霏々

音楽や小説など

霏々 vol.7

 そう言えば、今まで黙っていたが、僕はアイドルというものが好きで、それこそ色々なアイドルのインタビューやらブログやらをチェックするのが一つの大事な趣味になっている。彼女たちは僕とは違って、あくまで現実の中で夢を生み出そうとしている。そして、僕が苦手な合理的経済主義みたいな思想とフィルター一枚隔てられている。彼女たちが所属する事務所の人間はあくまで経済に生きる人間ではあるが、彼女たちの多くはどちらかと言うと「もっと良いものを」と考えているような気がするのだ。そういう人間は、ほかのアーティスト然り、プロスポーツ選手然り、信頼に足ると僕は考えている。と、まぁ、いくらそんなかしこまった分析をしてみたところで、僕が可愛い女の子に弱く、彼女たちが何か頑張っているのであればそれを応援するなり、見守ってやるなりして、そこから最低限の元気をもらいたいというのが、僕がアイドルを好きな理由と言えるだろう。

 そんな僕は今朝、とあるアイドルのブログの中で語られていた言葉をここで引用しようと思う。昨日の陰鬱な台風が過ぎ去って、部屋の外の世界は眩い光で満たされている。天気が人間の心情に何の影響ももたらさない、などと僕は考えない。そして、何度も言うように、

「情熱は引用」だ。けれども、それが等式だとするならば、もちろんそれを可逆的に扱うこともできるはず。「引用は情熱」なのだ。

 そのアイドルの女の子はブログでこんなことを書いていた。

「自分は何かをするとき、『こうするべきだと思ったから、こうした』と考えてしまっていた。でも、これからは『これが好きだから、こうした』とか『こうしたいから、こうした』みたいに考えるようにしたいと思っていた。変わろうとしていた。でも、今日のレッスンでは、『できるのを見せるのでもなく、できるように頑張っているところを見せるのでもなく、できないことをそのまま見せるのがレッスンだから』と先生に言われてしまった。その言葉に救われたような気持ちもしたけど、でも、そう言われたということは、まだ私自身が『好きだから、こうした』を実現できていないということじゃないか。私はそんな私を変えたい。そして、少しずつではあるけど、成長していきたい」

 と、まぁ、僕なりの要約をしたので原文とはまるで異なるが、そんなようなことが彼女のブログに書かれていた。害のない夢見る少女の心境を綴ったブログだ。当り前のことだし、それ故に普遍的な悩みとも言えるけれど、それでも彼女は今まさにそういう壁にぶち当たっているようだ。

 別に彼女の性格分析をしようというわけではない。ただ、色々なインタビューを読んでみると、新メンバーとして彼女が加入したグループの、ほかのメンバーから見た彼女の印象は、「誰からでも好かれる」、「連絡とかもマメだし、言葉は悪いかもしれないけど、『人たらし』ってくらい本当にすぐに好きになっちゃう」みたいなことらしい。僕からしてみても、彼女のちょっとした気遣いであるとか、配慮の心というのは、彼女の頷き方や声の抑揚一つをとっても感じずにはいられないところがある。要するに、もともと彼女はそうやって「こうするべきだと思ったから、こうした」が得意な人間なんだろう。もちろん、それは生まれ持った才能なんかではなく、きっと彼女の人生の過程で身につけるべきだった資質であり、そこには意識的であろうと無意識的であろうと、かなりの努力があったことは確実だ。

 さて、引用をしてみせることで、僕の情熱を発散したわけだが、単なる思い付きでこんな引用をしてみたわけではない……なんてことはない。僕のこのお喋りの中では全てが常に思い付きであり、それはとりもなおさず、散歩的であるということだ。恰好つけて言うのであれば。

 ともあれ、何の脈絡もなく、こんなことを書き始めたわけではなく、僕の中ではちゃんと前段を踏まえているつもりだ。それはこれまでの全ての文章に言えることだし、ホールデンだって、饅頭の食感の話から光速度不変の原理の話へと弁論を展開したらさすがに怒るだろう。僕は僕なりにベストを尽くして、ホールデンの気に入りそうなお喋りを続けているつもりだ。

 あれだけ僕は自分語りをすまい、と気をつけて来た。特に自分が面倒臭がり屋であることを説明しようとした辺りでは、僕はあえて比較的に客観的な議論によって説明する方を選んだりもした。しかし、僕はいくらか前にまた散歩のスタート地点に戻って来てしまったわけだし、そして、気づかぬうちに僕はまた別の散歩に足を踏み入れてしまっている。晩年のジャン・ジャック・ルソーもこんな風に散歩をしていたのかと思えば、僕も少しくらいは嬉しいような気もするが、彼は偉人として自分語りを許されるような立場にあったのに対して、僕は偉人どころかただの異人でしかなく、自分語りをすることなど許されていない。しかしながら、どうもこのお喋りの流れで言うと、僕は自分語りをせざるを得ないようだ。

 少し前に僕は、ちょっと前まで自分の後頭部をコンクリートブロックでかち割ってやりたいと思っていた、というような話をした。

 僕は死んだ方が良い人間だし、死んだ方が良いんだから、別に生きている間に何かを為すなんて面倒なことはしたくないし、だったら虚無的に生きればいいではないか。ていうか、それ以外にすべきことなんてあります? みたいなことがこれまでの論の総括である。

 そして、僕はこの論の展開に対して、二つの補足をしなければならない。