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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.32

適応障害と診断されて45日目の昼過ぎにこの記事を書き始めています。だらだらとした毎日を過ごしているわけですが、少しずつ快方に向かっている感覚があるような、ないような…そんな感じです。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

一応書いておきますが、44日目はいつものダラダラとした日記ですが、45日目は診療を経ての再考察となっていますので、適応障害に興味がある方は45日目の方だけでも読んでいただければと思います。

 

 

1.適応障害と診断されて44日目~外出・電子レンジを買う~

前日の夜に久しぶりに両親と電話をしました。不安に駆られて、というわけではないのですが、ここ3日くらい誰とも会話をしていなかったので、そういうのはあまり良くないかと思い電話をさせていただきました。私は友人関係というものがよくわからないので、こういうときに都合を気にせず電話できる相手というのを持っていないのです。本当に残念なことではありますが。

別に何を話したというのでもないですが、私が寮の食堂での食事がちょっと辛いと愚痴ると、「電子レンジを買えば良いじゃない」と目から鱗のアドバイスを両親から頂きます。いえ、もうずっと電子レンジを買うかどうかということは悩み続けてきたわけですが、寮の食堂には共用のレンジもあるし、前の地方勤めのときも電子レンジ無しで生活してきたので、今さら不要だと思っていました。が、電子レンジがあれば私の生活の質は格段に上がるのも事実です。私は運命を信じませんが、偶然とタイミングは信じています。何となく両親と話しながら、「そろそろ電子レンジを買う潮時かもしれない」と感じ、翌日に電子レンジを買うことを心のうちに決めます。

そして当日。朝から少し体調は思わしくなく、暗い部屋の中で眠ったり起きたりを繰り返しながら午前中を過ごします。もはやこれが私のモーニングルーティーンという感じですね。寮に戻ってからというもの、なんと言うか「疲れやすさ」とか「そわそわ感」とかが取れずに、若干生活リズムが乱れています。それもあって、朝に上手く起きていられないわけです。

それでも何とか昨晩決心した通り、電子レンジを買うべく外出に踏み切ります。せっかくだから街中をだらだらと散歩したりします。人混みはやはり若干きついものがあります。CDショップを適当に流したり、デパートの食品売り場にある酒屋でウイスキーを眺めたり、訳の分からぬ交差点で永遠とも思える信号待ちをさせられたり、そんな風にして時間を過ごしていました。ビッグイベントである電子レンジ購入は先延ばしにして。

散歩をしながら色々ととりとめのないことを考えていました。

転職して得らえるもの、失うもの。職場に戻ることを考えると気が滅入りますが、どうせ数年経てばまた転勤でしょう。では、病気から復帰してその数年を耐えられるかと言えば、おそらく耐えられそうな気がします。というか、まだ今の職場には実質2週間ほどしか在籍していないのでよくわかりません。しかし、少なくとも最も自分にとって怖ろしいのは、「ちゃんとしなきゃ」と無理をしてしまう自分自身です。ですから、とりあえずそういった自分を改めることさえできれば、何とかなるのではないかという予感もあります。とは言え、比較的厳しい職場であることは間違いないため、途中でまたぶっ壊れてしまうかもしれません。そうなったときはもう一度きちんと転職を考えましょう。最近はとりあえず今の会社にしがみついていても良いのかな、と思います。いくつかうつ病になった人たちのブログ(?)やら何やらを読みましたが、会社によってはうつ病になってもどうしても仕事に行かざるを得ない人たちもいるそうです。生憎私の会社はまだ余裕がある方で(そして私自身がまだぺーぺーということもあって)、こうしてきちんと休職させてもらえます。どうしてもしがみつきたい職種だとか、業種というわけではないのですし、給料も安いですが、そもそもサボり癖のある私がこの会社を選んだのもそういった割としっかりとした企業体力があることが一因です。と、そんなことを言うといよいよなんで私が今回適応障害になんてしまったのかよくわかりませんね。きっとあの訳の分からない、執拗に繰り返される、マインドセットの研修のせいでしょう。「社員としての自覚、主体性、高い視座、広い視野を持たなければならない」。ゆとりモンスターである私にそんなマインドコントロールをしてしまえば、そりゃあぶっ壊れるってもんでしょう。ダイバーシティだ何だと謳っているのであれば、「ゆとりモンスター」という個性を認めてもらわないと。

しかしながら、私がこの会社を選んだ理由のもう1つには「転勤が多い」ということもあります。今回はその「転勤」によって殺されかけたわけですが、しかし、転勤自体はは私の望むところではあったわけです。というのも、何度も言うように、私は誰のためでもなく、自分のために社会的には全く無価値の創作物を書くこと以外に、この人生におけるやるべき事なんて無いと考えているので、根本的には色々なものを見てみたいという欲求があるのです。HSS型のHSPみたいな人間なのかもしれませんね(調べればすぐに出てきますが、好奇心はあるけど繊細な気質を持っている人の事です。そんな言い方をするとあまりに良く聞こえてしまうので、私の場合は「飽き性で捻くれ屋のくせに豆腐メンタル」という感じになるでしょうが)。転勤に慣れてさえしまえば、良くも悪くも同じ職場には数年しか留まらずに済みます。好奇心があると言ったくせに基本的に出不精の私にとっては、無理やり会社によって生活環境が変わってくれるということは、結構ありがたいことかもしれないという企みがあるわけです。ただ、今回の適応障害は思ったより私が転勤による環境変化に耐えられなかったということも一因ではあるため、これも今後は要検討です。今すぐ判断すべきことではないという風に思いますが(転職が有利に進められる期間は限られていますが…)。

と、まぁ、そんなことをだらだらと考えながら散歩を楽しみました。

電子レンジを買うにあたって私が気に掛けるべきことはたった1つ。「余計な機能は不要」ということです。私は料理なんてしませんし、とにかく買って来た弁当を温めたり、冷凍食品を温めるたりすることができればいいわけです。多少温めの詰めが甘ければ、追加で何秒か温めれば済む話ですし、とにかく電磁波によって食物中の水分子を振動させる機能を持った箱でさえあればいいのですよ。極端な話、オートセンサー機能なんて別に必要ないです。今どきのお弁当には「〇Wで〇秒」という目安が書いてくれていますし、高校物理で習った「W(ワット)」の定義を思い出せば、「500Wで2分20秒」を「700Wで1分40秒」と変換することは容易いです。要は7000J(ジュール)の熱を与えれば良いわけですからね。ただ電子レンジの出力なんてきっと相当な誤差もありますし、温める対象物の形状や水分の含有状態、またよく化学の実験でやったように時間経過で冷めていく分も考慮すると誤差は出てきます。だからこそ、その電子レンジの傾向などをある程度把握することは重要になってきます。ちなみに、私の経験では弁当に記載されている目安のレンジの出力は「1500W」と「500W」で記載されていることが多い一方で、家庭用の電子レンジは「700W」という出力であることが多いように思います。したがって、大抵は「500W」で記載されている時間に「5/7」をかけてやれば良いわけですが、「7」で割るというのが結構面倒なので、概算で「1分あたり10秒短縮」というざっくりとした計算方法を用いることが多いです。近似式を多用する物理学が好きで良かった! というか、意外と丁寧に「5/7」をかけるよりも、「1分あたり10秒短縮」という近似式を用いた方が良い感じに温まることが多いように個人的に思います。

というわけで、料理別の温めボタンがあるようなタイプの電子レンジはスルーして、陳列棚の下段隅の方にあるレンジを購入することに決めました。私が行った家電量販店にあった電子レンジは意外とシンプルな機能のものが少なかったので、割とすぐに決めることができました。税込みで1万円ちょっとのものです。Panasonic製ですし、何となく安心しても良いでしょう。壊れにくく、出力さえ安定してくれればそれで私は充分なんですからね。シンプルな構造のものほど強靭であるというのは、私の個人的な価値観ではありますが。

そして、もちろん電車でお出掛けをしていた私にはそのまま持って帰ることはできないので配送してもらうことに。なので、その旨を店員に伝えると、案の定「ポイントカードをアプリに変えていただければ配送料は無料になりますが」という提案をされます。時間なんていくらでもありますし、こうやって何か具体的な作業をするということがこのところの私には皆無だったので、私は喜んでアプリをダウンロードし、ポイントカードとの共通化を図りました。私の思い込みのせいでやや時間がかかり、店員さんにはご迷惑をおかけしましたが、まぁ、こう言ってはなんですが店員さんも他の店員さんと雑談しているような感じだったので、「お客様は神様」という選民思想にどっぷりと浸かって大きな顔をさせていただきました。ちゃんと「アプリとポイントカードの共通化」と説明してくれましたし、手順書のようなものにもそう書いてあったのですが、私はてっきり「カード情報をアプリに引き継ぐ」というようなものだと勘違いしていたわけです。なので、店員さんが「ちょっとポイントカードの情報を出力してきますね。その間にアプリの登録を済ませてください」と言われたときに、アプリのダウンロードだけして、「あとは店員さんがカードの情報を持って来てからそれを入力していけば簡単に引き継げるんでしょ」と悠長に本を読んで待ってしまっていたわけです。私が本を読んでいるのを見て駆け足で戻って来てみたら、アプリのダウンロードしかしていなかったわけですから、店員さんはちょっと呆気にとられたような感じでした。いやぁ、本当に申し訳ないことをしました。

結局、アプリはアプリで登録して、ポイントカードはポイントカードで活かし、その2つの情報を共通化することに成功し、事なきを得ました。アプリの登録時や配送時に現住所が必要になるわけですが、まだこっちでの生活も短く、住所なんて滅多に気に掛けることもないので、「いま自分がどこに住んでいるのか?」ということにも手間取ってしまったのは少し恥ずかしかったですね。

全ての任務を完遂すると、もう夕方近かったので、「寮の食堂で夕飯を食べたくないなぁ」という想いから、家電量販店の近くで牛丼を食べて帰ります。帰り道で少し頭痛が出て来て、寮に着くと一気に疲労感に襲われたので、薬を飲んでさっさと眠ってしまいます。

 

目を覚ますと夜10時。あぁ、また昼寝をしたせいでなかなか眠れない感じだろうな、と少し落胆した後で、ふとiPhoneのデータ整理をしようと思い立ちます。色んなアプリを入れたせいで、普段使わないアプリがどんどんと勝手にアンインストール(クラウドマーク状態)されてしまっている状態なので、使わなくなったアプリはちゃんと削除していきます。それから、写真がストレージを圧迫しているのはわかり切っているので、まずはそれをハードディスクに移していきたいわけですが、何故かそれがずっとうまくできないんですよね。PCとUSBで直接接続して、写真ファイルをそのまま「切り取り+貼り付け」で移行しようと思っても、なぜか途中でiPhoneの写真データにアクセスできなくなる現象が起こってしまうんです。iPhoneとの接続が途切れたような感じでもないですし、Windowsエクスプローラー上では確かにデータがあることは確認できるのですが、そうなってしまうとデータアイコンのダブルクリックで写真データを開こうと思ってもそのデータを読み取ることができなくなるのです。色々とを調べてみましたが、なかなか理由はわかりません。コンピューター系のヘルプってどうして本当に知りたいことは教えてくれないんでしょうかね。こっちがしたいことは本当にシンプルなことのはずなのに、色々と高度な機能を付与していくから、気づけば一昔前にできた単純な操作が何故かできなくなる…みたいなことが多過ぎやしませんか? というような不満を撒き散らしながら、なんとか解決を図るべく動きます。

色々と試した結果、iCloud上に写真データが存在しており、iPhone上では縮小されたデータしか持っていない写真があることが問題のようです。それが分かったからと言って、全ての疑問に対する解答にはなっていないように思うのですが、とりあえずiCloud上にある本データにPCからアクセスしてダウンロードしていけば良いのでしょう。そういう訳で、とりあえずPCでiCloudのアプリをインストールして、何とかiPhoneで撮影したの写真データをローカルなハードディスクに移行することができました。これで安心して、iPhoneの写真データも削除できます。ふぅ。もう夜中の2時前だよ。

ただ、まだ1つの疑問が残っています。とりあえず、PC上でアクセスするiCloud上には写真データが無くなったわけですが、iPhoneでは依然として全ての写真データにアクセスできてしまうということです。仕方が無いので、なんと言うか二度手感がありますが、iPhone上でも同じように写真を削除していきます。でも、それが終わっても、今度はiPodでも全ての写真にアクセスできてしまいます。私の「クラウド」に対する認識が間違っているのでしょうか。もしかしたら、家電量販店のポイントカードと一緒で、各機器に対してクラウドが与えられており、あとはアカウントという共通の鍵で各倉庫にアクセスできるという原理なのかもしれません。PCとiPhoneiPodでそれぞれ別の倉庫がWEB上にあり、私は1つの鍵(AppleID)によってそれぞれの倉庫に入ることができる。いずれかのデバイスで新しい写真データを保存すると、同時に全ての倉庫にもそれが複製されるが、常に倉庫同士の同期を図っているわけではないから、PCの倉庫からある写真データを消せば、それはPCの倉庫からは消える。でも、iPhoneiPodの倉庫には残ったまま。そういうことなんでしょうかね。本当に難しいです。

これについてはまた調べてみようと思います。

そんな感じで疲れ果てた私はようやく眠りにつくことができました。

 

2.適応障害と診断されて45日目~心療内科受診まで~

朝起きて薄皮のクリームパンとミカンで朝食を済ませます。ちょっとだけギターの練習をして、シャワーを浴び、今週分のハロステを見ます。西田汐里ちゃんと北川莉央ちゃんという好みの2人がMCなんで、見ているだけで癒されますね。このところのパターンに漏れず、ハロコンでのソロ歌唱も2人分ありましたが、注目している松永里愛ちゃんと、みんな大好き佐藤優樹ちゃんということで、かなり嬉しい内容です。研修生発表会のコンテンツも可愛い子が多いしレベルが高いので、やっぱりハロプロはいいなぁと思わされます。

と、今日はどうやらなかなか調子の良い日のようです。そうこうしているうちに心療内科へ向かう時間に。昼前に診療が終わるので、それから昼ご飯を食べたら、上司とちょっとした面談という予定です。

天気が良いので気分が滅入る感じはありませんでしたが、やはり若干のそわそわはありますかね。でも、これまでの受診はいつもギリギリまで家から出られず、予約時間の1分前とかに到着するような感じだったのですが、今日は余裕を持って10分前に到着出来ました。これも回復を示す1つの傾向と捉えていきましょう。

今日の診療をしてみて思ったのは、お医者様とかなりスムーズに話せたということです。というか、これまでは「いつまでに何々を…」みたいなことが話の中心になってしまっていたので、個人的にはかなりバタバタとした印象でした。今は治療に専念しようと決めているので、ゆっくりと現在の体調を伝えてから、それを踏まえたお医者様のアドバイスを聞こうという本来の医者と患者という関係性で話せたことが大きかったように思います。

 

私が伝えたことを簡単にまとめますね。と言っても、このブログで毎回書いているような内容です。

まず、前回の診療後に実家に帰り、かなりゆっくりと療養ができたことを伝えました。適応障害の不安障害であったり強い抑うつ感というのは実家にいる間はありませんでした。それでも気分の良い日に色々と気分転換に出掛ける日が続くと、あるとき疲れがどっと出て、1日中寝てしまうということもありました。これについてはお医者様曰く、調子に波のある病気だから、どうしても波が下がって来たタイミングで疲れが出るのは仕方ないということでした。しかし、その「疲労」や「眠気」は症状が回復しきっていないことを間接的に示す要因であって、「症状そのもの」の現れではないから順調に回復はしているということでした。うん、そうですね。私もそんなような気がします。

次に、今週の月曜に東京に戻って来て、インフルエンザの予防接種を受けたりする中で、どうしても「そわそわした感じ」が出てしまうということを伝えました。調子が良くないと、寮の部屋から出るのも億劫になってしまうのです。やはり会社の寮に住んでいるわけですから、気持ち的にはちょっと落ち着かない部分があります。そのように説明すると、お医者様はその「そわそわした感じ」の度合いについて尋ねてきたので、私としては我慢できないほどのものではなく、嫌だなぁ程度であることを伝えました。また、その「そわそわした感じ」も日を追って徐々に良くなってきているので、お医者様からは慣れるまでは仕方ないと言われました。

会社に顔を出したり、ということを始めるべきか聞いたところ、お医者様は「寮での生活で反応が出ている以上はやめた方が良い」とアドバイスをくれました。続けてお医者様がお話ししてくれたのは、確か2回目の診療と同じような内容になりますが、「ちゃんと直接的な適応障害の反応が出なくなるまでは復帰しない方が良い」ということです。当時の私は復帰に向けて随分と焦っていましたから、多少の反応があっても何とか無理やり突破できるのではないかと考えていましたが、今の私ならだいぶ冷静にもなりましたし、お医者様の言葉も素直に受け入れられます。そして、何が「反応」であり、何が「間接的な反応」なのかが何となくわかってきました。上述の通りですが、不安障害や不眠、頭痛や腹痛や吐き気といったものは適応障害の直接的な症状です。対して、疲れやすかったり、眠気といったものは適応障害のもたらす初期兆候としての「神経過敏」からもたらされる間接的な反応なのでしょう。そして、それらの総体として抑うつ感や無気力といったものが生じるのだと思います。うつ病と言うとまさにその「抑うつ感」や「無気力」というものが主たる症状として考えられがちです。私もそういうものと思っていました。それは確かに間違っていないと思いますが、私個人的には若干違うような気がします。

というのも、「抑うつ感」や「無気力」というのは、別に健康な人であっても時に感じるものじゃありませんか? 気が滅入ったり、やる気が出なかったりということは普通に生活をしていれば、時々は出て来るものです。嫌なことがあったり、疲れていたり、負荷がかかれば誰にだってそういう場面は訪れます。そういうときは無理をせず、上手く手を抜いたり、ストレスの発散をしたりしてバランスを取ることで、それらをやり過ごすことができます。しかし、そういった状態で無理を続けることにより、「抑うつ感」や「無気力」を越えた症状が出てきます。それがすなわち「うつ病」であったり、私が罹った「適応障害」というものになるのでしょう。つまり、負荷が限界を超えて、不安障害を始めとした異常な症状が体に現れてきます。そして、それらの不安障害というものはまるでウロボロスのように、また「抑うつ感」や「無気力」といったものを引き起こし、負のサイクルの中に私たちを閉じ込めてしまいます。

ある意味では、そういったことに対する理解度の低さが最近の私の大きな悩みをもたらいていました。つまり、今の私は確かに「抑うつ感」や「無気力」を感じているけれど、そんなことは適応障害になる前からあったし、そういう意味ではもう治っているけど、駄々をこねて休みを引き伸ばしているだけなんじゃないか、というものです。しかし、その考えは正確ではないことが私にもようやくわかってきました。また繰り返しになりますが、「適応障害」の症状は「不安障害」を始めとした、具体的に「異常」な症状であるということです。健康な時も「そわそわした感じ」が全くなかったわけではありませんが、ここまで意味も無く常に「そわそわした感じ」が付き纏うのは異常です。だから、私はまだ回復しきってはいないのだと思います。そして、それらの「異常な反応」の大部分を抑制できるようになってくれば、自然と復職への意欲も湧いてくるものだとお医者様は仰ってくれました。まぁ、その言葉はどこ用まで信じていいかわかりませんが、しかし確かに今の私にとっては復職に対してかなりの恐怖を抱いています。そのような状態では復帰すべきではないと、お医者様も私の背中を後押ししてくださいました。

少し話が逸れましたが、次にお医者様に聞いたのは、実家で療養すべきか、東京で療養すべきかということです。お医者様としては可能な範囲内で東京で療養することを勧めたいということでした。実家というストレスの無い環境でゆっくりと治癒ができたから、次は東京の会社の寮で慣れるというフェーズに入ったと言い換えることもできるでしょう。もちろん気が滅入るようであれば、実家に戻っても全然構わないということでした。ただ、私の中に「実家=安全」、「寮=負担」というベースがある以上、実家で療養してもまた東京に戻って来れば必ず反応は出るということです。それが初診の時からお医者様が言い続けている、「環境因による適応障害」ということになるのでしょう。原因が「環境」にあるのですから、環境を変えないことにはどうしたって負担がかかります。発症の初期段階では静養が求められますから、実家に戻るなどして無理やり安全な環境に変えることが効果を発揮するようです(これは個人的な経験としての意見も含みます)。しかしある程度の治癒ができてくれば、次はその原因たる「環境」に慣れることが必要になってきます。そうでなければ、転職などをして1から環境を変えるしかありません。私がこの期に及んで、転職という道筋に逃げてしまいたくなる(転職したからと言って、職場環境が良くなる補償なんて何もないのにもかかわらず)のは、おそらく「環境因による適応障害」に罹っているからでしょう。そこには打算や計算などなく、単純な「トラウマ」みたいなものとして、現状の職場に復帰することに対する恐怖が残っているということです。しかし、お医者様の話の行間を読めば、もちろんそこはある程度の折り合いをつけて、復帰することも全然可能なのでしょう。手っ取り早いのは転職です。しかし、頑張って今の職場に復帰するのも、社会復帰までの道のりを考えれば回り道なのかもしれませんが(より治療に時間がかかるので)、長い人生全体で考えたときには様々な打算や計算も考慮に入れる必要があるわけで、そう考えたときには私には今の職場に戻るだけのメリットがあるように思えるのです。それは、44日目の章にも書いた通りです。

それから今回の診療でちょっとだけ明らかになったことがあります。私はこれまで寝起きの強い倦怠感を薬の副作用と考えていましたが、私の話を色々聞いたお医者様は「たぶん副作用じゃなくて、適応障害の症状かもしれない」と言っていました。眠気の出る薬だから絶対に副作用ではないとは言い切れませんが、寝起きというのは脳の機能が不完全な状態なので、そういったときに強い倦怠感が出るのは、脳が弱っている適応障害の症状と考えた方が妥当ということでした。特に、昼寝でも同じような倦怠感が出るということは、服用してから一定時間で現れる副作用の兆候としては少し変ということだそうです。うん、確かに言われてみればそうですね。

薬の量は、1mgのメイラックス(と同等のジェネリック医薬品)を1日1回、夕食後に服用ということでずっとやって来ていますが、今回も据え置きとなりました。お医者様が言うには、これは少ない量ということです。それを聞いて、私も少し安心しました。

そんな感じで次回の診療はまた2週間後となります。

長くなったように思うので、章を分けます。

 

3.適応障害と診断されて45日目・続~上司と面談~

心療内科の受診後、はなまるうどんで昼食を済ませ、寮へと戻りました。午後にはまた上司が寮まで来て、面談をしてくださるからです。毎度お休みなのに本当に申し訳ないです。そして、本当にありがとうございます。

今回はカフェではなく、誰もいない寮の食堂を借りて面談をさせていただきました。

簡単な書類のやり取りをした後で、いつものように診療結果の共有をさせていただきました。こんなことを言っては何ですが、込み合う心療内科のお医者様よりもずっと親身になって時間をかけて私の話を聞いてくださいます。

とりあえず私の話を聞いて上司も、また次の2週間も休職を継続するということで納得してくださいました。ただ、実家療養から東京の寮での療養へとフェーズが進んだことには安心してくださったようです。管理者向けの勉強会みたいなもので、私みたいな精神疾患にかかった人間の復帰については、やっぱり完全に治り切ってからの方が良いというようなことを産業医からも聞いているようなので、焦らなくていいとも声をかけてくださいました。そして、2週間に1度程度ではありますが、私の話すときの目線や瞬き、そのほかの挙動を見ても、少しずつ回復してきているように感じられると言っていただけたのは素直に嬉しかったです。

具体的にいつから復帰に向けて動いていくかというところは難しいですが、私が今いる職場の特別な事情として、年末年始はほとんど仕事がなくなるということがあります。多くの社員は有休を使い、丸っと10日間くらい休むし、残っている人も自分の書類整理をしたりしているくらいだから、落ち着いた雰囲気になるとのこと。私の回復状況的にもうまく行けばそのタイミングに合わせて、会社に顔を出したりできるかもしれないという話をしました。ただ上司の方からは「でも、そういう予定をまた立てたりして無理をしちゃダメだよ」と笑いながら念を押されてしまいました。本当に優しい上司だと思います。そして、上司もまた私と同じように異動してきたばかりで大変だということや、それにコロナの関係も追い打ちでやって来ているから、なかなかどうして上手くやり切れないところがあるというような自分の話をしてくださいました。そんな忙しいときに私がご面倒をおかけしていることが本当に憚られますが、でもそんな上司も「上手くできないけど、まぁ、転勤してきたばかりだし仕方ないかと思いながら仕事をしている。慣れるまでにはまだまだ時間がかかるね」と言っていました。あれだけスーパーマンに見える(実際に休日を部下のために割いているのですからスーパーマンではあるのですが)上司でもそういう風に考えながら仕事をしているということは、私が復帰する上でも非常に心強いことです。私はやはりちっぽけなプライドで自分で自分を追い込み過ぎていましたね…

ちょっとした雑談の中で、カップラーメンの話もしました(前回記事に書いた内容です)。「そういう弊害もあるんだね」と上司と笑い合うことができて良かったです。

しっかりと感謝と謝罪の気持ちを伝え、私は寮室へと戻ります。

そのまま母親にも診療と上司との面談結果を伝え、無理のない範囲で東京に残ることを宣言しました。母としては戻って来てほしいようなので、ちょっと悪いことをしたかなぁという気持ちにもなりましたが、私が回復しつつあることを知って安心しているようでした。心配をかけて本当に申し訳ない限りです。

そこまで済ませると、一気に眠気が襲ってきて、3時間ほど昼寝。起きた頃にはすっかり辺りは暗くなっていました。

 

また例によって変な夢を見たので、夢日記を書きます。

後半しか覚えていないのですが、私はとある都市の大きな商業施設の辺りにいました。商業施設は駅と一体化しており、多分その時の私は近くにある水族館かどこかから帰ろうとしていたんだと思います。ですが、商業施設の入り口はとても高いところにあります。まずはエスカレーターで途中まで登ることができるんですが、そこからは1段が1m近くもある階段を上がらなくてはなりません。それでも私は意気揚々と登っていくのですが、次第に勾配もキツくなり、段差は1mで幅は30cmくらいにまでなっていきます。5,6段も登れば、もうほとんど壁にへばりついているみたいな状況です。私はそれでも頑張ってみようとするのですが、あと2,3段というところでもう身動きが取れなくなります。それでも隣では何人かがそんな怖ろしい階段にも怖気ることなく、難なく階段を登り切ってしまいます。私は「自分には無理だ」と諦めて、ほとんどずり落ちるようにして下まで降りるしかありません。

体力に自信のない老人や女の子たちはエスカレーターで途中まで登って来るものの、あまりの壁の険しさを見て、すぐに引き返していきます。私はつまらないプライドからそこに紛れて帰るのを拒み、エスカレーターを覆うようにして取り付けられた強化プラスチックのフードの上を歩いて下まで降ります。エスカレーターに乗る何人かが興味深そうに、頭上を歩く私をちらちらと見てきますが、私はむしろ自信満々に「お前らとは違うんだぞ」とでもいうような感じで下まで降りていきました。

降りた先には両親がいて、私の背負っているリュックのサイドポケットに捻じ込んでいた何か(たしか着替えか何か)が無くなっていることに気が付きます。私は登るのに夢中でその何かをどこかに落として来てしまったのです。

そんな夢でした。

 

土日は寮の食堂はやっていないので、寝起きの倦怠感が取れるとまずはスーパーに夕食を買いに出ました。正直食欲はなかったので面倒だなぁとも思ったのですが、上司にも「きちんと3食たべれているか」と聞かれた手前、仕方なく外に出ます。昼間はあんなに暖かかったのに、外はもうかなり冬の空気に近づいているようです。電子レンジが届くまでは部屋で弁当を温められないので、お寿司を買います。寮に着く頃には、いくら軍艦のいくらがまるで願いを叶えた後のドラゴンボールのようにあちこちに散乱していました。幸いドラゴンボールレーダーが無くてもどこに飛び散っているかはわかったので、お箸で1粒ずつ元の場所へと戻してから、手を合わせます。いただきます。

そんなこんなでこの記事を書いているうちに、もう夜の11時になってしまいました。明日は昼過ぎから大学時代のバイト先の後輩たちと遊ぶ予定。そして、少し先ですが会社の同期との飲み会の約束も入りました。こんなにも孤独だというのに、なんか孤独じゃないみたいです。「夢だけど、夢じゃなかった」的なやつです。

 

あぁ、今日もPCの左ではれらぴが笑っています。可愛いな、おい。

 

次回

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