適応障害と診断されて54日目(12月7日)の夜にこの記事を書き始めています。4日間ブログをサボっていましたが、体調が悪かったわけではなく、むしろ体調が良かったことが原因です。
まぁ、どうせ中身のないただの日記みたいなものです。書かなかったからと言って、誰が困るというのでもないので…それは私が書く記事全般に言えるものですが。
前回
4日分の内容になりますが、ざっと行動記録を書き残しておきます。
1.適応障害と診断されて51日目~散歩~
もう4日も前の事なので、何を思い、何を感じ、何をしていたのかということはよく思い出せません。
ただ良く晴れていた日で、午後から散歩をしたことだけは覚えています。3時間弱の長い散歩です。穏やかな日和でコートも着ずに寮を出ました。この日の朝ご飯はランチパック1袋とミカン、お昼ご飯はランチパック1袋と雪印6Pチーズを2個、それからミカンだったと思います。気分は良くも悪くも無い。ただただ空っぽな1日です。
散歩をしながら何を考えていたのか、ということは今となっては何も思い出せないので、ただその散歩途中に感じたものを恥かしげもない文体で描写していきます。
日陰に吹く風は冷たく、少し先に見える日向の秋に向かって速足。小さな横断歩道。車も人通りも無く、赤信号の紳士に少し会釈をして駅の向こう側まで歩いて行きます。いつもとは違うコンビニで漫画雑誌の立ち読み。店の内外はクリスマス仕様で、時間の流れを感じます。私がこっちにやって来てからもう2か月が経ったんですね。そして、適応障害と診断されてからもうすぐで60日が経ちます。私はこの2か月で一体何を得て、何を失ったのでしょう。広いY字路を車がいない隙を見計らって横断。田舎育ちの悪い癖ですね。手摺が赤錆だらけの古い橋を渡り、堤防沿いを歩いて行きます。川を渡る風は心地良く、少し走りたくなります。トートバッグを肩にかけ、くしゃくしゃのチノパンと厚手のパーカーという格好でジョギング。久しぶりに走った気がします。高まる脈拍と弾む呼吸に、当たり前のように自分の中の生命を感じます。どうしようもない人間ですが、こうして生きているんだなぁ、と。嬉しいような、悲しいような。どちらかと言えば、悲しいかもしれません。よくわかりません。
息が上がり、股関節が痛み出して、走るのをやめます。ほんの1,2分しか走れない体に苦笑い。でも、気分はそんなに悪くないです。と、ここで何となくトートバックの内ポケットに入れていた寮の鍵を確かめてみます。
……ない……うそ……
これがこの日の1番の事件でした。まぁ、紛失して当然の状況ではありました。トートバッグの口のすぐ近くにある底の浅い小さな内ポケットに放り込んでいただけなんですから、そりゃあトートバッグを肩にかけてルンルンと走っていれば、どっかに飛んでいってもおかしくありません。後悔と混乱の中で来た道を戻ります。
走り出したのは橋を渡ってからですから、とりあえず橋の袂まで戻ってみますが、鍵は見つかりません。でも、確認したのは道の川側がメインです。もう一度反転し、走った方向と同じ向きに目を凝らし歩いて行きます。今度は道の川とは反対側を探します。
あぁ、どうしよう。まぁ、寮長に言えば大丈夫だろうけれど、入寮のときに鍵を失くしたら罰金と言われていましたし、こういうときに会社の寮というのは嫌なものですね。プライベート上のミスのはずなのに、何となく会社でミスしたような気持ちになってしまいます。しかも、休職中の人間が。
でも、もはや私の評価なんて地の底みたいなもんでしょうから、悔やんでいたって仕方ありません。休職するようなやつは家の鍵も失くすんです。別にふてぶてしく「鍵を失くして、ごめんちゃいまりあ」と可愛らしく謝ればいいだけです。鍵の失くし癖は大学時代から全然治りませんね。ふらりと散歩に出るときはいつも適当に寝間着にしている短パンのポケットに裸で鍵を放り込み、そして帰ってくる頃には失くしているのです。大学時代だけで3,4回は失くしていますし、その度に大家さんの家を訪問したり、不動産事務所を訪問したりしていました。あまりにも失くすので、あるときからはもう鍵を開けっぱなしで外に出るようになりました。貧乏大学生の部屋から盗めるものなんてそもそもないわけですしね。
そんなことを考えたりしているうちに、5分ほど歩いたところで雑草の上で寝転んでいる鍵を見つけました。心なしか日に焼けて健康そうに見えます。
悪いけど、もう帰る時間だよ。ほら、おいで。
渋々、といった感じで腰を上げる彼女を手で掬い上げ、今度は勝手にどっか行ったりしないようにきちんと財布の中にしまいます。あー、見つかって良かった。日頃の行いが悪いというのに、いったいどういうことなんでしょう。神様も随分とテキトーなんですかね。でも、2つ教訓を得ました。1つ目は、「何事も諦めず、地道にやれることをやれば、運が味方をすることもある」ということ。2つ目は、「鍵はチャックのある者の中にしまう」ということ。小・中・高と鍵っ子だったのに、今さらそんな教訓を得るなんておかしな話ですけどね。
2時間ちょいと散歩を楽しんで、陽も傾いてきた辺りで股関節の痛みが限界に近づいてきました。その日は朝からランチパックくらいしか食べていなかったので、若干エネルギー切れという感じもあります。帰りがてらスーパーに寄って、カレーと寿司を買いました。馬鹿舌の私にはおあつらえ向きの夕食。
連れ戻した家で娘の寮の鍵を使って、アロマの香る自室に帰宅。まだ太陽の煌めく16時。小学生の下校時間。この間買った電子レンジでカレーを温め、ぺろりと完食。冷蔵庫から寿司を取り出し、この間買った寿司醤油用の小皿に付属の岩塩を盛り付け、上からレモンを絞ります。寿司もぺろりと完食。まだ外は美しい夕時です。隣家ではきっとまだ晩御飯の支度も始まっていないでしょう。
夕飯を平らげてから何をしたかは覚えていません。
おそらくいつものように動画を観たり、ギターを弾いたりして暇をつぶしていただけです。明日は朝も早いので、早く寝る。その日の私に残されていたのはただそれだけでした。
2.適応障害と診断されて52日目~地方へ~
前職場時代にできた友人と会うため、朝7時半に起床し、8時半には寮を出ます。雨予報でしたが、まだ「雨は降らないらしい」。いや、もう降ったあとなのか。しかし、朝はもうだいぶ冷え込んでいるんですね。冬を感じます。このところずっと遅くに起きていたので、この寒さはなかなか久しぶりでした。
新幹線に乗って1時間もすると空模様は変わり、美しい青空に。「僕は行く先々に太陽を持っていくのさ」と言っていた、ズーイの言葉を思い出します。私はズーイのような人間になりたいと思っていましたが、今の私はどちらかと言えばフラニーですね。適応障害になってからずっと、私は他人から優しくされる度に、ベッシーのチキンスープのことを考えていました。
私がこんなことになって会社の上司にも両親にも、数少ない友人にも沢山迷惑をかけてしまいました。そして、沢山の善意を色んな人から頂きました。しかし、当然ながら中には私の意に染まない善意もいくらかはありました。そもそも私自身が強迫観念に取りつかれていたり、自分で自分がわからない状態なわけですから、相手がどれだけ正しくともそれを素直に受け止められない自分というのがたまには出て来るわけです。「そういうことじゃないんだよ」、「どうしてわかってくれないんだ」と何度か苛立ったりもしました。ですが、私もさすがにアラサーですから、他人の優しさくらいは理解できるだけの社会性というものを身に着けてきたつもりです。だからこそ、私はそれ自分の意に染むか染まないかということに関係なく、できうる限りの感謝を胸に刻み、そして素直にその優しさを享受するように心がけてきたつもりです。
先ほどからズーイやフラニーやベッシーなどという人物を登場させてきましたが、これは「フラニーとズーイ」という小説をもとにしています。宗教上、思想上の理由から精神的に参ってしまったフラニーは実家に戻ってきます。そして、そこで兄のズーイからあれやこれやと宗教や思想について言い聞かせられるも、最初はそれに納得できません。母のベッシーに至っては、フラニーの不調が栄養不足にあると思っているのか、しきりにチキンスープを持ってきます。当然ながらフラニーは「そういうことじゃない!」とベッシーのチキンスープを跳ね返します。そんな様子を見ていたズーイはフラニーに対し、とても良いことを言います。「君は善意や知恵のない大学の連中に愛想を尽かしてここに戻ってきたわけだ。でも、君にはベッシーの持って来るチキンスープの意味さえ理解できていない。そんな君に大学の連中に愛想を尽かすだけの資格があるのだろうか」。だいぶ意訳していますが、だいたいはそんな内容が書かれています。
私の現状を打開する上でそれが効果的か効果的でないか、ということを議論することは必要ですが、そこに含まれる善意までを否定する資格なんて私にはありません。たとえそれがどんな格好を取っていようと、そこに含まれる善意やその人なりの知恵というのを私は素直に受け入れ、そして感謝しなければなりません。というか、そういう人になりたいなぁ、と思っているわけですね。
いつもの通り、話が逸れました。新幹線の改札を出ると、友人の車で近くの美味しいと噂のとんかつ屋に行きます。もうお昼です。
古民家という言い方が不適当にお洒落と感じるくらいに民家らしい民家の2階にそのとんかつ屋はありました。1階は小さな図書室みたいになっていて様々な本が置いてありました。流行った本、図鑑、本当に様々です。が、何よりもまずは腹ごしらえ。
ヒレカツとロースカツの盛り合わせを注文して、友人と近況報告をしあいます。既に私の現状は伝えていたので、それからの回復状況や心境の変化なども話すことができました。共通の知人の話などでも少し盛り上がります。みんなそれぞれの歪みを抱えて生きているのだなぁ、と思わされます。「ノルウェイの森」的に言うのであれば。
随分と時間の経った後で、まるで衣を1欠片ずつピンセットで肉に突き刺したみたいな美しいとんかつがシェフによって運ばれてきます。そして、目の前で綺麗に切ってくれるのです。シェフは「失敗してないといいけどなぁ」なんて冗談を言いながら、ヒレカツの薄く赤みがかった艶やかな断面を私たちに見せてくれました。「どうですか?成功ってことで良いですか?」と嬉しそうなシェフ。ロースカツの方は脂身と肉が綺麗に分かれた真っ白な断面。でも見ただけでとても柔らかそうです。「うん。こっちも良い感じだね」。
ヒレカツも美味しかったですが、ロースカツが信じられないほど美味しかったです。今まで食べたとんかつの中で1番美味しい! ロースのぱさぱさしていたり、筋張ったようなところが全くなく、食感はほろほろとどこまでも柔らかく、脂身はぷりぷりしています。そして何よりも、甘くどこか酸味のようなものが感じられ、「これが本物の肉なんだ!」と思わせてくれるような風味。ヒレカツの方も分厚い牛タンを思わせるようなぷりぷりとした歯ごたえがあり、同時に若干の血の風味。その血の風味も決して、エグみがあるわけではなく、生命の迸りのようなものを感じさせてくれました。そんな感じで、大感動のお昼ごはんでした。こんな素敵なお店に連れて来てくれてありがとうございます。
シェフに「良い1日を」という声をかけていただき、1階の静かな図書室へ。私は純文学や哲学、それから科学の本に惹かれ、友人は映画化されたような小説、それから文芸や歴史の本に惹かれていました。趣味は違えど、こうして自分では手に取らないような本を開いてみるというのは、なかなか面白いものですね。個人的にはその小さく温かい図書室の雰囲気も含めて、素敵な時間でした。
それから1時間くらいドライブしながら、ワイナリーを目指しました。友人が運転をしてくれたので、ワイナリーでは私が試飲をさせてもらい、あれやこれやと感想を述べてお互いに買うものを決めました。結局、私はそのワイナリーで1番人気の白ワインの最後の1本と、赤ワインを1本買って実家に送ることにしました。白ワインの方は香りが高く、非常に爽やかな印象で母や妹でも飲みやすい味。赤ワインの方はそこまで重たくないけれど、渋味が強く、私好みのものを選びました。年末年始に帰省することができたら、一緒に飲みたいものですね。
ワイナリーを後にした後は、また市街地に戻り、私の提案で映画を観ました。あまりアクティブなことをするだけの元気がちょっとなかったので(笑)。映画はドラえもんの「STAND BY ME 2」。ちょうど良い時間のものがそれしかありませんでした。ドラ泣きまではいきませんでしたが、なかなか感動をさせられました。おばあちゃんとのエピソードが主軸にありながらも、内容の大半はタイムリープもので結構コミカルでした。割とずっと矛盾点(タイムパラドックスほど厳格なものではないですが)と思っていた部分も最後にきちんとドラえもんの道具で辻褄が合わされていましたし、子供でも理解できるような内容だったので、さすがにお金がかかっているなぁと思いました。
見終わった後で友人は「のび太ってあんなにダメダメだったっけ?」と言っていましたが、私は「のび太もすごいちゃんとしてるんだなぁ」と思っていました。人によって感じ方が色々と違うんですね。「自分にはしずかちゃんを幸せにできないから身を引く!」と言い出したのび太君には非常に共感できるところがあります。これについては、気が向いたら次章で話そうと思います。
映画を観終わるともう外は真っ暗。そろそろ帰ろうかとも思いましたが、ドライブ中にその日からイルミネーションが始まるという情報を得ていたので、せっかくなのでそれを見ていくことに。正直なことを言えばあまりたいしたことはありませんでしたが、街中が例年よりは幾分か静か目のクリスマスムードになっていて、その何とも言えないノスタルジックな景色が美しかったです。
前にこっちに来たときには、1日と体調がもちませんでしたが、とりあえず疲れはあるものの神経過敏の症状が顕著に現れたりすることはありませんでした。そんなことも話して、「無理しないように」と友人からアドバイスを貰って別れます。
帰りの新幹線の中で宮本佳林ちゃんの卒業前最後のtiny tinyを観ます。
宮本佳林ちゃんは私がハロプロにきちんとハマるようになったきっかけのアイドルなので、非常に思い入れがあります。卒業発表をしたときにも記事を書いているので、せっかくですからそれも宣伝させていただきます。また、宮本佳林ちゃんのJuice=Juiceとして最後のシングル曲となった「好きって言ってよ」の中でも、少しだけ卒業に関する部分を話しているので、そちらもよろしければ。
佳林ちゃんの卒業についてはまた改めて記事をまとめたいとは考えていますが、何よりも私がtiny tinyというYouTube番組の中で感じたことは「さすが宮本佳林!」ということですね。Juice=Juiceというグループが卒業加入を繰り替えすグループになったことや、グループとしての新陳代謝を上げるためにも、自分の卒業ということに意味を見出している佳林ちゃんには頭も上がりません。本当にお疲れさまでした。
そんな朝から1日、楽しく素敵な1日でした。
3.適応障害と診断されて53日目~同期と千葉旅行~
前日に引き続き、アクティブな1日になりました。朝9時に東京駅に会社の実習同期と集合。特にノープランでしたが、レンタカーだけは予約していたので、何となくで千葉に行くことに。まずは九十九里浜を目指して車を走らせます。昼前には着きますね。
学生時代から付き合っている相手と婚約した話や、転勤が決まった話、私の病気の話などお互いの近況を報告し合います。みんな大変そうですが、それぞれの道で自分の幸せに向かっているのが、何だか眩しく感じられます。首都高で道を間違えたりしても、それを誰のせいにするでもなく、「ほら、到着時刻的にはちょうどお昼ご飯の時間になったじゃん!」とかそういう風に自然と前向きになっていく同期みんなの人間性には本当に惚れ々れします。私にも優しい言葉を沢山かけてくれますし、自分の苦労話も面白おかしく話したり、幸せな話も素直にありのまま話したり、そういうことができる同期を心から尊敬しています。もちろん、お互いに持ち寄った会社の裏事情など、ちょっとブラックな話もとても楽しいものではありますが。
九十九里浜について、とりあえずは腹ごしらえ。刺身定食や鰯フライ、焼き蛤などを頼んで、海の幸を堪能します。やっぱり新鮮な魚介類って最高ですよね。体に生命力が宿って来るような感じがします。
昼食後は浜辺まで出てみます。
九十九里浜の広さに感動!
風が強く、少し寒さもありますが、サーファーたちはそれにも負けず、一生懸命に波と戯れています。波打ち際でだらだらと話したり、写真を撮ったり。時折、長く手を伸ばしてくる波を避けるようにみんなで後ろ歩き。湿った砂は空や雲を反映し、どこまでもうねるようにして連なっています。波が引いた後の砂を踏むと、水が浸み出して色が明るくなります。そして、その足を狙うようにして、また波が打ち寄せてきます。ただの繰り返しなのに、見ていて、感じていて飽きないのはなぜでしょう。不思議ですね。遺伝子レベルで惹きつけられるような気がしているのです。海を眺めてこういう気持ちになることが人間という種の存続においてどう重要だったのでしょうか。こんな気持ちなんて必要なくなれば、もっときっと生きていくことが楽であったはずなのに。
みんな何となくもう少し海を見ていたいような気持であったはずですが、さすがに風が冷たく、またあっという間に時間が過ぎ去ってしまいそうだったので、次の目的地と目星をつけていた成田山新勝寺へ向かいます。
私を含め、みんな初めて訪れる新勝寺。その大きさや立派さに感銘を受けます。こんなでっかいものをいったいどうやって昔の人は作ったのか。ありきたりの感想を、ありきたりな顔をしながら言い合うのも一興。まただらだらと話しながら、ぐるっと一周します。歩いているうちに、二日酔いで今日のドライブをドタキャンした同期や、当初予定が合わなかった同期から連絡が来ます。じゃあ、レンタカーも返さなきゃいけないし、東京駅に集合ということで。私たちのドライブ班の予定に合わせて、皆を東京駅に召集します。
八重洲口方面の小さな飲み屋で久しぶりの同期会。
二日酔いでドタキャンした同期が、ようやく彼女ができそうだということで皆で次のデートプランを考えてやります。私にはアドバイスできることなんてありませんから、とにかく私もそのアドバイスに「へぇ」と頷いていました。どういうプランが良いだとか、当日の天気も含めて2つくらいプランは考えておいた方が良いだとか、クリスマスまで見越すべきだとか、そういうことをずっと話していたように思います。世の男性はみんなそういうことをちゃんと考えて、実行に移しているから彼女ができるんだなぁ、ととても勉強になりました。でも、1番素晴らしいのはその同期が、ちゃんと相手の女の子のことを好きで、その子のためにちゃんとアドバイスを聞いているということでした。その子がどういうタイプの子で、どういう家柄の子で、次のデートではどんなことを期待しているのか。みんなで考えて知恵を出し合い、そして当人も真剣にどの案が自分にも自然にできて、相手を喜ばせられるか考えている。なんて素敵なんでしょう。
でも、それと同時に私の中にはいつものように、何とも言えない疎外感のようなものが湧き上がってきました。
前日にドラえもんを観たときもそうです。なんだかんだのび太君は「自分でしずかちゃんを幸せにする!」と決心をしていました。のび太君の「自分と一緒にいたらしずかちゃんは不幸になってしまう!」という気持ちには100%共感できるのですが、私には改心して「自分が幸せにする!」となれるのび太君にはほとんど共感することができません。もちろん、素敵だなぁとは思いますけれどね。
実際的に私は女性にモテる要素は何一つありません。でも、仮にモテるための努力をして、それなりのスペックを手に入れたとしても、きっと私には結婚なんてことはできないでしょう。同期からも「好きな子とかいないの?」と聞かれますが、「いい子だなぁ」と思う子はいても、「好き」だとか「付き合いたい」だとかそういう気持ちにまではなれません。いや、もちろん酔っ払っている時とか、何となく機嫌の良いときには「好き」だとか「付き合いたい」だとかそういう気持ちが湧いてくることもあります。でも、私にはそれらの気持ちについて何らかの判断を下す以前に、もっと考えるべきことが山ほどあります。そう、自分の事です。他人の事なんて考えている余裕なんてずっとないんですよ、私には。
こうして適応障害になるよりもずっと前から私には「To be, or not to be, that is the question.」というのが頭にはあります。ハムレットほど運命に惑わされているわけではありませんけれど、私もまたずうっと困っています。「生きたい!」と思えばこそ、何かしらを得たいと思えるとは思いますが、私はまだそのラインに立つことができていません。私には自分の「死にたい」という気持ちを宥め、そいつと付き合ってやるだけで精一杯なのです。そんな状態にいる人間が誰かと一緒になったりなんてできるわけがない、と思うのです。少なくとも、私には責任は取ることができません。
人によってはこんな私に「自己愛が強すぎるよ」と言うかもしれません。それは半分は正しいと私も思います。でも、光と影、いや鏡の外と中のように私に不足しているのは「自己愛」なのかもしれません。私は四六時中自分のことばかり考えていますが、私は自分の事を大切にしようとかそういうことをあまり強く思えません。というか、もしも私が私自身の願いを本当に叶えるのだとすれば、今すぐ首を括るよりほかありません。何とかその第1希望が達成できないように、第2、3の妥協案を提示し続けることこそが私のやるべき事なのです。でも、当然ながらその第2,3の妥協案は第1希望とはなかなか折り合いをつけることができないものですし、今のところ私が私自身に提供できるのは、このブログで何度も言ってきているように「死んだように生きる」という指針だけです。
こんな状態の人間には到底他人の面倒なんて見てやれませんし、ましてや私が「いい子だなぁ」と思う子に、自分の面倒ごとを押し付けようとは思えないわけです。
つい最近婚約に漕ぎ着けた同期も、そろそろ結婚を考えだしている同期も、恋人ができそうな同期も、どこか私とは違う次元にいる人間ように思え、私は寂しくなります。疎外感から悲しくもなります。でも、みんな素敵な人間なんです。みんなのことが好きであることには変わりがないのですが、どうしても私はそっち側に行けない。こうしてみんなでお酒を飲んで話しているのは楽しい。でも、そういう「楽しい」が増えれば増えるほど、ガキっぽい天邪鬼が手招きして、私はまた死にたくなるのです。
飲み屋を出て、東京駅の自由通路を抜けて、丸の内方面へ。美しい東京駅の夜景を眺めながら、まただらだらと話します。そう言えば、言い忘れてましたが、この日に集まった同期の中の1人は、もう既に別の会社に転職しています。それぞれにそれぞれの目標に向かって生きているのです。美しい夜景を眺めながら、少し青春っぽいことを話したり、それに恥ずかしくなってまたおちゃらけたり。美しい時間を過ごします。
私と違ってみんなは翌日からまた仕事があるので、最後の言葉を交わし合って、各々の電車に乗って帰っていきます。
たまたま私は婚約を決めた同期と同じ電車だったので、しばらく2人で隣り合って、これからのことを話します。死にたいという想いを殺しながら、どうにか笑顔で「婚約おめでとう」とだけ言って、私は先に電車を降りました。でも、本当に幸せになってくれればいいなとは思っているのです。私の死にたいという想いとは関係なく、みんなにはみんなの幸せがあり、自分の事で手一杯の私でもその幸せを願うだけのことはぎりぎりできます。
ただ、独りきりの夜道は酷く苛立たしく、さっきまでの幸福感が嘘みたいに辛く、苦しいです。楽しい時間が終わったことに対する寂しさからこうなってしまうのでしょうか。いつもこういう気持ちになるのですが、その理由が未だによくわかりません。でも、冷たい夜風にあたっているうちに酔いも醒めて来て、少しずつ気持ちが落ち着いてきます。
寮まであと少し。足を止めず、歩こう。そして、薬を飲んで寝る。それ以外のことはまた明日考えればいいじゃないか。
4.適応障害と診断されて54日目~眠眠眠眠眠眠~
昨日、一昨日と1日中外に出て遊んでいたので、さすがに疲れがどっと出ました。幸いなのは、これだけ疲れているにもかかわらず適応障害の症状(不安障害その他)が出なかったことです。まだまだ神経は弱っているから、1日行動していればひどく疲れますが、それで酷く気持ちが落ち込んだり、頭痛が出たりすることはもうなくなったのかもしれません。そういう意味では、1日中寝ていながらも回復を感じる1日ではありました。もちろん、この2日間は遊びに回っていただけですから、ストレスを感じることはほとんどありませんでした。だから、職場に復帰してストレスがかかった時には、まだ適応障害の反応が出るかもしれませんけれど。
とりあえず、ずっと眠りながら動画を観るだけの1日でした。
ようやく「カウボーイ・ビバップ」の全26話を見終わりました。終始雰囲気が良く、人間臭い感情の揺れ動きなどがシックに描かれているので、これは確かに「伝説のアニメ」だと思いました。
あとは、今日は洗濯をしました。随分と洗濯ものが溜まっていました。
そして、この適応障害ブログもずっと書けていなかったので、書くことが溜まっていました。ようやく椅子に座るだけの元気が出てきた夜の9時頃から、パソコンに向かっています。いつの間にか日を跨いでしまいましたね。
最近は徐々にですが、体調が良くなってきているので、復職のことをちょっと考えるようになりました。復職に対する恐怖はあります。でも、自分の中では復職してまたダメになったら今度こそ転職かなぁ、と思っているのであまり思い詰めることはありません。ただ、簡単に転職すると言っても、私にはやりたい仕事なんてありませんし、どういう人生にしたいとかもありません。私がやりたいと思える唯一の事は「死んだように生きること」だけです。
さて、どうしたものかな?
ともかく、今はせっかくのゆっくりできる1日1日を噛み締めながら、生きていきましょう。
次回