霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.35

適応障害と診断されて50日目(12月3日)の夜にこの記事を書き始めています。アンジャッシュ渡部さんの記者会見をYouTubeで観ながら書いていますが、この記事が投稿されるのは明日になるんじゃないかなぁと思っています。

※長くなったので、今日は1日分の内容で投稿しますね。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

 

1.適応障害と診断されて50日目~頭痛・家系ラーメンについて~

今朝は7時ちょうどくらいに尿意から目が覚め、そのままトイレに向かいました。いつもより少し早い時間なのですが、起きてすぐに動いたせいなのか、酷い頭痛と眩暈に襲われました。明らかに体調が良くないのでもう一度眠ろうとも思いましたが、なかなか眠ることができず、結局そのまま朝ご飯を食べることに。

朝食後にカウボーイビバップを見ているうちに、ようやく強烈な眠気がやって来たので、部屋の電気を消してベッドに入りました。

~睡眠~

目が覚めたのは11時過ぎ。まだ若干の頭痛が残っているものの、朝一のときほど激しくはありませんでした。しばらくグズグズとM-1の決勝進出者発表の動画を観たりしながら、今日何をするかを考えました。特にやることはないのですが、1日1回は外に出た方が良いなぁと思う反面、体調的に優れないのでなかなか気が乗ってきません。少なくともただ昼ご飯を調達するためだけに外に出るという気持ちではありませんでした。

1日くらい部屋に籠っていても良いか…

そう思い、買っておいた冷凍チャーハンを食べることを思い立ちます。大学生時代によく食べていましたが、社会人になってからは全く食べなくなってしまった冷凍チャーハン。さて、レンジで温めようか。そこまで考えたところで、皿が無いことに気が付きます。

食べらんないじゃん……

寮生活に飼いならされた私の手元にはマグカップ以上の食器類が全くといっていいほどありません。絵に描いた餅とはこういうことを言うんですかね。ちょっと違う気もしますが。そんなわけで満足に冷凍食品を食べることもできない現状に肩を落としたものの、今日やるべきことが決まりました。

そうだ、皿を買いに行こう。ついでに昼飯も外で食べよう。

ようやく少しだけ元気も出てきたので、シャワーを浴びて、服を着替え、荷物をまとめて外に出ます。今日は曇天。この頭痛はお前のせいなのかい?と灰色の雲を睨みます。

 

せっかくなので横浜家系ラーメンの総本山である「吉村家」に行ってきました。私がお店に着いたときは午後2時くらいのはずでしたが、十数人が並んでいました。やっぱり人気店は違うなぁと感心させられます。メニューは少し悩みましたが、普通のラーメン並盛とライス、それから野菜爆弾というのを頼んでみました。「野菜が美味いんだよ」とずっと前に知り合いが言っていたので、1番それっぽいものを頼んでみたわけです。

行列の割には20分もしないくらいで店内に案内されます。食券はプラスチックカードの色で注文内容を判断するタイプでしたので、席に着くとカウンターにそれを乗せて出来上がりを待ちます。と、席について1分もしないうちにまず、もやしやほうれん草や人参などがてんこ盛りのお椀が私の前に置かれます。「野菜爆弾」ってこれのことか! 私はてっきりラーメンに何か適当な野菜のトッピングが為されてくるものと思っていましたが、別でやってくるんですね。どうしたら良いのかよくわからなかったのですが、幸い隣の人も野菜爆弾を頼んでいたので、その人の見よう見まねでラーメンが来る前に2,3口食べます。次にライスもやって来たので、1口食べて口の中を整えます。

でも、ラーメンより先にライスが出て来るというのは「さすが総本山」という感じですね。個人的に家系ラーメン店で「ラーメン→ライス」の順で出て来ると残念な気持ちになってしまいます。家系ラーメンは1口目のスープにこそ感動が詰まっていると考えているので、やっぱり「ライスによる口のなかリセット」はめちゃくちゃ重要です。まずは出されたライスを小さく1口だけくちに含み、ゆっくりと咀嚼して口の中をフラットな状態に整えておく。いや、フラットというよりも「濃い味が欲しい…!」というウォーミングアップをさせておくわけですね。そして、目の前で職人たちがラーメンを作る様子を眺めながら、期待を膨らませておく……ようやく目の前に出されたラーメンを拝受し、蓮華で油の浮くスープを掬い、そこに生まれる一瞬の渦の煌めきを捉える。優しく息を吹きかけて、スープを冷まし、香りとともに一気にそれを口の中に流し込む。ガツンと醤油の味が飛び込んできて、追いかけるようにして豚骨の風味が春のつむじ風のように全身を包み込むのを感じます。そして、余韻にはネギを中心とした野菜や出汁の旨みを噛み締めます。この余韻があるかないかで家系ラーメンとしてのランクが決まるように私は思います。もちろん、醤油の味の深み、豚骨の品の良さ、そしてそれらのバランスも重要ですけどね。

そこからはもう時間との勝負です。いかに麺が最高の状態であるうちにライスと一緒にかきこんでいくか。「かため」で注文しておくと、麺の触感を最大限に楽しむことができるように思いますが、純粋な湯がきが若干足りない状態で熱いスープに放り込まれているので、水分を求める麺はすぐにスープを吸って味が重くなってしまうデメリットもあります。海苔とほうれん草とチャーシューを各フェーズでタイミングよく消費しつつ、胃の中に若干の重みを感じ始めたあたりで、ブラックペッパーとニンニクで味のキレと厚みを加えるのも大切ですね。

今回は「野菜爆弾」が少し重荷になってしまいましたが、家系総本山の味をしっかりと楽しむことができました。今日はまだ味の細かい分析には至らず、醤油のコクが独特だなぁ、くらいしか記憶に止めることはできませんでした。きっとこれが常連には堪らないポイントになるんだろうな、と思います。とりあえず今日の感想は「美味しかった」というくらいにしておきましょう。既にかなり長くなってしまいました。

 

2.適応障害と診断されて50日目・続~アロマ・アンジャッシュの渡部さん~

ラーメンの後はニトリに行って、冷凍チャーハンを食べるためのお皿と、スーパーとかで買って来たお寿司を食べるとき用の醤油皿を買いました。そのままウィンドウショッピングをしていると、アロマのコーナーがあったので、ちょっと見てみることに。

不眠の症状は軽減して来ているものの、寝付きが悪いときがあるので「アロマ」はちょっと前から少し気になっていたんですよね。ハライチの岩井さんは「アロマはちょっとやりに行ってる」とずっと言っていたくせに、ついに「お香」を買ってしまったという話をラジオでしていました。それもありますし、五十肩になったときに肩に貼った湿布の匂いが良い睡眠導入になっていたような気もするので、「これは良いタイミングではないか」とついに私もアロマに手を出してしまいました。

帰り道、寮の最寄り駅近くのスーパーで夕食の弁当などを買い、必要なものを冷蔵庫に放り込んだ後、さっそくアロマを設置してみます。

ほとんど衝動買いだったので、何も考えていなかったのですが、よくよく調べてみると私が買ったタイプのものは「リードディフューザー」というもののようです。ガラス瓶にアロマオイルを溜め、そこに何本かオイルを吸い上げるための棒を差し込み、あとは放置しておくだけという非常にお手軽なものです。場所も取らないし、電源も不要だし、お部屋もオシャレな感じになりそうです。

が、机の上に置いてちょっとしてから、とんでもないミスに気が付きます。

あれ、睡眠導入のトリガーとして買ったんだよな…?

そうです。「リードディフューザー」は常置タイプのものなので、言わばトイレの芳香剤と変わらず、常に部屋に常に匂いが漂ってしまうのです。これじゃあ、きっかけとしての役割を果たせないではないか…!!

自分の馬鹿さ加減と、常に嗅覚を刺激してくるアロマのキツイ匂いに、何とか収まりかけていた頭痛が再びやって来ます。ネットで調べたところ、ガラス瓶に突き刺す棒の数で匂いを調節できるそうなので、半分以上本数を減らし、設置場所も作業机の上から洗面台の脇に移しました。寮室の中は敷居の無い完全な1部屋なので、たいして匂いが緩和されたわけではないような気がしますが、まぁ、洗面台に近づくたびにちゃんと匂いが強くなったことを感じるので、多少はマシになったのでしょう。

 

夕飯までの時間は主に東京03のコントを観て時間を過ごしました。かが屋ハナコと一緒にやったコントを主に観ましたが、どちらもコント愛が伝わって来て素敵な作品でした。「コントのことを作品っていうやつは…」みたいなことを芸人の誰かが言っていた気がしますが。

ただ、コントはコントとして「あれ、そう言えば最近『かが屋』見ないな…」と思って調べて見ると加賀さんの方が病気でお休み中とのこと。毎月100個設定を考えているというストイックな人だったし、このコロナ禍も相まって、何となく精神病の類かなぁと思ってしまいます。どんな病気かは明記されていませんでしたが、私自身適応障害なんてものに罹ってしまっているので、少し心配ですね。「これから!」という時期だっただけにとても残念だとは思いますが、精神病であろうがなかろうが、しっかり療養して休んでいただければと思います。やる気がある人だっただけに、こうして休まなければいけないことがより辛いとは思いますが、自分の才能を信じてゆっくり治してほしいものです。また「かが屋」の面白いコントが観られることを気長にお待ちしております。

 

今日も大活躍。うちのレンジくん。君のオートセンサーに頼るといつも弁当の蓋がひん曲がるくらい温め過ぎてしまうことを学んだから、今日はそうなる前にちゃんと「取消ボタン」を押してあげたよ。今日も蓋はちょいひん曲がったけど、温めは完璧。学生生活7年間、半額弁当を温め続けてません。もう私には感覚でわかってしまうのだよ。

夕飯を食べているうちに、YouTubeアンジャッシュの渡部さんの記者会見が始まっていたので、何となく見てしまいました。2時間弱にも渡って記者からあれやこれやと質問されて、YouTubeのコメント欄にも酷い言葉がたくさん書き込まれていましたが、とにかく今はお疲れさまでした。心療内科のようなところにも通ったそうで、ご本人は「うつ病の予備軍のようなもの」とお話ししていましたが、本格的な発症にならなくて本当に良かったです。そして、よくこれだけ酷い扱いをされる場に自らの脚でちゃんと出向いてきました。私も職場に復帰する時のことを考えると、とても苦しいですが、渡部さんを見習って頑張りたいと思います。

こういう芸能ゴシップに纏わる世論だとか、ネットの反応だとか、メディアによる報道だとか、そういうのにはあまり好感が持てないものの、でもやっぱり人間だから観てしまいますよね。そうやって私が向けてしまったような好奇の目によって、当人やその周りの人々を傷つけてしまうと知っていながらも、ついつい「自分1人くらいが観ないと決めたところで何も変わりはしないだろう」と考えてしまいます。ちょっと誰の漫才ネタだったか忘れてしまいましたが(最近馬鹿みたいに沢山観ているので…でも、たしかかまいたちのネタだったかな?)、こういう「自分1人くらいじゃ何も変わらない」みたいな考え方をしているせいで、選挙の投票率が上がらないのでしょうね。「お前みたいな考え方のやつって選挙行ってないやろ。うわぁ、俺の相方がそんな奴やったとは。めちゃショックやわ」みたい捲し立てて何らかの話をはぐらかすことで笑いに繋げていましたが、実際問題として笑えない話ですよね。

ちょっと前にピエール中野さんがTwitterリツイートしていた「SNSでの攻撃」に関する記事も思い出しました。引用元が見つけられなかったので、その記事の概要だけ簡単にお話させていただきます。

例えば、「Aさんが万引きで逮捕!」という報道があると、SNS上でAさんは叩かれることになります。「万引きは犯罪!」とそれ自体は正論なわけです。だから単純な1対1の議論では万引きという犯罪を犯したAさんは悪者として罪を償うよりほかありません。しかし、SNSの怖ろしいところは、その「議論」が1対1万とかになってしまうことです。「1万側」が正論を言っていたとしても、その1万の正論は「1の側」にとってはもはや明確な形を持った刃になってしまいます。議論自体は大切ですし、1人ひとりが何らかの命題に対して、論理的に思考し、判断を下すということは文明をより高度にするうえで重要なことだと思います。しかしながら、いくら意見が正当であっても、それを1万人が寄ってたかって1人に向けてしまうと、それは「1人の側」に対する明確な攻撃になってしまいます。

私自身、会社の車をぶつけてしまい、とても反省した経験があります。が、最初は粛々と謝っていても、それが色んな人に広まり、色んな人から言われ出すとさすがに「イラっ」としていまいます。車をぶつけたこと自体は完全な私1人の落ち度であり、そのことを理解して納得していても、さすがに何人からも言われると嫌な気持ちになります。「そんなに言うことかね!」と怒ってしまいそうにもなります。でも、そこで怒ってしまうと「ぶつけたくせに逆ギレかよ」とまた別の落ち度を作ってしまうので、へらへらと頭を下げて、事態が鎮静化するのを待つしかありません。

 

さて、ここから綺麗に論をまとめてみましょう。

選挙の場面などでは「どうせ自分1人の意見なんて」と消極的な態度を取る若者。同時に、SNSで知らず知らずのうちに自分の意見が人を攻撃してしまっている若者。どちらにも欠如しているのは「自覚」です。自分1人の意見の表明が確実に何らかの効力を発揮してしまうということを私たちは自覚しなければなりません。

SNSに纏わる悲しい事件を通じて、私たちは自らの無意識的な攻撃力について学びつつあります。ただ、そこで自らの意見表明に対して消極的になるだけでなく、自らの意見表明の持つ力を知り、それを世界が良い方向へ向かうように使っていければいいですよね。例えば、選挙に行くなどして。

 

と、ちょっとカッコつけたことを書いたように思いますが、私が願うことはたった1つです。それは……

アンジャッシュの渡部が有吉やバナナマンなどの盟友のラジオ番組などに出て、けちょんけちょんにイジられることです。アメトーークの「渡部大好き芸人」のときみたいにめっためたにイジられるところが観たいなぁ。この一件に関わって心を痛めた人や、色々と不快な想いをした人にとっては、きっと許せないのかもしれませんが。

 

でも、ある人が言っていました。

「この世の最高の贅沢は他人を許すことだ」

と。まぁ、これを言ったのはアメリカかどこかの大量殺人犯らしいですけどね。私も知らぬうちに大量殺人を犯していないことを願います。

 

次回

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