霏々

音楽や小説など

適応障害と診断されまして… vol.3

適応障害と診断されて2日目(10月16日)の夜にこの記事を書き始めています。おそらく、明日(10月17日)にかけて書いて1つの記事になると思われます。

 

前回

eishiminato.hatenablog.com

 

前回は実家へ逃げ帰り、2つ目のお医者様にかかり、「適応障害」と診断された辺りまでを話しました。また、うつ病のメカニズムとその治療法、うつ病適応障害の違いだったりについて、ざっと自分が得た知識についてご紹介させていただきました。

 

 

1.適応障害と診断されて2日目・続

前回も「メイラックス」という薬のジェネリック版を服用したということを最後に少し書きましたが、実際に薬を服用して1日目の感想をまとめたいと思います。

前回の記事にも書いた通り、メイラックスは不安を抑える効果があるものの、私にはかなりの倦怠感がありました。重力が1.5倍になったみたいな感じで、本当に地球の引力で下に引っ張られている感覚があるのです。また、若干ですが頭がぼーっとする感じと、行動や呂律の鈍化もありました。それでも、午前中にはこのブログの前回の記事を書いたりするだけの元気はありましたね。

昼前に母と外出。仕事を辞めた母は知人と共同で畑を始めたらしく、その様子を見に連れて行ってくれました。自然に触れてリラックスしようという目的も兼ていましたが、実際心が塞ぎ込んでいるときに自然に触れても、たいした感慨は得られなかったというのが正直なところです。空は青く、風は少し冷たく、土と植物の匂い。そして、天日干しされている稲の上を歩く雀たち。いつもの自分ならそれらの美しさにもっと心を打たれていたと思うのですが、何か膜が1枚自分の周りを覆っているようで、感性が鈍化していることを思い知らされました。ただ、そういった優しい自然の中は、本当にストレス要因が少ないので、多少落ち着きはしましたね。

 

少し脱線…

私が愛するバズマザーズというバンドの楽曲に「恋文は下駄箱の中」というものがあります。その中に、「感性が鈍くなっていく。本当はそれが何より怖い。一人で食べる昼食よりも、月曜の朝よりも」という歌詞があります。それまでの私は、「自称芸術家の男が、日常の忙しさに摩耗して、感性が衰えていくことの悲哀」を歌っているのだという解釈をしていました。もちろん、それは間違っていないと思います。ですが、実際問題として、こうして適応障害なんてものにかかってしまうと、リアルにその「鈍くなった感性」を体感でき、そのリアルな恐ろしさについて理解することができました。心が死んでいる状態というのは、社会や日常の中で劣勢を強いられることなんかよりもよっぽど辛いことでした。美しい情景を美しいと感じられない。そう考えたとき、私は初めて自らの人間としての尊厳を貶められたのだと感じました。

もちろん、こうなってしまった原因の最大の理由は私自身にあります。けれど、今後の人生、私の周りの人が今の私みたいな状況に陥ってしまわないよう、最大限の努力はしていこうと思いました。遠因を作ってしまうことも、救えなかったということもないように。人間は万能ではありませんが、それでも人間が本来有する大切な感性を守ることは、人間の尊厳を守ることに等しいのだと強く感じたのです。

 

話を戻しまして、その畑の訪問の後、私と母は近くのお洒落なレストランへ。店内は広く、コロナ対策という意味では万全の状況と言えました。しかし、何より気になったのは「話し声」です。洒落た店内には、他のお客さんの話し声が反響しており、まずそれに圧倒されてしまいました。母と会話をすることで、多少気が紛れましたが、それでも食事が終わる頃にはかなり精神的な疲労を感じていました。またあの嫌な息苦しさもありつつ、不意に涙が零れそうにもなりました。が、足早に店を後にし、駐車場で深呼吸。広い空と、冷たい風を感じ、少し落ち着きます。車に乗り込み、しばらく母と会話をしていると、割とすぐ気持ちを立ち直すことができました。

やはりまだ無理をして外に出る段階ではなかったのかもしれません。ただ、それでも精神が完全に掻き乱されるほどではありません。何よりも大きな収穫だったのが、「休憩を挟むことで回復ができる!」という実感を得られたことでした。ストレスに弱い状況であることは知っていましたが、何よりも危惧していたのは、受けたストレスが自分に蓄積され、どんどん悪い方向へと向かってしまうことでした。でも、自分はまだそうじゃない。ちゃんと休み、辛いときは逃げれば、また立ち直れる。それが何よりも治療に向けた自信に繋がりました。そして、昼食をほとんど完食できたことも喜ばしいことでした。

 

昼食後、私と母はそのまま電気店に行きました。家の脱衣所の電球を買い替えるためです。年配の女性によくあるように、電球なんて何を買っていいのかわからない母の代わりに、私が品定めをしたり、店員と相談しました。最初は知らない人との会話がまた私を苦しめることになるのではないかという不安がありました。お医者様や看護士の方とは、比較的スムーズに会話できていましたが、それは相手が私のことを病人扱いしてくれていたからです。こんな状況になってから、おそらくは初めて、私の精神が病んでいることを知らない人との会話だったと思います。が、本当に最初の一瞬こそ緊張感があったものの、割と普通に会話をすることができました。事務的な会話ですけど。

これも私にとってはちょっとした挑戦だったのですが、この挑戦を通して、とりあえず自分には今のところ「対人恐怖症」の気はないことがわかりました。会社の人となればまた違ったのかもしれませんが、とりあえず普通の人と事務的な会話をすることは問題ないようです。あぁ、良かった…

 

その後、私は母に連れられて小さな神社へ。母が会社への車通勤中、いつも目の前を通るときに心の中でお祈りしていたという神社。退職後すっかり行かなくなって、それから嫌なことが続いているらしいので、久しぶりにお祈りしたいということで、私も同行させてもらいました。何と言ったって、母を苦しめている一因は私なんですからね(笑)。

小さな賽銭箱に小さなお社。お社の脇には、雨風で輪郭がぼやけてしまった小さなお地蔵様がいました。私も母もいつもより長めにお祈りを。

私は特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、祈れる対象がいるというのはやはり重要なことですよね。この日記ではあまり面倒な話をしないようにしたいですが、それでも一言だけ言っておくと、信仰や宗教といったものは私たち不完全な人間にとって、それを補完するために不可欠なものだと思っています。サリンジャーはズーイ・グラースというキャラクターに、「キリストの祈りを唱えるなら、色んなものをごっちゃにした対象ではなくて、きちんとキリストそのものを理解した上で、キリストその人に祈らなければダメだ」と言わせていましたが、私はそんなに厳密でなくても良いと思っています。祈りたい対象があって、それに真摯に祈ることができれば、まずはそこで人間は1つ救われることができると考えています。私はサリンジャー凛として時雨のTKや、バズマザーズ山田亮一などに日々祈っているわけですが、そこでやっぱり救われているのです。ズーイが怒っていたのは、見当違いの相手に見当違いの祈りを捧げたり、誤解した神を盾に不平不満を並べることに対してです。知らないお地蔵様に祈るのは少し気が引けましたが、知らない神様だからこそ、ぼんやりと「癒しをください」とだけ祈っておきました。

 

家に戻り、またこのブログの記事を書き進め、夕方からはWOWOWバカリズムの単独ライブを観賞。気がつけば、笑えるように。お祈りのおかげか薬のおかげか。十中八九お薬のおかげですが、副作用の倦怠感もかなり消え、久しぶりに「息ができた」と思えるようになっていました。夕食も最初からやや少なめにしていましたが、無事完食。「美味しい」と感じられたのも、久しぶりのこと。食後はまた1日1回の薬を飲み、風呂に入り、家族とニンテンドーSwitchで脳トレ。両親もなかなか歳を取って来て、脳が衰えているよう。そして、この記事を書いています。

 

記事を書きながら実感しているのは、「自分が戻って来た」という感覚です。

やはりうつ病適応障害)の症状に苦しんでいるときの自分は「普通じゃない」状態だったのだと気づきました。確かに今もまだ自分の中には「うつ病」の自分がいて、ストレスを引き金にして、今日のランチのときみたいにすっと自分に乗り移ってきます。でも、うつ病に苦しんでいる自分は、また別のところにいる自分で、薬なり何なりで息苦しくないときは本来の自分に戻れるのです。とても説明の難しい感覚ですが、私が言いたいのは「苦しんでいる時の自分は本来の自分じゃない」ということです。

ですから、うつ病で何かがうまくできなかったとしても、自分自身に自信を喪失する必要はないのです。人込みで精神が不安定になるのは、本来の自分が侵され、変化しているのではなく、苦しんでいる自分が引き出されているだけ。不安に塗れて、泣き出してしまう自分は、本来の自分の精神力が弱くなったわけではなく、不安に苦しむ自分が引き出されているだけ。もちろん、その「苦しむ自分」は消せないし、消せないからこそ優しく親身になって接してあげる必要はあるのですが、そうやって「苦しむ自分」の面倒を見る本来の自分と言うのはまた別にちゃんと存在してくれているのです。

今はストレスの無い環境で、薬も(お祈りも)効いており、だいぶ気分が楽です。が、きっとまた何かのきっかけで苦しくなってしまうと思います。そんなとき、きっと取り乱してしまうこともあると思いますが、自分の全てを否定はせずに上手く受け入れてやっていきたいと思います。

 

2.適応診断と診断されて3日目~挑戦~

10月17日、適応障害と診断されて3日目の朝です。天気は生憎の曇り。連日、寝起きが最も苦しいことを学んでいるので、8時くらいに目を覚ましてから、1時間くらいNetflixで「コブラ会」を見てからゆっくり体を起こします。

薬の副作用でやはり体はかなり重いですが、まぁ色々と動き回ることができます。朝食は途中で箸が止まってしまいましたが、少しテレビを見たり、ギターを弾いたりしながら身体を慣らすと再び食べる気持ちに。冷めた朝食を何とか完食。よし。

今日は土曜日ですが、父も母も妹も何やかやと予定があるそうで1人でお留守番。「コブラ会」か昼寝か迷って、今日は自分を試すことに。試すといっても仕様もないことです。アイドル「sora tob sakana」のライブ映像を久しぶりに見てみようと思いました。せっかく実家のデカいテレビと、5.1chサラウンドがあります。実家に逃げ帰るときに、とりあえずお気に入りの音楽DVD・Blu-rayをまとめたケースをリュックに放り込んでおいてよかった!

美しくも健気な彼女たちを観て精神を癒すというよりは、今の自分が音楽を楽しめるのかということの確認をするつもりでした。昨晩はバカリズムの単独ライブを観て、笑うことができましたが、今は薬の副作用も強い午前中。さて、どうなるか。

しばらくは楽器の音に落ち着かない感じがありますが、次第に慣れて来て、音楽と映像美を楽しめるように。まぁ、いつもほどの気分の高揚は当然ないわけですが、とりあえず観ていられます。そのようにしてしばらく観ているうちに嬉しいことが。オサカナちゃんたちに合わせて自然と「歌う」ことができたのです!これはとても嬉しかった。嬉しいけど、気分は落ち込んでいるので、顔は死んでますが(笑)。本当に久しぶりに歌うことができたような気がします。いつから歌っていなかったかな。まぁ、かなりの音痴なので、世界平和のためにも私なんて歌わない方が良いのでしょうが(笑)。

sora tob sakana」のライブ映像を1本見切って、そのままの流れで「Maison book girl」にも挑戦。これはこれで楽しい。ただ、当然のことながら、いつもほどは楽しめませんでした。とは言え、私の中では大きな進歩です。人間としての尊厳を僅かですが、取り戻せたような気がします。

 

音楽を楽しむ。これが今日の私の1つ目の挑戦。

 

続いて、2つ目の挑戦に取り掛かります。と、その前に、家に帰って来た両親と、昨年亡くなった父の叔母のお墓参り。せっかくだから、と違うお寺にも出向いて、一族のお墓の方も参ってきました。ちなみに、墓参り前の昼食は難なく完食できました。あまり美味しいとは感じられないものの、わずかに食欲というのも感じましたし、もう私はきちんと食事を摂ることができるようになったようです。

さて、少し話が逸れましたが、2つ目の挑戦に取り掛かります。それは東京への帰還です。東京に帰還することについてはいくつか理由があります。

まず1つ目の理由は、明日10月18日に友人と美術館に行くためです。東京に転勤すると決まった時、連絡を取り、一緒に美術館に行く約束をしたのです。まだその友人には自分がこんな状態になったことは言っていませんでしたが、直接会ったときに伝えるつもりです。まずは、仕事に関係ないところで社会復帰を果たす。それができなければ、会社に復帰することなんて不可能に決まっています。また幸運にもその友人と約束した予定は「美術館」です。それなりの人混みは予想されますが、しかし、静かで落ち着いた空間ということで、自分を試すうえではもってこいだと思いました。

そして、2つ目の理由ですが、それは東京の寮での生活復帰です。一応、来週の水曜日(10月21日)には実家の近くのクリニックに予約を入れているので、また東京から戻って来る予定ですが、それでもまずは1日東京の寮で夜を過ごしてみる。これも会社に復帰する上では重要なファクターです。これまできちんと説明していませんでしたが、私が現在東京で寝泊まりしている寮は騒音が大きいところで、そのせいもあって夜中に何度か起きてしまっていたのです。つまり、不眠の一員は生活環境にもあったわけです。ですから、これに耐えられるかということも、1つの重要なテストではあるわけです。

さらに3つ目の理由ですが、今のところこれが1番私を悩ませているものです。来週の月曜・火曜(10月19日・20日)に会社の研修があるのです。ただ研修と言っても、基本的には座学を受けるだけです。しかも、現在の職場の人たちとではなく、全国に散らばった私の同期が1所に集められ、行われる研修です。現在私と会社の窓口を引き受けてくださっている上司からは、「休むと目立つ研修だし、基本座学やちょっとしたグループワークをするくらいだから、もし可能なら出ておいた方がいいよ」とアドバイスをもらいました。私としては、ほんの一寸でも会社の事なんて考えたくはないのですが、確かに上司の言うことは間違っていません。それに無理だと感じたら、体調不良でばっくれても良いです。既に私はそれ以上のことをしでかしてしまっているわけですし。いまの自分にどれくらいの負荷がかかるのか。まぁ、きついのは承知でとりあえず今のところ研修には参加するつもりでいます。

と、まぁ、健康な人からしたらどれも大した問題ではないと思うのですが、一度何もかもを放り出して逃げてしまった自分が、どこまでこれまでの日常を取り戻せるのかを確認するためにも、私はいま東京に向かう新幹線に揺られながら、この文章を書いています。

 

これから数日間のうちに私を待ち受ける挑戦に、いまかなりの不安を抱いている私ですが、幸い薬が効いており、以前のような強い緊張感・不安感・動悸・息切れはありません。ただ、副作用はなかなか辛いですけどね。倦怠感は朝に比べれば、この記事を書いている午後は多少マシになっているものの、やはり体は重いです。それに、健康的とは言えない眠さを感じます。眠さと言うよりは、頭がぼーっとする感じというのが正しいかもしれません。そこにはやんわりと万力で締められているような頭痛も伴います。決して、万全の状態とは言えないものの、あの自分を見失ってしまうようなうつ病の辛さはだいぶ緩和されています。本当にありがたいです。

何はともあれ、無理をしない程度に、少しずつ復帰に向けて色々と試していこうと思います。

 

3.振り返り~助けてくれた人たち~

これまでは主に家族(特に母)に助けられたという内容を書いてきました。結婚もしていなければ、彼女もいない。それどころか学生時代からめちゃくちゃ深く付き合っている友人なんて私にはいません。本当に悲しい奴なんですが、それでも私には芸術や哲学があるもんね!とイキって生きてきたわけです(ダジャレじゃないです)。

しかしながら、前述の通り、芸術や哲学を感じる感性が死んでしまった現状、私が頼れる相手はとりあえずのところ家族しかいませんでした。ちょうど良いタイミングで退職していた母を始め、本当に家族が生きてくれていて良かったと思いました。しかし、少し落ち着いて見ると、実にたくさんの人が私に優しくしてくれました。

私が真っ先に泣きついた上司はもちろんですが、地方で働いていたときの仲間もまた私にとても優しく接してくれました。

私が地方に残した仕事を引き継いでくれた同期とは、その仕事の話やちょっとしたお互いの現状報告をしていたのですが、まず彼に私の現状を打ち明けてみました。一緒に働いていたときはそんなに連絡を取り合ったりしてなかったのですが、毎日連絡をくれ、仕事の愚痴などの日常を話してくれました。また、無理せずゆっくり治して、というような声もかけてくれ、とても励まされました。普段、そういう励まし合いをしてこなかっただけに、なかなか感動させられました。

次に私を何回か旅行に連れて行ってくれたことのある先輩です。その先輩とは、音楽や小説が趣味ということでこれまで沢山話をしてきましたし、それだけでなく人生観や人間としての癖みたいなのが近いところがあり、本当に仲良くさせていただきました。その先輩には新しい職場でも頑張っている姿を見せたかったので、本当は自分の現状を連絡することが躊躇われましたが、それでも私が苦しんでいることを話せば、絶対に受け止めてくれるという確信があったので連絡してみました。連絡したらいつもの感じで、人生とかそういう話になりましたが、やっぱりきちんと受け止めてくれ、また一緒に働いたり遊んだりしような、と声をかけてくださいました。

さらに、私の同期から話を聞きつけた、前の職場の上司もまた「味方です」と連絡をくれました。耐えられなくなったら、会社のそういう窓口に駆け込むのもアリだと言ってくれました。まぁ、今回のことは完全に私自身のミスなので、誰を訴えるというのでもないんですけどね。ただ、そうやって私の事を心配してくれたり、心配してくれたり、励ましてくれたりしたのが嬉しくて、本当に救われる思いでした。

他にも、実は大学の研究室の先輩が今の私の近くの部署で働いており、その先輩も私にわざわざ電話をかけてくれました。ちょうど仕事を頼まれていたところだったので、「すみません。ちょっとその仕事できなくなりました…」という感じで連絡したところ、電話をかけてくれ、コロナが無ければもっと早くに話聞いてやれたんだけど、本当に悪かったね、と言ってくれました。また、仕事は全然大丈夫だから、自分のペースで復帰に向けてやっていったらいいよ、とも言ってくれました。

 

本当はもっと色々な人に相談しても良いかなとも思うのですが、あまり言いふらすようなことを自分でしても仕方ないので、これからは少し自重したいと思います。ただ直接誰かに会うことがあれば、その時には正直に自分がそういう状況にあったことを話したいとは思っています。

 

と、何というか自分の愛されエピソードを披露するみたいで本当に恥ずかしいのですが、私が何を言いたいのかと言うと、「意外とみんな気にかけてくれてるよ!」ということです。もちろん、何もなければあえて気にかけることもなかったかもしれません。ただ基本的には誰かが困っていれば助けたいと思っている人は多いし、少なくとも私がお世話になってきた人たちはそういう人ばかりでした。

同時に、この社会の中で、うつ病適応障害といった精神疾患もかなり受け入れられて来ているのだと感じました。もちろん精神疾患にかかる人は間違いなく少数派ですし、そういう意味では「共感」され、それが「当たり前」として受け入れられることを求めるのは違うと思います。しかしながら、様々なメディアや教育によって、私が今回負った苦しみがあることは一般的に認知されていますし、たとえそれがステレオタイプな類の優しさであったとしても、少なくとも私を非難したり罵倒したりする人は今のところいませんでした。強いて言うなら、祖父が母に「ダメだ。実家になんか帰らせるな。戻れなくなる」と言ったそうですが、そんな祖父ですら電話口では特に私を非難することなく、普通に接してくれました。

優しさ乞食になって色んな人に連絡を取ったわけではありませんが、そういう優しさに触れられたことは私にとって非常にプラスでした。しかし、それらは治療においてプラスという以上に、今後の人間関係をより強固にするうえで非常に大事だなと思っています。むしろ治療と言う意味では、誰かに自分の状況を話して聞かせることで、自分の考えを整理できますし、何よりも自分の状況を受け止められるようになります。こうして誰が読むともわからない文章を書いているのも、今の自分の状況を受け止めるうえで非常に重要だと感じています。人に説明しようと思えば客観的な視点が必要ですし、運が良ければ相手から新たな視点をもらえ、さらに理解の客観性が向上します。恐怖は対象を理解できないところから始まると私は考えているので、私がこうなるに至ったメカニズムを理解することはまず恐怖を少しでも減らすことに繋がると思っています。治療のための対応策を考えることにもなりますし、再発の対策も考えられるようになるでしょう。やはり「またこうなったらどうしよう」と考えて生きていくのは辛いと思いますし。

 

そういうわけで、とりあえず私は色んな人に話を聞いてもらいました。そして、ここではプライバシーを守りつつも、どこよりも正直に自分の生活を書いているつもりです。状況理解からすべてが始まるのだと私は思います。

 

4.適応障害と診断されて3日目・続

そして、ようやく東京の寮に戻ってきました。やはり若干の緊張感が漂いますね。上着をかけるためにクローゼットを開ければスーツが目につき、少しピリッとします。あまり気にかけないよう意識しながら夕食。割と美味しく食べられますね。すぐにお薬を飲んでネットサーフィン。外の騒音も少し気になりますが、とりあえずイヤホンをしてずっと見れていなかったハロステ(ハロープロジェクトYouTube番組)を流し聞きしながらこの記事を書いていました。

明日はきちんと8時に目覚ましをかけ、一度会社に研修の資料を取りに行き(これもなかなかの不安が募るイベント…)、その後寮に戻ってから美術館に向かう予定です。帰って来たら、研修の準備…泊りなのでね。

はぁ、気が滅入る。

でも、数日前のあのパニックやとてつもない息苦しさはありません。普通の月曜日の朝の「あぁ、会社に行きたくない」という感情に、薬の副作用による頭痛と倦怠感が乗っている程度です。って、笑えないっすね(笑)。

ともかく、今日は早く寝て、明日に備えましょー!

 

次回

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