霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.12

適応障害と診断されて15日目(10月29日)の昼前です。

昨日は遅くまでお酒を飲んでしまったせいか、朝の気分が非常に優れなく(ただの二日酔い? むしろそうであってほしい…)、ずっと布団の中でウダウダしてしまいました。昨日までは割に順調だったのに、「3マス戻る」くらいの気分です。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回記事では、会社への顔出し2日目の寮から出るところまでを書いたので、今回は実際に会社に行ってからのことを書きます。

 

 

1.適応障害と診断されて14日目~会社に2時間~

昨日の昼ですが、結局、13時くらいになるまで、私は一歩も動くことができませんでした。前回のブログを書いてからすぐにアイロンがけにかかろうとしたのですが、どうしても重い腰があがりません。朝ちゃんと起きて、シャワーを浴びて、食堂で朝ご飯を食べ、ブログの記事も書いて、なかなか活動的で順調な朝の時間を過ごしたのに、ブログを書き終えた途端、全てのやる気が吹っ飛んでしまいました。健康な方からしたら普通の優雅な午前中にしか過ぎないことも、私にはそれなりの負荷がかかっていたのでしょうか。眠気があるものの、午後への不安感で眠ることはできません。

しかしながら、13時を回ったところでようやく気持ちが整ってきて、寮を出る準備に取り掛かります。ワイシャツにアイロンをかけ、私の症状を伝えるためのメールの下書きをして、それからスーツに着替え、寮を出ます。

職場までの道程にもだいぶ慣れてきました。もちろん負荷がないわけではないですが、おかしくなる前くらいの負荷には戻って来た感じがあります。

出社して軽く挨拶を済ませると、「今ね、上司は会議中なんだよね」と先輩が声をかけてくれます。昨日のお礼も言って、とりあえず用意してきた症状の報告メールを微修正し、送ります。直接話せば良いとも思いましたが、やはり周りの人の手を止めてまで、スピーチのようなことをするだけの勇気はまだ私にはありません。ただ、送ってしまうと何か免罪符を手に入れたようなずるい安心感がありました。「周りの人に変に気を使わせたくないから」という名目でのメールでしたが、卑怯な私にとっては「こんなに酷いんです。だから気を使ってくださいね」という免罪符でしかなかったのかと思うと、少し自分が情けなくなりました。でも、今はその免罪符が必要でした。前も書いたかもしれませんが、andymoriの「クレイジークレイマー」の「病名でもついたら、いじめられないし、もう少しは楽なのかな」という歌詞を思い出します。

それからは溜まっていたメールの整理を少ししたり、前の職場やお世話になった先輩にも現状報告のメールを送りました。そのほか、業務関する資料を見たりして、計2時間ほど過ごしましたが、やはりそのようなことに集中しだすと、自然と動悸が早くなったり、頭がくらくらしてくるような感覚があります。その度に目を瞑り、深呼吸をして気持ちを整え、落ち着いて来るとまた自分にできることからやり直していきます。途中、擦り減って来たなぁと感じたらトイレに5分間避難しました。2時間の間に2回ばかりトイレで休憩を取りましたね。でも、そのようにして、とりあえず昨日よりも1時間ほど長く会社にいることができました。1歩1歩成長です。

 

2.適応障害と診断されて14日目・続~実習同期とサシ飲み~

会社を出た後は、18時に実習中の同期と駅前で待ち合わせて、サシ飲みへ。久しぶりに色々と会社について話しながら、近況報告をしました。相手の知り合いも私のような状況になったことがあったらしく、私の状況をよく理解してくれました。また、彼自身やはり転勤後になかなか業務や周囲の環境が厳しかったらしく、手が震えたり汗が出たりということを経験したそうです。「人間ってのはどこでポキって折れるかわかんないからな。誰が悪いとかじゃないく、ただの運よ」というような言葉をかけてくれました。

私の環境に対しても同情してくれたり、無責任な愚痴を言い合ったりしながら、それでも「もっと会社として良い環境を作って行きたいよなぁ」という話を何時間にも渡って話し合いました。実習生時代に同じ寮の風呂に入って、延々と偉そうなことを語り合ったことを思い出します。「人を悲しませてはいけない」、「自尊心を傷つめにどうしたらいいか」そんなことをだらだらと話していました。こんな底辺みたいな私があぁだこうだ言えることではないですが、それでもその同期は本当に優秀ですし、将来偉くなって素敵な会社を作ってくれるだろうな、と改めて思いました。その会社の中に私がいるかどうかはまだちょっとよくわかりませんが、でも、私がいるいないに関わらず、同期にはそんな未来を切り開いて欲しいと純粋に思います。

気が付けばもう22時。肩を叩き合って、別方向の電車に乗ります。

スマホを見ると、昼間に私が送ったメールを読んでくれた同僚(入社年次的には後輩ですが、職場では先輩)から励ましと「無理しないでください」というメッセージが。あんなに長いメールを読んでくれただけでも嬉しいのに、わざわざメッセージをくれたというのが嬉しかったです。

寮に戻り、ちょっとだけ両親と電話。「声が明るくなったね」と言われ、「酔っ払ってるから」と答えます。まだ酔いが回っている状態でしたが、薬を飲んで、五十肩のシップを貼り忘れることも無く、眠りにつきます。明日もまた1歩前進しようと思いながら…

 

3.適応障害と診断されて15日目~3マス戻る~

今回の記事の1章の途中辺りからは、診断15日目の夜7時あたりに書いています。

結論から言うと、今日は私は1歩も寮から出ることができませんでした。普段私は卓上のスピーカーで音楽を聴いているのですが、今は部屋の中でイヤホンをしながらこの文章をタイプしています。外の騒音も気になりますし、部屋の「空間」を感じることが何となく怖いのです。「空間」に対する恐怖というのはなかなかイメージがつかないと思いますが、例えば夜中にクローゼットや押し入れの隙間が少しだけ開いていると「怖い」と感じたりしませんか? 多分これは自分から見えない場所=クローゼットの中とか押し入れの中に何か良くないものが潜んでいるんじゃないかと感じるからだと思います。きちんと扉や襖を閉めれば、自分がいる側とその「見えない空間」の間に境界線ができ、安心できるようになります。これと同じことがいま私の周りのありとあらゆる空間で起こっているようです。

端的に言えば、あらゆる音がこの狭い寮の部屋で反響する「感じ」を感じたくないのです。それは外から入って来る騒音もそうですし、自分の足音、キーボードを叩く音、卓上スピーカーからの音。だから、とりあえずイヤホンをすることで自分の聴覚が触れる世界をとにかく狭く縮めることで、とても安心します。1人で広い体育館に取り残されているような不安感が少しくらいは軽減できている気がします。

昼間、今回の記事を書き始めたものの、すぐに書けなくなり、ベッドに潜り込みました。電気の光も煩わしい。だから、今日はもう電気を消して、カーテンも閉めて(騒音対策でいつも閉まっている)、イヤホンで耳を塞いで、うつらうつらとする意識を抱え込みながら、ずっと眠っていました。

 

色々と脈絡なく言葉を並べてしまいましたが、もう一度今日と言う日を頭から書いていきたいと思います。

 

まず昨日は夜の10時あたりまでお酒を飲んでいました。薬のこともあるし控えようと思いましたが、せっかくの気の置けない同期とのサシ飲みですから、「今日という日を大切にしたい!」という想いから少し飲み過ぎてしまったのですね。まぁ、これはただの言い訳ですけれど。

アルコールは薬の効果を増強させるとありましたが、お医者様からは「酔いが醒めてから寝る前に服用すれば大丈夫ですよ」と言われていたので、一昨日なんかは職場で飲みに連れて行ってもらった後で、ちゃんと酔いを覚ましてから服用して特に問題はありませんでした。むしろ、これまで2回薬を飲まないでみた日があったのですが、やはり翌日は適応障害の症状に苦しめられていたので、多少酔っ払っていてもきちんと薬は飲んだ方が良いだろうと考えていました。というわけで、酔っ払いながらも薬を飲んで就寝。

朝、アラームの音で目が覚めます。いつもの倦怠感に少しだけ二日酔いっぽい気分の悪さもあります。が、明らかに何かがおかしい。脳ミソに汚物を放り込んでミキサーをかけられたような不快感があります。何よりもおかしいのは部屋の音の騒音ではなく、何か出所不明の小さく低い「ドドドドドドド」という音に酷く精神を掻き乱されていることです。しばらくその出所不明の低音に悩まされながら、布団に包まっていましたが、ついに限界を迎え、部屋の中を探し回ります。明らかに部屋の中で発生している音です。そして、この部屋の中でそんな音を出せそうなものはもう1つしかありません。そう、安物の冷蔵庫です。地方に住んでいたときに寮から出ていく先輩から貰った壊れかけの冷蔵庫。その裏から今まで気になったことのなかった「ドドドドドドド」という音がしている気がします。すぐにコンセントから抜きます。しばらくその「ドドドドドド」という音が耳に残ったままでしたが、ベッドの上に腰をかけて気を落ち着けていると、次第にその音が消えていきます。ようやくすっきりとして、またベッドに戻ります。イヤホンをして再び眠りにつきます。今日はまだ何もしたくない、無理!

そして、ようやくベッドから起き出して、この記事の出だしの部分を書き始めました。しかし、15分くらい書いたところで、もう気力が消え失せてしまいます。朝食にパンとミカンを食べ、シャワーを浴び、歯を磨きます。今日の午後も会社に顔を出そうと思いますが、気分は明らかに正常じゃない。でも、調子のよかった昨日だって、一昨日だって、朝起きたばかりは「今日は会社に行けないんじゃないか」と思っていましたから、今日は今日で「まだ体が起きていないんだ」と思っていました。

しかし、どれだけ待ってみても、精神は安定してきません。それどころかあの嫌な不安感がじわじわと背中を這い上がってきます。耳元で不吉な息を吹きかけてきます。

そして、とりあえず私は母に電話です(困ったときはもう恥ずかしがらずそうするように決めています)。「今日は会社行けないかもしれん。まだ、わからんけど。30分後には気持ちが変わってるかもしれんけど」ととりあえずそんな感じの事だけ伝えて、「まぁ、無理なら休みなさい」という声をかけてもらいます。その一言を私は何よりも待っていたみたいです。母との電話が終わった後、気持ちを入れ替えるために、もう一度ベッドに入ってみます。強烈な眠気。すぐに眠りが訪れます。

が、20分ほどで目が覚めます。そして、「あぁ、今日はもうダメだ」となります。それから昼飯を食べたりしますが、もうアウトな症状が出始めています。会社を休む前の休日とほとんど全く一緒です。常時不安を感じ、あらゆる音が気になり、死ぬほど眠いのに寝てもすぐに起きてしまう、そして体温調節が狂っている感じ。電灯の刺激すら耐えられません。暖房と冷房を幾度となく切替え、眠りと覚醒の間を行ったり来たり。

会社の上司には「今日は神経が過敏になっているので職場には伺えません」という旨のメールを入れ、またその適応障害の症状をやり過ごすだけの1日が始まります。「外に出て見たら」という母のアドバイスも完全無視です。もうありとあらゆる世界から逃げ隠れたい、それだけです。

どうしてこういう状況になったのか、その原因はまだ解明できていません。先週末からこちらに治療の拠点を移し、確かにそこから適応障害の症状は少し強く出るようにはなっていました。土曜に東京に戻り、同期と飲み会。翌日日曜日、二日酔いの中で新しい心療内科を受診し、同期との飲み会をドタキャン。月曜日に職場の目の前まで行く練習をして、初めてのハロショ。火曜日に1時間だけ会社に顔を出して休んでいることの謝罪からの職場の人たちとの飲み会。水曜日に2時間だけ会社に顔を出して、日曜にドタキャンした同期とのサシ飲み。こう書き並べて見ると、適応障害の人間にこなすにはなかなかハードなスケジュールだったかもしれません。1日のだいたいの時間を部屋でゴロゴロしながら過ごしているという後ろめたさがあったので、「まだイケるっしょ」と思っていましたが、意外と体にはキテいたのかもしれないです。あるいは単純に昨日のお酒と薬の同時服用のせいか。これだけの要因があると「どれか1つ」とは絞れませんので、とりあえず理由は特定できませんが「今日は休みが必要だった」というところで片付けたいと思います。

 

というわけで、今はそんな風にただ空襲を恐れ、防空壕に隠れ続けるような1日の夜にこの記事をしたためている次第です。これまで順調に1日ずつ快方に向かっていただけに、非常に残念な1日となってしまいました。3マス戻る、です。

でも、焦ってはいけないということをむしろ私は今回の件で学んでいます。嵐が過ぎ去るのをただ待ちましょう。長い嵐にならなければいいですが。洞窟から出たときに、住んでいた場所が全部吹き飛んでいたら、そのときは全てを忘れて、好きなところに行きましょう。

明日はまた今日と違う日がやってきます。ケイ酸塩と金属酸化物からなる球体の自転にどれだけの効果があるのかはわかりませんが、私たちの人間らしい認識能力がそれを好意的に判断することに期待するしかありませんね。

そんなちょっと投げやりになってしまった診断15日目です。お疲れっした。

 

次回

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