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音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.34

適応障害と診断されて49日目(12月2日)の夕方にこの記事を書き始めています。今日は雨が降っていますね。適応障害になってからは、雨は気が滅入るので嫌いでした。でも、適応障害になる前は雨って好きだったんですよね。気が滅入るから。今日は午前中は雨が嫌いで、午後は雨が好き。これも1つの回復の兆候なんですかね。よくわかりません。

 

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1.適応障害と診断されて48日目~電子レンジの設置(接地)~

この日は晴天ということもあり、割に気分良く目覚めたように思います。それでも、一昨日の8時間ぶっ通し飲みの疲れがまだ取れず、若干の頭痛があったので、午前中はだらだらとしているつもりでした。

しかし、二度寝でうとうとしかけているところに1本の電話が。

「電子レンジの配達なんですけど、本日の10~12時あたりで大丈夫そうですか?」

私は丁寧に問題ない旨を伝え、お礼の言葉を述べます。電話を切り、ふっと息をつくと、知らぬうちにベッドのうえで正座をしていました。はぁ、電話ってなんか苦手です。そんなこと一切ないのに、なんか怒られているような気持ちになってしまいます。共感してくださる方はいらっしゃいますでしょうか?

なんとか10時までに朝ご飯とシャワーを済ませ、いつレンジが届いても良いように、部屋の整理を始めます。結局、寮の管理人の方が荷物を受け取ってくださるので、あとはそれを自分の都合の良いタイミングで取りに行けばいいだけなのですが、どうも落ち着きません。管理人の方も寮内で色々とお仕事があって、最悪の場合は自分で直接受け取らなければいけない可能性もありますし、準備し過ぎてし過ぎるということはないのですけれど。

10時半を回った辺りで、もう一度同じ番号から電話がかかってきます。無事、管理人の方に預かっていただいたとのこと。私はまたお礼を言って、電話を切ります。さすがにもうちゃんと目も覚めているので、今度はベッドの上で正座することもありませんでした。が、鏡を見ると直立不動でスマホを握りしめている私が。うん、だから電話が苦手って言ったじゃないですか。

「いつ取りに行こう」と10~20分程度悩んだ末に、悩んでいるのがバカらしくなって1階の管理人室まで取りに行きます。管理人の方にお礼を言って、電子レンジを受け取ります。全然1人で持ち運べるくらいの重さだったので一安心。最悪の場合は、管理人の方に一緒に部屋まで運んでもらうことになるかとも思っていましたが、その必要がなくなっただけで、私としては本当に安心できました。一応管理人さんが部屋に入って来ても良いように簡単に掃除くらいはしていたものの、やっぱり人を部屋に招くって緊張しますからね。今は寮生活なので安心ですが、「あぁ、いいよ。家まで取りに行くよ」とかそういう優しさが学生時代の私をどれだけ追い詰めたことか。

まぁ、そんなこんなでようやく電子レンジが我が部屋にもやってきました。これでようやく外で買った弁当を部屋から出ずに温めることができます。何よりも、ちょっと模様替えしたみたいで楽しいですよね、こういうのって。

電子レンジを買うにあたって、事前に部屋の計測をしていたわけでもなかったので、置く場所は未定でしたが、とりあえず小さな冷蔵庫の上に置いてみます。

おぉ、ぴったりじゃん…!

購入時は乗るかなぁ、いや乗るっしょ。くらいの気持ちでしたが、自分の目算が当たっていてちょっとだけ嬉しくなります。仕事なら割と計画的に動いてしまいがちなんですけれど、根本的には計画というのが大っ嫌いなので、こういうのはいつも行き当たりばったり。だからこそ、こうして思いのほかうまく行ったときはなおのこと嬉しくなります。反面、想定外の事態に対応して、結果的に想定以上のものとならなかった寂しさみたいなのはありますけどね。

8割のるんるん気分で、思い切ってアース線の取り付けまでやってしまいます。そう言えば、私生活でこんなことをするなんて生まれてから初めてですね。一応電気系の大学を出ていますし、前の職場でも似たようなことをした経験があるので、ちょっと不格好ながらもきちんと遂行できました。

 

せっかくなのでアース線について、つまり「接地」について簡単に説明しますね。

 

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なぜアース線が必要か(雷現象をモデル)

雷という現象をもとに説明しますが、雷雲の中では水や氷などが活発に動き衝突を繰り返しているため、まるで何万人もの人たちがプラスチック製の下敷きを頭に擦りつけているみたいにとんでもない静電気エネルギーが蓄えられています。この静電気エネルギーは、いわば30歳を手前にして結婚もしていない私の母性(父性)のように行き場を求めて空中を漂っているわけですが、大地はまるで数多の女性アイドルのようにそれを受け止めることができます。したがって、雷というのは空中で生まれた静電気エネルギーが行き場所を求めて大地へと突き進んでくる現象というわけです。このときの雷の通り道に人間がいれば、雷のエネルギーの前では人間なんてその辺の塵みたいなものですから、当然人間を貫通して大地へと達することになります。これはとっても危険です。

というわけで、避雷針のように安全な雷の通り道をあえて作ってあげましょう。そうすることで、その雷の危険を低減することができます。これと同じように、電磁波を発生させる「電子レンジ」という装置(その他電気を扱う家電製品なども)にも、溜まってしまった電気の逃げ道を用意してあげる必要があります。それがすなわち「アース線」というわけですね。

ところで、どうして雷(電気)は避雷針とかアース線とか、言わば「金属」の方に行こうとするかわかりますか?

まず大前提として空気は普通ならば電気を通さないということがあります。対して、金属は電気を流しやすいです。化学で習う水素から始まる種々の元素は陽子(+)と電子(-)、そして中性子(+でも-でもない)から成り立っています。中には電子(-)が好きな元素もあれば、嫌いな元素もあります。彼らはそれぞれ自然界の中で、お互いに電子を融通し合いながら、様々な物質として存在しているわけですが、とりわけ空気のような気体分子というのは、厳格に電子のやり取りの数を管理しています。つまり、2人なり3人という少数のチームを作り、その中で全員が納得するようにきちんと電子のやり取りの数を決めて、お互いにそれを管理し合っています。なので、チームの外から電子を与えられても困るし、逆に電子を取られても困るわけです。チームはチーム内の電子の数を一定に保とうと必死で団結しているわけです。

対して、金属は電気を通しやすい性質です。金属というのは基本的に際限なくチームを大きくできます。チームを構成する各々が沢山の電子を持っていて、金属元素は互いに余った電子をチームの共通のお財布に乱雑に放り込んでいるため、自由に電子をやり取りすることができます。何万人という会員がそれぞれに電子を勝手に持ち出したり、逆に加えたりしているので、外から電子が与えられたり奪われたりしても、たいして困りません。大地(アース)もまた純粋な金属ほど電子の管理に甘いわけではありませんが、とんでもない数の原子の集合体であるので、電子の融通なんてお手の物です。

このように「どれだけ電子を融通してやるのが得意か?」ということを表す指標が、簡単に言えば中学のオームの法則で習う「R(電気抵抗)」と呼ばれるものですね。これはそのまま「電気をどれだけ流しやすいか?」ということと繋がります。電子の融通が利いて、電気が通りやすい物ほど「電気抵抗」は低くなります。電気が通りにくく、通るときに「抵抗」を感じやすいものほど「電気抵抗」は高くなると考えれば簡単ですね。

さて、ここであなたが空に浮かんでいる行き場のない静電気エネルギーだとしましょう。あなたなら全然融通の利かない空気の方を通って、包容力の権化である大地を目指しますか? いや、きっといくらでも融通を聞かせてくれる金属製の避雷針を通って大地を目指しますよね。これと同じことが電子レンジによって発生させられた電気にも言えます。

およそ想像の容易い一般家庭の一般的な状況であれば、電子レンジによって発生させられたり、蓄えられた電気というのは周辺の種々雑多な物質を通って、大地へと放電させられます。雷に比べればその量は大したことはありませんが、冬場にぱパッチと来る静電気と同じように、一極集中させればそれなりの影響力は持っているはずです。しかし、例えば周りにゴムのような絶縁物(電気を通さない物質)しかなかったら、当然電子レンジの電気は行き場を失い、そこに留まり続けます。どんどんと電気は溜まり続け、何らかのタイミングで近づいた電気を比較的流しやすい物質に一気に流れ込んでしまいます。これは危険です。逆に水浸しの場所では、電子レンジが壊れたりすると、その水を通って感電する可能性もありますね。これも危険です。つまり、電子レンジのように電気を扱う機器を使用する際には、基本的に(故障した場合なども見込んで)電気の逃げ道である「アース線」をきちんと設置した方が安全なわけです。このようにアース線を繋げることを「接地する」と言うので、今回の章のサブタイトルは「電子レンジの設置(接地)」とさせていただいた次第です。

ちなみに補足説明をしておきますが、雷は普段なら電子の融通が利かない気体分子などに無理やり電子をやり取りさせて、自ら大地までの通り道を作っています。互いに電子の盃を交わして結束力を高めた気体分子を、いくつもぶっ壊しながら大地を目指すわけですから、とんでもない音や光、熱や撃を発生させるわけですね。

もう1つ補足ですが、冬場の静電気でパチッと来る静電気の痛みは、あれは電気が通る痛みではなく、放電現象に伴う瞬間的な熱を痛みとして感じているらしいです。だから、ドアノブなどでパチッと来たときは「イタっ!」でも良いですが、「アツっ!」と言った方が「通」ぶれます。

 

だいぶ関係の無い話をしましたが、そんな感じで午前中は電子レンジの設置と接地をして過ごしていました。お昼は外人の店員がめちゃくちゃホスピタリティに溢れているラーメン屋に行きました。残念ながらこの日の店員はその人ではありませんでしたが、麺の大盛が無料だったので少し得した気分になれました。

昼食後はスーパーでお買い物。我が家にも電子レンジが遂にやって来たのでこれ見よがしに、冷凍食品のチャーハンや夜ご飯のためのお弁当を買って帰宅。午前中からあれこれ動いたせいか(ラーメンの食べ過ぎのせいかも)、強い眠気と若干の頭痛に襲われたので昼寝をします。そして、気が付いたときにはもう陽も暮れかけているような時間でした。

夜はネットでダラダラと動画を観て過ごしました。

 

www.youtube.com

 

ハロプロ関連の動画を上げていたところから知った、この「おませちゃんブラザーズ」という3人組のYouTubeチャンネル。「YouTubeにカルチャーを」というコンセプトだけあって、様々なサブカルチャーを紹介してくれるので、結構ご贔屓にしています。以前感想記事を書いたNetflixアニメの「ミッドナイト・ゴスペル」も、この方たちが紹介していたのがきっかけで見させていただきました。

この日に観たのは「カウボーイビバップ」という昔のアニメの紹介動画です。Netflixで観られるということだったので、さっそく見させていただきました。私なりの感想などが書きたいと思ったらまた1つの記事にしてまとめてみようかなと思います。

その他には最近ネットで動画を見過ぎて先月終盤の通信速度がかなり弱体化していたので、戒めも兼て、オフラインで動画を楽しむようにも心掛けています。結局見るものと言えば、大学生時代にテレビで録画していた映画やミュージシャンやアイドルのライブ映像くらいしかないのですが、とりあえずは2020年の冬のハロコンBlu-rayで観賞しました。「HELLO!PROJECT IS __」というタイトルのやつですね。いつのものグループの垣根を越えたシャッフルパフォーマンスが、このときは研修生同期でチームを組んでいるのでかなり見ごたえがある1枚(2枚組のSide Aの方)となっています。見所はハロプロエッグ出身者による「あなたなしでは生きてゆけない」ですね。あんなに小さかったパロプロエッグ生たちが、今ではハロプロ全体を率いるような立場になって、そして再結集。さらに圧巻のパフォーマンス。ビビります。

そんなこんなでこの日は電子レンジを中心とした1日を送りました。食堂に夕飯を食べに出なくて良いって、本当に気持ちが楽です~

 

2.適応障害と診断されて49日目~健康診断・会社の相談窓口訪問~

雨のせいか、今日は起きるのが遅くなりました。9時頃に地方時代の職場の同期からの久しぶりのメッセージで目を覚まします。てか、朝の9時に送ってくるって、そっちは思いっきり仕事始まってる時間じゃないか。と、休職中の私が言ってみます。

朝起きてもまだ下痢が治っていません。おそらくは日曜にたくさんお酒を飲んだせいで発症した下痢ですが、これで3日目です。ちょいお尻の穴が辛くなってきましたね…と汚いお話でごめんなさい。でも、少しずつ神経過敏の症状も良くなってきているような気がするので、今日のうちに下痢も治ってくれるものと期待しましょう。どうも私の場合は、適応障害の症状として頭痛と腹痛が顕著に現れるようですからね。

朝ご飯は昨日買っておいたパンです。外に出ずに食事できるのはやっぱりありがたいですよね。余計な刺激を受けずに済みます。

全てを天気のせいにするのはいたたまれませんが、雨のせいなのか午前中はなかなか元気が出ず、ベッドで動画を観たりしながらゴロゴロしていました。前回の記事でニコニコ動画の「サイコロポケモン」の話をしたせいで、無性にまた見返したくなったので、それをだらだらと視聴。いやぁ、本当に倭寇(わこう)さんはサイコロに愛されているなぁ…それかどんな展開になっても面白く見せる技術がすごいのか。多分、後者の方なんでしょうね。

お昼前に健康診断の日程を確認します。本当は土曜日の段階で確認しておくべきだったのですが、土曜日は上司との面談の後で疲れて眠ってしまい、日曜は飲み会、月曜は二日酔いと神経過敏、昨日の火曜は電子レンジと訳の分からない理由でずっと先延ばしにしてしまいました。健康診断は会社が指定した日に行けば良いので、いくらでも日程はあるのですが、行けるうちに行っておいた方が「もうこの日しか残ってない!でも体調悪い!」みたいなことを避けるためにも良いでしょう。というわけで、日程を確認したところ、どうも都合の良さそうな日は今日かちょうど1週間後しかなさそうです。午前中なら割と日も多いようですが、午前中は例によって適応障害の症状が強く出るので、なるべくは避けたいところです。

雨か…

まぁ、それも仕方ないですね。とりあえず、そこまで体調が悪くないであろうことを確かめ、久しぶりにスーツを着て、傘を持ち、寮を出ます。久しぶりの雨の日の遠出。私が東京に来た10月の頭は雨が多く、それもあったのかずっと気分が滅入っていたようなことを思い出しました。ちょっとだけトラウマなのかな…?

 

少しだけ大学時代の話をしますね。

私が色々と思い悩んで大学に行かなくなっていた頃、特に雨が降っている日は大学に行くのをやめることが多かったです。靴が濡れたり、あの黴臭い講堂に行くのが嫌だったり、そういう部分もありますが、それ以上に私にとって「雨」というのはとても重要なものだったのです。雨の日は気が滅入る。でも、それは大学時代の私にとってはむしろ喜ばしいことだったのです。気が滅入ってナイーヴになっているときこそ、私には様々な芸術が美しく感じられました。

薄暗い、というかカーテンも閉め切って真っ暗な部屋の中で映画を観たり、音楽を聴いたりして、独りきりで内省的な1日を送ることが好きでした。雨で靴が濡れるのが嫌だから大学に行かないと言ったくせに、散歩に出たりすることも多かったように思います。国道沿いのアパートに住んでいたこともあって、晴れの日はいつも車やトラック、バイクの音がうるさくて常にイライラとしていました。部屋に籠りきりだった私にとって、「社会のノイズ」は全て敵に見え、イライラの原因だったのです。が、雨が降ってくれるとそいつらのタイヤが水を弾く音は一気に風情を帯びます。だから、そんな風に素敵で美しい1日を大学なんかで浪費したくなかったのです。まぁ、かっこつけて言えば、ということですけれど。

それは社会人になってからもほとんど変わらない感覚でした。ただ、実際に私の前の職場は仕事中に外に出ることも多く、いつの間にか雨を嫌ってしまう部分も増えてしまいました。その変化は私にとって、自分が社会人になったことを自覚するうえでの大きな部分を占めていたように思います。私の「雨好き」は休日だけに限られるようになってしまいました。大学時代のように毎日が休日なら、雨のことを愛し続けられていたのに。ナイーヴな自分を押し殺すことは、自分の半身を殺すようなものです。でも、きっとそうやって大人になっていくのでしょうね。社会のうえで身を立てるためには、犠牲にしなければいけない部分があるというわけです。鋼の錬金術師で言うところの「等価交換」。私には全然「等価」とは思えませんでしたが。

 

そんな私が適応障害になってみて、好き嫌い以前に雨や曇りの日に体調が悪くなるというのは、考えて見ればとても悲しいことですね。海老や蟹が大好きなのに甲殻アレルギーを持っている人が、薬を飲んでまでして海老や蟹を食べまくるという話を聞いたことがあります。彼らの気持ちがほんの少しだけわかったような気がします。

そんなこんなで健康診断へ。

健康診断自体で特筆すべきことはありませんでした。適応障害による食欲不振で減っていた体重がもとに戻って来たことくらいでしょうか。肥り始めているので、それはそれで別の注意が必要ですが。

問診票には当然適応障害のことも書かなければならないので、色々と心電図やら血圧やらの測定をした後のお医者による診察で、これまでの経緯を簡単にお話ししました。これまで何度もブログに書いてきたことなので改めてここで書き直す必要もないでしょう。普通の人よりはちょっと長めの診察時間。まぁ、それでも正味10分もないくらいでしたが。最後にお医者様から、近くにある私の会社専用の相談窓口を案内されました。そういうものがあることは何となく知っていましたが、ずっと敬遠してきていました。できるだけ会社から離れたいという想いが強かったからでしょうね。

でも、もうだいぶ良くなってきているはずですし、せっかくこうして雨の日に外に出て来て、掴んだ「きっかけ」です。何度も言うように私は偶然やタイミングというものを信じています。なので、健康診断が終わってから、その足で相談窓口を訪問してみました。

 

この日はお医者様がお休みだったのか、相談窓口はとても静かでした。中では1人の女性(母くらいの年齢でしょうか)が白衣を着て、テーブルの上で何やら書類の整理をしていました。私が声をかけると、少し驚いたように「どうしましたか?」と聞かれます。

「いや、今日会社の健康診断に行って来まして。そこでお医者様からこちらを紹介されたんです。あの、適応障害にかかっているので、こちらでどういったことをしていただけるのかお話を聞きたくて…」

私の要領を得ない説明にも女性は真摯に対応してくださいました。看護士の方のようで、相談窓口の役割としては普通に診療のようなこともやりつつ、場合によっては職場に取り次いだり、上司を含めての面談をしたりできるということを教えてくださいました。

上司込みでの面談はちょっとキツイな…何と言うか、あの職人気質の上司にわざわざ病院まで出向いてもらうというイメージがしにくかったですし、ただでさえ忙しい上司の手をこれ以上煩わせたくないという想いがあります。私が勝手に潰れただけなのに。

そんなことを思いながらも、もう少し詳しく話す流れになりました。

いつものようにこれまでの経緯を詳しく話していきます。10月1日に転勤してきたこと。転勤前から不安があって、転勤後から体調が思わしくなく、そして転勤して2週間でパニックになって会社を休んだこと。実家と東京での療養を経て、いまようやく症状が安定してきているということ。そして、11月の頭には自殺未遂をしたこと。それらのことを一通り話しました。20分くらいはお話を聞いてくれたと思います。

看護士の方だったので、特に何か治療をしていただいたわけではありませんが、それでもこうやって話を聞いてくださるだけでも、少しだけ気持ちが楽になります。が、何度やっても自殺未遂について話すのは心が痛いですね。わかりやすく相手をドキッとさせてしまいますし、私自身その時のことを上手く説明することができません。というか、もし私が自殺未遂についてきちんと説明するとなれば、私が基本的に「死にたい」と思って生きていることも説明しなくてはなりませんが、そこについて理解を得ることは非常に難しいと思うのです。というか、かなり観念的な話になってしまうので、医療の現場で話すようなことじゃないように思われてならないのです。

 

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以前投降した記事の内容を読んでいただければ、だいたいのところは伝わるはずですが、結構な分量になってしまいますしね。

それでも最近は自殺未遂についても上手く人に説明できるように、色々と言葉をこねくり回しています。例によってえげつない独り言を発症させながらですが。

思うに、適応障害で苦しみながらも復帰を目指していたときの気持ちというのは、①「辛いけど復帰に向けて頑張ろう:40」、②「でも、辛過ぎれば今日を休んでも良いんだ。逃げても良いんだ:40」、③「すべてを投げ出して死んでしまいたい:20」くらいだったと思います。何とか①の頑張ろうという気持ちを奮い立たせ、私は職場に顔を出しに行っていたように思います。もちろん、冷静に考えて②の今日はやめておこうという気持ちに従う日もありました。しかし、私の気持ちの大部分を占めていたのは、①や②といった適応障害と向き合う気持ちであることには変わりがありません。

ただ、自殺未遂をやらかした時は、いつの間にか①と②が消え失せ、③の「死にたい」だけが残ってしまいました。そして、不思議なことにそのときは③「すべてを投げ出して死んでしまいたい:」くらいだったのです。いつもは「20」くらいある「死にたい」がそのときはたったの「1」しかありません。だから、もはや私は「死にたい」とすら思っていなかったように思うのです。ただ、残りの「99」が完全な空白になってしまったがために、そのたった「1」の「死にたい」に私は蹂躙されてしまいました。

「1」の「死にたい」は実際に首をロープに通し、遠ざかっていく意識の中で、徐々に「0.9」、「0.8」とさらにその力を弱めていきました。そして、意識がほとんど消えると同時に「0.01」くらいになり、そしてその残った「0.01」の感情が「死ぬのは怖い」だったというわけです。「99.99」までは空っぽの状態で「0.01」の「死ぬのは怖い」が残りました。そして、その感情に私は命を繋がれたわけです。

こういう言い方をすれば、割と端的に自殺未遂のときの状態を伝えられるのではないかと最近は思っています。

とは言え、根本的な問題の解決には至っていないようにも思いますけれど。何故ならば、私は私の生き方を全うする上でどうしても「死にたい」と考えてしまわないわけにはいかない人間なのですから。

 

と、少し話が逸れました。とにかくその相談窓口の看護士さんには取り合えずの私の経緯みたいなものを聞いていただき、お医者様のいる日を探していただきました。正式な初診日はまた明日電話で教えてくださるそうなので、それまで待つことにしましょう。それにしても、看護士さんの見立てでは、1週間以上は先になるとのことです。まぁ、私にはもうかかりつけの心療内科がありますし、看護士の方もセカンドオピニオンみたいにして使ってもらって構わないし、具体的な会社との調整をメインで受け持つことになろうから、と言ってくださいました。

社内のルールが結構細かいので、私のように精神疾患を抱えていたり、薬を服用していたりすると、携われる業務範囲が狭まってしまうこともあるので、その点についてもよくよく調整が必要なことは間違いありません。今後は回復するにしたがってそういったことも考えていかなければならないでしょうね。

そんなこんなで相談窓口の訪問も終えて、夕方前に寮に向けて帰ります。

少し話を聞いてもらえたこともあって、気持ち的には結構リラックスできたように思います。なぜなら雨が心地良いからです。

駅前のオリジン弁当で、夕飯を買いました。

今日も買いたての電子レンジで温めて自分の部屋で夕飯が食べられる。

そんなことがちょっとだけ嬉しいです。

 

おっと、お薬を飲むのを忘れていました…ごくん。それではおやすみなさい。

 

次回

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