ話しかけて貰うこともできました。「まぁ、あまり無理しないで、徐々に慣らしていきなね」という言葉を頂き、私も笑顔で答えられたので良かったと思います。

 

そんな感じで、何とか1時間くらいの時間出社することができ、同じグループの人に向けて「これから少しずつ職場に来ます」ということもメールできたので成果としては上々でした。

でも、行くまでは本当に緊張しました。昼食を買いに寮の外に出たとき、近くのコンビニまで歩きながら、「なぜ自分は緊張しているのか?」、「本当に緊張する必要があるのか?」、「どうなったって大丈夫じゃないか」と何度も何度も自分に言い聞かせたりしなければ途中で挫けてしまいそうなくらいです。

スーツを着て電車に乗っている間も、お笑い動画を観てリラックスしたり、何度も自分に「大丈夫」と言い聞かせたりしたんですよ。そして、職場についてからも割と緊張していました。「あまり元気そうだと思われてもな」とか「かと言って不機嫌そうな表情でもな」とか考えると、どういう表情をして良いかもよくわかりませんでした。

しかしながら、最終的に帰るときには何か1つやり遂げたような感慨深さがありましたね。帰り道でちょっとビックカメラに買い物をしに寄ったのですが、何と言うか色んな人が街中を歩いているのを眺めながら、自分がやり遂げたことを周囲に自慢したいような気持にさえなりました。

少なくとも、適応障害と診断されてからのこの100日間の成果ではあったわけです。

周囲にめちゃくちゃ迷惑をかけ、色んな恥をかき、心身の苦しみがあり、2度死にかけ、10年間にわたる自己虐待に区切りをつけ、それが「1時間職場にいれた」という成果となって返って来ました。我ながらよくやったと思います。

 

寮に戻ってからは、やはり寝る3時間前に夕飯を食べ、90分前に風呂に15分入り、風呂上がりの90分間をリラックスタイムに使い、しっかりと時間通りに眠ることができました。前日よりは少し寝るまでに時間がかかりましたが、たぶん前日よりもしっかりと風呂で深部体温を上げたからですね。実際、自室に戻ってからも汗がなかなか引かないくらいでした。

 

そんな1日であり、100日目でした。

 

2.適応障害と診断されて101日目~診療・面談・告白~

朝は5時半に目が覚めました。

やはり夜中に何度も目が覚めてしまったような気がします。同時に、「眠りたい!」と思い過ぎて、なかなか眠れない夢を見てしまったような気もします。なので、それが夢だったのか実際に夜中に目が覚めてしまっていたのか今となってはうまく判別できません。総じて、何か疲労感のある寝覚めでした。

ただ何とか布団を抜け出すことができた後では、しっかりと明りを点け、軽く部屋の中でスクワットや足踏み、そして意味不明なめちゃくちゃテキトーなダンスをしたりしてちゃんと体温を上げます。20分くらいそんな感じで体を起こし、極めつけは朝のシャワー。それで一気に目を覚ますことができました。

雨が降っていることもあってか、やや体が重い感じもありますが、ちゃんとルーティンを守れてよかったです。まぁ、あまりそこに固執しても負荷になるので、慎重にならなければとは思いますが。

連日のように、また朝のうちにブログを書こうかとも思いましたが、今日は午前中から診療があったのでやめておくことにしました。代わりに、ゆっくりと動画を観たりして過ごしました。土曜日ですし、ゆっくりやっていきましょう。

 

雨降る中、病院へと向かいます。雨のせいかいつもより病院は空いていましたね。もしかしたら、体調が悪くなった患者さんがたくさんいるのかなぁと思うと、心から同情心が湧いてきました。わかる、わかるよ、と。

そして、お医者様による診療ですが、今回はちょっとうまくいきませんでしたね。

急激に体調が回復したこともあり、勝手に抗うつ剤をやめたことを咎められ、そして何よりも診断書についてかなり揉めました。ちょっと複雑な話なんですが、私が会社から与えられた猶予は90日間というもので、それは1月末でほぼ切れてしまいます。90日を超えても休めるは休めるのですが、少し取り扱いが変わってしまうのです。取り扱いが変わるとなると、当然人事評での書かれ方も変わって来るので、できればそれを避けたいのですが、リミットである1月末までには完全復帰は厳しいです。

しかしながら、上司の話では「90日を過ぎても、そこから30日以内に復帰見込みがあると医師の診断があれば、追加で30日の休みを認める」というルールがあるそうです。今の私ならば2月末には完全復帰できる気がしています。なので、ぜひともそのルールを適用して欲しかったのですが、そのためにはお医者様にそういった内容の診断書を書いてもらう必要があります。ただ、そのことをお医者様に相談すると、「『見込み』なんてことは書けないのでね…」と一蹴されてしまいました。そして、2月分の休職を貰うための診断書が無い私は、「2月も休職が必要という旨の診断書」or「2月から復帰可能という旨の診断書」の2択を迫られることになります。

当然ながら私には「休職」の診断書を選ぶよりほかありませんでした。何とかお医者様には、次回診断時に「2月末での復帰可能という旨の診断書」を書いてもらうよう取り付けましたが、最後には「次の患者さんがいますので」と追い返されてしまいました。

私としてはちょっと納得がいかない部分もありましたが、色々と無理難題や面倒ごとを言っているのは私なので仕方ないです。とりあえずモヤモヤとした感情は、寮に戻ってから文字にしてパソコンのメモ帳に吐き出しました。自己肯定感を高めるためには、そういうのも有効だと最近学んだので(笑)。しかし、実際にそうやって文字にしてみると、一歩踏み込んだところまで考えられますね。最初は愚痴や苦言から始まっても、最終的には謎に自己肯定をするような感じで締め括られました。

「達成と非達成は1つの等価な結果である」

という謎の迷言で終わっていましたね(笑)。

 

午後にはいつものように上司との面談がありました。コロナも猛威を振るっているので、今回はWEBでの面談でした。毎回足を運んでいただいて悪いと思っていたのですが、面談の初めに「ちょっと1通だけメール送らせて」と言って来た上司を見て、何だか複雑な気持ちになりました。

休日なのにいつも面談してもらって申し訳ない。でも、この人は休日も普通に仕事してるんだ。でも、だからこそ、面談というのがさらに負担になって申し訳ない。

そんな感じです。

まずは30日分の休みを追加ルールについて相談しましたが、私のとった対応ではもしかしたらルールが適応できないかもしれないとのことです。まぁ、それならそれで仕方ないですね。適応障害でもう100日以上休んではいるんですから、有休消化などでお茶を濁していなければ普通に現段階でアウトなわけです。それに取り扱いが変わったからといって、私がそんなに気にすることじゃないです。1か月分勤続年数から引かれて、退職金が僅かに減るとか、出世が遅くなるくらいのことです。退職金を計算する人事の人が面倒な想いをして、出世欲の強い同期が喜ぶくらいのものでしょうか。

私としては、とりあえず「元気になった感じがするから安心したよ。良かった」と上司に言ってもらえたことが嬉しかったので、それだけでも良かったです。

 

上司との面談後、ちょっと疲れが出て1時間ちょっと昼寝をしました。昼寝から起きたときには頭痛もありましたが、30分くらいでそれも取れたので良かったです。さすがに昨日の出社と、今日のお医者様との押し問答、上司との面談と色々と疲れが出たのでしょう。睡眠ルーティンもやはり多少は負荷になっているでしょうし。

 

そして、昼寝の後、両親とも少し電話をしました。

とりあえず職場に行けたことを両親は喜んでくれました。電話口の声音もだいぶ変わったようで安心していました。

そしてふと、ここ数日で大きな考え方の変化があったことを伝えようという気持ちになりました。なかなか両親には、辛い思いをさせることがわかっているから、この10年間私が「死にたい」と思いながら生きていることは話せていませんでした。しかしながら、節々の挙動などから私がずっと苦しんでいることは伝わっていたでしょうし、こうして適応障害になってからは色々な私の価値観や人生観について話す機会もありました。そして、今日ようやく簡単にですが、そのことを告白することができました。

 

何かを見出したくて、死に近づこうと自分を追い込むような気持ちで10年間を過ごした。死にかけるところまでいって、やっと「もういっか」と思えるようになった。これからは自分を労わる方向でやっていこうと思う。

 

めちゃくちゃ両親を傷つけたと思います。

でも、とりあえずは死なない方向にベクトルが向いているということが伝えられて、それはそれで良かったんじゃないかと思います。たぶんここ10年で1番前向きな言葉だったと思います。就職のタイミングや色々な機会で私は「前向きな姿勢」を見せてきたようにも思いますが、いつもどこかひねたところがありました。

「ま、ちゃんと働くよ(働いたって、何も目的は達成されないけどね)」。みたいな感じです。そんなところからすれば随分と進歩したように思いますね。

 

と、今日は今日でなかなか濃密な1日でしたね。

記事の文字数は連日の半分くらいですが、それだけ内容がまとまっているということで良しとしましょう。

さて、これから風呂に入り、しっかり10時に寝たいと思います。

 

次回

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