霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.11

適応障害と診断されて14日目(10月28日)の朝です。昨日は何とか職場に1時間程度顔を出し、その後、上司たちに飲みに連れて行ってもらいました。1つの大きな壁を乗り越えたような手応えがあります。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

 

1.適応障害と診断されて13日目夜~明日やること~

昨日の分の記事を書き終わった後、自分の中にある不完全燃焼感について考えていました。つまり、私の状況を理解してもらってはいない、ということです。

前回記事の繰り返しになりますが、私はこのブログで何度も書いてきたように、焦りから不安感や緊張感が取れなくなり、最終的には上手く眠れなくなり、心と体のバランスを欠きました。心療内科にかかり「適応障害」と診断されました。様々な人からのアドバイス、自分での反省を経て、まずは自分のやり方に無理があったことや、無意識のうちにかかり過ぎていた負荷に気付くことができていなかったことに思い至りました。ですから、ある程度初期の段階で自分の中での整理はできていたと思います。ただ、それを確信にまで持っていくには、様々な人の意見や励まし、特に最終的には職場の人から「無理しなくていい」「焦らなくていい」と言われることは確かに必要だったと思います。

ですが、私が恐れているのは、「よかった、よかった。考えを改めてくれたのね。ま、これからも無理せず頑張っていきましょーや」という流れになってしまうことです。確かに、「これからも無理せず頑張っていきましょーや」ということに違いはないのですが、私はまだ完治していないのです。目には見えませんが、まだギプスをはめていますし、骨はくっついていないのです。

不安や緊張を感じる部分が敏感になり、それを抑制してバランスを取る前頭葉は弱っています。現在、薬によって不安や緊張を感じる部分を麻痺させ、少しずつ前頭葉の力が戻ってきているような状況です。しかし、まだやはり人混みなどのありきたりなストレス、業務の緊張感には過敏に体が反応してしまいます。薬では抑えきれない部分、そしてそれをフォローするにはまだ力の足りない前頭葉。日に日に回復してきている感じもありますし、業務上の負荷を軽減させるための思考パターンなども準備はできています。しかし、やはり完治していないという不安感はどうしても付き纏い、そしてそれはおそらく事実なのです。何よりも私は再発を恐れているのです。もう一度振出しに戻ると考えただけでぞっとします。

そうならないためにも、私はきちんとこうなってしまった経緯や、自分の中で整理がついていること、自分の体がまだ回復しきっていないことなどを理解してもらう必要があると感じました。特に、症状を抑え込むための薬の副作用にまだ体が慣れ切っていない状況です。最初の頃よりだいぶ良くなっていますが、倦怠感や眠気、ぼーっとする感じはまだ抜けきっていません。それらのことをある程度把握し、「配慮してくださいね!」と脅すまではいかなくとも、ただ知っておいて欲しいのです。

もちろん知ってもらうことの第1の理由は、配慮してもらうことです。配慮無しではまだ今の私はやっていけません。ゆっくり頑張っていこうという方針を実現させるためにも、配慮してもらうことが必要なのです。第2の理由は、自分でもずるいと思いますが、いつでも逃げ出せる口実を作るためです。でも、そうやって自分の体がまだ健康ではないという逃げ道があるからこそ、無理せず回復していこうと思える部分もあるのです。心のバッファを作るために、できればそれを許していただきたいのです…申し訳ないですが。そして、第3の理由はこれも卑怯ですが、変な憶測や気まずさをなくしたいということです。よくよく考えて見れば、私の周りにも私と同じような症状になった人がこれまで何人かいたように思います。でも、どういう原理でどういう状態になって、どういう治療を進めているのか、それが見えてこないため、変な気の使い方をしてしまったり、微妙な気まずさが流れたりする場面もありました。「骨折して、骨がくっつくまでギプスで固定して負荷がかからないようにしている。そして、当然そこには痛みもある」というような、ある程度わかりやすい原理で私はいま苦しんでいるのです。前頭葉だとか不安障害だとか、抑制させる薬だとか、副作用だとか、そういう面倒な言葉が出て来るだけで、基本的な構造は一緒なのですよ。そのことを私は伝えたいのです。

というわけで、私はそのことを職場にきちんと伝えようと考えています。ただ、昨日の感じだと「それでは〇〇くん、とりあえずの仮復帰おめでとう。何か言いたいことはある?」なんていう振りの後で、5分程度のスピーチをさせてもらえるような状況ではありません。当然、そんなこと普通ならばさせるべきではないですし、しれっと何となく復帰していく方が、まぁ一般的なのでしょう。私もそれが正しいと思います。でも、私はやっぱり知っておいて欲しいので、これも少し卑怯ですが、メールでそのようなことを伝えたいと思います。

そんなことを昨日の夜、色々と考えながら、両親と電話で相談したりしていました。この記事が一段落したら、そのメールの作成に入ろうと思います。これまで何度も説明して来てることですから、もう手慣れたもんですしね。

そんなこんなで、昨日は少し早めにベッドに入りました。アラームは6時半。ここ最近では1番の早起き…さて、できるかな?

 

2.適応障害と診断されて14日目朝~一歩ずつ~

6時半のアラームが鳴る3分前に目が覚めます。嫌な体の強張りがあります。というのも、私は緊張していると本当に不思議なことにアラームの直前に目が覚める体質なのです。自分でも不思議に思いますが(ただのマーフィーの法則かもしれません)。

 

また夢日記ですが、起きる直前まで不思議な夢を見ていました。見たこともないホテルで自分の部屋を探して私は彷徨っています。なかなか豪華なホテルですが、とても入り組んでいて、あっちの階段を登ったら2階上がって、こっちの階段を降りたら3階下がっているみたいな感じです。先週末に実家でハリーポッターを観たせいでしょうか。しばらく彷徨って、私は仕方なく女性のホテルマンに自分の部屋を訪ねます。彼女はにっこりと笑って、私を案内してくれました。何度も通った廊下の前。しかし、そこで彼女が大きな扉を開けると、その奥には私の部屋へと続く廊下が現れます。「わかりにくいよ」と思いながらも、彼女に礼を言って、「この扉は開けて良かったんだな」と思いながら私は自分の部屋に戻ります。

それから場面が変わり、そのホテルのとある廊下で眼鏡をかけた小柄なアメリカ人(白人)にコーヒーを持ってきてくれ、と頼まれます。なんで私が…と思いながらも、まぁ、仕方ないしな。彼はアメリカから来たお客だもの。と、コーヒーを作りに給湯室のようなところへと向かいます。が、給湯室と言ってイメージするような無味簡素なところではありません。とにかく瀟洒で金細工や控え目なシャンデリアなどがある空間です。そこで、私は黒地に臙脂の模様が入った着物を纏い、白粉を塗った美しい女性に出会います。椎名林檎さんをさらに華奢にしたみたいな感じの女性です。声は何故か今思うと、綾波レイなどの声優で有名な林原めぐみさんでしたね。その彼女に「私がコーヒーを淹れてあげる」と言われ彼女の手際を横で眺めます。彼女は「バグカレーっていうのよ。一見カレーに見えるけど、飲めば美味しいコーヒーの味がするわ」と私に教えてくれます。金色の鍋の底には確かにコーヒーの色をした液体が薄く溜まっています。周りにはタイ料理などで見る名前も知らない種々のスパイス(何らかの枝や何らかの実)、それから何かの骨肉がぐつぐつと煮込まれています。「美味しいコーヒーになるのよ」と彼女は言いながら、一滴ずつコーヒーカップにそのスープを移していきます。とても時間がかかっているため、あのアメリカ人は怒っているかもな、と思いながらも彼女との会話や優雅な所作を眺めているのが楽しくて、つい時間なんて忘れてしまいます。

 

と、そんな脈絡を欠いた夢から唐突に目が覚めます。カーテンの隙間から零れる朝陽に目を背け、時計を見ると6時27分。アラームの前だ。体が強張っているので、アラームをキャンセルし、念のため30分後にセットし直した後、また布団を被り、ゆっくりと体を目覚めさせていきます。

やはり朝の憂鬱感は強く、なかなか起き上がる気にならないものの、20分くらいで上半身を起こすことができるようになります。それからエミネムの「Lose Yourself」がいかに韻を踏んでいるかという動画を見て、さらにちょっとした短い動画を観た後、ようやく立ち上がることができました。ここでもう7時半。それでも日に日に薬の副作用は軽くなっている気がします。もはや健康だった時の「あぁ、起きたくねぇ。もっと寝ててぇ。会社休みてぇ」の感じにかなり近づいているのではないかと思ってしまうほどです。

それからちょっぴりギターを弾いたり、ネットサーフィンをしたりした後、シャワーを浴びに行きました。昨日や一昨日はあれだけ苦労した「シャワーを浴びる」という行動にこれだけスムーズに移れるようになったとは。寝起きから結局1時間以上ダラダラしてしまったという罪悪感がありましたが、よくよく考えれば、ちょっとずつは成長しているのです。まるで赤ん坊がちょっとずつできることが増えていくのを愛らしく思う親の気持ちだな、なんてことを思いながらシャワーを浴び終わります。

そして、あれだけ恐怖していた食堂での朝食。ピークの時間から少し過ぎた後を狙って行ったわけですが、ちゃんと完食もできましたし、これも1つの進歩。でも、やっぱりちょっとドキドキがありますね。息苦しさが全く消えたというわけではないのです。5階の自室まで階段で戻ります。うん、体もそこまで重くはない。

そんなこんなでこの記事を書き始めて、ようやく時間が現在にまで追いついてきました。

そして、記事を書いているうちに母からメッセージが。今のあなたに聴いて欲しい、ということでオフコースの「君住む待ちへ」を聴きます。公式の動画でないようなのでリンクは貼りませんが、YouTubeでMVを観ることができました。少し泣いてしまいそうになりながら、この記事を書くことに集中しながらそれをやり過ごします。

 

さて。これからワイシャツにアイロンをかけたり、職場に私の現状を説明するためのメールを作りますか。

 

ちなみに、今日も午後から会社に行く予定です。今回の有休の処理や、個人課題に関する面談が延期になってしまったことの謝罪メールを送るだけの業務です。現在朝の9時半。まだまだ気持ちは低く沈んでいるため、本当に午後に身体が動くのか心配ですが、きっと大丈夫。昨日も大丈夫だったんだから。そう言い聞かせつつ、「でも、無理だったら休んでええんやで」と例の関西人をもう一度自分の中に召喚しましょう。

会社が終わったら、会社の実習時代の同期と飲みに行く予定です。日曜日はドタキャンしてしまったから謝らないとね。

 

次回

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