はじめに
もう長いことハロヲタをやっているので、僕はJuice=Juiceの結成当初から彼女たちを知っている。けれど、決して熱心なヲタクとは言えず、どちらかと言えば「在宅のライトヲタ」という汚名(と自虐してみてもいいだろう)を拝受してきた。色々な事情があるにせよ、ファンクラブに入ったのも2024年に入ってからだし、現場にはたまの武道館公演に顔を出すくらいで、接触も苦手と来ている。
こんな僕に語れることはたいしてないかもしれない。
けれど、この間の9月の三連休。僕の数少ない友人と山陽地方から博多までをサシでドライブしまくる食い倒れ小旅行を敢行してきたときの話。僕は日頃からアイドルヲタクであることを公言してはいたけれど、興味のない人にアイドルの話を語ったりしないよう気を付けていた。しかし、この小旅行はサシでしかもほとんどがドライブ。話のネタが尽きることもあろう。そのときこそ、僕はアイドルの話、とりわけ大好きなJuice=Juiceの話を熱く語ってみようと意気込んでいた。
日がなシャワーを浴びながら、髭を剃りながら、アイロンをかけながら、僕はJuice=Juiceの歴史やグループの変遷の面白さ、何がそこまで魅力的なのかを独りで喋る練習を重ねてきた。それをそのままそっくりと、2時間でも3時間でも語って聞かせ、僕が好きなものがいかに素晴らしいかということをおもしろおかしく伝えたかったのだ。しかし、その試みはまったく以って上手くいかなかった。
会社での就労状況に納得のいかない友人の愚痴を受け止めつつ、「どうしたら素晴らしいチームが作られるのか」という話をJuice=Juiceを題材として展開させようとしたのだけれど、まったくと言っていいほど彼は僕の話に興味を持ってくれなかった。たぶん僕の話術が拙過ぎたのだろう。
不燃ゴミになってしまった僕の想いはそれからずっと燻っていた。
先日、Juice=JuiceのTRIANGROOOVE2の初日公演に参加してきた。本庄は遠かった。しかしとても良い公演で、あれから僕の高揚感は横隔膜のダンスフロアで小躍りし続けている。明日も仙台まで足を延ばすつもりだ。
でも!
もう我慢ができない。僕はこの想いを吐露せずして、明日を迎えることはできない。そう思い立ち、勢いよく浴室を飛び出してきた。が、急いても仕方がない。なにより僕の頭に湧いて出てきたのは、もっと長大な構想である。読んでも読んでも読み切れないほどの……あの出来の悪かったかつての修士論文に引けを取らないほどの素晴らしいものを書こう。気合を入れて。
というわけで、これからどれくらいかかるのかわからないが、まぁ、ざっくりとTRIANGROOOVE2のSpecial、武道館公演を締め切りと考えて、ひとまず長ったらしい文章を書いていこう。長いという以外に、僕の愛の示し方はない。元在宅ライトヲタの汚名を返上しよう。ここで、この手で。
- はじめに
- 導入
- グループの結成
- 閑話休題:コピンク*について
- From 2014, 変革の刻~LIVE MISSION 220~
- 閑話休題:LIVE MISSION FINAL at 日本武道館
- 新メンバー加入、まさにそのとき
- 閑話休題:新メンバー加入後
- 稲場愛香と井上玲音
- 閑話休題:山崎あおい楽曲がJuice=Juiceの魅力を引き出した件について
- 3flowerとさくりんご
- 閑話休題:真面目過ぎるが故
- 2024年11月現在、初のオリメンなし武道館公演を控え
- おわりに
導入
結論から言えば、Juice=Juiceの素晴らしさは以下の2点に集約される。
・パフォーマンスで客席と繋がる
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
これらはJuice=Juiceが様々な困難を打破する過程で手に入れた憲法であり、現在においてもそれはグループのDNAとして遵守されている。と、考える(控え目にするためにこういった蛇足をつけなければならない)。
はっきり言って、僕はここにこれだけを記せばいいのだけれど、もちろん上記の2点以外にも語りたいことはたくさんあるし、なんと言っても、この2つの憲法がどのようにして獲得され、現在も機能しているのかということを語らずして、僕の熱い想いは平熱を取り戻すことがないことは明白だ。
とは言え、この話はもうすでに別の記事でも何度もしているものであって、僕にとって目新しさというものはあまりない。大切な話なので何度話してもいいのだけれど、たぶん僕にはもっと話したいことがあるんだと思う。でなければ、この溢れんばかりの熱い想いはどこから来るというのだろうか。僕はこの想いの根源を突き止めるためにも言葉を尽くさなくてはなるまい。
というわけで話をどんどん進めよう。
上記の2つの憲法は、1つ目は主に宮本佳林が作り上げたもので、2つ目は主に宮崎由加が作り上げたと僕は考えている。
佳林ちゃんの卒業公演のスピーチにて、
普段、ありがとうの気持ちを伝えるのが恥ずかしくてですね、「パフォーマンスで伝える」なんて言っていますが…(略)
という言葉がある。確かにほかの様々なところで佳林ちゃんはパフォーマンスを通して感謝を伝えるというスタンスを明らかにしている(引用元を探すのが手間なので、上記の卒業スピーチだけで勘弁してほしい)。これは後で嫌というほどちゃんと説明しようと思うが、初期Juice=Juiceのある意味での「不器用さ」を補完するためには非常に重要だったスタンスであり、しかしそれはある時期から突出してグループとして1つの個性となり、今でも(おそらくは)Juice=Juiceメンバーにとっての重要な指針になっている。
2つ目の憲法は、宮崎由加初代リーダーが語ったものと記憶している。
このブログに明確に「いつの時代も~」という言葉が出てくるわけではないが、基本的な思想はこのブログが1番良く伝わってくるだろう(言葉自体がどこで使用されているか知りたければ、そのまま検索すればいくつかのSNSの投稿が引っ掛かるのでそちらを参照されたい)。特にその言葉の根幹にあったのは、「今まで5人グループとして完成されていたJuice=Juiceに新しく加入してくるメンバーが不安に思わないように、嫌な気持ちにならないように」という配慮だったと僕は思っている。
今ではもっと言葉通りの意味で、もっと前向きに使われているきらいがあるけれど、それでも本質的には変わらない。形が変わっていくJuice=Juiceというグループ。でも、どの形も、どのメンバーも否定しない。みんなが最高。そういうことだ。
この2つが機能している限り、Juice=JuiceはJuice=Juiceとしての形を継承していけるのだろう。そして、僕が語りたいのはその2つをどのようにして獲得していったかということだ。それをある程度のグループの歴史とともに振り返りながら、もっと腑に落ちる形で納得させたい。誰を納得させたいのか……それはわからないけど、僕自身はもっと強く、それを噛み締めたいと思っている。
というわけで、まずはグループの結成から振り返っていきたい。
グループの結成
ざっくりと言えば、Juice=Juiceは当時冷や飯を食わされていたハロプロ研修生のエリートが集められたグループだった。宮本佳林をはじめとして実力者は多数いたが、既存グループで減員があった場合の追加メンバーとしてしか、メジャーデビューの道がなかったと言っていい。
と、そんな風に思っていたけれど、きちんと調べてみれば2009年にスマイレージが結成、2013年にJuice=Juiceが結成なので、新グループ結成の間隔としては4年とそこまで長いわけではなかったかもしれない。僕も若かったからその4年を長く感じていたのだろうか。しかし、何となくだけれど、あの頃の研修生にはどこか閉塞感のようなものがあった記憶もある。実力があったのに、結局デビューできずに研修生を辞めていった子たちのことも覚えている。特に佳林ちゃんと仲の良かった田辺奈菜美も人気があったけれど、ハロプロではデビューできなかった子の1人だ。
しかし、この空白の4年(とでも言えばいいか)は、佳林ちゃんの研修生(当時はハロプロエッグという名称だった)加入からJuice=Juice結成までとほぼ符合しており、つまりは佳林ちゃんが既存グループの新メンバーオーディションに落ち続けた歴史と言ってもいい。
※ここで本記事の注意点だが、僕はずっと佳林ちゃんが1番の推しメンだった。故に、佳林ちゃんメインの記事になってしまう部分もあるが、その点はどうか許容していただきたい。また、ここであらかじめ触れておくと、現在のメンバーでは松永里愛推しである。
そういった経緯もあって、僕の中ではこの4年間というのは、なんだか薄暗い印象がある。というか実際には2008年当時は僕が『リゾナントブルー』を契機にハロヲタになったあたりで、その頃はほぼモーニング娘。しか追っていなかった(が、『おじぎでシェイプアップ』に佳林ちゃんが出ていたり、実は彼女の存在は知っていたのだ)。なので、当時の研修生(ハロプロエッグ)がどのような空気間だったのかまでは正直知らない。ただ、繰り返すように佳林ちゃんがずっとデビューできなかったという1点だけに絞って、僕はこの4年間を薄暗いものとして考えてしまっている。
だから冒頭で「冷や飯を食わされていた」なんてことを書いたわけだけれど、そういう書き方をして伝えたかったのは次のようなことだ。僕の印象で言えば、どの新メンバーオーディションにも合格できなかった佳林ちゃんが、ようやく自分のグループでデビューすることで、ハロプロ界隈に風穴を開けたという感じがする。このことは下記にリンクを貼る佳林ちゃんのインタビューを聞いていただければ何となく伝わるかもしれない。
「革命」というたいそうな言葉を使ってはいるけれど、大切なのは「自分たちの後にも新しい研修生ユニットがデビューできるように、自分たちがしっかりと成功しなければならない」というようなことを語っていることだ。この切迫した佳林ちゃんのインタビューを聞いているから、私はどうしても「当時の研修生からは新しいユニットを立ち上げることが相当に困難なことであった」と思ってしまう。
つまり、(このときはまだグループ名がなかったけれど)Juice=Juiceは研修生にとって背水の陣で結成されたグループという感じがある。上記のインタビューでさらに佳林ちゃんが語っていることとして、「歌もダンスも完璧にして、完璧を追及して」とあることから、少なくとも「まだまだピチピチの新グループなんで。てへっ」というような隙はまったく感じられない。もちろん、デビューが遠かった佳林ちゃんだからこその言葉であり、実際のところほかのメンバーはもう少しゆるっとインタビューを受けていたりもするので、佳林ちゃんの言葉がすべてというわけではない。しかし、結成時点では人気も実力もほぼ最上位であった佳林ちゃんがそういう想いをかけているのだから、グループとしてもそういう温度感にならざるを得なかった部分はあるだろう。
後の話にはなるが、Juice=Juiceはそれなりの成果を残し、2年後の2015年にはこぶしファクトリーが結成されている。佳林ちゃんの誓いは、まぁ、達成されたというところだろう。
そんなわけで結成時点でJuice=Juiceは、佳林ちゃんの苦節4~5年というものも含めて、様々なものを背負っていた。デビュー前から「ハロプロの最終兵器」と呼ばれていた宮本佳林が語るところによれば、スキルを完璧に追及したグループとならなくてはならない。
メジャーデビュー前に大塚愛菜が脱退してしまう(契約が合意に至らなかったとのこと)というハプニングはあったものの、デビューシングルの『ロマンスの途中』では既に、金澤朋子・高木紗友希・宮本佳林という3人が主力として歌をうたい、そこに温和で理知的なリーダーの宮崎由加、可能性と美貌の植村あかりが両翼を担うという構成が出来上がっていた。最近の新グループと比べて少人数ということもあるけれど、名実ともにエースであった佳林ちゃんを中心に、かなり完成度高くまとまっていたことがわかる。
そして、王道ハロプロファンクで楽曲大賞にも輝いた『ロマンスの途中』を皮切りに、2ndシングルの『イジワルしないで抱きしめてよ』ではアシッドジャズの洒落っ気を振りかざし、これもまた楽曲大賞。3rdシングル以降も、フラメンコの『裸の裸の裸のKISS』、タンゴの『ブラック・バタフライ』、ケルトの『風に吹かれて』、電子と歌謡の融合『背伸び』、フレンチポップの『Ca Va? Ca Va?』など多種多様な楽曲を与えられ、すべてを高水準にこなしていく。
この辺りのことは過去に記事にまとめているので、自分で自分を引用するのは気が引けるが参照していただければと思う。
グループ結成当初から、Juice=Juiceは背負うものが大きかった。気負いも大変なものであった。故に、なのか、あるいはたまたま集まったメンバーたちの個性なのか、おそらくはその両方だとは思うが、Juice=Juiceには「あそび」があまりなかった。『初めてを経験中』や『アレコレしたい!』などの可愛い楽曲も与えられたが、それをメンバーたちは「うまくやった」のであって、自らの言わば「舌っ足らずな可愛げ」のような「隙」を見せるにまでは至らなかったように思う。
それはエースである宮本佳林の精神性と、彼女が年下ではあるにもかかわらず経歴も実力も1つ抜けているという「メンバー間のバランス」も大きかっただろう。年上メンバーは佳林ちゃんの邪魔をせずに、何とか追い付かなきゃというのに必死で、グループの雰囲気をもっと楽しく、砕けて、いい意味で「ふざけた」ものにしようというところまではいかなかったと思う。佳林ちゃんは佳林ちゃんで、「自分がこのグループを引っ張らなければ」というのがあっただろうし、誰が悪いとかそういうことじゃなく、当時の彼女たちにはそういった様々なバランスを調整しながら、とにかく次から次へと降ってくる課題曲(上述の通り、多種多様なジャンルの音楽)を完成度高く打ち返し続けなければならなかった。
こう言ってはなんだけれど、僕はこの頃のJuice=Juiceが音楽的には1番好きだったかもしれない。Juice=Juiceを通して、僕の音楽観は広がっていったし、何よりどんなジャンルの楽曲を振られても、精度高く打ち返しているその姿がカッコ良かった。この時期にこそ僕はJuice=Juiceにどっぷりとハマったのであったし、どうしたってそこには音楽的にワクワクする要素が必要だった。
けれど、そんな僕の気持ちとは相反するように、「すごいのはすごいのかもしれないけど、心が揺さぶられない」といった評価をたまに目にした。まぁ、ネット上であったので、そんな声など無視していればいいのだけれど、しかし、彼らの言わんとしていることもわからなくもなかったのが事実だ。
色んな課題曲に対して、正確に球を打ち返せるけれど、Juice=Juiceとしての顔が見えてこない。それはある意味では結成当初からどんどん悪化していることであったかもしれない。しかし、それは仕方のないことでもあった。繰り返しになるけれど、年齢差の問題、アイドル歴やスキルの差の問題、結成の背景や個人の資質から来る精神性の問題(精神性に対して”問題”という言葉を使うのはよくないと思うけれども)。そういうものが彼女たちを凝り固まらせていた。
閑話休題:コピンク*について
宮本佳林個人の話になって恐縮だが、やはり佳林ちゃんなくして、Juice=Juiceの歴史は語れない。まぁ、僕個人の勝手な想いではあるけれど。
コピンク*は静岡ローカル局の深夜の情報番組「コピンクス!」の中のキャラクターである<コピンク>の声優を佳林ちゃんが務めたところから始まったプロジェクトである(と言っていいだろう)。「コピンク*」とは言ってみれば、佳林ちゃんが架空のキャラクター<コピンク>として歌っているときの名義みたいなもので、「コピンク*」名義で発売されたアルバム「コピンクス!メロディーズ~star chart~」はかなりの名盤である。
※色々と間違っている部分もあるかもしれないので、上記の各名称の定義などは話半分に聞いておいてほしい。ただ、「コピンクス!メロディーズ~star chart~」が名盤であることは担保しよう。
僕はこの「コピンク*」の存在を後追いで知った。ので、当時から<コピンク>ないし佳林ちゃんを応援していた人たちには頭が上がらない。とは言え、佳林ちゃんのデビュー直後くらいにはその存在を知り、早速アルバムを手に入れ、「これはヤバい」と震えたのを覚えている。そして、「コピンク*」を知る人たちが当時のJuice=Juiceに対して複雑な想いを持っていることも何となくわかった。
「ほかのメンバーが足を引っ張っている」とまで言う人はさすがにおかしいと思うけれど、「これが本当に宮本佳林の正しい使い方なのか?」という疑問は確かに、後追いの僕にも少し生まれたのは事実だ。「コピンク*」の楽曲は清廉でフワフワしていて、ピュアな煌めきを放つ、まさに宮本佳林にうってつけの楽曲だった。それはハロプロ楽曲とは呼べない類の楽曲ではあった。しかし、それにもかかわらずその楽曲の個性は佳林ちゃんの個性と見事に符合していた。佳林ちゃんがJuice=Juiceを卒業して、「コピンク*」の制作陣と再度作り上げた『ポラリス・コンパス』を聴いてもやはりそう思う。佳林ちゃんがどのように構成されていったのかを考えると、この「コピンク*」的な世界観が先に軸として存在し、そこにさらにハロプロ的な独特の節回しなどを積み上げていったのだろうという感触がある。例えば『Lonely Bus』などは星部ショウさんや大久保薫さんが携わっており、まさにハロプロ的な楽曲だが、確かにこういう楽曲もとても似合うようになった。ハロプロで歌い続けてきたからこそ『Lonely Bus』も歌えるようになったのだと個人的には思っている。
少し1つのパラグラフが長くなったが、要は初期Juice=Juiceにおいてその中心的なメンバーである佳林ちゃんが既にJuice=Juiceとは別のところにある独自の強烈な色を発露していたという事実があるのだ。もっと卑近な言葉で言えば、「『コピンク*』みたいなのを最高に上手に歌える佳林ちゃんを使って、Juice=Juiceはいったい何をやっているんだ?」、さらに端的に言うと「佳林ちゃんの無駄遣い!」「「無駄遣い!」」という感じだ。
もちろんこれはあくまで佳林ちゃんを熱心に応援しているヲタクたちの言葉でしかなく、ほかのメンバーにはあまり関係ないように見える。しかし、研修生歴が1番長く、アイドルやステージのいろはを知っており、内外から信頼を得ている中心メンバーがそのように思われているというのは、なかなかに厳しいところがあるだろう。
僕個人的には、あまりに「コピンク*」は完成されていたし、それがハロプロの文脈とはかけ離れているという感覚があったので、Juice=Juiceに対して「コピンク*」を求めたことはなかった。しかし、「果たして佳林ちゃんはJuice=Juiceでの活動に満足しているのだろうか」と訝る瞬間はあったように思う。もちろん佳林ちゃんを含め、Juice=Juiceのメンバーは目の前のことに精一杯であったろうし、それ故にそんな余計なことなど考える暇もなかったに違いない。でも、僕が大好きだった初期Juice=Juice(様々な音楽ジャンルへ挑戦を続けていた時期)においてもしもノイズがあったとすれば、やはりその「コピンク*」に関する点なのである。
From 2014, 変革の刻~LIVE MISSION 220~
あらかじめ言っておくと、この章はかなり長くなる。
LIVE MISSION 220を語らずして、Juice=Juiceのアイデンティティ形成は説明できない。「220」は上記のような、ある意味では「パッ」としないJuice=Juiceが武者修行のように約1年半で220公演を完遂する、ということに目標設定された一連のライブハウスツアーのことである。
しかし、そこに取り掛かる前に今一度これまでの話を振り返っておきたい。
僕はかなりマイナスイメージな言葉を使ってきたように思う。しかし、何度も言うが、僕がJuice=Juiceのファンになったのは上記のその「パッ」としない時期なのだ。具体的に言えば、デビューのスタートダッシュこそ『ロマンスの途中』と『イジ抱き』でぶっち切ったけれど、その後少しおとなしくなっていった時期……『裸の裸の裸のKISS』~『風に吹かれて』~『背伸び』の辺りにどっぷりとハマっていった。2014年のことだった。
当時の僕の精神状態はあまり芳しくなく、故に(当然の公理として使用するが)「弱っているときにハロプロにハマりやすい」という慣例にしたがって、僕はさらにハロプロ全体の沼に身を沈めていくことになる。しかし、その当時は2014年……と言えば、お分かりの通り、モーニング娘。'14が伝説になった年である。もちろん僕は『リゾナントブルー』からモーニング娘。にハマっているので、ずっとモーニング娘。を推してきた。当時ももちろんモーニング娘。'14の伝説に酔いしれていた。しかし、当時の僕にとってみれば彼女たちは輝き過ぎていたし、どうやら僕の心はもっと粛々としたものを望んでいたようだった。
そんな中で2014年のJuice=Juiceは恰好のアイドルだった。僕と同じように……とまではいかないけれど、何かしら悶々としたものを抱えながらも、与えられた多ジャンル音楽を粛々とひた向きに打ち返していた。その精神性が薄暗い闇の中でぼんやりと光って見えた。音楽全般に興味が絶えなかった当時の僕の心持ちというのも重なった。
こんなに凄いことをしているのに、なんでもっとみんなは騒がないのだろう。
そう思いながらJuice=Juiceを見ていた。
Juice=Juiceは最初から素晴らしかった。既に書いた通りであるが、『ロマンスの途中』から完成されていたではないか。ゆかにゃとあーりーは確かにまだ歌に自信がなさそうだったけれど、いい味付けにはなっていたし、なんと言ってもグループの雰囲気を暖かくしていたのは2人だと思うし。そして、金朋・さゆき・佳林のトライアングルの質はかなり高かった。様々なジャンルの音楽を表現できていたことからも、スキル的には何も申し分がなかった。そういう意味では、やはりハロプロ研修生から背水の陣で結成された「エリート集団」という下馬評に恥じないクオリティを見せてくれていたと思う。
だから歌やダンスがにっちもさっちもいかなくて、パフォーマンスがガタガタでとても見ていられないということはほとんどなかった。そういうタイプの苦労とは無縁のグループだった。5人のバランスが悪いというわけでもない。楽曲のクオリティも高い。
彼女たちが抱える苦悩はむしろ、「エリート過ぎて可愛げがない」や「教科書通りでつまらない」とかそういう面だったと思う。
2014年にハロプロ界隈を席巻していたのは、道重さゆみ率いるモーニング娘。'14だ。まず道重さゆみという存在があまりにもアイドルとして最強だった。歌もダンスもダメ。でも、ひたすらにモーニング娘。へ愛を捧げ、自分だけの可愛さを追い求める彼女の姿は多くの自信のない人間たちに希望を与え、共感性を生み、自身の様々な面での成長を成し遂げることによってフォロワーを拡大していった。もはや神格化されるほどの存在であった。
ある意味では「逆Juice=Juice」みたいな存在だったように思う。
歌やダンスのスキル、表現力はあるけれど、個性が見えてこない。それがJuice=Juiceの抱える苦悩であった。道重さゆみ率いる「'14」が席巻するハロプロ界においてこそ、Juice=Juiceはより評価されにくかったように思う。デビュー前から「コピンク*」というプロジェクトで完成されていた宮本佳林を中心に据えて、そこに加えられたメンバーはハロプロ研修生選りすぐりのメンバー。しかも彼女たちは、後に続く研修生ユニットのことまで考えて、「絶対に成功しなければ」という背水の陣で活動している。にもかかわらず、年齢とアイドル歴の逆転があったりと人間関係的な面でも難しさを抱えている。
道重さゆみという苦節を跳ね返してきたレジェンドが、小さい子たちをまとめて、ステージを行う。子どもたちは道重さゆみという道しるべのもとに集い、1つの方向を向いて団結している。そして、子どもたちの中の1人、鞘師里保は圧倒的なスキルと個性、それから重厚な魂で集団を引っ張っていく。こうやって文字に起こしているだけでも当時の熱狂が思い出される。それくらい「'14」は凄いグループだった。
この同時期の2つのグループの対比は、僕の中で最近意味を持ち始めていることだ。それは上述の通り、「それでも僕はJuice=Juiceの方により惹かれた」からだ。なぜ僕はあの時期にJuice=Juiceのことを好きになったのだろう。それが自己理解に繋がると踏んでいる。たぶん僕がその当時抱えていたアイデンティティクライシスみたいなものは、Juice=Juiceが抱えている戸惑いと似ていたからだと思う。
また僕個人の話になって恐縮だが、その頃の僕はきちんと勉強して割といい成績で大学に入ったのに、大学に入ってみればテストの結果は廊下に張り出されないし、テストで良い点を取ること以上に「大学生らしい」楽しい生活を送れていることの方が評価される世界観に打ちのめされていた。今まで僕が頑張ってきたことって何だったんだろう。「大学生らしい」楽しい生活、ってなんだろう。僕ってなんなんだっけ。そんなことをよく考えていた。
何かに対する執拗なほどの愛もなければ、もともとは自分に自信があったはずなのに何かそれが空虚に感じられる、という「'14」とは全く逆の世界観で生きていた。それでも「'14」に勇気づけられることも、癒されることも多々あった。けれど、そこには「答え」のようなものは見つけられなかった。むしろアイデンティティを求めるようなタイプの音楽や小説、映画とかそういう方向に救いを求めるようになっていた。
が、そんな時期にJuice=Juiceを知った。そして彼女たちが抱えている戸惑いや苦悩、フラストレーションのようなものがなんというか僕の目には親密に映った。実力も覚悟もあるはずなのに、なぜだか自分たちは人の心をうまくは揺さぶれていないようだ。グループとしての個性がないと言われている。色んなタイプの楽曲をこなし、表現力もついているのに。いや、「こなす」という考え方が悪いのか。でも、「こなす」以外に何がやれるというのか。個性ってなんだろう。
実際にJuice=Juiceのメンバーがそう思っていたのかはわからない。けれど、僕は自分の心情を彼女たちに重ね、そのような声を聞いたような気がした。そのようにして、僕はJuice=Juiceに沼り、「彼女たちの行く末を見届けなければ」という気持ちになっていった。
記事のタイトルを早々に回収してしまった気がするが、この沼は底なし沼なのでご心配なさらず。僕はこの後も何度もJuice=Juiceの沼で溺れる。
エリート集団のJuice=Juiceが抱える苦悩は、見ていてかなり興味深かった。どのようにして彼女たちがその壁を乗り越えるのか。それは誰にもわからなかった。
……わからなかったけれど、答えはとても簡単なもので「とにかくライブをやりまくる」ということだけだった。簡単に言ってしまえば、それまでのJuice=Juiceはテクニックばかりが先行してパフォーマンスに体重が乗っていなかったということになる。ライブハウスでの武者修行を通じて、メンバーはどのようにすれば会場を盛り上げられるかを体験的に肉体を以って学んだ。
最初のライブハウスツアーである「News=News」はあまり語られることはないものの、この頃から結構な数のステージに立っているし、特に「220」はとんでもない公演数である。メンバーもかなりの思い入れがあるようで、佳林ちゃんは卒業後に個人ブログで結構な振り返りを行っている。
いま読み返してみてもその壮絶さが伝わってくる。中にはゆかあーりーがダウンして、3人でステージを完遂したこともあったようだ。しかし、この「220」からかなり客席を意識するようになったようで、いくつもの「煽り」が誕生したと上記ブログで書いている。それは単に「煽り」のレパートリーが増えたということだけではなく、ステージングのモチベーションそれ自体が次第に変化していくきっかけにもなったのだと思う。
かなり上の方で、グループ結成のインタビューのリンクを載せたが、そこで佳林ちゃんは「歌とダンスを完璧なものにする」と語っている。つまり、意識的にはもっと個人完結的な技術のところにフォーカスがされていたのだろう。もちろん個人の技術がなければそもそものステージが成り立たないのだから必要なことではあるし、デビュー前後であればむしろそういったところにより不安を感じるし、そこを克服することがグループにとっても1番良いことであろう。だから、そのような時期はある種の「通過儀礼」として必要ではあったが、そこを乗り越え、より意識が客席に向くようになったのが「220」というきっかけだったのかもしれない。
この頃のJuice=Juiceのことはよく覚えている。ハロステでJuice=Juiceのライブ映像が上がる度に、明らかに、目に見えて、ステージングがよくなっていくのを感じていた。実際コメント欄などでも「Juice=Juice、歌うま!」のような声が増えていき、そのうちには「やっぱりJuice=Juiceは歌が上手いな」と「やっぱり」という「歌が上手いのは既知の事実」のような接頭語が付くようになっていった。その完成度の高さから「℃-uteの歌版」なんていう雑な類推を受けたり、さらに嬉しいことには「さすが研修生エリートたち」というような評価も出てきたと思う。
それまでは否定的な意味で使われていた「エリート」が(実際に使われていたかは置いておいて)、この「220」を通して良い意味での「実力者」としての「エリート」という使われ方になっていったのは感慨深い。
「努力は裏切らない」みたいな正論はあまりにもつまらなく、むしろここで強調しておきたいのはJuice=Juiceメンバーの向上心の高さにある。単に「220」をこなすのではなく、そこで成長していくということにとても重きを置いていた。そのことが伝わるのが武道館公演が決まった時のステージMCだ。
面白いのは、「もっと努力して成長する」ということを特に前向きに語っているのが、それまでスキル的には主力3人とやや差があったゆかあーりーということだ。確かにこの頃のライブ映像を見ていて思うのは、明らかにこのゆかあーりーの2人のスキルが伸びていっているということだった。おそらく本人たちも手応えがあり、成長していくことが楽しかったんじゃなかろうか。そんな2人の成長を見ているのは非常に面白く、またJuice=Juiceをより頼もしく感じるようになった点だった。
金朋が自分の病気のことで休みがちだったことを悔いているのもとても胸に迫る。逆に言えば、この頃から卒業するまでずっと闘っていたのだ。本当によく頑張っていたのだと思う。
こういったメンバーの真摯で前向きな姿勢がJuice=Juiceのグループとしての成長につながっていたと思う。
そして、この「220」のラスト、武道館公演では佳林ちゃんは次のようなブログで、「感謝をパフォーマンスで伝える」ということを語っている。
デビュー当時から同じような感覚はあったとは思うが、それが結実したのはまさにこの初の単独武道館公演だと私は考えている。単に歌とダンスを上手にするというところ超えて、パフォーマンスで客席と繋がり、一体感を生み出し、そうすることでステージを通して感謝を伝える。
一目でそれとわかるキャラクターでもなく、感動的なストーリーでも、コンプレックスを武器に変えるとかでもなく、ただただ才能と実力のある人たちが努力と実地経験を通して順当に成長する。言ってみればそういう話。何も面白い話じゃない。
けれど、そこには死に物狂いで駆け抜けた時間が確かにあった。背水の陣の研修生から選ばれてデビューし、その期待を背負いながら高クオリティのパフォーマンスを見せ続けたものの、「いまいち面白味に欠ける」と興味を持ってもらえず、しかし腐らず数多のステージに立ち続ける中でノウハウを学び、そして真の実力者として武道館公演を完遂する。めちゃくちゃスポ根と言えばスポ根だけれど、このどこまでも真っ直ぐなストーリーが僕はとても好きだ。
僕が不真面目な人間なので、僕自身の人生に重ねることはできないけれど、でも可能性を持っている人が腐らずその可能性を追求していくことで、大変なことはあるけれど順当にその花を咲かせられるというのはとても励みになる。
ハロプロはよく私立女子校に喩えられる。黄金期こそもっと公立共学校な感じがあったけれど、プラチナ期あたりを境に、徐々に、大切に上品に育てられる私立女子校感が出てきたように思う。そこではひた向きかつ健やかに努力を積み重ねることが賞賛され、磨かれた高潔な精神の上に大輪が咲くというような価値観があるのではなかろうか。そういう文脈で言うと、Juice=Juiceはめちゃくちゃ私立女子校って感じがする。もちろん様々な私立女子校感があっていい。バラエティ豊かでノリのいい娘。的な女子校感もあるだろうし、イケイケでお洒落でふざけまくる動物園みたいな女子校感があったっていい。でも、僕はこのJuice=Juiceのひた向きな感じがとても好きで、さらに沼ったポイントなのだ。
上述した通り、アイデンティティクライシスに陥っていた当時の僕にとって、Juice=Juiceのこの大成の仕方というのは一種の救済であった。追っていてよかった、いいものを見た、という感じがあった。ただ真面目なだけでは価値がないと思っていたけれど、ひた向きに努力し続けていれば、いつかそれは何かしらの形で花開く。器用でなくたって、個性的でなくたって、自分を磨き続け、目の前の人と真剣に関わっていれば、それが価値を生んでいく。そして何よりもそうやって生きている人たちは、まじかっけー。そんなことを僕はJuice=Juiceから学んだ。もちろん僕のような底辺の人間と、高潔な彼女たちを同列として考えてはいけないけれど。
だいぶだらだらと書いてしまったが、少しこの記事全体の流れに戻すと、この「220」の時期に手に入れた「パフォーマンスで客席と繋がる」という能力、そして言ってみれば「主義・主張」のようなものはJuice=Juiceの核になった。核というよりも当時のJuice=Juiceにとっては拠り所みたいなものであったかもしれない。歌やダンスを頑張るのは当然。そして、その磨いたもので客席と繋がることで、Juice=Juiceメンバーは変な売れ方をしなくてもよくなった。「変な売れ方」という言い方はあまりよくないけれど、要は個人のキャラクターとかにあまり頼ることなく、ただ「良いライブをするアイドルグループ」という価値を手に入れたのだ。
ただそれは決して最初から狙っていたものではなく、上述のようなデビュー時からのしがらみを抱えつつ、彼女たちがなんとか残された細い道を辿って手に入れたものであったと思う。そういう意味で「拠り所」と表現した方がいいと僕は思うのだ。
パフォーマンスに対する向上心の高さは全員が持っていたものではあるけれど、その中心にいたのはやはり佳林ちゃんだと僕は考えている。上記のブログにもある通り、佳林ちゃんはよく「感謝をパフォーマンスで伝える」と言葉にしている。それが少しずつメンバーの間にも浸透していったんじゃないだろうか。「個性がない」のような評価を受けていたとしても、それでもひた向きに「パフォーマンスで」とか「私たちには結局パフォーマンスしか」ということを自分たち自身に言い聞かせ続け、「220」の武者修行を通じてその信念を固めていく。
ありきたりで申し訳ないけれど、そういう執拗な精神と積み重ねる努力によって、苦境を超えていくことでしか、アイデンティティというものは獲得できないんだろう。この当時のJuice=Juiceを見ているとそういう気がしてくる。
閑話休題:LIVE MISSION FINAL at 日本武道館
あえて最後の『Wonderful World』のみに絞って話しておくけれど、みなさんご存じ、「らーららー」鳴りやまない事件のことだ。
あれは偶然の産物でありながらもJuice=Juiceの歴史においてはやはり必然的に起こった事件だと思うことにしている。人の心を打つ術をまだ持たなかったかつてのJuice=Juiceでは、観客の合唱が鳴りやまなくなるほどの熱狂を巻き起こせただろうか。いやいや、あれは演出の問題で、観客は空気を読んで合唱していただけに過ぎず、単に合唱のやめ時を把握させるのがうまくいかなかっただけだ。そう考えることもできる。しかし、ではそういった演出の意図とは違うハプニングが起きたときに、あれだけ華麗に対処できただろうか。いや、それだってたまたま佳林ちゃんの機転が利いただけで、あれは別にJuice=Juice全体で獲得した能力とは言えないじゃないか。そうはいっても、あの事態に動じることなく、佳林ちゃんに合わせられた他のメンバーだってやっぱり凄いと言えるだろう。
そんな風に色々と疑問とそれに対する反論は積み重ねることができるけれど、そんなのはヤボだし、だったら最初から「成長したJuice=Juiceが必然的に起こした事件」と考える方がずっと気分がいい。
今更ながら事の顛末を喋っておくと、ラストの楽曲のそれまた大ラスの「らーららー」のところで観客に歌わせる演出があった。想定された演出では、まずメンバーが「らーららー」と歌うパートがあり、その後、音楽が小さくなって演者は客席にマイクを向け、観客が「らーららー」と合唱するタームが訪れる。そして、それが8小節?ほど続いたのちに音楽がなくなる。すると観客は次の展開を固唾を飲んで見守り、そこに佳林ちゃんの「こーのー世界はー」のアカペラが重なる。そして音楽が戻り、大団円。そういう流れだ。
しかし、実際には観客の合唱パートの後、音楽がなくなっても合唱は止むことがなかった。それはJuice=Juiceが会場を盛り上げる能力に長けていたということと、「220」をやり切ったうえでの初の単独武道館公演ということで、ファンのみんなも気合が入りまくっていたことなど様々な要因が考えられる。しかし要因なんてのはどうだっていい。ただ事実として合唱は鳴りやまなかった。
この展開にさすがのJuice=Juiceのメンバーもちょっとびっくりしたようだが、それで取り乱すとかではなく、さすがは佳林ちゃん。合唱に合わせて、自分も歌い、少しずつテンポを落としながら合唱がフェードアウトしていく感じで終わるよう手を差し伸べる。そして予定通り、「こーのー世界はー」とソロパートに持って行った。まずはこの機転が凄い。そして、そういった佳林ちゃんにちゃんと合わせきった他のメンバーも凄い。信頼関係がなければ自分も全力で「らーららー」を被せ、さらに出口を見失っていたということも考えられる。けれど、そこは佳林ちゃんを信頼して、佳林ちゃんがソロパートを歌い切るまでしっかりと待っていた。
こういった現場での生の対応は「220」で場数を踏んでいたからこそできたものだろう。
そのときJuice=Juiceは確かにパフォーマンスで観客との信頼関係を構築していた。だからこそ、前章で書いていた「パフォーマンスで客席と繋がる」のひとまずの集大成がこのLIVE MISSION FINALの公演になると僕は考えているわけである。
かつて僕はこんな妄想をしていた。
もしもこのLIVE MISSION FINALでJuice=Juiceが解散していたなら、きっと彼女たちは伝説のアイドルになっていただろう、と。
それくらい「220」の流れからのこの武道館公演はストーリーとしても完成されており、大成功のライブだったと思う。けれど、結果的には伝説よりも大切なものを彼女たちは残してくれている。もしもあのときJuice=Juiceが解散していたら、当然だけれど今のJuice=Juiceはない。それはとっても困るし、そんな今を僕はちっとも望んでいない。
これだけの素晴らしいストーリーを、物語の第1部を完結させてくれ、とんでもない沼にハマらせてくれたわけだけれど、でもまだ物語は全然終わらない。僕は沼のより深いところへと突き進み続けるし、Juice=Juiceはさらに面白い展開を見せていく。
新メンバー加入、まさにそのとき
「220」を語らずしてJuice=Juiceが説明できないと言ったけれど、僕からしたらこの「新メンバー加入」というイベントもまたJuice=Juiceを語る上では欠かせない。これがなければ物理的に今の今までJuice=Juiceが存在していないというのは言うまでもなく、もっと抽象的な意味合いにおいてもJuice=Juiceという形は存在していない。
一番冒頭で、「いつの時代のJuice=Juiceも最高」というキーワードを出したけれど、その始まりとなったのがこの新メンバー加入である。
上述の通り、LIVE MISSION FINALは最高の公演だった。「220」をぼろぼろになりながら、満身創痍で駆け抜け、そして「5人」の結束感は極限にまで高まっていた。誰かが欠けても、誰かが増えてもダメ。この「5人」こそが至高であり、究極のバランスだった。だから晩年の℃-uteやBerryz工房のように、誰かが辞めるならグループが解散なり、活動停止するなり、表舞台からは潔く姿を消す。そういうグループになるとほとんど誰もが思っていたはずだ。
少し本題から道を逸れるが、Juice=Juiceはそういう℃-uteやBerryz工房のような大先輩グループの後継者と語られるくらいになっていた。ハロプロキッズからデビューした大先輩たちと同じように、ハロプロ研修生からデビューした彼女たちは、ベリキューの正統後継者と認識されるのも必然と言えば必然と言えたが、単にそういった出自だけの話ではなく、実力もまたその大先輩たちに匹敵するものと考えられていた。それくらい「220」の様子や、LIVE MISSION FINALの様子というのはハロヲタにインパクトを与えていたと思う。
しかし、そういった周囲の評価とは裏腹に、ハロプロにひとつの暗雲が立ち込めていた。Wikipediaで日付の前後関係を確認すると、LIVE MISSION FINALが2016年11月7日開催だが、その2日前の11月5日にカントリー・ガールズのプレイングマネージャーである「ももち」こと嗣永桃子が翌年6月末で卒業することが発表された。
ももちの卒業それ自体は、哀しく、惜しむべきことではあったけれど、それだけではハロプロ全体を揺るがす事件にはならない。大事件が起こるのは、そのももちの卒業が控えた2017年の6月のことである。
話を一旦2016年に戻す。LIVE MISSION FINALを終えてからの話。Juice=Juiceは「これからだ!」というところではあったものの、あまり派手な動きはなく、そのまま年は明けて『地団太ダンス』をひなフェスで披露し、「Juice=Juiceなにやってんの?w」と少し話題になったくらいのものだったと言える。佳林ちゃんも卒業後のブログで(ずっと上で引用した記事)、その頃は「愛嬌」という言葉では済まないほどふっくらしていたと語っている。本当はもっと忙しくしたかったけれど、あまり動きらしい動きがなくてもどかしかったというようなことも語っている。僕もこの頃の記憶はあまりない。
youtu.be ※『地団太ダンス』披露
それほどに「初武道館」とその約7か月後の「新メンバー加入」というのは、その間に何もなかったと思わせるくらいのビッグイベントだった。でも、確かに僕もJuice=Juiceのファンとしてもどかしいものがあったことを覚えている。あれだけ素晴らしい公演をして、少なくともハロプロ界隈では賞賛の嵐だったにもかかわらず、「なんでこのチャンスでさらに売り出していかないのだ!?」と。
今になって思えば色々と都合があったのもわかる。アップフロントはそこまで大きい事務所というわけではないし、Juice=Juiceにライブをさせたくても押さえている会場がなかったかもしれない。それにももち引退に伴って起こる諸々の事態の整理に追われていたのかもしれない。℃-uteの解散や、つばきファクトリーのメジャーデビューという大きなイベントもあった。Juice=Juiceはとりあえず初武道館公演を成功させたから、一旦おつかれっした、というタームに入ったのだろう。それが理想的な流れだったとは言えないだろうけれど、色々な事情を鑑みれば至極妥当な流れだったのかもしれない。
しかし、それは嵐の前の静けさに過ぎず、2017年6月にカントリー・ガールズの一部メンバーがグループの兼任を始めるというアナウンスがあった。月末にももちの卒業公演を控えての出来事だった。
このときJuice=Juiceメンバー、そしてファンは少なからず動揺しただろう。様々な意見が溢れた。「仮に兼任が始まったとしても、その子がJuice=Juiceに来ることはないだろう。だって、Juice=Juiceは既に初武道館公演を以って完成されたグループとなり、ベリキューのような存在になっていくのだろうから」。暢気にもそういう予測をする人もいたし、逆に「Juice=Juiceへの新メンバー加入は避けられない」と予測するシリアス派の人もいた。娘。は2016年12月に13期メンバーが加入して、人数も13人まで膨れ上がっていたし、アンジュルムは2016年7月に笠原桃菜が加入してからそれなりに期間が空いていたものの、まさかカントリーの3人をすべてアンジュルム1グループで吸収するわけにもいかない。グループの色とメンバーの個性の嚙み合わせという問題もある。こぶし、つばきに関しては、どちらもカントリー結成以降のグループということで、カントリーのメンバーが兼任すると先輩が入ってくるということになる。また、こぶしはデビューが2015年でようやく軌道に乗ってきたところ。このタイミングでの増員はあまり考えにくかった。そして、つばきこそ2017年2月にデビューしたばかりだし、なおのこと増員は考えにくい。
またこれらの問題、というか事態というのは単にカントリーの兼任に関する事柄だけではない。カントリー、こぶし、つばきと新しいグループが続々と立ち上がり、各グループにも新メンバーの加入というのは随時あったものの、研修生にはそれでもまだ多く才能が眠っていた。そして、2017年5月には一岡怜奈、段原瑠々、川村文乃の3人がハロプロ正規メンバーへの昇格も発表されていた。ということは最低でも6人の行く末を決めなければならない。
こういった状況を鑑みれば、やはりいくら5人としての活動が盤石になってきていたJuice=Juiceといえども、悪い言い方をすれば「受け皿」としての役割を負わなければならない。メンバー追加というのは、ハロプロ全体のバランスを見れば、避けては通れない道だった。当然ながら随時為されていく発表にファンは戸惑ったけれど、おそらく僕たち以上に戸惑ったのはメンバーだっただろう。あの地獄のような「220」公演を乗り越えた彼女たちの絆の間に誰が割って入れるだろう。メンバー同士の関係性はもちろん、グループへの愛着だって全然違う。彼女たちが築いたチームワークは崩れてしまうのか。そういったことを考えないわけがない。
しかし、Juice=Juiceが実際に取った対応は最高だった。
メンバーの追加がほぼ確定している中で、そして内々ではもう話がついているだろうから、そんな状況で新メンバー加入について否定的な気持ちを表明しても何も良いことはない。だったら、むしろできるだけ新しく加入するメンバーが不安にならないように、ウェルカムな雰囲気を醸成しておく方が合理的。と、そんな割り切った考え方ではないにせよ、結果的にJuice=Juiceメンバーはリーダーのゆかにゃを中心にしっかりと歓迎ムードを作ることに専念していた。
さゆきのブログにも「新メンバーは不安を感じているだろうから」というような言葉が書き連ねられている。佳林ちゃんや金朋はどちらかと言えば、「新加入の2人はJuice=Juiceに入るの嫌がってないかな」というような言葉を書いており、これはこれで「らしさ」があって僕は結構好きだ。ゆかにゃは最初に引用した通り、リーダーとしてとても暖かい言葉を残しているし、あーりーはあーりーでこれまた「らしさ」全開の能天気な感じの言葉を使っている(もちろん実際は色々考えているはずだけれど)。
もちろん、こうして不遜な迷惑ヲタに後年ブログに引用されることを見越して、マイナスな言葉なんてブログには残せない。とは言え、できるだけ正直な自分の言葉で、現状を前向きにとらえている様子というのは文面からも伝わってくる。この誠実さこそ、僕がJuice=Juiceを好きな理由の1つだ。
が、ここからもう少し穿った見方をしていく。まず、誰よりも先に新メンバーと会い、言葉を交わすことになるリーダーのゆかにゃが最もこのマインドセットをがんばっていたことに胸が熱くなる。新メンバーにはJuice=Juiceへの第一印象は良く持ってもらわなくてはならない。だから「ここはハズせない」とゆかにゃも思ったはずだ。新メンバーが、「やっぱりオリジナルメンバーの5人は増員を認めてないんだ」「こんなグループに馴染めるんだろうか」と思ってしまったら、もうそこでグループ全体が終わってしまう。それを避けるためには、なんとしても「不安を取り除き」「自分たちが歓迎されていると思わせる」必要がある。
こういった感覚は、もちろんゆかにゃの生来のものであり、また人格形成段階で後天的に身に着けてきたものであろうけれど、個人的にはJuice=Juiceとしての活動初期の頃の経験が大きかったのではないかと思う。ゆかにゃは最年長であることからグループのリーダーを任されたわけだけれど、パフォーマンススキルで言えば、佳林ちゃんやさゆきといった年下メンバーの方が圧倒的に上だったし、同世代でほぼ新人だった金朋もめちゃくちゃに歌が上手かった。こういったことはきっと、グループへの「居づらさ」みたいなものをゆかにゃに感じさせていただろう。この苦しみを知っているからこそ、ゆかにゃは新メンバーへの配慮こそが最も重要であるというふうに考えたのではないかと僕は思っている。
ちなみに、書いていて思ったのだけれど、佳林ちゃんや金朋が新メンバー加入時のブログに「Juice=Juiceに入るのを嫌がっていないかな」という不安を書いたのも、このときの経験がもととなっているのではなかろうか。つまり、(こういう言い方は語弊を招くが)「自分ができる」ことによる、ある意味での加害者意識みたいなものがあったのかもしれない。「私たちは真面目にストイックにパフォーマンスと向き合い、実力主義的な雰囲気を作っているのではないか」「そのことが周囲のメンバーにプレッシャーを与えているのではないか」「居心地の悪さを作っているのではないか」。そんなことを考えていたかもしれないと思う。活動初期のグループの歪は上述の通りだが、そのときの経験がこの新メンバー加入のときにも伏線的に働いているように思える。
パラグラフを変えてもう一度書くが、グループ結成時のあの「歪」を抱えた時期で抱いた様々な葛藤が、この新メンバー加入というタイミングで良い影響をもたらしているんじゃないかと僕は考えている。
歌って踊れてしっかりした研修生のなかにポンっと一人で入った不安や心配は凄く、すごく分かります。その不安や心配を2人には感じさせたくないなっていうのが今後の私の目標の一つ。
ゆかにゃのブログからの引用だ。ここがJuice=Juiceの原点であるように思う。この精神は2024年現在のJuice=Juiceにもきっと強く引き継がれている。あとで書くのを忘れたら嫌なので今のうち書いておくけれど、新メンバーとして加入した川嶋美楓が長期離脱を経てなんとかグループ活動に復帰した際の2024年4月20日の座間公演のMCにて、「Juice=Juiceは誰も取り残さない、孤独にしない」という旨の言葉を残している。新メンバーだからといって放置せず、活動から離脱していたとしても気にかけてくれるメンバーがいる。これもまたゆかにゃの新メンバーを迎えた際の精神の延長線上にあることだと僕は思っている。
一緒に活動しているメンバーに対するケアはもちろんだけれど、特に新メンバーに対するケアが厚い。ここがJuice=Juiceの絶対的な強みであるし、「Juice=Juiceに入るとみんな上手くなる」という神話は、このゆかにゃが作り上げた戒律をすべてのメンバーが守っているからだろう。まぁ、もちろんJuice=Juiceの楽曲が歌の上達に向いているタイプのものが多く、また歌割のバランスが良く、先輩たちの歌唱力が高いのでお手本にできるなど、そういった枝葉の部分も沢山ある。が、あくまでそれは枝葉であり、根幹はこの「新人を取り残さない」「不安にさせない」精神だと思う。
これにてJuice=Juiceの主要な2つの理念
・パフォーマンスで客席と繋がる
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
は書き記すことができた。
1つ目は前の章で語った通り、器用なエリートでしかなく、グループの個性というものが見つけられなかったJuice=Juiceが、「220」という修羅場を通して「ステージパフォーマンス」という個性を手に入れたという話。「パフォーマンスで客席と繋がる」を究極的に高めた結果、『Wonderful World』の合唱は鳴りやまなかった。
2つ目は本章で記載の通り、確固たるオリジナルメンバー5人のところへ、新メンバーが加入するとなったとき、グループ結成当初の「歪」から学んだ他者(新メンバー)への配慮。それは後に記載していくが、結果的に「いつの時代のJuice=Juiceも最高」というキーワードとなっていく。Juice=Juiceにいる限りは、オリメンも新メンバーも関係なく、すべてのメンバーが等しく肯定される。それがJuice=Juiceというグループだ。
と、一旦はまとめることができるのだけれど、Juice=Juiceが面白いのはここからだ。初の追加メンバーが段原瑠々という超実力派と、梁川奈々美という個性的な兼任メンバー。彼女たちをロールモデルとして、今後のJuice=Juiceは他のグループには成しえない成長を見せていく。そこがなんと言っても面白いところなので、上述の2つの理念の継承と活用と合わせて、この後も楽しく語っていきたい。
閑話休題:新メンバー加入後
本来なら「加入してからどうなったのよ」の方が本題な気がするが、私が語りたいのはあくまで「加入に際してオリメンたちがどのようなスタンスを取ると決めたか」であって、結果の方はそこまでこだわっていない。というのも、新メンバーとして加入した2人が素晴らしすぎたので、あまり書くべきことがなさそうに思えたからだ。
とは言え、何事もなかったわけではない。そして、私たちファンが絶対に忘れてはならないこともある。この章では段原瑠々ちゃんと梁川奈々美ちゃんを賞賛することに主眼を置くけれど、その過程であまり目にしたくないことも書いていこうと思う。なので、気分が悪くなる方はこの章を飛ばすことをオススメする。
当時の状況の振り返りからやっていく。まず言っておくのが、我々ヲタクのうち「オリメン原理主義的な人」や「特定のメンバーへのヘイトを煽る人」がいたせいで、このJuice=Juiceも絡んだ2017年6月のハロプロ新体制はやや荒んだ状況にあった。これから新メンバーについて書いていくが、※私が目にしたヘイトの一部も書いていくことになる。だから繰り返し言うが、そういったヘイトを目にしたくない人は一旦この章を飛ばしてほしい。
先にやなみんのことを書いていく。まずやなみんはカントリーガールズの2期生的な立ち位置での加入だった。初期メンバーが活動を開始してちょうど1年後だった。彼女は研修生の頃から「子役感満載」のこましゃくれたキャラクターをしていて、カントリーで同期になった船木結とは2人ともちっちゃくてキャラも立っていて、良いコンビだった。
伝説の「逆に聞くけど、結は?」が観られるGNO(Girls Night Out)。採算が取れなかったんだろうけれど、またやってくれないかな。この数秒だけでやなみんがどういうキャラクターの子なのかということが伝わってくる良い動画だ。
当時からやなみんは多くの人に愛される子だったので、比較的やなみんの加入に対しては肯定的な意見が多かったように思う。ただ、カントリー・ガールズの中で歌やダンスのスキルで目立っていたわけではなかったので、オリメン原理主義的な人にはその点で否定的な意見を言われることもあったと思う。まぁ、結局そういうやつは誰が加入したところで、それこそマイケル・ジャクソンやポール・マッカートニーが加入したところで文句を言うのだから、放っておけばいいという気もする。まぁ、実際問題として、僕もその2人がJuice=Juiceに加入したいと言ったら反対するのだろうけれど。
やなみん加入に対してよく言われていたこと(ゆかにゃも加入発表動画の中で同じ期待を彼女にかけているのだけれど)としては、そのカントリー仕込みの「トーク力」だった。Juice=Juiceと言えば歌とダンスのスキルが高いという伝統とともに、今も昔も(?)トークが面白くないという伝統がある。ファンの私からすれば、普段バキバキにパフォーマンスをしている彼女たちがふんわりとした変なトークを繰り広げているのは、めちゃくちゃ面白いし癒されるのだけれど、真面目な彼女たちからするとトークもビシッと決めたいという想いがあるらしい。
やなみんが所属していたカントリー・ガールズはプレイングマネージャーのももちのおかげもあって、めちゃくちゃトークが面白かった。まぁ、やなみんはそのカントリーの中においても、どちらかと言えば天然の変化球的な存在だったから、彼女にJuice=Juiceのトーク改革を任せるのはちょっと荷が重かっただろうけれど。でも、ファンも概ねやなみんにはトークという観点で期待をしていたように思う。明らかにJuice=Juiceにとってはゲームチェンジャー的なキャラクターをしていたし、まぁ、最悪歌やダンスは現メンバーでなんとかできるし、初期のゆかあーりー的な感じで脇を固めておいてもらえれば。あとはやなみんがハブとなってカントリーとの絡みが増えていけば、もっと個々人の面白さみたいなものが見えてきてそれも面白いんじゃないか。そういう魂胆も働いていたはずだ。
が、実際にはやなみんはちょっと違った働きを見せることになる。
まず、やなみんは本を読む、どちらかと言えばインテリ属性の子だ。上述のGNOにてふなっきに「ノスタルジーって何?」と聞かれ、「郷愁っていう意味で…」と返してより「ぽかん」とさせるくらいには語彙も豊富だ。そんな彼女はある意味ではカントリー時代では、そういったインテリで感受性が豊かな部分というのをパフォーマンスでは発揮できずにいた(そういう楽曲が多くなかったからね)。対して、Juice=Juiceは切なかったり、文学的な心情を歌うことも多かったから、そこがやなみんにハマった。そして、おそらくは新メンバーのために作られた『SEXY SEXY』と『Fiesta! Fiesta!』のうち、『SEXY SEXY』はこれまでのJuice=Juiceの誰もがまだちゃんとは表現できなかったアンニュイな雰囲気をやなみんが誰よりも上手く自然に作ってみせた。
私にとって『SEXY SEXY』と言えば「やなみん」のようになっている。今なら里愛ちゃんもかなり上手くできるが。2人の共通点は本を読むということ。金朋も確か本を読む子だったが、文学よりは実用書などを読んでいるイメージがあった。まぁ、金朋もバラードとかが抜群に上手くはあったけれど。そういうわけで、文学に触れて、人の心の機微みたいなものを深く繊細に感じられる感性を持っているメンバーにしか、この曲の「アンニュイ」な雰囲気は出せないんじゃないかと思っている。これはJuice=Juiceが手に入れた新しい「幅」だし、トークではなく表現の幅でやなみんはまずその価値を示してくれたように思う。
それから圧倒的な甘えん坊属性の開花。あーりーなんかも甘えん坊ではあったけれど、これは大型犬がじゃれている感じで、やなみんの場合は本当に妹か娘のようなあざとい甘え方ができた。
本人も最後のブログで、自分がJuice=Juiceに来て、甘えん坊な一面があることに気づいたと書いている。先日2024年10月10日に行われた「Juice=Juiceの日」のイベントもOGとしてゆか・あーりー・佳林ちゃんと観に来ていたり、卒業発表当初は「Juice=Juiceが合わなかったんじゃ……」とも噂されていたが、決してそんなことは微塵もなく、今でもJuice=Juiceのお姉ちゃんたちと仲良くやっているようで何より。
特にリーダーのゆかにゃには溺愛されていて、やなみん卒業時のブログのタイトルが「娘」であることには笑ってしまう。卒業数日前にやなみんが書いたブログでも、ゆかにゃは「優しいお母さんのような存在」というようなことを書いていたし、相思相愛の2人だ。
こういった今では普通に見るようになった先輩と後輩の関係性(2人はやや行き過ぎていたかもしれないが)をJuice=Juiceで見ることができるようになったのも大きかった。しっかり者だけど不器用で、でも努力家で。そんな子が兼任という不安な立場で入って来て、庇護欲が湧かないわけがない由加お姉さま。そんなメンバーの新たな一面を見せてくれただけでも、彼女がそこにいた意味は大きかったと思う。
さて、新メンバー加入の話をしておきながら、卒業時のブログばかり引用するという愚行を許していただきつつ、瑠々ちゃんの話をしていこうと思う。
瑠々ちゃんに関してはやなみんよりもまたさらにファンの人たちの対応が酷かった。この記事には書きたくないような言葉を使いながら、2017年6月当時のハロプロ界隈は瑠々ちゃんの配属先を気にしていた。当時の研修生は化粧が薄い子も多く、一部の子たちはビジュアル面で揶揄の対象にあったのだが、瑠々ちゃんにもそういう矛先が向いているきらいがあった。特に瑠々ちゃんは実力診断テストでも2度ベストパフォーマンス賞に輝いており、そういったスキル面での特別感がよりビジュアル面でのヘイトを集めていたように思う。
ハロプロ新体制で瑠々ちゃんがどのグループに入るのかについては、色々と勝手な意見が飛び交っていた。自分の推しているグループへの加入を望む声もあれば、反対する声もあり、まさに混沌としていた。ファンの方も戸惑っていた、のようにすればだいぶ都合の良い表現になってしまうが、瑠々ちゃんに対する期待や評価というのは誰もが判断をしかねるところだったと言えた。
が、瑠々ちゃんは単純な実力でねじ伏せた。
この『Fiesta! Fiesta!』の「情熱を解き放とう」一発で、自分がJuice=Juiceに加入した意味や理由をファンにわからせたのである。当時の僕がどう考えていたかはあまり覚えていないが、割と新メンバー加入に反対意見が多かったので、逆張りをしたいがために新メンバー加入に賛同していたという気もする。それでも実際に新メンバーが加入してこれまでのJuice=Juiceの形が崩れたら嫌だな、と薄っすら思っていたとは思う。そんな僕の一抹の不安も、やっぱり段原瑠々の一声で見事に払拭された。
だいたいビジュアル面でとやかく言われたと言っていたけど、それだって、見てよ、この可愛さ。
どんだけみんな見る目がないんだ、っていう。
最近では、別グループの話になるけれど、つばきファクトリーの福田真琳ちゃんについて「ワシが見つけた」おじさんがどれだけいることか。今の時代であれば「いや、瑠々ちゃんは化粧したら化ける。だいたい化粧してる・してないも含めて判断できないとかダサすぎ」みたいな人たちが多いだろうから、瑠々ちゃんに対するヘイトももっと少なかったかもしれない。それは単純に時代によるところもあっただろうし、それこそ瑠々ちゃんとかがそういう声を黙らせてきたという歴史もあるだろう。
最低な言葉だけれど、いつの間にか「スキルブス」という言葉も消えたしね。そういう価値観の変容はいいことだと思う。みんな違った可愛さを持っているし、それでいいじゃないか。
余談にはなるけれど、こういった化粧に関する話題だけでなく、音響に関することでももっとファンの民度が高まればいいのにと思う。例えば、バースデーイベントの告知動画が上がったりすると、「音外してる」とか「あんま上手くないな」とかそういうことをさも訳知り顔でコメントする輩が現れる。音を外しているというのは、確かにそうなのかもしれないが、現地で聴いていると、音の高低よりは声量やリズムの方が気になったりすることが多い。また、実際に音程が微妙にずれていても、インストの音源が大きくかかっていればそれで気にならなくなることもある。歌にエコーがかかっているだけで……例えば古くから「風呂場で歌うと気分が良い」と言うように、ボーカルの僅かな処理でも聴こえ方が全然変わってくる。結局、現代の私たちは、よくミックスされた音源ばかり聴いているから、荒いミックスの音源を聴くと「歌が下手」となってしまいがちなのだ。
でも、僕は昔からガビガビの映像で、スカスカの音質のバンドのライブ動画などを沢山観てきたから、ぶっちゃけ音の悪さというのはそこまで気にならない。「脳内で補完できる」とまでは言わないまでも、酷い音質のライブ映像からでも何か素敵なものを感じたりできるし、それを単純なパフォーマンスの低さとは捉えない。THE FIRST TAKEなんかは逆にミックスの勝利だと思うしね。だから、化粧していない瑠々ちゃんを罵倒していた誰かが現代では排除されるように、ミックスの粗悪さをパフォーマーの実力不足と罵倒している人もそのうち排除されていくことを祈る。と、少し余計な話をし過ぎてしまった。
話を戻すと、瑠々ちゃんはJuice=Juiceの1つ目の信条
・パフォーマンスで客席と繋がる
をより強固にした。いや、結局のところ「パフォーマンスで圧倒するのがJuice=Juiceでしょ」「パフォーマンスに真摯に向き合っていれば、それで認められるのがJuice=Juiceっていうチームでしょ」という風に私たちに突き付けてきたのだ。
Juice=Juiceというチームはそもそもの歌唱力が高く、またそれを前提とした楽曲も多いため、瑠々ちゃんのように研修生の中でも突出した存在が居場所を見つけやすいグループだということにみんなが気づいた瞬間でもあった。故に、そこから松永里愛や工藤由愛のような研修生の実力診断テストで輝いた人材を引っ張ってくるという流れも後に生まれていくことになる。
やなみんとるるちゃんの2人の新メンバーは私から言わせれば、Juice=Juiceの2つの憲法をそれぞれに補強するメンバーだったと思う。
・パフォーマンスで客席と繋がる
という憲法は、上述のとおり、完璧な実力を持っていたるるちゃんによって強化され、Juice=Juiceのメンバーが目指しつつ、それを持っていれば誰でもJuice=Juiceとして認められる称号のようにもなっていった。
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
というのは、Juice=Juiceのメンバー全員が素晴らしいことを示しているが、ゆかにゃの新メンバーを不安にさせたくないという想いから生まれている価値観だ。このメンバー愛はゆかにゃがやなみんを娘のように可愛がるという形で、高い硬度で結実している。
もちろん、それぞれ上記の2つを分担しているわけではなく、やなみんはアンニュイなパフォーマンスでJuice=Juiceの表現力の幅を広げていたし、るるちゃんもいつだって前向きに自分のできる全力のパフォーマンスをすることで、「自分のせいで今の時代のJuice=Juiceは悪くなっているんじゃないか」という負の感情は微塵も感じさせなかった。常にJuice=Juiceのパフォーマンスは最高で、それぞれの時代に違った良さがあり、グループとしても様々な在り方を受容している。そのことがこの2人の加入によって固まり、強化されたことだった。
だから僕は総じてこの時期も大好きなのだ。初武道館あたりのJuice=Juiceは、パフォーマンスによってアイデンティティを確立したけれど、この新メンバー加入の時期にはグループの中でのメンバーの関わり方やグループとしての在り方を確立したからだ。パフォーマンスと受容・配慮の心。これがコンセプトの、めちゃくちゃ王道で堅実な経営方針と言えそうな、骨太なグループになったと思う。これらは結成当初の歪さと、もともとのメンバーが持っていた根の真面目さやスキルの高さがあったからこそだし、ハロプロ全体の歪みを解消するための新メンバー加入というイベントがあったからこそ、より強固になったことだと思う。
ますます目が離せないグループになったな、と思ったのだった。
稲場愛香と井上玲音
時系列的にはここで、宮崎由加や宮本佳林などの卒業や、山崎あおい作品との出会いなどそういったことを書くべきなのだろうけれど、それらは一旦後回しにしておこうと思う。ある意味で僕がこの記事で書きたいことは、ここなのだ。
まぁ、実を言うと、すでに別の記事でおおかたの部分は書いてしまっている。
ただ、今回はもっとこの2人にフォーカスして書いていきたい。この2人というか、この2人を擁する(まなかんは卒業してしまっているので、擁していた、が適切か)Juice=Juiceってどんなグループなのか。実はめちゃくちゃ良いグループなんじゃないか、ってこと。
簡単に言うと、この2人は転職組みたいなもの。まなかんは途中で休業を挟みつつも、カントリー・ガールズから研修生北海道、そしてJuice=Juiceで本格的な活動再開。れいれいはこぶしファクトリー解散からのJuice=Juice編入。と、2人とも別のグループで活動していたものの、それが続けられなくなり、最終的にJuice=Juiceに編入してきたという経緯がある。どうして2人が編入してきたのがJuice=Juiceだったのか。単純にグループの色と人柄がマッチしていたということもあるかもしれないし、たまたま人数や加入時期の関係性からJuice=Juiceが選ばれただけかもしれない。しかし、「うん、Juice=Juiceならなんかうまくいきそうじゃね」という感覚があったのも事実。
それがいったい何なのかということを、僕は語りたい。それこそが、冒頭で書いたドライブ旅行中に、就労環境について愚痴を零していた友人に喋って聞かせたかったことでもある。いいかい、世の中にはJuice=Juiceっていう就労環境がめちゃくちゃ良いグループがあるんだ。
Juice=Juiceの憲法はたった2つとシンプルだ。意訳すれば、パフォーマンスを大切にすることと、どのメンバーも大切に尊重すること。これができる人なら誰だってメンバーとして迎え入れる。
間口は広く開かれている。それはそれで事実だ。しかし、そう見える一方で、逆に見れば間口は狭く、メンバーは厳選されている。そもそもハロプロは研修生も含め、人間関係を引っ掻き回すタイプの子を採用していない(はずだ)。そして、歌やダンス、チームとしての活動に対して努力できない子もいない(はずだ)。だから、その時点でかなり厳選はされていると言わざるを得ない。しかし、一度その門を潜ってしまえば、Juice=Juiceのメンバーになる資格を貰ったも同然だ。当然、Juice=Juiceメンバーとしてはさらに、パフォーマンスへの探求心や、広く様々な人を受容していく懐の広さなどを求められる。しかし、基本的にはJuice=Juiceが大切にしている、"パフォーマンス"と"人"というところはハロプロメンバーならみんな持ち合わせていると思われる。
だから、僕はあまりJuice=Juiceの新加入メンバーが、グループの色にマッチしているかということは気にしていない。もちろんビジュアルが良く、歌やダンスが得意なほど望ましいけれど、でも、ハロプロに携わる子たちなんだからあんまり心配していない。ていうか、結成初期の段階からそうだけれど、Juice=Juiceの色って結局なんだかよくわからない。パフォーマンスが好きで、それに夢中になれる人たち、という印象しかない。「しかない」と言ってしまうと、ちょっとディスってるみたいになるが。
あと、今ではハロプロの全グループの子たちに言えることだけれど、特にJuice=Juiceは人間的に成熟している子が多い気がする。成熟という言い方が「年季」というニュアンスを含んだように聞こえてしまうのであれば、「育ちの良さ」とでも言えばいいか。精神的に自立している子が多く、仲は良いけれど、お互いに束縛し合ったりすることなく、個人を尊重している感じがある。それはオリメンの頃からそうで、ともすれば「個人主義」と映ってしまいそうなくらいドライだったりした。が、協力する場面ではお互いの足りないところを補い合うことができる。他人を色眼鏡で見たりせず、パフォーマンスに対して真摯に取り組んでいるという認識が持てれば、それだけでグループに居ることがふさわしいと認めてしまえる。そういう、シビアではあるのかもしれないが、とても平等な精神がメンバーには備わっているように僕には思える。
やなるるが加入した2017年の1年後、まなかんの復帰先がJuice=Juiceになった。このときには、「やった!これでJuice=Juiceはダンスレベルも向上して最強になるぞ!」とファンの方も受け入れ態勢がバッチリだった。
これは、やなるるの功績がかなり大きい。2人はそれぞれの個性を活かしつつ、確実にパフォーマンスでJuice=Juiceの世界を押し広げてきた。なるほど、新メンバー加入っていいもんだ、というのをファンに教えてくれた。もちろん、この2人の加入の成功は、Juice=Juiceメンバーに対しても大きな意味を持っていただろう。オリメンたちは、自分たちがしっかりと新メンバーに対して配慮を怠らなければ、新メンバーも伸び伸びと活動してくれるという手応えを掴んだだろうし、ステージへの想いを共有することが何よりも一体感を養ううえで重要であることにも気づいたはずだ。
そういったことを学んだJuice=Juiceは既にグループとして最強だった。全く素性のわからないオーディションからの新メンバーだったらまだ不安もあったかもしれないが、まなかんならどんな子か知っているし、信頼できる。体調面での不安こそあれ、まなかんのダンスは、歌>ダンスというイメージがあったJuice=Juiceにとっては喉から手が出るほど欲しい。需要と供給がばっちりと嚙み合った瞬間でもあった。
でも、もしもまなかんの加入がJuice=Juice以外のグループだったらどうだったろう。こういう「もしも」の話はあまり意味がないけれど、まなかんの休業には色々な憶測が飛び交っていたことも事実だ。そういうアレコレをすべて飲み込んで、丸っと受け止めるだけの度量がほかのグループにもあっただろうか。また、まなかんのダンスのレベルはハロプロの中でもトップクラスだった。こういう言い方をすると特定のメンバーに火の粉が降りかかりそうだけれど、あえて言うなら、まなかんが入ることでダンスメンバーとしての地位が揺らいでしまう可能性もある。その点、Juice=Juiceはダンスに関しては、あまり切迫したランキングのようなものがなかったのも事実だ。まぁ、このダンスメンバーに関する話は置いておくとしても、とりあえず言っておきたいのは、ダンスやトークなどで力のある子が、ぽんと途中加入してくるというのは普通、それなりにグループに波風を立てるものだということだ。
Juice=Juiceは既に、やなるる加入のときにそういう波風というものの最高値を経験してきたし、今更気にすることはないだろうという投げやりな感じもあったかもしれない。でも、僕は繰り返し言うけれど、やはりJuice=Juiceはその辺の「こだわり」っていうのがあまりなかったんだと思う。前に所属していたグループで色々あったのかもしれないし、色々なかったとしても体調に不安があることは変わりなく、それにダンスやトークのスキルで現メンバーが食われてしまう可能性があるかもしれない。しかもカントリー・ガールズがまだ活動を続けている中で、カントリーではなく別グループへの復帰という一見不義理にも見える采配。そういうあれやこれや、ってのはあまりJuice=Juiceにとっては関係ない。とりあえず、
・パフォーマンスすることが好きなんだよね?
・他人のことを尊重できる子なんだよね?
じゃあ、Juice=Juiceにおいでよ。って、感じだったように僕には思える。体調面で不安があるかもしれないけど、現在進行形で金朋には持病があったし、「220」のときには2人倒れて、3人でパフォーマンスしたこともある。新メンバー1人くらいいくらでもカバーできる。そういう経験値から来る安心感もあった。
それでまなかん的には、休業からの復活や特にカントリーでの活動を兼任しているやなみんに対して色々と恐縮した想いもあったのかもしれないが、普通にダンスでは頼りにされるし、舞台では主演を任されるし、『微炭酸』では佳林ちゃんとのダブルセンター。なのに、別に周りの人はそれに対して厭味を言ったり妬みもしない。むしろ、ステージではめちゃくちゃ頼りになって、助けてくれる。いや、めっちゃ良いグループじゃん、Juice=Juice。と、私なら(私でも)なっていただろう。
加入当初こそ歌の面で多少の批判を受けることもあったけれど、努力を怠ることなく、卒業までにはめきめきと歌のスキルを伸ばし、フェイクを任されることもあれば普通に歌唱メンみたいな(みたいな、というか普通に歌唱メン)顔をしてステージに立っているのだから、まなかん自身の努力できる才能も素晴らしい。そして、卒業してからは1人で歌って踊るソロアイドルなのだから本当に凄い。結局のところJuice=Juiceに入ったからには常にパフォーマンスを向上させ続けなければならないし、そこを疎かにできないという厳しさはある。でも、その厳しさを苦しいと思わず、楽しいことだと思えるような子だからこそJuice=Juiceでやっていけるのだと思う。細かい条件なんて関係なく、本当にたった2つのこと。
・パフォーマンスを大切にできるか
・他人を大切にし、尊重できるか
この基本理念さえ守っていれば、Juice=Juiceとしてやっていける。決して他人に興味がないというわけではないけれど、何が大切なのかがはっきりしているのがこのJuice=Juiceというグループの良さだ。
るるちゃんが認められ、やなみんが愛され、まなかんが許された(別に悪いことをしていないのだから、許されるとかそういうのではないと重々承知しているが)というのがJuice=Juiceがどういうグループなのかということを物語っている。ともすれば「実力主義」的なイメージでJuice=Juiceは思われているのかもしれないが、現時点での実力というのはあまり関係なく、パフォーマンスに対する向き合い方や人との接し方の方が大きい。確かにるるちゃんやまなかんが認められたのは個人スキルの高さからだったかもしれない。でも、やなみんが『禁断少女』の高音パートを見事に歌いのけた瞬間の高揚感とか、まなかんが次第に歌唱スキルを伸ばして、『プラトニック・プラネット』のフェイクを佳林ちゃんから引き継いだこととか、そういうメンバーの成長が見られるのがJuice=Juice、そしてハロプロを追うことの楽しさだったりする。
Juice=Juiceは言わば、「実力向上主義」なのであって、それを達成するためにはやはりパフォーマンスとの向き合い方や、パフォーマンス以外のところでの余計な人間関係の摩擦というのを生まないことが大切なのかもしれない。それは結成当初に経験やスキルの格差があったりして、難しい時期を過ごしてきたからこそ、そしてそういった空気感を「220」を通してどうにかこうにか打ち砕き、本当にグループとして何が大事なのかという問題を潜り抜けてきたからこそなのかもしれない。余計なことを考えずに、とりあえず目の前のステージに集中する。そこでしか本当の意味で、アイドルのグループというのは1つになれない。そういった悟りが、このJuice=Juiceの形を作っているような気がする。
だから、Juice=Juiceというのは非常にシンプルで、かつ居心地のいいグループなのだと思う。パフォーマンスすることが嫌いだったら、Juice=Juiceは居心地が悪いと感じるかもしれないが、少なくとも歌とダンスが好きで、何かと他人を比べたがるようなムラっ気の多い性格でなければ、Juice=Juiceは自分の存在を認めてくれる良いグループになるだろう。
れいれいの話をするが、たぶんれいれいもJuice=Juiceに入るにあたってはあまり不安を感じなかったんじゃなかろうか。本当は娘。が良かったとか、本人の希望はあるかもしれない。でも、Juice=Juiceなら得意の歌も活かせるし、たぶんよそ者扱いはされないと予感できたんじゃないか。卒業加入があるグループはほかにもあるけれど、カントリーの兼任を抜けば、途中から既存メンバーが加入してきたというのは、まなかんの前例があるJuice=Juiceくらいだ。そのまなかんがJuice=Juiceでは割と居心地良さそうにやっている。
れいれいの加入動画の中でも、やはりオリメンたちは新メンバーの加入がわかった瞬間にもう「さゆちゃん、お気づき!」とニヤニヤしながら言うくらい、とにかく歓迎ムードだった。そして、れいれい自身も金朋に対して、「自分は不言実行でコツコツパフォーマンスを磨くタイプ」と言っていることから、彼女のJuice=Juiceに対する理解度は高い、あるいは親和性が高い。
なんていうか、お姉さんチームは割とれいれいのことを「戦力」として見ているのが面白い。ファンも結構そういう見方をしていたんじゃなかろうか。新メンバーとして加入する子が、色々なしがらみとかそういうの抜きに、普通に「戦力」として期待されているというのはなかなか嬉しいものだと思う。
このサバサバとした感じがJuice=Juiceの良さだと私は思う。変に村社会化せず、権威を振りかざす者もいない。ステージに立つからにはみんなが平等で、競い合うライバルでありながら、助け合う仲間でもある。ステージ上での目線は極力揃えているが、それでもそれに束縛されることなく、各々が各々の好きな表現をすることが許されている。そしてステージを降りれば、輪を乱すことがなければ基本的に常識の範囲内でどういう風に振舞っていてもとやかくは言わない。ちゃんと仲は良いけれど、殊更にそれをアピールすることもないし、良くも悪くも「ノリ」みたいなものがあまりないのがJuice=Juiceらしさだったりする。
だから少なくともパフォーマンスで存在感を出せるメンバーにとっては、めちゃくちゃ気楽に居られるし、居心地がいいのだろう。
繰り返しになるけれど、まなかんとれいれいの経歴はちょっと異色だ。まなかんは実際に加入にあたり、休業のことや復帰先のこと、やなみんとの先輩後輩関係(カントリーではまなかんが先輩で、Juice=Juiceではやなみんが先輩)など加入に際して気を揉むことがあっただろう。れいれいに関しては、割とすんなりJuice=Juiceに加入した感じだけれど、元々こぶしファクトリーというグループではグループが半壊した経験もあったたし、最後の解散ではれいれいだけがハロプロに残るというともすれば後ろ指をさされそうな選択をしている。でも、そんな2人はそれぞれにスキルを認められ、かなりの歓迎ムードの中、Juice=Juiceに加入している。
そういうグループになれたのは、やはりやなるるが苦しみながらも乗り越えてきたものがあるからだ。でも、やなるるだけでなく、オリメンも初期のころからオリジナリティみたいなところ、そして複雑な人間関係に苦しんできた。歌の中心であった金朋・さゆき・佳林はまったくバラバラのベクトルのパフォーマンスをしていたし、最年長でリーダーのゆかにゃは責任感も強いがパフォーマンススキルで苦い想いをしていた。あーりーは最高に美人なのに、どこか抜けているし(でも最高のバランサーだった)。全く以てまとまりがなく、方向性も見いだせない。でも、そういった様々な局面を打破して、今やJuice=Juiceはまなかんやれいれいを獲得して、本当に多様性に富んだグループになった。
どんな経歴であっても差別はしない。人それぞれに事情はあるし、メンバー間の関係性も色々あるだろう。どんな理想を掲げながらアイドルをしていたっていい。変に空気を読んで、同じことに同じだけの熱量で笑っているふりをしなくてもいい。空気が読めなかったからと言って、それで裏で何かを言われたりもない。好きなことを好きにしていていい。でも、人には優しく、パフォーマンスには真摯に。それだけ。
個人の裁量が認められていて、互いに互いの人間としての在り方やパーソナリティを尊重し合う。でも、仕事の質を高めることだけは忘れない。失敗しちゃダメっていうんじゃない。失敗してもOK。むしろどんどん挑戦して失敗したらいい。なんてったって、ベテラン勢はめちゃくちゃ頼りになるしね。中途採用はスキルフルだし、新加入メンバー(この時期だとゆめりあいとか)は既に才能が開花しかけている。
……こんなチームって最高じゃない?普通に僕もここで働きたい。別にメンバーとしてって意味じゃなくて、ヲタクというのを抜きにしても何らかの形で彼女たちをサポートする一員になりたいと思うだろう。
ダイバーシティという言葉が流行ったけれど、何でもかんでも多様性が大事なのではなく、スタートアップ企業のようなところではむしろ画一的な人材で目線を揃えた方が結果が早く出るらしい。ダイバーシティが求められるのは、もっと大きな企業で、熟考してあらゆるリスクを排除した安定的な判断が求められる場所らしい。また、最近読んだ本では、ダイバーシティという言葉ではないが、インクルージョンという考え方を重要視していて、そこでは異質なものを分別するのではなく、あえて組織に組み込むことでメンバーの安心感が高まるということが書かれていた。
つまり、同質性の高い人が集まった場所で異質な存在が排除されるという状況を見聞きすると、人間というは今度は自分が排除される側に回る不安を感じるようになるということだ。
例えば、学力別でクラス分けをすると確かに授業はやりやすくなり、一見して効率性は高まるのかもしれないが、生徒たちは「下のクラスに落ちたらどうしよう」という不安感にさらされるようになり、結果的に長期的なパフォーマンスが落ちたり、パフォーマンスが落ちないまでも精神的な負荷が大きくなる傾向があるらしい。僕も似たような経験があるし、何となく「同質性の高いもの」に対する恐怖感というのは確かにある。もちろん「憧れ」のようなものも感じるが。
そういった考え方に則ると、組織としてはいかに異質なものを飲み込み、そういった存在に対して価値を認めていくかということが、組織としての安定性や安心感に繋がっていくと考えらえる。端的に心理的安全性と言ってもいいかもしれない。対人関係、つまりコミュニケーションで心理的安全性を確保するというのもわかるが、僕個人で言えばいかに組織が様々な人間の在り方を許容しているかが心理的安全性には直結しているように思える。なので、どんな経歴であろうとも、むしろ色んな経歴や長所短所を持っている人こそを歓迎するJuice=Juiceというグループはめっちゃ素晴らしい。
本当にあのときやなるるという「異質」を飲み込んでよかった。というか、2人の底力で我々に飲み込ませてくれたことに感謝しなければならない。そのうえでダイバーシティをさらに高める存在として入って来てくれたまなかんとれいれいにも感謝が止まらない。まなかんとれいれいが入ってくれたことで、「Juice=Juiceってのはどんな子でも受け入れる懐の深い、心理的安全性の高いグループなんだ」という特徴がはっきりしてきた。
というわけで、繰り返しや回り道が多くなったけれど、この「多様性」という価値がJuice=Juiceにはあるということこそが、僕の言いたかったことだ。ただここで気持ちよく締めるわけにはいかない。ゆめりあいや3flower、さくりんごについても語るべきことはあるし、みっぷるの休業に関して言えば、ともすればこの章で記載した内容の反証になってしまうかもしれない。そのあたりも僕なりの見解を少し書いていきたい。
が、とりあえず次の章では、山崎あおい楽曲について僅かであるが紙幅を割いておこうと思う。
閑話休題:山崎あおい楽曲がJuice=Juiceの魅力を引き出した件について
あえて、山崎あおい楽曲の良さについては議論しないでおこうと思う。それは自明のことであり、あくまで前提として使うに留める。
山崎あおい楽曲と言えば、およそ二十代後半くらいの女性をイメージしたような楽曲が多い印象だ。ほどよく大人で、現役でJuice=Juiceとして歌っていた子たちからするとちょっと背伸びした感じの年齢感。『微炭酸』はもうちょっと若い感じがするけれど、『ひとそれ』『好きって言ってよ』『プライド・ブライト』『トウキョウ・ブラー』あたりはだいたい二十代後半という感じがする。
Juice=Juiceのメンバーが特別に「大人な恋」をしてきたというような感じもしないが(アイドルだからなくていいのだけど)、かと言って、フィクションを通じてそういう「大人な恋」についての知見を手にしてきたというわけでもないような気がする。では、なぜそんな子たちが自分よりも年上の感じの女性の歌を説得力を持って歌えるのか。
それはもちろん彼女たちの歌詞の読み込みや、楽曲の聞き込み、表現の引き出しの多さなどがあるわけだけれど、根本的にはやはりJuice=Juiceのメンバーは特にハロプロメンバーの中でも大人なんだと思う。前章で書いた通り、課題に真摯に向き合ったり、他人を尊重したり、和を重んじたりができる子たちばかりだ。直感的に物事を捉えるだけでなく、ちゃんとゆっくり落ち着いてものを考えたり、言葉を発したりができる子たちだ。だからこその大人な女性たちが持つ、奥ゆかしさみたいなもののニュアンスを入れることに成功しているんだと思う。もちろん感情を爆発させるところでは爆発させるのだけれど、でも、オリメンの頃からどちらかと言えば、直情的な歌よりは憂いを帯びているような歌の方が心惹かれることが多かった。
別の記事でも書いたけれど、山崎あおい作曲のJuice=Juice楽曲は基本的にシンプルなJ-POPが多い。というか、これが黄金パターンみたいになっている。
Juice=Juiceの初期の頃を思い返すと、ファンクにジャズにフラメンコに……となかなかに節操がなかった。しかし、この頃に様々な表現を磨いたことが大きかった。1stアルバムでは、山崎あおい楽曲のような王道J-POPはなかったものの、「220」などでも披露された『生まれたてのBaby Love』や『GIRLS BE AMBITIOUS』、『愛・愛・傘』などのJuice=Juiceの歌唱力やステージングスキルを活かすようなシンプルさが高い楽曲がいくつか収録されていた。それによってJuice=Juiceは評価され出したというところもあるだろう。確かに彼女たちの良さの1つは小手先のテクニックであり、様々なタイプの楽曲を表現できるところではあったのだけれど、既にこの頃から「シンプルな楽曲でこそスキルが光る」という側面が見えていた。
Juice=Juiceにようやくぴったりの楽曲がやって来たのは、ドラマ「武道館」絡みでつんく♂さんに書いてもらった『大人の事情』だろう。少なくとも僕個人的にはそう思っている。この曲はシンプルなJ-POPであり、山崎あおい楽曲群の先駆けになったと考えている。しかし、不幸にもそれはつんく♂マジックのように捉えられてしまったのだろうか。乙女の複雑な心情を汲み取り、わかりやすいシンプルなメロディに乗せて歌い上げるというJuice=Juiceとしての完璧なスタイルは、それから『微炭酸』まではほとんど発揮されることがなかった。
実のところ、僕も『大人の事情』はドラマ効果とつんく♂マジックでしかないと思っていて、ここに活路があるとまでは思い至れなかった。普通に「神曲来た!嬉しい!」と一時の享楽に舞い上がっていただけだった。
しかし、まなかんが入って「ダンスナンバーもやっとくか」くらいのノリで(と僕は思っている)あてがわれた『微炭酸』が割にかっちりとJuice=Juiceにハマる。ちなみに『微炭酸』は山崎あおい楽曲として語られることが多いが、作曲はKOUGAであり、山崎あおいは作詞を担当している。が、わかりやすい乙女心をシンプルでポップなメロディに乗せて歌うというのは、いかにも山崎あおい楽曲らしい。
山崎あおい、いけるじゃん。
と、このときになったのかどうかまでは知らないが、しかし、ここから怒涛の活躍を見せる。まず『ひとそれ』がとんでもないヒットとなった。2024年10月時点でMVが922万再生で、令和以降のハロプロ発表曲の中で最初に1000万再生に達するのではないかというカキコミをどこかで見た。著名人の中にもいわゆる「ひとそれ新規」がいるし、それだけのインパクトを残したのがこの楽曲だ。
確かに曲も良いし、タイトルも良い。それは認める。しかし、それ以上に良かったのはやはり、Juice=Juiceとの親和性だ。あの『大人の事情』のときと同じように、複雑な乙女心とシンプルかつポップなメロディライン。これが表現力の暴力と言えるJuice=Juiceにはぴったりハマったのだった。
同じ観点で言うと、『好きって言ってよ』は僕のイチオシ楽曲なのだが、これも本当に素晴らしい。また自分で書いた記事を引用する形になってしまい大変申し訳ないが、なかなかに言い副題をつけている。「シンプルな中に見る『重力』」。
僕がずっと推してきた宮本佳林卒業シングルではあるが、卒業シングルであることなんか全く関係ないと思えるほどのばちばちの単なる高品質楽曲。シャッフルビートとサビの2段構成という激ウマ確定演出であるうえに、落ちサビではメンバーのソロパートバトンリレーまで見られる。MVもカッコよく、美しく、最高にゴージャスだ。
Juice=Juiceが歌う山崎あおい楽曲は、「ゴージャス」という言葉がまさにしっくりと来る。シンプルなデザインだけれど、素材にこだわっている衣服や家具。あるいはウォッカが蒸留を重ね、不純物を減らしていけばいくほどに旨味が強くなっていくような。そういう気品の高さが楽曲全体からうかがえる。ほかのハロプログループも好きだけれど、この「ゴージャス」さだけはJuice=Juiceが1番だと思う。キレの良さ、やワイルドさなど他の観点は譲ろう。しかし、音楽的な気品というのは山崎あおい楽曲を歌うJuice=Juiceが最高到達点だろう。
もちろん山崎あおい楽曲以外にも、Juice=Juiceの気品をうかがえる楽曲はたくさんある。『プラトニック・プラネット』や『ノクチルカ』などもすごくいい。つんく♂楽曲はどれも素晴らしい。そして当然だけれど、「ゴージャス」さ以外にもJuice=Juiceは良いところが沢山あるし、例えば『地団太ダンス』や『ポップミュージック』なんかの変わり種も意外とイケる。どんな楽曲が来ても高水準でパフォーマンスできるというのは、Juice=Juiceが初期の頃から強みとして持っていたものだ。
ただ、繰り返しになるが、そんなJuice=Juiceが最もその力を発揮できるのが、シンプルでメロディアスなポップスだ。パフォーマンスレベルを最高水準にまで到達させて、かつ成熟した精神性を持った人間だからこそ説得力を持って歌える。だからたいていのグループがそうであるように、ようやくJuice=Juiceも「この楽曲を歌える子がメンバーにふさわしいよね」という風になってきたんだと思う。娘。であれば、やっぱり『恋愛レボリューション21』を元気かつ幸福感たっぷりに歌える子に入って欲しいし、アンジュルムであれば『大器晩成』、つばきファクトリーであれば『抱きしめられてみたい』あたりか(1曲目の『独り占め』でもいいと思っている)。だいたいのグループが初期の楽曲イメージに合わせて、そのグループの色や雰囲気を決められているように思うが、正直Juice=Juiceはそれがずっとなかった。もちろん『ロマンスの途中』や『イジ抱き』は間違いなく最高の曲だ。でも、「めっちゃJuice=Juiceっぽい」かと言われると少し疑問だ。むしろ、『ひとそれ』や『トウキョウ・ブラー』あたりを上手く歌える子の方がJuice=Juiceっぽいという気がする。『ロマンスの途中』を上手く歌えたからと言って、「Juice=Juiceにぴったりだ」とはあんまりならないのではなかろうか。
そう考えると、Juice=Juiceはグループの目に見える強みが見つかるまで、めちゃくちゃ時間がかかっている。ぎりぎりでオリメン時代に『Magic of Love』という鉱脈を見つけてはいるが、これもJuice=Juiceらしさかと言われると微妙だ。「歌が上手いこと活かしているよね」というくらいのもので、グループの色やキャラクターの決定までは至っていないように思う。
だから、この章のタイトルにもしている通り、「山崎あおい楽曲がJuice=Juiceの魅力を引き出した」と僕は考えているわけだ。というかむしろ、「山崎あおい楽曲がもたらされるまで、僕たちはJuice=Juiceの本当の魅力を知らなかった」とさえ言えるだろう。「220」を通じてパフォーマンス力が高く一致団結した素敵なグループであることはわかっていたし、そんなJuice=Juiceに当時の僕も魅了されていたのだけれど、彼女たちが本当は何が得意なのかということが全然わかっていなかった。Juice=Juiceの魅力に気付かない鈍感な人。って感じだったわけだ。
ありがとう、山崎あおいさん。僕は鈍感でした。
3flowerとさくりんご
正直に言うと、僕が頭の中でずっと考えてきたことは、前章のまなかんとれいれいの辺りで言い終えてしまっている。ここから先はほとんどが暗中模索の中のアドリブになるだろう。しかし、どうしてもこの5人に関して違和感を覚えてきてしまっている。
これまで何度も言ってきたように、Juice=Juiceには2つのポリシーがある。
・パフォーマンスで客席と繋がる
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
これらはもう少し極端な言い方をすると、「パフォーマンススキルが高ければメンバーとして認められる」ということになるかもしれない。つまり、僕はずっとそれを否定してきたわけだけど、どうしたってJuice=Juiceに対するイメージは「実力主義集団」なのだ。僕は「実力向上主義」という言葉で、あくまで「精神性」が大事なのであって、リアルタイムでの「実力」それ自体が重要ではないということを示してきたつもりだけれど、それでもやっぱりJuice=Juiceであるからには高いスキルを求めてしまう。そう、あれだけそれを否定してきた僕であっても。
そういう観点から言うと、3flowerとさくりんごは新しい志向と言える。るるちゃんやゆめりあいは実力診断テストで結果を残しているし、やなみん、まなかん、れいれいは他グループでの実績がある。そこから考えると、3flowerとさくりんごは実績が少なく、またあまりパフォーマンス能力で選ばれたという感じもしない。2024年時点で1番新しいメンバーのみっぷるは、また実力志向に戻った感じがするので、余計に3flowerとさくりんごが浮いて見える。と言いつつも、実質的にはこの5人がグループの半数を占めるているのだけれど。
では、3lowerとさくりんごは何を以って、Juice=Juiceにふさわしいと考えられ、加入することになったのだろうか。僕たちは決してスキルフルという前評判ではなかった彼女たちに何を期待すればいいのだろう。なお、もちろん彼女たちは努力を続けて、今やかなりスキルも充実しているし、加入当初から可能性を全く感じなかったというわけでもない。でも、ゆめりあいが加入するときの「鳴り物入り」感もなければ、中途採用組の「即戦力感」を求められるはずもなかったのは事実であり、だからこそ再度彼女たちの加入当初にまで振り返ってみる価値があると考える。
まず1つ考えられるのは、Juice=Juiceというグループにおいても他グループ同様、わかりやすい成長譚を見せようとした可能性だ。ゆめりあいのように最初から才能もスキルもある子がJuice=Juiceというスキル集団の中で成長していくというストーリーは出来レース感さえある……とまでは言わないが、まぁ、「順調に成長してくれて嬉しいな」という感じにはなってしまうかもしれない。だったら、「どうなるかわからない」子たちを入れて、その子たちが壁にぶつかりながら少しずつ成長していくというストーリーの方が「惹き」があるかもしれない。もちろん最低限の「可能性」を感じる子でなければダメだけれど、現時点ではまだ何の実績もない子の方がいい。そういう考えで、メンバーに選ばれたのかもしれない。
とにかく顔が可愛くて子供っぽいところがあるエバちゃん。初の一般加入であり、朗らかかつ胆力があるりさち。抜けたところがあるが、英語にバイオリンと突出した特技を持ついちかし。今でこそそんな風に紹介ができるくらいだけれど、加入当初はまだ何とも言えない感じだった。僕が研修生に疎かったこともあるけれど、パフォーマンスをしているところを見ても、はっきり言ってしまえば、「スキルフルであることがJuice=Juiceメンバーの定義とするなら、3flowerはまだまだなのかな」という風に思っていた。でも、何度も言うように決して「スキルフルであることがJuice=Juiceメンバーの定義ではない」ということを私も頭では理解している。ゆかにゃやあーりーを引き合いに出すのも失礼だが、少なくとも初期の彼女たちは決してスキルフルとは言えなかった。だから、3flowerもゆかあーりーのように時間をかけて洗練していくストーリーを見せてくれるのだろう、くらいには考えていた。それはさくりんごも同じで、スタイルの良さと全く違う方向性での美人さを持つ彼女たちの特徴は理解していたけれど、歌やダンスに関しては、「今後に期待」くらいにしか思えていなかった。
でも、たぶんそんな簡単な話ではないと思う。彼女たちはJuice=Juiceに入る「何か」を持っていたし、また入ったことでJuice=Juiceに対して「何か」をもたらしているはずなんだ。それこそが重要なことであり、単純に「ゆかあーりーの成長譚 vol.2」を見させられているんだというのは認識として甘い。そんなヲタクであってはいけない。彼女たちの個性をもっと見出していかなければ、真のヲタクにはなれない。
というようなことを、ここ4万字くらいを書いてきて思い始めてきた。
しかし、いきなりダイレクトに彼女たちの個性とそれに付随するグループの在り方の変化について語るというのもなかなかに難しい。例えば、いちかしの持つバイオリンというスキルがJuice=Juice楽曲の幅を広げたことは言うまでもないし、3flowerとさくりんごがみな個性豊かなメンバーであることは間違いない。けれど、グループのアイデンティティにまで及ぶものは何だろうと考えると難しいのだ。いちかしのバイオリンも、エバちゃんのガキんちょムーブも、りさちの天然のあざとさも、さくらちの狂人っぷりも、あかりんごのバレエもグループの在り方をぐるっと変えるほどのものではない。もっと緩やかに、じわじわとグループの個性を彩ってはいるけれど、
・パフォーマンスで客席と繋がること
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
みたいなグループの根幹を作るまでにはまだもう少し時間がかかるだろう。というわけで、こういうときはもう少し視野を広げて、他グループとの比較をしてみようと思う。
まず、Juice=Juiceと言えば、「実力派」というイメージがこれまで強かったように思う。オリメン5人での活動時期が長かったし、加入してくるメンバーはみんな粒揃いで、中途採用組は言ってしまえばちょっとズルいくらいのものだ。しかし、オリメンの卒業を含め、ここに来てJuice=Juiceの新陳代謝は激しくなっている。当然ながらそれまで武器にしてきたパフォーマンスの安定性というのは若干揺らいでくる。
そして、今でもなおJuice=Juiceの代名詞は「実力派」というところではありつつも、僕個人的に言えば、現段階でハロプロ屈指の実力を持っているのはBEYOOOOONDSだと思う。2024年秋においてはビヨもなかなかな変化点に差し掛かってはいるが、2023年末くらいでは、パフォーマンスの質の高さで言えばビヨがかなり上位だったと思う。長らく固定メンバーでやってきたことが1番の要因ではあるけれど、普段トンチキソングを主戦場に闘っている彼女たちが次第に王道のポップスにも歩み寄り、小芝居で鍛えた表現力を余すことなく活用している姿には心を打たれる。
ハロコンやひなフェスでシャッフルユニットをやれば、「やっぱビヨメンは地肩が違うわ」と思わされるし、他のグループの楽曲をカバーすれば「本家超えだ」と騒がれる。かつてのJuice=Juiceはそういう感想を持たれる筆頭だった。もちろん今でもJuice=Juiceのメンバーはみんな凄いけどね。でも、ビヨはちょっとアイドル歴が違ってきている。メンバー固定というのも強すぎた。
そんなビヨと知らず知らずのうちに比較してしまっている自分がいる。グループやメンバーというのはそれぞれに良さがあって、どちらが優れているとかない。それはわかっているが、それでもやっぱり無意識のうちに比べてしまう。もしも、Juice=Juiceが好きな理由が「スキルの高さ」だった場合、その人はビヨに流れてしまうだろう。まぁ、それも一興ではあるし、個人の好き勝手なのだが、それでも僕はやっぱりJuice=Juiceを中心にハロプロを観てきた。ということは、僕がJuice=Juiceに対して求めているアイデンティティはパフォーマンスではないということなのだろうか。
上述のとおり、僕が大事にしているのはその瞬間瞬間の「実力」ではなく、あくまで「実力向上主義」であるということ。だから、別に現時点での「実力」がビヨに軍配が上がってしまうとしても、それでも「向上心」の高さからJuice=Juiceを1番に考えているというのは、ある意味では理にかなっているかもしれない。でも、ビヨも「実力向上主義」的に、努力を積み重ねてきたからこそ、今のパフォーマンススキルやチームワークがある。だから、もうそれだけでは差別化ができない。
そこで僕はもう1つ別の拠り所に走っていった。つまり、「いつの時代のJuice=Juiceも最高」という信念だ。ビヨは固定メンバーだけれど、Juice=Juiceは卒業加入があるグループになっている。昔から新メンバーに対しては最大限の配慮がなされてきたし、どんな過去があっても色眼鏡で見たりしない。色んな経歴があるからこそ、お互いの個性を尊重し合える。そんな最高なチーム。
でも、卒業加入がある、娘。やアンジュ、つばきなんかも「いつの時代も…」という価値観は持っているだろうから、そう簡単には差別化ができない。色々な経歴を持っていると言っても、まなかんは卒業して、今や経歴的に特殊なのはれいれいくらい。むしろ、ピアノの国際大会で入賞経験があるほのぴがいたりするビヨの方が個性的と言えないだろうか。だったら、Juice=Juiceの良さは風通し……いや、アンジュだって相当仲良さそうだぞ。ビヨにも互いをめちゃくちゃに褒め合うという文化がある。つばきも番組の企画とかを見ていると先輩後輩の垣根がなく楽しそうだ。娘。に関しては縦社会感もだいぶ和らいできているが、むしろその縦社会感がまた面白いところだったりもする。
じゃあ、僕は何を以ってJuice=Juiceというグループを応援していけばいいのだろう。決して埋もれているわけじゃないし、Juice=Juiceというグループが、そのメンバーのことが好きだ。楽曲が好きというのもあるけれど、たぶんそんな簡単なものでもない。
というか、楽曲とグループの雰囲気は切っても切れない関係性であり、今では「Juice=Juiceというグループだから」と『トウキョウ・ブラー』みたいな楽曲が割り当てられていたりする。てことはJuice=Juiceにも確固たる個性があるというわけだ。今までは「実力派」という肩書に胡坐をかいてきたけれど、それがビヨに奪われつつある現在。メンバー間の気遣いというのも、今ではすべてのグループが高い水準でそれを持っている。Juice=Juiceがずっと掲げてきた2つの信念(まぁ、僕が勝手に言っているだけだけど)は失われたわけではないものの、一昔前よりもずっと他グループとの差別化の因子にはなりづらくなっている。
比較をしてみたけれど、やはり難しい。なので、もう一度3flowerの加入に立ち返る。
まず彼女たちが加入して「すごいな」と思ったのは、3人の仲の良さだった。とても距離が近い。お互いに助け合いながら、褒め合いながら、何とかスキルが振り切れた先輩メンバーたちに食らいついていった。きっと3人がもっと個人主義なタイプだったら潰れていたんじゃないかな。そう考えるとゆめりあいは可愛げがなかった。もっともタコちゃんは緊張しいで謙虚すぎるところがあるが故に、先輩メンバーにサポートされ、愛されて育ってきた節があるけれど。でも、3flowerはゆめりあいとはなんか違う。ゆめりあいは唯我独尊な感じがある。対して3flowerはみな個性が強い一方で、同時にかなり自分を客観的に見ることができるタイプだと思う。いちかしは音楽の才能があったけれど、特にエバちゃんとりさちはJuice=Juiceへの加入が決まったとき「なんで自分がJuice=Juiceなんだ?」と思ったのではないだろうか。パフォーマンスの面に限って言えば、3flowerはそれまでのJuice=Juiceメンバーに比べればまだ何者でもなかった。
僕も3人のスキルについてはあまり知らなかったし、加入初期のパフォーマンスを見ても、「これはすごい才能を秘めている!」とまでは正直感じられなかった。例えば里愛ちゃんで言えばoctopic!公演での豪胆さには驚いたけれど、それに匹敵するような衝撃は見つけられなかったのが本音だ。けれど、活動するにつれて3人が「Juice=Juiceのメンバーとして認められよう」と必死に努力しているのが伝わってきたし(公演ごとにパワーアップしている様子がなんとも感動的だった)、それは並大抵の成長スピードではなく、おそらく3人が自分たちを客観視して危機感を持って努力できていたからだと思う。
そして上で書いた通りだけれど、3人の仲の良さが眩しかった。
同期でピクニックとか、正直オリメン時代からしたら考えられない。本当に支え合っているんだなというのが感じられて、いま読み返しても涙が出てくる。
同時に3flowerの間だけでなく、特にエバちゃんを中心に先輩メンバーと後輩メンバーの距離がどんどん近づいていくのを感じた。いつの間にかタコちゃんまで巻き込まれ、あーりーからは「煽り2トップ」と認定されたり、どんどんとメンバーが犬化していき、じゃれ合う場面が増えていった(一部、猫やタコに喩えられるメンバーもいたけれど)。
こういう風なグループの変わり方というのは全く以て想像していなかった。それまで僕はどちらかと言うと、Juice=Juiceのちょっと辛気臭い雰囲気が好きだったりした。それが、「3flowerが入ってだいぶ明るくなったなぁ」と思うようになった。明るくなったら、それはそれでいいものだ。だから、3flowerとそれに続くさくりんごが、Juice=Juiceというグループを明るくしたというのは立派な変化ではある。
変化ではあるのだけれど、また話を戻すと他とのグループの差別化まではいけていないような気がするのだ。うーん、僕は僕でJuice=Juiceが好きだからそれはそれでいいのだけれど、でも、「どうして僕らはJuice=Juiceに沼るのか。」と考えるときには、やっぱりその理由が欲しいものである。だって、明るくてメンバー間の距離が近いのが良いのなら、あの時代のアンジュルムとか、色々と選択肢はあったはずなのだから。いや、まぁ、どの時代のどのハロプログループも好きだったよ。何回も言うけれど。ただ、その中で特にJuice=Juiceが好きな理由はなんだったんだい、という話のなのだ。
そして、3flowerに関してはもう1つ大きな事項が控えている。
それは同期のリトキャメ凄すぎ問題だ。4人が4人とも揃いも揃って歌が抜群に上手いうえに、全然表現のベクトルが違う。タレントオーラもあって、才能の塊。言ってみれば、Juice=Juiceのオリメンみたいなスーパーエリート集団だ。それが同期で別のグループに入り、あっという間にグループ内での地位を確立していった。
こう言ってはなんだけれど、加入当初こそ、リトキャメと3flowerは比較されていたが、いつの間にかそこを比較する人もいなくなってきてしまったほどだ。私でさえ、先日の真琳ちゃんのバーイベの振り返りブログで、真琳ちゃんがりさちに言及しているのを見て、「そうか。そう言えば同期だったな」「そして誕生日が同じだったな」と思い出したくらいだ。
先述のビヨの話と合わせて、リトキャメもいるし、もう「Juice=Juiceと言えば、実力派」という一本槍ではなかなか戦いづらい。そこで3flowerやさくりんごがもたらした「明るさ」という部分に照準を合わせるのだけれど、「明るさ」というめちゃくちゃ雑な言葉ではやはり説得力に欠ける。新リーダーのあーりーのもと、段々と団結感を増していき、より親密にじゃれ合うようになっていくJuice=Juiceを見るのは楽しかった。でも、こういったJuice=Juiceの変化をどう言葉にしていいのかわからない。
1時間くらい、何かいい言葉はないかと探し回った。3flowerやさくりんごの結成日やメンバーの誕生日などを中心に各人のブログを見て回ったが、もうとにかく同期どうしで仲が良いというエピソードが尽きなかっただけだった。まぁ、それはもうわかっている。上で嫌と言うほど書いた。本当に仲が良くて信頼し合っている。そういう関わり合い方が先輩たちにも伝染して、グループ全体の雰囲気が明るくなっている。その事実が確認できただけだった。そして、僕の行き詰った思考にケリをつけるような素敵な言葉は見つからなかった。
そこで、もう音を上げて最後にあーりーの卒業ブログを訪ねてみた。
3flower、さくりんごについて書こうと思っていたけれど、結局僕が立ち返るべき場所はここだったみたいだ。僕がJuice=Juiceを好きな理由はここにほとんどすべて書いてあった。
あーりーがリーダーになったくらいの時期から、僕は上で書いたような他グループとの差異化の難しさというのを感じるようになっていた。いや、Juice=Juiceを好きな気持ちは変わらない。はっきりと好きなんだけど、僕の語彙力の低さからそれを言語化して説明できないだけだ。
なんとなく、パフォーマンスに対して飽くなき探求心があり、かつ他者への思いやりがあって、Juice=Juiceというグループを大切にする心がある感じ。これってなんなんだろう。どう言語化すればいいんだろう。僕はずっとそれがわからなかった。
が、今ならわかる。それは「自由」という言葉に集約されていたのだろう。「自由な女神」としてメンバーから絶大な信頼を得ていたあーりーが、「自由」をコンセプトにグループを牽引してきた。本人は「牽引してきた」なんて表現はされたくないだろうけれど、その「自由」というコンセプトは裏の意味も含めて、なんともJuice=Juiceを体現している。というか、その裏の意味こそが、3flowerとさくりんごを表明しているのだと感じた。
いちかしの例だけれど、とにかくいちかしは最初の頃、謝ってばかりだったそう。ほかの子のHBDブログも色々と読んでみたけれど、とにかく3flowerやさくりんごに関しては、「真面目」や「謙虚」と感じさせてくれる話題が多かった。あのエバちゃんでさえ、里愛ちゃんブログによると、歌練習終わりで「大丈夫でしたか…?」というような不安そうな目で見つめて来るらしい。
要するに、3flowerやさくりんごはとにかく責任感が強く、あーりーのブログにもある通り、Juice=Juiceの歴史を固く受け継ごうとしているということ。根がとっても真面目だからこそ、むしろそれを壊すために「自由」というコンセプトを掲げていた。そして、その「自由」というのはあーりーの人間性にも合っていた。そういう相乗効果で、真面目過ぎるメンバーたちは、あーりーに沢山救われただろうし、ほっと息がつけたのだと思う。凝り固まらず、縮こまらず、同期どうしで仲を深め、助け合い、愛し合いながら成長してこられた。
だから、ここに新しくJuice=Juiceの価値観を付け足そうと思う。
根は真面目に、だからこそ心は自由に
こんなしょうもないキャッチコピーでいいのだろうか。でも、3flower加入、そしてあーりーリーダー就任あたりからも変わらずにJuice=Juiceを好きでいられたのは、ただ年季が入ったヲタだからというだけでなく、この価値観があったからだと思う。
思えば、オリメンたちも根が真面目だった。真面目過ぎて面白味がないほどだった。そこはずっと変わらないJuice=Juiceの伝統なのかもしれない。というか、ハロプロのグループは全部そうだし、そういう意味ではやっぱりまだ差別化はできていないんだけど。でも、辛気臭いほどに真面目すぎるのがJuice=Juiceだった。今では、3flowerやさくりんごのおかげで、だいぶ明るくなったけれど。でも、その明るさを手に入れる過程で、真面目すぎる部分を打ち壊して、自由を手に入れるプロセスがまた痛快だった。
上で書いた通り、3flowerは特に客観性が高い子たちだと思うので、自分たちが「実力派」であるJuice=Juiceに入ったからには、他のグループに負けてられない、負けたら自分たちのせいだと思う節もあっただろうし、同期のリトキャメは凄すぎるし、で大変だったと思う。その気負いを打ち砕き、パフォーマンスですら「自由」を象徴するためにどんどんアレンジに挑戦していったあーりーの功績は大きい。そしてそれが僕たちをJuice=Juiceに繋ぎとめてくれていた。繋ぎとめてくれたおかげで、どんどんとグループの雰囲気が明るくなっていく過程を自分ごとのように楽しめた。
少し話は飛ぶが、先日の「Juice=Juiceの日」イベントは最高に楽しかった。「実力派」であるJuice=Juiceも観られつつ、明るくじゃれ合うJuice=Juiceも観られた最高のイベントだった。
パフォーマンスで客席と繋がっていたのは言うまでもなく、段原リーダー体制は何と言うかパフォーマンスから気迫が伝わって来て凄いカッコ良かった。そして、あーりーが残した「自由に」精神ではっちゃけるのだけれど、みんな真面目だからかなぜか即興でやった『Help me!』でほぼほぼ完璧なフォーメーションダンスを繰り広げてしまう、という。うわぁ、Juice=Juiceっぽいなぁ、と心底感心したし、めちゃくちゃ笑った。
そんなこんなでなかなか3flowerとさくりんごという章タイトルは回収できなかったけれど、これがここ数年のJuice=Juiceである。真面目過ぎるほどに真面目。でも、それで息苦しくならないように、どうにかこうにかみんなで気持ちを押し広げようと頑張っている。それが今のJuice=Juiceなのだと思う。
そして、次の閑話休題と話は移っていく。デリケートな話になるけれど、僕自身も当事者であることを踏まえ、少し言葉を綴ってみよう。もう目標の5万字は超えたようだけれど。
閑話休題:真面目過ぎるが故
心の問題は他人にはわからない。自分にだってわかっているかは疑問だったりする。頭では何てことないと思っていても、心は疲れ切って、体にはコントロールのできない症状が現れたりすることもある。それは環境に起因して発生するものでありながら、先天的な要素もあったりする。明確な原因や悪人なんてそこにはありもしない。そういった前提に則ったうえで、Juice=Juiceメンバーがぶつかった苦難について少し書いていきたい。
まずそもそもが、宮本佳林という最強にストイックな人間がJuice=Juiceにはいた。原因がこれと断定するわけにもいかないし、疾患については僕も仔細な知識を持たないが、彼女は顔面神経麻痺や突発性難聴という疾患を患った経験がある。本当のところは何がどうなってそうなったのかはわからないけれど、佳林ちゃんを応援している身からすれば、「いや、それだけストイックにやってたら、そういうことも起こりうるだろうな」という感じはあった。
研修生の頃から、自分の釣り目が嫌で垂れ目にするテープを目尻に貼っていたというエピソードを聞くくらいだ。佳林ちゃんの健康ヲタクっぷりは枚挙に暇がないし、逆に偏った食生活をたまに披露したりもしている。そういう極端なところがあるのも彼女の魅力ではあったりするのだろうけれど、それにしたって負荷がかかり過ぎているように僕には思える。だいたいがアイドルという職業自体、体系維持を含め、外見を美しく保つという難題を抱えていて、とてもじゃないが僕のような怠惰な人間にはちょびっとも真似できやしない。なのに、25歳にして「これ以上綺麗にはなれない」というくらいボディメイク等を頑張った写真集を発売した佳林ちゃんはやはり凄すぎる。
フィジークやボディビル系の動画を全く見たことがない僕からしたら、佳林ちゃんのボディメイク動画を見て、めちゃくちゃしんどくなる。よくもまぁこんなに努力ができるものだ、と。僕なんて、ランチでご飯の大盛りを遠慮するだけで精一杯だと言うのに。
佳林ちゃんが異常なのは、ぶっちゃけ佳林ちゃんのライバルなんてそんないないのに、単身で努力を続けられるところだ。ハロプロメンバーだった頃から、佳林ちゃんと言えば、「ハロプロの最終兵器」と言われ続け、誰もが認めるところのハロプロのエース格であったわけだし、そこに胡坐をかいていてもよかったはずだ。しかし、周囲の期待なのか、自分が納得できるかどうかという世界なのか、その辺はよくわからないが、佳林ちゃんはストイックに努力を続ける。
でも、そんな彼女でも周囲に対して自分が遅れているという感覚もあったそうで、一応本人の中ではそういった感覚が上記の疾患の原因になったと考えているよう。
でも、こういう感覚を持つことが佳林ちゃんの中での当たり前なんだと思うと、やっぱり大変そうだ。他人と比べてできない、というのがやっぱり何事においても毒で。
そう考えると、近年で言えば、みっぷるやりさちの一時離脱というのもそういうものが大きかったんじゃないかと思う。
ここからも引き続き、僕の勝手な想像になる。
みっぷるに関しては研修生の実力診断テストでもベストパフォーマンス賞を取るほどの有望株だった。しかし、Juice=Juiceに入ってみると、自分が想像していた以上に先輩たちとの差が大きかった。新人なんだからできなくて当たり前という風には彼女の中でなれなかったのだろう。一般から加入してきて、先輩だけど年下なあかりんごでさえ、堂々とパフォーマンスしている。そのさらに先輩たちはもはや雲の上の存在。後に復帰してからいつぞやのライブMCで「映像を見返してみると、大人の中に1人だけ子供が混ざっているみたい」というような発言をしていた(1-LINEの仙台公演MCだったかと)。
復帰後でさえそういう気持ちになっていたのだから、加入当初のプレッシャーや自分への失望感というのは計り知れないほどだっただろう。そうして心と体が追い付いていかなくなってしまったのかな、と僕は考えている。
りさちに関してはパニック障害ということなので、またちょっと原因と結果のプロセスが違うと思うが、僕なりにパニック障害について調べたところ、「疲労」と「緊張感」の繰り返しによってパニック障害が発症する可能性が高まるらしい。
こんな動画1つでは精神疾患のキツさはわからないものだが、それでも一応の簡単な理解として。しかし、りさちに関してもとても真面目であるというエピソードは事欠かない。
お休みする前のれいれいによるHBDブログでも、そういった一面が書かれている。それがりさちの良いところでもあり、同時に頑張り過ぎてちょっと疲れてしまうというところでもあるのだろう。
その辺は里愛ちゃんがとても上手なイメージがあり、真面目なところはもちろん真面目なのだろうが、どこか要領が良くて、飽き性な一面もあるのか、コツコツと努力を積み重ねるようなタイプではない。どちらかと言えば、その場のノリで軽やかに生きているタイプに見える。もちろん、作曲にのめり込んだり、ライブMCでも時折涙ぐむほどの熱い感情は持っているが。だが、そういう感情の波を上手く乗りこなしている感があるのが里愛ちゃんの凄さだったりする。
佳林ちゃんの話に戻るが、佳林ちゃんも新グループ結成のインタビューではビシャビシャに泣いていたけれど、いつの間にかほとんど泣かなくなった。卒業のときでさえ泣いていなかったと思う。いつから人前で泣くのをやめたのかわからないが、そういう風に感情を抑圧する術を身に着けていた。
りさちもあまり泣いている印象がない。みっぷるは割と泣いている印象があるけれど、まだまだ子供だからなのかな。精神疾患と「泣けるか」というところにどれくらい相関性があるのかわからないけれど、肌感覚的にはやはり感情を抑圧する方があまり心にはよくないという気がする。まぁ、あまり泣き過ぎているのもそれはそれで心配だけれど。
……と、泣く、泣かないの話はどうでも良くて。
章タイトルに戻るけれど、真面目過ぎると「自分はまだまだできていないから、もっと頑張らなくちゃ」と思いがちだ。そういう元来の性質があるところに、佳林ちゃんであればワールドツアーとハロコンが重なり、みっぷるであれば新メンバーとしての加入があり、というイベントが重なって疾患に見舞われたと考えられる。りさちは長期的にそれが積み重なり、繰り返す疲労と緊張感から疾患に見舞われた。ざっくりと言えば、そんな風に考えることができるだろう。
こういうのはぶっちゃけどうしようもないと思う。頑張るか頑張らないかは人次第だし、頑張る度合いも、どんな風な気持ちで頑張るかも人次第。僕も適応障害に罹り、一時期会社を休職していたが、それは自分の元来の性質や価値観と、環境要因が重なって発症したものだった。少し自分語りになるが、僕は1つ目の職場で認められ、期待され、とても楽しく充実した社会人生活を送っていた。そんな状態で、全く環境が異なる曲者おじさんが牛耳る職場に転属し、そこで鼻をへし折られた。そういう状況に耐えられず、「絶対に見返してやる」とめちゃくちゃに気を張って仕事をし続けていたら、おかしくなってしまった。そこには単に極端な評価基準や人間関係の変化というのもあったけれど、僕自身の仕事に対する根本的な考え方の問題があった。僕はもともと社会に対して違和感を感じることが多かったから、できるだけ社会とは関わらない部分の自分の居場所というのを作ることを頑張ってきた。例えば、こうして書いているブログとかね。でも、それだけだと社会から排除されてしまうという恐怖感があって、「ちゃんと働くから、僕だけのプライベートスペースは侵さないでね」という感じで言い訳がましく働いて社会貢献しているという考え方に強くこだわっていた。要するに、自分の仕事が認められないと、自分が大切にしているものが壊されるという恐怖感があった。だから、仕事で頑張って成果を出そうとしていたのだけれど、2つ目の職場ではそれが上手くいかず、とにかく怖かった。怖かったから、自分の社会的な価値を取り戻すために頑張り過ぎてしまった。
僕がやってしまった過ちと、彼女たちが苦しんでいる理由がどれくらい重なるかは全くわからないけれど、もしもアイドルとして頑張ることが彼女たちを苦しめているのであれば、どうかそこから少しでも解放されますように。
ボランティアなど、アイドル以外の場所に自分の価値を見出していくのはとても大事なことだと思う。そうやって自分を癒していくことが復帰に繋がるし、復帰した暁にはきっとそれがグループをより良い方向に導いていくと思う。
僕の好きなドラマーのピエール中野さんもジストニアという病気を克服する過程で様々なことにチャレンジして、多角的に自分の価値を高めたことが良かったと語っている。
佳林ちゃんやみっぷるがどのようにして困難を乗り越えたのかはわからないが、ぜひとも2024年秋現在で活動休止状態のりさちに何かしらサポートをしていただけたら嬉しく思う。
精神疾患を何かしらのバッジのようにするのはあまりにグロテスクだけれど、それでもJuice=Juiceが真面目なメンバーを集めているグループである以上、ここはある意味では避けて通れないところなのかもしれない。
真面目というのは場合によっては、恐怖に突き動かされていて身動きが取れないという状態かもしれない。それを「自由」というテーマで打ち砕こうとしたあーりーは偉大だったけれど、きっとまだまだできることはあるだろう。「自由」は確かに1つの有効打ではあっただろうけれど、今後りさちやみっぷるがグループに還元するものがきっとまた新しいJuice=Juiceのコンセプトや魅力、価値観になっていくだろう。
真面目だから、器用に狙ってバズるような売り方はできない。「パフォーマンスで客席と繋がる」ことでしか魅力を伝えられない。
真面目だから、新メンバーはグループ加入で気を使ってしまうかもしれない分、最大限配慮しよう。それが「いつの時代のJuice=Juiceも最高」という標語になった。
真面目だから、凝り固まってしまわないように「自由」というコンセプトでグループという空間を押し広げてあげる。
そういう風にも考えられる。だから、もちろんメンバーの苦しみを「苦しんでよかったね」とは絶対に言えないけれど、それでも「苦しんだ分は、何かしら未来に繋げられる」という前向きな気持ちを持って頑張り過ぎずに頑張ってほしいと思う。『おじぎでシェイプアップ』風に言うのであれば。
2024年11月現在、初のオリメンなし武道館公演を控え
今回は「TRIANGROOOVE2」ということで2018年の武道館公演の第2弾的なノリでツアーが組まれている。武道館公演は11/19(火)で、スペシャルな公演になるらしい。ロージークロニクルもバックダンサーを務めてくれる。春に最後のオリメンであるあーりーが卒業してから初めての単独ツアー、そして初めての武道館公演だ。しかもツアータイトルが「TRIANGROOVE2」ということで、オリメンがいた頃の中でも屈指の人気を誇る公演のセルフカバーになる。
現メンバーが実際のところどう思っているのかわからないけれど、尊敬してはいるがいつまでも目の上のたんこぶのように「あの頃は凄かった」と語り継がれるオリメンたちとの真っ向勝負とも言える。穏やかで大人びたJuice=Juiceメンバーはそこまでの対抗意識みたいなものを前面に押し出しては来ないだろうと思うけれど、ここはぜひとも「過去とは決別してやるんだ」くらいの気持ちで頑張ってほしいと思う。上述の通り、どうせ「決別」なんて言っておきながら、きちんと「伝統を受け継いでしまう」くらい真面目なのが現メンバーなのだから。
これからJuice=Juiceはどういったグループになっていくのか。それは僕にも全然わからない。でも、これまで獲得してきた核となる価値観を引き継ぎつつも、より新しいものが見られたらと思う。パフォーマンスの良さ、互いへのリスペクト、責任感を凌駕するほどの自由な心。その先に何を作っていくのか。
今回の武道館公演ではその片鱗を見られたらと思っている。
すでに段原リーダー体制にはかなりの期待を抱いている。るるちゃんがリーダーになったことで、よりパフォーマンススキルというところに焦点が定まり、ある種の原点回帰のようなことさえ起こっているように感じている。れいれい、ゆめりあいは既に主砲としての自覚も芽生え、自分たちがステージをよりエキセントリックなものにしていくんだという気概を感じる。3flowerとさくりんご、そしてみっぷるも、段々とただ「ついていく」という段階を超えて、自分の個性を発揮し出している。欲を言えば、もう一声!というところだけれど、加入当初から比べれば驚くべき成長率だ。
パフォーマンス至上主義ならそれでも全然かまわない。むしろそれはJuice=Juiceのヲタクが待ち望んでいたことの1つでもある。だから、もしそこを頑張るというならどんどんと頑張ってほしい。その一方で、せっかく3lowerやさくりんごが持ち込んだ、明るくて温和な雰囲気というのも、さらにその先に何があるのかというのを見てみたい。まずはりさちの復帰というところがあるだろうし(もちろん焦らずにゆっくり確実に治療は進めてほしいけれど)、Juice=Juiceらしい変わった人事運用で言えば、早急に林仁愛が加入するというのも面白いし、研修生から昇格できずに辞めてしまった子がいきなりオーディションでJuice=Juice入りするみたいなストーリーがあったっていい。逆にもうしばらくは追加メンバーを入れずに、段原リーダー体制で熟成させるというのも面白い。
里愛ちゃんやいちかしが趣味でやっている作曲がJuice=Juice楽曲として日の目を見たりするのも面白いし、れいるるイベントがかつての佳林ちゃんのグループ活動と並行してのソロツアーレベルになっても面白い。もちろんルルウタももっと大規模化していい。タコえばさくりんごでのゲーム配信だってどんどんやってほしいし、色々な活動がどんどんと広がっていくことを楽しみにしている。佳林ちゃんのYouTubeに現メンバーが出るのも面白いだろうし、逆にJuice=JuiceチャンネルにOGメンバーが出たっていい。そういうことを考えていると夢が広がっていく。
まぁ、実際問題としてどれか1つのことに注力してやるのではなく、パフォーマンスもイベントも、色々なことを手広く、いい塩梅で進めていくのだろう。これまでももちろんそうだったし。私が勝手に場面場面を切り抜いて、「あのときのこれがこういった価値観形成に繋がっているのでは?」というのを勝手にやっているだけであって、リアルタイムの出来事はもっと取り留めのないものだったりする。だから、どうしたって最近の事柄になってくると、濃密さは失われ、ぼんやりとした内容になってしまう。まだ確定しきっていないし、ラベリングも難しい。やはりある程度、きちんと過去になって解釈が固定化できてこないと明確な書き方というのは難しい。
だから、この章ではJuice=Juiceのこれからについて何か書けたらと思って始めたのだけれど、実際はあんまり書くことがない。ただ私から言えるのは、結構な分岐点に差し掛かっているので、今のJuice=Juiceはよく見ておいた方がいいよ、ということだ。
基本的にJuice=Juiceの指針というのはオリメンたちの奮闘から生み出されたものだ。あの結成当初の歪な状態が、
・パフォーマンスで客席と繋がる
・いつの時代のJuice=Juiceも最高
という価値観を形成していった。器用貧乏だったグループが武者修行を経て、本当の意味でのパフォーマンスというものを獲得したという奮闘。固定メンバーで行くかと思ったら新メンバー加入が決まり、「いや新しく入ってくる方も大変でしょ。私も結成当初はスキルの差で悩んでたし」みたいなことで配慮の心を学んだという奮闘。そういう奮闘の主軸にはいつだってオリメンの苦悩があった。
しかし3flowerとさくりんごの加入はそれだけで大きな転換点だった。グループは明るくなり、そして彼女たちの責任感の強さをほぐしてあげる「自由」というコンセプトも生まれた。それはあーりーの卒業公演で一応は結実したけれど、まだ今後どういう風に拡大していくかはわからない。
そしてオリメンが全員卒業して、段原リーダー体制となり、いったいグループはどんな方向に走り出していくのか。
山崎あおいのメロディアスかつ都会的な音像というグループイメージもしっかりついてきた。そのイメージを突き詰めるのか、あるいは踏襲しつつも、また新しい世界を切り開いていくのか。3flowerとさくりんごが本当に今までのJuice=Juiceメンバーとは違った個性を持っているので、彼女たちがグループの中核になったときに、どうなっていくのかが見えなさ過ぎて本当に楽しみだ。
これは僕個人の勝手な感想だけれど、ゆめりあいまではオリメン時代のJuice=Juiceを感じられる気がしている。そして、飛んでみっぷるもちょっとオリメンっぽい。これでもし林仁愛ちゃんのような実力診断テストで結果を残してきたような子が加入して来たら、またオリメンっぽい雰囲気になるんじゃないのかと思う。それはそれで見てみたいけれど、だとすると逆説的に3flowerさくりんご時代がどうなるかというのがまた非常に興味深くなってくるのだ。彼女たちがグループの核となった時に、僕たちがJuice=Juiceに対してどういうイメージを持つのか。そのとき、「なるほどこういう形でこれまでの流れを汲んでいるのか」と納得できるのか、加入してグループが途端に明るくなった時に「Juice=Juiceも変わったなぁ」と感心するのか。
そしてそのときにまたこういう記事が書けたらと思う。それまでは僕もJuice=Juiceをしっかり追っていかなければならないし、同時にいつまでも魅了していてほしい。すでになんちゃら海溝くらいの深度に沼っているのだから、そこから逃れられるはずもないのだけれど未来はどうなるかわからないからね。むしろ僕の今の穏やかで幸福な生活がしっかりと続いてくれたらと思う。Juice=Juiceを応援し続けるためにも。
おわりに
いや、もうだいぶ喋りたいことは喋ったという感じがあるので、今更何も書くことなどない。でも、自給自足的に自分で話題を提供して自分で喋ろう。
とりあえずここまで書いて思ったこと。
最後はもう少し何かまとまった終わり方ができると思っていた。でも、上述したように時間軸が現在に近くなればなるほど、解像度が低くなっていき、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。老眼かな。
だから、ここ最近の話はまた未来の記事に任せようと思う。
この記事を書き始めたのは冒頭にある通り、2024年10月5日のJuice=Juice秋ツアー"TRIANGROOOVE2"の仙台公演の前日。今日が11月2日なのでほとんど1か月をかけて書いたことになる。とは言え、10月は会社も忙しく、また資格試験もあったので思うように記事を書く時間を取られなかった。それが何とも残念で、あの初期衝動のまま2週間くらいでみっちり書くことができていたらと思わなくもない。
いつも書きかけで記事を一時保存しては、また数日ぶりに、あるいは1週間以上も間を空けて、途中から書き始めるということを繰り返してきた。できるだけ同じテンションになるよう、前回書いた分くらいを推敲がてら読み直していたけれど、テンションがちぐはぐだったり、言っていることが繰り返しになったり、意見がちょっとぶれたりしているところが散見されるのでそれが何とも残念ではある。しかし、時間をかけて書いたことで色々なことに考えを広げられたのは良かったことかもしれない。
Juice=Juiceについては、いつも自分の中で「どうして僕はJuice=Juiceに沼っているのだろう」と考えていたのだけれど、やはりこうして書いてみるまでは思いつかなかったことは沢山あった。さも「ずっと前から気づいてましたけど」みたいな感じで書いたけれど、『大人の事情』が実は山崎あおい楽曲群の伏線になっているんじゃないかとか、山崎あおい楽曲が来るまでは「Juice=Juiceらしい!」って言えるような楽曲雰囲気ってあまり明確にはなかったとか、そういうのは記事を書きながら初めて気づいたことだった。ほかにも随所でそういった再発見があり、記事を書いていて退屈することはほとんどなかったように思う。
また、できるだけ説得力のあるっぽい記事にしたかったので(説得力よりは自分の感覚を言葉にするという方に重きを置いているので、記事の出来栄えとしてはやはりイマイチなのだけれど)、主にブログ記事やYouTubeの動画から沢山引用させていただいた。そうやってこれまでのJuice=Juiceのアーカイブを掘り返すのは非常に楽しいことでもあった。まじでブログとハロステは財産だと思う。
しかし、なんと言っても感謝すべきはメンバーたちだ。彼女たちがいなければ、こうして記事を書いて楽しい時間を過ごすこともできなかった。どうしても僕の言いたいことを先行させると触れることになるメンバーが偏ってしまうけれど、メンバー1人ひとりのことが改めて好きだなと感じたし、本当に尊敬している。(愛を込めて)クソ事務所にももちろんクソお世話になっている。何度も書いたことだけれど、今のハロプロメンバーは本当に人間ができている子ばかりで、追っていて幸せな気持ちになることができる。特にJuice=Juiceメンバーはその中でもしっかりしている子、育ちの良い子という印象が強く、人をリスペクトする態度が強く感じられて僕も日々彼女たちに倣ってできるだけ寛容な心を持たなければと自らを戒めているくらいだ。そういう子たちをしっかり選んで採用してきている事務所様には頭が上がらない。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
さて、だいぶ長いこと愚論を展開してしまった。展開、というほど大風呂敷は広げられず、せせこましい六畳一間くらいのスペースで同じところをぐるぐると回っていただけかもしれないが、しかし、これが僕にとって精一杯の生活圏。納得感や共感は得られないかもしれないが、できるだけ徒手空拳的に、何もないところから無理やり言葉をひねり出したわけではないということは理解していただきたい。僕は僕なりに普段からJuice=Juiceを追いかけ、様々なことを感じ、考えてきた。少なくともそんな僕が割と淀みなく書いたのがこれらの文章である。
途中、どうしても言葉をまとめきれずにネットを彷徨いヒントを求めたりしたこともあったけれど、基本的には飲み屋でだらだらと喋るみたいに恥も外聞もなく、自分の取り留めのない考えをそのまま吐き出してきた。普段は敬語口調でこういう記事を書くことが多かったけれど、何となく冒頭で少し触れたように修論(論文)っぽいテンションで書きたかったので「である」調にしてみようと思った。のである。あとは、「です」「ます」調にするとそれだけで文字数が嵩む。ただでさえ長く書くつもりだったので、ちょっとでも文字数を削減するという目的もあった。
というわけでこれ以上続けてもどんどんとJuice=Juiceに関係のない話題になっていくので、この辺りで終わりにしよう。名残惜しいが、また後日読み直して推敲しつつ、先生の次回作に乞うご期待ということで終わらせよう。
それでは長いことありがとうございました。最後は僕の大好きな小説をオマージュして。
限りのない駄文が電子サイトに放り込まれ、ちょうど一か月後、冷たい雨が降り続ける晩秋の昼頃、僕の文字数は気球が最後の砂袋を投げ捨てるようにして六万字を超えた。