霏々

音楽や小説など

Black or Pink vol.1

 あらかじめ断っておくべきことがいくつかあるんじゃないか、と考えていま僕はパソコンの前に座っている。どういう訳か僕はこうして一つの話を書くことに、いや、この一つの物語を書かなければならないという義務にずっと背を向けて逃げてきた。僕がその事実に背を向ける時の誰に向けるでもない言い訳は大抵、「僕には彼女のことを語る資格はないだろう」とか「一応アイドルとして生活をしている彼女の近くに僕のような人間がいた、と知られたらまずいだろう」とか、そういった見た目も心も男前のいぶし銀な人間が口にするのであればまだしも、少なくとも僕のような心身ともに貧弱な才覚の無い人間が口に出すには似つかわしくないもので、こうして意を決してパソコンの前にちょっぴり緊張気味に腰を落ち着かせ(いや、決して落ち着いてはいない。むしろさっきから家の前の通りを駆け抜けるバイクの音などにいちいち心を掻き乱されたりしている)、文章を書くためには先述の通りの義務感であるとか、自分の無力さというものをどこまでも深く受け入れなくてはならなかった。しかし、そういう僕の個人的な、特にいま現在の心境を露わにするような言葉はできるだけ省略していこう、という風に僕は考えている。というのも、既にこれを読んでいる皆さんがお気づきのように、僕の書く文章には「春風と柔らかな陽光」といったような、人を幸福感の湯船に浸からせるような温かみがほとんど現れはしないからである。これは歴然たる事実で、このダラダラとした生産性の無い文章を書いている今も尚、僕はカーテンを閉め切って、それどころかカーテンの隙間からこのジメジメとした部屋に零れ落ちてくる朝日の破片を呪ってさえいるのだ。なんとも忌々しい事実である。しかし、最初に僕が言ったように、僕はそう言った諸々の事情を多少は皆さんの前に提示させていただきたいのだ。義足の少年が鬼ごっこに誘われたときに「今日は僕お腹が痛いんだ」とはにかんで言う時のような表情もひとまとめにしてあなた方にお届けしたいのである。そういうふうに僕の汚れもひとまとめに梱包して、組み立てる前のプラモデルのような未完成品としてこの文章をお届けしなければ、これから僕が書き連ねていくであろう彼女の物語も、もしかしたら完成品として目につく粗雑さ故に、その真の価値があなたに届かなくなってしまうかもしれない。その原因の一端には、僕の文章能力の欠如、という自他共に認める大きな事実があるのだけれど、どうかそれをご了承いただきたい。そして塵や埃にまみれた泥塊から、彼女の美しい物語を是非ともその両腕を使って引き摺り出していただきたい。僕という不潔な皮膜を剥ぎ取りさえすれば、そこにあるのはどこまでも純潔なひとりの少女の肖像であることは大手を振るって約束しよう。

 

 

 真の美しさを追い求める者は、自らの手を泥の中に浸ける事を決して厭いはしないだろう、と信じて。

 

2014年 3月4日 午前9時54分

 

 

「ユウタ、ほら、カリンちゃんにご挨拶しなさい」

 

 僕は母にそんな言葉をかけられて、初めてカリンに出会ったのだと思う。それはもしかしたら母やカリンから後々に聞かされて、僕の中に出来あがった虚偽の記憶なのかもしれないが、少なくとも今の僕はその事実を受け入れてはいる。彼女を初めて見た時の印象はあまり良く覚えていないのだけれど、その時分、僕は母のスカートの影に隠れながら親指を咥えて今にも泣きだしそうになっているような年頃だったのに対して、カリンはまだ一歳か二歳くらいの赤ん坊だった。僕とカリンの関係は、所謂「親が友達」という比較的わかりやすいもので、それ以外にはほとんど接点も無く、もともと内気な僕にとっては相手が全くの無力な赤子だったとしても、それが単なる「他人」の枠を出ることはなかった。強いて言うならば、僕とカリンの誕生日が同じ日付だったということが、その初めての出会い以降の僕とカリンの繋がりを保ち続ける重要事項だったように思う。というのも、小さい頃はほとんど毎年、僕とカリンは一緒に誕生日パーティなるものを互いの両親たちに開いてもらっていたのだ。誕生日が一緒であるということを運命と呼ぶなら、まぁ耳触りは良いだろうが、そんなものは所詮はカレンダー上の確率の問題であり、取り立てて神様に感謝することではないと僕は考えている。かと言って、現代の典型的な無神論者とは違い(だからと言って、何も毎年決まった時期に神に感謝するための儀式のようなものを催しているわけでもないが)、僕は僕なりにちょっとした超越的な存在に対して、単純にカリンとの縁が生まれ、そして今まで保たれてきたことに対する感謝の念は抱いている。誕生日が同じなんて運命だね、と言うよりは、君と出会えたことに感謝、と言った方がどこぞのラブソングのようでウケが良い、と僕は知っているのだ。

 その初めての出会い以降の、時系列に並べた時に次に思い出される僕のカリンに関する記憶は、随分と後のこととなる。当時、僕は中学二年の十三歳で、カリンは小学四年の九歳であった。記憶などという大そうな言葉を使ってしまったが、そんな年端もゆかぬ子供の間には大人になった人間が語るべき感動的な話などまず生まれはしないだろう。ただ、その時分に、僕とカリンとの間に徐々に親密さが生まれ始めていたということは断っておこうと思う。確かなきっかけがあるわけではないが、僕の母親もカリンも口々にその年の夏休みのことを僕に言い聞かせてくる。母親に言われるのはまだわかるが、カリンが本当にその当時のことを覚えているのか、僕は今でも疑っている。が、母曰く、「あんたって本当に薄情よね。カリンちゃんはあんなにあんたと遊んだこと覚えてるのに。この間も、またあの時みたいに一緒に市民プールに行きたい、って言ってたわよ」ということらしいので、どうやら僕は自分の記憶能力の貧弱さを認めなくてはいけないようだ。しかし、無鉄砲に遊びたい盛りの男の子なんてだいたいそんなもんじゃないだろうか。特に何も意識せず、ぼけっと生きているものだ。僕も哀しいことに、この間、成人を迎えてしまったが、成人になった今でも日頃の記憶はあやふやである。何も考えず、ただただ時間を浪費している僕にとっては、記憶能力なんてものはせいぜい買い溜めしたプリンの賞味期限を覚えるくらいにしか使わない。そんな僕が、七年も前のたまにしか会わない幼馴染の女の子との思い出を覚えているわけがないだろう。しかし、こうして思い出話を軸に文章を書いていく、という場合には愛する我が子に関することなら何でも知っている外部記憶の存在が必要不可欠である。あまり母のことはこの物語に入れまいと思っていたのだが、スペシャルサンクス的な位置づけとして母にも狭い会場の末席を用意しておいた方が良さそうである。というわけで、僕はさりげなく母に当時のことを聞きだし、それをもとに僕とカリンが接近したその夏休みのことをいくつか並べようと思う。これらの話はもしかしたらカリンの物語として照明を当てるようなポイントではないのかもしれないが、物語と言うからには語り手が必要である以上、僕は語り手として僕の好きな場所に照明を当てることができる。いやはや、物を書くという作業は何と権限に溢れ、自由なものなのだろうか。現実世界では何の権限も有しない操り人形だからこそ、しばしば僕はこの狭い世界の中で絶対的な神の視点を持つ喜びを噛みしめながら色々と言葉を紡いでいこうと思う。というわけで、時に僕が語る内容が個人的な観点に寄り過ぎていたりという場合も見受けられるであろうが、その際にはパラパラとページを捲るなり、ちょっと手元のコーヒーカップから何滴か垂らして文字を消してみたり、そういった対処方法をお勧めする。しかし、この本ごと墨汁が並々に注がれたバケツに放り込むというようなことは直ちにやめられよ。もし、もう既に墨汁をバケツに注いでしまったという方がおられるなら、僕がお金を払ってそのバケツごと引き取っても良い。しかし、これだけは忘れないでいただきたい。僕がある種の義務において彼女の物語を僕という汚れた皮膜に梱包しているのと同じように、それを受け取る側のあなたにも、その包みを剥がして中身を確認するという義務があるのだ。ページを飛ばしたり、数行分文字を塗りつぶしたり、というのはあくまで僕による「カッターを使ったら?」とかそういった具体的な開封作業に対するいくつかの助言であり、「中身を段ボールから出さないまま川に流せ」とかそういう種類の助言ではないのだ。やれやれ、話がだいぶ逸れてしまったが、こういう場合にこそあなたは意地なんて張らずに、僕の助言を聞き入れれば良い。ともかく、僕が伝えるべきことは、同じ母から聞くこととはいえ、いつかのテレビ番組で紹介されたような細々とした「猿でもできる!簡単な開封作業の裏ワザ!」とかではなく、カリンの物語なのである。だいぶ話が長くなってきたので、もう一度確認するが、僕とカリンの仲が深まったのは、僕が十三歳、カリンが九歳のときの夏休みのことである。その夏休み、カリンの父親の実家の方で(たしか東北地方のどこかだった気がするが忘れてしまった。母にもう一度尋ねてみても良いのだが、「またあんたは」などと小言を言われそうなのでやめさせていただく)少々面倒が起り(カリンの祖父が倒れたということらしい)、カリンの両親はそっちに泊まりがけで二週間ほど出かけることになってしまった。当初は彼女もついていく予定だったのだが、カリンの父親には兄弟もいないらしく、子供の面倒を見ながら夫婦二人きりで祖父の世話をするのは厳しいということで、うちでカリンを預かることになったのだ。カリンとしてもせっかくの夏休みを両親の脇で一人でフラフラさせておくよりも、部活にも入らず暇を持て余している僕と遊ばせておいた方が良いだろう、ということらしかった。しかし、それらの事情を聞かされたのは、近くの公園で六時間ぶっ続けで繰り広げられたサッカーやらカードゲームやらの大戦を終え、汗だくで帰宅した末に、泥だらけで汗臭い僕のことをカリンがくすくす笑っているのを見てからのことだった。カリンはその時の僕の見事にみすぼらしい姿を「元気そうで、楽しそう」と評していたが、僕にはその場面の記憶が全くない。僕が何となく覚えているのは、カリンが風呂に入った後、肩よりも長く伸びた髪を僕の母にドライヤーで丁寧に乾かされている姿を見た時の記憶だ。どうしてそんな場面を覚えているのか、という理由は恥ずかしいのであまり大っぴらにしたくはないのだが、中学生二年生と言えど、まだまだ子供の僕にとって、自分の母親が「女の子の髪の毛って柔らかくて素敵ね」なんて言いながら嬉しそうにしていたのがショックだったからとしか思えない。その時の細かい情景のようなものまでは思い出せないが、何となくふとしたときに、日食のような周期で僕の身に落ちる暗い影のような記憶だった。こんな言い方をしてしまうと、何やら深い心の傷のように思うかもしれないが、単に感情の起伏が一辺倒でつまらない僕にとって、そういった些細な嫉妬心なるものが今ではよく思い出されるというだけであるので、そこは勘違いの無きよう。ともかく、僕はそのカリンが僕の家にやってきた二週間について、曖昧な自分の記憶と我が家の才賢の誉れである母の記憶とを足掛かりに、書き並べてみようと思う。

 夏休み。その単語を耳にした時の心臓の高鳴り具合が落ちついてくる、ということが歳をとるということなのだろうか。だとすれば、こんなに生産性の無い僕でも一応は大人というわけだ。しかし、すでに成人式を終えてしまった僕とは違い、おそらくカリンは今でも夏休みという言葉を聞けば胸が高鳴ったような仕草を見せるだろう、ということは容易に推測できる。中学を卒業したばかりの彼女の年齢を考えれば、そんなことは当たり前だろう、と言う人間もいるかもしれないが、気を付けていただきたいのは僕がわざわざ「仕草」という単語を付け加えたことである。彼女の現在の職業を考えれば、彼女のような十五歳の少女には「夏休み=楽しい」というステレオタイプの反応が期待される訳で、そんな現実なんてお構いなしに、「夏休み? なんですかそれ? 私はレッスン漬けの毎日ですけど」なんてことを言ってしまえば、確かに憧れの平凡な夏休みを手に入れることができるかもしれない。けれど、やはり僕は思うのだ。カリンは決して「平凡」なんてものを求めるような人間ではない。いや、もちろん、人並みには「平凡」への憧れがあるのかもしれない。しかし、そんなものは登山家が「たまには海っていうのもいいですよね」と、(さっきから海、海、うっせぇよ。夏と言えば山だろ)などと思いながら言うようなもので、自分が平凡でないことに対する若干の後ろめたさと繰り返される日常へのフラストレーションから生み出された人工的な欲求であるはずだ。カリンの本質について僕に語る資格があるのかはわからないが、いや、もっと断定的な言い方をすればそんな資格など持っていないのだが(当然だ。僕はそんな国家試験を受けた覚えはない)、それでも彼女の本質がなんであるか、ということを簡単に紹介させていただくことを特例的に許されるのならば、陳腐な表現を使って「スポットライトこそがカリンという花にとっての日光だ」と言うことができるであろう。つまり、決して人工物ではない、天然的、そして潜在的に彼女の身体の中に秘められている純粋な欲求は、圧倒的な光の中で目を眩ませたい、というところにあるのではなかろうか。無論、このことは何も僕のような何の取り柄もない人間が一日中彼女の脇で重い照明器具を持ちながら彼女に光を当て続ける、ということではない。もっと微妙な境界線について言及するならば、カリンは別にただ目立ちたいだけではない、ということである。聡明なるあなた方にあってみれば、こんなこといちいち言うまでも無いとは思うが、おそらく彼女にとって最も重要なものは、どれだけ自分の理想とするところに近づけるか、ということであろう。しかし、そんなありきたりのことを言っても仕方がないので、あえて僕は臭い台詞を持ち出して、スポットライトがどうのこうの、花と日光がどうのこうの、と言ったのだ。神、国家、彼女自身、その他諸々の許可を得ずに彼女の本質を語るうえで、彼女が、いや、彼女に限らず全ての人間の欲求が、自分の思い描く理想像の実現のために終始することであるということは大前提として、より彼女のパーソナルな資質を示唆するための、「スポットライト」であり、「花」であるのだ、ということをご理解いただきたい。ともかく、そんな彼女の「欲」の本質はそこにこそあるのではないか、と考えている至らない僕の脳みそが次に考えるべきことは、この四方八方に散らばった文章を、「思い出話を語る」という当初の目的に帰結させることであり、なおかつ、彼女がいつから「夏休み」なんてものをおとぎ話の世界に放り込んだか、ということであろうと思う。しかし、幸いなことに、これらの問題をひとまとめに解決する方策として、僕は一つの考察をここに入れてみてはどうか、と思うのである。その考察を進めるうえでの重要なデータの一つとして、先にも述べたあの夏休みの二週間があるのだ。少なくとも、その約七年前の夏休みの時点においては、彼女はまだ「夏休み」というとびっきりのオモチャをその可愛らしいリュックサックの中に詰め込んでいた。それはまだおとぎ話行きのダストボックスへ放り込まれる前であって、彼女にとっての現実はまだ所謂平凡という名の首輪で繋がれていたままだった。カリンが家に来てからいったい何日目のことだったか、それは詳しくはわからないが、僕とカリンがそれなりに打ち解けるまでには、それなりの時間を要した。ただし、その「それなり」というものがいったいどの程度のものであるのか、ということはわからない。残念ながら記憶の解放軍の切り込み隊長でありながら最後の砦でもある母でさえ、その二週間に起きた出来事の正確な日取りなどは覚えていない。僕に至っては、自分とカリン以外の人間の誕生日など覚えたことないようなていたらくであるから、七年前の単なる日常の出来事の正確な日取りなんて覚えている訳がない。しかし驚いたことに、いや、本当はこんな「驚いたことに」なんていう何の感慨も感じさせない言葉では足りないくらいに僕は雷が自分に落ちてきたような衝撃を受けたのだが、こともあろうに、その時は一番幼かったカリンが日取りという問題についてはなかなか恐ろしい記憶力を発揮したのだ。忙しい彼女に直接会って話を聞く、というところまではできなかったのだが、こんな僕のどうしようもない下らぬメールに対して、彼女は自分の覚えていることを事細かに記したメールを返信してくれた。しかし、そんなメールを書き連ねる暇があるなら、直接会って色々話を聞いた方が良かったのではないか、とふと考えてしまうのだが、その辺が僕の愚かな所なのだろう。いくらただ幼馴染に会う、というだけでも女の子には色々と準備することがあるのだろうし、それに直接僕が話を聞いたところでどの程度話の内容を僕が覚えていられるか、というまさにどうしようもない問題もある。そのことすら僕は忘れていたのだ。さらに、僕はここで自分のしでかした何とも不甲斐無い罪を告白しなくてはならないだろう。今さっき、僕はカリンに対して「下らないメールを送った」と言ったが、そう、それについては色々と語弊がある。文面は取り敢えず置いておくとして、その精神性においては「下らない」というよりは「悪質な」と形容した方が良さそうな具合なのである。というのも、僕は何も正直に「これから君の物語を書こうと思うんだ」とか、「今日はアイドルとインタビュアーの関係で」とか、「幼馴染との思い出を2000字以内でまとめよ」とか、そういった言葉を明記せずに、ただ単純に彼女自身にうまく喋らせるように「ほら、昔はさ」とか、「今は忙しそうだけど」とか、「あんなこともあったっけ。懐かしいよね」みたいな、「私は別に何も明確なことは言っていません。あの人が独断でやったことです」という逃げ道を確保しながら人を操ろうとする三流ドラマの黒幕みたいな精神性で以って、彼女にすり寄ったのだ。彼女はそんな僕の意図を汲み取ったうえでなのか、はたまた、ただ単純に僕の稚拙な策謀に掛かってしまっただけなのか、その辺りはよくわからないが、結果的には彼女から当時のことを仔細に語る長文のメールが返ってきた。その中で、彼女は僕とその七年前の夏休みの思い出として、「金曜日だったかなぁ。一緒にプールに行ったときがあったでしょ。その時にね……」というような文章を残している。さすがに、何月何日というところまでは覚えていないと思うが、それでもその曜日まで覚えているというのが不思議だった。彼女にとってはただ単純に、その日の夜に毎週金曜日放送のお気に入りのアニメがやっていたとか、そういった理由でその日の曜日を覚えていただけに過ぎないのかもしれないが、それにしたってなかなか僕の頭では理解しがたい記憶力を持っている。彼女が語るところによると、僕とカリンは同じ屋根の下で生活するようになってからも二、三日の間はうまく打ち解けることができずにいたようで、カリン自身は正直なところ早くお母さんのところに帰りたかったらしい。そりゃあ、そうだ。兄のいない一人っ子の彼女が、五歳上の中学生と一緒に生活し始めたというのに、その兄貴代わりの人間は一緒に遊んでくれるどころか、五歳年下の小学四年生の女の子に母を盗られたように感じて幼稚な嫉妬をしていたわけなのだから。しかし、カリンの優しさに付け込んで引き出した情報によると、彼女はまたその長いメールの中で、僕と仲良くなった過程について時系列的連続性を有するとあるエピソードを紹介してくれている。僕はこの文章をそのままの形でここに記すべきなのか、それとも僕自身の微かな記憶を織り交ぜて、僕の言葉で話していくべきなのか、というところで約三十分間、だらだらとテレビを見ながら頭を悩ませていたのだが、結局何かしら理性的で計画性のある判断をするということは不可能である、ということを先に発見してしまった。この文章が誰かの目に触れることがあったとして、その時に、カリンのメールの写しがあった方がより臨場感があって効果的なのか、或いは、僕のどうしようもない言葉たちで書き連ねる、ということを突き通した方がある意味ではまとまりが生まれるのではないか、と考えてはみたものの、残念ながらその二択を正しい文学研究的尺度で以って測ることはできなそうだ。なので、そういう場合にはいつもどおり、僕の右脳の囁きに任せ、つまり気分次第ということなのだが、カリンからもらったメールの内容をもとに、僕自身の言葉で語る方を選ぶことにした。何故そんな選択をしたのかと言われても、気分がそうだからとしか答えようがないのだが、この半時間だらだらと過ごす中で、カリンのメールに触発されてなのか、僕の戦場の跡地のような壊滅的な記憶の墓場の中から、ゾンビのようにいくつかの思い出が這い出してきた、ということが心許ない理由としてあげられるだろう。自分の頭の中に何かが浮かんでいるときにそれを活用しないという選択肢はない、という風に僕は考えている。せっかくの発想、空想、妄想、幻想、その他何でもいいが、そういったものを「既存の方法より劣るから使用する必要は無い」と言ってあっさり捨て去ってしまうことが、人間を堕落させていくのではなかろうか。社会性の薄い僕の身勝手で未成熟な持論ではあるが、僕もまだ成人を迎えたばかりの青い若者。自分のことを「まだまだ尻の青いひよっこです」なんていうふうに卑下することに躊躇いがないような、虚ろな人間の言うことなんて信用に値しないことなんてわかってはいるが、それでも実際的にまだまだ尻の青いひよっこなんだから仕方がない。せいぜい自分の浅はかな持論におんぶに抱っこで、ここから先も他愛も無い言葉をつらつらと書き連ねさせていただこうと思う。

 さて、意気揚々と決意表明のようなものをさせていただいたわけだが、結局、それからまたこの文章を書き始めるまでには少々時間が経ってしまった。というのも、今までの僕の文章を読んでいただけた人なら皆一様にお分かり頂けると思うのだが(深層心理といういかにも怪しげな言葉を使って良いというならば)、どうやら僕はその深層心理なるものの中で、カリンとの思い出を語ることに対する恐怖のようなものを感じているようだ。たとえこんな風に、典型的な心情の吐露をやってのけたとしても、一度言葉にしてしまうと嘘っぽく聴こえてしまうのだから、言葉というものは恐ろしい。しかし、僕自身がカリンの物語を語ることに対して、終始、躊躇いや戸惑いといったものを感じているのは事実であるわけで、そのせいで、僕はパソコンの前で何時間も悶々としながら、意味の無い言葉を画面に打ち込んでいる。いやはや、「画面に言葉を打ち込む」とは、なんとも風情の欠片も無いことだろうか。障子戸を開け放ち、私の質素な庭先の風に揺れる木の葉に季節の移ろいを感じながら、誰も見ていないことをいいことに、ひとり、陽光の向う岸に膝を立てて座り、先日京都の方の知り合いから譲り受けた鼠の尾っぽで繕った筆で言葉を紡いでおります――なんて言葉を書けたら、と僕は心底思っている。しかし、現実と言うものは大概自分が思い描くよりも薄味で、まさに機械的なのである。ゼロとイチで象られた文字たちを眺めていると、僕は時々、今という時代が恐ろしくなるときがあるが、けれど、そんなものはカリンの過去を語ることに比べたら、随分と可愛いものだ。事実、僕はこういうしょうもない話題をあちこち駆けずり回って探し求め、そして無意識のうちにカリンの話をはぐらかそうとやってしまっている。一つ前の段落で「夏休み」という言葉から書きだした時には、いよいよ語るべき時が来た、と嬉しさと高揚感からキーボードを叩く指先が跳ねたものだけれど、それも遠い記憶。そして遠い記憶はすぐに霧のように消えてしまうのが、僕の不甲斐無い脳みそなのである。なので、僕はまた始まりの言葉をまったくの暗闇の中から手探りで引きずり出さなければならない。けれど、いくら手を伸ばしてみたところで、僕が触れられるのはせいぜい夜の空気くらいのもので、部屋の明りも点けずに目に悪そうな光を放つパソコンの画面を眺めていると、まるで自分の言葉に洗脳されているかのような錯覚に陥ってしまう。不思議なもので、僕の耳元ではいつからかはわからぬが、数分、いや数十分、いや、数時間だろうか、それくらい前からカリンの歌声が鳴り響いている。いい加減、パソコンの電源を落として布団を被ってしまいたいのだけれど、その歌声に操られるかのように、僕はキーボードを叩き続けている。そして、さらに不思議なことは、そんな風にして書いている言葉が、こういった訳の分からぬ言葉たちだ、ということだ。いったい僕は何の意味があってこんな言葉を書き続けているのだろうか。カリンのことを語る前に、身体にぱんぱんに詰まったあらゆる毒素をあらかじめ出しておく、という魂胆なのだろうか。そんなことはやめて、さっさと本題に移ればいいものを、ということを、僕はおそらくこの文章を読んでいるあなた方よりも何十倍も重く感じているだろう。正直、僕はあなた方が羨ましい。読み手からしたら、必要のないページは飛ばしたり破いたりすることができるのだ。しかし、僕はたとえ無駄とわかっていても、額から汗を流しながらとにもかくにも指と頭の中の舌を動かし続けなければならない。いつになったらこのオイルドレッシングの上澄みのようなドロドロとした部分が消え去り、本当の味をあなたに届けることができるのだろうか。いやいや、この考え方はおそらく間違いであろう。ドレッシングは使う前にあらかじめきちんと、念入りに振っておかなくては。しかし、ここで恐ろしいことに僕は思い至ってしまう。仮に僕がドレッシングの上澄み、つまり「油」であるとするなら、カリンは「水」ということになってしまう。いやはや、困ったものだ。なるほど、僕とカリンは混ざり合えない運命ということか。と、まぁ、そんなことを考え始めたところでどうしようもないことは僕自身が誰よりもよくわかっている。こんな言葉遊びは所詮、カリンのことを語る前のウォーミングアップに過ぎない……いや、それにしても「ウォーミングアップ」。なんて前向きな響きの言葉だろう。恐怖や逃避、といった言葉を使っている時よりも随分と気が楽になって来る。では、身体も温まってきたところだし、そろそろ語ろうか。いやいや、大変お待たせしてしまった。眠っている方は、口元から垂れている涎がここから先の所にかからぬように今すぐ身体を起こし、そして必要があればストレッチ、または軽い運動をお楽しみいただいた後で、またこのページを開いていただきたい。おっと、席を立つ前には栞を挟んでおくこともお忘れなきよう。あなただって、こんな途方もない言葉の迷宮にまた迷い込むのは御免だろう。備えあれば憂いなし。まさに無計画な僕ならではの教訓をあなた方にも差し上げることにする。

 僕がカリンという人間を受け入れるまでにかかった時間は正直なところ、カリンが言うような「二、三日」なんていう短期間ではない。僕というどうしようもない人間は、人と本当の意味での「友達」と呼べるような関係を築くまでに、少なくとも一、二年は要する。それは記憶の残っている所では中学くらいから発揮されてきた一種のスキルのようなものであった。だから年に数回会うだけのカリンに僕が気兼ねなく開けている心の割合はまだ半分と少しくらいのものだろう。だが、何の気兼ねも無く思ったことを口に出せる間柄なんて、そうそう創り上げられないものなんじゃないだろうか。僕のようにたとえそれがほとんど空っぽのものだったとしても二十年という年月をなんとか生き延びることができれば、特典としてお酒の力を借りることもできるようになるわけだが、生憎、僕という人間は自分が酔いの海に肩まで浸かっていても、相手が素面であるならそのお酒の効力は半減してしまう。アルコールが入ったからと言って、まだ相手の輪郭をきちんと目で追おうとするのだから、自らの小動物にも勝る警戒心の強さにいい加減自分でも辟易とし始めているところだ。とは言うものの、こういった傾向というものは、人によって程度の差こそあれ、基本的には人類皆共通の性質ではないか、というふうに僕は考えている。だから、まぁ、自分のその傾向の強さにはやや苛立ちを覚えているものの、ある程度はその哀しい性質を受け入れてもいるし、他人にも認めている。そういう訳で、カリンが僕と打ち解けるまでに「二、三日かかった」と称しているのも、単純に、僕という病原菌に対する抗体が、カリンの小さな体の中で作られるのに、実際的な時間として四十八から七十二時間を要したというだけではなかろうか、と推察しているわけである。でも、そういった理屈はまた脱線の原因になると思うので、そろそろ具体的な場面の描写を始めていかなくてはならないだろう。母が言うところによると、その夏休みは、カリンが家にやって来たこと以外には特に思い出深い事件なども起こらなかったらしい。ただただ暑い日が毎日のように続き、一週間のうちに一、二回、夕立が街を襲い、夜には蛙やら何やらが泣き喚く、そういった普通の夏休みだ。カリンはとても良くできた子だ、と母はいつも言っている。人見知りして漫然と生きているだけの僕よりもよっぽど大人で、礼儀正しくもあれば、また子供らしい部分も見せるから、見ていて楽しいんだそうだ。まぁ、そうだろう。僕もその意見には賛成だ。実の息子になんてことを言う母親だ、と考える人間もいるかもしれないが、母は何も間違ったことを言っているわけではないし、それに何も自分の息子を蔑ろにしているわけではない。きちんと血の繋がった者同士の言葉も時にはかけてくれるし、おそらく常時その血の繋がりというものを意識しながら生きている普通の母親である。だからこそ、自分の息子の愛しき至らなさを再確認するのに、カリンという存在は何とも頼もしかったことだろう。実際、カリンは僕から見てもまったく惚れ々れするような少女だ。僕の記憶のほとんどは醜い感情と共にぎりぎりのところで保存されているのだけれど、ずっと昔の、それこそその僕が中学二年時の夏休みよりも以前を含めたカリンに関する記憶のほとんどが、僕のカリンに対する嫉妬を感じた瞬間のものである。それは今でも大きくは変わっていない。ただこの際の重要な点は、僕が「ほとんど」という言葉を使っているということで、実際的にはいくつかの平凡であって忘れがたい美しい記憶というのも、ある特別な瞬間には思い出すことができる、ということである。しかし、特別な瞬間というのはそう訪れては来ない。こんな風にキーボードを叩き続けていても、僕の記憶の棚からそんな美しいものが引き出されることはそうない。だが、幸運なことに、今、僕の手元にはいくつかの美しい記憶が並んでいる。カリンのメールを読み返したおかげなのか、随分と大人びた彼女の声が耳元で鳴っているおかげなのか、その辺の原因と思しきものが何であるか、ということは特定できまいが、そんなものを考えるよりもまず、この手元にある春霞のように儚いものたちを言葉に置き換えることの方が先決であろう。早くしないと、いつ消えてしまうか分からないのだから。

 カリンと僕は、カリンが家に来てから二日目か、三日目に二人だけで家の留守番を任された。僕の家では母は専業主婦というやつで、それまでの数日間は基本的に母がカリンの面倒を見ていたのだけれど(と言っても、「手のかからない子だったから、ほとんど放っておいたようなもんだけどね」と母は言っている。このことが、僕の母に自分の娘の世話を依頼したカリンの母親にばれないことを願う)、その日は母になんらかの用事があって、僕がそのカリンの面倒を見る責を担わされたわけだ。が、無論、僕だってカリンの手のかからなさは重々承知していたし、家から勝手に飛び出して行ったりしないか、勝手にガスコンロに火をつけたりしないか、仏壇で微笑んでいる曾祖父の写真の裏に隠してある父のへそくりを探し始めたりしないか、ということを時折確認するだけで良い、と考えていた。僕はその日のことを――「本当にその日の記憶なのか」と詰問されたときにはやや自信を無くしてしまうだろうが――朧気ながら覚えている。僕はその日の朝、母に起こされると同時に「カリンちゃんをよろしくね」と頼まれ、そして眠い目を擦りながらリビングに行くと、既に起きていたカリンが朝ご飯を食べながらテレビを見ていた。そこから先、また記憶は途切れる訳だが、僕の信用ならざる記憶が言うには、その日一日、僕は母がいないことをいいことに、片端からテレビゲームのソフトをとっかえひっかえにして楽しんでいた。カリンは時々、トイレに行ったり、ソファの背もたれに倒れ込むようにして眠ったりしていたけれど、それでもほとんど一日中、僕がゲームをしているのを脇で見ていた。そして母が帰って来ると、夕食の席でカリンは「僕が如何にゲームが上手か」ということを熱心に母に語りかけたのだ。当然、母には「一日中ゲームをしていたのか」と問い詰められることにはなったけれど、それでもそんなことは忘れて小学四年生の称賛の言葉についつい嬉しくなってしまうくらいに僕は子供だった。単純かもしれないが、こうした僕には珍しい高揚感の記憶もまた、赤黒い嫉妬の記憶と同様に僕の頭にはきちんと残っているようだった。よくよく思い返してみれば、カリンはことあるごとに僕を褒めてくれた。それが天性の「太鼓持ち」であることに間違いはないが、にしても彼女には、彼女のことを「太鼓持ち」なんていうふうには呼びたくなくさせるような純粋な部分があるようにも僕は思う。これを魔性と言わずして何と言うか、という感じだけれど、彼女には「魔性」なんて言葉が似合わないのも事実であるからして、まったく、カリンのそういった性質について考えると、僕は恐ろしくなるばかりである。自分と比べると、本当に同じ人間、同じ日本人、同じ県民であるのか、と不思議になってくる。とにかく、僕は彼女に対して幼い頃から嫉妬心を感じると同時に、彼女の称賛によって胸の高鳴りが齎されることもたくさんあった。それによって、他人に心を開くのが下手な僕が彼女に対しては割と早い段階で打ち解けられた、というのも事実である。打ち解けると言っても、それは前にも言った通り、やはり「ある程度」という修飾語は付けるべきだと僕は考えているが、もし、今しがた言った事を撤回させていただけるであれば、「ある程度」というよりも「比較的に」という修飾語の方が適切であるように思う。不思議とカリンの付き纏いは苦にならなかったし、小学四年生の視点というものは、特にそれがカリンのものであるならば、中学二年生の時点で既にマンネリ化していた僕の生活に対してそれなりの新鮮味を与えてくれた。カリンにゲームの仕方やパソコンの操作方法を教えたり、単純に夏休みの宿題を教えたり、時には外に連れ出してボールの投げ方を教えてやったりしたのを覚えている。近所にあるかなり広い公園のムッとする熱気が浮かんでいる深緑の芝生の上で、僕とカリンはボールひとつで何時間も遊んでいたように思う。走ったり身体を動かすのは基本的に得意であるカリンだったけれど、何故かボールを投げるのだけは上手くできず、最初のうちは獲物を狙って滑空してくる野鳥の如く、ボールは地面に向かって一直線に飛んでいき、僕の数メートル手前の地面の上で止まったりしていたが、徐々にその軌道は放物線という概念を取得し、二回跳ねて僕の手に収まったりしていたのが、何回目かには一回跳ねて僕の元に飛んでくるようになり、空の青が霞みだしたくらいの頃にはそれなりにキャッチボールをしているように見えるくらいにはなった。そんな小学四年生の女の子には不必要な訓練の途中、カリンは自分の腕の不甲斐無さに眼を潤ませていたけれど、結局それが溢れることはなく、持って来ていた髪留め用のゴムで髪の毛を二つ結びに縛り、懸命に僕のアドバイスを聞いていたのを覚えている。今思い返してみれば、彼女のその根気はどこからやって来たものなのか、かなり不思議ではある。別に体育の時間に馬鹿にされたわけでもなく(本当はそういうこともあったのかもしれないが)、僕が褒美を用意していた訳でもないし、反対に、できなかった場合の罰が用意されていたという訳でもない。僕が、例えば小学四年生の頃に年上のどこかのお姉さんから「さぁ、『猫ふんじゃった』を弾くのよ」と言われながらひたすら鞭を打たれたとしたら、きっとすぐに「無理だよ」、「つまんない」、「もう疲れた」と投げ出していたに違いない。その傾向は歳を重ねるごとに自分の中で磨きが掛かっているのを僕は実感している。こうして成人した今ですら、僕はあの日のカリンよりも優れた忍耐力、好奇心、向上心というものを持っている自身は無い。だからこそ、僕がこうして暢気に足踏みかなんかをしているうちに、カリンは全く僕の手の届かない世界へと足を踏み出しており、彼女が網膜を焼切るような信じられないほどの光を浴びている傍ら、薄暗い部屋で僕は独りきりで、こういった不毛な作業に精を出さねばならぬのだ。

 しかし、こんな愚劣なる吾輩にも唯一称賛に価すべき行いがあるようにも思う。それが本当に良い事であるかどうか、というのは見方によると言うべきか、はたまた神のみぞ知るところであると言うべきかはわからないが、現在のカリンの状況を作り出しているのに僕は実は一枚噛んでいたりするのだ。無論、運命論者の中には僕が存在しようがしまいが、カリンがこの道に進むことはずっと前から既に決まっていたのだ、と主張したい人間もいるかもしれないが、言っておくが、僕の存在もその運命とやらに組み込まれていたのは否定できない。しかしながら、勘違いしてはならない。たとえ僕がいなかったとしても、カリンはアイドルになっていただろう。それも、僕がいなかったらもっと素晴らしいアイドルになっていたんじゃないかと考えてしまうことすらある。そんなことを考え始めると、僕は首を括りたくなるが、しかし、そう簡単に死ぬこともできぬ。何故かと言えば、当然、僕の死が少なからずカリンに影響するだろう、とわかっているからだ。本当に、あと数日僕が遅く生まれるなり、早く生まれるなりしていたら、と考えぬ日は無い。僕にとってはカリンという存在は僕の監視を仰せつかった神よりの使者のようであり、僕を苛ませる一因でありながら、幸福をおすそ分けしてくれるご近所さんでもあるのだ。もしも僕とカリンの誕生日が全然違う日であったなら、毎年一緒に誕生日パーティをすることはなかったかもしれないし、そうなれば僕とカリンの関係性が築かれることもなかった。つまり、カリンの母親が僕の家にカリンを預ける、という選択肢を取らなかったかもしれないのだ。しかし、残念ながらカリンはあの夏休みの日、僕の家にやって来て、そして、僕にカリンをアイドルの道に向かわせるキッカケを作らせてしまった。どれだけ僕が、「あの役目は僕である必要はなかったのだ」と考えたところで、事実を、歴史を捻じ曲げることは不可能であり、「もしも僕がいなかったら」とか「もしもカリンと出会わなかったら」とか、そういった自問自答はいつだって影のように僕に付き纏い、その思考の先に覗く彼女の人生における普通一般的でない苦難と幸福に対する責任が僕の肩に重くのしかかっているのを感じさせる。自分ほど重責には堪えられぬ撫で肩の軟弱な人間はいない、また、自分の命だけでも精一杯だ、と考えているような僕にとっては、もはや「カリンの人生どころではない」と全てを投げ出してしまいたくなるのも当然のことであり、かといって「あいつの人生はあいつの責任だ」と朗らかに割り切ることができるほど、僕は勇気のある人間でもない。だからこそ、僕は自分の人生の責任を果たしつつも、他の人間をその大きな翼に乗せたまま羽ばたこうとしているカリンに尊敬の念を抱かない訳にはいかないのだ。尊敬する相手に年齢も性別も関係無い。尊敬される人間が総じて持ち合わせているものは、多少の実力とそれから大いなる意志と根気であろう、と僕は考えている。カリンがその宝を両手に持って生まれ堕ちたのか、はたまた、まだ年端もいかぬうちに自ら地中の中から掘り起こしたのかは知る由もないが、ともかく、カリンはおそらくではあるが、僕が与えた空へ飛んでいく風船の如き機会を、その幼き小さな手で懸命に掴み、そして苦難を打ち破り自分の生きる上での目的を手に入れたのだ。

 ここまで、少々大仰すぎるくらいに、カリンを持ち上げ、そして壮大な前振りをしてみたものの、冷静になって考えてみると、僕は長い間独りの殻に閉じこもり続けたせいで、思考に思考を重ね、やや幻想を膨らませ過ぎていたきらいがあったことに気が付く。極論を積み重ねすぎてしまう、というのは僕の愚かな性質の一つであろう。ひとつ前の段落で、僕はカリンに対して何かしら大きな影響を与えた、というような書き方をしていたように思うが、しかし、主観的に見れば、物語の伏線として重大かつ衝撃の事実となり得るものも、客観的な視点を与えてやることによって、それが如何に平凡で、むしろ「どうでもいい」といった類のことであるということが、否が応でも白日の下に晒されてしまう。事実として僕がカリンにしたことと言えば、僕の個人的な所用を済ませる間、カリンの注意を僕から逸らしておくために夕刻のテレビアニメを見せた、というだけのことなのだ。当時、僕は何度も言うように中学二年生。まさに思春期の真っ盛りであり、その日に僕は友達からあまり良からぬゲームソフトを借りる約束を取り付けていたのだが、もし、僕がゲームソフトを友達から受け取る現場をカリンに見られてしまったら、きっとカリンにいつものように「やって見せてくれ」とせがまれるだろうと思い、カリンをテレビの前に座らせたのだった。そこから先のカリンの人生がどのように展開していったのか、ということをごく簡潔に説明しよう。なに、難しいことは何もない。ただ単純に、その時に見たテレビアニメにカリンが熱中し、その後、そのアニメの主題歌を歌っているアイドルに興味を持ち、自分もそうなりたいと憧れ、そして実際にそうなってしまっただけのことなのだ。こうして書くと、より僕が事を大袈裟に語っていたということが明白になるだろう。しかし、当事者の僕としては、主観的にこの物語を語ることのできる僕としては、決して小さい事とは言えない。僕がそのカリンが熱中したテレビアニメを最初に見せた人間なのだ。もしかしたら、いずれ、カリンは自然と自らのきっかけでそのテレビアニメを見たかもしれない。そうだったなら、僕の責任なんてものは全くないだろう。または、たとえカリンがアニメに熱中し、アイドルに興味を持ったところで、カリンの両親が自分の娘がアイドルになることを承諾しなければ、いま現在のアイドルとしてのカリンは存在しなかったかもしれない。そんなことが、つまり、カリンがアイドルにならなかったという現実が仮にあったとして、それが彼女にとって良かったかどうかということは、当然ながら、カリンがアイドルになって良かったか、ということと同じくらい判断できぬことではある。ただ、僕としてはカリンの将来を決めるその一端を担っているという責任からどうしても逃れることはできなかった。なぜ僕は自意識過剰な人間のように、客観的に見ればこんなに些細な出来事にかこつけて、カリンの人生に対して責任を一端を担っているような気になっているのか、それは自分でもよくわからない。しかし、とにかく僕は何年間も、カリンがアイドルの道に進んだということについて、独り思考を重ねてきたことは事実である。恥ずかしながら打ち明けるが、最初の僕に対するカリンへの興味はほとんど恋心のようなものだったと今は思っている。ただ、大人になってしまえば、歳の差が五歳なんてものは特に注意を払うべき要因ではないだろうが、中学生や小学生にとっての五歳という歳の開きはかなり大きいものである。そのおかげで、自然と僕はカリンに対する感情が恋ではないのだと錯覚していたような気がするのである。全く以ってそれは懸命な無意識的判断であったと、僕は自分を称賛したい。しかし、それが恋心ではないと決めつけていただけであって、いま思い返せばそれは恋心に近い代物であったわけだから、当然僕は無意識の中で、カリンのことについて色々と考えていた訳だ。カリンがどんなことが好きであるのか、と考えた日もあっただろうし、ただカリンの笑顔を見たい、と考えた日もあっただろう。始まりはそんなものだっただろう。平凡で、幼稚で、無垢なる単純さに従順な感情だった。しかし、いつからかその感情は次第に僕の愚かな脳の迷路の中をひたすらに彷徨い、まるで雪原を転がる雪玉のように徐々に美しいものも汚らしいものも巻き込んで大きくなっていった。その結果がこれである。僕のしたことなんて些細なことだ。そんなこともちろんわかっている。何度もそう自分に言い聞かせてきた。しかし……そう、「しかし」という言葉も同時に何度呟いたことか。僕はたった二週間でもその夏休み、カリンの近くにいて、カリンがアイドルになりたいと願い始める最初のプロセスを目の当たりにしたのだ。それについて、僕がカリンの後押しを積極的に買って出たわけではないけれど、かといって、カリンを別の道に案内していくということをしたわけでもない。僕は時の流れに身を任せ、カリンの中の雪玉もまた僕の雪玉のように大きくなっていく様子を俯瞰していた。現実的に考えて僕よりも責任の重い人間も幾人か存在するだろうし、おそらくカリンの中での僕という存在は全く以っての無価値であろう。無論、僕がここで自ら首を吊って死ぬことになれば、然るべき葬儀の後にカリンは「知人の自殺」というなんとも世間的には暗い問題について僅かながらでも頭を悩まさねばならぬだろうが。とにかく、僕はカリンにとっていかに自分が無価値であるか、ということは頭では理解しているものの、僕のもっと深い所ではそれを認められずにいる。責任から逃れたいという欲求の反対側で、実は、カリンの人生に対して関わりを持ちたいと考えているのだと思う。だからこそ、僕はこの文章を書き始めたのかもしれない。カリンを著わすその一方で、僕は自分という存在をカリンに繋ぎ止めておきたいのかもしれない。カリンの小さな体には収まりきらないスポットライトの光を、お零れとして貰い受け、全くくだらぬ自分をほんの少しでも明るみに出したいのかもしれない。カーテン一つ開けられない男が、である。

 さて、色々と恥ずかしげもなく心境の吐露というものをやってみたものの、これが自分の本来やりたかった事なのか、という自問を設けてみると、身体の中のあらゆる細胞から「そうではない」という答が返ってくる。僕が本来やりたかったこととは何か。ある意味ではそれはあらゆること(それこそ人の生きる目的などまで)に対して最も核心をつく問いになりうるであろうが、ここでは出来合いの答を返すだけに留めようと思う。ここで、また深い思考を重ねることは過ちに繋がるであろう。なので、僕は毅然として答えよう。僕がやりたかったのは、カリンの半生を著わすことである。冬の終わりの夜明けの数分前、夜空に佇む白い月のように、美しくもどこまでも鋭利なカリンの物語を語ることである。ただ単純にそれを為すこと以上に今の僕にとって重要なことは無いのだ、ということが、これだけの回り道をしてようやく、感覚的にではあるがわかってきた気がする。しかし、前もって断っておかなければならないが、僕は何もカリンの全てを知っている訳ではないし、むしろカリンがアイドルとなった今、僕よりもカリンのことをよく知っているファンもたくさんいるだろう。もっとも、カリンが昔住んでいた家の住所というような、どうでも良い情報について知っている人間はそうはいないだろうが。しかし、そんなことはどうでも良い。情報量こそが最上というわけではなかろう。情報はヒントである。優位性を示すものでも、ましてや真実でもない。僕には時間がある。といっても、時間こそ大事なもの、というわけでもないのだから、いちいち引き合いに出して自慢するものでもない。しかし、僕にはこの間延びした時間を可能な限りひとまとめにして、何かの鉱石の結晶のように、手で触れるもの、舌で舐めてみることができるもの、そういうものにしてみたいのだ。無形から有形へ。僕が何の意味があるかも分からず積み重ねてきた、少々重くなりすぎて、もうどうしようもなくなってしまったこの時間を、何とかして意味のあるものに変えたい。もしそれができなければ、おそらく僕は今までの僕という存在の価値を放棄してしまうだろう。そうはなりたくない。だからこそ、僕はカリンの力を借りようと思う。カリンの美しい物語を語ることこそが、今までの僕の時間に「マイナス1」を掛けることになるのだから。