霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.10

適応障害と診断されて13日目(10月27日)の夜にこの記事を書いています。

前回は職場の目の前まで行くまでの苦悩と、何とか行くことができたこと、そして初めてのハロショについて書きました。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

 

1.午前中の活動内容

朝8時にアラームをセットし起床。薬の副作用に慣れてきたのか、比較的体は重くありません。しかし、あまり無理をしたくないので、30~40分はベッドの中でウダウダ。ゆっくり起き上がり、先日のクラシコバルセロナvsレアル・マドリード)の解説動画を見て、とりあえず朝の時間を過ごします。お腹はいっぱいで食欲は湧いてきません。

今日は昼前に会社に電話をかけて、ちょっとした書類の記入と提出をする予定でしたが、なかなか電話をかける勇気が出てきません。まぁ、午前中にはきっと寮から出られないし、午後に行くとして、あまり早くに「行く」と宣言してもそのプレッシャーで押し潰されそうだし…そんなことを考えながら、とりあえずブログの記事を書くことにします。

細かい分析をしたりする気にはなれなかったので、とりあえず自分が好きなアイドル楽曲でもまとめて記録として残そうという主旨の記事です。書き始めると、あっという間に時間は過ぎ去り、いつの間にか11時に。途中、昨日の夜に買って来たパンとミカンを朝ご飯代わりに食べましたが、結局昼飯も同じ内容になってしまいました。うーん、不摂生。

心臓にかかる負荷はそれなりにありましたが、比較的落ち着いた状態で会社に電話。久しぶりに上司と電話をしましたが、上司は酷く優しい声音で対応してくれました。「ゆっくり来りゃいい」とのこと。とりあえず、ああだこうだ面倒なことを言われなかったので一安心です。

さて、何時に行こうかな…14時過ぎに着けばいいよな。用事は1時間ちょいもすれば片付くし、そうすれば16時ちょっと過ぎには帰られるし。1番精神の安定している時間だ。帰宅ラッシュも避けられる。

そんなことを考えながらまたウダウダと時間を過ごします。ブログの記事を書き進めているとあっという間に時間が過ぎていきます。あれやこれやと気を揉む必要もないので良いと言えば良いのですが、いざ寮を出なければいけない時間が近づいて来ると、なかなか重い腰が上がりません。誰かに話を聞いてもらいたいなぁ、と思いながらも、今日は母もハローワークに行ったりで忙しいとのこと。あぁ、不安だ。なんだか具合も悪くなってきたぞ…そんなことを思いながら、何とかスーツに着替えます。あぁ、嫌だ、嫌だ。そう思いながら、必要な書類等を鞄に詰め、靴を履きます。今すぐここから逃げ出したい欲望に駆られつつ、寮を出ます。あ、捨てようと思ってたゴミ、部屋に忘れてきた…まぁ、いっか。

そんなこんなでまずは最寄り駅へと向かいます。

 

2.いざ職場へ!

前日の事前訓練の成果か、職場までは割と平常心で向かうことができました。やっぱり昨日のうちに予行演習しておいてよかったなぁ。あとは図太く行こう。もう、ここまで来たら引き下がれない。

職場に入ると、上司や同僚の視線。頭を下げ、まずは上司に「ご迷惑をおかけしています」と謝罪。思っているよりも全然声が出ない。息が苦しいです。でも、上司は「おぉ、よく来たな。まぁ、座って適当にやってけや」と優しい声をかけてくれます。近くにいた同僚や1番指導してくれていた同僚には謝罪をすることができましたが、遠くの席の人たちも忙しそうだったので、わざわざ謝罪に行くような感じでもありません。上司は慣れたような対応でしたが、やはり同僚はどう接していいかわからないといった感じです。でも、不快感や敵意を感じなかったので、それだけが救いでした。

とりあえず、身の回りの人に挨拶を済ませた後、ずっと私が休みをもらっていた間、様々な窓口を引き受けてくれた、さらに上の上司にも挨拶に行きます。忙しいのか割に素っ気ない感じ。まぁ、逆に私がこういう状態であることを目立たせないためのことかもしれませんが。

自分の席に座って、書類の記入をしていると、体に力が入り、汗が出てきます。わずかに手先が痺れ、震えるような感じもありますが、それでもパニックになるほどじゃないです。とりあえず目の前の書類に集中すること。現在の自分の業務やそれを踏まえた上での将来のキャリアについて、人事に報告するための資料であるため、それなりに書く分量はあります。でも、こういったことを書くのは私の得意分野です(だって、こうやってブログを書くことと大差ないですからね)。それもあって思ったよりも、仕事に集中して、周囲の世界を忘却することができました。職場の電話が鳴ります。でも、今日は電話は取らないと決めています。周りの人には悪いと思いながらも、とにかく電話を取りませんでした。まだ、私はそんな業務を平然とできるほど落ち着いてはいないです。

書類を書いていると、上司に呼ばれます。

 

上司:「焦んなくていいからな」

私 :「はい。ありがとうございます」

上司:「少しは落ち着いたのか」

私 :「はい。薬を飲んでいるので。ただ、副作用が強くて、午前中は厳しいです」

    ※ちょっとだけ、話を盛って報告しました。

上司:「眠くなったりするんだろ。わかってる。まだ全然休めるし、あんま無理すんな。焦んなくていいから」

私 :「はい。ありがとうございます」

上司:「勤務の関係だけど、休んでた分はまた今度来たときにでも、システムに入力していてな」

私 :「はい。ご迷惑をおかけしてます」

上司:「ところでお酒は飲めるか?」

私 :「え、あ、はい。少しくらいなら大丈夫だけど、とは医者に言われてます」

上司:「今日いけるか? おれも仕事疲れちゃったよ」

私 :「え、あ、は、い、だ、い、じょ、う、ぶ、で、す」

 

まさかの提案。ちょっと偵察…くらいの軽い気持ちで敵のボスが待ち受ける城に入ったところで、「ここではセーブできません」、「ここからは戻れません」というアラートが画面に出てきたような感覚。

まじかよ…

 

3.急な飲み会

そう言えば、転勤して来てからちゃんと懇親会できてなかったしな。そんなことを言われましたが、「今じゃねぇだろ!!」と頭の中がパニックになります。とりあえず書類を書き終えると、終業時間となったので、上司と同僚3人と私で近くの居酒屋へ。

でも、あの恐ろしかった上司がとても気を使ってくれていることはビシビシと伝わってきます。厳しい先輩も優しい声で話しかけてくれます。他愛ない会話。上司の苦労話や、面白かった仕事の話を聞いたり、最近の職場の様子を話したり、そんなことをしながら時間は過ぎていきます。

上司や先輩から「本当に焦んなくていいからな」「ゆっくり1個ずつできるようになればいいの」「誰だって最初は絶対にわかんないし、皆も意外と適当にやってるのよ」「持ちつ持たれつだからさ」「仕事はまぁ所詮仕事だから」「仲間として一緒にちょっとずつやっていくんだ」というような言葉をかけてもらう時間もあり…まぁ、結果から言えば、行って良かったです。

まぁ、それらの言葉に完全に甘えてはいけないとも思いますが、けれども何というか気にかけてくれていることや、私を否定するつもりがない(たとえそれが上辺だけのものだったとしても)ということを感じられただけでも、不安が大きく低減されました。

ただ、心残りとしては、なかなか自分の状態について理解してもらうところまでは話せなかったということです。私自身、この休養期間に色々と考え、仕事や周囲の人との向き合い方を考え直してきました。ですから、その辺の割り切りというのはある程度できているつもりですし、精神論的な励ましも非常にありがたいですが、私が1番望んでいるのは、私の状況を理解してもらうということです。

つまり、前頭葉イカレて、不安が抑え込めなくなっているのを、薬で緩和しているけど、その薬の副作用がキツいということです。それから、ストレスに敏感になっているので、普段ならそこまで気にならないことに異様な苦しみを感じるような状態であるということです。これらを正しく理解してもらわないことには、「あぁ、意外と前向きそうだし、もう大丈夫だな」なんて思われてしまいそうです。たしかに、考え方は変わりましたし、基本的には前向きに振舞いもします。でも、体が追い付かないのだということをぜひとも知ってほしかったです。それらしきことはちらっと話せましたが、なかなかそういう私の体の状態に関する話をすることができないまま、その会は終了してしまいました。それでも、たまたま帰りの電車が一緒だった先輩には、職場へ来る電車で眩暈がする状態だったこと、薬の副作用が強いことをざっと伝えることができました。本当はもっと正しく知ってほしかったですが。

とは言え、仮復帰初日にしては、なかなかの成果でした。少なくとも、体調さえ良ければ、明日もまた午後から会社に行こうという気にはなっています。

 

4.今、伝えたいこと

この記事を読んでくれている人がいれば、ということですが、特に私と同じような状況の人に伝えておきたいことが1つあります。

私の場合は何度も言うように、早い段階で逃げ、傷を最小限に留めることができました。また、私がこうなってしまう直前に母は仕事を退職しており、私のサポートを全力でしてくれるというラッキーがありました。そして、ちょうど通常業務には関係ない会社の研修があり、前段を踏めてもいます。前の職場の仲間や、東京近くに住んでいる同期がいて、励ましてくれる環境がありました。会社とのつなぎ役になってくれた上司は前の職場でも私の上司(遠い上司でしたが)でした。

これらいくつものラッキーがあり、おそらくはかなり早い段階で、とりあえずの職場への仮復帰に至ることができました。どれか1つでも欠けていたら、間違いなくもっと時間がかかっていたと思います。

また、幸か不幸か様々な心療内科にかかりました。そこで曲がりなりにも「適応障害」という病気に対して、知識を得て、自分の状態をある程度は評価できるようにもなってきました。文章を書くという趣味がそこに大きく寄与していることも忘れてはなりません。

そんなこんなで、様々な偶然が重なり、適応障害と診断されてから13日目(会社はちょうどまる2週間休んだことになります)で、とりあえず職場に顔を出すくらいはできるようになりました。

 

これらを踏まえ、私がいま言いたいのはこれだけです。

これはあくまで一例にしか過ぎず、症状の重さや、状況によってはもっともっと時間がかかって良い!

ということです。私自身何度も言われてきましたが、治るまでは休んでいいんです。というか、休まなきゃダメです。もしかしたら私よりもずっと早く職場復帰している人も沢山いるかもしれません。でも、私の知っている限りでももっと長い期間休んでいる人は多いです。ですから、焦らず心を大切にしていただければと思います。また、私のような状況になったことがない人は、自分がそうならないよう参考にしていただくとともに、私のような人間への対応方法の一例と考えていただければと思います。

 

と、さも完治したかのような、最終回のような感じの事を書いてしまいましたが、まだ私も職場に復帰したわけではありません。むしろ、ここから通常業務に戻ることがとても大変なのかもしれません。病気自体も完治したわけではないですし。

職場に復帰し、薬物治療も不要になる。

それまでおそらくはこの「適応障害と診断されまして…」の記事は続いていくと思いますので、興味がある方がいらっしゃいましたら、ぜひお付き合いください。

 

次回

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