霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.27

適応障害と診断されて36日目(11月19日)の夕方にこの記事を書き始めています。今日も今日とて、特に適応障害の治療進捗に関する内容ではなく、ただの日記になりますので、ご容赦ください。

 

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1.適応障害と診断されて36日目~床屋~

今日は昨日よりも30分早く起きることに成功。このまま少しずつ早く起きれるようにしていきたいですね。さすがに疲れもだいぶ取れてきました。夢の中にはモーニング娘。森戸知沙希ちゃんが出て来たり、なぜかほろ酔いの牧野真莉愛ちゃんが出て来て、とても楽しい夢でしたね。ほろ酔いの真莉愛ちゃんはめちゃくちゃ可愛かったです。と、あまりにキモいので今日は夢日記はやめておきましょう。

朝起きてからはギターの練習に時間を費やします。ようやく「君をのせて」の耳コピ(記憶を頼りにコピーしているので、正式な耳コピではありませんが)がサビまで終わりました。めちゃくちゃ下手ですが、とりあえず最後までいったので、あとはスムーズに弾けるまで練習あるのみですね。よっぽど楽譜を買おうかとも思いましたが、諦めず最後までやってみて良かったです。コードとメロディの関係について、良い勉強になりました。

それから昼前に家を出て、事前に電話で予約していた床屋に行きました。父が通っているという床屋です。私も中学生くらいの頃までその床屋に通っていました。でも、あるときから床屋が苦手過ぎてずっと自分で髪を切っていたんですよね。なので、中・高・大とずっと酷い髪型をしていたのですが、まぁ、就職活動もそれで乗り切りましたし、ちゃんと床屋に通い直したのはほんの2年前くらいからでしょうか。地方勤務の時の寮のすぐ近くに床屋があり、さすがに社会人としてちょっとはしっかりしなきゃと思い、床屋に行ったわけです。先輩にわざわざ合コンとかにも連れて行ってもらいましたしね(笑)。

と、少し話が逸れましたが、中学校までの登下校道を通って、床屋まで行きます。中学生の時なんかは、せっかちで粗暴で羞恥心なんてない私でしたから、「あぁ、よくあの柵を飛び越えていたなぁ」と少し懐かしくなります。と、同時に赤もみじという芸人の「近道」(たぶん)という漫才を思い出しました。

「絶対に駅からウチまで10分かかると思うけど、どうやって5分でついたん?」

「これこれこういう道があるでしょ。そこを行くと~で、公園があるけど、あそこの柵を乗り越えて、家と家の隙間を…」

「それ小学生の近道やん!」

みたいな感じの漫才です。私なんかはノスタルジーに駆られるわけですが、芸人さんはそこに面白味を見出して、漫才を作ってしまうんですから、ほんと凄いですよね。体は大きくなったはずなのに、育った羞恥心のせいで柵を乗り越えられない。皮肉屋の詩人ならそんなことを考えるのでしょうか。

床屋での会話はあまり得意でなく(これも床屋に行かなくなった理由の大きな1つ)、今日も「この辺にお住いなんですか?」というご主人の問いかけに対し、私は「あ、実家がこの辺で。ちょっと病気療養で戻ってきているんです」と答えてしまいました。当然ながらご主人は「そうですか」と答えながらも、内心では(やべ。地雷だったか)と思ってしまったことでしょう。はぁ。せめて気の利いた嘘をついたりするべきでした。そのまま世間話は終わり、あとは事務的な会話を何度かした程度です。私はできるだけ「気にしてませんよ!元気ですよ!」ということが伝わるように、受け答えをしていましたが、根暗の私が頑張ってみたところで多分そんなに効果はなかったでしょうね。

誰も来ない床屋の中で、ご主人と奥様と私。シャンプーや顔剃りなども含めて、じっくり1時間くらいかけて丁寧に切っていただきました。レジで代金を払っていると、今度は奥様の方から話しかけていただきました。

「ポイントカード作りますか?」

「あ、いえ。大丈夫です」

「ちなみにご家族の方とかって…」

「あぁ、父がこちらに通わせていただいてます」

「やっぱり。予約の電話でお名前聞いてたから。じゃあ、次にお父様がいらっしゃったときに、お父様のカードにスタンプ押しておきますね」

「あ、ありがとうございます」

「せっかくこっちに戻って来たんですからゆっくりしてくださいね」※おそらくご主人と私の会話を聞いていたと思われます。

「あ、はい。ありがとうございます。ゆっくりします」

「久しぶり…ですか?」

「えと、あ、そうなんです。中学生くらいのとき、ここで切っていただいてました」

「懐かしいですね」

「そうですね」

「今日は車で?」

「いや、天気が良かったので、歩いて…」

「そうですねぇ。今日は暖かいですもんね。じゃあ、お気をつけて!」

奥様に玄関まで見送っていただき、床屋を後にします。

奥様が中学生の頃の私を覚えていたのかはわかりませんが、なんと言うかそんな風に声をかけてもらって嬉しかったです。あれから15年近くも経っているんですもんね。中学生の頃の記憶なんてほとんど思い出せませんが、それでもそれだけの月日が流れたことはなかなか実感できないものです。

そのまま中学校まで歩いて行って、掠れた思い出に少しだけ浸ります。校門の辺りに差し掛かると、ふと卒業式の日が思い出されました。何と言うか、みんなして騒いだり別れを惜しんだりなんだりをしていた中、私はさっさと家に帰ってしまったような気がします。「こんなにあっけなく終わっていくものなんだなぁ」みたいなことを感じていました。そして、誰もいない平日の昼間の住宅街。その時の物悲しさみたいなものがまた思い出され、床屋の奥様との会話も引き金になってか、何だか泣きたいような気持になりました。

 

2.適応障害と診断されて36日目・続~散歩~

家に戻り、昼飯を食べ、再度ギターの練習をします。徐々にスムーズに指が動くようになっていきますが、実家には太い弦のアコースティックギターしかないので、指の痛みが激しくなってきます。何度も通しで弾く練習をしていますが、こうやって少しずつ何かが前進している感じって私は結構好きです。楽器って良いなぁ、と思います。

思えば私は昔からサッカーでもゲームでも、ドッジボールでも縄跳びでも何でも、負けず嫌いでした。そして、勝てば性根の悪い優越感に浸り、負ければ本気で悔しがり、勝った相手を妬み、憎みました。そんな風にして高校生くらいまで生きてきたので、まぁ、最低な人間だったと思います。あまり自分を良く言ったものじゃありませんが、アニメ「氷菓」の福部里志の中学生時代に近い感じがします。「勝ちにこだわっているくせに、それでいて楽しくないんだから、どうしようもないさ。だから、こだわらないことにこだわるようになったんだよ」というセリフはまさに私に突き刺さるものでした。

「そんな僕がマヤカにこだわっていいのかな?」

彼のこの自問は未だに私の中で螺旋状に渦巻き、私の方はずっと答が出せずにいます。

と、いつものように話しが脱線しましたが、ギターとか絵を描くとか、文章を書くとか、そういう実に自己完結的なことをいつの間にか私は好むようになっていました。ですから、バンドも組んだりせず、1人でギターを弾いているのが私にとっての至福なんです。少しずつ上達したり、弾ける楽曲が増えたり、新しいコードを覚えたり、そういう着実な1歩1歩が楽しいんですよね。そういうことを老後を迎えた母に説明してやりましたが、あまりそういうのは母には向いていないようです。親とは言え、他人の人生ですからね。教養はできません。

その後、母と買い物に出掛け、ユニクロとスーパーで荷物持ちを引き受け、家に戻ってから夕暮時の街を散歩しに出掛けました。今日は本当に暖かく、最高の散歩日和でした。昼間は少し汗ばむくらいでしたが、夕方はとても気持ちの良い風が吹いていました。それから何枚もスマホで写真を撮りました。写真も結構好きなんですよねぇ。いつかフィルムもやってみたいです。

 

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2020.11.19 夕暮

 

波の穏やかな川に反映する夕陽とビルの光がとても美しく、我ながらなかなか良い写真が撮れたように思います。

さて、そろそろ夕飯の時間になってしまいました。今日もまた何もしていませんが、こういう穏やかな時間を過ごせているのは、自分が「適応障害」なんて病気に罹れたおかげですね。今では休めるだけ休もうというような気持ちにさえなり始めていますが、いよいよ本格的に復帰についても考えていかなければなりませんね。

でも、まぁ、今は休めるだけ休みましょう。

上司もお医者様も、神社のおみくじも言うように、今はちゃんと休んで、しっかり治しましょう。どうせ、会社に戻れば、また忙しい毎日が待っているんですから。

 

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