霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.5

適応障害と診断されて6日目の朝。会社の研修施設の小さな部屋の中でいまこの文章を書いています。今朝も色んな人から連絡をもらいました。

2日前に一緒に美術館に行った友人からもとても温かいメッセージをもらいました。前回の記事には書き忘れてしまいましたが、私の考え方やスタンスをよく知っている友人から「らしくない」と言われたことを思い出して、いま感慨深く思っています。たしかに、「らしくなかった」な、と。私は仕事にのめり込んで精神を病むようなタイプではないんです。躱して、逃げて、いなして…とにかく経済社会なんてクソだという考えの人間です。私のヒーローはいつまでもライ麦ホールデンなのですから。

ほかにも入社以前からお世話になっている会社と大学の先輩、一緒に研修を受けている同期からも連絡をもらいました。私の身の回りには優しい人が溢れていますね。

 

前回

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そんなわけで、ちょっと1日時を戻して、適応障害と診断されて5日目について書いていこうと思います。

 

 

 

1.適応障害と診断されて5日目~会社の研修1日目~

朝目覚ましの音で起床します。いつも会社に行くために起きる時刻です。とても頭が重い。体も重い。ゆっくり時間をかけ、それらをほぐしていきます。騒音が気になる。でも、耐えられないほどではない。とりあえずシャワーを浴びます。

ドライヤーで髪を乾かしてから少し休憩。代表戦の久保建英選手のプレーについて考察した動画などを見て一息つきます。それから動きたくないという脳味噌と体に鞭打って研修に行く準備を始めます。1日分の下着を入れて、あとは研修終わりでそのまま実家に帰るので、パソコンやら充電器やらも。そして、実家から持ってきてしまったパーカーも戻さないと。

昨晩、友人と別れた後で気づいた忘れ物については、何とか誤魔化すための手立ては考えています(会社の特別な事情に関わるので、詳しくは割愛)。うん、とりあえずこれで大丈夫かな。それにしてもこの2日間の研修、本当に乗り切れるだろうか…自信もないし、体は重いし、あぁ、家から出たくない。

そうこうしているうちに家を出る時間です。研修施設に着く頃には、薬の副作用も弱まって何とかなるでしょう…なればいいな…ならなかったらどうしよう…どうしようもないか。

 

久しぶりに会う同期。明らかに私はテンションが低いし、上手く話せていない自覚があります。でも、まぁ、もともとそんなに明るいタイプでもないし、大丈夫かな。それよりも久しぶりの再会に少しテンションが上がっている同期の面々を見て、「健康そうだなぁ」と感じます。話を聞いていると、それぞれの職場での愚痴なので、みんなそれぞれに大変なんでしょうが、それでもきちんと毎日働いているんだから本当に偉いなぁと思います。自己嫌悪まではいかずとも、何というか彼らと今の私との間には半透明の境界線があって、そのことが何となしに私の体温を下げていく感じがありました。

研修自体は座学を中心に進んでいき、適宜私も質問等をしながら割とうまくやれていた気がします。昼休憩や細かい休憩のタイミングで1人になったりすることで、気分をうまくコントロールしながら何とか耐えることができました。ちょっとしたグループでのディスカッションもありましたが、周りには優秀な人間がたくさんいるので、特に私が頑張って発言をしなくても、相槌を打つくらいできちんと話は進んでいきます。みんなありがとうございました。この場を借りてお礼を言わせてもらいます。

そのようにして研修1日目は無事終了します。

夕食を1人でさっさと済ませ、部屋に戻り、風呂の支度…と、ここで私は重大なミスに気がつきます。パジャマを持って来るのを忘れてしまいました。しかも、歯ブラシもない。手元にあるのは、実家に返すために持って来たパーカーと、明日の分の下着だけ。そんなことにすら頭が回っていなかったのか、自分。普段から忘れ物の多い私ではありますが、それにしたって回らな過ぎです。いかに今の自分の思考力が衰え、視野が狭くなっているかを思い知らされました。昨晩は疲れていたし、今朝は今朝で部屋を出ることに精一杯過ぎでした。

まぁ、仕方ありません。ジャケットとYシャツ、靴下は脱いで、スーツのズボンと上は謎のパーカーを着て部屋を出ます。研修施設のため、大浴場しかないのです。廊下で誰にも会わないことを願いながら粛々と歩を進めます。大浴場の前で、知らない人と並んで歩く羽目になりましたが、「これが私のスタイル」という自信満々の表情で脱衣所へと一緒に入りました。さっと頭と体を洗って、広い湯船に身を浸します。5分くらいで体が温まったので、辛うじて持ってきていたスポーツタオルで全身を拭きます。頑張れば1枚で全身の水滴を拭えます。無駄を許さない。これが私のスタイル…なんて。

部屋に戻り、スーツを脱いで下着になります。暖房をがんがんに焚いて、とりあえず寒いということもありません。むしろ暑いくらいです。温度調節機能はいったいどこにあるのでしょう。よくわかりませんが、とりあえず寒くないのだけはありがたいです。体も心も割に疲弊していますが、まだ少し余力は残されています。さて、文章を書く時間です。

 

というわけで、前回のvol.5を書いたのがこの1日目の研修終わりでした。

 

研修の内容は社外秘なので、詳しくは話せないのですが、ざっくり言うと会社人としての意識を高めることが目的とされるものでした。コロナを踏まえて会社がどのように舵を切ったか。私たち若手社員がどのようなキャリアを踏んでいき、最終的にどのような仕事を為すべきなのか。会社の偉い方や若くして活躍している先輩社員が順番にやって来て、そのような話を色々としてくださいました。グループを作ってディスカッションしたりということもありましたが、さすがにみんな意識が高い。みなまだ入社数年目にもかかわらず、自分たちの経験を踏まえ、鋭い視点や強い意志を持って意見を言っていました。

私はどちらかと言えば、アンチ経済社会なので、あまり現代の自己啓発本的話や古臭い苦労話などに興味はありません。しかし、気がつけば私もその波の中に飲み込まれており、それ故にこうして適応障害なんてものになってしまいました。実際的に会社に対して反旗を翻したり、業務に対して不真面目だったりというわけではないのですが、それでも改めて自分には自分なりの会社との向き合い方があるのだと再確認しました。つまり、自分に負荷をかけ過ぎずに、会社の脚を引っ張り過ぎずに、それなりにやっていこうではないかということです。慣れてきたらやりたい分だけやればいいし、私には会社で働く以外にも色々としたいことがあるのだから、それを投げうってまで仕事に埋没する必要はないのです。他人や自分が悲しい思いをしてまでしなければならない仕事なんてないのだ、と地方の職場で学んだはずでした。

自分の考え方が正しく、この世界に広く浸透すれば良いとは考えていません。カントが言うには、「全人類がその行動をして破綻しない行動が正義だ」ということらしいので、少なくとも私はカント的な正義を行っているわけではなさそうです。ヘーゲルが言うには、「習慣の破壊と再構築の繰り返しの中で成長がある」といことだそうです。でも、私はこれまでちまちまと積み上げてきた自らの思想をそう簡単には崩したくない。偉大な哲学者たちには申し訳ないですが、とりあえず現状の私はあまり周囲の言葉に為され過ぎず、本来抱えていたはずの自分を取り戻すことから始めた方が良さそうですね。無理して参加した会社の研修の中で再確認できたのはそれくらいのものでした。

 

22時には消灯。有吉のラジオを聴きながら就寝。

 

2.適応障害と診断されて6日目~会社の研修2日目~

朝、副作用の影響も考えて少し早めに起床。やはり体は重いですが、ほんの少しずつこの倦怠感は弱まっているような気もします。これが薬に慣れるということなのでしょうか。ちなみにこの部分を書いているのは、10月21日(適応障害と診断されて7日目)の午後です。研修も終わり、今は実家のリビングです。

今回の記事の冒頭にも書いたように、会社(そして大学時代)の先輩から心配のメッセージが届きました。とても心配してくれ、本当にありがたい限りです。ほかにも、私が休んでいる職場経由で話を聞きつけた、一緒に研修を受けている同期からも心配のメッセージが入っていました。それらにとりあえず自分なりの真摯さを込めて返信。それから朝の準備に取り掛かります…あぁ、歯ブラシを忘れたのは痛いな…でもマスクもしているし、1日くらいいいさ。もともと私は薄汚い人間なのです。

朝食を食べ、静かな会議室に1番乗り。今日中に書かなければいけない研修のちょっとした課題(感想)をゆっくり書きながら、気持ちの良い秋晴れの空を眺めます。静かで落ち着きます。次第に会議室に人が集まって来て、それと入れ替わるようにトイレへと席を立ちます。個室の中でスマホをいじり、身体のリズムを整えます。薄汚い私が薄汚い場所で、薄汚いリフレッシュ。まぁ、それもいいでしょう。

研修自体は昨日の続きという感じで、基本は偉い人の講義を受ける形です。穏やかとは言えないものの、うまく肩の力を抜きながら、時間をやり過ごしていきます。昼食を食べ、寮室で1人で休憩して、また午後から講義。ディスカッションとその発表資料作成などは少し負荷がかかります。途中、私の人事権を握る上司と1対1の面談(同期全員が順番にやるもの)がありました。私のこれまでの業務内容や今後の希望などを聞かれましたが、当たり障りのない内容でそれをやり過ごします。「大変な職場だけど困ったことはない?」という言葉に現在の自分の状況を説明しようとも思いましたが、私が会社を休みたいと申し出た上司には「本格的に休職ということになるまでは、あまり話を大きくしない方が良い」というアドバイスもあったので、とりあえず「新しい環境ですからそれなりに…」と答えるぐらいにしておきました。これが正しいことだったのか、それは今でもよくわかりません。しかし、まぁ、「もう無理!」と直訴するにはまだ早いというのも自覚していますし、これでよかったのかもしれません。何とか復帰できた後、また同じようなことになってしまったら、そのときこそちゃんと泣きつこうと思います。たぶん、まだそんなに酷くないはず…今回のことは自分自身による過失という面が大きいのですから、自分が改めればそれで済む話です。事を荒立てて、周囲の環境を破壊するまでの必要はきっとないはずなのです。

ディスカッションとその集大成となる発表に関しては、うまく周りの同期を頼りながら、何とかやり過ごしました。が、さすがに終盤に差し掛かって来ると、疲れが出てきます。たった2日の適当にやり過ごせてしまう研修ですが、色々と弱っている今の私にはこれくらいがとりあえずの限度のようです。騒ぎ出すほどのことじゃないので、目を瞑り、深く呼吸をし、気を落ち着けます。じわじわとあの嫌な息苦しさやドキドキとした感じが滲み出てきます。薬の効果が薄れてきたのかな…でも、まだ大丈夫。全然耐えられます。そうこうしているうちに、無事研修は終了します。研修所からは駅までバスで少し移動する必要があったのですが、その僅かな時間に眠っていると、同期から「バス移動の短い時間、眠ってたね」と声をかけられました。私は「疲れちゃって」とだけ答え、そして駅の改札前でお喋りしている同期を尻目に1人改札の中へと消えていきました。

そして、そのまま実家へ。

新幹線の中で眠ると、強烈な疲労感に襲われます。久しぶりに感じる引力1.5倍タイム。手先、足先が痺れ、浅い眠りと覚醒を繰り返します。またちょっと前の自分に戻っている…そこで、「あぁ、ここが今の自分の限界だったんだな」と気づきます。でも、涙が零れ落ちるほどじゃありません。とりあえず今の自分でも研修に2日間耐えることはできました。これは1つの自信というか、1つの現状理解に繋がりました。少しずつではありますが、ちゃんと回復はしているのです。もちろんまだまだ全快したわけじゃないです。いつ復帰できるかな、という焦りもありますけど、少なくとも「何としても戻りたい職場」というわけではないのですから、まぁ、いいじゃありませんか。「駄目になってしまうなら、それでいいじゃないかと笑う」。ハヌマーンの「バクのコックさん」という曲の歌詞ですね。

話は脱線しますが、最近「天高く、馬肥ゆる秋」という言葉を知りました。ハヌマーンの「バクのコックさん」の歌詞に「獏肥ゆる青い春」という一節があり、この若干の皮肉とノスタルジーがとても好きだったのですが、その出典がようやくわかりました。こうして適応障害になって穏やかな日々を与えられなければ、この先もずっと知らなかったかもしれません。それだけでも適応障害になってよかったな、と思えます。川崎フロンターレ中村憲剛選手の言葉を思い出します。「こうなったのにも何か意味がある」。

 

実家に帰ると、やはり気分が落ち着きます。少なくとも、ここでは私は精神を休めることができる。そういう場所があることの幸せを改めて噛み締めます。

そして、眠ります。

 

3.適応障害と診断されて7日目~一休み、今後の計画~

研修の疲れが出たのか、朝起きるのがとてつもなく大変でした。夜中に目が覚めることはなく、それは良かったのですが、なかなか起き上がれない。そう言えば、夢の中で溺れているフクロウを助けました。水の中から掬い上げ、お腹の辺りを押すと、フクロウの喉の奥から毛玉か栗かウニみたいな球状の物がぽんと出てきました。これが何の暗示なのかは全くの不明ですが、何となくイメージが鮮明に残っています。

ただ、朝から食欲は割とあります。博多華丸大吉がMCを務める情報番組を熱心に見入っている母。セロトニンを分泌させるのに、朝陽に当たりなさい、と指示が飛んできます。しかしながら、私は朝陽が苦手なのです。どうしてかわからないのですが、たぶん大学時代あたりからずっとです。別に化物語が好き過ぎて、自分を吸血鬼だと思い込んでいるわけではありません。ただ何というか基本的に朝陽には害悪な超音波のような成分があるような気がするのです。また厄介な優性遺伝のせいで、私は眩しい光を見るとクシャミが出る体質ですし。

母の指示を何となく無視していると、セロトニンの分泌方法があと2つ紹介されました。「腹式呼吸すること≒歌をうたいなさい」、「単調なリズムに合わせて運動をしなさい≒運動としてのウォーキングをしなさい」ということです。まぁ、今の私にできることと言えば…「歌をうたうこと」くらいです。母の迷惑も考えず、とりあえず「ロビンソン」、「空も飛べるはず」、「歩いて帰ろう」辺りの簡単な曲をギターで弾きながら熱唱。相変わらずの音痴ですが、私に合わせて母も楽しそうに歌ってくれていたので、まぁ、よかったでしょう。そうこうしているうちに、心療内科に行かなければいけない時間に。

2回目の診療はとても味気なく、経過報告を軽くして、同じ薬を出されただけでした。5分も無い診察に1500円ちかくも取られるとは。まるで処方箋をもらうためだけに来たみたいだな、と思ってしまいました。ただ1つだけアドバイスがありまして、「職場の近くで通院するのが一般的ですけどね」とのこと。そうですよね。私もそう思います。

 

2日間の研修を経て、少しだけ会社復帰に向けて自信もつきました。問題なのは、まだ色々と弱っているということ。そして、職場に行くだけでもパニックになるということ。どちらも少しずつ慣らしていくしかありません。さて、どうするか。

幸い会社はゆっくり休んでくれていいと言っています(というか、そう言うしかないのでしょう)。しかし、休みの期間が長くなればそれだけ復帰の際のハードルは高くなりますし、職場の人にも迷惑をかけてしまいます。今の私にとってはいささかどうでも良いと感じてしまう問題ですが、休職になるか否かで人事評の履歴が変わって来る部分もあります。出世なんてどうでも良いですが、会社からぞんざいな扱いをされるのもちょっと嫌ですしね。可能なら早く復帰したいという思いはあります。

ですが、復帰にあたっては以下の調整が必要です。

 

①治療拠点を東京に移す

②職場に対するトラウマを克服し、パニックにならないようにする

③心と体を回復し、業務に耐えられるようにする

 

まずは①に関しては、現在調査中です。水曜日ということもあり、お休みが多く、連絡のついた心療内科は早くとも11月4日まで予約でいっぱいとのことでした。個人的には今週末か来週には拠点を東京に戻そうと考えているので、もう少し調査してみる必要がありそうです。ただ、転院ということになれば、現在通院している心療内科から紹介状を書いてもらう必要がありますね。面倒ですが、これも大事な手続きですね。

②に関しては、①の算段がついたら、何度か会社までの通勤訓練をしたり、人混みに行ってみたりして少しずつ慣らしていくつもりです。

③に関しては、今のところボランティアでもして疑似的に業務負荷をかけてみようかとも考えています。 これに関しては、まだまだ調査中ですが、いくつか目ぼしいボランティアも見つかりました。が、実際にそれに参加するかについては、会社側の対応も含めて調整していこうと思います。あまり会社側に迷惑をかけたくないので、業務に耐えられるようになってからの復帰を考えているのですが…どういう風にやっていくかまだまだ悩みどころです。

これらを踏まえて、今晩は家族会議という感じでしょうか。

不安なことはたくさんありますが、少しずつ進めていかないといけませんね。本音を言えば、会社を辞めて1から全く別の環境でやり直したいという思いが強いのですけれど、辞めたからと言って事態が好転するとは限りませんからね。ただ、もう少しゆっくり人生を考え直してみても良いかなぁ、と思う今日この頃…まぁ、一度会社復帰してみてから再度考え直すのでも遅くないですよね。きっと。

 

4.ドラマ映画「リトルフォレスト」を観て

先日美術館に行った友人に勧められてNetflixで「リトルフォレスト」という橋本愛さん主演のドラマ(映画?)を観ました。1話1時間で計4話。東北の奥地にある「小森」という架空の村で自給自足をするお話です。「夏」・「秋」・「冬」・「春」と1話ずつ進んでいくのですが、普通に観ても生きる上での人間の知恵・農業の技術などが学べるのでとても面白いドラマでした(終始長閑な雰囲気であり、かつ薬の副作用のせいもあって途中々々眠ってしまいましたが)。

ここからはネタバレを含みます。が、特に詳細な考察をするわけではありません。

橋本愛さん演じる「いち子」は田舎育ちで、幼い頃から山奥で自然や農業に囲まれて育ってきました。最初はそんな彼女が生き生きと山奥で自給自足的な生活を営んでいる様子がストーリーの中心になっているのですが、次第に彼女が色々な過去を抱えていることが明かされていきます。

母があるとき失踪したこと。都市での生活に失敗し、現在は出戻り中であること。育って来た「小森」というコミュニティの中で、今のところ上手く生きていけていること。ただ、このまま「小森」で生きていくことに踏切れずにいること…などです。

私の友人に「さすがだなぁ」と言いたいところですが、まさに私が投影してしまうような主人公でした。まぁ、私の母は失踪していませんけれども。ただ、私は地元に友達がいませんし、家族以外には頼れる存在もありません。それに、実家で生計を立てる手立ても今のところはありません。しかしながら、都会で上手くいかなくなり、育った土地に出戻り、そこで人生をやり直すか迷っているという点はかなり親和性が高いですよね。この映画(もう映画ということにしますね)を観て、私の価値観が大きく更新されたということはありませんが、心にはじんわりと沁み入るものがありました。

どういう選択肢をした方が幸せだとか、どんな生き方にもそれぞれの楽しさや大変さがあるだとか、そういうことではありません。ただ単に私が感じたのは、様々な人生があるのだなぁ、ということです。映画では自然の輪廻的サイクルの神秘性などが1つの主題になっているようにも思えましたが、私もまたその基本的な生命の原理原則の枠組みの中にあるのだなぁ、と感じました。とても抽象的で、端的に表すことはできませんが、季節が巡るように、私もまたあれやこれやとしながら生きていければそれでいいのでしょう。生きていく上での方針や手段なんていくらでもありますし、そのことを改めて感じられる素敵な映画でした。心が疲れている現状において、この映画の落ち着いた雰囲気は最高でしたし。

本当に友人には感謝です。

 

5.五十肩(肩関節周囲炎)

このところ右肩がずっと痛く、ついにその痛みが限界を迎えました。服に袖を通すために腕を上げたり曲げたりするだけでも痛いのです。

というわけで、整形外科へレッツ・ゴー!

3ポーズくらい取らされ、そのうち1ポーズへの移行中で痛みが発生。お医者様の指で肩を押されて「痛いです」と答えると、すぐにレントゲンを撮らされました。痛む右腕の降ろしたバージョンと上げたバージョン。痛んでいない左肩も同様に撮影を行います。そのまま無駄のない案内で、電気による治療を10分。血流を良くし、筋肉を柔らかくする効果があるとのこ。10分間放置されている間は、とりあえず読書。あっという間に10分が過ぎると、再び診察室でお医者様の前に座らされます。左右の方のレントゲン写真から、骨に異常がないことを説明され、炎症を抑える注射を打つ旨を説明されます。最初の問診票に「適応障害」のことを書いていたので、「まぁ、ゆっくりしていきなさいな。コロナだし丁度いいわ。運動してないってことだけど、気持ちの良い季節だし、散歩でもしてみたら」と色々とお話をしてくれ、その間に注射は完了。「ね、喋っているうちにやったから痛くなかったでしょ(ドヤ)」。

注射は今晩から明日の朝にかけて効いて来るそうです。湿布も貼ってもらいました。寝る前に湿布を貼り、起きたら剥がす。そのうち痛みも引いて来ると説明を受けました。

あっという間の出来事で、病院としての熟練度を感じました。注射と湿布が効いているのか、かなり痛みも引いてきました。あぁ、よかった。

 

6.津野米咲さん

ウェルテル効果とパパゲーノ効果というものがあります。その2つの言葉が私に文章を書かせることを戸惑わせます。なので、あまり多くは語りません。

このブログの他の記事を読んでいただければわかるように、私はハロヲタです。ですから、津野さんには本当に感謝しているのです。彼女のパーソナルな部分に関して、私はほとんどのことを知りません。しかし、音楽的な素養に優れた、将来有望なバンドマン(にして作曲家)だと思っていたので、その才がこの世界から失われてしまったことが残念でなりません。

音楽は残りますし、ハロプロにおいては、その歌が歌い継がれていきます。

そのことは少なくとも私にとっては救いです。

素敵な音楽をありがとうございました。ごゆっくりお休みください。

 

次回

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